2024年2月24日 (土)

神奈川フィルハーモニー第392回定期演奏会 沼尻竜典指揮

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横浜みなとみらいの夜景。

この写真を撮るのも久しぶり。

目を凝らしてみると、かつてはなかったロープウェイも見えます。

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桜木町から、ランドマークタワーを抜けてのホールへのアプローチも久しぶりで、途中、神奈川フィルのポスターもあり、ますます期待が高まります。

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  グリーグ ピアノ協奏曲 イ短調

    ピアノ・ニュウニュウ

  マーラー 交響曲第7番 ホ短調 「夜の歌」

 沼尻 竜典 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

          コンサートマスター:大江 馨

        (2024.2.17 @みなとみらいホール)

マーラー7番だけで80分、これ一曲でも一夜のコンサートとなる。
1曲目にグリーグの協奏曲が演奏されるという極めて贅沢な美味しいプログラムでした。
プレトークでは、沼尻さんは、亡き小澤さんの思い出をお話しされ、またマーラーでの小澤さんのエピソードなども。

グリーグの協奏曲、はっきり言って、シューマンと並んで大好きです。
でも苦言を言わせていただければ、メインのマーラーとの兼合いでいけば、シューマンか、またはピアニストの徳性からいってリストでもよかったかな。
または、ラフマニノフでやってなかった1番とか・・・

自然を賛美、祖国の自然を歌いこんだグリーグの愛らしい協奏曲と、個人の感情の世界とドイツの自然と人間愛にどっぷり浸かったマーラー、この相いれないふたつの世界を一度にして味わえるという、これまた類まれなるプログラムなのでありました。

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幼い頃のニュウニュウ君の画像でしか認識のなかったが、ホールに颯爽と登場したニュー・ニュウニュウ君は、見事に背が高く、見栄えも抜群の今風の青年になってました。
自信にあふれた物腰は、かの国の芸術家に共通する物腰で、ひとたび鍵盤に向かうと没頭感あふれる演奏を披歴してくれます。
両端楽章でのダイナミックなか所では、文字通りバリバリと弾きまくり見ても聞いても快感呼ぶ演奏。
また、没頭の雰囲気は、音楽にすっかり入り込んで、フレーズのあと弾いた手と腕がそのまま宙を舞うような仕草をするし、へたすりゃ指揮までし兼ねないくらいに入り込んでる。
慎ましい日本人演奏家では絶対に見られないニュウニュウ君のお姿に、やはりかの国のピアニストを思ってしまった。
でも若いながらに、2楽章の抒情の輝きは見事でした。
ことにこの楽章での神奈川フィルの音色の美しさは、コンマスに組長なくとも、オケの特性として、みなとみらいホールの響きと同質化して、ずっと変わらぬものとして味わうことができましたね。

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超大編成の80分が後半戦という、演奏のみなさんも、聴くこちらも、体力と集中力を試されるかのようなプログラム。

この日の満席の聴衆は、その集中力を緊張感とともに途切らすことなく聴きとおしたのだ。
オーケストラと聴き手の幸せな一体感は、かつてずっと聴いてきた神奈川フィルの演奏会、そしてみなとみらいホールの雰囲気ならではとも、久方ぶりに参加した自分にとって懐かしいものでもありました。
音楽に没頭させる、夢中にさせてしまう、マーラーの音楽がこれほどまでに、現代を生きる私たちにとって身近で大切なものになったとも感じました。

かつて、2011年、震災間もない4月に、マーラーチクルスをやっていた神奈川フィル、聖響さんの指揮で聴きました。
そのときは、若々しく素直な演奏で、横へ横へと流れるような流動的な棒さばきでありながら、時期が時期だけに、没頭的でなく、どこか遠くで醒めた目でマーラーを眺めたような感じだった。

そのときの流動的なマーラーとまったく違う、輪郭のはっきりとした明確かつ着実な足取りを感じさせた演奏が、今回の沼尻さんのマーラーだった。
数年前に聴いた、ノットと東響の演奏が、まさになにが起こるかわからない緊張感とライブ感にあふれた万華鏡のようなマーラーともまったく違う。
オペラ指揮に長けた沼尻さんならでは、全体の見通しのなかに、5つの楽章の特徴を鮮やかに描きわけ、最後の明るいエンディングですべてを解き放ってしまうような解放感を与えてくれた。
きっちりと振り分ける指揮姿も、後ろからみていて安心感もあり、オケへの指示も、さすがのオペラ指揮者を思わせる的確・明快な雰囲気でした。

テナーホルンの朗々たる響きで見事に決まった1楽章は、そのあとのゾクゾクするような7番の交響曲の一番カッコいいスタートシーンで、もうワタクシはこの演奏に夢中になりましたよ。
抒情的な第2主題では神奈フィルストリングスの美しさも堪能。
この主題と元気な第1主題とがからみあう、めくるめくような展開に、楽員さんみなさんをきょろきょろみながらチョー楽しい気分の私。

坂東さんの見事なホルンで始まる2楽章、コル・レーニョあり、カウベルあり、ティンパニの合いの手あり、哀愁と悲哀、そしてドイツの森の怪しさもあり、いろんなものが顔を出してはひっこむこの夜曲、楽しく拝聴し、オケがいろんなことやるのを見るのも楽しかったし。

7番で一番苦手な、影の存在3楽章。
音源だけだと、いつも捉えどころなく出ては消えで、いつの間にか終わってしまう楽章だけれど、視覚を伴いコンサートだと、楽しさも倍増。
弦の皆さんは、いろんな奏法を要求されるし、ほんと大変だな、マーラーさんも罪なお人だな、とか思いながら鑑賞。
ボヘミヤやドイツの森は、こんな風に深く怪しいのかなと思わせる演奏。

大好きな4楽章の夜曲。
以前から書いてますが、若い頃、明日からのブルーマンデーに備えて、日曜のアンニュイな気分を紛らわせるために、寝る前のナイトキャップとマーラー7番4楽章が定番だった。
望郷の思いと懐かしさ感じるこの楽章、ちょっとゾッとするような怪しい顔もかいまみせるが、そのあたりをムーディに聴かせるのでなく、リアルに、克明に聴かせてくれたこの日の演奏だった、
大江コンマスも素敵だったし、親子でマンドリンとギターで参加の青山さん、お二人の息のあった演奏もこの楽章の緩やかさを引き立ててました。
2011年も、お父さんの登場だったかな・・・?

急転直下の楽天的な5楽章。
ガンガン行くし、もう楽しい~って気分がいやでも盛り上がるし、よく言うワーグナーのマイスタージンガーの晴れやかさすら感じましたよ。
ハ調はやっぱり気分がいいねぇ~
なんども変転し繰り返される主題に、いろんな楽器がまとわりつく様は、下手な指揮とオケだときっとぐちゃぐちゃになってしまうだろう。
ここでも沼尻さんの打点の明快な指揮が、聴き手にも、それ以上に安心感を抱けるものです。
しかし、この楽章だけでも、泣いたり笑ったり、怒ったりしたような様々な表情をするマーラーの音楽は、ほんとうに面白い。
エンディングに向かうにつれ、わくわくドキドキが止まらなくなり、オケの皆さんを眩しい思いで拝見。
そして来ましたよ、すべてを吹き飛ばすような晴れやかなエンディングが、ジャーンと見事に決まりましたよ!
ブラボー攻撃に、わたしくも一声参加させていただきましたよ。

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終演後は、早めに帰らなくてはならなかったので、勝手に応援団の懐かしい仲間との大反省会には参加せず、遠来の音楽仲間の友人と桜木町駅近でサクっと1杯。
マーラー7番が大好きな方と、マニアックな話しをしつつ楽しい時間を過ごしました。
そのとき、お話しが出たのは、神奈川フィル聴衆も指揮者へのカーテンコールをしたらどうか、ということ。
たしかに、東響ではノット監督ばかりでなく、来演の指揮者に対してもとてもよかったときは、指揮者を呼び出すような熱心な拍手が継続しますね。
この日も、もっと頑張って粘りの拍手をすればよかったww

「何でもアリ」のマーラーの音楽が、いまこうして完全に受入れられる世の中になった。
やがて私の時代が来ると予見したマーラーさん。
人同士がリアルに交わらなくなくても生きていけるようになってしまった現代社会。
それでいいのだろうかと自問せざるを得ないが、その現代人にマーラーの音楽は、自己耽溺的に響くとともに、人間の姿と自然のあり様を見るのだろうか。

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2024年2月11日 (日)

小澤征爾さんを偲んで ①

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ここ10年ぐらいの体調不良と毎夏に松本で見られるそのお姿から、やはり来るものが来てしまったという覚悟の末に届いたその訃報。

2月6日に安らかにお休みになられたとのこと。

小澤征爾さん、享年88歳。

ずばり、悲しいです、とんでもなく寂しいです。

わたしも、もうそこそこの年齢になっている。

小学生の頃から、クラシック音楽に親しみ、いろんな音楽家とともに歳を経ながら彼らの音楽を聴いてきた。

ずっと先輩ですが、小澤さんは、われらが日本人にとっても誇れる存在だったし、自分も小学生の頃からテレビで視聴して、小澤さんを聴きたくて、人生で初のオーケストラの定期会員になったという自分の歴史もあります。

最初の画像は、30年余りの長い歴史を築いたボストン交響楽団のホームページの冒頭です。
世界各国のオーケストラがお悔やみを述べ、世界各国の芸術家、音楽関係団体、ホール、音楽メディア、あらゆる方々が小澤さんの訃報を伝え、自分たちの小澤さんとの関係や思いを表明してます。

亡くなってしまい、ほんとうに、つくづくと思うこと、小澤さんは「世界のオザワ」だった。

小澤さんの追悼記事を起こしたいと思います。

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小澤さんを知ったのは1969年、音楽雑誌でいろんな第9の特集をやっていて、その年の日本の第9はどうなる?という記事もありました。
日本のオケの第9は、3人の指揮者に注目!、ということで、N響は岩城宏之、読響は若杉弘、日フィルは小澤征爾、という3人。
N響への信頼度はテレビの影響が大きかったのはあたりまえですが、小澤さんがあのころから長髪になり、クラシック音楽の固いイメージとは違う姿をしていたこともあり、わたしはやっぱり、岩城さんだなと子供ながらに勝手に思っていた時代でした。

N響事件の真相を知ったのはもっとあとのことだった。
おなじテレビでも、フジテレビがスポンサーだった日本フィルは、日曜の朝、日フィルの演奏会を放送していて、渡邉暁男や手塚幸紀などとならんで小澤さんの指揮姿も観ていたのでした。
その日フィルが危急存亡の危機に陥り、小澤さんの必死の活動も、いろんな書き物で拝読し、一生懸命に応援したのが中学生の自分。
「白鳥の歌なんて聴こえない」、当時好きだった庄司薫の小説にならい、最後の日フィルの演奏会を指揮した小澤さんの指揮姿の雑誌の切り抜きは、いまでも大切に保管してます。
マーラーの2番「復活」でした。

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サンフランシスコ響の指揮者になり、少し間をおいてボストン交響楽団の指揮者にもなった小澤さん。
1975年にサンフランシスコ響を率いて来日、文字通り凱旋公演となりました。

テレビで見た長髪で、定番の燕尾服でない小澤さんの、動物的ともいえる鋭敏かつしなやかな指揮ぶり。
オケは外国人、それを巧みに指揮する日本人。
ほんとに誇らしかった。
当時すでに、完璧なアバドファンだった中学生の自分ですが、小澤さんは、アバドとは違った意味でのファンになりました。
それはいわば、アイドル的な憧れの存在とでもいうべきものでした。

ダフニス全曲が好きになったのもこのとき、おまけにアンコールに、指揮台を降りてピチカート・ポルカをやってしまうお洒落な小澤さん、大好きになりました。

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 さらに同じころ、レコード発売された、「小澤の第9」を購入し夢中になった。

すぐさま、新日の第9公演を聴きに行った。

細かなキューを巧みに出しつつ、ダイナミックな指揮ながらも、繊細で細かいところも気配りされた第9に感服。


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その流れで、新日本フィルの定期会員になりました。

数多くの小澤さんの演奏や、朝比奈隆、井上道義などもたくさん聴きました。

それらの思い出は、次回以降としますが、新日以外に、ボストン交響楽団の来演でのマーラーしか、実演では聴かなかったのもまた残念なことです。
いつでも聴けるという思いと、ベルリンやウィーンとも普通にやってくる小澤さんに、やや飽きが来てしまったのが正直なところで、かつての凱旋に興奮した自分が、そのころはあまりに懐かしくも新鮮に思われた。

オペラ指揮者となり必死に劇場での体験を積んだ小澤さん、師匠の思いをともにする日本の仲間たちとボストン響に匹敵するくらいの年月を過ごし、日本人としての音楽演奏をみなで極めた小澤さん。
このあたりを、ワタクシはほとんど聴くことがなかった。
いま想えば悔やまれること極まりないですが、小澤さんの活動の前半のピーク時を身近に体験できたことで満足すべきことだと思うようにしてます。

ボストン交響楽団では、カネラキスの指揮の折り、訃報を受けて追悼セレモニーが行われました。



小澤さんの、ご冥福をお祈りいたします。

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2024年2月 4日 (日)

プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番

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竹芝桟橋から見た浜松町の西側。

2年ほど前まで、このあたりをよく散歩していたものです。

久しぶりにやってきたら、まだ地盤整備をしていた場所に、すっかりビルが建築中。

東芝ビルの横にあった、ちょっとした広場が開発され、ホテルとオフィスの高層ビルが計画され、あっというまに出来つつあります。

仕事でもお世話になったこのビルのあたり、そして自分も侘しいながらも拠点としたエリア。
ちょっと見ぬ間に変貌するのが都会。
まったく変わらないのが、地方。
いまいる場所も住むには最適な地方です。

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対岸に目を転ずれば、「安全だが安心ではない」とバカな知事がほざいた、あれだけ世間を騒がせた豊洲の市場と、オリンピックの選手村でマンションとして入居を待ち受ける新しい街。
あの欺瞞にみちた言葉は完全なウソだった。

しかし都会だけが、お金が集まり循環していくから、さらなる開発を生み、関連の業者も利益が生まれるからここに集まる。
これは好循環ではなく、片寄った悪循環で、民間業者は利益を生まない地方には目が向かないし、資本も投下しない。
若い人々はテレビやSNSで垂れ流される都会にしか興味を示さず、地方を捨て、地方をあとにする。

二分化以上に複雑に多極化してしまった日本には明日はあるのか・・・
回復は困難だと思う。

同時に、地方の豊かな文化も年代の入れ替わりで、忘れられ衰退してしまうのではないか。

極論からむりくりに、越後獅子のプロコフィエフにもっていく(笑)

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プロコフィエフ(1891~1953)の作品シリーズ。

略年代作品記(再褐)

①ロシア時代(1891~1918) 27歳まで
  ピアノ協奏曲第1番、第2番 ヴァイオリン協奏曲第1番 古典交響曲
  歌劇「マッダレーナ」「賭博者」など

②亡命 日本(1918)数か月の滞在でピアニストとしての活躍 
  しかし日本の音楽が脳裏に刻まれた

③亡命 アメリカ(1918~1922) 31歳まで
  ピアノ協奏曲第3番 バレエ「道化師」 歌劇「3つのオレンジへの恋」

④ドイツ・パリ(1923~1933) 42歳まで
  ピアノ協奏曲第4番、第5番、交響曲第2~4番、歌劇「炎の天使」
  バレエ数作

⑤祖国復帰 ソ連(1923~1953) 62歳没
  ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第5~7番、ピアノソナタ多数
  歌劇「セミョン・カトコ」「修道院での婚約」「戦争と平和」
 「真実の男の物語」 バレエ「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」
 「石の花」「アレクサンドルネフスキー」「イワン雷帝」などなど

年代順にプロコフィエフの音楽を聴いていこうという遠大なシリーズ。

②と③の年代に移行します。

   プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 op26

1916年の「賭博者」についで、「古典交響曲」を経てピアニストとしても絶頂にあったプロコフィエフは翌年17年、3番目の協奏曲を手掛けた。
その後のロシア革命で27歳のプロコフィエフはロシアを離れ、アメリカを目指すのが1918年。
5月に出発、夏までのアメリカ航路がないため、3か月間、日本に滞在。
こんな長旅と、いろんな新鮮な体験や、アメリカでのモテモテの演奏三昧で、第3協奏曲の作曲は時間がかかり、1921年にようやく完成し初演。

苦節を経たというよりは、いろんな刺激を受けすぎて、いろんな作品を書き連ねた結果にようやく出来上がった第3ピアノ協奏曲なのでありましょう。

モスクワからシベリアを経る長旅。
ウラジオストクから海を渡り、福井の敦賀港に着きます。
敦賀から東京までは1日で鉄路となりましたが、きっと北国線で長浜-彦根・米原で東海道線をたどったのでしょうね。
こういうことを想像するのがほんとに楽しい。
モスクワ経由で、ヨーロッパ諸国からシベリアを経て極東のウラジオストクまで、1枚の切符で行き来ができたのです。
ウラジオストクからは海路で、敦賀までつながり、その先1日で東京まで来れたそんな時代が戦前から確保されてた。
日本人選手がオリンピックに出場するときも、一時このルートだったかもしれない。
さらには、なにかで読んだこともあるが、戦中のユダヤ人を救った、杉原千畝のリトアニアからのユダヤ人救出ルートもこれだったはずだ。

めぐる歴史、そこに絡む音楽の歴史、そんな風に思いをはせるのも、クラシック音楽を愛好する楽しみのひとつだと思う。

苦節の末のプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番。
短期滞在ながら、芸者遊びなども堪能し、日本舞踊と音楽に影響を受けたことで、「越後獅子」との関連性も明確なのがこの協奏曲です。


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       マルタ・アルゲリッチ

     エウゲニ・キーシン

     ユジャ・ワン

 クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
              ルツェルン祝祭管弦楽団

   (1967.5 @イエス・キリスト教会、1993.9 @フィルハーモニー、
                     2009.8.12 @ルツェルン)


レコードデビュー間もない新人の頃から、最後期の時代まで、アバドが協奏曲指揮者として記録してくれたプロコフィエフの3番。
スタイリッシュさを信条としつつ、切れ味と抜群の歌心をそなえたアバドのプロコフィエフは、アルゲリッチとの録音からユジャ・ワンの映像まで、一貫して変わりない。
しいてどれが好きかと言ってしまえば、やはりアルゲリッチとの演奏。
カラヤンが独占していたベルリンフィルを大胆不敵に歌と熱気でドライブしてしまった感じなのだ。
指揮棒なしのルツェルンでは、ピアノを聴きながら自在にオケもピアノを導く大人のアバド。
キーシン盤では熱っぽさよりは、どこか醒めたクールを感じ、これもまたプロコフィエフの本質をオケのすごさとともに感じる。

アルゲリッチの大胆不敵さとお洒落さ感じる洒脱さは、のちのユジャ・ワンの敵ですらなく、片方はトリックスターにしか思えない。
映像があることのマイナスは、いつもユジャ・ワンに感じることでありますが、ここではまだ大人しめの衣装が理性を保っている。
キーシンは案外に優等生的で、もっと踏み外すくらいにしてもよかったかも・・・

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   アレクシス・ワイセンベルク

 小澤 征爾 指揮 パリ管弦楽団

     (1970.5 @パリ)

これも私には懐かしい1枚。
ジャケットもまた懐かしいし、ともに若い、クールでニヒルなふたりの写真。
こんなかっこいい写真そのものと思うような演奏。
カラヤン以外の指揮者とやったワイセンベルクのすごさ、すさまじさを感じます。
容赦ない打鍵の切れ味とすさまじさは、カラヤンなら許さないだろう。
70年代のパリ管の味わいのよさもあり、しなやかな小澤さんの指揮がミュンシュのパリ管を再現しているかのようで、華麗さもあり。
カップリングのラヴェルもすてきなもんだ。

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   マウリツィオ・ポリーニ

 マキシム・ショスタコーヴィチ指揮 NHK交響楽団

      (1974.4.17 @NHKホール)

わたしのエアチェック音源から、NHKホール開館1年後のポリーニ。
テレビでも見たけれど、ポリーニの技巧のすさまじさに刮目したものですが、音源でもそれは感じる。
音の強靭さはひとつもブレがなく、70年代の行くとこ敵なし的なポリーニだったのを痛感。
70年代のピアノは、わたしら若輩ものにとってはポリーニかアシュケナージかどちらかだったし、ふたりのショパンはどっちがいいと、いつも論争だったなぁ。

しかし、ポリーニは正規にこの曲の録音を残さなかった。
バルトークと同じように、アバドとシカゴで録音してくれていたら、どんなにすごかっただろうな・・・・・

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   ウラディミール・アシュケナージ

 アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団

      (1974.1 @キングスウエイホール ロンドン)
 
演奏全体に厚みや音の圧を感じるのは、デッカの優秀録音とキングスウエイホールの響きのせいだろうか。
アシュケナージの技量の高さもさることながら、プロコフィエフの音楽の持つほの暗いロマン性と抒情を巧みに弾きあげているのがさすが。
プレヴィンも重心低めながら、リズム感よく、颯爽としていて爽快だ。

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ここはおおむかし、海水浴場だった芝浦の場所。

ここにもかすかに見えるビルにいたので、考えが行き詰ったときなど、よく気晴らしに水辺を見に来てました。

しかしね、近くにある、大昔からある居酒屋で酔って話をした長老から、あのあたりはな、よくどざえもんが浮かんだもんだよ、と聞き恐ろしくなりましたね。
江戸の歴史は案外に浅いから、そんなに大昔のことでない時代と、この大都会は共存しているわけなんです。

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2024年1月27日 (土)

アバドが指揮しなかった作品たち

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出雲大社相模分祠の手水舎

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アバド没後10年。

あの日の驚愕と悲しみといったら・・・・




La chiesa riformata di Fex-Crasta

スイス南部、イタリア国境よりのグラウビュンデン州、オーバーエンガディンのシルスという街。
ここにある15世紀にひも解かれる歴史ある教会、フェクス・クラスタ。

アバドはここに眠ってます。
その教会の鐘がyoutubeにありました。

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どうでしょうか、シルス湖が近くにあり、冬は雪に覆われますが、夏は牧歌的なスイスアルプスの景観。

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まさに、マーラーの音楽の世界。
真ん中の雲の下あたりが教会。

アバドの永遠の住処にまさにふさわしい。
ミラノやフェラーラのイタリアにも近く、オーストリアにも近いドイツ語圏です。

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ベルリン・フィルハーモニーにあるアバドのブロンズ像。

髪の毛の具合、端正な横顔がまさにアバドです。

そのアバド、モンテヴェルディからノーノやクルタークまで、バロック初期から現代まで、広範にわたる時代の音楽を指揮して、わたしたちに届けてくれました。

バッハはマタイやロ短調も演奏していたし、モーツァルトは4大オペラもふくめ、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ムソルグスキー、チャイコフスキー、マーラー、ウェーベルンなどは、ほぼほとんどのレパートリーを指揮して録音も残しました。

しかし、まったく指揮することのなかった作曲家や作品もたくさんあり、アバド好きとしては気になるところなのです。

①プッチーニ

いちばん、アバドがやらないといわれた作曲家。
以前に読んだアバドのインタビューで、マノンレスコーをやる寸前までなったけれど、そのとき、ペレアスとメリザンドの話しがきて、そちらに躊躇なくしたんだ、と話していましたね。
革新性を好むアバド、並べられたらそちらを選択すますと発言。
トゥーランドットも高く評価はするが、同時期に作曲されたのはシェーンベルクの「期待」ですよと言い、どちらかといえば、シェーンベルクを選びますと言ってました。
まさにアバドらしい。
和声や響きとリズムの革新性があるプッチーニは、マーラーの音楽との類似性もあると思うが、アバドはそうではなく、シェーンベルクとの対比を自分のなかで思ったということ。
プッチーニ好きとしては、アバドもカラヤンのようにプッチーニを巧みに指揮して欲しかったと思いますが、アバドがトスカや蝶々さんを指揮する姿など想像もできないし、絶対にありえないと思うのがまたアバド好きとしての見方です。
極度のセンチメンタルを好まず、冷静な客観性を好み、マーラーの描き方も自然児的であるアバドですから。

音源的には、ネトレプコとの「私のお父さん」、ライブではパヴァロッティとトスカのアリアがありました。

②レスピー

プッチーニをやらないから当然に。
ほとんどのイタリア人指揮者が取り上げるローマ三部作。
アバドはまったくやらず。
同様にジュリーニもやらなかったし、ジュリーニはプッチーニを指揮しなかった
 ほんというと世紀末臭まんさいの、レスピーギのオペラには興味を示して欲しかったところ、でも革新的ではなかった。

③スラヴ系

おおきなくくりすぎるが、ロシアのR・コルサコフなど、ようはチャイコフスキーを除くムソルグスキー以外。
あっけらかんとした、屈託のない民族系は好きじゃなかったのかも。
東欧系では、ヤナーチェクを好んだのは和声とリズムの大胆さゆえかも。
ヤナーチェクのオペラは多く手掛けてほしかった。
同じ嗜好をラトルが引き継いでるとおもいますね。
スクリャービンは好きだった。
ラフマニノフの交響曲なんて、全く想像もつかない。
ドヴォルザークは7番とか、チェロ協奏曲も聴きたかった。

④北欧系

こちらは、シベリウス、グリーグ、ニールセンなどは全滅、まったく見もしなかったジャンル
曇り空と白夜は好きじゃなかったのかも。

⑤英国系

こちらもほぼ絶無。
演奏記録として、ロンドン時代にヨー・ヨー・マとエルガーのチェロ協奏曲の塩素歴あり。
それのみが英国系の音楽・・かも

⑥ショスタコーヴィチ

晩年に映画にまつわる音楽を、ヴァイオリン協奏曲も、いずれもベルリンで取り上げたけれど、交響曲には極めて慎重で、おそらく指揮することもないと思われた。
でもマーラーを極め、さらには政治的な背景のある音楽に同調しがちだったアバドだから、8番、10番、14番、15番あたりは興味を示したかも。

⑦ワーグナー

ローエングリン、トリスタン、パルジファルの3作を残したアバド。
3作にあるのは、やはり音楽の革新性。
ハ長に徹したマイスタージンガーも生真面目なアバド向きだし、あの明晰なワーグナー解釈をこそ、「ワーグナーのマイスタージンガー」は待っている演奏だったと思う。

⑧ヴェルディ

中期から後期の作品を好んで取り上げたアバド。
歌謡性豊かな作品や煽情的な初期作はあえてスルーして、劇的な筋立てや内包するドラマ性あるオペラをこのんだアバド。
トロヴァトーレ、リゴレット、トラヴィアータ、ナブッコなどはやらず、劇場泣かせ

⑨ブルックナー

1番を、指揮者デビュー時からずっと指揮し続けたアバド。
ウィーンフィルで6曲まで録音し、ルツェルン時代も再録音あり。
結局、2.3.6,8番の4曲は残さず。
8番はアバド向きじゃなけれど、2番と6番の抒情性はアバド向きだし、リズムもきっと牧歌的だろう。
3番はアダージョのみ記録があり、エアチェック音源あり。
8番は、ぜったいにアバド向きな交響曲じゃないから、やらなくてよかった。

⑩アメリカ音楽

これはもうムリな世界(笑)

⑪後期ロマン派以降

新ウィーン楽派の3人は、アバドのレパートリーの中枢ですが、3人の主要作品のうち取り上げてなかったのが「ルル」です。
組曲としては2度の録音もあり、アバドはベルクの音楽を「ヴォツェック」を中心に愛し続けました。
「ルル」を舞台で上演することがなかったのですが、タイミングの問題と主役を歌う歌手にアバドの思う人がいなかったのかもしれません。

新ウィーン楽派以降の作曲家たち、できればアバドに余力があれば、若い頃にやってほしかった。
ツェムリンスキーとシュレーカーあたりは聴いてみたかった。
コルンゴルトはちょっと違う。

以上、好き勝手書きましたが、もっとあるという方、コメントをお寄せくださいませ。

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2024年1月20日 (土)

ヴェルディ シモン・ボッカネグラ アバド没後10年

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わたしの育った街の海の夕暮れ。

そして40年数年を経ていま、帰ってきました。

妻子は自分の家のある隣県におりますが、年老いた親と暮らすことにしたわけです。

もうじき2年が経ちますが、この海を見て、そして小さな山に登るにつけ、帰ってきてよかったと思います。

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はるかに見渡す箱根と伊豆の山々。

子供のときからずっと見てきた景色を、歳を重ねてみるという喜び。

海を愛し、日没を愛す自分。

そんな自分が高校時代、イタリアオペラ団の公演に接し、ほかのヴェルディのオペラに勝ると劣らないくらいに好きになったのが「シモン・ボッカネグラ」

海に生き、運命に翻弄されつつも、最後は愛する人々に囲まれた、そんな男のオペラ。

このオペラをこよなく愛し好んだアバド。

ヴェルディの「シモン・ボッカネグラ」ほど、アバドが愛したオペラはなかったといえるでしょう。

アバドが旅立って10年です。

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ジョルジョ・ストレーレルの演出、エツィオ・フリジェリオの舞台美術、衣装。
シモン・ボッカネグラの名演出をともなったアバドのスカラ座時代の金字塔。
ジャケットもオペラ部門、ジャケット大賞を自分では差し上げたいくらいの名品。

スカラ座:1971年以来、1982年まで、歌手はカプッチッルリ、ギャウロウ、フレーニの3人とともにずっと上演されたプロダクション。

パリ・オペラ座1978年 お馴染みの演出と3人とでパリに客演、DVDありますね(ブルーレイ化希望!)

ウィーン国立歌劇場:1984年~1990年まで、ストレーレル演出をウィーンに持ってきて何回も上演
ブルソン、ライモンディ、リッチャレッリに歌手はかわり、のちにヌッチ、トコディ、デッシー、フルラネットなども参加

ベルリンフィル:1999年に演奏会形式、2000年にザルツブルク祝祭音楽祭でフィレンツェとの共同制作で上演
チェルノフ、コンスタンティノフ、プロキナ、グエルフィ、マッティラと歌手は顔ぶれ刷新、演出はペーター・シュタイン。

フェラーラほか、マーラー・チェンバー:2001年5月、驚きのマーラー・チェンバー起用、パルマ、ボルツァーノでも上演。
チェルノフ、コンスタンティノフ、ミシェリアコワ、スコーラ、ガロ
演出はシュタインのアシスタントだったマルデゲム。

フィレンツェ:2002年、ザルツブルクのプロダクションで、唯一のフィレンツェのピット。

このように、ベルリンフィルを勇退してルツェルンと若者との共演にシフトするまで、30年間、オペラを手掛けた間はずっとシモンを指揮し続けたことになります。
幸いなことに、いずれの「アバドのシモン」は何らかの形で聴くことができます。
つごう5種の音源・映像を保有してます。
しかしながら、痛恨なことに、日本公演のNHK放送は、放送日に観劇していたのでエアチェックが出来なかったで、わたしのライブラリにはその演奏がないのです。
でもね、いまでも脳裏にあのときの舞台とオーケストラと歌手の音は刻み込まれていて、思い起こすともできるからいいのです。

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暗い画像ですが、こちらは第1幕の後半、誘拐されたアメーリアの犯人に対し、シモンが腹心であったパオロに真犯人に呪いをかけよと命じるシーンで、恐怖に顔を歪ませ、周囲からひとり浮かび上がってしまう。
カプッチッルリのパオロに迫る迫真の歌と演技、そのあとの名パオロといっていいスキアーヴィが全身を硬直させ、その彼にスポットライトが当たり、振りおろしたアバドの指揮棒が停止、そして音楽も舞台も一瞬で止まった!!
舞台を見ていた私は、凍り付くほどのサスペンスとその完璧さに畏怖すら覚えた。

シモン・ボッカネグラは1857年に作曲されるが初演は失敗、時期的にはシチリアの晩鐘と仮面舞踏会の間ぐらい。
すでに朋友となっていたボイートによって台本の改訂を行い、改訂版が出来上がったのが1881年で、アイーダとドン・カルロの間にあたる最高期の時期。
大きな違いは、主人公のシモンに加えて、同じバリトンでも暗めの音色を要求される悪役パオロの重要性を高め、バスのフィエスコとともに、渋い低音男声3人による心理ドラマの様相を濃くしたことだ。
このあたりが、このシモンという作品が当初、大衆受けがしなかった要因で、加えて華やかなアリア的なものが少ないことも大きい。

アバドが当初よりこのオペラにこだわりをみせたのは、やはり人間ドラマを内包するヴェルディならでは渋い音楽造りに着目したからだろう。
スカラ座公演のパンフレットには、アバドが自ら解説を書いており、イヤーゴのような存在のパオロと、政治的な利害関係と個人の関係が生むドラマの対照などに言及している。
 さらに音楽のすごさとして、シモン役の最大の聴かせどころ、貴族派と市民派との衝突の危機に「市民よ、貴族よ・・・」と人々を静め、「わたしは叫びたい、平和を」と繰り返し熱く歌うシーンを細かに分析し、ヴェルディの描いたもっとも素晴らしく厳粛な場面と評価している。
あと先にあげた誘拐犯パオロに迫るシモンのレシタティーヴォ、そのオーケストレーションの巧みさにも言及。

アバドのシモンへのこだわりは、もっともっとある、そんな耳で感心しながら、これまで何度も繰り返し聴いてきました。
だから「シモン・ボッカネグラ」というオペラは、わたしにはアバド以外はダメなのです。
あとついでに、カプッチッルリ、ギャウロウ、フレーニの3人とリッチャレッリ以外は同様なんです。
ほかの演奏は避けてきたし、舞台もきっと観ることはないでしょう。

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カプッチッルリとギャウロウ、このふたりがあってこそ、アバドのシモンがあり、シモンの復興もあった。
1976年のNHKイタリアオペラでもこのふたり。
アメーリアはリッチャレッリった。
高校生だった私は巨大なNHKホールで夢中になって観劇しました。
もうひとつ、カバリエ、コソット、カレーラスのアドリアーナ・ルクヴルールも。
どちらのオペラも録音して何度も聴きまくり、すみからすみまで覚えてしまい、へたすりゃ歌えるくらいになりました。
このふたり、かっこよかった。
プロローグでフィエスコが歌うモノローグで、ギャウロウの最低音が渋くも神々しく見事に決まり、すがりつくシモンを振り切るようにマントをひるがえしました。
そのマントの音がバサリと聴こえて、その音すらまざまざと覚えてます。

そうして暖めつくしたシモンへの思いが、スカラ座来日での「アバドのシモン」の名舞台につながりました。

①1972年 スカラ座

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  シモン・ボッカネグラ:ピエロ・カプッチルリ 
  フィエスコ:ニコライ・ギャウロウ

  アメリア:ミレルラ・フレーニ      
  ガブリエーレ:ジャンニ・ライモンディ
  パオロ:ジャン・フェリーチェ・スキアーヴィ    
  ピエトロ:ジョヴァンニ・フォイアーニ
  隊長:ジャンフランコ・マンガノッティ            
  腰元:ミレナ・パウリ


 クラウディオ・アバド指揮 スカラ座管弦楽団/合唱団

       (1972.1.8 @スカラ座)

前月の12月にプリミエのアバド初のシモンの貴重な記録。
放送音源が元のようで、当然にモノラルですが、音はよろしくはなくダンゴ状態だが、視聴には充分耐えうるもの。
この頃のアバドの劇場での指揮の常として、自ら興奮に飲み込まれるようにテンポも突っ走ってアゲアゲな場面があり、当然に聴衆の興奮ぶいもうかがえる。
プロローグのエンディングの盛り上げもすさまじい、
3人の歌手といつもパオロ役で貢献しているスキアーヴィもよいが、ここではライモンディの明るく、豊かなカンタービレを聴かせるガブリエーレが素敵なものだ。
この音源、放送局にちゃんとしたものがないだろうか。。。

②1977年 スカラ座DG録音

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  シモン・ボッカネグラ:ピエロ・カプッチルリ 
  フィエスコ:ニコライ・ギャウロウ

  アメリア:ミレルラ・フレーニ      
  ガブリエーレ:ホセ・カレーラス
  パオロ:ホセ・ファン・ダム    
  ピエトロ:ジョヴァンニ・フォイアーニ
  隊長:アントニーノ・サヴァスターノ           
  腰元:マリア・ファウスタ・ガラミーニ


 クラウディオ・アバド指揮 スカラ座管弦楽団/合唱団

       (1977.1  @CTCスタジオ  ミラノ )

もういうことなしの名盤。
先にマクベスがアカデミー賞を受賞してしまったので、こちらは無冠となりましたが、総合的な出来栄えでは、こちらのシモンの方が上。
正規録音で慎重なリハーサルを重ねた結果の完璧なできばえで、もちろん、毎年のように同じメンバーで作り上げてきた作品への同じ共感度がすべてにわたって貫かれている。
ここでレコーデイングゆえに登場した新参として、カレーラスとファン・ダムがいて、彼らはスカラ座でのシモンにはまったく登場していないメンバー。
このふたりが、こんかいアバドの一連のシモンを聴いて、ちょっと立派すぎて浮いているように感じたのは贅沢な思いだろうか。
ルケッティとスキアーヴィでよかったんじゃ・・・・
  ライブにあった突っ走り感は、ここではまったくなく、ヴェルディの音楽の核心を突く表現にすみずみまで貫かれている。
合唱の素晴らしさも、ガンドルフィ率いるスカラ座コーラスならでは。
あとさらに誉めれば、DGの録音も素晴らしく、アナログの最盛期のよさが出ていて、このあとの仮面舞踏会、アイーダでの録音よりずっといいと思う。


③1981年 スカラ座 日本公演


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  シモン・ボッカネグラ:ピエロ・カプッチルリ 
  フィエスコ:ニコライ・ギャウロウ

  アメリア:ミレルラ・フレーニ      
  ガブリエーレ:ヴェリアーノ・ルケッティ
  パオロ:フェリーチェ・スキアーヴィ    
  ピエトロ:アルフレード・ジャコモッティ
  隊長:エツィオ・ディ・チェーザレ            
  腰元:ネルラ・ヴェーリ


 クラウディオ・アバド指揮 スカラ座管弦楽団/合唱団

       (1981.9.10 @東京文化会館)


ファンになって10年、やっとアバドに出会えるとワクワク感と緊張感で待ちわびた公演だった。
文化会館のピットに颯爽と登場し、目を見開いて聴衆にサッと一礼し、指揮を始めるアバドの姿。
非常灯もすべて落として、真っ暗ななかに、オケピットの明かりだけ。
装飾を施した文化会館の壁に、浮かび上がるアバドの指揮する影。
いまでも覚えているその残像。
憧れのアバドの姿を見ながら、スカラ座のオケが紡ぎだす前奏を聴いてその桁違いの音色に驚いた。
5年前のイタリアオペラ団のシモンが耳タコだったので、N響とスカラ座オケとの月とすっぽんの違いにです。
深くて、明るくて、すべての音に歌があふれている、それを最初の前奏でまざまざと見せつけられた。
シモンが愛した、アドリア海の青色をオケが表出していたのでした・・・・

この公公演は「シモン」というオペラの素晴らしさとともに、アバドのオペラ指揮者としての凄さに感じ入り、生涯忘れえぬ思い出となりました。
以下は過去記事の再掲~

「舞台も、歌手も、合唱も、そしてオーケストラも、アバドの指揮棒一本に完璧に統率されていて、アバドがその棒を振りおろし、そして止めると、すべてがピタッと決まる。背筋が寒くなるほどの、完璧な一体感。」

当時に書いていた日記~

「これは、ほんとうに素晴らしかった。鳥肌が立つほどに感動し、涙が出るばかりだった。
なんといっても、オーケストラのすばらしさ。ヴェルディそのもの、もう何もいうことはない。
あんな素晴らしいオーケストラを、僕は聴いたことがない。
そして、アバドの絶妙な指揮ぶり。舞台もさることながら、僕はアバドの指揮の方にも目を奪われることが多かった・・・・・。」

バリトンとソプラノの二重唱を愛したヴェルディの素晴らしい音楽は、父と娘とわかったときの感動シーンに凝縮されていて、そのピークをアバドは最高の情熱を降り注いで、このときの公演では、ワーグナーを聴くような陶酔感を味わいました。
そしてシモンとフィエスコの憎しみが友愛に変る邂逅のシーンも涙が出るほどに切なく感動的で、カプッチッルリとギャウロウの名唱・名演技に酔いしれた。

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娘夫妻に抱えられ、最後のときを迎えるシモン。
泣けました・・・・

こんなチラシが配布され、ピアニシモで終わる特異なオペラをしっかり味わってほしいという、アバドと主催者の思いを感じました。

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いまならアナウンスはしても、ここまではやりませんね。

これまでの音楽体験のベストワンが、私にはこのシモン・ボッカネグラです。

ちなみにベスト3は、あとは「ベルリン・ドイツ・オペラのリング」と「アバドとルツェルンのマーラー6番」であります。

④1984年 ウィーン国立歌劇場

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  シモン・ボッカネグラ:レナート・ブルソン 
  フィエスコ:ルッジェーロ・ライモンディ

  アメリア:カティア・リッチャレッリ      
  ガブリエーレ:ヴェリアーノ・ルケッティ
  パオロ:フェリーチェ・スキアーヴィ    
  ピエトロ:コンスタンチン・シフリス
  隊長:エヴァルト・アイヒベルガー            
  腰元:アンナ・ゴンダ


 クラウディオ・アバド指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団/合唱団

       (1984.3.22 @ウィーン国立歌劇場)

スカラ座からウィーンへ。
アバドはオペラの拠点を移し、当然にシモンも同じプロダクションを持っていきました。
演奏スタイルはほぼ同じく、そしてライブゆえに燃えるようなアバドの姿もあり、プロローグのラストのアッチェランドには興奮します。
同じオペラのオーケストラでありながらウィーンのヴェルディでは、ちょっと趣きが違うようにも感じます。
色香がちょっと異なるんです。少しはみ出るような味わいというか、甘味さというか、なんとも表現しにくい雰囲気です。
この音源がちゃんとした音で残されたのも幸いなことです。

歌手はいつもの3人がまったく刷新され、印象はまるで異なります。
唯一のお馴染みは、わたしにはリッチャレッリとルケッティ、スキアーヴィの3人。
ライモンディは美声ではあるが、ギャウロウのような光沢と渋さがなく、ブルソンは滑らかな優しい美声ではあるが、厳しさが不足。
贅沢なこと言っちゃうのも、あの3人がすばらし過ぎたから・・・・

⑤2000年 ザルツブルク復活祭音楽祭

      シモン・ボッカネグラ:カルロ・グエルフィ 
  フィエスコ:ジュリアン・コンスタンティノフ
  アメリア:カリタ・マッティラ      
  ガブリエーレ:ロベルト・アラーニャ
  パオロ:ルーチョ・ガッロ    
  ピエトロ:アンドレア・コンチェッティ
  隊長:ファビオ・サルトリ            
  腰元:クレア・マッカルディン

 クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
              ヨーロッパ祝祭合唱団

       (2000.4.15 @ザルツブルク)

ウィーンからベルリンへ、アバドのオペラの指揮は、カラヤンと同じくザルツブルクのイースター音楽祭に絞られ、やはり得意のシモンを取り上げることとなりました。
多忙を極めながら病におかされつつあった時期のものです。
さすがはベルリンフィル、完璧なオーケストラサウンドを聴かせますが、その基調は明るい音色で軽めです。
アバドも自在な指揮ぶりと感じさせますが、父娘の二重唱の高揚感では、あれっ?と、一瞬思うくらいに流れてしまう。
ザルツブルクの上演の前、1999年にベルリンで演奏会形式で演奏して挑んだこの公演、ウィーンでのシモン以来アバドは10年ぶり。
そんな新鮮さと、すみずみまで知り尽くした指揮者の力を感じますが、このコンビならもっとできたはずと思わせる場所も、書いた通りあります。
グエルフィ、コンスタンティノフ、マッティラの新しい3人に刷新。
いずれもかつての3人の比ではないですが、時代の流れなのか、スマートな知的な歌唱で、聴く分にはまったく問題ない。
スキアーヴィにかわる名パオロの誕生となった、ガッロがすばらしいと思う!
フィガロ役から、こうしたアクの強い役まで歌うガッロ。
新国で、イヤーゴ、ジャック・ランスなどを観劇してます。

⑥2002年 フィレンツェ歌劇場

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  シモン・ボッカネグラ:カルロ・グエルフィ 
  フィエスコ:ジュリアン・コンスタンティノフ

  アメリア:カリタ・マッティラ      
  ガブリエーレ:ヴィンチェンツォ・ラ・スコーラ
  パオロ:ルーチョ・ガッロ    
  ピエトロ:アンドレア・コンチェッティ
  隊長:エンリーコ・コッスッタ            
  腰元:カーティア・ペッレグリーノ


 クラウディオ・アバド指揮 フィレンツェ五月音楽祭管弦楽団/合唱団

       (2002.6.19 @フィレンツェ歌劇場)


映像でのアバドのシモンは、痩せてしまったがアバドの指揮姿がとても元気そうで貴重な記録となりました。
フィレンツェの聴衆からも絶大な人気と大きな喝采を浴びてまして、うれしくなります。
他流試合ではあるものの、さすがは作品を知り抜いたアバドで、アバド最後のシモンは、総決算的な出来栄えともいえます。
映像だと、どうしても舞台があり、演出があり、歌手がありで、そこに耳目が向いてしまう。
じっくり聴きたいから、一度、音源としてリニューアル化して欲しいと思いますね。
スカラ座時代にあったアバドの若さは、一同の尊厳を一気に集める高尚なる指揮ぶりとなっていて、適度に力も抜けていて、透明感すらただよいますので。。

ペーター・シュタインの演出は、いまウィーンなどでも上演されているものの原型。
スタイリッシュなもので、ストレーレルのような具象性も時代考証に応じた重厚感もなく、軽め。
古臭いことをいいますが、やはりあの舞台、またはイタリアオペラ団の古風な舞台を見てしまった自分にはなじめません。
でも群衆の動かし方や、ラストシーンの荘厳さは感動的で、最後にピット内の動きを止め、指揮棒をそっと置くアバドの姿が映されファンとしてはうれしいものです。

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アバドのシモンは、スカラ座にはじまり、ウィーン、ベルリンを経て、最後はイタリアに戻りました。
2002年のフィレンツェは、ザルツブルクとの共同制作でもあり、アバドとしてはいろいろと制約もあったかもしれない。
その前の2001年のフェラーラでの上演は、演出もシュタインでなく、アシスタントだったマルデゲムの演出はよりシンプルなもののようだった。
小ぶりな劇場で、親密な仲間である若いオケとやりたかったでしょうか。

そのときの映像を発見したので貼っておきます。



                                                   (2001年 フェラーラ)

2000年の11月と12月、病から復活を遂げた日本公演のあと、ベートーヴェンの交響曲、ファルスタッフ、マーラー7番などを精力的に指揮しつづけ、ファラーラでシモン。
アバドのヴェルデイの総決算が、シモンとファルスタッフだったこともとても意味深く思います。

アバドのシモンの最初の仲間たちは、リッチャレッリを除けば、みんな旅立ってしまいました。
10年前に悲しみを持って追悼に聴いたシモン。
10年後のいまは、ひとつの作品を突き詰めるアバドの偉大さと凄さに、思いをあらためております。
そして、自分もいい時代を生きて、最高の舞台経験が出来たことに感謝をしております。

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スカラ座のシモンのラストシーン・・・・
泣けます。

アバドが愛し、突き詰めつくしたオペラが「シモン・ボッカネグラ」で、あとは「ヴォツェック」と「ボリス・ゴドゥノフ」だったと思います。

アバドの命日の記事

2023年「チャイコフスキー 悲愴」

2022年「マーラー 交響曲第9番」

2021年「シューベルト ミサ曲第6番」

2020年「ベートーヴェン フィデリオ」

2019年「アバドのプロコフィエフ」

2018年「ロッシーニ セビリアの理髪師」

2017年「ブラームス ドイツ・レクイエム」

2016年「マーラー 千人の交響曲」

2015年「モーツァルト レクイエム」
  
2014年「さようなら、アバド」

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2024年1月13日 (土)

ワーグナー ワルキューレ1幕後半 ベルリンフィルで聴く

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数日前、極寒の曇り空に1日に、夕方には雲が切れて壮絶な夕焼けとなりました。

次の日はきれいに晴れ渡る好天でした。

日本は広い、被災エリアにお日様の暖かさを届けたいものだ。

大晦日に行われたベルリンフィルのジルヴェスターコンサートでは、久方ぶりにワーグナーが特集された。
指揮はもちろん、キリル・ペトレンコで前半に「タンホイザー」序曲とバッカナール、メインが「ワルキューレ」第1幕でした。

そこで歴代指揮者たちで、ワルキューレ1幕をベルリンフィルで聴いてみた、の巻です。
アバド盤が2重唱以降なので、コンパクトに後半のみを。

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    ジークムント:ジョン・ヴィッカース

    ジークリンデ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ

 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

       (1966.12 @イエス・キリスト教会)

ザルツブルクでの4年間の上演に先立ち録音された1年おきのリング4部作。
最初の録音がワルキューレで、リリックな歌手を起用してカラヤンのリングに対する考え方を明らかにさせ、世界を驚かせた。
全編、抒情的で緻密な演奏で、その音楽は磨きぬかれて洗練の極み。
2重唱も美しく、とくに繊細でしなやかなヤノヴィッツの歌うか所では、オーケストラは耽美的ですらある。
しかし、そんななかでもさすがはカラヤンと思わせるのが、ふたりの愛の高まりとともに、オーケストラの高揚感も最高に高まり、最後は手に汗握るような情熱のかたまりとなる。
こういうところがオペラ指揮者としてのカラヤンのすごいところ。
ベルリンフィルも鉄壁であるが、録音会場が響きすぎるのがやや難点か。
しかし、60年代録音で聴き慣れた、自分には馴染みある響きでもあり。
ヴィッカースは異質である。

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    ジークムント:ジークフリート・イェルサレム

    ジークリンデ:ヴァルトラウト・マイヤー

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

       (1993.12.31 @フィルハーモニー)

カラヤンのワルキューレから27年後。
ローエングリンのみをそのレパートリーにしていたアバドが、ジルヴェスターで抜粋とはいえ、オランダ人、タンホイザー、マイスタージンガー、そしてワルキューレを指揮した。
当時は、NHK様がジルヴェスターコンサートはテレビでライブ中継していたころで、わたしはもう画面に釘付け。
毎年、テーマを設けてひとりの作曲家や文学作品、民族などを特集していたアバド。
慎重なアバドだが、やはりライブでは燃える。
この夜のハイライトはやはりワルキューレだった。
音たちの磨きぬかれた美しさは、もしかしたらカラヤン以上で、混じり物のないクリアで明晰なワーグナーは、のちのトリスタンで突き詰めたアバドのワーグナー演奏の端緒ともいえる。
カラヤンとはまったく違った、よい意味での音の軽さは、ベルリンフィルの名技性があってのものだろう。
ここにアバドの大胆さを感じる。
ここに聴く抒情は、カラヤンのウマさのともなう美しさでなく、どこまでもしなやかでピュアで、新鮮だし、抑えに抑えたオーケストラはそれこそ室内楽のようで、歌手と対等の立場にある。
 わたしの世代では、コロやホフマンとならぶヘルデンだったイェルサレムが好きだ。
イェルサレムのジークムントは実演で2度聴けたが、ここでも知的でありつつ、熱くもあり、力感も十分だ。
同じく実演でのジークリンデを経験できたマイヤーもステキの一言につきる。
彼女のメゾがかった弱音が実に素晴らしいのだ。
ということで、アバド盤、ほめすぎですかね。
ラストの白熱感も、着実でたまらなく素晴らしいです。

Silvester-2023

    ジークムント:ヨナス・カウフマン

    ジークリンデ:ヴィダ・ミクネヴィシウテ

  キリル・ペトレンコ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

       (2023.12.31 @フィルハーモニー)

アバドのジルヴェスターから30年。
私も歳をとったが、ベルリンフィルの超絶うまさは健在だ。
ラトルもワルキューレはザルツブルクで上演しているが、残念ながら聴いたことがないのでここでは省略。

ペトレンコ就任から4年を経て、そのレパートリーも音楽もだんだんわかってきた。
しかし、ベルリンフィルの指揮者になったからといって、ベートーヴェンやブラームスの全集を作ったり、メジャーレーベルを股にかけて活躍したりといったことはいっさいせずに、わが道をゆくといった求道的な姿を見せるペトレンコ。
豊富なオペラ指揮者としての経験がありながら、劇場レパートリーをこなすといった日常のルーティンワークでなく、思い定めた作品を徹底的に極めていくタイプ。
であるがゆえに、その演奏は徹底していて完璧さを求める緊張感にあふれている。
そして相方がベルリンフィルというだけあって、その完璧さが鉄壁にすぎて、ときに緊張疲れしてしまうのではないかとわたしは危ぶむ。
両社の緊張関係が途切れたときどうなる・・・わたしにはわからない。
だから完璧にうまくいっているこのコンビを今こそ聴くべきなのだろう。

以上つらつらと思ったままの演奏がこのワルキューレ。
ペトレンコにまいどのことで、そのテンポは速めで、そのうえに情報はぎっしり詰まっている。
カラヤンにあった甘味な抒情、アバドにあった優しさと微笑みの歌、それらはまったくなく、ワーグナーの厳しい造形音楽と感じる。
これをライブで、または劇場で舞台を伴って聴いたなら、CDやDVDよりも完璧に感じ、同時に音の熱量も高いので、体を焦がすような興奮も味わえるだろう。
カラヤン、アバド、ラトル、それぞれのベルリンフィルと、また違う次元のオーケストラサウンドをペトレンコは導き出すものと思う。

お叱りを覚悟でいいます、なんでもかんでもカウフマン、少し食傷気味です。
バリトンがかった悲劇臭あふれるジークムントは、たしかに役柄的に最適だが、カウフマンの声はもう重すぎると思った。
突き抜けるようなテノールの声がないので、曇り空なんです。
同時期のウィーンでのトゥーランドットも最近聴いたけれど、こちらはプッチーニだけに、不満はもっと大きかった。
 一方、売り出し中のリトアニア出身のミクネヴィシウテの若々しい、張りのある声がすばらしい。
ベルリン国立歌劇場ですでにジークリンデを歌っていて、この夏はバイロイトで、何度も共演してるシモーネ・ヤングの指揮でもジークリンデを歌う予定。

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我が家の庭にある紅梅も咲きはじめ、甘い香りが漂ってます。

ジークリンデの「君こそが春」、ジークムントの「冬の嵐は去り」を聴いて、まさに甘い思いに浸る。

ベルリンフィルというオーケストラは、まさにスーパーな存在であり、楽員たちが選ぶその指揮者たちとも歴代にわたり、見事な結実を示してきました。

ラトルも含めて、ベルリンフィルをこうしてさまざまに聴ける幸せをかみしめたいものです。
これはウィーンフィルでは絶対に感じない思いです。

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2024年1月 9日 (火)

ブルックナー ミサ曲第3番 バレンボイム指揮

Motosu

新年を寿ぐ言葉も申しあげることなく、年が明けて1週間が経過しました。

それでも個人的には海外の配信を中心に音楽はたくさん聴いております。

第9はあえて聴かないと決めたへそ曲がりは、ラフマニノフとプロコフィエフ、フンパーディング三昧で年を越し、年初はショックと暴飲暴食三昧で日々茫然としつつも、ティーレマンのニューイヤーをネット配信で聴き、悪くないと感心。
ジルヴェスターでは、ペトレンコのワルキューレ1幕で、ベルリンフィルというオーケストラの超高性能ぶりに唖然としつつ、こんな緊張感の高い演奏ばかりしていて大丈夫かな、血管とか切れないかな、とかあらぬ心配をしたりもした。

あとスカラ座のオープニングのドン・カルロではネトレプコとガランチャに酔い、ピッツバーグのアーカイブ放送からマゼールのブルックナー8番も堪能。
あとネットオペラ放送では、プロヴァンスでのマリオッテイ指揮のオテロ、ベルリンでのユロフスキ指揮のR・コルサコフのクリスマス・イヴも聴いた。
コルサコフのオペラは、いずれも幻想味があってとても美しい~

そんななかでも、仕事もちょいちょいしているし、親と孫のお世話もしてるので、ともかく忙しい。

こんな年末年始を過ごしましたよ。

あ、ちなみに写真は12月に巡った富士五湖のなかから、本栖湖。
この日は終日、雲ひとつない晴天で5つの湖すべてで富士山を望めました。

2024年のアニバーサリー作曲家の目玉のひとつは、ブルックナー(1824~1896)でしょう。

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  ブルックナー ミサ曲第3番 へ短調 (ノヴァーク版) 

   S:ヘザー・ハーパー Ms:アンナ・レイノルズ
   T:ロバート・ティア Bs:マリウス・リンツラー

  ダニエル・バレンボイム指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
                ニュー・フィルハーモニア合唱団
       合唱指揮:ウィルヘルム・ピッツ

                                    (1971 @ロンドン)

交響曲作家としてのブルックナーには、本来は宗教音楽作曲家としての側面もあり、そちらが音楽のスタートラインだったと思う。
父親と同じく、オルガニストとして活動したブルックナー。
交響曲第1番を完成させたのは42歳になってからで、その前に習作的な交響曲はあるものの、自信をもって番号を付したのは1番から。
0番は1番のあと。

40歳以前の作品は、その自信のなさから破棄されてしまったというので、ほんともったいない。
そしてミサ曲は、番号付きの3つの作品以外に初期に4作あり、全部で7つのミサ曲とレクイエムがひとつある。
あとは秀逸なモテットやテ・デウム。

ミサ曲の1番は40歳、2番は交響曲第1番とともに42歳(1866)。
そしてミサ曲第3番は、第1交響曲の初演にこぎつけた1868年、44歳のときの作曲。
こんな時系列を頭にいれてブルックナーの初期、といっても立派なオジサン年齢ですが。。。初期と呼ぶ作品群を聞くと興味深いですね。

キリエ、グロリア、クレド、サンクトゥス、ベネディクトゥス、アニュス・デイの通常のミサの形式からなり1時間の大作。

宗教作品らしく音階の大胆な展開は少なく、全般に穏やかかつ平穏な雰囲気。
そしてなによりも美しい。
ブルックナーの緩徐楽章を愛する人ならば、このミサ曲のそこかしこに、ブルックナーの交響曲の2楽章にある自然を愛で賛美するような清らかな音楽が好きになるに違いない。
またソロヴァイオリンを伴って、テノールが熱く歌うシーンなどは、テ・デウムと同じくだし、やはり篤い宗教心や祈りの気持ちが陶酔感を伴うように熱を帯びているのも篤信あふれるブルックナーの音楽ならでは。

しかし、何度も何度も聴いても美しいという印象は受けるものの、聴き終わって、全体のディティールや旋律などが明確に自分のなかに出来上がらないし、残らない。
そんなところが、このミサ曲の魅力なのか・・・

2008年、いまから16年も前に、神奈川フィルの音楽監督だったマルティン・シュナイトの指揮で、このミサ曲だけの演奏会を聴いた。
バレンボイムの58分の演奏時間に対し、そのときのタイムは70分あまりもかかった。
しかし、初めて本格的に聴いたそのシュナイトのブルックナーのミサは、神奈川フィルの美音も手伝い、祈りと感謝に満ちた、まるで教会で音楽に立ち会うかのような荘厳な演奏だった。

そのときのブログから

>アルプスの山々を見渡す野辺に咲く花々を思い起すかのような音楽に、私は陶然としてしまった。
2番への引用もなされたこの章の、神奈川フィルの弦と、フルートの素晴らしさといったらなかった。

そして誠実極まりない合唱も掛け値なしに見事。
 それに続く、アニュスデイも天上の音楽のように響きわたり、ホールが教会であるかのような安らぎに満ちた空間になってしまった。
合唱が歌い終え、最後に弦とオーボエが残り静かに曲を閉じた時、シュナイトさんは両手を胸の前に併せて、祈るようなポーズをとって静止した<

南ドイツでバッハを極めたシュナイトさんと、駆け出し指揮者だったバレンボイムとを比べるのも酷だが、ここでのバレンボイムの指揮は神妙で、優しい手触りでもって丁寧に仕上げた。
克明で言葉も明瞭な合唱は、かのピットの指揮。
ぎりぎり存命だったクレンペラーの君臨したニュー・フィルハーモニアのしなやかな弦も美しいし、管もブリリアント。
この時期のフィルハーモニア管はよかった。
60~70年代の声楽作品のイギリス録音では、ハーパー、レイノルズ、ティアーは常に定番で、あとはシャーリー・クヮークでしょうか。
ここでのリンツラーの独語の明快さと美声、もちろんほかの定番3人も素晴らしい。

このミサ曲3番、このバレンボイム盤以外は持ってません。
エアチェックとしては、ヤノフスキ、ヤンソンスなどのライブも聴きましたが、バレンボイム盤が一番美しい。
ヨッフムも聴かなくちゃいけませんね。
今年はほかに新録音なども出るのでしょうか。

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湖畔道路に降りて、ちょっとアングルを変えて。

こんな風にひとりカヌーを楽しむ方も。

気持ちいいだろ~な

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さらに近づいて、水辺の様子を。

コバルトブルーの美しさ。

幾多の災害を経ても復活する日本の自然のピュアな美しさ、ぜったいに守らなくてはいけません。

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2023年12月31日 (日)

ラフマニノフ 150周年

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美しい朝焼けのなか、沈む行く満月の早朝。

慌ただしい年末の朝、すてきな景色を望むことができました。

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夜の月は、わたくしの解像度の低いカメラではうまく撮れませんが、周囲が少し明るくなった朝は、きれいに撮れました。

ことしは、生誕150周年を迎えたラフマニノフ(1873~1943)の曲が演奏会で数多く取り上げられました。

といっても日本では、いまだにピアノ協奏曲第2番ばかりで、あとは案外と4番も。
コンクールで活躍して人気者になった同じようなメンバーばかりで2番ばかりの演奏会が、外来オケの演目に必ず組み込まれるのを、醒めた目でみておりましたが・・・
交響曲では2番ということになりますが、完全にオーケストラのレパートリーにのった2番の交響曲は、始終演奏されているので、アニバーサリーでもこちらの感覚が特別感がなくなってしまった感があります。

年末に、これまでさんざん聴いてきた、ラフマニノフの交響曲と協奏曲のマイベストを取り上げてみました。

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  ラフマニノフ 交響曲第1番 ニ短調

 ウラディミール・アシュケナージ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

指揮者としての音楽活動から引退してしまったアシュケナージ。
その名前を聞くことが急速になくなってしまった。
ピアニストとしては大成したけれど、指揮者としてはどうも向き不向きがあり、いまひとつ評価が定まらないなかでの引退。
その指揮者としてのアシュケナージが一番輝いていたのは、80年代前半。
コンセルトヘボウとのラフマニノフは82年の録音。
CD初期に最初に買った1番がよかった。
国内盤の帯には、「祖国を離れたもの同士の熱い共感が波打つ熱演」と書かれていた。
いつもは客観的に終始するアシュケナージの指揮が、ここではまさに熱く、情熱的だった。
オケがコンセルトヘボウであることも、音に温もりと奥行きを与えている。
録音も極上。

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 ラフマニノフ 交響曲第2番 ホ短調

  アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団

もう、この1枚を外すわけにはいきません。
2番の交響曲を世に知らしめ、人気曲にした功労者は、なんといってもプレヴィン。
3種ある正規録音のなかで、2度目のEMI録音が一番いい。
録音にいまいちさえが欲しいが、そんなことを差し引いても素晴らしい、ラブリーな演奏。
73年、まだプレヴィンの指揮者としての力量をいぶかしむ声のあった時期、その実力とラフマニノフの音楽の持つ魅力を全開にして、多くの聴き手を魅了してしまった1枚。
抒情と憂愁、そしてリズムと熱狂、これらを、迷うことなく思いきり聴かせてくれる。
日本にやってきて、この曲を演奏し、テレビでも観ました。
受験を控えた高校生だった自分、プレヴィンLSOのチケットを予約して、招へい元の事務所に買いにいったものの、慣れない都内で、場所がわからず、半日さまよって、結局断念してしまったことを覚えている。
そのときのプログラムは、プロコフィエフのロメジュリを中心にしたものだった。
プレヴィンに出会うのは、ずっとあと、ウィーンフィルの面々とピアニストでの姿。
さらには、N響への来演のほとんどを聴くことができたが、そのときのラフマニノフ2番では、さすがと思わせる演奏ではあったが、もう少しはやくN響は呼ぶべきだった・・・・という思いでした。

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 ラフマニノフ 交響曲第3番 イ短調

  ロリン・マゼール指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

3番の刷り込みが、このマゼール盤。
NHKFMで、ベルリンフィルライブを放送していたころ、マゼールのこの3番も流され、エアチェックした。
同じころ、ヤン・クレンツ指揮のケルン放送での2番が、これがまた超名演で、プレヴィンの演奏をおびやかすくらいに思っていた。
都内で社会人生活を始めたばかりの侘びしい寒い部屋のなかで聴いたふたつのラフマニノフ、ともかく沁みましたねぇ。
 レコードが発売され、即時に買いもとめて、擦り切れるほどに聴いたマゼール盤。
超高性能のベルリンフィルの音は、クールでかつ怜悧、ブルー系の音色に感じ、それがまたちょっと醒めたマゼールの指揮とともにラフマニノフにぴったりだった。
「自分の心に常にあるロシア音楽を、単純率直に作曲した」とラフマニノフ自身が述べているが、マゼールとベルリンフィルの演奏は、そんな様相は希薄で、むしろ都会的ですらあり、音楽はかっこいい。
ロシアの指揮者とオーケストラによるラフマニノフも、欧米系の演奏に慣れた耳にとってはかえって刺激的に感じられおもしろく、また遠い昔のように感じられる。
 あの戦争で聴けなくなったロシアのオケや演奏家、つくづく疎ましい戦争だと思う、アメリカさんよ・・・
このレコードのカップリングは「死の島」で、ジャケットのベックリンの絵画がそのもの。
寄せては返す、ひたひたと迫って来るような曲であり、ベルリンフィルのの高機能ぶりが目覚ましい演奏だった。

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  ラフマニノフ 交響的舞曲

 レナート・スラットキン指揮 デトロイト交響楽団

3つの交響曲、「鐘」とならんで、ラフマニノフの5つの交響曲と呼べるなかのひとつで、最後の作品。
近年、演奏頻度がやたらとあがった曲であります。
例外なく、わたくしも大すきで、今年、特集記事を書きました。
リズムと憂愁の祭典のようなこの曲、やはり指揮者とオケの俊敏さが光る演奏がおもしろい。
スラットキンの2度目の方の録音が好きです。
アメリカのオケらしい輝かしいブラスに、打楽器群の抜群のうまさ、ドライブ感あふれる弦など、聴いていて楽しい。
うわさに聞く、素晴らしいとされるコンドラシン盤を今度は聴いてみようと思う。
先にふれたとおり、ロシア系のラフマニノフをちゃんと聴かなくては・・・

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  ラフマニノフ ピアノ協奏曲全曲

ピアノ協奏曲は、わたしにはアシュケナージの独壇場。
旧盤では、みずみずしい感性と圧倒的な技巧でもって聴き手を驚かせるという新鮮味があった。
まさに70年代ならでは。
プレヴィンの合わせもののうまさが光るし、ここでもオケはビューティフルだ。
このコンビは、こののちのプロコフィエフでも超絶名演を残してくれた。

デジタル時代になって、アシュケナージが歳録音のお伴に選んだのは、これまた奏者たちから共演者として好まれたハイティンク。
デッカへのショスタコーヴィチ録音と同じ時期の演奏で、コンセルトヘボウがデッカ録音で鮮やかさが増して、一方でラフマニノフらしい憂愁サウンドがしっとりと味わうこともできて至福感おぼえる。
ハイティンクの最盛期の最良の録音のひとつでもある。
そしてアシュケナージは、旧盤の若さから、大人のサウンドへと伸長し、恰幅のよさ味わいの深さが増している。
新旧どちらも私には捨てがたい一組。

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アバド好きとしては、いきなりの初ラフマニノフが当時、幻のピアニスト扱いされたベルマンとの共演の3番だった。
遅れてやってきたかのようなベルマンの情熱のピアノにあわせ、アバドも結構歌いまくっている3番。

ルービンシュタインやホロヴィッツのピアノ協奏曲もいまや懐かしい。
昨今の若い奏者のラフマニノフも、オジサン、聴かなくちゃいけませんね。

3つのオペラ、ピアノソナタ、チェロソナタ、前奏曲、歌曲、鐘などなど、今年限りとせず、世界はラフマニノフをずっと聴いて欲しい。
そして、ロシアの音楽家が普通に世界で日本で活躍できるようになりますように。

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2024年は、ブルックナー、スメタナ、フォーレ、シェーンベルク、Fシュミット、アイヴズなどの作曲家がアニヴァーサリー・イヤーを迎えるる。
わたしは、我が道をゆくように、好きな音楽を聴くに限りますな。
とかいいつつ、ブルックナー集めは止まらない。

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2024年こそ良き年を

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2023年12月24日 (日)

パストラーレ

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イエスの降誕を描いたジオラマです。

ルカによる福音書から

【そのころ、皇帝アウグストが全ローマ帝国の住民登録をせよと命じました。 
これは、クレニオがシリヤの総督だった時に行われた最初の住民登録でした。 登録のため、国中の者がそれぞれ先祖の故郷へ帰りました。 
ヨセフは王家の血筋だったので、ガリラヤ地方のナザレから、ダビデ王の出身地ユダヤのベツレヘムまで行かなければなりません。 
 婚約者のマリヤも連れて行きましたが、この時にはもう、マリヤのお腹は目立つほどになっていました。 
 そして、ベツレヘムにいる間に、 マリヤは初めての子を産みました。男の子です。
彼女はその子を布でくるみ、飼葉おけに寝かせました。宿屋が満員で、泊めてもらえなかったからです。

その夜、町はずれの野原では、羊飼いが数人、羊の番をしていました。 
そこへ突然、天使が現れ、主の栄光があたり一面をさっと照らしたのです。これを見た羊飼いたちは恐ろしさのあまり震え上がりました。 
 天使は言いました。「こわがることはありません。これまで聞いたこともない、すばらしい出来事を知らせてあげましょう。
すべての人への喜びの知らせです。 
 今夜、ダビデの町(ベツレヘム)で救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。 
 布にくるまれ、飼葉おけに寝かされている幼子、それが目じるしです。」  
するとたちまち、さらに大ぜいの天使たちが現れ、神をほめたたえました。

 「天では、神に栄光があるように。
  地上では、平和が、
  神に喜ばれる人々にあるように。」

 天使の大軍が天に帰ると、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださった、すばらしい出来事を見てこようではないか」と、互いに言い合いました。 
 羊飼いたちは息せき切って町まで駆けて行き、ようやくヨセフとマリヤとを捜しあてました。飼葉おけには幼子が寝ていました。 
 何もかも天使の言ったとおりです。羊飼いたちはこのことをほかの人に話して聞かせました。 
 それを聞いた人たちはみなひどく驚きましたが、マリヤはこれらのことをすべて心に納めて思い巡らしていました。 
羊飼いたちは、天使が語ったとおり幼子に会えたので、神を賛美しながら帰って行きました。】

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世界には宗教がいくつもあり、人間はその信じる宗教がゆえにいがみあい、戦争も行います。
それが、問題の根本にあり、絶対に理解しあえないことから解決は難しい。
国の線引き、民族の違いなど、いずれも元をただせば宗教に行く着く。

人間を救うはずの宗教。

しかし、われわれ音楽愛好家は信者でがなくとも、キリスト教由縁で生まれた素晴らしい音楽の数々を国境を越えて愛し、楽しむことができる。
いろんな神様に手を合わせてしまう、そして八百万の神に囲まれる日本人ですから、クリスマスや受難節にはイエスを思い、その音楽を聴き教会に思いをはせるのもぜんぜんOKだと思う。

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こちらは可愛い。

東方から参じた博士たちも。

これらはいずれも、銀座の教文館のウィンドウから写したものをご紹介してます。
毎年ありがとうございます。

羊飼いたちが幼子イエスを探しあてるということで、牧歌的な田園詩が「パストラーレ」という楽章やシンフォニアというかたちでクリスマス協奏曲や声楽作品に持つ音楽がいくつもあります。

今夜は、そんな静かで、心落ち着くパストラーレだけを聴きました。

コレッリ クリスマス協奏曲

ヴィヴァルディより25歳年長のコレッリ。
ヴァイオリン奏法においておおいなる足跡を残し、悲劇性に富んだ曲想を多くもちながら、そこには常に高貴なる歌が通っていて、明るさと悲しみが同質化したような音楽
終楽章の後半に置かれた夢見るようなパストラーレ。
牧童たちの静かな感動が伝わるような優しい音楽です。
正統派イ・ムジチのレコードから馴染みましたが、いまでも安心して聴ける演奏。
CD化されたコレギウム・アウレウムも好きでして、古楽奏法でない古楽器演奏スタイルという新しさもあり、いまや古風なスタイルが好き。

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四季のCDの付録に入ってたカラヤンを久しぶりに聴いてみたら、これがまた夢見るような演奏で、かつゴージャスでビューティフルだった。
やたらと気に入って、今宵は3回も聴いてしまった。
レコード屋さんで手にとって眺めていた懐かしいジャケットをネットで拾いました。
カラヤンとベルリンフィルの精鋭は、夏にサンモリッツでこうした合奏作品を録音してましたね。

コレッリ、トレルリ、マンフレデーニ、ロカテッリと4人が呪文のようにセットになったバロック・クリスマスコンチェルト。
コレギウムだけ、その4人じゃなかったのも面白い。

バッハ クリスマス・オラトリオ

6つの祝典的なカンタータを終結させたオラトリオ。
それでもそこはバッハ、福音史家もテノールが歌い、静粛なる降誕とそのあとのクリスマス祝日を明るいなかにも厳粛に音楽にしてる。
そんななかにあるシンフォニアが、厳かななかに、静かで清らかで汚れないひとコマとなってます。
ほんと、心洗われる美しい音楽です。

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厳粛なリヒター、素朴なフレーミヒの演奏が好き、ドイツの地方都市のクリスマスを思わせるシュナイトも好き。
あと以外にも、フィードラーとボストン・ポップスの神妙なる演奏もステキであります。

ヘンデル メサイア

馴染み深い旋律の宝庫、ヘンデルのメサイアは、3つの部がイエスの人生を描いているが、クリスマス当日までは第1部。
4人の名ソロや親しみやすい合唱曲のなかの、箸休めのような存在がパストラル・シンフォニアです。
バッハと違い、ゴージャス感も伴いますが、こちらも静かで厳かな雰囲気がすてきな作品です。

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オーマンディが刷りこみですが、まさにあの時代のアメリカの演奏で好きです。
ロンドン・フィルの渋さもあるリヒター盤、キリリとクールなガーディナー、優しいマリナー盤、みんな好き。

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丸の内、キッテのツリー。

静かでよきクリスマスを。

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2023年12月22日 (金)

チャイコフスキー くるみ割り人形 スラットキン指揮

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クリスマスシーズンになると訪れる銀座の教文館。

毎年ステキな雰囲気あふれる飾り付けがなされ、心洗われます。

右の方にはイエスの降誕のシーンが。
そちらは次に。

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こちらはゴージャスな六本木のカルティエのツリー。

数年年前の自粛時の人けの少ないクリスマスが嘘のように、今年はどちらも、内外の人々も含めて賑やかだ。

LEDの進化と普及で、ますますイルミネーションは多彩になったが、それもこれもわれらが日本人の同胞の発明によるところだ。
ありがたくも楽しませていただく。

そして、クリスマスは心温まる物語もつきもの。

いくつになっても、爺ちゃんになっても大好きな「くるみ割り人形」。

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 チャイコフスキー バレエ音楽「くるみ割り人形」

  レナード・スラットキン指揮 セントルイス交響楽団

    (1985.3.26,28 @パウエル・シンフォニーホール)

みんな大好きチャイコフスキーの「くるみ割り人形」。

小学5年か6年に組曲版で小学校の授業で聴きました。
当時もう、クラシックが好きでレコードを集めだしていただけに、音楽の先生のレコードの扱い方がぞんざいで、指紋がついちゃうとか冷や冷やしてましたね~
町のレコード屋で、毎度お世話になったコロンビアのダイアモンド1000シリーズのなかの1枚を購入したが、廉価盤業界のなかの名指揮者ハンス・ユイゲン・ワルター指揮のプロ・ムジカ交響楽団の演奏だった。
今一度聴いてみたい。。。

チャイコフスキーの晩年の傑作群のひとつ。
「眠れる森」、交響曲第5番や「スペードの女王」と「イオランタ」「悲愴」に挟まれた時期である1891年の作曲。

大人から子供まで、みんなが楽しめるバレエとして「白鳥の湖」とともに世界中で上演されているし、コンサートでも全曲版や2幕が、一夜のプログラムや後半のメインとして演奏される。

数々の全曲盤があり、いずれもそのジャケットはメルヘンを感じさせ、とても美しく楽しい。
スラットキン盤のジャケットはネットからの借り物ですが、いかにもアメリカらしくリアルで写実的なもので悪くないです。
チャイコフスキーを得意とするスラットキンがセントルイス時代に、交響曲全曲と3大バレエを一気に録音した。
いつも若くて元気な印象のスラットキンですが、もう79歳になります。
そのスラットキン40歳のときの録音は、最新のものと比べるとやや潤い不足ですが、ホールの残響少なめな、これもジャケットのようなリアルサウンドで、音楽そのものを楽しめる。
全体に速めにキリリと引き締まった演奏で、そのリズム感のよさはスラットキンならではで、クリスマスのワクワク感や、各バレエの弾むような楽しさがとてもよい。
もちろん夢見るようなファンタジーシーンもいいが、このあたりはもうちょっと連綿とやって欲しかったとも思う。
よくも悪くもアメリカらしい、明るくもあっけらかんとした演奏ともいえよう(笑)

スラットキンは日本には何度も来ていてきっと日本びいきなのだろう。
テラークレーベルから高音質CDを連発していたころ、N響にやってきた。
たしか、84年のことだったか、得意のラフマニノフ2番や幻想などが演目で、私は狂喜してエアチェックにいそしみ、その弾むような指揮ぶりもテレビで見て、当時のN響から鮮やかな音を引き出すその指揮ぶりがおおいに気にいったものだ。
音楽監督選出にもその名前があがって、最終的にはデュトワになったのもいまでは懐かしい。
セントルイス(79~96)のあとは、ナショナル響、BBC響、ナッシュビル響、デトロイト響、リヨン管と欧米のオケを歴任したスラットキンですが、いまでもセントルイスでは名誉指揮者のポストにあり、毎シーズン客演しているようだ。
再来年には都響に来てラフマニノフの2番を指揮してくれるから楽しみだ。

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以前の記事の再掲で、私の好きなシーンをいくつか。

       第1幕

①おなじみの序曲とそれに続くワクワク感満載の「クリスマスツリー」の情景。

②祖父ドロッセルマイヤの踊り。こんな楽しいお爺ちゃんになりたい。

③お客さんが帰り、夜。そしていよいよの高揚感。

④冬の松林~チャイコフスキーならではの情景描写

⑤雪片の踊り~こ洒落たワルツ、女声(児童)合唱を入れたところ、天才的

       第2幕

⑥お菓子の国と魔法の城~城を見渡せる高台にいるかのような気分でわくわく

⑦クララと王子~さあさあ、主人公たちの登場ですよって感じ

⑧ディヴェルティスマン~各国のダンスが勢ぞろい、いずれの筆致も神がかり

⑨花のワルツこそ、チャイコフスキーの代名詞か。
  ステキすぎるだろ、このワルツ。

⑩パ・ド・ドゥ~ロマンティックなアダージョで夢見る少女な気分になれるよ、
         こんなオジサンでも。
         そしてタランテラときて、金平糖さんは可愛いチェレスタ
         でもって、急転直下のコーダ
         この展開好き♡

⑪終幕のワルツにアポテオーズ~ドラマチックになりすぎない可愛い終幕
         夢から覚めた夢を見た感じ

ともかく楽しく、メロディアスで何度でも聴いちゃうくるみ割り人形。
楽しいったらありゃしない。

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アメリカ中西部の都市セントルイスは歴史の街でもあります。
ミズーリ川とミシシッピ川にはさまれ、R66とR40も通る、水上と陸上の交通の要衝。
さらには、スポーツでは高名なるカージナルスがあり、野球は大人気で、ヌートバーがいるところ。
人口は周辺のセントルイス都市圏でみると280万人で、巨大企業もたくさん存在。

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ミシシッピ川沿いに立つゲートウェイアーチが有名で、いわゆる絵になるインスタ映えする名所もあります。
典型的なアメリカの大都市のひとつで、名物グルメもアメリカらしく、バーベキューにステーキに、ステーキ肉を刻んでトッピングしたセントルイスピザが有名だとか。

音楽では一般的には、ブルースということになりますが、われわれクラシック愛好家には、セントルイスといえば、オーケストラです。
オーケストラでは、アメリカ第2の古さを有する名門。
1880年の創立で、歴代指揮者で有名どころは、ゴルシュマン、ジェスキント、セムコフ、そしてスラットキンときて、フォンク、ロバートソンと続き、現在はドゥヌーヴが音楽監督として2019年から務めてます。

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セントルイス響の本拠地、パウエル・ホール。
ここで数々の名録音が生まれたが、現在は大規模修繕で閉業中で、2025年に新規開業の予定とか。
アメリカ人指揮者ロバートソンあたりから、録音が途絶え、ドゥヌーヴの録音もひとつも出てないと思う。

スラットキンが指揮者となって、テラーク、EMI、RCAと次々と録音が増え、オーケストラの実力もうなぎ登りとなり、スラットキンのオーケストラビルダーとしての力量も70年代後半から評価されるようになった。
83年だったかと思うが、タイム誌のアメリカのオケランキングで、セントルイス響をいきなりビッグファイブのなかに選出。
このときは世界がどよめきましたし、わたしも、レコ芸のみが情報源でしたがビックリしたもんです。
80年代をピークにセントルイス響の人気や実力もやや下降ぎみ。
いまのこのオケの姿をこの耳で確かめたいものだ。
ネット放送もなく、youtubeでいくつか断片的に聴けるにとどまる状況ですが、ほかのアメリカのオケ、いや世界のオケによくあるように、メンバーにはアジア系の弦楽器奏者が大半を占めてます。
隣国のふたつの国の、教育水準の高さと熱心さは見習わなくてはならないですが、彼らの物怖じしない強さもわが邦にはないものです。

セントルイスを舞台にした映画、邦題は「若草の頃」、Meet Me in St.Luis~セントルイスで会いましょう。
終戦間近の1944年の作品で、ジュデイ・ガーランドの主演。
クリスマスイブに妹に歌うHave Yourself a Merry Little Christmasは、クリスマスソングの定番となり、涙が出るほどにステキだ。

アメリカには夢があった・・・・
正直それはもう過去形です。
かつでは20年遅れぐらいで、アメリカの波が日本にも起きたけれど、いまはもうすぐに来るし、病めるアメリカと同じ波がもう来てる。
悲しいことに、過去を思い出すことで幸せを感じるようになったと思う。

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いや、それじゃだめじゃん、いくつになっても希望や夢を捨てちゃダメだ。

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