2017年6月28日 (水)

ロッシーニ 序曲集 アバド指揮

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どんより梅雨空東京タワー。

蒸すし、すっきりしませんな。

こんな時には・・・・

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      ロッシーニ 歌劇序曲集

     ①「セビリアの理髪師」      ②「ラ・チェネレントラ」
   
     ③「どうぼうかささぎ」       ④「アルジェのイタリア女」

     ⑤「ブルスキーノ氏」        ⑥「コリントの包囲」

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

                 (1971、1975 @ロンドン、エディンバラ)


これで、すっきり!

朝から、気分爽快になるこの1枚。

こちらも11年前に記事に残してます。

アバドといえば、忘れちゃいけないロッシーニ演奏。

ベルリン時代にも、当団とオペラ上演してしまったくらい。

そのアバドのロッシーニの原点が、この1枚。

いや正確には、アバドのオペラ録音デビューにあたる、「チェネレントラ」と「セビリア」のふたつで、1971年のもの。
そのふたつの録音から、このCDの①と②は転用されている。

「セビリア」の全曲盤は、すぐさま購入しました。
そして、それより前に出た「チェネレントラ」のすばらしさは、後年味わうことになるのでしたが、当時、それが発売されたときの、日本の音楽界の驚き!

「これが噂のアバドのロッシーニ」とか、「アバドのオペラ」とか、大いに宣伝された。

そう、いまではあたりまえとなった、A・ゼッダの考証版を用いての、すっきり軽快、透明感あふれるロッシーニサウンドを世に知らしめたのだ。

数年後に、4つの序曲を新録音して出されたのがこの1枚。

しなやかに歌いまくる、どこまでも明晰かつ、軽やかなロッシーニ演奏がここに。
後年の再録音では取り上げられたグランドオペラの華やかな序曲、「ウィリアムテル」や「セミラーミデ」は、ここでは、意識したかのようにスルーして、ブッファの軽快な序曲ばかりとしたことも、アバドの意識の表れかも。
そこに唯一セリアもあるとこがまた、アバドらしい。

塵と埃を洗い落とし、スコアの音符が、躍動して見えるかのような生き生き感。
ピアニシモを美しく歌うことにかけてはアバドの右に出る指揮者は、当時からいなかった。
だから、ロッシーニクレッシェンドは、耳をそばだててしまうほどに完璧かつ躍動的。

RCAに入れ直した2度目のロッシーニも素晴らしいが、スケールは大きくなった。
そして、ヨーロッパ室内管との3度目のものは、小回りの効く室内オケを駆使し、さらに若い楽員たちの笑顔が見えるような楽しい演奏。

でも、自分は、この1回のものが好き。
ロンドン響のスッキリサウンドも大いにプラスしてる。

さぁ、梅雨に負けず、今日も元気にsign03
 

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2017年6月26日 (月)

メンデルスゾーン 交響曲第3番「スコットランド」 アバド指揮

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ある夜の東京タワーと紫陽花。

本格的な梅雨となり、湿度も高めで、体もまだついていけない、そんな6月の終わり頃。

今年もめぐってきた、クラウディオ・アバドの誕生日。

1933年6月26日、ミラノ生まれ。

ヨーロッパには梅雨がないから、きっと今時分は、清々しい初夏の陽気なのでしょう。

新しい録音や演奏が途絶えたとしても、自分的には、アバドは、まだ生きています。

アバドの得意とした作曲家、メンデルスゾーンを聴きます。



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  メンデルスゾーン 交響曲第3番「スコットランド」

    クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

             (1967.2 @キングスウェイホール、ロンドン)


「イタリア」でもよかったけれど、いまの気分は、スコッチ。

アバドが、50年代後半、ウィーンでスワロフスキー教授に学んだあと、指揮者としてのキャリアをスタートさせ、63年に、ミトロプーロス指揮者コンクールに優勝し、注目を集め、バーンスタインに認められ、ニューヨークフィルを指揮。
その後は、65年に、今度はカラヤンに推され、ザルツブルクで、ウィーンフィルを振って、マーラーの復活。

順風満帆の若きクラウディオ。

レコーディングでも、66年にウィーンフィルを指揮して、デッカにベートーヴェンの7番でデビュー。同年、ロンドン響とプロコフィエフのロメオ抜粋を録音。
そして、翌67年に、このメンデルスゾーンと、ベルリンフィルとブラームスのセレナードをDGに。

アバド、33歳の録音。

この演奏、もう11年前に一度記事にしてます。
85年の全曲録音も、トータルに素晴らしいけれど、アバドの青春譜とひとことで片づけるには、まことに惜しい、後年の録音にはない瑞々しさと、煌めきにあふれた桂演。

メンデルスゾーンの音楽にある明るい歌心を、まったく嫌味なく、素直に感じて、そのまま音にしてしまった感があって、音楽は生まれたての駿馬のように、すくっと立ち上がって、緑の丘や野山を駆け抜けるような、そんな爽快さにあふれてる。
この時にしか成しえなかったであろう演奏かもしれない。

このレコードが国内発売されたのは、1971年で、もうクラヲタしてて、アバドのファンにもなっていた自分だけど、そこでは購入することなく、4番のFMのエアチェックで我慢していた。
2曲を、ちゃんとレコードで聴いたのは、その10年後ぐらいで、アバドは、シカゴ、ロンドン、ミラノ、ウィーンを股にかける大指揮者になっていた・・・・。

いま、相応の歳の大人となって、再びじっくりと聴くアバドのスコッチ。
第3楽章の憂いと、優美さが、相交わる歌の饗宴に、アバドのこの若き演奏の神髄を聴く思いだ。
ほんとに美しいので、いつまでも浸っていたい。

前にも挿入しましたが、国内初出のときのレコ芸の広告。

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このころに戻ったらな・・・・・

もう一度、アバドの次から次に出る音盤と、目覚ましいキャリアアップぶり、そして行けなかったいくつもの来日コンサートを追いかけてみたい。。。。。

歳を経ると、むかしのことばっかり。
夢も昔のことを、ほんとよく見るようになったよ・・・・


Rose

一輪の赤いバラを、アバドの誕生の日に。

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2017年6月22日 (木)

ブリテン イギリス民謡組曲「過ぎ去りし時・・・」 ラトル指揮

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少し前の東京タワーと芝公園。

都心は狭いもので、歩いていろんな場所へ行けちゃうけど、ほんのちょっと移動するだけで、そこに普段住まう方や、勤務する方のカラーがまったく違って見える。

大使館などもあれば、外国の方の人種や雰囲気もすぐに違ってみえる。

狭いけど、大きすぎる東京は、行き過ぎた都会だな。

疲れちゃうよ。

私が、神奈川の片田舎から、都内に初めて出てくるようになったのは、幼稚園ぐらいのことかしら。
親戚の家が板橋にあったので、内部がまだ木製の湘南電車に乗って、東京駅まで出て、そこから丸の内線で池袋。
活気あふれる高度成長時代、車の排気ガスなんか、へっちゃらで、渋滞だらけで、カローラとサニー、いすゞN360とかが走りまくってた。

当時の写真は、みんなモノクロだけど、いまやそれもセピア色に変じてしまった。

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    ブリテン イギリス民謡組曲「過ぎ去りし時」

     サー・サイモン・ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団

                (1984.5@ワーウィック大学、コヴェントリー)

ブリテン(1913~1976)最後の管弦楽作品。

1974年秋に完成させ、翌年のオールドバラ音楽祭にて初演。
その翌年には、63歳で亡くなってしまうブリテン。

最晩年にいたって、イギリス民謡を扱った作品を残し、英国作曲家の先達の伝統に回帰した。
それもそのはず、この作品は、パーシー・グレインジャーに捧げられている。

三浦淳史先生の解説を参考に記します。

 この作品の副題は、トマス・ハーディの詩「生まれる前と死んでから」よりとられていて、この詩をもとに、ブリテンは、「冬の言葉」という名歌曲を編んでいる。

 誰にもおそらく想像がつくように そして地上のさまざまな証拠が示すように

 意識というものが生まれる前 万事はうまくいっていた・・・・・

 しかし、感じるという病がおこった 

 そして原始の正しさは間違った色に染まり始めた

 いったい無知が再認識されるのは あとどれくらいの時間がかかるのだろうか


                   ハーディ 命の芽生えの前とあと

なるほどのの、なかなかに深い詩、だけど、明快なテーマ。

 そして組曲は、5つからなる。

  ①「美果と美酒」 Cakes and Ale

  ②「にがいヤギ」  The Bitter withy

  ③「まぬけのハンキン」 Hankin Boody

  ④「リスを追え」 Hunt the squirrel

  ⑤「メルバーン卿」 Lord Melbourne


17~8分の、いたって平易でシンプルな音楽で、とても聴きやすい。

勇ましい感じの①、ちょっと、まさに苦みあふれる雰囲気の②は、ハープの美しさがアクセント。
舞曲調で、シニカルでドラムも効いてる③
面白いのは④、弦楽器でバグパイプそのものを再現してしまった。
そして、一番深みあふれるのが⑤
コールアングレの物哀しいソロが、懐かしさを誘い、どこかに忘れてきてしまった、そして記憶のどこか遠くにあるものを思い覚ますような、そんな淡さをもった音楽。

 この曲、初めて聴いたのは、バーンスタインの演奏で、初演間もないNYPOとの録音だった。

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FMでの録音だったけど、後年、CDで買い直して聴いてみて、明快なバーンスタインの指揮と、ブリテンへの共感にあふれた演奏が素晴らしいと思った。
それとこのバーンスタイン盤は、「ピーター・グライムズ」からの「4つの海の前奏曲」と「パッサカリア」がとてつもなくいい演奏だ。

それと、ラトル盤。
シンフォニア・ダ・レクイエムの名演に隠れてカップリングされたこの曲に喜んだものだ。
ラトルの音楽への切り込みの鮮やかさは、バーミンガム時代の方が、いまよりもずっと上ではないかと思ったりもする。
フィルハーモニアとの初来日を聴いて、ラトルのCDを聴きまくったけれど、ベルリンフィルになってから、ほとんど持ってません(笑)
ちゃんと聴かなくては、と思いつつ、いまに至る。

で、過去を振り返るのでありました。

 

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2017年6月20日 (火)

ドビュッシー 牧神の午後への前奏曲 ハイティンク指揮

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セピア色の海と雲。

以前撮った写真を、ちょっと加工してみました。

曖昧な水平線。

ぼんやりと浮かぶ雲に、夕日があたり、はっきりしないままに、このまま暗くなっていった海辺。

ここは、自分の育った町の海で、小学生くらいまでは、それこそ海鳴りの聴こえるくらいの場所に住んでいて、遊び場はいつも海辺だった。

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  ドビュッシー 「牧神の午後への前奏曲」

   ベルナルト・ハイティンク指揮

       アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 

               (1976.12 @アムステルダム)


わたくしの持つこの曲のイメージは、先の写真みたいな感じでも一面あって、そういう意味で、このハイティンクの演奏は、ぴたりとくる。

ハイティンクらしく、柔らかく、ふっくらとした音楽造りに、オーケストラのシルキーな音色、それとフィリップスの豊穣なる素晴らしき録音。

これらが相まって、フランドル調の、いくぶんくすんだ渋い牧神となったのだ。

ともかく美しい。

陶酔感は少なめだけれども、安心して、この絹織の音色たちに身をゆだねることができる。

 真夏の白日、すべてが光によって映し出されるようなブーレーズの演奏も、濃密なばるバルビローリも、ビューティフルなデュトワも、そして、オーケストラの音色が往年のフランス色をとどめながらも、割と先鋭なマルティノン、あと、地中海的な瞬きにあふれたアバド。
これら、みんな好きだけど。

いまの気分は、最高にハイティンク。

牧神ばかりでなく、「海」や「夜想曲」、「映像」もすばらしくステキなハイティンクとコンセルトヘボウなのでした。

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2017年6月14日 (水)

ビエロフラーヴェクとJ・テイトを偲んで

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梅雨入りはしたけれど、なんだか、シトシトとはいかない風情のなくなってしまった、近年の日本の6月。

そんな梅雨入りまえ、現役で活躍していたいぶし銀的な指揮者が、相次いで亡くなった。

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チェコの指揮者、イルジー・ビェロフラーヴェク、享年71歳。

5月31日に亡くなりました。

例年、ロンドンのプロムスに出ていたのに、昨年と今年はなしということで、どうしたのかな、と思っていた。
でも、今年秋には、チェコフィルと来日が予定されていたので、さほど気にはしていなかったところへの、訃報。

すぐさま、海外のニュースや、チェコフィルのサイトを見てびっくりした。
別人と思うような、スキンヘッドの姿がそこにあって、闘病後の復活の指揮姿だったのだ。
それにしても若い。

チェコフィルの首席に若くしてなったあと、やむなく短期で、アルブレヒトに交代。
そのあと、20年ぶりにチェコフィルに復帰、ついに、両者一体化した、稀なるコンビが完成したのに・・・。

ビエロフラーヴェクが躍進したのは、1度目のチェコフィルのあと、BBC響との関係を築いてからだと思う。
広大なレパートリーと、豊富なオペラ経験が、マルチなロンドンでの活動に活かされた。
チェコ音楽の専門家と思われる向きもあるかもしれないが、プロムスではお祭り騒ぎのラストナイトを何度も指揮していたし、当然に、英国音楽も多く指揮したし、マーラーやショスタコーヴィチ、さらに、グラインドボーンでは、素晴らしいトリスタンの映像も残してくれた。

日フィルとN響とも関係が深く、何度も来日してます。
日フィルとの「わが祖国」のチケットを手にしながら、仕事で行けなくなってしまったことも、いまや痛恨の出来事です。

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ドヴォルザーク  交響曲第9番「新世界より」

   イルジー・ビェロフラーヴェク指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

                         (1989.9 @プラハ)


1度目の新世界。
最近出た新しいものはまだ未聴なので、なんとしても全曲が欲しいところ。
若々しい、そして、注目したいのが、この録音の年月。

同年秋に起こる、ビロード革命直前。
東ヨーロッパの共産主義崩壊の前夜ともいうべき頃合い。
いったい、どのような気持ちで「新世界」交響曲を演奏していたのでありましょうか。
 が、しかし、この演奏は、清新でさわやかでさえある。
純粋に音楽に打ち込む、指揮者の姿が目に浮かぶようだ。
若き日のビエロフラーヴェクを思いつつ、ラルゴを聴いてたら、ジーンとしてきた。

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 ブリテン 「ピーター・グライムズ」 4つの海の前奏曲

  イルジー・ビエロフラーヴェク指揮 BBC交響楽団

                        (2007.7 ロンドン)


BBC響とのプロムス・ライブより。
クールで、シャープだけれども、優しい目線を感じるブリテンの音楽を、違和感なく柔軟に仕上げています。
錯綜する音が、キレイに聴こえるのも、ビエロフラーヴェクの耳の良さで、BBCのオケの巧さも抜群。
このコンビの相性は、ほんとよかったと思う。

それにしても、チェコ楽壇にとっては、とてつもなく大きなビエロフラーヴェクの逝去。
チェコフィルは、どうなる・・・・

 

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イギリスの指揮者、サー・ジェフリー・テイト、享年74歳。

こちらは、6月2日に亡くなってしまいました。

医学専攻から、音楽家へ転身、オペラハウスから叩き上げの、オペラ指揮者であり、モーツァルト指揮者でもあった。
テイトの名前を知ったのは、シェロー&ブーレーズのバイロイト・リングで、副指揮者を務めていたことから。
メイキングビデオにも映っていた。
 そのテイトが、イギリス室内管の指揮者となり、交響曲を手始めに、内田光子との協奏曲など、モーツァルト指揮者として80年代以降活躍し始めたときは、ワーグナーやオペラ指揮者との認識があっただけに驚いたものだ。

その後、ロッテルダムフィルの指揮者もつとめ、亡くなるまでは、ハンブルク響。
あと、オペラの指揮者としては、コヴェントガーデンに、ナポリ・サンカルロにポストを持ち、メトやドレスデンなど、大活躍をしたテイト。
生まれながらの二分脊椎症というハンデを追いながら、そんなことはもろともせず、常に集中力と、音の透明さを引き出すことに心がけ、クリーンな音楽を作り出す名指揮者だったと思う。

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   モーツァルト  交響曲第40番 ト短調

    サー・ジェフリー・テイト指揮 イギリス室内管弦楽団

                        (1984 @ロンドン)


最初に手にしたテイトのモーツァルト。
もう何度も聴きました。
モダン楽器の室内オケで聴くブリテッシュ・モーツァルト。
清潔で、明るく、さらりとしていながら、歌心はたっぷり。
ともかく美しく、無垢で、その嫌味のない音楽は、当時も今も変わらず、飽きのこない、私の理想のモーツァルト演奏のひとつ。


Wagner

  ワーグナー 「パルジファル」 前奏曲

    サー・ジェフリー・テイト指揮 バイエルン放送交響楽団

                        (1987 @ミュンヘン)


ハンブルク響との「黄昏」抜粋は、未聴。
いまのところ唯一の、テイトのワーグナー。
バイエルン放送響という名器を得て、おおらかかつ、悠然としたワーグナーとなった。
しかし、そこはテイト。
これも、オーケストラの明るさを生かしつつ、明晰で、濁りのない、美しいワーグナーなのだ。
おまけに、「コロンブス」と「ファウスト」という、珍しい序曲が、一級の演奏で聴けるという喜び。
この1枚を聴くと、なにゆえに、レコード会社は、テイトによるワーグナー全曲録音を残してくれなかったのか、と怒りたくなる。

その変わり、テイトには、シュトラウスやベルク、フンパーディンクのオペラ録音があります・・・・・。
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       エルガー  「ソスピリ」

    サー・ジェフリー・テイト指揮 ロンドン交響楽団

                   (1990 @ロンドン)


最後は、この曲で。

エルガーの哀しみのいっぱいつまった音楽で。

ふたりの名指揮者の追悼にかえさせていただきます。

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2017年6月12日 (月)

「グリーンウェーブコンサート 19th」

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梅雨に入ったけど、いいお天気続き、しかも、この日は夏日で、やたらと暑かった。

今年も、聴いてきました、グリーンウェーブコンサート。

神奈川フィルのヴァイオリン奏者、森園ゆりさん、そして相方の佐藤裕子さんのコンビによる毎年の初夏のコンサート。
今年で、19回目を迎えました。

私は、今回が、昨年のお休みを挟んで、6回目。
神奈川フィル応援のメンバーたちも、毎回顔ぶれを変えつつ参加の恒例行事となってます。

緑あふれる保土ヶ谷の街、その高台にある仏向町。
そこにある名門ゴルフ練習場のレストランホールが舞台。

光がたっぷり降り注ぐホールは、天井が高く、響きも豊か、そして、時おり聴こえるゴルフのショットの音。
今年もいい感じでしたよ。
さらに、木を中心に、改造が行われたそうで、確かに、音響が変わった。
 拡散しがちな響きだったのが、同じ豊かさながら、音がストレートに届きつつ、広がり方が音楽的になった。
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  1.クライスラー         「美しきロスマリン」

  2.モーツァルト  ピアノとヴァイオリンのためのソナタ K305 第1楽章

  3.ミルシュテイン       「パガニーニアーナ」

  4.メンデルスゾーン   無言歌集~「デュエット」「紡ぎ歌」

  5.エルガー          「愛の挨拶」

  6.ヴィエニヤフスキ  ファウストの主題による幻想曲

  7.バッハ        G線上のアリア

  8.シンディング    プレスト

  9.サラサーテ     ツィゴイネルワイゼン

 10.森園康香      山のワルツ~アンコール

         ヴァイオリン:森園ゆり

         ピアノ    :佐藤裕子

           (2017.6.10 @ハンズゴルフクラブ)


コンサートには、毎年、テーマがありまして、今年は「初夏の日差しに包まれて」。

有名曲も多く配され、しかも明るめの色彩の曲ばかり、そして、少し傾きつつある眩しい日差し、まさに、テーマどおり。

ご本人も、この曲のイメージがまさにそう、とおっしゃっていたモーツァルト。
爽快でキリリとしたモーツァルト、いい感じでしたね。

大ヴァイオリニストのパガニーニアーナ、昔レコードで持っていたから、とても懐かしく聴きましたが、ソロヴァイオリンの技巧あふれる大作をしっかりと、そして思い切りよく演奏されました。

ほんわかとしたメンデルスゾーンは、佐藤さんのピアノソロ。
こうして、いろんな作曲家を次々に聴いてくると、メンデルスゾーンの温厚で優しい音楽がとても気持ちよくて、そしてロマンあふれるものだとわかります。さすがの選曲に演奏。

あと、気に入ったのが、このコンサート一番の大曲で、ご本人からの、大曲注意、ご覚悟を、とひとことあったヴィエニヤフスキのファウスト・ラプソディ。
グノーの歌劇「ファウスト」のアリアやテーマが散りばめられていて、次々にあらわれる旋律と、それらの展開がとても面白かった。
そして、メフィストフェレスのアリアのあと、思わず拍手も入っちゃった(笑)

あと個人的に、しんみり聴いたのがバッハ。
抑え気味に、じっくりと味わい豊かに演奏してましたね。

毎年プログラムに乗るシンディングの曲、今年はプレスト!
そして名曲ツィゴイネルワイゼンで、聞き手はみんな、わくわくドキドキに。
大きな拍手が巻き起こりました。
わたしのまわりの地元のご婦人方も、とても楽しそうに、そして目を輝かせて聴かれてましたよ。

拍手に応えて、これもまた恒例のアンコールは、ドイツでヴァイオリンを学んで、着々と成果をあげてらっしゃる娘さん、康香さんの作品。
今年で7曲目の初演は、可愛い「山のワルツ」、おしゃれで粋なエンディングにほっこり♪

楽しいコンサート、それと毎度、チャリティ的に企画開催してくださる、ハンズゴルフクラブにもありがとうございました。
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コンサート前は、素敵な軽食をテラスで。

軽食ながら、毎度、本格的なお味。

今年は、クロワッサンのローストビーフサンドが美味でございましたよ♡   

過去記事

 「2011年 第13回」

 「2012年 第14回

 「2013年 第15回」

 「2014年 第16回」

 「2015年 第17回」

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2017年6月 3日 (土)

コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲 ホープ、フラング、カヴァコス

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晴れの日の5月の空、そしてタワーに美しの花。

気持ちいいもの、大好きなものに囲まれて過ごすことの幸せは、誰しもそう願いたいもの。

でもなかなかに、そうはいかないもの。

とても忙しくなった4月以降。

ことに5月は。

それでも、懐かしさと切なさ、そしてほろ苦い思い出に包まれつつ過ごす日々に、マーラーとコルンゴルトの音楽はうってつけだ。
次はディーリアスかな。

愛するコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲をいくつか入手したので、ずっと聴いております。
 
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       コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲 ニ長調

        Vn:ヴィルデ・フラング

    ジェイムス・ガフィガン指揮 フランクフルト放送交響楽団

                   (2015.7,8 @フランクフルト)


ノルウェー出身のフラングのヴァイオリンは、初めて聴いた。

もう日本には何度か来ているし、CDもそこそこに出ている。

若いのに、着実に実績を積みつつある実力派のようだ。

チャイコフスキーやメンデルスゾーンだったら買わないけれど、コルンゴルトと、おまけにカップリングがブリテンときたら、それはもう!
ちなみに、ムターとプレヴィンのコルンゴルトも愛聴しているが、カップリングのチャイコフスキーは、いまだに聴いたことがないのである・・・・・

さて、このヴィルデちゃんのコルンゴルト、実に自然体で伸びやかななのであります。
それでいて音楽へののめり込み具合も、ある意味、必死感があって、とてもスリリングにも感じる。
彼女によれば、この曲は、ブリテンとともに、2曲携えてレコーディングすることが、長年の夢だったそうな・・。
そんな想いを、ひしひしと感じ取れる夢中さ。
それでいて、冒頭に書いたとおり、自然なのであります。
ノルウェーの山と湖の自然のなかで、伸びのびと育ったと、本人が言っているように、天然素材のようなヴァイオリンの音色で聴くコルンゴルトは、ほんと美しい。
ことに2楽章のロマンスは美品。

ジャケットは、いかにも北欧美人でステキですが、映像などいくつか観たら、まだまだ健康的な女の子って感じ。
大好きなニコラ・ベネデッティが、このところ、大人の女性に変貌しつつある。
ヴィルデちゃも、いつか・・・・、むふふのお楽しみである。


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       コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲 ニ長調

        Vn:ダニエル・ホープ

 アレクサンダー・シェリー指揮 王立ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団

                   (2013.1 @ストックホルム)


「ベン・ハー」の愛のテーマで、いきなり始まる秀逸な企画の1枚。

ESCAPE TO PARADISEと題された、ハリウッドにまつわる銀幕の音楽をぎっしり詰め込んでいるのだ。
そんななかに、主役のように配されているのが、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲。

ナチスのドイツから逃れた先がハリウッドの映画界。
コルンゴルトの映画音楽もたくさんあるし、このヴァイオリン協奏曲も、自身のそんな映画音楽から、旋律が編み取られている。

今回は、この協奏曲のみに絞りますが、楽園として亡命した何人かのハリウッドを飾った作曲家たちの素敵な作品も、またいつか取り上げたいと思います。

ヴィルデ・フラングのあと、ダニエル・ホープのヴァイオリンを聴くと、やはりスケール感と練り上げられた音色の深みが違うことに気づきます。
大人の音楽。

繊細さでは、ダニエルさんのほうが上回り、快活さや技巧の冴えではヴィルデちゃん。
1楽章からして、苦みの効いたサウンドが、わたしの気持ちをわしづかみにしてくる。
遠くを見通すかのような淡さもあるし、第2楽章では、過ぎ去った日々を懐かしむ、そんな儚い男の夢にぴたりと寄り添ってくれる、そんなホープの優しいヴァイオリンに涙したい。

ところが3楽章では、それじゃダメとばかりに、エッジの効いた鋭さで、背中を思い切り押してくれる前向きなヴァイオリンを聴かせるホープさん。
歌いまわしも自在で、いやぁ、これはいい。
 
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   コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲 ニ長調

        Vn:レオニダス・カヴァコス

    マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

                   (2016.1.14 @ミュンヘン)


バイエルン放送局のネット配信で視聴したのがこちら。

録音もしちゃいました。

画質も音質も、この局のものはほんとに素晴らしい。
いずれ、音盤になるのかな?
なんたって、ヤンソンスのコルンゴルトだから!!

ちなみに、この日の演奏会の演目は、コリリアーノに、この協奏曲に、ラフマニノフの「鐘」という渋いけれど、好きなひとには堪らないもの。
さらに、このあとの欧州ツアーでは、コルンゴルトに、ショスタコーヴィチの7番。

バイエルンに一筋の男ヤンソンス。
そんなヤンソンスの情熱に、バイエルン放送響の輝かしさと、明るい音色が加わって、絶品のオーケストラ伴奏となっている。
艶やかな弦に、木管のあたたかな囁き、そしてマイルドな金管、色気あるホルン。
ほんと、いいオーケストラだ。

おっと、カヴァコス氏を忘れちゃいけない。
今回の3人のヴァイオリニストのなかで、一番年長。
そのお姿のように、求道的ともいえる集中力を感じる、研ぎ澄まされたヴァイオリンの音色。
そして、驚きの2楽章の美演。
音色の美しさでは、もしかしたら、今回の3人のなかで、一番。
終楽章の盛り上がりも、ライブならではだし、みんな乗せちゃうヤンソンスの指揮の力もあるかも。
 DVDでの演奏も、カヴァコスにはあるけれど、もう一回確認してみなくては。
オーケストラの魅力もあるが、今回の3つの演奏の中では、一番バランスがよい。

で、どれが一番好きかって?

そりゃ、全部だよ。

さて、今宵も、コルンゴルトの音楽に咽び泣きつつ、盃を呷るのでありました・・・・・・。


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「パールマン&プレヴィン」

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「ズナイダー&ゲルギエフ」

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2017年5月21日 (日)

コルンゴルト 「死の都」 ヴァイグレ指揮

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神奈川の家から遠く富士の夕暮れ。

一日の終わりは、壮麗な夕焼けで幕引きになるのが好き。

そして、後ろ髪をひかれるようにして、昼は去り、夜がやってくるのだ。

こんな景色を大学生の時まで見て暮らした。

社会人になると東京と千葉へ。
でも自分に一番の街はここ。

去ったけど、一生去れない場所。

終わりがなければ始まらない。

そんなことをいくつか繰り返してきたけれど、この春にも大きな変化があったことは、これまでに書いた通り。

マーラーの10番をピークに別れを音楽で追い求めたものだ。

そして、ここしばらくは、コロンゴルトの音楽に足を止めようではないか。

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  コルンゴルト  「死の都」

   パウル:クラウス・フローリアン・フォークト
   マリエッタ、マリーの幻影:タチアナ・パヴロフスカヤ
   フランク、ピエロ:ミヒャエル・ナジ  ブリギッタ:ヘドヴィク・ファスベンダー
   ユリエッテ:アンナ・ライベルク    ルシエンヌ:ジェニー・カールシュテット
   ガストン:アラン・バルネス       ヴィクトリン:ユリアン・プレガルディエン
   
  セバスチャン・ヴァイグレ指揮 フランクフルト歌劇場管弦楽団
                      フランクフルト歌劇場合唱団

                         (2009.11@フランクフルト歌劇場)


またかとお思いでしょうが、コルンゴルトのオペラ「死の都」であります。

このヴァイグレ盤、このところ毎日のように流し続けていて、4年前に入手していらい、以前はさほどでもなく思っていた、フォークトのパウルが実に素晴らしいことに、いまさらながらに気が付いた。

誰もが、フォークトの美声と、そのユニークなヘルデンの常識を覆すような不思議なほどの力感に驚かれていることの思います。
しかし、よく考え抜かれた歌唱は、どんな役柄でも、フォークトなりの完璧さでもってなりきってしまうことの凄さ。
 パウルという役柄の難しさは、全幕ほとんど出ずっぱりで、没頭感をもって、ドラマティックな力感を伴った歌唱を駆使しまくらなくてはないらいし、甘美さや、ほろ苦い諦念も歌いこまなくてはならないので、パウル歌手は、これまで限定的な存在だった。

ルネ・コロ、J・キング、イェルザレム、T・ケルルなど、いずれもジークムントやトリスタンを歌うような歌手たちの持ち役だ。

そんななかにあってのフォークトの歌の存在。

パウルの心情に同化してしまったかのような、繊細極まりない知的かつ、情熱的な歌唱。
すべてが考え抜かれ、言葉をじっくりと歌いこんでいるのがわかる。
華奢ななかにも、スピントの効いた力強さと、圧倒的な声量も。
きらきらした退廃具合も申し分なし。
いままで、コロとケルルばかりだった私の理想のパウルに、遅ればせながらフォークトが加わった。

このフランクフルト・ライブは、歌手ではフォークトの独り舞台かもしれないが、マリンスキー育ちのパヴロフスカヤは、悪くないが、フレミングの声に似ていて、ちょっと隈取りが濃いかも。
ナジのフランク&ピエロはよい。
バイロイトでもウォルフラムなどで活躍のイケメンバリトンは、今後とも注目。

ライブながら、録音は実によく、オーケストラ・ピットの生々しい音が臨場感豊かに聴こえる。
ヴァイグレの整然としつつ、全体のバランスをよく見通したスタイリッシュな指揮はこれでよいと思う。
まだ音源は多くはないが、過去の正規音源のなかの指揮者では、一番いい。

添付のリブレットには、舞台写真が豊富に載せられていて、想像力を刺激してくれる。
フォークトはスキンヘッドで、詰襟を着ていて、ちょっと病的な感じだし、死神や老婆もたくさん・・・・、マリエッタは赤いドレスで、普通に美しいし。
映像で観てみたいものです。

映像といえば、新国で観たホルテン演出の舞台のDVDでは、フォークトなんだよな。
手に入れねばね。

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現実と夢想が、行き来して、リアルな現実も、夢も、どっちも明滅するように、それこそ、自分の夢に出てくるようになった。

 しかし、現実の人間たる自分は弱いけど、妙に強い。
いまの現実は、前では考えられなくなった違った忙しさに包まれるようになった。
過ぎ去った夢、だんだんと過去のものとして、置き換え、忘れようとしつつあるのが、これまた夢のなか・・・・・・・・。

こんな男の心情にぴたりとくるものを描きつくした、若きコルンゴルトに、啓稔をすら感じます。

 わが憧れ、わが惑いが、この夢に蘇る。

 踊りで得て、そして失ったわが幸せ
 ラインの川沿いで踊る
 月光のなかで、青い瞳が、この身に
 切なる眼差しをそそぎ
 辛い思いを訴える
 ここにいて どこにもいかないで
 故郷を見守って、静かに花開く幸せを
 わが憧れ、わが惑いが この夢に蘇る
 遥かなる魔力が この魂に 火をともす
 踊りの魔力に誘われ
 役者へと たどりつく
 優しすぎる あの女に従い
 涙ながらの口づけを知る

 酔いと苦しみ 惑いと幸せ
 これが曲芸師の定めか
 わが憧れ わが惑いが
 この夢に蘇る
 蘇る 蘇る・・・・


      (訳:広瀬大介)

 この身にとどまるしあわせよ

 永遠にさらば 愛しいひとよ
 死から生が別たれる
 憐れみなき避けられぬさだめ
 光溢れる高みでこの身を待て
 ここで死者がよみがえることはない


      (訳:広瀬大介)


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2017年5月 7日 (日)

マーラー 交響曲第10番 ネゼ=セガン指揮

A

神社の手水に泳ぐ桜の花びら。

波紋とともに、静寂のなか、流されては舞い散る、繰り返される美しさ。

C

まだ散り終わる前の八重桜。

そして手水の、とこしえのような美しさ。

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  マーラー  交響曲第10番(D・クック編 全曲版)

   ヤンク・ネゼ=セガン指揮 オーケストラ・グラン・メトロポリタン

                (2014.12 @モンオリオール)


「告別」の最終章。

わたくしの「告別」も昨日、この連休で終わりました。

10年間、続いたことが、ここで終わりました。

出合いと、別れを、人は短い時間でも繰り返すのですが、それもまた、人生であり、生きざま。

禍根を残す別れじゃなくって、とてもきれいで、ゆるやかで、爽やかだった。

マーラーの最終章。

10番の交響曲は、コンプリートされた第1楽章の「アダージョ」に加え、補筆・補完・完成されるかたちでもって、数人の手によって、完成され、いまも様々な版の刊行が進行している。
 この10番のすばらしさを教えて下さった方に」感謝。
さらに、自分のなかで、「マーラーの10番」を確立させ、進化させていった。
「別れ」は、終わりじゃない、「始まり」なのだと、気づいた。

こんな年代の自分だけれども、さよならの別れは。美しくも輝かしいものだとも報せてくれた。

 もしかしたら、この先、一生、会うことがないかも・・・・、そんな想いとともに別れを経て聴く音楽。
それが「マーラーの10番」なのか。

 こんな風に、ここしばらく、10番の完成版として、何度も聴いたのは、このモントリオール出身のセガン盤なのだ。

同郷の腕っ扱きをあつめたオーケストラを指揮したこの演奏。
このオケと、ブルックナーやマーラーを数々録音し、さらにメジャー指揮者としても、幾多の実績を築きあげているセガンに、世界が着目している。

幣ブログにおける、「次世代を担う指揮者シリーズ」としても、特筆大的にマークしておきたい指揮者であります。
ともかく、この演奏は美しい。

そして、なんのこだわりもなく、「マーラーの10番」を、誰それの補筆・補完とかいうことを意識もさせず、ともかくヴィヴィットに演奏してみせた快演なのだ。
オーケストラの明るい、ある意味、国籍不明の軽やかさも麗しい。

なにも構えることなく、「マーラーの10番」を心おきなく楽しめる、そんな「マーラーの10番」の超名演ではないかと思った、セガン盤。

B

「告別」の感情は、10番では、もしかしたら少なめで、ここでは、「別れ」の姿をした、そして寄せては引く、永遠の「愛」なのかもしれない。

その深さゆえ、「別れ」のときにしか理解されない「愛」なのかも。

マーラーの最後の3つの作品を聴いてきて、あらためて気づかされたその「愛」の美しさ。

 「終わり」です。
 

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2017年5月 6日 (土)

マーラー 交響曲第9番 サロネン指揮

I

関東に咲く最後の桜、八重桜も、GW前には散り、いまは葉桜となりました。

増上寺のお隣り、芝東照宮の八重桜は、ぽったりとしていて、それはとても見事なものでした。

H

この桜は、色が濃いから、官能的なまでに艶めかしい。

桜漬けにしても風味がよろしく、見栄えもいい。

マーラーの告別3大交響曲のなかで、世紀末を一番感じさせるのが第9。

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  マーラー  交響曲第9番 ニ長調

    エサ・ペッカ・サロネン指揮 フィルハーモニア管弦楽団

            (2009.3.22@ロイヤルアルバートホール)


「大地の歌」の終楽章「告別」、Ewig・・・永遠に、と同じ音型で始まる第9交響曲。

告別の情念は、ここでも引き継がれている。

ウィーンと決別し、新大陸に活路を見出しつつ、20歳も下の妻アルマとの隙間風はとどめようもできなかった。

そんな時期の1909年。

死を意識したのは、マーラーは、それこそ若き日々から変わらないこと。

でも、作曲の腕の深まりとともに、死への想いも受容的なものへと変化していったのだろうか。
49歳にして、このような彼岸の域へと達してしまうのは、ある意味不幸なことかも。
時代は違えども、誰しも、自分に置き換えれば、50を前に、「死に絶えるように・・・」なんて、言葉を書いたり、表現として用いたくない。

 マーラーの第9は、バーンスタインのように、没頭的に音楽と同化してしまう演奏や、ジュリーニのように、諦念をにじませたような大河的アプローチ、それから、アバドのように、楽譜をひたすらに信じ、音を突き詰めた演奏、こんな演奏たちを、自分は好んで聴いている。
 でも、このサロネンの演奏は、それらとはちょっと変わっている。

クールだけど、打ち立ての鋼のように、熱い。
そんないつもサロネンの音楽に加えて、どこか冷めたようなところがあって、「マーラーの第9」ということで、ついつい構えて聴いてしまう聴き手に、肩透かしを食らわせるようなところがある。

ニュートラルな英国のオーケストラというところもあるのか、音は透けて見えるくらいに、見通しはよくて、すっきりしてる。
そのスッキリ感を抜けて、音楽が熱いものを語りだすのが、サロ様のよいところなのだが、ちょっと消化不良なところもある。
真ん中のふたつの楽章は、リズム感も抜群の指揮者に導かれて、絶品なのだが、終楽章が、終結部の精妙な美しさを除いて、ちょっと不満かな。
1楽章の後半、もう無調の領域すら間近と感じさせる場面も、これまた素晴らしい。
珍しく、スコアを見ながら聴いたら、指揮者の耳のよさが、抜群にわかるし、普段、聴こえないような音も微妙に聴こえたりして、これまた新鮮な驚きでありました。

ほんとうは、ベルリンフィルの指揮者になって欲しかったサロネン。
作曲家でもあり、指揮者としても、ブーレーズみたいな存在だけど、サロネンのレパートリーは、もっと柔軟で、古典系の音楽もうまい。
マーラーは、ほかの番号も含めて、もっと何度も演奏・録音してほしいものです。
 わたくしと、同い年のサロネン。
マーラーとともに、あとは、「トリスタン」を残してほしい。

告別を、あまり切実に感じさせない、そんなある意味秀逸なサロネンの「マーラーの第9」でした。

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こんなにたっぷりと花をつけていた桜も、いまや、悲しいほどに散ってしまいました。

いまの心境は、終楽章の「死に絶えるように」よりは、第1楽章の、空中にふわりと浮かんで消えてしまうような、そんな音楽が、とても素敵に思えるのでした。

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