2020年2月16日 (日)

アンサンブル・ラディアント演奏会 広上淳一指揮

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ほころびだした河津桜。

悲しい音楽家たちの訃報、不安な感染の蔓延、国策への大いなる不満・・・・いろんな出来事が継続します。

しかし、季節は確実に進んでます。

春はやってきます。

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これを聴きに、実家のある神奈川県の二宮町へ。

家と目と鼻の先にある町の生涯学習センター「ラディアン」の大ホールでの演奏会。

このホール開設時に創設された、湘南・西湘地区のアマチュアとプロの奏者たちの皆さんによるアンサンブルがラディアントです。

今年で、ラディアンも20周年、このアンサンブルも20周年です。

年1回のコンサート、ずっと気になっていたけれど、なかなか帰ってくるタイミングに合わず、今回が初の鑑賞となりました。

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  ヴィヴァルディ 「調和の霊感」より第11曲

  バッハ     ヴァイオリン協奏曲第2番

    Vn:白井 英治  長岡 秀子
    Vc:安田 謙一郎

  バルトーク   弦楽のためのディヴェルティメント

  武満 徹    3つの映画音楽

     「ホゼー・ドレス」~訓練と休憩の音楽
     「黒い雨」~葬送の音楽
     「他人の顔」~ワルツ

  アンコール~「ダニー・ボーイ」

    広上 淳一 指揮 (後半)

     アンサンブル・ラディアント
       コンサート・マスター:白井 英治
       賛助出演:長岡 秀子 安田 謙一郎
            Vla 百武 由紀

        (2020.2.15 @二宮町 ラディアンホール)

地元や周辺の方々で満席。
町長もいらっしゃいました。

広上さんの登場は後半。

のびやかなヴィヴァルディ。
次のバッハよりは、このアンサンブル向きかも。
おだやかな二宮町の風土には、バッハよりはヴィヴァルディだな、とほっこりしながら聴いてました。
各パートが、プロの皆さんがトップで引き締まります。
ただ、チェロパートが厚く、ヴィオラパートが薄い、これはアマチュアアンサンブルでは付き物の悩みかもです。
それが、広上さんの指揮が入ると、まったく関係なくなるのが、やはり指揮者という存在の大きさと、広上さんの実力。

リーダー白井さんのかくしゃくたるヴァイオリンソロ。
艶もあってなかなかのもの。
そのお名前と、お顔、聴きながら、わたくしの遥か昔の遠い記憶をたどってました。
高校生のとき、小田原フィルハーモニーのお手伝いをしたことがありました。
打楽器をやらせてもらって、定期演奏会のステージにのりましたが、そのときの、ヴァイオリンのソリストが、当時、読響に在籍されていた白井先生でした。
曲目は、ラロのスペイン交響曲だった・・・・
 そんな風に思いながら、自分の育った町の、自分の育った家の真ん前のホールで聴いた、前半のヴィヴァルディとバッハなのでした。

後半は、広上さんが登場して、そんなノスタルジーに浸っている暇はなくなりました。
そう、緊張感のたぎる、集中力の高い演奏に、わたくしも、おそらくバルトークや武満なんて、日頃は聞いたことがない多くの聴き手も、ステージの演奏に釘付けになってしまったのでした。

バルトークでは、協奏交響曲のように、各首席のソロが腕達者な皆様の見事さもあって、その構成が浮き彫りにされます。
同時に新古典的な簡潔さと、バルトークならではの土臭さ、というかマジャール的な音のウネリが1楽章から湧き上がるのを感じました。
そう、前半と大違いの雰囲気に、ホールの空気もガラリと変わってしまったのです。
2楽章のミステリアスな美しさはこの日の演奏のなかでも白眉のものです。
3楽章も、ハンガリーを感じさせる民族色もよく出ていまして、気合の入った広上さんの指揮のもと、奏者のみなさんは、食らいつくようにして熱の入った演奏を聴かせてくれました。
 とてもいいバルトークが聴けました。

最後は、組曲のように編まれた武満の映画作品。
これもステキな音楽。
ピチカートが楽しかった第1曲。
深刻なレクイエムのような「黒い雨」。
小説で読みました、スーちゃんの演技も映画では素晴らしかった。
そんなことも去来しつつ聴いた、音楽に、そして繊細な演奏でした。
最後は、聴衆を乗せてしまう魅惑の禁断のワルツ。
これも本で読んだ安部公房作品。
デカダンなその音楽、ハチャトゥリアンのあの曲も感じさせながら、でも日本人の気持ちのツボを押さえたようなワルツの音楽。
シンプルだけど、いろいろ意味深な武満シネマサウンドを、広上さんは、わかりやすく、ひも解くように指揮。

会場も大いに沸きました!

最後に、白井さんと、マエストロ広上さんのトーク。
茅ヶ崎ゆかりの出自などを、楽しくお話しされ、会場も大いに親近感がわいたマエストロ。
コバケンさんの、という前触れ付きで、アンコールは、「ダニー・ボーイ」

郷愁とともに、盛り上がりましたね!

来年はなにを聴かせてくれるのかな、いまから楽しみです。
最愛の地元で聴く音楽。
ありがとうございました。

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2020年2月11日 (火)

ミレッラ・フレーニを偲んで ②

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ミレッラ・フレーニ(1935~2020)の逝去を悼み、2本目の記事は、彼女の音源をいろいろ聴いて偲びます。

始めて買ったフレーニのレコードが、これも初めての「ラ・ボエーム」です。
中学生のとき、発売早々に買いました。 
たしか、舞台設定と同じ頃の季節は冬でした。
来る日も来る日も、ミミとロドルフォのアリアと、ふたりの二重唱を聴いてました。
でも、4幕はミミの死が辛すぎてたどり着かなかったです。。。

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  プッチーニ 「ラ・ボエーム」

ベルリンフィル初のイタリアオペラ録音。
そしてDGではなく、デッカ録音というところが当時は話題になりました。
そう、確かにオーケストラの威力は強力で、録音もソニックステージで、分離が鮮やか、かつ擬音もたっぷり入って雰囲気豊かなものでした。

当時好きな子もいたりして、その子をミミにあてはめたりしていた中坊でした。
だから、このフレーニの愛らしいミミが、今に至るまで、私の「ザ・ミミ」なのです。
フレーニのミミは、かけがえのない唯一無二の存在です。
ミミの死は、ほんとうに泣いちゃいます。

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 プッチーニ 「マノン・レスコー」
       「蝶々夫人」

フレーニには、いずれも他に録音がありますが、シノーポリとのこちらが好きです。
いろんな女性の姿を描き続けたプッチーニの各タイトルロールへの想いが、フレーニによって、そのまま歌い込まれてます。
いずれも最後には、命を落としてしまう、気の毒な役柄ばかりだけれども、それゆえに、フレーニの優しくも暖かい歌声が胸にしみます。

あとは、「トゥーランドット」のリュウと、「ジャンニ・スキッキ」のラウレッタがフレーニらしい可愛さを味わえますね。

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 モーツァルト 「フィガロの結婚」

フィガロのスザンナと、「ドン・ジョヴァンニ」のツェルリーナもフレーニの得意のレパートリーでした。

コリン・デイヴィス指揮するBBC響とのフィリップス録音は、活気あふれる快速テンポにのって、快活で元気なスザンナを生き生きと歌ってます。
ベームのフィガロの映像盤では、プライのフィガロとともに、抜群のコンビを組んでますが、そちらは以前にビデオ収録したもののいまや見れませんし、正規盤をいつか欲しいと思ってます。
 そして、アバドがスカラ座時代に上演したフィガロでは、このふたりが入れ替わって、プライが伯爵、フレーニが伯爵夫人ロジーナを歌ってます。
以前にも、こちらのブログでも取り上げましたが、フレーニの伯爵夫人は、あたりを打ち払うような穏やかさと気品にあふれた歌唱で、とても落ち着きがあります。
でも、わたくしたちには、フレーニはスザンナですね。

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 ビゼー 「カルメン」

フレーニといえば、ミカエラも忘れちゃいけませんね。
ファムファタールのカルメンに対して、切なさ一杯の待つ女性、ミカエラをこれまた愛らしく歌ってます。
自分なら、おっかないカルメンなんかから逃げて、こんなかわいいミカエラちゃんを、ちゃんと選びますね。

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 マスカニーニ 「友人フリッツ」

血なまぐさいカヴァレリアのあとに書いたマスカニーニの牧歌的オペラといわれる、ハートウォーミングな愛すべきオペラ。
まだブログで取り上げてませんが、マスカーニのオペラは、レオンカヴァッロ、ジョルダーノとともに、着々とそろえています。
 同郷のパヴァロッティとの共演では、ボエームのそれとともに、抜群の声のコンビネーションです。
他愛もないドラマですが、ここにたくさん散りばめられたアリアの数々は、とても素敵なものばかりで、なおかつ優しいフレーニの声向きのものですから、若きフレーニの瑞々しい、フルーティーな歌声が大いに楽しめます。
こういう歌を聴くと、いまやこんな歌声の歌手はいないな、とつくづく彼女の存在がありがたく感じられるものです。
それは同じく若いパヴァロッティにも言えることです。

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  チャイコフスキー 「エウゲニ・オネーギン」
           「スペードの女王」

チャイコフスキーのこのふたつのオペラもフレーニは得意にしておりました。
スーブレットから、徐々に声に力感も増して、リリコ・スピントの役柄までを幅広く歌うようになったフレーニ。
そんな一環としてのチャイコフスキーのオペラ。
夫君のギャウロウの指導などもあったかもしれません。

タチャーナも、リーザもどちらも、私には理想的な歌唱でして、ロシア風のほの暗さやたくましい歌いまわしとは、まったく隔絶した、透明感あふれるクリーンでクリアな歌です。
西欧側のチャイコフスキーとして、最高の歌であり、指揮者もオーケストラも同様の響きを感じます。
大好きな「手紙の場」を何度もここだけ聴きましたし、いまも聴いてます。
不安と焦燥、そしてそれが情熱へと変わっていくタチャーナの心情をフレーニは見事に歌い込んでます。

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 ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」
       「ドン・カルロ」
       「エルナーニ」
       「オテロ」

やっぱりヴェルディ。
フレーニの歌うヴェルディは、正統派ソプラノの理想のヴェルディという言葉しかない。
数々の録音あれど、非正規のものもここにあげてしまうほど、そのライブが素晴らしい。
マリア、エリザベッタ、ドンナ・エルヴィーラ、デスデモーナ。

アバドのシモンは、わたくしの生涯の思い出の日本での上演と、完成度の極めて高いイタリアオペラのレコードの最高峰のふたつでフレーニが歌ってます。
父と恋人を愛する純なマリアです。

スカラ座のライブのドン・カルロは貴重な音源で、録音もステレオでよいです。
いつも上演していたメンバーをカラヤンにかっさわれて録音もそちらで行われてしまったので、フレーニ、カレーラス、カプッチルリ、ギャウロウ、オブラスツォワとそろった超豪華キャストは捨てがたいものがありますし、しかも5幕版です。
 ここでのエリザベッタは、気品と悲劇性とが見事に溶け合った名唱であります。
アバドとのドン・カルロでは、あとウィーン国立歌劇場でのFMライブも持ってまして、フレーニがここでも最高、聴衆の喝采が止みません。

 初期オペラに特有の荒唐無稽ぶりが満載の「エルナーニ」でも、夫君のギャウロウと共演。
3人の男性に愛されてしまうという悩み多き女性ですが、初期ゆえにふんだんなアリアと歌の数々がここにあふれてます。
しかも、まだスカラ座就任前のムーティの強靭なカンタービレに乗ってうたうフレーニの歌声は素晴らしいです。

デスデモーナは、カラヤンの正規録音もいいですが、やはりカルロス・クライバーの情熱ほとばしる指揮と、カプッチルリのイヤーゴが聴けるライブ盤でのフレーニがよい。
運命と夫の妄想にもてあそばれる、この悲劇的な役柄も、やはりフレーニ向きで、実に素晴らしい。
終幕の「柳の歌~アヴェマリア」を聴きましょう。
その清らかなフレーニの歌声に、在りし日の、わたしたちの名歌手フレーニを偲びます。

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           スカラ座来日公演 クライバー指揮

フレーニを偲ぶ特集。

最後はミミ。

「わたしの名はミミ」そして、最後の場面を聴いて涙をひとしずく・・・・・

ミレッラ・フレーニさん、たくさんの歌をとどけていただいて、ほんとうにありがとうございました。
これからも、ずっとずっと、あなたの歌声を聴いてまいります。

その魂が安らかならんこと、心よりお祈り申し上げます♰

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ミレッラ・フレーニを偲んで ①

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ミレッラ・フレーニが、2月8日、故郷のモデナの自宅で亡くなりました。
享年84歳。
2月27日の誕生日まで、あと少しでしたが、このところ療養中だったとのことです。
モデナの地元紙の逝去の報です。

こうして、またひとり、わたしにとって思い出深い、いえ、世界のオペラファンにとってもっとも愛すべき歌手が去ってしまいました。

歌手が亡くなるたびに思い、そして書くことですが、その歌声が聴き手の脳裏に完全に刻まれるものですから、引退して久しくとも、現役で活躍していた指揮者や奏者の死去と同等といえるくらいに悲しみは大きいものです。

活躍の名前を見なくなってしまった歌手たちが、いままだ健在かな?どうしてるかな?などと、ときおり検索したりしてます。
そんななかのひとりが、フレーニでした。
わたしを導いてくれた、まだちょっと気になる歌手たちが何人も思い浮かびます。

フレーニは、多くの舞台、指揮者たちにひっぱりだこだったので、その音源もたくさんあります。
そのオペラの代表的な演奏にもなっているので、私もたくさん持ってます。
そして、何度かその舞台にも接することができ、小柄で、チャーミングな所作も、その歌声とともに、しっかりと記憶にとどめてます。

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こちらは、モデナのオペラハウス、パヴァロッティ・モデナのフェイスブック。
同郷の幼馴染みのパヴァロッティの名前を冠したハウスです。
Ciaoは、こんにちはの挨拶ばかりでなく、バイバイとか、さよなら、とか親しみを込めたお別れの挨拶にも使われます。

往年のカラスやテヴァルディが大歌手と呼ばれ、スターダムにあり、ゴシップも噂されたりしたのに比べ、フレーニは、常に親しみやすい存在として、わたしたちのお姉さんてきな存在で、大歌手と呼ぶよりは、親しみを込めて「名歌手」と呼ぶに相応しい存在でした。

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こちらは、スカラ座のFacebook。

お宝画像のような1枚。
これは、ヴェルディのレクイエムの演奏後のものでしょうか。
ご主人のギャウロウ、パヴァロッティ、オブラスツォワ、そしてアバドも、みんないまごろ天上で楽しくしていらっしゃるのでしょうか・・・・

アバド、フレーニ、ギャウロウ、カプッチルリ、パヴァロッティは、みんな仲良しでファミリーのようでした。

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世界中のオペラハウスが、フレーニの逝去を偲んで続々と報じております。
こちらは、ウィーン国立歌劇場。
エリザベッタを歌うお姿でしょうか。

ヴェルディとプッチーニを軸に、モーツァルト、ベルリーニ、ドニゼッテイ、グノー、そしてチャイコフスキー。
ドン・カルロのエリザベッタにおける気品と悲劇性は、いまもって、フレーニを超える歌唱はありません。
もちろん、ミミも!

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1981年のスカラ座の来日における「シモン・ボッカネグラ」のマリア。

アバドの指揮にドキドキしながら釘付けでしたが、この作品を、その5年前のNHKイタリアオペラでも接し、熟知していた若きワタクシです。
カプッチルリ、ギャウロウの強力男声陣に、ひと際咲いたフレーニのひたむきな歌唱にしびれました。
ストレーレルの名舞台、船の前で歌うこのフレーニのアリア、忘れられない1シーンであり、彼女の歌声です。

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ウィーン国立歌劇場の1986年の来日公演。
鮮烈だったシノーポリの指揮。
巨大なNHKホール、小柄なのに、その魅力的な声ですみずみにまで満たしてしまう、その声量と真っ直ぐなストレートヴォイスに驚きだった。
奔放さと、明るい無邪気さ、そして薄幸のマノンを見事に歌い込んだフレーニでした。

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擦り切れるほど聴いた、フレーニの参加したヴェルディのレクイエム。
カラヤンとアバド、ふたりの指揮者に愛され、多くの共演があります。
カラヤンの1度目の録音は、派手さはなく、意外と渋いですが、さすがはベルリンフィルという威力があります。
アバドのこれも1度目は、なんといってもスカラ座のオケと合唱のすばらしさと、アバドの求心力の強さ。
そして、いずれも真摯なフレーニの歌には、癒しさえ感じます。
彼女の最後の言葉、Libera me がしみます。。。

追悼第1の記事は、このあたりで筆をおきます♰

Chaio Mirrela Freni !

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2020年2月 9日 (日)

ブリテン セレナード ピアーズ&ブリテン

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冬の海の夕暮れ。

相模湾に遠くの伊豆半島。

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  ブリテン セレナード

        ~テノール独唱、ホルン、弦楽のための~

   T:ピーター・ピアーズ

   Hr:バリー・タックウェル

  ベンジャミン・ブリテン指揮 ロンドン交響楽団

       (1963.12 @キングスウェイホール、ロンドン)

深い絆で結ばれたブリテンとピアーズ。
歌手ピアーズがいなかったら、ブリテンの数々のオペラの名作や、多彩な声楽曲はこれほどに生まれなかったかもしれない。

そんなピアーズと、伝説級のホルンの名手デニス・ブレインのために書かれた作品が、ホルンとテノールと弦楽のための「セレナード」。

この作品は、美しく、そして怜悧なクールさも秘めた、月の浮かぶ冬の夜空のような名曲だ。

フランク・ブリッジにその才能を磨かれ、シンプル・シンフォニーで作曲家として認められた若きブリテンは、ピアーズとも知り合い、お互いに平和を希求する心を高めあっていった。
その気持ちに沿うようにして、ふたりは戦雲を立ち込めつつあったイギリスとヨーロッパから脱出するように、アメリカに渡り、そこで作曲活動をするようになった。
 このアメリカ時代は、1939年から1942年で、ブリテンのこの活動は、イギリスでは、良心的兵役拒否として認められるところとなった。

帰国後の1943年に書かれたのが、「セレナード」で、そのあと「ピーター・グライムズ」「ルクレツィアの凌辱」など、数々の作品の創作の森に踏み込んでいくのでした。
作曲年に、ロンドンにて、ピアーズとブレイン、ワルター・ゲールの指揮により初演。
このゲールという指揮者は、シェーンベルクの弟子で、ユダヤ系であったため、イギリスに渡り、同国とオランダにて活躍した人。
会員制のレコード頒布組織のコンサートホールに加入していたので、その名前はよく見て覚えていたし、協奏曲のレコードなどいくつか持ってました。

8曲からなる連作歌曲集で、その8曲のうち、曲の冒頭と最後の8曲目は、ホルンのソロだけ、という極めてユニークかつ印象的な構成になっている。
全編に際立つ名技性を伴ったホルンの活躍、技術的なことはわかりませんが、自然倍音だけで奏されるソロだけの部分は、夜のしじまに鳴り響くエコーのようで一度聴くと、耳にずっと残って忘れられないものがあります。
またテノールの音域とホルンの音色の絶妙なブレンドの妙と掛け合いの巧みな筆致。
あと、弦楽器の背景色のパレットは、各曲の詩の内容を描きだすようなブリテンならではの、雄弁さと淡さを感じる。

そして主役のテノールは、熱くもあり、情熱を感じる一方で、どこか醒めたような立ち位置から英国の風物を歌うような風情がある。
このあと書かれるあの没頭的な「ピーター・グライムズ」の主役のテノールとはまた違う、クールなテノールの歌曲集に思う。

英国詩を代表する詩人たちの作品をそれぞれ選択。
①プロローグ(ホルンソロ)②パストラール(チャールズ・コットン)③ノクターン(アルフレッド・テニスン)④エレジー(ウィリアム・ブレイク)⑤追悼の歌(作者不詳)⑥讃歌(ベン・ジョンソン)⑦ソネット(ジョン・キーツ)⑧エピローグ(ホルンソロ)
自然、四季、死と祈りなど、英国の市井に即した詩たちです。

繊細かつ知的な抑制も効いたピアーズの歌。
作品と恐ろしいまでに同化している。
それと、タックウェルの艶やかな音色と、難しさを感じさせない技巧の冴え。
初演者のブレインは、1957年に交通事故死してしまったので、この作品のステレオ録音は残せなかった。
それを補ってあまりあるタックウェルの本盤の演奏のすばらしさです。

そのバリー・タックウェルも、先ごろ、2020年1月16日に亡くなってしまいました。
オーストラリア出身で、ロンドン響の首席を長く務めた名手、晩年は指揮者として活動してました。
ブレインとタックウェル、そして、アラン・シヴィルは、ほぼ同じような年代で、ロンドンのオーケストラに咲いたホルンの華でありました。
そうそう、シヴィルは、ビートルズの曲でもステキなホルンを吹いてました。

タックウェルの追悼もかねて、取り上げたセレナード。
ブリテンには、同様のオーケストラ付きの歌曲として、あと「イリュミナシオン」と「夜想曲」がありまして、それらもいろんな音盤で聴いてますので、いずれまた取り上げることにしましょう。

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2020年1月30日 (木)

グラズノフ 「四季」 デ・ワールト指揮

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梅の花もほころんでまいりました。

寒いんだか、暖かいんだかわからないくらいに、ここ関東では気温の変化が大きいこの冬です。

雪国には雪も少なく、あるべく季節感のメリハリがなくなってきてしまった感があります。

音楽ではちゃんと四季を。

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  グラズノフ バレエ「四季」

   エド・デ・ワールト指揮 ミネソタ管弦楽団

       (1993.1 @オーケストラホール、ミネアポリス)


チャイコフスキーの西欧風ロシアロマン主義と、恩師R・コルサコフら、5人組のロシア民族主義、その双方のDNAを受け継いだような存在のグラズノフ(1865~1936)。
とくに、チャイコフスキーが拓いたロシアのバレエ音楽の意匠を引き継ぎ、ライモンダと四季、有名なふたつの作品、さらに8曲の交響曲でも、ロシアと西欧の融合というグラズノフの音楽の傾向は顕著です。

 過去にアンセルメの演奏で取り上げた内容を修正しつつ転載。

1899年、プティパの依頼により作曲され、翌年、マリンスキー劇場にて初演。
35分ほどのバレエ音楽で、その名のとおり、4つの季節を、それもロシア特有の四季をほのぼのと描いた作品。

1~2分ぐらいのディヴェルティスマンの連続する、ある意味めまぐるしく変わりゆくその表情ある音楽たちの集積でもあり、特定の物語を持たないので、チャイコフスキーのような個性的なドラマ性とは遠い音楽でもあります。
でもそれが、演奏会や音盤だけで聴く場合に、そのメロディアスなサウンドや、甘味さ、優しい郷愁などが、ある意味人畜無害なピースフルミュージックとして楽しめるものでもあると思います。

「春夏秋冬」ではなくて、「冬春夏秋」という構成で、「冬」から始まるのが、いかにも、ロシアならではの風情であり、作曲者の感性であります。

第1場:厳しい閉ざされた季節のなかにも、霜や氷、雪などを幻想味ゆたかに表現してる「冬」

第2場:ほのぼのとやってくる「春」は、小鳥や花の世界で、たまらなく美しい旋律が続出。

第3場:北国の短い「夏」は、春との境目が緩やかで、恵を予感させ、さらに緩やかな夜も舟歌を歌って楽しげ。

第4場:実りの「秋」は、祭りの秋、豊穣の秋だ。爆発的なバッカナーレがあります。
だが、しかし、最後には、冬の横顔もチラつきだしながらも、さらに夏も回顧しつつ晴れやかに幕!

いい曲ですよ。
「秋」の音楽は、どこかで聴いたことがある、たしか、ディズニーのアニメで、ミッキーマウス作品だったかと思うが、勇壮な場面で巧みに使われていたと記憶します。

 自然豊かなミネソタ州の州都、ミネアポリスのオーケストラが奏でるグラズノフ。
マリナーの後を受けて、1986年から1995年まで首席指揮者を務めたデ・ワールトの指揮とともに、珍しいレパートリーだと思います。
バレエ音楽というよりも、生真面目にシンフォニックに演奏した感じで、CDで自室で楽しむのに、録音の良さもあって、これほどふさわしいスタンダードなものはないと思う。
もっと歌いまくったり、ガンガン鳴らしてもいいかもしれないけれど、そういうときは、スヴェトラーノフやアンセルメを聴けばいい。
夜にぼんやりしたいときとか、昼食後に少しまったりしたいときなどに、この素直で、クリアーな演奏はありがたいものです。

まだまだグラズノフは、いまいち知らない作曲家です。
交響曲も5番と8番しか知らないし、あとヴァイオリン協奏曲ぐらいで、ライモンダも聴いたことないもんだ。
ぼちぼち、ショスタコーヴィチを見出したシンフォニストとしてのグラズノフの交響曲にチャレンジしてみようと思う。
セレブリエールの全曲盤が管弦楽や協奏曲も含めた全集で、異常に安くなってる!
または、尾高さんか、ヤルヴィか・・・うーむ
 こんな風に、探求と鬼集、いくつになってもやめられませんなぁ~

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夕方に撮ったので、ぼけぼけだけど、赤いのも。

春待ち遠し、でも、怖いよ新型ウ〇イ〇、堪忍にて・・・・

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2020年1月24日 (金)

ストラヴィンスキー 「プルチネッラ」 アバド指揮

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水仙の花。
こちらはニホンズイセン。
家のまわりや、いつも行く吾妻山にもたくさん群生してます。
ヒガンバナ科とのことで、球根から育ちます。

その球根を、放り投げておくだけで自生し、どんどん育って今時分に花を咲かせます。

なんといっても香りがよろしい。

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  ストラヴィンスキー バレエ「プルチネッラ」

    Ms:テレサ・ベルガンサ
    T: ライランド・デイヴィス
    Br:ジョン・シャーリー・クワァーク

  クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

       (1978.3,5 @ヘンリー・ウッドホール、ロンドン)

アバドは、ロンドン響時代に、3大バレエを録音しましたが、順番で言うとペトルーシュカで完成させる前に「プルチネッラ」を取り上げました。
組曲版でなく、独唱も加わった全曲版であったところがアバドらしいこだわりといえます。
これら4つのバレエ作品に、あと同じくバレエ「カルタ遊び」に、ヴァイオリン協奏曲が、アバドが残したストラヴィンスキーの正規録音です。
あと非正規ですが、若き日の演奏「オイディプス王」もありまして、密かに聴いてますのでいずれ機会があれば取り上げたいと思ってます。
 この「オイディプス」はアバド向きの作品に思うのですが、ベルリンかルツェルンでも取り上げてもおかしくなかったです。
それと「カルタ遊び」も、ロッシーニなどのパロディにあふれていて、これもまた、70年代のアバドが取り上げるにふさわしい作品だったりします。

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ディアギレフの依頼により1919年に作曲。
ペルゴレージの作品を中心に、ガッロ、チェレーリ、パリソッティなどの前古典派作品の大オーケストラ版への編曲、ということでの依頼だったが、ストラヴィンスキーの造り上げた音楽は、すっきりとした小ぶりな編成による、コンチェルトグロッソ的な作品で、各楽器がソロで活躍し、加えて3人の歌手も要するユニークなものでした。
 序曲(シンフォニア)と8場、18曲からなる音楽で、自身で選んだ8つの曲からなる組曲版の方が今ではよく演奏される。
1920年の初演では、アンセルメが指揮をとり、舞台美術と衣装はパブロ・ピカソ。

ちょっと探したら、舞台のスケッチと、それを再現した実際の舞台の写真を見ることができました。

Picasso

Pultinera

プルチネッラは、ナポリが発祥の地で、ナポリ近郊の町に実在した農民プッチョ・ダニエッロさんがモデルで、道化師さんのことで、ナポリの化身ともいわれるそうな。
長い帽子、だぼだぼの服に黒い仮面がトレードマーク。
明るく楽しく、誰からも愛される人懐っこい人気もので、ナポリの街には、プルチネッラの像や人形やらであふれているそうです。

このプルチネッラを主役のナポリの民衆劇を素材にしたこのバレエの筋も楽しいものです。
色男でもあるプルチネッラは、超人気もので、女たちにモテまくり。
恋人のピンピネルラも嫉妬。
街の若者たちは、ねたんだ挙句、殺してしまうが、身代わりを立てて助かるプルチネッラ。
その身代わりさんも、無事安全。
最後は、舞台は女性の気を引こうとした偽のプルチネッラだらけになって大騒ぎ。
最後は本物のプルチネッラとピンピネッラは仲直りして結婚、そして若者たちも女の子たちと結婚でハッピーエンド。

EMIのマリナーの全曲盤にバレエをつけた映像作品をネット視聴してみました。
これがまた面白いのなんのって。

Pulcinera-marrner

みんな可愛い。
いっぱい出てくるプルチネッラのダンスが愉快で、マネしてみたら身体じゅう痛くなった。
脱力系で、ひとりが棒で人形を操る3人羽織みたいな感じで、舞台中プルチネッラばっかり(笑)
カトちゃんのヒゲダンスを思い出しちまった・・・

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軽やかで、プルチネッラの鼻歌までも聴こえてきそうなアバドのストラヴィンスキー。
ロンドン響から、最高のロッシーニサウンドを引き出したように、センスばっちりの生き生きとしたプルチネッラは、このオーケストラとの演奏でこそできたものでしょう。
もっと羽目をはずしてもよさそうなところも、アバドならではの気品すら漂う上質ぶり。
いにしえの音楽が、ストラヴィンスキーによって鮮やかにリフレッシュされた感も満載で、ペルゴレージの音楽を愛したアバドのイタリアの歌心もここにはあります。
ともかく、しなやかによく歌う、そして、オペラのようなラルゴはまさに絶品。
 歌うといえば、ふたりの男声英国歌手はうまいもんだし、ベルガンサの知的だけどほのかな色気すらにじませる歌唱が素敵であります。
アバドとベルガンサのカルメンの翌年の録音であります。
アバドと1歳違いのベルガンサは、まだ健在のようで、アバドのことが大好きだったベルガンサさんには、ずっと元気でいて欲しいです!

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レコードジャケットは、ピーター・ワンドリーというドイツ人アーティストのものです。
絵画からデザイン、彫刻など広範に手掛けたアーティストで、ロックやクラシックも好み、バレエにも造詣が深かったようです。
アバドのストラヴィンスキーは、全部この方の作品で、こうして並べてみると、シンメトリー感と色彩感、そして舞台をほうふつとさせる雰囲気がよく出てます。
 DGは、ワンドリーにいくつもジャケットを依頼してまして、バレンボイムのベルリオーズシリーズや、スタインバーグとボストン響のレコードもあります。

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レコードジャケットは、大きいし見栄えもあるので、インテリアにもなりました。
曲を聴くときに、ジャケットをスピーカーの上に立てかけて、それを眺めながら聴いたものです。
このアバドのストラヴィンスキーや、アバドのマーラーの羽のジャケットなど、ほんと絵になりました。
洋楽系などは、壁に飾ったりもしてましたよ。
 CDでは、いまでは、ちょっと無理な大人な世界かもしれません。

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2020年1月20日 (月)

ベートーヴェン 「フィデリオ」 アバド指揮

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毎度の場所ですが、お正月の吾妻山から。

富士と海と菜の花が一度に見れます。

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麓の小学校に通っていたから、子供の頃から始終登ってました。
でも、当時は山頂はこんなに整備されてませんでしたが。

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  ベートーヴェン 歌劇「フィデリオ」

 レオノーレ:ニーナ・シュティンメ
 フロレスタン:ヨナス・カウフマン
 ドン・ピッアロ:ファルク・シュトルックマン
 ドン・フェルナンド:ペーター・マッティ
 ロッコ:クリストフ・フィッシェサー
 マルツェリーネ:ラヘェル・ハルニッシュ
 ヤキーノ:クリストフ・シュトレール

  クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団
               マーラー・チェンバー・オーケストラ
               アルノルト・シェーンベルク合唱団
         
          (2010.8.12,15 @ルツェルン)

1月20日は、クラウディオ・アバドの命日となります。
あのショックだった2014年から、もう6年が経ちます。

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ベルリンフィルを退任後、しばらくしてスタートさせたルツェルンのスーパーオーケストラとの共演は、2003年からスタートし、マーラーを毎年連続して取り上げました。
8番は予告されながら、残念ながら取り上げなかったのですが、2010年は、マーラー・チクルスの最後の9番と、「フィデリオ」が取り上げられました。
翌2011年には、折からの東日本大震災への追悼演奏で10番のアダージョを取り上げたほか、ブルックナー・チクルスが開始され、ベートーヴェンに、やがてブラームスにと円熟のアバドのルツェルン演奏が期待されていたなかでの死去でありました。

ベートーヴェンの作品の多くを指揮してきたアバドですが、「フィデリオ」を取り上げたのは、このルツェルン2010が初めてのはず。
(アバド歴長いので、そうだと思い書いてます)
人間ドラマを伴うオペラを好み、かなりのオペラのレパートリーを持つアバドでしたが、76歳にしての初「フィデリオ」とはまた興味深いことです。

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ジングシュピールの流れをくむドイツオペラとして、このフィデリオは、セリフも多くあり、番号オペラを取り入れつつ、音楽の流れがセリフによって寸断されてしまい、オペラとして、どうも居心地のよろしくない作品だと不遜にも常々思ったりもしてました。
 苦心のあげくに行き着いた夫婦愛唱和の作品ですが、オペラに関しては、ベートーヴェンはモーツァルトのような天性の才に恵まれなかったのかもしれません。
 しかし、個々のソロや重唱、合唱に目を向ければ、抒情と激情の織り交じったベートーヴェンらしい音楽です。
マルツェリーネの可愛いアリアや、ロッコの人の好さそうなアリア、父娘にレオノーレが加わった3重唱、ピツァロのイャーゴの信条告白のような悪のアリア。
そして素晴らしいのが、レオノーレの名アリア「悪者よどこへ行くのか」と、フロレスタンの苦悩から希望へと歌い込む監獄内のアリア。
あと、やはり劇的なのが、勇敢なレオノーレの夫救出のシーン。
息詰まるほどの間一髪の場面に、その後の歓喜の爆発。
ベートーヴェンならではの感銘を与えられる個々の音楽であります。

これらの個々のシーンを、アバドはまさにライブで燃えるアバドらしく、そして絶妙の歌心でもって丁寧に、そしてドラマティックに描き分けています。
冗長なセルフも、必要最小限にカットしていて、音楽の流れが停滞することがないように、心地よいテンポで、ある意味一気呵成に仕上げてます。
最後の歓喜の満ちたエンディングでは、興奮にあふれていて、ライブならではの感興に浸ることができます。
ヴィブラート少な目で、ルツェルンの凄腕のメンバーたちに、若いマーラーチェンバーの面々が加わったことで、いい意味での緊張感と若々しさも加味されたのではないかと思う。
アバドの音楽の若々しさというのは、常日頃、若い奏者たちと楽しみながら、音楽を築きあげるという、こうしたところにもあるのだから。

旬の歌手をそろえた配役も見事な顔ぶれ。
なかでも、このオペラの主役であるシュティンメのレオノーレの声の安定感と、力強さと明晰な知的な歌唱が素晴らしくて、声質にクセもないので、聴き飽きないのがシュティンメの歌なのです。
対するカウフマン。
フィデリオにおけるフロレスタンの出番は、あまりに少なくて、ベートーヴェンにこの点はなんとかして欲しかった・・・と思わせるカウフマンです。
アバドのお気に入りだったハルニッシュのリリカルなマルツェリーネがいい。
ほかの歌手もまとまりがよく、チームとして均整がとれていることも、このルツェルン音楽祭の持つ特徴かもしれません。
でも、シュトルックマンは、ちょっとアクが強すぎるかな・・・
 あと、鮮度高いのが、アルノルト・シェーンベルク合唱団の緻密さ。

CDにはなったけど、アバドのルツェルン演奏の恒例の映像DVDは、このフィデリオにはなかった。
映像の契約元が、2010年から変わったことが影響しているのだろうか。
マーラーの9番(2010年)から、EiuroartsからAccentusに変更。

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その舞台の様子を探したところ、オーケストラの後方に低いステージを作り、合唱は観客席に置くというスタイルのようです。
衣装も均一だし、オペラの上演というよりは、やはりオラトリオ的な演奏の仕方ともいえるかもしれません。
これまでオペラ上演として「フィデリオ」を取り上げなかったアバドの考え方が、このあたりにあると思いますし、ルツェルンで若いニュートラルな奏者たちと、やりたかった気持ちもわかるような気もします。

世を去る3年と少し前。
アバドはこのように、常に挑戦と、若者たちとの共演を望み、実践し続けました。
これまでの巨匠たちにはない謙虚さと、進取の気性にあふれたアバドでした。
アバドのもとで演奏し育った若い演奏家たちが、いま、そしてこれから、世界のオーケストラの主力として活躍していきます。
そして、彼らはアバドのことをレジェンドとして心に刻み続けていくことでしょう。

フィデリオ 過去記事

 「新国立劇場公演 S・グールド、ヨハンソン」

 「ベーム&ベルリン・ドイツオペラ DVD キング、ジョーンズ、ナイトリンガー」

 

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今日は大寒。
菜の花は満開なれど、春まだ遠し・・・

アバドの新譜や音源発掘が絶えて久しい。
何度も書きますが、下記の正規音源化を強く、激しく希望。

 ①ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」
 ②ワーグナー「パルジファル」
 ③ワーグナー「ファウスト」序曲
 ④マーラー 「大地の歌」
 ⑤バッハ  「マタイ受難曲」
 ⑥バッハ  「ロ短調ミサ」
 ⑦バッハ  カンタータ ロンドンでのF・プライとの共演
 ⑧ノーノ  「プロメテオ」
 ⑨モンテヴェルディ ロンドンやベルリンでの演奏
 ⑩ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」 ベルリンフィルとのもの
   ⑪ヴェルディ 「オテロ」  ベルリンフィルとのもの
 ⑫ヴェルディ 「ナブッコ」 むかしのスカラ座とのもの
 ⑬ヴェルディ 「アイーダ」 ミュンヘンオリンピックのときの上演
 ⑭ドニゼッティ「ルチア」  むかしのスカラ座とのもの
   
  あとまだたくさん、なんでもいからお願いっ!

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2020年1月16日 (木)

R・シュトラウス 「ばらの騎士」 ラトル指揮

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まいど恐縮、クリスマスと年末年始は特に絵になるもんですから、銀座。

日の丸を仰げば、あの国の方々のあふれかえる言葉は少しは気になりません・・・??

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    R・シュトラウス 楽劇「ばらの騎士」

   マルシャリン:カミラ・ニールント
   オクタヴィアン:マグダレーナ・コジュナー
   オックス男爵:ギュンター・グロイスベック
   ゾフィー:ゴルダ・シュルツ
   ファーニナル:マルクス・アイフェ
   マリアンネ:アレクサンドル・ロビアンコ
   ヴァルツァッキ:トーマシ・エヴェンスタイン
   アンニーナ:キャスリーン・ゲルトナー
   テノール歌手:マチュー・トレンザーニ ほか

  サー・サイモン・ラトル指揮 メトロポリタン・オペラハウス管弦楽団

        演出:ロバート・カーセン

        (2020.1.4  @メトロポリタン歌劇場)

今年正月の最新のライブ音源をネット視聴。

ベルリンでもやったでしょうかね?ラトルの「ばらきし」。
ほかのオペラもそうですが、奥様のコジュナーあっての指揮ともいえるかもしれません。
ほかの配役も、ベテラン、新鋭を取り混ぜたメットならではの豪華なものです。
2017年のプリミエで、その時は指揮はお馴染みのセバスティアン・ヴァイグレ。
フレミングとガランチャ、グロイスベックが歌ってます。

ラトルのオペラは何を振るかわからないところがあって、ワーグナーなら後期のものしかやらないし、ヴェルディはなし、プッチーニはそこそこで、シュトラウスならサロメかエレクトラあたりが向いてるだろうと思ってた。
割と重心が低く、硬い音を出すラトルだから、軽やかにやってほしい「ばらの騎士」はどうだろうか、との思いで聴き始めました。
 そうした風に感じるところもありがなら、この作品以降のシュトラウスならではの軽やかさと明朗さが、ラトルの持ち味である重厚さが描き分けるシュトラウスの分厚い響きとの対比でもって十分に活きてくる感じだ。
メットのオケのうまさと、オペラのオーケストラならではの雰囲気のよさでもって、シュトラウスの手の込んだ技法の数々が機能的なばかりならずに済んでいる感じ。
いまの手兵のロンドン響とやったら、さらにうまいけど、オペラの味わいとはまた違うものになったかもしれない。
 ちなみに、ラトルのメトロポリタンへの登場はこれが3度目。
ペレアスとメリザンド(2010年)、トリスタンとイゾルデ(2016年)に次ぐもの。

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            (メットのピットのラットル)

ラトルは、若いころアバドに感化されたということもあって、バーミンガム時代のCDは、ほぼ集めました。
選択するレパートリーが、いずれも面白くて新鮮で、その音楽づくりも先鋭で面白かった。
ベルリン時代は聴かなくなってしまったのは、面白みがなくなってしまったから。
でも、ベルリン時代の後半は肩の力が抜けた感じで、自在な音楽づくりが、カラヤンやアバドとも違うフレキシブルなコンビとなったことを確認できまして、そのまま、ロンドン響に帰り、ニュートラルさと強い音作りがオケの個性ともどもに最強のコンビになったと確信してます。

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奥様のコジュナーのオクタヴィアンが素敵なものだ。
オペラのレパートリーも随分と拡充してきたのも、夫のラトルの指揮があってのもの。
無理せず、細やかな歌唱をベースに女性的な優しい、そして知的なオクタヴィアンを歌っている印象で、やんちゃさはいまひとつ。

いま、マルシャリンとして一番なのがニールントだと思う。
新国で、彼女のマルシャリンを聴いてからもう12年がたつ。
あの時のスリムなお姿とはかわって、風格も出てきたが、声にもより気品とともに、諦念をはかなげに歌いあげる味わいも増しているのだろうと思う。
終幕の、ファーニナルの、「若い方はいいですね」的な問いかけに応えるマルシャリンの、「Ja Ja」はとても感情深い、考え抜かれた一言にことさら感じた。
フレミングの濃厚すぎる歌唱が、どうもだめなので、このニールントのクリアでかつ、言葉に感情を静かにしのばせた表現には、ことのほか感動しました。
 新国の舞台は、昨年亡くなってしまったジョナサン・ミラーの演出がとても洒落ていて、美しいものだった・・・・
1幕の終わりで、悲しみとあきらめに沈むマルシャリン、窓には振り出した雨の雫が流れ、彼女は煙草をゆっくりと取り出して美しい所作でくわえて窓の外を眺めるのでありました・・・・

南アフリカ出身のシュルツのゾフィー嬢の高音が清らかな美声で驚きだった。
彼女はこれから活躍しそうな感じで、パミーナ、ポーギーとベスなんかにも出てます。

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男声陣の充実も並々ならないものがあり、絶好調のクロイスベックのオックスには感心しまくり。
豊かな声量に柔らかさも備え、技量のほども完璧。
何よりも若々しく、いやらしい田舎のおっさんというイメージを払拭してしまうニュー・オックスだった。
最近ひっぱりだこのアイフェのファーニナルもよろしい。

私の好きなカーセンの演出。
写真で見る限り、メットだし、極端なことはしておらず、センスの良さを感じます。
オックスご一行は軍服をまとっている様子。
屋敷の壁画も神話時代の兵士や、小道具として大砲みたいなものも伺えます。
プリミエのときのスクリーンでは見なかったので、映像等で出たら確認したいところです。

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いやぁ、ネットでこんな素晴らしい上演の音源が高音質で楽しめちゃっていいのかな。
ますます、CDを買わなくなってしまう。
同じメットでは、いま上演中のセガンの「ヴォツェック」がもう聴けちゃったし、暮れのスカラ座のシャイー&ネトレプコの「トスカ」も視聴済み。
オーケストラコンサートもリアルタイムで聴いてます。
かつては想像もつかない音楽を聴く方法の多様化は、音楽産業のビジネスとしての衰退を招いているとは思いますが、そこにあるチャンスもまた多様化していると思います。

 でもね、なんといっても、劇場で観劇するオペラや、コンサートホールで聴くオーケストラやソロには何をどうやっても敵わないということ!
これだけは絶対。
時間や経済的な事情で、いまはよっぽど厳選したものしか行けない自分ですが、そこはつくづく思います!

若い方に言いたい。
あとで後悔しないように、これはと思ったら無理してでも行くべきです。
のちのちの自分の肥やしになることは必然です!

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 しかし、「ばらの騎士」はまったくもって素晴らしい作品。

年齢を重ねるごとに、元帥婦人の想いや行動が深く深く共感できるようになってきた。
男も女もない。
時の刻みが怖いし、いまはいいと思っても、明日は違うのではという不安の積み重ね。
それを克服して、「Ja Ja」で終了させるマルシャリンの強さを理解できるまで、まだ自分は未熟なのかもしれず、若いということなのか、バカなのか・・・・はてさて。

ホフマンスタールとシュトラウス、すごい!

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2020年1月12日 (日)

ムソルグスキー/ラヴェル 「展覧会の絵」 マゼール指揮

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2020年に入って、はやくも月の1/3が終了。

毎日がほんと早い。

外人さんだらけの銀座4丁目のショーウインドーは、富士と豪勢なバッグに、銀座の街も写し出していて、なんだか幻想的だった。

いつも長文書いちゃってますが、今日は短く。

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  ムソルグスキー ラヴェル編 組曲「展覧会の絵」

 ロリン・マゼール指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

        (1972.10 @ロンドン)

名曲すぎて、過去聴きすぎて、ミミタコすぎて、もうあんまり聴かなくなってしまった曲。

その代表が、「展覧会の絵」。

チェリビダッケとロンドン響の壮絶な来日演奏の録音、アバドの2種のムソルグスキー臭の強い暗めの演奏。
これらのぞき、どうも、聴いていて、あの大仰な最後がとくにダメなんだ。

でも、レコード時代に気になっていた1枚を入手したので聴いてみた。

デッカのPhase4(フェイズ4)録音によるものもあって、マゼールの指揮だし、ニューの時代のフィルハーモニアだし。

マルチマイク録音で、各楽器が間近に迫るように強調され、かつそれをベースに2チャンネルのステレオサウンドにミックスダウンするという方式。
ストコフスキーのデッカ録音で多く聴いてきました。

で、聴いてみた。
面白いように、各楽器が、右や左からポンポン浮き上がるように出てくるし、聴こえてくる。
ほぼ半世紀前の録音とは思えない鮮明さと、生々しいリアルサウンド。
楽しい、楽しいよ~
ことに、展覧会の絵のような曲では、ソロ楽器が活躍するので、それらが強調されるように楽しめるし、あ~、ほかの楽器もこんな風にしてるんだ、との再発見もあったりして。
いまの現代では、こんな録音は邪道かもしれないが、古風な耳をもった私のような聴き手には、懐かしさと新鮮さがないまぜになったような感情にとらわれました。
フェイズ4とは別次元だが、中学時代は、4チャンネル録音も盛んになされ、アンプは買えなかったけれど、スピーカーの配線を工夫することで疑似4チャンネルが楽しめたものだ。
右や左、前や後ろから、音が万華鏡のように聴こえてきて、ハルサイなんて、最高だったんだ。

なにかしでかす指揮者マゼールは、ここでは意外とおとなしめ、っていうかごく普通。
でも、よく各曲を丹念に描きわけていて、とても丁寧な印象。
展覧会の絵の入門には絶好の演奏とおもしろ録音だと思う。

まだクレンペラーが君臨していた時代のニュー・フィルハーモニアもうまいもんだし、音色に華がある。

おもしろかった。

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2020年1月 8日 (水)

べートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 エッシェンバッハ

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2020年 新春の寿ぎを申し上げます。

神奈川の実家から、いつも登る吾妻山からみた富士山と菜の花。

1月3日の早朝、1年のうち、一番美しい冬の富士です。
菜の花の向こうは桜で、春には、菜の花が残っていればさらに素晴らしい景観が望めます。

今年、アニヴァーサリーを迎える作曲家で一番の大物は、やはり生誕150年のベートーヴェン。
あと、没後100年のブルッフ、没後150年のヨゼフ・シュトラウスあたりが切りのいい年度でしょうか。
バーンスタインも早や没後30年です。

名曲中の堂々たるコンチェルトの名曲、「皇帝」を。

Emperor

 ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」

     Pf:クリストフ・エッシェンバッハ

   小沢 征爾 ボストン交響楽団

       (1973.10 @ボストン)

いまは指揮者としての活動ががメインとなった、というよりも、数々のポストを歴任する名指揮者となったエッシェンバッハ。
1940年2月生まれだから、もうじき80歳。
そのエッシェンバッハが33歳で、ジャケット画像のとおり、ふっさふさ。

ピアノに隠れてますが、ボストン響のポストを得たばかりの小沢さん、当時38歳は、1935年生まれで、今年の9月には85歳になります。

ともにずっと聴いてきた音楽家です。
いつまでも元気に活躍してほしいと願うばかりです。

その彼らの若き「皇帝」。

まさに、「若き」という言葉が似合う「皇帝」。
溌剌として、爽やかとも言ってもいいくらいに、新春に相応しい気持ちのいい演奏だ。
エッシェンバッハは指揮を始めたばかりの頃で、この少しあとに、日本のオケにも客演してベートーヴェンを振ったりしている。
10本の指ではとうていできない表現の可能性を見出したかのように、暗い情念に裏打ちされたかのような濃厚な味付けするように、指揮を執るようになってから変貌したエッシェンバッハ。
 バレンボイムは、根っからの指揮者であったかのように変化を感じないが、アシュケナージやロストロポーヴィチなども、ソリストから指揮者に転じると構えの大きな表現者に変貌したかのようであった。

モーツァルトから、ドイツロマン派、ショパンあたりの弾き手としてドイツグラモフォンの看板ピアニストだったエッシェンバッハが指揮者を替えてベートーヴェンの協奏曲を3曲録音したものの、残念ながら全曲は残さず。
その自身の境遇などからも、マーラーに共感し、特異なマーラーやブルックナー指揮者のひとりとなりました。
そんなのちのちのことがが想像だにできないのが、この「皇帝」なのだ。

 明快な粒立ちのいいピアノは、この時期よく聴いたモーツァルトの演奏にも通じるものがあって、「堂々たる皇帝」というよりも、御世代わりの新たに即位した「若き新帝」って感じ。
でも、2楽章の叙情性や、3楽章の終わりの方などに、ちょっと立ち止まってみせて、複雑な表情を垣間見せるところがエッシェンバッハならではか・・・

 重心の軽めな小沢さんの指揮。
気配りの効いた細やかな指揮とあわせて、当時の欧米の楽壇には、極めて新鮮な音楽造りだったに違いありません。
同時期のベルリオーズやのちのラヴェルなどとともに、小沢&ボストン+DGのイメージが、わたくしには定まってますが、これもまたそれにそぐうもので、こんな気持ちのいいベートーヴェンを久しぶりに聴いて思うのは、この時期に、ボストンとDGにベートーヴェンの交響曲全集を録音して欲しかったということ。
のちのフィリップスでのこのコンビの音は、またちょっと違うものとなりましたので。

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ベートーヴェンイヤーの前回は、1970年の生誕200年。
オジサンの聴き手のわたくしは、その年のことを明快に覚えてます。
レコード会社各社は、ベートーヴェン全集をこぞって発売。

Beethoven

ジャケットには、こんなベートーヴェンのシールが貼られてました。
1770~1970、ベートーヴェン200年です。

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さらにシール拡大。

そして忘れてならないのは、この年、大阪で万国博覧会が行われました。
1969年にアポロ11号が持ち帰った、月の石がアメリカ館に展示され、とんでもない行列ができたりもしました。
 この万博に合わせて、世界各国の演奏家やオーケストラ、オペラ団が来日。
カラヤン&ベルリンフィル、セル・ブーレーズ&クリーブランド、バーンスタイン・小澤&ニューヨークフィル、プレートル・ボド&パリ管、プリッチャード・ダウンズ&ニューフィルハーモニア、Aヤンソンス&レニングラード、ロヴィツキ&ワルシャワフィル、デッカー&モントリオール、ベルリン・ドイツ・オペラ、ボリショイ・オペラなどなど
 ドイツ、アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、ソ連、ポーランドと各国勢ぞろいです。
いまでは、あたりまえとなった各国オケやオペラの来日ですが、こんなに大挙して訪れたことは、当時には考えられない豪華なことでした。
 しかも、NHKがかなり放送してくれたので、小学生だったワタクシは、連日テレビの前に釘付けでした!
このなかでは、カラヤンがベートーヴェンの全曲演奏をしました。
あと国内オケでは、サヴァリッシュがN響で全曲、イッセルシュテットが読響で第9とミサソレを。

ベートーヴェン一色となった1970年でした。
2020年も多くのオケがやってきましが、ベートーヴェンは案外と少な目。

目立つのはクルレンツィスとムジカエテルナと、オリンピック関連のドゥダメルBPOの第9ぐらいか。
あえていってしまうキワモノ的なクルレンツィス。
50年前はベートーヴェンやブラームスが、コンサートの花形でありメインだった。
いまは、マーラーとブルックナーが人気。
ベートーヴェンをやるならば、新機軸を持ち込まないと・・ということでありましょうか。

そんなこんなを考えつつ、エッシェンバッハと小澤の「皇帝」を何度も聴き返し、「やっぱり気持ちいいなぁ~、これでいいんだよ~」とつぶやいてる2020年の自分がいました。

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1月の11日から、吾妻山では、「菜の花まつり」が開催されます。
ちっちゃい町で、なんにもないのがいいところ。
みんな来てね~

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