2017年4月22日 (土)

読売日本交響楽団名曲シリーズ サッシャ・ゲッツェル指揮

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   読売日本交響楽団 第601回 名曲シリー

 ウェーバー     歌劇「魔弾の射手」序曲

 グリーグ       ピアノ協奏曲 イ短調

 ショパン      ノクターン第20番 嬰ハ短調~アンコール

        Pf:ユリアンナ・アヴデーエワ

 ドヴォルザーク  交響曲第7番 ニ短調

   サッシャ・ゲッツェル指揮 読売日本交響楽団

                (2017.4.21 @東京芸術劇場)


半年ぶり以上の、オーケストラコンサート。
そう、このようにして、徐々に、以前のようにはなりませぬが、音楽生活へ復帰中のさまよえるクラヲタなのでした。

なんたって、聴きたかったゲッツェルさん。

神奈川フィルの首席客演指揮者として3年の任期を、先シーズン終了し、最後の年は、わたくしがお休みをしてしまったので聴けなかったものの、めくるめくコルンゴルトや、ブルックナー、ベートーヴェンなどで、魅惑され尽くした指揮者。

日本が大好きになってくれた。
こうして、神奈川フィル以外にも客演してくれるようになり、ゲッツェルさんの素晴らしさを多くの方に知っていただきたい。
 ボルサン・イスタンブールフィルの芸術監督として、さらに、最近は、ウィーン国立歌劇場の常連として多忙になりつつあり、日本でのポストは当面難しいでしょう。
こうして、単発でも、客演してくれるのがうれしい。
 11月は、紀尾井ホール、来年1月はN響にも登場するみたい!

さて、独・北欧・中東欧のロマン派音楽を集めたプログラム。
アンコールにも、その流れはしっかり通っていて、それぞれのお国・民族テイストも感じさせる演目なところがいい配分。
 そして、序曲→コンチェルト→交響曲、というコンサートの王道も、ここにはあります。

ゲッツェルさん、お得意のオペラの序曲からスタート。
お互いに、まだ暖まりきれない感じのなか、柔らかな響きを意識しつつ、音楽はとてもしなやかだった。
カルロス・クライバーなみに、キビキビ行くかと思ったら、ゆったりめに、大きく歌わせることに傾注。
「魔弾の射手」じゃなくて、「オベロン」の方が、ゲッツェルさんにはよかったかも・・・。

2010年、ショパン・コンクールの覇者アヴデーエワさん。
遠目にも、なかなかの美人さんです。
そして、その華奢なお姿にも係わらず、音のダイナミックレンジは広く、音色は豊かでした。
ことに、弱音の美しさ。
オーケストラも充分に押さえつつ、彼女のキレイなピアニシモの背景を紡ぎだしていたのが、第2楽章。
この楽章が、自分的にはこの演奏の白眉だった。
北欧の抒情が、巨大なホールのなかに浮き立つような、そんなクリアかつ清らかなピアノ。
1楽章も3楽章も、静かな部分が好きだし、そこがまた、彼女のピアノと、抑制されたゲッツェルさん指揮するオーケストラのステキなところだった。

 アンコールも、息をのむほどに、美しく切ないショパンでしたね。
メランコリーの極みだけど、ベタつかず、明晰です。
オケの片隅に座って聴き入るゲッツェルさんのお姿もナイスですよ。
 
 さて後半のドヴォルザーク。
この渋いけれど、メロディメーカーとしてのドヴォルザークならではの、懐かしい豊富な旋律がこぼれだすように、ホールにあふれるさまが、眼前に繰り広げられ、魅惑されっぱなしの40分だった。

読響のダイナミックなサウンドも、芸術劇場の巨大な空間をたっぷり満たしているのがよくわかる。
ゲッツェルさんの指揮は、そんなオーケストラの能力を自発的に解放してしまう、そんな魅力を秘めている。
神奈川フィルでは、オケの力を100%引き出し、神奈フィルならではの美音のフルコースを展開して見せた。

以前は、跳躍すら見せていた躍動的なゲッツェルさんの指揮だけど、華麗でキレのよい動きはそのままに、より内面に切り込むような、より表情の豊かな指揮ぶりになってきたように思う。
そう、この曲でも、私は第2楽章の美しさと、歌謡性に息を飲みました。
牧歌的なボヘミアの森が、新緑のウィーンの森になったと思わせるような、まろやかさと、すがすがしさと、愛らしい歌の歌わせ方。

 こうして4つの楽章が、しっかりとした構成感を感じさせるようにカッチリ演奏され、さらに3楽章から、終楽章へは、アタッカで休みなく突入して、より劇性を強める効果を生んでいて、この渋い交響曲を隈どり豊かに聴かせる工夫もなされてました。

読響との初顔合わせ、メンバーのなかには、神奈川フィルからのお顔もちらほら。
もちろん、元神奈川フィルのお方も。

明後日には、かつてのゲッツェルさんのホームグランド、みなとみらいホールで、同じプログラムが。
その日の方が、きっと、もっと素晴らしくなることでしょう。

終演後は、神奈川フィル応援メンバーの数人と久しぶりにお会いし、あとは喧騒の池袋の街へ。
しかし、金曜の夜はどこも満杯で、放浪のあげく、ホールの真横でメキシカンしました。
ヨーロッパしたかったけど、メキシカンって(笑)

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しかし、アボガド率高いな。
チーズフライにも入ってるし。

あ、あと、美人さんのアヴデーエワさんのHPで、ショパンの24の前奏曲全曲の映像が観れますよ。

http://www.avdeevapiano.com/index.php/videos.html
それと、SNS大好きなゲッツェルさんのHP

http://www.saschagoetzel.com/

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2017年4月16日 (日)

ワーグナー 舞台神聖祭典劇「パルジファル」 クーベリック指揮

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花咲き乱れる春がやってきた。

野辺の花々も、喜ばしく咲いている。

そう、今日は、復活祭、イースター。

クリスマスと並ぶ、キリスト教社会最大のお祝い事の日。

この日をピークに、イースター週間は、お休みになったりする。

クリスマスをばか騒ぎしてしまう日本は、イースターは完全にスルー。
せいぜい、イースター・エッグぐらいで、それはもう、商業主義に則ったものにすぎず、バレンタインもハローウィンもみんなそう。

ひとつの宗教にしばられない、なんでもあり、八百万神の国、そんなこだわりのない日本が、島国でもありつつ、いいのかもしれない。
世界的にも、こんな国はないかも。

まだ記事にはしていないが、映画化された「沈黙」を観ても、そんな想いを持った次第だ。

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クリングゾルに踊らされる花の乙女たち、その彼女たちは、聖金曜日の奇蹟により、美しく咲く野辺の花となって、パルシファルを迎える・・・・

そんな絵のように、美しい情景を、その音楽を聴くたびに思い描いてきた。

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   ワーグナー 舞台神聖祭典劇「パルジファル」

  アンフォルタス:ベルント・ヴァイクル グルネマンツ:クルト・モル
  ティトゥレル:マッティ・サルミネン   パルジファル:ジェイムズ・キング
  クリングゾール:フランツ・マツーラ  クンドリー:イヴォンヌ・ミントン
  聖杯守護の第の騎士:ノルベルト・オルト、ローラント・ブラハト
  花の乙女:ルチア・ポップ、カルメン・レッペル、スザンネ・ゾンネンシャイン
    〃   :マリアンネ・ザイベル、ドリス・ゾッフェル
  小姓   :レギーナ・マルハイネッケ、クラウディア・ヘルマン
    〃   :ヘルムート・ホルツァプフェール、カール・ハインツ・アイヒラー
  アルト  :ユリア・ファルク

     ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団
                       バイエルン放送合唱団
                       テルツ少年合唱団
            合唱指揮:ハインツ・メンデ
                   ゲアハルト・シュミット・ガーデン

                   (1980.5 @ミュンヘン、ヘルクレスザール)

記事にして、もう何度も自分の浅い思いながら、書き尽くしてきた「パルジファル」。

キリスト教社会の源にもある「原罪」。

アダムとイヴが、蛇にそそのかされて、禁じられた木の実を、まずイヴが食べてしまい、ついで、アダムも口にする。
そう、禁制を破った罪を、人間は、悔い改めなくてはならない・・・という根源にある発想。
人間はつねに、罪深いと。

その蛇を悪魔に例え、それに対峙したのが、イエス・キリストであるという、のが、大まかなキリスト教という宗教の根源か。

「パルジファル」には、原罪からの解放者という観念が織り込まれている。
アンフォルタス、クンドリー、クリングゾール、そしてパルジファルがそれぞれに役割分担されている。
物語の語り部、目撃者としてのグルネマンツは、さながらエヴァンゲリスト。
そして、パルジファルが行った行為は、1幕でアルトにより歌われる予言のような言葉、「同情による救済」である。

パルジファルが行う最初の救いは、クンドリーへの洗礼。
そこで、パルジファルの膝元にあるクンドリーが、はらはらと涙をこぼし、静かに泣きくずれる場面は、いくつか観た舞台や、映像でも、わたくしの落涙箇所のひとつ・・・

ワーグナーが、舞台神聖祭典劇とタイトルしたことは、だいそれたことでもなく、この作品の根底を端的にあらわしたものだ。

この「パルジファル」を編み出すまでに、ワーグナーは、キリスト教劇「ナザレのイエス」や、仏教劇「勝利者たち」という台本のスケッチを残していて、それらを統合しつつ、この「パルジファル」になった。
それらのスケッチをぜひ知りたいものだ。
ワーグナーによる、ブッタの仏教劇なんて、いったいどのようなものになったであろうか・・・・・。

ワーグナー好きは、このようにして、ワーグナーが残したそれぞれの作品について、あれこれ妄想や思索にふけるのであり、ずっとずっと、そんなことをしながら、その音楽の魔力に囚われ続けているわけである。

           ーーーーーーーーーーーーーーーーー

「マイスタージンガー」のときもびっくりしたが、クーベリックによる「パルジファル」が、忽然と登場したときは、ほんとうにびっくりし、狂喜したものだ。
しかも極上のデジタル、スタジオ録音で!
さらに、超豪華なキャスト。

1年ほど前に、ブログ継続を断念すべく、大好きなオペラとして「パルジファル」のレビューを行ったとき、このクーベリック盤については言及しなかった。
古いものばかりの音源(クナ、ショルティ、ブーレーズ、レヴァイン)との思い出が勝ったからだけれども、このクーベリック盤の完成度の高さは決して忘れてはならない。
突然あらわれたクーベリック盤は、わたくしには、最近登場した新譜のような感覚なので、「パルジファル」の思い出から抜け落ちてしまった。

いまや、ベルリンフィルやウィーンフィルとならぶ、人気と実力のバイエルン放送響の礎を築いたクーベリック。
明るく、明晰、そして温もりのある南ドイツサウンドが、ここでも、素晴らしい録音によって、たっぷりと聴くことができる。
幾多ある場面展開における音色の、ときに緩やか、かつ、鮮やかな変転が実に見事で、根っからのオペラ指揮者であるクーベリックの手腕と、オーケストラの機能性の高さを感じさせる。
3幕での、聖金曜日の奇蹟における、神々しくも厳かな高揚感には、誰しもしびれるような感銘を受けるに違いない。

豪華な歌手の名前を何度ながめても懐かしい思いとともに、耳になじんだその歌声が脳裏に木霊するのを感じる。
いまだ現役の歌手もいるが、ほとんどが物故してしまった。

グルネマンツとザラストロは、この人をおいてほかにいないとまで思ってたクルト・モルも先ごろ亡くなってしまった。
絶頂期にあったモルは、ここでも含蓄あるグルネマンツを聴かせてくれる。
 若々しく美声のヴァイクルのアンフォルタスや、朗々としたサルミネンのティトゥレル。
ナイトリンガーのあと、バイロイトのザ・クリングゾールだったマツーラ。
過度にドラマティックにならない女性的なクンドリーのミントン。
それから、花の乙女たちのなかに、ひときわ懐かしい声を聴けるのは、とてもうれしい、そう、ルチア・ポップ。ショルティ盤でも、キリ・テ・カナワなどとともに歌っていた・・・・

タイトル・ロールのジェイムズ・キング。
亡くなって、もう11年もたつけれど、この歌手の陰りある声が大好きで、何を歌っても悲劇のジークムントに聴こえてしまうが、このパルジファルは、70年代のバイロイト放送のエアチェックや、ブーレーズ盤で、ずっと聴いてきたから、ことさらに懐かしく聴くことができる。
全盛期をやや過ぎた時分での録音ながら、風格と味わいは格別。
2幕での劇的な覚醒と、3幕の神々しさはキングならではであります。

これを書きながら、復活祭の日曜に、もう2度も聴いてる。
いま、ちょうど、聖杯が輝き、鳩が舞い降りる清らかなる終結部を迎えております・・・・。

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春は来たれり、そして、平安であれ。

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パルシファル 過去記事

「飯守泰次郎 東京シティフィル オーケストラルオペラ」

「クナッパーツブッシュ バイロイト1958」

「バイロイト2005 FM放送を聴いて ブーレーズ」

「アバド ベリリンフィル オーケストラ抜粋」

「エッシェンバッハ パルシファル第3幕」

「ショルティ ウィーン・フィル」

「バイロイト2006 FM放送を聴いて ブーレーズ」

「クナッパーツブッシュ バイロイト1956」

「クナッパーツブッシュ バイロイト1960」

「クナッパーツブッシュ  バイロイト1962」

「クナッパーツブッシュ バイロイト1964」

「レヴァイン バイロイト1985」

「バイロイト2008の上演をネットで確認 ガッティ」

「ホルスト・シュタインを偲んで」

「エド・デ・ワールト オーケストラ版」

「あらかわバイロイト2009」

「ハイティンク チューリヒ」

「シルマー NHK交響楽団 2010」

「ヨッフム バイロイト1971」

「アバド ベルリンフィル 2001」

「トスカニーニ 聖金曜日の音楽」

「パルシファル 大好きなオペラ」

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2017年4月14日 (金)

バッハ マタイ受難曲 ヘレヴェッヘ指揮

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桜の季節は、同時に、イースター。

今年の歴では、この終末が復活節となりまして、本日が聖金曜日。
日曜日が、イースターとなります。

しかし、寒くて、暖かい、そして曇りや雨ばかりの4月の早々。
北海道では、雪も積もったりで、ままならない天候。

そして、世界情勢に目を転じれば、シリアの内紛に化学兵器使用の疑いあり、アメリカが中国国家主席の訪米中、しかも、大統領との食事のデザート中に空爆。
朝鮮半島も、北の挑発が止むことなく、緊迫の度合いを深める。

そんななか、安住に慣れ切った、わが日本は、警告を発する一部の方々をのぞいて、のんきに構える日々。

あとで大騒ぎになる、いつもの国民性と、悶着を恐れるマスコミ。

このブログでは、そんな情勢を云々する場ではなく、音楽ブログなのだけれど、さすがに、ここ数ヶ月の、国会における野党と、マスコミの狂ったような姿勢には、フラストレーションがたまる一方だった。
国会運営に一日数億円かかるなか、それは税金で賄われるわけで、あんなくだらない陳腐なショーを見せられて、ほんとに腹がたった。
もっともっと、大切なこと、喫緊の課題がたくさんあるだろうに!
 それも、しかし、ようやく静かになった。
日本の正面から触れてはいけないタブーや、追求者へのブーメランに、ようやく気がついた、ばかな野党とマスコミ・・・・・

あぁ、もうやめておこう。

今日は、聖金曜日。
イエスが十字架に架かった日。
清く、ただしく、マタイを聴くのだ。

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     バッハ  マタイ受難曲 BWV244

  福音史家:イアン・ポストリッジ 
  イエス:フランツ=ヨーゼフ・ゼーリヒ
  アルト:アンドレアス・ショル    ソプラノ:シビッラ・ルーベンス
  テノール:ヴェルナー・ギューラ  バス:ディートリヒ・ヘンシェル
  
    フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮 コレギウム・ヴォカーレ

                       (1998)
数ある、マタイ受難曲の演奏のなかで、わたくしの4指にはいるヘレヴェッヘ盤。
その4つは、昨年の同時期の記事にあります。

ダントツで、揺るぎのない絶対的な存在のリヒターに、暖かなヨッフム、そして、峻厳でありつつピュアなレオンハルト、それと、日常のなかにふつうに古楽演奏を根付かせてしまったヘレヴェッヘ。

今日は、朝から、仕事中も、この音盤を何度も流しております。

リヒターだと、そんなお気楽に聴くことができず、つねに襟を正して、正座をして聴かなくてはならないような緊張感を強いられる。
ヨッフムは、その対極にあって、ドイツやヨーロッパの日常のなかのマタイ。
レオンハルトは、リヒターに近くもあり、もっと切り詰めた厳しさももしかしたらありつつ、それが、古楽のありかたなところが新鮮。
そのレオンハルトの、これまた対極にあるのが、同じ古楽奏法のヘレヴェッヘ。

4つを、異論は多々ございましょうが、自分では、そんな分類とともに、仕切っている。

 坦々と、静かな音楽運びのヘレヴェッヘの指揮。
劇的な合唱や、心情を吐露するソロたちの場面においても、ことさらに構えることなく、バッハの楽譜を、そのままに純粋に再現している。
 胸かきむしられる、一番の感動どころ、ペテロの否認の場面でも、その音楽運びは、さりげなくも、また第三者的でありながら、磨かれた音色の美しさでもって光っている。
そう、なにもしてないようでいて、出てくる音、ひとつひとつは、深く考察され、ラテン的ともいえる輝きにあふれているように思えるのだ。

ヘレヴェッヘのバッハは、ほとんど聴いたが、この2度目のマタイをピークに、ともかく美しく、磨きつくされている。

そんな指揮者のもと、歌手たちと、手兵の合唱の雄弁さに陥らない、透明感に満ち溢れた率直な歌唱も、指揮者の考えのもとにあるものと聴いた。
ナイーブ極まりないポストリッジのエヴァンゲリストが素晴らしく、ブリテンでの彼の神経質なまでの歌唱にも通じる見事さがある。
禁欲的なヘフリガーと、明晰なプレガルディエンと相立つ名福音詩家だと思う。
シュライヤーは、いろんな顔がありすぎて、自分的にはよくわからない。。。

ショルのアルト歌唱と、ゼーリヒのイエス、バスのヘンシェンも素晴らしいです。
ともかく、このヘレヴェッヘ盤は、歌手が豪華で実力派揃いなところがいいんだ!

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人類にとっての至芸品ともいえる、バッハのマタイ受難曲。

キリスト者からみた、人類の救い主たるイエスの受難の物語。

教徒ではなくとも、新約聖書の、ほんのごく一部から抜きだされたイエスの呪縛と、磔刑にいたる緊迫の物語にからむ、人間ドラマに、大いに共感し、そして自身を鏡で映しだされるかのような、内面と存在の弱さへの共感に、人間としての普遍的な価値を見出すのではないでしょうか。

中学生のときに聴いたリヒターの、最後の合唱「Wir setzen uns mit Tranen nieder」。
そこから始まった、わたくしの、マタイ歴。
そのあとは、聖書を物語的に読むにつれ深まる疑問と、感銘。
来日したH・リリングのマタイが、テレビやFMで何度も放送され、この作品が、完全に好きになった。

これからも、ずっと、大切に聴いていきたい。

そして、新しいマタイとも出会ってみたい。

 過去記事

「スワロフスキー&ウィーン国立歌劇場」

「レオンハルト&ラ・プティットバンド」

「ベーム&ウィーン響」

「4つのマタイ」

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2017年4月13日 (木)

松尾茉莉 ヴァイオリン・リサイタル2017

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毎年、桜と同じ時期に満開のきれいな椿。

奥には、ぼんやりと、これまた満開の桜。

寒くて、春は一進一退の今年、先の週末は、雨ばかりの菜種梅雨。

ゆっくりと開いて、長く楽しめたのかもしれない今年の桜です。

そして、雨模様のその日曜日、久方ぶりのコンサートへ。

 実は、その前日は、神奈川フィルの、今シーズンオープニング定期公演で、その演目も、サロネンの「フォーリン・ボディーズ」という曲と、マーラーの1番という、ともに大規模編成のまばゆいコンサートで、大盛況だったそうな。

土曜が主体となった神奈川フィルだけど、わが方は、仕事が不芳だったり、その土曜も開けられなかったりすることが多くなり、ここ1年以上、聴けなくなってしまった。

この葛藤たるやいかばかりか。

そんな喝を癒してくれるかのようなコンサート。
しかも日曜だったので、行けました。

神奈川フィルのヴァイオリン奏者であります、松尾茉莉さん(旧姓・平井さん)のリサイタルに行ってきました。

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 松尾茉莉 ヴァイオリン・リサイタル 2017

   シューベルト ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第1番 ニ長調 D384

   モーツァルト ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 変ロ長調 K378

       サラサーテ ツィゴイネルワイゼン

   フランク   ヴァイオリン・ソナタ イ長調

            アンコール曲

   岩田匡史  「Mari」

   モンティ   「チャールダッシュ」~お楽しみアレンジ付き

         ヴァイオリン:松尾 茉莉

         ピアノ    :加納 裕生野

                            (2017.4.9 @鶴見区文化センター サルビアホール)


前半が、ウィーンの古典派の流れ、後半は、近代ロマン派のそれも民族派的な作品。
よきコントラストと、有名曲も配置した素敵なプログラムです。

フランクは、「ヴァイオリン・ソナタ」だけど、前半2曲は、「ヴァイオリンとピアノ」とのタイトルに。
それも、順序が違う。

そう、モーツァルトの時代は、ピアノが主役的な立場で、ヴァイオリンは随伴者的であったのが、「ヴァイオリン・ソナタ」のありかた。
ベートーヴェンも、そんなスタイルを踏襲したが、中期の「クロイツェル・ソナタ」あたりから、ヴァイオリンに明らかに主軸が移り、より劇的になり、完全に「ヴァイオリン・ソナタ」になった。

でも、ベートーヴェンのあとのシューベルトは、初期のソナチネでは、モーツァルトを思わせる、ピアノ中心スタイルに逆戻り。
でも、後年のシューベルトは、ちゃんとした(というのも変な言い方だけど)、ヴァイオリン・ソナタに行きついている。
しかし、そんなシューベルトのソナチネやソナタには、シューベルトならではの、「歌」の世界があふれていて、ピアノも、ヴァイオリンも、簡潔だけれど、麗しい歌が振り当てられている。

そんなシューベルトを、快活に、そして伸びやかに演奏したお二人。
冒頭から、息のぴったりとあった演奏を危なげなくスタートさせましたね。
聴いてて、とても気持ちのいいシューベルトでした。

そして、シューベルトからモーツァルトへ。
同じ「歌」でも、この時期のモーツァルトには、ギャラントな華やぎがある。
そして、可愛い。
あと、ふっと見せる短調の哀愁が、さりげなく散りばめられてる。
 柔らかなピアノがステキな加納さんに、天真爛漫の茉莉ちゃんのヴァイオリン。
いいモーツァルト、聴かせてもらった。

 後半は、いきなり「ツィゴイネルワイゼン」。
どこもかしこも有名。
でも、面と向かって聴くのは、ほんとに久しぶり。
哀愁とジプシー風な濃厚サウンドと超絶技巧。
バリバリと、でも心をこめて弾きまくってくれました。

最後は、大好きなフランクのソナタ。
この曲との出会いは、中学生の頃、クリスティアン・フェラスのEMIのテスト盤で、解説もなにもなく、曲のこともまったくわからず、聴きまくってた。
終楽章と激しい2楽章ばかりを中心に。
でも、歳を経ると、冒頭の楽章と、幻想的な3楽章が大いに気に入り、その交響曲と併せて、フランクの渋さと晦渋さを楽しめるようになりました。

さて、この日のお二人は。
MCで、とても好きな曲、とお話されてた茉莉ちゃん。
これまでの3曲と違う、落ち着きと、内省的な表現に心をさいて演奏している様子が、その音からも、充分にうかがうことができました。
色合いのそれぞれ異なる4つの楽章が、これほど身近に、眼前で、響きのいいホールでもって聴けることの幸せ。
 お二人とも、母になり、生活も内面も、一歩踏み出し、そして守り、愛し愛されるものを持った充足感。
ちょっと飛躍した想いかもしれませんが、人はこうして変化し成長してくんだなぁ、なんて風に思いながら聴いてました。
 自分を表現できる手段をお持ちの音楽家の皆さんが、羨ましくも思ったりした一日です。

アンコールは、オリジナル曲をほんわかと、それから、この日の4曲を、バラエティ豊かに取込み、鳥さんの小笛までも愛嬌こめて披露してくれた「チャールダッシュ」
エンディングは、フランクに回帰して、喝采のもとに、ステキなコンサートは終了しました。

鶴見は、いい居酒屋がいっぱい。

一杯ひっかけて帰りましたよ。

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ポテチの突き刺さった魅惑のポテサラと、紫蘇ジュース割りに、鳥わさheart02
   

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2017年3月29日 (水)

チャイコフスキー 交響曲第1番「冬の日の幻想」 ユロフスキ指揮

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ようやくほころんだ今年の桜。

いま2~3分咲きぐらい。

でも、まだ冬の名残は、朝に晩に強いです。

だから、終わってしまう冬に、まだ聴いていなかったこの曲、まだいけます。

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  チャイコフスキー 交響曲第1番 「冬の日の幻想」

     ウラディミール・ユロフスキ指揮ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

                         (2008.10@RFHホール、ロンドン)

しかし、3月ももうじき終わるのに、風が冷たい。

例年なら、桜はもう咲いて、コートも薄手のスプリング系に、コートなしもちらほらなハズなのに、真冬の恰好じゃないと寒い。

繰り返しますが、この曲を冬気分で聴けてよかった。

「冬の日の幻想」は、チャイコフスキーの交響曲、いや、作品のなかでも、5番と並ぶくらいに好き。

  第1楽章 「冬の日の幻想」~アレグロ・トランクィロ・・・

  第2楽章 「陰鬱な地方、霧深い大地」

  第3楽章 「スケルツォ」

  第4楽章 「フィナーレ」

ロシア風のむせ返るような憂愁のかわりに、さらさら感のあるパウダー・スノーのような軽やかな抒情があるし、素晴らしい旋律が全編みなぎっていて、メランコリックな感情にも浸ることができる。
冒頭の木管で奏される旋律からして素敵だし、その後の展開も夢のよう。
2楽章のオーボエの歌とそれに続く夢想するような展開は、暖炉にあって、窓辺の雪景色を見るかのような想いになる。
3楽章のスケルツォでは、中間部の憧れに満ちた場面が愛らしくも、いじらしい。
そして全曲ファンファーレのような元気のいい終楽章は、くどいくらいのエンディングが用意されていて、微笑ましい。

抒情と夢想、哀愁と、ほどよい劇性、ともかく好き。

これまでたくさん聴いてきたけれど、西欧式の演奏ばかりである。

ロシア(ソ連)系のオケ&指揮者のものは、どうも分厚い響きと重厚感、それと威圧するような金管やヴィブラートが苦手なものだから・・・・。

そして、今日は、最近のお気に入りの演奏で。

今後活躍する次代を担う指揮者たちのひとり、ウラディミール・ユロフスキで。

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モスクワ生まれのサラブレット指揮者、ユロフスキは、父親も高名な指揮者、祖父は作曲家。
18歳にして、ドイツに移住して、ベルリンとドイツに学び、本格デビューは、R=コルサコフの「五月の夜」で、オペラ指揮者としてであった。
以降、ヨーロッパを中心に、オペラハウス、オーケストラの一流どころと共演をかさね、以下のポストを歴任中。

 2001年~ グラインドボーン音楽祭(ロンドン・フィル)音楽監督

 2005年~ ロシア国立交響楽団 首席客演
             〃        芸術監督(2011~)

 2005年~ エイジオブエンライトメント 特別指揮者

 2007年~ ロンドン・フィルハーモニック 首席指揮者

 2017年~ ベルリン放送交響楽団 首席指揮者

もうじき、45歳にして、このポスト。

いかにその才能と、辣腕ぶりが高く評価されているか、わかります。
ことに、ヤノフスキが、東側のオケを高度なオケへと変貌させたベルリン放送響との関係は、注目に値します。
そして故国の名門オケも率いつつ、オペラのポストや、古楽奏法のオケとの関係、それから、しのぎを削るロンドンのオーケストラも、巧みに率いている。

画像は、かなり濃い雰囲気ですが、映像などで、その指揮ぶりを拝見すると、大きな動きはなく、抑制された棒さばきで、細やかな目線や表情で、オーケストラを導いてゆくタイプと伺えた。

その音楽も、そんな指揮姿に符合して、スタイリッシュでありつつ、なめらかかつ、初々しい。
どこにも、曖昧なところはなく、音楽の運びは自信にあふれ、でも、爽快なところが、この人の特徴でありましょうか。
2楽章の連綿たる抒情も、クールでありながら、暖かな雰囲気を感じさせ、3楽章の中間分の麗しさとスケルツォ部分の切れ味との対比も見事なところ。
 で、まわりくどい終楽章は、アゴーギグを充分に効かせつつ、熱狂と、驚きの最終結末を迎えるのでありました。

という訳で、ロシア人でありながら、イギリスのオケのくすんだ響きとマイルドさを、チャイコフスキーに素晴らしく、融合させたユロフスキの見事な才能でした。
やはり、この人は、オペラ指揮者としての才覚が高い。
しっかりとした全体の見通しを構築しつつ、知らぬ間に、聴く人を乗せてしまい感興に引き込む手練れでありました!!

今年秋、ユロフスキ&ロンドンフィルが来日しますが、メインは、チャイコフスキーの5番と6番。
そして、それぞれに、辻井伸行さんがソリストで、同じチャイコフスキー。
うーーーーん、なんだかなぁ~
東京公演は完売。
そして、このコンビにしてはチケット高め・・・・

いつも思う、外来公演の弊害。

客を呼べる、人気ソリストをセットにする→有名曲のオンパレード→外来側は、こんなもんか的に10日ぐらいの滞在スケジュールをこなす→高いチケットをありがたがって購入して悦に入る聴衆。

ユロフスキとロンドンフィルという、10年を迎える、世界楽壇でも高度に優れたコンビなのだから、彼らの本質を聴かせてくれるような、本格的なプログラミングを持ってきてほしかった。
2番じゃないラフマニノフとか、今回の冬の日とかマンフレッド、スクリャービン、プロコフィエフやショスタコ、さらに、マーラーにシュトラウス、ツェムリンスキー、タネーエフなどなど・・・

難しいものですな・・・・・・。

「冬の日の幻想」過去記事

「マリナー指揮 アカデミー・セント・マーティン 

「メータ指揮  ロサンゼルス・フィル」

「ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ」

「M・ティルソン・トーマス指揮 ボストン響」

「秋山和慶 指揮 札幌響」


「ユロフスキの惑星」


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2017年3月26日 (日)

「ラヴェンダーの咲く庭で」 映画

Ravender

 その音楽だけは、ニコラ・ベネデッティの演奏するCDを通じて、とても気にいってたし、きっと、わたくしの理想とする英国の辺境の海辺の街が、すてきに描かれてるんだろうなと、想いをめぐらせていました。

いつも探してた。

そして、なんのことはない、近くのツタヤにありました。

そしてお借りして、じっくり鑑賞。

じんわりと、そして、あまりに同調もできる美しくも哀しい心情。

今日は、自分にも特別な日かもしれないのど、メルクマール的に、エントリーしておきます。

美しい映画の印象と、その思いは、またあとで、追加更新したいと思います。

(2017.03.26 追記)↓

1

トリスタンとイゾルデを思わせる、コーンウォールが舞台。

老いても、また、落ちぶれても、どんな悲しみにあっても、人間というものは、愛を希求し続けるんだ。

その愛は、世相や、世間で許されないものであっても、愛を抱く気持ちには罪はなく、限りなくピュアなものだ。

と、心から、想いたい。

そんな気持ちにさせてくれる、美しい映画だった。

5

年齢の違い、国の違い、などは考えにも足らず、ただひたすらに、優しさと愛おしさが貫く愛を、だれが間違いといえようか。

とんでもない想いだと、声を荒げる方もいらっしゃるかもしれないし、もしくは、ほのかに、自らの経験や想いに、同感なさる方もおられるかもしれない。

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わたくしは、ここでは表明しませんが、ともかく儚く、そして麗しい心情に、ことのほか、同感いたしました。

 英国、コーンウォール地方の海辺の町。

1936年のこと。
仲良く暮らす、二人の老人の域に間もなく達する姉妹。
そのもとに、難破のすえうちあげられた、若いポーランド人。

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彼を介抱しつつ、二人の姉妹に生まれる、ほのかな恋心。
そして判明した、才覚あふれるヴァイオリニストとしての隠れたる才覚。

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 おりからあらわれた、ドイツ系の若き絵描きの女性。

彼女には、高名なるヴァイオリニストの兄があって、ポーランド人に接触し、この才能を、世に出すべく、兄と画策。
 この憎むべき動きを察し、隠ぺいしようとした姉妹と、若きヴァイオリニストとの間で生まれた確執。
そこに、地場のローカルイズムや、初老医師の嫉妬、ユーモアあふれるお手伝いさん、などが、巧みにからまり、後半は緊迫のドラマとなる。

姉妹に、事情を説明し挨拶をしたい想いを封じられ、やむなくロンドンに消えたポーランド人から、ふたりのもとへ、謝罪と自画像、そして、近くロンドンで演奏会デビューする旨の手紙が届けられる。
 コーンウォールでは、気のいい村人たちが、ラジオの前に集まり、これから始まるポーランド人の演奏のライブに耳をすませる。

12  

そして、はじまったコンサート。
鳴り渡る、麗しくも哀しいメロディに、会場の人々は、感動のゆえ固唾をのみ込み、コーンウォールの村人たちは、誇らしげに、でも、失ったものへの悲しみに耐えつつも涙する。
コンサートの会場の感動した聴衆のなかには、ふたりの姉妹がありました・・・・

13

コンサート後のレセプション。
ふたりの姉妹を見つけたポーランド人は、かけより、感謝と喜びをあらわしますが、つらいことに、この夜の花形。
この場の一番偉い、貴族から声をかけられ、本人の意思とは逆に、姉妹のもとを離れることに。
振り返る若きヴァイオリニスト。
でも、一番愛した、妹は、姉を促し、帰りましょうと・・・・

16

コンサート会場を去るふたりの老姉妹。
そして、地元のコーンウォールの海辺を散策するふたりのシーンに切り替わり、この素敵な映画は終わりました。

 続いて流される、この映画の音楽。

そう、ニコラ・ベネデッティが奏でたあの曲。

ナイジェル・ヘス作曲の書き下ろし作品。

ともかく美しい。

映画では、ジョシュア・ベルが弾いてます。

美しくてなにが悪いんだろう。

こんな愛らしい気持ち、それは、世代も、身分も超えて、はぐくまれる愛情や想いは、本人たちしか、結論を見いだせないのだから、それはそれで、いいのではないのか。

そんな風に想う、3月25日でありました。

 

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2017年3月21日 (火)

ショスタコーヴィチ ふたりのペトレンコ

Zojyoji_2

お彼岸の昨日。

東京は、温暖の陽気に。

ここ、増上寺も、桜がちらほらと、開花し始めました。

東京の開花宣言は、靖国神社で、そちらが、まだ準備ととのわずとのことだったけれど、21日の今日、開花宣言なされました。

春ちかし。

が、しかし、冷たい雨で、一進一退・・・・

で、ペトレンコ。

Petorenko

これからの、オーケストラ界をリードする指揮者たち。

今回は、ふたりのペトレンコ。

ニュース的に、情報量の少なさや、日本での馴染みの不足から、驚きの報だった、キリルの方のペトレンコ。

シベリア地方の出身で、音楽家だった両親とともに、若き日に、オーストリアに移住し、同国と、ドイツのオペラハウスで、叩き上げのオペラ指揮者として、徐々に頭角を現すようになった。
 そんな、伝統的なカペルマイスター的な、積み上げの成果が、バイエルン国立歌劇場の音楽監督や、バイロイト音楽祭でのリングに結びつき、そして、ベルリンフィルの指揮者という最高のポストにたどり着いた。

2018年の正式就任には、46歳となるキリルさにん。

天下のベルリンフィルに、この年代で若すぎるのでは・・、と思ったら、現任のサイモン・ラトルは、47歳での就任だった。
クラウディオ・アバドは、さまざまな華やかなポストを歴任したあとの、ベルリンフィル音楽監督は、57歳。
ちなみに、カラヤンは、フルトヴェングラーのあとを継いだのは47歳。

より自主性を増したこのオーケストラの判断の正しさは、これまでの歴史と経緯が物語ってます。
そして、さらに、キリル・ペトレンコの音楽メディアに対する慎重さが、ユニークであり、そして、キリルに対する謎めいた雰囲気を高める効果ともなっている。
 いま聴ける、正規音源が、スークの作品と、ベルりンへの客演映像のみ。
商業的にたくらみそうな、ベルリンフィルとの録音や、バイエルンでの映像もなし。

いいじゃないか、こんな硬派な存在!

数年前のライブ録音を、youtubeから聴いた。

 ショスタコーヴィチ  交響曲第7番「レニングラード」

   
キリル・ペトレンコ指揮 RAI交響楽団


2013年ごろの演奏会ライブと思われます。
RAIは、トリノのイタリア国営放送のオーケストラで、ローマと、ミラノ、トリノにあった放送オケをトリノで一体化させたもの。

 スピード感と、音圧のすごさを、この放送音源からでも感じます。
そして、重苦しくならない、軽やかさと、不思議に明るい解放感も。
 終結の、豪勢きわまりないエンディングも、このイタリアのオーケストラから、びっくりするぐらいの精度も伴って引き出してました。
 しかしながら、表面的な効果狙いとは遠く、さまざまな問題提起のある、意義深いショスタコを聴いた想い。
これはまた、ベルリンでのショスタコの全曲演奏に、大いなる期待を抱かせてくれるひとこまでありました。
 ちなみに、戦争の主題の繰り返しのサブリミナル効果場面では、ものすごい興奮と熱狂が聴く人を待ちうけてますよ。

こういったところも、うまいんだ、これまた、キリルさん。

Shostakovich_13_petorenko_a

  ショスコーヴィチ 交響曲第13番「バビ・ヤール」

     Br:アレクサンダー・ヴィノグラードフ

 ヴァシリー・ペトレンコ指揮 ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団
                       〃          男声合唱団
                  ハッダーズ・フィールド・コーラル・ソサエティ

                       (2013.9 @リヴァプール)

もうひとりのペトレンコ、ヴァシリーの方は、今年41歳。

キリルと比べても、まだ若手だけど、しかし、もうすでに多くの録音と、日本への数度の来日もあって、その存在は、ひろく知れ渡っている。
 サンクトペテルスブルクの出身で、若き日々にソ連崩壊を経験し、音楽家としては、オペラの道を極めようとした点で、キリルと同じ。

しかし、旧西側でのポスト、ロイヤル・リヴァプールフィル、さらにはオスロ・フィルの指揮者となることで、コンサート指揮者としての存在ばかりが評価されるようになった。
この世代としては、録音に恵まれていて、ナクソスとEMIに、相当量の音源を残しつつあるし、共演盤も多いことから、合わせものでの才覚もある。
 が、しかし、ヴァシリーさんは、キリルと異なって、得意であるはずのオペラに、いまだに恵まれていない。

キリルさんの方は、とんとん拍子に、オペラとオーケストラを高度なポストでもって披歴することが可能となったが、ヴァシリーさんは、いまのところ、コンサート系のみ。
 オペラのポストは、なにかと忙しいし、苦難も多いから、それがゆえに、才能あふれるヴァシリーさんには、どこかオペラのポストも得て、ゲルギーなみの物理的な多忙さをコントロールしていって欲しい。

で、リヴァプールフィルによるショスタコーヴィチは全曲録音も完結し、次々に、多様なプロジェクトに取り組むヴァシリーさん。
ロシア物以外にも、エルガーに取り組んで、英国での長い活動をレパートリーに反映させるようになってきた。
このあたりの本来の多彩な活動ぶりが、もっと表面化し、評価されるようになると、ヴァシリーさんは、さらにステップアップすると思います。

で、今回の「バビ・ヤール」。
スマートで、イギリスのオーケストラならではの、ニュートラルな雰囲気で、金管をはじめ、弦は爽快なまでに爽やか。
でも、ときに、手荒な混沌たる響きを導きだすのが、ヴァシリー・ペトレンコの腕前で、悲壮感あふれる強大なフォルテの威力は強烈だ。
 わたくしには、このリヴァプールのオケは、チャールズ・グローヴスのもと、ディーリアスの数々の繊細な演奏での印象が強くあるが、こんな音色を聴くことになることに、驚きを感じた次第。
13番ならではの、皮肉にあふれたシニカルな様相も、たくみに表出されている。
 しいていえば、エグさが少ないかも。
その点は、キリルさんの方が多様に持ち合わせているかも。

 キリルとヴァシリー、ふたりのペトレンコ。
これからも、注目して、聴いて行きましょう。

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2017年3月12日 (日)

ワーグナー ニーベルングの指環 抜粋 P・ジョルダン指揮

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銀座の顔のひとつ、ソニービル。

築51年の老舗ビルは、2017年3月末を持って閉館し、解体される。

待ち合わせや、ビル前での催し、飲食店など、私にとっても懐かしい思い出がたくさんある。

2018年から2020年にかけて、この場所はイベントスペースとして活用され、その後にビルとなる。

このビル前の、数寄屋橋阪急もいまはリニューアルされたし、松坂屋は、いまギンザシックスという巨大な複合ビルとして、開業間近。

思えば、街も、人間と同じで、新陳代謝や新旧交代がなされて、あらたに生まれ変わって、成長していく。
都会ばかりでなく、どの街も、人が係われば、大なり小なり同じことだと思う。

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春は近いよ!

そして、今日は、血肉と化したワーグナーを。

前記事に続いて、次世代大物指揮者を。

さらに、こちらは、二代目サラブレット。

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  ワーグナー ニーベルングの指環 抜粋

   フィリップ・ジョルダン指揮 パリ・オペラ座管弦楽団

     ブリュンヒルデ:ニーナ・シュティンメ

                 (2013.6 @パリ、バスティーユ)


スイスの名指揮者、アルミン・ジョルダン(1932~2006)の息子、フィリップ・ジョルダンは、42歳の、指揮者にとっては若手中堅筋。

しかし、そのオペラにおける豊富な実績からして、もうオペラ界の重鎮的な存在といってもいいかもしれない。
 バレンボイムのもとで、ベルリンで活動し、2009年より、パリのオペラ座の音楽監督になってる逸材。
しかも、2014年から、ウィーン交響楽団の首席指揮者に登用され、オペラとコンサート、両方の確たるポジションを築きつつある。

オペラを極めた親父ジョルダンと、そっくりの道のりを歩むフィリップ。

父ジョルダンは、ルツェルン出身で、チューリヒに没し、フィリップは、そのチューリヒが出身。
多国籍的なスイスにあって、ドイツ語圏だから、親子ともに、ドイツ・オーストリア音楽に近しい。
さらに、スイスの国柄から、フランスとイタリアにも境があって、当然にフランス系の音楽や、イタリアオペラにも精通してる。
そんな親子ともどもの共通点のDNAを高レベルでもって引き継いでるジョルダン氏。

 バイロイトには、2012年に、パルシファルで登場し、今年のマイスタージンガーのプリミエを任された!

そんなフィリップ・ジョルダンのワーグナーを確認できる音盤が、パリのオペラオケを指揮したリングだ。

これが実に、素敵なワーグナーなんだ。

重厚でオーソドックスな、師バレンボイムと、明晰で透明感あるブーレーズの解析度、ともに譲り受けたようなスタイリッシュなワーグナー。

そう、ドイツの本格派を引継ぎながら、ラテン的な目線も持つクリアなワーグナー。
ヴィーラント・ワーグナーが聴いたらな、とても喜びそうな曇りない音楽で、クラウディオ・アバドのワーグナーにも通じると聴いた。
 聴かせどころで、私の基準からすると、ちょっとスルーしてしまうところもあるが、どうしてどうして、本物のクリア系ワーグナーですよ。

クリュイタンス以来の、パリ・オペラ座のワーグナー録音。
思えば、バスティーユ・オペラと呼ばれていた時分の初代指揮者は、バレンボイムだった。
そして、数年前、ビシュコフの指揮で東京で聴いた「トリスタン」も、フレンチでありつつ、明快なワーグナーだった。

ティーレマンとドレスデンのワーグナーと、対極にありつつ、ともにワーグナーの真髄を聴かせてくれる、そんなジョルダン&オペラ座でありました。

「ブリュンヒルデの自己犠牲」では、シュティンメが、ぜい肉をそぎ落としたような、まったくもって、赤身肉のような、脂身ゼロの、超ウマい美声でもって、リングのハイライトを締めくくっております!!

さぁ、次の有望指揮者は、誰にしましょうね。

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2017年2月26日 (日)

チャイコフスキー 交響曲第5番 ネルソンス指揮

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2月26日、東京マラソン。

どうしてもこの先に行かざるを得なかったので、観戦。

いやはや、スゴイですよ!

ぎっしりの人の波が、ずっとずっと続いてる。

ピカチュウも、力士も、セーラーも、コスプレたくさん。

沿道も応援する人たくさん、企業などは、自社の前で、よさこいや、チアリーディング、笛や太鼓の鳴り物で、にぎやかなこと!

平和でなにより、お祭りであります。

来年は、ちょっと鍛えて出ちゃおうかしら。

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下を歩いていたら、偶然に、林家たい平師匠を真近に見ましたよ。

こんなビックイベントだから、交通規制も大変で、警察も物騒なことのなきよう、かなり厳重な様子でした。

で、東京マラソンとは、関係ないけど、久しぶりに、アレ行っちゃいます♪

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   チャイコフスキー  交響曲第5番 ホ短調

      アンドリス・ネルソンス指揮 バーミンガム市交響楽団

                       (2008.10.16 バーミンガム)


いま、あげあげ、人気実力急上昇中の指揮者ネルソンスの初期の頃の録音。

1978年生まれだから、30歳。

多くの名音楽家を排出しているラトヴィアの出身。

この録音の年に、バーミンガム市響の音楽監督になり、その後はもう破竹の勢いの大活躍をみせるわけで、録音もたくさんあるし、38歳にして、この人は、これからどうなってしまうんだろうと思ってる今日この頃なんです。

バーミンガムとのものは、この演奏しか聴いたことがないけれど、私は、バイロイトでの「ローエングリン」と、ルツェルンでのアバドの追悼演奏会で、この指揮者のことがとても気に入ってしまった。

そして音楽監督となったボストン響との演奏を、いま、ネット上でいくつも聴いていて、そのことはまた後日に記事にしますが、それらの演奏がまたピカイチなんです。

 ネルソンスの指揮は、奇をてらうところが一切なく、オーソドックスなものなんだけれど、醸し出される音楽の鮮度がとても高くて、どこもかしこもイキイキと躍動し、そして磨き上げられた音色の美しさも保っている。
このバーミンガムとのチャイコフスキーも堂々たる演奏で、現在のボストンとの共演からすると、ちょっと荒削りなとこがあって、そこが、若き日のヤンソンスみたいなところを思わせる。

 そうそう、指揮する姿も、譜面の置き方も、師ヤンソンスそっくり。

スマート・スタイリッシュな第1楽章、むせぶようなホルンが印象的な第2楽章、流れるように美しい第3楽章、思わずゴツゴツした感じの終楽章、しかも、かなりリズミカルで、乗せられてしまう。

 バーミンガムのオケも、かなり巧いし、金管も実によく鳴っている。
ラトル、オラモ、そして、ネルソンス、そのあとが女性指揮者のミルガ・グラジニーテ=ティーラ。
彼女は、ネルソンスと同じく、30歳にして、バーミンガムの指揮者に。
しかも、同じバルト三国のひとつ、リトアニアの出身。
昨年のプロムスで、チャイコフスキーの4番を指揮するのをネット視聴したけれど、堂々たるもので、爆発力もたっぷりだった!

 大巨匠の時代はもう去り、いや、その現存する大巨匠たちも、若い人たちの音楽を意識したかのような、若々しい音楽造りをするようになった気がする。

さて、ネルソンスは、今年、ゲヴァントハウスの指揮者に就任し、ボストンと掛け持ちとなる。
DGは、ボストン響とショスタコーヴィチを、ゲヴァントハウスとブルックナーを、ウィーンフィルとベートーヴェンを、それぞれ録音する予定と聞く。

ますますもって楽しみな指揮者であります。

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2017年2月22日 (水)

にゃんにゃんの日に

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お正月のこと。

夕刻に、海を眺めて、浜からあがったら、なんとなく、ねこの気配が。

いましたよ、可愛いのが

ということで、2月22日は、「ねこの日」。


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ねこさんの、気を引く一番簡単な方法。

コンビニ袋をがさごそと音をさせること。

この手の音には、ねこは、極めて敏感で、近寄ってきます。

食べ物を与えるのは、よくよく状況を見極めなくてはならないけど・・・

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かなり近寄ってますぜ、だんな。

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好奇心旺盛な1号と、奥で控えめな2号。

で、真っ暗になってきたし、帰ろうと腰をあげると・・・・
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奥には、さらに・・・・・・

だるまさんが転んだ!

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お、おーっ、さらに一匹。

この後、帰りつつも、振り返ると、みんな遠巻きに着いてくるんだ。

常に1号が先頭で。

しかし、ある一定のラインからは出ようとはしなかった。

猫たちの、縄張り、領分、結界があるんだろうね。

ということで、ねこの日特集でした。

 それと、2月22日は、「竹島の日」でありますこと、ここに付記いたします。

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                                       以上

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