2019年7月 7日 (日)

R=コルサコフ 「シェエラザード」 ハイティンク指揮

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毎日、雨かどんより曇り空。

しかも、蒸し暑い。

毎年書いてることですが、かつての日本の梅雨は、春でもない、夏でもない、初夏の独特の季節でした。
しとしと降る雨に、涼しさを伴った、しっとりした風情ある日本の梅雨のひとコマは、もう失われてしまったのかもしれません。

ラヴェルの同名の曲を聴いたら、より高名なこちらを久しぶりに聴いてみた。

Haitink-scherazade

  R=コルサコフ 交響組曲「シェエラザード」 op53

    Vn:ロドニー・フレンド

  ベルナルト・ハイティンク指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

        (1972.1.24 @ウォルサムストウ、ロンドン)

若い頃は、こうした名曲が大好きで、気に入ると、毎日でも何度でも聴いていたものです。
やがて、好きなジャンルや作品がどんどん拡張されてくると有名曲路線から離れていくようにもなります。
でも、急に聴きたくなって、そうした有名曲を聴いてみると、その素晴らしさに唖然とすることがあります。
そして、それを初めて聴いたころ、熱中した頃の思い出もよみがえってきたりもします。
で、また離れて、また聴いての、そんなことを繰り返しです。

ハイティンクのシェラザードをこのブログで取り上げるのは2度目で、最初の記事は2006年ですから、もう13年も経つ。
いやはや、時の経過の早いこと。
そのときは、ハイティンクが、シカゴ交響楽団の首席指揮者に選ばれたことを喜び、そんなハイティンクのたゆまぬ歩みを振り返ったりもしました。

Haitink-90

そして、そのハイティンクが90歳にして、先ごろ、65年間にわたる指揮活動の引退を表明しました。
最後の演奏会は、9月にロンドン(Proms)とルツェルンで、ウィーンフィルとブルックナーの7番。
その前、8月には、これもルツェルンで、ヨーロッパ室内管とマーラーの4番。
ブルックナーとマーラーで、指揮者としての活動に終止符。
いかにもハイティンクらしい勇退の仕方です!

ここにあらためて、ハイティンクの略史を。

   1929       アムステルダム生まれ
   1954             オランダ放送フィルにて指揮者デビュー
   1957~1961        オランダ放送フィル 首席
   1961~1987   アムステルダム・コンセルトヘボウ 主席(64から音楽監督)   
   1967~1979   ロンドン・フィル首席(芸術監督)
   1977~1988   グライドボーン音楽祭 音楽監督
   1987~2002       コヴェントガーデン歌劇場 音楽監督
   1994~2000   ECユース管 音楽監督
   2002~2005   ドレスデン・シュターツカペレ 首席指揮者
   2007~2008   シカゴ交響楽団 首席指揮者             

   常連指揮者    ボストン交響楽団 首席客演指揮者        
            ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、ロンドン響、バイエルン放送
            ニューヨークフィル、フランス国立管、バイエルン放送響、パリ管
            オランダ放送フィル、ヨーロッパ室内管、モーツァルト管
            ルツェルン祝祭管

こんな感じで、ひとつのポストを長く勤め上げ、やがて鉄壁のコンビとなる。
しかし、後年は音楽界の重鎮として、請われて空白を埋めるようなポストに就くようになり、さらに、アバド急逝のあとのコンサートを臨時で救ったりもしたりと、ともかく世界各地でハイティンクが求められるようになったんです。

そんなハイティンクのフィリップス録音時代は、コンセルトヘボウとロンドンフィルのふたつを振り分けて、いくつもの名盤を残してくれました。
アムステルダムとロンドン、ハイティンクの二都物語、なんてレコ芸の記事もありました。

ロンドンフィルとの仲が解消してしまったのは残念ですが、このコンビで好きな音盤はたくさんあります。
リスト、惑星、ストラヴィンスキー、ベートーヴェン、モーツァルトなどのオペラの数々にV・ウィリアムズ。
そんな中から、2度目のおつとめ、「シェエラザード」を選択。
重たい雲を眺めながら聴く千夜一夜物語。

決してストーリーテラー的な面白い、絢爛豪華な演奏じゃない。
誠実に譜面どおりに音楽を再現してみせた結果が、落ち着いたたたずまいの、ノーブルかつ渋めの「シェエラザード」となりました。
ことに、第3曲「若い王子と王女」は、ロンドンフィルの弦の美しい響きをあらためて体感できる。
1度目の記事でも書きましたが、このときのコンサートマスター、ロドニー・フレンドのソロが、しとやかかつ繊細で美しいヴァイオリンを聴かせます。
フレンドさんは、のちにニューヨークフィルのコンサートマスターに引き抜かれますが、ロンドンフィルの黄金時代は、このフレンドがいたハイティンクの頃だと確信してます。

一方で、ハイティンクには、コンセルトヘボウでも「シェエラザード」をやってほしかった。
コンセルトヘボウで「シェエラザード」を聴きたい、そんな思いは、コンドラシンの指揮で解消されましたが、そこでは、クレバースのヴァイオリン、フィリップスの録音という、まさにハイティンクが振ってもおかしくない理想的な音盤となりました。

ともあれ、あと数回のハイティンクの演奏会。
その成功と、そこに居合わせることのできる方々の幸せを祈りたいと思います。

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あと半月ぐらいかな。
青空が続く日々がやってくるのは。

過去記事

「ハイティンク&ロンドンフィル」

「メータ&ロスフィル」

「オーマンディ&フィラデルフィア」

「小澤征爾&シカゴ、ボストン」

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2019年6月30日 (日)

ラヴェル 「シェエラザード」 アバド指揮

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もう盛りは過ぎましたが、街のあちこちでみかける紫陽花。

初夏の訪れとともに、開花し始め、梅雨に最盛期を迎える彩りあざやかな、日本由来の花。

G20で来日の各国首脳も、目にしたことでありましょう。

蒸し暑いが、梅雨のしっとりした風情は、紫陽花あってのものです。

かつてのむかし、西欧人が憧れた、神秘のヴェールにくるまれたアジアを想った音楽を。

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    ラヴェル 「シェエラザード」

      S:マーガレット・プライス

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

          (1987.11 @オールセインツ教会、ロンドン)

ラヴェルの歌曲集「シェラザード」は、アジアをテーマにした3編の詩に寄せたもの。
ラヴェルの芸術仲間の、トリスタン・クリングゾールの同名の詩によるもので、そう、おわかりでしょうが、ワグネリアン風の色濃いお名前。
本名はアルテュール・ジュスタン・ロン・ルクレールという、これまた長~い名前。

世紀末ヨーロッパの知識人たちの、ジャポニスムに代表されるような、東洋へのあこがれと、エキゾチシズムは、たくさんの芸術作品を生み出しました。
1903年に作曲されたラヴェルの「シェエラザード」も、まさにそのひとつといっていい。

①「アジア」 ②「魅惑の笛」 ③「つれない人」

千夜一夜物語が、その根底にあるテーマだから、①「アジア」では、行ってみたい、船出してみたい、観てみたいを、連発するが、港のものうい風景や、回教寺院の尖塔などを見たいといいつつ、曲がって大きな刀で罪もない人の首をチョンするのを見たいなどと、恐ろしい想いも吐露する。
しかし、これらは、ときおり、大きな禍々しいフォルテがやってくるものの、おおむね、物憂げで、沈滞したムードに覆われている。

美しいのは②「魅惑の笛」で、まさに独奏フルートがとびきり美しい。
ほんとに美しい、ここでも、その物憂く、はかないムードは、ドビュッシーの牧神の午後にも通じる、白昼の幻想のようなものだ。
昼寝する主人の横で、恋人の笛の音色に耳を傾ける少女。
その様子が眼にうかぶ、静かな音楽です。

そして、その静けさは、弱音器を付けた弦楽器と夢幻な管のかなでる秘め事のような音楽、③「つれない人」にもつながる。
その詩がまた、刹那的でセクシャルな退廃感にあふれている。
女性に、つれなく別れを告げる異国の青年。しかし、その後ろ姿は女性的に腰をひねって・・・っていう意味シンぶり。
音楽も、後ろ髪ひかれるような甘味な余韻を残しつつ静かに終わる。

80年代後半に、ロンドン響とともに録音された、アバドのラヴェルシリーズに、この素敵な歌曲が含まれたことは幸いです。
精緻で、かつ明るく、情熱にもあふれた明快なラヴェルを残したアバド。
コンビの最終次期にもあたり、阿吽の呼吸で、ロンドン響の自発的なサウンドを引き出した。
 クリアで、歌いすぎることのない、冷静なM・プライスの歌声も、アバドのこの美しい「シェエラザード」には相応しいものだと思います。

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ロス・アンヘルスや、S・グラハム、そして、いまお気に入りの歌手、クレヴァッサの蠱惑の声で歌う「シェラザード」も好きです。

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      マリアンヌ・クレヴァッサ

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2019年6月26日 (水)

ヤナーチェク シンフォニエッタ アバド指揮

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毎度の場所です。

緑と海と空の青が美しいこの時期。

今年もめぐってきました、クラウディオ・アバドの誕生日。

1933年ミラノ生まれですから、今年86回目の生誕日。

残念ながら、空のひととなってしまい、新譜もあまり出なくなってしまいましたが、レーベルにも恵まれ、若い頃から通算盤歴も長い指揮者でしたので、いまでも、たくさんの音源を繰り返し聴いて過ごすことができることに感謝です。

以外にもアバドの好んだ作曲家、ヤナーチェク。
そのもっとも有名な作品を今宵は聴きました。

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  ヤナーチェク シンフォニエッタ

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

          (1968.2 @ロンドン・キングスウェイホール)

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   クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

          (1987.11 @ベルリン・イエスキリスト教会)

1966年がレコードデビューだから、ロンドン響との68年の録音は、アバド初期のデッカ録音。
日本では、71年にロンドンレコードから発売されたと記憶しますが、クラシック聴き始めの小学生だったので、まだまだ、ヤナーチェクなんて、ましてや、カップリングのヒンデミットのウェーバーの変奏曲なんて、まったく眼中になく、難しそうな音楽だろうと思っていた。
 アルゲリッチとのショパンで、すでにアバドのレコードは所持していましたが、このロンドン響とのシンフォニエッタを聴いたのは、CD時代になって早々のこと。
そして、ヤネーチェクのシンフォニエッタが、私の耳に飛び込んできて魅了されたのは、72年にクーベリックのDG盤が出たときのこと。
FMで聴いて、録音して、夢中になった。
そのあと、N響でも、マタチッチや岩城さんの放送があり、この作品の骨太な演奏に惹かれていった。

でも、すこし後に聴いたアバドのシンフォニエッタは、そのスリムなスマートさで、ぜんぜんイメージが違うものだった。
ロンドン響の、見事なブラスセクションをえて、切れ味抜群、でも、豊かな歌にあふれたヤナーチェクの演奏に驚いた。
明るい歌いまわし、そして、ロンドンならではの、インターナショナルなシンフォニエッタ。

そのあとの、ベルリンでの再録音は、ベルリンフィルの高性能ぶりを感じさせる、超高機能の演奏。
鉄壁ななかに、やはり、歌があって、朗々としつつ、民族臭も感じさせるような表情への細かなこだわりがある。
アバドが取り上げたほかのヤナーチェクの作品には、「死」がまとわるテーマの作品が多くて、運命的な死と、避けることのできない宿命や民族的な問題への直視があります。

若き日々のブリリアントな演奏から、ヤナーチェクの音楽への切込みの深さ。
さらなるオペラ作品など、アバドに挑戦してもらいたかったです。

ちなみに、85年頃のFM放送ですが、ウィーンフィルとのライブも、ライブラリー化してます。
丸い感じの演奏が、ベルリンとの鋭さと、ちょっと味わいが違っていておもしろいです。

ことしの、アバド生誕祭は、ちょっと渋いですが、「アバドとヤナーチェク」。
後任のラトルにもしっかり受け継がれていること、この歓迎すべき師弟関係は、アバド→ラトル→ハーデイングへと引き継がれていることを感じますがいかに。

アバドの生誕記念日に。

アバドのヤナーチェク 過去記事

「死の家から」

「死んだ男の日記」

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青い景色は、相模湾と真鶴半島に、遠く伊豆。


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2019年6月22日 (土)

ラフマニノフ 「鐘」 プレヴィン指揮

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吾妻山にある、もうひとつの神社が、「浅間神社」。

吾妻神社は、日本武尊と弟橘媛命にまつわる由緒ある神社ですが、こちらは、父の仇討で高名な曽我兄弟の姉、木花咲耶媛(このはなさくやひめ)が、仇討の大願成就の感謝を込めて、富士浅間神社を本社に、こちらに祀ったものとされます。

日本には、多くの神社があり、そこには古来、多くの日本人が、いろんな願いと感謝を込めて手を合わせてまいりました。

神社とお寺、その違いや、言葉はよろしくないですが、使い分けは、多く日本人はそう意識もせずに、日常行っていると思います。
初詣には、寺や神社に等しく出向きますし、供養はお墓やお寺に詣り、願掛けや感謝は、神社にお詣りします。
宗教と、民族的な信仰、このふたつを心のなかにうまく融合しているのではと思いますし、わたくしなんぞ、洗礼をうけているわけでもないのに、教会で手をあわせたり、キリスト教を背景とした音楽を聴き、涙することもあります。
柔軟かつ複雑な、日本人の思考は、こんなところからもうかがえるのかもしれません。
 お天道様が見ている・・、こうした自然や身の回りのものへの想いや感謝こそが、日本人の心にあるものだと思いますが、最近はどうも。。

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小さなお社ですが、新緑が実に映える清涼感あふれる美しさです。

Rachmaninov-bells

  ラフマニノフ  「鐘」op35

   S:シーラ・アームストロング T:ロバート・ティア
   Br:ジョン・シャーリー=クワーク

    サー・アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団
                  ロンドン交響合唱団
           合唱指揮:アーサー・オールダム

        (1975.10 キングス・ウェイホール ロンドン)

ラフマニノフの交響曲は3曲あるけれど、それ以外に、交響曲的な要素ををもった作品がふたつ。
三浦淳史先生の名づけで、合唱交響曲とも後世呼ばれる、この「鐘」。
そして、晩年のアメリカでの作品、「交響的舞曲」。

作品の総数としては、そんなに多くはないラフマニノフは、自身が名ピアニストであったゆえの、協奏曲を含むピアノ作品を中心に、交響的な作品、そして、歌曲を中心にした声楽作品、それに作品数は少ないながら、室内楽作品に、オペラということになります。
まんべんなく、あらゆるジャンルに作曲をしましたが、ひとフレーズ聴けば、もうラフマニノフとわかる作品たちばかり。

むせかえるような甘味なメロディーに、暗たんたる、ともに落ち込んでしまいそうな旋律、それらの繰り返しのくどさ。
弾むリズムに、跳ねるような3拍子、ジャンジャカジャン的な派手だけど、あえないエンディング。
そう、こんなラフマニノフ・ワールドがいつしか、病みつきになるんです。

終焉の地がアメリカであったこともあるが、その音楽が大衆的な人気をはくすようになったのもアメリカからだと思うし、ストコフスキーやオーマンディの功績も大きい。
そして、ラフマニノフの人気は、スクリーンにも使われ、英国、本国ロシア、ヨーロッパ、日本へと広がっていったものと思う。

そのアメリカで早くから聴かれ、親しまれていたのが、「鐘」。
英語圏では、「Bells」。
 エドガー・アラン・ポーの詩による作品だが、ポーの原作そのものでなく、英語の原語を、ロシアの象徴派詩人のコンスタンティン・バリモントのロシア語訳によったものに作曲された。
そしてアメリカでは、このロシア語訳のものを、さらにファニー・コープランドという女性が英語訳にしたものが、ペテルブルクでの初演7年後、1920年に、ストコフスキーとフィラデルフィアにより米国初演され、これが好評でアメリカで親しまれるようになったとか。
この曲の初レコードも、オーマンディとフィラデルフィアによるものです。
信心深く、宗教に熱心なアメリカ人の心に、この美しく、哀しく、そして明るい旋律が満載の「鐘」が、日常の教会で聞く鐘の音と、その人生が共にあるという、この作品の根底にある信条とが響いたのでしょう。

 この作品の作曲のきっかけも、よく書かれているようにユニークなものです。
「ある日、見知らぬファンから手紙をもらった。そこには、バリモントの露訳によるポーの詩「鐘」が書き写されていて、この詩とともに、是非作曲をしてほしいとあった。この詩に感動したラフマニノフだが、すぎには作曲にとりかからなかったものの、のちに完成したこの音楽を聴いた、手紙の主は、自分が思い描いたとおりに完成していたので、喜びのあまりに失神するばかりであった、と。
それは、ラフマニノフの熱烈なファンで、モスクワ音楽院に在学していた女性チェリストだと後に判明したとのこと、内気すぎて、憧れの作曲家に直接会いにいけなかった」
ラフマニノフのファンは、シャイだけど、熱い、そんなある意味これもラフマニノフらしいエピソードであります。

人生の4つのシーン、そこに象徴される「鐘」。
ポーの原詩にはないタイトルが、バリモントの露訳では付けられていて、それが4つの楽章になっている。

①「誕生」      銀の鐘  澄んだそりの鈴
           若い命の輝きを讃える祝福の鈴の音

②「結婚」      金の鐘  甘く響く結婚式の鐘
           聖なる婚礼に響き渡る愛の鐘の音

③「人生のたたかい」 真鍮の鐘 けたたましい警鐘
           災いと恐怖の到来を告げる警鐘の音

④「死」       鉄の鐘  悲しみに沈んだ鉄の鐘
           永遠の別れを悲しむ弔いの鐘の音

この4つの章にある言葉どおりの音楽といえば、もうそれで足りる。
外盤なので、英訳歌詞をながめてもなんだかもどかしいので、もう流れる旋律と、いかにものロシア語に身をゆだねるだけでいい。

春の訪れともとれる、歓喜にあふれた①、まさに転がるような楽しい木管に、打楽器たち、そしてテノールも明るい。
いかにもラフマニノフらしい、甘味でロマンティックな②は、幸せな、夢見るようなソプラノ独唱を伴っていて、聴いてるこちらも、あんないい時代もあったなぁ~、と回顧したくなる気分。
スケルツォ的な③は、争乱を感じさせ、不穏は雰囲気だ。シャウトする合唱に金管がただ事でなく、聴いてて疲れるかも。
そして、イングリッシュホルンが、寂しくも無情にあふれた旋律を歌いだす④.
バリトンソロも、なかなかに沈痛だし、合唱の合いの手も重々しい、痛切な哀しみの連続で、思い切り落ち込むロシア人そのもの。
不条理さへの怒りも発しつつ、やがて死を受け入れ、曲は平安な慰めのムードに変わって行き、美しい夕映えのような最後となる。

多岐のキリスト教社会に住まう国々の方にとって、教会の「鐘」の音は、人生にとってきってもきれない、日々、そこにある存在なのです。
それを誰にでも共感を得やすく、わかりやすく、ポーのロシア語訳の力をえて音楽化したこの作品。
きっと欧米人にとっては、われわれ日本人以上に共感しやすい素材と、その音楽かと思います。

プレヴィンの西側ではオーマンディに次ぐ録音。
交響曲を親しみやすく、ビューティフルに演奏するように、この「鐘」も美味なるほどのに、鮮やかな指揮ぶりに思います。
イギリス人歌手たちもふくめ、ロンドン響も、その合唱団も、ロシア的な憂愁からは、ちょっと遠いのですが、でもこれもブリテッシュ・ラフマニノフ。
わかりやすく、明快、くったくのないラフマニノフであります。
録音が、やや古さを感じたりもしますが、プレヴィンのあの3つの交響曲のEMI録音の延長線上にある、そんな演奏であります。

日本人には、「鐘」は、除夜の鐘や、時を知らせるお寺の鐘、そんな風なイメージだけですが、でも身近なものにほかなりません。
そう、寺も神社も、日本人の心のよりどころであって、身近な存在です。

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2019年6月15日 (土)

ネットで聴く マーラー 交響曲全曲 

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ちょっと前ですが、つつじが咲いていた頃の吾妻山より。

春がちゃんとあったんだか、なんだかわからくなってしまった日本の四季ですが、一番、華やかでまぶしい季節が春から夏にかけて。

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こちらは、目先を転じて、相模湾。

真鶴岬と伊豆半島も。

Mahler

この本は、1987年、いまから32年前に、新刊で買って読んだもの。

「やがて私の時代がくるだろう」と生前に語ったマーラー。

レコード時代より、マーラーは聴いてきたが、その全貌を親しく聴くようになったのは、やはりCD時代になってから。
この本を読んだ頃、CDに音楽会に、聴くものは、ワーグナーとイギリス音楽と、マーラーとブルックナーばかり。
この本のタイトルにあるように、マーラーの「時代が来た」のでありました。

巻末に、出版当時で出ているマーラー全集が列挙してありますが、それは、バーンスタイン、クーベリック、ショルティ、ハイティンク、アブラヴァネル、ノイマン、インバル、テンシュテットの各全集。
 そして、現在は、いったいいくつのマーラー全集がることでしょうか!

「生と死」を見つめ、「愛」の人だったマーラーが、オーケストラの演奏能力向上とCDとで、あらゆる世の人間の共感を生み、なくてはならない作曲家ということになったのでした。

そして、いま、さらにネットの普及により、世界中で演奏されているマーラーを、リアルタイムに自宅にいながらにして聴くことができるようにもなったのです。

そこで、今回は、ここ数ヶ月の間に、ネット上で聴いたマーラーのことを書いてみました。

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交響曲第1番「巨人」

  マーク・ウィッグルスワース指揮 BBCナショナル・ウェールズ管弦楽団

                (2019.6.4 @ カーディフ)

 イギリスの指揮者で、尾高さんのあと、BBCウェールズを率いた指揮者で、オペラにもたけ、CDでもショスタコーヴィチの名演をたくさん残している、地味だけど実力のある指揮者。
カーディフのホールの響きがイマイチな点はあるけれど、よく歌い、爆発力も十分な集中力あふれる演奏。
今年、ウィッグルスワースは東響に客演して、この同じ1番を指揮する。
BBC放送は、イギリス国内の演奏会を中心に、約1か月ぐらいの期間、無料配信している。
別番組にオペラチャンネルもあって、コヴェントガーデンやメットの舞台も音で聴くことが出来る。

交響曲第2番「復活」

 S:アンネ・シュヴァンネウィルムス Ms:アリス・クート

  マーク・エルダー指揮 ハレ管弦楽団 ハレ合唱団

                (2019.5.23 @マンチェスター)

 ハレ管と、20年近く蜜月にあるマーク・エルダーの実力と円熟を感じることが出来る。
エルダーは大曲を聴かせどころのツボを押さえて、巧みに演奏することのできるオペラ指揮者でもある。
全曲が弛緩することなく、気合も十分で、熱いマーラーだった。最後の盛り上がりも素晴らしい。
ちなみに、このコンビの、ワーグナーの演奏も自主レーベルに数が増えてきて、ついに「リング」も完成した。
エルダーはバイロイトでも、マイスタージンガーを指揮した経歴のある指揮者なんだ。
こちらもBBC Radio3より。
さらに、ネットでは、スラトキンとポーランド国立放送響、ノットとバイエルンユースオケとの「復活」も聴くことが出来ました。

交響曲第3番

     Ms:ケリー・オコナー

 アンドレス・オロスコ=エストラーダ指揮 シカゴ交響楽団

                (2018.10.12 @シカゴ)

 シカゴ響は、自身のサイトで、定期演奏会のほとんどを公開している。
マーラーもたくさんありますが、そんな中から清冽な演奏の3番を選択。
活躍の場を、どんどん拡げているエストラーダの指揮で。
エストラーダは、コロンビア出身で、ヴァイオリンからスタートし、20歳でウィーンに渡って、スワロフスキー門下のラヨヴィッチに学んだ。
ウィーン・トーンキュンストラを経て、現在は、ヒューストン響とフランクフルト放送響の指揮者を務めるほか、ウィーン響の首席にも内定、今年は、ウィーンフィルと日本にやってきます。
そんな俊英ですが、中南米出身ということで、情熱バリバリの熱い指揮者かと思っていたら、いろいろ聴いたがぜんぜん違う。
至極、まっとうで、どこもかしこも自然体で、素直な演奏なのだ。
音楽をわかりやすく、明解に聴かせる才能があるとみた。
そして、シカゴはめちゃくちゃうまい。録音もよし。

交響曲第4番

     S:ゲニア・キューマイアー

 ワレリー・ゲルギエフ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

                (2019.1.22 @ハンブルク)

 こちらは、北ドイツ放送局のサイトから。
エルフフィルハーモニーホールは、同時に映像公開も積極的で、youtubeでも見れます。
この4番と、後半が「大地の歌」という、いかにもゲルギエフらしい精力的なプログラム。
でも、天上と別離というふたつのテーマを一夜に聴かせる、なかなかのプログラムでもあります。
ゲルギエフがミュンヘン・フィルの指揮者になったときは驚いたが、自主レーベルで、次々に出てくるCDも聴いたことはないが、ドイツ物ばかり。
今年はバイロイトデビューもあるし、ゲルギエフもドイツ化か?
しかし、ここで聴く4番は、やはりゲルギエフらしい、妙にサラッとした引っかかりの少ない何事もおこらない演奏に感じた。
でも、4番のようんいピュアな作品は、あまりいじくりまわさずに、ストレートに解釈したほうがいい。
そんなときには、この演奏はいいと思う。
ミュンヘンフィルは、やはりドイツの音。エルプのホールも実によい響きだ。

交響曲第5番

  ラファエル・パヤレ指揮 アルスター管弦楽団

              (2019.5.24 @ベルファスト)

 こちらもBBCのネット放送から。
アルスター管弦楽団といえば、北アイルランドのオーケストラで、シャンドスレーベルに、数々の滋味ある英国音楽の録音を、CD初期から録音してきたオーケストラだ。
ブライデン・トムソンヤ、ヴァーノン・ハンドリーとの録音の数々、現在は、R・パヤレという若者が首席指揮者を務める。
パヤレ君は、そう、あのドゥダメルと同じく、ベネズエラが生み出した俊英で、ほぼ同期。
エルシステマを経て、シモン・ボリバルのオケも率いつつ、西欧に飛び出していった指揮者。
現在は、アメリカのサンディエゴ響の首席と、こちらの英国のアルスター管の指揮者を務めていて、アメリカのメジャーなどにも客演機会を増している、注目の指揮者。
 ドゥダメルが、その音楽の面白さにおいて、自分的には急速に魅力を失いつつある昨今。
同じ環境のパヤレが、地味ながら、ローカルなポジションから確実な歩みを始めたことに着目。
こちらの5番は、なかなかに快速。
ビヴラートを極力排し、すっきりと、スマートなマーラーを作り上げた感があります。
濃厚な悩めるマーラー像からは、ほど遠い楽譜の素直な、今風な再現かと。
 オーケストラがやや浮き足だってますが、日本からは遠い場所でのマーラーの新しい演奏に感激。
パヤレ君、デトロイト響での同曲が、youtubeで観れますので、ぐぐってみてください。

交響曲第6番

  アンドリス・ネルソンス指揮 ボストン交響楽団

              (2015.5  ボストン)

6番は、昨今、特に演奏される曲目となりました。
最近では、セナゴーとBBCスコテッシュのものが配信され、そちらも録音して楽しみましたが、まだまだスケール不足。
 で、アーカイブから少し遡って、ボストン交響楽団のネット配信から、ネルソンスの指揮で。
BSOのアーカイブは、視聴可能期間を定めて、かなり自由に聴くことができていましたが、この2年くらいは厳しくなり、ボストンFM局の番組配信でしか聴くことができなくなりました。
アメリカとの時差を計算して、その時間帯で待機することは、まず難しいですが、ヨーロッパ諸国よりは、時差が大きいので、半日遅れれで、朝勝負となります。
 それはともかく、ネルソンスとBSOの6番は、実に、イケてます。
流れよし、タメもよし、爆発力も、刹那的な甘味な味わいもよし、です。
あとは、年齢を経た味わいだけですが、これはまだまだ楽しみな領域の、「若手」といっていい存在の指揮者です。
映像などで見るとわかりますが、ネルソンスの指揮には、オーケストラを縦横に操る素質が兼ね備えられていると感じます。
 6番のネット聴きでは、あとハーディングのウィーンフィルとのもの、同じくバイエルンとのものも充実の限りです。
ここでのボストン響のうまさと響きのよさは格別です。

交響曲第7番

  サカリ・オラモ指揮 BBC交響楽団

             (2019.5.24 ロンドン バービカン)

BBC放送のメインオケ、BBC交響楽団。
ロンドン響に次ぐ実力派だとずっと思ってるけど、ソロがこけたりと、少しやらかしてますが、その機能性の優秀さは、ネット放送でもよくわかります。
オラモが就任してから、もう長いですが、このコンビも安定的で、北欧ものから、英国もの、そしてBBCならではの現代もの、広大なレパートリーのなかで、昨今はマーラーを多く取り上げてます。
さまざまな顔を持つ奇矯な雰囲気の7番を、全体の見通しをよくつけて、最後の明るいフィナーレにむけて、たくましい音楽づくりだ。
オラモの指揮者としての急速な成長をここに感じました。
この指揮者と、BBCのこのオケ、BBC放送でいろいろ聴いてますが、いずれもいい。
もっと注目されていい指揮者とオケであります。
 あと7番では、2011年と古いですが、若きセガンとバイエルン放送響との鮮度高い演奏も聴けました。

交響曲第8番「千人の交響曲」

  ロリン・マゼール指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

             (2009.6.23 ニューヨーク)

ちょっと古いですが、8番となると、なかなかネット放送は少ない。
マーラー・オケともいえるニューヨーク・フィルの楽団HPから、過去のアーカイブも含め、最近の演奏会まで、かなりの音源が聴けます。
なかでも、マーラーの全交響曲がありまして、その指揮者陣も豪華そのもの。
 マゼールは、ウィーンフィル、ニューヨークフィル、フィルハーモニアとで3度のマーラー全集を完成してますが、ニューヨークのものはCDではなく、ネットでの配信販売。
で、この8番は、90分をかけた、マゼール節満載のユニークな千人です。
オケもよく、この指揮についていくもんだと思わせます。
でも、歌手は辛そうで、ちょっとデコボコ。
そんな、まさにライブならではの楽しみが味わえる演奏で、最後の方の崇高ともいえる感動の高まりを、聴衆と一緒に味わえるんだ。
ともあれ、ニューヨークフィルのライブがふんだんに楽しめる、アメリカという自由な国に感謝。

交響曲「大地の歌」

  Ms:マグダレーナ・コジュナー T:ステュワート・スケルトン

 サー・サイモン・ラトル指揮 バイエルン放送交響楽団

             (2018.1.25 ミュンヘン)

  Br:クリスティアン・ゲルハーヘル T:ステュワート・スケルトン

 サー・サイモン・ラトル指揮 ロンドン交響楽団

             (2017.12.14 ロンドン)

  Br:クリスティアン・ゲルハーヘル T:クリスティアン・エルスナー

 ベルナルト・ハイティンク指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

             (2016.10.6 ベルリン)

「大地の歌」は、大人気で、今年に入ってからもいくつか放送されてますが、ここ数年でのハイライトは上記3つでしょうか。
期をはさまずに、ラトルのふたつの「大地の歌」は、メゾ版とバリトン版で、というところがいかにもラトルらしい。
対するスケルトンのテノールは、馬力と破壊力はあるけど、ちょっと不安定。
ゲルハーヘルの微に入り細に入り的な歌唱は、繊細で見事なもの。
そして、奥様、コジュナーも劇性を排し、しなやかかつ、こちらも繊細な歌でありました。
オケの音色自体は、暖かいバイエルンに軍配があがるが、機能性豊かでラトルの棒に反応豊かななのはLSO.
優秀はふたつのオーケストラを率いるラトルの柔軟かつ、強靭な音楽づくりに感銘を受けます。

しかし、音楽の味わいという意味では、ふくよかなハイティンクの滋味にはかないません。
ロンドン、バイエルン、ベルリンという3つのオーケストラで聴く「大地の歌」、ネットは豪華かつ選択肢も豊富です。
バイエルン放送局(BR Klassik)は、もっとも安定的に音楽と映像を配信してくれる局です。
ベルリンフィルも、アプリをダウンロードすると、定期的な配信を聞くことができるし、ドイツの各局の放送を念入りにチェックすると、いろいろ聴けます。

そして、さきごろ、この秋で、勇退を表明をしたハイティンクに敬意と感謝を捧げたいです!!

交響曲第9番

  マンフレート・ホーネック指揮 ピッツバーグ交響楽団

             (2019.1.20 ピッツバーグ)

ピッツバーグ就任10年以上、こちらも絶好調のコンビ。
ピッツバーグ交響楽団のHPから、ここでも、過去のアーカイブから最新のものまで、すべての演奏会の様子を聴くことが出来る。
過去の音楽監督、プレヴィン、マゼール、ヤンソンスの指揮によるものも、ちょこっとあります。
ホーネック&ピッツバーグの演奏もふんだんにあり、ニューイヤーコンサートでは、お得意のウィーンものを、ユーモアたっぷりのMC役もしながら、楽しく聴かせてくれます。
いずれの演奏も、ピッツバーグの実力を背景に、雄弁かつ聴きごたえのあるものばかりで、聴衆も熱狂的にこれを称え、一体化してます。
ピッツバーグという大都市に、このコンビが愛されているのがネットを通じてもよくわかるんです。
 そして、最新の彼らのマーラーが第9。
そのうちCDとしても出てくると思いますが、これが完成度の高い、そして熱気と気合に満ちた演奏なんです。
終楽章なんか、30分近くかけての想いの丈を注ぎ込んだ名演でした。
このPSOサウンドのサイトのなかで聴ける彼らのマーラーは、1、2、5番があります。

第9は、ネット放送でも多数。
手持ちにした音源でも、サロネン&シカゴ、ハイティンク&ニューヨーク、ベルリン、コンセルトヘボウ、ブロムシュテット&バンベルクなどなど、たくさん!
個人の楽しみとして、こんなにありがたいことないです。

交響曲第10番 

  トマス・ダウスゴー指揮 BBCスコテッシュ交響楽団

          (2017.8.12 proms2017 ロンドン)

10番は、クックによる全曲。
一昨年のプロムスのライブで、2ヶ月におよぶ、この英国全体の夏の音楽イベントは、BBCと冠されるだけあって、全演奏会がネット視聴ができます。
10遍の全曲版は、レパートリーにしている指揮者がまだ多くはないこともあり、演奏会での機会は少ない。
そんななかで、この1~2年でのネット放送では、このダウスゴーのものと、セガンとオランダ放送フィル、同じセガンとバイエルン、コロンとデンマーク国立管、このあたりを聴く事ができました。
なかでは、セガンのふたつの演奏が、作品への共感の度合いも強く、美しい演奏なのですが、ここでは、ダウスゴーを取り上げました。
 この演奏は、テンポが速く、スッキリとしており、すべてにふっ切れたような、ある意味達観したような感じなんです。
マーラーの音楽に、これだけ、思い入れや感情移入を避けたような演奏って、逆にとても新鮮なのだ。
こういうすっきりとしたマーラーもありです。
このコンビによるマーラーは、あと1番と5番を録音してますが、いずれもよいです。
ただ、プロムスの聴衆のカジュアルな聴き手は、あんまり知らない曲だと、楽章間で拍手をいれてしまいます。
この10番でも拍手だらけで、困ってしまうものの、軽い感じで、そんな聴き方もいいかもです。

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さて、こんな長文書いてしまいましたが、こんなにたくさん、いつ聴いているんだ?との声もあるでしょうね。
日本時間で夜中のライブ放送の場合は、パソコンをつけっぱなしにして、録音をして、あとで編集します。
パソコンから音だけ録音するソフトがありますし、編集も実に簡単なんです。
さらに、聴くのは、仕事の合間合間で聴きます。
零細なひとり事務所なので、そのあたりは、仕事のペースで自由自在というわけです。

ネット配信の音質も格段によくなり、CDを聴くようにして、高音質PC視聴ができるようになりました。
世界で繰り広がられてる演奏会やオペラがリアルタイムで聴ける、こんな喜びはかつてでは考えられなかったことです。
欧米の放送局や、オーケストラなどが、こうして音楽のネット配信や放送に、格別のしばりもなく、積極的なのにくらべ、わが国はどうでしょう。。。
放送法に守られ、さらに一方で、自由なネット空間でも課金を試みようとする局のオーケストラが、遠い存在としてしか感じられません。
貧乏ヒマなしのワタクシには、N○○響よりは、BBC響の方が、昨今は、親しいオーケストラと感じるようになりました。

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2019年5月25日 (土)

ワーグナー ニュルンベルクの「ローエングリン」 マルヴィッツ指揮

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令和元年。

新元号を迎えて1か月。
すっかり馴染みました。

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  ワーグナー 「ローエングリン」

 ハインリヒ:カール・ハインツ・レヒナー ローエングリン:エリック・ラポルテ
 エルザ:エミリー・ニュートン      テルラムント:リー・サンミン
 オルトルート:マルティナ・ダイク    伝令:キム・デホ
 
  ヨアナ・マルヴィッツ指揮 ニュルンベルク州立フィルハーモニー
               ニュルンベルク州立劇場合唱団

        演出:ダヴィット・ヘルマン

              (2019.5.11 @ニュルンベルク州立劇場)

CDもあんまり出てないし、ほとんど聴くことのできない、ドイツの由緒ある歌劇場のひとつ、ニュルンベルク州立劇場のライブをバイエルン放送局のライブで聴くことができました。
ドイツの劇場は、画像の公開も積極的なので、その数々の写真から、毎度のことながら、観てもいないのに、あれこれ想像を巡らせながらその放送を聴くことができるのも、ネット時代のありがたみです。

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ニュルンベルクの劇場は、その起源は、17世紀に遡り、現在の姿は、1905年に築造されたもの。
隣にはシャウシュピールハウス(コンサートホール)が併設され、人口50万のバイエルン州第二の都市の音楽の中心なのです。
 そして、ニュルンベルクといえば、マイスタージンガーゆかりの地。

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旧市街地は、グーグルマップでみても、中世の雰囲気が色濃く残るさまが見て取れます。

劇場の歴代の音楽監督で、目に付く方を列挙すると、ティーレマン、P・オーギャン、ペリック、そしてボッシュと続き、2018年から、注目の女性オペラ指揮者、ヨアナ・マルヴィッツが就任してます。
ちなみに、オペラ部門の芸術監督は、2018年から、ヤン・フィリップ・グローガーで、バイロイトで、ダンボールと扇風機の「オランダ人」を演出した人です。

マルヴィッツは、ピアニストでありながら、カペルマイスター的なオペラハウス叩き上げの存在で、ドイツ各地のハウスで、すでにかなりの舞台を指揮しており、レパートリーもドイツ物中心にかなりの数を築き上げてます。

ニュルンベルク劇場のオケは、同時に、コンサートオケも兼ねており、ピットからあがるオーケストラの響きは、シンフォニックかつ、劇場ならではの雰囲気豊かなものでもあり、ワーグナーの音楽に不可欠な力強さと、豊かな響きの混ざり合いを聴くことができるのでした。
それを統率する、マルヴィッツの指揮は、とてもスタイリッシュで、重苦しさのない今風のもの。
速めのテンポは、ドラマの勘どころをしっかりと押さえつつ、聴き手を音楽とその舞台に引き込ませるに十分なもの。
無理のない音楽造りなので、歌手たちも歌いやすいのでは。

ちなみに、演奏タイム。
Ⅰ(58分) Ⅱ(79分)Ⅲ(60分)

エルザのアメリカ人ソプラノ、エミリー・ニュートン以外、わたくしには聴いたことのない歌手たち。
そのニュートンの感動さそう、渾身の歌唱もよかったが、ラポルテのローエングリンにちょっとびっくり。
似せているのかと思わせるくらいに、ルネ・コロ+フローリアン・フォークトの声なんだ。
カナダのケベック圏出身のリリックテノールで、甘さと気品のよさが、ちょうどよく両立しているが、耳あたりがよいだけとも言えなくはない。でも、いい声で、気持ちのいいテノールだ。

ほかの諸役も、劇場のアンサンブル的な意味合いでも、とてもよくそろってる。
ドイツの劇場を中心に、中国・韓国系の歌手の活躍が増えているのも昨今のトレンドだ。

というわけで、ドイツの地方オケやオペラの、もこもこした響きや録音、ヘタクソな歌唱という過去のイメージを完全払拭してしまう、鮮やかな演奏と録音でありました。

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しかし、同時に確認することのできる舞台画像や、評論を見ると、ちょっとがっかり。

もう普通じゃいけないんだろうな。

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ブラバントの後継者争いが焦点。
キリスト教徒的な王やエルザ、そして市民たちの半分。
北欧やフン族のような異教徒的な、テルラムント夫妻と、市民たちの半分。
これら異なる宗教のもとにある人々の信教の争いでもあるように見受けられる舞台。

ローエングリンは、絵本に出てくるような、森の番人みたいな、グリム童話的な姿。
しかし、極めつけは、3幕。

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前奏曲を聴いてると、男のうめき声のような、掛け声ともとれる声がする。
評論と画像からすると、二人のカップルの結婚式にあたって、「ウォータン」が胸を誇張したワルキューレたちと登場し、猪を生贄として屠る様子なのだ。
オルトルートたちの奉じる神々は、まさに北欧神話の神々たち。
だからって、出てくることはないでしょうに。

さらに、禁を破られ傷心のローエングリンを襲うテルラムントをアシストするのは、なんと「ウォータン」。
ついでに、こんどは、ローエングリンの父、「パルジファル」も登場してきて助太刀。
たしかに、ローエングリンの物語には、そうした背景はあるけれども、まさに、なんじゃこりゃ、なんです。

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そして、論評を読んでると、やられたはずのテルラムントは、「パルジファル」によって、生き返らされ、なんと、次の後継者として指名されるようだ。
ローエングリンは、待って!と、倒れこむエルザのまん前で、森の騎士たちに、引きづられるようにして舞台奥に引っ立てられていってしまう。
 こんな不条理な幕切れの様子。

当然に、ブーの応酬。
歌手と指揮者には、ブラボーが。
演出家が出てきたときには、盛大なブーイングが。

このクセ玉まじりの変化球のような読み替え演出に、やはり「過ぎたるは及びがたし」の思いが。
もちろん、実物や映像全体を見ずに断じるのは、よろしくはありませんが。

ニュルンベルク・オペラのyoutubeサイトには、数々のトレイラーが公開されてまして、コンパクトな舞台ながら、極めて内容の濃い、そして過激な上演の数々を確認することができます。

ドイツ各地にあるオペラハウスが、市民たちの日常生活とともにありながら、こうして常に新しいものを希求し続けることに、音楽芸術の根付く強靭さを強く感じます。

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しかし、マルヴィッツさんの、この美しき指揮姿に、豊かな音楽性。
オペラ指揮者としてのますますの活躍に期待であります。


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2019年5月18日 (土)

ドヴォルザーク 「伝説曲」 アルブレヒト指揮

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静岡県の富士宮にある「白糸の滝」

連休中に、ほんとに久しぶりに行きました。
小学校のときの遠足で行きましたが、そのとき以来かも。

富士山の雪解け水が沸きだしたもので、画像のずっと右側にも、まさに白糸のごとく清流があふれてます。

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   ドヴォルザーク 伝説曲 op.59

 ゲルト・アルブレヒト指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

      (1995.4.27 @芸術の家、ドヴォルザークホール、プラハ)

愛すべきドヴォルザークの桂曲。

この作品をブログに取り上げるのは、これで2度目。
前回は2011年の4月で、震災直後の不安な日々に、慰めを求めるようにして聴いて書きました。

そのときにも書きましたが、元来、この曲が好きで、その出会いは、もう40年も前のこと。
大学生のころ、FMで放送されたクーベリック指揮するイギリス室内管のライブ演奏で、エアチェックして何度も聴いた。
クーベリックとイギリス室内管という組み合わせが新鮮でしたし、ドヴォルザークの管弦楽作品に室内オケ、しかも本場でなくイギリスのオケ、という以外な組み合わせに、とても引かれるものがありましたので、曲に加えて、その演奏も大いに気に入って、何度も何度も聴いたものです。
室内オーケストラ、それもそのはず、この10曲からなる組曲のような作品は、もともと40歳のドヴォルザークが2台のピアノのために書いたもので、それを自身で小編成のオーケストラ向けに編曲したものだからです。

全曲にわたって、フォルテ以上大きな音はなく、ゆったりとなだらかに進む、小曲の集まり。
全部聴いても40分ぐらい。
ドヴォルザークならではの、優しいメロディがたっぷりで、次々にあらわれる旋律の数々は、どこかで聴いたことあるような、懐かしさや郷愁を誘うものばかりです。
観たことはありませんが、ボヘミアの森や自然って、この音楽のイメージでもって聴いていのでしょうか。
スラヴ舞曲は、ボヘミアの市井をも反映した人々の音楽って感じですが、伝説曲はそれこそ、ボヘミアの自然と懐かしい昔語りのような雰囲気の音楽に感じます。
このすてきな音楽に、これ以上の言葉はいりませんし、わたくしも、これらの10曲に、それぞれのコメントを残すことなんかできません。
作品の性格上、演奏会で全曲を取り上げられることはありません。
多くの方に、リラックスした気分でもって、ぜひこの音楽を味わって欲しいです。
雨よりは、よく晴れた日に聴いてほしい。

今日のCDは、チェコフィルの主席を93年から96年まで務めたゲルト・アルブレヒトの指揮で。
チェコの人以外の初の主席指揮者ということで、話題になり、その短い任期は何かとうわさされましたが、ここに聴くドヴォルザークは、わりと実務的な演奏に徹するアルブレヒトながら、心をこめて優しさあふれる音色をチェコフィルから引き出していまして、安心してその演奏に身をゆだねることができるものです。
それにしても、チェコフィルの弦は美しい。

アルブレヒトは、読響の指揮者としても長く活躍しましたが、わたくしは、「パルジファル」の上演と、ハンブルクオペラとの「タンホイザー」を観劇したことがあります。
そう、アルブレヒトはオペラ指揮者として、私には親しい存在で、ツェムリンスキーやシュレーカーなどの初録音や開拓で、とても恩義がある方なのです。
同時に、アルブレヒトはドヴィルザークのオペラと声楽作品の掘り起こしと初録音にも取り組んでました。
その途上で亡くなってしまいましたし、しかもその音源もなかなか手に入りにくいものばかり。
ドヴォルザークのオペラも、「ルサルカ」以外にもいい作品がたくさんあるので、じょじょに集めてますので、いつかブログに残したいとも思ってはいますが、時間が・・・・。

過去記事

「ドヴォルザーク 伝説曲 クーベリック指揮」

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白糸といいながら、太いものはかなりの大瀑ですが、その水質は透明で清涼感たっぷりです。

ただ残念なのは、人が多すぎたこと。
しかも、入らないように柵がはってあるのに滝のちかくまで入り込んでいるんだ。
外国の方もたくさんいたのに、それは日本人ですよ。。

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上からみると、こんな感じ。
新緑とともに美しいものです。

この日は、帰りがとてつもない渋滞に巻き込まれてしまい往生しました。
連休も疲れるもんだ。


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2019年5月12日 (日)

ドヴォルザーク ジプシー歌曲集より「母が教えてくれた歌」 フレミング

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柄にもなく、美しいカーネーションのお花を。

そう、母の日に。

そして、音楽も母の日の定番、ドヴォルザークの歌を。

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 ドヴォルザーク 「ジプシー歌曲集」op.55 から
     
    「母が教えてくれた歌」

   ソプラノ:ルネ・フレミング

  サー・ジェフリー・テイト指揮 イギリス室内管弦楽団

           (1997.@ロンドン)

ブラームスと同じくして、ドヴォルザークもジプシーにまつわる音楽を残しました。
7曲の歌曲集のなかの4曲目が、このあまりに有名な作品。

チェコ語とドイツ語、それぞれの歌詞に作曲され、この名旋律は、クライスラーがヴァイオリン作品に編んだことから、世界中で愛される音楽のひとつとなりました。
親しみやすい旋律をやすやすと生み出した、まさにメロディメーカーとしてのドヴォルザークらしい、美しくも、ちょっとセンチメンタルな歌であります。

その歌詞は、ちょっと調べればたくさん出てきますので探してみてください。

家を持たず放浪の生活をするジプシーたち。
歌も、親から子へ語り継がれていった。
母から教えてもらった歌、それをいまは、自分の子らに聴かすこととなった。

親になりわかる、親の気持ち。
まして、母親の気持ちとなれば、あぁ、そうだったのかと、涙が出るほどの感情につつまれることもある。

この長い連休の大半を、私は、育った実家で姉弟ととで母とともに過ごしました。
こんなに長く一緒にいたのは、正月休みや、盆休み以上の長さでありました。
それこそ御代替わりの恩恵でありましょうか、お仕事をされていた方々には、まことに申し訳なく存じますが、連休のありがたみを満喫いたしました。

年々、老いてゆく母。
おりしも、亡父の23回忌も併せて行うことができました。
耳も遠くなり、こちらの声も届かないこともたびたび、さらに、足腰もすっかり弱まり、長く歩くことはままならない。
 よくあることですが、昔語りをさせたら、年寄りにはかないません。
戦時中のこと、親戚の関係筋の話や家系のこと、さらに亡父との出会いのことなどなど、いつも多く、大好きなビールをすすりながら語ってもらいます。
 自分の子らも、いずれも社会人として巣立ちましたが、まだまだ子供たちのことが心配。
この歳になって、母の気持ちがつくづくわかります。
そして、母よ、あなたは強かった!

そんな思いを込めて、ドヴォルザークの名旋律を聴きました。
フレミングの声は、わたくしには濃厚すぎて、ちょっと辛いことがいつもなのですが、オーケストラ伴奏付きなので、これぐらいでちょうどよいかもです。

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母への感謝と、いつまでも元気で、という思いをこめて。

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2019年5月 1日 (水)

ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」 ジュリーニ指揮

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令和元年の初記事。

東京タワーの麓には、毎年、この時期たくさんの鯉のぼりが泳いでます。


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333匹の鯉のぼりと、1匹だけの「さんまのぼり」。

1枚目の写真に「さんま」、います。

秋に例年開催の三陸大船渡市とのサンマ祭とのコラボです。

 平成の一番の記憶は、わたくしには、東北を中心に襲った東日本大震災のこと。
逃げようもない自然災害の無慈悲さを痛感しました。
そして、国民が絶望と悲しみにおちいる中、先の天皇陛下がテレビで励ましのお言葉を発し、その後被災地を巡ってお声をかけた。
日本は、その象徴としての天皇の下、まさにひとつだということを確信した。

この令和の時代にもいかなる災害が待ち受けているのか?
心の備えも忘れずに、過ごしたいと思う。
そして、日本人としての心も必ず忘れずに。

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  ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 「新世界より」

 カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

            (1977.4,2,6@オーケストラホール、シカゴ)


「新世界」でスタート。
クラシック入門、聴き始めに必ず通る登竜門的な名曲。
今更ながらに、聴いてみると、しみじみと、ほんといい曲だとつくづく思う点で、わたくし的には「田園」と双璧です。

マーラーとブルックナーが人気の主流を占めるなか、それらに並んで、コンサートでも、外来オケでもよくプログラムにのります。
でも、同じドヴォルザークの「8番」のほうが、演奏頻度は高くなったかも。

そんな「新世界」を聴きつくしたリスナーに、いまこそじっくり聴いて欲しい、そんな演奏がジュリーニのシカゴ盤。
丁寧かつ克明な音楽造り。
 この時期、72年頃から、レーベルをまたがって、「第9」を連続的に取り上げ、録音しました。
ベートーヴェン、シューベルト、ブルックナー、ドヴォルザーク、マーラーです。
「悲愴」も晩年作という意味では同一ですが、その多くをシカゴ響と。
作曲者の晩年、ないしは、最後期の作品ということに着目して力を注いだ70年代後半のジュリーニは、自身の円熟と重ね合わせるようにして、各作曲家の晩年作品を深く切り込むようにして録音しました。
この時期において、優秀なシカゴ響は、その思いになくてはならぬものでした。

ショルティがシカゴ響の音楽監督になるとき、ショルティが要望したことのひとつは、ジュリーニが主席客演指揮者となること。

60年代から、ジュリーニはシカゴとは相思相愛の仲で、剛毅な音楽造りのショルティは、きっちりした造形のなかに、歌心をにじませたジュリーニの存在が必要だったし、コヴェントガーデンで親しく接したジュリーニのことが大好きだったのかもしれません。
 ジュリーニは、ロスフィルの音楽監督のオファーを受けるまえ、シカゴを離れることになったが、ポストを辞したあとも、客演指揮者のトップの扱いを受けつづけ、アバドとともに、シカゴのアイドルであったんだろうと思う。
現音楽監督、ムーティにも通じるイタリア人指揮者との親和性。
ドイツ系、ハンガリー系の指揮者によって培われたシカゴの歴史に、マルティノンも含むラテン系の指揮者たち。
多民族国家のアメリカが生んだ世界最高補のオーケストラ、その指揮者たも多士済々、そのフレキシブルな柔軟さも、まさに最高峰です。

そんなシカゴ響から引き出したジュリーニの「新世界」の響きは、一点の曇りもなく、明晰でありながら、全体に荘重な建造物のごとくに立派なもの。
聴きつくしたお馴染みの「新世界」がこんなに立派な音楽だったとは!と、これを初めて聴いたときに驚いたものです。
いま聴いても、その思いはかわりません。
ことに、第2楽章ラルゴは、旋律線をじっくりと歌いむ一方、背景との溶け合いもが実に見事で、ほんとに美しいです。
終楽章も決してカッコいい描き方でなく、堅実にじっくりとまとめあげ、こうでなくてはならぬ的な決意に満ちた盛り上げやエンディングとなってます。

ちなみに、フィルハーモニア盤も、次のコンセルトヘボウ盤も聴いたことありません。
ジュリーニはDG時代が好きなのですもので。

新世界は、どんな演奏でもいい曲ですから感動します。

でも力演ほど醒めてしまうし、飽きてもしまう。
譜面どおりでは面白くない。
このジュリーニのように指揮者の強い意志でもって聴かせるのも一興だが、案外、こじんまりと、薄めの編成でサラッとやってしまうのもいいかもしれない。
昨年、ネットで聴いた、ティチアーティのスコットランド室内管との退任コンサートでの新世界が、とってもよかった。
まだまだ、いろんな「新世界」の可能性が開かれているのであります。

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平成から令和にかけての連休。

天気はどうも冴えませんが、明るく、わくわく感をともなった、御世代わりをわれわれ日本人は体験できました。

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2019年4月29日 (月)

バックス 交響曲「春の炎」 マーク・エルダー指揮

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春は、初夏の日差しを伴って、一挙に訪れる。

自然の織りなす色彩は、目にも鮮やかでなかには、人の手で変化し生まれた色合いもあるかもしれないが、「色」を作り出した神の差配に感謝です。

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  バックス 交響曲「春の炎」~Spring Fire~

 サー・マーク・エルダー指揮 ハレ管弦楽団

   (2010.3.18 @ブリッジウォーターホール、マンチェスター)

アーノルド・バックス(1883~1953)は、英国音楽好きのわたくしにとって大切な作曲家のひとり。
オペラ以外のジャンルの残された数々の作品、シャンドスレーベルのおかげで、そのほとんどを集めることができました。
生粋のロンドンっ子でありながら、ケルト文化を愛し、イギリス各地を旅して、自らの音楽の作風に反映させていった。

イギリスの作曲家ならではの抒情性と、神秘感あふれるミステリアスな雰囲気、そしてダイナミックな響き、自然の厳しさ、寂しさなども満載のその音楽。
前にも書きましたが、シャープでスモーキーなアイラ・モルトウイスキーを愛でるに等しい、そんなバックスの音楽です。

「春の炎」は、もう11年も前に、このブログで記事にしてますが、そのときの演奏は、ヴァーノン・ハンドリーとロイヤルフィルの演奏のもの。
今回は、英国音楽から、イタリアオペラやワーグナーまで、広範なレパートリーを持つエルダーの指揮によるもので。

7曲ある純粋交響曲の前、1913年のバックスの初期作品のひとつ。
5つの表題のついた楽章からなる、「森」を主人公にした交響詩のようなもの。

1.「夜明け前の森にて」
2.「夜明けと日の出」
3.「一日」
4.「森の国の愛」(ロマンス)
5.「メナド(maenads)」

1.夜明け前、雨が降り注ぐ森。雨の雫を感じさせるような美しく、夢見るような雰囲気。
2.印象派風の曖昧な幻想的な雰囲気から、徐々に音たちが立ち上がってくる日の出の生き生きとした様相。
3.ついにお日様も全開!春、爆発的に来りて、森は陽気な雰囲気に満たされて、あらゆる妖精たちが活動開始。
4.春の森は、愛の森でもある。まさにロマンス、ソロ・ヴァイオリンの甘い音色と、ソフトフォーカスなオーケストラの背景が美しい。
5.ギリシャ神話のディオニュソスを称える女性の取り巻きメナド。神話の中では、狂喜乱舞するという女性たちだが、超自然的な存在の象徴ともとられ、ここではダイナミックなオーケストレーションが駆使され、まるでR・シュトラウス的な眩さがあり、森は眩しくも賑やかな雰囲気につつまれる。

全曲33分、連続して演奏されます。
日本の、緩やかで、ほのぼのとした春とは大違いに、バックスの描いた春は、かくもミステリアスでかつ、ダイナミックなものでありました。

ハレ管のライブ録音である当盤。
ロンドンのオケともちょっと違う、少しばかりローカルな印象も、ケント・ナガノ以来、バリっとした現代的なオーケストラに変貌した。
でも、こうした英国音楽をハレ管で聴くと、いわゆる本場ものという思いを強くする。
音楽への共感の度合いが、指揮者とともに、やはり違うのであろう。
美しくも明るい演奏で、録音の生々しさも手伝って「春」の爆発力を感じます。

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このCDには、あと、ディーリアスの「春への牧歌」「北国のスケッチ」から「春の行進」。
そして、ブリッジの「春の訪れ」が収められてます。

いずれも素敵な曲であり、すてきな演奏です。

07

青空も花々も、タワーもまぶしい~

4月最後の、そしてどうやら平成最後のブログ記事となりそうです。

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「ハンドリー指揮 ロイヤルフィル」

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