モーツァルト 五重奏曲 K452 プレヴィン
もう散ってしまったが、モッコウバラ。
細かい花びらがびっしり、枝垂れるように咲く春~初夏のお花です。
モーツァルト ピアノと木管のための五重奏曲 変ホ長調 K.452
ピアノ:アンドレ・プレヴィン
オーボエ:ゲルハルト・トゥレチェク
クラリネット:ペーター・シュミードル
ホルン:フォルカー・アルトマン
バスーン:フリードリヒ・ファルトル
(1985.4 @ウィーン)
シュトラウスに独占された耳を洗い流してリセットさせてくれる音楽。
やはりモーツァルトはいい。
あれこれ、頭を使うことも、詮索・研究することもいらない。
心のままに聴くことができる音楽、それがモーツァルト。
音楽の神様は偉大だ、ワーグナーやシュトラウスのような音楽も、バッハやモーツァルトのような音楽も、多様な作曲家たちも世につかわせて下さった。
いつになく、そんな風にも思いながら、このよどみない、清潔な音楽を聴いた。
1784年の作品で、ピアノ協奏曲の16番と17番に挟まれた曲。
サロンでもてはやされたモーツァルト、協奏曲的な要素を持ち込み、ピアノと管楽器との絡み合いの妙を楽しませてくれる音楽。
変ホ長調というくったくのない、深刻さもない、まったくもって明るく、のびやかな作品でありました。
3つの楽章で、冒頭は、ラルゴのまるで緩徐楽章のような前奏があって、これはピアノソナタに木管の伴奏がついたかのような印象。
あとの主部の穢れない無垢なる音楽はステキだ。
2楽章では、ピアノをともなった、木管楽器のそれぞれの魅力と持ち味が堪能できる。
朝ごはんを食べながら聴くと、実に幸せな気持ちになれる。
ピアノ協奏曲の3楽章のようなロンド形式の清潔な終楽章。
プレヴィンのマイルドなピアノに、ウィーンのまろやかな木管。
聴いていて目に浮かんでくる、ウィーンフィルの奏者たちのあの音色がここに。
それと混然一体となった、同質の音楽性を持ったプレヴィン。
音楽家プレヴィンの優しい本質がうかがえる演奏でありました。
ありがとうプレヴィン、ありがとうモーツァルト、そしてありがとうウィーン。
なんかね、これ聴いてて、ウィーンに行きたくなりました。
もうこの歳になったら無理だろうけど。
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