2022年9月10日 (土)

エリザベス女王ご崩御を受け音楽にて偲ぶ

Buckinghaam

バッキンガム宮殿に大英帝国旗が半旗であがりました。
(BBCより拝借)

ご年齢から考えて、この日が来ることはわかっていましたが、つい3日ほど前には、新首相トラスさんの訪問を受け、任命も行い組閣を指示した姿を見たばかりでした。

最後まできっちりと英国と国民のために仕事をなさいました。

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ロンドンの繁華街、ピカデリーにも女王の訃報を伝えるLEDが。

王室をいただく英国と、皇室をいただく日本とは、国民感情は同じだと思います。

その存在のない国、アメリカや中国、ロシアやフランスの国民には、王室・皇室の尊厳への特別な思いはわからないと思います。

日英ともに、ひらかれた皇室を戦後、ずっと根差してきたので、よけいに親しみを持って国民は女王や天皇陛下を感じていたと思う。

日本人でも親しみを持っていたエリザベス2世女王。

最愛の英国音楽でもって、女王陛下への哀悼の念をお捧げしたいと存じます。

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  エルガー 交響曲第1番 第3楽章

   エイドリアン・ボールト指揮 ロンドン・フィルハーモニック

       交響曲第2番 第2楽章

   ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団

癒しの音楽ともとれる儚くも美しい1番の緩徐楽章。
大英帝国への鎮魂歌、涙に濡れたような音楽だが、どこまでも高貴であり神々しい2番の緩徐楽章。
エリザベス前王女の曽祖父にあたるエドワード7世に捧げられたのが2番の交響曲。

エルガーは1930年に、子供時代に書いたスケッチをもとにした「子供部屋」という可愛い組曲を書いて、エリザベス王女、マーガレット王女姉妹、母エリザベス妃に献呈しています。
このとき、エルガーは押しもおされぬ英国最大の作曲家として尊敬を一身に受けていて、国王の音楽師範でもありました。
エルガー73歳、エリザベス王女4歳の時です。
しかしながら、探したけれどこの作品の音源は持ってませんでしたので、ネット上で聴くことができました。
愛情あふれる、かわいらしい作品です。

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  ブリテン 歌劇「グロリアーナ」

    チャールズ・マッケラス指揮 ウェールズ・ナショナル・オペラ

       交響組曲「グロリアーナ」

    ベンジャミン・ブリテン指揮 南西ドイツ放送交響楽団
           T:ピーター・ピアーズ

私の愛するブリテンのオペラのひとつ。
即位70周年プラチナ・ジュビリーを讃えて、この6月にこの作品を取り上げたばかり。→グロリアーナDVD
1953年、エリザベス2世女王の即位戴冠式奉祝にて作曲されたオペラで、エリザベス1世を主人公にした内容。
老いと孤独、とりまく政治など、ひとりの女性としての描いたこのオペラは、ネガティブキャンペーンをうたれ長らく埋もれてしまった。
ユーモアあふれる故エリザベス陛下におかれては、きっと笑顔でこの作品を受け入れたことでしょうが。
今後、上演機会も増えると思います。

この長い作品のエッセンスともいうべき、作者の編んだ交響組曲も、今年はジュビリーに合わせてコンサートで取り上げられてました。
軽快ながら荘重なる前奏曲、エセックス公の歌う悲しみのリュートソング、英国各地の舞踏曲、悲しみの苦渋の判断を下す女王のラストシーン。
これらオペラの4つのシーンを抽出してます。
最後、オペラ全編にわたって聴かれる女王を賛美する歌が優しく奏でられ、オペラと同様、それは消え入るように終わります。

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  ブリテン 「ラクリメ」

    Ms:ジーン・リグビー

   リオネル・フレンド指揮アンサンブル・ナッシュ

ダウランドの「あふれよ、わが涙」をもとにした痛切な作品。
緊張感漂う悲しみと、ヴィオラソロを伴う癒しの音楽でもあります。
シリアスなブリテンの音楽には、必ず心奪われる美しく優しいシーンもあります。

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  フィンジ 「いざ花束を捧げよう」

    Br:ステファン・ヴァーコー

 リチャード・ヒコックス指揮シティ・オブ・ロンドン・シンフォニエッタ

フィンジの書いた5曲からなるシェイクスピア歌曲集。

「Come away, come away, death」〜来たれ 死よ
「Who is Silvia?」〜シルビア
「Fear no more the heat o' the sun」〜もはや日照りを恐るることもなく
「O mistress mine」〜おぉ 愛しい君よ
「It was a lover and his lass」〜それは恋する若者たち

最初の曲が恐ろしいまでに透徹した孤高の作品。
静かななかに、哀しみのあまりに慟哭してしまいそうだ。
3曲目も悲しい。不幸にして亡くなった女性への哀悼の歌は痛切だ・・・
ほかの作品たちが、明るくのびやかで、ウキウキしていて救われる。
ピアノ版がオリジナルで、のちに弦楽オーケストラ版も作られた。
フィンジの音楽にはほんとうに癒される。

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  ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第5番

    ブライデン・トムソン指揮 ロンドン交響楽団

ことさらに第3楽章が素晴らしい。
あまりに美しく儚く、切ない音楽。
純真な祈りの心。
何度も繰り返されるアレルヤ。
死んだら流して欲しい音楽。
宗教感と自然観、そして作曲当時の戦渦にあった社会観などが美しくも昇華した音楽。
亡き女王に捧げるべき哀しみの音楽。

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  アイアランド The Forgotten Rite

   リチャード・ヒコックス指揮 ロンドン交響楽団

詩的で幻想的、ケルト風味もただようアイアランドの音楽。
ノルマンディーの島々に訪れたときの印象を残した10分あまりの管弦楽曲。
海の香りもする神秘的でロマンテックな作品で、ハープの清涼なグリッサンドにのって、どこか天に昇っていくような澄んだ音楽になる。
日本と同じく海に囲まれた英国の女王を送るに、この幻想的な曲も相応しいと思った。

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 ハウエルズ ヴァイオリンとオーケストラのための3つの舞曲

    Vn:リディア・モルドコヴィチ

  リチャード・ヒコックス指揮 ロンドン交響楽団

熱心なイギリス教会の信者でオルガン奏者でもあったハウェルズ。
最愛の息子を失い、美しく透明感あふれる声楽作品を残した。
また抒情派として、心優しい田園情緒あふれるすてきな作品も数々あります。
そんななかで、私が大好きなのが、この3つの舞曲の真ん中の曲。
「揚げひばり」にも通じる癒し効果も抜群の曲で、ともかく美しくグリーンな音楽。
イギリスの美しい自然を思いながら・・・・


もっとも愛する作品、ハウエルズのレクイエムともいえる「楽園賛歌」は大きな作品なので、いつかまた聴いてみようと思う。

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と思ったら、久方ぶりなので全部聴いてしまった。
ヒコックスとロンドン交響楽団で。

6章からなる神への感謝と死を悼むレクイエム。
英語とラテン語の聖句を交えた切実な音楽で、その形式はのちのブリテンのレクイエムも思わせる。
作者は、子の死で傷を得た内面を描いたような「秘なるドキュメント」として公で演奏されることを拒んだものの、ヴォーン・ウィリアムズの勧めで作曲後12年を経て初演された。
シビアな雰囲気もただようが、そこは抒情派ハウエルズ、随所に美しいシーンがあり、無垢なるソプラノ声にも天の声を感じる。
英国教会にあるステンドグラスから差してくる光の彩。
慰めと祈りの法悦、死の矛盾への怒り、でも最後のハレルヤで救われる。

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  ディーリアス 「日没の歌

      S:サラ・ウォーカー

      Br:トマス・アレン

   エリック・フェンビー指揮 ロイヤルフィルハーモニック
                アンブロージアンシンガーズ

ディーリアスには別れの音楽が多い。
感覚の音楽ともいうべきディーリアスは、四季折々の自然に触れて、そこに人間や大自然を重ね合わせて眺めるのが好きだった。
「日没の歌」はソロと合唱を含む作品で、アーネスト・ダウソンの詩に基づいた。
セシル・グレイの言葉によると「過ぎ去った日々にたいする、かの忘れがたい悲哀と未練の感」といわれ、ディーリアスのあらゆる作品にあてはまると思われる。
人生の儚さ、そして慰めをここに感じる音楽です。
最後は、夕日が沈むかのように、静かに消え入るように、静寂に溶け込んでしまう・・・・

この美しい作品を、私は夕焼けを見ながら聴くのが好き。
過ぎ去った日々を思いながら・・・

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  ビートルズ アビーロード

      「Her Mjesty」

ビートルズにも女王陛下を親愛の情をこめて歌った曲があります。
珠玉の名作、アビーロードの最後に、こっそりひっそりとたたずむ短い作品。
ポール・マッカートニーの作品で、彼ひとりで歌う。
女王を可愛い、ステキだと歌いながら、ちょこっとジョークを交えたビートルズらしい曲で、最後にさらりとある意味深な曲。
サー・ポールも女王の崩御を悼み、神のご加護をと追悼のメッセージを出しました。

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  エルガー ソスピリ

   ジェフリー・テイト指揮 ロンドン交響楽団

       エニグマ変奏曲~ニムロッド
 
   ネヴィル・マリナー指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ

最後はやはり、エルガーで偉大な女王を偲びましょう。
楚々とした哀歌、ソスピリを聴いたら泣けてきた・・・・

エニグマ変奏曲のなかからの「ニムロッド」は単独でもアンコールで取り上げられることも多い。
追悼の意はないが、ここには高貴さ、高潔さに対する尊敬と親しみ深さをここに感じます。
BBCの女王のありし日を伝える映像には、この曲が流れてました。

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エリザベス女王の魂が永遠でありますこと、お祈り申し上げます。

そして日本の親愛なる国、英国の新しい国王に榮あれ。

英国音楽を心より愛するひとりとして、追悼の念を持って書きました。

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2022年9月 5日 (月)

ウクライナ戦渦で変わった音楽シーン

Maaalts

どんなときでもビールは美味しい🍺

困ったものですが、ともかく美味しい。

まだ暑いから、まだまだ美味しい。

2月末のロシアのウクライナ侵攻から半年。

この間、この影響で世界中、我が日本人にも、ありとあらゆるところで影響が出てます。

経済の停滞に加え、円安が生じ、輸入によってなりたっていたものが次々と値上げや商流の変更を余儀なくされ、即、わたしたちのお財布に影響を与えてます。

そして、世界がつながっていた音楽産業、とりわけ、クラシック音楽界でも多大な影響が出ております。

半年を経たいま、まとめておこうと思います。

Leningrad

学生時代に聴いたムラヴィンスキーとレニングラードフィル。

シベリウス7番とチャイコフスキーの5番。

恐るべき畏怖すべき演奏でしたが、このような演奏は、もう未来永劫味わえないでしょう。

世界のオーケストラ・ランキングでは、レニングラードフィルが必ず上位に食い込んでいた時代でした。
しかし、レニングラードは、レーニンの名前、そのものでした。

ゴルバチョフ氏も亡くなったことも、今年は印象深く、ソ連共産党体制にとどめを刺した功績は極めて大きいです。
でも、ウクライナ取り戻しの考えには賛同していたようで、そう考えるとロシア帝国の再興はかの国の潜在的な思考なのでしょう。

ウクライナ侵攻で、ソ連崩壊で民主化されたはずのロシアが、実は領土拡張主義の、かねてのロシア帝国再興を意図していることを知り、あわせて悲願の北方領土返還も難しいことを確認できてしまった。

音楽では、ロシアはこれだけ私たちに馴染みがあり、大音楽家と素晴らしい演奏家の宝庫であるのに、なんであの国は、ああも無謀かつ攻撃的なのでしょうか。

音楽する現役のロシア音楽家たちがみな、かつてのロシア帝国の復興に心を砕いていると思いたくもないが、かれらが、日本から不当に奪い取った樺太と北方領土を自分たちのものとして教育され、信じていると思うと、今回のウクライナのことがあるだけに許せないし、複雑な思いになることは悲しいけれど避けられないです。

①ロシアのオーケストラの来日が不能に

サンクトペテルブルクフィル、モスクワフィル、チャイコフスキー記念響(いわずとしれたモスクワ放送響)、モスクワフィル、ロシア国立響(ソビエト国立響)、ロシア・ナショナル管、キーロフ劇場管
これまで何度も来ていたお馴染みのオーケストラが、この先ずっと日本にはきません。
クルレンツィスのムジカエテルナもロシア政府からの支援もあり、難しいだろう・・・・
 こうしてみると、来日するとチャイコフスキーの後期交響曲、ショスタコ5番ばかりの日本商材だけれども、ロシアのオケの威力は、われわれ日本人は、存外に全国各地に公演してくれるから、その多くが聴いていて親しみをもっていることだろう。

年末には、ロシア系の怪しげな団体や、ウクライナ系なども、何故かやってきて、第9やクリスマス音楽をやってしうまう、そんな美味しい音楽市場だった日本。
人気のみの日本人ソリストをメインにした来日公演もしばしば行われた。
これらもなくなっていまい、ロシアにしても音楽ビジネスが美味しい市場だった日本を失ったことは大きい。

ムラヴィンスキー、スヴェトラーノフ、ロジェストヴェンスキー、コンドラシン、フェドセーエフらに率いられて日本全国を巡ってくれた凄腕のロシアオーケストラは、実演ではもう聴けないのかもしれない。

②オペラ団も来なくなる

近時はキーロフ・マリンスキー劇場が日本のロシアオペラを独占しているが、彼らも無理に。
かつて、日本に本物のロシアオペラを見せつけてくれたボリショイオペラ、ここも来演不能だろう。
これぞ文化の喪失、海外のオペラ団は、その国の総力をあげての来日だけに、その国の文化そのものを味わえるのだから。
そんななか、旧キエフオペラ、いまは国立ウクライナ歌劇場と名変したオペラ団が年明けに来日するらしい。
侵攻されている国がオペラ団を海外に派遣するとは。。。
演目は、ロシアオペラをやるわけにはいかないのか、「カルメン」とガラコンサート、第9で、ガラではヴェルデイの「行け思いよ・・」とか第9の終楽章なんかをやるって。
なんだかなぁ~という気分ですよ。

③指揮者はそれぞれ事情あり

・まずはゲルギエフ
プーチンとの親密さが明かされて、進攻後もそれを否定せず、沈黙を守った。
それによって、ミュンヘンフィルの地位をはく奪され、世界のあらゆるポストを失い、指揮する場所をロシア以外の地で失った。
有能で精力的な指揮者だったから、反ロシア側の国々のオーケストラやメットなどのオペラでは、あれだけのカリスマ性のある指揮者の喪失は大きいかもしれない。

・ロシア批判派
侵攻に関して、実際に非難をした指揮者たち
シナイスキー(75)~祖父がウクライナ人、チェコのオケでポストあり
ソヒエフ(44)ボリショイ劇場と仏トゥールーズ管、双方を辞任してキャンセルカルチャーを批判。一番、男を上げたと思う。
K・ペトレンコ(50) ロシアを出て久しいが、当然に非難し、ウクライナ支持
V・ペトレンコ(45)ロシア国立響を辞任し非難、ロイヤルフィルに専念
ユロフスキ(50)侵略を非難し、芸術家による署名活動を起こす、バイエルンオペラ、ベルリン放送

・ロシアに留まる派
フェドセーエフ(90)チャイコフスキー記念響に長期君臨、ロシアの最長老として尊敬を一身に。
テミルカーノフ(83)サンクトペテルブルクに留まるも、指揮のスケジュールはなさそう
シモノフ(81)モスクワフィルの指揮者として君臨。いまも演奏会あり

・わからない派(調査不足)
キタエンコ(82)ドイツでの活動歴の長いキタエンコ、どのような表明をしているか不明
ラザレフ(77)日本でも桂冠ポストあり、不明
プレトニョフ(65)意向は不明なれど、6月に東京フィルに来演してる

・微妙な派
クルレンツィス(50)ギリシャ人、ロシアでの活動歴長く、手兵のムジカエテルナがロシアよりの支援もあり当団との活動が微妙
西側の人で音楽界が手放さない人材なれど、手兵との関係如何か。

④歌手たち
・なんといっても世界のプリマドンナ、ネトレプコ
プーチンと一線を引く立場を表明するように声明を求められ、自分はいち芸術家だから、政治などには組しないし、それを表明する立場でない、と言った。
わたしなどは、そうだよね、ネトレプコ偉いと思ったりもしたが、ロシア憎しの一方的なアメリカなどはまったく許すことなく、あれだけMETの女王のような存在として活躍したのに出演不可の状態が継続中。
ロンドン、ウィーン、ドイツ各地もだいたい同じ対応ですが、それ以外の劇場などで、少しづつ出演できるようになっている現状。
ネトレプコもまた、世界の音楽シーンでは、なくてはならぬ存在だから、アメリカ以外は徐々に復権していくと勝手に思います。
いや、この際だから、ネトレプコがなかなか来なかった日本ゆえ、思い切って新国は無理だが呼んでみてはどうだろうか。
旦那のテノール氏は、制約なく、奥さんより活躍している逆転現象も起きている。

 ほかのロシア系歌手は、あんまり詳しくないのでここまで。
ともかく、欧米の各地で活躍していたロシア系歌手に、出演の制約ができてしまっことは、オペラハウス側にとっても頭の痛い問題だろうし、ロシア系のレパートリーの選定にも、素材と歌手選びで課題の残る結果を呼びおこしました。

⑤ピアニスト、ヴァイオリニスト、室内楽団体など・・・
すいません、あまり知りません。

ロシア人であることで、選別され、その活動の機会を奪われるいまの世界的風潮には反対です。
ウクライナ侵攻は悪行で、それを支持してはマズイと思いますが、それに対する賛否の態度を強要する姿勢はどうかと思う。
誰しも自分の国は愛する対象であるはずだ。
愛する祖国が、間違った方向に進んだとしても、芸術家はそれを批判する自由も、しないで本来の自分の芸術活動に専念するのも自由で、いずれの自由も尊重されなくてはならないとも思う。
ゲルギエフは体制に寄りすぎでいたし、ネトレプコは芸術と政治の判別強要の狭間にたってしまった。
歳を重ねた指揮者たちは、もうロシアで安住しようとし、海外のポストもある演奏家たちが、今後の活動の幅も維持しようするのも、よくわかる判断だ。

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ともかく、世界の分断は決定事項。
生でも、西側のメディアでも聴けなくなってしまったオケや演奏家を今後も楽しむことは難しくなった。

ソ連・ロシアの演奏家をふんだんに聴けた、これまでがもはや懐かしい。
北方領土の平和裏の返還はもう望めず、その点では憎しみが残ってしまい、それが確定した。

ともあれ、音楽を聴くには平和がいちばんだ。

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2022年8月27日 (土)

マーラー 交響曲第3番 ベルティーニ指揮

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夏の野辺を飾る鮮やかで美しい花が、百日紅(さるすべり)。

大陸の期限の植物で、その幹がすべすべなので、お猿も滑り落ちるということからその名が付いたそうな。

百日紅という名前には、悲しい後付けの悲しい物語があるようですが、そんなのは気にせず、ともかく夏のこの時期に長く花をつけることから、百日、ということになったのでしょう。

ごもあれ、夏の花。

暑いけど、夏の終わりにマーラーの3番。

いまのように、パソコンなんてなく、インターネットなんて言葉すらなかった私の音楽の聴き始めの頃。
もちろん、CDなし、カセットテープもまだ出始めたばかり。
音楽を聴くには、生の演奏会か、レコードか、オープンリールテープか、ラジオ(テレビ)に限定。
音楽情報は書籍のみ。
マーラーの大作なんて聴くすべもなかったし、そもそもマーラーという作曲家のなんたるかも書籍でも紐解くことがなかなかできなかった。
音楽の友社の出していた名曲解説全集の交響曲編上下2冊と同じくオペラ上下が、中学・高校時代の愛読書で、交響曲は4つの楽章が基準なのに、このマーラーとかいう謎の作曲家は、5つも6つも楽章がある、いったいなんなのだ?
という疑問が先立つマーラーへの印象でした。

それがいまや、いくつもの全集をそろえ、日々、簡単に、どんなときでも聴くことができる、身近な作品たちにマーラーの音楽はなりました。
いまでも、名曲解説全集は手元にありますが、その版の一番最新の作品はショスタコーヴィチの10番までとなってます。

こんな時代を過ごしてきました。
でも不便だったし、音楽を聴くにもお金も手間暇もかかりましたが、ともかく貪欲に、まさにすり減るくらいに、徹底的にレコードを聴き、あらゆるジャンルの音楽をこの身に吸収していった幸せな時代だった。

いまはどうでしょうね。
音楽を消費するように聴いてないか、聴いたことを主張したくて聴いてないか?

不便だったあの時代の気持ちに立ち返って、慈しむように音楽を聴かなくてはと思う次第だ。

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  マーラー 交響曲第3番 ニ短調

     Ms:グウェンドリン・キレブリュー

  ガリ・ベルティーニ指揮 ケルン放送交響楽団
        西部ドイツ放送・バイエルン放送女声合唱団
        ボン・コレギウム・ヨゼフィーヌム児童合唱団

            (1985.3 @ケルン)

ベルティーニのマーラーをこのブログで取り上げるのは初めてかもしれない。
聴かなかったわけじゃありません、いつもアバドやハイティンクばかりを取り上げているので、ベルティーニの出番がなかっただけなのです。

ベルティーニのマーラーを初めて聴いたのは、ベルリンフィルに客演した1981年のFM放送を録音してから。
当時、奇矯なる作品だと7番を思っていた自分だが、この演奏でその美しさに目覚めた。
抜群の切れ味と響きの美しさ、オケのべらぼうな巧さなどに魅かれ何度も聴いた。
その後、ベルティーニのマーラーは、ウィーン響やドイツ各地の放送オケのFM放送で聴き、着目していた。

そして1985年、ベルティーニは都響に客演し、マーラーを4曲指揮して、私は、2、5,9番を聴くことができました。
さらに1987年には、N響との3番を聴きました。
いずれも、鮮やかかつ、くどいようですが、美しいマーラーで、小柄なベルティーニが眼光鋭く、きびきびした指揮ぶりで、オケを見事にコントロールしていたのが忘れられません。
しかし残念ながら、ケルン放送との来演でのマーラー・チクルス、都響音楽監督就任後のマーラー・チクルスはなぜか一度も聴くことはありませんでした。
公私ともに忙しくなった時期と、着目していたのに、みんながベルティーニのマーラーはいいよと絶賛しただしので、ちょっと天邪鬼のワタクシは足が遠のいたのかもしれませんね。
しかしこの1985年は、2月にベルティーニ、9月にバーンスタインとイスラエルの第9、10月にはコシュラー都響で千人。
翌86年には、小澤BSOで3番、ショルティ・シカゴで5番を聴いてました。
バブルにさしかかり、音楽聴き人間には、財布に厳しくもいい時代でしたね。

でもCDでのベルティーニ、マーラー・シリーズは求め続けました。
まだ欠番があって、全集を買い求めるかずっと検討中で、いまに至るです。

いちばんに求めたCDが3番。
それこそ、20年ぶりぐらい聴いた。
もう素晴らしくて、感動のしっぱなしで、夢中になって一気聴きの105分。
ベルティーニのマーラーは、総じてゆったり目で、細部に渡るまで目が行き届いていて、すべてにおいて精度が高い。
ネット情報や、のちのベルティーニのマーラーを聴いてる方の話だと、ベルティーニは歳を経ると早めのテンポを取るようになり、より厳しさも増して行ったとか。

でも、自分にはこのケルン盤が懐かしく一番、これでいいです。
磨き抜かれた音のひとつひとつは、繊細美的で、録音技術もあがったデジタル録音にもピタリと合う演奏でした。
細部にこだわりつつ、大きな流れも見失わず、でもそこにあるのは音を突き詰める厳しさと、そもそものマーラーへの音楽への愛情。
ほんとうに美しい演奏だと思う。
絵画でいうとフェルメールみたいに、遠近のたくみさ、光と影が、1枚の絵のなかにみんなちゃんと描かれている感じ。
大好きなアバドとウィーンのナチュラルで、純粋な眼差しと心情にあふれた演奏と双璧で好きな演奏ですよ。
あとハイティンクとシカゴ、バーンスタイン旧盤もですね。

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それにしても6楽章の折り目正しい歌い口はいかばかりだろうか。
26分あまりをかけて、じっくりと歌い上げるこの演奏に、夏の終わりの夕焼けが実に映えました。
なんどもいいます、美しい演奏です。
終楽章の最長の演奏はレヴァイン、アバドVPOも、ベルティーニと並んで長い。
逆に短いのが、テンシュテットとメータ。

暑かった夏。
でも、夏の終わりはいつも寂しいもの。
長いマーラーの3番で、行く夏を惜しみました。

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ベルティーニは優れたオペラ指揮者でもありました。
ベルカント系も録音があり、マーラー編のウェーバーのオペラもありました。
このあたりも、もう一度再評価していい指揮者だと思います。
気質的にワーグナーもよさそうでしたが、ユダヤ系だからどうでしたでしょうか。

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2022年8月17日 (水)

ブリテン 戦争レクイエム サヴァリッシュ指揮

Taihuu

お盆に台風8号が襲来し、悪天にみまわれました。

お休みをとって、旅をされた皆様は、まったくとんでもないタイミングでの台風直撃でした。

こちらは、家から見た、台風が去ったあっと、すぐのふたつに割れた空。

世界中、いいことがない日々、台風とともに嫌な空気を洗い去って欲しいと、この絶景を見て思いましたね。

Usagi

ガラスのうさぎ像。

東京大空襲で母と妹を失い、そこでみつけたガラスのうさぎ、二宮に疎開していた少女ですが、今度は二宮駅で無差別の機銃掃射を受け、父を失いひとりになってしまう。
近くの平塚には軍需工場があり、平塚は空襲の目的地のひとつだったが、二宮はなにもなかった町でした。

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  ブリテン 戦争レクイエム

   S:ユリア・ヴァラディ
   T:ペーター・シュライヤー
   Br:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ

 ウォルフガンク・サヴァリッシュ指揮 NHK交響楽団
        日本プロ合唱団連合
        東京荒川少年少女合唱隊

      (1979.5.7 @東京文化会館)

毎年、この時期に、戦争レクイエムを。
戦没者への追悼とブリテンが熱く希求し続けた反戦平和の思いの込められた独自のレクイエム。
今年ほど、リアルに戦争が起きてしまう恐ろしさと、隣国が起こしているという日本にとっての脅威とを感じたことはない。
春にはボストン交響楽団がパッパーノの指揮でとりあげ、冒頭にU国の国家が演奏されてます。
そちらを今年は取り上げようかとも思いましたが、パッパーノ盤はすでに取り上げ済みですので、自分がこの作品を知ることとなったサヴァリッシュの演奏にしました。

1979年に演奏されたこの音源は、同日に生放送されたものをエアチェックしたカセットテープから板起こししました。
サヴァリッシュは、フィッシャー=ディースカウ夫妻をよくN響に呼んできて、数々の名演を残してくれました。
この戦争レクイエムと同時期に、ショスタコーヴィチの14番や、マーラーの4番、歌曲、さらに違う年にはバルトークの青髭、シューマンのファウスト、ドイツレクイエムなど。
いずれも権利関係をクリアして正規音源化して欲しいものばかりです。

サヴァリッシュとFDは、年齢も近く、まさに朋友。
知的な演奏を志すふたりは、レコーディングも多く、ピアニスト&指揮者としてもサヴァリッシュはFDと相性がよかった。
このライブでも、戦争レクイエムの初演者として、気合の入り方と、抑制の巧みさとで、極めて雄弁な歌唱を聴かせるフィッシャー=ディースカウ。
夫婦共演の際は、まるでFD歌唱が乗り移ったかのようなヴァラディの歌も素晴らしい。
ヴァラディはFDとは歳の差婚だったので、引退はしたものの、まだまだお元気の様子。
ハンガリー出身、ルーマニア育ちなので、ドイツものばかりでなく、イタリアもの、スラヴ系もレパートリーにありまして、メゾ領域もこなす幅広い音域を活かし、ドラマテックでありつつ、細やかなリリックな歌唱もこなせる歌手でした。
何度か舞台も経験できた好きなソプラノのひとりです。
言葉に意味を持たせつつ、これもまた知的なシュライヤーの歌声もわれわれにはお馴染みです。
ただ、イギリス系のテノールで聴き慣れたこの作品には、やや違和感も感じることは確かです。
それでもこのシュライヤーの歌唱は、真摯なサヴァリッシュの戦争レクイエムの演奏にはぴったりで、やや神経質系に傾くイギリス系のテノールよりもここでは相応しいとも感じます。

そのサヴァリッシュの指揮が、これもまた集中力と緊張感に富んだもので、理知的でいつも生真面目なその演奏スタイルから一歩も二歩も踏み出した感興の高まりを感じます。
いまのN響なら、もっと精度の高い演奏ができるとも思うが、指揮者への全幅の信頼と、ライブでの記念碑的な演奏会であることから、みんな夢中になって取り組んでいることが、当時の映像の記憶からも思い出せるし、この音源にも感じます。
つくづく思うが、NHKはこうした演奏会をはじめ、たくさんの音源や映像を保有していると思う。
ちゃんと残っているものはしっかりアーカイブ化して有償でも、もっともっと公開して欲しいものだ。

なんでも海外と比べれないいというわけではないが、英BBCが、BBC傘下のオーケストラはおろか、国内のオケ、オペラ座の音源をほぼフリーでストリーミング放送している。
ドイツの放送局各局、フランス放送、北欧・東欧の各局もみな同じ。
NHKは国民から金を取ることばかりに主眼があるようで、サービス精神はなきに等しいと思う。

Kibana
                (路傍のキバナコスモス)

過去記事から再掲載

この曲は、ほんとうによく出来ている。
編成は、3人の独唱、合唱、少年合唱、ピアノ・オルガン、多彩な打楽器各種を含む3管編成大オーケストラに、楽器持替えによる12人の室内オーケストラ。
レクイエム・ミサ典礼の場面は、ソプラノとフルオーケストラ、合唱・少年合唱。
オーエン詩による創作部分は、テノール・バリトンのソロと室内オーケストラ。

この組み合わせを基調として、①レクイエム、②ディエス・イレ、③オッフェルトリウム、④サンクトゥス、⑤アニュス・デイ、⑥リベラ・メ、という通例のレクイエムとしての枠組みを作り上げた。
この枠組みの中に、巧みに組み込まれたオーエンの詩による緊張感に満ちたソロがある。
この英語によるソロと、ラテン語典礼文による合唱やソプラノソロの場面が、考え抜かれたように、網の目のように絡み合い、張り巡らされている。

「重々しく不安な感情を誘う1曲目「レクイエム」。
戦争のきな臭い惨禍を表現するテノール。
曲の締めは、第2曲、そして音楽の最後にあらわれる祈りのフレーズ。
第2曲は長大な「ディエス・イレ」。
戦いのラッパが鳴り響き、激しい咆哮に包まれるが、後半の「ラクリモーサ」は、悲壮感あふれる素晴らしいヶ所で、最後は、ここでも祈り。
第3曲「オッフェルトリウム」、男声ソロふたりと、合唱、二重フ―ガのような典礼文とアブラハムの旧約の物語をかけ合わせた見事な技法。
第4曲「サンクトゥス」、ピアノや打楽器の連打は天上の響きを連想させ、神秘的なソプラノ独唱は東欧風、そして呪文のような出だしを経て輝かしいサンクトゥスが始まる。
第5曲は「アニュス・デイ」。テノール独唱と合唱典礼文とが交互に歌う、虚しさ募る場面。
第6曲目「リベラ・メ」。打楽器と低弦による不気味な出だしと、その次ぎ訪れる戦場のリアルな緊迫感。
やがて、敵同士まみえるふたりの男声ソロによる邂逅と許し合い、「ともに、眠ろう・・・・」と歌い合う。
ここに至って、戦争の痛ましさは平和の願いにとって替わられ、「彼らを平和の中に憩わせたまえ、アーメン」と調和の中にこの大作は結ばれる。」

最後に至って、通常レクイエムとオーエン詩が一体化・融合して、浄化されゆく場面では、聴く者誰しもを感動させずにはいない。
敵同士の許し合いと、安息への導き、天国はあらゆる人に開けて、清らかなソプラノと少年合唱が誘う。
このずっと続くかとも思われる繰り返しによる永遠の安息は安らぎを覚える。
最後の宗教的な結び、「Requiescant in pace.Amen」~彼らに平和のなかに憩わせ給え、アーメンでの終結、ライブで聞いたらこのあとには拍手はいらない静寂を保ったまま、静かにホールを去りたいものだ。

70~80年代は、日本は平和でよかった。
世界は米ソの冷戦やベトナム戦争はあったが、日本は高度成長と見えてた明るい未来とに酔うようにして、国民みんなが元気で明るかった。
50年を経たいまはどうだろう・・・・
あきらかに力を誇示する国が台頭し、自由と民主主義の先生だった国も自国が分断の危機。
日本は成長を忘れたようにして、怠惰をむさぼるのみか・・・・
日本の危機、世界の危機にあるいま、ブリテンの音楽意義がある。
敵対していた国の歌手たちによる初演、ブリテンの思いを今こそ・・・・と思います。

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2022年8月 7日 (日)

バイロイト ブーイング史

Bayreuth

絶賛開催中のバイロイト音楽祭。

3年ぶりにフルスペックでの通常開催。

しかし、目玉のひとつ、新演出の「ニーベルングの指環」が賛否両論の大炎上。

4夜を聴き終え、各幕では歌手を讃えるブラボーが飛び、4作すべての終幕では総合的な評価として激しいブーイングが浴びせられました。

73年頃から聴きだしたバイロイト音楽祭の放送、今年ほどの激しいブーはちょっとなかった。

ということで、70年代以降の放送のみから記憶する、バイロイトのブーイング史をたどってみるという企画です。

激しさは別、年代順のブー記録。

①「タンホイザー」1972年 G・フリードリヒ演出 ラインスドルフ指揮

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 東ドイツ圏から登場のフェルゼンシュタイン系の演出家フリードリヒは、当時は先鋭で、巡礼者にナチスを思わせる軍服を着せ、これが盛大に炎上した。
音楽面でも数十年ぶりに復帰したラインスドルフが不調で、こちらも不評で、シュタインに初年度から変わった。
1951年のハルトマン以来の外部演出家、エヴァーディングが穏当なオランダ人で、その次に来たのがフリードリヒ。
あとのローエングリンは絶賛され、パルジファルは、ワーグナーの血をひかない演出家による初のものだったが、さほどに批判もされず。
でも指揮のレヴァインは嫌々指揮してたとかのエピソードあり。

②「ニーベルングの指環」1976年 P・シェロー演出 ブーレーズ指揮

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これこそ、バイロイトの最大のブーイングを浴びたプロダクション。
産業革命時代にしたその舞台、時代設定を動かしたことも、もしかしたらバイロイト初だし、当時先端を行ってたドイツの演出でも斬新。
しかし、70年代から、新バイロイト様式への反発がドイツ各地で生まれ、カッセルなどでは目を見張る演出が行われつつあった。
そんななか、シェローが、こともあろうにバイロイトで、しかもバイロイト100年という記念の年にやってしまった。
抽象的かつ簡潔を旨としたバイロイト様式と、すべて真反対の具象化、時代置き換え、大げさかつリアルな演技がシェロー演出。
肩車した巨大なリアル巨人や、残虐なまでの殺害シーン、アルベリヒは指ごと切られ血しぶきが舞う。
当時の穏健な演出になれた聴衆には、戸惑うことばかりだし、よりによってそこは聖地バイロイトだった。
シェローを強く推して、ウォルフガンク・ワーグナーを説得したブーレースの指揮も準備不足で、スコアを追うのに精いっぱい。
有名な話ですが、団員がふざけてブルッフのヴァイオリン協奏曲を弾いても、指揮者はわからなかったとか。
そんなことで、4夜すべて録音しながら年末を過ごした、当時の大学生だったワタクシは、初めて聴くブーイングの激しさに驚いた。
なんでも、黄昏の終演では、客同士が小競り合いを起こし、警察も出動したとか。
バイロイトの当主、ウォルフガンクにも非難があつまり、シェローに「指環から手を引かせる」会みたいなのが組織され、抗議活動がなされた。
しかし、シェローは、演出を少しずつ改善し、ブーレーズも瞬く間にリングを手の内にして、楽員を関心させてしまった。
年を追うごとに、ブーは鳴りを潜め、ブラボーが勝るようになり、最終年度は完璧に出来上がったプロダクションとなった。

このシェロー&ブーレーズのリングは、バイロイトが戦後の新バイロイト様式と決別し、本来のワーグナーが目指した実験劇場としての存在に、再び、新バイロイトの精神と同じように立ち返った画期的な上演となりました。
こうしたターニングポイントには、当然ながらブーイングはつきものだろう。

③「さまよえるオランダ人」 1978年 H・クプファー演出 D・R・デイヴィス指揮

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東側から社会派演出家クプファーの登場と、黒人歌手エステスの登場で話題になった。
初版の救済のないバージョンで、ゼンタの精神分裂的な妄想として描いた斬新な演出で、荒々しい初版の音楽とともに、初年度は観客の拒否反応にあった。
しかし、クプファーはこれで西側でも高名になり、数々の名舞台を作り上げるようになる。

④「ニーベルングの指環」 1883年 P・ホール演出 ショルティ指揮

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シェロー演出の反動のように、ト書きに忠実に、ロマンティックなリングを目指した、フレンチ組に対するブリテッシュ組のホール演出。
一糸まとわずプールで泳ぐラインの乙女たちを巨大な鏡に映しこんだりと、大がかりな仕掛けが話題を呼んだが、ドラマへの求心力不足は否めなかったとの評が多い。
ピットを覆う天井を取り払い、直接的なサウンドを狙ったショルティの試みだが、劇場の優れた音響を活かしきれず、格闘するショルティがオケを煽るようにして、今聴いてもやたらと速くてせわしない。
ベーレンスのブリュンヒルデが大輪の花を咲かせた。

⑤「ニーベルングの指環」 1988年 H・クプファー演出 バレンボイム指揮

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レーザー光線を巧みに使い、SFタッチ、近未来的な社会派ドラマを作り上げたクプファーの凄腕。
初年度は聴衆の戸惑いと、バレンボイムの指揮の空転ぶりがブーを浴びた。
それ以降はシェローと並ぶ、ワーグナー兄弟以降の最高のリングのひとつと評されている。

⑥「パルジファル」 2004年 シュルゲンジーフ演出 ブーレーズ指揮

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あらゆる宗教の神々を登場させ、アフリカの土着宗教までもが表現されたらしい。
ウサギが腐り、う〇がわく様子を映像で見せたりと、ともかくパルジファルからキリスト教的な神聖なものをすべて洗いざらい捨て去ることが主眼だった様子。
この演出、映像はおろか、舞台写真も少なめ。
とんでもないブーと口笛ピーピーの応酬。
 ブーレーズはそんな舞台はどこ吹く風、30年以上前のヴィーラント演出時の演奏とまったく変わらないところが恐ろしい。
このプロダクションは4年で引っ込められた。


⑦「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 2007年 カタリーナ・ワーグナー演出 ヴァイグレ指揮

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ワーグナーのひ孫の初バイロイト演出で、なにかやってやろうという意欲が空回り。
美術学校を舞台に、妙な性描写、デフォルメされた顔人形など、客観的にもその意図が混迷。
ザックスとワルターとに保守と革新を代弁させ、バイロイトとワーグナー家の行く末なども暗示か。
お馴染みのヴァイグレさんも、だんだんよくなったし、フォークトという歌手がここから新たなワーグナー歌手として活躍するようになった。

⑧「ローエングリン」 2010年 ノエンフェルス演出 ネルソンス指揮

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お騒がせオジサン、ノイエンフェルスの遅すぎたバイロイト登場。
ネズミ王国、しっぽとハゲ鬘にお笑いを誘いつつ、飼いならされる群衆=ネズミ軍団、おどおどした独裁者の王様、エルザとオルトルートの均一性などを巧みに描き、そこに迷い込み脱出を試みたローエングリンや、キモイ跡継ぎなど、情報過多に初年度は理解不能で笑いとブーが。
指揮と歌手は、絶賛。

⑨「タンホイザー」 2011年 バウンガルテン演出 ヘンゲルブロック指揮

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これは観た瞬間にアカンと思った。
第一、キモイ。
ヴェーヌスの妊娠、爬虫類の登場、化学薬品の工場、バイオハザードなタンホイザーなんてクソだった。
1回見ただけでもう勘弁。
ヘンゲルブックもすぐに降りてしまった。
4年で打ち切りの刑。

⑩「ニーベルングの指環」 2013年 カストルフ演出 ペトレンコ指揮

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ペトレンコの指揮にのっけから注目が集まり、その指揮と強靭かつビビッドな音楽は絶賛。
しかし、ラインの黄金から、アメリカのR66沿いのSSやラブホが舞台の猥雑さ、通じて石油をリングに見立てたような設定で、社会主義の限界資本主義の矛盾など、ワーグナーの音楽の本質からはずれたイデオロギーをぶち込もうとして失敗した感じ。
4作が脈連なく感じたのも、逆に面白く、4作が別々でもよかったモザイク的なリング。
ペトレンコの指揮がもったいなかった。

⑪「タンホイザー」 2019年 T・クラッツァー演出 ゲルギエフ指揮

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クラッツァーの前歴を知ってたので危ぶんだが、これがまた実に面白かった。
タンホイザーにLGBTや階級格差、自由への渇望などを巧みに盛り込んだ演出で、それこそ、今風で、かつ映像を巧みに用いたDVD・動画を意識した演出だった。
めっちゃ面白かったけど、でもこれ、タンホイザーじゃないんじゃね?とも思った次第。
忙しすぎのゲルギエフの練習不足もたたり、ゲルギーも批判され、なかば追い出されるようにして首になってしまった。

⑫「ニーベルングの指環」 2022年 シュヴァルツ演出 マイスター指揮

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コロナで苦節2年の順延、しかも、予定のインキネンもコロナでこけてしまい、練習も2週間もないままに、マイスターが担当。
待ちに待った「リング」の聴衆の反応は、シェロー以来の、いやそれ以上のブーイングを浴びた。
「黄昏」のみが映像化され、ドイツ国内限定で視聴が可能。
工夫して観ることも出来なくはないが、どうもそんな気もしないし、4部作全部を観ないと、その演出意図もわからないだろう。
画像と海外評のみから読み解くのも、今回の33歳の若いシュヴァルツ演出はそうとうに入り組んでるし、伏線やギャグもやたらと多そうだ。
演出家いわく、ネットフリックス風としたように、画像はまるでアメリカのファミリードラマ風で、衣装も原色だったりキラキラ系だったりで、神々や巨人の姿は造像できないし、ハーゲンなんて黄色いポロシャツ1枚のカジュアルぶりだ。
また本来は登場してこない人物も、平気で出てくるし、写真からは推し量ることができない。

「パルジファル」が、いまやその神聖性をはく奪されてしまったように、シュヴァルツは、「リング」から、あらゆるリング的な要素をすべて消し去ることをしたのではないか、と思う。
ライン川、黄金、槍、剣、炎、森・・・・なにもないらしい、ワーグナーが微に入り細に入り散りばめたライトモティーフは、なにを意味するのか、この舞台ではまったく意味をなさずに鳴り響いたのだろう(か?)
ウォータンが手にしたたのは槍じゃなくてピストル。
ジークフリートは防弾チョッキ着てるし、ブリュンヒルデを守る愛馬グラーネは、ピストルもった男だった。
ワルキューレたちは、美容整形に夢中で、鼻・あごなどを整形中で包帯まきながら、みんなスマホに夢中ww
アルベリヒはラインの黄金では、少年を誘拐し、きっとこれが4部作を通じる「子供」がキーポントなんだろうと想像。
黄昏のラストシーンも、そこに落としどころがあるらしい。

はたして、このシュヴァルツ演出が、半世紀前のシェロー演出のように名舞台として今後受け入れられるだろうか。
もしくは、実験で終わるのだろうか。
どちらになるにしても、ブーイングを覚悟に、こうした演出を聖地に持ってきたワーグナー家の末裔、その姿勢は正しく勇気があると言えるだろう。

指揮のマイスターにもブーイングは容赦なかった。
ときに揺らしたり、伸びたりといった場面はあったが、もしかしたら舞台の進行に合わせてのことだったかもしれない。
わたしは、面白く新鮮に聴いたがどうだろう。
お馴染みのブリュンヒルデを歌ったテオリンさまにもブーが。
強烈なくらいに巨大な声は相変わらずだが、今回は言語不明瞭と非難された。
指揮者の交代があったように、歌手も急な交代がいくつか。
ワルキューレでウォータンのコニュチュニーが椅子からこけて、ギャグかと思われたが、怪我をして3幕はカヴァーだったグンター役が登板。
めっちゃ張り切ったけど、ラストの告別シーンで失速。
神々のジークフリート、超人グールドが体調を壊し、これもカヴァー役のヒリーに交代し、彼は見事に歌った。
ベルリン・ドイツ・オペラのヘアハイムのリングでのジークフリートだった彼。
ウォータンで活躍したドーメンがハーゲンで復帰し、その暗めの声が実によかったし、シャガーのジークフリートが実に素晴らしい出来栄え。
歌手は、総じてよかったが、あの演出で細かな演技をしながらと思うと、昨今のオペラ歌手はたいへんだな、と思う次第だ。



ここに書いたものは網羅できませんでしたが、激しいブーを動画にまとめてみました。

ちょっと疲れる10分間ですが、今年はことにすごい。

ブーも疲れるだろうに・・・・

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2022年7月30日 (土)

ワーグナー トリスタンとイゾルデ ポシュナー指揮バイロイト2022

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ある日のビルとビルの間から見た青空、そして街路樹の緑がうまく取り囲むようにしてうまく撮れた。

半世紀前なら、こんなお洒落で自然豊かな通りではなかった丸の内の中通り。

7月25日にプリミエを迎えたバイロイト音楽祭。

「トリスタンとイゾルデ」の舞台画像をみて、自分が写した写真を思い起こした次第。

画像はすべてバイエルン放送より拝借してます。

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  ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」

    トリスタン:ステファン・グールド
    イゾルデ :キャサリーネ・フォスター
    マルケ王 :ゲオルグ・ツェッペンフェルト
    クルヴェナール:マルカス・アイフェ
    ブランゲーネ :エカテリーナ・グバノヴァ
    メロート :オラフール・シグルダルソン
    牧童   :ヨルゲ・ロドリゲス・ノルトン
    舵手   :ライムント・ノルテ
    若い水夫 :シャボンガ・マキンゴ

  マルクス・ポシュナー指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
               バイロイト祝祭合唱団
      合唱指揮:エバーハルト・フリードリヒ

      演出:ロラント・シュヴァーブ
      装置:ピエロ・ヴィンチグエッラ
      衣装:ガブリエーレ・ルップレヒト

          (2022.7.25 @バイロイト)

バイエルン放送協会により、ネット同時放送がされ、すぐさまにストリーミング配信もされたので、即日に効くことができました。

音質の良さは、申すまでもなく、ドイツの放送局のネット配信はどこも質が高く、ひとつも乱れることなく聴くことができる。

まいどのことですが、こうして毎夏、バイロイトの音をすぐさまに聴くことのできる幸せは、昔だったら考えられないこと。

コロナ禍により、2年前、新演出上演される予定だった「リング」が中止となり、昨年もコロナで準備も整わず順延。
もともと予定されていた「トリスタンとイゾルデ」と、延期になった「リング」通し上演が今年2022年の目玉となりました。
このふたつの大きな作品を新演出しようとカタリーナ総裁をはじめ決意できたのは、パンデミックの温床となってしまう合唱団の登場が少なめだっただからとか。

それでも一波乱あり、リングのインキネンはコロナで出演不可となり、トリスタンの指揮予定のマイスターがリングに。
急きょ、穴の開いたトリスタンを指揮したのがポシュナーでしたので、今年は新演出への注目と、2回のリハーサルで挑んだポシュナーの指揮に注目が集まりました。

ミュンヘン生まれのポシュナーはドイツとオーストリアを中心に、多くのオーケストラとオペラハウスで活躍してきた指揮者で、アーヘンの歌劇場、スイス・イタリア語放送オケ、リンツ・ブルックナー管などのポストを歴任。
地味だけど、手堅い実力者で、パルジファルと使徒の饗宴を組み合わせたCDや、全集進行中のブルックナーの一部を聴いたことがある。

前奏曲が始まると、最初は燃焼不足ながら、すぐにいい感じになってきて、自分的にはいい速度を保ちつつ、余剰なタメは少なめ、適度なうねりも効果的で、幕が開いて水夫、そしてイゾルデが歌いだすと、オーケストラの音たちは舞台上のドラマ・歌手の歌と均一化して一体化して全3幕、最後までだれるところが一切なく、息も切らさず集中して聴くことができた。
テンポも走りすぎることなく、適切だし、ここはというときの爆発力も備えていて万全。
オーケストラだけでも、今回のトリスタンは、わたしは成功だと思う。
このよきトリスタンが、今年は2回しか上演されないのももったいないと思う。

40度近くになったドイツの猛暑のなか、歌手たちは体調管理も大変だったであろう。
主役級で、一番安心して聴けて安定してたのがツェッペンフェルトのマルケ。
この美しくも深く、滋味深い声は、年々よくなると思う。
いまや最高のマルケであり、グルネマンツだ。

アイフェの友愛あふれるクルヴェナールも、このバリトンにあった役柄だけに素晴らしく聴けた。
今年は、トリスタンとタンホイザーでグールドとのコンビだ。
クルヴェナールの死は、なかなかに泣かせました・・・

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カストルフのリングでブリュンヒルデをすべて歌ったイギリスのフォスターも、かつてのグィネス・ジョーンズに次ぐブリテッシュワーグナーソプラノとして、わたしの好きな歌手で、イゾルデに回った今年も、疲れを見せぬ安定した歌唱でした。
彼女のTwitterをフォローしたら、気軽に返してくれて、どこでいま何を歌っているかがわかり、身近な存在となりました。
今年のイゾルデの舞台写真をみたら、なんだか前首相メルケルさんに似てるな・・と思ったり。

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対するグールドの八面六臂の活躍ぶり。
トリスタンを2回、タンホイザーを4回、黄昏のジークフリートを3回!
今年60歳になったグールド、その疲れを知らぬ力強さと親しみやすさを持った声は今年も健在で、このタフマンにバイロイトは本当に救われていると思う。
しかし、贅沢な欲をいえば、聴き慣れすぎて、トリスタンの声には、若々しさをともなった、孤独と気品をさらに求めたい気も。

グバノヴァのブランゲーネも悪くなくて、フォスターとの声の対比と、イゾルデの反面的な存在意義も、よく出ていた。

ほかの端役諸氏は、年々知らない名前が連ねるようになった。
そしてなかなかの多国籍ぶり。

歌もオケも、充実のトリスタン、ちょっと褒めすぎかな。

しかし、驚くべきことに、「愛の死」がまだ鳴り終わってないのに、聴衆からは拍手が巻き起こってしまった・・・・・・

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ブーイングのない新演出って、もう何年振りだろうか。
1幕からブラボーが飛び交い、終幕は前段に述べた通りのありさま。

それだけ、よけいなことをしなかった、シュヴァーブ演出は、写真だけ見るとなかなかに美しく幻想的な「トリスタン」で、聴衆は思わず、こんなの待ってましたとばかりに熱狂したのでしょうか。

写真だけで批評はできませんが、いくつかの断片や、ニュース映像、ドイツ各紙の反応などを見ると、いずれも好評で、「星・波・色」の3要素を巧みに使い悲劇でなく、また分断でもなく、愛のある未来を描いたようだ。

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最初の3幕の画像にあるリングのようなものは、最初から据えられていて、2幕では、恋人たちはここに水が満たされて飲まれてしまう。
恋人たちを上からのぞき込む若い男女、イゾルデの愛の死の後には、年老いた男女の恋人がこれを見守る・・・といった風なことを読みました。
なんか、美しいと思う。
コロナで世界中の人々の心は荒んでしまった。
リングは、嫌な予感もしなくもないが、いまオペラの演出は、妙にこねくり回し、解釈を施すより、心に響くもの、そんな愛のあるもの、ワーグナーの音楽に満ち溢れるものにして欲しいものだ。

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これは、メロートの刃を見立てたネオン管が降りてきて・・・という2幕のシーン。

暑いけど、とんでもなく暑いけど、ワーグナーは最高だ💓

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今年のバイロイトでは、スタッフか関係者で、性被害だが差別だかが行われたとかなんとかでもめたらしい。

世界はほんと、そんなことばかりだし、告発や被害仕立てもSNSであっというまに拡散し炎上する。
もう、そうしたようなことも飽きたし、やめて欲しい。
静かに過ごしたいし、目にもしたくない。

バイロイト音楽祭の終盤は、ネルソンスによりオーケストラコンサートが2回あり、ここでは、オランダ人、タンホイザー、トリスタンの断片が演奏されるが、歌手はフォークトとフォスター。
フォークトのトリスタン(2幕)が聴ける。

来年のバイロイトは、パルジファルの新演出が、カサドの指揮、カレヤのタイトルロールで。
タンホイザーの指揮に、ふたりめの女性指揮者ナタリー・シュトゥッツマン。
シュトゥッマンは、歌手から指揮者となり、こんどはアトランタ響の首席にもなることが発表され、各オペラハウスでもその活躍が著しい。
はやくも、来年も楽しみなバイロイト。

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2022年7月20日 (水)

ワーグナーの夏、音楽祭の夏、はじまる

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平塚市の大磯町との境目にある「湘南平」。

5月でしたが、ほぼ半世紀ぶりに行きました。

戦時中には、B29をねらう高射砲が据えられたが、平塚大空襲のときに爆破されてしまった。

いまでは、恋人たちが、ここに鍵を結ぶ平和なデートスポットになっていて覚醒の感があります。

子供時代、わたしの住む隣町にも防空壕が多くあり、怖いけどもぐったりしたものですが、これは予測された米軍の相模湾上陸に備えてのものだと大人になってわかり、身震いがしました。

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目を東京方面に転じると、江の島と三浦半島が見えます。

手前は烏帽子岩に、平塚港。

天候不順なれど、夏来たり、そして国内外に音楽祭の季節。

悲しみと不安のなかにありますが、音楽界は平常運転で、夏がめぐってきました。

ヨーロッパ各地は現在、記録的な猛暑にみまわれ、イギリスでは40度を記録・・・

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夏の音楽祭といえば、わたしにはバイロイト

初めて買ったワーグナーのレコードが、突如として現れた「ベームのリング」。
そのときの予約特典が、2枚組のハイライト盤で左の画像。
そのあと、フィリップス社が既存の名盤、サヴァリッシュのオランダ人、タンホイザー、クナッパーツブッシュのパルジファルをセットにして発売。
そのときのサンプラー廉価盤が右の画像。
このとき、はじめて世評高い孤高の名盤とされた「クナのパルジファル」に接し、さわりだけだったけど、神々しい感銘を受けたものです。

こうして、ともかく私のワーグナーはバイロイトあってのもので、年末に放送されるNHKの放送を必死に録音し、あの劇場のサウンドを脳裏に刻み付けてきました。
年末でなくとも、リアルタイムでバイロイトの現地の音や映像がすぐさまに確認できるようになった現在。
コロナで変則的な上映が続いたここ2年、今年はフルスペックで予定通りの上演になるかと思いきや・・・・

2022年の上演作品は、新作が「トリスタンとイゾルデ」と「リング」、再演が「オランダ人」「タンホイザー」「ローエングリン」ということで、新演出が2本と前期ロマンテックオペラ3作が揃って上演されるという珍しい年となりました。

2020年に予定されたプリミエから2年経過してとうとう上演される、ヴァレンティン・シュヴァルツ演出による「リング」。
指揮者のインキネンがコロナにかかり、オーケストラとのリハーサルがろくに出来ずに降板。
つくづくインキネンはついてない。
代わりに、トリスタンを指揮する予定のコルネリウス・マイスターがリングの任に当たることに。
マイスターは、シュトットガルト歌劇場の音楽監督として、リングを手掛けており、同劇場のサイトで、ピアノを弾きながら楽曲解説を行うマイスター氏を確認しましたが、わかりやすい解説と明快なピアノ演奏に驚きましたね。
読響の首席客演時代はパッとしなかったみたいですが、劇場叩き上げ的な指揮者として、シュタイン、シュナイダー、コバーなどと同じく、バイロイトを支える職人指揮者のようになって欲しいものです。

リングに移ったマイスターの代わりにトリスタンの指揮者に選出されたのは、マルクス・ポシュナー。
ポシュナーはミュンヘン出身で、現在リンツ・ブルックナー管の指揮者で、全曲録音も進行中。
ブルックナーの専門家みたいにしか思われてないけど、手持ちCDで、アーヘンの劇場との録音で、パルジファルと使徒の愛餐がありました。
はたして、いかなるトリスタンを聴かせてくれましょうか。

指揮者では、オランダ人はリニフ、タンホイザーはコバー、ローエングリンはティーレマンと盤石。

歌手は、変動多くて、ウォータンとオランダ人を歌う予定のルントグレンが降りて、前者はシリンスとコニチュニーに、オランダ人はおなじみのマイヤーに。
 ステファン・グールドがかつてのヴィントガッセン級の八面六臂の大活躍で、トリスタン、ジークフリート(黄昏)、タンホイザーを歌うタフマンに。
あと、フォークトは、ジークムントとローエングリン。
シャガーがジークフリートに。
 イゾルデを長く担当したテオリンがブリュンヒルデ、前のリングのブリュンヒルデを歌ったフォスターがイゾルデ、と言う具合にステキなクロスも楽しみ。

演出はどうなんでしょうね。
こんな風に、始まる前から妄想たくましくして記事が書けるのもバイロイトの楽しみです♬

Proms2022

バイロイトと並んで、わたくしの夏を飾る音楽祭がイギリスの「Proms」

約2か月間にわたって、ロンドンの巨大なロイヤル・アルバート・ホールで催されるフレンドリーな音楽祭。

イギリス全土のBBC局をつなぐので、ロンドン以外の各地の面白いコンサートを、極東の日本でも居ながらにしてネット空間で楽しむことができる。

でも主流はアルバートホールでの演奏会で、今年、わたくしがチェックしたものは、「オラモ&BBCのヴェルレク」がファーストコンサート。
大活躍のウィルソンの英国音楽の数々、セシル・スマイスのオペラ「漂流者たち」をティチアーティのグラインドボーンメンバーで。
ヤマカズ&バーミンガムで、スマイスとラフマニフ2番。
エルダー卿とハレで、プッチーニ外套、ロイヤルフィルによる日本人作曲家の一日、ダウスゴーのニールセンシリーズ、ラトル&LSOの復活、ガードナーのゲロ夢、ペトレンコ&BPOのマーラー7番、シフによるベートーヴェン後期ソナタ、セガン&フィラ管のエロイカ、バーバー、プライス、スタセフスカヤのラストナイト。

10月末には、スタセフスカヤ&BBCで、proms2022Japanが開催されます。
プログラムは自分的にはイマイチだけど、ニッキーがやってくるので、行きたいな。

promsは、BBCのネット放送で、すべてストリーミング再生可能です。

オラモ&BBCのヴェルディのレクイエムを早くも聴きました。
タイミングがタイミングなだけに、深刻な面持ちで聴きましたが、極めて純音楽的でカチっとした演奏。
ただ歌唱陣は自分には今ひとつ。
ソプラノ歌手がドラマテックさはよいとしても、言語不明瞭な感じで不安定で、ムーディだった。

こんなこと言ってはサイトの存続すら危うくなりますが、Promsの今年の画像ひとつとっても、ここにうかがわれるのは、「多様性」。
BBCはアメリカの各局と並んで、こうしたジェンダー的なことに、そうとうにこだわりぶりを見せてます。
極東の小さな町で、世界につながったネット放送を聴く自分が偉そうなことは言えませんが、半世紀以上音楽を聴いてきた自分の耳を信じたいと思った。
なにが優先されるのか、なにが大切なのか・・・・
私は、とんでもないことに言及しているかもしれません。

Salzburg

相変わらず豪華ザルツブルグ音楽祭

フルシャ指揮のカーチャ・カバノヴァ(コスキー演出)、アルティノグリュー指揮のアイーダ、クルレンツィスの青髭公、ヴィラソン演出(?)のセビリアの理髪師、メスト&グレゴリアンのプッチーニ三部作、マルヴィッツの魔笛、ルスティオーニ指揮のルチアなどなど。
どれも映像付きで観たい聴きたい。

オーケストラ演奏会も豪奢ですので、オーストリア放送のネット配信がどれだけあるか楽しみではあります。

Exp


現在開催中でもうじき終わっちゃうのがエクスアン・プロヴァンス音楽祭

サロネンの舞台付きマーラー復活、サロメ、イドメネオ(日本人スタッフ)、ロッシーニのモーゼとファラオ、ポッペアとオルフェオのモンテヴェルディ2作、ノルマ、ベルリオーズ版オルフェオとエウリディーチェ

夏の後半はルツェルン音楽祭
アバドから引き継いだシャイーは、今年はラフマニノフ2番とマーラー1番。
フルシャがこのところ、ルツェルンでドヴォルザークをシリーズ化して、今年は新世界。

Bregenz

湖上の祭典、ブレゲンツ音楽祭では、ウィーン交響楽団が主役。
蝶々夫人、ジョルダーノの珍しいオペラ「シベリア」、ハイドンのアルミーダ。
湖上の蝶々さん、なんかステキそうですが、ここの演出はいつもぶっ飛んでるからな。
演出はホモキだから、まあ大丈夫か、見たいな。

アメリカへ渡ると、ダングルウッド
ボストン響とネルソンスの指揮が主体ですが、毎年、オペラをコンサート形式で取り上げます。
今年は、ドン・ジョヴァンニ。
ネルソンスがふんだんに聴けるのがこの音楽祭前半で、ハルサイ、ガーシュイン、ラフマニノフ3番など、いずれもネット配信されます。
録音も抜群にいいのが、ボストン響やタングルウッドのライブの楽しみです。

日本ではサマーミューザ
聴きに行きたいけど、突然行くパターンにしないと、ほんとに行けない昨今のパターン。

Bayreutherfestspiele2022

悲しい事件はあったけど、暑さに負けるな、コロナなんて〇〇っくらえ、仕事も頑張れ。夏は音楽祭だ、ワーグナーだ!

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2022年7月 8日 (金)

ヴェルディ レクイエム アバド指揮

20220620

6月の終わりの頃のある日の夕焼け。

壮絶にすぎて、ドラマテックにすぎて、なにか起きやしないかと不安な思いを抱いた。

Verdi-requiem-abbado

  ヴェルディ  レクイエム

 S:カティア・リッチャレッリ Ms:シャーリー・ヴァーレット

 T:プラシド・ドミンゴ    Bs:ニコライ・ギャウロウ

   クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団

                ミラノ・スカラ座合唱団

         合唱指揮:ロマーノ・ガンドルフィ

           (1979.6、80.1,2  @ミラノ)

悲しみと怒りの日に、ヴェルディのレクイエムを、最愛の演奏で聴く。

怒りの日にばかり焦点が向きますが、ヴェルディのレクイエムは、死者を悼む、まさにレクイエム。
残されたひとたちへの哀歌であり、悲しみへよりそう優しい音楽。

今日の日こそ、ラクリモーサが心締め付けられるほどに響く。

アバドの誠実な指揮、豊かな歌心が、こんなときこそ泣けるほどに美しく一途でした。

日本にとってきわめて大きな喪失が本日あった。

まだ受け入れられない。

その喪失感は、世界のメディアや指導者たちの言葉を聞けばわかる。

大きな存在を失った日本は、そして大きな岐路に立たされることになった。

そのことを、しばらくしたら、国民とメディアは気が付くと思う。

「反」の人は、結構です、ずっと騙されていてください。
マスコミや「反」のひとが植え付けた悪のイメージが元凶だと思う!

安倍さん、日本を守っていただきありがとうございました。

その魂が永遠でありますこと、心よりお祈り申し上げます。
そして、天から、日本を守ってください。

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2022年7月 6日 (水)

ロッシーニ 序曲 アバド指揮

Hirastuka

七夕の準備の進む平塚市。

繁華街の公園では、園児たち、小学生たちの七夕のぼりが鮮やかに展示されてます。

今週末には、3年ぶりの本格七夕まつりが開催。
コロナで待ち望んでいた仙台ともリンクした平塚の伝統あるお祭り。

子供時代は毎年狂喜乱舞したお祭りで、両親へのわがままも、ことさらに通る贅沢な瞬間でした。

暑すぎのアバド生誕週間でしたが、その後、台風までも参戦し、天候は急転直下の日々。

すっきり、晴れやか気分にさせてくれるアバドのロッシーニ序曲集を聴く。

ヨーロッパ室内管との演奏は今回あえてスルーして、ロンドン響とのものを、曲もセリアでなく、ブッファを選んで聴きました。

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 ロッシーニ 「アルジェのイタリア女」序曲

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

         (1975.2 @ロンドン)

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 ロッシーニ 「イタリアのトルコ人」 序曲

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

         (1978.05 @キングスウェイホール、ロンドン)

アバドが70年代に、年をあまりおかずに録音したロッシーニの序曲集。

わたくし的には、最初のDG盤がジャケットもステキで、思い入れが強いのですが、全6曲中、セビリアとチェネレントラが全曲盤からの使いまわしというところがやや残念なところで、あえて再録して欲しかったな、と。

しかし、75年の2月は、あの「春の祭典」が録音された同時期にあたるものです。
ロッシーニを軽やかに指揮するがごとく、ハルサイをもいとも簡単に俊敏に演奏してしまったアバドとロンドン響。
名門ロンドン響の腕っこき奏者たちがアバドに夢中になってしまった。
そんな颯爽としたアバドの指揮ぶりが、ここに聴かれて、いま40年以上も経っても爽快このうえなし。

78年に、RCAレーベルに入れたロッシーニとヴェルディの序曲集も、大学生になった自分は学校の生協で購入して、来る日も来る日も聴きました。
セミラーミデとウィリアムテルという巨大セリアの序曲をここに選んだように、スケール感を増した演奏ぶりで、キングスウェイホールの厚い響きもセリア系序曲やヴェルデイの音楽には相応しいものでした。
でも、ブッファ系の軽やかさは相変わらずで、セビリアの理髪師にいたっては、そのまま流用した「イギリスの女王エリザベッタ」の序曲を選曲するというこだわりぶりで、しかも相変わらずのすっきり感とノリの良さ。
ロッシーニの音楽に、生真面目に取り組み、ユーモアよりは歌い口の美しさと軽やかさ、透けるようなシルキーな響きをもたらしたアバドの真骨頂がここに聴かれます。

ロンドン響とのこの2枚に比べると、ヨーロッパ室内管との録音は、より自在になり、テンポも快速で、若い手兵とロッシーニの音楽をひたすら楽しんでいる風情があります。
より晩年に、マーラー・チェンバーとかモーツァルト管とやってくれたらいったい・・・・そんな思いもよぎるアバドの鮮度高いロッシーニでした。

1813年、21歳のときの「アルジェのイタリア女」では、イタリア女に惚れこんだアルジェの太守を滑稽に描いた、当時大人気のトルコ風なエキゾチックなお笑いオペラ。
そして、こんどは、その逆パターンを1年後に作曲。
ここでは、トルコの王子がイタリアに乗り込んで引き起こす色恋沙汰。

アバドは、「アルジェ」はレパートリーにしていたが、トルコ人は指揮しなかった。
ほかには「セビリア」「チェネレントラ」「ランスへの旅」と全4作のみ。
ヴェルディとともに、もう少し、ロッシーニのオペラも残して欲しかったと思いますね。

七夕の日に、爽快なアバドのロッシーニを。

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2022年6月26日 (日)

アバド&アルゲリッチ

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梅雨空の曇天のもと、先日のライトアップに次いで、小田原城の花菖蒲と紫陽花を見てきました。

青空が欲しいところではありましたが、写真を撮るにはいい光の塩梅かもしれません。

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本丸へ渡る橋と花菖蒲のコントラストが美しい。

まるでモネが描いたかのような印象派のイメージのような写真が撮れました。

今年もめぐってきました、クラウディオ・アバドの誕生日。

1933年6月26日、89回目の誕生日です。

今年は、ソリストとして、ポリーニと並んで一番共演の多かった、マルタ・アルゲリッチとの録音をすべて聴いてみました。

グルダに教えを乞いたいという願いのもと、アルゼンチンからオーストリアへ勉強に出たアルゲリッチは、1955年の、グルダのザルツブルク・ピアノ夏季講習でアバドと出会うことになりました。
その後、アルゲリッチは57年にブゾーニコンクールとジュネーブのコンクールで優勝、60年には早くもDGデビュー、さらに65年にはショパンコンクールに優勝し、24歳にして若手ピアニストの花形となりました。
 一方のアバドは、58年にダングルウッドでクーセヴィツキ賞を受賞、63年にミトロプーロス国際指揮コンクールで優勝し、ひのき舞台に踊りでるようになります。
アバドもアルゲリッチも、年齢の差は少しあるものの、ほぼ同時期にスターとして歩みを始めてます。

いつもお世話になっておりますアバド資料館によりますと、アバドとアルゲリッチのオーケストラでの共演は1966年のロンドン響におけるプロコフィエフ3番のようですが、
以来、アバドが亡くなる前年の2013年までふたりの共演はずっと継続することになります。

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 プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番 ハ長調

 ラヴェル    ピアノ協奏曲 ト長調

     マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

      (1967.5.29~6.1 @イエス・キリスト教会)

こちらはコンサートでの流れでの録音でなく、レコードのための録音で、当時は、そのようなことがあたりまえだった。
実はこちらは、CD時代になってから聴いたもので、プロコフィエフに関しては、この演奏がいちばんと思っている。
ベルリンフィルであることが、あまり意識されないですが、イエス・キリスト教会での録音で、その響きがカラヤンが盛んに録音を行っていた時期のものにかぶって、そういう聴き方も楽しいものです。
ずばりこの時期にかぶるカラヤンの録音はシベリウスの6番や、レ・プレリュード、モルダウ、あと数か月後には、かの名盤・オペラ間奏曲集、ラインの黄金なんかがあります。
 脱線しましたが、クールでリリシズムあふれたこの2曲は、ふたりの個性にぴったりですから、思い出としてはショパン&リストにかなわないのですが、曲の好みと、演奏者たちの曲への相性からいえば、プロコフィエフ&ラヴェルの方が上と考えます。
ともに、緩徐楽章が抒情味としゃれっ気とがセンス抜群だと思いますね。

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   ショパン ピアノ協奏曲第1番 ホ短調

   リスト  ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調

    マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

      (1968.2.2~12 @ウォルサムストウ、ロンドン)

このレコードを手にしたのは、まだ中学生だった。
初めて買ったアバドのレコードで、1971年ではなかったかと思う。
最初はおもにショパンばかり聴きまくり、のちに、いやリストの方が面白いと気づき、両曲ともにすり減るように聴いた。
 アルゲリットとアバド、ラテン系の血をもった若い二人がぶつかり合うさまは、歌心にあふれ、熱血的な熱さにもありで、そのころ、夢中になって夢見心地で聴く若き自分が、いまでは恥ずかしく思い出させるくらいだ。
本blogの初期の頃にも書いた「我が青春のショパン」みたいな感じですよ。
それが、いまやもう二度と生まれないこの名コンビによる若い演奏は、情熱的で、晩年のあやなす透明感とはまったく異なるもので、この録音が34歳のアバドと、26歳のアルゲリッチで残されたことに感謝したいです。
ロンドン響が、これがDGに初登場だったこともいまや貴重な1枚です。
ちなみに、ショパンの2番はロンドン響で69年に演奏しているようですが、そのとき録音がなされなかったのはちょっと残念。

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  ラヴェル  ピアノ協奏曲 ト長調

    マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

      (1984.2 @セント・ジョーンズ・スミス・スクエア、ロンドン)

アルゲリッチとアバド、2度目の録音は、アバドとロンドン響とのラヴェル全集の一環で。
左手の方は、アルゲリッチの勧めで、当時右手を負傷していたベロフが起用されました。
ふたりは、このラヴェルで共演することが一番多かったようで、2000年代に入ってからもマーラー・チェンバーなどでも演奏を繰り返してます。
こちらの演奏、ラヴェルのこの曲のなかで一番好きです。
ジャズ的な洒脱かつ即興的な要素がくまなく整然と再現されるし、なんたって羽毛のような軽やかさがいい。
2楽章の夢見心地で、淡い色彩にあふれた演奏は、このステキな曲のなかでも最も素晴らしいものだと思います。
実は、自分の結婚式で、好きな曲ばかりをチョイスして式中に流したのですが、この2楽章を、この演奏で使用したのでした。
いまでは儚い思い出で化してしまいました・・・・
 ちなみに、亡父の式最後での言上では、マーラーの3番の終楽章。
これもまたアバドとウィーンフィルの演奏でした・・・そのとき泣いてました

Prometheus-abbado

  スクリャービン 交響曲第5番「プロメテウス」

     マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
               ベルリン・ジングアカデミー

      (1992.5 @フィルハーモニー、ベルリン)

ロンドンとウィーンと同じように、アバドはシーズンごとにテーマを定めて、さらにはコンサートに絞っても、ひとつのテーマでプログラムを練るようにしてました。
音楽ばかりでなく、街をあげて、各種芸術に、そうしたテーマで取り組むという活動。
アバドのもっとも評価されていい一面でもあります。
ベルリンでの、このコンサートのテーマは「プロメテウス」=神話のさまざまな変奏。
ベートーヴェン「プロメテウスの創造物」、リスト交響詩「プロメテウス」、スクリャービン「プロメテウス」(火の詩)、ノーノ「プロメテウス」という演目。

プロメテウス」はギリシア神話上の神。
音から神の姿に似せて人間を作り、魂と命を与えた。そのうえに、火と技術を与えたことで、「ゼウス」の怒りに触れた。人間がゼウスら神の好敵手となったからである。
プロメテウスはコーカサスの岩場に縛られ、その肝臓をワシについばまれることとなる。
その肝臓は枯れることなく、プロメテウスは苦しんだ・・・・・。
それを後に救ったのが「ヘラクレス」である・・・・。(ジャケット解説より)過去記事から。

スクリャービンが考えた音楽と色彩、「音と色」との融合について。
当時開発された、音と、その音に対応したイメージの光がでるという「色光鍵盤」を用いて作曲したのが「プロメテウス」。
アバドは、ピアノにそんな小細工はせずに、フィルハーモニーホールの照明をさまざまに駆使することで、スクリャービンの精妙なる世界に近づけようとした。
神秘感というよりは、後期ロマン派の延長線上にあるスクリャービンの音を、アルゲリッチとともに引き出した演奏。
若き日々の、ショパンが嘘みたいに感じるけれど、でもスクリャービンも若い作品はショパンみたいだった。

Strauss-abbado

  R・シュトラウス  ブルレスケ

    マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

      (1992.12.31  @フィルハーモニー、ベルリン) 

大晦日のジルヴェスターコンサートでも、毎年、ひとりの作曲家やテーマに絞り込んだプログラムを組みました。
93年の幕開けに相応しい、R・シュトラウスのきらびやかな世界を展開してくれたコンサート。
NHKの生放送を食い入るようにして観ました。
なんたって、アバドが「ばらの騎士」を振ったのですからね。
ドン・ファン、ブルレスケ、ティル、ばらの騎士のラストシーン。
アルゲリッチ、フレミング、シュターデ、バトルといった華やか極まりない出演者。

表面的に走りそうなブルレスケを、さすがはアルゲリッチで、鮮やかなテクニックとともに、明晰で見通しのいい明朗シュトラウスサウンドを造り上げていて見事。
アバドもこうした即興的な曲では、当意即妙に、軽やかな指揮ぶり。
ティンパニのゼーガースの鮮やかな叩きっぷりも目に浮かぶよう!
この時代のベルリンフィルのメンバーはすごかったなぁ

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  チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調

     マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

      (1994.12.8~10 @フィルハーモニー、ベルリン)

ライブで燃えるふたり。
ともに、DGへ、デュトワとポゴレリチと録音をしていますが、そちらの方が幻想味とスケール感ではまさっていて、よりチャイコフスキーらしさがあります。
しかし、ここでの二人は火の玉のように熱い!
聴衆を前にして、気心知れたふたりの演奏家が、お互いに高まりあい、オケも夢中に一緒くたになってしまい一糸乱れぬすさまじさを披歴。
まさにライブ感あふれる演奏で、そうそうに何度も聴ける演奏ではありません。
今回、久しぶりに聴いてびっくりしました(笑)

このときの演奏会のプログラムを「クラウディオ・アバド資料館」にて調べてみました。
前半がモンテヴェルディのコンソート、シュトックハウゼンのグルッペン、そしてチャイコフスキーの一夜。
指揮もオケも、そして聴衆も待ち望んでいた「音楽」あふれる音楽だったのが後半戦でした。
アルゲリッチはその雰囲気をまんま受けて燃え尽きるようにして弾きまくってしまったのか!
2楽章の抒情の世界では、ベルリンフィル奏者たちとの珠玉の共演が聴かれるし、抑制の聴いたアバドの指揮もここではステキ。
しかし、終楽章は火の玉化してしまった!

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  ベートーヴェン ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調

          ピアノ協奏曲第3番 ハ短調

      マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 マーラー・チェンバー・オーケストラ

      (2000.2 、2004.2  @テアトロ・コムナーレ、フェラーラ)

アバドが体調を崩したこともあり、あのチャイコフスキーのような共演はなくなってしまい、古典派の音楽を取り上げることが多くなりました。
アルゲリッチは、ベートーヴェンでは1~3番までしか弾かないのか?
シノーポリと1,2番を録音し、アバドとは2,3番をライブ録音。
ふたりは、1番を2005年にルツェルンとの欧州ツアーで演奏してますが、そちらは録音されなかったのが残念。

過去記事に書いた内容を再掲
アバドの目指す、若いオーケストラとのベートーヴェンの新風に、むしろアルゲリッチが感化されたかのように、はじけ飛ばんばかりの活力と、生まれたばかりのような高い鮮度のピアノを聴かせてます。
過度のノンヴィブラートの息苦しさに陥らず、ベートーヴェンの若い息吹を、伸びやかに、そしてしなやかに聴かせるアバド。
2番は病に倒れる術前、3番は術後安定した時期。
 そんな、時系列を少しも感じさせることのない活きのいいオーケストラ。
アルゲリッチの3番は、これが唯一だが、このふたりの気質からしたら、2番の方が弾みがよろしく、ベートーヴェンの青春の音楽の本質を突いているように感じますがいかがでしょうか。
ことに、2楽章の抒情と透明感は素晴らしいのですよ。」

2番の協奏曲は、アバドがヨーロッパ室内管とシューベルト交響曲チクルスをやったときに、ペライアのソロで聴きました。
ここでの2楽章も、ふたりとも神がかり的な美しさでした。
アバドの誕生日に、アルゲリッチで何度もこの楽章を聴いてます。

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  モーツァルト ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K466

         ピアノ協奏曲第25番 ハ長調 K503

       マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 モーツァルト管弦楽団

      (2013.3.18,16 @コングレスザール、ルツェルン)

オーケストラ・モーツァルトを指揮した2013年のルツェルン・イースター音楽祭でのライブ録音が、いまのところ、アバドと朋友アルゲリッチとの最後の録音。

過去記事を編集~初のモーツァルトに、アルゲリッチ自身は、このライブの音源化に消極的だったといいます。
これまでのふたりの共演は、ベートーヴェンを除けば、ロマン派、ロシア、フランス、という具合で、どちらかといえば、華やかで、ソロもオーケストラも情熱と煌めきが似合うような曲目ばかりでした。

アバドの指揮には、よりピリオド的な奏法が強まり、ルツェルンのホールの響きは豊かながら、オーケストラの音は切り詰められて感じる。
しかし、どうだろう、この若々しさは。
ピリス盤よりも、溌剌として、表情も豊かで、自在なアルゲリッチのピアノに、すぐさま反応してしまう、鮮やかなまでのオーケストラ。
アルゲリッチの多彩なピアノに負けておらず、そして、羽毛のように軽やかでしなやかなオーケストラは、ほんとに素晴らしいもので、弱音の繊細さも堪能できる。
グルダ、ゼルキン、ピリスとモーツァルトで共演を重ねてきたアバド。
ことに20番、若き日を思い起こすような、遠い目で見たような枯淡の緩徐楽章をふたりして語りあうようにして聴かせてくれました。
歳を経ると、緩徐楽章がことさらに耳に、身に染み入るように感じます。

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モーツァルトのCDの裏ジャケットには、若いふたりが。

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こちらもいまは、カラーでリマスタリングされてますが、手持ちのショパンのレコードの見開きジャケットのなかの1枚で懐かしさもひとしお。

1967年から2013年まで、朋友ふたりの46年におよぶ共演を聴きました。

いつの時代も、若々しく、軽やかで、機敏な演奏のふたり。

梅雨がどこかへ行ってしまい、暑いばかりの2022年6月26日、よきアバドの生誕祭を過ごせました。

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