2021年10月19日 (火)

エディタ・グルベローヴァを偲んで

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 エディタ・グルベローヴァが亡くなりました。

2021年10月18日、チューリヒにて、享年74歳の早すぎる死。

とても寂しい。

今朝はやく、訃報を知り、自分の音源の中から、ベルカントの女王と呼ばれた彼女の歌をいくつか聴き、偲びました。

上のニュースは、グルベローヴァが2019年に引退の舞台に選んだ劇場のある、バイエルン放送局の訃報。

下は、同じく、長らく活躍したウィーンのオーストリア放送局のもの。

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わたしは、残念ながら、その舞台に接することができませんでした。

日本の歌劇団にもよく来日してましたが、残念だったのは、1980年のウィーン国立歌劇場の来演での、「ナクソスのアリアドネ」を逃したこと。
ベームの指揮もさることながら、グルベローヴァのツェルビネッタ、ヤノヴィッツのアリアドネに、キングのバッカスという、錚々たる顔ぶれ。
わたしは、就職の前年で、オペラ観劇なんて状況ではなかった・・・・
 しかし、NHKで放送された音源は、いまでもちゃんと持ってます。

Wien

だから、わたしには最高のツェルビネッタは、グルベローヴァ。

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ザルツブルク音楽祭でのサヴァリッシュの音盤は、さらに完璧な歌唱。
唖然とするくらいのテクニックで、やすやすと転がるように歌うグルベローヴァだけど、感性豊かで、無機的になることなく、暖かな歌唱でどこまでも美しく、聴く人に安らぎとある意味、快感さえ与えることになる。

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あとは、なんといっても、グルベローヴァの名前を高めることになった、夜の女王。

決して悪い女王と思えなかった、愛情もありつつ、苦しむような女王を歌った。

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手持ちのグルベローヴァの音源の一部。
マリア・テュアルダ、ミュンヘンでの最後の演目、ロベルト・デヴリュー、清教徒、狂乱の場、モーツァルト、ハイライト集。

いずれゆっくり聴きたいけれど、R=コルサコフや、こうもりのチャールダシュなど、エキゾチックな役柄も抜群にうまかったし、ステキにすぎる。

大至急に書いてしまった記事ですが、グルベローヴァの死に、一刻も早く、彼女の声が聴きたかったから・・・・・

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                                                       (Winer Staastoper)

エディタ・グルベローヴァさんの魂が安らかならんこと、お祈りいたします。

(1946.12.22~2021.10.18)

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2021年10月10日 (日)

バックス 交響的変奏曲 フィンガーハット

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賞味期限切れたけど、今年の彼岸花

9月20日のものですが、その1週間前には影もかたちもなかった。

突然、ぐわーっと咲いて、すぐに枯れてしまうのも彼岸花、またの名を曼殊沙華。

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美しいけど、怪しいね、彼岸花。

イギリスにもあるのかな?

アーノルド・バックス(1883~1953)の協奏曲的作品を。

少しの暑さも感じる初秋にふさわしい音楽。

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  バックス ピアノとオーケストラのための交響的変奏曲

      Pf:マーガレット・フィンガーハット

   ブライデン・トムソン指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

    (1987.1.7,8 @オール・セインツ教会、トゥーティング、ロンドン)

バックス中期の名作。
心臓の病持ちであったバックスは、第1次大戦に召集されず、その間、多くの交響詩やヴァイオリンやヴィオラのソナタなどを作曲。
こうした作曲活動のなか、バックスの人生に大きな転換期を告げる、出会いがあった。
妻と子がありながら、ピアニストのハリエット・コーエンと恋に落ち、彼女との関係は生涯続くこととなる。
最初は、いわゆる浮気、やがてその関係が強い友情となり、やがて切り離せない音楽パートナーとなる二人の関係。
バックスのピアノとオーケストラのための作品は5曲あり、いずれもコーエンを念頭に書かれてます。
1948年には、グラスで怪我をしてしまい、右手でピアノが弾けなくなった彼女のために、バックスは左手のための協奏曲を残してます。
 ちなみに、イケメン、バックス、1920年代半ば、コーエンとの関係のほかに、もうひとり、若いメアリー・グリーブスという愛人もできて、彼女はバックスが亡くなるまで尽くしたという。

こんな恋多き、ロマンス多しバックスの交響的変奏曲は、コーエンとの愛の産物のような存在なのですが、その夢幻かつ神秘的な雰囲気からは、甘味な恋愛感情のようなものは感じられない。
1916年より作曲を開始、ピアノ版は1917年に完成、1919年にオーケストレーションを済ませ、1920年に、コーエンのピアノ、ヘンリー・ウッドの指揮により初演。
しかし、スコアは刊行されず、第2次大戦で損傷を負ったりもして、1962年にスコアは復元されされ蘇演。
1970年に、ハットーのピアノとハンドレーの指揮で録音され、これがしばらく唯一の録音だった。
シャンドスのバックス・シリーズを担ったB・トムソンの指揮による1枚が今宵のCD。

ふたつの部分からなり、6つの変奏と1つの間奏曲からなる50分の大曲。

  第1部
   ①テーマ
   ②変奏曲Ⅰ 若者
   ③変奏曲Ⅱ 夜想曲
   ④変奏曲Ⅲ 闘争
  第2部
   ①変奏曲Ⅳ 寺院
   ②変奏曲Ⅴ 遊戯
   ③間奏曲  魔法
   ④変奏曲Ⅵ 勝利

それぞれの変奏曲にはタイトルがついているけど、それと音楽の曲調とマッチングさせて聴く必要もないように思う。
朗々として、そしてかつミステリアス、ケルト臭ただよう、スモーキーフレーバーのようないつものバックスサウンドに身をゆだねて聴くに限る。
バックス研究家は、この作品が、ケルトから北欧へのバックスの志向のターニングポイントになっているとします。

冒頭の主題からして、郷愁さそうバックスサウンド。
オケが懐かしそうなテーマを奏でると、そのあとから、詩的なピアノがアルペッジョで入ってくる。
この雰囲気ゆたかな出だしを聴いただけで、この作品のエッセンスは味わえるものと思う。

1910年に書かれた第1番のヴァイオリン・ソナタから引用も変奏曲のなかにはあります。
このソナタもメロディアスで懐かしい雰囲気なのですが、ピアノと響きあふれるオーケストラで聴くと極めてステキな様相を呈します。
ソナタの冒頭には、イェーツの詩の一部が書かれている。
「A pity beyond all telling is
       Hid in the heart of love」
それと、1916年に書かれた歌曲「別れ」からの引用もあるようで、そちらの曲は、まだ聴いたことがありません。

年代を考えると、古風なバックスの音楽スタイルですが、ともかく美しく、懐かしい。
フィンガーハットの詩情あふれるピアノと、バックスの伝道師、シャープな音楽造りのブライデン・トムソンの指揮が素晴らしい。

バックスの7つの交響曲は、この作品のあとから作曲が始まります。
オペラ以外のジャンルにすべてその作品を残したバックス。
シャンドスレーベルのシリーズは、だいたい揃えました。
DGやEMIなどのメジャーや、メジャー演奏家が決して取り上げない、そんなバックスが好きであります。

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暑さ寒さも彼岸まで、なんてのは今年に限りあてはまらない。

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2021年9月25日 (土)

マーラー 交響曲第10番

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日はたってしまいましたが、9月9日は「重陽の節句」で、旧暦でいくと10月の半ば、その頃の旬のお花は「菊」。
5つあるお節句の最後にあるための行事で、この菊が使われたとのこと。
菊は、邪気を払い、長寿の効能があるとされたところから、重陽の節句でも邪気退散と長寿の願いを込めるとされているのだそうです。

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この日の東京タワーも、6色のカラーで、重陽の節句を祝うライトアップがなされました。

おりからの曇天。

低い雲に、タワーのてっぺんのオレンジ色の光が反映して、とても幻想的なのでした。

マーラー10番、自分のなかで、より理解を深めるため、たくさん聴き、自分のためにもまとめてみました。

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ベルクの「ルル」は、1935年のベルクの死により未完なり、残された3幕は、未亡人の反対を無視するように、密かに補筆完成され1979年に初演された。
その24年前の1911年、マーラーは10番の交響曲の総譜をスケッチ状態でをあらかた残しながら、51歳で亡くなる。
マーラーはアルマに、残したスコアを焼却処分するように言い残したとされますが、アルマはそうはせずに保有した。
このアルマの判断に、われわれ後世の愛好家はどれだけ感謝すればいいんだろう。

1924年、全楽章の自筆資料が出版。

アルマは、クルシェネクに補筆完成を依頼し、1楽章と3楽章だけが完成。

アメリカ人のカーペンターが1949年に全曲を完成、その後6稿まで修正を重ねる。

イギリス人ジョー・フィーラーは、1955年に補筆完成、さらに4稿まで進め、没したあとも第3者が新稿を96年まで手を加える。

イギリスの音楽学者、デリック・クックが、マーラー100年に向けた小冊子作製と10番のお試し演奏的なものにむけた補筆をBBCから1959年に依頼を受ける。
ゴルトシュミットの助けを受け着手してみると、全曲の補筆が可能とわかり、この際全編完成させることとなった。
1,3,5楽章を全曲、2,4楽章は欠落があったので解説でつなぎ、BBCでフィルハーモニーア管の演奏で放送。
しかし、お試しで始めた経緯もあり、存命だったアルマの了解は取っておらず、アルマは再度の演奏を禁じる差し止めを行う。
クックは継続して欠落部を完成させ、1963年指揮者ハロルド・バーンズらが、ニューヨークに住むアルマのもとへ、BBCで放送されたテープと完成された版を持って訪問。
これを聴いたアルマは感激し、さらに終楽章をもう一度聴いて、素晴らしいと感嘆したという。
晴れてアルマの諸諾を得たクックは、全曲演奏可能な第2稿を完成させ、1964年ゴルトシュミット指揮ロンドン響で世界初演。
アルマは、その年の12月に亡くなります。
さらに1972年、クックは第3稿を完成させ、モリス指揮ニューフィルハーモニア管でレコーディングもされた。
クックは1976年に没するが、ゴルトシュミット、コリン・マシューズ、デヴィット・マシューズの3人が、1989年にクックの意匠を受け継ぎ修正を加え第3稿第2版を完成させ、いまのところ、この版が10番のスタンダードともなっている。

クックの初版を聴いて、大いに関心を抱いたアメリカの音楽学者レモ・マゼッティは、一時カーペンターにも協力していたが、喧嘩して自身の手で86年にマゼッティ版を完成。89年に初演、さらにその後マゼッティ第2版が出る。

2000年、ブルックナーの9番を補筆完成させた、二コラ・サマーレとジュセッペ・マッツーカの二人による版が完成。

⑦カステレッティによる室内オケ版、若いユダヤ系指揮者ヨエル・ガムゾウ版など、まだまだ新しい版が出てくる状況。

今回、全部は揃え、聴くことはできなかったけれど、作者亡くなって110年、こうしてまだ新しく耳に響く版が登場する可能性のある曲、なんて夢があるんでしょう。
それもこれも、原曲のマーラーの筆が素晴らしいからです。

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1907年末、ウィーン国立歌劇場を追われ、ニューヨークへ出向き、メトロポリタン歌劇場で活動するようになる。
このとき、千人交響曲も完成するが、この滞在中にマーラーは、忘れえぬ体験をする。
火事で殉職した英雄的な消防士の葬列を、ホテルの高層階の窓から見聞きすることとなった。
軍人などへの弔意は、空砲を打って示す場合があるが、ニューヨークの街中では、それはできず、大太鼓に布をかけて鳴らした。
それを見て、聴いたマーラーは涙したそうだ。
アルマの著作によると、「消音を施したドラムの短い響きの印象はマーラーの心に焼き付いて、のちの10番の交響曲に使われることとなった」とされます。
4楽章の最後と、5楽章の冒頭での大太鼓の一撃。
補筆完成版が、前述のとおりまとめてはみたものの、いまだによく把握できてないワタクシですが、太鼓を省略したり、太鼓のたたき方も版によってそれぞれ。
漫然といつも聴いてしまう自分なので、版による違いなんて、ここに詳細は説明できませんです。

消防士追悼の太鼓を聴いたのが1908年2月、春・夏はヨーロッパで「大地の歌」を作曲、秋・冬はアメリカのシーズンでオペラとニューヨークフィル。
翌1909年の夏には、トプラッハで第9交響曲をだいたい仕上げ、秋にニューヨークで完成。
こんな風に、半年交代でヨーロッパとアメリカを行き来し、忙しい指揮活動と作曲活動を併行していた。
1910年夏、同じようにトプラッハで10番の作曲を始め、9月には千人交響曲の初演の指揮を行い大成功。
その年の夏に、10番の作曲に挑んでいた頃、アルマは建築家グロピウスに出会っていた。
グロピウスはアルマに求愛し、マーラーのもとに帰っていたアルマを追ってやってくる。
二人の関係を悩み苦しんでいたマーラーは、多忙もたたり体調もすぐれず、フロイトの診断を受けたりで心労は多大であったろう。
10番の完成はそのままに、アメリカに戻り、ニューヨークフィルとの演奏に埋没するが、1911年2月敗血症により倒れ、4月にパリを経由してウィーンに帰宅。
5月18日死去。

今回、こうしてマーラーの最後の4年ぐらいを紐解いていて、悲しくなりました。
全霊を込めて作曲し、指揮をし、そして妻を愛したマーラー。
第三者の手を経たとはいえ、マーラーがこんな風に完成させたと思われる10番が、ほんとに愛おしく思えます。

最近聴いた2枚のクック第3稿第2版によるアメリカの演奏をメインに取り上げてみました。

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  マーラー 交響曲第10番 嬰ヘ長調(クック第3稿第2版)

    オスモ・ヴァンスカ指揮 ミネソタ管弦楽団

          (2019.6 @オーケストラホール、ミネアポリス)

シベリウスの専門家みたいに思ってたヴァンスカさん、ミネソタ管とマーラーシリーズに取り組んでおられた。
不覚にも、この10番が初ヴァンスカ・マーラーでありました。
これが実によろしい。
構えることなく、自然体で、9番のあとにくる10番としてのマーラー作品を、誠実に、全身全霊でもって取り組んでいるのがわかる。
ミネソタ管の労使対立にともなう楽員解雇問題で、辞任して身を挺して抗議したヴァンスカさん、問題決着後、再びミネアポリスに戻り、楽員との結びつきを強めた。
そんな指揮者とオーケストラの信頼の証のような、隙のない緻密かつ、美しい演奏。
手の内に入ったシベリウスの演奏と同じように、シベリウスとはまったく違う音楽のマーラーの語法を完全に納め、音の隅々まで目を光らせ、すべてが効果的に機能している感じで、クック版の代表的な演奏として、いやマーラーの思った10番の姿として万全なものだと思う。
4楽章の最後にちゃんと大太鼓あり、録音も極上でズシンとよく響いてくれる。
(太鼓の音はレヴァインが一番好きだったりします)
ヴァンスカさん、来年の任期でミネソタ管を去るようで、ソウルのオケも兼任中なのでどうなりますか。

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  マーラー 交響曲第10番 嬰ヘ長調(クック第3稿第2版)

   トーマス・ダウスゴー指揮 シアトル交響楽団

      (2015.11.19~22 @ベロニア・ホール、シアトル)

デンマーク出身のダウスゴーにはまり中。
集中して集めてます、シューベルト全曲に、ブラームスにブルックナー、チャイコフスキーにドヴォルザーク、ワーグナーにシュトラウス、そして同郷のランゴーなど。
BBCスコテッシュの指揮者も務めているので、BBCでの放送も多く、かなり録音して聴いてきたし、2019年の同響との来日では5番の交響曲を聴くことができた。
いつものとおり、速いテンポをとり、ずばずばと切り込みつつ、情念的なマーラーとは一線を画した清冽かつ明快な演奏。
細部への目の通し方も配慮が行きとどいているのもダウスゴーならではで、透明感あふれるなかに、抒情的な場面を見事に引き立てる。
終楽章の最後のカタストロフィのあと、静寂ななかに淡々とあの美しいフルートで奏でられた旋律が流れ、じわじわと感銘が忍び込んでくる。
そして愛の叫びのような弦のユニゾンに思い切り落涙することとなる。
この透徹した演奏の先に、新ウィーン楽派たちの音楽を見ることも・・・・・
こちらも録音がよろしく、シアトル響のCDはすべて高音質優秀録音で、容赦ない大太鼓がドカンときます。
個人的にダウスゴー盤がいまは一番好き。

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・レヴァインはフィラデルフィア管ととんでもなく美しい10番を残してくれた。
いい時期に録音してくれたものです(78、80年クック第3稿1版)

・ラトルは録音がイマイチなベルリンフィルより、若武者ぶりがたくましいボーンマス響の方がいい。
4楽章最後の太鼓はなしだが、カッティングのせいか、5楽章頭にきてる。(クック3稿1版)
ラトルには、バイエルンで再度、ついでにマーラー全曲もやってほしい。

・ザンデルリンクは東ドイツ時代の太くてたくましい演奏だが、独自の解釈もあり、いまでも新しい風が吹いてる感じ。(クック3稿1版)

・インバルは、都響のものは未聴で聴いてみたい。92年録音は以外と無難な感じなので(クック3稿1版)

・ハーディング&ウィーンフィル、この曲の決定的な名演だし、この演奏で私も10番に目覚めた。
ウィーンのオケなところも魅力で、スタイリッシュなハーディングの指揮にもその音色がぴったり(クック3稿2版)

・セガン盤は、気ごころしれたモントリオールの仲間たちと、美にこだわったような演奏。
いろいろ聞いたけど、ちょっとカジュアルに、そしてビューテフルに過ぎるかとも思うようになった(クック3稿2版)

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セガン氏は、長く務めたロッテルダムフィルで、自分の好きなレパートリーを多く取り上げ、DGからアンソロジー的な一組を出しました。
この10番を始め、ブルックナー8番、ショスタコ4番など、重量級の演目。
モントリオールが2014年、こちらのロッテルダムが2016年だが、あまり演奏は変わらない感じ。
わかりやすい音楽を作るセガンらしく、10番の最大公約数的な演奏だけど、ロッテルダムは、映像でも視聴出来て、没頭して指揮する姿やオケの前向きな姿勢などを見ながら聴くとまた違った印象を受けます。

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セガン氏、10番がよっぽど得意なようで、ロッテルダムの翌年、今度はバイエルン放送響で取り上げました。
前半がエーベルレのヴァイオリンでベルク、後半がマーラーです。
こちらは映像で視聴してますが、やはりミュンヘンのオーケストラは素晴らしく、これまでのセガンの演奏の数倍オケが力を与えてます。
オケの優れた機能性を得て、表情豊かにヴィヴィッドな演奏を繰り広げていて、全体に明るさと、暗さと、虚無感、寂寥感、いずれのいろんな感情を披歴してくれるように感じます。
フィラデルフィアでも10番を演奏しているようなので、いずれの日にか、もっとさらに熟した録音を残して欲しいものです。

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クック版を選択しなかった指揮者たちによる演奏。
もうね、こんだけあると、まとめて聴いてもなにがなんだかわからない。
10番漬けの日々から解放されたいので端折ります。

・賑やかでお笑いも含むとされるカーペンター版は未聴。

フィーラー版、オルソン指揮のポーランド放送オケがちゃんと入手できる唯一の存在。
打楽器がいろんなところに(1楽章さえ)顔を出し、戸惑いは隠せないが、存外にマーラーっぽくて、大地の歌と第9の流れに存在する音楽と感じさせる。

・マゼッティ版の第1版は、スラトキンの指揮。
打楽器による補強が多々あり、薄いとされるクック版を分厚さで補った感じだけど、賑々しさも伴うことに。
スラトキン自身の解説による各版の違いの演奏付き解説など、これはとてもありがたい。
セントルイス響が一番うまかった時期の録音(94年)

・マゼッティ版第2版のロペス・コボス&シンシナティ響は2000年の録音。
打楽器の多用を抑制し、こちらはかなり落ち着いた感じになった。
最期のカタストロフィで思い切りシンバル叩き、最後の盛り上がりでもドロドロと太鼓が鳴る、そんな1版より、効果を損ねるものは抑制され、すっきりした感じだ。これは好きかも。
初のリング通し体験をさせてくれたロペス・コボスも、いまは故人となった。
シンシナティ時代のブルックナーやマーラーを聴き返したいと思ってる。
わたしのワーグナー体験の恩人のひとりだ。
そんなことを思い、ラストシーンを聴いてたら泣けてきた、コルンゴルトみたいな感じ。

・サマーレ&マッツーカ版によるジークハルトとアーネムフィルの演奏。
なんたって録音が優秀、でも版はクック版をベースにして、重層化した感じにとどまるかな。
マーラー風と最初は思ってたけど、でも、今回、数回聴いてこれもありだなと思うようになった。
このあたり、演奏の練度によって将来変わってくると思うが、しかし、世の中はクック3-2が主流になっていくんだろうな・・・・

・と思っていたら、出てきたガムゾウ君。
イスラエル出身の若手指揮者で、今年まだ32歳。
23歳のときに、10番のガムゾウ版を作り上げ、2010年に初演。
CDは持ってないけど、2019年8月のブレーメン・フィルとの演奏をドイツ放送のネット放送で録音しました。
こりゃ驚きました。
トランペットソロが、まるでジャジーな吹き方をしてびっくり。
ニューヨークでマーラーはジャズを聴いたのか。。。と思わせるほど。
でも、全体にお遊びは少なめで、かなり真摯なマーラーが出来上がっていて、きっと少年時代からマーラーを聴き、心酔し、一体化してしまったであろうほどの堂に入った補筆稿であると思うし、のめりこんだような熱く夢中の演奏なのだ。
youtubeにガムゾウ氏がカッセルのオケを指揮した10番があがってます。
カメラワークが最悪で、譜面を持たない(読めない?)カメラマンだと思われ、かなりイライラ感が募りますが、若いガムゾウ君の指揮姿が面白い。
汗だくで、ショルダーベルトをしないものだから、白シャツがズボンから丸々出ちゃってる。
見ていて、マーラーもさもあらんと思い、ガムゾウ君の思いが伝わります。
有能な指揮者でもあったマーラーは、指揮者としての作曲家だったので、ガムゾウの見た10番も、今後進化しそうで楽しみです。
 最近のウィーン交響楽団との共演もあり、コロナ禍のこちらはネット配信用のもので、「魔弾の射手」とコルンゴルトの交響曲(緩徐楽章のみ)が視聴できます。
ポロシャツなので、さすがに大丈夫ですが彼の音楽の志向がわかるというものです。

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この思い出深い1枚も大切です。
金聖響さんが、神奈川フィルの常任指揮者だったとき、マーラーチクルスを敢行し、これは全部聴きましたが、オーケストラにとっても団結と成長の礎となったのでした。
財団法人の見直しにより、多くの債務を抱え存続の危機に見舞われた時期にあたりました。
基金を設立し、オーケストラも、われわれ聴き手も毎月、祈るように存続を願いつつ聖響&神奈川フィルのマーラーを聴いたものでした。
併行していろんなことがあったけれど、音楽面における聖響さんとマーラー、そして神奈川フィルのマーラーへの相性は抜群で、そのラストひとつ前を飾る10番クック版の演奏会に、わたくしは、嗚咽するほどに感動の涙を流しました。
2013年2月です。
2014年には楽団存続が決定し安堵しましたが、不安ななかに、希望を見出すようにして聴いた10番のライブが、日本人演奏として初めてCD化され、あの日の感動の縁を手元に残すことができてほんとうに嬉しいのです。
演奏も集中力を切らさない、緊張と力に溢れたもので、あわせて愛にも満ちてます。

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マーラー10番、次はどんな演奏、いやどんな版が出てくるのか?
時代や、いまをめぐる世界の在り方で、マーラーの音楽の感じ方も変化すると思う。
ブルックナーやブラームスでは、そうしたことは起こりえないとも思う。
ワーグナーは演出が付随するので比較が違う。
だが純音楽であるシンフォニストとしてのマーラーは、その音楽に人間の感情や情緒あって、そのうえで交響曲がある。
だからきっと、これからも、われわれの共感をともにするマーラー演奏はあらわれ、進化していくものと思う。

もっとずっと生きて、元気でマーラーを聴いていきたいと思った。

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2021年9月 2日 (木)

ベルク 「ルル」 二期会公演

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二期会公演、ベルク作曲の歌劇「ルル」を観劇。

昨年、東京文化会館で上演の予定が1年延期して、今度は別株が登場するなか、果敢なる上演。

きめ細かな対策を取り、舞台も絶妙なディスタンスを保った演出で、見事な上演で、その成功を大いに讃えたいと思います。

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文化会館から場所を移して、新宿文化センターで、この昭和感あふれるレンガの建物には、なんと2006年以来15年ぶりとなります。

そのときは、演奏会形式のR・シュトラウスの「ダナエの愛」で、若杉弘さんの指揮による日本初演でした。

約1,600席(ピット使用時)の比較的コンパクトなホールで、客席の傾斜は緩めなので、前の方が大きかったりするとステージに被ってしまい、一部見ずらいこともある。
残念なことに、斜め前にいた座高の高い方が、幕間で空いていたわたくしの前に移動してきてしまい、2幕ではちょっと往生しました・・・・

そんなことはともかく、演出には、ちょっとひとコトありますが、まずもって素晴らしい上演でありました。

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「ルル」は、未完のオペラ。
ヴェーデキントの「地霊」と「パンドラの箱」を原作にベルクが3幕7場台本を書き作曲を進めたが、完成されたのは2幕までで、3幕はショートスコアのみで、オーケストレーション中途となり、ベルクの死により未完となった。
 別途、3つの幕からチョイスした5つの楽章からなる「ルル」交響曲があり、3幕で使用される予定だった変奏曲(ルルの逃亡)とアダージョ(ルルとゲシュヴィッツ伯爵夫人の死)のふたつを、完成された2幕のあとに続けることで初演され、それが2幕版ということになります。

ベルクの未亡人ヘレーネは、第3者による補筆を禁じていたが、実はその補筆計画は密かに進行していて、フリードリヒ・ツェルハによる3幕完成版が1979年に、シェロー&ブーレーズのコンビにより3幕版として上演されました。

12年前に「ルル」を初観劇しましたが、そのときは3幕版(びわ湖ホール)
今回の二期会公演は2幕版での上演でした。

日本での「ルル」上演史 
 ① 1970年 ベルリン・ドイツ・オペラ来日公演 ホルライザー指揮
 ② 1999年 コンサート形式          若杉 弘 指揮
 ③ 2003年 日生劇場/二期会           沼尻 竜典 指揮
 ④ 2005年 新国立劇場            アントン・レック指揮
 ⑤ 2009年 びわ湖ホール            沼尻 竜典 指揮
 ⑥ 2021年 二期会              マキシム・パスカル指揮

         ベルク 歌劇「ルル」

  ルル:冨平 安希子    ゲシュヴィッツ伯爵令嬢:川合 ひとみ
  衣装係、ギムナジウムの学生:杉山 由紀
  医事顧問:加賀 清孝   画家:大川 信之
  シェーン博士:小森 輝彦 アルヴァ:山本 耕平
  シゴルヒ:狩野 賢一   猛獣使い、力業師:小林 啓倫
  公爵、従僕:高柳 圭   劇場支配人:倉本 晋児
  ソロダンサー:中村 蓉

    演出:カロリーネ・グルーバー

  マキシム・パスカル指揮 東京フィルハーモニー交響楽団

       (2021.8.29 @新宿文化センター)

二期会のサイトで、演出家グルーバーが、2幕版を採用した理由を語っておりました。
・ベルクが残した真正な部分だけで上演することに意義がある。
・ヴェーデキントの独語が古く、ドイツ人でも難解。
 特に3幕は歌手の負担が大きいため
・共同制作は、多くの歌手を手当てできるアンサンブル劇場でないと難しい
ドイツでは、いろんな意味で、音楽にも真正さを追求する動きがあり、世界的にみても2幕版で上演される機会が増えているとのこと。

3幕で、ベルクが完成できなかった場面で、2幕版で省略されるシーン。
1場:パリでの逃亡生活、賭博、株暴落とさらなる逃亡(登場人物多数)
2場:ロンドンでの娼婦生活、その日の最初の客(医事顧問が演じる)
  ルル、ゲシュヴィッツ令嬢、シゴルヒ、アルヴァらのうらぶれた生活
  客の黒人(画家が演じる)によるアルヴァ殺害

2幕版では、以上が略され、続いて3人目、切り裂きジャック(シェーン博士が演じる)の登場とルルの殺害、帰り際にさらにゲシュヴィッツ伯爵令嬢も殺して去り、彼女は虫の息で、ルルへの愛を歌い幕となる。
  
上記の3幕の省略部分は特に、株暴落シーンなど、雑多すぎるし、人物もたくさん出るので私はいつも困惑する場面なのです。
しかし、今回の2幕版は、音楽としては通例通り変奏曲とアダージョが演奏されたわけだが、舞台ではなにも起こらなかった、と言っていい。

舞台上に女性のマネキンを多く配置し、ルルと同じ姿のダンサーを常に登場させ、ルル本人と対比させている。
マネキンは極度に女性の身体を強調した作りで、さまざまな鬘や衣装をまとい、演出家グルーバーさんの意図は、登場男性やゲシュヴィッツ伯爵令嬢からみたルルを意図しているという。
確かに、ルルを男性たちが呼ぶ名前は、ミニョンだったり、エーファ、ネリーだったりして、要は男性が自分の思いをルルに勝手に押し付けているというわけである。
そして、ダンサーはルルの内面の現れをパフォーマンスしている。
舞台の進行に合わせて、ダンサー・ルルは壁沿いを苦痛に満ちて動いたり、遠くから傍観していたりと、愛やもしかしたら感情の薄いルルの心情を表そうと様々に表現していた。

そして、最後のシーンである。
2幕の終わりで、アルヴァと二重唱を歌ったあと、アルヴァの思い、エーファであり母マリアである、聖母マリアの姿になったルル。
アルヴァはデスクに倒れた(寝た)ままにして、ルルはマリアの姿をかなぐりすてて、スリップ姿となり、虚空を見つめるように舞台を左右にさまよう。
そこに、ルルの内面のダンサーが様々に踊りつつ、ルル本体に近づき、ついには絡み合い、一体化したように表現したと見てとれた。
ここで幕となった・・・・・。

そうなんです、切り裂きジャックは登場しないし、当然に殺害シーンもないし、さらにはゲシュヴィッツ伯爵令嬢も出てこないし、彼女も巻き添え死をくらうことなく、令嬢のルルへの愛の声は、その姿なく流されるのみ。
まだかまだかと待ってた、当然にあるべきシーンがなく、拍子抜けだったと正直言いたい。
だって、衝撃的なフォルティシモでも舞台ではなにも起こらず・・・・・です。

事前に見ていたグルーバーの考えからすると、こういうのはありだろうな、というのが後付け的な感想ではあります。
ファム・ファタールとしての「ルル」の見方は間違っている(それこそが古い)と語っておられます。
当時の家父長制の問題が生んだ女性の悲劇であり、消費される女性に対する反証、そのあたりは、オスティナートにおけるシネマ(上田大樹氏による映像作品)で、ルルの逮捕劇・脱獄などの暗示が、おびただしい数のマネキンの部位が降り注ぐなか表現された秀逸なものであった。
さらにグルーバーによると、ベルクがヴェーデキントの劇をおそらく見たとき、当時の識者が、「女性を好きなように利用できる制度のひどさ」を例えて評論したものに接したかもしれない。
100年前の当時で、そのようなことを、しかも男性がいうと言うことは、大きなことであったが、いまはそれが良い方向になったのか?
今現在、真の意味での男女の平等が達成されているのか?
そうした問題提示も意図していると語る演出者。

極度のフェミニズムには、少し距離を取りたい自分ですが、この演出意図を事前に確認して観劇に及びましたが、さしたる過激さはなく、ただ、ルルの殺害シーンを消してしまったことで、効果としては、どこかぼやけてしまったという思いが強い。
内面のルルと実存のルルの最後の一体化は、わからんではないが、例えば映像作品などで、いくつの演出で見ることができる、「死による浄化」的なものを描いてもよかったのでは。
いや、こんな風に思うことが、ルルを単なるファム・ファタールとしてしか捉えていない、古臭い自分だということになるのか・・・・

あと、ゲシュヴィッツ伯爵令嬢の献身的な愛も、最後に姿を少しでも現すことで、その自己犠牲ともとれる存在で、ルルの内面一体化に華を添えることができたのではないかな、素人考えですがね。
コレラに罹患しながらもルルを救ったゲシュヴィッツ伯爵令嬢は、聖母マリアのブルーの衣装をまとっていたのも意味あることなのだろうか。

舞台全体の印象はシンプルで無駄を省いたスタイリッシュなもの。
ドア付きの稼働する箱、兼スクリーン機能をもった装置がいくつも並び、人物たちは、そのなかで自分の好みのマネキン(すなわち好みの自分のルル)と一緒に、ルルとシェーン博士との緊張のやりとりをのぞき込んだりする。
その箱が動いて、「LULU」の文字を映し出したり、それが「LUST」という言葉に変じたりしていた。
「LUST」、すなわち「欲望」である。

プロローグの猛獣使いのシーンや、場面展開のシーンでは、紗幕がたくみに使われ、観劇するわれわれの想像力を刺激したものだ。

長文となりましたが、1回ではとうてい理解が及ばないし、何度も観てみたい舞台と演出であることは確かだ。

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こうした演出で歌い演じた歌手のみなさんは、ともかくいずれも完璧で素晴らしかった。
12年前のびわ湖ルルで、ルルのカヴァーキャストだった冨平さん、舞台映えするお姿に負けず劣らずの素晴らしい高音を駆使して、同情さそう可愛い女性となってました。
3年前の素敵だったエンヒェン役以来の冨平さん、ただ素晴らしい高音域に対し、中音域の声にもうひとつ力が加わると万全かと思いました。
偉そうなこと書いてますが、コロラトゥーラとドラマティコ双方の難役でもある、このルル役、これだけ歌い演じることができるのは、並大抵のことではありません!

日本人ウォータンとして、最高のバスバリトンと思っている小森さんのシェーン博士も迫真の演技と、ドイツ語の明確できっちりした発声による完璧な歌唱に感銘を受けた。
願わくは、ジャック役でも見てみたかったが。
 このグルーバー2幕版では、おいしい役柄だったアルヴァ役の山本さん、ルル賛美での伸びのある歌かなテノール声は、プッチーニあたりを聴いてみたいと思わせるものでした。
 この演出では、やや影が薄い存在になってしまったゲシュヴィッツ伯爵令嬢の川合さん、3幕版でないとその存在の重さが出ませんが、もっと聴きたい声と、ちょっとセクシーなお衣装も素敵でした。
味のある狩野さんのシゴルヒ、粗暴ななかに力強い小林さんの力業師、リリカルな大川さんの画家、あと存在感があったのは可哀想な学生さん役の杉山さんで少年っぽさ、中性っぽさがよく出ていて可愛かったです。
ちょい役になってしまった医事顧問にベテラン加賀さん、ほかのみなさんも充実。
 演出家の強い意図をしっかり汲んで、しかも困難な環境のなか、練習を積んで見事な成果を結実されたと思います。
もうひとつのキャストと併せて、記録としても映像作品で残して欲しいと思います。

最期に最大級の賛辞を指揮者とオーケストラに。
休憩中、ピットの中をのぞきに行こうとしたら係員に静止されてしまったが(なんでやねん)、第1ヴァイオリンは8挺で、チェロやコントラバスの3~4ぐらいだった。
浅めのピットに、左側が弦、右側が木管・金管、さらに舞台袖に打楽器類ということで、ぎっしりだけど、ホールのキャパや歌手たちへの負担減も合わせた軽めの編成ではなかったかと。
これからの時代、ワーグナーもシュトラウスもこれでいいんじゃね、と思いましたし、聴いて納得でもありました。
 パスカル氏の指揮が、そのあたりを前提としても、実に緻密で抑制力も併せ持ちつつ、劇性も豊かな音楽を作り出していたと思う。
大柄なイケメンさんで、指揮棒を持たず、動きは少なく、オケも歌手たちも指揮者の指先に気持ちを集中させなければならない。
ベルクの微に入り細に入り、なんでも取り入れられた雑多ななかにも精妙さの光る音楽が、最大もらさず再現された。
私がベルクの音楽にいつも求める甘味な、アブナイくらいに宿命を感じさせる音色も東フィルから引き出してます。
ルルとシェーン博士との会話の部分、ラストのアダージョ、もうたまらなくって、わたしは舞台を見つつも、オケの紡ぐサウンドに陶酔境に誘われる思いだった。。。。泣けるぜ。

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私の手元にある「ルル」のDVD、あとメットの上演も。
音源は、ベーム、ブーレーズ、アントン・レックの3つのみ。

この作品は、歌手の技量と演技力の向上とともに、やはり映像で観てみたいもの。

いずれも3幕版ですが、youtubeで観たヴィーラント・ワーグナー演出のライトナーの指揮、シリアのルルによるいにしえ感漂うモノクロ映像がリアルで、もしかしたら初演時はこんな感じだったのか?と思わせるものでした。

2017年、ハンブルクでの上演。
回廊の魔術師、マルターラーの演出、ケント・ナガノの指揮では、斬新な演出が施されたという。
2幕版で、プロローグの場面の自在に動かしたり、最後には、ヴァイオリン協奏曲が全曲演奏されるという大胆さ。
音楽面、ベルクの気持ち的にも、それはありかもの上演。
バーバラ・ブラニガンの身体能力あってのもの。
観てみたい!

かように、まだまだ版や演出の楽しみもある「ルル」。
未完ゆえに、われわれをこの先も悩ませそうであります。

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2021年8月25日 (水)

ワーグナー・テノールをいっぱい聴く

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お盆の前、オリンピック閉会式の日の東京タワー。

ひまわりたくさん、夜でもきれいに撮れました。

デジカメより、スマホの方が簡単にキレイに撮れるという、なんともいえない気分ですが。。。

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自分の愛用するデジカメがもう古いな・・と思う、今日この頃。

でも、古きものにも、良きことあり。

そう、戦後以降からにしますが、ワーグナーを歌うテノールを聴きまくりました。
そっくり、バイロイトで活躍した歌手たちを振り返ることとなりました。
キャラクター・テノールは除外させていただき、主役級を歌う歌手ということで。

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まずは、なんといってもウォルフガンク・ヴィントガッセン
ベームのトリスタンとリングで、ワーグナーにのめりこんでいった私にとって、ヒーロー役はみんなヴィントガッセンだった。
戦前の重ったるい古めかしい歌唱とは、一線を画した気品あふれる歌、ずば抜けた底力あふれる声に、ワーグナーの音楽とはなんたるかを、私の耳に刻み付けてくれた。
ゆえに不器用なところもあり、そこを活かしたオルロフスキー公やローゲなど、味のあるところもみせてくれました。
50~60年代のトリスタンやリングの音源は、ほとんどがヴィントガッセンで、あとはニルソンやヴァルナイだったりします。

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ラモン・ヴィナイは、バリトン→テノール→バリトンと声域を変えて活躍した稀有の存在。
しかも、オテロとイァーゴの両役を持ち役にしていたというマルチぶりで、まさにオオタニサン状態。
トリスタン、タンホイザー、パルジファルなどの音源を聴いてますが、ほの暗い声に帯びる高貴さは素晴らしく、ワーグナー諸役にうってつけ。チリ出身というのも信じられないところ。

ハンス・バイラーハンス・ホップ、ふたりのハンスさんもここに記すべきヘルデンテノールですが、いまの耳で聴くとやや古めかしく感じるかもしれません。

・シャーンドル・コンヤは、ローエングリン、ヴァルター、パルジファルを得意にしたほか、ヴェルデイとプッチーニも持ち役にした、明るめな色調の、いまでも通じる歌唱力を持った歌手だった。
ラインスドルフとのローエングリンは完全全曲盤だし、ボストン響のワーグナーということで貴重な録音。

・ジェス・トーマス、アメリカ出身のヘルデンテノールとして大成功した先人。
アメリカで、大学時代には心理学を専攻していて、その声の良さを認められて歌手の勉強をしたというキャリアの持ち主で、ドイツに渡ってからもイタリアものばかりだったという。クナッパーツブッシュの61年パルジファルでバイロイトデビューしてから、ワーグナー歌手として活躍を始めた。
60年代のトーマスの輝かしさ・神々しい歌声は、いまでもほんと魅力的。

・ジェームズ・キング、トーマスと同じくアメリカが輩出した傑出したテノール。
わたしにとって、P・ホフマンと並ぶ、最高のジークムントで、最高の影のない女の皇帝役。
バリトンからスタートしたこともあるように、やや暗めの声に情熱的な歌唱は、悲劇的な役柄にぴったりだった。
不思議とカラヤンとの共演が音源含めないように思えますが、ジークフリートやトリスタンには挑戦しなかったのもキングらしいところ。
バーンスタインとジークフリートにチャレンジした音源を持ってますが、やはり、キングはジークムントだな。

・ジョン・ヴィッカース、カナダ出身で、最初は医学生を目指した、こちらも変わり種。
強靭な声ではないが、カラヤンに愛され、「完璧なフォルティシモとピアニッシモを兼備したテノール」と絶賛されていたという。
ちょっと褒めすぎとも思うけど、カラヤンやショルティにとって、ワーグナーやヴェルディには絶対になくてはならないドラマテックテノールだった。
バイロイトには、パルジファルとジークムントで、2年しか登場しなかった。
ちょっとクセのある声。

・ルネ・コロ、ヴィントガッセン後、ドイツの生んだ最高のテノールと確信。
オペレッタやポップスからスタートして、トリスタンやジークフリートを歌うヘルデンテノールになった、広大なレパートリーを持つ、知性あふれる美声の持ち主。
ジークムントとローゲを除いて、リエンチまで入れてワーグナーの主要テノールの役を全部録音した唯一のテノール。
コロも、カラヤン、ショルティに多く器用されることで、多くの全曲盤が残されることとなりましたが、私が好きなのは72年にスウィトナーと録音した2枚のCDで、ほぼすべてのワーグナー諸役をここで聴けます。
まだまだ若々しく、やや生硬な感じも残るフレッシュな歌唱は、いまでも素晴らしい。
同じころだと思うが、プッチーニやイタリアオペラのアリアも録音していて、日本では一度も発売されたことがなく、復刻して欲しい。
自慢としては、日本を愛してくれて、多くの実演に接することができた。
タンホイザー、ヴァルター、ジークフリート、パルジファル、ソロで詩人の恋、引退コンサートなど。
トリスタンだけ逃したのが無念なり。

フリッツ・ウール、ヘルミン・エッサー、ヘルゲ・ブリリオート、ジェイムス・マックラッケン、ローベルト・シェンクなどなど、まだたくさん。

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ジーン・コックス、アメリカ出身で、空軍のパイロットで世界大戦にも参戦してたらしい。
ヴィントガッセンのあとの70年代のバイロイトを支えたテノールで、マンハイム歌劇場をずっとホームにして、ミュンヘンでも活躍。
ホルスト・シュタインのリングで、ずっとジークフリートを歌い、唯一の録音であるヴァルターや、パルジファル、ローエングリンも歌っている。
ヴィントガッセンのあと、コックスのジークフリートばかりを聴いて、ワーグナーファンになっていったので、コックスは今でもとても好きです。
厳しい評論筋には、けちょんけちょんにされてしまうけれど、コックスの健康的なジークフリートはクセもなく、明るく爽快で。
最期は、バイロイトで亡くなったというのも、この歌手らしいところです。

・ペーター・ホフマン、スキャンダル的な大騒ぎとなった76年のシェロー・ブーレーズ、フレンチリングで、唯一といっていいくらいに喝采をあびた、ホフマンのジークムント。
バイロイトデビューのホフマンは、陸上競技のアスリート出身で、鍛え抜かれた身体と身体能力の高さも、舞台映えする容姿とともに、その張り詰めたピンとはったストレートボイスは、われわれワーグナー好きを虜にしてしまいました。
ジークムント、ローエングリン、パルジファル、トリスタン、ヴァルターを歌い、タンホイザーはバイロイトでも記録がありません。
実演は聴けなかったけれど、コロとともに、私の大好きなワーグナー歌手です。
パルジファルで、実際の槍をを手で受け止めたのは、ホフマンならでは!

・スパス・ヴェンコフ、法律家、ヴァイオリニスト、スポーツ選手などの多彩な顔を持つブルガリア出身のテノール。
東側だったこともあり、西側へのデビューはやや遅れ、なんといっても、カルロス・クライバーのトリスタンの3年目を救ったヴェンコフ。
突如現れたヴェンコフの力強い声に、当時大いにしびれたものです。
日本にも何度か来日してますが、ブロムシュテットとN響のワーグナーコンサートを聴いた覚えがありますが、ごく少しの登場で、トリスタンとタンホイザーのほんのさわりみたいに記憶します。席が遠く、記憶もちょっと曖昧なのが残念。
ウィーン国立歌劇場のトリスタンで登場を予告されながら、降りてしまったのも残念な思い出です。
やや陰りを帯びた銀色のような声のヴェンコフのトリスタンは、やはりいまでも素晴らしいと思います、特に3幕。

・マンフレート・ユンク、地味ですが、ジーン・コックスと同じように、この歌手もバイロイトのジークフリート役を長く担当し、急場を救った人です。
ブーレーズのリングの2年目から、ショルティ、シュナイダーのリング、パルジファル、さらにはローゲにミーメまで、長らく活躍。
親しみやすいほっこりした声は、健康的なジークフリートだったし、無垢のパルジファル、さらには味わい深いミーメなど、忘れがたい歌手のひとりです。

・ライナー・ゴールドベルク、本番に弱いとかさんざん言われ、実際、大きな舞台でやらかしてる。
ショルティのバイロイトリングでも降りちゃったし、マゼールのウィーン国立歌劇場音楽監督就任のタンホイザーでも不調だった(と読んだ記憶あり)。でもレコーディングには恵まれ、レヴァインやハイティンクのリングにも登場。
やや、喉に詰まったような硬質な声だけど、力強さとハリのある高音はなかなか魅力的で、私はスウィトナーのマイスタージンガーでのヴァルターを観劇してます。(そのときの、アダムとシュライヤーが最高だった)

・ジークフリート・イエルサレム、ファゴット奏者からヘルデンへ。
フローや水夫などの軽い役からスタートし、ローエングリン、パルジファル、ジークムント、そしてその名の通り、ジークフリートやトリスタンへとステップアップしていく様子を、バイロイト放送や多くの録音を通じて、つぶさに体感できた歌手で、この人も自分には親しい存在。
ソロアルバムは、デビュー時に1枚あるのみかもしれないが、CD化されてない。
この人は舞台で燃えるタイプだと思います。丸みを帯びた力強い声は、ハマるとしびれるような興奮を聴き手にもたらしてくれる。
ベルリン・ドイツ・オペラのリングでは、ジークムントを聴いてますが、ともかく凄い熱演・熱唱でした。
降り番のときに、ロビーで談笑するその真横に立ちましたが、ともかく背が高い!
あともう一度、ジークムントは、リザネックとの共演で、ガラコンサートで経験。いい思い出です。

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・ヨハン・ボータ、90年代に突如あらわれた南アフリカ出身の歌手。
イタリアオペラも全般歌い、シュトラウス、ワーグナーも等しく歌い、レコーディングも多い。
クリアボイスで抜けのよい高音域は魅力的だったが、早逝が悔やまれる。

・パウル・フライ、アイスホッケー選手だった変わり種。
ヘルツォーク演出の冬のローエングリンをずっと担当し、その時期はレコーディングもそこそこあり。
この歌手もクリアボイスで、やや頼りなく感じるナイーブなローエングリンだった。

・トレステン・ケルル、ドイツ出身で、死の都のパウルのスペシャリスト(と思ってる)
ややこもった声ながら、バリトンがかった中音域から低域の暗めな響きが魅力的。
そこから、エイっと引き上げる高音域が特徴で、かつてのジーン・コックスを思わせる。
タンホイザーもあたり役。死の都、カルメン、グレの歌などを実演体験済。

・ジョン・トレレーヴェン、英国産のヘルデン。
ラニクルズのトリスタンのみが全曲録音で、なかなか聴かせる中音域は、3幕での破壊力が最強だった。
新国のイドメネオで実演体験済み。
戦前のテノールがよみがえったような感じ、でも悪くない。
新国でジークフリートを歌ってる。

・ポール・エルミング、デンマーク出身。
バリトンからスタートしただけあって、余裕のある低中音域をベースに、輝かしい高音域はとても魅力的だった。
ジークムントとパルジファルでバイロイトを支えた。
私も、両方のタイトルロールを実演で聴けました、とても好きな歌手です。
アンフォールーーターースの雄たけびは最高に素晴らしい!
アルブレヒト指揮のパルジファル(クルト・モルのグルネマンツ!)、シュタイン最後のN響パルジファル、バレンボイムのワルキューレでいずれも感銘を受けました。

・プラシド・ドミンゴ、このスーパー・テノールも、当然ながらワーグナーもレパートリーにした。
全曲盤がない役柄もあるが、ワーグナーのすべてのテノール役を録音している。
ヨッフムのマイスタージンガーが初ワーグナーだったと思うが、どうもわたしには、ドミンゴのテカテカした声と分別くさいほどの知的歌唱がワーグナーにおいては、あまり好きではないです。
それでも、メトの来演で、ジークムントを聴いて満足の極みだったというげんきんの極みの自分。
余芸でバイロイトでもワルキューレを指揮したけど失敗に終わった。

・ロバート・ディーン・スミス、アメリカ産、リリカルな役柄でスタートして、ついには有能なトリスタンとなった。
ヴァルター、ローエングリンにジークムント、トリスタンとバイロイトでは大活躍。
日本にも何度か来日してたけど、新国でジークムントを聴いてまして、そのときのフンディングがマッキンタイアだったのもいい思い出です。
キリリとした、すっきり系のテノール。
最初はスリムで舞台映えもよかったけど、だんだんとお腹ぽっこりに。

・ベン・ヘップナー、カナダ生まれのヘルデン。
90年代に大いに活躍し、高貴さ漂う声は安定していて、大柄な割にスマートで凛々しい歌唱だった。
日本には来てないかもしれないが、多くの巨匠から愛用されて、レコーディングはたくさん。
自分的にな、アバドのトリスタンがヘップナーだったので、何度も書いてますが、正規発売を熱望。
ヘップナーは2015年に引退してしまいました。

エンドリヒ・ヴォトリヒ(早逝してしまいましたが、新国でジークムント観劇)、アルフォンソ・エーベルツ、ウィリアム・ペルなどもバイロイトで活躍。

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・ペーター・ザイフェルト、ルチア・ポップの旦那さんだった歌手。
モーツァルト歌手的なイメージからスタートして、やはり、軽めの役柄から入り、ヴァルター、ローエングリン、パルジファル、ジークムントとたどって、ついにはトリスタンも立派に歌うようになった。
トリスタン役、どうだろうと思ったが、これがまた実に立派で、リリカルななかに、独特の高貴さがあり、一方で甘く優しい中音域も素晴らしい~ウィーン国立歌劇場のストリーミングを視聴。
ザイフェルトは、バイエルン来演のときにヴァルターとエリックを観劇。

・トマス・モーザー、アメリカ生まれでその後ウィーンへ。
最初はモーツァルト歌手だったと思うが、90年代にヘルデンの声域まで歌うようになり、主にウィーンで活躍。
バイロイトには出ていないはずだが、ティーレマンのトリスタンがCD化されて、そのブリリアントな声に驚いたものだ。

・ロバート・ギャンビル。こちらもアメリカ生まれの歌手。
モーザーと同じく、モーツァルトやロッシーニ歌手としてスタート。
実は、ワタクシ、もうかれこれ30年以上まえ、唯一のウィーン訪問でフォルクスオーパーで魔笛を観劇。
そのときのタミーノがギャンビルだった。ぴか一の美声でひとり目立ってました。
その後、驚くべきことに、タンホイザー歌手としてギャンビルの名前とドレスデン国立歌劇場の来演でその声を聴いたときに驚いたものです。
モーザーと同じく、トリスタンまでレパートリーを広げました。

・ウォルフガンク・シュミット、バイロイトで18年にもわたり活躍した歌手で忘れてはならない存在。
レヴァインとシノーポリのリングでずっとジークフリートを歌い、タンホイザーとトリスタンも歌った。
さらに、ユンクと同じく、ミーメ役としても帰ってきた。
ちょっとクセのある声だが、破壊力とパワーは抜群だし、小回りも効く器用なヘルデン。
わたしのシュミット実演は、ドレスデン来演でのジークムント、キャラクターテノールとしての体験は、新国サロメのヘロデとミーメ。
当時のblogを読み返してみたが、ヒッヒッヒのミーメでなく、ウッヒッヒッヒのミーメと書いてあり笑えた。

・クリスティアン・フランツ、われわれ日本人にとってお馴染みの歌手のひとりだろう。
バイロイトでは、ティーレマンのリングのときのジークフリートで、ほかの劇場でもジークフリートのスペシャリストみたいな存在。
クリアな声で明晰、明るめな天真爛漫のジークフリートは、スタミナも十分で最後まで元気。
新国でジークフリートを2サイクルと、バレンボイムのトリスタンなどを観劇、いずれも文句なし。
息の長い歌手で、来年のびわ湖ではパルジファルを歌う予定。

・ヨナス・カウフマン、ミュンヘン生まれのいまやスーパー・スター。
経歴を見てみたら、ホッターとキングに学んでいるとのことで、カウフマンの言葉にのせる歌唱力の高さとバリトンがかった厳しい声が、なるほど、という思いがしました。
役柄への挑戦も慎重かつクレヴァーで、徐々に重い役柄に挑戦し、ローエングリンから、ついに今年はトリスタンを歌う歌手になった。
ドイツもの以外でもひっぱりだこで、ラダメス、オテロ、カヴァラドッシ、ホセなど映像もCDもたくさんだけど、バイロイトは1年のみ。
人気がありすぎて、ちょっとワタクシは引き気味だったけれど、今年のトリスタンを視聴して、やはりカウフマンは凄いな、ということになりました。

・ステファン・グールド、アメリカ生まれのヘルデンで、いまやバイロイトはおろか、世界のワーグナー上演に欠かせない歌手。
大柄で舞台映えもするが、スマートなカウフマンやフォークトに比べると、ちょっとデカすぎ。
その体格どおりに、声のパワーは抜群だが、繊細な歌いまわしや心理描写もうまく、知的な歌手でもある。
バイロイトでは、タンホイザー、ジークフリート、トリスタンを歌っていて、日本でも数多く舞台に立ってます。
わたしは、新国で、フロレスタン、オテロ、トリスタンを観劇、いずれもとんでもなく素晴らしかったが、ジークフリートは観ることができなかったのが残念。

・クラウス・フローリアン・フォークト、北ドイツ出身で、ハンブルクのオケでホルン奏者だった経歴を持ち、そのあたりイェルサレムに似てる。同時に歌もはじめ、最初はモーツァルトやドイツロマンティックオペラの軽めな役柄からスタートし、なんといっても2007年、カタリーナ・ワーグナー演出のマイスタージンガーでヴァルターを歌ってバイロイトデビューして、脚光を浴びた。
そのデビューをFMで聴いた自分は、その軽めな声に、ずいぶんと頼りない声だな、なんて不遜なことをつぶやいてました。
しかし、その後フォークトを次々に聴いて、どんな役柄でも、フォークトならではの声と歌い口で自分のものにしてしまう、その実力と歌唱の力に感服するようになりました。
ともかく美しい声で、そのしなやかさはヴィロードのよう。馬力もあってオケや合唱、ほかの歌手のなかにあっても、しっかりとその声を響かせ聴き手に届けることができる。
今年のジークムントもスマートかつ明晰な歌で、悲劇臭は薄いものの、実に新鮮なジークムントとなりました。
フォークトがトリスタンやジークフリートを歌うことはまずないと思いますが、2枚のソロアルバムでは少し聴けます。
ハンサムで子煩悩なところも、フォークトさん好印象です。

・アンドレアス・シャガー、オーストリア出身のヘルデンで、バレンボイムに多く起用されるようになって、メキメキと成長し、バイロイトの次期ジークフリートを担うようになった。
ちょっと楽天的な声なところも感じるけど、声に厳しさが増せばさらによくなる歌手だと思います。
今後に注目のシャガーさん、実演で早く聴いてみたい。

カウフマン、グールト、フォークトが、今現在の3大ワーグナー・テノールだと思います。

ここでは、書けなかったけれど、ランス・ライアン、クリストファー・ヴェントリス、ステファン・フィンケ、サイモン・オニール、ステュワート・スケルトンなど、いままでも、これからも私たちを魅了してくれることでしょう。

日本人歌手については、またの機会に取り上げたいです、なんたってお世話になりましたし、心強かった!

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もうひとつのタワー、スカイツリー。
竹芝桟橋から撮りましたので遠いですが、これはこれで美しい。

ずいぶんと長文を書いてしまいました・・・・

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2021年8月14日 (土)

ブリテン 戦争レクイエム マルヴィッツ&ティーラ

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靖国神社の外苑の慰霊の庭には、こうした桜をモティーフにした陶板があります。

東京の開花宣言の標本木があるように、靖国神社といえば、「桜」でもあります。

各都道府県の土を実際に使用して、各都道府県の陶芸家が作成。

こちらは茨城県笠間市。

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夜間は中にある照明で、うっすらと輝きまして、とても美しいのです。

こちらは兵庫県丹波篠山。

靖国神社は国のために命を燃やした英霊たちを祀ってますが、坂本龍馬や吉田松陰、高杉晋作ら、幕末の志士たちも含まれてます。

戦士した方も、一般の戦没者も、終戦の日には、心から慰霊の念を込めて黙祷します。

毎年、ブリテンの「戦争レクイエム」をこの時期に聴きます。

1961年に作曲完成、1962年に初演。
今年と来年で60年となります。
心からの反戦主義者であったブリテンが、オーウェンの詩とラテン語典礼文を巧みにつなぎ合わせて作った平和希求のレクイエム。
ブリテンの見て思った戦争は、ヨーロッパ戦線でしょうが、日本の太平洋戦争はあまり視野にはなかったかもしれない。
ヨーロッパの街々が戦場となりましたが、終戦から15年を経過したイギリスにいたブリテンに、焦土と化した被爆地や無差別爆撃を受けた街の様子は届いていたでしょうか。

しかし、日本には、戦争レクイエムの22年前、シンフォニア・ダ・レクイエムを奉じてます。
皇期2600年の祝典になにごとぞ、ということにはなりましたが、結果としてはそちらも鎮魂曲として、平安を祈る音楽となっていて、ブリテン好きの日本人としてはありがたい思いです。

今年は女性指揮者たちによる「戦争レクイエム」を。
いずれも海外のネット配信を録音して個人的に楽しんでいる音源です。
 ついにバイロイトにも女性指揮者が登場し、世界のオーケストラのシェフにも女性の名前が目立つようになりました。
女性だから、ということでなく、真に実力のある指揮者たちが、ここ数年で多く輩出され、第一線で活躍するようになった。

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  ブリテン 戦争レクイエム

         S:アンネ・デロアード
       T:タデウシュ・シュレンキェール
      Br:サンミン・リー

  ヨアナ・マルヴィッツ指揮 ニュルンベルク州立フィルハーモニー
               ニュルンベルク州立劇場合唱団
               ハンス・ザックス合唱団
               ニュルンベルク・コンサート合唱団
               テルツ少年少女合唱団

      (2019.7.13 @マイスタージンガー・ハレ、ニュルンベルク)

1986年生まれ、ヴァイオリンとピアノを学びつつ、指揮にも興味を持ち、ハノーヴァーでピアノに加え、指揮の勉強もします。
ここでは放送フィルハーモニーにいた大植英次にも学んでます。
ハイデルベルクの劇場でオペラデビュー、次席指揮者となり、さらに次はエアフルトのオペラハウスへと移り女性初の音楽監督となる。
ここでは、座付きオーケストラを、コンサートオーケストラとしても機能させる仕組みをつくります。
ピアノのソロをつとめつつ指揮を行うコンサートも評判に。
そして、2018年には、さらにステップアップして、ニュルンベルク州立劇場の音楽監督に就任し、現在に至ります。
シーズン最初の演目は、プロコフィエフ「戦争と平和」「ローエングリン」で、その後「ピーター・グライムズ」「ドン・カルロ」も指揮。
地方のハウスから、州立劇場の指揮者に、かつてのドイツのオペラ指揮者のような叩き上げ方式の躍進ぶりです。
2000年には、ザルツブルク音楽祭初の女性オペラ指揮者として、コロナ禍の「コジ・ファン・トウッテ」を指揮したことはご存知のとおり。
しかし、先ごろ、マルヴィッツは、ニュルンベルクのポストを継続せず、任期の2023年に終了させることを発表しました。
妊娠したこと、それから、そろそろまた後のことを考えるため、と語っているそうで。

すぐれた芸術家は、先を見据えた考えや行動がとれるものです。
子育てをしながらも、次はどんなポストに就くのか、その生き方とともに、とても楽しみです。

マルヴィッツの演奏は、CDとしては「メリー・ウィドウ」がありますが、そちらは未聴。
ザルツブルクの「コジ」は視聴済み。
ネット放送で、シューベルトやベートーヴェン、悲愴、夏の野外コンサートでのガーシュインやバーンスタインなど、記事にしたローエングリンなどを聴いてますが、いずれも明快・率直でオーケストラもよく鳴らせて気持ちのいい演奏です。

Mallwitzjoana

凛々しいマルヴィッツさん。

指揮姿も長身で、腕も長くピアニストならでは、指先までもニュアンスゆたか。

ブリテンの音楽のひっ迫感とのっぴきならない緊張感をみごとに引き出してる。
オペラの道を歩む指揮者として、劇性も豊かにダイナミックで、聴いていてレクイエムにはなんですが、わくわくさせてくれるし、ニュルンベルクのオケのブラスセクションの迫力と優秀さをも感じさせてくれます。
ドイツの「戦争レクイエム」という感じで、次に取り上げる、ザルツブルクの演奏とはちょっと違ったローカル感もあり。
ソロ歌手3人は、劇場の専属メンバーで、ややオペラ風に傾くところが、とくにバリトンの方がなんではありますが、合唱もふくめ、日ごろのチームをしっかりまとめ上げ、きっとおそらく、みんなが初めて戦争レクイエムを演奏したであろう方々を、見事に率いたマルヴィッツの実力は間違いないと思います。
 ドレスデンとの契約を満了後は更新しないと言うティーレマンのあととか、バイロイトとか・・・・・
勝手に妄想中。

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   ブリテン 戦争レクイエム

         S:エレナ・スキティナ
       T:アラン・クレイトン
      Br:フローリアン・ベッシュ

   ミルガ・グラジニーテ=ティーラ指揮

        グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラ
                        ウィーン放送交響楽団
        ウィーン学友合唱団
        ウォルフガンク・ゲーッ合唱団

        ザルツブルク音楽祭、劇場少年少女合唱団

  (2021.7.18 @フェゼンライトシューレ、ザルツブルク音楽祭)

演奏会の冒頭に、メンデルスゾーンの短いカンタータ「私たちに平和を与えてください」が穏やかに演奏されて、そのまま静かに「戦争レクイエム」が始まります。
グラジニーテ=ティーラは、コンサートのプログラミングがとてもうまく、その切れ味のいい音楽造りとともに、いつも驚きを与えてくれる指揮者であります。

1986年生れなので、マルヴィッツと同い年です。
リトアニアの音楽一家のもとに生まれ、チューリヒ、ライプチヒ、ボローニャ、グラーツ各地で学び、2011年にハイデルベルクの劇場指揮者からキャリアスタート。
ベルン、ザルツブルクのそれぞれの劇場を経て、オペラキャリアも積み、アメリカではシアトル、サンディエゴ、そしてロスフィルも指揮して、ロサンゼルスでは2014~16年に、ドゥダメルのもとで副指揮者となります。
同時にザルツブルク州立劇場の音楽監督となり、ザルツブルク音楽祭でも、マーラー・ユーゲントを指揮してデビューします。
2015年にネルソンスのもとでバーミンガム市交響楽団の首席客演指揮者となり、2016年にはバーミンガムの音楽監督に就任。
こんな風に、その実力に裏付けられたキャリアを着実に歩むティーラさんなんです。

昨年は、第2子を身ごもりながら、コロナ感染してしまい、しかし、それも見事に完治し、赤ちゃんも生み育てるしっかりものです。
DGと専属契約も結び、CDも徐々に出始めてますが、残念ながら、バーミンガムのポストは任期満了となる2022年には更新しないと発表してます。
一部情報によると、ザルツブルクで子供たちと過ごすなか、イギリスのEU離脱で、イギリス入国手続きが煩雑になったことなどがあげられてます。バーミンガムは首席客演指揮者となって良好な関係は継続するとしてます。
 それにしても、バーミンガムは、ラトル、オラモ、ネルソンスと実力指揮者が次々と歴任し、それぞれに録音にも恵まれました。

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さて、今年のザルツブルク音楽祭の開幕をかざったミルガの「戦争レクイエム」。
昨年、本拠地バーミンガムでの演奏がコロナ禍で中止となり、今年はザルツブルク音楽祭に手兵を引き連れて凱旋する予定だった。
しかし、これもまたコロナ対策で、待機スケジュールがうまく取れず、バーミンガムの訪墺が不可となり、マーラー・ユーゲントとオーストリア放送響との演奏になりました。
劇的なマルヴィッツに比べ、ホールの響きの違いもありながら、ミルガさんの演奏は、流麗さを感じる美しいものに感じました。
ことに典礼文を歌う合唱部分の静けさ・美しさは特筆で、ラスト、「リベラ・メ」の「彼らを平安のなかに、憩わせたまえ・・・」には涙がでるほどに感動した。
この終結部に至り、冒頭のメンデルスゾーンの清らかな音楽と、ブリテンの切実な音楽とが、しっかりとつながり、関連付けられるのも実に見事なものでした。

実績ある、3人の歌手たちは、それぞれ、ロシア、イギリス、ドイツと初演のときと同じ国柄を採用していて、いかにも国際色豊かな音楽祭であります。
なかでも、スキティナのソプラノがきらりと光ってます。

ふたりの若い女性指揮者の「戦争レクイエム」、どちらも捨てがたい桂演でした。
先輩指揮者の、シモーネ・ヤングさんや、オールソップさんの演奏も聴いてみたいものです。

作曲者自身の63年の録音を原典として、作者以外の指揮による録音は83年のラトルまでなされなかった。
ブリテンのオペラも含めて、いまや、指揮者や劇場のレパートリーとして定着しました。
ブリテンの死後、いやラトルによる録音後に生を受けている女性指揮者たちが、こうしてブリテンの名作を取り上げていることに、隔世の感を抱くとともに、音楽をこうして聴いてきて、こんな多彩な楽しみができることに大きな喜びを禁じえません。

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以下は、毎度の再掲。
我ながら、よくまとまってるので、自分で聴くときに参照にしたりしてます。

3人の独唱、合唱、少年合唱、ピアノ・オルガン、多彩な打楽器各種を含む3管編成大オーケストラに、楽器持替えによる12人の室内オーケストラ。
レクイエム・ミサ典礼の場面は、ソプラノとフルオーケストラ、合唱・少年合唱。
オーエン詩による創作か所は、テノール・バリトンのソロと室内オーケストラ。

この組み合わせを基調として、①レクイエム、②ディエス・イレ、③オッフェルトリウム、④サンクトゥス、⑤アニュス・デイ、⑥リベラ・メ、という通例のレクイエムとしての枠組み。
この枠組みの中に、巧みに組み込まれたオーエンの詩による緊張感に満ちたソロ。
それぞれに、この英語によるソロと、ラテン語典礼文による合唱やソプラノソロの場面が、考え抜かれたように、網の目のように絡み合い、張り巡らされている。

「重々しく不安な感情を誘う1曲目「レクイエム」。
 戦争のきな臭い惨禍を表現するテノール。
 曲の締めは、第2曲、そして音楽の最後にあらわれる祈りのフレーズ。

②第2曲は長大な「ディエス・イレ」。
 戦いのラッパが鳴り響き、激しい咆哮に包まれるが、後半の「ラクリモーサ」は、悲壮感あふれる素晴らしいヶ所で、曲の最後は、ここでも祈り。

③第3曲目「オッフェルトリウム」。
 男声ソロ二人と、合唱、二重フ―ガのような典礼文とアブラハムの旧約の物語をかけ合わせた見事な技法。

④第4曲「サンクトゥス」。
 ピアノや打楽器の連打は天上の響きを連想させ、神秘的なソプラノ独唱は東欧風、そして呪文のような○△※ムニャムニャ的な出だしを経て輝かしいサンクトゥスが始まる。

⑤第5曲は「アニュス・デイ」。
 テノール独唱と合唱典礼文とが交互に歌う、虚しさ募る場面。

⑥第6曲目「リベラ・メ」。
 打楽器と低弦による不気味な出だしと、その次ぎ訪れる戦場の緊迫感。
やがて、敵同士まみえるふたりの男声ソロによる邂逅と許し合い、「ともに、眠ろう・・・・」。
ここに至って、戦争の痛ましさは平和の願いにとって替わられ、「彼らを平和の中に憩わせたまえ、アーメン」と調和の中にこの大作は結ばれる。

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3つ並んだ東京、神奈川、千葉の桜。

この1都2県を行ったり来たりしてる自分です。

過去記事

「ブリテン&ロンドン交響楽団」

 「アルミンク&新日本フィル ライブ」

 「ジュリーニ&ニュー・フィルハーモニア」

 「ヒコックス&ロンドン響」

 「ガーディナー&北ドイツ放送響」 

 「ヤンソンス&バイエルン放送響」

 「ネルソンス&バーミンガム市響」

「K・ナガノ&エーテボリ交響楽団」

「ハイティンク&アムステルダム・コンセルトヘボウ」


「デイヴィス&ロンドン響」

「ハーディング&パリ管」

「パッパーノ&ローマ聖チェチーリア」

Ninomiya

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2021年8月 6日 (金)

ワーグナーの夏

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お台場に設置されている聖火を見てきました。

オリンピック反対を訴えていたマスコミは、日本人選手の大活躍に手のひら返しを行い、夢中になって放送を続けております。

まぁ、そんなことになるだろうとは思ってました。

わたしは、やるんなら、堂々と胸はってやってしまえと思ってましたし、開会式のあのショボい日本感のない演出はともかくとして、世界の選手たちの晴れやかななお顔を見て、やっぱりよかったと思いましたね。

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そして、一方、わたしには、ワーグナーの夏が帰ってきました。

昨年は軒並み公演中止だった。
この夏は、各地でワーグナーが堰を切ったように上演されていて、やはり世界はワーグナーを求めていたんだと痛感。
ちなみにバイロイトでは、客数は50%以下で上演。

いくつかの上演を動画含めて視聴したので、簡単にあげときます。
演出の内容などは、まだ理解に及んでないので、いずれまた書くかもしれません。

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バイロイト初の女性指揮者、オクサーナ・リニフが2021年のプリミエ作品、「さまよえるオランダ人」を指揮しました。
ウクライナ出身で、母国でピアノ、ヴァイオリン、フルートと指揮を学び、2004年26歳で、バンベルク響のクスタフ・マーラー国際指揮者コンクールで3位となり、ジョナサン・ノットの元でバンベルクの副指揮者となります。
ちなみに、4年ごとに行われるこのコンクールは、その2004年が初回で、優勝者はドゥダメルです。
ドイツ各地で学び、ウクライナではオペラも指揮、さらにペトレンコのバイロイトリングでは、助手もつとめ、バイエルン州立歌劇場でも指揮をして、オペラ指揮者として頭角をあらわすようになり、2016年には、グラーツ歌劇場の音楽監督となりました。

  ワーグナー 「さまよえるオランダ人」

          ダーラント:ゲオルク・ツッペンフェルト
     ゼンタ:アスミク・グリゴリアン
     エリック:エリック・カーター
     マリー:マリアナ・プルデンスカヤ
     舵手 :アッティリオ・グラサー
     オランダ人:ジョン・ルントグレン

  オクサーナ・リニフ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
              バイロイト祝祭合唱団

     演出:ディミトリ・チェルニアコフ 

        (2021.7.25 バイロイト祝祭劇場)

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リニフの指揮に加え、歌手では、いまや引っ張りだこのグリゴリアンもバイロイトデビュー。
さらに、こちらも各劇場で引く手もあまた、チェルニアコフ演出がオランダ人で登場。

そのリニフさんの指揮が驚きのすばらしさで、全曲に渡ってどこもかしこも的確で、気の抜けたところは一切なし。
こうして欲しいと思うところは、自分的に納得のできる落としどころになっていたし、音楽のニュアンスがとても豊かで、ドラマティックな盛り上げにも欠けていなかった。

歌手では、グリゴリアンの力いっぱいの歌唱が目立ち、頑張りすぎー、と思うくらい。
もともと、彼女は、その演技も含めて、かなり役に没頭するタイプなので、ゼンタのような夢見心地と倒錯感ある役柄には向いてます。
今後、ジークリンデとか、飛躍してクンドリーなんかも聴いてみたい。
ツェペンフェルトの安定感と、初登場のカーターさんエリックもよかった。
ルントグレンのオランダ人は、この人、これまでウォータンで聴いたり、新国でスカルピアを聴いたりもしてるが、そのときのイメージ通り。
破壊的な声で、ちょっと大味、宿命を背負った深刻さや、気品はいまいち。

合唱団は演技だけで、実際は別室で歌ったというのもコロナ禍のバイロイトならでは。

もっとも、チェルニアコフ演出が、オランダ人もゼンタも、社会やその町から疎外された人物と描いているから、それに即した歌いぶりでもあるので、各歌手は演出上の役柄にピタリとはまっていたと思う。
その演出、工夫して映像で全部見たけど衝撃的です。
そのあたりは、またの機会に。
オペラDVDを試行錯誤しつつ集めてますが、気が付けばチェルニアコフ演出ばかり・・・・www

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 ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

    ザックス:・ミヒャエルフォレ         
    ポーグナー:ゲオルク・ツェペンフェルト

    フォゲルゲザンク:タンセル・アクツィベク 
    ナハティガル:アルミン・コラチェク

    ベックメッサー:ボー・スコウフス 
    コートナー:ヴェルナー・ファン・メッヘレン
 
    ツォルン:マルティン・ホムリッヒ  
    アイスリンガー:クリストファー・カプラン

    モーザー:リック・フルマン   
    オルテル:ライムント・ノルテ

    シュヴァルツ:アンドレアス・ヘール    
    フォルツ:ティモ・リッホネン
    ヴァルター:クラウス・フローリアン・フォークト  
    ダーヴィット:ダニエル・ベーレ

    エヴァ:クリスタ・マイヤー   
     マグダレーネ:ヴィーケ・レームクル

    夜警:ギュンター・グロイスベック

   フィリップ・ジョルダン指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
                 バイロイト祝祭合唱団
                          エーベルハルトト・フリードリヒ:合唱指揮

     演出:バリー・コスキー

          (2021.7.26 @バイロイト祝祭劇場)

2017年から始まったコスキー演出は、昨年のお休みを経て4年目。
ユニークで、ユーモアとペーソス、風刺も効いた好演出は、さらに継続するか不明なれど、歌手にかなりの演技力と細かな動きも要求されるので、5年を経て、完全なるチームワークが出来上がっていたんだろうと思われます。
映像作品も、初年度とともに、こうした熟した舞台を残しておいて欲しいもの。
そんな欠かせないメンバーのひとり、もはや、ザ・ベックメッサーとなってしまった感のあるマルティン・クレーンツルが声が万全でなく、急きょ、劇場側はボー・スコウフスに依頼して、まさにギリギリの到着で初日公演に間に合った。
スコウフスは声だけの出演で、舞台袖から歌い、演技は手慣れたクレーンツルが行ったといいます。
ほかの日は復調したのか気になりますが、バイロイトのHPを見ると、26日と1日がスコウフスとありますが、残りの4公演はいかに。
 そのスコウフスのベックメッサーが聴けたという点で、今年のマイスタージンガーは貴重なものでした。
お馴染みの、やや陰りありバリトンで聴くベックメッサーは、味があり、神経質で妙にかっこよくもシュールな感じもしました。
ほかのいつもの歌手たち、弾むようなビビットな音楽造りのジョルダンの指揮、万全です。

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  ワーグナー  「タンホイザー

    領主ヘルマン:ギュンター・クロイスベック 
    タンホイザー:ステファン・グールド

    ウォルフラム:マルクス・アイヒェ  
    ヴァルター:マクヌス・ビジリウス

    ビテロルフ :オラフール・ジグルダルソン 
    ハインリヒ:ヨルゲ・ロドリゲス・ノルトン
    ラインマール:ウィルヘルム・シュヴィンハマー 
    エリーザベト:リゼ・ダヴィットソン 
    ヴェーヌス:エカテリーナ・グバノヴァ 

    牧童:カタリーナ・コンラディ
    ル・ガトー・ショコラ:ル・ガトー・ショコラ 
    オスカル:マンニ・ライデンバッハ

   ヴァレリー・ゲルギエフ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
                 バイロイト祝祭合唱団
       合唱指揮:エバーハルト・フリードリヒ
      
    演出:トビアス・クラッツァー

           (2019.7.27 バイロイト祝祭劇場)

3年目だけど、昨年なしだったので、2年目のタンホイザー。
こちらも演技性の高いドラマのようなオペラになってるだけに、今後も主な役柄は固定されるでしょう。
初年度は怪我で最初は出演できなかった、本来のヴェーヌス役グバノヴァと、ヘルマン役のグロイスベックが登場。
一昨年、一番輝いていた代役ヴェーヌスのツィトコワの印象があまりに鮮やかだっただけに、グバノヴァにはちょっと不利だったかもしれないが、やはり力のある声は認めざるを得ないだろう。
フリーダム謳歌のヴェーヌス、どんな演技にビジュアルだったか、見てみたいものだ。

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左が一昨年のツィトコワ、右が今年のグバノヴァです。
しかし、これみてタンホイザーってもう、、、、50年前の人が見たら卒倒するでしょうな。
歌手は、みんな素晴らしかった。
 多忙さと、劇場の音響で苦戦したゲルギエフは早々に降りてしまい、代わりを任されたのは、またもアクセル・コバー。
これがまた実によかった。
オケと音響と舞台上の出来事も完全に掌握した手慣れた指揮は、安定感があり、これぞ真正ワーグナーの音楽、といえるものだ。
いつも書くけど、バイロイトには、シュタインやシュナイダーのような職人ワーグナー指揮者が必ず必要なんだ。
ライン・ドイツ・オペラの指揮者であるコバーは、いま同劇場でのリングが発売中で、なんとか聴いてみたいと思ってます。

ちなみに、冒頭の画像は、3幕の幕切れの場面で、タンホイザーの元でこと切れたエリーザベト、途方に暮れ羨ましいウォルフラム、悪い憑き物が取れすっきりしたヴェーヌスの姿です。
スクリーンでは、楽しそうに旅立つ二人が映しだされるシーンです。

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  ワーグナー 「ワルキューレ」

        ウォータン:トマス・コニェチュニ  
      ジークムント:クラウス・フローリアン・フォークト
        ジークリンデ:リセ・ダヴィッドセン
        ブリュンヒルデ:イレーネ・テオリン   
        フンディンク:ディミトリーベロッセルスキー
        フリッカ:クリスタ・マイヤー

        ワルキューレ:略

  ピエタリ・インキネン指揮 バイロイト祝祭管弦楽団

     アーティスト:ヘルマン・ニッチェ     

           (2021.7.29 バイロイト祝祭劇場)

2020年に、若いオーストリア人演出家、ファレンティン・シュヴァルツとインキネンの指揮でリング4部作が出る予定だったが、コロナで2年延期となり、その前哨戦的に上演されたワルキューレ。
 しかし、演出というか管掌アーティスト的な存在になったのは、ウィーン生まれの82歳のヘルマン・ニッチェ。
舞台美術家であり、劇作家であり、作曲家、画家でもある多角的な芸術家さんです。
ワーグナーにも造詣が深いとのことで、ワルキューレの音楽に合わせて舞台の上でパフォーマンスや絵画的なものの制作をするというもの。
写真でわかるとおり、歌手たちは黒い衣装を着て最低限の動きしかしていないようで、背景の白いキャンバスが、様々にペイントされてます。
ほかの写真では、舞台に思い切り塗料をぶちまけたり、磔刑のイエスみたいなものもありました。
評論では、「血まみれのカラフルな出来事におおわれたワルキューレ」とか書かれちゃってます。
 なんだかなぁ~って感じで、3幕が終わるとブーイングが飛んでます。

来年のリングに音楽面では備えるはずだったものの、ウォータン役のグロイスベックがウォータン役から降りると申し出ていて、来年はどうなるんだろうと心配です。
ということで、ここでも急きょ別の歌手が手配され、実績豊かなコニェチュニが歌いました。
クセのある独特の声は決して好きじゃないけれど、さすがにうまいもんです。
 歌手では、あとはなんといってもフォークトのジークムントのバイロイトデビューです。
決して背伸びしない、いつものフォークトならではの、明るい声によるジークムント。
健康的にすぎると思いもしたが、こんな明晰な声で歌われるジークムントはとても新鮮でした。
あと、ダヴィッドセンのジークリンデも素敵だが、テオリンのブリュンヒルデはどうだろう。
高域が絶叫になるすれすれに感じましたし、テオリンさん、こんなに声が揺れたっけ?

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インキネンの指揮が思ったほど精彩に欠けたように思います。
現地の評判でも、テンポが遅すぎとか書かれてますが、たしかに、2幕なんて96分もかかってる。
慎重になりすぎたのと、やはりホールの音を聴きながら的な、慣らし運転の思いもあったのかもで、気の毒にもブーも浴びたらしい。
なにより、舞台装置もなく、演技も少なめなのでやりにくかったでしょうね。
マッシモ劇場でのインキネンのリングをネット鑑賞したことがありますが、もっと熱くてドラマテック指揮だったですので、来年は楽しみではあります。

リングの他の3作をイメージしたアート作品が、劇場周辺に展示されているらしい。
神々の黄昏は、日本の塩田千春さんの作品です。

今年のバイロイト、以上4作に、ティーレマンの指揮で「パルジファル」の演奏会形式演奏。
あとネルソンスで、ワルキューレ1幕と黄昏の抜粋、ローエングリン、パルジファルなどのコンサートがあります。

2022年は、「リング」とあとは、「タンホイザー」「オランダ人」でしょうか?
2023年には、「パルジファル」新演出で、アメリカ人のジェイ・シャイブという演出家で、なんだか嫌な予感・・・
しかし、ジョゼフ・カレヤがパルジファルデビューします。
コロナと共生するバイロイト、上演も大胆な試みが引き続き必要です。

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  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

   トリスタン  :ステュワート・スケルトン
   イゾルデ   :ニーナ・シュティンメ
   マルケ王   :フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒ
   ブランゲーネ :ジェイミー・バートン
   クルヴェナール:ジョゼフ・ワーグナー
   メロート   :ドミニク・セグウィック
   舵取り・牧童 :リナルド・フリエリンク
   舵手     :イヴァン・スリオン

    サー・サイモン・ラトル指揮 ロンドン交響楽団
               エストニア・フィルハーモニック室内合唱団

       演出:サイモン・ストーン

      (2021.7. 8 @エクサン・プロヴァンス)

この7月には、エクサン・プロヴァンス音楽祭でも「トリスタン」
しかも、演出は話題の映画監督でもあるサイモン・ストーン。
ストーンはザルツブルク音楽祭でメディア、ウィーンでトラヴィアータ、ミュンヘンで死の都とヒットを連発している。
フランス放送局から、音楽だけ聴きましたが、映像も全部見れました。
あまりに面白すぎる発想、まさに映画の世界、映像映えするから商品化間違えなし。
一番目の画像は、媚薬を飲んだ後、胸の赤いのは媚薬のワイン。

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中東から、ブランド会社の社長夫人へ、社内で夜の偲び合い、他にも逢瀬の恋人たち、不倫発覚で真昼のオフィスに。
怪我を負い、地下鉄で故郷へ、社内にはレインボウプライドのひととか、みんなマスク着用。
ドレスアップしたイゾルデは、愛の死を歌い終えると、車外へ・・・・

一度じっくり再視聴します。

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シュティンメは相変わらず素晴らしく、どの音域も無理なく聴こえるし、ふくよかで力強い(映像ではちょっと〇過ぎだけど)
スケルトンもこの役を何度も歌い演じて、完全に堂に入ってきた。
最初の頃は、乱暴な破滅的なトリスタンだったけど、いまでは落ち着いて、歌唱に厳しさも見せるようになったと思う。
でも太りすぎ。。。
あとみんな演技もうまく、歌唱もそれぞれよろしい。

驚きのロンドン響のオーケストラピット。
シンフォニーオーケストラのオペラは、充実したオケの響きが舞台の声をほったらかして奏者たちが飛ばしてしまう傾向があるが、ロンドン響は抑制の効いたラトルの指揮でもあり、普段からピットで演奏しているかのように、雰囲気あるものに感じました。
ロンドン響を離れるのがつくづくともったいない、ラトルの指揮。
いろんなところで、トリスタンを指揮していて、すっかり手の内に入ってます。
手持ちのラトルのトリスタンは、ウィーン、ベルリン、メトと今回のものとで4種。
いつか聴き比べを書いてみたいです。

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  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

   トリスタン  :ヨナス・カウフマン
   イゾルデ   :アニヤ・ハルテロス
   マルケ王   :ミカ・カレス
   ブランゲーネ :オッカ・フォン・デア・ダメラウ
   クルヴェナール:ウオルフガンク・コッホ
   メロート   :シーン・ミハエル・プランプ
   舵取り    :マニュエル・ギュンター
   牧童     :ディーン・パワー
   舵手     :クリスティアン・リーガー

    キリル・ペトレンコ指揮 バイエルン州立歌劇場管弦楽団
                バイエルン州立歌劇場合唱団

       演出:クシストフ・ワリコフスキー

      (2021.7. 31 @バイエルン州立歌劇場)

ミュンヘンでもトリスタン。
ミュンヘン音楽祭のプリミエで、ここはなんといっても、カウフマンがついにトリスタンを歌ったことに話題が集中。
音源も限定放送の映像も確認しました。
カウフマンの声に、ちょっと飽きが来てたという、まったく不遜のワタクシを、びっくりさせてくれました。
悲劇性の強い、バリトン声のカウフマンはトリスタンやジークムントにぴったりと思ってたが、まさにそれを実感させてくれました。
3つの幕の長丁場、1幕は抑え気味に、2幕もソフトに、そして3幕にピークを持ってきて病めるトリスタンを緊張感豊かに歌い上げてました。
まだまだ余裕を感じるくらいでしたが、演技の少ない抑制された演出も歌手にとってはありがたかったかもしれません。

あと素晴らしかったのが、音楽監督としては最後の指揮となったペトレンコ。
全幕にわたり、これまた集中力が切れず、厳しい音楽造りでありながら、情感は豊か、オーケストラが舞台の歌手たちと一緒になって演じているかのような抜群の表現能力。
ラトル&LSOとペトレンコ&バイエルンのふたつのトリスタン、どちらも個性と音楽性にあふれてました。

リリカルなハルテロスがイゾルデを歌うなんて、最初は危惧しましたが、無理せず、ハルテロスらしい柔らかな声による女性らしいイゾルデでした。
愛の死は、ペトレンコの指揮とともに、美しい軌跡を描いて沈んでいくような夕陽のような感銘深いラストを歌ってました。
コッホとダメラウもいいが、カレス氏はビジュアルはいいが、その声が私の好みではなかったかも。

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ワリコフスキーの演出は、よくわからなかった。
基本、トリスタンとイゾルデはまったく触れ合うことがなく、ディスタンスを保ったまま。
映像で補完、そして意味不明のスケキヨみたいな男女のパペットみたいな演じ手の人形。
これもまた、感情の補完なんでしょうかね。
決闘シーンなんかも、なくて、座ったまんまフリだけ。
海はこれっぽちもなく、すべて室内での出来事。
愛の二重唱の高まりの行き着く果ては、ふたりで注射器で腕にお注射でした。

プロヴァンスのトリスタンの写実的な舞台に比べると、暗く寂しいものでした。

  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以上、7月にこんなにワーグナーが上演されました。
東京のマイスタージンガーは、初日がコロナ発生で中止とか、ともかく病禍にたたられっぱなし。
しかし、ともかく、世界も日本も、ワーグナーがなくては我慢ができません!

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聖火に群がる人々を制するように、ディスタンスを呼びかける係員。

人々もオリンピックに酔い、祭を待ち望んでる

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ずっと続く、人類は共生しなくてはならないのだろう。

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2021年7月23日 (金)

これでもかとばかりに「ローマの祭り」を聴いてしまう

F

みたままつりで、毎年展示される、青森ねぶた。

今年も、青森のねぶたまつりは中止。

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こちらは、弘前ねぶた、お隣に展示。

五所川原も有名だし、大湊など、ほかの地域に独特のねぶたがあるそうで。

東北の祭りは、日本人の心に夏の刹那的な輝かしさと郷愁とを呼び覚まします。

そして日本の各地、自分の町々にもいろんなお祭りがある。

それらがみーーんな中止。

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担ぎ手は鬱憤がたまるし、神輿も手持ち無沙汰にしか見えない。

祭りを返せーーーーーーーっての!

ちきしょー、日本じゃないけど、レスピーギの「ローマの祭り」をめちゃくちゃ聴いてやる、ってことで。

手持ちの音源を、全部じゃないけど、1週間かけて聴いてやったぜ、の巻だ、こんにゃやろー。

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いきなり金管の大咆哮で始まる「チルリェンセス」はローマ時代の暴君の元にあった異次元ワールドの表出。

キリスト教社会が確立し、巡礼で人々はローマを目指し、ローマの街並を見出した巡礼者たちが喜びに沸く「五十年祭」。

ルネサンス期、人々は自由を謳歌し、リュートをかき鳴らし、歌に芸術に酔いしれる「十月祭」。

手回しオルガン、酒に酔った人々、けたたましい騒音とともに人々は熱狂する。キリストの降誕を祝う「主顕祭」はさながらレスピーギが現実として耳にした1928年頃の祭の様子。

(以上、過去記事より)

名盤云々とするのは好きでないので、印象を書き散らすのみ。

・トスカニーニ&NBC 
  鋼のような演奏。無慈悲な祭りの熱狂を正確無比に描き出す。
  モノなのに、そんなハンデはこれっぽちもない。

・デ・サバータ&ベルリンフィル
  当然にモノで放送録音、ヒス多し。
  こちらもBPOだけあって正確無比ながら、テンポを動かし、早くて遅い。
  ラストは悠揚迫らぬ雰囲気。
  ベルリンフィルはこの曲の録音ないかも?

・オーマンディ&フィラデルフィア(RCA)
  録音のせいか、きらびやか、あ、この時代のこのオケだからか?
  間合いの取り方や、大仰さがやや時代めいて聴こえるという不遜な思いも
  でも、各処決め所はさすがで、王道を行く演奏

・バーンスタイン&ニューヨークフィル
  荒馬のようなNYPO、デフォルメされた金管、おどろおどろしくもあり。
  官能の極み興奮の坩堝もあり。
  ジェットコースターだよ、おっかさん
  たのしーよ、おとっつあん。

・マゼール&クリーヴランド
  大向こうをうならせるような原色系の演奏。
  おらおらと煽られもするが、でも以外に沈着だったりする。
  聴かせ上手で、指揮しながら、客席に向かってどうよ?
  ~って言いそうなマゼールさんの指揮、好き。
  オケがめちゃウマい、録音もいい。

・デュトワ&モントリオール(1982)
  ビューティフル!テンポもよろしく、しなやか。
  録音も演奏と同質的な美的なもの。
  うまいもんだ。しかしウネリは少なめ、どこまでも美しい。
  N響でお馴染みの指揮ぶりが思い浮かぶ。

・デュトワ&ボストン響、ロイヤルフィル(2014)
  ともに2014ライブで、タングルウッドとPromsの自己エアチェック音源。
  32年の歳月は確実に音楽の構えの大きさにあらわれてる。
  堂々としつつも、強靭な響きと華やかな煌めきもあり。
  ボストン響の充実ぶりが上回る。
  RPOはプロムスの独特のあげあげムードの後押しもあり。
  ともに、一気に3部作を連続演奏。

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・小澤征爾&ボストン響
  アナログ時代のざーさんの代表盤。
  レコードのこのジャケット好きだった。
  ヨーロピアンなBSO。
  品もありつつ、しなやかで、バランスのいい美しい演奏。
  ラストに、そんなにはっちゃけず、冷静なままに終了。
  オリーブオイル垂らした味噌汁うまいよ、ジャポネーゼ!

・シノーポリ&ニューヨークフィル
  自分に音楽を引き寄せたレニー&NYPOとは違った冷静さ感じる
  録音のせいもあるが、パンチは効いてるし音の圧も高い。
  五十年祭はかなり深刻で気が重たくなるが、後の解放感が心地よい。
  面白いコンビだな、ドレスデンでも聴いてみたかったぞ。

・ヤンソンス&オスロフィル
  濃い味少なめ。
  パートの絡み、音の出し入れ、強弱が実に巧みで、メリハリありうまい。
  これも語り上手な演奏だが、後年にバイエルンで再録して欲しかった
  
・ガッティ&ローマ聖チェチーリア
  これはいい。
  譜面に忠実に、細大漏らさず音にした感じ。
  着実で堂々としつつ、繊細さ甘味さもあり。
  ホルンがめちゃうまい。
  ラストの自然な盛り上げにオジサン興奮、ふがぁーー

・マリナー&アカデミー・セント・マーティン
  90年代、アカデミー増強で、大オーケストラレパートリーを録音していた
  あっさり、うす味ローマ祭り、歳取ると、こんなローカロリーが好き。
  10月祭の透明感ある美しさは格別♪

・ルイージ&スイス・ロマンド
  伝統のオケを指揮したルイージ、若い。
  冒頭からガンガン結構行くが、10月祭ではしっとりと弱音を活かした美演。
  ラストはすさまじい熱狂ぶりであります。
  ヴェルディみたいなローマ祭り。
  
・パッパーノ&ローマ聖チェチーリア
  小粋でスマート。しゃれっ気もダイナミックさも兼ね備えてる。
  オケは明るく痛快だ。
  煌めくサウンド、ローマの地下での神妙な祈り、鼻歌混じりのセレナード
  最後は爆発的な祭典へ。いぇ~い!
  最高だぜ、パッパーノ兄貴!

・ファレッタ&バッファローフィル
  おなご指揮者ファレッタさんは、レスピーギや後期ロマン派。
  加えて、英国物もお得意だ。
  オケの力量もあろうか、ちょっとした詰めは甘いところがある。
  しかし細部は美しく、よく歌ってる。
  爆発力も兼ね備え、さすが、アメリカオケを感じる。
  バッファローはアメリカ北部、エリー湖に面した都市。
  いずれアメリカオケ旅で取り上げます。 

※世評高いムーティさんは持ってません(意味深)
でも、バイエルン放送とのライブ放送を自己音源で聴いてますが、一気呵成、ラストスパートよしの演奏でした。
あと、放送音源では、ウェルザー・メストとクリーヴランドの快速特急ローマ祭りも面白い。
バッティストニーニ&東フィルの激熱ぶりぶり放送ライブも好き。
最近では、ジョン・ウィルソンとBBCスコティッシュのものが、ビジュアル感あふれる演奏で気にいりましたね。
バティス盤がどっかいっちゃって見当たらない

未入手CDでは、怖いもの見たさでスヴェトラーノフさんですかねぇ。
アバドは絶対に振らなかったレスピーギ。

無謀な企画に、正直疲れましたが、それでも何度聴いても面白い曲だ。
クソ暑い夏向きの音楽。

それにしてもレスピーギの音楽はなんでもありで、しかもよく書けてる。
オペラ収集中につき、そちらも再開しなくちゃならない。
時間が足りない・・・

H

2年前の祭り。
あのときの熱狂はもう戻らないのか・・・・

「祭」で耳が疲れたら、「松」のジャニコロ・ナイチンゲールで癒され、「泉」のほとりで涼もうじゃないか。

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2021年7月18日 (日)

バレンボイムの欧・露音楽

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靖国神社の「みたままつり」2021、お詣りしてきました。

昨年は中止、今年は出店や音楽舞台、神輿などの奉納行事は一切なく、美しい幻想的な提灯と懸雪洞のみ。

立錐の余地のなくなるこれまでと違い、静かな境内は落ち行きあるものでした。

梅雨明け前夜、ほのかな月も美しかったです。

特に、この期間のみ、宮の中庭も拝観・参拝できまして、普段は入ることのできない場所だけに貴重な体験もできました。

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仙台から奉納された七夕飾り。

今年は短くなり、しかし、よく見ると千羽鶴なんです。

中庭参観で授かった呼鈴守りには、「この国難に、一日も早い感染症の終息を祈念致します」とありました。。。

ほんとそう、みたままつりは、新入社員時代の会社が至近にあったのでそのときから行ってました。

あのときの賑やかさが戻ることを・・・・・

 さて、音楽の方は賑やかに、若きバレンボイムに誘われて、旅気分でいきましょう♬

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  R=コルサコフ スペイン狂詩曲

 ダニエル・バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団

      (1977.3 @オーケストラホール、シカゴ)

シカゴの音楽監督になるまえに、70年代後半に、DGへヨーロッパとロシアの音楽を特集したレコードを数枚録音しました。
私はロシア盤だけレコードで購入し、他はCD時代になって聴きました。
 ということで、まず、第1弾のロシアへまいりましょう。

「はげ山」「ダッタン人の踊り」「ロシアの復活祭」「スペイン狂詩曲」の4曲。
これがまあ、明るくて楽しくて、レコードの鳴りもよくて大学生だった自分は毎日聴いたものです。

ロシアの憂愁やおどろおどろしさ、暗さなどは皆無。  
あっけらかんと、どっかーーんと、大音量で楽しむに限る。
シカゴの名人芸を、35歳の若きバレンボイムが、自ら楽しむがこどく堪能してる感じであります。
バレンボイムは、以外やロシアものが得意。
ことに、オペラを存外に好んで指揮していて、コルサコフだと「皇帝の結婚」、「エウゲニ・オネーギン」、プロコフィエフの「賭博者」に「修道院での婚約」なども取り上げてます。
いずれも、ロシアというか、ドイツ目線の演奏に感じますが、才気あふれる指揮であることには変わりなく、多彩な人だと実感。

シカゴの録音はDGのものが一番好き。
当時のデッカはメディナテンプルで、DGはオーケストラホール。
音の分離の良さや重厚さではデッカ、響きの良さとやや乾いたホールトーンも楽しめる雰囲気があるのはDG。
そんなイメージをずっと持ってます。
この時期の、アバドやジュリーニの録音もそうですね。
 バレンボイムとシカゴは、後にエラートに録音するようになりましたが、演奏も録音も、DG時代の方がはるかに好きです。

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  ブラームス ハンガリー舞曲第1、3、10番

  ドヴォルザーク スラヴ舞曲 op.46-1、8

  ダニエル・バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団

      (1977.11 @オーケストラホール、シカゴ)

これまたシカゴのゴージャスサウンドが楽しめるけれど、こうして聴くとやはり、ブラームスはバレンボイムの性に合ってる感じ。
東欧音楽の1枚は、あと、「モルダウ」と「レ・プレリュード」が併録されてます。
リストもバレンボイム向きなだけに、なかなかシリアスな名演になってます。
アンコールピースみたいないずれの曲だけれども、真剣勝負のシカゴはここでもすごい。
ハンガリー舞曲では、独特のうねりのような情念も感じられ、オケももしかしたら古き良き過去の大指揮者を思いつつ懐かしんでる風情があり。
一方のスラヴ舞曲は、構えが大きく、チャーミングさ不足か。しゃれっ気が欲しいくらい。
そういえば、バレンボイムはドヴォルザークを振りませんね、新世界すらない。

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  メンデルスゾーン 「真夏の夜の夢」序曲

 ダニエル・バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団

      (1979.3 @オーケストラホール、シカゴ)

ドイツ名曲集は、この「真夏の夜の夢」に加えて、「フィガロ」「オベロン」「舞踏への勧誘」「ウィンザーの陽気な女房たち」そして、シューマン全集から「マンフレッド」序曲が加えられてます。
さすがにドイツものとなると、バレンボイムとシカゴの面目躍如で、どっしりと構えつつ、堂々たる音楽の運びで充実してます。
フィガロやウィンザーには、より軽やかさを求めたくもありますが、オベロンと真夏の夜は、ロマンティックでドイツの森を感じさせ、単体で聴くオーケストラピースとしては完結感にもあふれていて実に気分がよろしくなります。

ちなみに、この録音の5年後に、シカゴ響はレヴァインとこの作品を録音してますが、そちらは軽やかで威勢のよさを感じます。
バレンボイムは、より堂々としていて、重たいです。
ワーグナーもこの時期、のちのエラートの時代でなく、シカゴで録音して欲しかったものです。

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  サン=サーンス 交響詩「死の舞踏」

 ダニエル・バレンボイム指揮 パリ管弦楽団

      (1980.10 @パリ)

1975年にパリ管の首席に就任していたバレンボイム。
当然のように、フランス管弦楽作品は、パリ管。
しかし、寄せ集め感があって、既存録音のサムソンとデリラやベルリオーズなどからチョイスされてます。
「ローマの謝肉祭」「ベンヴェヌート・チェッリーニ」「ノアの洪水」「サムソンとデリラ」「魔法使いの弟子」などが収録。
シカゴから順番に聴いてくると、ここで明らかにオーケストラの毛色がまったく変わったのがわかります。
もちろん、録音の違いも大きいですが。
サラッとしてて、しなやかなサウンド。
バレンボイムの指揮ですから、重心はやや下にありますが、ヨルダノフのヴァイオリンソロも含め、木管のさりげないひと吹きも色艶があって、魅惑的です。
ドビュッシー、ラヴェルやフランク、ベルリオーズなど、パリ管時代に残してくれた数々の録音は、いまや達観の域にあるバレンボイムの若き貴重な遺産だと思いますね。

 しかし、パリ管は、フランス人指揮者が首席にならないし、毎回、よく変わります。

ミュンシュ→カラヤン→ショルティ→バレンボイム→ビシュコフ→ドホナーニ→エッシェンバッハ→P・ヤルヴィ→ハーディング→マケラ

Barenboim-english

 ディーリアス 「春はじめてのかっこうを聞いて」
        「川の上の夏の夜」
         2つの水彩画
        「フェニモアとゲルダ」間奏曲

 ダニエル・バレンボイム指揮 イギリス室内管弦楽団

      (1974.5 @ハンブルク)

音楽旅は、大好きな英国へ。
パリから、ロンドンに着くと、音楽も演奏も、1枚ヴェールがかかったように、くすんでいる。
本格的な指揮活動は、イギリス室内管と。
いうまでもなく、モーツァルトの弾き振りからだったのですが、EMIで徐々にレパートリーを拡張。
「浄夜」と「ジークフリート牧歌」にヒンデミットを組み合わせた1枚なんて、最高だった。
ベルリンでも録音したエルガーを除くと、英国音楽の録音は、この1枚と、RVWの協奏曲のみかもしれない、ましてディーリアスはありえない。
「グリースリーヴス」「揚げひばり」、ウォルトン「ヘンリー5世」が併録。
のちに、RVWのオーボエとチューバの協奏曲も録音。

室内オケでありながら、恰幅のよさはバレンボイムならではですが、ひたすらに肩の力を抜いて慎ましい演奏に徹しているのがよかった。
時節柄、「川の上の夏の夜」に「水彩画」、「フェニモア」がことさらによろしく響き、窓から入り込む夏の風もどこか爽やかに感じるがごとくでありました。

指揮者としての日本デビューは確か、1971年で、こちらのイギリス室内管と。
モーツァルトを中心とするプログラムで、髪の毛はもじゃもじゃだった。
その時に、N響にも来演し、ズッカーマンとメンデルスゾーン、チャイコフスキーの4番を指揮してます。
テレビで見ましたが、あの時の指揮はよく覚えてます。
 http://wanderer.way-nifty.com/poet/2006/09/post_4a42.html

あのときのごりごりした指揮ぶりとは別人の神妙さ。
懐かしい郷愁の響きもここでは感じます。
バレンボイムも若かった、イギリスのオケも味わいがあった・・・・

先ごろも、ピアノストとして来日し、ベートーヴェンを聴かせてくれたバレンボイム。
78歳、まだまだ活躍しそうな感満載のずっと精力的なこの芸術家は、音楽史上まれにみる存在であります。
ベルリン・シュターツカペレとは、もう40年近くになります。
また、このオーケストラを率いて来演して、オペラも含めて指揮をして欲しいと熱望します。

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心落ち着く日がともかく恋しい。

若きバレンボイムによる音楽旅、楽しかった。

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2021年7月11日 (日)

R・シュトラウス 「火の欠乏」 シルマー&フェッロ

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雨の日の前日の空。

夕焼け好きのワタクシです。

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少し時間を経過して。

このあと、東京タワーのライトアップが引き立つ時間、好き。

本blog、二度目のシュトラウスのオペラ全作シリーズ。

第1作「グントラム」に続き、2作目の1幕オペラ「火の欠乏」。
私は、この作品がフリッケ盤で出たときから、Feuersnot、火がないことことから、「火の欠乏」と呼んできました。
ほかにも、「火の飢餓」「火の危機」とかも呼ばれますが、日本シュトラウス協会では、「火の消えた町」と称しているそうで、このオペラの内容からしたら、そちらがまさにピタリとくるものです。
ですが、ここでは、自分が長く親しんできた名前で行きます。

1901年、シュトラウス37歳の作品で、全作の「グントラム」からは9年の歳月が流れてます。
この間、多くの歌曲や、高名な交響詩、ティル、ツァラトゥストラ、ドン・キホーテ、英雄の生涯などを書き上げていて、そうオーケストレーションの達人にもなり、かつ歌に対しても名手の域に達していて、さらに指揮者としても大活躍だったシュトラウスなのです。

ワーグナーの虜が書き上げたような、素材ともに、もろにワーグナーの影響下にあった「グントラム」。
ここ「火の欠乏」では、ワーグナーを腐した町、ミュンヘンを揶揄する内容において、ワーグナーの素材などがパロディーとして使用されているが、ワーグナーの神話的な世界や、分厚いオーケストラ、半音階的な和音などは、ほぼありません。
響きは明るく明晰で、これはずっと後年まで続くシュトラウス独自に明朗な音楽に共通です。
美しく、思わず身体が動いてしまうようなステキなワルツもあるし、一度聴いたら忘れられないフレーズなどたくさん。
さらには、主役のバリトンの長大なモノローグは、後続のオペラで、ソプラノやバスが担うことになる、味わい深く、教訓や人生観をも感じさせるものがあります。

しかし、完成されたスコアの最後には、「全能者に敬意を表し、その誕生日に完成。1901年5月22日、ベルリンにて」とあります。
そう、5月22日は、ワーグナーの誕生日です。
あくまでワーグナーへのリスペクトは変わらなかったシュトラウスです。

「火の欠乏」から4年後には、「サロメ」が生まれますが、明るいメルヘンのあと、バラの騎士でなく、サロメやエレクトラに行ったのは、これもまたシュトラウスの音楽の変遷を思う中で面白いことです。
ひとつには、ホフマンスタールとの出会いも大きいことかと。
あとは、批判を恐れない、大胆な芸術家としてのシュトラウスの在り方。

「火の欠乏」は、ベルリンで作曲されたとき、当局から検閲を受けてます。
「サロメ」はもちろん検閲騒ぎになったわけですが、穏健な音楽の「火の欠乏」だったのですが、ヴォルツーゲンが書いた台本には、バイエルン地方の方言がそのままに用いられていて、なかには当時、猥雑な内容ともされたものだったからです。
シュトラウスは、ミュンヘンへの揶揄をこうした部分でも表しているのです。
 検閲後、ベルリンで初演されたが、7回ほど上演されたのち、ドイツ国の皇后が、つまらないと指摘したこともあり、上演は幕引きとなってしまった。

サロメ以降ばかりが、上演されるのに、「火の欠乏」は、音楽だけをとれば見逃せないシュトラウスらしい作品だと思います。
 クンラートの大演説にリングのライトモティーフが出てきたりして、とても神妙となります。
そのあと、火が町に戻ってくる場面の音楽のすばらしさといったらありません。
目頭が熱くなりました・・・・

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舞台はミュンヘン。今日はお祭り、「火祭の日」である。
子供達が楽しそうに歌いながら、町を練り歩く(呪文のような謎のセリフ)。
市長の娘ディムートは「結婚しない女」で、遊び仲間の女3人と子供達にお菓子をくばったりしている。
街の変わり者クンラートは、ボサボサの髪、むさ苦しいなりで自宅で本に没頭していて、今日が祭りの日ということを知ってかしらないか。
「燃え盛る火を二人して飛び越えると愛が成就するよ」と子供たちから、祭の伝説を聞かされ、すっかりその気になって夢中になってしまう。
調子に乗って「ディムート」に愛を告白して、ついでにキスまでしてしまう。
これには、町中大受けで、たくさんの人からディムートは囃され、笑いのネタにされてしまい、恥ずかしさのあまり、家に飛び込んでしまう。

ディムートは口惜しくてくやしくて、お返しをしようと思っていると、バルコニーの下にクンラートが現れる。
作戦ながら彼をすっかりその気にさせて、思わず熱烈な2重唱が歌われる。
クンラートは、感極まって上にあがりたがり、まんまと籠にのる。

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バルコニーに向けてするすると持ち上がって行くが、ディームートによって途中で止められてしまう。
ディムートは、街中の人を呼び集め、籠の中の宙吊りのクンラートは、さらしものにされ、物笑いの種となってしまった。

騙されたと知った彼は、頭にきて街の火や明かりを消してしまう呪文を唱える。

Feuersnot-02

ミュンヘンは、真っ暗闇になってしまった。

人々は、クンラートに助けを請い、またディームートのバカげた行為を非難し、彼女に謝るように、そして彼のもとに行くようにと嘆願する。
 ここでクンラートは、ついに世紀の大演説をぶつ。
「火祭のほんとうの意味を理解していないから、こうして暗闇が訪れるのだ。
かつてミュンヘンは偉大なマイスター(ワーグナー)を冷遇した、そしてシュトラウスもだ。」
このあたりで、ヴァルハラの動機まで出てくるし、シュトラウスの作品の旋律もチラチラする。
こんな意味のことを比喩をまじえながら、ちくちくと町を揶揄して人々を諭すように歌う。
 明かり(火)も愛も、唯一女性からもたらされるのだ、と歌い最後は二人仲良く抱き合う。

              幕

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  R・シュトラウス 歌劇「火の欠乏」 op.50

   ディームート:シモーネ・シュナイダー
   クンラート :マルクス・アイヒェ
   シュヴァイカー・フォン・グンデルフィンケン
   (城の廷士):ロウヴェン・フトハー
   オルトロフ・ゼントリンガー
   (城主)  :ラース・ヴォルト
   エルスベート:モニカ・マスクス
   ウィゲリス :サンドラ・ヤンケ
   マルグレート:オレナ・トカール
   ヨェルク・ペーシェル:ヴィルヘルム・シュヴィンクハマー
   ヘーメルライン:ミヒャエル・クプハー
   コーフェル :アンドレアス・ブルクハルト
   クンツ・ギルゲンストック:ルートヴィヒ・ミッテルハマー
   オルトリープ・トゥルベック:ソン・スン・ミン

  ウルフ・シルマー指揮 ミュンヘン放送管弦楽団
             バイエルン放送合唱団
             ゲルトナープラッツ州立劇場少年少女合唱団

     (2014.1.24,26 @プリンツレゲンテン劇場、ミュンヘン)

ハインツ・フリッケ盤以来29年ぶりの「火の欠乏」の録音。
同じ、ミュンヘンでの録音で、オーケストラも同じなところがおもしろい。
そう、まさにミュンヘンゆかりの作品ゆえで、ワーグナーとシュトラウス自身に厳しかったミュンヘンでの録音しかないのもおもしろい。
しかも、このシルマー盤の録音は、ルートヴィヒ2世が、当初ワーグナーのために建設した劇場で行われてます!
このときの演奏会形式の模様がyoutubeで全曲視聴が可能です。
(https://www.youtube.com/watch?v=bplGSjUWQL0)

音質と画質は目をつぶるとして、この作品を手中にしたかのようなシルマーの練達の指揮ぶりと、大編制のミュンヘンの放送オケの実力のほどを感じさせます。
バイエルン放送響の影にかくれ、二軍みたいた存在に思われることが多いが、作品への順応性と、明るい音色と機能性の豊かさ。
管がものすごくうまいです。
CPO盤のこちらのCDは、音質も含め、下記のとおり歌手もよく理想的なもの。

歌手では、バイロイトの常連、名ウォルフラムのアイヒェの独り舞台。
素直なクセのない美声はのびのびとして、耳に心地いいし、言葉も明瞭で、かつてのプライの声を軽くしたような感じか。
聴かせどころ、「Feuersnot」と呼びかけるところ、ずばり、決まってますし、長大なモノローグも弛緩なく実に豊かです!
フリッケ盤のヴァイクルの声の印象が強すぎだが、このアイヒェの美声になれちゃうと、ヴァイクルの声は強すぎで、ザックスみたいに感じてしまうから困ったものだ。
 シュナイダーさんの、ディームートは、ちょっと高慢で空気読めない女性をよく歌いこんでいて、強い声も絶叫にならず、余裕があるのがいいです。
ほかたくさんの登場人物たち、本場での上演だけに、合唱・少年少女も含めて、みんなドイツ語がはっきりくっきりでよいです。

というにも下のDVDは、イタリア人たちの発声が明るすぎだったからなんです。

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  R・シュトラウス 歌劇「火の欠乏」 op.50

   ディームート:ニコラ・ベラー・カルボネ
   クンラート :ディートリヒ・ヘンシェル
   シュヴァイカー・フォン・グンデルフィンケン
   (城の廷士):アレックス・ヴァヴィロフ
   オルトロフ・ゼントリンガー
   (城主)  :ルーベン・アモレッティ
   エルスベート:クリスティーネ・クノッレン
   ウィゲリス :アキーラ・フラカッソ
   マルグレート:アンナ・マリア・サッラ
   ヨェルク・ペーシェル:ミハイル・リソフ
   ヘーメルライン:ニコロ・チェリアーニ
   コーフェル :パオロ・バッタギルタ
   クンツ・ギルゲンストック:パオロ・オレチーナ
   オルトリープ・トゥルベック:クリスティアーノ・オリヴィエーリ

  ガブリエーレ・フェッロ指揮 マッシモ劇場管弦楽団
                マッシモ劇場合唱団

                マッシモ劇場児童合唱団

        演出:エンマ・ダンテ           

     (2014 @マッシモ劇場、パレルモ)

まさかの劇場上演のDVDが出ました。
しかも、シルマー盤と同じ2014年の上演記録です。
この年は、シュトラウスの生誕150年。
よくぞ、映像作品として出してくれました。
劇の内容からして、イタリア人の好みそうなものだし。

日本語対訳が付いてないものの、おおまかな筋立てを理解していれば、ほぼ楽しめます。
時代設定は現代にしてるものだから、やたらとたくさん出てくる登場人物たちが、誰が誰やらわからない。

主役の男女と、女性の父(城主・市長)、女性の女友達3人、父の秘書的(城の廷士)なテノール、このあたりだけ押さえておけば大丈夫かと。
しかしながら、この女性の演出家、最初から最後までダンサーを多用して、舞台はどこもかしこもダンサーだらけで、脱いだり着たり、男もブラジャーしてるし、なにがなんだかわからんし、目障りなことおびただしい。
ただでさえ、ちょい役の歌手がいっぱいいるのに・・・

Feuersnot-03

 でも、ラスト、クンラートが魔法を解除し、火が町に戻ってきたとき、ダンサーたちがオレンジの布をたくさんヒラヒラさせて、舞台がオレンジに染まったとき、素晴らしい音楽とともに、ほんと美しいと思いましたね。
ディームートが皆にせがまれて、クンラートの元に行き、最後に2人の邂逅の証に「すばらしい真夏の夜よ、永遠にアイしてるーー」って歯が浮くように歌うんですが、この演出では、窓から出てきたとき、ひとりはブラジャー姿、もうひとりは上半身裸の胸毛姿。。。。
なんだかなぁ、そこまで見せる必要あるかい??
最終場面のファタジー感、がぶっとんだ・・・

D・ヘンシェルのFDばりの知的な歌は、その気難しい風貌とともに、この役になりきってサマになってました。
でも、アイヒェのすばらしさには敵わない。
カルボネさんのディームートは、もう少し色っぽいと舞台映えしたと思うけど悪くない。
ほかの人は、多すぎでなんだかさっぱりわからないけど、3人娘は楽しかった。
 指揮のフェッロは、ずいぶんとお歳を召したものだと思った。
ロッシーニ指揮者として80年代に活躍、あと以外にも、ツェムリンスキーも指揮したりもしてたから、シュトラウスもお得意なんだろう。
パレルモの明るいけれど、ドイツの響きとは全然違うオケピットの音色が、思いのほか新鮮です。
この劇場で、インキネンはリングを振ってますね。

お部屋で、こうしてオペラが視聴できちゃう幸せ。
昔なら考えられないことです。
劇場に行きたいけれど、なかなか難しいし。

ワーグナーとシュトラウス、プロコフィエフも交互に全作を取り上げ中、ついでにヘンデルとロッシーニも。
歳と残された年月を考えたら、こんな企画はもう最後かもね。

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