2009年7月12日 (日)

ヴェルディ 「アイーダ」 ムーティ指揮

Yamachan1 名古屋が発信した手羽先文化。
東京にもいくつも出店した「世界の山ちゃん」。

ここで繰り広げられた怒涛の大クラヲタオフ会note

お招きいただき、連チャンもいとわず、いそいそと参加してまいりました。
みなさん得意の分野をそれぞれお持ちで、大いに刺激されることばかり。

話すことは音楽のことと、ラーメンのことばかり(笑)。
いいですなぁ。こーゆうのって。
私は、移動する仕事にも恵まれていて、各地でこうした集いを持つことができてます。
数えたら、今回で6つめの輪ができました。
いつか、全体総会なんぞ開催できたら凄いことになるかもsign02

皆さん、どうもお世話さまでした。

Aida_muti いつもよりデッカイ画像で。
本格的な夏をまじかにして、熱いオペラ、「アイーダ」を。
ヴェルディ(1813~1901、ワーグナーと同年に生まれ、ワーグナーより長生きした)、26作のオペラのなかで、最後から3つめの後期充実期の作品で1870年。
その年、ドイツではワーグナーは「リング」の仕上げに勤しんでいた。

1869年スエズ運河が竣工、あわせて首都カイロにオペラハウスが建設され、そのこけら落としのオペラの作曲の依頼に基づき生まれたのが、古代エジプトを舞台とするこの「アイーダ」。
結局は諸事いろいろあって、こけら落としには間に合わなかったらしいが、1871年のクリスマスに上演され大成功。ついで、スカラ座でもヴェルディが立会い入魂のリハーサルをつけ、これまた大成功。
いまや、オペラの人気曲のひとつ。
 こけら落としという祝典的な場を想定していただけあって、バレエや大合唱をふんだんにとりこんだ、壮大なオペラとなっていて、その分上演にもっともお金のかかる作品のひとつでもあるわけだ。
ゴージャス・メトでのレギュラー演出はいわずとしれたゼッフィレルリ版。
そう、昨シーズンの新国のオープニングがそのプロダクションだし、10年前のこけら落としの一環上演でも出された。動画・3分程度
 あと記憶に残るものでは、NHKホールのコンサート部門はサヴァリッュの第9だったけど、オペラはこの「アイーダ」だった。
その時の歌手が、ベルゴンツィにコソット、指揮はファブリティース。
テレビにかじりついて何度も観たもんだ。
そして伝説的な上演としては、1972年ミュンヘンオリンピックの記念公演。
アバドがスカラ座を引き連れていっての上演で、ドミンゴ、コソット、カプッチルリ、ギャウロウ、アローヨというドリームキャストによるもので、FM放送され長く愛聴したし、音源も手にいれたけど音が悪い。でも熱気あふれるものスゲー演奏なのだ、これが。

そのアバドのレコーディングを鶴首していたのに、そのキャストをほぼそっくり使って録音してしまったのが、リッカルド・ムーティだったのだ。
1974年、ムーティの鮮烈なデビュー盤。

 アイーダ:モセラット・カバリエ      ラダメス:プラシド・ドミンゴ
 アムネリス:フィオレンツァ・コソット   アモナスロ:ピエロ・カプッチルリ
 ランフォス:ニコライ・ギャウロウ     エジプト王:ルイジ・ローニ
 使者:ニコラ・マルティヌッチ       巫女 :エステル・カサス

  リッカルド・ムーティ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
                 コヴェントガーデン歌劇場合唱団
                           (74.6 ロンドン)

Aida_muti_4_2  当時高校生のワタクシ、ワーグナーと並んで、ヴェルディ=愛だったので、即レコードを購入。
そして、アバド好きにありがちのムーティへの軽い嫉妬心を抱きつつも、ドキドキしながらも聴きましたよ。
そしてその鮮烈でかっこいいムーティの音楽に痺れまくり、興奮しまくり、わたしも箸振りまくり(?)。
これだけのすごいキャストを前に堂々たる指揮ぶりに加え、随所に聴かれるドラマテックなまでの追い込みにすごさ。ことに凱旋行進曲に乗った大アンサンブルのかっこいい締めくくりなどは、もう何度も何度も聴いて、胸のすくような感激をそれも何度も味わった。バレエ音楽も、実際に舞台じゃ踊ることのできそうもないダンサー泣かせのぶっちぎりの超スピード。
一方の繊細な場面では、ロンドンのジェントルなオーケストラの持ち味がよく出たすっきりぶりで、この演奏をにぎにぎしいだけのものに終わらせていない。
 アバドのミュンヘンライブの方が、熱いのは確かだが、後年のアバドの正規録音よりはこちらのムーティ盤の方がオペラティックな感興に富んでいるかもしれない。
(蛇足ながら、アバドの録音は、カルロス・クライバーのボエームの録音が不可能になり、急きょ行われたもので、アバドとしたらもっとじっくりと取り組みたかったのかもしれない)

Aida_muti_3 いまこうして聴いてみると、少し青臭くも感じるのも確かで、運命に翻弄される登場人物たちの心情にもっと踏み込んでくれてもよかったとも感じる。
EMIの滑らかすぎる録音も、ちょっとマイナスか・・・。
 一方、歌手陣には文句のつけようがない。
70年代を代表するキラ星の歌手たち。
絶妙のピアニシモを聴かせ、独特の緊張感と快感を呼び覚ますカバリエ。「O patoria mia・・・」の名アリアは絶品。舞台じゃなくて音源でこそ映えるカバリエの絶頂期!
テカテカぶりが、後年ほどでなく、剛毅さあふれるドミンゴ
圧倒的な存在感と、声の威力が目覚ましいコソッ
ヴェルディオペラにおける最強の低音コンビ、カプッチルリギャウロウ。この二人の歌いこみの深さは、映像社会の今となってもその声だけで、ドラマが語られ脳裏に浮かぶ。
この二人ともにいまや鬼籍に入ってしまった・・・・。
チョイ役のローニの美声のエジプト王に、のちのドラマテックテノール、マルティヌッチが贅沢にも登場している。

何年ぶりかで懐かしい思いで聴いた「アイーダ」でした。

Yamachan2_2Yamachan3_2
世界の山ちゃん」の続き。

左は、納豆オムレツ。糸も引くけど、あと引く癖になりそうな一品にございましたよ。

それと、右は、名古屋のスーパーで見つけて買ってきた山ちゃんブランドのサワー。
これがまぁ、強烈なゲテものサワーでございましてね、なんと、八丁味噌味なんざますよ。
甘くてベタベタで、なんとも言えないお味にございました。

次回は、これいってみますかsign02皆さん・・・・・。
わたしゃこれは遠慮しますがねcoldsweats01

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2009年7月11日 (土)

神奈川フィルハーモニー定期演奏会 ゲッツェル指揮

Landmark 野毛山にある、成田山横浜別院から、ランドマークを眺めるの図。
ちょっと早めに桜木町に着いたから、登ってみましたよ。

さぁ、これからどんなモーツァルトとマーラーに出会えるのかな、楽しみ楽しみ。

Img モーツァルト 「アダージョとフーガ」

        「踊れ、喜べ、汝幸いな魂よ」

         S:森 麻季

マーラー   交響曲第1番「巨人」

      サッシャ・ゲッツェル指揮

    神奈川フィルハーモニー管弦楽団
       (7.10@みなとみらいホール)

まず、モーツァルトの深淵な音楽で始まった今日のコンサート。
最後には大爆発の怒涛の大おもしろ演奏会になった。
そんな結末を前半のモーツァルトに誰が予想しようか。
先週、東響に客演してその片鱗を見せていたようだが、横浜のホールに集まった聴衆のほとんどは、私も含めて初ゲッツェル

弦楽だけで演奏する1曲目。神奈フィルの誇るキレイな弦楽セクションの音色をじっくりと味わえる。
指揮棒をもたずに入念な振り方のゲッツェル君。さすがは、ヴァイオリン出身と思わせる。
ところが、フーガに入ってその悲愴感が極まっていった時、それを見せたのである。
そう、ジャンプしちゃうんだ。
コンマス石田氏も負けてないけど、さすがにここでは飛ばないし。
モーツァルトで飛ぶ指揮者は初めて見たよ。

オルガンを真中に据え、黒と黄色の素敵なドレスの森麻季さんを迎えてのモテット。
ここではさすがに「飛び」はナシ。
それより、デリケートな麻季さんの声を巧みに活かしてオケをしっかり抑えて、それはもう天上の音楽のような背景を築きあげた。オペラや合わせものがうまい指揮者だろう。
 そして、麻季さんは、そんなオーケストラなものだから、とても安心してクリスタルのように美しくガラス細工のように精巧な歌声を響かせることができたように思う。
芸劇のような巨大ホールで聴いたときは、その声がオーケストラに完全に埋没してしまってガッカリだったけど、今回は麻季さんの声の素晴らしさを心の底から堪能することができた。彼女のゾフィーがもう一度聴いてみたいな。
 蛇足ながら、ソリストを立てる指揮者のステージマナーもなかなかでしたぞ。

休憩後は、オーケストラがギッチギチにステージを埋め尽くしてのマーラー
前回定期もフルオーケストラだったけど、件の対向配置だっため、左側は一杯、右側はすかすかの、ビジュアル的にもどこか物足りないものを残していた。
しかし、今日はギチギチでいいぞ。

そしてゲッツェル氏登場。
冒頭の弱音の持続音。すごく音を抑えていて思わずこちらも耳をしっかりと澄まして聴きこむ体制に。
やがて「さすらう若人の歌」の旋律がフレンドリーに奏でられ繰り返しも行い盛り上がり、またそのあとに訪れる静かな場面。ここでも音量をものすごく落として緊張を誘う。
そして、この曲に3度ある大爆発の1回目。
そうジャンプsign03 おまけに今度は、石田氏も完全に腰を浮かしてジャンプsign01
鮮やかな強弱の対比、壮大なダイナミクスの幅。
いろんなパターンを持つ華麗なジャンプはともかく、ゲッツェル氏のこだわり抜いた部分はこのあたりか。
 2楽章の弾みと中間部の優美さ、この対比も鮮やか。
意外や、一番気にいったのが3楽章。
コントラバスはソロじゃなくて、ユニゾンで奏されたが音は例によって抑えられているので、まるでソロのように聴こえる。グロテスク感よりは、優美な葬送の行進。
神奈フィルの管が今日はとても素晴らしかったから、揺れ動くテンポのこの楽章がとても楽しく聴けた。
そちらが死んだように終わったあとは、アタッカで強烈な終楽章が始まった。

Goetzel_sascha2 この楽章、飛ぶは飛ぶは。連続ジャンプもかまし、もうゲッツェル君の一挙手一頭足にその目は釘付け。だって面白いんだもん。
とゆーか、わたしゃ、笑いをこらえるのに苦労したぞよ。
でも出てくる音楽がまっとうで、とても音楽的だからそんなパフォーマンスも「よし」なんだ。
3発連続ジャンプは、指揮台を斜めにピョンピョンと進みつつ行う。
片足ジャンプは、おもに右足を抱えるようにして上げて行う。
基本ジャンプにおいてはその着地点を完璧きわまりなく正確に定めて行う。
いずれのジャンプも、決して音を立ててはならない。
かつての大御所ジャンパーは、ライブ録音でもドシンバタンが収録されていて失笑を買ったものだ。
 おっと、跳躍だけに気を取られていてはいけない。
その腕の振りも目をみはるものがあるんだ。
指揮棒持つ右手は相当にまともで、そのバトンテクニックは完璧で、実にわかりやすい。
左手は、右と一緒に拍子をとっていたかと思うと、扇風機のようにぐるんぐるんと回すことしきり。オジサンの私があんな動きをしたら脱臼して一生使い物にならなくなっちまう。
体の伸び縮みも伸縮自在、あれ、ちっちゃくなったちゃった、てな感じ。
お顔の表情もきっと豊かだったんだろうな・・・・。

そう、終楽章のはなし。
こちらでも2度の大爆発と、それらに挟まれた平安で優美な場面や過去への回想、これらの対比がまた見事なもので、神奈フィルの弦の美音で酔いつくし。
そして痺れるようなエンディング。
案の定、ホルン立ち上がり、ついでにトロンボーンまで立ち上がりーっ。
いやがうえにもアッチェランドがかかり眩いばかりのフィナーレが形成されたわけでありますsign03
一瞬の静寂後、われんばかりの大喝采。
何度も呼び出され、オケが何度も、指揮者を称え立たずに迎える姿はおざなりでないものを強く感じた。
ゲッツェル氏、オケをステージ後方席にも向かせて挨拶させたりと、ほんとによく気がまわる人で、その音楽作りも含めて楽員からも人気が高いのがよくわかるというもの。
 楽員さんから絶対お勧めとのこともお聴きしていた今回。
そのお勧めどおりに、とても素晴らしく楽しいコンサートでございました。
そして胸のつかえがすっととれたような感じでもありますねぇ。あ~おもしろかった。

ゲッツェル氏は、ウィーン生まれ。ウィーンフィルの団員だった父に手ほどきを受け、自身もウィーンフィルのヴァイオリン奏者になった。
そして、有能な指揮者をたくさん育てたパヌラに師事したりして、指揮者に転向したという。
調べたら、現在フィンランドのクオピオ交響楽団とトルコのイスタンブールのオーケストラの指揮者を務めている様子。
まだ若くて将来を見込める指揮者だからゆえ、神奈川フィルもしっかりつかまえておいたほうがいいですよねnote
草食系の金さんに、ヨーロッパ肉食系のゲッツェル氏。
神奈川フィルも多彩なオーケストラになりつつあります。

アフターコンサートは、毎度おなじみ、まるで2週間まえからずっと飲んでるような錯覚におちいるような楽しい会でございました。
気がついたら店は、神奈川フィル関連だらけ(笑)
みなさん、今回もお世話になりました。

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2009年7月10日 (金)

ブリテン 青少年のための管弦楽入門 スラトキン指揮

Radio_3 臨海副都心のトンネルに入らんとする。
上は海。
とそこに、なにか命令が書いてある。

Radio2 あ、はい、わかりました。

Young_peoples_2 ブリテン(1913~1976)の9歳の写真を使ったこのジャケット。
スラトキンロンドン・フィルハーモニックの演奏による、管弦楽作品の名品。
この美少年を見てどう思われるかは、それぞれ皆さん次第でございます。

ブリテンの少年趣味は、オペラにもほかの作品にも多々登場するが、一方で反戦と平和希求を常に訴え続けた優しくも志の高い人であった。

そして保守的な面も残しながらも、斬新な和声と大胆な楽器の扱い、無調の世界と英語の美しさを活かした歌唱、東洋音楽への傾倒など、ブリテンならではのユニークな世界を築きあげた。
相当数の作品が残されているけれど、まだ未発表の作品も多々あるという。
63歳という早すぎる死を思うと、その早筆ぶりと天才性に驚きを禁じえない。

学校の音楽の授業で、誰しも、「ピーターと狼」と並んで、そのナレーション入りのものの洗礼を受ける「青少年のための管弦楽入門」。
私の場合は矢島正明のナレーターに、カラヤンかマルケヴィッチのレコードだったかな??
 大人となり、ヲタ的な耳で聴くには、ナレーションなんて無用だし、そのタイトルも「パーセルの主題による変奏曲とフーガ」といった方がいい。
BBCの音楽教育番組のために作曲されたのだけれど、よく味わって聴いてみると、先のブリテンの音楽の特徴が随所に聴いてとれる。
ホルンや金管の咆哮に、厳しいピーターグライムズの響きを聴くことも可能だ。
曲の大半をオーケストラの各楽器・パートを主役とした変奏曲が占め、最後の数分を全オーケストラによる壮大なフーガが受け持って、二重の掛け合いによる極めて面白いフーガとなっている。このあたりのかっこよさは、ブリテン特有のもので、ライブでは大いに盛り上がるわけだ。
このCDには、パーセルの原曲をブリテンが弦楽用に編曲したものも録音されていて興味深い。

英国音楽を得意にする、レナート・スラトキンとロンドン・フィルの正攻法の演奏はしっかりしていてとても聴きごたえがある。
この曲もいいが、このCDに収められたふたつの名品が、私はとてつもなく好きなんだ。
皇紀2600年の日本に奉じられたけれど、お祝に鎮魂曲とはなんぞやと演奏拒否されてしまった「シンフォニア・ダ・レクイエム」。
北の絶海が主役であるような人間の生き様の悲劇「ピーター・グライムズ」の4つの海の間奏曲とパッサカリア。
音の強弱・出し入れがとてもうまく、新鮮な音楽を作り出すスラトキンに、弦主体にくすんだ響きと柔らかな管のLPOが素晴らしく機能している。
RCAに録音した英国音楽の数々、廃盤も多いがこれからも聴いて行きたいスラトキンである。

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2009年7月 9日 (木)

ストラヴィンスキー 「春の祭典」 70年代乱れ聴き!

Dsc06157 こっ、これはぁっ、ラーメンであります。
千葉県富津市の竹岡。
そう、竹岡ラーメンのご本尊的存在の「梅の家」。
昨日、あちら方面に車で走ったものだから初めて訪問。
朝10時開店、16時閉店という不思議な営業時間。
地元の漁師さんや魚業関連のお客さんが常連。
私は、朝7時に出発、木更津で一仕事して、11時前にはこちらに到着。
するともう、狭い店は満席。でも運良くあいてすぐに着席。
待つこと10分、常連さんが次々にやってくる。そして、名物の梅酒割りやビールを飲んじゃう。おぉーっ、って感じ。店を取り仕切るオバちゃんたちは、常連さんを名前で呼んでオーダーを通し、それ以外は服の色で(笑)
 そして見てよ、このチャーシュー。不揃いのそれは、あっけに取られるほどのうまさ。
白いのは玉ねぎのみじん切り。
スープが醤油汁みたいなものだから、玉ねぎが合うのよ。
ラーメンとしてはこれよりうまいものはいくらでもあるけど、このインパクトある暴力的な存在にはお手上げでしたよ。
一日中腹一杯。

Abbdo_le_sacre_printmps 暑いけど、ラーメン食べちゃう。
そして暑いけど、ハルサイ聴いちゃう。
この暑苦しい音楽は、夏の祭典だよ。
ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭」。
こんなかっこいいオーケストラ作品はちょっとない。
いまや人気曲。
これが定着したのが70年代だろうか。
それまでは、激しい変拍子に指揮者の技量もついていかなかったり、オーケストラもグチャグチャになったり。

60年代は、ブーレーズ(フランス放送)とマルケヴィチ。
70年代に入ってからは、やはりブーレーズ(クリーヴランド)とメータのふたつのレコードがハルサイブームに火を付けた。
そこから始まったハルサイ戦争。
今日は、私が聴いた70年代の「春の祭典」を聴きまくりだsign03

ナンバーワン、いや、ハルサイで一番好きな演奏が、「アバド&ロンドン響」。
軽やかなスピード感と躍動感、そして豊かな歌謡性。
まるでロッシーニのように弾み、強弱ゆたかで、隅々までよく聴こえ透明感ある。
オケの反応と立ち上がりの抜群のよさも特質もので、アバドの指揮にぴったり。
アバドを無能呼ばわりする人々もこのハルサイには当時ビックリだった。
いまだに色あせない鮮度のよさを保っている演奏だと思うんだheart02

Mehta
メータとロスアンゼルスフィルが、次々とヒットを飛ばしたなかの1枚がこのハルサイ。
デッカの目も覚めるような素晴らしい録音も大いににプラスした。
メータの演奏はやたらに速い。
そしてカロリーも高く濃厚。でもその重量感あるスピードはアメ車に乗ってぶっ飛ばすような気分で、ゴージャスなものだ。
これが出た当時、ともかくその速さに驚いたもんだ。「春のきざし」の刻みのものすごい速さは、斬新であっけにとられたもんだ。
低域を強調した録音もすごくて、中学生のわたし、本箱の上に置いたスピーカーが振動で暴れ出し、机に落ちてきて深い傷を作ってしまった。
35年前のその傷はいまだに机にあります。

Bernstein
バーンスタインがロンドン響といれた1枚。
50年代のニューヨーク盤の熱さとはことなり、こちらは悠揚せまらぬユダヤ教的な演奏。
そう、早いところは早く、遅いところはねっとり遅く。
のたうちまわるようなユニークなハルサイ。
当時流行った4チャンネルSQ録音で、スピーカーを4つ用意して配線をちょっと工夫すると擬似4CHが楽しめた。
うしろから前から、いろんな楽器が飛び出してくる。
楽しかったなぁ。
それと、ご覧のジャケットがサイケで最高。
同じ楽団を使いながら、アバドと正反対のような演奏。

Heitink 手元にオリジナルジャケットがないので割愛。
ハイティンクロンドンフィルと録音した3大バレエはいずれも素晴らしい。
ノーブルかつ、男らしいグッと1本いってみよう的なかっこよさがあるんだ。
英国・蘭国紳士がじっくりと誠実にハルサイに取組み、一筆書きのように見事な書体で聴くものをうならせてくれる演奏。
この演奏はマジで素晴らしいと思うぞ。ベルリンフィル盤は未聴なれど、素晴らしかったオリジナルジャケットでの復刻をわれ望まん

Boulez_le_sacru_du_printemps

そして、これを忘れちゃいけません。
ブーレーズクリーブランドのCBS盤。
後年のDG盤は丸くなってしまったけれど、70年頃のブーレーズは容赦なく冷徹で、音楽もクールで青白い。
完璧なアンサンブルで、冷たさのなかに厳しいまでの迫力とパワーがある。
3度の録音のなかで、これが一番すごい。
これが出た70年、ブーレーズはセルとともにクリーヴランド管と来日している。
鬘を着用せず、怖そうな笑わないオヤジだった。

Harusai_solti_2 ショルティ閣下もついにハルサイ。
あのギクシャクとした唐突な指揮ぶりがそのまま音楽になったような、切羽詰まったような剛直な音楽。
そして、そしてですよ、シカゴ響なんだから、すごくないわけがない。
その攻撃に、村の長老たちはタジタジになってしまうだろう。
アメリカの物量攻撃に。
いまでも耳を圧する音は、ロンドンのスリムな響きに比べ強烈このうえない。
ここまでやられちゃうともうしょうがないねぇ。でもそこには何があるんだろ。

Mazel

なにがあるんだろ、と言えば、このマゼール
こともあろうにいやがるウィーンフィルに鞭をくれ、これでもかとばかりに乗りこなしてしまう。
聴いてる方は、そのデフォルメぶりに口あんぐり。
今やなんのことはない表現でも、当時はお下劣だったなぁ。
ウィーンフィルも、ハルサイなんていまやお茶の子さいさい!

あと、M・T・トーマス&ボストン響、デイヴィス&コンセルトヘボウ、小沢&ボストン、マータ&LSOなどなど、ありました。
70年代のハルサイはかっこよかったぜsign03

by70年代青春男scissors

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2009年7月 7日 (火)

ビゼー 「アルルの女」 チョン・ミュンフン指揮

Avignon_2 南フランス、アヴィニョンの街角。

ほんの数日まえの画像。

毎年夏に行われる世界的な「アヴィニョン演劇祭」。

もう60年以上の歴史をもつ演劇祭に、毎年日本からも出場している。
かつては、こんにゃく座、東京乾電池など。
昨年からは、「桜文月社」という劇団が登場していて高い評価をい受けております。

われわれクラシック音楽好きも、楽しめる楽しい舞台のようです。
知り合いがお手伝いをしております。
おフランスに行かれる方はぜひ、アビニョンにも足を運んでやって下さいまし。
 公共スペースのいたるところに、こうして競って広告を貼りまくるらしいのです。

Bizet_lalesienne_chung_1

今日もオーケスラの名曲を。

ビゼーの「アルルの女」組曲。

暑かった今日。こんなに暑いと、ブルックナーやショスタコのシリーズも触手が伸びない。
マーラーの誕生日も気になるけれど、今週は耳に馴染みのよい名曲ウィーク。
一方、暑いほど、本場を意識して気合いが入るワーグナー。さまよえるクラヲタならではでございます。

アビニョンとアルル、県は違えど、ともに南仏プロヴァンス地域にある街。
街といっても、そこそこの規模で、日本の市のクラスで、人口も6~9万人規模あるみたい。
かの地も、いま、ものすごく暑いらしい。

ドーテの戯曲に付けられた劇音楽としての「アルルの女」。
「カルメン」と同じく、妖艶な美女に魅せられてしまった真面目男の悲劇の物語だけれど、全27曲から編まれた第1と第2組曲の8曲は、そんな悲劇は置いといて、南仏ムード満載のメロディの宝庫で、そのまばゆい明るさは、原曲とは別ものといってよい完全なるオーケストラ・ピースであろう。

すっかりおなじみのチョン・ミュンフンの91年の録音。
当時、パリのバステューユオペラの音楽監督として辣腕を奮っていて、DGに鮮烈な録音を次々になし遂げていた。
そのチョンが複雑な政治事情で、というかオペラの世界につきものの伏魔殿的な事情で退任を余議なくされたことは、とても残念なことであった。
その後の彼が、さらに反骨者魂をもって精力的な活動をしていることは承知のとおり。
 
躍動感に情熱、知的な抑制、そのバランスの素晴らしさがチョン・ミュンフンの素晴らしいところ。だからオペラや劇的な作品に最高の適正を示す。
このビゼーもまさに、そんなチョン・ミュンフンの独壇場。
あえて言うと、ここに収録されたなかでは、このアルルより、劇的なカルメンの方がいい。
機能的なオーケストラが、弦を中心にきらめいて聴こえるのも楽しい。

フランスのオーケストラは、日本人をはじめ、東洋人、ロシア人など非ヨーロッパ系の指揮者も積極的にチーフに迎えるけれど、イギリスのオーケストラはなかなかそういうことにならない。ドイツ、イタリアといった正統へ傾きがちな英国オケ。
おもしろいですな。

 過去記事

 アバド&ロンドン響

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2009年7月 6日 (月)

スメタナ 「モルダウ」 ミュンシュ指揮

Luncheon1 いやぁ、今年の梅雨は蒸し暑いです。
先日、久しぶりに神保町を歩いていて、ランチどうしようということで悩んでしまった。
長くおなじみも街だけれど、ここから竹橋よりは、かつて某社グループによる地上げで細々した店がみんないなくなってしまった。

それらを探して足を棒のようにしてしまったこともあった。
なくなってしまったんだ。
おいしい蕎麦屋に、定食屋、中華、そして昼飯がおいいしい料亭・・・・・。

靖国通りは変化なし。老舗ビアホールのランチョン、20年以上前から行ってる。
テレビにもよく出るマスターに息子さん、みーんな変わんない。

話は変わるけど、今日、東京駅の丸の内側をうろうろしてたら、若い女性がススーッとよってきて、「新人研修中なのですが、名刺交換をさせていただけないでしょうか」と来た。
え、ぇえーっ?? あんたいきなり見知らぬ人の名刺交換なんてさぁ・・・・。
急いでるから勘弁、と断ったけど、違う場所でもにこやかに私のような人に接近して行こうとする女性を見かけた。
いったいなんだろね?? けしからん客先情報集めだろ、あほくさ。

Munch_moldau

有名オーケストラ曲を。
スメタナの交響詩「モルダウ」
連作交響詩「我が祖国」の第2曲。

「我が祖国」を全曲通じて聴く喜びと、感動を知ってしまうと、一番有名な「モルダウ」だけを取り出して聴くことがあまりなくなってしまった。
 でも、疲れた月曜にこんな聴き古した名曲を懐かしい演奏で聴いてみると、なんていい曲だろう、なんて素晴らしい旋律だろうと、心から思ってしまう。
名曲の名曲たる由縁なり。

「モルダウ」と呼ぶと、単独のこの曲のイメージ。
原語の「ヴルタヴァ」と呼べば、「我が祖国」の2曲目という存在のイメージ。
これ一曲でも、川の源流から森を抜け、都会を抜けて大河川へと合流して行く様が見事に描かれていて、起承転結が明確な立派な交響詩。
でも、「わが祖国」第1曲の「高い城」の旋律が回帰されたりして、連作を聴いた耳で聴くと、その場面をとても重要に聴くこともできる。

この曲で好きな場面は、村人たちのダンスから、月の光に輝く川面を思わせるような幻想的なところ。昔から好き。

この曲を始めて真剣に聴いたのが、ミュンシュ指揮のフランス国立放送管弦楽団のレコード。中学生の頃、入会していた会員制頒布レコードの「コンサートホール」レーベルの17センチレコードだった。
まず、このジャケットがいい。
いまだに素晴らしいジャケットだと思う。
CD化され多少潤いは出たが、このレーベルの音のつまったようなモコモコ感はあまり変わらない。
でもここから響く自分的に懐かしい響き。
冒頭のフルート、それに応える弦のピチカート、緩やかな波のようなさざ波の上に、名旋律が奏でられる。
剛毅なミュンシュが、思いきり心を尽くして、フランスの香高いオケから歌に溢れた演奏を引き出してみせた演奏。
さきの、私の好きな場面は、この演奏が一番。
弾むリズムに、紗幕のかかったようなシルキーな弦による月光の場面、ひなびたブラス。

久々に河の流れに身をまかせ、ゆったりと過ごせましたぞconfident

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2009年7月 5日 (日)

ワーグナー 「恋愛禁制」 サヴァリッシュ指揮

Kotstukaidon_1 これ、すき家じゃありませんよ。

その名も「国会丼」でありま~す。
国会議事堂の隣にある国会図書館の食堂で食べれるのですよ。
牛丼とスパイシーカレーの合いがけなのだけれど、間に温泉卵が乗っかっているところがすき家と違うところ。

なんでも自民・民主の「ねじれ国会」をイメージしてるとか・・・・。
お味は、@500円を加味するとまずまずのものでございました。
牛丼とカレー、まぁ、どっちもどっちですなぁ。温泉卵はどちらにもよく合うし・・・・。

Das_liebesverbot ワーグナーの完成されたオペラ第2作目は、「愛禁制」。
恋愛ご法度、色恋は禁止、というとんでもない法律にまつわる、はなはだバカバカしい内容のオペラ。

序曲だけは、いくつかCDになっているけれど、全曲盤は正規には、このサヴァリッシュ盤が唯一。

前作「妖精」のあとすぐにとりかかり、1836年に完成された。ワーグナー23歳の若さ。
シェークスピアの「尺には尺を」という戯曲に基づいて、ワーグナー自身が台本を書いたもので、イタリアのパレルモを舞台にした完全な喜劇作品。
毎度深刻なワーグナーらしからぬ、陽気でイタリアーンな雰囲気の音楽。
カスタネットやトライアングルが鳴りまくるその序曲を初めて聴いたとき、なんじゃこれ??的な思いになった。
全曲は、全2幕、2時間30分、CD3枚の大作で、そのすべてが序曲的なハチャムチャイメージではなく、随所に後年のワーグナーらしい響きが聴き取れるのがうれしい。
後年、ワーグナーはこのオペラを「若気のいたりで、恥ずかしい」と言ったとされるが、イタリアオペラやフランスグランドオペラの影響下にあった、前作「妖精」よりも、ずっと進化しているように感じる。

登場人物

総督フリードリヒ  国王外遊中で、王代行を務める。恋愛禁止令を発布した人物。
若い貴族ルツィオ 禁制に怒る人物。イザベラと恋仲になる。
 〃 クラウディオ ルツィオの友人。イザベラの兄で、禁制に触れ逮捕される。
 〃 アントニーノ    〃
 〃 アンジェロ     〃
イザベラ       両親を亡くし、修道院に入ったが、兄逮捕の報を受け兄を救いに。
マリヤナ     修道院で一緒になったイザベラの幼馴染。フードリヒのかつての恋人。
ブリゲラ       フリードリヒの手先の衛兵隊長
ドーレッラ     女給で、のちイザベラの待女
ポンティオ     給仕で、のち看守
ダニエリ      居酒屋の店主

  フリードリヒ:ヘルマン・プライ     ルツィオ:ウォルフガンク・ファッスラー
  クラウディオ:ローベルト・シュンク  アントニーノ:フリドーリヒ・レンツ
  アンジェロ :キース・エンゲン     イザベラ:ザビーネ・ハース
  マリヤナ  :パメラ・コバーン     ブリゲッラ:アルフレッド・キューン
  ドーレッラ :マリアンネ・ジーベル  ポンティオ:ヘルマン・ザペル
  ダニエリ  :ライムント・グリュンバッハ

 ウォルフガンク・サヴァリッシュ指揮  バイエルン国立歌劇場管弦楽団
                          バイエルン国立歌劇場合唱団
                         演出:ジャン・ピエール・ポネル
                          (83.7.9 ミュンヘン)

第1幕
 第1場
パレルモの歓楽街で、兵士たちが酒場や遊郭を壊していて、中から若い貴族たちが逃げ出してくる。店主と給仕、女給がブリゲッラに逮捕されて出てくる。
皆でくってかかるが、総督フリードリヒが出した遊興歓楽姦淫禁止令を読み上げられ、唖然とする。そこへ、クラウディオが、恋人と一緒に寝たばかりに逮捕され、死刑を求告されるとして引ったてられてきて、皆で彼を救う手立てはないかと考える。

 第2場
修道院の中。クラウディオの妹イザベラと3年ぶりに会った幼馴染のマリヤナ。
マリヤナは、かつて貧乏なドイツ人と密かに結婚していたが、彼が王に認められ出世してしまった、それが今のフリードリヒ、と語る。
そこへ、ルツィオが、兄逮捕&死刑の報をもってやってくる。しかし、ルツィオはイザベラに一目惚れして、求婚するが、今はそれどころじゃないと、イザベラは皆で出てゆく。

 第3場
法廷。ポンティオに追放令が出て、ドーレッラに禁酒法違反の罪を問うたところで、アントーニオが現れ、せめて謝肉祭だけは許可して欲しいと誓願するが、フリードリヒは嘆願書を破り捨てる。
次いでクラウディオの審理に入るが、若気の過ちという本人の主張を退け、死刑を宣告。
そこへ、イザベラが登場して、お願いの筋これありで、人払いを頼む。
イザベラはフリードリヒに、ただ一人の肉親の兄を助けて欲しいと訴えるが、フリードリヒは頑として受け入れない。怒ったイザベラは、恋をしたこともない男だ、と蔑む。
一方、フリードリヒは、イザベラの美貌に目がくらみ、兄の味わった快楽を共に分かち合うなら許してつかわそう・・・。と言うものだからイザベラは怒るが、マリヤナを身代わりにしようというアイデアが浮かび、密会を約束する。

第2幕
 第1場
牢獄の中庭。クラウディオのもとにイザベラが訪れ、兄の命乞いをしたら貞操を求められたと話すと、兄は怒り狂うが、でも生きていたいからそうしたら、と妹に言うのでイザベラもこれには怒る。
そして、フリードリヒとマリヤナに、仮装して謝肉祭に来るようにとの手紙をしたため、ドーレッラに託す。
そこへ、ルツィオがやってきて、首尾を聞きイザベラは守ると言い、彼女を喜ばせる。
看守になったポンティオを買収して、兄に出る令状を真っ先にイザベラに渡すようにさせ、準備は整う。

 第2場
フリードリヒの部屋。連絡を心待ちにする心情を歌いつつ、待ちに待った手紙がやってきて、カーニバルに出かければ、イザベラに会えると喜ぶ。
でも法は曲げられない。兄クラウディオの放免状でなく、死刑執行書を書き、自分も今宵、同じ運命になるどろうが構わないと歌う。
ブリゲッラとドーレッラが現れ、二人して仮装して出かけようと示し合わせる。ふたりは急接近したのだ。(この場面は語り)

 第3場
パレルモの街の目抜き通り。人々は禁制を破って謝肉祭に浮かれ騒いでいる。
そこへプリゲッラが現れ、謝肉祭は禁止だ、と叫ぶので、人々は不承不承立ち去る。
ブリゲッラはさっそく仮装して、ドーレッラを探しにゆく。
イザベラとマリヤナが現れ、マリヤナを励まし、イザベラは去り、マリヤナも期待を胸にした歌を歌い去る。
仮装したフリードヒがそわそわと現れ、それと知ったルツィオにかわかわれる。
そこへ、マリアナが合図を送り、フリードリヒはそそくさと付いてゆく。ルツィオはイザベラだと思っているから、これを追いかけようとするが、運悪くドーレッラがやってきて、ブリゲッラと勘違いしてこれを離さない。しかたがなく、接吻をしてごまかし走り去るルツィオ。
これを見ていたイザベラはショックを受ける。まったくややこしい。
そこへ、死刑執行の書面が届き、これを見たイザベラは怒り、ルツィオに復讐を頼むが、ルツィオはすっかり誤解しているので乗り気でない。
 そこへ、一組の男女が捕えられてくる。
仮面を取れば、男はフリードリヒ、女は自らをその妻と名乗る。
イザベラは、これまでのいきさつを洗いざらい話し、フリドーリヒが嘘をついたと詰るが、フリードリヒは自分を死刑にしろと開き直る。
 そこで、人々は恋愛禁制の法律は破り捨てたから無効だ、と言ってフリードリヒを許す。
クラウディオも登場し、ルツィオもイザベラに謝罪し、修道院に帰ろうとするイザベラは、皆に止められ、かわりにルツィオの胸に飛び込む。
そのとき、国王帰国の知らせが入り、王を迎えようと謝肉祭は大いに盛り上がる。

以上が概略あらすじである。音楽の友・別冊の「ワーグナーとリング」を参照させていただきました。
こんな内容をざっと頭において聴けば、なかなかによく書けていて面白いオペラなのである。

Das_liebesverbot_2 主役は総督フリードリヒ。この筋からしたら、まったくの悪代官で、「お主も悪よのう~」とか、襖の奥にはお布団が引いてあって、アレ~っのシーンに登場してしまうようなタイプ。
でも、それは逆に人間らしい欲をもった側面であり、フリードリヒを覆っているのは、頑迷で融通の効かない思いこみの激しい性格。
これはある意味、滑稽でもあり、そうした意味では、後のマイスタージンガーのベックメッサーを思わせる。
だから、この役柄は、ヘルマン・プライ、その人をおいてほかに見当たらないくらいにピッタリなんだ。同じ頃、ベックメッサーで新境地を開き、さらにはヴォツェックにも挑戦する予定だったが、この録音の5年後、88年に59歳の若さで亡くなってしまった。
何度も書くけど、ルチア・ポップとともに、プライの早世は歌の世界の最大の損失だ。
 第2幕2場における、フリードリヒの独白は、ワーグナーがバリトンに与えた数々の名モノローグに匹敵する素晴らしいもので、欲望に揺れ動く心境と厳格な法の番人として死を決してしまう心情が歌いこめられていて、プライのよく通る美声と躍動感、その圧倒的な説得力ある歌唱に惚れぼれとしてしまう。

もう一人の主役が、イザベラ。獅子奮迅の大活躍ぶりは、自己犠牲は伴わないけれど、舞台を引っ張る強靭なソプラノ。一方で軽やかさも必要だから難しい役柄。
ミュンヘンを中心にワーグナーやシュトラウスの主役を歌い続けたザビーネ・ハース、日本にもやってきているし、おなじみだけど、音源が少ない。「影のない女」くらいかも。
やや音程にブレがあるけれど、すっきりとしたとてもきれいな声で、重々しい一時代前の歌唱と異なる。
サヴァリッシュとのトリスタンなど、音源化してもらえないだろうか。

二人の若い貴族はテノール。ファッスラーシュンク
二人とも声がでかく、どちらも立派なヘルデンテナーだけれど、ここでは軽めのノリの役柄。これまたちゃんとした録音が少ない二人が残念。

真面目でかわいらしいマリヤナのコバーン、ほかのオモシロ・コミカル役の歌手たち。
いずれも当時ミュンヘンやバイロイトで活躍し、その名を目にした人たちばかり。

こうした万全の布陣で、ポネルがどんな演出を付けたのか大いに気になるところ。
この年、ワーグナーの没後100年を記念してその全作品を指揮したサヴァリッシュ
その精力的な活動と意志の強さ、ワーグナーにかける情熱には誰しも頭が下がったはずだ。この後、シュトラウスのオペラも全曲上演してしまったサヴァリッシュ。
やはり劇場運営に疲れてしまったのか、フィラデルフィアでコンサート指揮者に専念することとなってゆく。
それはともかく、ここで聴くオーケストラの積極的かつ有機的な響きは、この珍しいオペラをまったく自分たちの音楽として易々と演奏しているように聴こえる。

序曲と最後のカーニバルの場面が、まるで打楽器協奏曲のようで派手ハデしいけれど、それ以外はかなり真っ当で、明るいながらもしっかりワーグナーしている面白いオペラであります。
こちらも、東京オペラプロデュースの上演歴が2度あり、「妖精」とともに再演を切に望みますsign03

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2009年7月 4日 (土)

なぞの「にゃんにゃん」

Mita_nyan1 都心の駐車場で見つけた怪しいナゾの生物sign02

都会に舞い降りたエイリアンか?

どれ、ズームアップしてその姿態を確認してみようではないかeye

Mita_nyan2 おっおーつ!

カンガルーかっ!

いや、なんのことはない、「ねこ」でしたcat

それにしても、尻尾、長ぇ~、手、長ぇ~~。

Cat3

はぁーんup

それがどうしたってんだsign03

と、ひとんちの「にゃんにゃん」S君再登場の図catface

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2009年7月 3日 (金)

チャイコフスキー 交響曲第4番 ロストロポーヴィチ指揮

Abukuma_1 福島県から宮城県に流れる阿武隈川。
宮城県側の丸森というあたりの河川敷。
こんなところ、今後絶対来ないな、と思い、道路の切れ目を見つけて降りて見た。
眩し~いsun

Abukuma_2

反対側の下流に目を転じると、あんれまぁ、橋が・・・・。

解体中かと思ったら逆で、架けている途中のようだった。
珍しい景色でしょ。

Tchaikovsky_rostoropovich_2何を思ったか、急にチャイコフスキー第4交響が聴きたくなった。

5番は、始終聴いているし、ラジオを付けると鳴っていたりする最人気曲だ。
6番は、ちょっと食傷ぎみ。
1番は大好きだけど、今聴くには暑すぎる。
2番は軽薄すぎるし、3番も寒くないとね・・・。
マンフレッドは引きずりまわされて疲れちゃうし。

だから4番かっupwardright

考えたら4番は、アンバランスで身勝手な交響曲だ。


長大で幻想的な第1楽章は深刻で胸毛のあるロシア人が頭抱えて、それこそ胸をかきむしって悩んでいるみたいな苦渋の音楽。でも哀愁さそう旋律に夢心地となる場面も・・・。
さらにメランコリックな第2楽章がそれに追い打ちをかける。
あぁ、愛しいあの方はどーして?? なーんて気分で、これまた悩んでください。
 一転、ピチカートの3楽章は明るく、さっきまでにお悩みはいずこに。
あっけらかんと終わってしまい、怒涛の終楽章へ。
終わりよければすべてよし。矢でも鉄砲でも持ってこいってんだ。
ガンガンいくよ、がんがんとね。ちょっと立ち止まってこれまでを振り返り、冒頭に少し帰ってみて悩んでみたと思ったら、すくっと立ち上がり、「さぁ皆さんご一緒に」的にハチャムチャ大フィナーレが怒涛のように押し寄せ、何事もなかったかのように、聴くわれわれを興奮の坩堝に陥れて勝手に終わってしまう。

これだよ、この独りよがり的な交響曲第4番が面白いのだ。

今日は、望郷の思いあふれるロストロポーヴィチロンドン・フィルハーモニーの76年の演奏で。
ロストロさんは、この曲を約45分かけて演奏している。
通常40分から42分くらいの演奏が多いなかでは、長めの演奏タイムだが、さほど長いとは感じさせない。
思いを込めてじっくり歌いあげる部分とダイナミックにたたみかける部分とのメリハリが豊かだからだろうか。
終楽章は、お祭り騒ぎを期待するも、空しく裏切られ、インテンポで着実なエンディングが用意されていて以外だったりする。
濃厚になりすぎる一歩手前で立ち止まってしまった感もあって、少し残念。
以前取り上げた5番の方が熱いぞ!
ロシアのオーケストラだったらうるさくなったり野放図になってしまうところが、ロンドンでも一番くすんだ音色をもっていたLPOとのコンビはいい。
だから、ロシア系の演奏というよりは、ヨーロッパのチャイコフスキーになっている。

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2009年7月 2日 (木)

ハイドン トランペット協奏曲 ハーセス&アバド

Pepsiso_2 今年の夏の限定ペプシは、「しそ」。

去年は、ブルーハワイ、一昨年はキューカンバー(きゅうり)だった。

楽しいのうsmile

一口飲めば、まるで「しそ」。
おいしそーでしょ・・・・、でもないかbleah

Cso 今日は、ハイドントランペット協奏曲
1796年、ハイドン64歳の最充実期のこの作品。

改良が進んでメカニックになったトランペットを想定して書かれた曲だけに華やかなソロが目立つ。
一方のオーケストラは、シンフォニーのように鳴りのよさがあって、とてもよく書かれている。
さすがはハイドン。

フンメルと並んで、髄一のトランペット協奏曲の名曲。
あとは、ヴィヴァルディ、テレマン、ずっと下ってトマジ、ジョリヴェあたりだろうか。
トマジの曲は、神奈川フィル定期で聴いたことがあった。ジャジーな雰囲気が粋な曲だった。
でも、モーツァルトは、何故にトランペット協奏曲を書かなかったんだろ?

15分たらずの演奏時間、変ホ長調の屈託ない明るい協奏曲は、中身はともかく、メロディも一聴して覚えてしまう親しみ溢れるものだ。
これが、シカゴ交響楽団の名手、アドルフ・ハーセスの手にかかると、フレンドリー感はそのままに、多彩で鮮やかな音色を難なく次々に繰り出してみせて、舌を巻くどころか唖然とさせてくれる。
ショルティ時代を飾った、「ザ・シカゴ」のような音色のハーセスだけに、ピーンと突き抜けるような響きがあまりに素晴らしい。
マーラーの5番、展覧会、ツァラトゥストラなどなどに、刷り込みのようなその音色。
すごいものです。

アバドシカゴ響の品のいいバックも弾みがよろしく素敵なのである。

このCDは、アバドがシカゴの首席客演指揮者時代の貴重な1枚で、ほかはいずれもモーツァルトで、グレヴェンジャーのホルン、エリオットのファゴット、スティルのオーボエのそれぞれ協奏曲が聴ける。
シカゴ、ベルリン、ウィーン、ドレスデン、パリ、管の名手が多いオーケストラ。
名人揃いのオーケストラ、指揮者は楽なのだろうか、それとも大変なんだろうか・・・

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