数度目かのワーグナー全作シリーズ。
初期3作、オランダ人についで、ようやく「タンホイザー」
全作シリーズは、もういい歳になってしまった自分、きっと最後です。
2回にわけて、音源、舞台経験、映像とジャンルをわけて総括。
その前に、以前の記事から少し編集をして、作品の概要を。
オランダ人、タンホイザー、ローエングリンのロマンテックオペラ3作は、後期に花開くドラマムジークへの序奏でもあり、初期3作で試みた当時のオペラスタイル(ベルカント、国民オペラ+ブッファ、グランドオペラ)をさらに発展させ、ライトモティーフのさらなる活用や番号オペラの廃止で、ドラマと音楽がより緊密に結びつき、緊張感とロマン性が流れるように、しかもおのずとあふれる作品群となっている。
「タンホイザー」は、「タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦のロマン的オペラ」という長いタイトルが当初のもの。
パリからドレスデンに移ったワーグナーは、「リエンツィ」と「オランダ人」の成功でその地で宮廷指揮者の職を得て、順風満帆のなか、「タンホイザー」を仕上げた。
1945年のことで、初演は大成功。
その後、聴衆の理解をさらに深めるように改訂をして、これが「ドレスデン版」となる。
管弦楽作品として聴かれる序曲が15分間演奏され、その後ヴェヌスブルクの音楽が少し入る版である。
1861年にパリでの上演を依頼された際に、序曲の途中からヴェヌスブルクの音楽になだれ込み怪しいバレエを挿入したり、歌合戦の一部を割愛したのが「パリ版」である。
さらに、ドレスデンとパリの両版の折衷版が「ウィーン版」とも呼ばれ、これがまた「パリ版」などと称されているからややこしやぁ。
指揮者や演出家によって、いろんなミックスバージョンがあるから、さらにややこしい。
でも昨今はドレスデン版を基調に、バレエ軍団の活躍の場を広げるためにも、折衷版が主流になった感あり。
舞台でもCDでも、最後の場面は涙なくしては聴けない。
エリザベートの自己犠牲から、法王からは杖にした枯れ枝から芽が生えないように、お前の罪は消えることはない!と宣言されながらも、奇跡の発芽。
ここに流れる奇跡のような音楽は、あらゆる音楽のなかでも極めて感動的なものと思う。
ワーグナーの劇音楽作者としての天才性は、このあたりにも如実に表れている。
こうした人間にとっても普遍的な感動は、演出家にとって、極めてやりがいのあるもので、逆に昨今のなにかを付け加えなくては存在意義を失った演出家には、これまた絶好の素材となるのでした。
中世13世紀頃、神聖ローマ帝国にあったドイツ中部のテューリンゲンが舞台。
ミンネジンガー=吟遊詩人たちは、高尚な恋愛や騎士道を歌にして、城内や貴族館などで歌い演じていて、それは職業ではなく、従者や城仕えのサラリーマン、騎士、貴族などだった。
2幕のヴァルトブルク城での歌合戦では、美辞麗句、高尚なる古風な純愛、建て前ばかりにの歌を披露する騎士たち。
それを聴いて生ぬるい、俺はもっと愛を極め、酒池肉林の世界に行っていたことをカミングアウトしてしまうタンホイザー。
ローマ神話の愛と美をつかさどる女神であるヴェーヌスは、原始キリスト教においては、キリスト教を迫害する側のローマの神々であったし、それはカトリックにおけるマリア信仰と対をなす官能の女神として邪なる存在であった。
その世界におぼれてしまっていたタンホイザー。
キリスト教社会から足を踏み外してしまったアウトロー。
身バレしてしまったタンホイザーは即座に、異端のとんでもないヤツとされ凶弾。
しかし、そこへ身を挺して、必死に彼の命乞いをするのがエリーザベト。
この場面は、重なる年齢とともにその味わいが増ように思え、若い頃は大げさに感じたこのシーンが、人の痛みや苦しみを共感しようという高潔なヒロインの真摯な歌に心から感銘を受けるようになったと思う。
しかし、こうした献身的な女性の麗しい姿も、いまや女性差別の批判の的ともなります。
「自己犠牲」という言葉がいまやフラット社会やポリコレの対象となりかねない時代。
ほんとに、ばかやろうといいたい。
こんな風潮のもとにおもねって演出にそんな要素を入れてしまった連中、歴史の揺り戻しで、そんな思想は消されるときがくる。
だから言いますよ、ひねくりまわさずに、ト書きを中心とした演出に解釈をくわえればいいじゃんよ。
と、また怒りだしてしまうのですが、ここからは手持ちの音源を振り返ります。
①ゲオルグ・ショルティ指揮 ウィーン・フィルハーモニー (1970)
トリスタンとリングに続いてショルテイが録音したワーグナー。
デッカの鮮やかなゾフィエンザールでの録音芸術はここでも鮮やか。
レイ・ミンシャル、ゴードン・パリー、ジェイムズ・ロック、コリン・ムアフットなど、この当時のカルショウ後のお馴染みのデッカチーム。
シカゴでの指揮活動も本格化し、同時期にはマーラーの5番や6番も録音。
オペラ中心から、コンサート活動へとシフトしていった時期でもあります。
ゴリゴリの剛直な指揮から、柔和さも加わり、多彩な表現力を示すようになったショルティさん。
ウィーンフィルを締め上げずに、柔らかなホルンや管の持ち味も生きていて、このジャケットにあるようなヴァルトブルク城の幽玄な雰囲気すら感じさせます。
若いコロの貴重な時期の録音は、甘味すぎる声で、後年に舞台で観劇したときの頭髪も後退し、人生に疲れた味のある歌い口とは別人のようなのです。
さらに2014年に、ルネ・コロのさよならコンサートでも、ローマ語りは聴いたが、そこでの苦渋に満ちた歌いぶりに、この不世出のテノールの行きついた境地に感嘆したものです。
清廉なデルネッシュもいいし、ルートヴィヒの贅沢すぎるヴェーヌスもよい。
若いゾーテインの美声のヘルマンもいいが、ブラウンのウォルフラムはちょいと弱い。
ピッツとバラッチュの指導する合唱も強力。
②ウォルフガンク・サヴァリッシュ指揮 バイロイト (1962)
61年から始まったヴィーラント・ワーグナーの演出2年目のライブ。(過去記事をコピペして編集)
ドレスデンとパリの折衷版ともいえるウィーン版。
バレエの振り付けにモーリス・ベジャール、ヴェーヌスに「黒いヴェーヌス」として評判をとったグレース・バンブリーが歌ってセンセーションとなったが、いまではあたりまえのことで、隔世の感あり。
でもサヴァリッシュの指揮は、いまでも鮮度が高く活気に満ちている。
音楽がどこまでも息づいていて、それがドラマにしっかり奉仕していて気の抜けたところが一瞬たりともない。
この素晴らしい緊張あふれる指揮ぶりは、同時期に担当したオランダ人とローエングリンにも共通して言えることで、時にその意欲が空転してしまいオケが走りすぎてしまうところもある。
サヴァリッシュのこの清新な指揮ぶりは、後年若さによる踏み外しがなくなり、さらに磨かれつくし知的でスタイリッシュな音楽造りになっていく。
この頃のヴィントガッセンは歌手としてピークで、その後のベームとのトリスタンやジークフリートは絶頂期からややピークを過ぎたあたり。
ここで聴くタンホイザーの声は威勢もよく、ドラマティックな威力も抜群で、意気揚揚とヴェーヌスに三行半を叩きつけ、歌合戦でも夢中だし、ローマ物語もヤケのやんぱちになってしまうところが凄まじい迫真の歌唱となっている。
ライブゆえの傷もややあるが、最後までスタミナ十分なところも当時の大歌手の実力をまざまざと見せつけてくれるもの。
若きシリアの夢中の歌唱、友愛のヴェヒター、安定のグラインドルに加え、バンブリーのコクのある以外にも深みのある声が素敵なものだ。
③ヨーゼフ・カイルベルト指揮 バイロイト(1954)
戦後51年に再開したバイロイト音楽祭、タンホイザーは54年がプリミエでヴィーラント演出、そのライブ。
録音はかなりいい方です。
この年やカイルベルトとともに、ヨッフムも指揮を担当。
カイルベルトの逞しく気力あふれる指揮は、リングやオランダ人の音盤と同じで、古めかしさは一切なし。
音の決まり方が気持ちよくって、こちらの耳にタンホイザーの音楽のあるべきものがバシバシ飛び込んでくる。
1幕でのタンホイザーと旧友たちとの邂逅の熱さ、その後の盛上りは、猛然とアッチェランドをかけかなりのスピード感でもって興奮させる。
2幕は華やかさなどは微塵もなく、後半の感動的な場面では、ともに泣くかのような思い入れを込めた演奏。
一転3幕の、澄んだ空気に悲劇を予見させる前半は、じっくりと歌い上げていて、ニュアンス豊かなF・ディースカウの名唱とともに味わいが深い。
そして、「ローマ物語」からは、ヴィナイの重戦車のような大迫力タンホイザーもあいまって、大いなる感動をもたらし、最後の巡礼の合唱では感涙にむせぶこととあいなったが、やや尻切れトンボのように豪快すぎる終わり方。
前述したヴィナイの悲劇の固まりのようなタンホイザーがよろしい。
④アンドレ・クリュイタンス指揮 バイロイト(1955)
54年がプリミエのヴィーラント演出の翌年のライブはクリュイタンスが担当。
このヴィーラントのプロダクションは、2年間で取下げとなり、次のタンホイザーは61年のサヴァリッシュ指揮のものまで間が開くことになる。
バイエルン放送局の正規音源なだけあり、カイルベルト54年盤より音は数段よろしい。
クリュイタンスのタンホイザーは個性的である。
かなりゆったりと美しく旋律を歌いながら始まる。
しかし、バッカナールの場面では、かなり強烈な響きとなるし熱い。
全般にテンポを微妙に揺らしながら、強弱も付けながら、単調に陥らない素晴らしい表現力でもって攻めまくる。
2幕の後半のタンホイザーの罪を請うエリーザベトの歌に始まる重唱などは、古い演奏にあるようにごちゃごちゃ混濁せず、見通しがよく、盛り上がりも清潔な。
3幕、エリーザベトを送る静かななシーンでは、そのしなやかさが印象的で、最終の場面では、テンポを絶妙に落とし、ジワジワと感動を盛り上げてくれる。
実にいいタンホイザーなのだ。
全盛期のヴィントガッセンは、同年リングでもフル活躍しているから、そら恐ろしいタフネスぶりである。
そして、その気迫に満ちた野太い声は実に説得力に満ち引き込まれる。
FDのウォルフラムが素晴らしく声に華があり、一語一語に心がこもり、同情を歌で表現できている。
クリュイタンスは次のヴィーラントのタンホイザーでも65年に指揮をしているが、そのときの音源は発売されていない。
クリュイタンスのバイロイトでの指揮は、このタンホイザーと、ローエングリン、マイスタージンガー、パルジファルで、いずれも聴くことができる。
⑤オットー・ゲルデス指揮 ベルリン・ドイツ・オペラ (1969)
過去記事より~このレコードが出た時、新世界でぞっこんだったので「おっ、ケルテスじゃん」と思ったら「ケ」じゃなくて「ゲ」だった。
「ゲ」の方のゲルデスは、DGのプロデューサーとして、おもにカラヤンの録音に多く携わっていた人で、「リング」など多くのレコードにその名前がクレジットされている。
もともとは指揮者でもあったので、同時期に、ベルリンフィルを指揮して「新世界」やバンベルク響とヴォルフ、ベルリン・ドイツ・オペラとオテロ抜粋などを録音している。
余計なことはしていないし、音楽の良さも正直に伝わってくるからよしとしよう。
ただし面白みは少なめ、聴いていて、そこでこう、あーもっとこうして、という思いが捨てきれないのも事実。
最初から疲れたヴィントガッセンのタンホイザー。
ギンギンに威力漲る二役のニルソンに押されいて、「頼むから許して下され」的な、哀れさそう1幕。
このお疲れモードのヴィントガッセンのタンホイザー、3幕のローマ語りでは、多大な効果を発揮する。
さんざん辛酸を舐め、人生に疲れ切った男の苦しげな独白はあまりに堂に入りすぎていて同情すら誘う。
すっかり大人となったFDのいい人だけど、ウマすぎるウォルフラム、気品あふれるアダムのヘルマンをはじめ、端役にもラウベンタール、ヒルテ、ソーティン、レンツなどの実力派をそろえた豪華なもので、歌の魅力ではタンホイザー諸盤に引けを取らない。
⑥オトマール・スウィトナー指揮 ベルリン国立歌劇場 (1982)
当時は完全東側だったベルリンのシュターツカペレを長らく率いたお馴染みのスウィトナーは、N響への客演に合わせ、オペラの引っ越し公演にオケとの来演に、もう何度日本にきてくれたでしょうか。
85年には、日本でもタンホイザーを上演してくれて、NHKの放送も入って、そのときのエアチェック音源も大切にしてます。
こちらは本拠地でのライブ放送の音源で、音質も問題なくきれいなステレオ録音です。
自在さと、以外なまでの燃焼度の高さをみせるスウィトナーは、やはり劇場の人なのだと思わせます。
いつも言いますが1幕の最後が短縮版なので、期待が萎えてしまう恨みはありますが、全編にわたり、オペラを知り尽くした指揮者が全体を統率していて、すべてに一体感を感じる。
スウィトナーは快速テンポで、あの飄々とした指揮ぶりで、よどもなく音楽を進めますが、ぎっしりと音が凝縮していて密度は濃く、ここぞというときの迫力はなみなみでなはない。
この音盤のありがたみは、あとなんたって、スパス・ヴェンコフで、その声の太さと力強さ、ノーブルな輝きとほの暗さ。
タンホイザーとトリスタンのためにあるような声です。
歌手のまとまりの良さも劇場でのライブである強み。
この時の映像がyotubeにもありますので、そちらも確認済みです。
⑦ベルナルト・ハイティンク指揮 バイエルン放送交響楽団 (1985)
ハイテインク初のワーグナーは「タンホイザー」
ずっと連れ添ったコンセルトヘボウでなく、音楽監督の任にあったコヴェントガーデンでなく、ミュンヘンのオーケストラだった。
以前より常連だったが、この頃を境に、バイエルン放送響とはさらなる蜜月となり、定期的にコンサートに招かれ、レコーディングでも起用されるようになったオーケストラ。
魔笛とリング、ダフネと、あまりに素晴らしいレコーディングもなされた名コンビ。
そのイメージがある方ならば、聴かずともわかる理想のミュンヘンのワーグナーサウンドが、ここにある。
この中世のドイツの物語をベースにいた手堅いオペラ、ハイティンクとバイエルン放送は理想的なオーケストラサウンドでもって完璧に再現してる。
オーケストラとして完全無比の演奏であるけれど、そこに歌がありドラマがあるとなるとちょっと浅い。
ハイティンクの人の好さとか温厚さが、この頃ではまだ音楽に厳しさや、オペラに必須のドラマ性を再現しきれていない。
数年後のリングの充実とはまた違った「ハイティンクのワーグナー」は、ともかく美しく完璧です。
大好きなルチア・ポップの清々しいエリーザベトに、ドイツの深い森を感じさせるマイヤーのヴェーヌスも素晴らしい。
しかし、ケーニヒのタンホイザーがオッサンにすぎる、これが一番の難点なハイティンク盤なのでした。
⑧ ダニエル・バレンボイム指揮 ベルリン国立歌劇場 (2001年)
80年代以降、ワーグナーの手練れとなったバレンボイムは、その頃からトリスタンとパルジファル、リングといった後半の作品ばかりを指揮していて、前半のロマンティークオペラはあまり指揮してなかったはずだ。
ベルリン国立歌劇場を引き継いだ1992年から2023年までの長期にわたる活動のなかで、ワーグナーの全作品を取り上げたマエストロ。
私たちになじみのあったスウィトナーのタンホイザーから18年。
東から西へ、タンホイザーも自由の名のもとに、その音楽も刷新された感が、スウィトナーとバレンボイム、ふたつの演奏を聴いて感じることができる。
政治的な時代背景の変化と国の在り方の変化、東と西、その違いを音源で聴き分けるのは至難の技ですが、陰りの失せた、曇り空のないワアーグナーの音はここに感じます。
しかしですよ、一方でスウィトナーが巧ますして聴かせていたドイツの森や篤い宗教心のようなものはなく、完璧な音楽表現のなかに失われてしまった部分かと思う。
ザイフェルトの覚醒的なタンホイザーがすばらしく、あのころに売り出し中だったイーグレンは脂肪分過多で歌がぼやけ気味。
でも他の歌手はめっぽうすばらしく、マイヤーさんに、ハンプソンの贅沢ウォルフラムなど。
録音がすばらしく、歌手とともに、めっぽう素晴らしい。
手持ちの音源は以上で、バイロイトでの記録はエアチェック済だから購入してない。
カラヤンの演奏記録、シノーポリのDG録音は見入手であります。
なんでドミンゴだよ・・という不満で聴く気になれないのであります。
さて次は、映像部門、エアチェック音源部門にまいります。
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