2023年11月25日 (土)

ワーグナー 「さまよえるオランダ人」 ②

Oiso-1

大磯の砂浜から見た伊豆大島。

島影くっきり、三原山も見えます。

伊豆半島や房総半島から見たらもっと近くに見えますが、近くの海から、こんな至近に見える不思議な感覚。

島というのは、昔から謎めいたイメージを持っていて、とくに大島は近いので若い頃、2度ほど行ったことがありますが、地質の違いや生々しい火山の様子など、とてもミステリアスに思っていた。
あと、小説や映画の世界ではあるが、呪いのビデオの貞子の生まれ故郷というのも、なんとなくミステリアス感を増長させるものだった。
貞子といえば、メトロポリタンオペラのパルジファル演出では、花の乙女がみんな貞子風になっていたのもなんとも言えないものだったし、バイロイトのパルジファルでも、ヘアハイム演出ではクンドリーが井戸みたいなところから出てくる設定だった・・・

Oiso-2

沖にいる人々を超拡大してみた。

洋上の人々、すごいですね、わたしなんか絶対にムリ。

Hollander_20231105215501

               エヴァーデンク演出 1971 バイロイト

さまよえるオランダ人、自分的まとめ「その2」は音源篇。

ハイネの作品「フォン・シュナーベレヴォプスキー氏の回想記 」のなかから、「さすらいのオランダ人」という部分にインスパイアされ、1939年にドイツからイギリスへの航路で、嵐にみまわれこのオペラの着想を得た。
この台本をパリのオペラ座に持ち込んだものの、作曲の依頼はされず、草案だけが買い取られ、金に困っていたワーグナーはやむなく引き下がった。
その草案を使って別の台本が作られ、ピエール・ルイ・ディーチュという作曲家が「幽霊船」というタイトルでオペラ化してしまった。
ワーグナーは「リエンツィ」のすぐあと、1841年にパリで完成させ、当地での上演を願ったがうまくいかず。1843年にドレスデンで初演し、ほぼ成功。
この時の初版は、全曲通しで、序曲と最終に救済による清らかなendingがなく、荒々しくドラマを閉じるもの。
物語も現行のノルウェーでなく、スコットランドで、役柄も名前が違う。
初稿版ではゼンタのアリアは高域が駆使されるイ短調で作曲されているが、ドレスデン初演の際には歌手の力量もあったことから、低めのト短調に直されたり、幕間が設けられたりと、早くも改訂がなされている。
20年後、1860年には、いま多く聴かれる救済シーン付きへの改訂を行っている。
トリスタンを完成させたあとだけに、死による愛の成就という考えへの思いもあったのかもしれないし、パリでのタンホイザー上演にむけて、効果のあがるパリ版を用意していたことも遠因としてあるかもしれないですね。

「オランダ人」はいつもなにげに聴いてるけれど、ワーグナーも手を入れてるし、いま普通版になってるものは、それらを総合したもの(ワインガルトナー編)によるもので、ほんとの初稿版が10年前にミンコフスキで録音されたように、いくつかの版が共存するようになりそうだ。
昨今の上演では、初版のエンディングを採用し様々な解釈を施しやすい演出が主体ともなっているが、序曲だけでは、やはり救済付きのエンディングの方が演奏効果としては1枚上ということになるだろう。

しかしながら、救済シーンありのト書きは、いまいろんな演出を観てきたうえで読むと荒唐無稽にすぎ、工夫のしようもないことがわかります。
「ゼンタがオランダ人の船が出奔すると海に身を投げる・・・同時にオランダ船も砕けて海に沈んでしまう。静まった海のかなた、昇ってゆく太陽の眩い光のなか、ゼンタとオランダ人の浄化された姿があらわれ、互いに手を取り合って天に昇る様子が見える」

手持ちの音源は12種にとどまり、重要録音も未捕獲で残されていることが今更にわかった。

【正規音源】

①ライナー&メトロポリタン 1950年
 良質なモノラル録音で、気品あふれるホッターのオランダ人が聴ける。
 ヴァルナイやスヴァンホルムなど豪華な顔ぶれ。
 ライナーの切れ味するどいスピード感ある指揮もよい。

②カイルベルト&バイロイト 1955年

Uhde
 
 リングと同じく、音質は立派なステレオ録音でよし。
 粗削りな一方、スマートさも兼ね備えた案外モダンなカイルベルトの指揮。
 最高のオランダ人ともいえる悲劇的なウーデの声。
 ヴァルナイ、ウェーバーなどの当時絶頂歌手も素晴らしい

③コンヴィチュニー&ベルリン国立歌劇場 1960年

Wagner-hollander-konwitschny-1

 重厚なかつてのドイツのオーケストラの音がする。
 知性的なインテリオランダ人のFDは貴重。
 G・フリック、ショック、ヴンダーリヒなど男声がすばらしい。
 コンヴィチュニーはワーグナー指揮者だったことがよくわかる

④サヴァリッシュ&バイロイト 1961年 救済なしバージョン

Hollander-sawallisch-bayreith

 いまでも清新なスタイリッシュな若きサヴァリッシュの指揮。
 シリアの心ここにあらず的な忘我なゼンタがいい。
 クラスのオランダ人が美声で、早逝の悔やまれるバスとつくづく思う。
 男性陣が強力だし、合唱もすごいがずれちゃうくらいにライブ感満載

⑤クレンペラー&ニュー・フィルハーモニア 1968年 救済なし変化球
 3幕版による厳しくも剛直な演奏で、イギリスのオケとは思えない。
 アダムのオランダ人が極めて高水準でドイツ語が美しい。
 シリアもここでも凄まじい。

⑥ベーム&バイロイト 1971年

Hollande-bohm

 ライブで燃えるベームならではの熱く、劇場の雰囲気満点のオランダ人。
 ピッツ指導の合唱も、ついでに足踏みも迫力満点。
 G・ジョーンズの体当たり的な熱唱、スチュアートの気高い声も好き。
 当時大活躍のリッダーブッシュのダーラントもいまや貴重。
   ジャケットもオランダ人大賞を進呈したいくらい。
 69~71年の3年間のみ終わったエヴァーディンク演出のオランダ人。
 ヴァルビーゾが指揮を受け持った年も正規化して欲しい。
 マッキンタイアやR・コロも聴けるので。

⑦ショルティ&シカゴ 1976年

Wagner-hollander-solti-1

 すさまじいまでのオケの威力は、剛毅なショルティの指揮でひと際すごい。
 ただ、あまりにあっけらかんとしすぎて陰影に乏しいとも感じる。
 N・ベイリーの英国調オランダ人が思いのほか素晴らしい。
 マルトンの声は若く少女風、なんたってコロが立派すぎるエリックだ。

⑧カラヤン&ベルリンフィル 1981~3年

Hollander-karajan

 鉄壁のオケ、シカゴと双璧だが、オペラティックな雰囲気では勝る。
 後期作品のように演奏したカラヤンの豪奢な指揮は素晴らしい。
 素晴らしすぎ、うますぎてそう何度も聴けない。
 美声だらけの歌手も、何度も聴けない気分にさせる。
 唯一、P・ホフマンが指揮者の呪縛からはみ出ていて実によい。

⑨ドホナーニ&ウィーンフィル 1991年

Hollander-doho

 やはりウィーンフィルがいい、ホルンがいい、管がみんないい。
 ドホナーニのヨーロピアンな劇場感覚の指揮もウィーンで引立つ。
 先ごろ亡くなったR・ヘイルの美声でかつヒロイックなオランダ人が好き。 
 暖かなベーレンスの声で歌われるゼンタは、オランダ人に恋した女性。
 ふたりのコンビがよろしいドホナーニ盤。
 録音が最高にいい。

⑩バレンボイム&ベルリン国立歌劇場 2001年 救済なしバージョン

 初稿版を採用した集中力あふれるバレンボイムの指揮とオケの充実ぶり。
 コンヴィチュニーと比べるとよりインターナショナルな音色。
 シュトルックマン、イーグレン、ともにいまひとつ。
 ザイフェルトのエリックがすばらしい。

⑪ヤノフスキ&ベルリン放送響 2010年

 ワーグナー主要7作を一気に録音したヤノフスキ。
 いまや名匠の名を欲しいままにしているが、地味ながらも明晰極まりない演奏
 録音の抜群の良さもあり、解像度高い演奏で、完璧さが不満になるという。
 ドーメンのほの暗いオランダ人、メルベトのストレートボイス。
 スミスの強い声のエリック、サルミネンのお馴染みの声。
 総じて歌手はこの盤が一番安定している。

⑫ミンコフスキ&ルーブル宮 2013年 救済なし初稿

Hollnder-minkowski

 初稿版を忠実に再現した初録音。
 過剰な表現は抑え、歯切れよく、テキパキと進めるミンコフスキ。
 スコアが透けてみえるようで新鮮、カラヤンやティーレマンとは対極にある。
 10年前の録音だが、いまや第1線に立つ歌手を選んだ慧眼も評価したい。
 ニキティン、ブリンベリ、カレス、カトラーなど。
 
 4枚組で、素材を買われたディーチュの「幽霊船」も収録されている。
 おどろおどろさは皆無で、むしろ明るく、明らかにフランスな感じ。
 ヒロインがコロラトゥーラなんだから、ワーグナーとは異質な世界。
 ワーグナー初期作の「妖精」の方がずっと立派。
 しかし、ミンコフスキは凄いですね、こんなこと企画してくれた。

「未聴のオランダ人」
 クナッパーツブッシュ、フリッチャイ、ドラティ、シノーポリ
 レヴァイン、ネルソンス、ヴァイル(初稿)

【エアチェック音源】

①D・ラッセル・デイヴィス&バイロイト 1980年
 映像化されたネルソンよりも攻撃的でよろしい

②シュナイダー&バイロイト 1982年
 このあと、リングで脚光を浴びるシュナイダー

Hollander-kupfer

③ネルソン&バイロイト 1984,85年
 映像と同じ年のライブ ネルソンはソ連出身で西側に亡命。
 ソ連時代にクレーメルとの録音もあり、ドイツではオペラで活躍
 私もハンブルオペラ来演でローエングリンを観劇。
 早逝が惜しまれる指揮者。

④シノーポリ&バイロイト 1990~93年

600pxhollander-1990-4

 タンホイザーに続くシノーポリのバイロイト
 ヴィヴィッドなオランダ人で音楽が明快そのもの
 安定した4年間、ヴァイクルも年とともによくなる

⑤シュタイン&N響 1995年 演奏会形式
 シュタインには日本でもっとワーグナーをやって欲しかった。
 新国がもっと早く出来ていれば・・・と思いますね

⑥シュナイダー&バイロイト 1999年
 シノーポリのあとを引き継いだのはここでもシュナイダー
 オランダ人もタイトスに変った。
 このときのディーター・ドルン演出映像もなにもないね

⑦MT・トーマス&サンフランシスコ響 2003年
 なぜかNHKFMで放送されたサンフランシスコライブ
 これが実によろしいが、全体にアメリカンな雰囲気も

⑥小澤征爾&ウィーン国立歌劇場 2003年
 小澤さんらしいまとまりのいいオランダ人
 アクがなさすぎがかえって好き

⑦マレク・アルブレヒト&バイロイト 2003~6年

Bay2006derfliegendehollaender4

 いま聴いても悪くないアルブレヒトの爽快な指揮
 歌手は小粒だが、4年間のいいプロダクションだった。
 こちらのグート演出も記録少なめ、見たかったな

⑧ティーレマン&バイロイト 2012~14年
 映像篇で酷評した演出なれど、オケは素晴らしい
 音だけは安心して聴けるプロダクション

⑨アクセル・コバー&バイロイト 2015,16年
 ティーレマンのあとはコバー、演奏時間も5分短縮
 シュタイン、シュナイダーのように重宝される本格実務派
 歌手も一新され新鮮だった

⑩ゲルギエフ&メトロポリタン 2020年

Hollander-met

 メトを出禁になる直前のゲルギエフ
 ラストのハープを伴う救済シーンをねっとり仕上げてます
 メトの新演出、昇天シーンもきっとあったろう。
 シネコンでもやったが触手が動かず

⑪リニフ&バイロイト 2021~23年

Derfliegendehollaenderbayreuth2023114_h5

 映像篇でもほめたリニフさん、いいです。
 オランダ人が毎年変り、21年のマイヤー、23年のフォレ
 いずれもよかったし、グリゴリアンのあとのタイゲもいい
 芸達者のフォレでもう一度映像化して欲しい

【舞台】

①サヴァリッシュ指揮 バイエルン国立歌劇場 1992年

 演出:ギールケ、モリス、ヴァラディ、ロータリング、ザイフェルト
 優れた歌手たち、キビキビしたサヴァリッシュの指揮、オケのよさ
 しかし、変な演出だった。
 海賊船の船乗りたちが歩くとピンクの足跡が付くのが記憶にあり

②デ・ワールト指揮 読響 2005年

 演出:渡辺和子、多田羅迪夫、ヨハンソン、長谷川顯'、青柳素晴
 演出はビジネスマンに仕立てたオランダ人と夢想のゼンタで救済なし
 いまではお馴染みの展開だが、当時はブーイングが飛んだ
 デ・ワールトの指揮がすばらしかったな

③ボーダー指揮 東響 2007年

 演出:シュテークマン、ウーシタロ、カンペ、松井浩、ヴォトリヒ
 伝統的な普通の安心できる演出、日本人好みかも
 世界第一線の歌手がすばらしかった。
 オペラ指揮者ボーダーのツボを押さえたオケもよかった。

以上、2023年時点での「さまよえるクラヲタ人」の「さまよえるオランダ人」の総括終了。

Oiso-3

何気に今月は、ブログ開設18年目の月でありました。
その第1号記事は、下記リンクの一番下段の「エド・デ・ワールトの二期会オランダ人」でした。
いまやオワコンといわれるブログという媒体ですが、途中の中断はあったもののよく継続しているものです。
一番の読者は自分。
あのとき、あんなことがあった、あんな音楽を聴いてたんだと読み返すこともあります。
ボケるまで、キーボードが叩けるまでは続けよう。
次のワーグナーは「タンホイザー」。

オランダ人過去記事一覧

「さまよえるオランダ人 映像篇」

「クレンペラー指揮 ニュー・フィルハーモニア」

「バレンボイム指揮 ベルリン国立歌劇場」

「ティーレマン指揮 バイロイト2012」

「ヤノフスキ指揮 ベルリン放送交響楽団」

「サヴァリッシュ指揮 バイロイト1961」

「ライナー指揮 メトロポリタン歌劇場」

「サヴァリッシュ指揮 バイエルン国立歌劇場 DVD」

「ベーム指揮 バイロイト1971」

「コンヴィチュニー指揮 ベルリン国立歌劇場」

「ボーダー指揮 新国立劇場公演」

「ショルティ指揮 シカゴ交響楽団」

「アルブレヒト指揮 バイロイト2005」

「デ・ワールト指揮 読響 二期会公演2005」

| | コメント (0)

2023年11月16日 (木)

アクセルロット&東京都交響楽団 小田原公演

05_20231115102801

真っ暗な中に浮かび上がる小田原城。

夜間はイベントの時以外は、人がまったく行きませんので周辺は真っ暗です。

それでいいと思いますね、街が明るすぎるのです。

07_20231115102801

都響が小田原まで来演してくれましたので、喜び勇んで聴いてまいりました。

出色の音響の良さを誇る三の丸ホールは、お城の堀に接していて立地も抜群。

高校時代、私もその舞台に立ったことのある旧市民会館とは、場所も変わり、そのデッドだった昭和の音響もまったく見違えることとなった新ホール。
同じ時期に開館した平塚のひらしんホールと、双方を楽しむ最近の私ですが、どちらもほどよい規模で大好きです。

Tmso-odawara

  シルヴェストロフ 「沈黙の音楽」(2002年)

  シベリウス    ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 op.47

      イザイ      無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番~1楽章

      Vln:アレクサンドラ・コヌノヴァ

  ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 ニ短調 op.47

    ジョン・アクセルロッド指揮 東京都交響楽団

        (2023.11.13 @三の丸ホール、小田原)

ウクライナの作曲家シルヴェストロフ(1937~)の小編成の弦楽による「沈黙の音楽」、初めて聴きました。
シルヴェストロフも初ですが、ワルツ、セレナード、セレナードの3曲からなる全編静かな雰囲気の10分あまりの作品。
ともかく美しく、懐かしさも漂う夢想と追憶の音楽で、わたしには武満徹を思い起こす印象でした。
解説を読むと、ソ連時代での作曲開始時は前衛的な作風で、その後70年代以降、調性を伴った穏やかな作品作りに転じたという。
繊細ながら、哀しみの影も感じるデリケートな音楽、時が時だけに、ウクライナを現在逃れている作曲家のいまの音楽も知ってみたいものだと思いましたね。

次のシベリウスも、強国にあらがった愛国者、さらにはショスタコーヴィチも二面性、いやそれ以上の顔を持ちながら体制に追従しつつも抵抗した・・・
そんな3人の作曲家の一夜、すぐれたプログラムかと思いました。

コヌノヴァの技巧と美音に加えてホールを満たす精妙な弱音に酔ったシベリウス。
そのスマートなお姿からは想像できないパワーとともに、どんなピアニシモでもオケに負けずに聴衆の耳にしっかり届けることのできるヴァイオリン。
とりわけ、2楽章は美しかった。
モルドヴァ生まれの彼女も、思えばソ連の支配下にあった国で、ウクライナのお隣。
熱く切々と訴えかけるこの2楽章は、オーケストラのしなやかなサポートを受けて秘めたる情熱の吐露と聴いた。
もちろん、技巧の冴えも抜群で、速いパッセージにおける音程の正確さと、その明快な音の出し方は、オケがフォルテでもしっかり聴こえる。
女性的な所作と、一方でガッツリとオケと対峙する逞しさ、そのあたりも見ていて楽しかった。
 その繊細な音色と超絶技巧、美しいピアニシモは、アンコールのイザイでも特筆ものでありました。

03_20231116104801

ホワイエからの景色、この日は期間限定でお城のライトアップもありました。
もう少し遅くまで点灯して欲しかったな・・・

  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

休憩後のショスタコーヴィチ。
若い頃に聴きすぎて、長じて大人となってからは、どうも醒めてしまった名曲のひとつ。
ともかく大好きになって、中高時代に聴きすぎた。
演奏会では、ヤンソンス&BRSO、ゲルギエフ&キーロフ、マゼール&NYPO、プレヴィン&N響と聴いたものの、いずれもぼんやりと聴いてしまうのでした。
今回は、この曲14年ぶりの実演ということ、さらには地元で都響が聴けるというワクワク感もあってか、やたらと興奮しながら聴いた。
バーンスタインの弟子筋にあたるアクセルロッドの指揮は、ともかく明快。
後から見ていても的確かつ、動きがときおりバーンスタインのように舞うようで楽しい。
しかし、音の圧はなかなか強く、都響が全力を出した時のすごさも実感できたし、フォルテの段階がいくつもあったようにも感じた。

真偽不明の証言や、批判を恐れた超大作4番のあとの、あざとい「成功狙い」の真偽など、そんなややこしいことは抜きにして、演奏としての完成度が極めて高く、ほぼ完璧な出来栄えだった。
指揮台にあがると、すぐに振り始めるし、楽章間の合間も少なめで、全体をアタッカでつなげたような一気通貫の演奏スタイルは、聴き手に緊張を強いるし、それでこそオケも聴衆も集中力が増したというものだろう。

1楽章は意外なほどスラスラと進行し、そのカタストロフ的なクライマックスも難なくすいすいと進行。
しかし、先日、ミッチーの壮絶な4番を聴いた耳には、1楽章の後ろ髪引かれる終結部には、あらためて作品の関連性や、ショスタコーヴィチの常套性なども感じることができた。
絶品だったのは、2楽章で、そのリズム感の冴えはアクセルロッドならではだろう。
ほんとに生き生きしていたし、何度も言いますがちょっと飽きぎみだった5番、この2楽章でなぜか目が覚めた感じです。
痛切な3楽章も、この演奏では爽やかささえ漂う美しさで、分割して弾かれる弦の様子をまんじりとせずに見つめ曲がら聴くのも新鮮だった。
はったりもなにもなく、こけおどし的な大音響に溺れることもなく、純音楽的に自然なクライマックスを築き上げた終楽章。
いつもは醒めてしまう自分も普通に感動したエンディング。

5番は、あれこれ考えず、こうした素直でストレートな演奏がいい。
この指揮者で6番を聴いてみたいと思った。

そして三の丸ホール、素晴らしい音響と確信しました。
次は小田原フィルだけど、都合が・・・・

06_20231116104801

景気が悪い、物価高、個人消費の減少でGDPも下降。

そんな日本には、いま、チェコフィル、コンセルトヘボウ、ウィーンフィル、ベルリンフィル、ゲヴァントハウス、NDRエルプフィルがいます、先月はチューリヒトーンハレ、オスロフィルも来てたし、オペラ団もローマとボローニャも。
プログラムによっては触手も動きましたが、過去、さんざん聴いてきたし、いまの自分にはもういいかな・・・という気分です。

都心からほどよく距離があり、でも遠くもなく、そこそこな田舎で過ごして、たまに音楽会に繰り出す。
外来オケの高額チケットに大枚をはたく余裕もございません。
でも、外来オペラがワーグナーとかシュトラウスを持ってきたら・・・・飛びついてしまうんだろうな(笑)

08_20231116104801

小田原で一杯やろうとも思ったが、月曜だしあきらめて、またお家に帰って晩酌でプシュっと。

| | コメント (2)

2023年11月11日 (土)

フィルハーモニック・ソサエティ・東京 演奏会

Muza-1

11月も中盤に入り、街にはクリスマスのイルミネーションがちらほら散見されるようになりました。

今日のコンサート会場のお隣で見つけたツリーから。

Muza-2

ミューザ川崎も、急に寒くなった今日の雰囲気に寄り添うような雰囲気。

音楽が大好きな若い方たちのオーケストラを聴いてきました。

学生オーケストラ出身者によって結成されたオーケストラです。

Muza-3

 J・ウィリアムズ オリンピックファンファーレとテーマ

         「ジュラシック・パーク」よりテーマ

         「スター・ウォーズ」抜粋

 コルンゴルト   シンフォニエッタ op.5

 J・ウィリアムズ  「インディ・ジョーンズ」よりテーマ

   寺岡 清高 指揮 フィルハーモニック・ソサエティ・東京

     (2023.11.11 @ミューザ川崎 シンフォニーホール)

なんてすばらしい、おもしろいプログラムを組んでくれるんだろ!

コルンゴルト愛のわたくしの目当ては「シンフォニエッタ」。
9月のゲッツェル&都響での同曲のコンサートを早々にチケットを買って楽しみにしていたのに、おりからの台風直撃。
逸れたもののの、お近くの方をのぞくと、東海道線利用の自分には平日でリスクが大きく断念しました。

その悲しみのなか、見つけたのがこのコンサート。
小躍りしましたね。
しかし、悪魔は2度微笑む・・・
川崎に向かう電車内、危険を知らせる通知があり川崎駅で電車が止まっていると。
横浜に着いて、しばし停車、この電車は川崎には止まらず、横須賀線内を迂回とアナウンス。
え、えーー
カラスが置き石をして、駅員が撤去と安全確認をしているとのこと。
すぐさま降りて京急へ向かうも、運悪く急行が出たばかりで、次は空港直のノンストップ。
あちゃ~とばかり、東海道線ホームに舞い戻り、なんとか開始5分前に川崎駅。
ぎりぎりで間に合いましたが、同じように遅れた方も多かった。
カラスよ、もう堪忍してよ。

   ーーーーーーーーーーーーーーーー

こんな艱難を制して着席し、鼓舞するようなオリンピックテーマで勇壮に開始。
めっちゃ、気持ちいい~
84年のLAオリンピック、80年のソ連のアフガン侵攻を受けて、モスクワ五輪を西側がボイコット。
それを受けて、ソ連勢・東側がLAは不参加、中国はモスクワ不参加、LAちゃっかり参加という、極めて政治色の濃かったオリンピックだった。
そんな起源のあるオリンピックテーマだけど、いまやこのJウィリアムズ作品は、反省をもとに世界祭典となったオリンピックの普遍的な音楽になりました。
いまもまた、きな臭い世界の動きにあって、わすれちゃいけない音楽の力であります。
若いオーケストラの輝きあふれるサウンドが心地よい。

ジュラシックパークは、映画館で観なかったこともあり、やや世代ギャップがあり。
しっとりしたホルンの開始がいい
ちょっと音楽的に自分には遠かった。
スーパーマンかETをやって欲しかったなww

30分あまりのスターウォーズ組曲は、もうお馴染みのリズムとメロディが続出。
昭和のオジサンの思いは、77年のロードショーを観た学生時代に飛んで行く。
思えばその時の劇場、渋谷東急も今はない。
しかし、ルークの出て来ないエピソードの音楽となると、DVDで観て知った世界となるので、ここでもまた音楽がやや遠い。
オジサンがそんな思いに浸っているとはつゆ知らず、若者たちは、気持ち良さそうに、身体を音楽に合わせつ演奏にのめり込んでいる。
そんな皆さんが眩しかったし、思い切り共感しつつ演奏しているオーケストラの若者がうらやましかった。
エピソードⅣの大団円の音楽は、エンドロールにも似て、めっちゃくちゃ完結感もあってよかった。
寺岡さんの的確な指揮もあり、オーケストラは各奏者ふくめ、すごく巧い!!
ブルーのライトセーバー、もっと大胆に使えばよかったのにww

  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

後半は、得意のコルンゴルト。
5つのオペラをのぞけば、コルンゴルトのなかでは、ヴァイオリン協奏曲と並んで一番好きな作品。
失意と一発逆転の時代の大規模な交響曲より、ずっと前向きで明るくファンタジーあふれる曲。

1912年15歳のコルンゴルトの、ハリウッドとは正直無縁の時代の音楽。
コルンゴルトはユダヤ系の出自もあり、ナチスから退廃音楽のレッテルを受け、欧州を逃れアメリカに逃れたのは戦中でずっと後年。
この作品は、シュトラウスやマーラー、ツェムリンスキー、シェーンベルク、シュレーカーの流れと同じくするドイツ・オーストリア音楽のワーグナー次の世代としてのもの。
15歳という早熟ぶりもさることながら、大胆な和声と甘味な旋律の織り成す当時の未来型サウンドであったと思います。
ハープ、チェレスタ、鉄琴、ピアノなどの多用がいかに当時珍しかったか。
のちにハリウッドで活躍する下地がすでに出来がっているし、オペラ作曲家としてのドラマの構成力もここでは十分に発揮されている。

Jウィリアムズの音楽のヒントや発見は、このシンフォニエッタにも限りなくあり、ライブで聴く喜びもそこにあり、さらには全曲を通じてあらわれるモットーの発見と確認の楽しみと美しい旋律の味わいもある。

この日の寺岡&PSTの演奏は、細かなことは度外視して、ほぼ完璧でした。
大好きな曲のあまり、1楽章が始まると、もう涙腺が緩み涙ぐんでしまった。
そのあとの素敵なワルツ、若い皆さんが体を揺らしながら気持ちよさそうにコルンゴルトを演奏している姿を見るだけで幸せだった。
 ダイナミックな第2楽章、実はのちのオペラでも、悪だくみ的な場面に出てくるムードだけど、それとの甘い中間部の対比も見事だった。
わたしの大好きな3楽章。
近未来サウンドを先取りした響きに、ロマンスのような甘味な美しい歌にもうメロメロでしたよ、ソロもみんな頑張った。
シュトラウスのように、どこ果てることもなく、次々に変転してゆくフィナーレ。
もう右に左にオーケストラの活躍を見ながら、寺岡さんの冷静確実な指揮ぶりも見つつ、もうワクワクのしどうし。
ずっと続いて欲しかった瞬間は、あっけないほどに結末を迎えてしまうのも、この作品のよさ。
輝かしいなかに、いさぎよいエンディングをむかえ、ワタクシ、「ブラボー」一発献上いたしました。

いやはや、ほんとに素敵な演奏のコルンゴルトでした。
この作品は、手練れのオーケストラでなく、若い感性にあふれたメンバーのオーケストラで、コルンゴルトの音楽を感じながら演奏するのがいい。
それを聴くのはオジサンのワタクシですが、自分のなかの、コルンゴルトやこの曲にまつわる思い出を、若者はさりげねく引き出してくれるような気がしますのでね。

アンコールは、ビオラ奏者たちの下に最初からあって気になっていた黒い布に包まれたものの正体が・・・
指揮者がテンガロンハットをかぶって登場し、ビオラメンバーがそろって取り出してかぶった!
そう「インディ・ジョーンズ」ときました!

元気よく、爽快にミューザのホールをあとにしました!

Muza-5

クリスマス、イルミ好きの私は、ミューザの隣のビルのツリーも逃しません。

やたら混んでた東海道線で帰宅し、川崎駅周辺で買い求めた食材で乾杯🍺

Muza-4

PSTの次のコンサートは、来年の2月。
秋山和慶さんの指揮で、モーツァルトの39番に「英雄の生涯」

またよき音楽を聴かせてください!

シンフォニエッタ 過去記事

 「アルベルト指揮 北西ドイツフィル」

 「バーメルト指揮 BBCフィル」

 「ゲッツェル指揮 神奈川フィル」

 「アルブレヒト指揮 ベルリン放送響」

| | コメント (0)

2023年11月 1日 (水)

井上道義&群馬交響楽団 演奏会

Triphony-01

錦糸町駅からトリフォニーホールへ向かう途中のモニュメントとスカイツリー。

この日は風も少しあって、周辺に多くある焼肉屋さんの香りに満ちていまして、いかにも錦糸町だなぁと思いつつ期待を胸にホールへ。

Triphony-02

ホールに入って見上げると、ほれ、ご覧のとおりミッチー&ドミトリーさんが。

これからショスタコーヴィチの難曲を聴くのだという意欲をかきたてるモニュメント。

Triphony-03

  モーツァルト ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K.488

  ブラームス  6つの間奏曲~間奏曲第2番 イ長調 op.118-2

              ピアノ:中道 郁代

  ショスタコーヴィチ 交響曲第4番 ハ短調 op.43

         井上 道義 指揮 群馬交響楽団

         (2023.10.29 @すみだトリフォニーホール)

コンサート前、井上マエストロのプレ・トークがあり、前日の高崎での定期演奏会が大成功だったこと、群馬交響楽団はめちゃくちゃ頑張ったし、オケの実力がすごいこと。
ショスタコーヴィチ29歳の天才の作品がマーラーの影響下にあり、パロディーも諸所あること、さらにはこの曲を聴いたら、好きになるか、嫌いになるか、どちらかだと語りました。まさにそう、ほんとそれと思いましたね。
そして、最初のアーデュアのコンチェルトもほんとステキな曲だから聞いてねと。
最後、やばいこと言わないうちに帰りますと笑いのうちに締めました。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そして清朗かつ深みに満ちたモーツァルト。

ふわっとしたドレスで現れた仲道さん、優しい雰囲気とともに、柔らかな物腰はいつも変わらない。
オーケストラが始まると、それに聴き入り没入していく様子もいつもながらの仲道さん。
開始そうそう、タコ4を聴こうと意気込んでいたこちらは、モーツァルトの柔和な世界に即座に引き込まれ、思わずいいなあ、と密かに呟く。
オケも微笑みを絶やさず楽しんでいる様子も終始見てとれた。
 聴いていて泣きそうになってしまったのはやはり2楽章。
モーツァルトのオペラのアリアの一節のようなこの曲にふさわしく、楚々としながら、情感溢れる仲道さんのピアノ、いつまでもずっと聴いていたいと心から思った。
 ついで飛翔する3楽章、ピチカートに乗った管と会話をするピアノは楽しい鳥たちの囀りのようだか、どこか寂しい秋も感じさせる、そんな音楽に素敵な演奏。

曲を閉じ、井上マエストロと握手した仲道さん、涙ぐんでおられました。
彼女のSNSによると、きっと最後の共演となるかもしれない、感情の高ぶりを吐露されておられました。
聴き手の気持ちにも届いたそんな演奏のあと、同じイ長調のブラームスを弾かれ、静かなる感動もひとしおでした。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この高まる感情をどうしたらいいのか、アドレナリンが充溢し、ほてった身体がアルコールを求めた。
が、しかし、ここは日曜の錦糸町だ、飲んだらあとが大変・・・
そんな風に持て余した感情を抑えつつ、電車のなかで興奮しつつ帰った夜の東海道線。

そう、めちゃくちゃスゴイ、鋼を鍛えたばかりの、すべてを焦がし尽くしてしまわんわばかりの超熱い鋼鉄サウンドによるショスタコーヴィチを聴いてしまったのだ!
ただでさえハイカロリーの音楽に、群馬交響楽団は全勢力を注いで井上ミッチーの鮮やかな棒さばきに応え、空前の名演をくり広げました。

急転直下、極度の悲喜、怒りと笑い、叫嘆と安堵、不合理性への皮肉、豪放と繊細・・・あらゆる相対する要素が次々にあらわれる音楽。
井上ミッチーの真後ろで、その指揮姿を観て聴いてひと時たりとも目が離せなかった。
ときに踊るように、舞うように、またオーケストラを鼓舞し最大の音塊を求めるような姿、音楽と一緒に沈み悩みこむような姿、そんなミッチーを見ながら、まさにこの音楽が体のなかにあり、完全に音楽を身体で表出していることを感じた。

1楽章、冒頭、打楽器を伴い勇壮な金管が始まってすぐに、もうわたしは鳥肌がたってしまった。
この音楽を浴びたくて1階の良き席を確保したが、トリフォニーホールの音響はこの位置が一番いいと確認できた。
例のフガートはオケがまた見事なもので、それが第1ヴァイオリンから始まり、ほかの弦楽に広がっていく様を目撃できるのもまさにライブならではの醍醐味で、そのあとにくる大打楽器軍の炸裂で興奮はクライマックスに達した。
マエストロの万全でないのではと危惧した体調も全開のようで安心。

両端楽章では指揮棒を持たずに細かな指示を出していたが、2楽章では指揮棒あり。
スケルツォ的なリズム重視の楽章であり、明確なタクトが一糸乱れぬオケを率いていった。
コーダの15番的な打楽器による結末は、これもまた実演で聴くと分離もよく、楽しくもカッコいいものだ。

皮肉にあふれた3楽章、悲愴感あふれる流れから遊び心あるパロディまで、聴く耳を飽きさせないが、これらが流れよく、ちゃんと関連付けられて聴くことができたのも、ミッチーの指揮姿を伴う演奏だからゆえか。
ここでも最後のコラールを伴う大フィナーレに最大の興奮を覚えつつ、もう音楽が終わってしまう・・という焦燥感も抱きつつエンディングをまんじりともせずに聴き、見つめた。
この虚しき結末に、最後、井上マエストロは、指を一本高く掲げたままにして音楽を終えた。
そこで、静止して静寂の間をつくるかと思ったら違った。
ミッチーは、くるりと振り向いて、「どう?」とばかりに、おしまいの挨拶のような仕草をしました。

そう、これぞ、ナゾに満ちた難解な音楽の答えなんだろう。

ホールは大喝采につつまれました。

なんどもお茶目な姿を見せてくれた井上マエストロ。

01_20231101221001

最後の共演となる群響の楽員さんと、その熱演とを讃えておりました。

02_20231101221301

スコアを差して、こちらも讃えます。

06_20231101221501

こんなポーズも決まります。
携帯を構える私たちの方をみて、もっと撮れと促されましたし。

07_20231101221701

井上道義さん、来年の引退まで、大曲の指揮がこのあとまだいくつも控えてます。

ますます健康でお元気に。

素晴らしい演奏をありがとうございました。

Triphony-04

帰り道にスカイツリー、楽員さんもいらっしゃいました

Triphony-05

自宅でのアフターコンサートは、焼き鳥弁当でプシュっと一杯。

ショスタコーヴィチの4番、その大音響の影にひそんだアイロニー、15番と相通ずるものを感じました。
同じく、ムツェンスクとの共通項もたくさん。

この日の演奏の音源化を希望します。

交響曲第4番 過去記事

「ネルソンス&ボストン響」

「サロネン&ロサンゼルスフィル」

「ハイティンク&シカゴ響」

「ハイティンク&ロンドンフィル」

「大野和士&新日本フィル」

「ムツェンスクのマクベス夫人 新国立劇場」

| | コメント (2)

2023年10月24日 (火)

ワーグナー 「さまよえるオランダ人」 ①

Oiso-a

相模湾に浮かぶ漁船の群れ。

大磯の山の上からパシャリと1枚。

Oiso-b

山を下り、海辺から先ほどの漁船をパシャリ。

手前の天然の岩礁は、大磯のこちら照ヶ崎海岸に飛んでくる「アオバト」の飛来地として知られますが、この日はいませんでした。

緑色の可愛いハトさんで、大磯のマスコットキャラクターになってます。


Holander

  ワーグナー 歌劇「さまよえるオランダ人」

ワーグナーの作品すべてを取り上げるシリーズ。
初期3作を入れての通し企画では2回目、オランダ人以降の通しでは2回あり。
ワーグナーの音楽とその舞台が好きなだけで、別に専門家でもない素人の殴り書きですから、あくまで個人の思い出とするもので、あとで自分で読んで、なるほどと思ったりしている程度です。

しかし、もうわたしも若くない。
この先の限りある音楽視聴、最後のワーグナー・チクルスと思い、そんな気持ちで主要7作は総まとめ的な記事にして残しておきたいと思いました。
同時に進行しているシュトラウスのオペラも同じ思いで書いてます。

オランダ人以降の作品が頻繁に取り上げられ、バイロイトでもそうした慣例に則っているわけだが、劇場150年の記念の年2026年には、「リング」新演出と「リエンツィ」を上演するとのこと。
バイロイトのその先を占う年となりそうで、ともかく元気で音楽を聴いていたいと思うものだ。

  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

クラシック聴き始めの頃は、ワーグナーはおろか、オペラなんて遠い存在だったけれど、よくあるとおりに、音楽の情報源はレコ芸だった。
1970年、大阪万博の年に、日本は空前の外来演奏家のラッシュとなりました。
カラヤン、バーンスタイン、セルなどの名指揮者たちにならんで、小学生のワタクシの耳目を引いたのはレコ芸での来演オペラ特集と高崎先生によるバイロイト音楽祭の演目紹介シリーズ。
これらの写真を日々、穴のあくほど見つめながら、この音楽はどんなだろうと想像をめぐらしていたのでした。

冒頭の画像は、1965年のヴィーラント演出のもので、スウィトナーの指揮とT・スチュアートのオランダ人。
これとアニア・シリアのゼンタの写真、次のベームのライブも残されたエヴァーディンク演出の写真が、わたくしのオランダ人のイメージの刷りこみであります。

ただし序曲以外にオランダ人を楽しむすべはなく、バイロイトのFM放送を知り、聴きだしたのは72年からなのでオランダ人の上演はなく放送もありません。
組物レコードを買う勇気も資力もないままに迎えたのが、ベームの71年バイロイトライブで、73年初めの発売。
このFM放送をエアチェックして聴きまくって始まったのがワタクシのオランダ人のスタート。
それより前の72年のバイロイト放送で、タンホイザー、ローエングリン、リングは聴くことができてましたし、パルジファルは73年のイーズターの時期に聴いてます。

歳とともに、さらには都心が遠くなってしまったのでオペラを観に行くという行為がおっくうになり、オペラは音源での視聴と同等ぐらいに、映像で楽しむようになった。
しかも困ったもので、斬新な演出にはブーブー言いながらも、ト書き通りの演出では、安心感はあっても、もはや触手が伸びなくなぅてしまい、ことにワーグナーではその傾向が高まるばかりだ。
というか、ワーグナーではもう、普通の演出がなくなってしまい、なにが普通なのかさえもわからなくなってしまったのだ・・・・
これは悲しむべきことなのだろうか。
ワーグナー聴き始めの頃の新鮮な驚きや、前褐のとおり想像を巡らせていた好奇心といったようなものが、遠い昔の懐かしい出来事のように思われる。

【映像】

ネタバレを多く含みますので、映像未視聴の方はすっとばしてください。
自分の記録なので忘れないように書いてしまうんです。

①サヴァリッシュ指揮 バイエルン国立劇場 1974 カシュリーク演出

Hollander_sawallosch

オペラ映画仕立ての作品で、年代を感じさせる古めかしい演技。
でも歌は絶品で、貴重なリゲンツァ映像。
サヴァリッシュはバイロイトでもドレスデン版で、救済なしバージョンだったが、ここでもそう。
ゼンタはオランダ人を追って海に身を投げるが、オランダ人に抱きかかえられ、やがてふたりで沈んでいくラスト。
サヴァリッシュの94年のバイエルン来演のオランダ人を観たが、そのときは救済ありだったと記憶します。

②W・ネルソン指揮 バイロイト1985 クプファー演出

Hollander-1985

1978年に東独から招聘されたクプファーの衝撃のオランダ人演出、その最後の年の上演が映像化されたのは幸いだった。
78年のデニス・ラッセル・デイヴィスによる演奏は、音源化して所蔵してますが、あたりまえだと思ってたゼンタの自己犠牲による救済の動機が序曲でもラストでもならず、荒々しい終結部になっていた。
なぜこのドレスデン版となったか、そのことがこの映像によってよくわかる。
ゼンタは最初から最後まで出ずっぱりで、常にオランダ人の肖像を胸に抱いて夢想的な態度を示している。
オランダ人と出会っても勝手に二人の胸の内を語るだけで、接点はまったくない。
エリックだけが、ゼンタを支える暖かい存在だが、マリーも娘たちも、市民たちも徐々に距離をおくようになり、オランダ人が去ったあとは、自ら自決してしまう。
そのあとのけたたましい音は、映像を観ることで初めてわかった。
街の人々が、窓の扉をガチャンと閉める音だった。
ゼンタの妄想の終結は衝撃的だった。
黒人のバス・バリトン、エステスの歌も演技も強靭で目覚ましかったオランダ人と、ともに7年間ずっとゼンタを受け持った夢見がちのバルスレフがすばらしい。

③ティーレマン指揮 バイロイト2013 グローガー演出

Bayreutherfestspielefliegenderhollaender

2012年から1年お休みをおいて、6年間上演された若いグローガー演出によるもの。
音楽面はずばり素晴らしい。
ティーレマンとダーラントのゼーリヒが実によろしくて、非の打ち所がない。
しかし演出の陳腐さとあまりに不釣り合いだ。
電子系のビジネスマンのオランダ人に、扇風機工場のゼンタ達、船はクソみたいな段ボール製。
すべてが脈連なく感じ、なにかのアンチテーゼか比喩なのか、わかりたくもなし。
最後はゼンタは腹を刺したようで、オランダ人も同じ痛みにあえぎ、段ボールの山の上で抱き合い、舞台は暗転。
救済ありの音楽のなか、ふたたび幕が開くと、翼の生えたゼンタの抱き合うふたりのスーベニアを女工さんたちが次々に完成させている。
バイロイト観劇の土産になって、めでたく永遠にあなたのデスクの上に・・・ってか。

④アルテノグリュ指揮 チューリヒオペラ2013 ホモキ演出

Hollander-zurich

船も港もまったく登場しない、唯一壁に掛けられた動く絵で荒波が表現。
貿易会社が舞台で、アフリカから搾取でもしてるのか、途中、現地人の氾濫のようなシーンもあり、水夫たちの合唱、実は会社員の合唱のなかで、何人かがぶっ〇ろされてしまう。
オランダ人は、どこからともなくあらわるし、終始出ているが、どこか存在感を薄く演出されていて、これもまたゼンタの夢見た幽霊船の船長よろしくゴースト的な存在になってるし、ターフェルの化粧もそんな禍々しさがある。
肖像画を手にするゼンタは、社内のタイピストたちに馬鹿にされっぱなし。
エリックは海の男でなく、漁師になっていて手には猟銃。
ゼンタはオランダ人の正体を知ったあと、微笑みを浮かべるが、そのオランダ人がいつの間にか消え去ってしまい人々の間を探しまくる。
そしてエリックから銃を奪い・・・・
当然に救済なしバージョンで、ラストシーンはショッキングだ。
救済こそないが、幽霊や未知の世界の人々、荒海などなど、ロマン性は斬新さをともない、しっかり描かれていて、さすがはホモキと思わせる。
ホモキの舞台は、これまで、フィガロ、ボエーム、西部の娘、ばらの騎士などの実際の舞台を観劇してきたが、ここでも納得の面白さだった。

アルテノグリュの指揮はいい、ワーグナーの初期的な雰囲気をよく捉えているし、なによりも明快でわかりやすい音楽だ。
ターフェルはアクの強さが、この演出の謎の人物という表現では実に生きているし、アニヤ・カンペのゼンタも、昨今の大活躍を先取りする素晴らしさ。大ベテランのサルミネンも健在。

⑤ネルソンス指揮 ロイヤル・オペラ2015 アルベリー演出

Hollander-roh

英国の港風に横づけされた船の前を舞台に、船員たち、オランダ人も英国調の船乗りだ。
船の模型が、舞台前面に張られた水に最初から最後まで置かれている。
女工さんたちはちゃんと勢ぞろいしてミシンで裁縫の作業中で、仕事を終えると作業着を脱いでみんなおめかしして夜のお出かけに備えるのが見ていて楽しいし、水夫たちと楽しくパーティに興じるのもよろしい。
ラスト、ゼンタはオランダ人が去った船への梯子階段に手をかけ、そのままぶら下がったまま足が浮いてしまうが力尽きて普通に落ちちゃう。
ひとり残されたゼンタは船の模型を手に、悲しく打ちひしがれる。
当然に救済なしバージョンで、ゼンタはオランダ人に振られた格好だ。
なんだが不甲斐ない幕切れで、残尿感の残るものであった。

しかし、ネルソンスの指揮はいまほど太ってなくて、切れ味と重厚感、ともによろしく、指揮姿もキッレキレだ。
ここでもターフェルは堂に入った船長で、フィッシャーマンセーターがお似合いで、ビジュアル的にはこちらの方が上だ。
ピエチョンカのゼンタもいい。

⑥フィオーレ指揮 フィンランド国立劇場2016 ホールテン演出

Hollantilainen

ネット視聴だが、これは面白かった。
現代に時を設定し、オランダ人は絵描きで、満足できる作品がずっと描けず、酒と何人もの女に溺れ、ついには自決さえしようとする。
心臓も壊しているようで呼吸も苦しそうだ。
ダーラントは裕福な美術貿易の資本家で、娘のゼンタも芸術愛好家、人々はみんなスマホを持ってる。
オランダ人の作品を評価し、興味を持ったゼンタはその芸術家をビデオ撮影したりしてドキュメンタリーを作る。
エリックの登場で絶望したオランダ人はカメラの前でピストル自殺。
ラスト、舞台は反転し、そこはゼンタの作品発表の場で、人々はモニターをみて喝采し、彼女もシャンパングラスを手にしている。
画面はオランダ人のモノクロ映像、ひとりゼンタは悲しみの表情を浮かべ涙にくれる。
こんなラストシーンで救済ありバージョンのエンディングとなった。
やや難解だが、こんな解釈もありなのだと感心。

ニールントのゼンタが極めて立派で貫禄がありすぎるのが難点。
デンマークのバスバリトン、ロイターのオランダ人がめっけもん的な素晴らしさだけど、演技に熱が入りすぎて、文字通り口角泡を飛ばす様子が見苦しいかも。
最近ひっぱりだことのちょっぴり太とめの指揮者、フィオーレがツボを心得た指揮ぶりでフィンランドのオケも優秀でした。

⑦リニフ指揮 バイロイト2021 チェルニアコフ演出

Hollander-bayreuth-2020

今年3年目を迎えたオランダ人の新演出時の映像。
必ず読替え演出をする、そして観るわれわれも、どんな風に読み込み解釈をするんだろうという期待を持って臨むようになってる。
私のDVDコレクションもチェルニアコフの演出によるものはとても多い。
 しかし、このオランダ人にはびっくりさせられたが、無理があるなぁと思わざるを得なかった。
当然に船なんてどこにもなくて、北欧の港町を思わせる場所の設定で、例によって小道具から歌わないアクターまで、すべてが事細かくリアルに描写されていて、酒場のカウンター、うまそうなリアルビール、ダーラント家の食卓、女性たちが用意したうまそうなランチなど映画の世界のようだ。
前にも書いたが、背景にいる人物たちも、孤独のグルメの客のように無言で会話をしていたりで、これもリアル映画の世界だ。
 序曲から無言劇が進行し、オランダ人の少年時代が描かれ、春をひさぐ気の毒な母親が街の人々に蔑まれ命を絶つシーンが描かれれ、のっけからショッキングなシーンをみせられる。
幕が開くと、のちのオランダ人が母が亡くなった窓辺を見上げていて、傍らでは金持ち風のダーラントを囲んで男たちが酒盛りをしている。
いつの間にか、静かにオランダ人はテーブルの片隅に座ってしまい無言でじっとしてる・・・・
酒場の傍らには時計が据えられ、この時計が劇の進行とともに、ちゃんと時を刻む。
そう、オランダ人は、何年かのときを経て、復讐しに故郷に帰ってきたお礼参りの設定なのだ。
昔の日本映画や時代劇によくある物語で、ある意味、スリラーでもあり、そういう点ではゴシックロマンとでも言えるかも。
 しかし、チェルニアコフは一筋縄ではいかない。
実際に水夫たちの合唱とオランダ人の部下たちが衝突をするが、オランダ人は懐からピストルを取り出して何人か殺ってしまう。
ゼンタはおきゃんな現代っ子のようで、マリーはダーラントと結婚してるみたいな設定。
マリーが大切に持っていた若い男子の写真をゼンタはふざけて取り上げたりしてからかう。
それが誰だかわかったのは、ダーラント家に夕食に招待されたオランダ人がゼンタといい雰囲気になったとき、マリーは歯ぎしりをして悔しがる。
エンディングは、マリーがオランダ人をライフルでぶっ〇〇してしまう・・・・
嫉妬であるとともに、憎しみからの解放をしてあげたということか、救済ありバージョンでの終結だった。

ということで、やや作りすぎたかな、というのが印象ですが、それにしてもここまで読んで解釈してしまうのはすごいものだ。

初年度だけで降りてしまったグリゴリアンが、歌に演技にはじけていて実によろしい。
ルントグレンの見た目.病んだようなオランダ人はイメージ通りで、破滅的な声もよいが、もう少し心理描写的な歌唱もあっていいかも。
ツェッペンフェルトは文句なしで、思わぬ大役となったマリー役のプルデンスカヤは、とてもいいと思ったが、この1年で終わってしまった。
でも、このオランダ人のプロダクションの真のヒロインは、指揮のリニフさん。
劇の呼吸をわきまえた、劇場向きの指揮者で、細やかでありつつ、全体感も感じさせ、ここはこうあるべしというところが、ちゃんとそのように響くし、歌手たちも無理なく歌えそうなオケなのでありました。
ボローニャの指揮者として近々に来日するリニフさんです。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

映像はまだあるけど、二人仲良く昇天する演出のものが手持ちになかった。
まさに昨今はそうした解釈が主流なのであろう。
逆に、救済付きでの昇天演出を観たら新鮮なのかもしれないことが皮肉なものだ。

音源篇は②へ続く


オランダ人過去記事一覧

「クレンペラー指揮 ニュー・フィルハーモニア」

「バレンボイム指揮 ベルリン国立歌劇場」

「ティーレマン指揮 バイロイト2012」

「ヤノフスキ指揮 ベルリン放送交響楽団」

「サヴァリッシュ指揮 バイロイト1961」

「ライナー指揮 メトロポリタン歌劇場」

「サヴァリッシュ指揮 バイエルン国立歌劇場 DVD」

「ベーム指揮 バイロイト1971」

「コンヴィチュニー指揮 ベルリン国立歌劇場」

「ボーダー指揮 新国立劇場公演」

「ショルティ指揮 シカゴ交響楽団」

「アルブレヒト指揮 バイロイト2005」

「デ・ワールト指揮 読響 二期会公演2005」

| | コメント (2)

2023年10月15日 (日)

ふたりのアメリカン・ワーグナー歌手、ヘイルとグールドを偲んで

Robert-hake-1

テキサス州出身のバス・バリトン歌手、ロバート・ヘイルが8月に90歳で逝去。

私には思い出深い歌手のひとりでした。

アメリカでの活動から、80年代頃からベルリン・ドイツ・オペラを中心にしたヨーロッパに拠点を移し、ワーグナーやシュトラウスの第一人者となりました。

1987年のベルリン・ドイツ・オペラのリング通し公演で初めて知ったロバート・ヘイルのウォータンの名唱。
そのときの驚きは、日記をブログ化したものを再掲。

「なめらかな美声と、押しの強いバス・バリトンの声は、文化会館に、大オーケストラを圧するようにして響きわたったのでした。
R・ヘイルの少しマッチョなテキサス風ウォータンが素晴らしかった。
最後の告別での悲しげかつ、ヒロイックな姿と、その豪勢な声の魅力は忘れえぬものです。
こんなバス・バリトンがなぜいままで知られてなかったのか。
容姿からして第一、目を引く。威厳を備えた若々しい舞台姿とその声。
ハリがあって、すみずみまでよく通る声。深く暖かい。
悟りも感じさせる表現力も豊かで、今後が大いに期待できる歌手。」

こんな風にべた誉めでした。
ヘイルのウォータンは、サヴァリッシュのリングでも聴けるし、ドホナーニとクリーヴランドの未完のリングでも極上の録音で残された。
あと同じく、ドホナーニのオランダ人、ショルティの影のない女の映像なでで、その素晴らしさが確認できます。
同じアメリカ人ウォータン、ジェイムス・モリスとともに、バイロイトの舞台に立つことのなかった名歌手だと思います。

Stephen-gould

ステファン・グールドの早すぎる死は、日本にも親しい存在だっただけにショックだった。

おまけに、われわれは飯守泰次郎さんの逝去を悲しみのなかに迎えたばかりだったのに・・・

今夏のバイロイトを体調不良で、急きょ全キャンセルし、音楽祭終了を待って、自身が胆管癌に侵され余命もきざまれていることを発表。
その後ほどなく届いたグールドの死去の知らせ、9月19日、61歳での死でした。
タフなヘルデンテノールのグールド氏のことだから、きっと元気に復帰するだろうと思い込んでいたし、当ブログでもそんなことを描きました。
訃報にわたしは、思わず、あっ、と声を上げてしまいました。
逝去の記事を書くこともためらいました。

新国の舞台によく立っていただきました。
わたしは、フロレスタン、トリスタン、オテロを観劇するこができましたが、ジークフリートは残念ながら聴くことができなかった。

以下、グールドを聴いたときの当時の感想。
「今夜のフロレスタンも劇場の隅々まで響き渡る豊かな歌声を聞かせた。
とても囚われて兵糧責めにあっている男の声には聞こえないのが難点。」

「私のような世代にとって、オテロといえば、デル。モナコ。
あの目の玉ひんむいた迫真の演技に崩壊寸前のすさまじい歌唱。
 そんなイメージがこびり付いたオテロ役だが、観客の中からノシノシと現れたグールド。
そして、Esulutate! の一声は・・・・、それはジークフリートが熊を駆り立てて登場したかのような「ホイホー!」の声だった。
私には、ジークフリートやタンホイザーで染み付いたグールドの声、声はぶっとくてデカイが、独特の発声にひとり違和感がある。
ワーグナー歌いのそれなのだ。
グールドの唯一のイタリアものの持ち役なんだそうな。
巨漢だから、悩みも壮大に見え、とてもハンカチ1枚に踊らされる風には見えない。
デル・モナコやドミンゴがオテロという人物に入り込んで、もうどうにも止まらない特急列車嫉妬号と化していたのに比べ、グールドは鈍行列車嫉妬号。
だがやがて3幕あたりから、ジークフリートは影をひそめ、いやまったく気にならなくなってきて、その力強い声に迫真の演技が加わりこりゃすごいぞ、と思うようになってきた。強いテノールの声を聴くことは、大いなる喜びなのだ。
耳が慣れればなんのことはない。ヘルデン・オテロも悪くない。」

「バイロイトのジークフリートやタンホイザーの音源で親しんできたヘルデンテノール。
フロレスタンとオテロを新国で観ているが、いずれもジークフリートのイメージを自分の中で払拭しきれなかった。
が、今回のトリスタンは全然違う。
立派すぎる声に、トリスタンならではの悲劇性の色合いもその声に滲ませることに成功していて、これはもう天衣無為のジークフリートではなかった。
以前は空虚に感じた声も、実に内容が豊かで、髭で覆われた哲学者(ザックスみたい)のような風貌も切実に思えた。」

ずいぶんと偉そうなことを書いていて恥ずかしいが、グールドは知的な歌手で、その大柄な姿とは裏腹に考え抜かれた歌唱で、役柄に応じた役作りに徹し、ジークフリートの明るさと力強さ、トリスタンの悲劇性もともにスタイリッシュに歌い分けることができた。
影のない女やアリアドネも舞台が引き締まる存在だった。
近時の最高傑作は、クラッツァー演出のバイロイト・タンホイザー。
これほどまでに演出の意図を体現した演技と歌唱はあるまいと思わせ、味わい深さもあるタンホイザーだった。

自由に行動することを夢見たタンホイザーが、エリーザベトと夢を追う旅に出る。
そんなエンディングにおけるグールド。

Tannhueser

祝福された平安の中に・・・・・、タンホイザーの最後のシーン。

   ーーーーーーーーーーーーー

ロバート・ヘイルさん、ステファン・グールドさん、ともにワーグナーの音楽を聴く喜びを与えてくださいました。

その魂が安らかなりますこと、お祈り申し上げます。

追)7月にはドイツのヘルデンテノール、ライナー・ゴール土ベルクも亡くなっておりました。
84歳になる直前だったとのこと。
80年代、東側から忽然と登場した歌手で、ショルティのバイロイトリングでジークフリート起用が予定されながらキャンセル。
レヴァインのリングでレコーディングは残されましたね。
わたしは、スウィトナーのマイスタージンガーで実演に接しております。
ドイツの往年の歌手といったイメージで、やや硬い声でしたが、当時貴重な存在として各劇場で大活躍。

まいどのことですが、歌手の訃報は悲しく、寂しいものです・・・

| | コメント (0)

2023年10月 7日 (土)

ブラームス 交響曲 70年代の欧州演奏

Higan-02

暑さは去り、秋が来た。

しかし、秋は駆け足です。

彼岸花もあっという間に咲いて、すぐに萎んじゃう。

秋にはブラームスの音楽が似合うが、とりわけ緩徐楽章がいい。

ブラームスの音源ライブラリーをながめてみたら、交響曲は新しい録音はほとんど持ってなくて、アナログ時代のものばかりだった。

とりわけ、60~70年代のものが多く、愛着もあります。

ブラームスの交響曲ぐらいになると、もう聴きすぎて、新しいCDなど買わなくなる。

今日は、秋空をながめながら、緩徐楽章を中心にヨーロッパのオーケストラで4曲まとめて聴いてみた。

私にとっての青春譜ともいえる、アバドの1回目のブラームスはここでは取り上げませんでした。
(過去記事:アバド ブラームス

Brahms-bohm-vpo

  ブラームス 交響曲第1番 ハ短調 op.68

 カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

        (1975.5.5,6 @ムジークフェライン)

伝説級となったベーム&ウィーンフィルの来日公演で、人々が一番興奮したのがこの曲。
抽選に漏れて簡単に取れたムーティしか行けなかったが、連日の生放送をエアチェックして、もう感動の坩堝だった。
トリスタンとリングで知るワーグナー指揮者、そしてライブで燃えるベームを生々しいライブ放送越しに聴いたし、テレビ放送にも釘付けとなりましたね。
ブラームスの1番は、このときまでよく知らない曲だった。
4→2→3番の順で馴染んでいったけれど、1番は正直ろくに聴いたこともなかった。
しかし、このベーム来日公演で全貌を知り、その虜となってしまった。
ティンパニの連打と暗鬱な1楽章、甘味なる2楽章、クラリネットが魅力の3楽章、そして暗雲を抜けて晴れやかな空が広がる終楽章とそのフィナーレ。
70年代のウィーンフィルの面々が、いまでも思い浮かびます。
コンマスはヘッツェル、横にはキュッヘル、第2ヴァイオリンにはヒューブナー教授。
ビオラにワイス、チェロはシャイワイン、フルートにトリップ、レズニチェク、オーボエはレーマイヤー、マイヤーホーファー。
クラリネットにはプリンツとシュミードル、ファゴットにツェーマン、ホルンはヘグナー、トランペットにボンベルガー。
ティンパニはブロシェク・・・・60~70年代のよきウィーンフィルの音色を体現したメンバーだった。
もちろん男性メンバーだけ、そういう時代だった。

日本公演は3月17日と22日がブラームスで、ウィーンに帰ったこのコンビはその2か月後にブラームスの交響曲を全部録音した。
その演奏の雰囲気は来日公演の威容のまま。
しかし熱量は当然にライブ時のものとは比較になりません。
ただウィーンの音色、ムジークフェラインの響きがこれほどに美しく収録されたことが希少です。
2楽章はほんとに美味であります。

Brahms-sym24kempe1

     ブラームス 交響曲第2番 ニ長調 op.73

 ルドルフ・ケンペ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

        (1975.12.13,15 @ミュンヘン)

74年と75年に一気に録音されたケンペのブラームス。
65歳で早逝してしまうケンペのまさに晩年の録音となってしまった。
もう少しはやく、ドレスデンでも録音してくれたら・・・という思いはありますが、ザンデルリンクの録音と被ってしまったのでしょう。
ミュンヘンのオーケストラといえば、放送局のオーケストラとばかりに思っていた自分が、フィルハーモニーもあることに驚いたのが、札幌オリンピックの時の来日だった。
病気がちのケンペでなく、ノイマンと来るはずが、それも難しくなってフリッツ・リーガーという当時は知らなかったベテラン指揮者とともやってきた。
ハンス・リヒター・ハーザーとエディツト・パイネマンが帯同、いま思えばこれもまた伝説の来日。
ということで地味なオーケストラというイメージを脱することが自分のなかではできなかったミュンヘンフィルですが、ケンペとの積極的な録音と晩年のケンペの充実ぶりとで一躍注目されるようになり、私もベートーヴェンやこのブラームス、ブルックナーを聴いたのでした。
ミュンヘンオリンピックでの追悼演奏での英雄、テレビでケンペとミュンヘンフィルをそのときはじめて見たことも記憶にありました。

この2番の演奏ですが、渋くて、速めの運びながら質実剛健で、無駄なものや媚びた音色などが一切なし。
渋さのなかに安住することなく、この演奏には熱もあり、終楽章の白熱ぶりには驚かされます。
つくづく、ケンペがもうすこし存命だったら、BASFがという巨大化学会社がレコード業界から手を引かなかったら、音楽シーンはまたどうだったかな・・・と思います。

Haitink_brahms-3

  ブラームス 交響曲第3番 ヘ長調 op.90

 ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

        (1970.5 @コンセルトヘボウ)

若きハイティンクのわたくしの初レコードがこれ。
74年にハイテインクとコンセルトハボウが来日する際に廉価盤で発売された。
その前年のアバドとウィーンフィルの来日公演で演奏されたブラームスとベートーヴェンの3番を放送で観て聴いて、ブラームスの3番に開眼。
アバドの全集と同じころに、このレコードを買った。
もっと歌って欲しいと思った3楽章で、ハイティンクはこうしたそっけないところが受けないんだな、と当時レコ芸でボロクソ書かれていたことになんとなく同意したりしていた。
しかし、その後のワタクシのハイティンク愛は、このブログで多々書いてきたとおり。
CD化された全集で、あらためて一番先に録音された3番を聴いて思った。
なんだ、この頃から、ハイテインクとコンセルトハボウそのものじゃん。
レコードよりはるかにいい音がする録音は、コンセルトヘボウのホールの響き、オケの柔らかな絹織りのような音色、とくに弦の美しさを味わえる。

このコンビのブルックナーとマーラーの60~70年代の録音にも共通している、オケも指揮者も特段の主張もなく、中庸のままに音楽に打込んでいるその様子。
73年頃から、ハイティンクは構成感を積み上げたような重厚で、ふくよか、たっぷりとした演奏をするようになり、もうひとつの手兵ロンドンフィルでもそのスタイルが貫かれるようになった。
その前のブラームス、構えの大きさをうかがわせるのは、この3番よりも同時に録音された「悲劇的序曲」の方かもしれない。
この曲1,2を争う演奏だと勝手に思ってる。

Brhams-sanderling-1

  ブラームス 交響曲第4番 ホ短調 op.98

 クルト・ザンデルリング指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団

         (1972.3.8 @ルカ教会)

ドレスデン・シュターツァペレの古式ゆかしき良さが、われわれ日本人にわかったのは、73年のザンデルリングとの来日だったと思う。
その直前には、スウィトナーのモーツァルトの交響曲や「魔笛」も注目されていた。
この時の来日は、ブロムシュテットとクルツも一緒で、ザンデルリンクは61歳。ブロムシュテット46歳、クルツ43歳。
ブロムシュテットが現役を貫いているが、ザンデルリングの没年は98歳、クルツは92歳で、ドレスデンの指揮者たちはみんな長命です。

ミュンヘン・フィルも渋いと書いたが、ドレスデンはそれとはまた違った、楽器のひとつひとつ、奏者ひとりひとりが伝統という重みを背負っている、そんな古色あふれる渋さなのでありました。
そう、過去形です。
東側時代のドレスデンは楽器も奏法も古めかしいものを使っていたと思うし、それが味わいとなって澱のように幾重にも積み重なっていて、一言では言い表せない独特の音色や響きを出していたと思います。
東西の垣根が取れ、指揮者もシノーポリやルイージといったイタリア系の登場もあり、伝統の響きはそのままに、ドレスデンも機能的なオーケストラに変化していったと思います。

それはさておき、ドレスデンの最良の姿を記録したブラームスがこの録音だと思います。
なかでも4番は、とび切りの名演。
2楽章など、ライン川に佇む中世の古城といった趣きで、中音域の落ち着きある音色がたまらなく美しい。
どこまでも自然に流れる演奏でありながら、細部は丁寧に仕上げられ、歌い口も滑らか。
ザンデルリングは無骨な指揮者でないことがこのドレスデンとの演奏でよくわかる。
のちのベルリン響との再録音では、テンポも遅くなり悠揚迫らぬ演奏となっていて、それに比べるとドレスデン盤は流麗であり、後ろ髪引かれるような回顧に満ちた切なさも感じさせる。

Higan-04

ここになんでベルリンフィルがないんだ?と言われるむきもあるでしょう。
そう70年録音のアバドの2番は、この曲最高の演奏だと思いますが、再三にわたりこのブログで取り上げてます。
カラヤンの2度目のブラームスも70年代ですが、実は聴いたことがないんです。

ということで、ウィーン、ミュンヘン、アムステルダム、ドレスデンということになりました。
4人の指揮者がそれぞれに関係あるオーケストラは、ドレスデンです。

4つのオーケストラによるブラームスを聴いてみて、それぞれの個性がしっかり刻まれているのを実感できました。
こうした比較ができるのも60~70年代ならではではないでしょうか。
いまやったら、みんなうまいけど、音の個性はみんな均一になりつつあると思いますね。

Higan-06

| | コメント (2)

2023年9月25日 (月)

ヴィオッティ&東京交響楽団演奏会

Tso-04

休日の土曜、14時でもなく、19時でもなく、18時の開演で間違えそうになったサントリーホール。

「英雄」とタイトルされたふたつの作品の重厚プログラムで、ホールはほぼ満席。

Tso-01 

ひときわ目立つ華麗な花飾りには、ブルガリからの指揮者ヴィオッティへのメッセージ。

そう、イケメンのヴィオッティはブルガリの公式モデルをしているのです。

この日、それ風の外国人美女がチラホラいましたので、そうした関係なのかもしれません。

でも、ヴィオッティはそうした外面的な存在だけではありません、将来を嘱望される本格派指揮者なのです。

2世指揮者で、父親は早逝してしまったオペラの名手、マルチェロ・ヴィオッティ(1954~2005)で、ローザンヌ生まれのスイス人です。
母親もヴァイオリニスト、姉もメゾソプラノ歌手(マリーナ・ヴィオッテイ、美人さん)という音楽一家で、音楽家になるべくして育ったロレンツォ君は、自身も打楽器奏者からスタートしている。
現在はネザーランド・フィル、オランダオペラの首席指揮者として活動中で、ヨーロッパの名だたるオーケストラにも客演を続けている。
海外のネット放送でも、ヴィオッテイを聴く機会が多く、私が聴いたのは、ツェムリンスキーのオペラ「こびと」、「人魚姫」、コルンゴルト「シンフォニエッタ」、ヴェルディ「聖歌四篇」、チャイコフスキー「悲愴」、ドビュッシー「夜想曲」、ウィーンでのマーラーなどなど。
このレパートリー的に、私の好むエリアを得意としそうな気がして、ずっと着目していたところだ。

Tso-02

  ベートーヴェン   交響曲第3番 変ホ長調 「英雄」

  R・シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」

    ロレンツォ・ヴィオッテイ指揮 東京交響楽団

     ソロ・コンサートマスター:グレブ・ニキティン

          (2023.9.23 @サントリーホール)

イタリア語由来の「英雄」はエロイカ。
ドイツ語で「英雄の生涯」は、ヘルデン・レーベン。
英雄的テノールということで、ヘルデンテノールがある。
これが英語では、「ヒーロー」になる。

こんな風に「英雄」由来の2作品を並べた果敢なプログラムを組んだ東響とヴィオッテイにまずは賛辞を捧げたい。

冒頭に置いたエロイカ、若いヴィオッテイならガツンと勢いよく、意気込んでくるだろうと思ったら、まったく違って、肩すかしをくった。
軽いタッチで、スピーディーに、サクっと始まったし、そのあとも滑らかに、流れのいいスムースな演奏に終始。
角の取れたソフィスティケートなエロイカは、わたしにはまったく予想もしなかった新鮮なものに感じられた。
くり返しもしっかり行いつつ、力強さとはほど遠い流麗さで終始した1楽章。
音が薄すぎるという点もあったが、わたしは美しい演奏だと思った。
その思いは、デリケートな2楽章に至って、さらに募った。
弱音を意識しつつ、間が静寂ともとれる葬送行進曲は、2階席で急病の方が出たらしいが、見事な集中力でもって聴かせてくれた。
ホルンが実に見事だった3楽章では、若々しいヴィオッテイのリズムの良さが際立ち、ホルンも完璧!
ギャラントな雰囲気をかもし出した終楽章。
メイン主題が木管で出る前、弦4部のソロが四重奏を軽やかに奏でたが、これが実に効果的で、指揮者は棒を振らずに4人のカルテットを楽しむの図で、そのあとに主旋律がサラッと入ってくるもんだから感動したのなんの。
エンディングも勇ましさとは無縁にさらりと終わってしまう。
アンチヒーローとも呼ぶべき美しくも、しなやかなエロイカだった。

後期ロマン派系の音楽を得意にするヴィオッテイのベートーヴェンはこうなるのか、と思いました。

さて、シュトラウスの方のヘルデンは。

これはもう掛け地なしで誰もが認める抜群のシュトラウスサウンド満載の好演。
すべての楽器が鳴りきり、思いの丈をぶつけてくるくらいに、ヴィオッテイはオーケストラを解放してしまった。
エロイカでの爆発不足を補うかのような爽快かつヒロイックな冒頭。
あとなんたってベテランのニキティンの自在なソロにみちびかれ、陶酔境に誘われた甘味なる伴侶とのシーンは、ヴィオッテイの歌心が満載で、これもまた美しすぎた。
闘いにそなえ、準備万端盛り上がっていくオーケストラを抑制しつつ着実にクライマックスに持っていく手腕も大したものだ。
ステージから裏に回るトランペット奏者たち、また帰ってきて大咆哮に参加し、打楽器がいろんなことをし、木管も金管もめまぐるしく活躍し、弦楽器も力を込めてフルに弾く、そんな姿を眺めつつ聴くのがこの作品のライブの楽しみだ。
その頂点に輝かしい勝利の雄たけびがある。
感動のあまり打ち震えてしまう自分が、この日もありました。
 その後の回顧シーン、さまざまな過去作の旋律をいかにうまく浮かびあがらせたり、明滅させたりとするかは、シュトラウス指揮者の肝であろう。
以前聴いた、ノットの演奏がこの点すばらしくて、移り行くオペラのひとコマを見ているかのようだった。
シュトラウスサウンドを持っている同じ東響の見事な木管もあり、ヴィオッテイのこのシーンも実に細部に目の行き届いた鮮やかなもので、過去作メロディ探しも自分的に楽しかった。
このあとの隠遁生活をむかえるしみじみ感は、さすがに老練さはないものの、テンポを思いのほか落として、でもだれることなくストレートな解釈で、まだまだこの先も続くシュトラウスに人生を見越したかのような明るい、ポジティブなさわやかな結末を導きだしたのでした。
すべての音がなり終わっても拍手は起こらず、静寂につつまれたサントリーホール。
ヴィオッテイが静かに腕をおろして、そのあと間をおいてブラボーとともに、大きな拍手で満たされたのでした。

俊英ヴィオッテイの力量と魅力を認めることのできたコンサート。
東響との相性もよく、もちろんシュトラウスは東響と思わせる一夜でした。



OKでたので撮影、喝采に応えて、最後はシュトラウスのスコアをかかげるヴィオッテイ。

おまけ、ブルガリのヴィオッティ。



イケメンもほどほどにして欲しいが、引く手あまたの人気者。
東響の「ポスト・ノット」をウルバンスキとともに目されるヴィオッテイ。
オランダの忙しいポスト次第かと。
そのオランダでは、初ワーグナー、ローエングリンを振るそうだ。

Tso-03

ふつうのイケてないオジサンは、新橋で焼き鳥をテイクアウトして、東海道線の車内を炭火臭でぷんぷんにさせながら帰ってきて、ビールをプシュッ🍺

| | コメント (2)

2023年9月16日 (土)

「ベームのリング」発売50周年

バイロイト音楽祭は終了し、暑さも残りつつも、季節は秋へと歩みを進めてます。

今年のバイロイトは、新味と味気のない「パルジファル」の新演出で幕を開け、昨年激しいブーイングに包まれたチャチでテレビ画面で見るに限る「リング」、チェルニアコフにしては焦点ががいまいちの「オランダ人」、安心感あふれる普通の「トリスタン」、オモシロさを通り越してみんなが味わいを楽しむようになった「タンホイザー」などが上演された。

でも、音楽面での充実は、暑さやコ〇ナの影響による配役の変更があったにせよ、極めて充実していたと思います。
指揮者で一番光ったのは、タンホイザーを指揮したナタリー・シュトッツマンでドラマに即した緩急自在、表現力あふれる生きのいい演奏でした。
次いで、カサドの明晰で張りのあるパルジファルというところか。
コ〇ナ順延と自身の感染で、2年もお預けとなり初年度にして最後となってしまったインキネンのリングは、正直イマイチと思った。
気の毒すぎて、本来3年目にして最良の結果を出すところだったのに。
来年はジョルダンに交代となってしまう。

悲しいニュースとしては、体調不良で音楽祭開始前に出演キャンセルをしたステファン・グールドが、音楽祭終了と同時に胆管癌であることを発表し、余命も刻まれていることを公表したこと。
世界中のワーグナー好きがショックを受けました。
タフなグールドさん、ご本復を願ってやみません。

Ring_20230915221901

1973年の7月30日、世界同時に「ベームのリング」が発売されました。

今年は、それから50年。

思えば、このリングのレコードを入手したことから、ワーグナーにさらにのめり込み、好きな作曲家はまっさきに「ワーグナー」というようになった自分の原点ともいうべき出来事だったのです。

Ring-1

72年頃から、NHKのバイロイト放送を聴きだし、その年に初めてのワーグナーのレコードとして、「ベームのトリスタン」を購入。
その秋には、レコ芸のホルスト・シュタインのインタビューで、66・67年の「ベームのリング」が発売されるという情報を得る。
翌73年夏、ヤマハからパンフレットと予約のハガキを送ってもらい、親と親戚を説得して購入の同意を獲得。
待ちにまった「ベームのリング」が父親が銀座のヤマハから運んできてくれたのが8月1日。

Ring-3

分厚い真っ赤な布張りのカートンケースは、ずしりと重く、両手で抱えないと持てないくらいの重厚さ。

中蓋には手書きで愛蔵家のシリアルナンバーがふられてました。

Ring-2

この番号、いまならパスワードにして生涯使いたいくらいです。

Rring-8



ボックスの中には、4つの楽劇がカートンボックスに納められ入ってました。

4つのカートンには、それぞれ対訳と詳細なる解説が盛りだくさんの分厚いリブレットが挿入。

舞台写真や歌手たちの写真、ベーム、ヴィーラントの写真もたくさん。

これを日々読み返し、新バイロイト様式による舞台がどんな風だったか、想像を逞しくしていたものでした。

ときにわたくし、中学3年生の夏でした。

Ring-9

解説書の表紙にもヴィーラント・ワーグナーの舞台の写真が。
なにもありませんね、いまの饒舌すぎる舞台からするとシンプル極まりない。
音楽と簡潔な演技に集中するしかない演出。

そうして育んできた私のワーグナー好きとしての音楽道、ワーグナーはおのずとベームが指標となり、耳から馴染んだ音響としてのバイロイト祝祭劇場の響き、そして見てもないのに写真から入った簡潔な舞台と演出、それぞれが自分のワーグナーの基準みたいなものになっていったと思います。

Ring-6

ヴィーラント・ワーグナーとベーム博士。

戦後のバイロイトの復興においては、このふたりと、クナッパーツブッシュ、カイルベルトをおいては語れない。
いまのように映像作品も残せるような時代だったらどんなによかっただろうと思う。
映像でワーグナーの舞台が残されるようになったのは、バイロイトではシェロー以降だが、そもそもいまでは普通の感覚となった、あの当時では革命的であったシェロー演出も、ヴィーラントとウォルフガンク兄弟の興した新バイロイトがあってのもの。

そもそもヴィーラント・ワーグナー(1917~1966)が早逝していなければ、その後、外部演出家に頼るようになったバイロイトがどうなっていただろうか。
祖父の血を引く天才肌だっただけに50前にしての死は、ほんとうに残念でなりません。

「ベームのリング」は66年と67年のライブ録音ですが、このヴィーラント演出は1965年がプリミエで、全部をベームが指揮。
66年は1回目をベームが指揮し、残りの2回をスウィトナーが担当。
67年には、ベームはワルキューレと黄昏の1,2回目のみを指揮してあとは全部スウィトナー。
こんななかで、2年にわたるライブが録られたことになります。
68年には、マゼールに引き継がれ69年にはヴィーラント演出は終了してます。

ヴィーラントの死は、1966年10月ですが、その年の音楽祭が始まる頃には、ヴィーラントはすでに入院していて、だいぶよくないとの噂で、バイロイトの街も沈んでいたといいます。(愛読書:テュアリング著「新バイロイト」)
そんな雰囲気のなかで始まった66年のリング、「ラインの黄金」と「ジークフリート」はともに初日の録音。
みなぎる緊張感と張りのある演奏は、こんな空気感のなかで行われました。
同時に、「ベームのトリスタン」も同じ年です。

ついで67年は、ヴィーラント亡きあと、ウォルフガンク・ワーグナーに託されたバイロイトの緊張感がまたこれらの録音に詰まっていると思います。
演出補助は、レーマンとホッターが行っていて、ベームはワルキューレと黄昏のみに専念。
2年間に渡る録音で、ベストチョイスの歌手が統一して歌っているのも、このリングの強みでしょう。
ダブルキャストで、ウォータンを66年にはホッターが歌っているのが気になるところですが、通しで統一されたのは、ショルティやカラヤンよりも一気に演奏されたベーム盤の強みです。

指揮者の招聘にもこだわりをみせたヴィーラントは、その簡潔で象徴的な舞台に合うような、「地中海的な精神の明晰をもって明るく照らし出すことのできる指揮者」、曇りのない音楽を求めたものといわれる。
サヴァリッシュやクリュイタンスがその典型で、モーツァルトの眼鏡でワーグナーを演奏するとしたベームもそうだろう。
その意味でのスウィトナーがベームとリングを分担しあったのもよくわかることです。
さらに、ブーレーズに目を付け、ついに66年に登場したものの、ヴィーラントはすでに病床にあったのは悲しいことです。

モーツァルトとシュトラウスの専門家のように思われていた当時のベームは、20年ぶりに指揮をしたという65年のバイロイトのリングで、これまでのワーグナー演奏にあったロマン主義的な神秘感や情念といったものをそぎ落とし、古典的な簡潔さとピュアな音、そこにある人間ドラマとしての音楽劇にのみ集中したんだと思う。
そんななかでの、ライブならではの高揚感がみなぎっているのもベームならです。
ヴィーラント・ワーグナーの演出ともこの点で共感しあうものだったろうし、象徴的な舞台のなかで音楽そのものの持つ力を、きっと観劇した方はいやというほどに受けとめたに違いない。
いま、ほんとにそれを観てみたい。

過剰で、いろんなものを盛り込み、自己満足的な演出の多い昨今。
みながら、あれこれ詮索しつつ、その意味をさぐりつつ、いつのまにか音楽が二の次になってしまう。
映像で観ることを意識した演出ばかりの昨今。
ワーグナーの演出、しいてはオペラの演出に未来はあるのか?
突き詰めたベームのワーグナーを聴きながら、またもやそんなことを考えた。

Ring-7

タイムマシンがあれば、あの時代のバイロイトにワープしてみたいもの。

不満をつのらせつつも、行くこともきっとない来年のバイロイトに期待し、ワーグナーの新譜や放送に目を光らせ、膨大な音源を日々眺めつつニヤける自分がいるのでした。

それにしても、スウィトナーのリングもちゃんと録音して欲しかった。

| | コメント (4)

2023年9月11日 (月)

神奈川フィルハーモニー 平塚公演

Hirashin-01

昨年オープンした、ひらしん平塚文化芸術ホール。

手前は平塚小学校跡の脇に大樹を誇る樟樹(クスノキ)。

明治28年に芽吹いたものとされます。
平塚は、関東大震災と大空襲と重なる被災がありましたが、立派な雄姿に感心してホールを背景に1枚撮りました。

Hirashin-02Hirashin-03

  ホルスト 「セントポール」組曲

  ラヴェル  ボレロ

  朝岡 真木子 「なぎさ」

  中田 喜直  「歌をください」

  中田 喜直  「夏の思い出」

  平井 康三郎 「うぬぼれ鏡」

     S:岩崎 由紀子

  ムソルグスキー(ラヴェル編) 「展覧会の絵」

  オッフェンバック 「天国と地獄」ギャロップ

    太田 弦 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

          コンサートマスター:依田 真宣

        (2023.9.9 @ひらしん平塚文化芸術ホール)

ボレロと展覧会という名曲に加えて、惑星だけじゃないホルストの瀟洒な弦楽組曲、そして地元平塚のレジェンド歌手、岩崎さんをむかえてオーケストラ編曲伴奏で歌曲。
クラシック初心者から、ある程度の聴き手までを満足させるプログラムでした。

ヴォーン・ウィリアムズとともに英国の民謡を収集し、愛したホルストの面目躍如たる4編からなる弦楽のための組曲。
神奈フィルの弦楽セクションの美しさが光る演奏で、最後にグリースリーヴスの音色が浮かび上がってくるところは、実にステキでした。

もしかしたら、小澤&新日以来、何十年ぶりに聴くボレロの生演奏。
指揮棒なしで指揮をする若い太田くん。
昔聴いた40歳の小澤さんの指揮は、左手だけでずっと指揮をして、弦が奏で始めたら指揮棒を持った右手で振り始めました。
ともかく全身が音楽をまさにあらわしたような指揮ぶりでした。
もちろん太田くんには、そんな芸風はまだまだはるかに及びませんが、よく頑張りました。
欲をいえば、慎重にすぎたか、展覧会もそうだけど、少しハメをはずしてもいいのかなとも思いましたね。
でも、わたくしは、おなじみの神奈川フィルの皆さんのソロ、ベテランも若い方も、みんなうまくて、それぞれのソロを堪能しました。
とくに今月ご卒業の石井さんのファゴット、味わい深く、しっかりと耳に焼き付けました。

平塚出身の岩崎さん、プロフィール拝見しましたら、私が育ったエリアでもっとも憧れの高校のご出身で、そこから一念発起、郷土を愛するソプラノ歌手になられたとのこと。
二期会の会員でもあり、平塚周辺での活動もかなり活発だった由で、もしかしたら私もどこかで聴いていたかもしれません。
そんな風に、どこか懐かしい、優しい歌声の岩崎さん。
平塚の海を歌った地元産の美しい「なぎさ」、思わず切実な内容に歌唱だった「歌をください」、オペレッタ風、レハールを思わせるような軽やかな「うぬぼれ鏡」。
タイプの異なる3曲を、しっかりと歌い分け、聴き手の耳に優しく届けてくださった。
失礼ながら年齢を感じさせない素敵な歌声でした。
間にストリングスだけで、「夏の思い出」、夏の終わりに後ろ髪ひかれるような雰囲気に。

実は、生演奏で初めて聴く「展覧会の絵」。
いわゆる「タコミミ」名曲なので、リラックスして聴けました。
親しみすぎたメロディばかりなので、思わす、太田くんを差し置いて指が動いてしまうのを必死に押さえましたね(笑)
ここでも堅実・無難な演奏に徹した太田くん。
これまで、ことに「歌」が入るとあまり気にならなかったホールの鳴りすぎる響き。
このホール、前回は2階席で平塚フィルを聴いたときはブレンド感がよく、気にならなかったが、1階席中ほどで聴いた今回は、プロオケが全開したときの威力によることもさることながら、すべての音が前方と上方から降り注いでくる感じで、音が響きに埋没してしまう。
そのかわり、ソロのシーンは実によく聴こえるし、虫メガネで拡大したようにリアルに聴こえる。
一方で、トウッティになるとガーーっと鳴ってしまう。
指揮台は一番苦戦したかもしれませんね。
でも、大オーケストラの迫力を楽しむには充分満足で、多くの聴き手が興奮したこと間違いなし。
平尾さんのシンバルもバッチリ決まった!
展覧会終結と同時に、後ろにいらしたご婦人が、ふぁーーすっごい!と言ってらっしゃった。

思わず、笑顔こぼれるアンコールも、この演奏会のトリとして正解。

あれこれなしに、楽しいのひとことに尽きる演奏会でした。

終演後、ホールをあとにした楽員さんの何人かにご挨拶。
自分にとって懐かしい皆さんに、平塚の地でお会いできたのも嬉しい1日でした。

Hirashin-04

これまた久方ぶりにお会いできた、神奈フィル応援メンバーとも再開し、平塚の地の魚で一献。

Hirashin-05

鉄火巻は大好物で、最高のおつまみにもなります。

楽しかったーー。

| | コメント (0)

«ディーリアス 「夏の歌」 オーウェル・ヒューズ指揮