2019年1月20日 (日)

アバドのプロコフィエフ

Ume_1

日の入り直後、浮かんだ雲が夕日を浴びて美しかった。

そして、クラウディオ・アバドが天に召されて早くも5年。

あの日の朝、ネットで海外ニュースをぼんやりと見ていて、飛び込んできたアバドの訃報。

呆然として、しばらく何も手につかなかった。

でも、ときおり思い出したように出てくる発掘音源が、心から楽しみだし、残された豊富な音源や映像に囲まれているのも、思えばファンとしては幸せなことなのかもしれない。

この日に、アバドの得意としたプロコフィエフをいろいろ聴いてみた。

Prokoviev_abbado

「ロメオとジュリエット」「道化師」 抜粋  ロンドン交響楽団 66年

ピアノ協奏曲第3番 マルタ・アルゲリッチ ベルリンフィル  67年

「古典交響曲」、交響曲第3番       ロンドン交響楽団 69年

「キージェ中尉」「スキタイ組曲」      シカゴ交響楽団  77年

「アレクサンドル・ネフスキー」        ロンドン交響楽団 79年

タイボルトの死               ECユースオケ  79年

ヴァイオリン協奏曲第1番・2番  ミンツ シカゴ交響楽団  83年

「ピーターと狼」「古典交響曲」ほか    ヨーロッパ室内管  86年

ピアノ協奏曲第1番・3番   キーシン  ベルリンフィル    93年

「ロメオとジュリエット」抜粋      ベルリンフィル    96年

 (あと映像として、シモン・ボリバルとのスキタイ、ピーターと狼
    ワンとルツェルンでピアノ協奏曲第3番)

アバドの録音したプロコフィエフは、以上だと思います。

こうしてみると、やはり、「ロミオ」が一番お得意で、あとは協奏曲。

でも、本当にアバドらしいのは、「アレクサンドル・ネフスキー」と交響曲第3番。

Prokofiev_alexander

「アレクサンドル・ネフスキー」、もともとは、エイゼンシュタインの依頼による映画音楽からチョイスした壮大な声楽作品。
ダイナミックで写実的な場面は、迫力満点で、アバドは、気脈の通じ合ったロンドン響と緻密かつ明快盛大な音楽を作り出している。
 しかし、この作品のもうひとつの一面、圧制に苦しむ民衆と、その開放、このあたりをよく描いていて、ムソルグスキーを愛したアバドの着眼点は、ここにあると思わせる、そんな「ネフスキー」の演奏になってます。
そして、録音が抜群によろしい。
 
 そして、ユニークなのが、交響曲第3番
若い頃から、プロコフィエフの交響曲ならこの3番のみを演奏してきたアバド。
西側の指揮者で、この3番に刮目した初の指揮者ではないでしょうか。
 2番とともに、アヴァンギャルドな作風も有しつつ、ロシアの憂愁や、甘味な旋律もあふれる、何気に素晴らしい作品で、バレエ音楽にも近い。
これをアバドは、イタリア人の明るい目線でもって、歌でもって答え、快活に演奏してしまった。
プロコフィエフの特徴である、クールなリリシズムを、アバドほど巧みに描きだす指揮者ないなかった。

Prokofiev

画像は借り物ですが、アバドのDGデビュー盤は、朋友アルゲリッチとの、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番とラヴェル。
ともに、両曲一番の名演だと、いまもって思ってます。
67年の録音ですが、この年、さらにベルリンフィルとは、ブラームスのセレナーデ2番などを入れてまして、カラヤン以外の録音は当時はとても珍しかったはず。
当の名器ベルリンフィルも嬉々として演奏している感があり、ノリノリです。
そしてアバドのスマートな指揮に、アルゲリッチの情熱的なピアノが見事な反応を起こして、チョーかっこいいプロコの3番が仕上がりました。
のちの慎重すぎのキーシンとのもの、さらには、アクロバティックな空疎なY・ワンのものより、ソリストとの組み合わせで、この一番古いものが好きです。

協奏曲で、シェロモ・ミンツとのヴァイオリン協奏曲
こちらも、今度は曲が、とくに2番が深いだけに、さらにシカゴがオケなだけに、演奏の充実度が高いです。アバドの緻密なバックがあって、ミンツの美音が光っている印象。
受ける印象は、冷たい空に浮かぶ怜悧な三日月みたいな感じの美しさ。

さらにシカゴの高性能ぶりをまざまざと見せつけてくれる見本のような、「キージェとスキタイ」。
このふたつの組曲の理想的な演奏がアバド盤でしょう。
切れ味するどく、どこもかしこもエッジが効いていて、リズム感も抜群、聴いていて、爽快かつ胸のすくような快感を覚えます。
さらに、この1枚もまた、録音がよい!

「ピーターと狼」は、各国の著名人たちがそれぞれに声を担当して各地で発売されたが、日本では、アバド自身が選んだ坂東玉三郎。
しかし、私の持っている外盤は、カレーラスで、スペイン語だったりします。
鋭敏な演奏で、面白いのですが、この音盤でステキなのは、その余白に収められた「ヘブライ序曲」と「軍隊行進曲」だったりします。
アバドらしい凝った企画です。

Abbado_prokofiev_romeojuliet

アバドのメジャーレーベルデビューが、デッカへの「ロミオとジュリエット」
組曲から、9曲を抜き出したロンドン響との演奏。
デッカの生々しい録音が今でも鮮度高いですし、アバドの堂々としてゆるぎない指揮ぶりもデビュー盤とは思えない充実ぶりを感じさせます。
音色は明るく、地中海的ですらあります。
そして、ここでも抜群のリズム感が光ります。

79年に、ザルツブルク音楽祭で、若いECのオケとの演奏会のアンコールに「タイボルトの死」を演奏。
この鮮烈かつ、血の出るような熱気あふれる演奏はライブで燃えるアバドならでは。

そして、デビュー盤から30年後、お互いにベストコンビとなったベルリンフィルとの録音は、今度は組曲からではなく、全曲版全52曲から、アバドが選び出し、曲順も変えた20曲の抜粋版。
以前に書いたこの音盤の記事と、今聴いても思いは変わらないで、ここに再褐しておきます。

<繊細な歌う絶妙のピアニシモから、分厚いフォルティッシモまで、広大なダイナミックレンジを持つ鮮烈な演奏。
威圧的にならず、明るいまでのオーケストラの鳴りっぷりのよさが味わえるのも、見通しいい音楽造りをするアバドならでは。
 有名な「モンタギュー家とキャピレット家」や「決闘」「タイボルトの死」などでは、オーケストラの目のさめるようなものすごいアンサンブルと、アバドの弾けるようなリズムさばきに興奮を覚える。
 一方、恋人たちの場面での明るいロマンティシズム、ジュリエットの葬式~死の場面での荘重で静謐極まりないレクイエムのような透明感、それぞれにアバドの持ち味。>

最後におかれた2曲~悲痛極まりないジュリエットの葬儀、それから、リリシズムをたたえたジュリエットの死をふたたび聴いて、5年目の想い出をここに閉じることといたしましょう。

Ume_2

波立つ相模湾と、遠く、箱根の山に沈む夕日。

「ジュリエットの死」、美しすぎて泣けてきた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2019年1月18日 (金)

スメタナ 交響詩「わが祖国」 ビエロフラーヴェク指揮

Azuma_01

菜の花がもう満開の吾妻山。

1月4日に撮りましたが、現在、「菜の花ウォッチング」開催中。

再三、書いてますが、この町で、のほほんと育ったわたくしは、この山の麓にある小学校と、海沿いにある中学校に通ってました。

二宮金次郎像があって、木造の由緒正しき校舎はいまやありませんが、校庭には大きな楠の木がいまだに立ってます。

折に触れ帰っては、海と山を見て、郷里への想いを強くしてます。

ということで、「わが祖国」を。

Smetana_ma_vlast_belohlavek_1


   スメタナ  交響詩「わが祖国」

     イルジー・ビエロフラーヴェク指揮

        チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

            (2014.5.12 @スメタナホール、プラハ)

これまた何度も書いてるかもしれませんが、けっこう集めちゃう「わが祖国」。
最近でこそ、あまり訪問しなくなったCDショップで、必ずチェックしてみる棚が、「わが祖国」。
同じく、チェック先は、「幻想」に「チャイ5」に、「ディーリアス」を中心に英国もの全般。

「モルダウ」も素晴らしい名品だけれども、やはり連作交響詩としての「わが祖国」を通して聴くことの、音楽体験としての充実ぶりには及ばない。
しかも、レコード時代は2LPだったけど、CDでは、ちょうど1枚に収まる。
「第九」と同じく、CDになってからのメリットを、とても感じるのが「わが祖国」。

それから、自国のアイデンティティを鼓舞し、自国愛を歌うことで、それが等しく世界の共感をえるのが「わが祖国」。

そう、なんだかんだで、「わが祖国」なのであります。

6つの連作交響詩は、5年に渡って作曲され、ボヘミアへの溢れんばかりの思いがつづられ、モティーフも関連付けがなされ、結果として、ひとつの大きな流れをもつ大交響詩となりました。

1.「ヴィシェフラド」 モルダウ川沿いの古城、その城の栄枯盛衰を描く

2.「モルダウ」    スメタナが残した幻想的な注釈を読みながら聴くと
             新たな感動も

3.「シャールカ」   伝説の女傑シャールカが恋人に裏切られ、
           仲間の女戦士とともに、敵の男衆を皆殺ししてしまう
           ・・・怖いよ

4.「ボヘミアの森と草原から」 
           ボヘミアの自然賛歌と、市井の田舎の祝宴の様子
        
5.「ターボル」  キリスト教宗教改革の一派、フス教徒の拠点の街ターボル
        旧弊な教会サイドとの闘いは、チェコ民族の団結を強くした。

6.「ブラニーク」 フス教徒の戦士が眠る山、ブラニーク。
           国家存亡のとき、
           その亡国を思い戦士は蘇えり聖戦へ導くとされる
           ここに至り、戦士の動機と祖国への愛の旋律が合体し、
           高らかな勝利へ♪

過去の伝説と溢れる自然を交響詩に描きだしたスメタナ。
国のあふれる希望と期待を、その音楽に折り込んだ。
しかし、チェコがその後、大国に翻弄され苦難の道を歩んだのは、ドイツ・オーストリアに近いことや、その後すぐに東側に組み込まれたことで、歴史が示すとおりであります。

でも、苦難のときも、ビロード革命の末、民主化されたのちにも、常にチェコにあったのは、このスメタナの「わが祖国」であり、チェコ・フィルハーモニーであり、さらにチェコ出身の指揮者たちであったのです。

ちなみに、歴代のチェコフィルの指揮者たちは、チェコスロヴァキアの政治体制とまったく呼応するように、その進退を繰り返してます。
クーベリックは、戦後、共産体制になったことを受け、西側に亡命。
アンチェルは、68年のプラハの春のチェコ事件で楽旅中にカナダに亡命。
ノイマンは、東ドイツで活躍しつつも、アンチェルの後を受け、プラハの春に故国へ召還。
しかし、東側体制崩壊の1989年のビロード革命では、音楽面で大きな役割を担い、一貫してチェコのために生き抜いた。

以降は、チェコは、開かれた民主主義の国として、中欧の勤勉な国民のもと、穏やかな国として存在してます。
自国出身の指揮者として、1990年に就任したビエロフラーヴェクは、3年で退任し、その後、アルブレヒト、アシュケナージ、マカール、インバルを経て、2012年に、再びチェコフィルに復帰しました。
 その間、ビエロフラーヴェクは、国内ではオペラ、海外では世界中のオーケストラに客演し、なかでもBBCsoの首席指揮者になったことが、そのキャリアの上でも、最高のステップアップになりました。
フレキシビリティの高い優秀なBBC響は、ロンドンのなかでもLSOに次ぐ実力オケだと思ってます。プロムスでも多彩な演目をこなし、ビエロフラーヴェクは、イギリス国民のお祭り的なラストナイトを何年も指揮してました。

今回、取り上げた「わが祖国」は、ビエロフラーヴェクとチェコフィルが2014年のプラハの春音楽祭の恒例オープニングを飾った際の模様で、ゲネプロかなにかからの録音です。
最初の音楽監督就任時の1990年にも「わが祖国」は録音されていて、そちらも端正かつ、正しき演奏なのですが、時を経て、経験も経ての2014年盤は、それ以上に練れて、充実した内容となっておりました。

演奏タイムは、90年も14年も、ともに77分ほどで、ほぼ同じ。
あれこれ細かいことはせずに、王道のストレートな解釈なのですが、後年のものは、ともかく恰幅がよくなった感じで、堂々としているのです。
 この連作は、チェコの自然や生活、遺跡をそのままに歌い上げた1,2,4と、歴史の史実を掘り返してみせたような生々しい3,5,6とで、2種類の性格があるように思います。
それらをともに、きっちりと描きわけている点でも完璧だし、チェコフィルに沁みついた心の歌ともいうような旋律やモティーフが、それぞれに、あるがままに歌われること、同じアイデンティティを持った者同士でないとできない自然さであります。
 ふたつのこの連作作品の性格要素が、最後の「ブラニーク」で感動的に結実し、高らかに歌い上げられるとき、いつも以上に心よりの高揚感に満たされました。
優等生的解釈ながら、その正統ぶりには、誰しも真似できない近づき難いものに思われました。

かえすがえすも、病気とはいえ、ビエロフラーヴェクの早かった死が悔やまれます。
思えば、チェコフィルのチェコ出身指揮者たちは、みんな早世でありました。

ビエロフラーヴェクの後を継いだのは、セミョン・ビシュコフ。
チャイコフスキーの交響曲を順次録音中のようです。

フルシャとネトピル、若い次の世代も着実にきてます。

しかし、中欧・北欧・東欧、ロシアの作曲家たちって、祖国への熱い思いを、思い切りその作品に反映させているし、国民たちもそれを愛し、誇っています。
国民たちは、その思いを、同じく愛国心として吐露しています。
 なんだかうらやましい。
日本では。。。。

Azuma_02

今回、スコアを見ながら聴きましたが、ほんと、よく書けてる。
波乱万丈のスメタナ、失聴していたとは驚きです。

そして、チェコフィルの音は美しい♪

わが故郷から。

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

2019年1月12日 (土)

テオ・アダムを偲んで

Theo_adam_1

バスバリトン歌手のテオ・アダムが亡くなりました。
1926年生まれ、享年92歳、生まれ故郷のドレスデンにて。

またひとり、わたくしのオペラ好き、いや、ワーグナー愛好の気持ちをはぐくんでくれた大歌手が逝ってしまった。

1952年に、マイスタージンガーの親方のひとり、オルテルでバイロイトデビュー以来、1980年のグルネマンツまで、長きにわたりワーグナーの聖地で活躍しました。

初めて買った「リング」のレコードが初出時の、ベーム盤。
1973年の盛夏に発売された、そのLP16枚組は、瞬く間に、少年のわたくしを魅了しました。
そのウォータンが、テオ・アダムで、当時まだ断片的にしか聴いてなかったショルティのホッターよりも早く、ウォータンの全貌をアダムの歌で聴き込み、それが刷り込みとなったのでした。

以来、意識することなく、ドイツ系のオペラや宗教音楽のレコードやCDを買うと、テオ・アダムの名前がそこに必ずと言って入っているのでした。

聴きようによっては、アクの強い声。でもそこには、常に気品と暖かさがあり、その強い声は、まさに神々しいウォータンや、大きな存在としてのザックスや、バッハの一連のカンタータや受難曲などで、まさになくてはならぬ存在でした。

いくつか接したその舞台で、記憶に残るものは、やはり、スウィトナーとベルリン国立歌劇場とのザックスに、ホルライザーとウィーン国立歌劇場とのマルケ王です。

Theo_adam_2

 今夜は、テオ・アダムの音源から、ウォータンとザックス、マルケ王にグルネマンツ。
それから、シュトラウスから、オックス、ラ・ローシュ、モロズス卿を、さらに、ドレスデン製十字架合唱団にルーツを持つことから、クリスマス・オラトリオやマタイ、カンタータなどのバッハ作品をあれこれ聴いてみることといたします。

Adam

テオ・アダムさんの魂が安らかでありますこと、お祈りいたします。

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

2019年1月 1日 (火)

シューベルト 交響曲第5番・第8番「未完成」   アバド指揮

2019

2019年、平成31年の始まりに。

今年は、御代替わりの年で、自分とほぼ同世代の天皇陛下がご即位される。

自分にとっても、こうして年を重ねてきて、感慨深い1年となりそうです。

かつて停止したこともありました。

いまでは自分の音楽の体験録ともいえるようなこのブログですが、14年目となる今年も、ゆっくりとですが、稚拙ながらの言葉を連ねてまいりたいと思います。

今年の1枚目は、まさかの新譜登場、アバドの若き日のシューベルトです。

Schubert_abbado_1

   シューベルト 交響曲第8番「未完成」

            交響曲第5番


   クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1971.5.31 @ムジークフェラインザール、ウィーン)


2018年に、突然登場したアバドの新譜ですが、実はこれ、わたくしはかつての昔に聴いていたのです。

音楽にひたすらのめり込んでいた高校時代。
FM放送の番組表をメインとするFMファンや、週刊FMを購読してましたが、NHKFMの番組表のなかに、アバドとウィーンフィルの「未完成」がプログラムのひとつにのってました。

「あれ? アバドとウィーンには、未完成のレコードはないはず?」
73年か74年だったかと思う。
完全なアバドファンだった自分は、アバドの録音のすべてを把握していたから、その当時、「アバドの未完成」の録音はない、というのが、当たり前の前提でした。

平日の昼時のレコードでのクラシック番組でしたが、運よく、テスト週間で早帰りで、疑心暗鬼で聴くことができました。
しっかり「アバドとウィーンフィルの演奏で」と放送されました。
 でも、当時より、アバドの全てを知っていたつもりのわたくしは、これは間違いだ、ベートーヴェンの8番とデータを取り違えているんだと思いつつ聴き、聴き終え、クリップスとウィーンフィルの演奏であろうということで、納得させた当時の自分でした。

でも、こうして、71年のオーストリア放送協会での録音の復刻を聴いてみると、時代的な裏付けもふまえても、きっとあのNHK放送は、この音源であったろうということを確信したのが、これを聴いた昨秋のことなどでありました。
   ----------

そう、ウィーン情緒を感じ取れる、まさにクリップス風の柔らかなシューベルト。

でも、ここにある歌心は、アバドの知的ななかにもあるイタリア心とも裏返しにあり、柔らかな中にも、劇的な局面も聴いてとれます。

「未完成」においては、遠い昔の自らの懐かしの記憶でありますミュンシュとクリップス、その間にあるような演奏だと、このアバド盤を聴いて思ったりもしました。

「第5」は、もう、ウィーンフィルのウィーンフィルである音色が満載。
CDのリブレットに、当時のオーケストラメンバーの一覧が掲載されてますが、をれを見ても懐かしいウィーンフィル。
いまや絶滅危惧種的と化した、オーケストラの個性的な味わいがここにあると聴いてとれました。
グローバル化したオーケストラの世界。
ウィーンフィルも例外でなく、70年代は、まだまだかつてのウィーンの音色を保ってました。
鄙びたオーボエ、柔和なフルート、甘味なクラリネット、もっこりしたファゴット。
ホルンも丸くて耳に美味。
そして琥珀の弦楽器は、ムジークフェラインの響きそのもの。
そして、歌、また歌のアバドの指揮。
あぁ、なんて美しいんだろう。

正月1日の朝から、耳のご馳走をたらふくいただきました。

もう帰ってこない組み合わせのシューベルトでした。
Ginza_01

本年もよろしくお願いいたします。

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

2018年12月31日 (月)

マーラー 交響曲第9番 バーンスタイン NYPO

Takeshiba_05

竹芝桟橋から、レインボーブリッジ方面を俯瞰した夕暮れの東京湾。

事務所からさほど遠くないので、気晴らしにここに海を見に来ることが多い。

太陽は、海に沈んでほしいものだが、関東ではなかなか難しい。

けれど、こうした夕暮れ時の夕映えは、空も、海も赤く染めてくれて美しい。

   --------------

今年の締めくくりに、マーラーの方の第9を。

マーラーのなかでも、深淵ともとれる作品が、近年は、大の人気曲となり、国内オーケストラではアマオケも含め始終、外来オケも盛ん持ってきます。
なんたって、南米出身の指揮者が西海岸のオーケストラとアジアの日本にやってきて、マーラーの第9を演ってしまう世の中となりました。

でもそんな風潮のなか、選んだのは今年、生誕100年だったバーンスタインのニューヨークフィル盤。

Bernstein_mahler9

     マーラー   交響曲第9番 ニ長調

   レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

        (1965 @ニューヨーク、フィルハーモニックホール)


世界に先駆けて、マーラーの交響曲全集を60年代に完成させたバーンスタイン。
バーンスタインのひと世代前の指揮者たちは、同世代の音楽家であり、作曲家であったマーラーが師でもあったりして、その作品を世に広める活動期でもあった。

しかし、バーンスタインは、マーラーへの完全な共感とともに、自分の内にあるものとの共鳴ともいえるくらいに、自分の言葉で語る、「バーンスタインのマーラー」を作り上げたのだ。

その後続出するマーラー指揮者たちは、今度は、より客観的になったり、よりスコアを分析して緻密な解釈を施したり、また楽譜にひたすら忠実に演奏したりと、ともかく多士済々なマーラー演奏が生まれることになった。

しかし、マーラーを自分のなかに引き付けて、そこに思いの丈をたっぷり注ぎ込む、バーンスタイン・スタイルの演奏は、いまだもってバーンスタインのものしかありませぬ。

80年代のDGへの2度目の全集は、より完成度が高く、録音もよく、よりバーンスタインの踏み込みも深くなっている。
その分、始終聴くには、感情が入り込みすぎて、ちょっと辛くなってしまうこともある。
 そんなときには、60年代のCBS盤に方が、若々しく、粘度もさほどに強くないため、さらりと聴くことができる。

第9は、正規録音としては、ニューヨークフィル(65年)、ベルリンフィル(79年)、コンセルトヘボウ(85年)、そしてイスラエルフィル(85年)の4つに、ウィーンフィルとの映像(71年)があります。
しかし、日本での演奏会に立ち会い、打ちのめされたときの少し前のテルアビブのライブは、実は未取得。
聴きたいのはやまやまだけど、なんだか聴きたくない。
あのときのNHKホールでの儀式に立ち会ったかのような体験の記憶を壊したくないからかもしれません。
でもね、死ぬまでには聴こうと思ってます。

さて、いろんなところで比較されてますが、年を経るごとに隈取の濃い濃厚な演奏をするようになったバーンスタインの第9ですが、テンポも徐々に伸びてます。

65年NYPO(79分)→79年BPO(82分)→85年ACO(89分)
IPO盤もACO盤と同じぐらいとのこと。
 楽章で見ると、1~3楽章は、あまり変わらない。
異なるのが終楽章で、65年NYPO(23分)→79年BPO(26分)→85年ACO(30分)。
NYPO盤が速いのは、録音サイドからの要請ともありますが、果たしていかに・・・

ということで、バーンスタインのマーラーの第9への思い入れの熟成度は、テンポだけをとらえると、終楽章に端的に現れているのがわかる。

   ーーーーーーーーーーーーーーー

Mahler_9_bernstein  Bernstein_mahler

拾いましたが、オリジナルジャケットと、後年出た、6番との3枚組のレコード。

ニューヨークフィル盤は、録音が平板にすぎるという悩みはあるものの、演奏は、60年代のバーンスタインらしく、情熱的で、誰にでも納得できる必然性を全体にたたえたものになっていると思う。
NYPOの楽員の腕っこきの優秀さを感じるのは、とりわけ第1楽章で、かなり美しい終盤です。
ユーモア感じる第2楽章と、憂愁と疾走感のないまぜになった3楽章はカッコイイ。
 そして、CBSソニーの音のカタログで、完全に耳タコの刷り込み状態になっていた終楽章の出だし。その開始部は、わたしは、このニューヨークフィル盤が一番好き。
その後の、うねり具合も上々だが、後年のようなタメや、濃密な歌い回しは弱めだから、曲はテキパキと先へ進みます。
録音のせいかもしれないが、金管の響きが時代がかって聴こえるのも、なんだか懐かしくもあります。
でも、やはり聴かせます、オケはレニーの指揮棒に集中しつくしていて、マーラーも指揮をした摩天楼のオーケストラは、終結部の死にゆくアダージョを絶美に描きつくしていて、感動的であります。

Takeshiba_02

去り行く船。

でも、旅立ちの船の後ろ姿。

夕暮れの中、希望があります。

それでは、ありがとう平成30年、自然の猛威はもう勘弁してね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2018年12月30日 (日)

ホルスト 第1合唱交響曲 ウェットン指揮

Yuurakucho_2

有楽町駅前の交通会館のイルミネーション。

安定の美しさ。

クリスマスが終わっても、ウィンターシーズンはずっとやってますので、うれしい。

そして年末、あと2日で、音楽界は第9ばかりで、スーパーに行っても喜びの歌が流れてる。

これだけあふれかえると食傷気味に。

あの合唱の4楽章ばかりでなく、その前の3つの楽章を、じっくりと聴いてほしいものである。

で、わたくしは、ホルストの「合唱交響曲」を。

Holst_sym

     ホルスト  第1合唱交響曲 op41

       ソプラノ:リン・ドーソン

    ヒラリー・デイヴォン・ウェットン指揮

         ロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団

         ギルドフォード・コラール・ソサエティ

                (1993.3 @ヘンリーウッドホール)

「惑星」ばかりがホルストじゃないよ、と英国レーベルにかなりあるホルスト作品を収集してます。
確かに「惑星」の面白さや、作品としての精度の高さはないかもしれないが、どの曲も、ホルストならではの神秘感や東洋風の雰囲気、ゴージャスな響き、それと、英国詩情なども聴き取ることができて楽しいものです。

ホルスト(1874じゃら1934)の作品分野に多いのは、合唱作品。
自国の文学や、インド文学などに傾倒していたこともあり、それらを素材にした作品が多く生み出されたし、朋友のR・V・ウィリアムズの影響もあったりして、洒落たパートソングなどにも、多くの曲を残しています。

交響曲の分野では、若いころの「コッツウォルズ交響曲」が、純粋オーケストラ作品であるほか、あとは、合唱とソプラノソロを伴った「第1合唱交響曲」があるのみ。
「第2合唱交響曲」は、スケッチのみが残され、完成されずじまい。

1923~24年に書かれた1番の方の合唱交響曲は、作曲家と教師としての名声をすでに得ていた充実期の作品ながら、25年のリーズでの初演は、そこそこの成功となったものの、その後の再演が不評で、以降、あまり返り見られることのない作品として埋もれてしまった。
逆に、「惑星」が有名になりすぎてしまったことの反動でもあります。
ちなみに、その「惑星」は、1916年の完成。

          ーーーーーーーーーーーーーーーーー

Yuurakucho_4

曲は長さにして約50分。
プレリュードを含む5つの部分となっていて、そのプレリュード以外の4つの部分が交響曲の体をなしております。

18世紀末のイギリスの詩人、ジョン・キーツの詩をそのテキストに用いてます。

「前奏曲」 Invocation to Pan

   重苦しいなかに、合唱が祈りともつぶやきとも取れない抑揚のない歌を。
  神秘的な、まるで秘儀に立ち会うかのような感じ。

「バッカナールの歌」 Song of Bacchanal

  ヴィオラソロとソプラノによる、まるでV・ウィリアムズのような
 晩秋の様相たたえた美しい出だし。
 その後は、ソロと合唱が交互に、ことに合唱はにぎにぎしくなり、
 バッカスをたたえる。

「ギリシアの壺に寄す」 Ode to Grecian Um

 キーツの代表作に付けた第2楽章=緩徐楽章的な存在。
 木管が印象的な合いの手をうちつつ、合唱が語りかけるように歌い進める。
 ギリシアの壺に書かれた絵をみて、あれこれ思いをめぐらすキーツの原詩。
 ときに、慰めに満ちた葬送風なところもあり、最後の最後の1節にソプラノが
 美しく登場。

「スケルツォ」 Fancy Chorus

  ここでのオーケストラは、まさに「惑星」の「天王星」のよう。
 早口の女声コーラスにハープがからんで面白い。
 ベルや木琴、チェレスタも登場し、楽しいスケルツォ。
 繰り返すが、惑星っぽい。

「フィナーレ」 Finale

 19分あまりの一番大きい楽章。
 ソプラノがアカペラで歌いだす。
 「魂よ」という詩で、そのあと合唱も加わって荘重な雰囲気に。
 そしてまた、ソプラノに明け渡され、弦とハープを背景に美しい。
 さらに合唱も、ソットボーチェで歌い始めると、背景は金管が重々しい。
 ここは、「土星」っぽい。
 やがて、もりあがり、トランペットがぴきーーんと鳴り響き眩しい。
 さらに、再び静まり、ハープとソロヴァイオリンを伴ったソプラノ。
 ここは実に美しい。
  パターン的に、こうして超美的なシーンを経て、そのあと、合唱が爆発。
 という具合に、喜びと感謝、実りの果実を戴く賛歌となる。
 各声部がフーガのように橋渡しをしてゆくのも楽しい。
 しかし、最後の最後は、音楽は弱まって、この章の冒頭の「魂よ」に戻って
 ソロの歌を合唱が引き継いで、静かに、静かに終わっていきます。

こんな流れの合唱交響曲。

正直、テキストは難解です。
物語性もなく、対訳もなく、英詩を眺めていてもさっぱりわかりません。
この作品によく言われるのは、キーツの詩が散りばめられているだけで、詩と音楽の流れと融合性がないとのこと。
まさにそのように思いますが、わたくしは、シンプルに、ホルストの筆致をそこそこに感じ、聴きとることで、この作品の良さを味わうことができました。
ことに、抒情的な部分は、きわめて美しく、優しい味わいがありました。

この作品の初録音が、今回のハイペリオン盤。
なじみのない指揮者ですが、合唱を主体として、うまくまとめていると思います。
その合唱はなかなか巧いが、おなじみのドーソンが、最初の方、ちょっとフラットぎみで不安定。でも静かな部分はとても素敵。

最近、A・デイヴィスがシャンドスに、ヒコックスの後を引き継いでホルスト作品を継続的に録音しtれおり、この作品も出ている様子。
そちらも是非聴きたいものです。

Yuurakucho_1

年末ぎりぎりまで、いろんなことが起きた2018年。
平成30年、最後の投稿は、あともうひとつ。

「惑星」以外のホルスト作品 過去記事

 「雲の使者」 ヒコックス指揮
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2018年12月24日 (月)

チャイコフスキー バレエ音楽「くるみ割り人形」    プレヴィン指揮

R1

六本木ヒルズのけやき坂のイルミネーション。

この冬はシルバーブルーの1色で、これが強弱をつけてゆっくりと点滅。

ヴィトンのお店の鮮やかさと、その間に東京タワー。

Nutcracker_previn_1

      チャイコフスキー バレエ音楽「くるみ割り人形」

      アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団

             (1972.5 @キングスウェイホール)


クリスマスの音楽のひとつといえばこれ。
そして、みんな大好きチャイコフスキーの「くるみ割り人形」。

おそらく、多くの方が、小学校の音楽の授業で聴いたことでしょう。
わたくしも、小学5年か6年に組曲版で聴きました。
もちろん、その時はバレエ音楽から抜き出した組曲とかいう認識や知識はありません。
 大いに気に入った小学生のワタクシは、町のレコード屋さんに飛んで行って、毎度お世話になったコロンビアのダイアモンド1000シリーズのなかの1枚、「白鳥の湖&くるみ割り人形」を買い求めたのでした。
ハンス・ユイゲン・ワルター指揮のプロ・ムジカ交響楽団の演奏。
いまや聴けなくなってしまい、どんな演奏だったか覚えてもませんが、この隠れた名指揮者の演奏は、ほかの盤もいくつか聴きましたが、平凡だけど外れがなく、優しいものであったとの思いがあります。
 その後、カラヤンとウィーンフィルのレコードを手に入れて、J・ワルターの廉価盤は、まったく聴かなくなってしまったけれど、同時に、全曲版が視野に入るようになり、その一番手がプレヴィンとロンドン響によるものでした。

これまで、いくつもの「くるみ割り人形」を聴いてきましたが、ジャケットも含めて、これが一番というのが自分の結論です。
 最近出たデゥダメル&LAPOは、ジャケット含めよさそうですが、でも何となくその演奏はだいたい予想がつき、自分には合いそうもなさそう。
これから録音されそうなものとしては、ネルソンスとボストン響、セガンとフィラデルフィアあたりに期待です。
しかしまぁ、今後の人生もそんなに長くないから、自分の「くるみ割り」は、プレヴィンの旧盤ということでとどめ置きましょう。

プレヴィンは、このあと86年にも、ロイヤルフィルと再録音をしてます。
その演奏も聴いてますが、ステレオからデジタルになったように、演奏もデジタル化したみたいな気がして、14年前のロンドン響のほうが、懐かしく、暖かいもののように感じました。

R2_2

53歳で没してしまったチャイコフスキーの晩年の傑作群のひとつ。
有名どころでは、「眠れる森」とともに、5番や「スペードの女王」と、「イオランタ」「悲愴」に挟まれた時期である1891年の作曲。

舞台音楽としてバレエ上演した場合、初演当時は、ファンタジー感が再現されにくかったり、さらには、主役の持っていきかたが難しかったりで、なかなか苦心したらしいが、舞台美術や装置、テクノロジーの発達した現代では、誠に美しい舞台が再現でき、大人から子供まで、みんなが楽しめるバレエ上演が世界中でなされている。

そして一方、コンサートでも全曲版が、一夜のプログラムとして乗ることが近年多くなりました。
また、コンサート後半の演目に、第2幕だけを演奏するのもあり。
いずれも、シンフォニックな演奏でも、十分に楽しめ、聴きごたえがあるからです。

R3

私の好きなシーンをいくつか。

       第1幕

①おなじみの序曲とそれに続くワクワク感満載の「クリスマスツリー」の情景。

②祖父ドロッセルマイヤの踊り。こんな楽しいお爺ちゃんになりたい。

③お客さんが帰り、夜。そしていよいよの高揚感。

④冬の松林~チャイコフスキーならではの情景描写

⑤雪片の踊り~こ洒落たワルツ、女声(児童)合唱を入れたところ、天才的

       第2幕

⑥お菓子の国と魔法の城~城を見渡せる高台にいるかのような気分でわくわく

⑦クララと王子~さあさあ、主人公たちの登場ですよって感じ

⑧ディヴェルティスマン~各国のダンスが勢ぞろい、いずれの筆致も神がかり

⑨花のワルツこそ、チャイコフスキーの代名詞か。
  ステキすぎるだろ、このワルツ。

⑩パ・ド・ドゥ~ロマンティックなアダージョで夢見る少女な気分になれるよ、
         こんなオジサンでも。
         そしてタランテラときて、金平糖さんは可愛いチェレスタ
         でもって、急転直下のコーダ
         この展開好き♡

⑪終幕のワルツにアポテオーズ~ドラマチックになりすぎない可愛い終幕
         夢から覚めた夢を見た感じ

こんな感じで、オヤジでも、何度でも夢をみることができます、そんな愛らしいバレエ音楽が「くるみ割り人形」。
この作品の2年後に、53歳で亡くなってしまうチャイコフスキー。
もう少し、長命だったらば・・・・
交響曲を9曲まで、オペラをあと3つ、バレエをあといくつか・・・・

R4

プレヴィンとロンドン響の名コンビは、この作品一のビューティフルな演奏だと思う。
心憎いほどのメロディの歌いまわしのよさで、テンポも順当なので、穏やかな安心感に包まれます。
冬の一夜、部屋を暖かくして、そしてちょっと暗くして、ツリーでも眺めながら聴くと、ほっこりすること間違いない演奏です。

このところ、プレヴィンの名前を聴かなくなった。
去年の秋の海外ニュースで、オレゴン響への客演が体調不良でキャンセルとの報を見たのと、同時期の作曲活動にこと、離婚したオッターとの良好な友達関係などを語ったインタビューのニュースを見て、その後1年。
89歳という年齢もあって、事実上の引退状態にあって、ちょっと心配。
いろんな思いでを残してくれた音楽家だけに、お元気で安泰であってほしいです。

R5_2

よきクリスマスを🎄

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2018年12月23日 (日)

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 ベーム指揮  ウィーン国立歌劇場

Tokyo_tower_tree_1

東京タワーの周辺もクリスマス。

幻想的な雰囲気に撮れました。

クリスマスに対する憧憬の想いは子供もころから変わらない。

そして、その憧憬の想いは、この作品に対しても、ずっと変わらない。

Wagner_tristan_bohem_1_2

ワーグナー  楽劇「トリスタンとイゾルデ」

 トリスタン:ジェス・トーマス      イゾルデ:ビルギット・ニルソン
 マルケ王:マルッティ・タルヴェラ    ブランゲーネ:ルート・ヘッセ
 クルヴェナール:オットー・ヴィーナー メロート:ライト・ブンガー
 牧童 :ペーター・クライン      舵取り:ハラルト・プレーグルホフ
 若い水夫:アントン・デルモータ

  カール・ベーム指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団
               ウィーン国立歌劇場合唱団

            演出:アウグスト・エヴァーデインク

              (1967.12.17 ウィーン国立歌劇場)

こんな希少なトリスタンを聴きました。
ニルソンのイゾルデは、たくさん聴けるけれども、J・トーマスのトリスタンなんて、どこにも残されていなくて、ただでさえ正規なオペラ全曲録音の少ないトーマスの録音だからよけいにそうです。

これは、11月に買ってしまった31枚組の「ニルソン・グレイト・ライブ・レコーディングス」のなかのひとつ。

Nilsson_2

ニルソン財団の協力を受けて、各放送局に残るバイロイト、バイエルン、ウィーン、メット、ローマなどの上演ライブ放送をリマスターして正規音源化したものなんです。

このなかには、「トリスタン」は3種あり、サヴァリッシュのバイロイト(57年)、ベームのウィーン(当盤67年)、ベームのオーランジュ音楽祭(73年)がそれぞれ収録。
サヴァリッシュ盤は非正規のものを持ってるけど、音質が向上。
オーランジュ盤は、映像が有名だけれど、ステレオでちゃんとした音源では初。
そして、まったく初のお目見えが、ウィーン国立歌劇場盤だ。

ついでに、このボックスの収録内容は。
バルトーク「青ひげ公の城」 フリッチャイ指揮
ワーグナー「ローエングリン」 ヨッフム指揮バイロイト
ワーグナー「ワルキューレ」 カラヤン指揮 メット
ワーグナー「ジークフリート」3幕2場 スウィトナー指揮バイロイト
ワーグナー「神々の黄昏」自己犠牲 マッケラス指揮 シドニー
ベートーヴェン「フィデリオ」 バーンスタイン指揮 ローマ
プッチーニ「トゥーランドット」 ストコフスキー指揮 メット
R・シュトラウス「サロメ」 ベーム指揮 メット
R・シュトラウス「エレクトラ」 ベーム指揮ウィーン国立歌劇場、メット
R・シュトラウス「影のない女」 サヴァリッシュ指揮 バイエルン国立歌劇場

こんな感じで、不世出の大歌手ビルギット・ニルソンの主要なレパートリーを、これまで世に出ることがなかったものや、非正規盤であったものなどをしっかり網羅した大アンソロジーなのであります。
少年時代から、ニルソンのワーグナーにおける声を聴いてきた自分としては、まさに垂涎の一組となりました。

Tokyo_tower_tree_2_2

    --------------------

ウィーン国立歌劇場のベームのトリスタン、67年のプリミエの初日の模様で、音源はモノラル。よく耳を澄ませば、若干のテープヒスも聞こえるが、鮮明な録音で、この作品の視聴にはまったく問題ないが、3幕の一部に欠落があるように思う。
あと2幕の長大な二重唱に、因習的なカットがあって、2幕は66分と短くなっている。
面白いのは、1幕の終わりの方、ステレオのように聴こえること。

 それはともかくとして、オーケストラが完全にウィーンフィルのそれであること。
60年代のよきウィーンフィルの音色であり、しかもベームの指揮であることがうれしい。
ひなびた感じの管の響きは、郷愁と憧れを抱かせるのに十分だし、ベームに大いに煽られて切羽つまった音を出すのもウィーンならではの雰囲気である。
 で、そのベームの指揮。
この当時、62年から始まったヴィーラント演出のバイロイトでの上演が70年までずっと続いていて、ニルソンとヴィントガッセンの二人を主役に据えた、文字通り鉄板的な上演だった。7年間のなかで、65年と、67年はバイロイトでの上演はなかったが、DGの名盤66年盤の翌年のウィーンの記録という意味でも貴重なものだ。
 DG盤と同じく、早めのテンポで、凝縮した響きを求めて過度な感情表現はないものの、歌手と舞台とピットが、ベームの指揮の元に一体化していることを強く感じる。
オペラの中心が指揮者であること。
昨今の演出過剰の舞台での小粒になったオペラ指揮者たちにはない、強力な存在感を、このような録音からも聴き取れるのが、昔の音源の楽しさでもあります。
1幕のマルケ王のもとへの到着、2幕の二重唱、3幕のトリスタンの夢想など、いずれもライブならではの高揚感を味わえ、劇場に居合わせた聴衆はさぞかし興奮したであろうと思います。
録音のせいかもしれませんが、ティンパニの強打もそこかしこで、素晴らしくって、DG盤とはまた違ったピットないの音の魅力を感じる。

そして、最初から最後まで、安定していて、冷たくも凛とした神々しさをたたえるニルソンのイゾルデは、自分にとっては、相変わらず無二の存在を裏付けるものでありました。
イゾルデのあらゆるシーンと歌声は、自分にはすべてニルソンなのです。

 で、この音源の大きな目玉が、J・トーマスのトリスタンにあったわけであります。
2幕に省略があったとはいえ、トーマスのトリスタンを、自分としては初に聴けたのだ。
ワーグナーかシュトラウスか、第九ぐらいしか音源がなかったところに、このトリスタンはまったくの朗報。
知的で気品のあるトーマスの歌声だが、凛々しいトリスタンが媚薬にのって愛の男に転じるさま、そして2幕の美しい二重唱での艶っぽさ。
そして、3幕では、驚きのやぶれっかぶれっぷり!
こんなトーマス聴いたことなかった。
古い時代の肉太のヘルデンとは一線を画すスマートな歌唱でありながら、こうした爆発を聴かせるトーマス。まったくもって素晴らしいトリスタンとなりました。
カラヤンのトリスタンが、ヴィッカースになったのは、これを聴いちゃうと、ほんとに残念だけど、カラヤンはトーマスをジークフリートとして使ったけれど、カラヤンのトリスタンのイメージにはならなかったのだろうか。

バイロイトと同じ、タルヴェラのマルケ王のマイルドな美声は、ここでも聴けます。
あつ、ちょっと古風なヴィーナーと、名わき役のR・ヘッセの歌声も懐かしい喜びでした。

この演奏に名を連ねている歌手も指揮者も演出家も、R・ヘッセを除いては、みんな物故してしまった。
いまの新しい録音による、新しい歌手たちの演奏もいいけれど、わたくしは、こうした過去の演奏の方が落ち着くし、好きだな。
 もちろん、昨今の歌手たちは、べらぼうに巧くなったし、演技もうまいし、ビジュアルもいいんだけれども・・・。

このニルソン大全、喜びを感じつつ、ちょっとづつ聴き進めてますので、また記事にすることもあろうかと思います。
とくに、「影のない女」は素晴らしいし、ちゃんとしたステレオ。
あと、ベームと振り分けたスウィトナーのジークフリートの一部が、これもステレオで聴けます!

Tokyo_tower_tree_3_2

今年もあと1週間。

天皇陛下として最後のお誕生日のお言葉を拝見しました。

| | コメント (1) | トラックバック (0)
|

2018年12月20日 (木)

東京都交響楽団演奏会 R・シュトラウス ビゼー R=コルサコフ

Tmso20181219

師走のクリスマス前の文化会館。

クリスマス感は、ちょっと少なめだけど、モニュメントがエントランスにいくつかありましたので、ちょっと手を加えてみました。

クリスマス期に、スペインにまつわる音楽特集。
それも、スペイン人以外の作曲者で。
なかなかナイスなプログラミングです。
そして、自分的には、R・シュトラウスの作品を数日の間に連続して聴けることが大きな喜びでした。
しかも、シュトラウス自身が、対の作品と称した「英雄の生涯」を聴いて、少し遡った作曲年代の「ドン・キホーテ」であります。

  東京都交響楽団第870回 定期演奏会

 R・シュトラウス     交響詩「ドン・キホーテ」

        Vc:ターニャ・テツラフ

        Vla:鈴木 学

 ビゼー          歌劇「カルメン」組曲より
                  A・ギルバート・セレクション

 R=コルサコフ     スペイン奇想曲

       アラン・ギルバート指揮 東京都交響楽団

         コンサートマスター:四方 恭子

               (2018.12.19 @東京文化会館)

演奏会の曲のメインということでは、シュトラウスが最後なのだろうけど、盛り上がりという点で、この演奏曲順は納得せざるをえない。
 そして、後半の名曲集の演奏があまりに鮮やかだったので、シュトラウスの滋味あふれる作品の印象が、コンサート終了後にちょっと弱まってしまった感はあります。

赤のドレスで登場のターニャ・テツラフさん、スリムで小柄な方で、遠めには、前駐日大使のキャロライン・ケネディを思い起こさせるような風貌です。
でも、写真でお顔を見ると、確かにお兄さんのヴァイオリニスト、クリスティアン・テツラフに似ている。
 その彼女のチェロの音色は美しい。名器ガァダニーニとのことですが、技巧に走らずバリバリ引くタイプでない、しっとりした雰囲気です。
兄たちとのアンサンブルや、カンマーフィルでの首席などの活動で、身についた、ほかの奏者をよく聴き、その溶け合いや対比にすぐさまに対応してゆくしなやかさを感じます。
実際、指揮者を挟んで向こう側で弾いていたヴィオラの鈴木さんの方をよく見て、聴いていました。
 狂気に走る、そんな唯我独尊的な主人公を雄弁に語る演奏は多々あれど、この日のターニャさんのチェロは、柔和な語り口の優しい雰囲気の主人公のように感じました。
だから、最終章の死の床にあった回想が、しみじみとして、そして万乗の物語を締めくくるに相応しいシーンとなりました。

対する従者のヴィオラの鈴木さんは、かなり克明な刻みで、ふくよかだけれども、音圧も豊かで、ご主人さまよりも、主張が明確、かつ強めの音。
でも、ヴィオラの肉声的な語りかけるような中声部的な魅力がたっぷり。

コンマス四方さんは、この日、ソロも多く、まさにベテランの味わい深さに、楽員の、指揮者のリスペクトを一身に受けてました。

そして、アラン・ギルバートさん。
登場人物たちの活躍の背景、シュトラウスの巧みな筆致によるオーケストラを、どちらかといえば控えがちに導いてました。
文化会館の木質だけれども、響きの少な目のパレットを意識したのでしょうか、ソロを引き立てるために、オーケストラを押さえがち。
曲の内容の違いもあるが、ノット&東響のノリに乗った、そして歌心にあふれたシュトラウスの前には分が悪かったし、オペラの経験もどんどん積んでほしいと思わせる、アランの指揮でした。
でも、ソロが出てこない場面のくだりは、都響の巧さもあって、聴きごたえ充分でした。

   -----------

後半は、オーケストラ名曲大会。

アラン・ギルバートの面目躍如たるシーンが展開されました。

明るいアメリカ人、オケを乗せまくり、キューの出し入れも正確無比に決まりまくり、奏者もずばずば決めまくり、聴き手もいつしかのりのりに!

通俗名曲たるカルメンは、巧みな選曲で、前奏曲に始まり、途中、有名アリアや間奏曲をはさみながら、ジプシーの踊りで猛烈なアッチェランドをかけて熱狂的に終了。
盛り上がりました。
私的には、アリアの数々を、オケのソロ楽器によって代用されるのは、原曲のイメージが強すぎるものだから、聴いててちょっとつらい部分もありますが、それにしても都響のソロの皆様の巧さは、芸達者の域に達してました。
闘牛士の歌なんか、思い切り歌いたくなりましたよ!

最後の、スペイン奇想曲。
アランさんは、聴衆を制しつつ、指揮台に昇るやいなや、あの開放的な打楽器満載のメロディーを一挙に鳴らしました。いい!
大好きなこの曲、16分ぐらいの長さが、実はとても長く感じる大きな音楽として聴くことができたのです。
R=コルサコフならではの、オーケストレーションの鮮やかさを、卓越した棒さばきでもって、エキゾチックなムードも満載に描きつくした演奏です。
都響のソロたちの安定感を、ここでも微に入り細を尽くしたバトンのキューでもって完璧に引き出すさまは、後ろから見ていて痛快。
 めちゃくちゃ盛り上がった後半に、アラン・ギルバートの面白さと実力を感じました。

都響の首席客演指揮者としてスタートしたばかりの、アラン・ギルバート。
NYPO時代の演奏の数々は、同団のHPから、わたくしもかなり聴きましたが、マーラーやショスタコーヴィチなどは二重丸。
でも、古典系やロマン派は、まだまだの感あり、そのあたりを今後いかに自分のものとしていくか、都響でも今後、ハイドンやモーツァルトを取り上げていくようなので、見守っていきたいと思ったりもした次第です。

終演後、オーケストラの中に入って聴衆の拍手にこたえる様子、わたしたち聴き手に手を振る様子など、フランクで、気のおけない雰囲気をもったアランさん、都響にも、日本の音楽シーンにも、とてもいい存在になりそうです。

楽しいコンサートでした♪

Ueno_soba

今年も、チケットありながらいけなかったコンサートがいくつか。

何があるかわからない旅のような日々は、きっと来年も続くでしょう。

コンサートは、今年打ち止め。

あといくつか年内記事をUPします。

文化会館近くのお蕎麦屋さんで軽く一杯。
お皿が、めでた可愛かったのでパシャリ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2018年12月16日 (日)

東京交響楽団演奏会 ヴァレーズ R・シュトラウス

Suntry_3

サントリーホール内のすてきなツリー。

コンサート前のわくわく感が高まります。

そして、この日のコンサートは、激熱、高燃焼の密度の高い最高のものとなりました。

Tso_20181215

 東京交響楽団第666回定期演奏会

ヴァレーズ    「密度21.5」(フルート・ソロ)

             「アメリカ」

  R・シュトラウス  交響詩「英雄の生涯」

            
Fl:甲藤 さち

            Vn:水谷 晃

 ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団

          (2018.12.15 @サントリーホール)

これまたユニークで、好奇心をそそられる感度高いプログラム。
前半と後半で、ストーリーをつなげるのは、その意図を読み取るのは、私のような凡人には至難の業ですが、最初のヴァレーズ2作品を、休みなく続けて演奏した、ノットの考えにはまったくもって屈服せざるをえません。
 わたくしにとってのヴァレーズは、70年代、ズビン・メータがロス・フィルとレコーディングした「アルカナ」の1枚。
鳴り渡るサイレンや打楽器の殴打、聴いてたら、母親が何て聴いてんの?と驚かれました。
時は経て、そのときのハチャムチャ音楽のイメージのまま、ヴァレーズをろくに聴かずにまいりましたが、当時とうって変わって、多彩で多様な音楽を聴くことができるようになった現在、そのヴァレーズの音楽は、喧噪ばかりでない、緻密でかつ感覚的なものであることを、この度の、ノット&東響の凄演を聴いて思った次第。

友人の初演者フルーティストが作らせたプラチナ製のフルートの比重密度が、「21.5」ということでのソロ作品。
オーケストラも指揮者も全員揃ってから、ステージは暗くなり、首席フルートの甲藤さんにスポットがあたり静かに演奏された4分間。
コンサートの冒頭から、ホール中の聴き手の集中力が一気に高まります。
プログラムにも書いてあったので事前の承知事項でしたが、ドビュッシーの「シランクス」へのオマージュとしての作品。しっかりその音程も聴き取れましたし、なによりも甲藤さんの明晰なフルートの音色が素晴らしく、こんな大きなホールをフルート一本で音で満たすことができることへの憧れと驚きがありました。
そして、ヴァレーズのイメージを覆す、精緻な音楽であったことも、自分には新鮮な驚きでした。

次いでステージが明るくなるさま、今度はアルトフルートが、作品のモットーともいえる旋律を静かに奏でます。
こうして静かなソロ作品と、超巨大豊満な大オーケストラ作品とがつながりました!
このばかばかしいほどに喧噪ともとれる25分間、わたくしも、そしてほとんどの聴衆も、呪縛にあったかのように、パワーあふれる圧倒的なサウンドの連続に前作からの集中力を絶やすことなく聴き入りました!
 サイレンが常に鳴り渡るがゆえに、アメリカの都会をイメージもしますが、これも解説によれば、中南米も含めた広域南北アメリカを描いているとの由で、わたくしは、メキシコのレブルタスとか、アイヴズ、当然にストラヴィンスキーなどとともに、ベルクさえも聴いていて思い起こしてました。
ともかく、強烈な音圧で、何度も何度も襲ってくる。
ときおり顔をだす、モットーが息抜きみたいに感じる。
そしてエンディングの超烈しさと、超カッコよさは、しびれるほどの快感。
ノットの冴えわたる指揮ぶりも、P席からの観劇なだけにまるわかり。
あと15種におよぶ打楽器の数々とその演奏ぶりを上から覗く楽しみも、これまた極まれりでした。

  ーーーーーーーーーーーーーーーーー

Suntry_1

ここで休憩で、ほんとにほっとしました。

ホール、カラヤン広場もクリスマス。

さて、後半は、ヘルデンレーベン♪

深々と奏でられた英雄のテーマに、わたくしも含めて多くの方が、大きな安心感を抱いたことでしょう。
それほどに、前半の曲に逝ってしまったものですから。
おおらかに、大きな表情付けをもって英雄の登場が歌いこまれたあと、突然として敵出現で不穏な雰囲気になるが、ここでもって、ノット&東響の演奏にアクセルが入った感があった。
そのあとは、多少の傷もなんのその、さながらに、シュトラウスのオペラを聴くがごとく、舞台が次々に思い浮かぶような展開となりました。
しなやかなヴァイオリンソロをつとめたコンマスの水谷さん、なかなかの美音で、ノットも思い切り歌わせてましたし、同様に甘いオーボエ、艶やかなホルン、滔々と流れるシュトラウスならではの愛の場面に聞き惚れました。
 そして、戦場のかっこいいけれど壮絶な展開と、そのあとの高らかな勝利宣言、まったくもって背筋が痺れるような快感と高揚感に包まれた!
こんな感動していいんだろうか。
 そして続いた功績回顧。
これまで何気に聴いていたシュトラウスの過去作品からの旋律の数々、それぞれみんな丁寧に、埋没することなく浮き出て聴こえたのも、劇場たたき上げの指揮者ノットならではうまさ。
今回、「グンドラム」の旋律を明確に発見できたのも自分的には喜びです。
夕映え濃くなる、しみじみエンディングも素晴らしく、最後のエネルギーを一気に貯めて放出したかようなノットの渾身の一振りの最終和音も、やがて静かにきれいに消えていったわけだが、その後のホールの静寂も素晴らしいの一言。

 あ~、ほんとによかった。
最近、シュトラウスの交響詩を真剣に聴いてなかったけれど、その作品がほんとによく書けてるし、いい曲だと、心より思った次第です。
そして、なによりもシュトラウスはオペラの人なんだと、この演奏を聴いてつくづく実感。

Suntry_2

アークヒルズの美しいツリー。

このあと遠来の音楽仲間と新橋で一杯。

Shimbashi

馬刺し、そしてほどよい油をさらりと流してくれる芋焼酎で。

あと2週間で今年も終わりじゃん。

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

«ディーリアス 「高い丘の歌」 A・デイヴィス指揮