2020年5月28日 (木)

オペラストリーミング大会の軌跡 ⑤

Ajisai-02_20200528084701

紫陽花も色づいてきて、梅雨の到来も近い5月末。

そして、毎日観てきたオペラの記憶をここに続けて残しておきます。

Anna-bolena

 ドニゼッティ 「アンナ・ボレーナ」 ウィーン 4月24日

「アンナ・ボレーナ」ウィーン2011
なぜか、ドニゼッティの日。
苦手なベルカント系。
しかし、こうしたチュ-ダー朝の世とか、矛盾あふれる世界とお決りの狂乱の場をからませるオペラ。
おかげさまで、だんだんと慣れてきた。
美人二人に目が行くが、ほかも素敵だ。
ピドの指揮が極めていい。


Lelisir-damore

 ドニゼッティ 「愛の妙薬」 バイエルン州立歌劇場 4月24日

「愛の妙薬」ミュンヘン2015
ドニゼッティ②
近未来の戦場の址。
市民のメイクはゾンビ風で、やってきた兵士も一部血みどろで、軍曹の顔にも爛れた傷跡あり。
薬売りは、宇宙船のような日本のアニメのような球体で到着。
むちゃくちゃだけど、思えば筋が通ってる。
小心のメモリーノを応援したくなる。


ドイツのハウスは、常に普通を否定するところからくるのでややこしい、けど好き。
好奇心を刺激してくれるから。。
シリアスな、英国女王シリーズよりは、「愛の妙薬」や「ドン・パスクワーレ」の方が好きかもしれん。
と言いながら、メットが予定しているクィーン三部作を楽しみにしている自分だよ!


At-home

  アット・ホーム メトロポリタンガラ 4月26日

MET-Gala at Home
METならではのワールドな企画。
エア指揮のセガンに、メトオケ。
世界を股にかける名歌手たちが、いまこの時、どんな家で待機してるかわかる、そこからいつもの声を発信していただける贅沢。
家でもみんな即オペラ歌手!
世界・日本の音楽家、愛好家のためC国Bコロナ早期
撲滅を!


Media

 ケルビーニ 「メディア」 ベルリン州立歌劇場 4月27日

ケルビーニ「メディア」2018
無理やり、現代に時代設定し、古代宝物の闇倉庫のオークション会場か。
一緒に拉致られた異教徒メディアの怒りがすさまじく、野獣のようにおどろおどろしい感じで出ずっぱりで、逆にドン引き。
ギリシア神話的な厳しい悲劇をやはり訴求すべきかと。
バレンボイムすごい!


Cenelentra

 ロッシーニ 「チェネレントラ」 MET 4月27日

「チェネレントラ」2014MET
アメリカンなサクセスストーリーをイタリア人演出家が軽やかに再現。
ふたりの意地悪ねえさんが、やたらと面白い。
前から見たかった映像で月曜の憂鬱を吹っ飛ばしてくれた。
ディドナートがナイスで、ルイージの指揮もキレ味よし。
グロイスベックの新国のリンクを貼ります
 。

ウェディングケーキを切り分けで食べてた。
ケーキ大好きだけど、節食中でつらい映像。
新国の演出はポネル。
カサロヴァにシラクーサ、豪華な喜悦の一夜でした。
アバドの音源とともに、このときの舞台、そして今日のMET、チェネレントラは大好き黄色のハート

 新国 http://wanderer.way-nifty.com/poet/2009/06/post-d3af.html

Anna-bolena-met

 ドニゼッティ 「アンナ・ボレーナ」 MET 4月28日

「アンナ・ボレーナ」MET2011
ウィーンでの同年の上演を先週観たばかり。
17世紀・英国チューダー王朝の王女シリーズ①
ウィーンと同年、この頃が、声に張りも艶もあったネトレプココあっての舞台。
彼女以外はウィーンに軍配。
演出はマクヴィカーのセンスあふれる、ちょっと暗めの方が英国風でいい。


Butterfly

 プッチーニ 「蝶々夫人」 ウィーン 4月28日

「蝶々夫人」2016 ウィーン
ただでさえ、どっちの国にもツライ設定のオペラ。
国辱的な気分の日本、ごめんなさい的なアメリカ。
女性への優しい目線を主体に作曲したプッチーニ。
演出は日本人か米国人限定にしてほしい。
細かな所作が気になりすぎて仕方がないので・・
歌手もウィーンのオケも最高。


Maria-stearda

 ドニゼッティ 「マリア・ステュアルダ」 MET 4月29日

「マリア・ステュアルダ」MET 2013
ドニゼッテイ英国テューダー朝の女王シリーズ②メアリー・ステュワート
アンナ・ボレーナの残した娘エリザベス1世と、スコットランドの王女マリアの憎しみ合いの物語
女王が愛した廷臣レスター伯(ロベルト・デヴリュー)はマリアを愛し、彼女は断頭台に。


アンナ・ボレーナも断頭台に消えたが、そのときのラストシーンをそのまま引き継いだかのようなエンディング。
あの時母の傍らにいた少女がエリザベス。
 ディドナートの素晴らしさが絶賛。
私はエリザベスのヘーファーがより凄いと思った。
3幕はやや冗長ながら、求心力あふれる優れたオペラと思う。


Gloryana-2

 ブリテン 「グロリアーナ」 ロイヤルオペラ 4月29日

「グロリアーナ」ロイヤルオペラ 2013
現王女、エリザベス2世の戴冠式奉祝で作曲されたブリテンの隠れた名作。
1世エリザベスの権力と孤独を寂しく、哀しく扱ったオペラで、物議を醸し埋もれてしまったが完全復権。
 劇中劇風にした舞台で、各人物たちは役柄を演じつつも、外側からまた演じてる.


Gloryana

悩みながらも、寵臣エセックス公(ロベルト・デヴリュー)の戦犯処刑のサインをする王女の苦悩。
老いとの葛藤も。
ワーグナーも歌う、S・ブロックの体当たりの王女役。
T・スペンスのブリテンテナーとしての見事さは、ピアーズの系譜を思わせる。
オペラ作品としての精度は高いと思う。


http://wanderer.way-nifty.com/poet/2013/12/post-5e2d.html

過去のブログ記事をリンクします。
マッケラスはこのオペラを復刻したひとり。
今後、上演機会が増えるものと思われます。
ちなみに、ROHの演出では、歴代の王たちの紹介もあり、それとそもそも、この劇中劇の観覧者として、若きエリザベス2世の登場もあります。


Robert-de

 ドニゼッティ 「ロベルト・デヴリュー」 MET 4月30日

「ロベルト・デヴリュー」MET 2016
ドニゼッテイのチューダー朝、女王シリーズ。
主役はエリザベス1世、タイトルロールは、女王の愛した寵臣でエセックス公。
舞台中に宮廷の人々をオペラの観衆も兼ねさせた、客観的な劇中劇をも表出。
史実だけど、いろんな説もありなので、そう来たか。


歌手はこのシリーズでおなじみだけど、今回のエリザベス役のラドヴァノフスキーの終幕ラストシーンに泣ける。
 毛髪も寂しくなり、でも自分よりは、国や民を思う女王が描かれ、歌われるのは、ブリテンのグロリアーナに同じ。
現エリザベスとともに、愛されるエリザベス1世を描いた優れたオペラです。


Toroy

 ベルリオーズ 「トロイの人々」 ウィーン 5月1日

「トロイの人々」ウィーン2018
LP時代はデイヴィスの5枚組で高値の品。
CDでも4枚。
この長大なオペラが世界のハウスでの定番に。
 「ディドとエネアス」のパーセルのオペラに、前半、トロイの木馬のシーンを合わせた作品。
前から観たかったコヴェントガーデンのマクヴィガー演出と同じもの。


木馬は、メカゴジラみたい。
紀元前の時代から、18~19世紀ぐらいに設定を移動。
偶像崇拝がやや異質ながら、違和感はなし。
 熱狂や大音響もあるけど、ベルリオーズの本質はここでも抒情と豊かな歌。
ディドナートの難役の絶唱が素晴らしい。
アルティノグリューは万能オペラ指揮者と認識。


Aida-met

 ヴェルディ 「アイーダ」 MET  5月2日

「アイーダ」MET 1985
アメリカの生んだ大ソプラノ、レオンタイン・プライスの最終オペラ公演。
貫禄・風格・マナーともに大歌手。
しかし、この時はもう聴くに辛い感じ。
大味のマックラッケンも同じ。
 しかし、耳にびんびんくる、正統メゾ、コソットのとてつもない素晴らしさ。
あとエステスすごい


爽快なマーラーを次々と録音してた頃のレヴァイン、これがまた快活でよし!
70~80年代、この頃に音楽をむさぼるように聴き、クラヲタ君になっていった時期。
古びた映像でも、その頃の、音楽に接する喜びと感動が蘇る。
このとんでもない時に、懐かしのいい時代を振り返る、いい時間をありがとう。


Tcahiko-jordan

 チャイコフスキー 交響曲全集 パリ・オペラ座 5月2日

ジョルダンとパリ・オペラ座管のチャイコフスキー全曲が公開中。
明日までみたい。
全部、暗譜で、俊敏かつ熱烈なチャイコフスキー。
オケに対するリスペクトは、愛され指揮者の理想的な姿で、聴衆の熱狂ぶりもあわせてわかる。
ウィーンは、いい伴侶を選んだものだ!
オペラ座のサイトから。


Luiza-miller

 ヴェルディ 「ルイザ・ミラー」 MET 5月3日

「ルイザ・ミラー」MET 2018
滋味溢れる父親役を演じるようになった齢75歳のドミンゴが光る。
愛国ドラマから、人間心理ドラマへと、その音楽の作風も変えつつあったヴェルディの見逃せないオペラ。
でも、麗しいアリアが満載で耳にもご馳走!
テノールには、古今のオペラで最高のメロディの一品が!


そのテノールのベッチャーラが素晴らしかった。
ビジュアルとお声も両立のヨンチェヴァもよいね。
しかし、手紙のいくつかで、人が死に追い込まれるシラーの旧態依然な運命翻弄ドラマを、いま素直に描くのもある意味大変なことだな。
でも、こうしたオーソドックスも作品理解にも大切なことだ。


Nabucco

 ヴェルディ 「ナブッコ」 チューリヒ歌劇場 5月3日

「ナブッコ」チューリヒ2019
映像にNHK様の刻印があり、テレビを見ないので、すでに放送されたのかもしれませんが。
 これは面白かった!
忠実なMETとは全然違う切り口のヴェルディ。
ホモキの演出はこれまで数々観てきたけど、シンプルな舞台装置、場の回転による劇変、衣装による集団の選別など。


王位廃止のイタリア近世の時代に設定を移し、王冠をめぐるいさかいを、父と異母姉妹の娘たちに愛憎に置き替えた。
同時に、王侯・貴族系と市民との闘いも、旧約聖書時代から近時に。
ラストは、まさかの涙誘うシーンで、父と妹は王冠を捨て置き悲しむ・・・
この置き替えには驚き。
あとルイージ最高!


Peleas

 ドビュッシー 「ペレアスとメリザンド」 ウィーン 5月4日

「ペレアスとメリザンド」ウィーン2017
泉を水辺に置き替え、全編、水を張った静的な舞台。
フォルテや早いテンポの少なめのドビュッシーの静謐な音楽ゆえに、説明的なまでに、出てない人まで常に露出させる雄弁さはちょっと億劫だな。
この幻想的ともいえる夢幻の音楽には多言は無用だ。


ドビュッシーの音楽は、ある意味、雄弁に思う。
アルティノグリュウーはアグレッシブすぎだけど、でもウィーンフィルの音色が優しい。
歌手たちのなかでは、キーリンサイドのゴローさんが素晴らしい!
ちょっと批判めいたけど、ドビュッシーの「水」を意識した舞台はこれで美しくて、素敵なものだった


Ajisai-01_20200528084701

 築地の神社の紫陽花。

紫陽花は、神社仏閣がよく似合う。

Tsukiji-honganji

こちらは築地本願寺のひとこま。

親鸞聖人とあじさい。

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2020年5月26日 (火)

オペラストリーミング大会の軌跡 ④

Shibapark-24

薔薇の季節、おかげさまで、「ばらの騎士」もいくつか観劇。

Rondeine

 プッチーニ 「ラ・ロンディーヌ」 MET 4月16日

愛すべきプッチーニの「つばめ」ラ・ロンディーヌ。
好きすぎて結構集めた。
10年前METシネマでも見た素敵な舞台を配信いただいた。
当時夫婦だったゲオルギューとアラーニャの涙誘う濃厚接触。
身を恥じ、別れを告げる切ないドラマで、プッチーニの紡いだメロディーは悲しいほどに美しい。


  http://wanderer.way-nifty.com/poet/2009/02/post-f546.html (10年前のブログ)

Rosen-wien

 R・シュトラウス 「ばらの騎士」 ウィーン 4月17日

ウィーンの「ばらの騎士」
やっぱり安心の舞台。
1986年の来日公演で、シュナイダーの指揮で初観劇。
シェンクの伝統演出は、この先も永遠に残してほしいウィーンの香り。
数えたら7度、いろんなバラキシの実際の舞台に接してきたけど、2017年上演、演奏面は、これはとても秀逸に思いました
バラ

ウィーンで「ばらの騎士」を観ることと、バイロイトで「リング」を観ることが、案外、自分の夢でしたが、いまの情勢ではもう無理かも・・・・
ゆえに、こうした映像配信は、ほんとありがいたいです。
Danke Wien!


Ory

 ロッシーニ 「オリー伯爵」 MET 4月17日

ロッシーニ「オリー伯爵」初めての視聴。
我が国のあの震災からの1か月後、というのが微妙な上演ですが、まあよしとしよう。
ドン・ファン的なフローレスの超絶ぶりがすごい。
ダムラウに、ディ・ドナートもこの時、ピッチピチ。
「ランスへの旅」と同じ旋律、親しみもあるよ、こんな状況下、楽しい。


Algeri

 ロッシーニ 「アルジェのイタリア女」 ウィーン 4月18日

「アルジェのイタリア女」ウィーン
ワーグナーからロッシーニまで、粋な指揮者だった故ロペスさんがナイスです。
よりどりの歌手たちが、ポネルの名舞台で生き生きと。
このポネル演出、いまの世相ではちょっとNGなとことかあるかも。
ほんと、厄介な世の中になったもんだ。
ロッシーニの音楽は楽しい
 。

Ohne-schatten-munch

 R・シュトラウス 「影のない女」 バイエルン州立歌劇場 4月18日


「影のない女」バイエルン2013 ペトレンコ指揮
演出は正直ややこしいが、美しく幻想的。
いろいろ意味を込めたのに、最後のシュトラウスの描いた本来古風な夫婦唱和の大団円で、その演出意図が過ぎたるは及ばざるを得ず・・的になっちゃった感あり。
音楽がそこまでの読み込み求めてないという典型か。

 ピエチョンカ、ポラスキ、パンクロヴァ、ボーダ、コッホ、みんな素晴らしく、ワルキューレを組めるキャスト。
 キレのよいダイナミクス、かつ透明感あふれ、オペラの感興あふれる指揮ぶりのペトレンコもいい。
 ウィーンの「影なし」とともにありがたき配信でした。
Danke!


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 チレーア 「アドリアーナ・ルクヴルール」 MET 4月19日

チレーア「アドリアーナ・ルクヴルール」メット2019
順当かつ豪華なマクヴィカー演出。
ネトレプコの声はもう重いけど、でも貫禄たっぷり。
恋敵は今ひっぱりだこのラチヴェリシュヴィリで、ふたりのさや当てはものすごい迫力、オペラの楽しみこれに尽きる。
ベッチャワの甘さもよろし。


このオペラの日本初演1976年のNHKイタリアオペラを観劇しました。
以来、ビターチョコのような苦い恋愛模様が満載のこのオペラが大好きになり、数々聴いてきました。
カバリエ、コソット、カレーラスの伝説舞台に接しえたことが、今でも自分の音楽ライフのなかの一大モニュメントです(自慢)。


Capriccio

 R・シュトラウス 「カプリッチョ」 ウィーン 4月20日

シュトラウス・ナイト2
「カプリッチョ」2018 ウィーン
フレミングのあとの伯爵夫人、そしてこちらのマドレーヌ役も引き継いだニールントの貫禄。
ブルー・シルバーの色調の美しい舞台。
身の引き際を決したマルシャリンと、ひたすら選べず悩むマドレーヌ。
どちらもシュトラウスの描いた美しい女性

ばらの騎士、カプリッチョ、どちらも悩める女性の心理を巧みに音楽に反映したシュトラウスが優しすぎる。
全部のシュトラウスのオペラのなかで、大好きな2作。
バラキシ、カプリッチョ、どっちを選ぶの?
どちらも私には選べません・・・


Rosen-met

 R・シュトラウス 「ばらの騎士」 MET 4月20日

シュトラウス・ナイト1
MET「ばらの騎士」2017
手持ちのDVDザルツブルク、カーセン演出と基本同じ。
フレミングとガランチャのゴールデンコンビ、この年がそれぞれのロール、卒業。
しかし美しい二人以上に、ニュー・オックスを作り上げたクロイスベックがキッレキレで、この日の主役かな。


軍需産業の民間業者ファーニナルが、上得意の貴族へ忖度し娘を人身御供にしてしまう前提。
3幕は春売り宿で、オックスは完全に奥手でやりこめられる。
最後は、幸せに酔いしれる二人の背景に、第一次大戦の影がリアルに見えて、オクタヴィアンもいずれそこに・・・
シュトラウス後の歴史を読んでる
 。
しかし、歳を経るとともに、自分のなかの、このオペラの見どころは1幕の最後に。
鏡を見て、つくづく悟った元帥婦人。
女も、男もない。
忍び寄る年月、時間の刻印を感じる日が、突然にやってきて、それといつしか折り合いをつけなくてはならない。
自己投影できる、ばらの騎士、世代ごとかも
 ・・・

Electra-met

 R・シュトラウス 「エレクトラ」 MET 4月21日

「エレクトラ」MET 2016
サロネンのクールかつ激熱なオーケストラが素晴らしい。
故シェローの演出は、ビジュアル的には渋く静的な感じ。
しかし、極めて演劇的で、個々の歌手たちに求められる演技力は指一本に至るまで厳しいものと思われる。
悪の権化みたいな母と、娘エレクトラの母娘の情。

 これを表出した秀逸な解釈で、他の多くの出演者も、みんな演者として細かに機能してる感じ。
バイロイトのリングで革命的な演出をなしたシェローの行き着いた先、それはもしかしたら、日本の歌舞伎や能の世界かもしらん、しらんけど。
マイヤーさんと、シュティンメさんが素敵すぎました。


Tosca-met

 プッチーニ 「トスカ」 MET 4月22日

「トスカ」MET2018
久々にちゃんとした「トスカ」を堪能。
マクヴィカーの原点回避・ローマ観光地巡りのような豪華・写実演出は、こうなるともう褒めるしかない。
この演出で聴く音楽は、本当によく書かれていると思う。
プッチーニの凄さを今さら認識。
 しかし、トスカさんは、強くておっかない女性
 。
一途の愛は強いね。
グリゴーロさん、あれこれありますが、真偽は不明なれど、カーテンコールではとてもイタリア人的なナイスな感じで、ほんと好感度!
 余談ながら、見た目、Yメンバーに似てる。
スカルピアというより、リゴレット風なルジッチ。
ヨンチェバは声よし、美人だけど・・


Fidelio-wien

  ベートーヴェン 「フィデリオ」 ウィーン 4月23日

「フィデリオ」ウィーン2019
苦手なオペラのひとつ。
長大なレオノーレ序曲が挟まれて、劇的な流れが途切れる。
ウィーンの伝統的な上演ではそれも含め定番。
シュヴァンネウィルムスの凛々しさがよろしい。
レイスさん、マイヤーさんも日本でもお馴染みでうれしー。
フッシャー指揮がとてもいい!


Hoffmann-met

 オッフェンバック 「ホフマン物語」 MET 4月23日

「ホフマン物語」MET2009
今日は苦手なオペラがふたつだった。
長い、出演者多い、版多数、ストーリーいまだわからず、歌・アリアばかりでつながり悪し。
今回もよくわからず。
10前のMETのリアル感が体感できるけど、すいません、私の守備範囲でない音楽。
無料ストリーミングへの勝手な不満でした。


Hoffmann-petibon

  オッフェンバック 「ホフマン物語」 モネ劇場 4月23日

音源もってない「ホフマン物語」のよすがは、プティボンの変な演出のDVD。
でも発見、直近モネ劇場での4役をこなしたパトリシア・プティボン。
オランピアをまず確認。
ブロンディか、マドンナか!
超絶技巧と芸達者のプティボン。
わたくし彼女の超ファンです、来日した時のサインも宝物です。


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Tokyo-tower-09

 緊急事態宣言は解除されましたが、ワタクシの毎日オペラは継続、と宣言しておきます!


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2020年5月23日 (土)

オペラストリーミング大会の軌跡 ③

Shiba-01

ずっと曇りや小雨の関東。

この晴れの空が懐かしいと思われる今日この頃。

オペラ三昧の日々を記録していくシリーズ。

引き続き、ツイッターでの呟きを転載します。

Ariodante

 ヘンデル 「アリオダンテ」 ウィーン 4月9日

ヘンデル「アリオダンテ」ウィーン
シンプルでスタイリッシュなマクヴィカー演出は、スコットランドが舞台のオペラに相応しい。
男前で凛々しいサラ・コノリーさんが素晴らしい。
各幕のバレーも可愛いし、楽しい。
で、ヘンデルの様式美をクリスティがウィーンのオケから見事に引き出す。Wヘッダー①


Falstaff_20200523094501

 ヴェルディ 「ファルスタッフ」 MET 4月9日

メシテロな場面多数なMET「ファルスタッフ」
DVD化されてる名舞台。
60年代アメリカの飽食も読み込んだ、カーセンの鮮やかかつ、冴えた演出。
伝統的な演出をまず見てからの視聴をを推奨。
なりきりのマエストリのタイトルロールを始め、明るくもFatな出演陣は最高。
秀逸な舞台、Wヘッダー②終了


Parsifal_20200523094701

 ワーグナー 「パルジファル」 MET 4月10日

聖金曜日にパルジファルふたつをありがたくも鑑賞。
ウィーンの2007年プリミエの2015年、A・フィッシャー。

MET2013年のガッティ指揮。
まだ明日も他劇場予定。
パルジファル大杉。
思うこと多々あり、他も観てブログにて開陳予定。
ただ、貞子はあかんよMETさん(笑)


Don-pasquale-met

 ドニゼッティ 「ドン・パスクワーレ」 MET 4月12日

ドニゼッテイ「ドン・パスクワーレ」MET
ふだんあんまり聴かないベルカントもの。
連日のワーグナーの毒消しに最適の心地よさ。
イタリア語に、イタリアの旋律線、ヴェルディとはまた違った歌心に心和む。
10年前のネトレプコ、声がまだ重くなる前。
 でもまたすぐ、ワーグナーを聴いちゃうんだろな。


Cosi-met

 モーツァルト 「コジ・ファン・トゥッテ」 MET 4月13日

「コジ・ファン・トゥッテ」2018
メットらしい、凝った豪奢な舞台装置で、50年代のコニーアイランドでの遊園地が舞台。
内容は明快、今が旬の若い歌手たちも生き生きとしてる。
しかし、リベラル色もにじませ、否定はしないが、最後は??的な感じで、なにもそこまで的な思いもした保守の自分。

しかしまぁ、こんな上質のオペラを連日観れるなんて、配信ありがたいことです。
文句言っちゃいけませんが、ついつい・・・
おもに、メット・ウィーン・ベルリンを行き来する日々。
どこのハウスも、これでますますファンになりました。
早く、この不安の日々が収束しますように。


Vixcun

 ヤナーチェク 「利口な女狐の物語」 ウィーン 4月13日

「利口な女狐の物語」ウィーン
ヤナーチェクの優しさと、人間社会に対する厳しい目線。
輪廻転生という奥深い問題にも切り込んだ、短いけれどあじわい深いオペラ。
O・シェンクの具象的な穏健演出だから、最後には救いがちゃんとあった。
みんな可愛い、ウィーンフィルの音色もすてきだ。


Rusalka

 ドヴォルザーク 「ルサルカ」 MET 4月14日

「ルサルカ」MET
シネマのようなシェンク演出は、昨日のウィーンの「女狐」と同じく、ボヘミアの森と水の世界を美しく再現。
以前視聴したミュンヘンの演出では、春を売る宿に舞台を読替えていて、暗澹たる思いだった。
麗しのフレミングと適材適所な配役
シンフォニックなセガンのオペラ指揮が新鮮。


Parsifal-wien

 ワーグナー 「パルジファル」 ウィーン 4月14日

ウィーンの2017年「パルジファル」
ウィーン分離派・世紀末のリアルな舞台設定。
アールヌーヴォな装置は、それなりに美しいが、聖具が脳みそにとって代わり、心の病の治療の仕方による争いに読替えた感じ。
フロイトやクリムトなんかも意識させる、ウィーンならではの演出だけど意味不明。
虚しいよ。


このストリーミング、音が悪くて、ほぼモノラル。
最初から最後までずっと、なんでやねんでしたが、毎度のとおり、文句言っちゃいけませんねぇ・・・・


Boris

 ムソルグスキー 「ボリス・ゴドゥノフ」 MET 4月15日

「ボリス・ゴドゥノフ」MET2010
パペのボリスは初だけど、ルックスと甘く深い声がお似合い。
豪華な配役陣も、METならでは。
演出はスタイリッシュながら、妙に民衆の残虐性を強調。
ただ、歴史を繰るような巧みさもあり、アメリカが見たオソロシアみたいな反面教師的な側面を表したかったのかな。


Gambler

 プロコフィエフ 「賭博者」 ベルリン州立歌劇場 4月15日

ロシアン・ナイト2
プロコフィエフ「賭博師」ベルリン
チェルニアコフの演出がいい。
静かなサロンからスタートし、やがてクライマックのカジノへ。
派手さはなく、心理ドラマ。
金、金、金、しかし金では買えないものが大きかった・・・・クールで、熱烈、かっこいいプロコフィエフの音楽が最高だ!


Betrpyhal

 プロコフィエフ 「修道院での婚約」 ベルリン州立歌劇場 4月16日

プロコフィエフ「修道院での婚約」ベルリン2019
これもチェルニアコフ演出+バレンボイム
とてつもなく面白かった。
happy lifeを生きよう的な自己啓発スクールをみたて、9人の登場人物が、本来もっといる人物も掛け持ち。
劇中劇でもあり、全員がドラマの主人公で、かつ観衆であるという悩ましい筋立て
 。

「自分を外側から見るようにオペラを観るように心がけよ」的なフリップも出た。
この演出家の深い読みと、現代に合わせた問題提起は並々ならない。
歌手兼アクター、みんなすごすぎ!
最後に、プロコフィエフ充実期の甘さも辛さもある、それとリズミカルな沸き立つ音楽が最高だよう!

ラストシーンも感嘆しつつ、笑いを禁じ得ないもの。
オペラのありとあらゆる登場人物がみんな出てきた。
ウォータン、ヴィオレッタ、サロメ、ジークフリート、夜の女王、ルチア、トゥーランドット・・・いやもうたくさん(笑)


Proko

毎日、オペラに興じているように思われますが、初老のオッサンながら、ネットと電話でうまく立ち回ってます。
しかし、影響は必ずやってくると思われます、病気持ちだし、その時が恐怖。
が、ネガティブな思いは発しません、言霊ですから。
で、いまはこんなにありがたいオペラ配信に現を抜かすのみ。


こんな言い訳まで書いてます(笑)

しかし、このあと「戦争と平和」「炎の天使」も観ることができて、ますます、プロコフィエフのオペラに関心を持つようになりました。
音源も含めコンプリート目指します。

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それにしても緑が濃くなってきましたね。

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2020年5月22日 (金)

オペラストリーミング大会の軌跡 ②

Shibapark-25

バラが花盛りな5月も、終盤。

そして続くよ、オペラストリーミング大会。

Manon

 マスネ 「マノン」 ベルリン州立歌劇場 3月31日

昨日はリンデン・オーパーの「マノン」。
マスネはウェルテル以外聴いたことがなかったけれど、ネトレプコ&ヴィラソンのコンビは嫉妬を覚えるほどにイイ。
1950年代のモードを次々に披露するマノン、最後は哀れなり。
ネトレプコあっての舞台に演出。
10年以上前だけどいまだ色あせてない。

バレンボイムの指揮。

Korsakov

 R・コルサコフ 「皇帝の花嫁」 ベルリン州立歌劇場 3月31日

今日のリンデン・オーパーは、R=コルサコフの「皇帝の花嫁」
めちゃくちゃ面白かった。
シチュエーションを大幅に変え、違和感なく現代ある問題提起にも喚起する演出。
今のマスコミの在り方などにも思いが及ぶ。
バレンボイムの懐の深さと、歌手のレヴェルの高さに感心!


Poulanc

 プーランク 「カルメル派修道女の対話」 MET 4月1日

昨夜は、プーランク「カルメル派修道女の対話」MET。
シリアスなドラマと音楽に感銘。
舞台の奥行を十字架を配して生かしたシンプルな演出。
美人なイザベルさんの心のこもった歌とベテラン名歌手たち。
生き生きとしたセガン。
素晴らしいオペラ、Thank you MET


Sevillia

 ロッシーニ 「セビリアの理髪師」 MET 4月1日

今宵は、METの「セビリアの理髪師」(2007)
名曲すぎて、普段観たり聴いたりしないけど、今回マジで面白かった。
 マッティ、ディドナート、フローレス、スター級の歌い手たちの名人芸に酔い、不謹慎ながらも、PCを前に笑ってしまう自分。
オペラは楽し
黄色のハート

Nixon

 アダムス 「ニクソン・イン・チャイナ」 MET 4月2日

アダムズ「ニクソン・イン・チャイナ」MET
このタイミングでこのオペラ。
音だけでは聴いてきたけど、初舞台視聴。
ミニマルを基調にしたアダムズ作風が全編に。
でも、親しみやすい・クセになる音楽。
ちゃんとアリアも満載。
今後の将来、トランプとキン〇ーでどんなオペラができるかな・・・・


Ohne-schatten

 R・シュトラウス 「影のない女」 ウィーン 4月3日

「影のない女」ウィーン。
最愛のシュトラウスのオペラのひとつ。
昨年、音源だけは接していたけど、ありがたくも舞台視聴。
演出はイマイチで、雑多な登場人物多すぎ。
歌手は完璧、特にシュティンメとニールントがよい
ティーレマンもいいけど、シュトラウスには重厚さより明澄さをより求めたいな。


Don-carlo

 ヴェルディ 「ドン・カルロ」 MET 4月3日

「ドン・カルロ」MET
10年前のセガン。
劇的な場面での興奮誘うオーケストラは見事ながら、カンタービレ不足。
今はピットの経験も積み、自在で新鮮な表現に行き着いたのは直近のプーランクで確認済み。
 ロシアの二人の女声は違和感。
アラーニャのみよし。
でもしかし、やっぱヴェルディはいいわ。


Bizzet

 ビゼー 「真珠採り」 MET 4月4日

「真珠採り」MET
名アリアが散りばめれたビゼーの佳作。
初めての観劇。
夫婦で出てるダムラウの声の美しさに感嘆。
甘声のポレンツァーニ、渋いが美声のクヴィエチェンもよかった。
ノセダもこうした作品を器用に軽やかに指揮するもんだな。
Thank you MET 明日はマクベス!


Macbeth

 ヴェルディ 「マクベス」 MET 4月5日

ヴェルディ「マクベス」MET
ネトレプコの歌とビジュアルを楽しむべき映像。
2016年だけど、2019年の放送と声質がかなり違う。
同じ2019のトスカや運命の力でも感じたけど、重たくなり疲弊も感じるが、3年前は絶頂期だったのか。
しかし、ヴェルデイの意図したドスの効いた声は、今こそが相応しいかも。


Cosi

 モーツァルト 「コシ・ファン・トゥッテ」 ベルリン州立歌劇場 4月5日

緊急事態宣言前夜にコシ・ファン・トゥッテ、ベルリン。
もう18年も前の舞台だしDVDも出てるけど初見、ありがとう。
60~70年代、フリーダムを標榜するヒッピー化した男声陣が、ファッションとか流行を追う女声陣を陥落させる。
ミニのワンピースとか、パンイチとか、歌手も大変だなぁ。


Electra

 R・シュトラウス 「エレクトラ」 ウィーン 4月7日

ウィーン「エレクトラ」、エレベーター殺人事件。
暗い舞台で、金持ちの圧政家庭の残虐性を解放する闇を背負った姉妹弟たちかな。
しかし、お願いだから、懐中電灯で自分の顔を下から照らして驚かせるの、やめて欲しい( ´艸`)
この次期ブリュンヒルデ、ゲールケさん立派だけど、その声ちょっと苦手。


Britten-summer

 ブリテン 「真夏の夜の夢」 ウィーン 4月8日

ブリテン「真夏の夜の夢」ウィーン
昨年ネット視聴してから、観たいと思っていた舞台、大好きなオペラ、ありがとう。
CTとコロラトゥーラ、4人の恋人、6人の踊れる芸人、2人の王夫妻、少年合唱団、そしてダンスのできる狂言回し。
これを揃えないと上演できない傑作オペラ。
シモーネ女史good job!


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毎日、オペラを観る生活が定着したが、これはこれで実に忙しい。
実家に帰ったりすると、観れないので不安になるという、こりゃもう、中毒ですな(笑)

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こうして、人を避けつつ、歩き回ることも忘れてはいませんぞ。

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2020年5月21日 (木)

オペラストリーミング大会の軌跡 ①

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引きこもっての生活、そしてお仕事もしてます。

もともと、テレワークチックな生活スタイルだったから、難なく受け入れ、おまけに世界のオペラを駆け巡ることも同時にやっちゃったりしちゃったりしてます。

そこで、さかのぼって、これまで観てきたオペラを自分の記録のためにも、書き連ねておこうと思います。
日々、ツイッターに書いたことをコピペです。

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 ワーグナー 「神々の黄昏」 びわ湖ホール 3月7日

ギービヒ家、びわ湖ホールに似たり。
10年前のトリスタンのときのお写真。

ブリュンヒルデ、世界を救う!
やっぱり、女性は強い!

不安な日々に、救済の動機が胸にしみる。
2日ともに観劇。
関係者の皆様、本当にありがとう!
数々聴いてきたけど、黄昏の自己犠牲のエンディング演奏で、両日ともに最高に感動的だった。


(何年か前に、びわ湖ホールでトリスタンを観劇したときのブログ写真を貼りました。
ラインのほとりのギービヒ家がこの写真を思い出したものですから)

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 ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 ベルリン州立歌劇場 3月19日

白昼、昼休みに、ベルリン・シュターツオーパーのバレンボイム、トリスタンを観てしまう。
ファンキーな軽い感じの演出だわ。
内外ともに配信だらけで、忙しくてならん。
あとは、夜の楽しみに。


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  チャイコフスキー 「エウゲニ・オネーギン」 3月23日

今日は、メットの「エウゲニ・オネーギン」
DVDにもなってる2007年の上演を初観劇。
カーセンの美しい舞台演出と豪奢な衣装。
なんといってもホロストフスキーのThe Oneginともいうべき美的なタイトルロールが素晴らしい。
フレミングもゲルギーもこの頃が一番よかった。


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  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 MET 3月24日

今日はメット、トリスタン2016。
潜水艦生活、密閉空間・密集場所・密集場面でみんなアカンやつ。
閉ざされた空間で閉塞感満載。
映像の多様も面白くないし、ファンタジー不足。
 シュティンメの安定感、スケルトンの破壊的な声、甘~いパペ。
歌手よし、多少デジタルなラトルもよろし。
音だけでOK。


しかし、無料の開放で、こんだけ楽しんで、文句言ってすいません深くお辞儀した人

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  ワーグナー 「ラインの黄金」 MET 3月26日

昨日もMET。
ハリウッドなリングのスタート。
歌手も演出も、明快でアメリカン。
これもまたありだな。
10年前のこのリング、恥ずかしながら初見・初聴き。
不謹慎ながらありがたい。
レヴァインとルイージの指揮の違いも、後半は楽しみ。


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 ワーグナー「ワルキューレ」 MET 3月26日

今日は、MET「ワルキューレ」
少し大味な、アメリカンダイナーで食す、歯ごたえ満点のデカいステーキを食った感じ。
そんななか、カウフマンの悲劇を背負うジークムントが素晴らしい。
愛の様々なカタチを描き尽くした、愛のデパートとも呼ぶべき「ワルキューレ」を味わうに、実にわかりやすい演奏!


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 ワーグナー「ジークフリート」 MET 3月27日

MET、今日は「ジークフリート」
水・森・火、リングに必須の要件はちゃんと表出。
竜も、鳥ちゃんもリアル。
演出の意図を推し量るため必死こく必要もなく、ト書き通りの安心の舞台。
降りたB・ヘップナーと次の候補者に次ぐ、ハンター・モリス。
イケメンだけど、声が明るすぎ、でも舞台映えよし。


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 ワーグナー「神々の黄昏」 MET 3月28日

神々の黄昏、MET。
喜怒哀楽が激しくアメリカ的。
饒舌手前の具象性は、ライトモティーフにも忠実。
大味な歌手のなかで、W・マイヤーが舞台を引き締めた。
演出からするとレヴァインが合ってるけど、ルイージの音楽は少しサラリとしてて、もたれない、いま風のワーグナー。
リング完了、Thank you MET。


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  朝から名歌手 複数の音符  (と呟いてる自分)

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 ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 MET 3月29日

METのマイスタージンガー視聴。
フォレとクレーンツィル、現在最高のザックスとベックメッサーと思う二人。
コスキーやヘアハイムのような面白さや冴えはないが、シェンクの伝統的な舞台は安心して観ていられる。
恰幅のいいレヴァインの音楽もいい。
終日部屋ごもりでワーグナー♬


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 ワーグナー 「神々の黄昏」 ウィーン 3月29日

ウィーンの神々の黄昏、視聴。
黄昏しか観てないけれど、METのリアル感とは真反対の舞台。
明らかに舞台は霊感不足だけど、人物たちが以外と味わい深い動きをする。
何度も接したテオリンとグールドの安定感。
で、A・コバーの指揮が実によろしく、実務的な中に、ワーグナーの肝を確実に押さえてる!
 

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 ワーグナー 「タンホイザー」 MET 3月30日

MET「タンホイザー」
音楽の教科書に出てくるような典型・定番の舞台。
ほんと久しぶりの普通のタンホイザーは、かえって新鮮。
何も起こらないから、音楽だけ、ながら聴きにもOK。
マッティのヴォルフラムと亡きボーダ氏がいい。
ちなみに私の教科書の挿絵は、ヴィーラントのタンホイザーだった。


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このように3月は、METは、Wagner week を企画し、ウィーンはリングの通し放映、ベルリンも追従で、怒涛のワーグナー視聴となりました。
METとウィーンは、ストリーミングが安定していて、こちらでPCの負荷をかけるようなことをしない限りストレスなく、しかも高音質で聴くことができました。
ベルリンはストリーミングはやや不安定で、ときおりクルクル、youtubeの日もあり、そちらは安定。
ほかの劇場も、日本の新国をはじめ、配信を始めたのが3月の半ば以降でした。

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1枚目の写真と、ちょっと撮り方を変えてみましたの図。

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2020年5月19日 (火)

チャイコフスキー 交響曲第5番 アメリカオケ

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5月の青空に鯉のぼり。

この連休中に、ひと気の少ない東京タワーの足元には、今年もたくさんの鯉のぼりが泳いでました。

東日本大震災の折には、岩手県大船渡市にエールを送るため、「さんまのぼり」も登場。
今年も元気に泳いでました。

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自粛による経済活動の低下で、空も空気も澄んでいて、皮肉なものです・・・・

  チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調

世界のオペラハウスが発信してくれる豊富なオペラ映像に、日々うつつを抜かしてますが、そんな合間に聴き親しんだ名曲をしみじみと、いや、これでもか、とばかりに聴いてみた。
オペラばかり観てると、たまに聴くシンフォニー作品は、メチャクチャ新鮮だった。

全体に古めのものばかり、ステレオ録音前提で、いまは呼ばなくなったアメリカの5大オーケストラで。

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    ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

         (1959.1.25 @フィラデルフィア)

オーマンディの古い方、懐かしいCBS録音。
ジャケット写真は借り物ですが、子供の頃、レコード店でよく手にとって眺めていたのを覚えてる。
2枚組、3,300円のダブルシリーズ。
ずっとあとに、廉価盤になったものを聴いたが、ちょっとキンキンする音だったけど、でもそこに煌めくフィラデルフィアサウンドが、これか、と刷り込まれるような明るい音色があった。
CD化されたものは、もっと落ち着いていて、堂々とした歩みを感じさせる貫禄の演奏に感じた。
後述のセルもバーンスタインもそうだけど、CD化によって、イメージを変えてしまうことが多いのはCBS録音だったりします。
後年のRCA録音は未聴、いずれ聴きたいけど・・・

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  ジョージ・セル指揮 クリーヴランド管弦楽団

          (1959年10.23 @クリーヴランド)

懐かしいジャケットで、セル&クリーヴランドの芸術だったかで、廉価盤になったときに聴いたもので大学生だった。
マスタリングされたCDを聴いたのは、最近のこと。
これもイメージ一新。
硬派なきっぱり型の演奏はかつて思い通りだけど、思ったより潤いがあり、とても豊かなチャイコフスキーだと見直した。
アゴーギクも効かせ、思わぬ効果も多々生んでるし、最終章の有名なシンバル追加も新鮮なもんだ。
こういうチャイコフスキー5番も実にいい!
セル&クリーヴランドが大阪万博で来日して、今年で50年。
帰国後亡くなってしまったセルの没後50年でもあります。
小学生だった自分、テレビ放送された、シベリウスの2番が大いに気に入って、亡くなった志村けんさんの、アイーンじゃないけど、胸のあたりで左手を水平にして、オーケストラをコントロールするセルの指揮ぶりを真似たりしたものです・・・
なんだか、いろんな思いが渦巻くセル&クリーヴランドのチャイコフスキー5番でした。

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  レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

      (1960.5.16 @NY)

このジャケットが好き。
バーンスタインの旧盤は、CBSソニーが出したベストクラシックという自社レーベル音源総動員のシリーズものの1枚で、中学生だった自分は、ワンコインで送ってもらえた「音のカタログ」で、この演奏の4楽章冒頭を何度も聴いたものです。
ここだけ、ともかく、懐かしーーー
 CD化されたものを聴いたのはDGの新盤を聴いたあと。
悠揚たる新録音に比べ、まったく違うと感じてしまう、自由自在なフーダム演奏は、思わずずっこけたり、おいおい待って~とか、聴く側のワタクシが追いかけるようなイメージの演奏。
思いのたけを、思い切りその音楽にぶつけて、そのまま音にしてしまうバーンスタンの凄さをここでも感じる次第です。
でも、やりすぎ、疲れちゃう、のも歳を経た自分には感じさせるもので、後年のDG盤もいまの自分にはそんな風に感じます。

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   サー・ゲオルグ・ショルティ指揮 シカゴ交響楽団

     (1975.5.15 メディナ・テンプル、シカゴ)

これぞ、ショルティ&シカゴと思わせる肉太な演奏。
アバドやジュリーニの指揮でシカゴが好きになり、それとは違う骨太シカゴの音を聴いて驚いた70年代。
このコンビのベートーヴェンの交響曲は、全部集められなかったけど、安い装置が実によく鳴る録音の生々しさもさることながら、音楽そのものを混じり気なく聴かせる真っ直ぐな演奏だった。
そのイメージどおりのストレートなチャイコフスキー。
カラヤン&ベルリンフィルの磨き抜かれた嗜好品のような演奏とはまた違う、高度なオーケストラの機能性の行き着いた到着点のような演奏に感じる。
77年発売当時のレコ芸の広告を載せたのは、ここに書かれたことが、このショルティ盤のイメージそのものだからです。
後年の再録音では、もっと柔和になってしまうが、70年代のこのコンビはすごかった。
シカゴの高性能で完璧なアンサンブルを縦横無尽に、猛獣使いのようにコントロールしつつ、その音楽は実に緻密で豊か。
スコアから外れたことはひとつも行っていない模範演奏。
そう、完璧なる模範演奏なんです。
久しぶりに聴いて、ほんと感動しました。

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  小沢 征爾 指揮 ボストン交響楽団

     (1977.2.16 @ボストン)

われらが小澤さん、ざーさん、@70年代、in ボストン。
これらの簡略言葉で、その演奏の様子を書けてしまう自分ぐらいの世代。
 小澤さんはカッコよかった。
同朋日本人が、アメリカのメジャーオケの指揮者になり、メジャーレーベルの看板指揮者になり、ナイスな録音を次々に繰り出していた70~80年代。
高校時代、下手クソながら、クラブ活動のオーケストラに所属させていただいた。
メンバーたちと箱根に遠足(お膝元だったので)したとき、アメリカ人夫妻がいて、果敢な高校生たちは、どこからいらしたんですか?と声をかけた。
そしたら、ボストン!とお答えになった。
すかさず、ワタクシは、オー、セイジ・オザワ、ボストン・シンフォニーとへなちょこながら発し、ご夫妻は、オールライト!ベリーグッド!と満面の笑みでお答えになりました。
 この時ほど、小澤さんの存在が誇らしいという思いをしたことがありません。

3度の録音のある小澤さんのチャイ5の、真ん中の音源。
シカゴ、ボストン、ベルリンフィルとすごいオケとの録音歴を持つ小澤さん。
果敢な雰囲気だけど、以外に慎重なシカゴ盤、練れに練れた柔軟姿勢、オケが抜群にうまいベルリンフィル盤。
それらに挟まれたボストン盤は、細やかで、目の行き届いた欠点ゼロの美味なる演奏。
無駄なことなく、妙な味付けもなし、流麗ななかに、チャイコフスキーの音楽が爽やかで潤いに満ちたものであることを認識できます。
第2楽章は、後年、侘び寂びにやがて行き着く小澤さんの片りんを感じさせますが、ボストンの音の美しさは例えようもないです。

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こたびの5番聴きまくり、いまの心境や状況からの自分のランキング。

 セル → ショルティ → 小澤 → オーマンディ → バーンスタイン

でも、ところと状況がかわれば、もしかしたらまったく逆になるかも(笑)

アメリカのオーケストラ、5大オケなんてのはもう古くて、ロサンゼルスとサンフランシスコも同等の実力だし、デトロイト、ピッツバーグ、シンシナティ、セントルイス、ダラス、ヒューストン、シアトル、ミネソタ、ナショナル、アトランタ等々、みんな凄腕で、彼らのチャイコフスキーも追いかけたいな・・・・

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美しき5月、とはいかなかったけれど、なんとか切り抜けて来年の鯉の飛翔もみたいと思います。

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2020年5月 2日 (土)

プッチーニ オーケストラ作品集 ヴェネツィ指揮

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人の少ない街を散策。

普段は見逃していた小さな公園にもこんな綺麗なチューリップが咲いてました。

Shiodome-3

普段から、こうしたお庭の作業をしてくださる方がおられることに感謝です。

今回の、不自由な日々にあたって、いろいろ気づかされる、何気ない毎日で当たり前にあったことの大切さと、それを支えていた方が常にいらっしゃった、という現実。

ともかく、文句を言わず、自分にも確実に降りかかってくる災をいかに最小化するか、お国が数々用意しつつある対策もにらみながら対応していきたいと思う。

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 プッチーニ オーケストラ作品集

  1.「スケルツォとトリオ」
  2.「修道女アンジェリカ」間奏曲
  3.「交響的奇想曲」
  4.「マノン・レスコー」間奏曲
  5.「蝶々夫人」間奏曲
  6.「エドガー」前奏曲
  7.「交響的前奏曲」
  8.「菊の花」
  9.「ラ・ヴィッリ」より夜の宴

 ベアトリーチェ・ヴェネツィ指揮 トスカーナ管弦楽団

       (2018.12.7 @ジリオ劇場、ルッカ)

どんなときでも、プッチーニの甘く切ない旋律は美しい。

そして美しい女性指揮者のプッチーニ作品集が出ましたのでさっそく聴いてみた。

ヴェネツィさんは、プッチーニの故郷、ルッカの生まれで、まさにプッチーニを聴いて育った、根っからのプッチーニっ子。
自らもそう述べてます。
人口85,000人のルッカがあるのは、イタリア中西部のトスカーナ地方で、この州には州都フィレンツェがあります。
山脈に囲まれ、西はアドリア海、丘陵や盆地も多く、よってワインの一大産地であります。
きっとルッカも、美味しい食べ物がたくさんあることでしょう。
 グーグルマップで、ルッカの街をちょっとバーチャル探検してみました。

Puccini

旧市街、街の中心部にはプッチーニの生家があり、そこはプッチーニ・ミュージアムになっていて、足を組んだおしゃれだったプッチーニ像がありました。
近くには、piccolo Hotel Pucciniなんて素敵なホテルもあるし、オペラにちなんだ名前のレストランもたくさん!
あ~、行ってみたい、でももう一生無理なんだろうな世界は。

Teatro

そして、ルッカのオペラハウスが、Teatiro del Gilio~ジリオ劇場。
とても雰囲気のあるハウスで、やはりここでプッチーニを聴いて、観てみたいものです。

この劇場で録音されたのが今回のCD。

ヴェネツィさん、日本にも何度か客演しているようですが、現在のところ、トスカーナ管弦楽団の首席客演と若者オケとか、いくつかのポストも持っているようです。
ちなみに、昨夏、新日に来演したときは、ニノ・ロータや三角帽子などを指揮していた様子。
まだ若い彼女ですから、レパートリーも無理せず、当面は身体に染み付いた、プッチーニの専門指揮者になっちゃえばいいと思ったりもします。
そう、美人が災いするかもしれませんので。

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そんな風に思えるほどに、このCDは素敵なものです。
プッチーニを愛し、そしてイタリアのために、自らその文化を広めたいと、解説書のなかで書いてある彼女の言葉のとおり、各曲の隅々に、感情がこもっており、ときに泣かせ、ときにクスッと微笑ませたりと、聴き手の気持ちにも優しく訴えます。
指揮もオーケストラも、プッチーニの音楽を体のなかに持っている、そんな感じです。
 機能的に書かれたプッチーニの見事なオーケストレーションを併せて堪能できるのは、長らくの愛聴盤である、シャイーとベルリン放送響とのものですが、彼女の指揮には、そうした和声の巧みな筆致などはあまり感じません。
でも、旋律線を滔々と美しく、横へ横へと流していく、そんな天性ともいえる才を感じさせ、繰り返しますが、プッチーニの美しい旋律を浴びるように聴けるという喜びがあります。

収められたオペラの間奏曲などは、まさに、オペラの幕間に相応しい雰囲気で、そのあとの幕が開くのが瞼に浮かぶようです。
シンフォニックな作品ふたつも、数々聴いてきたけれど、生き生きとした音楽作りにおいて、シャイーやシモーネ、ムーティなどの手持ち盤とは違った、フレッシュなレモンのような爽やかさです。

スケルツォは初聴きで、最近の研究でトリオと合わせてオーケストレーションされたそうで、短いながらも粋な曲でありました。

トスカーナ管弦楽団は、フィレンツェのヴェルディ劇場に拠点を置く、1980年創設の若いオケで、以前は、注目の指揮者ダニエーレ・ルスティオーニもその指揮者を務めてました。
ちなみにルスティオーニは現在、リヨンオペラとアルスター管の音楽監督です。
若いけど味のあるオケ、きっといま、大変なことになってるかもしれませんが、自分的は注目して行きたいオケがまたひとつ増えました。

次のヴェネツィさんの音盤がこのままではいつになるかわかりませんが、鶴首して待ちます。
それにしても、欧米ともに、女性指揮者の活躍が目立ってきました!

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緊急事態宣言も延長。
辛い日々に、音楽はともかく癒しになります。

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2020年4月19日 (日)

ワーグナー 「パルジファル」 ストリーミング大会

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芝公園内、増上寺の隣にある神社。

家康を祀った芝東照宮。

梅と桜が、毎春、美しく咲きます。

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八重桜、日本の神社仏閣と桜は、とてもよく似合います。

もともとが八百万の神を信じてきた、いや無意識のうちに、そんな日々を生活に溶け込ましてきた日本人。
なんにでも手を合わせてしまう、ある意味無宗教ともいえるのかもしれないが、その根底には自然信仰があるかもしれません。

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毎春パルジファル。
そう聖金曜日のシーンがあるし、ワーグナーがそれこそ舞台神聖祭典劇と名付け、バイロイトを想定して作曲しただけに、以降しばらく一般劇場で上演が禁じられたある意味特別な作品。

戦後1951年に再開されたバイロイト音楽祭では、作曲家の孫、ヴィーラント・ワーグナーの演出とクナッパーツブッシュの指揮によるこのパルジファルが、定番・名物ともなり、ライブ録音もなされ、世界のワーグナー好きの指標となりました。
この演出は1973年まで続くことになりますが、その後を受けたウォルフガンク・ワーグナーの穏健な演出も同じ基調にありました。

バイロイト以外では、情報がなく不明ですが、そのバイロイトでも、「パルジファル」の基本概念を覆す演出が始まったのは、1982年のゲッツ・フリードリヒから。
この演出の映像がないのが残念ですが、時空の概念を超える空間演出とか評され、指揮のレヴァインは嫌々指揮してたとか、あとで告白したりしてます。
その後、穏健な舞台に行きつ戻りつつ、本場のバイロイトも伝統的な解釈にとらわれない上演が定着したように思います。

 その伝統的な解釈とは、その根底に「キリスト教」があるということ。
原罪と救済、聖杯と聖槍といった聖具、聖堂に礼拝、受難と復活、こうしたモティーフがワーグナーの書いた物語に普遍的にあるので、それらを抽象・具象問わずに再現すること。

しかし、このキリスト教信仰の根底の裏返しには、他の宗教への蔑視や、ワーグナーの反ユダヤといった思想、ナチスの台頭なども想起させるというのも近年のフラット社会を根差した考えから、あえて「キリスト教」的なものをスルーする動きが出ているわけです。

作品が、持っている根底を、いまの風潮と、どう折り合いをつけていくか。
「パルジファル」という作品を、いまの現在上演するのは、ほんとうに難しいと思われるし、ある意味、やりがいのある凄い作品なのだ、ということにもなります。

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演奏会やオペラの上演ができなくなり、また自宅で過ごす方が世界中多くなり、オペラのネットストリーミング配信がとても多くなりました。
すっかり、その恩恵を、極東に住みながら受けているわけで、申し訳なくもありがたい思い出いでいっぱいなのです。
もう、それこそたくさん現在進行形で観ているけれど、それを各々記事にするのもどうかと思われますので、これまでしませんでした。
しかし、「パルジファル」だけは残しておこうと。
なんと9つの「パルジファル」上演が放送され、うち7つを観てしまいました!
古いものから。

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 2013年 メトロポリタンオペラ

カナダのジラール演出。
ガッティ指揮、カウフマン、パペ、マッティ、ダライマン、ニキティン。
舞台の真ん中に亀裂があり、右は宗教的な団体、左は女性たち。
パルジファルは、この亀裂の中を分け入り、クリングゾルから槍を奪還して、そちらの世界を崩壊させ、最後は亀裂がなくなり、同一の世界となって、みんなで光が差す空を見上げるというもの。
聖具はちゃんとあるが、キリスト教的なものはまったく感じさせず、聖杯系の方々は白いワイシャツ。
 他民族国家アメリカらしい、自由社会を描くものか、この演出のころはまだましだったアメリカ社会は、ソーシャリズムとポリティカル・コレクトネスで、より多文化共生という複雑な様相を呈している。
いつかまた、そんな社会を背景としたパルジファル演出がなされるのではと思う。
ちなみに、花の乙女たちは、まるで「貞子」のようであったことを、ここに付記しておきます。
若いカウフマンがビジュアル的に最高。


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 2015年 ウィーン国立歌劇場

もっと前と思われるが録画されたのが2015年のクリスティーネ・ミーリッツの演出。
アダム・フィッシャー指揮、ボーダ、ミリング、フォレ、デノケ、ボアーツ。 
聖杯守護の騎士たちは、フェンシングスクールの生徒たちで、その練習に勤しんでいる。
クリングゾールの城は、現代風のリビングルームで赤い装飾、ミラーボールで、クスリ漬けのクンドリーはキャバレー一の売れっ子のように晴れやかに登場。
3幕は、ただただ暗く、聖金曜日も暗く、野も花もなく、遠くに山並みがあるのみ。
ともかくやたらと血だらけアンフォルタスは、ライトセーバーみたいな槍でなんとなく癒されるのみ。
最後は、昇天したクンドリーを除いて、全員がステージから観客の方を見つめて終わり・・・と思いきや、開けられなかった聖杯の箱を持っていたジイさんが、それを落としてしまって、聖杯が粉々になっちまうオチがある。
 伝統的な演出の多いウィーンでもこんな感じで、むしろ滑稽で笑える。
A・フィッシャーの指揮がまことによろしく、故ボーダの見た目はキツイけど、素晴らしい歌を聴いて、その死の大きさを思う。
デノケは、まったく不調で、絶叫も外し、気の毒で、この役には似合わない。

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 2015年 ベルリン州立歌劇場

ロシア出身のチェルニアコフ演出。
バレンボイム指揮、シャガー、パペ、コッホ、カンペ、トマッソン、あとティトゥレルに懐かしいマティアス・ヘレ。
今回の一連の観劇のなかで、自分的には一番ショックだったし、よくよく考えられた演出であり、演奏の安定感も一番だと思った。

見事な読み込みで、ワーグナーの物語の根本は変えずに、今生きる我々にいろんな問題を提示してみせた感じ。
聖杯騎士軍団は暗い新興宗教を仰する軍団で完全三密状態にある方々。
指導者ティトゥレルは崇められ、道を踏み外したアンフォルタスは、バカにされ小突かれまくる。
パルジファルは家出のバックパッカーで、危ない神経質な少年で、リュックからミネラルウォーターを出したり、いろいろ細かな動きをする。 
クリングゾルの城は、身寄りなしの女子たちの寮みたいな感じで、クンドリーはそこの出身者で姉的な存在。
クリングゾルは悪者ではなく、その寮のおどおどしたバーコード頭のオヤジさんで、すごくいい人で、クンドリーのことが心配でならない感じ。
そこへ、2階の窓からこそこそ侵入するパルジファルに失笑。
で、あわれクリングゾールは、ぶっ殺さ・・・・
マザコンのパルジファルの性を開放したのは、クンドリーで、クンドリーは、きっとかつての侵入者だったアンフォルタスのことが忘れられない。そんな仕掛けもある。
当然に、聖金曜日もクソもなく、密室状態でのあの神々しい音楽は、ただの美しい音楽でしかない。
パルジファルとクンドリー、子供時代のこだわりの品々を出してきて、これは背負ってたもの、かつての縛りから解放される解釈とみた。
 パルジファルの聖なる行いに、信者たちは、あらたな指導者の登場とばかりに、アンフォルタスを捨て置き、パルジファルを撫でまわし、崇め奉る。
そして、最後は軍団の影のフィクサー、グルネマンツが・・・・・ここは観てのお楽しみか。
人間の抱える苦悩をどう開放するか、宗教はみせかけなのか、人の集団組織を維持するには悪もまたしかりか、いろいろと考えさせることが満載で、ともかく登場人物たちの目まぐるしい動きは、それぞれに心理的な動きも内包していて目が一時たりと離せない。
 このチェルニアコフとバレンボイムのコンビで、プロコフィエフの「賭博者」と「修道院での婚約」の2本も今回観ることができたが、これらもまた実に深くて、これまた超面白い演出だった。
 シャガー、パペ、カンペ、みんないい。トマッソンの気の毒なクリングゾルもこれまでにない存在だった。

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 2017年、2019年 ウィーン国立歌劇場

ウィーンのいまのパルジファル。
ラトヴィア出身のヘルマニスの演出で、この人は知らなかった。
2017:ビシュコフ指揮、ヴェントリス、K・ユン、フィンリー、シュティンメ、シュメッケンベッヒャー。
2019:ゲルギエフ指揮 オニール、パペ、T・マイヤー、ツィトコワ、ダニエル。

暗いムードの以前のウィーンの舞台とうってかわって、この明るいゴールド系の色彩。

ウィーン分離派・世紀末のリアルな舞台設定。
オットー・ワーグナーの設計した、ウィーンの郊外にある聖レオポルト教会そのもので、この教会はシュタインホーフにある精神病院内の付属教会です。
ここがリアル舞台となっていて、まさに病院内での出来事ということになる演出。
時代設定もその時分で、ワグナリアン風の市民・病院職員が最後には身を隠さずに登場するし、パルジファルも時代遅れのリアル騎士になっていてノスタルジー誘う存在。
でも、いずれも病んでる(精神的に)存在ということか・・・
 聖具は、槍は尖がった棒で、聖杯はなんと脳みそ。
医師のグルネマンツは治療方法に大いに悩み、アンフォルタスは頭に包帯を巻き、患部は頭で血がにじんでる。
クリングゾルも医師で、院内の光の届かない場所で、電気治療を施していて、何人か失敗してる様子が描かれ、その脇には大きな脳に槍が突き刺さっている。
その槍を取り返すのがパルジファルで、クリングゾルは、槍を取られたあとも、元通り研究に勤しむ図が描かれる。
クンドリーは、グルネマンツの下では檻に収監され、クリングゾルの下では、ワルキューレのような姿で騎士を誘惑。
 聖金曜日はなく、心持ち、クリムト風の花が壁面にマッピングされるのみで、宗教性は皆無。
アンフォルタスは救われて即死。
巨大脳みその上に、シュタインホーフの巨大な天蓋が下りてきて、クンドリーは、静かに舞台を去り、行方知れず。
なんだかよくわからないうちに、グルネマンツが蓄音機のまえで、音楽を聴きつつ幕。
アールヌーヴォな装置は、それなりに美しいが、聖具が脳みそにとって代わり、心の病の治療の仕方による争いに読替えた感じ。
フロイトとかも意識したのかもしらん。
なによりも、ウィーンの観光大使みたいな演出に感じ、そこに今風のテイストをつっこんだのかな。
観光地巡りはいらないな。

ビシュコフの2017年版は音が悪すぎ、ユンのグルネマンツが素晴らしく、シュティンメも存在感たっぷりで、フィンリーもよし。
ゲルギエフ2019版は、音質最高ながら、急ぎすぎのテンポはいかがなものか。
でも、安心感のパペに、なんといってもツィトコワの強靭な声と、演技のうまさが抜群のクンドリーに感嘆。
今年のパルジファルは、指揮はアルテノグリューだったようだ。

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 2019年 ハンブルク州立歌劇場

配信が重く、全部見てません!見たい!

2017年制作のアヒム・フライヤー演出。
K・ナガノの指揮、シャガー、ユン、コッホ、マーンケ、バイコフ。
こんな姿をしてますが、豪華なメンバーです。
 フライヤーは、いつもこんなステージと人物デザインをしかけてきます。
わたくしは、1984年のハンブルクオペラの来日で、この人の1982年演出の「魔笛」を観てます。
それはもう、びっくりの舞台で、テーマが魔法の笛ですから、ある意味なんでもあり的な納得感もありました。
いろんな演出を手掛けているようですが、しかし、これパルジファルですよ(笑)
黒い画像がグルネマンツ、緑がパルジファル。
完結してみてませんが、物語の筋や、登場人物たちの動きは、ト書き通り。
要は、その描き手の人物や背景にフライヤーならではの誇張とシニカルな意味づけをしたのだと思います。
それと静的かつデフォルメされた動きと、顔に描かれた表情以外のものを感じさせない一方的な人物たちのイメージの植え付け、これもまた、ある意味、音楽がその演出を補完することで成り立つ舞台かと思料しました。
能とアメリカのスクリーンも意識か、
グルネマンツはお顔がちぐはぐ、パルジファルは笑い顔のジョーカー、クンドリーは汚らしい感じ、クリングゾルはマジシャン、アンフォルタスは二人羽織の磔刑のイエス・・・・
存外に面白い、ちゃんと全部見たい。
冷静なナガノの指揮に、ここでもシャガーの明るい声、ユンの滑らかなバス、で、マーンケの驚きのクンドリー。
これは意外に、いいパルジファルだと思う(笑)

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 2018年 バイエルン州立歌劇場

ベイルート出身、フランス系のアウディの演出、そしてバセリッツの舞台装置。
K・ぺトレンコの指揮、カウフマン、パペ、ゲルハーヘル、シュティンメ、コッホ(クリングゾル)

プリミエ時にすでに映像確認済み。
第一印象はとても悪く、気にいらない。
それはいまも同じ。

神聖を徹底的に排除し、陳腐化する。
聖杯は、まったく登場しないし、聖なる槍も、針金のような陳腐な十字架もどき。
聖なる行いには、最後は血塗られた手で顔を覆い、タイトルロールの主役も、こんなふうに見たくないってさ。
この行いは、宗教的な場面で常に出てくる。
ちくいち、そうしたワーグナーの意図と宗教観を消してみせる。
花の乙女たちは、肉襦袢を着て出血した醜い姿・・あ~もう。
ワーグナーの音楽と劇を完全に踏み違えている!
と思う前に、こうした否定オンリー、陳腐化でひとつのオペラが成立することが可能なことに感嘆、そしてこれでいいのだろうか、との思い。

わかりませんよ、こんな素人が書き連ねてることですから、もっと大きなメッセージや考えも込められていたかもしれません。
でも好きじゃないな。
ミュンヘンでこれ?
2年前のライブでは、たいそうなブーイングが飛んでました。

ペトレンコの指揮はやたら快速。
でもメリハリがあって強いオケがピットから立ち昇る感じ。
個人的には、でも、う~む?かな
充実のカウフマンに、シュティンメはよし。
コッホもアンフォルタスより、ビジュアル的にもクリングゾルのほうがいいが、アンフォルタスのゲルハーヘルは妙に多弁でどうも・・

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あと、ザルツブルクイースターのティーレマン、デンマークのA・フィッシャーなどもありましたが、今回は時間切れ。

しかし、おかげさまで、前にもまして、普通の演出や出来事では満足できなくなってしまった自分がある。

でもね、既成を壊すことだけに、自らの意義を見出すだけになったら、そこは暗黒しか残らないと思う。
観る人が、素直にちゃんと、その意図を受け止められる演出こそあるべきものだ。

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2020年4月12日 (日)

マタイとメサイア

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寄り添うように、とか、よく政治家とか、企業CMとか、いやもしかしたら自分も、寄り添うような音楽とかブログで発言してるかもしれない。

けれど、なんか、まやかしのように感じる。
感情論の押し付けであり、ごまかしではないかと・・・

政治家や企業に、本当の心で、そんな風に国民や消費者に接しているとは思えない。
平和なときには、そんな言葉も、優しく響く。
しかし、いまの緊急時には美辞麗句は通用しない。
具体的に何をするかが問われるから。

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しかし、季節はちゃんと巡ってくる。

毎年、イーズターの頃には、散歩も兼ねて増上寺周辺の桜を巡り歩くのだが、今年は、むしろ健康のために歩かなくては、という思いで、控えめの桜見でした。
ここは、見事に美しい椿が桜を背景に咲くのです。

聖金曜日から、復活祭にかけての音楽ということで、「マタイ受難曲」と「メサイア」それぞれ抜粋して聴きました。

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  バッハ 「マタイ受難曲」

   ペテロの否認~あわれみたまえ、わが神よ

    A:ヘルタ・テッパー
    T:エルンスト・ヘフリガー

  カール・リヒター指揮 ミュンヘン・バッハ管弦楽団
             ミュンヘン・バッハ合唱団

先ごろ、ミュンヘンにて亡くなった、テッパーの歌で。
享年95歳のテッパーさんは、理想のオクタヴィアンとして、それとブランゲーネやフリッカなども歌うオペラ歌手でしたが、なんといっても「リヒターのマタイ」のアルト歌手としての存在が、われわれには大きいと思う。

マタイの核心的な場面が、ペテロの否認と、それに次ぐアルトの悔恨のアリアかと思ってます。
この少し前に、イエスによる重要な弟子のひとり、ペテロの裏切りの予言がエヴァンゲリストにより歌われ、鶏が鳴く前に、わたしを知らないと3度言うだろうとします。
そして、ペテロが女中に、この人もイエスと一緒にいたと言われると、わたしはその人を知らないと、ほかのひとにも3度も言ってしまいます。
そこで鶏が鳴き、ペテロは激しく泣くことになります。
 このあたりの、冷静なエヴァンゲリストが、抑揚をつけながらも感情の高ぶりをみせます。

そして、ヴァイオリンソロを伴った感動的なアリアが始まります。
「Erbarme dich」 憐れみたまえ、わが神よ わたしの苦い涙をお認めください
   心も、目も、ともに御前にひざまずき、激しくないております~

人間、誰しも、思い当たることがあるかもしれない、心に秘めたこともあるかもしれない。
そんな心理に光を当てた聖書の場面を、バッハの音楽は実に深く描いている。
テッパーの禁欲的な淡々した歌唱は、この歌の本質をついております。。。。

聴いてて、なんでこんなことになっちゃったんだろ、涙が出てきました。       

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  ヘンデル オラトリオ「メサイア」

   復活~栄光と永遠の命

  S:エディット・マティス   A:アンナ・レイノルズ
  T:ステュワート・バロウズ B:ドナルド・マッキンタイア

 カール・リヒター指揮 ロンドン・フィルハーモニック
            ジョン・オールディス合唱団

Ⅰ「預言と降誕」、Ⅱ「受難と復活」、Ⅲ「栄光と永遠の生命(救いの完成)」

アメリカや日本ではクリスマスに演奏されることが多いので、きらびやかな印象がある「メサイア」。
ましてバッハと比べると、開放的で、音は外に向かって行く印象を受けるが、でもしっとりとしたアリアもたくさん。
アリアと晴れやかな合唱の対比こそ、オペラ作曲家としてのヘンデルの真骨頂。
最近、ヘンデルのオペラをネット視聴したりすることも多く、少しハマりだしました。
そんな耳で聴くと、豊麗なヘンデルサウンドのなかに、人間の悩みや悲しみも織り込まれているのを感じます。

ハレルヤのあと、ソプラノの楚々とした信仰告白ともとれるイエスへの想いを歌ったステキなアリア。
そして不滅の偉大さをトランペットを伴って歌うバスの神々しいアリア。

リヒターの英語版メサイアが、ロンドンフィルで録音されたことはありがたいことでした。
LPOの暖かくも、くすんだ弦が素晴らしく効果をあげてます。
マティスの無垢ともいえる歌声もいい。

最後はイエス賛美の、アーメンコーラス。
キリスト者ではありませんが、人類がいまの苦難に打ち勝つこと、この音楽も輝かしくも、壮麗な光で世界を照らしてくれることを願います。

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早朝のせいもあるけど、誰もいない増上寺(4/4)
ほんと、ひといません。

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来年は、楽しく桜を愛でることができますように。

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2020年4月 5日 (日)

ディーリアス 人生のミサ デル・マー指揮

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晴れた春分の日の日の入りを、吾妻山から眺めました。

富士に沈む夕陽。

壮絶ともいえる夕暮れの様子を立ち会うのが大好きです。

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ディーリアスの大作、人生のミサを久しぶりに聴く。

集めた音源は4種もあり、今回は、デル・マーの指揮によるものをメインに、聴きまくりました。

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  ディーリアス 人生のミサ

    S :キリ・テ・カナワ
    Ms:パメラ・ボウデン
    T :ロナルド・ダウド
    Br:ジョン・シャーリー=クワァーク

 ノーマン・デル・マー指揮 BBC交響楽団
              BBC合唱団
              BBCコーラル・ソサエティ
    (1971.5.3 @ロンドン、ライブ)

イタリアのわけわからないレーベルから出てるこのCD。
放送録音と思われ、音像も少し遠く感じられますが、ちゃんとしたステレオで、鑑賞に支障はありません。
おまけに、カップリングはグローヴズ指揮するレクイエムもついてるので、ディーリアス好きにはたまらない音源なのです。

安定のシャーリー=クワァークが神々しく、いちばん耳にまっすぐ届きます。
キリ・テ・カナワがディーリアスを歌うなんて、と思いつつ聞いたけど、そのクリーミーで清潔な歌唱は、思った以上に相応しく、とてもいいです。
ボウデンの奥ゆかしいメゾに、熱っぽいダウドのテノール。
ダウドは、デイヴィスのベルリオーズ・レクイエムでソロを歌っている方です。

そして、師ビーチャムのもとで学んだ、デル・マーの定評あるディーリアス。
ベーレンライター版のベートーヴェンを校訂した、ジョナサン・デル・マーの親父さんです。
ときに、野生的な場面もあるこの作品、そうしたダイナミックな局面の描き方は、デル・マーのもっとも得意とするところだし、この作品の一番美しいシーン、第2部の牧場の真昼の美しさといったらない、陶然としてしまった・・・

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ここで、この作品のことを、下記、過去のヒコックス盤の記事からの引用です。

4人の独唱、2部合唱を伴なう100分あまりの大作。
こうした合唱作品や、儚い物語に素材を求めたオペラなどに、ディーリアスの思想がぎっしり詰まっているのだ。
 ディーリアスは、世紀末に生きた人だが、英国に生まれたから典型的な英国作曲家と思いがちだが、両親は英国帰化の純粋ドイツ人で、実業家の父のため、フレデリックもアメリカ、そして音楽を志すために、ドイツ、フランスさらには、その風物を愛するがゆえにノルウェーなどとも関係が深く、コスモポリタンな作曲家だった。

その音楽の根幹には、「自然」と「人間」のみが扱われ、宗教とは一切無縁
そう、無神論者だったのである。
この作品も、「ミサ」と題されながらも、その素材は、ニーチェの「ツァラトゥストラ」なのであるから。

 アールヌーヴォ全盛のパリで有名な画家や作家たちと、放蕩生活をしている頃に「ツァラトゥストラ」に出会い、ディーリアスはその「超人」と「永却回帰」の思想に心酔してしまった。
同じくして、R・シュトラウスがかの有名な交響詩を発表し大成功を収め、ディーリアスもそれを聴き、自分ならもっとこう書きたい・・・、と思った。
1909年、ビーチャムの指揮により初演され、その初録音もビーチャムによる。
 
ドイツ語の抜粋版のテキストに付けた音楽の構成は、2部全11曲。

合唱の咆哮こそいくつかあるものの、ツァラトゥストラを歌うバリトン独唱を中心とした独唱と合唱の親密な対話のような静やかな音楽が大半を占める。
日頃親しんだディーリアスの世界がしっかりと息づいていて、大作にひるむ間もなく、すっかり心は解放され、打ち解けてしまう。

第1部

 ①「祈りの意志への呼びかけ」 the power of the human will
 ②「笑いの歌」 スケルツォ 万人に対して笑いと踊りに身をゆだねよ!
 ③「人生の歌」 人生がツァラトストラの前で踊る Now for a dance
 ④「謎」      ツァラトゥストラの悩みと不安
 ⑤「夜の歌」   不気味な夜の雰囲気 満たされない愛

第2部

 ①「山上にて」 静寂の山上でひとり思索にふける 谷間に響くホルン
           ついに人間の真昼時は近い、エネルギーに満ちた合唱
 ②「竪琴の歌」 壮年期の歐歌!
           人生に喜びの意味を悟る
 ③「舞踏歌」  黄昏時、森の中をさまよう 牧場で乙女たちが踊り、一緒になる
           踊り疲れて夜となる
 ④「牧場の真昼に」 人生の真昼時に達したツァラトゥストラ
           孤独を愛し、幸せに酔っている
           木陰で、羊飼いの笛にまどろむ
 ⑤「歓喜の歌」 人生の黄昏時
           過ぎし日を振りかえり人間の無関心さを嘆く
           <喜びは、なお心の悲しみよりも深い>
 ⑥「喜びへの感謝の歌」
           真夜中の鐘の意味するもの、喜びの歌、
           永遠なる喜びを高らかに歌う!
            
       O pain! O break heart!
                     Joy craves Eternity,
                     Joy craves for all things endless day!
                    Eternal, everlasting, endless dat! endless day!
                      
           (本概略は一部、レコ芸の三浦先生の記事を参照しました)

 冒頭のシャウトする合唱には驚くが、先に書いたとおり、すぐに美しいディーリアスの世界が展開する。
妖精のような女声合唱のLaLaLaの楽しくも愛らしい踊りの歌。

「夜の歌」における夜の時の止まってしまったかのような音楽はディーリアスならでは。
「山上にて」の茫洋とした雰囲気にこだまする、ホルンはとても素晴らしく絵画的でもある。
さらに、「牧場の昼に」の羊飼いの笛の音は、オーボエとコールアングレで奏され、涙がでるほどに切なく悲しい。
この場面を聴いて心動かされない人がいるだろうか
まどろむツァラトゥストラの心中は、悩みと孤独・・・・。
「歓喜の歌」の合唱とそのオーケストラ伴奏、ここでは第1部の旋律が回顧され、極めて感動的で私は、徐々にエンディングに向けて感極まってしまう。
そして、最後の「喜びへの感謝の歌」では4人の独唱者が高らかに喜びを歌い上げ、合唱は壮大かつ高みに登りつめた歌を歌うクライマックスを築く。
そして、音楽は静かになっていって胸に染み込むように終わる。

シェーンベルクの「グレの歌」にも似ているし、スクリャービンをも思わせる世紀末後期ロマン派音楽でもある。
 以前、畑中さんの批評で読んだことがあるが、「人生のミサ」の人生は、「生ける命」のような意味で、人の生の完結論的な意味ではない、と読んだことがある。

英語の「LIFE」も同じ人生を思わせるが、原作の「Eine Messe des  Leben」のLebenの方がイメージが近いような気がする。

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②ビーチャム盤


   S:ロジーナ・ライスベック
   A:モニカ・シンクレア
   T:チャールズ・クレイグ
   Br:ブルース・ボイス

 サー・トーマス・ビーチャム指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
                ロンドン・フィルハーモニック合唱団
   
    (1952~53 @アビーロードスタジオ)

モノラルだけど、ちゃんとしたスタジオ録音なので、音はくっきり鮮明、そして生々しい。
演奏も、さすが初演者だけあって、熱のこもったもので、情熱の掛け方が半端ない。
そして、陶酔的な美しさは、さすがディーリアスの守護神ともいえるビーチャム。
ホルンは、このとき、ブレインだったのでしょうか。。
モノラルゆえに、そのどこか鄙びた響きは、わたしには郷愁すら感じる・・・・

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③グローヴズ盤


   S:ヘザー・ハーパー
   A:ヘレン・ワッツ
   T:ロバート・ティアー
   Br:ベンジャミン・ラクソン

 サー・チャールズ・グローヴズ指揮ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団
                ロンドン・フィルハーモニック合唱団
   
    (1972 @ロンドン)

ビーチャム盤に次ぐふたつめの正規録音で、これが国内発売されたとき、すでに私はディーリアス好きだったけど、2枚組の大作には手が手ず、三浦先生の特集記事だけど、興味深々で読むにとどまっていた。
さらに全部集めたはずの、EMI「音の詩人ディーリアス1800シリーズ」でも出たはずなのに、なぜかこのグローヴズの「人生のミサ」は購入していなかったのが今思えば不思議なこと。
そして、実際に耳にしたのは、CD時代になってから。
グローヴズらしい滋味あふれる、優しさと自信にあふれた素晴らしいディーリアス演奏です。
当時、ハイティンクのもとで黄金時代を築くことになるロンドン・フィルのくすんだ響きも、渋くも神々しい。
お馴染みの歌手の名前が揃っているのも懐かしい。
明るめのラクソンの声が美しく、すてきなものだ。
 ただ、録音が強音で、割れてしまうのが惜しい。
ちゃんとマスタリングして、再発して欲しいな。

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④ヒコックス盤


   S:ジョーン・ロジャース
   A:ジーン・リグビー
   T:ナイジェル・ロブソン
   Br:ピーター・コールマン・ライト

 サー・リチャード・ヒコックス指揮ボーンマス交響楽団
                 ボーンマス交響合唱団
   
    (1996@ボーンマス)

ヒコックスも早くに亡くなってしまったが、シャンドスに、ディーリアスを次々に録音していたなかでの逝去は、本当に残念だった。
そこで、この作品が録音されたのは僥倖もの。
やはりデジタルでの鮮明な録音で、こういう合唱作品で音割れの心配なく聴けることが嬉しい。
こうして、いくつも並べて聴いてみると、歌手が小粒に感じるものの、悪くない。
ことにオーストラリア出身のコールマン・ライトのこれも明るめのバリトンがいい。
濃淡ゆたかな合唱の扱いがさすがにヒコックスはうまい。
静かな場面での弱音の美しさは、録音の良さも手伝って、ほかの盤では味わえないし、ボーンマス響のニュートラルサウンドと、それを引き出すヒコックスの指揮の巧さも感じます。
かつて、新日フィルに客演したヒコックスを聴いたけれど、オケと合唱をコントロールする巧さは、長年の合唱指揮者としての経験の積み重ねだと思ったことがある。
そのときの演目は、ブリテンの「春の交響曲」だった。
1999年の文化会館でのコンサート。

Azumayama-fuji-03

沈んだ夕陽。

こうして夜の闇が訪れますが、いま、世界は闇のなかにいるかのよう。

人類の叡智もかなわない猛威に、不安は増すばかり。

いつかやってくる明るい夜明けを期待して、いまは静かに過ごすばかり。

そしてひたすら、連日、音楽を聴き、オペラを観るばかり。

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