2018年7月16日 (月)

東京交響楽団定期演奏会 エルガー「ゲロンティアスの夢」 ジョナサン・ノット指揮

Suntry

暑い、暑い夏の夜、涼し気な水辺。

大いなる感銘に心開かれ、爽快なる気持ちに浸ることができました。

0001

  エルガー  オラトリオ「ゲロンティアスの夢」 op.38

      T:マクシミリアン・シュミット
     Ms:サーシャ・クック
     Br:クリストファー・モルトマン

   ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団
                  東響コーラス
           合唱指揮:冨平恭平
           コンサートマスター:グレブ・ニキティン

                    (2018.7.14 @サントリーホール)

ともかく感動、曲中、わなわなしてきて嗚咽しそうになった。

2005年、同じく東響の大友さん指揮のゲロンティアスを聴き逃してから13年。
実演でついに、それも理想的かつ完璧な演奏に出会うことができました。

CDで普段聴くのとは格段にその印象も異なり、この音楽の全体感というか、全貌を確実に掴むことが出来た思いです。

この半月あまり、ネット視聴と、その録音でもって、バイエルン国立歌劇場のペトレンコの「パルジファル」と、サロネン&フィルハーモニアの「グレの歌」をことあるごとに聴いていた。6月末から7月にかけて、演奏・上演されたそれらの、わたくしの最も好む音楽たち。
 そしてほどなく、こちらの「ゲロンティアス」。

いずれもテノールが主役で、苦悩と、その苦悩のうちから光明をつかむ展開とその音楽づくり。
今回、ゲロンティアスをじっくりと、そしてノットの指揮で聴くことができて、それらの作品(もっともグレは、発想はほぼ同時期ながら、作曲はゲロ夢の少しあと)との親和性を強く感じた次第でもあります。
あと、いつも想起するのが、ミサ・ソレムニス。感極まる合唱のフーガ。

     -------------------

いつでも機会があったのに、ノットの指揮を聴くのは実に2006年のバンベルク響との来日以来のこと。
武満徹に、濃密な未完成、爆発的なベト7の演奏会で、その時の柔和な横顔に似合わぬ強い指揮ぶりをよく覚えてます。
 ところが、久しぶりのノットの指揮姿は、流麗かつ柔らかなもので、そこから導きだされる音楽は、どんなに大きな音、強い音でも刺激的なものは一切なく、緻密に重なり合う音符たちが、しなやかに織り重なって聴こえるほどに美しいのでした。
ドイツのオペラハウスから叩き上げの英国指揮者。
根っからの歌へのこだわりが生んだ、緻密ながらも歌心ある演奏。
それに応える東響のアンサンブルの見事さ。
完全にノットの指揮と一体化していたように思います。

それから特筆すべきは、東響コーラスの見事さ。
暗譜で全員が均一な歌声で、涼やかで透明感あふれる女声に、リアルで力強い男声が心に残ります。
時に聖句を持って歌うか所があるが、それらは本場英国の合唱さながらに、まるでカテドラルの中にいて聴くような想いになりました!

 あと、ノットの選んだ3人のソロ歌手も、非の打ち所のないすばらしさ。

ドイツ人とは思えない、イギリス・テナーのような歌声のシュミット。
エヴァンゲリストやバッハのカンタータ、モーツァルトのオペラ、フロレスタンなどを持ち役にするリリックなテノールですが、無垢さと悩み多き存在という二律背反的な役まわりにはぴったりの歌声でした。

声量は抑え目に、でも心を込めた天使を素敵に歌ったのがアメリカ人のクックさん。
最後の業なしたあとの告別の場面は、涙ちょちょぎれるほどに感動しました。
バッハのカンタータから、大地の歌、カルメン、ワーグナーまでも歌う広大なレパートリーを持った彼女ですが、そのチャーミングな所作とともに、清潔な歌がとても気にいりました。

出番少な目でもったいないぐらいに思ったのが、極めて立派な声で決然とした歌にびっくりしたモルトマン。この方は英国人。
英国バリトンは、柔らかく明るめの基調の声の方が多いが、モルトマン氏は、明瞭ながらもかなり強い声。ドン・ジョヴァンニやヴェルディのバリトンの諸役を得意にしているそうだから、きっとそれらもバリッといいことでしょう!

   ----------------------------

しかし、ほんとに、いい音楽。

わなわなした箇所いくつか。

①いきなり前奏曲で、荘重な中からの盛り上がりで。

②ゲロンティアスが、サンクトゥスと聖なる神を称えつつも許しを祈る場面。
 この何度も繰り返し出てくるモティーフが大好きで、ときおり歌ってしまうのだ。

③第一部最後に、決然と歌いだすバリトンの司祭。背筋が伸びました。

④わなわなはしなかったけれど、悪魔たちの喧騒、そしてHa!
 生で聴くと、スピーカーの歪みや周りを気にせずに、思い切り没頭できるのさ。

⑤悪魔去り、天使たちが後の感動的な褒めたたえの歌を、前触れとして、ささやくように歌うか所。

⑥そして、ついに来る感動の頂点は、ハープのアルペッジョでもってやってくる。
 合唱のユニゾンでPraise to the Holiest in the light
  キターーーーーー、もうここから泣き出す。

⑦いつもびっくりの一撃は、これも生だと安心さ。

⑧最後のトドメは、最後の天使の歌と、静かな平和なるエンディング。
 祈るような気持ちで聴いてました。

ノットの指揮棒は、しばらく止まったまま。

ホールも静まったまま、誰ひとり動かない。

そっと降ろされるノットの腕。

しばらくして、それはそれは大きな拍手で、ブラボーはあるが、野放図さはなし。
間違いなくホールの聴き手のずべてが、感動に満たされていたと思う。

本当に素晴らしかった、心に残るコンサートでした。

Suntry_2

終演後、澄み切った味わいの日本酒を。

遠来の音楽仲間と語り合いました。

 過去記事

「エルガー ゲロンティアスの夢 ギブソン指揮」

「ジョナサン・ノット指揮 バンベルク交響楽団演奏会2006」

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2018年7月 1日 (日)

新日本フィルハーモニー定期演奏会 ベルク&マーラー リットン指揮

Sky_1

梅雨明けの暑い夕暮れ、こんな景色が望めるホールに行ってきました。

久々のトリフォニーホールは、ベルクとマーラーの世紀末系、わたくしの大好物が並ぶ、新日フィルの定期でした。

Njpo20180629

   ベルク    歌劇「ルル」組曲

           アルテンベルクの詩による歌曲集

   マーラー    交響曲第4番 ト長調

            S:林 正子

    アンドリュー・リットン 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団

                (2018.6.29 @すみだトリフォニーホール)


林正子さんを、3曲ともにソリストに迎えた、わたくしにとって魅惑のプログラム。
昨年のマルシャリンが素晴らしかった林さんのソロ、感想を先に言ってしまうと、マーラーよりベルクの方がよかった。
それは彼女の声質や、ホールでの聞こえかたからくる印象かもしれませんが、透明感と、一方で力強さのある声がストレートにわたしの耳に届いたのがベルクの方でした。
マーラーは、よく歌っていたけれど、オーケストラとのバランスや、間がちょっとかみ合わないような気もして、それはリットン氏の指揮にも要因があったようにも感じます。
 短い場面だけれど、ファムファタールたるルルを可愛く、そして小悪魔的に、宿命的歌わなければならない「ルルの歌」。幅広い音域を巧みに、でも柔らかさも失わずに聞かせてきれたように思います。
 一方のもうひとりの役柄、ゲシュヴィッツ伯爵令嬢の哀しみも、虚無感とともに、とても出てました。

 アルテンベルクは短い歌曲集だけれど、いまだに、何度聴いても、全貌がつかめません。
生で聴くのが初めてで、今回、たっぷり大編成のオーケストラが時に咆哮しても、知的に抑制され、歌手もその中で、楽器のように生かされているのを感じました。
そして、イメージやフレーズが、ヴォツェックに親和性があることも、よくわかったし、オペラの形態で追い求めたシンメトリーな構成をも聞き取ることができたのも実演のありがたみ。
林さんの、これまた抑制された歌声は、クールで切れ味も鋭いが、暖かさもただよわす大人の歌唱で、完璧でした。
 ベルクは、この歌曲集を、1912年に作曲しているが、作曲の動機は、マーラーの大地の歌を聴いたことによるもの。

時代は遡るが、後半はベルクからマーラーへ。

マーラーを得意にしているリットンさん。
手の内に入った作品ならではの、自在な音楽造りで、もうすっかり聴きなじんだ4番が、とても新鮮に、かつ、面白く聴くことができました。
強弱のつけ方、テンポの揺らしなど、細かなところに、いろんな発見もありました。
新日フィルも、それにピタリとつけて、とても反応がよろしい。
 1楽章の集結部、ものすごくテンポを落とし、弱めに徐々に音とスピードを速めていって、にぎやかに終わらせるという、聴きようによってはあざとい場面を聴かせてくれたが、実演ではこんなのもOKだ、面白かった。
 2度上げで調弦されたヴァイオリンと2挺弾きのコンマスの西江さん、繊細かつ洒脱でとてもよろしいかった2楽章。こちらも、細かなところにいろんな仕掛けがあって楽しい聴きもの。
 で、一番よかったのが、天国的なまでに美しかった3楽章。
美しいという形容以外の言葉しか浮かばない。
よく良く歌わせ、思い入れも、タメもばっちり、わたしの好きな、この3楽章の演奏のひとつとなりました。
 終楽章は、先にも書いた通り、歌が入ることで、ちょっとバランスがどうかな、となりましたが、これまた、心がホッとするような平安誘う、静かなエンディングと、大きな拍手までのしばしの間を楽しむことが出来ました。

ルル組曲の最初の方が、エンジンかかりきらない感じはありましたが、愛好するベルクの「ルル」を久々にライブで聴けた喜びとともに、マーラー⇒ベルクという世紀またぎの音楽探訪を、夏の一夜に堪能できました♪

Sky_2

ホールを出ると、こんなクールなスカイツリー。

幸せな気分を後押し。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2018年6月26日 (火)

「スカラ座のアバド」 ヴェルディ・オペラ合唱曲集 アバド指揮

Fl_1

 6月26日は、クラウディオ・アバドの誕生の日。

1933年ミラノ生まれ。

父も兄も、ミラノ・ヴェルディ音楽院の院長を務める名門の出自で、幼くして指揮者を夢見たナイーブな少年は、長じて、なるべくしてスカラ座の指揮者となりました。

ちなみに、兄マルチェロの息子、ロベルトも指揮者で、そのお顔も指揮姿も叔父クラウディオにそっくり。
クラウディオの息子ダニエーレは演出家で、生前、「魔笛」にて親子共演を果たしてます。

アバドの誕生日に、録音上のアバド&スカラ座の原点の1枚を聴きます。

P9216775

  ヴェルディ オペラ合唱曲集

 「ナブッコ」~祭りの飾りを
         行け、我が思いよ、金色の翼に乗って

 「トロヴァトーレ」~アンヴィル・コーラス

 「オテロ」~喜びの炎を

 「エルナーニ」~謀反人たちの合唱

 「アイーダ」~凱旋の合唱

 「マクベス」~しいたげられた祖国

 「十字軍のロンバルディア人」~エルサレムへ、エルサレムへ
                     おお、主よ、ふるさとの家々を

 「ドン・カルロ」~ここに明けた、輝かしき喜びの日が

    クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
                     ミラノ・スカラ座合唱団
             合唱指揮:ロマーノ・ガンドルフィ

                  (1974.11 ミラノ)


当ブログでは、この音盤について記事にするのは2度目。

アバドの誕生日に、何を聴こうか考えたときに、レコード時代、一番頻繁に聴いたものは何かなと考えたときに、この1枚がそれだった。

ちなみに、聴いた頻度の高いものを列挙すると、あとは、ウィーンでの悲愴、ベルリンとの1回目のブラームス2番、春の祭典、ショパンのピアノ協奏曲1番、ボストンとのスクリャービンとチャイコフスキー・・・・、こんな感じで、CDより、レコードの方が多く聴いてる。
すなわち、レコードが高価なものだったから、そうたくさん買えなかったし、買うならアバドだったから、こんな風になる。

       ------------

1968年にスカラ座の音楽監督に就任したアバド。
アバドのファンになってから、イタリアでのアバドの活動は、レコ芸の海外レポートを通じてしか知ることができなくて、ロンドン響とのロッシーニしかなかったオペラ録音に、いつ、スカラ座とヴェルディをやってくれるのか、それこそ首を長くして待ち望んだ、そんな高校生でした。
そこに登場したのが、この合唱曲集。
オペラ全曲盤ではないが、アバド&スカラ座のヴェルディへの渇望を満たすには充分すぎるほどの1枚で、私は喜々として、日々この1枚を何度も何度もターンテーブルの上に乗せたものです。

オペラ録音の主役はコストの関係もあって、ロンドンが中心となっていたなかでの本場イタリアの純正ヴェルディサウンド。
60年代初頭から毎年続いたDGへのスカラ座の録音も、65年のカラヤンとのカヴァ・パリ以来途絶えていただけに、74年のこの録音は、スカラ座としても久々のレコードとなり、楽員も合唱団も、気合十分。

そんなはちきれんばかりの意欲的な音が、冒頭のナブッコから満載。
みなぎる迫力と、輝かしいばかりの明るさと煌めき。
貧弱なレコード再生装置から、こんな音たちが、滔々とあふれ出してきたのです。
いまでも、あの高揚感をよく覚えてますよ。

いま聴いても、その想いは同じ。
ことに、男声合唱の力強さと、女声も含めた、声の明瞭さは、スカラ座合唱団ならではのもの。
オーケストラの精度も高く、アバドの統率のもと、一糸乱れぬアンサンブルであり、ほんのちょっとしたフレーズでも、雰囲気豊かで、アバドの指揮ゆえに、歌心もたっぷり。
オケも合唱も、ピアノ・ピアニシモの美しさは耳のご馳走でもある。

アバドは、マーラーを通じ、その音楽の高みを晩年には、自在さと透明感の頂点に持っていったけれども、一方で、ヴェルディの演奏を聴くと、生来のアバドの根源のひとつをも感じ取らせてくれるように思います。
 アバドのスカラ座との関係は、1986年に終止符を打ってしまいましたが、スカラ座からすると、ムソルグスキーやベルクばっかりに偏重する音楽監督は、芸術性の高さとは別に、大衆受けからは遠く、アバドからしたら、より自分の好きな作品を上演したいし、マーラーを主体としたシンフォニー作品をより探求したかったから、やむを得ない結末だったかもしれません。
 しかし、ファンとすると、こんなに素晴らしいヴェルディ演奏、このあと数年にわたり録音されたものを今もって聴くと、本当に残念なコンビの解消だと思います。
いまは残された、アバド&スカラ座のヴェルディに、ヴェルディ演奏の本物の神髄を味わうことができることに感謝しなくてはなりませんね。

心からありがとうございます、マエストロ・アバド。

Fl_2

CDでは、オペラ全曲盤からのものを含めた1枚が出ておりますが、それらは素晴らしい演奏ながら、全曲録音からの切り抜き。
本来のオリジナル盤の方が求心力高いです!

アイーダで、凱旋行進曲のトランペットが、右と左で、しっかり分かれて録音されているのも、この時代ならでは。
そんなシーンでも興奮しまくりの、若きわたくしでした♪

| | コメント (3) | トラックバック (0)
|

2018年6月10日 (日)

「グリーンウェーブコンサート 20th」

Greenwave2018

初夏の恒例、今年もグリーンウェーブコンサートに行ってまいりました。

20年の節目。

保土ヶ谷の高台、仏向町にあるハンズゴルフクラブで行われる、神奈川フィルのヴァイオリン奏者、森園ゆりさんのコンサート。
相方のピアニストは、こちらもすっかりおなじみになりました、佐藤裕子さん。

梅雨どきに行われるけれど、毎回、晴れ率が高く、ことさら今年は30度越えの暑い一日となりました。
でも、緑に囲まれ、ときおり、ティーショットの心地よい音が漏れ聞こえる、それが音楽の邪魔にならない、そんな爽やかなひと時が、毎年の楽しみ。

Greenwave20th

  1.シューベルト         「アベ・マリア」

  2.ベートーヴェン   ヴァイオリンソナタ第5番「春」  第1楽章

  3.ヴィエニャフスキ    創作主題による華麗な変奏曲

  4.ショパン         マズルカ op.33-4

  5.パガニーニ          「ラ・カンパネラ」

  6.シンディング     プレスト

  7.モリコーネ       ニューシネマパラダイス

  8.ヘス          ラヴェンダーの咲く庭で

  9.ブラームス      ハンガリー舞曲第5番

  9.サラサーテ       ツィゴイネルワイゼン

 10.森園康香       花の香り~アンコール

         ヴァイオリン:森園ゆり

         ピアノ    :佐藤裕子

           (2018.6.9 @ハンズゴルフクラブ)

何度目かの曲もあり、初の曲もあり、そんななかで、ご自身も解説されてましたが、毎回入れる、自分としての勝負曲、そして聴き手にも、聴く覚悟を迫る作品、それが3曲目のヴィエニャフスキ。
攻めの姿勢で、まさに華麗なテクニックも披歴もありましたが、この曲の陰りある部分もしっとりと聴かせてくれました。

毎回、よく練られたプログラム。
ドイツ初期ロマン派の爽やかさで始まり、ついで、ヴィエニャフスキとショパンのピアノ作品(佐藤さんの安定感あるピアノ、素敵でした)でポーランドの憂愁。

イタリアと北欧の、風土異なる作曲家ふたり。
ことにシンディングは、これまで何度も聴いてきたけれど、段々とシンプルに音楽だけがそこに鳴っているような感じになってきたように思うのは私だけでしょうか。

シネマ系の作品ふたつ。
映画好きでもあるワタクシの心に触れるステキな選曲。
望郷さそうニューシネマP、そして、大好きなラヴェンダーの咲く庭では、こちらも切ない主人公の思いが、美しく切々と奏でられました。
この2曲が、この日の一番のわたくしにとっても聴きもの。

最後は、エキゾティックなハンガリーもので、お客様も大喜び♪

楽しいコンサートのお開きのお決まりは、ドイツで活躍中の娘さん、康香さんのこの日のための新曲。
チャーミングだけれど、音の進行など、なかなかと思わせる小品でした。

オーケストラの一員としての存在と、こうしてソロコンサートを行うソリストとしての森園さん。
断続的に聴かせていただき、今年は、ことに内省的な音楽の掘り下げを感じました。
わたしのような凡人には、表現者たる芸術家が、とてもうらやましく思ったりもします。
心情や感情を、音楽にその想いを載せて発信できるのですから。

Greemwave2018

絵面はよくありませんが、こちらもお楽しみの軽食。

毎回、おいしゅうございます。

梅雨のひと休み、初夏の1日を楽しみましたよ。

過去記事

 「2011年 第13回」

 「2012年 第14回

 「2013年 第15回」

 「2014年 第16回」

 「2015年 第17回」


 「2017年 第19回」

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2018年6月 9日 (土)

ブラームス ドイツ・レクイエム シュナイト指揮

Hibiya_1

日比谷公園の中庭。

色濃い新緑が美しく、今年、早かった紫陽花も、この品種はちょうど見ごろ。

日本が梅雨に入る前、5月28日、ハンス=マルティン・シュナイトさんが亡くなりました。

享年87歳。

2009年に引退してドイツで静かにお過ごしだった。

神奈川フィルの音楽監督としてのシュナイトさんをたくさん聴くことができたことは、私の音楽生活のなかでも、とりわけ大きなものを占めるものです。

その神奈川フィルとの音源は、また機会をあらめて取り上げることとして、今回は追悼の気持ちをこめて、ドイツ・レクイエムを。

Brahms_deutsches_requiem_schneidt_2  Brahms_deutsches_requiem_schneidt_3

  ブラームス  「ドイツ・レクイエム」 op.45

      S:平松 英子    Br:河野 克典

  ハンス=マルティン・シュナイト指揮 シュナイト・バッハ管弦楽団
                        シュナイト・バッハ合唱団
            コンサート・マスター:荒井 英治

                     (1999.10.28 東京芸術劇場)

   S:平松 英子    Br:トーマス・バウアー

  ハンス=マルティン・シュナイト指揮 シュナイト・バッハ管弦楽団
                        シュナイト・バッハ合唱団
            コンサート・マスター:石田 泰尚
            協力:神奈川フィルハーモニー

                     (2008.4.25 東京オペラシティ)


ふたつのシュナイトさんのドイツレクイエム。
このうち、2008年の演奏会は、私も聴きました。
さらに、2007年の神奈川フィルの定期演奏会における、この曲の演奏会も聴くことが出来ました。

1997年に、東京フィルハーモニーのメンバーと協力のもと、設立されたシュナイト・バッハ管弦楽団。
毎年、日本にやってきて、この楽団と、バッハ、ヘンデル、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾーンと、独墺系の声楽作品を指揮。
 同時に、神奈川フィルへの客演も2001年頃からスタートさせ、年間2プログラムを指揮。そして、2007年から9年までは、音楽監督として在任。
思えば、音楽監督時代の3年間しか、私は聴くことができなかった。
もったいないことをしたものです。

幼少より聖トーマス教会の合唱団でスタートし、バッハの神髄を身につけ、さらには、カール・リヒターの急逝のあとの、ミュンヘン・バッハ管弦楽団の指揮者となった本物のドイツの宗教音楽の大家。
そればかりでなく、バイエルン国立歌劇場、ベルリン国立歌劇場、ヴッパタール劇場では総監督も、といった具合に、オペラ指揮者としても活躍をしていた。
以前に、幣ブログでも書きましたが、ヴッパタールでは、「ニーベルングの指環」も手掛けているんだ。

ドイツ音楽の伝統を受け継いだシュナイトさんの日本への思いは、暖かく、そして、日本人への見方もある意味的確だった。
いろんなもので読んだことの集約ですが、仏教が中心ではあるが、八百万の神がいる日本では、日本人はキリスト教もそのなかの一つ的なところもあって、宗教音楽への一次的なフィルターがなくまっさら、ゆえに指導のしがいがあった。
最後の演奏会で、シュナイトさんが語られました、世界は争いが絶えないが、日本人の仏教の心が平和を実現するのではないか。。。という言葉が印象に残る。
 そんな風に、日本を愛してくれたシュナイトさん。

氏の音楽には、「歌」と「祈り」が必ずその基本としてありました。
きれいなピアニシモにもこだわり、そこにも歌心が。
そして南ドイツ人らしい、明るい音色を好みました。
そして、指揮する後ろ姿には、いつも祈っているような、そんな印象が。

   ---------------

ルター訳の聖書からの聖句を用いたブラームスの「ドイツ・レクイエム」に、ルター派のシュナイトさんはとりわけ大きなシンパシーを感じていました。

99年の演奏と、08年の演奏、真摯な音楽への取り組みと、言葉ひとつひとつを大切に、そしてその意味をよくよく歌いこむ丁寧さ、さらに全体の明るい基調など、ともに共通したすばらしさです。
ただし、ふたつの演奏で、大きく違うのは、演奏時間。
99年(68分43秒)、08年(75分31秒)。
わたしの聴いた3年間は、シュナイトさんのとるテンポは、いずれも遅めで、この2つの演奏タイムを見ても、後年の演奏スタイルであったわけだが、年を経て、テンポが遅くなることは多くの指揮者にあること。
しかし、シュナイトさんの音楽は、掘り下げが、より入念に、より緻密になり、結果として、音のひとつひとつが、祈りの中に凝縮されるような感じが、いつもしていました。

99年盤は、全体に覇気もあり、張り詰めたような厳しさがあるが、08年盤の方は、合唱とオーケストラの精度がさらに向上。ホールの違いもあって、録音も素晴らしい。
そして、聴いていて音楽と自分の呼吸感が、次第に同化していって、いつしか清らかな気分に満ち溢れる、そんな感動に包まれるのが08年のシュナイトさんの優しいまなざしの「ドイツ・レクイエム」。

日本を、横浜を愛してくれてありがとうございました。
シュナイトさんの魂が永遠でありますこと、お祈りいたします。

演奏会観劇記録

神奈川フィル

「ブラームス ドイツ・レクイエム」
「ブラームス ヴァイオリン協奏曲、交響曲第2番」
「ブリテン シンプルシンフォニー、プルチネルラ、ベートーヴェン1番」
「ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲、ブラームス 交響曲第4番」
「未完成、4つの最後の歌、死と変容」
「ハイドン 熊 、田園交響曲」
「ブルックナー ミサ曲第3番」
「ブラームス セレナード第2番 、シューマン 交響曲第2番」
「ブラームス 交響曲第3番 、ヒンデミット 画家マティス」
「ブラームス 二重協奏曲 、交響曲第1番」
「ブラームス 悲劇的序曲、哀悼の歌、運命の歌、ブルックナー テ・デウム」
「ブラームス ハイドン変奏曲 シューマン チェロ協奏曲 ライン」
「シューマン マンフレッド、ピアノ協奏曲、交響曲第4番」

その他のオーケストラ

「魔笛、トルコ風、シューベルト 交響曲第9番」 仙台フィル
「ブラームス ヴァイオリン協奏曲、田園」 札幌交響楽団
「ブルックナー 交響曲第7番」 ジャパン・アカデミーフィル
「ドイツ・レクイエム」 シュナイト・バッハ管弦楽団
「ヨハネ受難曲」 コーロ・ヌオーヴォ
「ミサ曲 ロ短調」 シュナイト・バッハ管弦楽団

どのコンサートも、ひとつひとつが忘れがたい演奏。
神奈川フィルには、私が聴けなかったものが10回以上。

わたくしにも、神奈川フィルにも、ひとつの時代でした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

2018年5月27日 (日)

ヴェルディ 「リゴレット」 ボニング指揮

Azuma

つつじがまだ咲いていた頃の吾妻山より。

今年の桜は早かったけど、つつじも早かった。

でも色が濃くて、美しかった今年のつつじ。

今日は、日曜日、天気も上々、暑いし、そうだ、ヴェルディ聴こう!

Rigoletto

 ヴェルディ 歌劇「リゴレット」

    マントヴァ公:ルチアーノ・パヴァロッティ  リゴレット:シェリル・ミルンズ
  ジルダ:ジョン・サザーランド         スパラフチレ:マッティ・タルヴェラ
  マッダレーナ:ユゲット・トゥランジョー   モンテローネ伯爵:クリフォート・グラント
  チェプラーノ伯爵:ジョン・ギッブス     チェプラーノ夫人:キリ・テ・カナワ
  マルロ:クリスティアン・ドゥ・プレシス   ボルサ:リッカルド・カッシネッリ
  ジョヴァンナ:ジョセフィッテ・クレメンテ 

    リチャード・ボニング 指揮 ロンドン交響楽団
                     アンブロージアン・オペラ・コーラス
                                       合唱指揮:ジョン・マッカーシー

                (1971.6 @キングスウェイホール、ロンドン)


ヴェルディ17作目のオペラ。
よりドラマに劇性を織り込み、愛国心一辺倒から、人間の心情により切り込むようになった中期の作品。
このあと、トロヴァトーレ、ラ・トラヴィアータ、シチリアの晩鐘、シモン・ボッカネグラ、仮面舞踏会、運命の力・・・・と続いてゆく。
このあたりから以降が、いまも一番上演され、聴かれているヴェルディのオペラです。
1861年、フェニーチェ劇場で初演。

ヴィクトル・ユーゴーの「王は楽しむ」が原作。
有名な話だけれど、モーツァルトとダ・ポンテがフィガロの結婚で、貴族の身勝手をチクリと刺したように、ヴェルディは、上演禁止をくらっているユーゴーの戯曲に着目した。
ただ、それは王の横暴よりは、醜く、毒舌の道化師と、その美しい娘、その父娘の清らかな愛とその悲劇に着目したわけだ。

場所や立場は変えたものの、ヴェルディの描き出した愛憎あふれるドラマに付した音楽は素晴らしい。
公爵への愛を愛を諦めず、疑わないジルダに、娘の目を覚ますために、公爵がマッダレーナを誘惑する姿を見せつけ、悲しむ娘に復讐を誓うリゴレット。
この高名な四重唱の、役柄それぞれの異なる心情を、あの軽やかともいえるメロディにのせたヴェルデイ、ほんとにすごいと思う。

 でも、娘ジルダの優しさと深い愛は、さらに高次元だった。
急転直下のラストシーンに、呪いの恐怖と、なによりも娘を失い、ひとりとなったリゴレットの悲劇が浮き上がる仕組み。

極めてよくできたオペラだと思います。

   ----------------------

でも、懲りない女好きにすぎるマントヴァ公には困ったもので、観る側にとって、感情移入のしにくい役柄だ。
しかし、全盛期のパヴァロッティの朗らかかつ、あっけらかんとした美声と危なげない歌声を聴いちゃうと、憎めなくなる(笑)
この録音のあった1971年に、パヴァロッティは、NHKのイタリアオペラ団で来日し、マントヴァ公を歌っていて、私もテレビで見た記憶がうっすらとある。
この時の指揮は、マタチッチ。
マタチッチは、同時に、トゥーランドットも指揮していたので、これらのライブとか復活しないものだろうか。

あと、今日の音源で、実は一番好きなのが、ミルンズのリゴレット。
マッチョで、ヒロイックなミルンズの声が大好きで、さらに心情の襞の濃いカプッチッルリとともに、リゴレット役としてはすぐれたものの一つと思う。
意気軒高だった前半、しかし、娘をかどわかされ怒りを爆発させつつ涙を誘う、このあたりのドラマテックなミルンズはことに素晴らしく、すべてを失う悲劇に満ちた最後もいい。

サザーランドの美声も久々に聴くと新鮮なもんだ。
ときに機械のようで不感症チックに感じるときもあったが、そうでばかりでもないのかな、サザーランド。
ベルカント系が苦手だから、あまり聴いてこなかった歌手のひとりだ。

タルヴェラの美声のスパラフチレもいいし、今年、亡くなってしまったカナダのマッダレーナのトゥランジョー、いろんなオペラ録音にその名をみることが多かった。

思えば、主要なこの盤の歌手は、もうみな物故してしまった。
ミルンズは83歳で、まだ健在。
ロンドン響から、オペラティックな雰囲気の音を引き出しているボニングも、88歳ながら健在。

個性豊かな往年の歌手たちの時代、よかったぁ~

今は映像主体だし、劇場からも遠のいているから、最近の歌手たちを覚えきれないし、ロシア系やバルト系などの振興もあって、よけいにその名前をおぼられない焦燥の思いをいだいてます・・・・

久々の、休日のヴェルデイ。
気分がよかった。

Azumayama3

新緑が眩しい。

梅雨の足音も近い。

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

2018年5月 4日 (金)

序曲、前奏曲、間奏曲 スカラ座 シャイー指揮

Azumayama

連休前半の吾妻山よりの眺望。

相模湾に、箱根連山、そして富士。
そして被写体には入りきれないけれど、左は真鶴岬に奥は伊豆半島、右は丹沢に大山。

見通しよくて、青空もスッキリ☀

Chailly

   イタリアオペラ 序曲、前奏曲、間奏曲


ヴェルデイ     「一日だけの王様」序曲
ヴェルディ     「十字軍のロンバルディア人」第3幕への前奏曲
カタラーニ     「ラ・ワリー」第3幕への前奏曲
ロッシーニ     「試金石」序曲
ドニゼッティ    「パリのウーゴ伯爵」序曲   
ベルリーニ     「ノルマ」序曲
ジョルダーノ    「シベリア」第2幕への前奏曲
プッチーニ     「蝶々夫人」第2幕 間奏曲
プッチーニ     「エドガー」第4幕への前奏曲
ポンキエッリ    「ラ・ジョコンダ」 時の踊り
レオンカヴァッロ 「道化師」 間奏曲
レオンカヴァッロ 「メディチ家の人々」 前奏曲、第3幕前奏曲
ボイート      「メフィストフェーレ」 プロローグへの前奏曲


    リッカルド・シャイー指揮 スカラ座フィルハーモニー管弦楽団

                (2016.6 @アルチンボルディ劇場、ミラノ)


ミラノ生まれのリッカルド・シャイーが2017年より、スカラ座の音楽監督に就任。
その出自からも、スカラ座のポストに就くことは、いずれ予想はされていたこと。
アバドの元で、スカラ座で修行し、そこから羽ばたいていったシャイー。
そのポストも、いずれも腰掛けでなく、長く留まり、録音もふくめ、一定の成果をあげ、また次のポストに移動するといった優等生的パターン。

1982~89年 ベルリン放送響
1983~93年 ボローニャ歌劇場
1988~04年 ロイヤル・コンセルトヘボウ
1999~05年 ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ響
2005~16年 ライプチヒ・ゲヴァントハウス
2005~08年 ライプチヒ歌劇場
2016~     ルツェルン祝祭管
2017~     ミラノ・スカラ座

こんな感じのステッアップぶり。
デビューしたての頃、ベルリン放送響の時代は、イタリア出身の指揮者らしく、歌心も在り、爽快、明快、熱烈かつ緻密といった音楽に、いつもときめきを覚えて、シャイーをかなり聴いたもんだ。
 しかし、コンセルトヘボウの時代から、?と思い出した。
ハイティンクの時代にあった、あのふくよかなRCOサウンドが聴こえなくなった。
ゲヴァントハウスでも、ドイツの古豪のイメージを吹き消してしまった。
知的かつ合理的な音楽解釈は、見事でもありながら、面白みもなかったりする。
いつもセカセカしていて、素通りされてしまうイメージで、その姿がつかみにくい。。
などなどの不満を持つようになって久しい。

そんなシャイーも65歳。
アバドの跡を追うようにして、ルツェルンとスカラ座へ。
ルツェルンとのシュトラウスは聴いたけれど、ちょいと肩透かし。
でもさすがに、音楽の仕上がりのよさは抜群だった。
 そして、スカラ座就任記念の1枚は、イタリア・オペラの名作曲家たちの、ちょっと渋めの序曲・間奏曲集。
そう、こういの、わたくし、大好物なんですよーー

ベルリン放送響とのプッチーニ作品集を、いまもってシャイーの代表盤と思うわたくし、この1枚に、シャイーの並々ならぬスカラ座就任への意欲を感じました。
シャイーは、こういうのが一番いいし、彼のスタイリッシュなスタイルが、大仰にならずに、イタリアオペラの歌心をさらりと表出していて、とても爽やかなんだ。
 いずれのオペラも、スカラ座で演奏された演目ばかりを選曲。
ロッシーニからジョルダーノまで、必ずしも時代順で並んではいないが、19世紀のほぼ100年のイタリアオペラの作曲家のオーケストラ技法の一端を一望にして垣間見ることができる好企画でもあるんだ。
 弾むようなロッシーニに、思いのほかシンフォニックなドニゼッティやベルリーニ。
滴るようなヴァイオリンソロが聴かれるヴェルディのロンバルディア。
なかなかに、おどろおどろしい、そしてかっこいい、ボイート。
抒情的で、思わずキュンとなってしまうステキなプッチーニ。
わーーい、時の踊りに、小躍りしたくなる、スカラ座オケ、うめぇーもんだ!!
ジョルダーノやレオンカヴァッロのオペラは、もっと聴かれていいぞと思わせる、シベリアとメディチ。どちらも全曲盤を持ってます、いま聴き込み中。
そういえば、マスカーニやアルファーノ、モンテメッツィ、チレーアはないのね。

繰り返しますが、シャイーはこういうのが得意。
見知らぬオペラをイタリアものばかりでなく、もっと掘り起こして欲しい。

あと、シャイーのオペラの課題は、モーツァルトに、ワーグナーとシュトラウスでしょうな。
オペラに専念いただき、オケプロは、しばらく卒業ということで。
なんてこと書いたらシャイー・ファンに怒られそうだけど、シャイーのオペラが好きだからなんですよ。
 そう、あとその音楽性は、ティーレマンあたりと真反対かもです。

それから、そうそう、スカラ座は、バレンボイム以外は、ずっとイタリア人指揮者だったから、ムーティ以降12年ぶりのイタリア人音楽監督なんですね。
トスカニーニ18年、デ・サバータ24年、アバド18年、ムーティ19年、いずれも長いです。
シャイーにも長く務めていただき、スカラ座の黄金期をまた作り上げて欲しいと心より思います。


Azumayama_2

望遠鏡から富士山頂をパシャリ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2018年4月28日 (土)

ヴィヴァルデイ 四季 カラヤン指揮 

Shiba_1

もう、とっくに散ってしまった八重桜。

例年なら、GWまで楽しめることもあるけど、今年はつつじも南関東ではもうおしまい。

東北・南北海道まで北上した桜前線も足早やにすぎた。

3月の観測史史上、一番高かった気温の影響とも。

このようにして、日本の四季が、寒いのと、暑いのとに二分化されつつあるように感じます。

で、カラヤンの「四季」ですよ。

Vivaldi_karajan

  ヴィヴァルディ 協奏曲集 「四季」

      Vn:ミシェル・シュヴァルベ

 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                    (1972.8 @サンモリッツ)

で、カラヤンの「四季」です。

1973年春、「カラヤンの四季」が発売されたとき、わたくしは、アンチ・カラヤンの中学生だった。
強過ぎる巨人に対する反発にも似て、アンチを気取った中坊は、「カラヤンの四季」の登場に、「カラヤンよお前もか!」という思いで、おしゃれなジャケットには、大いに気を惹かれつつも手を出すことは、CD時代、かなりを経てから。

はいはい、そうですとも、オペラのカラヤンはずっと凄いと思ってましたが、オーケストラ作品でも、カラヤン様は凄いことを、酸いも甘いも噛み分けるようなオジサンになってから痛感いたしましたとも。。

そんな一環の「カラヤンの四季」。

イ・ムジチのを越えられないから、「四季」はやらない、ともされたけれど、一家に1枚ともされた当時の定盤、アーヨ&イ・ムジチ盤とは違う次元で、当時最高レヴェルのヴィヴァルディを作り上げたところがカラヤンらしいところ。

レガート多めの滑らかかつ、耳触りのよさが勝るところはカラヤンならではだが、サンモリッツの教会の豊かな響きを背景に、チェンバロの音色を控えめにして、ヴァイオリン・ソロと弦楽合奏の豊かな溶け合いの妙を、カラヤンは心憎いまでに聴かせてくれる。
いまの、古楽器や、ヴィブラート少なめの奏法からすると、豊饒にすぎるかもしれないし、ピッチも高めに感じるが、当時は、こんなニュアンス豊かな演奏がバロック音楽の一面でもあったように思う。
 こんないくぶんムーディーな四季もまた、ヨーロッパの貴族社会の目からみた「ヨーロッパの四季」のように感じる。
それは、宮殿や館の窓から見るような「四季」で、春には花瓶に美しい花が飾られ、夏の厳しい暑さや雷鳴は、石造りの館の中からはあまり感じない。
でも、豊饒の秋には、たくさんの収穫物がテーブルの上にはならび、狩りの犬の吠え声も遠い。そして、寒い冬は、あたたかい暖炉でぬくぬくと、窓の外は厳しいけれど。

こんな、四季もヨーロッパの一面だし、「カラヤンの四季」は、ともかく美しいのだ。

Shiba_2

日本の四季よ、なくならないで・・・・

| | コメント (9) | トラックバック (0)
|

2018年4月19日 (木)

バッハ ゴールドベルク変奏曲 フレデリック・ハース

Zoujyouji_1

ひとひらの桜の花びら🌸

咲いた桜も美しいが、散る桜も儚くも美しい。

急襲した暖かさは、例年になく早く桜や、春の花々を開花させ、あっという間に散らしてしまった。

四季のメリハリがますます遠のく日本に、どこか不安を覚える。

3~4月は、公私ともに忙しくて、まともに音楽を聴けず、季節の移ろいの速さもそれに加えて、焦燥感を抱いている。
いまもそれは継続中だが、早くに目が覚め、夜寝れない方への音楽を、早朝の目覚めに聴いてみた。

そして、やたらと清新な気分になった。

Goldberg_haas_2

    バッハ  ゴールドベルク変奏曲 BWV988

             チェンバロ:フレデリック・ハース

                 (2010.10 @アセス、ベルギー)


ハースは、1968年生まれのベルギーのハープシコード奏者。
12歳のときからハープシコードを弾き始め、名教授につき、その奏法や楽器の研究に携わり、現在はブリュッセルの王立音楽院の教授も務めているイケメンさん。
ヘレヴェッヘとも関係が深いとのことで、その録音の通奏低音などで参加しているかもしれない。

繰り返しを忠実に行い、全曲は77分。
しかし、この長さ、まったく長いと感じさせない。
学究肌の経歴ながら、そんなことを微塵も感じさせない瑞々しさにあふれたバッハ。
そして、それぞれの変奏にあふれる豊かなニュアンス。
安心して、ずーーっと聴いていられる。
過度に表現しすぎない、でも、しっかりとバッハの音楽の精髄を聴かせてくれるハースのゴールドベルクでした。

25番目の変奏曲がとりわけ深く、瞑想的に聴くことができました。

この演奏のあと、手持ちの音源をつまみ聴きしてみましたが、自由すぎるグールドをはじめ、ハープシコード版、ピアノ版、いずれもみんな全然違って聴こえるところが面白かった。
ハープシコードは、楽器による音色の違いもあるからなおさらに。
かようにして、バッハの音楽には、ともかくいろんな可能性と閃きがあふれているのだと、いまさらながに痛感した次第。

このハースさんの録音で使用されたチェンバロは、1751年のアンリ・エムシュ作のもの。
で、まさにこの古楽器を奏して録音した場所が、ベルギーのアセスにある城。

Chateaudelaposte  Cembalo_2

こんな画像を見ながら聴いたハースさんのゴールドベルク。

眠れぬ朝の夢想なり。

Zoujyouji_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2018年3月31日 (土)

ワーグナー 「パルジファル」 レヴァイン指揮

Azumayama_1

わがふるさとの麗しき季節の1枚。

先週の1枚ですので、桜はまだ三分咲きぐらい。

いまごろ、ピンク色に染まっていることでしょう。

花ひらく春。

今年の復活節は、少し早めで、聖金曜日が30日、イースターは、4月1日。

ということで、年中聴いているけれど、とりわけ、春のこの時期にふさわしい「パルジファル」。

けがれなき愚者が、目覚め、放浪をした末にたどり着く荒廃した聖杯の地。
聖なる槍が戻り、聖金曜日の奇跡が起こる。
まずは罪深き女に洗礼を施し、女ははらはらと涙する。
ワーグナーの書いたなかで、もっとも美しい音楽のひとつ。

バイロイトの戦後のパルジファルの演出は、7演目あり、伝統に根差した静謐なものから、2000年代になると、わたくし的には、激化、いや劣化も見受けられる内容になってしまった。(と思う)

聖金曜日のシーン(一部、そうと思われるシーン)。

Parsifal_3a

 ヴィーラント・ワーグナー 1951~1973

Wolfgang_1

 ウォルフガンク・ワーグナー 1975~1981

Friedrich

 ゲッツ・フリードリヒ  1982~1988

Wolfgang_2

 ウォルフガンク・ワーグナー 1989~2001

Shurugen

 クリストフ・シュルゲンジーフ  2004~2007

Herheim

 シュテファン・ヘアハイム  2008~2012

Laufenberg

 ウーヴェ・エリック・ラウフェンベルク 2016~

こうしてみると、緑系の色柄が多い。
春は、芽吹く季節だし、冬が終わり、春がやってくることは、信仰でも救いの証ともなる。

それを感じさせるのは、ワーグナー兄弟のものぐらいで、ほかはさっぱりで、情報過多の目まぐるしい演出の果て、疲れ切った聖金曜日の場面みたいに感じる。
そして、ワーグナー兄弟のときのパルジファルは、いずれも長く上演され、恒例行事のような、ひとつの儀式化した意味合いをも持つものだったが、不評すぎて打ち切られたシュルゲンジーフのもの以降、5年のサイクルになったようだ。
パルジファルに特別な意味合いをことさらに持たせることなく、リングも含めたほかの諸作品と同等の位置づけとなったとみてよい。

でも、自分は、古いものほど好きだな、パルジファルは。
静的・神的であって欲しい。
中東を舞台になんてしてほしくないし、政治色を入れると、すぐに色あせちゃうし。。。

  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

戦後バイロイトでのパルジファル上演を指揮者でみてみると、ダントツでクナッパーツブッシュ。

  クナッパーツブッシュ  13年
  レヴァイン         10年
  シュタイン          8年
  シノーポリ          6年
  ブーレーズ          5年
  ガッティ           4年
  ヨッフム           3年


あとは、2年以下、単年の指揮者も。
ティーレマンは、まだ1年度しかパルジファルを振っていないが、録音した2001年の演奏は実に素晴らしい。

クナに次いで、G・フリードリヒとウォルフガンク・ワーグナーの演出の指揮を受け持ったレヴァインの登場年度が10ということで、これはバイロイトのパルジファル史上でも画期的なこと。

手元には、1985年のバイロイト正規録音、1990年と1991年のバイロイト放送録音、1991、92年のメット・スタジオ録音があり、1週間かけて、そのすべてを聴き直してみた。

Parsifal_1985_3  Wagner_parsifal_levine_1

  ワーグナー 舞台神聖祭典劇「パルジファル」

  アンフォルタス:サイモン・エステス  ティトゥレル:マッティ・サルミネン 
 グルネマンツ:ハンス・ゾーティン   パルシファル:ペーター・ホフマン
 クンドリー:ヴァルトラウト・マイヤー  クリングゾル:フランツ・マツーラ

   ジェイムス・レヴァイン指揮 バイロイト祝祭管弦楽団/合唱団
                    合唱指揮:ノルベルト・バラッチュ
                               (85年7月バイロイト)

 
アンフォルタス:ベルント・ヴァイクル ティトゥレル:マッティアス・ヘレ 
 グルネマンツ:ハンス・ゾーティン   パルシファル:ウィリアム・ペル

 クンドリー:ヴァルトラウト・マイヤー  クリングゾル:ギュンター・フォン・カイネン

   ジェイムス・レヴァイン指揮 バイロイト祝祭管弦楽団/合唱団
                    合唱指揮:ノルベルト・バラッチュ
                               (90年8月2日バイロイト)

 アンフォルタス:ベルント・ヴァイクル ティトゥレル:マッティアス・ヘレ 
 グルネマンツ:ハンス・ゾーティン   パルシファル:ウィリアム・ペル
 クンドリー:ヴァルトラウト・マイヤー  クリングゾル:フランツ・マツーラ

   ジェイムス・レヴァイン指揮 バイロイト祝祭管弦楽団/合唱団
                    合唱指揮:ノルベルト・バラッチュ
                               (91年7月26日バイロイト)

 
アンフォルタス:ジェイムス・モリス  ティトゥレル:ヘンドリク・ロータリング
 グルネマンツ:クルト・モル      パルシファル:プラシド・ドミンゴ
 クンドリー:ジェシー・ノーマン     クリングゾル:エッケハルト・ウラシハ

   ジェイムス・レヴァイン指揮 メトロポリタンオペラ管弦楽団/合唱団
                    合唱指揮:ノルベルト・バラッチュ
                               (91年4、92年6月NYC)

それぞれ、ジェイムズ・レヴァインの41歳から48歳にかけての演奏に録音。
ほぼ4作均一、高度に練られた、そして音楽の初々しさと、ゆったりと流れる川に身を任せることのできる安心感を伴った演奏。
演奏時間の長短は、演奏の良し悪しには結びつかないが、レヴァインのワーグナーはテンポがゆったり。

    トスカニーニ                       4時間48分
    グッドール                         4時間46分
    レヴァイン(85年)               4時間38分
    レヴァイン(メット)         4時間32分
    クナッパーツブッシュ(62年) 4時間10分
    クナッパーツブッシュ(56年) 4時間19分
    ブーレーズ(70年)       3時間48分
    ブーレーズ(2005年)     3時間35分

均一といいながらも、当然にメットのオーケストラは機能的に完璧なれど、劇場空間もひとつの楽器のようになったバイロイトの雰囲気豊かなオーケストラの音色には遠くかなわない。
ひとりひとりの奏者の音色が明るく、技量的にも万全なれど、やはりドイツのオーケストラ奏者の奏でるちょっとしたフレーズにもかなわない。
 そして、ここでもバラッチュの合唱指揮はあるものの、メットの合唱団の言葉ひとつひとつはきれいすぎる発声で、さらりとしすぎている。
あと、なんたって、ドミンゴのパルジファルは、その彼のヴァルターと並んで、わたくしには異質で、テカテカと輝かし過ぎるし、ひっかかりの少ない滑らかな独語がどうも・・・・
あと、ノーマンの立派にすぎるクンドリーもおっかなすぎる。
モリスもウォータンみたいなアンフォルタスだし。。
 って、メット盤をけなしすぎるのは、やはり、バイロイトの録音が素晴らしいから。

レヴァインの明快で、よどみのない指揮は、バイロイトの劇場あってのものだと思う。
リングにおいても、シネマティックなメットの演奏よりも、ずっと大叙事詩然としていて勇壮なものだった。
 ホフマンのヒロイックかつ剛毅なパルジファルに、硬質な声で二面性を見事にうたったマイヤーに、年とともに深みを増していったゾーティンのグルネマンツなどは耳に馴染みとなりすぎて、安心の極み。
ザ・クリングゾルともいうべき歌手、マツーラもファンタスティックだし、早くに亡くなってしまったアメリカのヘルデン、ペルの91年盤は素晴らしい声だと思う。

ということで、現役指揮者で、もしかしたらもっともパルジファルを指揮している人、レヴァインのものをまとめて聴いてみた次第。

  ---------------------

というのも、去年暮れから音楽界に衝撃を走らせたレヴァイン・スキャンダルのことがあったから。
こんなに豊かな音楽を作り出していた人が何故?

デュトワの女性に対するセクハラ、レヴァインの同性に対するセクハラ。
アメリカ発のセクハラ訴訟パンデミック。
時効もなく、大昔のことまで掘り起こされる。
行き過ぎた問題意識の掘り起こしは、ときにいかがかと思うが、誰もが聖人君子のようにふるまわらなくてはならないのだろうか。
ことに、映画監督や音楽家、とくに指揮者のように多くの人を統率する立場の芸術家は、今後ますます萎縮せず、正々堂々と音楽に向き合っていって欲しいと思う。
ほんと、ややこしいことになったもんだ。

で、バーンスタインに次ぐアメリカ音楽界のヒーロー、レヴァインも告発を受け、メットからもその職を解雇され、一転ダークな存在へと化してしまった。
日本と同じように、アメリカのマスコミの報道も容赦なく、レヴァインが、メット解雇を不服として損害賠償を起こしているが、悪の親玉のような写真を使用されているし、告発者を取材し、卑劣な出来事を詳細に報道している。

告発の内容は、1965年から70年代初めへとさかのぼる。
告発者は、ヴァイオリン、ピアノ、ベース、チェロのそれぞれ男性の演奏者4人。
ジョージ・セルから、指揮者としての才能を認められ、その後クリーヴランド音楽院の学生だったなかから、20人ほどがそのレヴァイン(当時20~30代)のもとにアンサンブルオケとして集められた。(なかには、クリーヴランド管の首席チェリストL・H氏も)
そこでは、レヴァイン・ナイトと称する閉ざされた関係のなかで、音楽に対する献身と決意を求められた。
衣食住もともにし、暴力的な性的関係も求められたと証言している。
なかには、母親とどちらを選ぶかなど、極端な選択も強いられたと・・・・
もっとあるけど、ここでは書けない・・・・。

70年代初めと言えば、レヴァインがマーラーやヴェルデイのオペラで鮮烈なデビューを果たしたころだ。
80~90年代をピークに、その後、体調も悪くし、ミュンヘンフィルやボストン響の指揮者でもパッとせず、病気がちだったレヴァイン。
今回の件で、音楽界からは、完全に抹殺されてしまうことだろう。
メットのHPでは、レヴァインは名前だけで、その経歴など一切消されているし、同様に、デュトワもロイヤルフィルを首になり、HPから名前すら消えている・・・・

彼らの音源だけは残るわけだが、その残された音楽たちには罪はない。
でも、わたし、レヴァイン・ファンなの、デュトワ・ファンなのとは、言いにくいことになってしまった。
NHKも忖度して、彼らのCDは放送できないのだろうか?
レコード会社も、彼らのCDはもう販売しないのだろうか・・・うーーむ。
つくづく、ややこしいことになってしまったものだ。

今回のレヴァインのパルジファルのなかで、一番充実していて、気合の入っていたのが、91年の上演の第2幕だ。
酒池肉林のクリングゾル城の花の乙女たちの怪しさとクンドリーの悩ましさ、それは、新ウィーン楽派を先取りするような斬新さがあるが、その描き方が明快で、その後のパルジファルの神性への目覚めも鮮やかな演奏に感じるのだ。

今年の復活節は、誰もが持つ人間の内面に存在する罪の深さ、そしてその人間の営みの光と影、なんてことも考えたりもしました。

「マタイ」とともに、「パルジファル」、その内容と音楽の存在も大きいです。

Azumayama_9

| | コメント (5) | トラックバック (0)
|

«コルンゴルト シンフォニエッタ アルブレヒト指揮