2016年11月 5日 (土)

チャイコフスキー 交響曲第5番 K・ペトレンコ指揮

Rainbow_2

芝浦埠頭からみた、秋の日の東京湾、夕方のレインボーブリッジ。

そして、あっという間の11月。

また歳を重ねる月だし、思えば、ていたらくのこのブログも、開設11年となる月。

さてさて、秋晴れの高い空をみながら、ほんとうに久しぶりにあの曲をば・・・・。

Petrenko

  チャイコフスキー 交響曲第5番

   キリル・ペトレンコ指揮 バイエルン国立歌劇場管弦楽団

                    (2016.9.20 @ミュンヘン)


ネットでライブ配信されたものを聴き、録音しました。

日本では、まだ謎の多い、次期ベルリンフィル芸術監督、キリル・ペトレンコ。

バイエルン国立歌劇場の音楽監督であり、バイロイトでもリングを指揮していたので、欧州から遠い日本では、オペラの指揮者という感じを持っているが、ドイツ国内では、かなりのコンサートも指揮してますね。

youtubeでは、かなりの放送音源が見つかりますよ。
シェエラザードや、ショスタコ7番、ツェムリンスキー抒情交響曲など、実に興味深い演奏がありまして、そのレパートリーの鮮やかさもさることながら、真摯でかつ新鮮味にあふれた演奏は、その豊かな才能の片鱗を知ることができます。

わたくしは、あと、3年間のバイロイトのリングを全部PC録音して、ときおり聴いていたけれど、いままで聴こえなかったフレーズやライトモティーフのうまい響かせ方など、もしかしたら、昨年のベテラン、ヤノフスキよりも面白く聴けたものです。

そして、ほやほやのライブでは、手兵のバイエルンとのチャイ5。
この日の演目は、リゲティのロンターノ、ダムラウ独唱の「4つの最後の歌」、そしてチャイコフスキー。

 このチャイコフスキー、実にすばらしい演奏なのだ。

乗りやすい、ほどよい疾走感を伴った、くどさのない歌いくちのうまさ。
強弱の巧みさ、わずかに揺らすテンポ。

2楽章では、スムースに流れるなか、美しく光る抒情の輝きが。
それと、すべての音が、万遍なく聴こえるすっきり感も。

終楽章は、そこに皆が求める、カッコよさも。
終結部コーダの前、思いのほか長い休止。
そして、思い切り謳歌する大主題は、聴くこちらも思い切り気持ちがいい。
エンディング、じゃじゃじゃじゃぁん!があまりにステキだ。

聴衆のブラボーも半端ない。

あと、オーケストラの明るい音色と、機能性の豊かさ。

ミュンヘンのオーケストラは、みんな巧い。
ヤンソンスの放送響、オペラのペトレンコ、フィルハーモニーのゲルギエフと豪華な顔触れだ。
かつての昔も、クーベリック、サヴァリッシュ、ケンペの3人がミュンヘンにいた黄金時代があったし。

ということで、キリルの方のペトレンコ、あらたな正規音源が待ち遠しいですね。

来年9月には、国立歌劇場と来演して、「タンホイザー」を指揮しますよ。
しかも、タイトルロールは、フォークト。

ということで、お久しぶりのチャイ5でした。

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2016年10月22日 (土)

サー・ネヴィル・マリナーを偲んで

Marriner_asmf

 サー・ネヴィル・マリナーが、去る10月2日に亡くなったことは、もうすでにご存じのとおり。

日本でも、かなり報道されましたね。

92歳という高齢ながら、いつまでも現役を貫き、指揮台でも、椅子に座らずかくしゃくたるその指揮ぶりは、まだまだ、ずっと・・・・という思いを聴衆やオーケストラにも思わせるものでした。

事実、10月の6日には、アカデミーと、10月半ばには、カダケス管とのコンサートが予定されていたうようです。
ですから、本人にも突然、訪れた死ということになります。

しかし、その安らかなる死は、ある意味で、いかにもサー・ネヴィルらしい、ともいえますね。

マリナーを始めて聴いたのが、1973年頃、以来、フルオケを指揮するようになっても、絶対変わらない、マリナー節を愛し続けて40年以上。

アバドのときのような大きなショックはなくって、今回は、自分的には、あぁ、マリナーも・・・・、って感じの受け止めでした。

Marriner_vivaldi_1

 マリナーとの出会いは、これ。
ヴィヴァルディの四季は、イ・ムジチで親しんできた多くの人に驚きを与えました。
サーストン・ダートや、ホグウッドらの徹底した考証を経て、不純物を取り除いたかのような清涼感と切れ味を伴った、新鮮な四季となりました。

ピリオドがあたりまえとなった今でも、マリナーの四季は鮮度高く、そして、わたくしには懐かしい。

Marriner_bach Marriner_handel_1

ほどなく出たのが同じバロックの分野から、バッハの管弦楽組曲とヘンデルの水上の音楽。
どちらも、四季と同じく、より切れ味と爽快なまでの、早めのテンポでもって、感覚にも訴えてくるような鮮やかな演奏でした。
ロンドン・レコードのダブルジャケットも豪華なものでしたな。

Academy

それより録音は前かもしれなかったけど、レコード時代はFM放送から楽しんだチャイコフスキーの弦楽セレナード。
CD時代になって購入したビューティフルな演奏。

のちに再録音したチャイコフスキーは、「くるみ割り人形」とのカップリングで、爽快さに加え、節回しも味わいを増したマリナーでした。

Tchaikovsky_nutcracker_marriner

こちらは、フィリップスの録音が素晴らしく、雰囲気豊かで、ジャケットもとてもステキなものです。
マリナー&アカデミーは、チャイコフスキーの交響曲全曲も録音してしまうように、室内オケを変幻自在にフルオケにスケールアップするような広大なレパートリーに取り組むようになりました。

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「ヴォーン・ウィリアムズの爽やかな世界」という、キャッチ・コピーでもって、大いに流行ったのが1975年発売のこちら。
その名のとおり、曲も演奏も、ともかく爽やかだった。
初夏の音楽って感じだったけれど、わたくしは、「揚げひばり」がともかく好きになりましたね。

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ブレンデルと組んだモーツァルト。
全曲はCD時代になって聴いたけれど、真摯であたたかなブレンデルのピアノに、寄り添うようなウォームなマリナーとアカデミー。
ともかく、あぁ、モーツァルトってなんていいんだろって、つくづく思わせる演奏。

協奏曲の指揮者として、奏者たちから愛されたマリナーでもあります。

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録音の主力をフィリップスに移したマリナーは、70年代後半から、さらにその録音の数を増やしていきます。
カラヤンか、マリナーかと言われたくらいの録音量!

そして、アカデミー以外のオーケストラとの録音も続々と。

モントゥーのもとで第2ヴァイオリンを弾いていたロンドン交響楽団とのビゼー。
これが実に素晴らしい。
たっぷりとした奥行き豊かな録音も実によくて、爽やかかつ明るいビゼーだ。
アバドとともに、大好きなアルルの女ですよ。

Marriner_enigma1 Marriner_enigma2

そしてお国もの、英国音楽もさかんに取上げてくれました。

コンセルトヘボウとのコンビで、ホルストとともに録音されたエルガーの「エニグマ」
フィリップスならではの企画でしたね。
ここでもまた録音の素晴らしさを絶賛しておきましょう。
さらにこの曲は、アカデミーとも後に再録音。
こちらの方がさっぱり感が増しているのが面白いところ。

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アカデミー以外では、ロサンゼルス室内管、ミネソタ管、そして、シュトゥットガルト放送響の指揮者をつとめたマリナー。

ブリテンの痛切な鎮魂レクイエムは、オケの機能性も活かした、充実の演奏。
初めてマリナーのライブに接したのも、じつはこの曲。
都響に客演して、ヘンデルのアリア(シュトッツマン)と、このブリテン、そして、エニグマ演奏曲というプログラムだった。
1997年だったかな・・・。
もう20年前、自分も若かった・・・・

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海外盤とまったく違うジャケットだった、英国の四季と題するこちらは、マリナーの数ある音盤のなかで、ジャケット大賞をあげたくなる一品。

ディーリアス、ブリッジ、バックスなどをおさめた、英国の四季薫る、上品かつ美麗な音楽と演奏だ。

まだまだ、マリナーの思い出を語れる音盤はとめどなくあります。

モツレク、ハイドンのネイムズ・シンフォニー、ベートーヴェンの交響曲、シューベルトに、メンデルスゾーン、そしてロッシーニ・・・・

でも最後にはこれ。。。。。

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フィンジ作品集。

こちらのジャケットも美しい。

息子アンドリューと共演のクラリネット協奏曲。

曲も演奏も、泣けます・・・・

サー・ネヴィル・マリナーさん、長く、その音楽を楽しませていただき、ありがとうございました。
その魂が安らかでありますように。

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2016年8月27日 (土)

バイロイト2016 妄想聴き

Azuma

今年のお盆は、曇天続きで、どうもすっきりないまま明け、そして台風が襲来した関東。

そしてまた、次の台風がやってきそうだ。

異常な天候続きと、不気味な動きを見せる近くの国々が気になって、オリンピックロスもさほどに感じなかった。

そんな夏も、もう終盤。

海外の音楽祭も次々に終了。

ネットでリアルタイムで聴ける幸せだけど、今年は、ばたばたしてて、気もそぞろのながら聴き。
全部PC録音しましたよ。

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(以下画像はバイエルン放送局のサイトから拝借してます)

バイロイトでは、「パルシファル」がプリミエ。

演出は、危なそうだったヨナタン・ミーゼに替わり、安全そうなラウフェンベルクに変更。

ラウフェンベルクの舞台は、数年前、ドレスデンの来演で、「ばらの騎士」を観たけれど、時代の移し替え以外は、穏当な演出だった。

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今回の「パルシファル」は、画像を拝見すると、アンフォルタスはイエスのようだし、当然、現場は、中近東風。
花の乙女たちは、ヒシャブをまとっているわけで、米軍の戦闘服を着たように見えるパルシファルは素顔の彼女たちとお風呂入っちゃってる。

クリングゾルは、武器商人かな?グルネマンツは、アラブの解放戦線の指導者風。
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想像と勝手な妄想は止まらないけれど、映像の放映を期待したい。

こんな演出だから、テロが続発したドイツ当局も、かなり警備に力をいれたそうだ。

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音楽面でも、大きな話題を呼んだのが、直前のネルソンスの降板。
ティーレマンとの不仲説や、演出の問題などなど囁かれているけれど。。。。

急遽、指揮台に立ったのは、ハルトムート・ヘンヒェン。
ドレスデン生まれの、叩き上げのオペラ指揮者の登場は意外な感じもしたけれど、その音楽は安定していて、聴いていて、大きな驚きはないものの、まったく自然かつ豊かなものでした。

フォークトのパルシファルは文句なく素晴らしくクリアな声は存在感抜群。
ゼッペンフェルトのグルネマンツは、もう少し深みと重さが欲しいけど、これから変わっていくかも。
音だけ聴けば、無難なプリミエを迎えたパルシファル。

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4年目のカストルフの「リング」

石油争いと、社会主義と資本主義のせめぎ合いをからめた、ごった煮的演出も、これまでの5年のリング暦にあわせると、あと1年。
次のリングの指揮には、ネルソンスと言われていたけれど、難しいことになったね。

ペトレンコ、ヘンゲルブロックも含め、バイロイトから去った実力者が抜けたあとは、小粒化が否めない指揮者陣。

そんななかで、ヤノフスキの初登場、しかもリング全3サイクルを完璧に仕上げた実力はさすがとしか言いようがないと思う。
速めのテンポで、聞かせどころのツボを、しっかりと押さえ、メリハリの効いた力強い指揮は、ワーグナーの音楽に安心して身を委ねることができるものかもしれない。
ただ、ペトレンコの指揮にあった、いろんな発見は、ここでは少なめ。
そして、サラっと通り過ぎてしまうところが、意外なところにあったりするのも、職人ヤノフスキらしいとこかも・・・・・

 歌手も年々替わるのも、このリングサイクルの特徴かも。
しかも、一進一退か。

ウォータンがひとりで全部歌わずに、ラインと、ワルキューレ・ジークフリートとでふたり。
若々しいウォータンであるはずのラインゴールドだから、それは一理あるけれど、なんとなく統一感がないね。
 ワルキューレとさすらい人を歌ったのが、ルントグレン。
どこかで聴いた名前、聴いた声だと思ったら、以前に新国でスカルピア役を観ていた。
ちょっとアクの強い声質で、ばかでかい声だけど、これは今後よくなりそうなウォータンに感じましたよ。
 歌手たちのなかで、一番よかったのが、フォスターのブリュンヒルデで、優しさと気品を見事に持ち合わせた歌唱かと。
あと2年目の、フィンケのジークフリートも、とてもよかった。
この人も、よくよく調べたら手持ちの「死の都」のDVDでパウルを歌っていた人だった。
よいヘルデンテノールになってきたね。
あと舞台を引き締めていたのは、ベテラン、ドーメンのアルベリヒ。

しかし、ジークフリートと黄昏が終わったあとのブーイングはすごいものがあった。
やはり、カラシニコフをぶっぱなす共産かぶれのジークフリートとかウォール街には我慢がならんのか。。。。

このリングは、映像化されるのだろうか。
スケジュールを見てたら、3サイクル上演だったけど、神々の黄昏だけ、4度上演してんのね。これだけ録画したのかしら・・・・
観てはみたいけれど、どっちでもいいや(笑)

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あとは、まだやってる「さまよえるオランダ人」。

テレビで何度も観たけれど、扇風機工場がわけわからんし、全体のムードが陳腐な感じで好きじゃない。
なんか使いまわしをされている、便利な存在になりつつあるA・コバーのキビキビした指揮はよい。
メルベートのゼンタはとても好きだけど、新国お馴染みのトマス・マイヤーがついにオランダ人として登場したけれど、声の威力がいまひとつ、でも美声です。

このオランダ人は、今年で終わり(たぶん)。

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2年目のカタリーナとティーレマンのトリスタン。

映像化もされ、まだ全部を見てはいないが、ブルーな雰囲気と無限ループのような無機質な舞台は、悪くない感じ。

ティーレマンは、あいかわらず、どっしり、がっしりやってるけど、もすこし、しなやかに柔らかな響きも聴きたい感じもする。

グールトのトリスタンは文句なし。
問題はイゾルデが、このプロダクションでは定まらないところか。
アニヤ・カンペが昨年は最初から降りてしまい、ヘルツィウスが歌ったが、今年は、ペトラ・ラングで、彼女はもともとメゾの音域のひと。
ブランゲーネとオルトルートのイメージが強い彼女だけど、ちょっとキツかったかも。
不安な歌い回しも散見されたが、来年も彼女の名前がノミネートされているので、いろんなものを克服して登場することでしょう。

演出も、歌手も指揮者も、年々よくなっていくのが、だいたい5年サイクルのバイロイトの上演。
そうならなかった演目もいくつかあって打ち切りの刑に処せられたものもあったけれど。。

 来年は、「マイスタージンガー」が新演出上演。

ベルリン・コーミシュオーパーのバリー・コスキーの演出。
こんな「魔笛」の舞台を作っちゃうひとで、おもしろそう。


指揮は、フィリップ・ジョルダンに、ザックスは、フォレ。

なんだかんで、バイロイトは気になるし、面白いのだ。

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2016年8月14日 (日)

ヴェルディ レクイエム アバド スカラ座

Shibapark

ここ数十年、夏のおやすみ、すなわちお盆休みは、いまから31年前に起きた惨劇、日本航空機の御巣鷹山墜落事故の日の記憶から始まり、終戦の日を迎えることとなり、それこそ人の命の尊さを、真夏の暑さのなかに、しっかりと噛みしめることとなっている。。。。

あの事故の日、まだ社会人になって4年目。
都内の冷房もない暑いワンルームに帰って、テレビをつけたら飛び込んできたニュースだった。

またもっと遡ると、テレビを通じての惨禍の記憶は、1972年のミュンヘンオリンピック事件。
9月5日、パレスチナゲリラが、イスラエル選手たちを人質にとり、空港で銃撃戦となり選手を含む多くが亡くなった。
男子バレーや体の金メダルラッシュで、浮かれていた中学生だったが、血なまぐさい事件に凍りついたものだった。
 さらに、追悼セレモニーで、ルドルフ・ケンペの指揮するミュンヘン・フィルが競技場で、英雄交響曲の葬送行進曲を演奏した場面もはっきりと覚えている。

これらの悲しい出来事は、戦争を知らない私の、夏の惨事の記憶である。

世界を見渡せば、とんでもないテロリズムが蔓延し、日本でもどこかを踏みたがえた人間が惨劇を起こしたりもして、右も左も、かつては考えにくい悪夢を生んでいる。

もう、夏の記憶を血で塗り込めるのは勘弁してほしいものだ、いや、夏ばっかりじゃないけど。

そんなこんなを思いつつ、夏の「ヴェルディのレクイエム」を聴く。

Abbado_scala

 ヴェルディ    レクイエム

    S:ミレルラ・フレーニ    Ms:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
    T:ヴェリアーノ・ルケッティ Bs:ニコライ・ギャウロウ

    S:アンナ・トモワ・シントウ Ms:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
    T:ヴェリアーノ・ルケッティ Bs:ニコライ・ギャウロウ


  クラウディオ・アバド 指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団/合唱団

                  (1981.9.3/11 東京文化会館)


NHKFMのエアチェックテープをCDR化した、私家盤です。

忘れもしない、これも夏の記憶。

音楽監督クラウディオ・アバドに率いられて、大挙来日したスカラ座。
しかもアバドの朋友、カルロス・クライバーの帯同という超豪華な引っ越し公演だった。
スカラ座は、その後も何度も来日しているが、アバドがやってきたのは、この年、1981年だけだった。

もう、何度も書いているが、アバドは、シモンとセビリアの理髪師。
カルロスは、オテロとボエーム。
多くの聴衆は、カルロス・クライバーの指揮に飛びついたが、アバド・ファンのわたくしは、一念発起して、アバドの「シモン・ボッカネグラ」を最上の席にて観劇することだけに、新入社員の薄給のすべてをかけた。。。。

だがしかし、NHK様が、すべての公演と、2度のレクイエム、そしてガンドルフィが指揮したロッシーニのミサ曲までも、テレビ・FM放送をしてくれるという素晴らしいことをしてくださった。

おかげで、わたくしのエアチェック・ライブラリーには、「シモン」を除く、そのすべてが今でも健在なのであります。(シモンは、放送日が観劇日だったのです。。。。)

そして、そんなに悪くない音質で残されたふたつのレクイエムを、久しぶりに、続けて聴いてみた。

この引っ越し公演で、ヴェルディの二つのオペラのヒロインをつとめた、ふたりのソプラノ、フレーニと、トモワ・シントウ。
それ以外のソロは、3人共通。

フレーニは、シモンのマリア。シントウは、オテロのデスデモーナ。
真摯でひたむき、そして耳も洗われるような正統ベルカント歌唱を聞かせるフレーニ。
ドラマテッィクで、ちょっとのヴィブラートが劇性を醸し出すシントウ。
どちらかといえばフレーニの方が好きだけど、どちらも、甲乙つけがたい名歌唱。

そして要のような存在感を示すギャウロウの朗々としたバス。
51歳で早世してしまった、テッラーニの琥珀に輝やく、そして、少しの陰りをもったメゾ。
あと、元気のいい、でも、思い切りテノール馬鹿を感じさせつつも、まばゆいルケッティ。
欲をいえば、ルケッティとダブルで、ドミンゴかアライサも聴きたかったものだ。

このふたつの演奏に通じる、音楽の密度の濃さ。
そして、途切れることのない緊張感と集中力は、曲が後半に進むにしたがい増してゆき、聴き手をやがて呪縛してしまうことになる。
それを生みだしているのがアバドの指揮なのだ。
ことに、2度目の11日の演奏の、ものすごい熱さといったらない。
絶叫するかのような合唱は、アバドの気迫の指揮と一体化し、かつ絶妙なピアニシモでは、完璧にコントロールされたオーケストラとともに耳が釘付けになる。
 いつものように、静寂やピアニシモで歌う、そんなアバドの真骨頂がここにある。

スカラ座、ウィーン、ベルリンの3つの正規(ライブ)録音に比べてもそん色ない名演奏に思う。
いつか正規音源化を望みたい。
あと、アバドには、ローマでの若き日の演奏(youtubeあり)や、ロンドンでの演奏など、ヴェルレクは数々あり。
あと、かえすがえすも、ルツェルンでも取上げて欲しかったものです。。。。。

「バーンスタイン&ロンドン響 DVD」

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2016年8月 7日 (日)

ブリテン 戦争レクイエム K・ナガノ指揮

Hiroshima_1

広島と長崎に原爆を落とされて71年。

無辜の民間人に対する爆撃は、単なる殺戮にすぎなかった。

同様に、日本各地、内地までへも空襲が激化し、沖縄には上陸戦も。

負けたから、それらはやむなしか。。。。

が、しかし、日本人は、歴史には学ぶが、過去にこだわり執着することはない、そんな人種だと思う。
終わったことはしょうがない、さあ、次・・・、そんな心情を誰しもがいつも持っているのでは。

現職の大統領が初めて広島の地を訪れた今年。

異論はあるかもしれないが、謝罪なくとも、その意義は大きい。
大統領退任後の反核活動のメルクマールともなろうとも・・・・

 自分の身内の死に際しても、わたくしたちは、悲しみながらも、淡々と、日本人ならではの送り方でもって、亡き人への告別をする。
その後は、いろんな折りあいをつけながらも、亡き人と心の中で交流しながらも、自分を生き、そしてまた去ってゆく。

いわば、そんな墨絵のような、派手さはないけれど、決して色あせることのない、日本人の死生観を、いまさらながらに、つくづくと思う、そんな8月。

そして、聴きます、8月は「戦争レクイエム」とヴェルディ。

K_nagano

  ブリテン  戦争レクイエム

    S:エマ・ベル        T:ランス・ライアン
    Br:ラッセル・ブラウン

 ケント・ナガノ 指揮 エーテボリ交響楽団/合唱団

                     (2013.11.22 エーテボリ)


久しぶりの更新だけど、もう書きつくしたこの名作。

優れたこの作品の構成や生い立ちなどは、過去記事にて。

ブリテンの自演盤のみが、唯一の偉大な存在だったこの曲に、多様な演奏が続々と現れるようになったのは、そんなに昔のことではない。

そして、演奏会でもよく取り上げられるようになった。

戦争をしあった国出身で、3人の歌手たちを選ぶということも、いまではあまりなされなくなったし、なによりも、指揮者もオーケストラも多様な顔触ればかりとなった。

今年の「戦争レクイエム」は、放送音源から。

スウェーデンの放送局のネット放送から以前録音したもの。

エーテボリ響の音楽監督を務めるケント・ナガノの指揮で。

ブリテンを得意とするナガノは、かつてハレ管の指揮者のときに、ブリテンをかなり取上げていたけれど、戦争レクイエムは録音しなかったんじゃないかな。
実に共感のこもった、そして緊張感の高い指揮ぶりで、ときおり唸り声も聞かれる、気合充分の演奏。
 エーテボリ響が戦争レクイエムを演奏しているということが、興味深く、聴きものかと思い、それは、親父ヤルヴィのもと、北欧・スラヴ作品ばかり演奏しているイメージがあったから。

しかし、エーテボリ響のHPをのぞいてみて、歴代指揮者を俯瞰してみたら、北欧系の指揮者はもちろんのこと、D・ディクソン、コミッショーナ、デュトワなどなど、アメリカのオケのような指揮者の布陣だったのだ。
さらに、親父ヤルヴィの長期政権のあとは、ヴェンツァーゴ、ドゥダメル君、そしてK・ナガノと続いたわけ。
 でも、残念なことに、ナガノは来年、降りることになっていて、次期指揮者はフィンランドの若手、サントゥ=マティアス・ロウヴァリという30歳のフィンランド出身の人になるらしい。
注目の指揮者のようだ。

そして、はなしは戻って、この演奏、澄んだ響きのエーテボリ響が、明晰なナガノの音楽造りとあいまって、とても耳に新鮮に響いたのだった。
威圧感なく、ブリテンの斬新な音色と、優しい目線を、申し分なく味わえる。
録音も放送とは思えないレヴェルの高さ。

歌手では、去年まで、バイロイトでジークフリートを歌っていたランス・ライアンがユニークだった。
クセのある歌声は、ときにエキセントリックに聴こえるから、戦争の異常さ、切迫感なども妙にリアルに歌いでしているように感じる。
でも、ときにやる気なさそうなところもあるのがライアンの特徴か。

清楚なソプラノ、誠実なバリトンもともによかった。

「Let us sleep now・・・・」(ともに眠ろう・・・・」

「彼らを平和の中に憩わせたまえ、アーメン」

いつ聴いても、耳をそばだて、そして両手を前に組みたくなる、感動的なラスト・シーンに、今年も胸が熱くなった。

過去記事

 「ブリテン&ロンドン交響楽団」

 「アルミンク&新日本フィル ライブ」

 「ジュリーニ&ニュー・フィルハーモニア」

 「ヒコックス&ロンドン響」

 「ガーディナー&北ドイツ放送響」

 「ヤンソンス&バイエルン放送響」

 「ネルソンス&バーミンガム市響」


おまけ

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平和祈念公園は、何度か訪れたけれど、そのたびに見かけて、写真におさめていたのが、この真黒なねこ。

そして、オバマさんが来たときも、厳戒態勢をくぐりぬけて、カメラに映りこんでました。

平和であれ。

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2016年7月10日 (日)

マーラー 交響曲第8番「千人の交響曲」 ハーディング&新日フィル

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もう1週間も前ですが、ほんとに久方ぶりのサントリーホール。

夏、カラヤン広場は、ビアガーデン風になってましたよ。

ありがたいことに、いつもお世話になってます音楽仲間の方から、チケットをお譲りいただきました。

演目は、「千人の交響曲」

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  マーラー 交響曲第8番 変ホ長調 「千人の交響曲」

     S:エミリー・マギー、ユリアーネ・バンゼ、市原 愛

     A:加納 悦子、中島 郁子

     T:サイモン・オニール

     Br:ミヒャエル・ナジ   Bs:シェンヤン

  ダニエル・ハーディング指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団
                    栗友会合唱団
                    東京少年少女合唱団
                    合唱指揮:栗山文昭、長谷川久恵

                      (2016.7.4@サントリーホール)


Music Partner of NJPの称号を持つ、ダニエル・ハーディングのポスト最後の演奏会。
本サントリーホールの前に、本拠地トリフォニーで2回の演奏を重ね、練られ、磨き上げられた3度目の終演。
実に素晴らしい演奏でした。

満席のサントリーホールを、揺るがすような大音量ではなく、そして、この曲がおちいりがちな壮大さだけのこけおどし演奏でもなかった。
満場の聴衆の、それこそ、吐く息や、鳴りそうなお腹さえも聴こえてしまいそうで、それを意識して控えたくなるような、そんな絶妙なピアニシモ。
その静寂の美しさと、静寂での歌心。

そう、わたくしは、ハーディングの背中と指揮姿を見ながら、クラウディオ・アバドのことを思っていた。

オルガン一声、第一部は、わたくしは苦手なのですが、そんな気分を察してくれたのか、さっさと音楽は進行し、バンダ吹き荒れるその終結部も、かなりあっさりと早めのテンポで終了した。
まぁ、ひとつには、久しぶりのコンサートでもあり、心がちょっと虚ろだったこともありますが・・・・。

そして、第2部。
緻密かつ憂いに満ちた冒頭部、そして、オケの右側に登場した二人の神父が情熱的に歌う。
ナジの美声、ただでさえ、この歌が大好きなものだから、わたくしの眼は決壊してしまった。第1次決壊である。
次ぐ冥想する教父は美声ではあるものの、声が届きにくい声質だったかも。

しかし、ここから始まる、千人交響曲のオペラ的な展開は、何度聴いても、没頭できるし、ファウストの物語の源流にある女性賛美、女性的なるものへの憧れ、それを音にしたマーラーの凄さに震える。
 マリアを讃えるテノール、オニールが素晴らしかった。
プロムスやバイロイトの放送で、ワーグナー歌手として認識していたオニールだけど、ちょっと荒っぽい印象を持っていたが、ここでは全然違った。
もっとリリカルで、これもまた美しい声だった。
一方でパワフルな声量も。
 

次ぐ第3部の静かなオーケストラの展開。
ここで、決壊第2波。
何度も聴いてきたエミリー・マギーの豊穣なる声にうっとり。

もうひとりのソプラノ、バンセも連日の猛暑からでしょうか、声にやや疲れを感じたけれど、彼女ならではのリリカルで優しい歌声は魅力的。
 涼しげなオーケストラのパレットも常に素晴らしくって、ハーディングはよく歌わせ、そしてよく抑えていた。

2階席左手から歌った市原さんの聖母の歌声に、はや昇天の気分。
そこに追い打ちをかけるように、マリア崇拝のテノール。
このあたりにくると、もう、ワーグナーのオペラのラストシーンのように、ヘルデンテノールが音楽を締めるような感じで、胸が高鳴ってきて、ここで第3次決壊にいたった。

ハープ、チェレスタが天上の趣きを醸し出し、ピッコロが気持ちをいやがうえでも高めるなか、静寂のなか神秘の合唱。
第4次決壊では、思わず、嗚咽しそうになってしまった・・・・。
高まりゆく感動が、自分でも抑えがたく、あらゆる辛いことや、哀しいことも、すべて飲みこんでしまうように思えてきた・・・・・。

感動の大団円。
お約束のフライングブラボー。
ものすごい拍手の嵐。

そんなことは、もうどうでもよかった。
涙にあふれ、わたくしは、しばらく拍手もできなかった。

 いっさいの無常なるものは、ただ影像たるにすぎず。
 かつて及ばざりしところのもの、ここにはすでに遂げられたり。
 永遠に女性的なるもの われらを引きてゆかしむ

                       
こんな美しい千人交響曲を聴かせてくれたハーディング。
もう10年も前だろうか、マーラー・チェンバーと初来日して、モーツァルトの後期交響曲の鬼気迫る演奏で驚かせてくれた。
 今回の節目のコンサート。
彼は、秋に、パリ管でシューマンの「ファウストからの情景」を取り上げる。

大きな拍手の応えて、マイクをとったハーディングは、これまでのこと、そして3.11のマーラーのことなどを語り、最後は、ちょっと許してねと、ポッケからスマホを取り出し、オケや聴衆をバックに自撮り。
 さらに舞台がひけても、鳴りやまない拍手に応えて、シャツ姿で登場して、われわれとの別れを惜しんでました。

こんな素晴らしいコンサート、Sさん、ほんとうにありがとうございました。

Njp_7

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2016年6月26日 (日)

シェーンベルク、ウェーベルン、ベルク アバド指揮

Ajisai_shiba

関東は、梅雨まっさかり。

そして、ほぼ3ヶ月ぶりの投稿となりました。

幾多の皆さまから、暖かく、そしてご配慮にあふれたコメントを頂戴しながら、まったくご

返信も、反応もしなかったこと、ここに、あらためまして、お詫び申し上げます。

 ともかく、辛く、厳しい日々は、ブログ休止時と変わりなく続いてます。

しかも、予想もしなかったところから、いろんな矢が飛んできたりもします。

やぶれかぶれの感情は、そこから生まれ、音楽なんて、聴くゆとりも、受け入れる感情もありません。

そんな3ヶ月。

 しかし、でも、めぐってきた、「クラウディオ・アバドの誕生日」

存命ならば、今年は、この26日が、83回目。

そんな日に、アバドが生涯愛した、新ウィーン楽派の3人の作曲家を、いずれもウィーンフィルの演奏で聴きます。

Schoenberg_gurre_lieder_abbado

  シェーンベルク  「グレの歌」から 間奏曲、山鳩の歌

長大なグレの歌、全部を聴けないから、この作品のエッセンスとも呼ぶべき、中ほどにある場面を。
1900年に作曲を始め、第3部だけが、オーケストレーションが大幅に遅れ、最終完成は、1911年。
1913年に、シュレーカーの指揮によって初演。

後期ロマン派真っ盛りの作品ながら、最終完成形のときのシェーンベルクは、無調の領域に踏み込んでいたところがおもしろい。
1912年には、ピエロリュネールを生み出している。

むせかえるような甘味で濃厚な間奏曲、無常感あふれる死と悲しみの心情の山鳩の歌。
アバドのしなやかな感性と、ウィーンフィルの味わいが融合して、何度聴いても心の底からのめり込んでしまう。
久々に、音楽に夢中になりました。

アバドのこのライブ録音は、1992年。
88年には、マーラーユーゲントとECユースオケとで、何度も演奏していた。
そして、最後のルツェルンとなった、2013年に、この間奏曲と山鳩を取り上げた。
この最後の演奏が、掛け値なしの超絶名演で、まさに陶酔境に誘ってくれるかのような、わたくしにとってとても大切な演奏となってます。

Abbado_lu

ルツェルンでの最後のアバド。

Abbado_webern_3

  ウェーベルン  パッサカリア

ウェーベルンの作品番号1のこの曲は、1908年の作。

シェーンベルクの弟子になったのが、1904年頃で、グレの歌の流れを組むかのような、これまた濃厚な後期ロマン派的な音楽であり、グレの歌にも増して、トリスタン的でもある。

パッサカリアという古風ないでたちの形式に、ウェーベルンが込めた緻密さとシンプルさが、やがて、大きなうねりを伴って、巨大な大河のようなクライマックスとカタストロフ。

この濃密な10分間を、アバドは、豊かな歌心でもって静寂と強音の鮮やかな対比を見せてくれる。
むせぶようなホルンの効果は、これはまさにウィーンフィルでないと聴けない。

1974年、シェーンベルク生誕100年の年、ウィーンでは、新ウィーン楽派の音楽が数々演奏されたが、そのとき、アバドは、ウィーンフィルとこのパッサカリアや、5つの小品を取り上げ、NHKFMでも放送され、わたくしはエアチェックして、何度も何度も聴いたものだ。
 その音源は、いまも手元にあって、あらためて聴いてみても、若々しい感性が燃えたぎり、ウィーンフィルも、今とはまったく違う、ローカルな音色でもって、それに応じているところが素晴らしい。

Berg_lulu_abbado

  ベルク  交響的組曲 「ルル」

新ウィーン楽派の3人のなかで、一番若く、そして一番早く死を迎えてしまったベルク。

ウェーベルンと同じく、1904年に、シェーンベルクの弟子となり、以降、ずっとウィーンで暮らすことになるベルクだが、ユダヤの出自であった師がアメリカにのがれたのに対し、ベルクはユダヤではない代わりに、その音楽が退廃音楽であるとして、ナチス政権成立後は、その活動にかなりの制約を受けることとなった。

そんななかで、生まれたのが「ルル」。
破天荒な青年時代を送り、ぜんそくに悩まされ、病弱であったベルクは、文学好きということもあって、オペラの素材には、生々しい死がからむ、いわばヴェリスモ的な内容を選択した。
それが「ヴォツェック」であり、「ルル」である。
さらに、晩年の不倫も、「ルル」の背景にはあるともされる。

人生の落後者のような軍人と、魔性の女、ファム・ファタール。
それらが、悲しみとともに描かれているところが、ベルクの優しさであり、彼独自の問題提起の素晴らしさ。

ことに、「ルル」の音楽の運命的なまでに美しく、無情なところは、聴けば聴くほどに、悲しみを覚える。
自分の苦境に照らし合わせることで、さらにその思いは増し、ますます辛く感じた。
そんな自分のルルの聴き方が、また甘味に思えたりするのだ。

「ルル」は、1928~35年にかけての作品。
間があいているのは、アルマの娘マリーの死に接し、かのヴァイオリン協奏曲を書いたためで、ベルクは3幕の途中で亡くなり、未完のエンディングを持つ「ルル」となった。

アバドは、ベルクも若い頃からさかんに指揮していて、70年のロンドン響との作品集に続き、ウィーン時代の94年に、ウィーンフィルといくつもの録音を残している。
ニュートラルなロンドン盤もいいが、やはり、より濃密で、ムジークフェラインの丸みのある響きも捉えたウィーン盤の方が素晴らしい。

ロンド→オスティナート→ルルの歌→変奏曲→アダージョ

オペラの場面をシンフォニックにつないだ組曲に、アバドは、オペラの雰囲気も感じさせる迫真性と抒情をしのばせた。
「ヴォツェック」は何度も指揮したのに、「ルル」は、ついに劇場では振ることがなかった。
ウィーン国立歌劇場時代、上演予定であったが、辞めてしまったため、その計画を実現しなかったから、この組曲盤は、アバド好きにとっては貴重なのであります。

さてさて、暑いです。

まだ梅雨だけど、そぼ降る雨はなくて、晴れか土砂降りみたいな日本。
熊本の地震もあったし、大きな地震への不安は尽きない

ばかな都知事や辞めたけど、疑惑は消えないし、消化不良のまま参院選と、まもなく都知事選が始まる。
矛盾だらけの政治に社会。
 そして、海外へ眼を転ずれば、どこか某国が、偉そうに軍船で領海侵入を繰り返し、虎視眈々と長期計画で持って、ねらってきているし、さらに英国のEU離脱が、世界規模でもって、政治経済に影響を与える流れが進行中。

今後もトピックは、まだまだ続出するでしょうが、ブログ休止してた間に、こんないろんなことが起きてしまう2016年。
「ルル」の原作ではありませんが、「パンドラの箱」が次々に開いてしまうのか・・・・

しばらく、また消えますが、もう事件事故災害は勘弁してください、神様。。。

それでは、また、いつか。

Shiba_8
    

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2016年3月31日 (木)

お知らせ、そして、しばしさよなら

Tokyotower_g

3月31日の、朝に東京タワー。

晴れやかな気分に、桜の花もまみえて、大いに満たされました。

 そして、さよなら。

「さまよえるクラヲタ人」は、しばらく休業いたします。

・・・・・・・・・

言葉に詰まります。

 ほんと、たいへんな日々が続いてます。

音楽を愛する気持ちと、何よりも、それを求める欲求は高いです。

しかし、その、ささやかな想いすら、ままならなくなってしまった。

え~い、もういい!

ですから、ズバッと、みんな切り捨てます。

断腸の思いで。

Tokyotower_h

今年も、遅ればせばがら、桜は、しっかり、ちゃんと咲きました。

 これまでの記事は、このまま。

更新は、しばらくしません、そういうことにしました。

コメントへの返信は、ままならないかもしれません。

ながらく、ありがとうございました。

さようなら。

 そして、あるとき突然、思いのままに、新規記事を起こすかもしれませぬ。

しばし、おわかれです・・・・・・

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2016年3月30日 (水)

大好きなオペラ総集編

Tokyo_tower

桜は足踏みしたけれど、また暖かさが戻って、一気に咲きそう。

まだ寒い時に、芝公園にて撮った1枚。

すてきでしょ。

大好きなオペラ。

3月も終わりなので、一気にまとめにはいります。

Tristan

  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

ワーグナーの魔力をたっぷりと含んだ、そう魅惑の媚薬のような音楽。
この作品に、古来多くの作曲家や芸術家たちが魅かれてきたし、いまもそれは同じ。
我が日本でも、トリスタンは多くの人に愛され、近時は、歌手の進化と、オーケストラの技量のアップもあって、全曲が舞台や、コンサート形式にと、多く取り上げられるようになった。

わたくしも、これまで、9度の舞台(演奏会形式も含む)体験があります。

そして、何度も書いたかもしれませんが、初めて買ったオペラのレコードがこのトリスタンなのであります。
レコード店の奥に鎮座していた、ずしりと重いベームの5枚組を手に取って、レジに向かった中学生を、驚きの眼差しでもって迎えた店員さんの顔はいまでも覚えてますよ。

ですから、指揮も歌手も、バイロイトの響きを捉えた、そう右から第1ヴァイオリンが響いてくる素晴らしい録音も、このベーム盤がいまでも、わたくしのナンバーワンなんです。

次に聴いた、カラヤンのうねりと美感が巧みに両立したトリスタンにも魅惑された。
あとは、スッキリしすぎか、カルロスならバイロイトかスカラ座のライブの方が熱いと思わせたクライバー盤。ここでは、コロの素晴らしいトリスタンが残されたことが大きい。
 それと、いまでは、ちょっと胃にもたれるバーンスタイン盤だけど、集中力がすごいのと、ホフマンがいい。
フルトヴェングラーは、世評通りの名盤とは思うが、いまではちょっと辛いところ。

あと、病後来日し、空前絶後の壮絶な演奏を聴かせてくれたアバド。
あの舞台は、生涯忘れることなない。
1幕は前奏曲のみ、ほかの2幕はバラバラながら聴くことができる。
透明感あふれ、明晰な響きに心が解放されるような「アバドのトリスタン」。
いつかは、完全盤が登場して欲しい。

Ring_full_2

  ワーグナー 「ニーベルングの指環」

わたくしの大好きなオペラ、ナンバーワンかもしれない・・・

興にまかせて、こんな画像を作っちゃいました。

オペラ界の大河ドラマとも呼ぶべきこの4部作は、その壮大さもさることながら、時代に応じて、いろんな視点でみることで、さまざまな演出解釈を施すことができるから、常に新しく、革新的でもある。
 そして、長大な音楽は、極めて緻密に書かれているため、演奏解釈の方も、まだまださまざまな可能性を秘めていて、かつては欧米でしか上演・録音されなかったリングが、アジアや南半球からも登場するようになり、世界の潮流ともなった。

まだまだ進化し続けるであろう、そんなリングの演奏史。

でも、わたくしは、古めです。
バイロイトの放送は、シュタインの指揮から入った。

Bohm_ring1

そして、初めて買ってもらったリングは、73年に忽然と出現したベームのバイロイトライブ。
明けても覚めても、日々、このレコードばかり聴いたし、分厚い解説書と対訳に首っ引きだった。
ライブで燃えるベームの熱い指揮と、当時最高の歌手たち。
ニルソンとヴィントガッセンを筆頭に、その歌声たちは、わたくしの脳裏にしっかりと刻み付けられている。
なんといっても、ベームのリングが一番。

そして、ベーム盤と同時に、4部作がセットで発売されたカラヤン盤も大いに気になった。
でも、こちらと、定盤ショルティは、ちょっと遅れて、CD時代になって即買い求めた。
歌手にでこぼこがあるカラヤンより、総合点ではショルティの方が優れているが、それにしても、カラヤンとベルリンフィルの作り上げた精緻で美しい、でも雄弁な演奏は魅力的。

あと、忘れがたいのが、ブーレーズ盤。
シェローの演出があって成り立ったクリアーで、すみずみに光があたり、曖昧さのないラテン的な演奏だった。歌手も、いまや懐かしいな。
 歌手といえば、ルネ・コロのジークフリートが素晴らしい、そしてドレスデンの木質の渋い響きが味わえたヤノフスキ。

舞台で初めて味わったのが日本初演だったベルリン・ドイツ・オペラ公演。
G・フリードリヒのトンネルリングは、実に面白かったし、なんといっても、コロとリゲンツァが聴けたことが、これまた忘れえぬ思い出だ。

舞台ではあと、若杉さんのチクルスと、新国の2度のK・ウォーナー演出。
あと、朝比奈さんのコンサート全部。
みんな、懐かしいな。。。

以下、各国別にまとめてドン。

ドイツ

 モーツァルト   「フィガロ」「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」「魔笛」

 
 ワーグナー   「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」 「ローエングリン」
           「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
            「ニーベルングの指環」「パルシファル」

 ダルベール   「低地」

 R・シュトラウス 「ばらの騎士」「ナクソスのアリアドネ」「影のない女」「アラベラ」
            「ダフネ」「ダナエの愛」「カプリッチョ」

 ツェムリンスキー 「フィレンツェの悲劇」 (昔々あるとき、夢見るゾルゲ2作は練習中)

 ベルク      「ヴォツェック」「ルル」

 シュレーカー   「はるかな響き」 「烙印された人々」「宝探し」

 コルンゴルト  「死の都」「ヘリアーネの奇蹟」「カトリーン」

 ブラウンフェルス 「鳥たち」

 レハール    「メリー・ウィドウ」「微笑みの国」

イタリア

 ロッシーニ   「セビリアの理髪師」「チェネレントラ」

 ヴェルディ   「マクベス」「リゴレット」「シモン・ボッカネグラ」「仮面舞踏会」
           「ドン・カルロ」「オテロ」「ファルスタッフ」

 カタラーニ   「ワリー」

 マスカーニ   「イリス」

 レオンカヴァッロ  「パリアッチ」「ラ・ボエーム」

 プッチーニ   「マノン・レスコー」「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」「三部作」
           「ラ・ロンディーヌ」「トゥーランドット」

 チレーア    「アドリアーナ・ルクヴルール」

 ジョルダーノ  「アンドレア・シェニエ」「フェドーラ」

 モンテメッツィ 「三王の愛」

 ザンドナーイ  「フランチェスカ・ダ・リミニ」

 アルファーノ  「シラノ・ド・ベルジュラック」「復活」

 レスピーギ   「セミラーナ」「ベルファゴール」「炎」

フランス

 オッフェンバック 「ホフマン物語」

 ビゼー      「カルメン」

 グノー      「ファウスト」

 マスネ      「ウェルテル」

 ドビュッシー   「ペレアスとメリザンド」

イギリス
 

 パーセル   「ダイドーとエネアス」

 スマイス    「難破船掠奪者」

 ディーリアス  「コアンガ」「村のロメオとジュリエット」「フェニモアとゲルダ」

 R・V・ウィリアムズ  「毒の口づけ」「恋するサージョン」「天路歴程」

 バントック   「オマール・ハイヤーム」

 ブリテン    「ピーター・グライムズ」「アルバート・ヘリング」「ビリー・バッド」
          「グロリアーナ」「ねじの回転」「真夏の夜の夢」「カーリュー・リバー」
          「ヴェニスに死す」

ロシア・東欧

 ムソルグスキー 「ボリス・ゴドゥノフ」

 チャイコフスキー 「エフゲニ・オネーギン」「スペードの女王」「イオランタ」

 ラフマニノフ    「アレコ」

 ショスタコーヴィチ 「ムチェンスクのマクベス夫人」「鼻」

 ドヴォルザーク   「ルサルカ」

 ヤナーチェク    「カーチャ・カヴァノヴァ」「イエヌーファ」「死者の家より」
             「利口な女狐の物語」「マクロプロス家のこと」

 バルトーク     「青髭公の城」

以上、ハッキリ言って、偏ってます。

イタリア・ベルカント系はありませんし、バロックも、フランス・ロシアも手薄。

新しい、未知のオペラ、しいては、未知の作曲家にチャレンジし、じっくりと開拓してきた部分もある、わたくしのオペラ道。
そんななかで、お気に入りの作品を見つけたときの喜びといったらありません。

それをブログに残すことによって、より自分の理解も深まるという相乗効果もありました。

そして、CD棚には、まだまだ完全に把握できていない未知オペラがたくさん。

これまで、さんざん聴いてきた、ことに、長大なワーグナー作品たちを、今後もどれだけ聴き続けることができるかと思うと同時に、まだ未開の分野もあるということへの、不安と焦り。
もう若くないから、残された時間も悠久ではない。
さらに、忙しくも不安な日々の連続で、ゆったりのんびりとオペラを楽しむ余裕もなくなっている。
それがまた、焦燥感を呼ぶわけだ。

でも、こうして、総決算のようなことをして、少しはスッキリしましたよ。

リングをいろんな演奏でツマミ聴きしながら。。。。
 

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2016年3月27日 (日)

バッハ マタイ受難曲

Tokyo_tower_4

桜の季節は、イースター週間と重なりました。

キリスト教徒国にとっては、クリスマスと並ぶ一大祭で、長いお休みがある。

この時期、欧米系の外国人の方々の観光客も多くみかけるのも、そのため。

日本では、クリスマスはあんなに大騒ぎするのに、復活祭はまったく話題になりません。

大好きな音楽、そして、もっとも大切な音楽のひとつ。

偉大な、バッハのマタイ受難曲。

Bach_matthaus

  J・S・バッハ  「マタイ受難曲」 BWV244

人類に残された音楽の至芸品。

それが、バッハのマタイ。

わたくしもご多分にもれず、最大級に愛する音楽として、ワーグナーやディーリアスの音楽とともに双璧の存在です。

イエス・キリストの受難劇。

すなわち、イエスの捕縛から、十字架上の死、そして、埋葬後の復活までを淡々と音楽で描く作品であるが、それがキリスト者のための音楽だけにとどまらず、人類普遍の、そして人間の存在の核心をついたという意味で、まさに人類のために存在する音楽作品なのだ。

 テキストは新約聖書のマタイ伝。

劇的でありつつ、ほかの伝記に比べて一番内省的かもしれない。

そんな聖書にバッハは、途方もなく感動的な音楽をつけた。

イエスの受難の物語を語る福音史家は淡々と、でも、ときに聖句に劇的な歌い口を示します。
その客観的な存在が、イエスへの同情、人間への問題提起を求めるさまが、ほんとうに鋭く、魂が揺さぶられる。

むごい感情をむき出しにする群衆と、聖なる清らかな合唱の二律背反が生むドラマティックな落差。

ソロ歌手たちの切実なアリアたちが、受難劇の進行のなかで、われわれ聴き手・人間たちの心に寄り添いつつも、その悲しみへの共感をよりそそる。

 マタイ受難曲、最大の聴きどころは、ペテロの否認の場面。
イエスを知らないと、イエスの予言通りに3度言ってしまうペテロ。
そのあと、にわとりが鳴き、イエスの預言が成就することで、激しく泣くペトロ。
「憐れみたまえ、わが神よ」
アルト独唱の名アリアは、それを聴くわれわれも、だれしもが思う自戒の念にとらわれ、心揺さぶられる。
わたくしは、必ず、泣いてしまう。

Richter

マタイといえば、リヒター
リヒターといえば、マタイ。

そんな図式が、6~70年代には行きわたっていて、わたくしも、同じく、そんな洗脳に近い想いに凝り固まっていた人間のひとりです。

人を寄せ付けないまでの峻厳、厳格なバッハ。
イエスをめぐる人間ドラマも容赦なく、切れ込みは鋭く、その一方で、その視線は鋭く、そして優しい。
重い足取りで始まる大ドラマも、最後は悲劇にあふれながらも、聴く人を包み込み、次へと羽ばたけそうな、大きな翼を与えてくれるような、後押しの巨大な力にあふれている。
そんな「ドラマ」に満ち溢れている、「リヒターのマタイ」なのであります。

これまた絶対的なエヴァンゲリストとしての存在であった、ヘフリガーの禁欲と情感、ともに満ち溢れる福音史家が完璧すぎる。
テッパーのアルトを始め、歌手たちも、ともかく素晴らしいリヒター旧盤。

つぎに、若き日に、マタイにより親しんだのが、リリングとシュトットガルトとの来日公演の放送。
明るい歌にあふれたリリングの指揮は、クラウスの福音史家とともに、何度もテレビ放送されたなか、マタイが完全に血肉化されるのを感じました。
聖書も全体を読み、ますます、マタイ受難曲への理解が進んだ大学生の時代です。

そのあとのマタイ遍歴は数々あれど、いつも戻るのはリヒター。

でも、柔らかで、ドイツの教会のひとコマを思い起こさせてくれるヨッフム盤。
ここでは、ヘフリガーが相変わらず素晴らしいのと、コンセルトヘボウの伝統あふれる木質の響きがなんとも美しいのです。

CD時代に購入した、リヒターと違う意味での峻厳なレオンハルト盤。
そこでは音楽が息づき、バッハの楽譜優先のピュアな再現がかえって、音楽に力を与えているようだった、

あと、明るく伸びやかなヘルヴェッヘ盤。
新鮮な響きのなかに、市井の人々の緩やかな毎日までも感じさせてくれる。

 
旅行鞄に、余裕があれば、この4つを持って行きたいマタイ。

でも、ひとつと言われたら、そう、あれしかないですね。

 あと、アバドのマタイを是非聴きたいものだが、ベルリンでの音源、なんとかならないものか・・・・・

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