2022年12月 4日 (日)

ラヴェル ダフニスとクロエ ハイティンク指揮

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初冬の夕暮れの海岸。

西の空は淡く暮れ、遠景は箱根の山々。

海の夕焼けは、子供のときから大好きでした。

夜明けの音楽だけれど、今日はダフニス。

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  ラヴェル バレエ音楽「ダフニスとクロエ」

   ベルナルト・ハイティンク指揮 シカゴ交響楽団

        (2007.11.8~10 @オーケストラホール)

ダフニスとクロエは演奏会では第2組曲が主流で、ネット放送の海外演奏会でも第2組曲ばかり。

でも自分では、ダフニスは全曲版と決めております。

ラヴェルの管弦楽曲集をやるとなると、第2組曲をラストに持ってくるのが一番盛り上がる。 

しかし全曲版をコンサートのメイン、後半に持ってくるなら、前半の選曲に多彩な選択ができるし、50分あまりの光彩陸離たるラヴェルならではの音楽絵巻は充実のコンサートを約束すること間違いなし。

かつて経験した小澤征爾と新日フィルのライブでは、前半がヴェルディの「聖歌四篇」というユニークなプログラム。
小澤さんといえば、サンフランシスコ響と凱旋したとき、Pゼルキンとブラームスの1番の協奏曲にダフニス全曲。

こんな具合に意味深いプログラミングができるダフニス全曲。

今回のハイティンクとシカゴの前半は、このCDにも納められたプーランクのグロリアでした。

ハイティンクはラヴェルを得意としましたが、なかでもダフニスとクロエは大好きだったようで、30代の若き頃にコンセルトヘボウと第2組曲を、40代に今度は第1と第2の組曲。
さらに50代にロンドンフィルとの全曲版ライブ録音、60歳でボストン響と全曲、78歳でシカゴ響と全曲。
このように、ずっとダフニスを指揮し、録音も残してきました。

最後の録音であるシカゴ盤は、ともかく録音がよすぎて、ダイナミックレンジがむちゃくちゃ広い。
静寂の美しさを楽しもうとボリュームをあげて聴いてると、突然にリアル巨大な音塊が襲ってきて、とんでもなくびっくりしてしまう。
最高の装置なら難なくピアニッシモからフォルティシモまで均一に味わうことができるだろうが、我が家ではそうはいかない。
この録音の良さが、シカゴ響のべらぼうに巧い技量のほどを見事にとらえていて、ハイティンクの目指すシンフォニックなダフニスの魅力をあますことなく味わうことができます。
ハイティンクのダフニスは、ラヴェルの精緻な音楽をスコアを信じて、そのままに音にしたかのようで、舞台が目に浮かぶようなストーリーテラー的な表現はありません。
ともかく、いつものハイティンクらしく、真摯にラヴェルに取り組み、さりげなくも堂々たる演奏を完遂してしまう。
オーケストラの全幅の信頼と尊敬をもとになりたつ、指揮者として最高のレヴェルに立った存在としてなしうる芸術行為であろう。

前奏からして水際経つオーケストラの美しさと透明感、場面の変転は大らかながら、安心感があり、音楽の流れに身をまかせるだけでいい。
このあたりの安定した音楽づくりがハイティンクのよさだろう。
ベートーヴェンもブルックナーもマーラーもみんなそう。
ボリュームの操作さえ間違えなければ、最高と安定のオーケストラサウンドを堪能できるハイティンクのダフニスです。

続いてボストン響との演奏を聴くと、シカゴとはまったくちがったオーケストラの味わいがある。
ながらく培ったラヴェルの演奏の伝統が染みついたオーケストラの馥郁とした音色は、中間色に強みのあるハイティンクの指揮にばっちり。
シカゴにない味わいが醸し出されているのがボストン盤。

ロンドン・フィル盤は未聴。
70年代のコンセルトヘボウ盤は、まさにフランドル調の渋いけれど、耳に優しく柔らかくも柔和なラヴェルサウンド。
華やかさとは無縁の絹折れの世界。
できれば、コンセルトヘボウと79年頃の、このコンビの最盛期にも全曲録音を残してほしかった。

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ハイティンクのラヴェルはいい、好きです。

クープランの墓、高雅で感傷的なワルツ、古風なメヌエット、マ・メール・ロワなど、コンセルトヘボウ盤が最高に好きなんです。

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2022年11月19日 (土)

R・シュトラウス 「サロメ」 グリゴリアン、ノット&東響

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ジョナサン・ノットと東京交響楽団によるコンサート・オペラ、R・シュトラウス・シリーズ第1弾。
「サロメ」を聴いてきました。
コロナ前に、モーツァルトのダ・ポンテ三部作も同じく手掛けたコンビ。
衣装は通常のドレスで、椅子を据えただけで、簡潔な演技でオーケストラの前や後で歌う形式。
演出監修は、サー・トーマス・アレンです。

なんたって、いま、サロメを歌い演じたら世界一とも思われるアスミク・グリゴリアンの日本デビューでもありました。
ミューザとサントリー、どちらに行こうかと悩んだが自身のスケジュールからミューザに。
ほんとは両方とも聴きたかった。

 R・シュトラウス 楽劇「サロメ」

   サロメ:アスミク・グリゴリアン      
   ヘロデ:ミカエル・ヴェイニウス
   ヘロディアス:ターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー    
   ヨカナーン:トマス・トマッソン
   ナラボート:岸浪 愛学 ヘロディアスの小姓:杉山 由紀
     ユダヤ人:升島 唯博      ユダヤ人:吉田 連
   ユダヤ人:高柳 圭   ユダヤ人:新津 耕平
   ユダヤ人:松井 永太郎  カッパドキア人:高田 智士
   ナザレ人:大川 博    ナザレ人:岸波 愛学      
   兵士  :大川 博    兵士  :狩野 賢一

  ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団

    演出監修:サー・トーマス・アレン

     (2022.11.18 @ミューザ川崎シンフォニーホール)

100分間、金縛りあったように、まんじりとせずに聴き入り、そしてステージでのグリコリアンに釘付けとなりました。
黒いタイトなドレスをまとったグレゴリアンのサロメ。
椅子に腰かけながら歌う場面がなくても舞台の進行のなかでも放つ存在感。
それは気品をまといつつ、または不安を覚えるようでもあり、足を組みつつ尊大であったりと歌わなくてもサロメを演じてました。
そしてひとたび声を発すれば、ホールを圧し、ホールの隅々までに届く強靭さを示す。
登場してナラボートにすがりつつ欲求を満たさんとする少女のサロメも、ヨカナーンを見て欲望の虜になっていくサロメも、ここでは恋をしたような恋情も感じさせた、こんなサロメの揺れ動きを歌でもって見事に表出。
ビビりまくりの義父へダンスの報酬を要求する「ヨカナーンの首を」という数度の返答も、たくみに歌いわけ、最後通告ではしびれるほどに強く、有無を言わせぬ強烈さがあった。
そしてもちろん、最後の長大なモノローグでは繊細なまでにヨカナーンへの恋情を切々と歌い、しかも熱狂の虜となってしまったように、狂える達成感を歌い上げてみてホール全体を熱く、熱くしてしまった!
強大なほどの声のレンジを感じさせ、どんなにノットがオーケストラを煽っても、それをも超えて響いてくるグリコリアンの声。
強さと繊細さ、声による巧みな表現能力。
ここまでやられちゃうと、受け取る側も疲弊してしまう。
そんなにまですごかったグリコリアン様でした。

2018年のザルツブルグ音楽祭でのサロメを視聴して彼女の特異な才能と美貌に魅入られた次第。
その後、さかのぼって「エウゲニ・オネーギン」のタチァーナ、「エレクトラ」のクリソテミス、「イエヌーファ」「オランダ人」のゼンタ、「賭博者」のポリーナ、「三部作」の3人のヒロインなどを聴いてきた。
やはり、一途な思いの役柄が得意なようで、感情移入が巧みな彼女ならではの歌と演技が、いずれも素晴らしいと思った。
リトアニア出身でご亭主はロシア出身の演出家ヴァシリー・バルハトフ 。
初来日の彼女、日本を好きになっていただいたようで、彼女のサイトを見てみたら「I Love Japan」と書かれていて、抹茶アイスの写真などが添えられてました。
カーテンコールでも、人をたてつつ、でしゃばらず、ステージマナーの所作もステキな彼女でした。

グリゴリアンとジュネーヴで共演歴のあるノット監督率いる東京交響楽団。
日本のオケがこんなに輝かしく、分厚い音と繊細な音色でもって、シュトラウスの万華鏡のような変幻自在の音楽を巧みに表出できるなんて!
ノットの指揮する東響もほんとに素晴らしかった。
歌手たちと事前に細密に打ち合わせてのことだろうが、しかしこの日のノットは思い切りオケを鳴らしていた。
それに負けない歌手たちだろうと踏んでのことだろうし、上に響くバランスのいいミューザのホールの特性も頭にいれてのことだろう。
サントリーでの公演はまた違ったアプローチをするかもしれない。
ピットの中では見ることのできない巨大編成のオーケストラが、分奏したり、打楽器がそんなところで、とか、ともかくコンサート形式のオペラでのビジュアルの喜びも堪能。
スコアで確認したい、ヨカナーンの首を落とすところは、オケ団員が床を踏んで鳴らしていた。

驚きの太っちょヘルデン、ヴェイニウス。
大きなお腹にもかかわらず、思いのほかスマートですっきりとした明快なヘルデン。
すっとこどっこいぶりは薄めだけれど、この必死なヘロデの声は思いのほか力強く耳に届いた。
ワーグナー諸役を持ち役にしているようで、新国あたりでうまく起用したらいいかと思った。

トマッソンのヨカナーンは、P席の横で、オケの上、斜め右で歌った。
ここからの声がホールを圧するすごさで、ブリリアント。
そう輝かしいヨカナーンだった。
オケのステージに降りると、グレゴリアンの声は通るのに、トマッソン氏の声がオケに混濁してしまうこともあった。
聴く位置にもよるかもしれないが、それだけグリコリアンの声がすごかった。
トマッソンは、バレンボイム・ベルリン・チェルニアコフ「パルジファル」でユニークな心優しいバーコード頭のクリングゾルを歌ってます。

バウムガルトナー、たぶん初聴きですが、この人の声もよく耳に届き、凛とした真っ直ぐな声のメゾでした。
ワーグナー諸役ではフリッカとオルトルートを得意役としているようで、こうした歌手はほんとに貴重だし、好きですね!

がんばった日本の歌手たち。
直前にナザレ人からナラボートにまわった岸浪さん、リリカルなお声だったけど、ナラボートの必死さをよく歌ってましたし、ほかの諸役、いずれも安心して聴けるレヴェルです。
こうしたみなさんが、日本のオペラをしっかり支えてくださり、日本各地でクラシック音楽を広めてくださる。
裾野は広く、レヴェルはともかく高いと認識です。

トーマス・アレン卿の演技指導は、ともかく的確で余剰な動きなしで、音楽を阻害しないもの。
ヨカナーンをともかく遠くに置き、手の届かない存在に見せつつ、サロメが興味深々になると手が触れるくらいまでに近づける。
こうした空間の活用はうまいし、各人が椅子に座りながらも何気に表情や演技で歌以外でも参画しているのも、コンサートオペラが無味乾燥にならずに息づいて受け止められることで演出が関与する意味合いがあるというもの。
アレン卿、カーテンコールでグリコリアンに促されて出てきて、ダンスをするなど、相変わらずお茶目でした。

サロメをヘロデが断罪したあと、急転直下のエンディングとなりますが、その瞬間ホールの照明は落とされ、一瞬の暗闇となりました。
最後にも驚愕の感銘が。

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アレン卿に、グリコリアン、きっとのノット監督の人脈でしょう。
ほんとにありがたいことです。
2023年5月は「エレクトラ」が予定されてます。

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ミューザは音がいい。

この日、東海道線で事故があり、ミューザの最寄り駅の川崎駅では各線の混乱が生じた。

あと一本あとだったらたどり着かなかった。

このコンサートも10分遅れでスタート。

ともかく久しぶりの演奏会だし、無事に聴けたし、とんでもなく素晴らしい「サロメ」を堪能しました。

過去記事

 「サロメ」 視聴しまくり、聴きどころ、見どころ

 「サロメ」 二期会公演

 「サロメ」 新国立劇場

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2022年11月13日 (日)

ホルスト 「惑星」 マリナー指揮

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ある日の西の空の三日月。

実家に移動して来て、窓の外は毎日空が見渡せます。

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徒歩7分の海に出れば相模湾で、シーズンオフには人っ子ひとりいない静かな海を独占できる。

移転して1年も経たないうちに、都会の空は遠い存在となってしまった。

コンサートなんておっくうで、帰りのことを考えると嫌になっちゃう。

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     ホルスト 「惑星」

 サー・ネヴィル・マリナー指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

      (1977. 6.22~24  @コンセルトヘボウ)

懐かしい1枚を。

みんな物故してしまった私の好きな指揮者4人衆のひとり、マリナー卿。
92歳、現役真っ最中で亡くなって、もう6年。
ただでさえ膨大な数のマリナーのレコーディング、まだまだ聴いていない録音もたくさんありますし、愛聴盤でも当ブログで取り上げていない録音もいくつもあります。
聴いていない代表は、ハイドンのネイムズシンフォニーとモーツァルトの交響曲、セレナーデ集など。
あと、愛聴盤の代表が、この「惑星」でした。

大学時代に発売されて聴きたくてしょうがなかったけれど、学生時代ギリギリに、なんとエルガーのエニグマと2枚組で限定発売された。
それこそ、飛びつくように大学の生協で購入し、評判だったその録音の良さに、若き自分は狂喜乱舞した。

ハイティンクですっかり馴染んでいたコンセルトヘボウのオーケストラの音色と、コンセルトヘボウのホールの響きが、フィリップスの超優秀な録音でもって、しかも大好きな「惑星」が月夜が窓から見渡せる部屋の自分の安い装置から、素晴らしい音で鳴り響いたのでありました。

いつも書いていることですが、アナログ時代最盛期の70年代後半のフィリップス録音はすべてが素晴らしいと思う。
コンセルトヘボウ、ボストン、ロンドン、ロッテルダム、スイス、いずれの録音会場でもクオリティの高い録音がなされていた時期。

レコード発売時のレコ芸の若林駿介さんの録音評をいまでも覚えてます。
打楽器の音が強すぎるが残響が豊かで音に艶がある・・・的な内容だったと記憶します。
CD化されたこのアナログ録音ですが、まさにそうで、加えて刺激的な強音を感じさせないで、オケの音のダイナミックな強さを体感させてくれる、いまでも素晴らしい録音だと思います。

マリナーの指揮、相変わらず丁寧で不器用なまでに指揮棒を振り分けているのがわかる丁寧な指揮。
作品が実によく書けているから、フルオーケストラ演目を指揮し始めたころのマリナーの素っ気なさもかえって新鮮に感じるし、むしろ演出過多の演奏よりずっと客観的な惑星っぽい。
イギリスのオケでも聴いてみたかったけど、ここでのコンセルトヘボとの驚きの組み合わせは成功としかいいようがないです。
分厚い響きに暖かな音色は、当時、金管に木管に名手ぞろいの奏者たちの巧みな演奏も加わり、誠に心地よく素晴らしいものです。

マリナーの「惑星」は1976年に東京フィルに来演したおりに、NHKFMで放送され体験済みでした。
日本のオケに初登場の50代になったばかりのマリナーさん。
この当時は、マリナーといえばアカデミーという具合に自身が創設した室内オーケストラでの活動をメインにしつつ、ロンドンのフルオーケストラなどへの客演を初めていた時期で、東フィルもいいところに目を付けたなと思ったものです。
 その後のマリナーのフルオーケストラへの進出と躍進ぶりは、もうここに記すまでもないでしょうあ。
いま思えば、ベルリンフィルとウィーンフィルからは呼ばれなかった(はず)。
これもまたマリナーたるゆえん。

マリアーの清涼感あふれる上品で美しい「惑星」。
秋の日に、懐かしい思いとともに聴きました。

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失敗した皆既月食の写真。

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おまけ

「惑星」ジャケット選手権

わたくしの偏見でもって選んだ惑星のナイスなジャケット。
左上から時計回りに、①プレヴィンLSO、②メータLAPO、③ショルティLPO、④バーンスタインNYPO、⑤マリナーACO、⑥ハイティンクLPO、⑦小沢BSO、⑧ノリントンSRSO、⑨プレヴィンRPO、⑩ラトルPO

レコードだと大判なので、音楽を聴くとき、スピーカーのうえに立てて聴くと、雰囲気もとてもあがりました。

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2022年11月 9日 (水)

ベルリオーズ レクイエム プレヴィン指揮

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9月の彼岸にはピークを迎える彼岸花。

毎年、同じ場所に、同じ時期にちゃんと朱にそまって開花する。

立冬を過ぎたいま、いまさらの写真ですが赤が怖いほどに美しいので。

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  ベルリオーズ  レクイエム op.5

 アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン・フィルハーモニック
              ロンドン・フィルハーモニック合唱団

      T:ロバート・ティア

            (1980.4 @ウォルサムストウ)

ベルリオーズ(1803~1869)の34歳、1837年の作品。

フランス革命後40年を経て、復古を繰り返した帝政・王制のなかで最後の王制を敷いた王様、ルイ=フィリップ1世。
その治世1830~48年の間、暗殺未遂事件が起きてしまい犠牲者が出てしまった。
その犠牲者追悼のためフランス政府は慰霊祭を計画し、その音楽を若きベルリオーズに委嘱した。
このレクイエムはそのときに作曲されたもの。
しかしながら、この追悼式は政治色が強く、王制が復興してしまったことへの市民感情を紛らわす意図もあった。
結局、慰霊祭の規模が縮小されたり、若い作曲家がなんぞや的なこともあり、演奏は流れてしまう。
しかし、同年アフリカ戦線アルジェリアでダンレモンという将軍が戦士し、その追悼でという名目をとりつけ初演にこぎつけることができた。
そんな経緯を経て生まれたレクイエム。

シンバル10、ティンパニ10人、大太鼓4、バンダ4組・・・・、という途方もなくバカらしい巨大な編成がオリジナルのこのレクイエム。

①レクイエム・キリエ → ② 1 怒りの日 → 2 ミゼレーレ 
 → 3 レクス・トリメンダ →
 4 怒りの日 → 5 ラクリモーサ 
③奉献唱 1ドミネ・イエズス  2 ホステイアス

④サンクトゥス  ⑤アニュス・デイ 

ベルリオーズのことだから、そしてその巨大な編成から、さぞかしすさまじい大音響なんだろう、とやたらと期待しつつFM放送を録音したのが小澤&ベルリン・フィルのライブで、いまをさること高校生の頃。
小澤さんは、70年代、ダイナミックな指揮ぶりでもって、こうした巨大な編成や長丁場の作品を暗譜でもってわかりやすく指揮することで、欧米諸国でも引っ張りだこだった。
いま思えば、そんな巧みなスキルを持ったスマートな指揮者ってあまりなくて、とくにアメリカでバーンスタインに次ぐ存在として重宝されたのも理解できること。

巨大で大音響のとんでもない作品だと思い込んでいた。
(過去記事の引用)ティンパニとラッパが鳴り渡るトゥーバ・ミルムのド迫力はすさまじいもので、カセットテープでは音がびり付いてしまい、どうしようもなかった。
そんな大音響の場面は、全曲の中のごく一部だともわかった。
 このレクイエムは、抒情と優しさに満ちた美しい音楽なのだと、何度もそのカセットテープを聴いて思うようになった。

CD時代になって、スピーカーの破綻を気にせずに、ボリュームを上げ下げしながら気にして聴くことがなくなった。
その組み合わせとレーベルの珍しさからずっと聴きたかった「ミュンシュ&バイエルン放送、シュライヤー」のDG盤をまず購入。
剛毅さと歌心を併せ持ったこの名盤は、いまもってこの曲の最高の演奏だ!
その後、バーンスタインの巨大な演奏も聴いた。
コンサートでは、ゲルギエフが日本のオケを振った演奏も聴き、大音響よりは抒情に傾いたスタイリッシュな演奏に驚いた。

CD時代初期に、ロンドン響を巣立ったプレヴィンが驚きのロンドン・フィルとの録音を行った。
ロンドン・フィルが各レーベルで引っ張りだこだったハイティンク時代末期。
ロイヤルフィルに行く前のプレヴィンとの一期一会的な録音がこのベルリオーズだった。

教会での演奏を想定してかかれたレクイエムであることを、しっかりと感じさせる響きの豊かさ。
でも決してムーディじゃありません。
祈りの音楽としてある、このベルリオーズのレクイエムの立ち位置を意識させる真摯な演奏。
ベルリオーズの本質、巨大サウンドではなく、それは全体の一部で、本来は歌に溢れた抒情味。
そんなベルリオーズの姿を見せてくれるプレヴィンは、この巨大な曲でも優しい微笑みを感じさせてくれる。
ロンドン・フィルの金管のマイルドな響きが、刺激的でなく優しく聴こえ、ロンドンのオケ付合唱団でも当時ぴか一の存在だったフィルハーモニー合唱団も暖かくふくよかな歌声だ。
 ティアーのテノールはやや知的に過ぎるかな。
でもこの声を聴いて、あのティアーの顔を思い出してしまうくらいに、ロバート・ティアはイギリスのテノールの顔だった。

ラストのアニュス・デイにおける平和、平安に満ちる安らぎと終末感は数あるレクイエムのなかでもベルリオーズは随一かもしれない。
カンプラに遡り、フォーレ、デュリュフレにいたるフランス系のレクイエムの流れのなかに、しっかりベルリオーズもあることをいまさら認識しました。

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ベルリオーズのレクイエム、ほんとに美しく抒情的な音楽だと思った。

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2022年10月30日 (日)

プロコフィエフ 「賭博者」 バレンボイム指揮

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壮絶なる夕焼け。

こうした燃えるような、焼けるようなダイナミックかつ濃厚な夕焼け大好きです。

自宅からの夕焼けであります。

プロコフィエフ(1891~1953)の作品シリーズ再開。

いまさらながら、プロコフィエフの生まれた場所を調べてみたら、もっか話題のウクライナ、ドネツク州のソンツォフカという村だった。
ウクライナ→ロシア→ソ連→ウクライナ(→)ドネツク
こんな風に変遷を繰り返す場所で、ムリ無理に親ロシアの共和国として独立承認させてしまったばかり。
でも西側からしたら、ウクライナです。

略年代作品記(再褐)

①ロシア時代(1891~1918) 27歳まで
  ピアノ協奏曲第1番、第2番 ヴァイオリン協奏曲第1番 古典交響曲
  歌劇「マッダレーナ」「賭博者」など

②亡命 日本(1918)数か月の滞在でピアニストとしての活躍 
  しかし日本の音楽が脳裏に刻まれた

③亡命 アメリカ(1918~1922) 31歳まで
  ピアノ協奏曲第3番 バレエ「道化師」 歌劇「3つのオレンジへの恋」

④ドイツ・パリ(1923~1933) 42歳まで
  ピアノ協奏曲第4番、第5番、交響曲第2~4番、歌劇「炎の天使」
  バレエ数作

⑤祖国復帰 ソ連(1923~1953) 62歳没
  ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第5~7番、ピアノソナタ多数
  歌劇「セミョン・カトコ」「修道院での婚約」「戦争と平和」
 「真実の男の物語」 バレエ「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」
 「石の花」「アレクサンドルネフスキー」「イワン雷帝」などなど

年代順にプロコフィエフの音楽を聴いていこうという遠大なシリーズ。

まだ①のロシア時代で、この時代のモダニスト的な先鋭ぶりが実に面白いところだ。

コロナ禍における引きこもり生活で、海外から日々流されたオペラストリーミングの数々のなかで、ばっちり目覚めてしまったのがプロコフィエフのオペラ。
そんななかで、一番ピピっときたのが「賭博者」でありました。


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  プロコフィエフ 「賭博者」

①のロシア時代の作品で、1916年の完成。
1909年18歳のプロコフィエフは、ドストエフスキーの自伝ともいうべき「賭博者」を読んで、その内容に魅せられた。
1915年にロンドンに渡り、ディアギレフに出会ったときも、オペラ化を考えていた「賭博者」を提案したものの、断られ、ロシアっぽいバレエを書きなさいということで、「アラとロリー」や「道化師」が生まれることになる。

イギリス音楽好きとしてはなじみ深い指揮者で、当時キーロフ劇場にいたアルバート・コーツから、あらためて「賭博者」のオペラ化をすすめられ着手したのがディアギレフに断られたすぐあとで1916年にはスケッチが、翌17年には全曲が完成。
これまで天才的に評価され成功を重ねてきたプロコフィエフだが、すんなりと初演にはいかなかった。
1918年キーロフ劇場での初演は、おりからの2月革命の影響で歌手たちが、プロコフィエフの難解なスコアをろくに練習ができず難しすぎると訴え、さらには劇場も暴動などを恐れキャンセルされてしまう。
さらにはその年の5月、プロコフィエフはロシアを出ることを決断し、シベリア鉄道で日本経由でアメリカへと向かう。
「賭博者」のスコアは、キーロフ劇場に残されたままで・・・

ロシアを離れて9年、革命10周年を契機に、プロコフィエフはソ連に演奏旅行のため一時帰国するが、多忙な演奏会の合間にブレイクしていた若きショスタコーヴィチのピアノ演奏に接し感嘆している。
そして、朋友であった演出家メイエルホリドの提案で、「賭博者」の改定に乗り出した。
ヨーロッパに拠点のあったプロコフィエフが次にソ連に一時帰国をしたのが1929年で、2年前の帰国ではさほど感じなかったスターリン体制の息苦しさを体感することになる。
第1次5か年計画の挙国一致の機運が文化・芸術の分野にも波及しはじてており、反モダン・反ジャズ・反西欧・反古典を標ぼうする「RAPM」(ロシア・プロレタリア音楽同盟)という組織が音楽界を牛耳る動きを示していた。
メイエルホリドはプロコフィエフに事前に、こうした環境下にあると危機感を手紙で送っていたが、プロコフィエフは楽天的にとらえていたようだ。
プロコフィエフの2度目の帰国は、RAPMの連中にとって、やっかいな人物の登場と捉えられ、キーロフ劇場での「賭博者」の初演に横やりをいれて、中止にしてしまう。
この2稿版での初演は、ベルギーのモネ劇場でフランス語訳で同年に初演され大成功をおさめ、2年間のロングランとなったそうだ。
ソ連での上演は遅れること1963年、ロジェストヴェンスキーの指揮でのことだった。
いま上演される「賭博者」は、この第2稿によるものがほとんどで、初稿は2001年に同じくロジェストヴェンスキーによってなされていてCD化もされているが入手難の様子。

 プロコフィエフ 「賭博者」

   アレクセイ:ミッシャ・ディディク
   ポリーナ :クリスティーネ・オポライス
   将軍   :ウラディーミ・オグノヴェンコ
   バブレンカ(お婆様):ステファニア・トツィスカ
   公爵   :シュテファン・リューガマー
   アストレー氏:ヴィクトール・ルート

   ブランシェ:シルヴィア・デ・ラ・ムエラ
   ニルスキー王子:ギアン・ルカ・パゾリーニ
   ブルメールハイム男爵:アレッサンドロ・パリアーガ
   ポタピッチ:プラメン・クンピコフ
   カジノ責任者:グレプ・ニコルスキー

  ダニエル・バレンボイム指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団

                ベルリン国立歌劇場合唱団

   演出:ディミトリー・チェルニアコフ

         (2008.9.5 @ベルリン国立歌劇場)

場所:架空のヨーロッパのリゾート 、ルーレッテンバーグ

時間: 1860年代

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グランドホテルの庭で、将軍の家族の家庭教師であるアレクセイは、侯爵に借金をしている将軍の姪であるポリーナに会う。
アレクセイはポリーナを愛しており、宝石を資金にしてギャンブルをするという彼女の指示を実行し、お金を失ってしまう。
将軍は、若いブランシュに夢中で、侯爵、そしてイギリス人のアストリー氏と一緒。
彼の損失について尋ねられたとき、アレクセイは自分の貯金を失ったと言い、収入がそこそこある人はギャンブルをするべきではないと叱られるが、アレクセイは、辛辣にお金を節約するという考えを見下したように言う。
アストリー氏はめずらしく思いアレクセイをお茶に招待する。
その後、将軍はモスクワの叔母バブレンカ(ポリーナの祖母です)から電報を受け取ります。
 ポリーナは、侯爵への借金を返せないことに不満を感じている。
ポリーナはアレクセイに彼の愛を証明し、公園に座っているドイツの男爵夫人をバカにすることによって、彼が本当に彼女のために何かをするかどうかを確認するように要求。
アレクセイは男爵夫妻を小ばかにした行動をとり、男爵の怒りを買ってしまう。

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ホテルのロビーで、将軍はアレクセイの行動を非難。
アレクセイは悔い改めず、将軍は彼を家庭教師として解雇のうえ、スキャンダルの流出を防ぐために侯爵の助けを得ようとします。
ブランシュは以前に男爵に融資を求めていましたが、それは男爵夫人を動揺させた経緯があり、男爵夫妻の社会的地位が高いため、将軍は必死となる。バブレンカから遺産の分け前を受け取るまで、将軍はブランシュにプロポーズできない。
アレクセイは、ポリーナが自分の相続分を受け取ると、侯爵が彼女を引き渡そうとするだろうと考え始めます。

侯爵は将軍に代わって現れ、アレクセイの行動を和らげようとします。
アレクセイは、侯爵が小学生のように振る舞うのをやめるように要求するポリーナからのメモを作成したので侯爵を軽蔑し、怒って去る。
侯爵は将軍とブランシュに、アレクセイを追い払うのにに成功したと告げる。

将軍はバブレンカの死ぬことを予見し喜ぶが、その直後、彼女が健康でホテルに到着、彼女の声が聞こえた。
彼女はアレクセイとポリーナに愛情を込めて挨拶しますが、すぐに将軍たちを見抜き冷たくあしらい、お前には遺産はあげないと言いのける。
彼女は病気を克服したのでスパで休んでギャンブルをする予定なのだ。

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カジノでバブレンカ は、ルーレット で 負け続ける。
将軍は意気消沈し、ブランシュとのチャンスが減るのを恐れおののく。
侯爵がバブレンカがどれだけ失ったかを話した後、将軍は警察を召喚することを提案しますが、侯爵は彼を思いとどまらせる。
アレクセイが到着し、将軍と侯爵はバブレンカのギャンブルでの損失を食い止めるために彼の助けを求める。
次に、ブランシュの別の潜在的な求婚者であるニルスキー王子が到着し、将軍はバブレンカを失うことをさらに恐れる。
ブランシェはニルスキーと一緒に出発しまう。
アレクセイは、バブレンカが経済的損失を被った後、ポリーナの家族がどうなるのかと思い悩む。
バブレンカは資金を使い果たし、モスクワに帰りたがっている。
バブレンカはポリーナに一緒に来るように頼むが断る。
将軍はバブレンカを嘆き悲しみわめく。

4

ホテルの部屋で、アレクセイは侯爵からの手紙を持っているポリーナを見つける。
侯爵は抵当に入れた将軍の財産を売却すると言い、ポリーナのために5万を許し、侯爵は彼らの関係が終わったと見なすと書いてきた。
ポリーナは、これが彼女に対する侮辱として強く感じており、侯爵の顔に50,000の金を投げつけたいと激しく言う。
アレクセイは、ポリーナが彼に助けを求めたことを非常に喜ぶ。

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カジノに駆けつけたアレクセイは、幸運に恵まれ、20回連続で勝ち、銀行を破綻させてしまう。
常連客はアレクセイの勝ちに勝つすごさについて興奮。
アレクセイは勝利のあと大金を得て自分の部屋に戻りますが、ディーラーや他のギャンブラーの声が聞こえ続けます。
彼を待っていたポリーナに、侯爵に返済するための資金を彼女に提供する。
彼女はこれを拒否し、自分の体と引き換えにお金を受け取ることを主張し、彼が本当に彼女を愛しているかどうか尋ね、ふたりは情熱的に抱き合う。
ところがポリーナは自分の行動を即時に後悔し、アレクセイがお金を渡すと、彼女はそれを彼の顔に投げ返しそれを使い果たす。
走り去るポリーナ、残されたアレクセイは、カジノでの彼の成功を狂気のように思い出したたずむ・・・・・

            

原作者ドストエフスキーもルーレットで多額の負債を負い、自作の版権を担保に借金をすることになるほどだった。
このオペラもほぼドストエフスキーの原作に忠実な内容となっているようだ。
温泉保養地で繰り広がられる色恋ギャンブル沙汰。
多くの映像作品も見たが、出演者はみんな酒とタバコは手放さず、放蕩の限りだ。
これもまたロシア人の姿か。
わかっちゃいるが、とことん行く、止まらない。
しかし、最後は「愛情と金は引き換えにはならない」のだ。
そこで救われるが、女心はわからない。

ここにつけた若きプロコフィエフの音楽は、洗練さとともに、禍々しさと激しさも満載で、リズム感とスピード感あふれる音楽には、その繰り返し的な効果もふくめ、聴く側に表現は不適切ながら中毒症状にも似た快感を与えてくれる。
とくに、4幕のカジノシーンは、その切迫した音楽が賭博に興じる主人公やギャンブル客の興奮を熱狂的に見事に描いている。
アリアなどは一切なく、全編がレシタティーボで出来てるような音楽劇であります。
冒頭に奏される旋律が、このオペラのキモとなっていて、陶酔的で、最後のクライマックスでいい感じに出てきて惹きつけられること受け合いだ。
そして、いまでも通じる内容でもあるので、設定を置き換える演出も、ここぞとばかりに取り組み甲斐いのあるオペラである。

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チェルニアコフの演出は、こうした作品では抜群の切れ味を示す。
ホテルのロビーを真ん中に据え、左にはアレクセイの部屋、右は客室、真ん中は通路になっていて、その奥はガラスの回転ドアがある。
ジャケットのゲームマシンに興じるねーちゃんは、この通路でカジノシーンで登場するもの。
そのカジノ会場は、ホテルのロビーだったところが、キンキラになって、タバコの煙がもくもくする気密性の高い部屋へと変貌する。
こうした舞台装置もチェルニアコフは毎度自分で考えて制作しているので、だいたいパターン化してくるが、先のベルリン・リングではお金もかかったろうが、最高に緻密な舞台ができあがっていた。

登場人物たちは、完全にドラマの主人公のようで、その所作はオペラの舞台で演じているのでなく、映画の登場人物のようですらある。
心理描写にたけた演出家らしく、事細かにその所作にも意味あいがつけられているし、その動きが現代人であるわれわれの日々の生活の延長みたいにも感じる。
さらに歌わない登場人物も多くいて、主人公たちの背景でそれぞれが会話したりしている姿もずっとあって、これがまた全体のフレームのなかでリアル感を打ち出すことになっている。
「孤独のグルメ」で主人公の背景で、ほかの客が食べたり話したりするのが映っているけど、まさにあんな感じでリアルなんです。
カジノシーンの緊張と没頭感は人々の巧みな心理描写を背景にした動きで見事に表出。
4つの演出で舞台映像を観たが、カジノシーンはこのチェルニアコフが一番見事だった。

しかし、リングのときも書きましたが、そのオペラの全体像をしっかり把握したうえでないと、理解が追い付かないのも事実。
かなりのお勉強も必要でした。
ということで同時に、ゲルギエフのマリンスキー劇場での上演も観てますが、こちらは抽象的だけど簡潔なのでわかりやすい。
しかし、なにもなさすぎて、スカスカに感じてしまうのも寂しいものだ。

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歌手たちはいずれも素晴らしく、アレクセイを得意役とするディディクの渾身の演技に歌は文句のつけようがない。
そして悲劇的な役柄を歌わせては抜群のオポライスのシリアスな歌声は、女優のようなその美貌とともに魅せられる。
オグノヴェンコの将軍さまも、ユーモラスさとともに、頑迷さをよく歌いこんだバスだった。
懐かしいトツィスカの傍若無人も面白く、相変わらずド迫力の声でユニークなものだ。

ベルリンでバレンボイムは、驚きのレパートリーを築いたが、そのひとつがプロコフィエフ。
「賭博者」とともに、「修道院での婚約」も上演しているし、R・コルサコフの「皇帝の花嫁」、ムソルグスキー「ボリスゴドゥノフ」らのロシアものを、いずれもチェルニアコフと組んでいて、いかにバレンボイムがこの演出家を気に入ってるかがわかる。
そのバレンボイムの指揮、オーケストラもウマいもので、プロコフィエフの音楽を重厚かつダイナミックに描いてみせた。
さばさばと流れてしまうゲルギエフよりは、メリハリもあっていいと思った。

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正規録音では唯一のゲルギエフ盤。
1996年の録音で、キーロフ劇場でのロシアオペラ録音を精力的に行っていた時期の記録。
まず音がよくて、プロコフィエフが若い頃から精緻な音楽を書いていたことがよくわかる。
一気呵成に聴かせてしまう勢いがあり、劇場の雰囲気も豊かだが、ロシアでの演奏であればもっとがっつりと逞しく図太くあってもよかった。
スタイリッシュにすぎるかも。
 映像でも視聴、歌手ではビジュアルも歌も素敵なカゾノフスカヤのポリーナがいい。
アレクセイのガルージンが力強くクセもある声だが、見た目がオッサンにすぎるので、ディディクに比べるとキツイ。

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1974年のボリショイ劇場でのライブでステレオ非正規盤。
非正規にしてはリブレットも充実していて変な話だけど本物っぽい。
指揮はラザレフで、録音はさえないが、オケの響きは太くとくに金管もロシアっぽく力強い。
全般にゲルギエフよりもはるかにロシアしてる演奏で、狂気の塩梅もよろしい。
70年代のソ連を代表する歌手たち、この頃はロシアオペラの来演はボリショイ劇場だったから、きっと日本にもやっきたはずのメンバー。
マスレンニコフのアレクセイが破滅的にすごい。

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2017年のウィーン国立歌劇場上演。
コロナ禍の世界のオペラ劇場のストリーミング大会の恩恵を受けて視聴。
これより前のベルリンでのチェルニアコフの映像もベルリンのストリーミングで見ていたけれど、このウィーンの上演でこの作品のドラマと音楽を把握できた次第。
 アレクセイはベルリンと同じディディクで、年月を経てさらに歌唱に磨きがかかり、ギャンブルへの取り憑かれ具合も増して威力を増した。
ポリーナは親しみを持てるロシアのエレーナ・カセーヴァで、わたくし彼女が好きなんですが、西側での活動を継続してるみたいで安心した。
バブリンカには、かつてのブリュンヒルデ、おなじみのリンダ・ワトソンが演じていて味わいが深いです。
指揮はシモーネ・ヤングで、これがまたいい。
シモーネ女史はウィーンでの近代オペラの指揮を一手に引き受けていて、ピットないでの生き生きとした指揮姿はウィーンフィルでも散見されるメンバーを夢中にさせるナイスなものです。
音楽もキレがよく、すみずみまで明快です。
強いて言えば、どす黒さのなく健康的すぎることでしょうか。
その演奏が寄り添ったのがカロリーネ・グルーバーの演出で、ドラマの本質は変えず、多彩な表現で個々の人物や出来事に意味付けを行う。
穏当ながら大胆な解釈もあり、ラストシーンでは驚きがあった。
カジノシーンでは、アレクセイは悪魔に変身する途上で、人間の心を人々が集団的に失っていく様が回転する回り舞台でよく表現されている。
グルーバーとヤングのコンビは、真夏の夜の夢でも傑作を生みだしてるし、わたしも二期会のルルでその演出を体感したばかり。
 DVD期待、いきなりチェルニアコフでなく、ゲルギエフでもなく、こちらから鑑賞するのがいいかもしれない。
ウィーンのプロコフィエフは甘くて酸っぱいのだ。

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2019年にリトアニア国立歌劇場で上演された映像を期間限定で観ることができた。
これがチェルニアコフばりの上下左右を巧みにつかった空間活用演出で、時代設定も現代そのもので、いまに生きる「賭博者」そのもの。
演出家はヴァシリー・バルハトフという30代のロシア人で、その夫人はなんと、いまをときめくアスミク・グリコリアン。
その彼女がポリーナを演じていて、これまた深みのある演技と強い声で持って舞台をけん引している。
しかし、それ以上の演出家のアイデアが秀逸で、リゾートホテルをドイツの廉価なホステルに変え、そこに集うカジュアルな平服を着た人々へと設定を変えた。
ホテルのロビーはコインランドリーに格下げとなり、舞台はそこからスタートするしEUをもじったような政治的な主張もはいる。
ポリーナは子連れで、もしかしたら姪っ子かもしれないが、この女の子の所作が可愛くてときに舞台をさらってしまう。
分割された空間=部屋を見事に生かして、キッチンの様子やテレビでゲームに興じる女の子、マックのPCでネットサーフィンをするアレクセイなど、実に今風でリアル。
バブリンカはモスクワ旅行から帰ってきた風で、みんなに安いスーベニアを配っていて、そのすべてが細かすぎでよく出来ていて笑える。
驚くべきはカジノが、オンライン化されていて、世界中のいろんなユーザーと同時対戦をして勝ち抜くことになり、そのメンバーたちの悲喜こもごもが拡大されたスマホ画面に映し出されること。
アレクセイが勝った証左は、PCで確認というまさにリアル現代。

アレクセイのドミトリー・ゴロフニンもカジュアルな身のこなしがナイスな歌手でロシア臭のないスマートぶり。
ラストシーンも斬新。
モデスタフ・ピトレナスという若いリトアニアの指揮者も才気煥発な感じで実によろしい。
バルト三国は、非ロシアであり、ロシアのエッセンスももったヨーロッパの国々だ。
ロシアの演奏家を聴けなくなったいま、この三国は救いだ。
リトアニアの賭博者、めちゃおもしろかった。

 というわけで、すっかりプロコフィエフの音楽にやられちまっている状況で、夢のなかでも賭博者鳴ってますぜ、やばいよ。

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もう夢、見ませんように。

秋の夕景は美しい。

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2022年10月22日 (土)

ワーグナー 「ニーベルングの指環」 ティーレマン指揮

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ワーグナーの本場、ドイツはやはりすごかった。

昨年はベルリン・ドイツ・オペラでヘアハイム演出でリング4部作が上演完成し、今年はバイロイトで延期になっていたリングの通し上演がなされ、賛否両論を巻き起こす騒ぎとなりました。
またシュトットガルトでも順番に上演中で、さらにこの10月にはベルリン国立歌劇場でも1週間のうちにリングを通し上演する新演出公演がなされました。
指揮は当然に、この劇場に君臨してきたバレンボイムで、監督になって30年目、11月の80歳の記念上演となるはずでした。
今年の2月頃から体調がすぐれず、キャンセルを繰り返してきたバレンボイムですが、夏に復調を見せたにもかかわらず、医師から深刻な神経疾患ゆえリングの指揮にストップがかかりました。
バレンボイムはこれを機に、今後のこの劇場での指揮もふくめ、指揮活動も見直す発言をしてわれわれを驚かせました。

その代役といってはあまりあるほどの大物ティーレマンが選ばれ、ティーレマンとしては故郷ベルリンの老舗での指揮ということになり、3回のチクルスのうち2回を指揮することとなりました。
のこり1回は、この劇場の副指揮者でバレンボイムの弟子筋でもあるグッガイス。
彼は、ヴァイグレの後任としてフランクフルトオペラの音楽監督となる有望株です。

全4作がネット配信されましたので、すべてを喜々として聴いてみました。

演出はバレンボイムのお気に入りのチェルニアコフで、保守的なイメージの先行するティーレマンもチェルニアコフの才能は高く評価していると表明してました。
その手掛ける演出は、さながら心理劇のような複雑な考察を持ち込んだもので、舞台も人物も完全に設定替えをしてしまう、そんな天才肌のチェルニアコフ。

公開画像とほんの少しのyoutube映像からは、いつものこの演出家らしい閉ざされた空間と、小割りにした左右・上下に連続する部屋、天井の低さを犠牲にしても複層的に階上も利用する巧みさなどを確認できる。
これらの空間が回り舞台のように場面展開とともにクルクルと動いて、登場人物たちが移動したりする。
こうした舞台設定のなかで、人物たちはまるで映画俳優に求められるような、大胆かつ細やかな演技をしつつ歌うわけで、歌手への負担はとても大きいと思う。
 そしてなにより、大胆な読み替えもあることから、本来のドラマと音楽とを知悉していないと途方にくれることになるは、毎度のチェルニアコフ演出の術。

短いトレーラーを見ただけでもワクワクしてしまう面白さ。
これは確実に映像化されるだろう。
観たくてしょうがない。

ドイツの評論を読んでみた。
またちょっと長めのトレーラーも見たので半ば推測の域ですが。
舞台はウォータンが所長をつとめる研究機関で、その名も「ESCHE」と書いてある。
調べたら「トネリコ」の意味だった。
いくつもの部屋は緻密に区割りされていて、実験室、待合室、講堂、体育館、ガラス張りの家、廊下、エレベーター室、檻などなど。

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上記はおそらくその平面図で、下のフロアは3人の老いたノルンとブリュンヒルデ、黄色い服はジークリンデが着ていたレガシーだろう。
ともかくすべてが細かいから映像向き。

1960年代から現代までを、研究室を舞台に4つの楽劇で睡眠療法やらストレス療法、心理療法とやらをやっていて、神々たちは支配者と上級の研究者であり、人間や巨人たちは実験体で、地下作業場ではそれに対立するニーベルング族が労働を強いられている。
ジークムントは自閉症ぎみの逃亡者で、ジークリンデもホームレスで同じ症状で突発的行動をとり、フンディングは警官。
ガラス張りの部屋の外や階上からは所長ウォータンが常に動向を監視。
ラインの乙女も、ワルキューレたちもみんな研究所のスタッフ。
ブリュンヒルデを囲う炎はなし。
ジークフリートはアディダスのジョギングスーツを着たやんちゃ坊主だが、これもまた実験体。
おもちゃやレゴを与えられて育ったが、それらを破壊し、火をつける、その行為が剣を鍛える場面とは。。。
ミーメは神経質な老人で、ファフナーは拘束着をつけた野蛮人で係員にジークフリートのところへ連れてこられぶっコロされる。
森の小鳥も白衣のスタッフさんで、ジークフリートを所内をくるくると案内してブリュンヒルデの元へいざなう。
あとわからないのがギービヒ家の立ち位置で、ウォータンは所長を引退しており、あらたなビジネスとして取り組んでいるのがギービヒ家なのだろうか?上級市民風に見える。
ジークフリートはグンターに化けることなく、そのままでブリュンヒルデの前にあらわれるので、これはブリュンヒルデは精神的にもキツイだろう。
ジークフリートは体育館でバスケットボールに興じるなかで、登り旗の先っぽで刺されてしまう。
イジメを受けて死んだジークフリートの周りで後悔する人々。
ここからラストがどういう展開か、ほんとに見てみたいし知りたい。
ひとり生き残るのがブリュンヒルデで、彼女は自己犠牲に殉ずることはない模様。
※ラストシーンはワーグナーが草稿の段階で書いていた結末の台詞を背景にブリュンヒルデが旅立つ様子を描いたようだ。
「わたしは世界の終わりを見た」というものだろう。
実験の失敗、あたらしい人間の創造の失敗・・・・・

黄金なし、剣なし、槍なし、炎なし、ライン川なしのないないずくしの室内リング。
ここまで解釈を施してしまうのがチェルニアコフだし、昨今の演出。
面白いし刺激を受けることにおいては最高の楽しみだろう。
しかし、室内的な空間でワーグナーの壮大なドラマが矮小化されてしまうのも事実だろう。

ベルリンにおいては、昨年のヘアハイム演出よりは上位だとの見方のようですが、さていかに。

画像と動画はすべてベルリン国立歌劇場のサイトからお借りして引用しております。

Alle Bilder und Videos stammen von der Website der Berliner Staatsoper


  ワーグナー 楽劇 四部作「ニーベルングの指環」

   クリスティアン・ティーレマン指揮

    ベルリン国立歌劇場管弦楽団

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  「ラインの黄金」

ウォータン:ミヒャエル・フォレ  ドンナー:ラウリ・ファサール
フロー :シャボンガ・マキンゴ  ローゲ:ロランド・ヴィラソン
フリッカ:クラウディア・マーンケ フライア:アンネット・フリテッシュ
エルダ :アンナ・キスユジット    ファゾルト:ミカ・カレス
ファフナー:ペーター・ローゼ   
アルベリヒ:ヨハンネス・マルティン・クレーンツェル
ミーメ :ステファン・リューガメーア   
ウォークリンデ:エヴェリン・ノヴァーク 
ウェルグンデ:ナタリア・スクリッカ 
フロースヒルデ:アンナ・ラプコプスカヤ

                      (2022.10/2)


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   「ワルキューレ」

ジークムント:ロバート・ワトソン 
ジークリンデ:ヴィダ・ミクネヴィチウテ 
フンディンク:ミカ・カレス    
ウォータン:ミヒャエル・フォレ

フリッカ:クラウディア・マーンケ 
ブリュンヒルデ:アニヤ・カンペ
その他ワルキューレのみなさん

                    (2022.10.3)

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 「ジークフリート」

ジークフリート:アンドレアス・シャガー 
ミーメ:ステファン:リューガメーア
さすらい人:ミヒャエル・フォレ 
アルベリヒ:ヨハンネス・マルティン・クレーンツェル
ファフナー:ピーター・ローゼ  エルダ:アンナ・キスユジット
ブリュンヒルデ:アニヤ・カンペ      
森の小鳥:ヴィクトリア・ランデム

                             (2022.10.6)

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  「神々の黄昏」

ジークフリート:アンドレアス・シャガー  ブリュンヒルデ:アニヤ・カンペ
グンター:ラウリ・ファサール       ハーゲン:ミカ・カレス
アルベリヒ:ヨハンネス・マルティン・クレーンツェル 
グルトルーネ:マンディ・フレドリヒ       
ワルトラウテ:ヴィオレッタ・ウルマーナ     
第1のノルン:ノア・ベイナルト      
第2のノルン:クリスティーナ・スタネク 
第3のノルン:アンナ・サミュエル   
ウォークリンデ:エヴェリン・ノヴァーク 
ウエルグンデ:ナタリア・スクリッカ  
フロースヒルデ:アンナ・ラプコプスカヤ
エルダ:アンナ・キスユジット     ウォータン:ミヒャエル・フォレ

                      (2022.10.9)


神々の黄昏でカーテンコールに出てきたチェルニアコフに対し、盛大なブーイングがなされていたけれど、音楽面ではティーレマンのそれこそ壮大な指揮が実に素晴らしいと思った。
聴きながら、腰を低く構え、両腕を開きつつ指揮棒の丸い持ち手を揺らしながらも、堂々としたティーレマンの指揮ぶりが脳裏に浮かんでしようがなかった。
ともかくテンポがじっくりで、揺るがせにしない巨大な音楽が終始鳴り響く。
いろんなモティーフがじっくりと歌われるし、弦楽のいろんな刻みもこんなに克明に弾かれると驚きの効果を生むし、こんな風になってたのかと聴いていて驚くか所もたくさんあった。
それでいて、緻密で細やかな配慮にもことかかず、音楽はときに繊細ですらあった。
若い頃には唐突なパウゼがいかにも不自然だったが、いまや舞台の進行や人物たちの心理にも寄り添うように、ときおり起こすタメはとても音楽的だった。
ワルキューレ2幕のウォータンの、終末を望む強い言葉「Das Ende」を繰り返すが、そこにあったパウゼは、これまで聴いたワルキューレのなかで、一番、最大に長かったし、緊張の瞬間でもあった。

演奏時間が演奏の良しあしではないが、ティーレマンのリング演奏時間の違いは過去演と比較するととても大きい。
ウィーンでのリングを持っていないので、バイロイトでの演奏家から、2008年の正規盤でなく、2006年の手持ちライブで比較。

           2006年      2022年

ラインの黄金    2時間30分     2時間47分 

ワルキューレ    3時間42分     3時間53分

ジークフリート   4時間1分       4時間5分

神々の黄昏     4時間25分     4時間42分

年齢を重ねてテンポが伸びるのはよくあるが、ティーレマンの演奏はより中身が濃くなっていると同時に、音楽の繊細さも増していると思う。
ラインの黄金と黄昏における長大さは、今回のドイツの評でも指摘されていた。
オーケストラもこらえ切れない場面も散見されたが、ティーレマンの指揮にベルリンのオケも聴衆も間違いなく魅了されたことだろう。
バレンボイムのあともありだ!

このティーレマンの指揮に、微に入り細に入りぴたりと符合するように繊細で細やか、そして滑らかな語り口で、きっと演技にも巧みに合わせていたであろうウォータンがフォレ。
この滑らかかつ饒舌なフォレと丁々発止と絡むのが、マイスタージンガーでもいつも共演しているクレーンツェル。
このアルベリヒの巧みさも文句なしで、神々の黄昏ではすっかり老いてしまっているのも歌でよくわかるほどの演技派。

思えば、イゾルデ、クンドリーとシャガーとともに共演し、そこでもバレンボイム&チェルニアコフだったのが、アニヤ・カンペのブリュンヒルデへの挑戦。
背伸びした役柄でもあるが、彼女らしく繊細・細やかな歌い口で、静かなシーンではとても感動的で、父娘の会話などフォレの名唱とともになかなかに感動的だった。
しかし、ジークフリートと黄昏のラストではかなり厳しい局面となってしまった。
 一方の相方のシャガーはジークフリートにもすっかりなじんで、天真爛漫そのもの。
トリスタンの映像でも、今回のジークフリートの映像の一部でも、チェルニアコフの指示だろうけど、ずいぶんとファンキーな動作をしていて笑える。

ハーゲンをはじめ、リングの悪方3役を巧みに歌ったカレスは、声が明るめなバス。
ローゲに果敢に挑戦した新境地打開のヴィラソンさん、声に灰汁が濃すぎて、見た目のげじげじさんも不評だったようだが、私は応援したい。
小柄なリトアニア出身のジークリンデ、ミクネヴィチウテさん、すてきな歌唱だった。
好きなメゾ、マーンケさんのフリッカも安定感あるうまさ。
ジークムントのアメリカ人テノールは、そのお声がアメリカンすぎる歌いまわしで不評、でもわたしは今後よくなると思った。
ミーメのリューガメーアはまさに職人気質の性格テノールで実によろしい。

歌手はやはりリンデン・オーパーなだけにコネクションの豊富さもあり、ドイツ・オペラに比べると充実の極み。

ともかく、歌手のみなさん、たいへんです、お疲れ様です、といいたい。

リンデンオーパー、日本にバレンボイムとなんどもやってきてくれた。
その前、スゥイトナーの時代にも、数限りなく来日してくれた。
ふたりの監督のオペラやオケ公演を幸いにして何度か接することができたが、もしかしたらこの先、ティーレマンとの来演となるのだろうか。
ドレスデンの指揮者が、かつてはコンヴィチュニーやスゥイトナーのようにベルリンでも長く活躍する、そんな先達のなおれのように、ティーレマンも受け継ぐのだろうか。

バイロイト以外のドイツのワーグナーの演奏史はこうして受け継がれていくことに、安堵している。

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2022年10月12日 (水)

ヴォーン・ウィリアムズ ロンドン交響曲&南極交響曲

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9月最初の頃の吾妻山。

ここはコスモスが早く咲きますが、今年はやたらと早くて7月の終わりごろから咲き始めて、お盆明けにはもう萎みはじめてしまいました。

やたらと暑かった今年の夏、いろんなことがありましたが、季節の巡りがどんどん早くなっているような気がしてなりません。

今年はヴォーン・ウィリアムズの生誕150年、そして10月12日が誕生日です。

9曲ある交響曲、いずれも個性的な作品ですが、その様相からいくつかのカテゴリーに分けることができます。

田園情緒あふれる抒情的な3番(田園)と5番はすでに記事にしましたが、今回は描写的なスクリーンさえ思い浮かぶような作品をふたつ。

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  ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第2番「ロンドン」

    リチャード・ヒコックス指揮 ロンドン交響楽団

       (2000.12.19 @オール・セインツ教会)

ロンドンという巨大な都市の一日を描いた交響曲。
過去記事を手を入れながら。
この街の風物や、住む人を通して描いてみせた4つの楽章のがっちりした立派な構成のちゃんとした交響曲。

英国作曲家たちを語る上で、二つの世界大戦の影響は避けては通れない。
長命だったRVWゆえに、二つの戦争が影を落とした作品も多く、そのひとつが「ロンドン交響曲」で、第一次大戦開始直前に書かれていて、このあと従軍してフランスで活動もしている。

活気ある都会を描きつつも、終楽章では失業者であふれるロンドンの様子が陰鬱にも表現されていて重苦しい気分にさせる。

第1楽章「テムズ河畔のロンドンの街の夜明け~市場や街の朝の雑踏」
第2楽章「大都会の郊外の静やかな夕暮れ」
第3楽章「夜想曲~夜の繁華街」
第4楽章「不安な大都会~失業者の行進」

活気あふれる都会が目覚め、生き生きとしてくる場面を巧みに描いた1楽章。
第2楽章の抒情的な音楽は、RVWならではで、3番や5番と同じ雰囲気もあり、これを聴きながら、先に崩御されたエリザベス女王を偲ぶこともできる。
夜の雑多な雰囲気を感じさせる3楽章もロンドンの街の姿だろう。
暗い雰囲気の4楽章、途中、雑踏のにぎやかさもぶり返すが、最後はまた不安に覆われ、ウェストミンスター寺院の鐘が鳴りつつ静かに終わる・・・・。


都会は賑やかで華やかだけど、その陰には不安もいっぱい。
時間だけが流れるように通り過ぎてゆくのも、いまの都会は同じく。

ヒコックスは、7番「南極」と9番を残して急逝してしまったが、シャンドスに残した残りの交響曲は、いずれも精度の高い、RVWへの共感あふれる名演ばかりで、おまけに録音も極上。
このロンドン交響曲の録音では、RVWが作曲ののちに手をいれて軽減化してしまった現行の通常版でなく、作曲当時の原典版による録音であることが画期的。
 その相違は、繰り返し的に現れる展開をもっと簡略化し、全体の演奏時間も10分ほどスリム化した現行版に対し、各楽章にいろんな局面で繰り返しやモティーフの追加を行っているのがオリジナル版。
聴き慣れたこともあるが、通常版のほうがスムーズだし、曲のイメージはストレートに伝わってくる。
でも、大きな違いは2楽章の悲しみの発露がより大きいことと、終楽章がくどいことを通り越して、ロンドンという街の大きさを巧ますじて表していること。
全体で、10分以上長い原典版。
その分、深刻さも増してます。

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   ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第7番「南極」

      S:シーラ・アームストロング

  ベルナルト・ハイティンク指揮 ロンドン・フィルハーモニック

       (1984.11 @アビーロードスタジオ)

R・シュトラウスばりの標題性豊かで、写実的な交響曲。
「アルプス交響曲」の南極バージョン。
オルガンがギンギンに鳴って大氷河の絶壁や孤高の絶景を思わせるし、ウィンドマシンも極めて寒々しい効果をあげている。
さらに、ひょこひょこ歩きのペンギンまで巧みに模写される。
ヴォーン・ウィリアムズは多彩で、教会音楽やミサも残しつつ、シンフォニストでもあったし、オペラ作曲家でもあった。
エルガーとの違いはオペラ。
具象的な劇作品の有無においてまったく違うが、英国を愛することではまったく同じ。

多彩なRVWの9つの交響曲のなかでも、いちばん交響詩的かつ映画音楽風。
「南極のスコット」という映画につけた音楽をベースに自身で5楽章編成の交響曲に編み直した交響曲

作曲者はこの作品に「Sinfonia Antartica」というイタリア語の表記を与えた。
1951年、80歳という年齢での作品!
映画は1912年に南極点を目指したイギリス、スコット隊の遭難の悲劇を描いたものだった。
このスコット隊に先んじること1ヶ月前には、ノルウェーのアムンゼン隊が南極点に到達していて、アムンゼン隊は極点のみをひたすら目指したのに対し、スコット隊は学術的な研究や観察を経ながらの進行ゆえに時間の差と悲劇の遭難が生じたと言われる。

大編成のオーケストラによる「南極」の描写音楽という要素に加えて、大自然に挑む人間の努力やその空しさ、最後には悲劇を迎えることになり、その死を悼むかのような悲歌に終わる。
描写音楽に人間への警告も加えたような、こんな一大ページェント作品なのだ。

 シュトラウスのような楽天的な派手さはなく、常にミステリアスで、神秘の未知との出会いと危険のもたらす悲劇性に満ちた交響曲になっている。
氷原を表わすような寒々しく冷気に満ちたソプラノ独唱や女声合唱、おまけに滑稽なペンギンや鯨などの驚きの出会いが表現される。
怪我をした隊員が足手まといになることを恐れ自らブリザードの中に消えてゆくシーンまで、こんな悲しい場面もオーボエの哀歌を伴って歌われている。
 最終楽章では、大ブリザードに襲われ隊は壊滅をむかえてしまう。
嵐のあと、またソプラノや合唱が寒々しく響き、荒涼たる寂しい雰囲気に包まれる。
ウィンドマシンが空しく鳴るなか曲は消えるように終わってゆく・・・・

アルプス交響曲と南極交響曲をともに録音したのはハイティンクが随一だろう。
アルプス交響曲にいたっては、手持ちの音源で、コンセルトヘボウ2種、ベルリンフィル、ウィーンフィル、シカゴ、ロンドンなどとの演奏を手持ち。
それらの演奏がカラヤンのように、巧みに聴けせるのでなく、かっちりとした交響曲として壮大に起立するかのような存在として聴かせたのがハイティンク。
南極交響曲でも、探検隊彼らへのレクイエムのように慈しみを持ちつつも冷静な演奏に徹していて、長く聴くに相応しい普遍的な演奏となりました。

希望が無限なように思われる苦難を耐え忍ぶこと。
ひるまず、悔いることなく、全能と思われる力に挑むこと。
このような行為が、善となり、偉大で愉しく、美しく自由にさせる

これこそが人生であり、歓喜、絶対的主権および勝利なのである」(シェリー詩)
こちらが1楽章への引用句。

「私は今回の旅を後悔していない。我々は危険を冒した。
また、危険を冒したことを自覚している。
事態は我々の意図に反することになってしまった。
それゆえ、我々は泣き言を言ういわれはないのだ。」
  
遭難後、発見されたスコット隊長の日記。
終楽章に引用された一節。

いまの地球人にはこんな書き込みはできないだろう。
自然を制覇し、思いのままにできると思ってしまっている。
日本の山々を切り崩して行われる再生可能エネルギーなんてマヤカシものにしかすぎない。

RVWの描き、感じた自然への脅威を、人間は忘れてはならないし、自らが造った都会の暴走も意識しなくてはならないだろう。

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冠雪まえのブルーな富士。

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2022年9月10日 (土)

エリザベス女王ご崩御を受け音楽にて偲ぶ

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バッキンガム宮殿に大英帝国旗が半旗であがりました。
(BBCより拝借)

ご年齢から考えて、この日が来ることはわかっていましたが、つい3日ほど前には、新首相トラスさんの訪問を受け、任命も行い組閣を指示した姿を見たばかりでした。

最後まできっちりと英国と国民のために仕事をなさいました。

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ロンドンの繁華街、ピカデリーにも女王の訃報を伝えるLEDが。

王室をいただく英国と、皇室をいただく日本とは、国民感情は同じだと思います。

その存在のない国、アメリカや中国、ロシアやフランスの国民には、王室・皇室の尊厳への特別な思いはわからないと思います。

日英ともに、ひらかれた皇室を戦後、ずっと根差してきたので、よけいに親しみを持って国民は女王や天皇陛下を感じていたと思う。

日本人でも親しみを持っていたエリザベス2世女王。

最愛の英国音楽でもって、女王陛下への哀悼の念をお捧げしたいと存じます。

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  エルガー 交響曲第1番 第3楽章

   エイドリアン・ボールト指揮 ロンドン・フィルハーモニック

       交響曲第2番 第2楽章

   ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団

癒しの音楽ともとれる儚くも美しい1番の緩徐楽章。
大英帝国への鎮魂歌、涙に濡れたような音楽だが、どこまでも高貴であり神々しい2番の緩徐楽章。
エリザベス前王女の曽祖父にあたるエドワード7世に捧げられたのが2番の交響曲。

エルガーは1930年に、子供時代に書いたスケッチをもとにした「子供部屋」という可愛い組曲を書いて、エリザベス王女、マーガレット王女姉妹、母エリザベス妃に献呈しています。
このとき、エルガーは押しもおされぬ英国最大の作曲家として尊敬を一身に受けていて、国王の音楽師範でもありました。
エルガー73歳、エリザベス王女4歳の時です。
しかしながら、探したけれどこの作品の音源は持ってませんでしたので、ネット上で聴くことができました。
愛情あふれる、かわいらしい作品です。

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  ブリテン 歌劇「グロリアーナ」

    チャールズ・マッケラス指揮 ウェールズ・ナショナル・オペラ

       交響組曲「グロリアーナ」

    ベンジャミン・ブリテン指揮 南西ドイツ放送交響楽団
           T:ピーター・ピアーズ

私の愛するブリテンのオペラのひとつ。
即位70周年プラチナ・ジュビリーを讃えて、この6月にこの作品を取り上げたばかり。→グロリアーナDVD
1953年、エリザベス2世女王の即位戴冠式奉祝にて作曲されたオペラで、エリザベス1世を主人公にした内容。
老いと孤独、とりまく政治など、ひとりの女性としての描いたこのオペラは、ネガティブキャンペーンをうたれ長らく埋もれてしまった。
ユーモアあふれる故エリザベス陛下におかれては、きっと笑顔でこの作品を受け入れたことでしょうが。
今後、上演機会も増えると思います。

この長い作品のエッセンスともいうべき、作者の編んだ交響組曲も、今年はジュビリーに合わせてコンサートで取り上げられてました。
軽快ながら荘重なる前奏曲、エセックス公の歌う悲しみのリュートソング、英国各地の舞踏曲、悲しみの苦渋の判断を下す女王のラストシーン。
これらオペラの4つのシーンを抽出してます。
最後、オペラ全編にわたって聴かれる女王を賛美する歌が優しく奏でられ、オペラと同様、それは消え入るように終わります。

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  ブリテン 「ラクリメ」

    Ms:ジーン・リグビー

   リオネル・フレンド指揮アンサンブル・ナッシュ

ダウランドの「あふれよ、わが涙」をもとにした痛切な作品。
緊張感漂う悲しみと、ヴィオラソロを伴う癒しの音楽でもあります。
シリアスなブリテンの音楽には、必ず心奪われる美しく優しいシーンもあります。

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  フィンジ 「いざ花束を捧げよう」

    Br:ステファン・ヴァーコー

 リチャード・ヒコックス指揮シティ・オブ・ロンドン・シンフォニエッタ

フィンジの書いた5曲からなるシェイクスピア歌曲集。

「Come away, come away, death」〜来たれ 死よ
「Who is Silvia?」〜シルビア
「Fear no more the heat o' the sun」〜もはや日照りを恐るることもなく
「O mistress mine」〜おぉ 愛しい君よ
「It was a lover and his lass」〜それは恋する若者たち

最初の曲が恐ろしいまでに透徹した孤高の作品。
静かななかに、哀しみのあまりに慟哭してしまいそうだ。
3曲目も悲しい。不幸にして亡くなった女性への哀悼の歌は痛切だ・・・
ほかの作品たちが、明るくのびやかで、ウキウキしていて救われる。
ピアノ版がオリジナルで、のちに弦楽オーケストラ版も作られた。
フィンジの音楽にはほんとうに癒される。

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  ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第5番

    ブライデン・トムソン指揮 ロンドン交響楽団

ことさらに第3楽章が素晴らしい。
あまりに美しく儚く、切ない音楽。
純真な祈りの心。
何度も繰り返されるアレルヤ。
死んだら流して欲しい音楽。
宗教感と自然観、そして作曲当時の戦渦にあった社会観などが美しくも昇華した音楽。
亡き女王に捧げるべき哀しみの音楽。

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  アイアランド The Forgotten Rite

   リチャード・ヒコックス指揮 ロンドン交響楽団

詩的で幻想的、ケルト風味もただようアイアランドの音楽。
ノルマンディーの島々に訪れたときの印象を残した10分あまりの管弦楽曲。
海の香りもする神秘的でロマンテックな作品で、ハープの清涼なグリッサンドにのって、どこか天に昇っていくような澄んだ音楽になる。
日本と同じく海に囲まれた英国の女王を送るに、この幻想的な曲も相応しいと思った。

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 ハウエルズ ヴァイオリンとオーケストラのための3つの舞曲

    Vn:リディア・モルドコヴィチ

  リチャード・ヒコックス指揮 ロンドン交響楽団

熱心なイギリス教会の信者でオルガン奏者でもあったハウェルズ。
最愛の息子を失い、美しく透明感あふれる声楽作品を残した。
また抒情派として、心優しい田園情緒あふれるすてきな作品も数々あります。
そんななかで、私が大好きなのが、この3つの舞曲の真ん中の曲。
「揚げひばり」にも通じる癒し効果も抜群の曲で、ともかく美しくグリーンな音楽。
イギリスの美しい自然を思いながら・・・・


もっとも愛する作品、ハウエルズのレクイエムともいえる「楽園賛歌」は大きな作品なので、いつかまた聴いてみようと思う。

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と思ったら、久方ぶりなので全部聴いてしまった。
ヒコックスとロンドン交響楽団で。

6章からなる神への感謝と死を悼むレクイエム。
英語とラテン語の聖句を交えた切実な音楽で、その形式はのちのブリテンのレクイエムも思わせる。
作者は、子の死で傷を得た内面を描いたような「秘なるドキュメント」として公で演奏されることを拒んだものの、ヴォーン・ウィリアムズの勧めで作曲後12年を経て初演された。
シビアな雰囲気もただようが、そこは抒情派ハウエルズ、随所に美しいシーンがあり、無垢なるソプラノ声にも天の声を感じる。
英国教会にあるステンドグラスから差してくる光の彩。
慰めと祈りの法悦、死の矛盾への怒り、でも最後のハレルヤで救われる。

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  ディーリアス 「日没の歌

      S:サラ・ウォーカー

      Br:トマス・アレン

   エリック・フェンビー指揮 ロイヤルフィルハーモニック
                アンブロージアンシンガーズ

ディーリアスには別れの音楽が多い。
感覚の音楽ともいうべきディーリアスは、四季折々の自然に触れて、そこに人間や大自然を重ね合わせて眺めるのが好きだった。
「日没の歌」はソロと合唱を含む作品で、アーネスト・ダウソンの詩に基づいた。
セシル・グレイの言葉によると「過ぎ去った日々にたいする、かの忘れがたい悲哀と未練の感」といわれ、ディーリアスのあらゆる作品にあてはまると思われる。
人生の儚さ、そして慰めをここに感じる音楽です。
最後は、夕日が沈むかのように、静かに消え入るように、静寂に溶け込んでしまう・・・・

この美しい作品を、私は夕焼けを見ながら聴くのが好き。
過ぎ去った日々を思いながら・・・

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  ビートルズ アビーロード

      「Her Mjesty」

ビートルズにも女王陛下を親愛の情をこめて歌った曲があります。
珠玉の名作、アビーロードの最後に、こっそりひっそりとたたずむ短い作品。
ポール・マッカートニーの作品で、彼ひとりで歌う。
女王を可愛い、ステキだと歌いながら、ちょこっとジョークを交えたビートルズらしい曲で、最後にさらりとある意味深な曲。
サー・ポールも女王の崩御を悼み、神のご加護をと追悼のメッセージを出しました。

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  エルガー ソスピリ

   ジェフリー・テイト指揮 ロンドン交響楽団

       エニグマ変奏曲~ニムロッド
 
   ネヴィル・マリナー指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ

最後はやはり、エルガーで偉大な女王を偲びましょう。
楚々とした哀歌、ソスピリを聴いたら泣けてきた・・・・

エニグマ変奏曲のなかからの「ニムロッド」は単独でもアンコールで取り上げられることも多い。
追悼の意はないが、ここには高貴さ、高潔さに対する尊敬と親しみ深さをここに感じます。
BBCの女王のありし日を伝える映像には、この曲が流れてました。

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エリザベス女王の魂が永遠でありますこと、お祈り申し上げます。

そして日本の親愛なる国、英国の新しい国王に榮あれ。

英国音楽を心より愛するひとりとして、追悼の念を持って書きました。

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2022年9月 5日 (月)

ウクライナ戦渦で変わった音楽シーン

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どんなときでもビールは美味しい🍺

困ったものですが、ともかく美味しい。

まだ暑いから、まだまだ美味しい。

2月末のロシアのウクライナ侵攻から半年。

この間、この影響で世界中、我が日本人にも、ありとあらゆるところで影響が出てます。

経済の停滞に加え、円安が生じ、輸入によってなりたっていたものが次々と値上げや商流の変更を余儀なくされ、即、わたしたちのお財布に影響を与えてます。

そして、世界がつながっていた音楽産業、とりわけ、クラシック音楽界でも多大な影響が出ております。

半年を経たいま、まとめておこうと思います。

Leningrad

学生時代に聴いたムラヴィンスキーとレニングラードフィル。

シベリウス7番とチャイコフスキーの5番。

恐るべき畏怖すべき演奏でしたが、このような演奏は、もう未来永劫味わえないでしょう。

世界のオーケストラ・ランキングでは、レニングラードフィルが必ず上位に食い込んでいた時代でした。
しかし、レニングラードは、レーニンの名前、そのものでした。

ゴルバチョフ氏も亡くなったことも、今年は印象深く、ソ連共産党体制にとどめを刺した功績は極めて大きいです。
でも、ウクライナ取り戻しの考えには賛同していたようで、そう考えるとロシア帝国の再興はかの国の潜在的な思考なのでしょう。

ウクライナ侵攻で、ソ連崩壊で民主化されたはずのロシアが、実は領土拡張主義の、かねてのロシア帝国再興を意図していることを知り、あわせて悲願の北方領土返還も難しいことを確認できてしまった。

音楽では、ロシアはこれだけ私たちに馴染みがあり、大音楽家と素晴らしい演奏家の宝庫であるのに、なんであの国は、ああも無謀かつ攻撃的なのでしょうか。

音楽する現役のロシア音楽家たちがみな、かつてのロシア帝国の復興に心を砕いていると思いたくもないが、かれらが、日本から不当に奪い取った樺太と北方領土を自分たちのものとして教育され、信じていると思うと、今回のウクライナのことがあるだけに許せないし、複雑な思いになることは悲しいけれど避けられないです。

①ロシアのオーケストラの来日が不能に

サンクトペテルブルクフィル、モスクワフィル、チャイコフスキー記念響(いわずとしれたモスクワ放送響)、モスクワフィル、ロシア国立響(ソビエト国立響)、ロシア・ナショナル管、キーロフ劇場管
これまで何度も来ていたお馴染みのオーケストラが、この先ずっと日本にはきません。
クルレンツィスのムジカエテルナもロシア政府からの支援もあり、難しいだろう・・・・
 こうしてみると、来日するとチャイコフスキーの後期交響曲、ショスタコ5番ばかりの日本商材だけれども、ロシアのオケの威力は、われわれ日本人は、存外に全国各地に公演してくれるから、その多くが聴いていて親しみをもっていることだろう。

年末には、ロシア系の怪しげな団体や、ウクライナ系なども、何故かやってきて、第9やクリスマス音楽をやってしうまう、そんな美味しい音楽市場だった日本。
人気のみの日本人ソリストをメインにした来日公演もしばしば行われた。
これらもなくなっていまい、ロシアにしても音楽ビジネスが美味しい市場だった日本を失ったことは大きい。

ムラヴィンスキー、スヴェトラーノフ、ロジェストヴェンスキー、コンドラシン、フェドセーエフらに率いられて日本全国を巡ってくれた凄腕のロシアオーケストラは、実演ではもう聴けないのかもしれない。

②オペラ団も来なくなる

近時はキーロフ・マリンスキー劇場が日本のロシアオペラを独占しているが、彼らも無理に。
かつて、日本に本物のロシアオペラを見せつけてくれたボリショイオペラ、ここも来演不能だろう。
これぞ文化の喪失、海外のオペラ団は、その国の総力をあげての来日だけに、その国の文化そのものを味わえるのだから。
そんななか、旧キエフオペラ、いまは国立ウクライナ歌劇場と名変したオペラ団が年明けに来日するらしい。
侵攻されている国がオペラ団を海外に派遣するとは。。。
演目は、ロシアオペラをやるわけにはいかないのか、「カルメン」とガラコンサート、第9で、ガラではヴェルデイの「行け思いよ・・」とか第9の終楽章なんかをやるって。
なんだかなぁ~という気分ですよ。

③指揮者はそれぞれ事情あり

・まずはゲルギエフ
プーチンとの親密さが明かされて、進攻後もそれを否定せず、沈黙を守った。
それによって、ミュンヘンフィルの地位をはく奪され、世界のあらゆるポストを失い、指揮する場所をロシア以外の地で失った。
有能で精力的な指揮者だったから、反ロシア側の国々のオーケストラやメットなどのオペラでは、あれだけのカリスマ性のある指揮者の喪失は大きいかもしれない。

・ロシア批判派
侵攻に関して、実際に非難をした指揮者たち
シナイスキー(75)~祖父がウクライナ人、チェコのオケでポストあり
ソヒエフ(44)ボリショイ劇場と仏トゥールーズ管、双方を辞任してキャンセルカルチャーを批判。一番、男を上げたと思う。
K・ペトレンコ(50) ロシアを出て久しいが、当然に非難し、ウクライナ支持
V・ペトレンコ(45)ロシア国立響を辞任し非難、ロイヤルフィルに専念
ユロフスキ(50)侵略を非難し、芸術家による署名活動を起こす、バイエルンオペラ、ベルリン放送

・ロシアに留まる派
フェドセーエフ(90)チャイコフスキー記念響に長期君臨、ロシアの最長老として尊敬を一身に。
テミルカーノフ(83)サンクトペテルブルクに留まるも、指揮のスケジュールはなさそう
シモノフ(81)モスクワフィルの指揮者として君臨。いまも演奏会あり

・わからない派(調査不足)
キタエンコ(82)ドイツでの活動歴の長いキタエンコ、どのような表明をしているか不明
ラザレフ(77)日本でも桂冠ポストあり、不明
プレトニョフ(65)意向は不明なれど、6月に東京フィルに来演してる

・微妙な派
クルレンツィス(50)ギリシャ人、ロシアでの活動歴長く、手兵のムジカエテルナがロシアよりの支援もあり当団との活動が微妙
西側の人で音楽界が手放さない人材なれど、手兵との関係如何か。

④歌手たち
・なんといっても世界のプリマドンナ、ネトレプコ
プーチンと一線を引く立場を表明するように声明を求められ、自分はいち芸術家だから、政治などには組しないし、それを表明する立場でない、と言った。
わたしなどは、そうだよね、ネトレプコ偉いと思ったりもしたが、ロシア憎しの一方的なアメリカなどはまったく許すことなく、あれだけMETの女王のような存在として活躍したのに出演不可の状態が継続中。
ロンドン、ウィーン、ドイツ各地もだいたい同じ対応ですが、それ以外の劇場などで、少しづつ出演できるようになっている現状。
ネトレプコもまた、世界の音楽シーンでは、なくてはならぬ存在だから、アメリカ以外は徐々に復権していくと勝手に思います。
いや、この際だから、ネトレプコがなかなか来なかった日本ゆえ、思い切って新国は無理だが呼んでみてはどうだろうか。
旦那のテノール氏は、制約なく、奥さんより活躍している逆転現象も起きている。

 ほかのロシア系歌手は、あんまり詳しくないのでここまで。
ともかく、欧米の各地で活躍していたロシア系歌手に、出演の制約ができてしまっことは、オペラハウス側にとっても頭の痛い問題だろうし、ロシア系のレパートリーの選定にも、素材と歌手選びで課題の残る結果を呼びおこしました。

⑤ピアニスト、ヴァイオリニスト、室内楽団体など・・・
すいません、あまり知りません。

ロシア人であることで、選別され、その活動の機会を奪われるいまの世界的風潮には反対です。
ウクライナ侵攻は悪行で、それを支持してはマズイと思いますが、それに対する賛否の態度を強要する姿勢はどうかと思う。
誰しも自分の国は愛する対象であるはずだ。
愛する祖国が、間違った方向に進んだとしても、芸術家はそれを批判する自由も、しないで本来の自分の芸術活動に専念するのも自由で、いずれの自由も尊重されなくてはならないとも思う。
ゲルギエフは体制に寄りすぎでいたし、ネトレプコは芸術と政治の判別強要の狭間にたってしまった。
歳を重ねた指揮者たちは、もうロシアで安住しようとし、海外のポストもある演奏家たちが、今後の活動の幅も維持しようするのも、よくわかる判断だ。

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ともかく、世界の分断は決定事項。
生でも、西側のメディアでも聴けなくなってしまったオケや演奏家を今後も楽しむことは難しくなった。

ソ連・ロシアの演奏家をふんだんに聴けた、これまでがもはや懐かしい。
北方領土の平和裏の返還はもう望めず、その点では憎しみが残ってしまい、それが確定した。

ともあれ、音楽を聴くには平和がいちばんだ。

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2022年8月27日 (土)

マーラー 交響曲第3番 ベルティーニ指揮

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夏の野辺を飾る鮮やかで美しい花が、百日紅(さるすべり)。

大陸の期限の植物で、その幹がすべすべなので、お猿も滑り落ちるということからその名が付いたそうな。

百日紅という名前には、悲しい後付けの悲しい物語があるようですが、そんなのは気にせず、ともかく夏のこの時期に長く花をつけることから、百日、ということになったのでしょう。

ごもあれ、夏の花。

暑いけど、夏の終わりにマーラーの3番。

いまのように、パソコンなんてなく、インターネットなんて言葉すらなかった私の音楽の聴き始めの頃。
もちろん、CDなし、カセットテープもまだ出始めたばかり。
音楽を聴くには、生の演奏会か、レコードか、オープンリールテープか、ラジオ(テレビ)に限定。
音楽情報は書籍のみ。
マーラーの大作なんて聴くすべもなかったし、そもそもマーラーという作曲家のなんたるかも書籍でも紐解くことがなかなかできなかった。
音楽の友社の出していた名曲解説全集の交響曲編上下2冊と同じくオペラ上下が、中学・高校時代の愛読書で、交響曲は4つの楽章が基準なのに、このマーラーとかいう謎の作曲家は、5つも6つも楽章がある、いったいなんなのだ?
という疑問が先立つマーラーへの印象でした。

それがいまや、いくつもの全集をそろえ、日々、簡単に、どんなときでも聴くことができる、身近な作品たちにマーラーの音楽はなりました。
いまでも、名曲解説全集は手元にありますが、その版の一番最新の作品はショスタコーヴィチの10番までとなってます。

こんな時代を過ごしてきました。
でも不便だったし、音楽を聴くにもお金も手間暇もかかりましたが、ともかく貪欲に、まさにすり減るくらいに、徹底的にレコードを聴き、あらゆるジャンルの音楽をこの身に吸収していった幸せな時代だった。

いまはどうでしょうね。
音楽を消費するように聴いてないか、聴いたことを主張したくて聴いてないか?

不便だったあの時代の気持ちに立ち返って、慈しむように音楽を聴かなくてはと思う次第だ。

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  マーラー 交響曲第3番 ニ短調

     Ms:グウェンドリン・キレブリュー

  ガリ・ベルティーニ指揮 ケルン放送交響楽団
        西部ドイツ放送・バイエルン放送女声合唱団
        ボン・コレギウム・ヨゼフィーヌム児童合唱団

            (1985.3 @ケルン)

ベルティーニのマーラーをこのブログで取り上げるのは初めてかもしれない。
聴かなかったわけじゃありません、いつもアバドやハイティンクばかりを取り上げているので、ベルティーニの出番がなかっただけなのです。

ベルティーニのマーラーを初めて聴いたのは、ベルリンフィルに客演した1981年のFM放送を録音してから。
当時、奇矯なる作品だと7番を思っていた自分だが、この演奏でその美しさに目覚めた。
抜群の切れ味と響きの美しさ、オケのべらぼうな巧さなどに魅かれ何度も聴いた。
その後、ベルティーニのマーラーは、ウィーン響やドイツ各地の放送オケのFM放送で聴き、着目していた。

そして1985年、ベルティーニは都響に客演し、マーラーを4曲指揮して、私は、2、5,9番を聴くことができました。
さらに1987年には、N響との3番を聴きました。
いずれも、鮮やかかつ、くどいようですが、美しいマーラーで、小柄なベルティーニが眼光鋭く、きびきびした指揮ぶりで、オケを見事にコントロールしていたのが忘れられません。
しかし残念ながら、ケルン放送との来演でのマーラー・チクルス、都響音楽監督就任後のマーラー・チクルスはなぜか一度も聴くことはありませんでした。
公私ともに忙しくなった時期と、着目していたのに、みんながベルティーニのマーラーはいいよと絶賛しただしので、ちょっと天邪鬼のワタクシは足が遠のいたのかもしれませんね。
しかしこの1985年は、2月にベルティーニ、9月にバーンスタインとイスラエルの第9、10月にはコシュラー都響で千人。
翌86年には、小澤BSOで3番、ショルティ・シカゴで5番を聴いてました。
バブルにさしかかり、音楽聴き人間には、財布に厳しくもいい時代でしたね。

でもCDでのベルティーニ、マーラー・シリーズは求め続けました。
まだ欠番があって、全集を買い求めるかずっと検討中で、いまに至るです。

いちばんに求めたCDが3番。
それこそ、20年ぶりぐらい聴いた。
もう素晴らしくて、感動のしっぱなしで、夢中になって一気聴きの105分。
ベルティーニのマーラーは、総じてゆったり目で、細部に渡るまで目が行き届いていて、すべてにおいて精度が高い。
ネット情報や、のちのベルティーニのマーラーを聴いてる方の話だと、ベルティーニは歳を経ると早めのテンポを取るようになり、より厳しさも増して行ったとか。

でも、自分にはこのケルン盤が懐かしく一番、これでいいです。
磨き抜かれた音のひとつひとつは、繊細美的で、録音技術もあがったデジタル録音にもピタリと合う演奏でした。
細部にこだわりつつ、大きな流れも見失わず、でもそこにあるのは音を突き詰める厳しさと、そもそものマーラーへの音楽への愛情。
ほんとうに美しい演奏だと思う。
絵画でいうとフェルメールみたいに、遠近のたくみさ、光と影が、1枚の絵のなかにみんなちゃんと描かれている感じ。
大好きなアバドとウィーンのナチュラルで、純粋な眼差しと心情にあふれた演奏と双璧で好きな演奏ですよ。
あとハイティンクとシカゴ、バーンスタイン旧盤もですね。

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それにしても6楽章の折り目正しい歌い口はいかばかりだろうか。
26分あまりをかけて、じっくりと歌い上げるこの演奏に、夏の終わりの夕焼けが実に映えました。
なんどもいいます、美しい演奏です。
終楽章の最長の演奏はレヴァイン、アバドVPOも、ベルティーニと並んで長い。
逆に短いのが、テンシュテットとメータ。

暑かった夏。
でも、夏の終わりはいつも寂しいもの。
長いマーラーの3番で、行く夏を惜しみました。

Radian-3

ベルティーニは優れたオペラ指揮者でもありました。
ベルカント系も録音があり、マーラー編のウェーバーのオペラもありました。
このあたりも、もう一度再評価していい指揮者だと思います。
気質的にワーグナーもよさそうでしたが、ユダヤ系だからどうでしたでしょうか。

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