2020年4月 5日 (日)

ディーリアス 人生のミサ デル・マー指揮

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晴れた春分の日の日の入りを、吾妻山から眺めました。

富士に沈む夕陽。

壮絶ともいえる夕暮れの様子を立ち会うのが大好きです。

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ディーリアスの大作、人生のミサを久しぶりに聴く。

集めた音源は4種もあり、今回は、デル・マーの指揮によるものをメインに、聴きまくりました。

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  ディーリアス 人生のミサ

    S :キリ・テ・カナワ
    Ms:パメラ・ボウデン
    T :ロナルド・ダウド
    Br:ジョン・シャーリー=クワァーク

 ノーマン・デル・マー指揮 BBC交響楽団
              BBC合唱団
              BBCコーラル・ソサエティ
    (1971.5.3 @ロンドン、ライブ)

イタリアのわけわからないレーベルから出てるこのCD。
放送録音と思われ、音像も少し遠く感じられますが、ちゃんとしたステレオで、鑑賞に支障はありません。
おまけに、カップリングはグローヴズ指揮するレクイエムもついてるので、ディーリアス好きにはたまらない音源なのです。

安定のシャーリー=クワァークが神々しく、いちばん耳にまっすぐ届きます。
キリ・テ・カナワがディーリアスを歌うなんて、と思いつつ聞いたけど、そのクリーミーで清潔な歌唱は、思った以上に相応しく、とてもいいです。
ボウデンの奥ゆかしいメゾに、熱っぽいダウドのテノール。
ダウドは、デイヴィスのベルリオーズ・レクイエムでソロを歌っている方です。

そして、師ビーチャムのもとで学んだ、デル・マーの定評あるディーリアス。
ベーレンライター版のベートーヴェンを校訂した、ジョナサン・デル・マーの親父さんです。
ときに、野生的な場面もあるこの作品、そうしたダイナミックな局面の描き方は、デル・マーのもっとも得意とするところだし、この作品の一番美しいシーン、第2部の牧場の真昼の美しさといったらない、陶然としてしまった・・・

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ここで、この作品のことを、下記、過去のヒコックス盤の記事からの引用です。

4人の独唱、2部合唱を伴なう100分あまりの大作。
こうした合唱作品や、儚い物語に素材を求めたオペラなどに、ディーリアスの思想がぎっしり詰まっているのだ。
 ディーリアスは、世紀末に生きた人だが、英国に生まれたから典型的な英国作曲家と思いがちだが、両親は英国帰化の純粋ドイツ人で、実業家の父のため、フレデリックもアメリカ、そして音楽を志すために、ドイツ、フランスさらには、その風物を愛するがゆえにノルウェーなどとも関係が深く、コスモポリタンな作曲家だった。

その音楽の根幹には、「自然」と「人間」のみが扱われ、宗教とは一切無縁
そう、無神論者だったのである。
この作品も、「ミサ」と題されながらも、その素材は、ニーチェの「ツァラトゥストラ」なのであるから。

 アールヌーヴォ全盛のパリで有名な画家や作家たちと、放蕩生活をしている頃に「ツァラトゥストラ」に出会い、ディーリアスはその「超人」と「永却回帰」の思想に心酔してしまった。
同じくして、R・シュトラウスがかの有名な交響詩を発表し大成功を収め、ディーリアスもそれを聴き、自分ならもっとこう書きたい・・・、と思った。
1909年、ビーチャムの指揮により初演され、その初録音もビーチャムによる。
 
ドイツ語の抜粋版のテキストに付けた音楽の構成は、2部全11曲。

合唱の咆哮こそいくつかあるものの、ツァラトゥストラを歌うバリトン独唱を中心とした独唱と合唱の親密な対話のような静やかな音楽が大半を占める。
日頃親しんだディーリアスの世界がしっかりと息づいていて、大作にひるむ間もなく、すっかり心は解放され、打ち解けてしまう。

第1部

 ①「祈りの意志への呼びかけ」 the power of the human will
 ②「笑いの歌」 スケルツォ 万人に対して笑いと踊りに身をゆだねよ!
 ③「人生の歌」 人生がツァラトストラの前で踊る Now for a dance
 ④「謎」      ツァラトゥストラの悩みと不安
 ⑤「夜の歌」   不気味な夜の雰囲気 満たされない愛

第2部

 ①「山上にて」 静寂の山上でひとり思索にふける 谷間に響くホルン
           ついに人間の真昼時は近い、エネルギーに満ちた合唱
 ②「竪琴の歌」 壮年期の歐歌!
           人生に喜びの意味を悟る
 ③「舞踏歌」  黄昏時、森の中をさまよう 牧場で乙女たちが踊り、一緒になる
           踊り疲れて夜となる
 ④「牧場の真昼に」 人生の真昼時に達したツァラトゥストラ
           孤独を愛し、幸せに酔っている
           木陰で、羊飼いの笛にまどろむ
 ⑤「歓喜の歌」 人生の黄昏時
           過ぎし日を振りかえり人間の無関心さを嘆く
           <喜びは、なお心の悲しみよりも深い>
 ⑥「喜びへの感謝の歌」
           真夜中の鐘の意味するもの、喜びの歌、
           永遠なる喜びを高らかに歌う!
            
       O pain! O break heart!
                     Joy craves Eternity,
                     Joy craves for all things endless day!
                    Eternal, everlasting, endless dat! endless day!
                      
           (本概略は一部、レコ芸の三浦先生の記事を参照しました)

 冒頭のシャウトする合唱には驚くが、先に書いたとおり、すぐに美しいディーリアスの世界が展開する。
妖精のような女声合唱のLaLaLaの楽しくも愛らしい踊りの歌。

「夜の歌」における夜の時の止まってしまったかのような音楽はディーリアスならでは。
「山上にて」の茫洋とした雰囲気にこだまする、ホルンはとても素晴らしく絵画的でもある。
さらに、「牧場の昼に」の羊飼いの笛の音は、オーボエとコールアングレで奏され、涙がでるほどに切なく悲しい。
この場面を聴いて心動かされない人がいるだろうか
まどろむツァラトゥストラの心中は、悩みと孤独・・・・。
「歓喜の歌」の合唱とそのオーケストラ伴奏、ここでは第1部の旋律が回顧され、極めて感動的で私は、徐々にエンディングに向けて感極まってしまう。
そして、最後の「喜びへの感謝の歌」では4人の独唱者が高らかに喜びを歌い上げ、合唱は壮大かつ高みに登りつめた歌を歌うクライマックスを築く。
そして、音楽は静かになっていって胸に染み込むように終わる。

シェーンベルクの「グレの歌」にも似ているし、スクリャービンをも思わせる世紀末後期ロマン派音楽でもある。
 以前、畑中さんの批評で読んだことがあるが、「人生のミサ」の人生は、「生ける命」のような意味で、人の生の完結論的な意味ではない、と読んだことがある。

英語の「LIFE」も同じ人生を思わせるが、原作の「Eine Messe des  Leben」のLebenの方がイメージが近いような気がする。

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②ビーチャム盤


   S:ロジーナ・ライスベック
   A:モニカ・シンクレア
   T:チャールズ・クレイグ
   Br:ブルース・ボイス

 サー・トーマス・ビーチャム指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
                ロンドン・フィルハーモニック合唱団
   
    (1952~53 @アビーロードスタジオ)

モノラルだけど、ちゃんとしたスタジオ録音なので、音はくっきり鮮明、そして生々しい。
演奏も、さすが初演者だけあって、熱のこもったもので、情熱の掛け方が半端ない。
そして、陶酔的な美しさは、さすがディーリアスの守護神ともいえるビーチャム。
ホルンは、このとき、ブレインだったのでしょうか。。
モノラルゆえに、そのどこか鄙びた響きは、わたしには郷愁すら感じる・・・・

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③グローヴズ盤


   S:ヘザー・ハーパー
   A:ヘレン・ワッツ
   T:ロバート・ティアー
   Br:ベンジャミン・ラクソン

 サー・チャールズ・グローヴズ指揮ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団
                ロンドン・フィルハーモニック合唱団
   
    (1972 @ロンドン)

ビーチャム盤に次ぐふたつめの正規録音で、これが国内発売されたとき、すでに私はディーリアス好きだったけど、2枚組の大作には手が手ず、三浦先生の特集記事だけど、興味深々で読むにとどまっていた。
さらに全部集めたはずの、EMI「音の詩人ディーリアス1800シリーズ」でも出たはずなのに、なぜかこのグローヴズの「人生のミサ」は購入していなかったのが今思えば不思議なこと。
そして、実際に耳にしたのは、CD時代になってから。
グローヴズらしい滋味あふれる、優しさと自信にあふれた素晴らしいディーリアス演奏です。
当時、ハイティンクのもとで黄金時代を築くことになるロンドン・フィルのくすんだ響きも、渋くも神々しい。
お馴染みの歌手の名前が揃っているのも懐かしい。
明るめのラクソンの声が美しく、すてきなものだ。
 ただ、録音が強音で、割れてしまうのが惜しい。
ちゃんとマスタリングして、再発して欲しいな。

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④ヒコックス盤


   S:ジョーン・ロジャース
   A:ジーン・リグビー
   T:ナイジェル・ロブソン
   Br:ピーター・コールマン・ライト

 サー・リチャード・ヒコックス指揮ボーンマス交響楽団
                 ボーンマス交響合唱団
   
    (1996@ボーンマス)

ヒコックスも早くに亡くなってしまったが、シャンドスに、ディーリアスを次々に録音していたなかでの逝去は、本当に残念だった。
そこで、この作品が録音されたのは僥倖もの。
やはりデジタルでの鮮明な録音で、こういう合唱作品で音割れの心配なく聴けることが嬉しい。
こうして、いくつも並べて聴いてみると、歌手が小粒に感じるものの、悪くない。
ことにオーストラリア出身のコールマン・ライトのこれも明るめのバリトンがいい。
濃淡ゆたかな合唱の扱いがさすがにヒコックスはうまい。
静かな場面での弱音の美しさは、録音の良さも手伝って、ほかの盤では味わえないし、ボーンマス響のニュートラルサウンドと、それを引き出すヒコックスの指揮の巧さも感じます。
かつて、新日フィルに客演したヒコックスを聴いたけれど、オケと合唱をコントロールする巧さは、長年の合唱指揮者としての経験の積み重ねだと思ったことがある。
そのときの演目は、ブリテンの「春の交響曲」だった。
1999年の文化会館でのコンサート。

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沈んだ夕陽。

こうして夜の闇が訪れますが、いま、世界は闇のなかにいるかのよう。

人類の叡智もかなわない猛威に、不安は増すばかり。

いつかやってくる明るい夜明けを期待して、いまは静かに過ごすばかり。

そしてひたすら、連日、音楽を聴き、オペラを観るばかり。

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2020年3月28日 (土)

癒しのベートーヴェン

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日本も、世界もたいへんなことになってしまった。

家で過ごさざるをえない状況に、いまこそ、お家で、ベートーヴェン。

思えば、3.11のあとも、こんな企画をしたな・・・

そのときは、テレビがみんなAC広告機構で、ぽぽぽ、ぽ~ん、だった。

→過去記事

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  交響曲第6番 ヘ長調 op68「田園」 第2楽章「小川のほとりの場面」

 ハンス・シュミット・イッセルシュテット指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

困ったとき、辛いとき、寂しいときの「田園交響楽」。
そう、誰しもの心を開放し、最高の癒し効果をあげることのできる音楽。
それが「田園」。
 そして、やはりウィーンフィル。
往年の60年代のウィーンフィルの音色を楽しめるデッカ録音で。

雲雀鳴く、小川流れる日本の原風景のような田舎の風景を思い、はやく正常化することを切に祈る。

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   ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 op19 第2楽章

    スティーブン・ビショップ・コワセヴィチ

  サー・コリン・デイヴィス指揮 BBC交響楽団

ピアノ協奏曲の緩徐楽章は、みんな歌心にあふれていて素敵であります。
そのなかで、一番の穴場が2番。
こじんまりとした作品だけど、この2楽章の抒情は見逃せません。
冬の終わり、かぐわしい花の香りがただよう晩に、夜空を見上げると星が輝いていた・・・
そんなようなイメージを持っちゃいます。
若きビショップとデイヴィスの全集はレコード時代に接した思い出のベートーヴェンのひとつ。
「皇帝」らしくない「皇帝」も実にいい演奏です。

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  ヴァイオリン・ソナタ第5番 ヘ長調 op24「春」

   Vn:アリーナ・イブラギモヴァ

   Pf:セドリック・ティベルギアン

この柔和なヴァイオリンソナタからは、あのいかつめ顔のベートーヴェンの姿は想像できない。
緩徐楽章を抜き出すまでもなく、まさに「春」を感じさせる全4楽章を今日は、ほのぼのと聴きました。
「田園」もそうだけど、これを聴けば、いつでも麗らかな春の野辺を散策する気分になる。
今年は、桜見物はお預けだ・・・・

イブラギモヴァのビブラート少な目のすっきりサウンドが、実に耳にさわやか、かつ清々しい。

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  ピアノ三重奏曲第7番 変ロ長調 op97「大公」第3楽章

   Pf:アンドレ・プレヴィン

   Vn:ヴィクトリア・ムローヴァ

   Vc:ハインリヒ・シフ

「大公」という構えの大きすぎるタイトルだけど、この曲は全体に歌と豊かな感性にあふれたおおらかな作品だと思います。
第1楽章も大いに癒し効果があるが、変奏曲形式で書かれた緩徐楽章にあたる第3楽章がとても素晴らしい。
ピアノトリオという3つの楽器の溶け合いが、これほどに美しく、効果的なことを存分に楽しめる。

常設のトリオでない3人の名手。
プレヴィンの優しい下支えするようなピアノが柔和でよろしい1枚。

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 ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 op13「悲愴」第2楽章

   マウリツィオ・ポリーニ

さて超名曲、超名旋律といったらこれ。
編曲され、歌までつけられ親しまれている。
初期ベートーヴェンのほとばしる思いが、悲劇性の強い前後の楽章に挟めれた、この2楽章では、ロマン性とともに、憧れをここに封じ込めています。
なんて優しい、美しい音楽なのでしょう。
そして繰り返しますが、1楽章と2楽章の厳しさとの対比の見事さ。

成熟の極みにあるポリーニの明晰な演奏で。

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 3月21日の吾妻山の菜の花と桜。

今頃は満開。

そして、いまは家に閉じこもって音楽を聴くのみ。

各国の音楽ネット配信も多く、嬉しくも忙しい。

メットの「リング」も毎日1作、全部観れてしまった。

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後期のベートーヴェンの澄み切った境地は、なみなみならぬものがあり、ひとことで、癒し~なんて言っていられない。

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     ミサ・ソレニムス op123 ~ベネディクトゥス

 カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
           ウィーン国立歌劇場合唱団

「願わくば、心より出て、そして再び心に帰らんことを」

ベートーヴェンの信条としての「心の平安と世界の平安」。
澄み切った、透徹した心情。
とくに晩年の様式に多く反映されている。

心が疲れた時、こうした音楽は、その気持ちに寄り添うようにしてくれる。
ヴァイオリンソロを伴う、祈りの世界でもある。
ともかく、美しく、もしかしたら甘味な官能の領域すれすれのところも感じる。

ベームが自身の演奏で、会心の出来だったと語ったウィーンでの録音。
歌手・オーケストラ、合唱とすべて揃った名演。

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  ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 op109

   ウィルヘルム・バックハウス

ミサ・ソレニムスとほぼ並行して書かれた晩年の3つのソナタ。
そのなかでも、一番の抒情をたたえた曲。
そんなに長くないから、晴朗感にあふれた全曲を聴かないと。
さりげなく始まる1楽章から、ロマン派音楽の領域に踏むこんだベートーヴェンの完成された筆致を感じるが、なんといっても素晴らしのが、変奏曲形式の終楽章。

「歌え、心からの感動をもって」
こう記された、曲中最大の楽章は、まさに感動なしには聴かれない。
あるとき、ふとしたことでこの楽章を聴いたとき、私は落涙してしまったことがある。
仕事が行き詰まって生活にも苦慮していたときである・・・
最後に、主題が回帰されるところなど、安堵感とともに、心が満たされた思いになるのだ。

もちろん、残りふたつのソナタも素晴らしいけれど、心に、耳に、優しく響くのは30番・作品109のソナタです。
安心のバックハウスの演奏で。
レコード時代、私のレコード棚に百科事典のような存在で鎮座していた全集です。

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  弦楽四重奏曲第15番 イ短調 op132

    ゲヴァントハウス四重奏団

少し晦渋な領域に踏むこんだ晩年の弦楽四重奏曲にあって、一番、親しみやすい作品。
病に倒れ、そこから復調した思いが5つの楽章、45分あまりの作品の真ん中、長大な3楽章にあらわれている。

「病気が治った者の神への聖なる感謝の歌」

じわじわ来る、しみじみとした音楽。
苦境から脱するという、喜びと感謝、そしてさらなる希望。
なんと素晴らしい音楽なのでしょう。
終楽章の完結感もベートーヴェンならではかもしれません。

明晰なゲヴァントハウスSQのすっきりした演奏で。

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暮れようとする富士と桜。

日常が戻るのはいつになるのか。

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2020年3月20日 (金)

ベートーヴェン 三重協奏曲 ワルベルク指揮

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河津桜と菜の花。

神奈川県松田町の松田山から。

ほぼ日本人だけの桜の季節。

9年前の震災のときも、そして嫌な禍が降りかかってきても、等しく桜の季節はやってくる。

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ベートーヴェン ピアノ,ヴァイオリン,チェロのための協奏曲 ハ長調 op56
           ~三重協奏曲~

    ピアノ   :クロード・エルファー
    ヴァイオリン:イゴール・オジム
    チェロ   :アウローラ・ナトゥーラ

  ハインツ・ワルベルク指揮 ウィーン国立交響楽団

        (1960年代 @ウィーン)
         
なんだか地味な存在のベートーヴェンのトリプル協奏曲。
ピアノ・トリオをソリストにした協奏曲は、演奏会でもあまり取り上げられません。

また昔話ですが、ベートーヴェンの生誕200年に発売された、ソ連の巨人3人(リヒテル、オイストラフ、ロストロポーヴィチ)と西側のカラヤン&ベルリンフィルのレコードで、この曲の存在を知ることとなりましたが、当時はそのレコードを買うこともなく、CD時代になってからの入手でした。
その記事はこちら→

そして、当時、加入していた会員制レコード頒布組織「コンサートホール・ソサエティ」からも、このトリプル協奏曲は発売されました。
それがこのワルベルク盤で、CD時代に再加入してから購入したもので、かれこれ20年前。
ジャケット画像は、その時の会報誌からスキャンしたもの。

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作品番号56で、そのまえ55が「英雄」、次の57が「熱情」、58が第4ピアノ協奏曲。
こんな充実期にあった中期作品。
なのに、ちょい地味。
バロックのコンチェルト・グロッソを意識した形式ながら、その形式を取り入れることに苦心の跡があり、かえってバランスを崩してしまったのかもしれません。
ピアノは平易なのに、ヴァイオリンとチェロはなかなかの技巧を要するように書かれている。
音色的にもピアノが突出してしまうことを考えたのでしょうか。
 でも、ハ長が基本の明るくて屈託のない作品で、英雄と熱情に挟まれた健康優良児みたいな憎めない可愛い存在に感じるのだ。
長いオーケストラ前奏のあと、独奏はチェロから始まって、次はヴァイオリンで、ふたつの弦での二重奏となり、やがてそこにピアノがするするっと入ってくる。
この開始の仕方がとても好き。
そしてベートーヴェンに特有の抒情的な、まるでピアノトリオのような2楽章。
休みなく入る3楽章は、おおらかすぎかな。
 後期の様式の時代にも、もう一度チャレンジしていたら、トリプル協奏曲第2番はどんな曲になっていたでしょうか?

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懐かしの指揮者、ハインツ・ワルベルクの指揮するウィーンのオーケストラは得体のしれない名前になってますが、これはウィーン・トーンキュストラ管弦楽団のことです。
レーベルの関係で名乗れなかった。
ワルベルクはこのコンビで、コンサートホールに、いろいろ録音していて、ワーグナーやブルックナーもあって、なかなかの演奏ですが、録音がモコモコしてるのが難点です。
こちらのベートーヴェンも、録音がいまひとつですが、曲を味わうには十分です。
オケの音色にも、良き時代のウィーンの響きを感じますし、懐かしさすら感じます。
カラヤンとベルリンフィルの音とは別次元にあるこのオーケストラの音。
世界中の現代の高度なオーケストラが個性を失っていくなか、そのローカルな響きはまさにノスタルジーの世界です。
N響に何度も来てたワルベルクさん、無難さとともに、器用なところもあって、そのレパートリーは広大でした。
そしてなによりもオペラ指揮者で、合わせものは抜群にうまかった。

3人のソロの名前も渋いところが揃いましたが、いずれの奏者もコンサートホールレーベルで活躍してました。
それぞれの名前を検索すると、なかなかの奏者であったこともわかります。

ピアノのエルファーは、フランス人で、カサドシュのお弟子で、現代ものを得意にした才人。
ヴァイオリンのオジムは、旧ユーゴ・スロヴェニア出身で、音源も多く出てまして、わたくしの初「四季」は、オジムさんでした。
そののびやかで明るい音色のヴァイオリンは、いまでも耳に残ってます。
あと、チェロのナトーラは、アルゼンチン生まれの女流で、カザルス門下で、作曲家のヒナステラの奥さん。
各国さまざまな出自のソリストですが、音色の基調は明るく、ワルベルクの穏健なウィーンサウンドとよく溶け合ってます。

久しぶりに、懐かしい、そして楽しい聴きものでした。

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オマケ画像。

DGがカラヤンを貸し出したEMI音源が、日本ではソ連音源のレーベル、新世界レーベルから出た歴史感じるチラシ。
人類遺産とされました!

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早く、堂々と桜の下でお花見ができますように・・・

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2020年3月15日 (日)

ヴェルディ ラ・トラヴィアータ スコット

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 ベタですが、椿。

こちらも冬の吾妻山ではたくさん咲いてます。
なんたって、町の木が椿なのですからして。

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  ヴェルディ ラ・トラヴィアータ

   ヴィオレッタ:レナータ・スコット
   アルフレード:ジャンニ・ライモンディ
   ジェルモン :エットーレ・バスティアニーニ
   フローラ  :ジュリアーナ・タヴァラッチーニ
   アンニーナ :アルマンダ・ボナート
   ガストン  :フランコ・リチャルディ
   ドビニー侯爵:ヴィルジリオ・カルボナーリ
   医師グランヴィル:シルヴィオ・マイオニカ
   ジュゼッペ :アンジェロ・メルクアーリ
   使者    :ジュゼッペ・モレーシ

  アントニーノ・ヴォットー指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
                 ミラノ・スカラ座合唱団

        (1962.7.2~7 @ミラノ・スカラ座)

頑張れ!イタリア!

Buona Fortuna!

そして、イタリアの名歌手、レナータ・スコットのヴィオレッタを。

先日、惜しくも亡くなられたフレーニさんの追悼特集のときにも書きましたが、永く聴いてきた往年の歌手たちの最近の動向を、ときおり検索したりして安心したりもしてます。
フレーニの訃報を聞いて、すぐに調べたのがスコットさんだったのです。

1934年サヴォーナの生まれで、2002年に引退はしたもののまだまだご健在。
2月24日にお誕生日をむかえられました。

そう、フレーニは1歳下で、彼女は27日が誕生日で、生まれもモデーナでイタリアの北の方。
レパートリーも似通っていたけれど、ライバルでもなんでもなく、オペラ界にともに君臨した名花であることに変わりはありません。
ふたりの共演盤もあったけれど、いまは廃盤の様子。

現在は、後進の指導にあたっているようで、なんと、今月3月にサヴォーナで日本人若手を招いてのマスタークラスが開催される予定でしたが、きっと中止。
http://nolimusicafestival.blogspot.com/2019/11/masterclass-con-renata-scotto-japan.html?m=0
関係者の皆様には、ほんとうにお気の毒なことです。

イタリアをはじめ、欧米、そして我が国も、ほとんどの演奏会・オペラが休止。

音楽好きからすると、多くの演奏家のことが心配です。
そして、北イタリアにいらっしゃるご高齢のスコットさんに、もしものことがあったらと思うと不安でなりません。

あくまで、ひとりの音楽好きの人間として、世界の音楽家・音楽好きの安全を願って、トラヴィアータを聴きます。

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1973年NHKホールの落成にあわせて上演された、第7期イタリア歌劇団の公演は、「椿姫」「アイーダ」「トスカ」「ファウスト」の4演目でした。
何度も書くことで恐縮ですが、中学生だったこのとき、テレビで全4演目を必死になって観劇しましたし、FM放送も聴きまくりました。
3年後の76年の最後のイタリア歌劇団公演には、ついに実際の舞台に接することができました。(シモンとアドリアーナ)

このときの、ヴィオレッタがスコットで、アルフレードはデビュー2年後の若手カレーラス、ジェルモンには、ベテランのブルスカンティーニという今思えば豪華なものでした。
伝統的な舞台に、華やかな衣装、そしてきらびやかな女性が、一転して悲劇のヒロインとなる。
そんな筋立てを、見事に描きわけたヴェルディの音楽に釘付けとなった中坊でした。
 ともかく、かわいそうなヴィオレッタ。
嫉妬に狂ったアルフレードが、皆の面前で、ヴィオレッタを辱める・・・、もうハラハラしました。
そして、最後は誤解も解けるも、死を覚悟して歌うヴィオレッタに涙した純情なワタクシでした。

Traviata-2

長じて、初老の身となったいま、ヴィオレッタへの同情と憐憫の気持ちは変わらねど、父ジェルモンの身勝手な行動に、腹が立つようになりました。
ついでに世間知らずのぼんぼんの息子ジェルモンにも。
以前も書いたかもしれませんが、このあたりの一工夫が、台本にもあれば、もう少し、人間心理に切り込んだヴェルディならではの音楽が別の姿で生まれたかもしれません。
もちろん、ふんだんすぎる豊富なメロディは耳にも心にもご馳走ではありますが。

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久しぶりに取り出したDGのスカラ座シリーズから。
前奏曲からして、あきらかにオーケストラの音色がヴェルディそのもので、以降もオペラを知り尽くしたオーケストラが、舞台の歌と一緒になって奏でる渾然一体の輝かしい演奏には、それこそ耳が洗われる思いがする。
ヴォットーの温厚だけれど、すべてが順当な指揮も、ここでは安心して聴ける。

若々しいスコットのヴィオレッタ。
同役でデビューした彼女は、まだ28歳の頃の声で、瑞々しさがいっぱい。
聴き手によっては、その張り切りすぎた高音がキツイという意見もありますが、私は、スコットのそんな一生懸命な歌が好きなのです。
レッジェーロからコロラトゥーラの声だったこの時分かと思います。
その最初の全盛期は、このころからあと、数年となりますが、声の変革を多大な努力のもと行い、きっとその過渡期が、日本でのヴィオレッタの舞台だったしょうか。
そして、ドラマティコ、リリコ・スピントの領域へその声も移行し、70年代後半以降、多くの録音を残したことはご存じのとおりです。
このあたり、フレーニの歩みともほぼかぶります。
 20代のスコットのヴィオレッタは、まずその声の美しさが際立ってまして、80年のムーティとの再録音に聴く落ち着きとはまた違う若々しさが魅力です。
そして、例えは稚拙ですが、スコットの声には庶民的な親しみがあるんです。
カラスやテバルディのような、圧倒的な威力と強靭な声と個性などとは大きく異なるその声。
わたしには、フレーニと同じく、ずっと聴いてきた耳に安心感のある声なのです。

そして、DGのこちらのシリーズ最大の聴きもののひとつは、バスティアニーニ。
ジェルモン向きの声ではないかな、とも思いますが、その朗々とした明快な声には痺れざるをえません。
その歌声から風光明媚なプロヴァンスの海と陸が脳裏に浮かんでくるのを感じます。
申し少し、存命だったら、と思わざるをえない。
あと録音の少ないライモンディの素直な声も、まさにアルフレードに相応しく、純正イタリアをここにも聴くことができる思いです。

録音もいまもって新鮮です。
聴き古したオペラだけれど、たまに聴くとほんと感動します。

スコットさん、いつまでもお元気で、心より祈ってます。

Jinchouge

少し前ですが、家の庭には、沈丁花が今年は早くも開いて、かぐわしい香りが。

奥には、ピンクの河津桜。

いい香りに包まれると、不安な気持ちも和らぎます。

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2020年3月 8日 (日)

チャイコフスキー ピアノソナタ(大ソナタ) L・ハワード

Matsuda-a

少し前ですが、大井町の河津桜。

小高い松田山では、毎年2月後半、河津桜と菜の花が満開になって、桜まつりが開催されます。

天気にも恵まれ、多くの人出でした。

Tchaikovsky-piano

  チャイコフスキー ピアノソナタ ト長調 op37
                                 ~大ソナタ~

      ピアノ:レスリー・ハワード

  (1993.10 @オールセインツ教会、ピーターズハム、ロンドン)

管弦楽作品、室内楽・器楽、オペラ、声楽と、広範なジャンルに作品を残したチャイコフスキーですが、聴かれる作品は案外と限られていると思います。
そんななかでも、ちょっとマイナーなイメージのあるピアノ作品たち。
1番の協奏曲ばかりがもてはやされるけれど、2番もステキな曲だし、未完の3番もいい。
そして、ピアノソナタは2曲あって、なかでも今日の「大ソナタ」は、構えの大きな力作であります。

作品番号37は、ちょうどヴァイオリン協奏曲と同じ時期のもので、4番の交響曲のあとで1878年。
もうひとつは、作品80がついているけれども、出版がずっと後になったためということで、1865年。
あと、このCDに収められているのは、奏者のハワードによって補筆完成させた単一楽章の作品もあって、ここでは1番のソナタとされてます(1863年)。
メック夫人の援助もあり、充実した作曲活動の時期だったが、どうもこのソナタの筆は鈍りがち。
ヴァイオリン協奏曲と交差するように、その作曲も交えて、ようやく完成させ、ニコライ・ルビンシュタインによって初演。
そして大成功をおさめたとされます。

大ソナタは、30分ぐらいの手ごろな長さだけれども、一聴してわかるのは、その難しさ。
スコアを一瞥すると、素人のワタクシでも驚くほどの音符の多さ。
これを書いちゃうのもすごいし、私には才はないから、これを演奏して、ちゃんと音楽にしてしまうピアニストというのもすごい。
 「グランド」というタイトルのとおりに、チャイコフスキーが意識したのは、シューマンのこと。

4つの楽章からなり、第1楽章が一番長いのだけれど、その出だしから、シューマン風で、ロマン派のピアノ作品を聴いてる気がしてくる。
でも勇壮な、その1楽章にも、ちょこちょこ、ピアノ協奏曲で聴きなじんだチャイコフスキー風のフレーズが顔をのぞかせたりして、嬉しくなります。
 沈鬱ムードの出だしの2楽章は、一瞬、ベートーヴェンのソナタの緩徐楽章っぽくて悩み多きチャイコフスキーの横顔が、ベートーヴェンやシューマンと被るが、中間部は明るくなって、そして盛り上がりも見せ、明るさと沈鬱が交互に明滅したりして、なかなかの聴きものの楽章だった。
 次いで、ごく短いスケルツォは、忙しい雰囲気で、中間部のトリオも上から下まで、音が繁茂に行き来して楽しくもまた幻想的だったり。
第4交響曲のスケルツォ楽章にも似たり。
そして、そのまま忙しさを継続させ終楽章になだれ込むが、ここはそれこそ音符だらけで、そんな合間にメロディアスな民謡風なフレーズも顔を出したりで、最後は華々しく曲を終えるが、この楽章も第4交響曲と同じ香りを感じた次第。

リスト弾きとして高名なレスリー・ハワードの冴えたピアノは、2楽章の抒情も、高度な技巧の場面でも、ばっちりでした。
このCDには、チャイコフスキーのソナタ作品が全部収録されていてありがたい1枚です。
ちなみに、もうひとつのソナタの3楽章の一部は、そのまま交響曲第1番の「冬の日の幻想」の3楽章に引用されてまして、これもまた楽しい聴きものでありました。


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大陸からやってきた災厄のおかげで、社会機能が一部不全となりつつあり、音楽界にも暗い影を落としてます。

相次ぐ公演の中止や、外来の演奏家の来日中止。

そんななか、無聴衆で演奏し、ネット配信して、ファンの渇望を癒してくれる果敢な試みもたくさん。

この週末は、びわ湖ホール、プロデュースオペラ「神々の黄昏」をネット観劇しました。
4年目の今年は、リングの完結で、楽しみにされていた方も多かったと思います。
4部作を通して、同じ演出と演奏者で観るというのは、人生でそう何度も味わえるものではありません。
本当に残念なことでしたが、でも関係者のみなさんの熱い思いをひしひしと感じる熱い演奏に歌唱で、感動的な舞台でした!

Matsuda-c

日当たりのいい斜面には、ミカンも満載。

コ〇〇早く消えろ、といいたい。

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2020年3月 1日 (日)

ウォーロック 「たいしゃくしぎ」

Hiratsuka-1

真冬の夕方どきの湘南海岸。

遠くの箱根の山が薄く染まり、砂浜の足跡も寂しく、厳しい雰囲気。

繰り返す波の音に、こんなときは、海鳥が鳴いたりすると、寂しさもひとしおになって、もっと雰囲気が出る。

3月の始まりなのに、絶望的な音楽を。。。

Warlock-asv

      ウォーロック 「たいしゃくしぎ」

    T:ジェームス・グリフェット

  コールアングレ:マリー・モードック
  フルート:マリー・ライアン
  ハフナー弦楽四重奏団

           (1993)

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    T:ジョン・マーク・エインズリー

   ナッシュ・アンサンブル
       
         (1997.4 @ロンドン) 


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    T:イアン・パートリッジ

  ロンドン・ミュージック・グループ

        (1973.6 @アビーロードスタジオ)

ピーター・ウォーロック(1894~1930)は、ロンドン生まれの作曲家。
寡作化であったのは、36歳という短い生涯であること以上に、学校では音楽を学びながら、さらに専門の音楽大学、ことに英国でいうところの王立音楽院などに進むこともなく、独学で音楽を学ぶという、ほんとうの音楽マニア的な作曲家であったので、本格的な大作を書くことができなかったことにもあると言われてます。
 そして、悩める作曲家でもあり、36歳という若さの死は、いくつかの説もあるようですが、自ら命を絶ったことであります。

音楽マニアと書いたのは、そのメインは、大好きな作曲家だったのが、30年ほど先輩にあたるフレデリック・ディーリアスの大ファンだったこと。
実際に会ったりもして、その思いも伝えたりしてますが、ディーリアス研究の著作もあって、大いに評価されてまして、それはいつか手にしたいと考えてもいます。
そしてなによりも、ディーリアスの音楽が、自身の作曲の手本にもなっていて、その作品からディーリアスの姿を感じ取ることもできるものもあります。
あと、クィルターや、オランダの作曲家でロンドンに住んだファン・ディーレンからも影響を受けているとされます。

ピーター・ウォーロックという名前は、いわゆるペン・ネームで、本名はフィリップ・ヘセルタインというものです。
山尾敦史さんの名著「英国音楽入門」で読みました。
ヘセルタインは、とても優しくて内省的なタイプと自分を評していて、芸術家というのは破天荒な存在で、苦悩に満ちていて放蕩を繰り返し、酒浸りになっているようなものだ、という思い込みがあったといいます。
そのために、作曲家としてのヘセルタインは、ペンネームのウォーロックに変身し、髭もたくわえ、友人の作曲家のモーランと連れ立って酒場通いをして、女友達に囲まれるような日々を過ごした時期もあったとありました。
 そんななかで、いくつかのシンプルながら、珠玉の作品を残すことになるのですが、うつ病の症状も出始め、さらには創作力も弱まって、著作や作曲もうまく進まないようになってしまった・・・・
ウォーロックという名前の言葉の意味には、魔法使い、占い師、さらには世捨て人というような意味合いもあるそうです。

なんか気の毒なウォーロックさんとヘセルタインさんなのでありました。

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ウォーロックの多くない作品のなかでの、代表作は、弦楽のためめの「カプリオール組曲」。
それと歌曲集「たいしゃくしぎ」と歌曲の数々。

20年以上前に読んだ前褐の山尾さんの本で、ディーリアス好きのわたくしは、ウォーロックに大いに興味を持ち、「たいしゃくしぎ」という鳥がジャケットになったCDをすぐに購入しました。
ASV原盤で、いまは廃盤のようですが、こちらは、ほかに「カプリオール」とか弦楽四重奏付きのすてきな歌曲が収録されていて、いまでも大切に聴いてます。
しかし、残念なことにこのCDには、詩の原文がついてませんでした。
 いまでは、ネットですぐに探すことができますが、20年前はそんな時代じゃなかった。
その後に購入したのが、エインズリーとナッシュ・アンサンブルのハイペリオン盤と、イアン・パートリッジのEMI盤の2枚でした。
「たいしゃくしぎ」の原詩を知りたい、ウォーロックの歌曲をもっと聴きたいという思いからです。
そこで苦闘しながら知ることとなった、「たいしゃくしぎ」の歌詞の内容・・・

その音楽もそうですが、イェーツの詩によるその内容も、暗くて、救いがなくて、惨憺たる心情にあふれたものだったのでした。

4編からなる22分ほどのこの曲は、コールアングレとフルート、弦楽四重奏を伴ったテノールによる歌曲集です。
「たいしゃくしぎ」=ダイシャクシギは、渡り鳥で、日本で越冬することもあるそうですが、あんまり見かけることはありません。
河口などの水辺にすごし、その長いくちばしで、地中の虫などを餌にして、これまた長い足でよちよち歩いたり、佇んだりしてるそうで。
またちょっとミステリアスな雰囲気もあるので、神秘的な存在として、この世の無常を問いかける鳥ともされているといいます。
日本の俳句などにも似合いそうな渋い存在ともとれますね。。

コールアングレ(イングリッシュホルン)という楽器がソロで活躍する曲といえば、シベリウスの「トゥオネラの白鳥」を思い起こしますし、ワーグナー好きなら「トリスタンとイゾルデ」の第3幕、病床のトリスタンを心配する牧童の笛を思い出します。
 そう、いずれも悲しみや、孤独、厳しい自然などを表出するのにうってつけの楽器。
これに、澄んだ無垢なるフルートの音色と、短調が基調の厳しい弦楽四重奏が絡むという、最高の虚無っぷり。
こんな音と楽器の配色を見出したウォーロックは逆にすごいと思います。
そして、こうした無常ともいえる内省的な音楽は、私淑したディーリアスの音楽領域にも重なるものと思います。
 しかし、ウォーロックの音楽は、こんな風に暗くて救いのものばかりではありません。

16世紀、17世紀イングランドのテューダー朝、ステュワート朝の音楽の研究も行っていたウォーロックですから、「カプリオール組曲」のような瀟洒でシンプルな音楽も書きましたし、歌曲のなかには、心躍るような楽しい歌も多くあります。
そんな二面性のあるウォーロックさん。

アイルランド人で、神秘主義にも傾倒したイェーツの詩と不可分に結びついた「たいしゃくしぎ」
1922年、ウォーロック28歳のときの作品。
藤井宏行さんの訳詞が、ネットで見れますので、参照にさせていただきました、ありがとうございます。(→The Curlew

 ①O Curlew , Cry no more                     
   おおたいしゃくしぎよ、もう鳴くな
 ②Pale Brows , still hands and dim hair 
   蒼ざめた顔 柔らかな手と柔らかな髪
 ③I cried when the moon was murmuring to the birds       
   わたしは叫んだ 月が小鳥たちにつぶやいていたときに
 ④(Interlide)       (間奏)
 ⑤I wander by the edge         
        わたしは、この岸辺をさまよう

各詩の最初を読むだけで、哀愁と忘れがたい悲しみを追い求める姿が浮き彫りになります。
曲の冒頭で、コールアングレの演奏が始まるとすぐ、ひんやりとした状況に包まれてしまう。
そして次いであらわれる、たいしゃくしぎに、鳴かないでくれと呼びかける歌、イギリスのリリックなテノール歌手の歌声あってこそ、この音楽を歌い込むことが可能とも思います。
歌うばかりか、独白のように、詩を読んだりもします。
ともかく救いナシ。
あまりに切々とした歌で、同情を誘ってしまうような音楽でありつつ、あちら側に行っちゃった感じも受けるので、ついていっちゃいけない、と曲が終わったときに心に誓うのも忘れてはなりません。

初聴きのグリフェットのマイルドな歌声、エインズリーの哀感ともなったリリカルな声、パートリッジのちょっとか細さすら感じさせる泣きの歌。
全部、好きです。
あと、パドモアも録音したみたいですから、そちらはフィンジがカップリングされてまして、是非にもと思っています。

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いま現出した不安の日々に、こうした音楽も聴いて、逆に光明の光りを感じ取ることも必要かと思います。

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2020年2月26日 (水)

ブラームス ピアノ協奏曲第1番・第2番 アシュケナージ&ハイティンク

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こちらは、神奈川県の大井町から見た富士。

ここは、東名高速からよく見えるけど、大きなビルがあって、そこはかつて第1生命のビルでした。

いまは、そのビルは、ブルックスコーヒーが買収して、オフィスビルと、ちょっとしたショッピングゾーンになってます。

逆光なのが残念ですが、夕日のシルエットだけでも美しい富士山です。

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   ブラームス ピアノ協奏曲第1番 ニ短調

         ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調

      ウラディミール・アシュケナージ

ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

               ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

       (1981.5 @アムステルダム、1982.10 @ゾフィエンザール)

引退を表明した、クラシック音楽界をけん引した2人の名匠。

もうじき91歳になるハイティンクは、2019年9月に指揮活動から引退。
アシュケナージは、82歳にして、1月にピアノニスト・指揮者から引退。

ともにいろんな演奏会やレコード時代からの数々の音源を通じて、親しんできた演奏家です。

ハイティンクは、1973年頃から、好きな指揮者となり、アバドと並ぶ押しの演奏家となりまして、当時、評論筋からはけちょんけちょんだったのが、そんなことはない、とも思いつつ、やっぱりそうかな?とも若い自分は思ったりもしてました。
でも、コンセルトヘボウと手を携えるようにした、その誠実な演奏が、やがて絶賛されるようになると、わたくしは、我がことのようにうれしかったりもしました。
ハイテインクの初レコードは、コンセルトヘボウとのブラームスの3番。

一方、アシュケナージもピアニストとして、1972年頃からFMを中心に聴き始め、当時はソ連からの亡命者、そしてなによりも、超絶技巧の持ち主と抒情派的な奏者として、大好きなピアニストとなりました。
デッカ(当時はロンドンレーベル)一筋。
初レコードは、ショパンの葬送ソナタがメインのライブ録音盤でした。

 でも、アシュケナージが指揮をするようになってしばらくしてから、わたしのアシュケナージに対する関心は薄れてしまうのでした。
ラフマニノフとかは、よかったんだけどなぁ。
なんか、これは、という1枚が、アシュケナージの指揮にはないような気もします。
いい人すぎるのか、エッシェンバッハのようにオペラもやらなかったし、アクの強さもなかったし・・・

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アシュケナージとハイティンクの共演盤は、このあとにラフマニノフの名盤を残すことになりますが、実演以外での初のこのコンビによる録音が、ブラームスの協奏曲。
ショスタコーヴィチの交響曲の録音に取り組んでいたハイティンクは、コンセルトヘボウで、このブラームスの1番の協奏曲と同時に5番の交響曲を録音してます。

1番は、重厚かつ芳醇なフィリップスサウンドで聴きなれたコンセルトヘボウが、デッカ録音で、どこかテカテカして聴こえて、さらに分離もよすぎて最初に聴いたときに、あれれ?と思った記憶があります。
それほどまでに聴き慣らされてきた、コンセルトヘボウ=フィリップスという音のイメージの強さに感じいった次第だし、レーベルが異なるとこうも雰囲気が変わってしまうのか、というものでした。
その後のショスタコーヴィチシリーズで、自分の中では、デッカの録音するコンセルトヘボウの音を受け入れて、明るさと豊かな響きと克明さを楽しむようにはなりましたが、でも、シャイーとの録音は、あまり好んで聴くものではありませんでした。

そんな前提条件で聴いた、80年代初めの1番はどうもしっくり来ずに、1番の協奏曲への苦手意識も伴って上滑りの気持ちに終始しつつ聴くこととなりました。
でも、アシュケナージのピアノも堂々としてるし、明晰で、音の粒立ちも際立っていて、しんねりもっつりとしたブラームスのイメージから遠いところで、1番を再現した名演だと思いますし、ハイティンクも共演指揮者の鏡として、アシュケナージのピアノにしっくりと噛み合った共感あふれるオーケストラとなってます。
 それでもしかし、曲への苦手意識とデッカ録音の当初のコンセルトヘボウでの録り方がしっくりこない、初聴きときのイメージはいまでも継続中なのでありました。
でも2楽章は、曲としていいな。

同じ、コンセルトヘボウのピアノ協奏曲1番であれば、FM放送でしか聴いてはないけど、ブレンデルとイッセルシュテットの録音の再発を強く望んでおきたいです。

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一方、ウィーンフィルのレコードにおけるイメージは、多くの同年代以上のリスナーがお持ちかもしれませんが、ゾフィエンザールにおけるデッカ録音であることは、共感をいただけることかと存じます。
のちに、DGでのムジークフェライン録音が、全レーベルの録音会場となり、どちらも等しくマイルドなウィーンフィルの音を伝えてますが、数々のオペラ録音や、イッセルシュテット、ショルティ、カラヤン、ベーム、ケルテスなどのデッカのウィーン録音は、やはりゾフィエンザールがあってのものだと思います。

そのイメージそのままの、ウィーンフィルを起用した2番の録音。
ひとことで言えば、ふくよかで豊麗なブラームスがここに聴ける。
当時の、いつものウィーンフィルの音色がふんだんに味わえる喜び。
柔らかなホルンに始まり、ピアノがそれを受けて入ってくる、さらにオーケストラの全奏がこれに応える。
ここまで聴いただけで、アシュケナージのおおらかかつ明快なピアノ、ハイティンクとウィーンフィルののびやかで、やわらかな音色。
そして、広がり豊かな素晴らしい録音。
ブラームスを、ピアノ協奏曲2番を聴く喜びを、ここでもう十二分に味わえ、この演奏がこの曲に相応しく、完璧なものであることがわかる。
初めて聴いた、もう37年も前の若き自分がよみがえるような気がする。
そう、若々しさも十分な演奏でもあるのだ。

2番の協奏曲は、高校時代に大いにはまり、この曲の初レコードだったバックハウスとベームの名盤を来る日も来る日も聴いたものです。
その録音も、同じデッカのゾフィエンザールでのもので、今聴いても、とても素晴らしい音がする。
そして、大学時代に聴いたのが、ポリーニとアバドの録音で、こちらもウィーンフィル。
DGはムジークフェラインで、これまたまろやかな録音で、演奏も若々しい春の息吹を感じるステキなものだった。

バックハウス、ポリーニ、アシュケナージのウィーン録音と、ブレンデルとアバドのものが、2番の協奏曲のわたしのフェイバリットであります。
ギレリスとリヒテル、ゼルキンなど、世評の高い盤は、いまだに未聴です。

ということで、繰り返しますが、1番はちょっと苦手です(しつこいですね)。

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 こちらは毎度おなじみ、吾妻山からの富士で、お正月のもの。

よく見ると、気球が飛んでます、見えるかな?

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ウィルスはおっかないけど、いつかは収束します。

いまは、お家で音楽を楽しむに限ります。

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2020年2月16日 (日)

アンサンブル・ラディアント演奏会 広上淳一指揮

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ほころびだした河津桜。

悲しい音楽家たちの訃報、不安な感染の蔓延、国策への大いなる不満・・・・いろんな出来事が継続します。

しかし、季節は確実に進んでます。

春はやってきます。

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これを聴きに、実家のある神奈川県の二宮町へ。

家と目と鼻の先にある町の生涯学習センター「ラディアン」の大ホールでの演奏会。

このホール開設時に創設された、湘南・西湘地区のアマチュアとプロの奏者たちの皆さんによるアンサンブルがラディアントです。

今年で、ラディアンも20周年、このアンサンブルも20周年です。

年1回のコンサート、ずっと気になっていたけれど、なかなか帰ってくるタイミングに合わず、今回が初の鑑賞となりました。

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  ヴィヴァルディ 「調和の霊感」より第11曲

  バッハ     ヴァイオリン協奏曲第2番

      Vn:白井 英治  長岡 秀子
     Vc:安田 謙一郎

  バルトーク   弦楽のためのディヴェルティメント

  武満 徹    3つの映画音楽

     「ホゼー・ドレス」~訓練と休憩の音楽
     「黒い雨」~葬送の音楽
     「他人の顔」~ワルツ

  アンコール~「ダニー・ボーイ」

    広上 淳一 指揮 (後半)

     アンサンブル・ラディアント
       コンサート・マスター:白井 英治
       賛助出演:長岡 秀子 安田 謙一郎
            Vla 百武 由紀

        (2020.2.15 @二宮町 ラディアンホール)

地元や周辺の方々で満席。
町長もいらっしゃいました。

広上さんの登場は後半。

のびやかなヴィヴァルディ。
次のバッハよりは、このアンサンブル向きかも。
おだやかな二宮町の風土には、バッハよりはヴィヴァルディだな、とほっこりしながら聴いてました。
各パートが、プロの皆さんがトップで引き締まります。
ただ、チェロパートが厚く、ヴィオラパートが薄い、これはアマチュアアンサンブルでは付き物の悩みかもです。
それが、広上さんの指揮が入ると、まったく関係なくなるのが、やはり指揮者という存在の大きさと、広上さんの実力。

リーダー白井さんのかくしゃくたるヴァイオリンソロ。
艶もあってなかなかのもの。
そのお名前と、お顔、聴きながら、わたくしの遥か昔の遠い記憶をたどってました。
高校生のとき、小田原フィルハーモニーのお手伝いをしたことがありました。
打楽器をやらせてもらって、定期演奏会のステージにのりましたが、そのときの、ヴァイオリンのソリストが、当時、読響に在籍されていた白井先生でした。
曲目は、ラロのスペイン交響曲だった・・・・
 そんな風に思いながら、自分の育った町の、自分の育った家の真ん前のホールで聴いた、前半のヴィヴァルディとバッハなのでした。

後半は、広上さんが登場して、そんなノスタルジーに浸っている暇はなくなりました。
そう、緊張感のたぎる、集中力の高い演奏に、わたくしも、おそらくバルトークや武満なんて、日頃は聞いたことがない多くの聴き手も、ステージの演奏に釘付けになってしまったのでした。

バルトークでは、協奏交響曲のように、各首席のソロが腕達者な皆様の見事さもあって、その構成が浮き彫りにされます。
同時に新古典的な簡潔さと、バルトークならではの土臭さ、というかマジャール的な音のウネリが1楽章から湧き上がるのを感じました。
そう、前半と大違いの雰囲気に、ホールの空気もガラリと変わってしまったのです。
2楽章のミステリアスな美しさはこの日の演奏のなかでも白眉のものです。
3楽章も、ハンガリーを感じさせる民族色もよく出ていまして、気合の入った広上さんの指揮のもと、奏者のみなさんは、食らいつくようにして熱の入った演奏を聴かせてくれました。
 とてもいいバルトークが聴けました。

最後は、組曲のように編まれた武満の映画作品。
これもステキな音楽。
ピチカートが楽しかった第1曲。
深刻なレクイエムのような「黒い雨」。
小説で読みました、スーちゃんの演技も映画では素晴らしかった。
そんなことも去来しつつ聴いた、音楽に、そして繊細な演奏でした。
最後は、聴衆を乗せてしまう魅惑の禁断のワルツ。
これも本で読んだ安部公房作品。
デカダンなその音楽、ハチャトゥリアンのあの曲も感じさせながら、でも日本人の気持ちのツボを押さえたようなワルツの音楽。
シンプルだけど、いろいろ意味深な武満シネマサウンドを、広上さんは、わかりやすく、ひも解くように指揮。

会場も大いに沸きました!

最後に、白井さんと、マエストロ広上さんのトーク。
茅ヶ崎ゆかりの出自などを、楽しくお話しされ、会場も大いに親近感がわいたマエストロ。
コバケンさんの、という前触れ付きで、アンコールは、「ダニー・ボーイ」

郷愁とともに、盛り上がりましたね!

来年はなにを聴かせてくれるのかな、いまから楽しみです。
最愛の地元で聴く音楽。
ありがとうございました。

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2020年2月11日 (火)

ミレッラ・フレーニを偲んで ②

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ミレッラ・フレーニ(1935~2020)の逝去を悼み、2本目の記事は、彼女の音源をいろいろ聴いて偲びます。

始めて買ったフレーニのレコードが、これも初めての「ラ・ボエーム」です。
中学生のとき、発売早々に買いました。 
たしか、舞台設定と同じ頃の季節は冬でした。
来る日も来る日も、ミミとロドルフォのアリアと、ふたりの二重唱を聴いてました。
でも、4幕はミミの死が辛すぎてたどり着かなかったです。。。

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  プッチーニ 「ラ・ボエーム」

ベルリンフィル初のイタリアオペラ録音。
そしてDGではなく、デッカ録音というところが当時は話題になりました。
そう、確かにオーケストラの威力は強力で、録音もソニックステージで、分離が鮮やか、かつ擬音もたっぷり入って雰囲気豊かなものでした。

当時好きな子もいたりして、その子をミミにあてはめたりしていた中坊でした。
だから、このフレーニの愛らしいミミが、今に至るまで、私の「ザ・ミミ」なのです。
フレーニのミミは、かけがえのない唯一無二の存在です。
ミミの死は、ほんとうに泣いちゃいます。

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 プッチーニ 「マノン・レスコー」
       「蝶々夫人」

フレーニには、いずれも他に録音がありますが、シノーポリとのこちらが好きです。
いろんな女性の姿を描き続けたプッチーニの各タイトルロールへの想いが、フレーニによって、そのまま歌い込まれてます。
いずれも最後には、命を落としてしまう、気の毒な役柄ばかりだけれども、それゆえに、フレーニの優しくも暖かい歌声が胸にしみます。

あとは、「トゥーランドット」のリュウと、「ジャンニ・スキッキ」のラウレッタがフレーニらしい可愛さを味わえますね。

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 モーツァルト 「フィガロの結婚」

フィガロのスザンナと、「ドン・ジョヴァンニ」のツェルリーナもフレーニの得意のレパートリーでした。

コリン・デイヴィス指揮するBBC響とのフィリップス録音は、活気あふれる快速テンポにのって、快活で元気なスザンナを生き生きと歌ってます。
ベームのフィガロの映像盤では、プライのフィガロとともに、抜群のコンビを組んでますが、そちらは以前にビデオ収録したもののいまや見れませんし、正規盤をいつか欲しいと思ってます。
 そして、アバドがスカラ座時代に上演したフィガロでは、このふたりが入れ替わって、プライが伯爵、フレーニが伯爵夫人ロジーナを歌ってます。
以前にも、こちらのブログでも取り上げましたが、フレーニの伯爵夫人は、あたりを打ち払うような穏やかさと気品にあふれた歌唱で、とても落ち着きがあります。
でも、わたくしたちには、フレーニはスザンナですね。

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 ビゼー 「カルメン」

フレーニといえば、ミカエラも忘れちゃいけませんね。
ファムファタールのカルメンに対して、切なさ一杯の待つ女性、ミカエラをこれまた愛らしく歌ってます。
自分なら、おっかないカルメンなんかから逃げて、こんなかわいいミカエラちゃんを、ちゃんと選びますね。

Fritz

 マスカニーニ 「友人フリッツ」

血なまぐさいカヴァレリアのあとに書いたマスカニーニの牧歌的オペラといわれる、ハートウォーミングな愛すべきオペラ。
まだブログで取り上げてませんが、マスカーニのオペラは、レオンカヴァッロ、ジョルダーノとともに、着々とそろえています。
 同郷のパヴァロッティとの共演では、ボエームのそれとともに、抜群の声のコンビネーションです。
他愛もないドラマですが、ここにたくさん散りばめられたアリアの数々は、とても素敵なものばかりで、なおかつ優しいフレーニの声向きのものですから、若きフレーニの瑞々しい、フルーティーな歌声が大いに楽しめます。
こういう歌を聴くと、いまやこんな歌声の歌手はいないな、とつくづく彼女の存在がありがたく感じられるものです。
それは同じく若いパヴァロッティにも言えることです。

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  チャイコフスキー 「エウゲニ・オネーギン」
           「スペードの女王」

チャイコフスキーのこのふたつのオペラもフレーニは得意にしておりました。
スーブレットから、徐々に声に力感も増して、リリコ・スピントの役柄までを幅広く歌うようになったフレーニ。
そんな一環としてのチャイコフスキーのオペラ。
夫君のギャウロウの指導などもあったかもしれません。

タチャーナも、リーザもどちらも、私には理想的な歌唱でして、ロシア風のほの暗さやたくましい歌いまわしとは、まったく隔絶した、透明感あふれるクリーンでクリアな歌です。
西欧側のチャイコフスキーとして、最高の歌であり、指揮者もオーケストラも同様の響きを感じます。
大好きな「手紙の場」を何度もここだけ聴きましたし、いまも聴いてます。
不安と焦燥、そしてそれが情熱へと変わっていくタチャーナの心情をフレーニは見事に歌い込んでます。

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 ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」
       「ドン・カルロ」
       「エルナーニ」
       「オテロ」

やっぱりヴェルディ。
フレーニの歌うヴェルディは、正統派ソプラノの理想のヴェルディという言葉しかない。
数々の録音あれど、非正規のものもここにあげてしまうほど、そのライブが素晴らしい。
マリア、エリザベッタ、ドンナ・エルヴィーラ、デスデモーナ。

アバドのシモンは、わたくしの生涯の思い出の日本での上演と、完成度の極めて高いイタリアオペラのレコードの最高峰のふたつでフレーニが歌ってます。
父と恋人を愛する純なマリアです。

スカラ座のライブのドン・カルロは貴重な音源で、録音もステレオでよいです。
いつも上演していたメンバーをカラヤンにかっさわれて録音もそちらで行われてしまったので、フレーニ、カレーラス、カプッチルリ、ギャウロウ、オブラスツォワとそろった超豪華キャストは捨てがたいものがありますし、しかも5幕版です。
 ここでのエリザベッタは、気品と悲劇性とが見事に溶け合った名唱であります。
アバドとのドン・カルロでは、あとウィーン国立歌劇場でのFMライブも持ってまして、フレーニがここでも最高、聴衆の喝采が止みません。

 初期オペラに特有の荒唐無稽ぶりが満載の「エルナーニ」でも、夫君のギャウロウと共演。
3人の男性に愛されてしまうという悩み多き女性ですが、初期ゆえにふんだんなアリアと歌の数々がここにあふれてます。
しかも、まだスカラ座就任前のムーティの強靭なカンタービレに乗ってうたうフレーニの歌声は素晴らしいです。

デスデモーナは、カラヤンの正規録音もいいですが、やはりカルロス・クライバーの情熱ほとばしる指揮と、カプッチルリのイヤーゴが聴けるライブ盤でのフレーニがよい。
運命と夫の妄想にもてあそばれる、この悲劇的な役柄も、やはりフレーニ向きで、実に素晴らしい。
終幕の「柳の歌~アヴェマリア」を聴きましょう。
その清らかなフレーニの歌声に、在りし日の、わたしたちの名歌手フレーニを偲びます。

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           スカラ座来日公演 クライバー指揮

フレーニを偲ぶ特集。

最後はミミ。

「わたしの名はミミ」そして、最後の場面を聴いて涙をひとしずく・・・・・

ミレッラ・フレーニさん、たくさんの歌をとどけていただいて、ほんとうにありがとうございました。
これからも、ずっとずっと、あなたの歌声を聴いてまいります。

その魂が安らかならんこと、心よりお祈り申し上げます♰

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ミレッラ・フレーニを偲んで ①

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ミレッラ・フレーニが、2月8日、故郷のモデナの自宅で亡くなりました。
享年84歳。
2月27日の誕生日まで、あと少しでしたが、このところ療養中だったとのことです。
モデナの地元紙の逝去の報です。

こうして、またひとり、わたしにとって思い出深い、いえ、世界のオペラファンにとってもっとも愛すべき歌手が去ってしまいました。

歌手が亡くなるたびに思い、そして書くことですが、その歌声が聴き手の脳裏に完全に刻まれるものですから、引退して久しくとも、現役で活躍していた指揮者や奏者の死去と同等といえるくらいに悲しみは大きいものです。

活躍の名前を見なくなってしまった歌手たちが、いままだ健在かな?どうしてるかな?などと、ときおり検索したりしてます。
そんななかのひとりが、フレーニでした。
わたしを導いてくれた、まだちょっと気になる歌手たちが何人も思い浮かびます。

フレーニは、多くの舞台、指揮者たちにひっぱりだこだったので、その音源もたくさんあります。
そのオペラの代表的な演奏にもなっているので、私もたくさん持ってます。
そして、何度かその舞台にも接することができ、小柄で、チャーミングな所作も、その歌声とともに、しっかりと記憶にとどめてます。

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こちらは、モデナのオペラハウス、パヴァロッティ・モデナのフェイスブック。
同郷の幼馴染みのパヴァロッティの名前を冠したハウスです。
Ciaoは、こんにちはの挨拶ばかりでなく、バイバイとか、さよなら、とか親しみを込めたお別れの挨拶にも使われます。

往年のカラスやテヴァルディが大歌手と呼ばれ、スターダムにあり、ゴシップも噂されたりしたのに比べ、フレーニは、常に親しみやすい存在として、わたしたちのお姉さんてきな存在で、大歌手と呼ぶよりは、親しみを込めて「名歌手」と呼ぶに相応しい存在でした。

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こちらは、スカラ座のFacebook。

お宝画像のような1枚。
これは、ヴェルディのレクイエムの演奏後のものでしょうか。
ご主人のギャウロウ、パヴァロッティ、オブラスツォワ、そしてアバドも、みんないまごろ天上で楽しくしていらっしゃるのでしょうか・・・・

アバド、フレーニ、ギャウロウ、カプッチルリ、パヴァロッティは、みんな仲良しでファミリーのようでした。

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世界中のオペラハウスが、フレーニの逝去を偲んで続々と報じております。
こちらは、ウィーン国立歌劇場。
エリザベッタを歌うお姿でしょうか。

ヴェルディとプッチーニを軸に、モーツァルト、ベルリーニ、ドニゼッテイ、グノー、そしてチャイコフスキー。
ドン・カルロのエリザベッタにおける気品と悲劇性は、いまもって、フレーニを超える歌唱はありません。
もちろん、ミミも!

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1981年のスカラ座の来日における「シモン・ボッカネグラ」のマリア。

アバドの指揮にドキドキしながら釘付けでしたが、この作品を、その5年前のNHKイタリアオペラでも接し、熟知していた若きワタクシです。
カプッチルリ、ギャウロウの強力男声陣に、ひと際咲いたフレーニのひたむきな歌唱にしびれました。
ストレーレルの名舞台、船の前で歌うこのフレーニのアリア、忘れられない1シーンであり、彼女の歌声です。

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ウィーン国立歌劇場の1986年の来日公演。
鮮烈だったシノーポリの指揮。
巨大なNHKホール、小柄なのに、その魅力的な声ですみずみにまで満たしてしまう、その声量と真っ直ぐなストレートヴォイスに驚きだった。
奔放さと、明るい無邪気さ、そして薄幸のマノンを見事に歌い込んだフレーニでした。

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擦り切れるほど聴いた、フレーニの参加したヴェルディのレクイエム。
カラヤンとアバド、ふたりの指揮者に愛され、多くの共演があります。
カラヤンの1度目の録音は、派手さはなく、意外と渋いですが、さすがはベルリンフィルという威力があります。
アバドのこれも1度目は、なんといってもスカラ座のオケと合唱のすばらしさと、アバドの求心力の強さ。
そして、いずれも真摯なフレーニの歌には、癒しさえ感じます。
彼女の最後の言葉、Libera me がしみます。。。

追悼第1の記事は、このあたりで筆をおきます♰

Chaio Mirrela Freni !

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