2020年1月24日 (金)

ストラヴィンスキー 「プルチネッラ」 アバド指揮

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水仙の花。
こちらはニホンズイセン。
家のまわりや、いつも行く吾妻山にもたくさん群生してます。
ヒガンバナ科とのことで、球根から育ちます。

その球根を、放り投げておくだけで自生し、どんどん育って今時分に花を咲かせます。

なんといっても香りがよろしい。

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  ストラヴィンスキー バレエ「プルチネッラ」

    Ms:テレサ・ベルガンサ
    T: ライランド・デイヴィス
    Br:ジョン・シャーリー・クワァーク

  クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

       (1978.3,5 @ヘンリー・ウッドホール、ロンドン)

アバドは、ロンドン響時代に、3大バレエを録音しましたが、順番で言うとペトルーシュカで完成させる前に「プルチネッラ」を取り上げました。
組曲版でなく、独唱も加わった全曲版であったところがアバドらしいこだわりといえます。
これら4つのバレエ作品に、あと同じくバレエ「カルタ遊び」に、ヴァイオリン協奏曲が、アバドが残したストラヴィンスキーの正規録音です。
あと非正規ですが、若き日の演奏「オイディプス王」もありまして、密かに聴いてますのでいずれ機会があれば取り上げたいと思ってます。
 この「オイディプス」はアバド向きの作品に思うのですが、ベルリンかルツェルンでも取り上げてもおかしくなかったです。
それと「カルタ遊び」も、ロッシーニなどのパロディにあふれていて、これもまた、70年代のアバドが取り上げるにふさわしい作品だったりします。

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ディアギレフの依頼により1919年に作曲。
ペルゴレージの作品を中心に、ガッロ、チェレーリ、パリソッティなどの前古典派作品の大オーケストラ版への編曲、ということでの依頼だったが、ストラヴィンスキーの造り上げた音楽は、すっきりとした小ぶりな編成による、コンチェルトグロッソ的な作品で、各楽器がソロで活躍し、加えて3人の歌手も要するユニークなものでした。
 序曲(シンフォニア)と8場、18曲からなる音楽で、自身で選んだ8つの曲からなる組曲版の方が今ではよく演奏される。
1920年の初演では、アンセルメが指揮をとり、舞台美術と衣装はパブロ・ピカソ。

ちょっと探したら、舞台のスケッチと、それを再現した実際の舞台の写真を見ることができました。

Picasso

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プルチネッラは、ナポリが発祥の地で、ナポリ近郊の町に実在した農民プッチョ・ダニエッロさんがモデルで、道化師さんのことで、ナポリの化身ともいわれるそうな。
長い帽子、だぼだぼの服に黒い仮面がトレードマーク。
明るく楽しく、誰からも愛される人懐っこい人気もので、ナポリの街には、プルチネッラの像や人形やらであふれているそうです。

このプルチネッラを主役のナポリの民衆劇を素材にしたこのバレエの筋も楽しいものです。
色男でもあるプルチネッラは、超人気もので、女たちにモテまくり。
恋人のピンピネルラも嫉妬。
街の若者たちは、ねたんだ挙句、殺してしまうが、身代わりを立てて助かるプルチネッラ。
その身代わりさんも、無事安全。
最後は、舞台は女性の気を引こうとした偽のプルチネッラだらけになって大騒ぎ。
最後は本物のプルチネッラとピンピネッラは仲直りして結婚、そして若者たちも女の子たちと結婚でハッピーエンド。

EMIのマリナーの全曲盤にバレエをつけた映像作品をネット視聴してみました。
これがまた面白いのなんのって。

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みんな可愛い。
いっぱい出てくるプルチネッラのダンスが愉快で、マネしてみたら身体じゅう痛くなった。
脱力系で、ひとりが棒で人形を操る3人羽織みたいな感じで、舞台中プルチネッラばっかり(笑)
カトちゃんのヒゲダンスを思い出しちまった・・・

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軽やかで、プルチネッラの鼻歌までも聴こえてきそうなアバドのストラヴィンスキー。
ロンドン響から、最高のロッシーニサウンドを引き出したように、センスばっちりの生き生きとしたプルチネッラは、このオーケストラとの演奏でこそできたものでしょう。
もっと羽目をはずしてもよさそうなところも、アバドならではの気品すら漂う上質ぶり。
いにしえの音楽が、ストラヴィンスキーによって鮮やかにリフレッシュされた感も満載で、ペルゴレージの音楽を愛したアバドのイタリアの歌心もここにはあります。
ともかく、しなやかによく歌う、そして、オペラのようなラルゴはまさに絶品。
 歌うといえば、ふたりの男声英国歌手はうまいもんだし、ベルガンサの知的だけどほのかな色気すらにじませる歌唱が素敵であります。
アバドとベルガンサのカルメンの翌年の録音であります。
アバドと1歳違いのベルガンサは、まだ健在のようで、アバドのことが大好きだったベルガンサさんには、ずっと元気でいて欲しいです!

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レコードジャケットは、ピーター・ワンドリーというドイツ人アーティストのものです。
絵画からデザイン、彫刻など広範に手掛けたアーティストで、ロックやクラシックも好み、バレエにも造詣が深かったようです。
アバドのストラヴィンスキーは、全部この方の作品で、こうして並べてみると、シンメトリー感と色彩感、そして舞台をほうふつとさせる雰囲気がよく出てます。
 DGは、ワンドリーにいくつもジャケットを依頼してまして、バレンボイムのベルリオーズシリーズや、スタインバーグとボストン響のレコードもあります。

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レコードジャケットは、大きいし見栄えもあるので、インテリアにもなりました。
曲を聴くときに、ジャケットをスピーカーの上に立てかけて、それを眺めながら聴いたものです。
このアバドのストラヴィンスキーや、アバドのマーラーの羽のジャケットなど、ほんと絵になりました。
洋楽系などは、壁に飾ったりもしてましたよ。
 CDでは、いまでは、ちょっと無理な大人な世界かもしれません。

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2020年1月20日 (月)

ベートーヴェン 「フィデリオ」 アバド指揮

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毎度の場所ですが、お正月の吾妻山から。

富士と海と菜の花が一度に見れます。

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麓の小学校に通っていたから、子供の頃から始終登ってました。
でも、当時は山頂はこんなに整備されてませんでしたが。

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  ベートーヴェン 歌劇「フィデリオ」

 レオノーレ:ニーナ・シュティンメ
 フロレスタン:ヨナス・カウフマン
 ドン・ピッアロ:ファルク・シュトルックマン
 ドン・フェルナンド:ペーター・マッティ
 ロッコ:クリストフ・フィッシェサー
 マルツェリーネ:ラヘェル・ハルニッシュ
 ヤキーノ:クリストフ・シュトレール

  クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団
               マーラー・チェンバー・オーケストラ
               アルノルト・シェーンベルク合唱団
         
          (2010.8.12,15 @ルツェルン)

1月20日は、クラウディオ・アバドの命日となります。
あのショックだった2014年から、もう6年が経ちます。

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ベルリンフィルを退任後、しばらくしてスタートさせたルツェルンのスーパーオーケストラとの共演は、2003年からスタートし、マーラーを毎年連続して取り上げました。
8番は予告されながら、残念ながら取り上げなかったのですが、2010年は、マーラー・チクルスの最後の9番と、「フィデリオ」が取り上げられました。
翌2011年には、折からの東日本大震災への追悼演奏で10番のアダージョを取り上げたほか、ブルックナー・チクルスが開始され、ベートーヴェンに、やがてブラームスにと円熟のアバドのルツェルン演奏が期待されていたなかでの死去でありました。

ベートーヴェンの作品の多くを指揮してきたアバドですが、「フィデリオ」を取り上げたのは、このルツェルン2010が初めてのはず。
(アバド歴長いので、そうだと思い書いてます)
人間ドラマを伴うオペラを好み、かなりのオペラのレパートリーを持つアバドでしたが、76歳にしての初「フィデリオ」とはまた興味深いことです。

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ジングシュピールの流れをくむドイツオペラとして、このフィデリオは、セリフも多くあり、番号オペラを取り入れつつ、音楽の流れがセリフによって寸断されてしまい、オペラとして、どうも居心地のよろしくない作品だと不遜にも常々思ったりもしてました。
 苦心のあげくに行き着いた夫婦愛唱和の作品ですが、オペラに関しては、ベートーヴェンはモーツァルトのような天性の才に恵まれなかったのかもしれません。
 しかし、個々のソロや重唱、合唱に目を向ければ、抒情と激情の織り交じったベートーヴェンらしい音楽です。
マルツェリーネの可愛いアリアや、ロッコの人の好さそうなアリア、父娘にレオノーレが加わった3重唱、ピツァロのイャーゴの信条告白のような悪のアリア。
そして素晴らしいのが、レオノーレの名アリア「悪者よどこへ行くのか」と、フロレスタンの苦悩から希望へと歌い込む監獄内のアリア。
あと、やはり劇的なのが、勇敢なレオノーレの夫救出のシーン。
息詰まるほどの間一髪の場面に、その後の歓喜の爆発。
ベートーヴェンならではの感銘を与えられる個々の音楽であります。

これらの個々のシーンを、アバドはまさにライブで燃えるアバドらしく、そして絶妙の歌心でもって丁寧に、そしてドラマティックに描き分けています。
冗長なセルフも、必要最小限にカットしていて、音楽の流れが停滞することがないように、心地よいテンポで、ある意味一気呵成に仕上げてます。
最後の歓喜の満ちたエンディングでは、興奮にあふれていて、ライブならではの感興に浸ることができます。
ヴィブラート少な目で、ルツェルンの凄腕のメンバーたちに、若いマーラーチェンバーの面々が加わったことで、いい意味での緊張感と若々しさも加味されたのではないかと思う。
アバドの音楽の若々しさというのは、常日頃、若い奏者たちと楽しみながら、音楽を築きあげるという、こうしたところにもあるのだから。

旬の歌手をそろえた配役も見事な顔ぶれ。
なかでも、このオペラの主役であるシュティンメのレオノーレの声の安定感と、力強さと明晰な知的な歌唱が素晴らしくて、声質にクセもないので、聴き飽きないのがシュティンメの歌なのです。
対するカウフマン。
フィデリオにおけるフロレスタンの出番は、あまりに少なくて、ベートーヴェンにこの点はなんとかして欲しかった・・・と思わせるカウフマンです。
アバドのお気に入りだったハルニッシュのリリカルなマルツェリーネがいい。
ほかの歌手もまとまりがよく、チームとして均整がとれていることも、このルツェルン音楽祭の持つ特徴かもしれません。
でも、シュトルックマンは、ちょっとアクが強すぎるかな・・・
 あと、鮮度高いのが、アルノルト・シェーンベルク合唱団の緻密さ。

CDにはなったけど、アバドのルツェルン演奏の恒例の映像DVDは、このフィデリオにはなかった。
映像の契約元が、2010年から変わったことが影響しているのだろうか。
マーラーの9番(2010年)から、EiuroartsからAccentusに変更。

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その舞台の様子を探したところ、オーケストラの後方に低いステージを作り、合唱は観客席に置くというスタイルのようです。
衣装も均一だし、オペラの上演というよりは、やはりオラトリオ的な演奏の仕方ともいえるかもしれません。
これまでオペラ上演として「フィデリオ」を取り上げなかったアバドの考え方が、このあたりにあると思いますし、ルツェルンで若いニュートラルな奏者たちと、やりたかった気持ちもわかるような気もします。

世を去る3年と少し前。
アバドはこのように、常に挑戦と、若者たちとの共演を望み、実践し続けました。
これまでの巨匠たちにはない謙虚さと、進取の気性にあふれたアバドでした。
アバドのもとで演奏し育った若い演奏家たちが、いま、そしてこれから、世界のオーケストラの主力として活躍していきます。
そして、彼らはアバドのことをレジェンドとして心に刻み続けていくことでしょう。

フィデリオ 過去記事

 「新国立劇場公演 S・グールド、ヨハンソン」

 「ベーム&ベルリン・ドイツオペラ DVD キング、ジョーンズ、ナイトリンガー」

 

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今日は大寒。
菜の花は満開なれど、春まだ遠し・・・

アバドの新譜や音源発掘が絶えて久しい。
何度も書きますが、下記の正規音源化を強く、激しく希望。

 ①ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」
 ②ワーグナー「パルジファル」
 ③ワーグナー「ファウスト」序曲
 ④マーラー 「大地の歌」
 ⑤バッハ  「マタイ受難曲」
 ⑥バッハ  「ロ短調ミサ」
 ⑦バッハ  カンタータ ロンドンでのF・プライとの共演
 ⑧ノーノ  「プロメテオ」
 ⑨モンテヴェルディ ロンドンやベルリンでの演奏
 ⑩ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」 ベルリンフィルとのもの
   ⑪ヴェルディ 「オテロ」  ベルリンフィルとのもの
 ⑫ヴェルディ 「ナブッコ」 むかしのスカラ座とのもの
 ⑬ヴェルディ 「アイーダ」 ミュンヘンオリンピックのときの上演
 ⑭ドニゼッティ「ルチア」  むかしのスカラ座とのもの
   
  あとまだたくさん、なんでもいからお願いっ!

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2020年1月16日 (木)

R・シュトラウス 「ばらの騎士」 ラトル指揮

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まいど恐縮、クリスマスと年末年始は特に絵になるもんですから、銀座。

日の丸を仰げば、あの国の方々のあふれかえる言葉は少しは気になりません・・・??

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    R・シュトラウス 楽劇「ばらの騎士」

   マルシャリン:カミラ・ニールント
   オクタヴィアン:マグダレーナ・コジュナー
   オックス男爵:ギュンター・グロイスベック
   ゾフィー:ゴルダ・シュルツ
   ファーニナル:マルクス・アイフェ
   マリアンネ:アレクサンドル・ロビアンコ
   ヴァルツァッキ:トーマシ・エヴェンスタイン
   アンニーナ:キャスリーン・ゲルトナー
   テノール歌手:マチュー・トレンザーニ ほか

  サー・サイモン・ラトル指揮 メトロポリタン・オペラハウス管弦楽団

        演出:ロバート・カーセン

        (2020.1.4  @メトロポリタン歌劇場)

今年正月の最新のライブ音源をネット視聴。

ベルリンでもやったでしょうかね?ラトルの「ばらきし」。
ほかのオペラもそうですが、奥様のコジュナーあっての指揮ともいえるかもしれません。
ほかの配役も、ベテラン、新鋭を取り混ぜたメットならではの豪華なものです。
2017年のプリミエで、その時は指揮はお馴染みのセバスティアン・ヴァイグレ。
フレミングとガランチャ、グロイスベックが歌ってます。

ラトルのオペラは何を振るかわからないところがあって、ワーグナーなら後期のものしかやらないし、ヴェルディはなし、プッチーニはそこそこで、シュトラウスならサロメかエレクトラあたりが向いてるだろうと思ってた。
割と重心が低く、硬い音を出すラトルだから、軽やかにやってほしい「ばらの騎士」はどうだろうか、との思いで聴き始めました。
 そうした風に感じるところもありがなら、この作品以降のシュトラウスならではの軽やかさと明朗さが、ラトルの持ち味である重厚さが描き分けるシュトラウスの分厚い響きとの対比でもって十分に活きてくる感じだ。
メットのオケのうまさと、オペラのオーケストラならではの雰囲気のよさでもって、シュトラウスの手の込んだ技法の数々が機能的なばかりならずに済んでいる感じ。
いまの手兵のロンドン響とやったら、さらにうまいけど、オペラの味わいとはまた違うものになったかもしれない。
 ちなみに、ラトルのメトロポリタンへの登場はこれが3度目。
ペレアスとメリザンド(2010年)、トリスタンとイゾルデ(2016年)に次ぐもの。

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            (メットのピットのラットル)

ラトルは、若いころアバドに感化されたということもあって、バーミンガム時代のCDは、ほぼ集めました。
選択するレパートリーが、いずれも面白くて新鮮で、その音楽づくりも先鋭で面白かった。
ベルリン時代は聴かなくなってしまったのは、面白みがなくなってしまったから。
でも、ベルリン時代の後半は肩の力が抜けた感じで、自在な音楽づくりが、カラヤンやアバドとも違うフレキシブルなコンビとなったことを確認できまして、そのまま、ロンドン響に帰り、ニュートラルさと強い音作りがオケの個性ともどもに最強のコンビになったと確信してます。

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奥様のコジュナーのオクタヴィアンが素敵なものだ。
オペラのレパートリーも随分と拡充してきたのも、夫のラトルの指揮があってのもの。
無理せず、細やかな歌唱をベースに女性的な優しい、そして知的なオクタヴィアンを歌っている印象で、やんちゃさはいまひとつ。

いま、マルシャリンとして一番なのがニールントだと思う。
新国で、彼女のマルシャリンを聴いてからもう12年がたつ。
あの時のスリムなお姿とはかわって、風格も出てきたが、声にもより気品とともに、諦念をはかなげに歌いあげる味わいも増しているのだろうと思う。
終幕の、ファーニナルの、「若い方はいいですね」的な問いかけに応えるマルシャリンの、「Ja Ja」はとても感情深い、考え抜かれた一言にことさら感じた。
フレミングの濃厚すぎる歌唱が、どうもだめなので、このニールントのクリアでかつ、言葉に感情を静かにしのばせた表現には、ことのほか感動しました。
 新国の舞台は、昨年亡くなってしまったジョナサン・ミラーの演出がとても洒落ていて、美しいものだった・・・・
1幕の終わりで、悲しみとあきらめに沈むマルシャリン、窓には振り出した雨の雫が流れ、彼女は煙草をゆっくりと取り出して美しい所作でくわえて窓の外を眺めるのでありました・・・・

南アフリカ出身のシュルツのゾフィー嬢の高音が清らかな美声で驚きだった。
彼女はこれから活躍しそうな感じで、パミーナ、ポーギーとベスなんかにも出てます。

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男声陣の充実も並々ならないものがあり、絶好調のクロイスベックのオックスには感心しまくり。
豊かな声量に柔らかさも備え、技量のほども完璧。
何よりも若々しく、いやらしい田舎のおっさんというイメージを払拭してしまうニュー・オックスだった。
最近ひっぱりだこのアイフェのファーニナルもよろしい。

私の好きなカーセンの演出。
写真で見る限り、メットだし、極端なことはしておらず、センスの良さを感じます。
オックスご一行は軍服をまとっている様子。
屋敷の壁画も神話時代の兵士や、小道具として大砲みたいなものも伺えます。
プリミエのときのスクリーンでは見なかったので、映像等で出たら確認したいところです。

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いやぁ、ネットでこんな素晴らしい上演の音源が高音質で楽しめちゃっていいのかな。
ますます、CDを買わなくなってしまう。
同じメットでは、いま上演中のセガンの「ヴォツェック」がもう聴けちゃったし、暮れのスカラ座のシャイー&ネトレプコの「トスカ」も視聴済み。
オーケストラコンサートもリアルタイムで聴いてます。
かつては想像もつかない音楽を聴く方法の多様化は、音楽産業のビジネスとしての衰退を招いているとは思いますが、そこにあるチャンスもまた多様化していると思います。

 でもね、なんといっても、劇場で観劇するオペラや、コンサートホールで聴くオーケストラやソロには何をどうやっても敵わないということ!
これだけは絶対。
時間や経済的な事情で、いまはよっぽど厳選したものしか行けない自分ですが、そこはつくづく思います!

若い方に言いたい。
あとで後悔しないように、これはと思ったら無理してでも行くべきです。
のちのちの自分の肥やしになることは必然です!

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 しかし、「ばらの騎士」はまったくもって素晴らしい作品。

年齢を重ねるごとに、元帥婦人の想いや行動が深く深く共感できるようになってきた。
男も女もない。
時の刻みが怖いし、いまはいいと思っても、明日は違うのではという不安の積み重ね。
それを克服して、「Ja Ja」で終了させるマルシャリンの強さを理解できるまで、まだ自分は未熟なのかもしれず、若いということなのか、バカなのか・・・・はてさて。

ホフマンスタールとシュトラウス、すごい!

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2020年1月12日 (日)

ムソルグスキー/ラヴェル 「展覧会の絵」 マゼール指揮

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2020年に入って、はやくも月の1/3が終了。

毎日がほんと早い。

外人さんだらけの銀座4丁目のショーウインドーは、富士と豪勢なバッグに、銀座の街も写し出していて、なんだか幻想的だった。

いつも長文書いちゃってますが、今日は短く。

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  ムソルグスキー ラヴェル編 組曲「展覧会の絵」

 ロリン・マゼール指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

        (1972.10 @ロンドン)

名曲すぎて、過去聴きすぎて、ミミタコすぎて、もうあんまり聴かなくなってしまった曲。

その代表が、「展覧会の絵」。

チェリビダッケとロンドン響の壮絶な来日演奏の録音、アバドの2種のムソルグスキー臭の強い暗めの演奏。
これらのぞき、どうも、聴いていて、あの大仰な最後がとくにダメなんだ。

でも、レコード時代に気になっていた1枚を入手したので聴いてみた。

デッカのPhase4(フェイズ4)録音によるものもあって、マゼールの指揮だし、ニューの時代のフィルハーモニアだし。

マルチマイク録音で、各楽器が間近に迫るように強調され、かつそれをベースに2チャンネルのステレオサウンドにミックスダウンするという方式。
ストコフスキーのデッカ録音で多く聴いてきました。

で、聴いてみた。
面白いように、各楽器が、右や左からポンポン浮き上がるように出てくるし、聴こえてくる。
ほぼ半世紀前の録音とは思えない鮮明さと、生々しいリアルサウンド。
楽しい、楽しいよ~
ことに、展覧会の絵のような曲では、ソロ楽器が活躍するので、それらが強調されるように楽しめるし、あ~、ほかの楽器もこんな風にしてるんだ、との再発見もあったりして。
いまの現代では、こんな録音は邪道かもしれないが、古風な耳をもった私のような聴き手には、懐かしさと新鮮さがないまぜになったような感情にとらわれました。
フェイズ4とは別次元だが、中学時代は、4チャンネル録音も盛んになされ、アンプは買えなかったけれど、スピーカーの配線を工夫することで疑似4チャンネルが楽しめたものだ。
右や左、前や後ろから、音が万華鏡のように聴こえてきて、ハルサイなんて、最高だったんだ。

なにかしでかす指揮者マゼールは、ここでは意外とおとなしめ、っていうかごく普通。
でも、よく各曲を丹念に描きわけていて、とても丁寧な印象。
展覧会の絵の入門には絶好の演奏とおもしろ録音だと思う。

まだクレンペラーが君臨していた時代のニュー・フィルハーモニアもうまいもんだし、音色に華がある。

おもしろかった。

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2020年1月 8日 (水)

べートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 エッシェンバッハ

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2020年 新春の寿ぎを申し上げます。

神奈川の実家から、いつも登る吾妻山からみた富士山と菜の花。

1月3日の早朝、1年のうち、一番美しい冬の富士です。
菜の花の向こうは桜で、春には、菜の花が残っていればさらに素晴らしい景観が望めます。

今年、アニヴァーサリーを迎える作曲家で一番の大物は、やはり生誕150年のベートーヴェン。
あと、没後100年のブルッフ、没後150年のヨゼフ・シュトラウスあたりが切りのいい年度でしょうか。
バーンスタインも早や没後30年です。

名曲中の堂々たるコンチェルトの名曲、「皇帝」を。

Emperor

 ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」

     Pf:クリストフ・エッシェンバッハ

   小沢 征爾 ボストン交響楽団

       (1973.10 @ボストン)

いまは指揮者としての活動ががメインとなった、というよりも、数々のポストを歴任する名指揮者となったエッシェンバッハ。
1940年2月生まれだから、もうじき80歳。
そのエッシェンバッハが33歳で、ジャケット画像のとおり、ふっさふさ。

ピアノに隠れてますが、ボストン響のポストを得たばかりの小沢さん、当時38歳は、1935年生まれで、今年の9月には85歳になります。

ともにずっと聴いてきた音楽家です。
いつまでも元気に活躍してほしいと願うばかりです。

その彼らの若き「皇帝」。

まさに、「若き」という言葉が似合う「皇帝」。
溌剌として、爽やかとも言ってもいいくらいに、新春に相応しい気持ちのいい演奏だ。
エッシェンバッハは指揮を始めたばかりの頃で、この少しあとに、日本のオケにも客演してベートーヴェンを振ったりしている。
10本の指ではとうていできない表現の可能性を見出したかのように、暗い情念に裏打ちされたかのような濃厚な味付けするように、指揮を執るようになってから変貌したエッシェンバッハ。
 バレンボイムは、根っからの指揮者であったかのように変化を感じないが、アシュケナージやロストロポーヴィチなども、ソリストから指揮者に転じると構えの大きな表現者に変貌したかのようであった。

モーツァルトから、ドイツロマン派、ショパンあたりの弾き手としてドイツグラモフォンの看板ピアニストだったエッシェンバッハが指揮者を替えてベートーヴェンの協奏曲を3曲録音したものの、残念ながら全曲は残さず。
その自身の境遇などからも、マーラーに共感し、特異なマーラーやブルックナー指揮者のひとりとなりました。
そんなのちのちのことがが想像だにできないのが、この「皇帝」なのだ。

 明快な粒立ちのいいピアノは、この時期よく聴いたモーツァルトの演奏にも通じるものがあって、「堂々たる皇帝」というよりも、御世代わりの新たに即位した「若き新帝」って感じ。
でも、2楽章の叙情性や、3楽章の終わりの方などに、ちょっと立ち止まってみせて、複雑な表情を垣間見せるところがエッシェンバッハならではか・・・

 重心の軽めな小沢さんの指揮。
気配りの効いた細やかな指揮とあわせて、当時の欧米の楽壇には、極めて新鮮な音楽造りだったに違いありません。
同時期のベルリオーズやのちのラヴェルなどとともに、小沢&ボストン+DGのイメージが、わたくしには定まってますが、これもまたそれにそぐうもので、こんな気持ちのいいベートーヴェンを久しぶりに聴いて思うのは、この時期に、ボストンとDGにベートーヴェンの交響曲全集を録音して欲しかったということ。
のちのフィリップスでのこのコンビの音は、またちょっと違うものとなりましたので。

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ベートーヴェンイヤーの前回は、1970年の生誕200年。
オジサンの聴き手のわたくしは、その年のことを明快に覚えてます。
レコード会社各社は、ベートーヴェン全集をこぞって発売。

Beethoven

ジャケットには、こんなベートーヴェンのシールが貼られてました。
1770~1970、ベートーヴェン200年です。

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さらにシール拡大。

そして忘れてならないのは、この年、大阪で万国博覧会が行われました。
1969年にアポロ11号が持ち帰った、月の石がアメリカ館に展示され、とんでもない行列ができたりもしました。
 この万博に合わせて、世界各国の演奏家やオーケストラ、オペラ団が来日。
カラヤン&ベルリンフィル、セル・ブーレーズ&クリーブランド、バーンスタイン・小澤&ニューヨークフィル、プレートル・ボド&パリ管、プリッチャード・ダウンズ&ニューフィルハーモニア、Aヤンソンス&レニングラード、ロヴィツキ&ワルシャワフィル、デッカー&モントリオール、ベルリン・ドイツ・オペラ、ボリショイ・オペラなどなど
 ドイツ、アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、ソ連、ポーランドと各国勢ぞろいです。
いまでは、あたりまえとなった各国オケやオペラの来日ですが、こんなに大挙して訪れたことは、当時には考えられない豪華なことでした。
 しかも、NHKがかなり放送してくれたので、小学生だったワタクシは、連日テレビの前に釘付けでした!
このなかでは、カラヤンがベートーヴェンの全曲演奏をしました。
あと国内オケでは、サヴァリッシュがN響で全曲、イッセルシュテットが読響で第9とミサソレを。

ベートーヴェン一色となった1970年でした。
2020年も多くのオケがやってきましが、ベートーヴェンは案外と少な目。

目立つのはクルレンツィスとムジカエテルナと、オリンピック関連のドゥダメルBPOの第9ぐらいか。
あえていってしまうキワモノ的なクルレンツィス。
50年前はベートーヴェンやブラームスが、コンサートの花形でありメインだった。
いまは、マーラーとブルックナーが人気。
ベートーヴェンをやるならば、新機軸を持ち込まないと・・ということでありましょうか。

そんなこんなを考えつつ、エッシェンバッハと小澤の「皇帝」を何度も聴き返し、「やっぱり気持ちいいなぁ~、これでいいんだよ~」とつぶやいてる2020年の自分がいました。

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1月の11日から、吾妻山では、「菜の花まつり」が開催されます。
ちっちゃい町で、なんにもないのがいいところ。
みんな来てね~

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2019年12月30日 (月)

ワーグナー 「ワルキューレ」 カラヤン指揮メット

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六本木けやき坂。

毎冬の風物詩のイルミネーションは、青と白、SNOW&BLUE。

何年か前は、シルバーとレッドが時間で切り替わるものだったけど、わたしはこの色合いが落ち着いていて好き。

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歩いて往復80分くらいの散歩コースなのですが、年々キツくなってきた。
寒いのもあるが、歳とともに落ちる体力を実感してる。
今年は帰りは、途中で電車に乗ってしまった。

来年は、まとめて歩かずに、毎日少しづつでも歩くことを重ねていきたいと思ってる。

で、今年最後はワーグナー。
ちょっとおっかないジャケットだけど、ニルソンBOXから。

Wagner-walkure-karajan-1

  ワーグナー 楽劇「ワルキューレ」

        ウォータン:テオ・アダム   
      ジークムント:ジョン・ヴィッカース 
        ジークリンデ:レジーヌ・クレスパン
        ブリュンヒルデ:ビルギット・ニルソン   
        フンディンク:マルッティ・タルヴェラ 
        フリッカ:ジョセフィーヌ・ヴィージー

        ワルキューレ:ジュディス・デ・ポール、キャルロッタ・オーデッセイ
          グェンドリン・キレブルー、ルイーゼ・パール
         マルシア・バルドウィン、フィリス・ブリル
         ジョアン・グリロ、シャーリー・ラブ

 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 メトロポリタン・オペラハウス管弦楽団

           (1969.3.1 メトロポリタン・オペラハウス)

ベームとカラヤンのリングのキャストを混ぜたような歌手たち。
レコードでは、ヤノヴィッツがジークリンデで、クレスパンはブリュンヒルデ。
よりリリックな組み合わせで、「カラヤンのリング」を特徴づけるワルキューレだった。

ベルリンフィルをピットに入れることで、カラヤンのオペラの美学の完成を求めたザルツブルク・イースター音楽祭。
4年をかけた「リング」のスタートが「ワルキューレ」で、ザルツブルクの本番は、1967年。
そして、同じキャストで、ザルツブルクの上演に合わせて発売できるように1966年にベルリンのイエスキリスト教会でレコーディング。
こんな仕組みが、このあと何年も続くことになり、完成度の高い「カラヤンとベルリンフィルのオペラ」がいくつも録音されることになった。

同時に、カラヤンはアメリカの市場も、同じ仕組みでねらって、レコードが発売されるタイミングで、メトロポリタン・オペラに客演して「ラインの黄金」と「ワルキューレ」を指揮していた。
さすがカラヤンなれど、「ジークフリート」と「黄昏」だけは指揮しておらず、そのかわり、自身のザルツブルクの演出は引き継がれ、ラインスドルフやエールリンクの指揮で上演されている。

 メットのデータベースを調べたら、カラヤンのメットでの指揮は全部で15回で、「ラインの黄金」と「ワルキューレ」のみ。
1967年11月、12月 「ワルキューレ」 5回
1968年10月、11月 「ラインの黄金」 3回 「ワルキューレ」 3回
1969年2月、3月   「ラインの黄金」 2回 「ワルキューレ」 2回

これらのうちの、1969年3月の「ワルキューレ」が今回の貴重な録音で、ここでの指揮がカラヤンのメトロポリタン・オペラでの最後の指揮であります。

   -------------------

カラヤンのライブはやはりスゴイ。
燃える指揮なのだ。
試みに演奏タイムを比較。

             1幕   2幕  3幕
 1966年スタジオ録音  67分  97分  72分
 1969年メットライブ  61分  86分  63分

各幕に、熱狂的な拍手が入ってるので、ライブはもう少し短い。
スタジオでは、よりをかけて入念に指揮しているし、編集もあって細部にこだわり完璧にしあがっているからであろう、その分テンポも伸びているし、緩急はそんなにつけてない。
しかし、メットライブは局所局面で、舞台上のドラマにのめり込むような箇所が多くあり、1幕の終わりの方などは官能と激情のほとばしりとともに、急速なアクセルふかしとなっていて興奮の極致だ。
2幕も同じく、ジークムントの死の告知あたりから、ただならぬ興奮が漂いはじめ緊迫の演奏となっている。
感動的な父娘の対話も、熱っぽい。
カラヤンに煽られてるのか、カラヤンを煽ってるのか、ニルソンとアダムの歌のすごさも、ここでは目をみはるばかりで、ベーム盤を思い起こすような感じだ。
 ウォータンの告別の感動の高まりも冷静なカラヤンとは思えないほどの熱さで、快速調だが、実に情のこもったものだ。
アメリカのオーケストラらしく、奏者自らも感動しちゃって興奮しちゃってる感じも伝わってくる。

スタジオ録音での完璧さと、きれいごとに包まれてない、カラヤンのライブは、本来の劇場の人であるカラヤンのほんとうの姿かもしれない。

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ニルソンはやはりニルソン。
幾多のブリュンヒルデやイゾルデをほかにもたくさん聴いてきたけれど、ニルソンは安心して聴いていれるし、自分には、スタートがニルソンだったし、ブリュンヒルデとイゾルデはニルソンでないとダメなのだ。
冷凛たる声と高貴さ。強靭さとしなやかさ、いずれもニルソンの声にはあると思う。

本来のジークリンデの声であったクレスパン。
メットでも実はニルソンとあわせてブリュンヒルデを歌っていたようで、ヤノヴィッツもジークリンデを歌った日があるようだ。
だがここでのクレスパンは、ショルティの録音のものより、少し不安定な感じを受けた。
 ヴィッカースは相変わらずで、いつものヴィッカースで威勢はよいが、キングのような不幸を背負ったような悲しみの切迫感が弱めです。
テオ・アダムは完璧!
文句なしのウォータンで、ステュワートの回でなく、アダムの録音が残されたのは幸いだった。
あと、J・ヴィージーもここでも最高のフリッカです。
ワルキューレたちは、完全なアメリカ娘で、激しくておおげさで笑えちゃうのも時代を感じさせるところ。

年代を考えるとモノラルなところが残念ですが、音質は良好で、このドラマチックなワルキューレを大いに楽しめるものであります。

ニルソンBOX、まだまだ面白い録音がたくさんありますので、またとりあげましょう。

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令和を迎えた日本。

内外ともに、安穏としていられない情勢は年々高まりつつあると思います。

そして、自分や家族・親族になにかと変化がありました。

そんななかでも、やはり音楽を聴くという行為は相変わらずでして、それをブログというツールに記録していくということも週1ぐらいのペースで継続できました。
暮れは、好きな演奏家の訃報もあって記事は頻出させましたが、またゆったりとやっていきたいと思ってます。
多くのコメントもいただきましてありがとうございました。

来年はベートーヴェンイヤーとなりますな。
何を聴こうかな・・・・

よいお年をお迎えください。

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2019年12月27日 (金)

ペーター・シュライアーを偲んで

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ペーター・シュライアーが亡くなりました。

ドレスデンにて、享年84歳。

こうしてまた、ずっと親しんできた歌手の一人が去ってしまいました。

親しみやすい、そして朗らかでそのリリックな声は、完全に自分の脳裏に刻まれております。
そんな思いを共にする聞き手も多いのではないでしょうか。

1935年、マインツの生まれ。
オペラ歌手、リート歌手、宗教音楽歌手、いずれにもシュライアーの功績は、舞台にステージに、そして数々の録音に深々と刻まれております

Pwter-schreier-2  

バイエルン放送局の追悼ページには、「福音史家とワーグナー」とあります。
そう、ミュンヘンでは、リヒターやサヴァリッシュのバッハとワーグナーの演奏には、シュライアーはかかせませんでした。

ことしの1月には、テオ・アダムが亡くなってます。
シュライアーよりも年上のアダムでしたが、ふたりともドレスデン聖十字架協会の聖歌隊に所属。
ともにバッハの音楽で育ったところもあります。
そして、ふたりの共演も多かった。

福音史家としての録音はいくつかありますが、「マタイ」でいえば、リヒターとの録音は未聴のまま。
歌いすぎなところの批評を読んでから手を出せずに今日に至る。
抑制の効いたシュライアーらしいマタイといえば、マウエスベルガー盤です。
あとは、リヒターとのカンタータの数々。

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わたしには、シュライアーは、「タミーノとダーヴィッド」です。
初めてのシュライアーのレコードは、「ベームのトリスタン」の若い水夫です。
これは正直、この役のすりこみです。
シュライアーの歌が終わると、切迫したオケがきて、ニルソンのイゾルデの一声、そしてルートヴィヒのブランゲーネがきます。
もう、完全に脳内再生できるくらいに聴きこんでる。

 そして、シュライアーは、「ザ・タミーノ」といっても過言ではなかった存在です。

Zauberflote

手持ちの「魔笛」でもスウィトナー、サヴァリッシュ、デイヴィスの3種のものがあります。
思えば、みんな亡くなってしまった指揮者たち。
指揮者の声は残らないけれど、演奏全体として残る。
でも歌手たちの声はずっと耳に、その人の声として残るので寂しさもひとしお。

 シュライアーのダーヴィットは2回聴くことができました。
ここでも、指揮はスウィトナーとサヴァリッシュ。
ベルリン国立歌劇場とバイエルン国立歌劇場の来演におけるものです。
舞台を飛び回る若々しいシュライアーのダーヴィッドは、その芸達者ぶりでもって、マイスタージンガーのステージを引き締めました。
ヴァルターにレクチャーする長丁場の歌、喧嘩に飛び込む無鉄砲ぶり、ザックスとの軽妙なやりとり、歌合戦での見事なダンス・・・
いまでも覚えてます。
そして、ワーグナーが書いたもっとも美しいシーンのひとつ、5重唱の場面。

Meistersinger
             (バイエルン国立歌劇場の来日公演)

日本には何度も訪問してましたが、リートでシュライアーの歌声を聴くことはできませんでした。

「美しき水車屋の娘」は、これもシュライアーの得意な歌曲集でした。
この作品も思えば、シュライアーの歌声が自分にはすりこみ。
レコード時代のオルベルツ盤で親しみましたがCDで探してみたいと思います。
ギター伴奏による水車屋も、シュライアーならではのものでした・・・

Schubert-schreier

歌がいっぱい詰まった、シュライアーのシューベルト、ゲーテ歌曲集を今夜は取り出して聴いてみることとしよう。

年末の朝。目覚めたら一番に接した訃報に、急ぎ思いを残しました。

悲しい逝去の報が続きます。

ペーター・シュライアーさんの魂が、安らかでありますこと、お祈りいたします。

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2019年12月24日 (火)

メノッティ 「アマールと夜の訪問者」

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イエスが生まれたときに、星に導かれて、当方よりベツレヘムに拝みにやってきた3人の博士。

そのとき、イエス・キリストが公になられたという意味合いで、1月6日からを「公現節」として、「降誕祭」のあとの大きなお祭りともなってます。
バッハのカンタータにも、この節にちなんだ作品はあり、クリスマス・オラトリオの第6部もこの節のものです。

厳密には、クリスマスと切り分けて考えるべきでしょうが、イエスの降誕を祝う流れとしては同一。
クリスマスの飾りにも、この博士たちもあるし、何といっても、クリスマス・ツリーのてっぺんには、星が輝いているわけです。

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欧米の文化であるキリスト教徒としてのクリスマスと、商業主義が先行し、なぜかしっかり生活に根付いた「日本のクリスマス」。
25日が済んだら、もうクリスマスムードは払拭されてしまうけど、日本ではやむを得ないか・・・

イタリアに生まれ、アメリカ人オペラ作曲家として活躍したメノッテイ(1911~2007)の愛すべき作品を。
欧米、とくにアメリカではクリスマスイブの定番です。

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   メノッティ 「アマールと夜の訪問者」

  アマール:アイケ・ホーカースミス
  母親:キルステン・グノールセン
  カスパール王:ディーン・アンソニー
  メルヒオール王:トッド・トーマス
  バルタザール王:ケヴィン・ショート
  王の従者:バート・レファン

 アルスター・ウィリス指揮 ナッシュヴィル交響楽団
              ナッシュヴィル交響合唱団
              シカゴ交響合唱団 
      (2006.12 @シャーマーホーン・シンフォニーセンター)

幼少より音楽の才能を発揮し、ミラノのヴェルディ音楽院に入学。
もしかしたら、クラウディオの父、ミケランジェロ・アバドが院長かなにかで在籍していた頃かもしれず、そうした歴史の綾も面白いものです。
渡米後は、フィラデルフィアのカーティス音楽院から活動をスタートさせ、そこでバーバーと知り合い、それこそ、長年のオトモダチになるのでした。
このオトモダチ関係は、早世してしまう指揮者、トマス・シッパースにのちに引き継がれ、多くのオペラ作品の理解者と初演者として強い味方になるのでした。
あんまりオトモダチ関係を意識すると、メノッテイの音楽への目が曇ってしまうのですが、こうした自由こそがアメリカの社会のよさであり、噂やスキャンダルとは無縁に、才能をいかんなくその作品に注いでいくことができるのでありましょう。

そのオペラ作品は短時間のものが多く、戦後のアメリカの豊満な家電生活に即したように、テレビで観るオペラなども開拓し、逆に、まるでテレビドラマのようなオペラも生み出したわけです。
声にこだわり、オペラにこだわったイタリアの血。
そして、豊かな経済のなかにあって、芸術をメディアも駆使して、一般大衆にも楽しめるようにしたアメリカの背景。
メノッテイのオペラ作品はまだ、ほんの少ししか聴いてませんが、イタリアとアメリカの融合、それも戦後の西側のひとつの姿としてみることで、その理解が深まるものと思います。

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オペラの内容

 時代は、まさに、イエスが生まれた、そのとき、ベツレヘムの近郊。
羊飼いのアマールは、松葉杖に頼らないと歩けない少年。
今日も、笛を吹きながら楽しい歌を歌い、とても大きな星が出てると言う。
母は、すこしばかり彼の歌や話が法螺話ではないかと心配してる。
 夜になり、ふたりは床につくが、見知らぬおじさんたちの歌声とともに、ドアをノックする音が・・・
アマールは、母さんに、なんか来たというが、嘘おいいじゃないよ、というやり取りがなんどか。
でも、ほんとうに、3人と従者のおじさんが3人やってきた。
生まれた素晴らしい子供に貢物をささげる旅をしているので、ひと宿貸してほしいとのこと。
貧乏な寡婦でございますが、どうぞと家に招き入れる母。
アマールは、それぞれのおじさんの持ち物などをみつつ、親しげに質問、耳の遠い王様もいて笑。
 
母は、なけなしの焚火を用意し、村人に声をかけ、旅人を食べ物や踊りでもてなす。
(若い女性たちのダンスの音楽などは、なかなかのものです)
村人も帰り、旅人もアマールも床につきますが、母は、いまの不自由な生活を嘆き、悲観にくれ、ついに王様の黄金に手をつけてしまう。
これに気づいた従者が騒ぎ立て、母を引っ立てますが、そこにアマールが必死の抵抗を。
メルヒオール王は、とっておきなさい、生まれた聖なるみどりごにはお金など必要なないのですと語る。
母は、黄金をともかく返し、いまの自分には、なにひとつ捧げるものや贈り物もない・・・と嘆きます。

それを聞いたアマールは、母さん、この松葉杖があるよ、これをあげようと差し出します。
するとどうでしょう。
奇跡が訪れました。
不自由だった足が・・・「ぼく、歩けるよ!歩ける」とおっかなびっくりで、アマールは杖なしで。
王様たちと従者は、天を仰ぎ奇跡をたたえ、母は涙にくれます。
アマールは、王様たちと一緒に、彼の救い主に会いにいくために、母に旅支度を手伝ってもらって村を出ていきます。

           幕

思わず涙ぐでしまう展開です。
この50分ぐらいの物語が、1951年にテレビでアメリカのお茶の間に流されたとき、熱心なキリスト教徒であり、常勝のアメリカの正義を疑っていなかった国民は、心から感動し、家族でのクリスマスの一夜に華を添えたことでしょう。

トランプの出現は、そんな時代の良き・強きアメリカを訴えてのものかもしれません。
語法ややり口は強引ですが、アメリカとはシンプルでハッキリしたそんな国なのです。

でも、混とんとした、世界にあって、アマール君の気持ちと母の愛は、絶対に不変のものです。
問題は、この不変のものが通念として通じない、価値観の程遠いあの国(C)です。

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少年役がキーですが、母親のモノローグもなかなかに深くて悲しい。
平易な旋律が全編流れるわかりやすい曲です。
アマールの吹く笛が、とても気にいって四六時中あたまから離れません。
感動的な場面で出てくる旋律も印象的。
そう、それは、これまたクリスマス映画のひとつである、「ホームアローン」の音楽を思い起こさせます。
あの映画も、少年の母との愛の物語ですね。

シッパースによる初演録音も持ってまして、トスカニーニとも親交のあったメノッティらしく、オケはNBC交響楽団です。
かなり鮮明な録音で、曲のよさは楽しめますが、デジタル録音の言葉も明瞭なナクソスのステキな2006年録音のほうが、やはり感動の度合いが違います。

ホーカースミスという少年のアマール君が、きわめて愛らしく、いとおしいです。
音楽の都、ナッシュヴィルのオーケストラもすがすがしい雰囲気です。

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期せずして、アメリカのオーケストラシリーズ。

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ナッシュヴィルは、テネシー州の州都で、人口は67万だけど、周辺の経済圏を入れると190万人の大都市圏。
なんたって、カントリーミュージックの聖都であり、ミュージックシティと呼ばれる所以もそこにあり。
出身のミュージシャンを調べたら、わたしごときが知ってる方ばかり。
チェット・アトキンス、ジョニー・キャッシュ、エイミー・グラント、ダナ・サマー、ドリー・パートン、エミリー・ハリス、パット・ブーン、ジミー・ヘンドリクス、ブレンダ・リー・・・・etc

大リーグ球団は3Aクラスで、アメリカンフットボールが強い感じ。

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ナッシュヴィル交響楽団は、もともとは1920年に創業。
その後大戦で停止、1946年が正式創立年度。
あまり知らない指揮者ばかりが続き、1893年にケネス・シャーマーホンが首席となって鍛え上げ、2005年まで継続。
シャーマーホーンの名前を冠したホールが本拠地で、そのシャーマーホーンとの録音もかつては多くありました。

その後、スラットキンが継いで、2009年からは、ジャンカルロ・ゲレーロというメキシコ系の指揮者が率いていて、この盤と同じく、ナクソスレーベルへの、このコンビの録音もかなり制作されている状況にありまして、ナクソスレーベルに感謝しなくてはなりませんね。
なかなかの実力派オケで、来年は、よくあるアメリカオケのように映画音楽やポップなクラシック音楽などとともに、マーラーの10番クック版みたいな本格派もやるみたいです。

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よきクリスマスを。

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2019年12月21日 (土)

プロコフィエフ バレエ音楽「シンデレラ」 プレヴィン指揮

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恵比寿ガーデンプレイス。

毎冬見に行ってます。

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バカラシャンデリア、豪奢なものです。

大きなツリーと、このシャンデリアをつなぐ坂道にはイルミネーション。

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そして、いちばん先には、ロブションのシャトーレストラン。

これらは見るだけは無料です(笑)

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  プロコフィエフ バレエ音楽「シンデレラ」

 アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団

       (1983.4 @アビーロードスタジオ、ロンドン)
       ※ジャケット画像はネットからの借り物です

先ごろのヤンソンスの急逝も驚き、悲しみましたが、今年は、アンドレ・プレヴィンも亡くなってしまいました。
2月28日がその命日となりました。
クラシック音楽界では、あと、J・ノーマン、ギーレン、ツェンダーなどの逝去も伝えられ、時代の流れをいやでも感じさせる年でもありました。
そこそこ長く、クラシック音楽を聴いてきているけど、思えば自分も古めの聴き手になったものだと感じます。

そんな自分でも、ようやく全曲聴いて、大いに気にいった作品が今宵のバレエ音楽。

プレヴィンはロシア系のバレエ音楽を得意にして、録音も多く残しましたが、不思議とストラヴィンスキーは手掛けなかった。
プレヴィンの火の鳥とか、ペトルーシュカはあってもおかしくないのに・・・・

マゼール盤と並んで、その全曲盤が最高峰と思っているプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」。
もうひとつのプロコフィエフのバレエ音楽は、気にはなってたけど、曲じたい聴いたことがないし、シンデレラってのもいまさらなぁ~と思ってました。
 そんなとき、ニューヨークフィルに客演したユロフスキの演奏をネットで聴いたのです。
抜粋版によるものでしたが、あたりまえのことですが、プロコフィエフらしいサウンドが満載で、聴き親しんだ交響曲のようでもあり、かっこいいワルツなんて眩暈がしそうなほどいい感じだし、曲の途中で、シンデレラに時間を継げる時計の音がパコパコなるところなんて、あ~、おもしれ~って感じで大いに気に入ったのでした。
そして、プレヴィンの2CD組の盤を購入しました。

全50曲で1時間52分、ともかく何度も聴きまして、耳にすっかり馴染ませました。
そして仕上げに、実際のバレエの舞台をネット鑑賞しました。
ほんとに便利な時代です。
バレエ音痴のわたくしですが、そうしてみてほんとに思ったのは、バレエダンサーの皆さんがほんとスゴイってこと。
とくにプリマとなるとずっと出ずっぱりで、あの運動量。
オペラ歌手は歌い演じるけれども、踊り演じるということの大変さと、活動期間も限られることなどにも想いを馳せたりもしましたね。
 そして、オーケストラピットの指揮者のこと。
オペラの舞台とはまた違う、舞台の進行を考えながら、ダンサーたちの動きも見ながらの指揮は、やはりオペラに通じつつも違うものがあるように思った次第。

 あとはなによりも、プロコフィエフの音楽がとてもよく書けていること。
誰もが知る、ペローの「シンデレラ」物語を、そのままい音楽にしたともいえる。
プロコフィエフの言葉。
「わたしは、音楽を通して、異なる人物、すなわち、可愛らしい物思いにふけったシンデレラと、気の弱い父親、意地悪な継母、利己的な姉たち、情熱的な若い王子を、観客が彼らの喜びや悲しみをともにせざるをえないような方法で伝えようと試みた。」

 まさに、作曲者の言う通り、バレエの舞台には、その素晴らしい音楽にぴったりの誰もが知るわかりやすい物語が展開されるのでした。
あとバレエには、オペラの演出のように、読み解きが必要となるような演出はあるのでしょうか・・
映像で観たのは、まずチューリヒバレエのもので指揮はフェドセーエフ。
亡くなったのは、父でなく母。姉たちは男性でオネエ、家もダンススタジオのようだったし、仙女さんはシンデレラ贔屓の先生。
あと面白いところ多数。
最後のエンディングでは、幸せそうに歩む王子とシンデレラの後ろから、ちゃっかり・こっそり姉ふたりが着いていっちゃうというもの。
洒落たエンディングで、思わず微笑んでしまった。
 そのあと、伝統的な舞台もいくつか観たけれど、物語に忠実で美しいけれど、先のチューリヒほどの面白さはないように感じた自分。
でも、ちょっとバレエにはまりそうな予感が・・・・・

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「ロミオとジュリエット」から9年後の完成で、1944年の作品。
まさに独ソ戦の真っただ中で、その翌年には、憎っくきソ連は日本に侵攻してくるのでしたが・・
安定した音楽活動期にあったプロコフィエフは、もっと大衆に愛される音楽をと思い、キーロフ劇場からの依頼もあって、1941年に「シンデレラ」に取り組む。
完成までのブランク期間は、文字通り、戦争によるもの。

 第1幕 シンデレラと姉たち、そして舞踏会へ
 第2幕 城内の舞踏会
 第3幕 舞踏会の翌朝、シンデレラを探す王子とハッピーエンド

1幕 序奏からしてプロコフィエフ節満載。
全編にわたって顔を出す旋律はシンデレラのモティーフらしい。
プロコフィエフの音楽の特徴を端的にあらわしていて、今回、シンデレラを何度も聴いて痛感したこと。
それは、シャープで澄みわたる高域に、響きわたる歌う低域。
そんなプロコフィエフサウンドを求めて、オペラにもチャレンジしてみたいし、交響曲やピアノソナタで、その作風の変遷を追ってみたいと思う。
 ユーモラスな継母・姉たちの音楽、仙女さんの主導する四季に応じたダンス、そしてシンデレラの憂愁と舞踏会への出発。
時限爆弾ともいうえべき、時計の警告の描き方その1.

2幕 リズムと各種ダンスの祭典
舞踏会の前座、そして到着した、意地悪姉さんたちの踊りと彼女たちのなにかと面白い所作が、ちゃんと音楽化されてるおかしみ。
野放図でありながら、憂愁とシニカルさもたたえたワルツが素晴らしく好きで、ハチャトゥリアンの「仮面舞踏会」を思わせるステキさ!

お決まりの各国のダンスに、いまでは言葉にしちゃいけないような人々のダンスに、民族臭ただようムード、そして姉さんたちの滑稽さも忘れてはいない。
プロコフィエフの旧作から、「オレンジの恋」のあのモティーフが出てくるのもおもしろい。
 そんななかで、静まりかえって、雰囲気が神妙になってしまう、シンデレラの登場。
ここでも、ワルツが始まり、全体を独特なムードにしてしまい、各種ダンスのあと、王子とシンデレラのパドゥ・ドゥーでは、とてもロマンテックな音楽が・・・チェロの甘い音色に、木管の合いの手が美しい。
 うごめく低音が、ここでもしっかりプロコフィエフサウンドを紡いでる。
2人が引いたあとの、またあのワルツ、でも今度は時間切れの切迫したウッドブロックと金管の警告。
ここが面白いところで、オケのおどろおどろしい響きも聴きもので、さぁ、無事にシンデレラは城から逃げ出し、王子は彼女の片方の靴を見つけだすところで、2幕終了。

3幕 翌朝の恋にトチ狂った王子さん
三回ある王子率いる、シンデレラ捜索隊の切羽つまったギャロップは、舞台せましと飛び回る。
音楽も、思わず、指揮してしまいたくなるような躍動感にあふれてる。
3度の候補者巡りには、スパニッシュ、アジアンと異国ムード満載で、これまたバレエのお約束か。
三度目はシンデレラの目覚めで、昨夜の思い出と諦念を思わせる音楽。
しかして王子は、シンデレラの家を探しあてるが、姉たち、継母も靴があわず、ついにシンデレラに・・・
見事なまでに美しいサプライスをえがいたプロコフィエフの音楽。
あとは、妖精さんの音楽のように、フォルテはなく、優しい、優しい、夢のゆうな音楽となる。
でも、先に書いたように、高域と低域の歌のやり取りはここでもしっかりあって、とっても感動的な音楽シーンを作り上げている。
 センチメンタルな終末的なエンディングでは、チェレスタが伴うことで、このステキな童話の、めでたしめでたしの終結を盛り上げます。

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ロンドン響、退任後、ロイヤルフィルの指揮者として帰ってくるまえの頃の録音。
LSOでよかった、と思います。
お互いの結びつきがまだ強かった頃、まだまだ一挙手一投足が同じころで、アバド時代ともかぶるころです。
そのニュートラルな響きが万能で、どんな曲でも、しっかり演奏できてしまうコンビにあって、このプロコフィエフは文句のつけようのない演奏。
あのエレガントなプレヴィンの指揮ぶりが、このバレエに込められたプロコフィエフの想いを、見事に表出していると思います。

今回、この曲の音盤で調べたら、ロジェストヴェンスキーのものと、アシュケナージの指揮のものがあるようです。
ソ連時代の演奏と、亡命者としてピアニストがアメリカのオケを降ったもの、このふたつに興味深々でありますっ!!

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2019年12月18日 (水)

ヤンソンスを偲んで ⑥ミュンヘン

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ヤンソンスを追悼する記事、最後はミュンヘン。

バイエルン放送交響楽団は、ヤンソンス最後のポストで、在任中での逝去でありました。

ミュンヘンという音楽の都市は、優秀なオペラハウスと優秀なオーケストラがあって、かつての昔より、それぞれのポストには時代を代表する指揮者たちが歴任してきた。

バイエルン国立歌劇場、ミュンヘンフィル、バイエルン放送響。
60~70年代は、カイルベルト、サヴァリッシュ、ケンペ、クーベリック、80~90年代は、サヴァリッシュ、チェリビダッケ、デイヴィス、マゼール、2000年代は、ナガノ、ペトレンコ、ティーレマン、ゲルギエフ、そしてヤンソンス。

いつかは行ってみたい音楽都市のひとつがミュンヘン。
むかし、ミュンヘン空港に降り立ったことはあるが、それはウィーンから入って、そこからバスに乗らされて観光、記憶は彼方です。

 ヤンソンスは、コンセルトヘボウより1年早く2003年から、バイエルン放送響の首席指揮者となり、2つの名門オーケストラを兼務することなり、2016年からは、バイエルン放送響のみに専念することとなりました。
 ふたつのオーケストラと交互に、日本を訪れてくれたことは、前回も書いた通りで、私は2年分聴きました。

彼らのコンビで聴いた曲は、「チャイコフスキーP協」「幻想交響曲」「トリスタン」「火の鳥」「ショスタコーヴィチ5番」「ブルッフVn協1」「マーラー5番」「ツァラトゥストラ「ブラームス1番」「ブルックナー7番」など。
あとは、これまた珠玉のアンコール集。

10年前に自主レーベルができて、ヤンソンス&バイエルン放送響の音源は演奏会がそのまま音源になるかたちで、非常に多くリリースされるようになり、コンセルトヘボウと同じ曲も聴けるという贅沢も味わえるようになりました。
さらに放送局オケの強みで、映像もネット配信もふくめてふんだんに楽しめました。

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  シベリウス 交響曲第1番

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2004.4.23 @ヘラクレスザール)

バイエルンの初期はソニーレーベルとのアライアンスで何枚か出ましたが、そのなかでも一番好きなのがシベリウスの1番。
ヤンソンスもシベリウスのなかでは、いちばん得意にしていたのではなかったろうか。
大仰な2番よりも、幻想味と情熱と抒情、このあたり、ヤンソンス向けの曲だし、オーケストラの覇気とうまくかみ合った演奏に思う。
ウィーンフィルとの同時期のライブも録音して持ってるけど、そちらもいいです。

Strauss-rosenkavalier-jansons

  R・シュトラウス 「ばらの騎士」 組曲

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2006.10 @ヘラクレスザール)

これもまたヤンソンスお得意の曲目であり、アンコールの定番だった。
本来のオペラの方ばかり聴いていて、組曲版は敬遠しがちだけど、このヤンソンス盤は、全曲の雰囲気を手軽に味わえるし、躍動感とリズム感にあふれる指揮と、オーケストラの明るさと雰囲気あふれる響きが、いますぎにでもオペラの幕があがり、禁断の火遊びの朝、騎士の到着のわくわく感、ばらの献呈や二重唱の場の陶酔感、そして優美なワルツからユーモアあふれる退場まで・・・、各シーンが脳裏に浮かぶ。
ヤンソンス、うまいもんです。
全曲版が欲しかった。。。。

Jansons_20191216162501

   ワーグナー 「神々の黄昏」 ジークフリートの葬送行進曲

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

          (2009.3.16 @ルツェルン、クンストハウス)

オスロフィルとのワーグナー録音は、青臭くてイマイチだったけど、バイエルンとのものは別人のような充実ぶり。
バイエルンとの来日で、「トリスタン」を聴いたが、そのときの息をも止めて集中せざるを得ない厳しい集中力と緊張感あふれる演奏が忘れられない。
そのトリスタンは、ここには収録されていないけれど、哀しみを込めて、「黄昏」から葬送行進曲を。
淡々としたなかにあふれる悲しみの表出。
深刻さよりも、ワーグナーの重層的な音の重なりと響きを満喫させてくれる演奏で、きわめて音楽的。
なによりも、オーケストラにワーグナーの音がある。
 前にも書いたけれど、オランダ人、タンホイザー、ローエングリンあたりは、演奏会形式でもいいからバイエルンで残してほしかったものです。

Gurrelieder-jansons

  シェーンベルク 「グレの歌」

   トーヴェ:デボラ・ヴォイト
   山鳩:藤村 実穂子
   ヴァルデマール:スティグ・アンデルセン ほか

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2009.9.22 @ガスタイク)

合唱付きの大作に次々に取り組んだヤンソンス。
優秀な放送合唱団に、各局の合唱団も加え、映像なので見た目の豪奢な演奏風景だが、ヤンソンスの抜群の統率力と、全体を構成力豊かにまとめ上げる手腕も確認できる。
やはり、ここでもバイエルン放送響はめちゃくちゃ巧いし、音が濁らず明晰なのは指揮者のバランス感覚ばかりでなく、オーケストラの持ち味と力量でありましょう。
濃密な後期ロマン派臭のする演奏ではなく、シェーンベルクの音楽の持つロマンティックな側面を音楽的にさらりと引き出してみせた演奏に思う。
ブーレーズの緻密な青白いまでの高精度や、アバドの歌心とウィーン世紀末の味わいとはまた違う、ロマンあふれるフレッシュなヤンソンス&バイエルンのグレ・リーダーです。
山鳩の藤村さんが素晴らしい。

Beethoven-jansons

  ベートーヴェン 交響曲第3番 「英雄」

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

         (2012.10 @ヘラクレスザール)

もっと早く、オスロやコンセルトヘボウと実現してもおかしくなかったベートーヴェン交響曲全集。
蜜月のバイエルンと満を持して実現しました。
日本公演のライブを中心とした全集も出ましたので、ヤンソンス&バイエルンのベートーヴェン全集は2種。
 そのなかから、「英雄」を。
みなぎる活力と音にあふれる活気。
心地よい理想的なテンポのなかに、オーケストラの各奏者の自発性あふれる音楽性すら感じる充実のベートーヴェン。
いろいろとこねくり回すことのないストレートなベートーヴェンが実に心地よく、自分の耳の大掃除にもなりそうなスタンダードぶり。
いいんです、この全集。
 ヤンソンスのベートーヴェン、荘厳ミサをいつか取り上げるだろうと期待していたのに無念。
いま、このとき、2楽章には泣けます。

Britten-warrequiem-jansons

  ブリテン 戦争レクイエム

   S:エミリー・マギー
   T:マーク・パドモア
   Br:クリスティアン・ゲルハーヘル

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団
             バイエルン放送合唱団

       (2013.3.13 @ガスタイク)

合唱を伴った大作シリーズ、ついに、ヤンソンスはブリテンの名作を取り上げました。
毎夏、この作品をブログでも取り上げ、いろんな演奏を聴いてきましたが、作曲者の手を離れて、いろんな指揮者が取り上げ始めてまだ30年そこそこ。
そこに出現した強力コンビに演奏に絶賛のブログを書いた5年前の自分です。
そこから引用、「かつて若き頃、音楽を生き生きと、面白く聴かせることに長けたヤンソンスでしたが、いまはそれに加えて内省的な充実度をさらに増して、ここでも、音楽のスケールがさらに大きくなってます。 内面への切り込みが深くなり、効果のための音というものが一切見当たらない。 」
緻密に書かれたブリテンのスコアが、ヤンソンスによって見事に解き明かされ、典礼文とオーウェンの詩との対比も鮮やかに描きわけられる。
戦火を経て、最後の浄化と調和の世界の到来と予見には、音楽の素晴らしさも手伝って、心から感動できます。

Brso-2

バイエルン放送交響楽団のホームページから。

ヤンソンスのオーケストラへの献身的ともいえる活動に対し、感謝と追悼の言葉がたくさん述べられてます。

長年のホーム、ヘラクレスザールが手狭なのと老朽化。
ガスタイクホールはミュンヘンフィルの本拠だし、こちらも年月を経た。
バイエルン放送響の新しいホールの建設をずっと訴えていたヤンソンスの念願も実り、5年先となるが場所も決まり、デザインも決定。
音響は、世界のホールの数々を手掛けた日本の永田音響設計が請け負うことに。
まさにヤンソンスとオーケストラの悲願。
そのホールのこけら落としを担当することが出来なかったヤンソンス、さぞかし無念でありましたでしょう。
きっとその新ホールはヤンソンスの名前が冠されるのではないでしょうか。。。
 →バイエルン放送のHP

Mahler-sym9-jansons

  マーラー 交響曲第9番

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2016.10.20 @ガスタイク)

コンセルトヘボウとともに、バイエルン放送響のお家芸のマーラーとブルックナー。
ここでもヤンソンスは、しっかり取り組みました。
オスロフィルとの録音から16年。
テンポが1分ぐらい早まったものの、高性能のオーケストラを得て、楽譜をそのまま音にしたような無為そのもの、音楽だけの世界となりました。
この曲に共感するように求める深淵さや、告別的な終末観は少な目。
繰りかえしますが、スコアのみの純粋再現は、音の「美」の世界にも通じるかも。
バイエルン放送響とのコンビで造り上げた、それほどに磨き抜かれ、選びぬかれた音たちの数々がここにあります。
 このような美しいマーラーの9番も十分にありだし、ともかく深刻ぶらずに、音楽の良さだけを味わえるのがいいと思う。

ヤンソンスは、「大地の歌」は指揮しなかった。
一昨年、このオーケストラが取り上げたときには、ラトルの指揮だった。
もしかしたら、この先、取り組む気持ちがあったのかもしれず、これもまた残念な結末となりました。

昨年は不調で来日が出来なかったし、今年もツアーなどでキャンセルが相次いだ。
それでも、執念のように、まさに病魔の合間をつくようにして、指揮台に立ちましたが、リアルタイムに聴けた最後の放送録音は、ヨーロッパツアーでの一環のウィーン公演、10月26日の演奏会です。
ウェーバー「オイリアンテ」序曲、R・シュトラウス「インテルメッツォ」交響的間奏曲、ブラームス「交響曲第4番」。
弛緩しがちなテンポで、ときおり気持ちの抜けたようなか所も見受けられましたが、自分的にはシュトラウスの美しさと、ヤンソンスらしい弾んだリズムとでインテルメッツォがとてもよかった。

長い特集を組みましたが、ヤンソンスの足跡をたどりながら聴いたその音楽功績の数々。
ムラヴィンスキーのもと、東側体制からスタートしたヤンソンスの音楽は、まさに「ヨーロッパ」そのものになりました。
いまや、クラシック音楽は、欧米の演奏家と同等なぐらいに、アジア・中南米諸国の音楽家たちも、その実力でもって等しく奏でるようになりました。
ヨーロッパの終焉と、音楽の国際化の完全定着、その狭間にあった最後のスター指揮者がヤンソンスであったように思います。

マリス・ヤンソンスさん、たくさんの音楽をありがとうございました。

その魂が永遠に安らかでありますよう、心よりお祈り申し上げます。

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