2012年1月28日 (土)
2012年1月27日 (金)
2012年1月26日 (木)
六本木ヒルズのけやき坂から東京タワー方面。
なんども書きますが、ブルーとシルバーの色合いは、樹木にもとても映えます。
紫外線を発しないLEDだから、木々への影響は少ないはず。
でも、そこに通電し、重さの負荷も考えると、可哀そうな感じ。
でもそれ以上に、人々の気持ちを和ます輝くばかりの光の効果は大きい。
山手線を中心にJRの電車のホームの両端には、ブルーの照明がついているのをご存知?
あれは、青の光が人の心に沈静効果を与えるのだそうな。
そう、早まっちゃいけないよ、ということなんです。
コルンゴルト(1897~1957)のシリーズ。
ヴァイオリンとピアノのための作品全集、とはいってもCD1枚ですが、そちらからメインのヴァイオリン・ソナタを。
作品番号6、1912年、コルンゴルト15歳の作品。
翌13年、カール・フレッシュのヴァイオリンとシュナーベルのピアノで初演。
これだけでもすごいでしょ!
コルンゴルトは、ともかく神童として、ナチス登場まではヨーロッパで人気・実力ともに随一の作曲家だったのだから。
コルンゴルトとしては初期の作品ながら、誰がこれを15歳の少年の作品と思えようか。
本格的な4つの楽章の古典的なフォームを持つ均整のとれた作品。
でも、後期ロマン派の爛熟期の流れをしっかり受け継いでいて、後年のロマンティックで甘味なオペラ作品の前兆も充分に感じ取れる。
1912年は、シェーンベルクが「ピエロリュネール」を作曲した年で、「グレの歌」を完成させた。後期ロマン派から、無調そして十二音へと走りつつあった。
マーラーが前年亡くなり、R・シュトラウスは人気オペラ作曲家として「ばらの騎士」を書いたあと「ナクソスのアリアドネ」を完成させた。
こんな周辺にあっての、コルンゴルトの立ち位置は、どちらかというとシュトラウス寄り。
明快でわかりやすい旋律主体で、伝統にのっとった構成感をしっかりと順守。
そこに溢れる世紀末的感覚。刹那的ともいえる美しさ。
情熱的な1楽章は、モデラートでゆっくり始まり、徐々に熱を帯びて行くさまに聴きほれます。
2楽章は、コルンゴルトらしいカッコいいスケルツォ。
これが15歳の・・・、という印象をもっとも持ってしまう枯淡のロマンティシズムを感じてしまう3楽章。夢見るような、こんな深い感情はいったいどこから来たのでしょうか・・・・。
4楽章は、バリエーション形式で、ヴァイオリンの名技が楽しめます。
前年に書いた自作の歌曲「Schneeglockchen」(雪割草)を主題としてます。
この歌曲がまた素敵に美しいもので、バーバラ・ヘンドリックスとウェルザー・メストのCDで聴くことができます。
当CDには、このソナタのほか、自身がアレンジした「死の都」や「ヘリアーネの悲劇」、「空騒ぎ」から、などの魅力的な作品も収録されていて、たっぷり1枚、コルンゴルトの魅惑のヴァイオリン・サウンドが味わえます。
Vn:ソーニャ・ファン・ビーク
Pf:アンドレアス・フローリッシュ
オランダ出身の若い女流ビークの、屈託なくピチピチとしたサウンドには、もう少し陰りが欲しいところですが、思えばコルンゴルトの若々しい音楽にはぴったりかもです。
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2012年1月25日 (水)
築地の聖路加病院関連敷地内にある「トイスラー記念館」
聖路加病院の設立者である。米宣教医のトイスラーにちなんで移築・復元された宣教師館。
東京のど真ん中にあって、なんだかとってもヨーロッパ、それもスイスっぽい。
高名なる日野原先生を戴く聖路加病院。
聖ルカであります。
新約聖書の4大福音書のひとつのルカ。
そして、生誕の記載が淡々としつつも一番感動的な福音書で、バッハのクリスマスオラトリオは、この福音書を多くの部分で母体としてます。
場所柄、不動産活用に成功し、聖路加タウンの様相を呈しておりますが、病院という基本理念は変わりません。
わたしの亡くなった叔父は、こちらに勤めておりました。
そして病床に伏せったときも、こちらに駆けつけました。
いずれ機会があれば、こちらの教会のオルガンコンサートに足を運んでみたいと思ってます。
モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第3番
ジュリアーノ・カルミニョーラ
クラウディオ・アバド指揮 モーツァルト・オーケストラ
こんな素敵な演奏、今頃になって記事にしてます。
アバド指揮するモーツァルト交響曲とともに即買いしながら、いままでまともに聴いてなかった。
ここ数年、自分にとってモーツァルトがおろそかになっていた。
没後200年(1991年)、数年前に新婚旅行でウィーンに行ったこともあって、モーツァルトのCDを聴きまくり、ほぼそれで満足して今に至ってしまった感がある。
そう、わかったつもりになってました。
その後は、交響曲では、ブリュッヘンやガーディナーのモーツァルトを聴きつつも、なんか違うな~、と思っていて、ときおり聴くワルターやベーム、スゥイトナー、そしてアバドの折り目正しく、心優しいモーツァルトに心動かされることの方が多かった。
そこへ来て、アバドのニュー・スタイルのモーツァルト。
ベルリンフィル時代の従来演奏とは大違いの、いわゆる「古楽奏法」を意識したそれ風のモーツァルト。
やりくちは、いまや普通かもしれないが、アバドほどの大巨匠と呼ばれる指揮者が、ここに至ってこんなチャレンジをしてしまうことの大胆さ。
というより、その進取の気性と若い着想。
2006年の録音ですが、ベルリンを辞めて、ルツェルンで心おきなく、仲間たちとマーラーに没頭し、ボローニャで設立したモーツァルト管で、古典の音楽をあるがままに楽しむ。
そんなアバドの嬉々とした嬉しそうなお顔がうかがえるモーツァルト。
単に、ピリオドやってみました的なものとは次元がはるかに違う、微笑みとともに透明感あふれる自然な演奏。
その基調は、「明」と「自然体」であります。
アバドより20も若いカルミニョーラの明るく先鋭な弾力性あるモーツァルトに、完璧に同化しているオーケストラ。
とんがったヴィヴァルディもいいけれど、弾んだモーツァルトもいいカルミニョーラ。
モーツァルトの5つの協奏曲の中では、この3番が一番好き。
あとは4番。
快活なト長調の特徴を持った中に、ギャラントな雰囲気もある1楽章。
まるでウィーンの宮廷の庭園に遊ぶ夢見心地のような美しい2楽章。
終楽章は屈託ないロンド。中間部のコケットリーな感じに、お終いは、柔らかく、そして微笑みを持って。
素敵なエンディングが好きです。
ちなみに、カデンツァは、イタリアの名手フランコ・グッリの作です。
グッリは、コンサートホールレーベルでの活躍も懐かしい人。
いい夢みれそうなモーツァルトの第3番でした。
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2012年1月24日 (火)
冬の日本海。
いつぞやの越前海岸。
冬の日本海は本来もっと厳しく、人を寄せ付けない雰囲気かもですが、この日は波もなく、静かな海。
分厚い雲から、いつ降り出すか、またはいつ雷が鳴るか・・・。
冬の北陸、それも終りごろは、雷を伴った悪天候の日々と聞きます。
わたしも、なんどか味わいました。
弁当忘れても、傘忘れるな・・・・。
そんな日本海側の天候を思うと、わたしの生息する関東エリアは、夕べのような積雪もまれにありますが、恵まれているのです。
でも、そんな絶海から獲れる海の幸はまた格別です。
日本人でよかった・・・的なものがあります。
厳しい寒さが全国的に続くこの日にシベリウス(1965~1957)。
交響曲第4番 イ短調
シベリウスの7曲はまんべんなく好きなのですが、歳とともにその嗜好も変わり、最初は当然のこととして2番。
その後に、1番と5番。
次ぎは、3・7ときて、最後は4番や6番に至る。
しかし、わたしは、2番・1番以外は、いきなり同時にやってきた。
FM東京で、ヘルシンキ・フィルのシベリウス交響曲全曲演奏の来日公演を放送したとき。
全部エアチェックして、冬の寒い日々にむさぼるようにして聴いた音源。
渡邊暁雄とオッコ・カムが振り分けたそのシリーズは、CDとして音源化されました。
その音源を聴きまくった時は、ホット・ウイスキーが流行ったときで、わたしもそれを飲みながらひとり音楽に没頭する日々でした。
会社生活、ごく初期の頃。
あの頃に、心熱くして聴いた4番の交響曲。
それも、第3楽章のラルゴの静謐な世界が徐々に、それも何度か熱を帯びていって、ついにフォルテに達するところに、寒さも忘れるほどの熱い感銘を覚えたものでした。
独り暮らしの都会の侘び住まい。
寂しさと悲しさの無聊をかこつかのような寒い夜に、聴くのはシベリウスの7曲の交響曲にマーラーのすべて、そしてディーリアスにワーグナーでした。
だから、シベリウスの音楽にも、若き日々への懐かしい郷愁を感じてしまうのです。
みなさん、それぞれ、もしかしたらシベリウスへの想いをお持ちかもしれません。
ことにわれわれ日本人には、そんな気持ちや想いが強いのかもしれません。
英国が周囲を海に囲まれた島国で、自然豊かな国ゆえにシベリウスの音楽の演奏の伝統があるのと同じように、海と山と、そして森や水にも豊かな、わが日本にもシベリウスをすんなりと受け入れ共感する土壌があるものだと思います。
それゆえに思う、本場フィンランドの人たちの演奏するシベリウスを絶対視する憧れの想い。
ヘルシンキフィルのシベリウス全集は、定番の間違いなしのベルグルンドに続いてセーゲルシュタムも録音しました。
デンマークでの録音はまだ未聴なのですが、ヘルシンキのものは1枚1枚揃えて、楽しみに聴いてきた全集。
セーゲルシュタムの演奏は、てきぱきと運ぶ機能的な側面を持ちつつ、じっくりとした歌いまわしにもシベリウスの真髄を見る想いでして、構えも大きく壮大な北欧の自然も体感できるような演奏なのです。
交響曲の多作家として完璧ギネスのセーゲルシュタムのデビュー盤は、フィリップス社へのワーグナーで、ニルソンとかのへっぽこと呼ばれたブリリオートと録音したもの。
北欧出身者同士のワーグナーは、なかなかのものでした。
そして、ヘルシンキフィルとの来日でも聴いた5番が忘れられない。
厳冬の晩に聴く、セーゲルシュタムのシベリウスの4番。
熱くも孤独の寂しさも味わえる桂演でございました。
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2012年1月22日 (日)
夜の新宿、花園神社の中のお稲荷さん。
この鳥居の先には行きませんでした。
酉の市には、見せ物興行が出て、怪しくも懐かしい○女とか、なんとかをやってます。
社会人になってからは、実家から通わずに、まずは新宿の富久町というところで独り暮らし。新宿の繁華街までは徒歩圏。
でも、2丁目、花園神社、ゴールデン街あたりは、若い私にはちょっと怖くて、そこを通らないようにしておりました。
いまでは、なんのことはないのですがね。
グルック(1714~1787) 「オルフェオとエウリディーチェ」
その長いフルネームも、クリストフ・ヴィリヴァルト・グルックは、あんまり知らない。
何故か中学校の音楽の授業で名前を覚えることになるグルックは、「オペラの改革者」ということで学んだ。
でも、それだけで終了で、同時期に音楽愛好家となっても、その音楽は、このオペラに含まれる「聖霊の踊り」どまり。
オペラ全曲を聴くことになったのは、もっとずっとあとのこと。
そもそも「オペラ改革」って?
オペラばっかり聴いて観ているけれど、懐かしの「オペラ改革」とはなんぞや、さっぱり覚えてないし、認識も薄れてます。
・レシタティーヴォを通奏低音やチェンバロから、オーケストラに変更
・オペラ内の合唱やバレエの存在を際立たせ、よりドラマとしての劇性を音楽とともに高めた
・歌手の名技性を際立たせる、歌手偏重から、音楽と劇を重視
その改革の3部作が、「オルフェオとエウリディーチェ」「アルチェステ」「アウリスのイフィゲニア」。
古楽奏法の定着によるところも大きく、音源もそのあたりを中心にたくさん出てます。
昔では考えられないことであります。
そして、こうしたオペラでは、古楽の演奏家たちによるものに耳が馴染んでしまうと、通常オーケストラによる従来奏法では、重すぎで手ぬるく感じてしまうようになりました。
かつての昔には、こんなことは考えられないことだった贅沢なこと。
同じく、オルフェオ役をテノールで聴き慣れると、メゾでは違和感が生れてしまうことにもなる。
そんな思いにさせてしまうのが、ミンコフスキの鮮度高くイキのいい演奏。
グルックの改革精神を浮き彫りにするかのように、自信と確信に満ちた集中力でもって音楽に対峙しております。
オルフェオ:リチャード・クロフト エウリディーチェ:ミレイユ・ドランシュ
アモール :マリオン・アルショー
マレク・ミンコフスキ指揮 ルーヴル宮音楽隊/合唱団
(2002.6 @ポワシー、サル・モレイエル、ライブ)
最近は原典主義から、1762年ウィーン版での演奏が多いが、ミンコフスキは1774年パリ版を採用。ちなみにあとパリ版を元にしたベルリオーズ版もありますが、そちらは未聴。
したがって、先に記した通り、ここではオルフェオはテノールが受け持っている。(フランスではカストラートは禁止だったから)
そして、パリ版ゆえにバレエ音楽がふんだんに収録されていて、オペラの最後、すなわち、よみがえったエウリディーチェと喜びの抱擁を交わすオルフェオ。そこで神妙だったオペラが、喜びに満ちて終わったあと、バレエが7曲も延々と続くことになる。
正直、音楽の、そしてオペラの展開としては、バレエで終結するという耐えがたい流れなのであるが、ミンコフスキの劇場指揮者としての卓抜とした才能でもって、おおいに楽しみながら、爽快感も味わえる、おもしろ演奏となっていて予想外なのだ。
清涼感漂う高名なる「聖霊の踊り」は、心洗われるような名演に思われ、聴き古したこの曲から実に新鮮な感銘を味わうこととなります。
オペラの中にふんだんにある、間奏や聖霊、そして序曲やバレエを抜き出して、ミンコフスキの小股の切れ上がったような指揮ぶりを味わう聴くのも、このオペラCDの楽しみかもです。
そして件のテノールは、アメリカのクロフト。
古楽の様式からするとかなり今風で、歌いぶりが達者すぎの感はあり。
でもその感情移入のほどは、なかなかのもので、ミンコフの描き出す劇的サウンドに、巧みにマッチしております。
エウリデーチェを失った悲しみを歌う高名なアリア「ああ、われ、エウリディーチェを失いぬ」の泰然とした中での悲しみの表現には感動いたしました。
相方のドランシュのエウリディーチェ。わたしの好きなドランシュ。
清潔で明快な歌はここでも素敵なものでした。
アモールのアルソーは、録音当時まだ10代だった由です。
それこそ混じり気ないピュアな歌声が好印象。
ガーディナー盤のプティボンと甲乙つけがたし。
このオペラに名唱を残した往年の歌手たちも、歌それぞれでは素晴らしいものなれど、いずれの歌手も、このミンコフスキの作り出す先鋭で、心理描写も巧みな劇的な音楽には不十分な気がするゆえ、過去に染まっていないクリアボイスの歌手たちが、とても相応しく感じるのであります。
有名オペラにつき、粗筋は省略。
久しぶりに聴くこのオペラ。
登場人物が、3人+合唱という1時間30分の究極の省略ドラマは、へたな大オペラより、よっぽど劇的で、求心力の高いものでした!
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