2021年7月23日 (金)

これでもかとばかりに「ローマの祭り」を聴いてしまう

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みたままつりで、毎年展示される、青森ねぶた。

今年も、青森のねぶたまつりは中止。

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こちらは、弘前ねぶた、お隣に展示。

五所川原も有名だし、大湊など、ほかの地域に独特のねぶたがあるそうで。

東北の祭りは、日本人の心に夏の刹那的な輝かしさと郷愁とを呼び覚まします。

そして日本の各地、自分の町々にもいろんなお祭りがある。

それらがみーーんな中止。

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担ぎ手は鬱憤がたまるし、神輿も手持ち無沙汰にしか見えない。

祭りを返せーーーーーーーっての!

ちきしょー、日本じゃないけど、レスピーギの「ローマの祭り」をめちゃくちゃ聴いてやる、ってことで。

手持ちの音源を、全部じゃないけど、1週間かけて聴いてやったぜ、の巻だ、こんにゃやろー。

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いきなり金管の大咆哮で始まる「チルリェンセス」はローマ時代の暴君の元にあった異次元ワールドの表出。

キリスト教社会が確立し、巡礼で人々はローマを目指し、ローマの街並を見出した巡礼者たちが喜びに沸く「五十年祭」。

ルネサンス期、人々は自由を謳歌し、リュートをかき鳴らし、歌に芸術に酔いしれる「十月祭」。

手回しオルガン、酒に酔った人々、けたたましい騒音とともに人々は熱狂する。キリストの降誕を祝う「主顕祭」はさながらレスピーギが現実として耳にした1928年頃の祭の様子。

(以上、過去記事より)

名盤云々とするのは好きでないので、印象を書き散らすのみ。

・トスカニーニ&NBC 
  鋼のような演奏。無慈悲な祭りの熱狂を正確無比に描き出す。
  モノなのに、そんなハンデはこれっぽちもない。

・デ・サバータ&ベルリンフィル
  当然にモノで放送録音、ヒス多し。
  こちらもBPOだけあって正確無比ながら、テンポを動かし、早くて遅い。
  ラストは悠揚迫らぬ雰囲気。
  ベルリンフィルはこの曲の録音ないかも?

・オーマンディ&フィラデルフィア(RCA)
  録音のせいか、きらびやか、あ、この時代のこのオケだからか?
  間合いの取り方や、大仰さがやや時代めいて聴こえるという不遜な思いも
  でも、各処決め所はさすがで、王道を行く演奏

・バーンスタイン&ニューヨークフィル
  荒馬のようなNYPO、デフォルメされた金管、おどろおどろしくもあり。
  官能の極み興奮の坩堝もあり。
  ジェットコースターだよ、おっかさん
  たのしーよ、おとっつあん。

・マゼール&クリーヴランド
  大向こうをうならせるような原色系の演奏。
  おらおらと煽られもするが、でも以外に沈着だったりする。
  聴かせ上手で、指揮しながら、客席に向かってどうよ?
  ~って言いそうなマゼールさんの指揮、好き。
  オケがめちゃウマい、録音もいい。

・デュトワ&モントリオール(1982)
  ビューティフル!テンポもよろしく、しなやか。
  録音も演奏と同質的な美的なもの。
  うまいもんだ。しかしウネリは少なめ、どこまでも美しい。
  N響でお馴染みの指揮ぶりが思い浮かぶ。

・デュトワ&ボストン響、ロイヤルフィル(2014)
  ともに2014ライブで、タングルウッドとPromsの自己エアチェック音源。
  32年の歳月は確実に音楽の構えの大きさにあらわれてる。
  堂々としつつも、強靭な響きと華やかな煌めきもあり。
  ボストン響の充実ぶりが上回る。
  RPOはプロムスの独特のあげあげムードの後押しもあり。
  ともに、一気に3部作を連続演奏。

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・小澤征爾&ボストン響
  アナログ時代のざーさんの代表盤。
  レコードのこのジャケット好きだった。
  ヨーロピアンなBSO。
  品もありつつ、しなやかで、バランスのいい美しい演奏。
  ラストに、そんなにはっちゃけず、冷静なままに終了。
  オリーブオイル垂らした味噌汁うまいよ、ジャポネーゼ!

・シノーポリ&ニューヨークフィル
  自分に音楽を引き寄せたレニー&NYPOとは違った冷静さ感じる
  録音のせいもあるが、パンチは効いてるし音の圧も高い。
  五十年祭はかなり深刻で気が重たくなるが、後の解放感が心地よい。
  面白いコンビだな、ドレスデンでも聴いてみたかったぞ。

・ヤンソンス&オスロフィル
  濃い味少なめ。
  パートの絡み、音の出し入れ、強弱が実に巧みで、メリハリありうまい。
  これも語り上手な演奏だが、後年にバイエルンで再録して欲しかった
  
・ガッティ&ローマ聖チェチーリア
  これはいい。
  譜面に忠実に、細大漏らさず音にした感じ。
  着実で堂々としつつ、繊細さ甘味さもあり。
  ホルンがめちゃうまい。
  ラストの自然な盛り上げにオジサン興奮、ふがぁーー

・マリナー&アカデミー・セント・マーティン
  90年代、アカデミー増強で、大オーケストラレパートリーを録音していた
  あっさり、うす味ローマ祭り、歳取ると、こんなローカロリーが好き。
  10月祭の透明感ある美しさは格別♪

・ルイージ&スイス・ロマンド
  伝統のオケを指揮したルイージ、若い。
  冒頭からガンガン結構行くが、10月祭ではしっとりと弱音を活かした美演。
  ラストはすさまじい熱狂ぶりであります。
  ヴェルディみたいなローマ祭り。
  
・パッパーノ&ローマ聖チェチーリア
  小粋でスマート。しゃれっ気もダイナミックさも兼ね備えてる。
  オケは明るく痛快だ。
  煌めくサウンド、ローマの地下での神妙な祈り、鼻歌混じりのセレナード
  最後は爆発的な祭典へ。いぇ~い!
  最高だぜ、パッパーノ兄貴!

・ファレッタ&バッファローフィル
  おなご指揮者ファレッタさんは、レスピーギや後期ロマン派。
  加えて、英国物もお得意だ。
  オケの力量もあろうか、ちょっとした詰めは甘いところがある。
  しかし細部は美しく、よく歌ってる。
  爆発力も兼ね備え、さすが、アメリカオケを感じる。
  バッファローはアメリカ北部、エリー湖に面した都市。
  いずれアメリカオケ旅で取り上げます。 

※世評高いムーティさんは持ってません(意味深)
でも、バイエルン放送とのライブ放送を自己音源で聴いてますが、一気呵成、ラストスパートよしの演奏でした。
あと、放送音源では、ウェルザー・メストとクリーヴランドの快速特急ローマ祭りも面白い。
バッティストニーニ&東フィルの激熱ぶりぶり放送ライブも好き。
最近では、ジョン・ウィルソンとBBCスコティッシュのものが、ビジュアル感あふれる演奏で気にいりましたね。
バティス盤がどっかいっちゃって見当たらない

未入手CDでは、怖いもの見たさでスヴェトラーノフさんですかねぇ。
アバドは絶対に振らなかったレスピーギ。

無謀な企画に、正直疲れましたが、それでも何度聴いても面白い曲だ。
クソ暑い夏向きの音楽。

それにしてもレスピーギの音楽はなんでもありで、しかもよく書けてる。
オペラ収集中につき、そちらも再開しなくちゃならない。
時間が足りない・・・

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2年前の祭り。
あのときの熱狂はもう戻らないのか・・・・

「祭」で耳が疲れたら、「松」のジャニコロ・ナイチンゲールで癒され、「泉」のほとりで涼もうじゃないか。

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2021年7月18日 (日)

バレンボイムの欧・露音楽

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靖国神社の「みたままつり」2021、お詣りしてきました。

昨年は中止、今年は出店や音楽舞台、神輿などの奉納行事は一切なく、美しい幻想的な提灯と懸雪洞のみ。

立錐の余地のなくなるこれまでと違い、静かな境内は落ち行きあるものでした。

梅雨明け前夜、ほのかな月も美しかったです。

特に、この期間のみ、宮の中庭も拝観・参拝できまして、普段は入ることのできない場所だけに貴重な体験もできました。

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仙台から奉納された七夕飾り。

今年は短くなり、しかし、よく見ると千羽鶴なんです。

中庭参観で授かった呼鈴守りには、「この国難に、一日も早い感染症の終息を祈念致します」とありました。。。

ほんとそう、みたままつりは、新入社員時代の会社が至近にあったのでそのときから行ってました。

あのときの賑やかさが戻ることを・・・・・

 さて、音楽の方は賑やかに、若きバレンボイムに誘われて、旅気分でいきましょう♬

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  R=コルサコフ スペイン狂詩曲

 ダニエル・バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団

      (1977.3 @オーケストラホール、シカゴ)

シカゴの音楽監督になるまえに、70年代後半に、DGへヨーロッパとロシアの音楽を特集したレコードを数枚録音しました。
私はロシア盤だけレコードで購入し、他はCD時代になって聴きました。
 ということで、まず、第1弾のロシアへまいりましょう。

「はげ山」「ダッタン人の踊り」「ロシアの復活祭」「スペイン狂詩曲」の4曲。
これがまあ、明るくて楽しくて、レコードの鳴りもよくて大学生だった自分は毎日聴いたものです。

ロシアの憂愁やおどろおどろしさ、暗さなどは皆無。  
あっけらかんと、どっかーーんと、大音量で楽しむに限る。
シカゴの名人芸を、35歳の若きバレンボイムが、自ら楽しむがこどく堪能してる感じであります。
バレンボイムは、以外やロシアものが得意。
ことに、オペラを存外に好んで指揮していて、コルサコフだと「皇帝の結婚」、「エウゲニ・オネーギン」、プロコフィエフの「賭博者」に「修道院での婚約」なども取り上げてます。
いずれも、ロシアというか、ドイツ目線の演奏に感じますが、才気あふれる指揮であることには変わりなく、多彩な人だと実感。

シカゴの録音はDGのものが一番好き。
当時のデッカはメディナテンプルで、DGはオーケストラホール。
音の分離の良さや重厚さではデッカ、響きの良さとやや乾いたホールトーンも楽しめる雰囲気があるのはDG。
そんなイメージをずっと持ってます。
この時期の、アバドやジュリーニの録音もそうですね。
 バレンボイムとシカゴは、後にエラートに録音するようになりましたが、演奏も録音も、DG時代の方がはるかに好きです。

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  ブラームス ハンガリー舞曲第1、3、10番

  ドヴォルザーク スラヴ舞曲 op.46-1、8

  ダニエル・バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団

      (1977.11 @オーケストラホール、シカゴ)

これまたシカゴのゴージャスサウンドが楽しめるけれど、こうして聴くとやはり、ブラームスはバレンボイムの性に合ってる感じ。
東欧音楽の1枚は、あと、「モルダウ」と「レ・プレリュード」が併録されてます。
リストもバレンボイム向きなだけに、なかなかシリアスな名演になってます。
アンコールピースみたいないずれの曲だけれども、真剣勝負のシカゴはここでもすごい。
ハンガリー舞曲では、独特のうねりのような情念も感じられ、オケももしかしたら古き良き過去の大指揮者を思いつつ懐かしんでる風情があり。
一方のスラヴ舞曲は、構えが大きく、チャーミングさ不足か。しゃれっ気が欲しいくらい。
そういえば、バレンボイムはドヴォルザークを振りませんね、新世界すらない。

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  メンデルスゾーン 「真夏の夜の夢」序曲

 ダニエル・バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団

      (1979.3 @オーケストラホール、シカゴ)

ドイツ名曲集は、この「真夏の夜の夢」に加えて、「フィガロ」「オベロン」「舞踏への勧誘」「ウィンザーの陽気な女房たち」そして、シューマン全集から「マンフレッド」序曲が加えられてます。
さすがにドイツものとなると、バレンボイムとシカゴの面目躍如で、どっしりと構えつつ、堂々たる音楽の運びで充実してます。
フィガロやウィンザーには、より軽やかさを求めたくもありますが、オベロンと真夏の夜は、ロマンティックでドイツの森を感じさせ、単体で聴くオーケストラピースとしては完結感にもあふれていて実に気分がよろしくなります。

ちなみに、この録音の5年後に、シカゴ響はレヴァインとこの作品を録音してますが、そちらは軽やかで威勢のよさを感じます。
バレンボイムは、より堂々としていて、重たいです。
ワーグナーもこの時期、のちのエラートの時代でなく、シカゴで録音して欲しかったものです。

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  サン=サーンス 交響詩「死の舞踏」

 ダニエル・バレンボイム指揮 パリ管弦楽団

      (1980.10 @パリ)

1975年にパリ管の首席に就任していたバレンボイム。
当然のように、フランス管弦楽作品は、パリ管。
しかし、寄せ集め感があって、既存録音のサムソンとデリラやベルリオーズなどからチョイスされてます。
「ローマの謝肉祭」「ベンヴェヌート・チェッリーニ」「ノアの洪水」「サムソンとデリラ」「魔法使いの弟子」などが収録。
シカゴから順番に聴いてくると、ここで明らかにオーケストラの毛色がまったく変わったのがわかります。
もちろん、録音の違いも大きいですが。
サラッとしてて、しなやかなサウンド。
バレンボイムの指揮ですから、重心はやや下にありますが、ヨルダノフのヴァイオリンソロも含め、木管のさりげないひと吹きも色艶があって、魅惑的です。
ドビュッシー、ラヴェルやフランク、ベルリオーズなど、パリ管時代に残してくれた数々の録音は、いまや達観の域にあるバレンボイムの若き貴重な遺産だと思いますね。

 しかし、パリ管は、フランス人指揮者が首席にならないし、毎回、よく変わります。

ミュンシュ→カラヤン→ショルティ→バレンボイム→ビシュコフ→ドホナーニ→エッシェンバッハ→P・ヤルヴィ→ハーディング→マケラ

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 ディーリアス 「春はじめてのかっこうを聞いて」
        「川の上の夏の夜」
         2つの水彩画
        「フェニモアとゲルダ」間奏曲

 ダニエル・バレンボイム指揮 イギリス室内管弦楽団

      (1974.5 @ハンブルク)

音楽旅は、大好きな英国へ。
パリから、ロンドンに着くと、音楽も演奏も、1枚ヴェールがかかったように、くすんでいる。
本格的な指揮活動は、イギリス室内管と。
いうまでもなく、モーツァルトの弾き振りからだったのですが、EMIで徐々にレパートリーを拡張。
「浄夜」と「ジークフリート牧歌」にヒンデミットを組み合わせた1枚なんて、最高だった。
ベルリンでも録音したエルガーを除くと、英国音楽の録音は、この1枚と、RVWの協奏曲のみかもしれない、ましてディーリアスはありえない。
「グリースリーヴス」「揚げひばり」、ウォルトン「ヘンリー5世」が併録。
のちに、RVWのオーボエとチューバの協奏曲も録音。

室内オケでありながら、恰幅のよさはバレンボイムならではですが、ひたすらに肩の力を抜いて慎ましい演奏に徹しているのがよかった。
時節柄、「川の上の夏の夜」に「水彩画」、「フェニモア」がことさらによろしく響き、窓から入り込む夏の風もどこか爽やかに感じるがごとくでありました。

指揮者としての日本デビューは確か、1971年で、こちらのイギリス室内管と。
モーツァルトを中心とするプログラムで、髪の毛はもじゃもじゃだった。
その時に、N響にも来演し、ズッカーマンとメンデルスゾーン、チャイコフスキーの4番を指揮してます。
テレビで見ましたが、あの時の指揮はよく覚えてます。
 http://wanderer.way-nifty.com/poet/2006/09/post_4a42.html

あのときのごりごりした指揮ぶりとは別人の神妙さ。
懐かしい郷愁の響きもここでは感じます。
バレンボイムも若かった、イギリスのオケも味わいがあった・・・・

先ごろも、ピアノストとして来日し、ベートーヴェンを聴かせてくれたバレンボイム。
78歳、まだまだ活躍しそうな感満載のずっと精力的なこの芸術家は、音楽史上まれにみる存在であります。
ベルリン・シュターツカペレとは、もう40年近くになります。
また、このオーケストラを率いて来演して、オペラも含めて指揮をして欲しいと熱望します。

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心落ち着く日がともかく恋しい。

若きバレンボイムによる音楽旅、楽しかった。

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2021年7月11日 (日)

R・シュトラウス 「火の欠乏」 シルマー&フェッロ

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雨の日の前日の空。

夕焼け好きのワタクシです。

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少し時間を経過して。

このあと、東京タワーのライトアップが引き立つ時間、好き。

本blog、二度目のシュトラウスのオペラ全作シリーズ。

第1作「グントラム」に続き、2作目の1幕オペラ「火の欠乏」。
私は、この作品がフリッケ盤で出たときから、Feuersnot、火がないことことから、「火の欠乏」と呼んできました。
ほかにも、「火の飢餓」「火の危機」とかも呼ばれますが、日本シュトラウス協会では、「火の消えた町」と称しているそうで、このオペラの内容からしたら、そちらがまさにピタリとくるものです。
ですが、ここでは、自分が長く親しんできた名前で行きます。

1901年、シュトラウス37歳の作品で、全作の「グントラム」からは9年の歳月が流れてます。
この間、多くの歌曲や、高名な交響詩、ティル、ツァラトゥストラ、ドン・キホーテ、英雄の生涯などを書き上げていて、そうオーケストレーションの達人にもなり、かつ歌に対しても名手の域に達していて、さらに指揮者としても大活躍だったシュトラウスなのです。

ワーグナーの虜が書き上げたような、素材ともに、もろにワーグナーの影響下にあった「グントラム」。
ここ「火の欠乏」では、ワーグナーを腐した町、ミュンヘンを揶揄する内容において、ワーグナーの素材などがパロディーとして使用されているが、ワーグナーの神話的な世界や、分厚いオーケストラ、半音階的な和音などは、ほぼありません。
響きは明るく明晰で、これはずっと後年まで続くシュトラウス独自に明朗な音楽に共通です。
美しく、思わず身体が動いてしまうようなステキなワルツもあるし、一度聴いたら忘れられないフレーズなどたくさん。
さらには、主役のバリトンの長大なモノローグは、後続のオペラで、ソプラノやバスが担うことになる、味わい深く、教訓や人生観をも感じさせるものがあります。

しかし、完成されたスコアの最後には、「全能者に敬意を表し、その誕生日に完成。1901年5月22日、ベルリンにて」とあります。
そう、5月22日は、ワーグナーの誕生日です。
あくまでワーグナーへのリスペクトは変わらなかったシュトラウスです。

「火の欠乏」から4年後には、「サロメ」が生まれますが、明るいメルヘンのあと、バラの騎士でなく、サロメやエレクトラに行ったのは、これもまたシュトラウスの音楽の変遷を思う中で面白いことです。
ひとつには、ホフマンスタールとの出会いも大きいことかと。
あとは、批判を恐れない、大胆な芸術家としてのシュトラウスの在り方。

「火の欠乏」は、ベルリンで作曲されたとき、当局から検閲を受けてます。
「サロメ」はもちろん検閲騒ぎになったわけですが、穏健な音楽の「火の欠乏」だったのですが、ヴォルツーゲンが書いた台本には、バイエルン地方の方言がそのままに用いられていて、なかには当時、猥雑な内容ともされたものだったからです。
シュトラウスは、ミュンヘンへの揶揄をこうした部分でも表しているのです。
 検閲後、ベルリンで初演されたが、7回ほど上演されたのち、ドイツ国の皇后が、つまらないと指摘したこともあり、上演は幕引きとなってしまった。

サロメ以降ばかりが、上演されるのに、「火の欠乏」は、音楽だけをとれば見逃せないシュトラウスらしい作品だと思います。
 クンラートの大演説にリングのライトモティーフが出てきたりして、とても神妙となります。
そのあと、火が町に戻ってくる場面の音楽のすばらしさといったらありません。
目頭が熱くなりました・・・・

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舞台はミュンヘン。今日はお祭り、「火祭の日」である。
子供達が楽しそうに歌いながら、町を練り歩く(呪文のような謎のセリフ)。
市長の娘ディムートは「結婚しない女」で、遊び仲間の女3人と子供達にお菓子をくばったりしている。
街の変わり者クンラートは、ボサボサの髪、むさ苦しいなりで自宅で本に没頭していて、今日が祭りの日ということを知ってかしらないか。
「燃え盛る火を二人して飛び越えると愛が成就するよ」と子供たちから、祭の伝説を聞かされ、すっかりその気になって夢中になってしまう。
調子に乗って「ディムート」に愛を告白して、ついでにキスまでしてしまう。
これには、町中大受けで、たくさんの人からディムートは囃され、笑いのネタにされてしまい、恥ずかしさのあまり、家に飛び込んでしまう。

ディムートは口惜しくてくやしくて、お返しをしようと思っていると、バルコニーの下にクンラートが現れる。
作戦ながら彼をすっかりその気にさせて、思わず熱烈な2重唱が歌われる。
クンラートは、感極まって上にあがりたがり、まんまと籠にのる。

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バルコニーに向けてするすると持ち上がって行くが、ディームートによって途中で止められてしまう。
ディムートは、街中の人を呼び集め、籠の中の宙吊りのクンラートは、さらしものにされ、物笑いの種となってしまった。

騙されたと知った彼は、頭にきて街の火や明かりを消してしまう呪文を唱える。

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ミュンヘンは、真っ暗闇になってしまった。

人々は、クンラートに助けを請い、またディームートのバカげた行為を非難し、彼女に謝るように、そして彼のもとに行くようにと嘆願する。
 ここでクンラートは、ついに世紀の大演説をぶつ。
「火祭のほんとうの意味を理解していないから、こうして暗闇が訪れるのだ。
かつてミュンヘンは偉大なマイスター(ワーグナー)を冷遇した、そしてシュトラウスもだ。」
このあたりで、ヴァルハラの動機まで出てくるし、シュトラウスの作品の旋律もチラチラする。
こんな意味のことを比喩をまじえながら、ちくちくと町を揶揄して人々を諭すように歌う。
 明かり(火)も愛も、唯一女性からもたらされるのだ、と歌い最後は二人仲良く抱き合う。

              幕

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  R・シュトラウス 歌劇「火の欠乏」 op.50

   ディームート:シモーネ・シュナイダー
   クンラート :マルクス・アイヒェ
   シュヴァイカー・フォン・グンデルフィンケン
   (城の廷士):ロウヴェン・フトハー
   オルトロフ・ゼントリンガー
   (城主)  :ラース・ヴォルト
   エルスベート:モニカ・マスクス
   ウィゲリス :サンドラ・ヤンケ
   マルグレート:オレナ・トカール
   ヨェルク・ペーシェル:ヴィルヘルム・シュヴィンクハマー
   ヘーメルライン:ミヒャエル・クプハー
   コーフェル :アンドレアス・ブルクハルト
   クンツ・ギルゲンストック:ルートヴィヒ・ミッテルハマー
   オルトリープ・トゥルベック:ソン・スン・ミン

  ウルフ・シルマー指揮 ミュンヘン放送管弦楽団
             バイエルン放送合唱団
             ゲルトナープラッツ州立劇場少年少女合唱団

     (2014.1.24,26 @プリンツレゲンテン劇場、ミュンヘン)

ハインツ・フリッケ盤以来29年ぶりの「火の欠乏」の録音。
同じ、ミュンヘンでの録音で、オーケストラも同じなところがおもしろい。
そう、まさにミュンヘンゆかりの作品ゆえで、ワーグナーとシュトラウス自身に厳しかったミュンヘンでの録音しかないのもおもしろい。
しかも、このシルマー盤の録音は、ルートヴィヒ2世が、当初ワーグナーのために建設した劇場で行われてます!
このときの演奏会形式の模様がyoutubeで全曲視聴が可能です。
(https://www.youtube.com/watch?v=bplGSjUWQL0)

音質と画質は目をつぶるとして、この作品を手中にしたかのようなシルマーの練達の指揮ぶりと、大編制のミュンヘンの放送オケの実力のほどを感じさせます。
バイエルン放送響の影にかくれ、二軍みたいた存在に思われることが多いが、作品への順応性と、明るい音色と機能性の豊かさ。
管がものすごくうまいです。
CPO盤のこちらのCDは、音質も含め、下記のとおり歌手もよく理想的なもの。

歌手では、バイロイトの常連、名ウォルフラムのアイヒェの独り舞台。
素直なクセのない美声はのびのびとして、耳に心地いいし、言葉も明瞭で、かつてのプライの声を軽くしたような感じか。
聴かせどころ、「Feuersnot」と呼びかけるところ、ずばり、決まってますし、長大なモノローグも弛緩なく実に豊かです!
フリッケ盤のヴァイクルの声の印象が強すぎだが、このアイヒェの美声になれちゃうと、ヴァイクルの声は強すぎで、ザックスみたいに感じてしまうから困ったものだ。
 シュナイダーさんの、ディームートは、ちょっと高慢で空気読めない女性をよく歌いこんでいて、強い声も絶叫にならず、余裕があるのがいいです。
ほかたくさんの登場人物たち、本場での上演だけに、合唱・少年少女も含めて、みんなドイツ語がはっきりくっきりでよいです。

というにも下のDVDは、イタリア人たちの発声が明るすぎだったからなんです。

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  R・シュトラウス 歌劇「火の欠乏」 op.50

   ディームート:ニコラ・ベラー・カルボネ
   クンラート :ディートリヒ・ヘンシェル
   シュヴァイカー・フォン・グンデルフィンケン
   (城の廷士):アレックス・ヴァヴィロフ
   オルトロフ・ゼントリンガー
   (城主)  :ルーベン・アモレッティ
   エルスベート:クリスティーネ・クノッレン
   ウィゲリス :アキーラ・フラカッソ
   マルグレート:アンナ・マリア・サッラ
   ヨェルク・ペーシェル:ミハイル・リソフ
   ヘーメルライン:ニコロ・チェリアーニ
   コーフェル :パオロ・バッタギルタ
   クンツ・ギルゲンストック:パオロ・オレチーナ
   オルトリープ・トゥルベック:クリスティアーノ・オリヴィエーリ

  ガブリエーレ・フェッロ指揮 マッシモ劇場管弦楽団
                マッシモ劇場合唱団

                マッシモ劇場児童合唱団

        演出:エンマ・ダンテ           

     (2014 @マッシモ劇場、パレルモ)

まさかの劇場上演のDVDが出ました。
しかも、シルマー盤と同じ2014年の上演記録です。
この年は、シュトラウスの生誕150年。
よくぞ、映像作品として出してくれました。
劇の内容からして、イタリア人の好みそうなものだし。

日本語対訳が付いてないものの、おおまかな筋立てを理解していれば、ほぼ楽しめます。
時代設定は現代にしてるものだから、やたらとたくさん出てくる登場人物たちが、誰が誰やらわからない。

主役の男女と、女性の父(城主・市長)、女性の女友達3人、父の秘書的(城の廷士)なテノール、このあたりだけ押さえておけば大丈夫かと。
しかしながら、この女性の演出家、最初から最後までダンサーを多用して、舞台はどこもかしこもダンサーだらけで、脱いだり着たり、男もブラジャーしてるし、なにがなんだかわからんし、目障りなことおびただしい。
ただでさえ、ちょい役の歌手がいっぱいいるのに・・・

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 でも、ラスト、クンラートが魔法を解除し、火が町に戻ってきたとき、ダンサーたちがオレンジの布をたくさんヒラヒラさせて、舞台がオレンジに染まったとき、素晴らしい音楽とともに、ほんと美しいと思いましたね。
ディームートが皆にせがまれて、クンラートの元に行き、最後に2人の邂逅の証に「すばらしい真夏の夜よ、永遠にアイしてるーー」って歯が浮くように歌うんですが、この演出では、窓から出てきたとき、ひとりはブラジャー姿、もうひとりは上半身裸の胸毛姿。。。。
なんだかなぁ、そこまで見せる必要あるかい??
最終場面のファタジー感、がぶっとんだ・・・

D・ヘンシェルのFDばりの知的な歌は、その気難しい風貌とともに、この役になりきってサマになってました。
でも、アイヒェのすばらしさには敵わない。
カルボネさんのディームートは、もう少し色っぽいと舞台映えしたと思うけど悪くない。
ほかの人は、多すぎでなんだかさっぱりわからないけど、3人娘は楽しかった。
 指揮のフェッロは、ずいぶんとお歳を召したものだと思った。
ロッシーニ指揮者として80年代に活躍、あと以外にも、ツェムリンスキーも指揮したりもしてたから、シュトラウスもお得意なんだろう。
パレルモの明るいけれど、ドイツの響きとは全然違うオケピットの音色が、思いのほか新鮮です。
この劇場で、インキネンはリングを振ってますね。

お部屋で、こうしてオペラが視聴できちゃう幸せ。
昔なら考えられないことです。
劇場に行きたいけれど、なかなか難しいし。

ワーグナーとシュトラウス、プロコフィエフも交互に全作を取り上げ中、ついでにヘンデルとロッシーニも。
歳と残された年月を考えたら、こんな企画はもう最後かもね。

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2021年7月 3日 (土)

モーツァルト 交響曲第40番 アバド指揮

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ピークは過ぎましたが、日本の梅雨は、紫陽花。

小田原城の下には、紫陽花がたくさん咲いてました。

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幼稚園の遠足は、小田原城でした。

城内には、動物園があり、そう、日本最高齢のゾウとして平成21年に亡くなった「ウメ子」がまだまだ若かったころ。

なにもかも、セピア色の思い出です。

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  モーツァルト 交響曲第40番 ト短調 K.550

 クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

        (2009.6 @マンツォーニ劇場、ボローニャ)

アバド2度目の40番。
2004年にアバドによって創設された、オーケストラ・モーツァルト。
アバドは、この若いオーケストラと精力的にモーツァルトを中心に録音をしました。
交響曲とヴァイオリン協奏曲、管楽の協奏曲、ピアノ協奏曲と。
交響曲は、あと36番が録音されれば後期のものが完成したのですが、29番と33番が録音されたのはうれしい。

1990年代には、ベルリンフィルと、23,25,28,29,31.35.36番です。
1980年代は、ロンドン響で、40,41番、あとゼルキンとのピアノ協奏曲。
1970年代は、ウィーンフィルとあのグルダとのピアノ協奏曲。
この70年代に、ウィーンフィルと交響曲を録音して欲しかったものですが、デッカでケルテスが録音してましたし、DGはベームの晩年の記録を残すのに全力をあげてましたね。

年代によって、アバドのモーツァルトの演奏スタイルも大きく変わっていきました。
2000年以降、マーラー・チェンバーやモーツァルト管とバロックや古典を演奏するときは、ヴィブラートを極力排した古楽奏法を用いるようになりました。

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  モーツァルト 交響曲第40番 ト短調 K.550

 クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

      (1980.1.31 @聖ジョーンズ・スミス・スクエア)

26年の開きのある、ふたつのモーツァルトを聴いて、これが同じ指揮者によるものか?と思えるくらいに別物の演奏に聴こえます。

テンポは新盤の方が古楽奏法とあって早いが、2楽章と終楽章のくり返しを入念に行っているので、演奏時間は新盤の方がずっと長い。

 LSO(28'51"       Ⅰ.8'38"    Ⅱ.8'37"     Ⅲ.4'39"    Ⅳ.6'55")

   MO (35'05"       Ⅰ.7'48"    Ⅱ.13'34"   Ⅲ.3'57"    Ⅳ.9'46")

デジタル時代に入ったのに、ロンドン響との録音はアナログです。
その柔らかな音が、デジタル初期の堅い音でなかったのが本当にありがたい。
久しぶりに聴いて、即買い求めたレコードの印象でうけたキリリち引き締まった演奏であるとの思いはかわりません。
また数年前のblog記事とも、印象は同じ。
 <極めて、楽譜重視。それを真っ直ぐ見つめて、余計な観念や思いを一切はさまずに素直に音にしたような演奏
甘い歌いまわしや、悲しさの強調、熱さなどとはまったく無縁。
こんなに素直な演奏をすっきりしなやかにやられたら、聴く我々の心も緩やかな気持ちにならざるを得ない。
深刻な短調のモーツァルトを、胸かき乱して聴く方からすれば、この冷静な演奏には歯がゆい思いをするであろう。>

素直で自然体の演奏が、みずから語りだす音楽のすばらしさ。
凛々しくもみずみずしい、この頃から始まったマーラー演奏も、みんなそんな指揮ぶりだった。

しかし、モーツァルト管との演奏のあとに、ロンドン響を聴くと、そちらの方が細かなニュアンスが豊かで、繊細さもより感じたりもしたのだ。
客観的な演奏だと思い込んでいたロンドン響の録音。

モーツァルト管との演奏は、ほどよいピリオド奏法をとりながら、先鋭さは一切なく、しかもト短調という悲壮感や哀感はさらにまったくなし。
さりげなく、すぅーっと始まり、風が通り抜けるくらいにさらりと終えてしまう。
40番という曲に求めるイメージと大違いで、人によってはこちらの方が物足りなさを感じてしまうかもしれない。
全体に軽く、羽毛のように、ひらりと飛翔する感じなんです。
若いメンバーの感性に委ねてしまい、逆にメンバーたちは、アバドの無為ともいえる指揮に導かれて、おのずと若々しくも透明感あふれる音楽が出来上がることとなった。
ロンドンとの第2楽章も美しいが、モーツァルト管との長い第2楽章は、歌にもあふれ、楚々とした趣きがまったく素晴らしく、さざめくような弦の上に、管が愛らしく載っかって曲を紡いでゆくさまが、ほんとステキ。
ここ数日、寝る前に、この楽章を静かに聴いてから休むようにしてました。
アバドの作り出す音楽、2013年8月のルツェルンが最後となりましたが、そのあと、アバドが何を指揮し、どんな演奏を聴かせてくれただろうか?

さて、このふたつの40番、どちらが好きかというと、わたしはやはりロンドン盤でしょうか。
壮年期のアバドが、ロンドン、ウィーン、ミラノ、シカゴと世界をまたにかけて活躍していたころ、おごることなくたかぶることなく、こんな素直なモーツァルトを演奏していた。
あとなんたって、このレコードを愛おしく聴いていた自分も懐かしいから。
モーツァルト管の演奏は愛着という点でロンドン響に勝らなかった・・・・

これからもアバドのいろんな演奏は繰り返し聴いていきます。

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今年のアバド生誕週間は、ロッシーニとモーツァルトでした。

ことに、あんまり聴いてなかった、「ランスへの旅」はほんとうに面白かったし、自分にとっての新たな「アバドのロッシーニ」の発見でした。
願わくは、いろんな放送音源をいずこかで正規に音源化して欲しいものです。

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2021年6月27日 (日)

ロッシーニ 「ランスへの旅」 アバド指揮

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梅雨の狭間の晴れ間に皇居。

二重橋です。

ほんとに美しい、緑と青。

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こちらは桜田門。

後ろ手に警視庁があり半蔵門、左手奥は国会議事堂があります。

こうした都心散歩も天気に恵まれると清々しいものです。

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6月26日は、クラウディオ・アバド、68回目の誕生日です。

アバドの十八番ともいえるロッシーニ。

実は「ランスへの旅」は、この作品が蘇演され、そのライブがCD化されてすぐに買い求めて聴いてから、実に35年ぶりに聴きました。
ベルリン盤は、持ってたけど、実は初めて聴いた。。。
なんども恐縮ですが、いまさらながらロッシーニが好きになりましたもので、喜々としてこのふたつの録音をとっかえひっかえ聴きまくり満悦の日々をこのところ送ってました。

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  ロッシーニ 歌劇「ランスへの旅」

   コリンナ:チェチーリア・ガスティア
   メリベーア侯爵夫人:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
   フォルヴィルの伯爵夫人:レラ・クヴェッリ
   コルテーゼ夫人:カーティア・リッチェレッリ
   騎士ベルフィオール:エドアルド・ヒメネス
   リーベンスコフ伯爵:フランシスコ・アライサ
   シドニー卿:サミュエル・ラミー
   ドン・プロフォンド:ルッジェーロ・ライモンディ
   トロムボノク男爵:エンツォ・ダーラ
   ドン・アルヴァロ:レオ・ヌッチ
   ドン・プルデンツィオ:ジョルジョ・サルヤン
   ドン・ルイジーノ:オスラヴィオ・ディ・クレディーコ
   マッダレーナ:ラクェル・ピエロッティ
   デリア:アントネッラ・バンデッリ
   モデスティーナ:ベルナデッティ・マンカ・ディ・ニーサ
   アントニオ:ルイージ・デ・コラート
   ゼフィリーノ:エルネスト・ガヴァッツィ
   ジェルソミーノ:ウィリアム・マテウッツィ

    クラウディオ・アバド指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団
               プラハ・フィルハーモニー合唱団

         演出:ルカ・ロンコーニ

  (1984.8.16~26 @ペ-ザロ、ロッシーニ音楽院、ペドロッティホール)

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   コリンナ:シルヴィア・マクネアー
   メリベーア侯爵夫人:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
   フォルヴィルの伯爵夫人:ルチアーナ・セッラ
   コルテーゼ夫人:チェリル・ステューダー
   騎士ベルフィオール:ラウル・ヒメネス
   リーベンスコフ伯爵:ウィリアム・マテウィツィ
   シドニー卿:サミュエル・ラミー
   ドン・プロフォンド:ルッジェーロ・ライモンディ
   トロムボノク男爵:エンツォ・ダーラ
   ドン・アルヴァロ:ルチオ・ガッロ
   ドン・プルデンツィオ:ジョルジョ・サルヤン
   ドン・ルイジーノ:グリエルモ・マッティ
   マッダレーナ:ニコレッタ・クリエル
   デリア:バーバラ・フリットーリ
   モデスティーナ:バーバラ・フリットーリ
   アントニオ:クラウディオ・オテッリ
   ゼフィリーノ:ポージダール・ニコロフ
   ジェルソミーノ:ポージダール・ニコロフ

    クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
               ベルリン放送合唱団
         Fl:アンドレアス・ブラウ
         Hp:シャルロッテ・スプレンケレス

        演出:ドラナ・キーンアスト

      (1992.10.13~19 @ベルリン・フィルハーモニー)

このふたつの上演のほかに、アバドはスカラ座とウィーン国立歌劇場でも上演してます。
スカラ座:1985年9月~ キャストはペーザロのものとほぼ同じ
ウィーン国立歌劇場:1988年1月~ ペーザロのメンバーに、コルテーゼ夫人がカバリエに変わってます。
          1989年10月  東京文化会館で5回上演 カバリエ

こうしてみると、アバドはポストが変わるごとに、思い入れのある作品をことごとく取り上げてます。
ミラノ→ウィーン→ベルリン。
アバドの足跡をたどってみると、こうした勝負作品が絞られてきます。
オペラで言うと、シモン・ボッカネグラ、ドン・カルロ、チェネレントラ、ヴォツェック、ボリス・ゴドゥノフ、ここにランスへの旅も加えてもいいかもしれません。

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「バレーを伴う舞台カンタータ」というカテゴライズをされ、ロッシーニの作品目録にはオペラ扱いもされておらず、1970年代までは、まったく未知の作品だった「ランスへの旅」は、「ランスの旅、または金の百合亭」という長いサブタイトルもあります。
イタリアに別れを告げ、フランスで活動をしていた1825年、シャルル大帝の戴冠式に、ということでその祝賀式記念オペラを委嘱され作曲された。
このシャルル大帝の戴冠式が最後となってしまったが、フランスの歴代皇帝は、戴冠式の聖油を授かるのはランスで、という伝統があり、パリでは同時に祝祭行事が行われていた。
この事実をまさに扱ったのが、この作品で、「各国の時間を持て余したお金持ちがランスに向け、旅をしようと、金の百合亭という温泉地旅館に滞在していたが、馬車や馬といった交通手段を得ることができなくなり、大騒ぎになるが、シャルル大帝がパリに戻るということで、定期便を利用してパリに行くぞー、そのまえに宴会だぁ~」というのが概略。

結局、4度ほど上演され、ロッシーニはこうした特別な機会オペラなので、今後の上演にもこだわらず、出版もされず、フランス語オペラ「オリー伯爵」に改訂を加えて転用し、そのままになってしまい、自筆譜は各処にバラバラに消失。
 1970年代終わりの頃から、この作品の発見の旅が始まり、まずは、パリの国立図書館でパート譜の多くが発見。
次に、自筆譜の一部がローマのチェチーリア音楽院の図書館で見つかるが、自筆譜の多くは、オリー伯爵に転用後捨てられてしまっていたことも判明。
それからウィーンの国立図書館では、第三者による改作譜の一部も見つかり、調査の範囲も広がり、復元が苦心惨憺なされた。
それらの楽譜の一部が、ロッシーニ協会からアバドの元に送られ、興味を示したアバドは、復元の立役者ロッシーニ研究科のゴセット教授とともに、本格的な上演に向けて検討を積み重ねました。

こうして、1984年8月にペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティバルで歴史的ともいえる蘇演がなされたわけです。

初演時が、ともかく祝祭的な国家事業規模のものだったので、ロッシーニは当時の名歌手たちを想定して、10人もの主役級の歌手と難易度の高いアリアや重唱、名人芸を披露するソロを含むオーケストラパートなど、ある意味金に糸目をつけない贅沢品のような作品に仕上がってのです。
このあたりも、もう上演されないかも、的な思いを抱いた理由かもしれません。

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劇の内容は、ばからしく他愛もないけれど、ややこしいのは各国の登場人物たちの名前と身分をあらわすタイトルで、彼らが次々と登場しては歌いまくるので、その都度、解説書の配役表に戻ってにらめっこすることとなる。
それでも1度や2度ではわからない。
しかし、今回、貴重な映像を発見したので、それも全部見ることで、ほぼ作品理解につながりました。
ということで、ペーザロでの出演者をアイコンにして、みなさんのお立場や、このオペラで何をするかをまとめてみました。

Corinna コリンナ:有名なローマの女流即興詩人
            実はシドニー卿と相思相愛の精神的恋愛中
            しかし、女好きのベルフォーレに言い寄られる

Melibea メリベーア侯爵夫人:ポーランド出身、イタリア人将軍の未亡人
          リーベンスコフと恋仲だけど、ドン・アルヴァロも好意

Follevilleフォルヴィル伯爵夫人:若い未亡人、パリっ子で常に流行に敏感
              最後はすけこましのベルフォールとしっぽり 
  
Corteseコルテーゼ夫人:チロル生まれ、金の百合亭のオーナー
        とてもいい人、多くの使用人からも慕われてる

Belfiore騎士ベルフィオール:フランスの仕官、女性を口説くことが趣味
          日曜画家でもあったりする

Libenskofリーベンスコフ伯爵:ロシアの将軍、頑固で嫉妬深い
          メリベーア侯爵婦人のことが好き         

Sidneyシドニー卿:イギリスの軍人、コリンナを愛してる
      固い人物で、コリンナへの愛情表明も慎み深い

Don-profondドン・プロフォンド:学者、コリンナの友人
          熱狂的ともいえる骨董品・歴史物マニア
          ほかの人物たちをよく観察している

Trombonokトロムボノク男爵:ドイツの陸軍少佐、熱烈な音楽愛好家
         後半で、歌合戦の司会を務めるなど狂言回し的存在

Don-alvaroドン・アルヴァロ:スペインの提督、堅物風だが熱い男
         メリベーア侯爵夫人のことが好きで、リーベンスコフと喧嘩

ほかの登場人物は、宿の就業者や、各金持ちさんのお付きの方々ですが、レシタティーヴォだけだけど、重要な伝達役だったりで、役回りとしてそれなりの存在を求められます。
ペーザロ盤では、マッテウッツィがそうした端役を歌いながら、ベルリンではロシアの伯爵に昇級。
またおなじみのフリットーリがベルリン盤では端役として出てます。
ちょい役だけど、ちゃんとフリットーリのお声でした。

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「ランスでの戴冠式に備えて、金の百合亭で出発を待つ各国の諸氏。オーナーのコルテーゼ夫人がスタッフたちに激励。
おしゃれ好きのフォルヴィル伯爵夫人は、せっかくの衣装が届かずイライラしていて、しまいには気絶してしまう。
みんなで介抱するうち、荷物のなかから、ステキな帽子が見つかり、すっかり上機嫌な伯爵夫人。
メリベーア侯爵夫人をめぐって、リーベンスコフとドン・アルヴァロが喧噪を起こす、ほかのメンバーも加わって大騒ぎとなるが、そこにハープを伴って、コリンナが涼やかな歌を披露し、一同は聞き惚れ平和な思いをかみしめる。
 場は変わり、シドニー卿が登場し、フルートを伴ってコリンナへの愛を歌う。
ドン・プロフォンドは、シドニー卿にアーサー王の甲冑とかなんとかはどこで見れるの?と問い、とんちんかんなやり取りがある。
ついでは、女好きのベルフィオールがコリンナを歯も浮くようなセリフでナンパをするが、コリンナは冷たくあしらう。
そんなやりとりを、ニヤニヤしながら見ていたドン・プロフォンドは、参加した諸氏のお国のお宝や骨董を、ものすごい勢いで賛美する。
 さてしかし、一同のもとに、馬車の用意ができない、馬もまったく手当てできないという報告が届く。
<あーーーー!>ものすごい全員の声による落胆!

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 またまたさてしかし、お手紙到着、数日のうちに国王がパリに帰還し、そこでお祝いの行事が行われると判明。
一転して狂喜乱舞、パリなら定期便があるので必ず行ける、まずはここでパーティを、残ったお金は寄付しようということになり、14人の大コンチェルティーノとなる(ここはすごい!!)
 (全曲通しの1幕ものだけど、上演ではここで一休み)
メリベーア侯爵夫人とリーベンスコフは、仲直りして愛の二重唱。
めでたし、ということでこれよりフィナーレ。
トロムボノクの司会で、メンバーが次々に、自国の歌やダンスを披露、ここがまた楽しい、まるでガラ・パフォーマンスだ。
最後は、コリンナに、ということで何をテーマに歌うかということで投票が行われ、フランス国王シャルル10世が選ばれ、彼女はオオトリに、ハープを伴い、これもまた素晴らしく玲凛としたアリアを披露。
国王を全員で賛美し、幕となる」  

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しかし、華麗でありつつ、ユーモアたっぷり、皮肉や引用も巧みで、最高のエンターテインメント魂に富んだロッシーニの筆は冴えわたってます。
聴いていると、体も動きだすみたいで、中毒性もあります(笑)

①コルテーゼ夫人のアリア~ものすごい技量が要求される
②フォルヴィル伯爵夫人のアリア~コロラトゥーラの難易度の高いアリア
③6重唱~嫉妬と混乱
④コリンナのアリア~ハープソロにより美しい曲
⑤シドニー卿のシェーナとアリア~フルートソロを伴う長大な曲、フルートは超難しい
⑥ベルフィオールとコリンナの二重唱~恥ずかしくなるくらいのナンパ曲
⑦ドン・プロフォンドのアリア~カタログの歌、私は町の何でも屋にも通じる早口アリア
⑧14声によるコンチェルタート~もう楽しくてしょうがない、アバドはここをアンコール
⑨メリベーア侯爵夫人とリーベンスコフの二重唱~どちらも難解な歌
⑩リトルネッロ~古風なバレエ音楽
⑪フィナーレ~ドイツ賛歌・ポロネーズ・ロシア賛歌:スペイン民謡・イギリス国歌・フランス民謡・ヨーデル
⑫即興曲~コリンナのアリア

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これが発売されたとき、高崎先生は「満漢全席」と評されました。

まさにそう、音楽もそうだし、この2つのCDのアバドの指揮のもとに集まった歌手たちのメンバーの豪華さもそう。
ペーザロの蘇演では、フレーニも候補としてノミネートされていたらしいから、そこもまた聴きたかった。
アバドとして最後のランスのベルリンまで、ずっと変わらぬメンバーのテッラーニがまず素晴らしい。
つくづく早逝が惜しまれますが、真のロッシーニ歌手かと思う。
 あと重複組では、凛々しいラミー、あきれ返るくらいにウマいライモンディ、余人をもって耐え難いエンツォ・ダーラの面白さ。
マクネアーも無垢でよろしいが、ガスティアの常人的でないくらいの美声によるコリンナが可愛い。
ふたりのフランス夫人は、クヴェッリの透明感あふれる歌唱、セッラの驚きの軽やかさ、どちらも捨てがたく好き。
館のオーナーは、リッチャレッリに軍配。ステューダーはちょっと不安定かな、声は好きだけどね。
アライサ完璧、大好き。
アバドファミリーのふたり、ヌッチとガッロもうまくて芸達者だ。
ふたりのヒメネスは、技量がすごい、でも空虚感も感じるのはロッシーニが描いたこの人物ゆえかww

最後にアバドの指揮。
映像で確認すると、完全暗譜。
その指揮姿も、聴かれる音楽も、まるで出会ったばかりの作品とはこれっぽちも感じさせない。
それだけ、自分のものになってるし、緻密に書かれたロッシーニの音符が自然体で、新鮮さをともなっていることに驚き!
指揮者とともに、初の演奏体験をしたヨーロッパ室内管の方が、鮮度のうえではかなり上回る。
演奏することの喜びを、アバドの指揮の下で爆発させている感じだ。
 一方、海千山千のベルリンフィル。
カラヤン時代は考えられなかったロッシーニのオペラに、全力投入。
世界一のオーケストラがロッシーニのオペラを演奏したらこうなる、という見本みないな、逆な意味で模範解答みたいな上質の演奏。
ブラウのフルートソロを始め、各奏者の腕前も引き立つ。
映像でも確認できる、手抜きなしの全力演奏ぶりに感心します。
両方のオケともに素晴らしいが、オペラとしては、ヨーロッパ室内管の方が相応しいかもしれません。
また、初演時の機会音楽としての祝祭性は、ベルリンフィルのきらびやかさが似合うのかもしれません。
こうなると、スカラ座、ウィーン、どちらも聴いてみたいもの。

で、そのウィーンでの上演の様子が、ネットで探すと全幕見れる。
画質は悪いが、カバリエの思わぬ芸達者ぶりもわかるし、最後に14重唱をアンコールしてる!!
さらに、ベルリンフィルとのステージ上演もネットにはありますよ。
こちらも低画質だけど、全員ノリノリで、観客も熱狂。アンコールもあり。
我が家には当時日本での放送のVHSビデオがあるはずなんだけど、行方不明中。
そしてさらに、ペーザロでの歴史的な蘇演もネットで、これがまた思わぬ高画質で見れました!!
これはまったく素晴らしい。
ということで、3つの映像も今回視聴。
頭のなか、ランスだらけだよ・・・・

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1989年のウィーン国立歌劇場の来日上演は、残念ながら、ランスとヴォツェックのアバドが指揮したふたつは行くことができなかった。

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パルジファルのS席に薄給を全力投球してしまったもので。
結婚したばかりで、そんな環境にもなかった時期でした。
しかし、時代はバブル真っ最中でしたねぇ・・・

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  (ペーザロでカーテンコールに応えるアバド)


長文となりましたが、アバドの音楽にかける思いは、ほんとうに熱く、多くの残された成果をこうして見聞きするにつけ、偉大な存在だったと思わざるをえません。

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大手町のビル群とお堀、そして城壁。

皇居の周りは、こうしてビルばかりとなってしまい、ほんとうはどうかと思われるのですが、考え抜かれた設計に基づいてのことだとは思います。
風も皇居から抜けて通るようになってるのが清々しいです。

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2021年6月20日 (日)

シューマン リーダークライスop.39 FD&コノリー

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京都の雨。

新緑の紅葉、雨の雫、ほんとうに美しかった。

秋もいいけど、この時期の日本の古都は静寂もあってすばらしいです。

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真言宗智山派、総本山の智積院。

おりからこの時期、誰もいない。

長谷川等伯一門による国宝の障壁画も、ゆっくりと鑑賞することができました。

梅雨の昼下がり、雨音のなか、シューマンの歌曲を。

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 シューマン リーダークライス op.39

    Br:ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ

    Pf:クリストフ・エッシェンバッハ

       (1976.4 @ベルリン)

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    Ms:サラ・コノリー

    Pf:ユージン・アスティ

       (2007.12 @ダンウィッチ、サフォーク州)

シューマンの歌曲集という名の「リーダークライス」。

ハイネの詩による作品24、アイヒェンドルフの詩による作品39のふたつの連作歌曲集があります。

ともに、1840年、「歌の年」に作曲された。

この驚くべき年に、シューマンは歌曲集をふたつのリーダークライス以外に、「ミルテの花」「詩人の恋」「女の愛と生涯」の5つを作曲。
他にも大半の歌曲を残したから、その集中力たるや!

よく言われるように、歌曲集は2つしか残さなかったシューベルトは、水車小屋や冬の旅のように、ドラマ性のあるわかりやすさで、歌手にも聴き手にも大いなる人気がある。
しかし5つも歌曲集を残しながら、シューマンの方は「詩人の恋」を除いて、物語性が薄く、個々の歌曲が独立して存在してする感。
それぞれも複雑な心理を宿していて、そこに分け入って聴きこむのは、なかなかに難しいものと感じます。
かくいうワタクシも、「詩人の恋」は数多く聴いてるし、コンサートも体験し、脳内で歌えちゃったりもします。

今回、作品39のリーダークライスを聴きこんで思ったのは、この歌曲集には「筋」がしっかり一本あり、さまよう自我とでもいえる孤独な深層が描かれているということ。
そもそもアイヒェンドルフの詩がそうだし、そこにつけたシューマンの音楽が哀しくも明るく、慎ましくも大胆であるという、複雑な様相を呈している。

F=ディースカウ、コノリー、あとオアフ・ベア、などの手持ち音源を何度も繰り返し数日聴いた。
わかったつもりでも、いや、やはり解明できないシューマンの音楽とその心情。

 1.「異国で」  2.「間奏曲」      3.「森の語らい」  4.「しずけさ」

 5.「月夜」   6.「美しい異国」    7.「古城から」   8.「異国で」

 9.「悲しみ」  10.「たそがれどき」11.「森のなかで」12.「春の夜」

いきなり、異国の地に紛れ込んでしまう第1曲。
ここからすでに、孤独と向き合わなければならないことに気づかされる。
この冒頭の歌曲は、当初「楽しい旅人」という別の歌曲がここにあったが、のちに今の「異国で」に変えられたという。
さあ、旅が始まりますよー、ではなく、いきなり異国に自分を置くことで、よりシリアスな内容になっていて、聴き手もただならない雰囲気に、即入り込むこととなります。
この1曲目の雰囲気が、もうこの歌曲集の全体を物語っているかのよう。

父も母も世を去って久しく、故郷では自分を知らない人が多い。
その先、僕という自分は、ずっと異郷にあってさまように、ときに恋人を思い、ときにローレライと語り、静けさのなかに海のかなたに思いをはせ、月夜には翼を広げて故郷に帰るという思いを綴る。
 そう、ともかくこの異郷から抜け出そうともがく自分なのである。
シューマンの散文的かつ、どこか後ろ髪ひかれる、ため息まじりの音楽は、その歌もピアノも各曲短いながらも極めてロマンティックである。
そしてガラス細工のように、細心の注意でもって扱わないと壊れてしまいそうで、デリケートな音楽。

古城にたたずみ、老騎士と眼下をゆく婚礼の舟を眺める。
詩の内容が映像となって脳裏に浮かんでくるような、そんなF=ディースカウの巧みな歌も手伝って、シューマンの紡いだ詩のなかの自分は異国であてどなくもがいている。
ナイチンゲールの歌声、深い森、小川のせせらぎなど、自分をとりまく自然の描写も美しい。
夜の闇も友のように感じる暗い歌、だがしかし、ことは急展開に起こる。

最後の12曲目、わずか1分あまりの歌のなかで、春は訪れ、月も星も森も、そしてナイチンゲールも祝福してくれる。
あのひとは、あなたのもの、と。
鮮やかなる異郷からの帰還に、シューマンの歌のマジックを体験した思い。
だがしかし、どこか心残りな気分もある。
これがシューマンの世界なのだ。

微に入り細にいり、言葉に乗せるF=ディースカウの絶妙な歌唱は、シューマンの音楽にぴたりと来る。
シューベルトを歌うとき、巧すぎて疲れてしまうことがあるが、シューマンのときには言外の思いまでも語るようなサービス精神が、リアル感を伴って切実な音楽となってしまう。
そんな歌に、完璧に同化してるし、さらに雄弁でかつ繊細なのがエッシェンバッハのピアノ。
歌の前奏と後奏が、こんなに聴かせるピアノってない。

サラ・コノリーの歌に切り替えると、耳が驚く。
一体、おんなじ曲集なのだろうか?
F=ディースカウの場合、自分は「私」や「俺」なんだけど、サラ・コノリーの場合はは、自分は「僕」なのだ。
フレッシュであり、中性的、しかもニュートラルな謡い口は、過度の感情注入は少なめで、さらりと聴きやすい。
コノリーさんは、昨年のオペラストリーミング大会で、ヘンデルのオペラでとても感心し、気にいったイギリスのメゾ。
そのあと聴いた、マーラーの「大地の歌」もとてもよかった。
男前なタカラジェンヌみたいなイメージのコノリーさんだけど、その声はとても優しく、スッキリ深いです。
ディースカウのあと聞いちゃうと、ドイツ語がやはり英語圏の人らしく軽く感じ、ピアノのコクもエッシェンバッハの比ではありません。
でも、コノリーさんのシューマン好きです。
併録の「女の愛と生涯」も素敵なものでした。

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しっとりと雨に濡れた苔むした庭園。

時間が止まったような空間でした。

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2021年6月11日 (金)

ビゼー 「カルメン」 マゼール指揮

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バラの花。

バラは漢字ではまず、書けませんな。(さかき・・・なんとかがあって覚えたフシもありますがむにゃむにゃ)

「バラ」、「ばら」、「薔薇」の3通り。

R・シュトラウスのオペラは、「ばらの騎士」と書くのが多い。
J・シュトラウスのワルツは、「南国のバラ」。
シューベルトの歌曲は、「野ばら」。
シューマンのカンタータは、「ばらの巡礼」。

そして、運命の女、いや、男をダメにする女、ファム・ファタールが口にくわえた花は、「薔薇」。
って漢字が合う。
カルメンは、ホセに、この薔薇を投げ、ホセは「お前が投げたあの花、牢屋でも枯れるまで握りしめていた・・」と虜にしまう。
メリメの原作は、どうやら薔薇ではないようだが、オペラでは、やっぱりバラじゃないとしまらない。
チューリップじゃ可愛いすぎるし、カーネーションじゃマザコンになっちまうし、桜だったら日本ではありそうだけど、蝶々さんになっちまう。
やっぱり薔薇だ!

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で、「カルメン」だ。

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   ビゼー 歌劇「カルメン」

 カルメン:アンナ・モッフォ  ドン・ホセ:フランコ・コレルリ
 ミカエラ:ヘレン・ドナート  エスカミーリョ:ピエロ・カプッチルリ
 スニガ:ホセ・ファン・ダム  モラレス:バリー・ダグラス
 フラスキータ:アーリン・オジェー メルセデス:ジャーヌ・ベルビエ
 ダンカイロ:ジャン=クリストフ・ベノワ
 レメンダード:カール・エルンスト・メルカー

  ロリン・マゼール指揮 ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団
             ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団
             シェーネベルク少年合唱団

              (1970 ベルリン)

長い指揮活動のなかで、オペラのポストで成功したのは、ベルリン・ドイツ・オペラ(1965~1971)だけで、ウィーン国立歌劇場は1982年に総監督となりながらも途中降板してしまった。
コヴェントガーデンやパリ、スカラ座にもたびたび客演したものの、劇場の運営や監督には、やはり向いてなかったのだろう。

あと、オペラの正規録音が、イタリアオペラとフランスオペラばかりで、ドイツ物は少ないのが残念。
ワーグナーはトリスタンの日本ライブが出たが、シュトラウスはその全曲録音がひとつもない。
バイロイトでのリングやローエングリンを是非正規化して欲しい。

そんななかで、「カルメン」は2度録音していて、マゼール向きのオペラであることがわかります。
ただし、2度目のものは、聴いたことがありませんし、サウンドトラック的な録音との印象もあるので、ちょっと。

この1回目の「カルメン」は、いまでは主流となったセリフ語りのアルコーア版での世界初録音でした。
これに先立つデ・ブルゴス盤は、オペラ・コミーク初演版、このあと、70年代は、バーンスタイン、ショルティ、アバドと、アルコーア版による録音が相次ぐこととなりました。

発売当時の驚きは、豪華キャストで、この共演は、他の演目では見られず、もしかしたら一期一会的な組み合わせでもありました。
最盛期を過ぎ、リリコのイメージをかなぐり捨てたモッフォ。
こちらも、引退直前のコレルリ。
バリバリのイタリアバリトン、カプッチッリ。
モーツァルト歌手だったドナート。

それを束ねる、ベルリン・ドイツオペラの海千山千の当主マゼール。
そして、出てきたレーベルが、当時の日本コロムビア。
発売時は、3枚組6,000円もしたので、中学生の自分には高値のバラ=花でして、ちゃんと聴いたのはCD時代になってから。
上のジャケット写真は、当時のレコ芸の表紙です。

名作なだけに、名録音も多数。
しかし、存外にわたしのCD棚には少ないもので、このマゼール盤、デ・ブルゴス、アバドと3種しかありません。
カラスですら持ってないし、全曲聴いたことがないかもしらん。
映像もなし、舞台は新国で1度だけ。
オペラとしての人気、トップクラスなだけに、いつでも聴けるという感覚からか、あまり聴かないという自分にとって不思議な存在のカルメンなんです。

ベルガンサと作り上げたスタイリッシュなアバド盤、オペラ座のカルメンなデ・ブルゴス。
そしてマゼールは、なんでもありのインターナショナルなごった煮カルメン、かな。

面白いくらいに個性むき出しの歌手たちが、鮮烈なのマゼールの指揮のもとにあって生き生きとして感じる。
マゼールのテンポ設定は、相変わらずで急なアクセルや、驚きのアッチェランド、強弱の激しさなど、かたときも耳を離すことができない。
ジプシーの歌なんて、あまりに遅く、そしてあまり静かに始まるのでボリュームをあげてしまうととんでもないことになる。
そう、どんな演奏よりも激しい、うずまく熱狂が待ってるのだから。
久しぶりに聴いて、この前おなじように、笑っちゃうくらいになった「春の祭典」を思い出してしまったww
こんなこと、あんなことをしでかしながら、すべてがオペラとしてのドラマを語っていて、その場面を引き立てる必然であることがマゼールたるゆえんで、いつまでも生命力を失わない演奏となったのだと思う。

モッフォの若い頃の、ほの暗さも伴った声が大好きだけど、ベルガンサとは違った意味で、堂々たるカルメンを否定するような、ひとりの女性としてのカルメンを歌いこんでいる。
「ソフィア・ローレンのカルメンでなく、ブリジット・バルドーのカルメンであろうとした」と彼女自身がこのとき語ったそうな。
誇張やおっかなさを表出することなく、なんだか、悲しみさえ感じさせるモッフォのカルメンが好きです。

これに対し、直情一直線的なホセを、ありあまる声で歌いぬいてるのがコレルリ。
大ベテランの味わいもあるが、モッフォの知的なカルメンに比べると、まるで制御不能のオテロのように感じるのが面白い。
同様に、イタリアオペラを歌うかのように、豊穣たる声をなみなみと聴かせるカプッチルリは、声の豊かさという点で破壊力抜群だ。

イタリア男たちにくらべ、儚く、可愛い、理想的なミカエラを歌うドナートは、まったく違和感なく、この個性豊かなカルメンの出演者たちのなかにあって、一服の可憐な清涼剤的な存在か。

ファン・ダム、オジェー、ベルビエらの名前がうかがえるのも、実に楽しく、当時のベルリン・ドイツ・オペラがいかに充実していたかがわかる。
これが録音された年、ベルリン・ドイツ・オペラは来日して、マゼールはローエングリンとファルスタッフを指揮してました。
よき時代かな。。

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東日本はこれから梅雨かよ。

もう充分暑いよ、疲れたよ。。

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2021年5月30日 (日)

ケルテス指揮 ウィーンフィル

Shinagawa 

とてもすがすがしい1枚が撮れました。

休日の公園のひとこま、奥に東京タワー、品川です。

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この公園の奥には、すてきなバラ園がありました。

黄色いバラ、好きです。

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  モーツァルト 交響曲第40番 ト短調 K550

 イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1972.11 @ウィーン)

イシュトヴァン・ケルテスとウィーンフィルの懐かしき名演を取り上げます。

ケルテスのモーツァルトは定評あり、オペラやアリア集の録音もありますが、交響曲は6曲で、そのいずれもが爽やかで柔軟かつ、ゆったりとした気分にさせてくれる佳演であります。
25番もともに、短調の厳しさや寂しさは少なめで、音楽的に純なところがいいのです。

ケルテスは、1929年生まれで、1973年に43歳で亡くなってます。
よくよくご存じのとおり、イスラエルフィルに客演中、テルアヴィブの海岸で遊泳中に溺死してしまった。
いまもし、もしも存命だったら91歳。

ケルテスと同年生まれの現存の指揮者を調べてみますと。
ドホナーニと引退したハイティンクがいます。
そして1927生まれのブロムシュテットの元気な姿には、ほんとに感謝したいです。

亡くなってしまった、同年もしくは同世代指揮者は、プレヴィン、レーグナー、アーノンクール、スヴェトラーノフ、コシュラー、マゼール、クライバー、マズア、デイヴィス、ロジェストヴェンスキーと枚挙にいとまがありません。
アバドは1933年、小澤は1935年、メータは1936年。
こんな風に見てみてみると、ケルテスの世代の指揮者たちが、いかに充実していたかよくわかりますし、もしも、あの死がなければ、とほんとうに惜しい気持ちになります。

ベーム、カラヤン、バーンスタイン、ショルティなどの大巨匠世代の次の世代の指揮者たち。
当然のことに、70年代が始まる直前からクラシック音楽に目覚めて聴いてきた自分のような世代にとって、彼らの世代は、当時は次世代を担う若者指揮者とされ、自分が歳を経るとともに活躍の度合いを増して、世界の重要ポストにその名を占めるようになっていった様子をつぶさに見てました。
つくづく、自分も歳をとったものだと感慨深く思いますが・・・

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  シューベルト 交響曲第5番 変ロ長調

 イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1970.4 @ウィーン)

これぞ、理想的なシューベルトのひとつ、とも思われる歌心とやさしさにあふれた演奏。
CD初期のデッカから出た変なジャケットだけど、よく見ると悪くないww
 ウィーンフィルと交響曲全集を録音してますが、なんとまだ未入手。
これを機会に揃えましょう。
やや劇的に傾いた7年前の録音の未完成と、愉悦感のある5番の対比が面白いが、モーツァルトの40番を愛したとされるシューベルト。
ト短調の3楽章がウィーンフィルの魅力的な音色もあいまって、軽やかかつ透明感も感じるのが素敵なところ。
60年代初めの、やや力こぶの入った指揮から、70年代、40歳になったケルテスが長足の進歩をしているのを感じた次第。

ハンガリーのブタペストに生まれ、まずはヴァイオリンから。
24歳で指揮者のキャリアをスタートさせ、ハンガリー国内で活躍、オペラも多く手掛けるが、国民が政府に立ち上がったことを契機に起きたソ連軍の侵攻~ハンガリー動乱で、西側に亡命。
 アウグスブルク歌劇場の指揮者となり、すぐさま総監督に指名され、徐々に脚光を浴びるケルテス。
現代の指揮者たちと違い、劇場からたたき上げていくスタイルでした。
そして生まれるウィーンフィルとの出会いは、かの「新世界」の録音で、1960年。

ここから怒涛のキャリアアップが開始です。
ザルツブルク音楽祭、イッセルシュテットのいたハンブルク、アンセルメの健在だったスイス・ロマンド、カルベルトのバンベルクなどでも絶賛。
さらに、ロンドン響への客演も好評でドヴォルザークの録音が開始され、65年には首席指揮者に就任。
そのまえ、64年には、ケルン歌劇場の総監督にもなってます。
さらにバンベルク響の首席に。

活躍の場は、ケルンとバンベルクを中心にウィーンとロンドン。
そして、68年にロンドンを辞すると、アメリカでも活動開始し、シカゴではラヴィニア音楽祭を任されます。
こうしてみると、ハンガリーを出て、40歳まで怒涛の活躍と、ポスト就任の嵐、それからデッカがいかに推していたかがわかります。

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  ブラームス 交響曲第3番 ヘ長調

 イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1973.2 @ウィーン)

1972年から、モーツァルトとともに、ブラームスの交響曲の録音が始まりました。
ケルテスのみずみずしい音楽作りが一番味わえるのが3番の演奏ではないかと思います。
2楽章なんて、ずっと聴いていたい爽やかでありつつ、ロマンあふれる演奏で、ジャケットの背景にあるような新緑のなかで聴くようなすてきなブラームスに思いますね。
2番はこのときは録音されず、64年の演奏を再発するかたちで全集が完成しました。
73年3月の録音の直後、ケルテスの死が待っていたからです・・・・・
ハイドンの主題による変奏曲は、指揮者なしでウィーンフィルの団員のみで録音されたのも有名なおはなしです。

ケルテスの死の顛末は、今年1月に亡くなった岡村喬夫さんの著作「ヒゲのおたまじゃくし世界を泳ぐ」に詳細が書かれてますが未読です。
イスラエルフィルに客演中のケルテス、その演目のメインはハイドンの「ネルソンミサ」で、都合12回の演奏会が予定された。(CD化あり)
4回が終了したある日、泳ぐことが大好きだったケルテスは、歌手たちを誘って、ホテル前の海岸に海水浴に出ます。
歌手たちは、岡村さん、ルチア・ポップ、イルゼ・グラマツキの3人。
階段を降りて砂浜に、しかし、あとで気が付いた看板には、この海岸はホテルの責任範囲外と書かれていて、とても見つかりにくいところにあったと。
女性陣は、浜辺で帽子をかぶって見学、いきなり飛びこんだケルテスは、岡村さんに早く来いよと誘い、岡村さんは躊躇しながらも海に入りますが、ケルテスの姿はどんどん遠くに。
波は高く荒れていて、岡村さんは必死の思いでたどり着いて助けを求め、レスキューたちが瀕死のケルテスを救いだしましたが・・・・

演奏会は指揮者を変えて継続したそうですが、ポップは泣き崩れて歌えそうにない状態。
しかし、演奏会が始まるとシャキッとして見事に歌い終えた、さすがはプロと岡村さんの本にはあるそうです。
涙ながらにケルテス婦人のもとに報告に行った話とか、ケルテスの最後を知ることができる貴重な著作のようです。

  ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調「新世界より」

    イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

       (1961 @ウィーン)

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言わずと知れた「新世界」の名盤のひとつ。
32歳の若きケルテスの力みなぎる指揮に、名門ウィーンフィルが全力で応えた気合の入った演奏。
5年後のロンドン響との再録は、繰り返しも行い、ちょっと落ち着いた雰囲気を感じますが、ここに聴かれる演奏は、いい意味で若くてきりっとした潔さがあります。
思い切り演奏してるウィーンフィルもこの時代のウィーンフィルの音色満載で、デッカの生々しい録音も手伝って、あのショルティのリングにも通じるウィーンフィルを楽しめます。

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わたしが小学生だったとき、クリスマスプレゼントで初めて買ってもらったレコードが、この1枚です。
あと同時に、カラヤンの田園。
この2枚が、わたくしの初レコードで、記念すべき1枚でもありました。
平塚のレコード屋さんで、クラシックはそんなに多くはなかったのに、よくぞこのケルテス盤がそこにあって、よくぞ自分は選んだものです。
こちらは初出のオリジナルジャケットでなく、68年あたりにシリーズ化された、ウィーンフィルハーモニー・フェスティバルというシリーズの再発ものです。
半世紀以上も前の新世界体験、いまでも自分の耳のすりこみ演奏ですし、何度聴いても、爽快な思いにさせてくれる1枚であります。

歴史のタラればですが、もしもケルテスが存命だったら。
・セルのあとのクリーヴランド管弦楽団を託された~ハンガリー系だから相性抜群で、さらなるドヴォルザークの名演を残したかも。
・ウィーンとの蜜月は継続し、ウィーン国立歌劇場の音楽監督になり、モーツァルトやドイツオペラ、ベルカント系までも極めたかも。
 
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 あとウィーンフィルとはベートーヴェン全集も録音されたかも。
 1972年秋のウィーンフィルの定期オープニングは、ケルテス指揮で、ブレンデルを迎えて、ベートーヴェンの4番の交響曲と「皇帝」が演奏された。ブレンデルとの全集なんかもほんと聴いてみたかった。

・カラヤンの跡目として、ベルリンの候補者のひとりになっていたかも。
・西側の一員として、自由国家となったハンガリーにも復帰して、自国の作曲家の名演をたくさんのこしたかも
・ワーグナーを果たして指揮したかどうか、バイロイトに登場したかどうか
・ブルックナーは4番を残したが、マーラーの交響曲は指揮しただろうか

こんな風に妄想し、想像することも音楽を聴く楽しみのひとつではあります。

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品川の公園には、こんなイングリッシュな光景も展開してました。

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2021年5月22日 (土)

ワーグナー ヴェーゼンドンク、ジークフリート牧歌   ダウスゴー指揮

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京都の圓徳院のお庭。

昨年の晩秋に続いて、新緑の季節に行ってまいりました。

娘の結婚式でした。

病禍で延び延びになり、さらに予定日も緊急事態宣言の延長となりましたが、当人たち・両家でやりましょうということに。

静かで、人の少ない京都、しかも貸し切りなので誰一人いない家族だけのお式。

いま思っても涙が出るほどに美しく、心温まるお式で、ひとりの親として生涯忘れえぬものとなりました。

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昨秋は、真っ赤に染まった庭園が、麗しい緑につつまれました。

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 ワーグナー 「さまよえるオランダ人」序曲(初稿版)

       「ヴェーゼンドンク歌曲集」

       「さまよえるオランダ人」序曲(最終版)

       「ジークフリート牧歌」

       「夢」~ヴェーゼンドンク歌曲集より、ヴァイオリン独奏版

       「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲

      S:ニーナ・シュテンメ

      Vn:カタリナ・アンドレアソン

  トーマス・ダウスゴー指揮 スウェーデン室内管弦楽団

            (2012.5,6,8 @エーレブルー・コンサートホール)

デンマーク出身の指揮者ダウスゴーによるワーグナー。
しかも室内オーケストラ。
ダウスゴーは現在、BBCスコテッシュ響とシアトル響のふたつのオーケストラの指揮者ですが、2019年までスウェーデン室内管の音楽監督を22年間つとめ、たくさんの録音を残しました。

そのダウスゴー、プログラム作りがユニークで、実によく考えたられた組み合わせを毎回提供してくれる。
数年前のpromsでも、シベリウスの5番の初稿版と、フィンランド民族音楽をからませた演奏会でネット視聴民であるワタクシをうならせたものです。

先ごろようやく入手したワーグナー作品集もユニーク。
一見、まとまりのない選曲に思えますが、よくよく考えながら聴くと、一本筋が通ってる。

「オランダ人」の序曲の初稿版は、1941年の完成で、全曲はその翌年。
序曲の終結部には、救済の動機はなく、呪われしオランダ人の主題で終了となり、通常の序曲集や全曲盤の多くで聴かれる結末と違い、悲劇臭が増してます。
そのあたりを意識したかのようなダウスゴーの指揮は、荒削りな側面をよく引き出していて、しかも軽快さをも感じさせ、マルシュナーの影響も受けた若きワーグナーの作品であることが実によくわかります。

続く、シュテンメのソロによるヴェーゼンドンク歌曲集は、1857年の作品。
いうまでもなく、マティルデ・ヴェーゼンドンクとの恋愛がもたらした作品で、トリスタンとイゾルデ(1857~1859)と同時期に書かれ、同じモティーフも流れ、トリスタン的なムードが横溢する作品。
シュテンメは力ある声を抑えぎみに、とても丁寧に、音に言葉の意味合いを乗せながらイゾルデ歌手としての実力もあわせて表出している。
同じスウェーデンの大先輩、ニルソンの持つ大らかさも、シュテンメは持ち合わせていて、「夢」など、広大な夢のなかに漂うな雰囲気を味わえました。
 そしてダウスゴーの指揮するスウェーデン室内管がうまい。
ワーグナー自身のオケ編ではないが、室内オケの強みは、透き通るとうな透明感と、新ウィーン楽派に通じるような怪しくも厳しく、透徹したサウンドに酔いしれる。
これは、すばらしいヴェーゼンドンクリーダーだと思う。

次は、ふたたび「オランダ人」序曲。
1860年にパリでの演奏会に際して、この序曲の終結部に21小節分を挿入し、さらにあらたに終曲として23小節分を作曲しなおした。
これがいまにもっぱら聴かれる序曲で、ヴェーゼンドンクを挟んで新旧を聴いてみると、1分あまり長くなったのは当然としても、ハープの導入で、音が豊かに、そしてロマンティックになり、さらには救済の夢見心地な雰囲気はトリスタン的であるとも思えた。
室内オケでの、透明感あふれるワーグナーは素敵なものだ。

そのあとにくる「ジークフリート牧歌」は、1870年のワーグナーの幸せ満ち溢れた時期の作品。
いうまでもなく、コジマの誕生日兼クリスマスのプレゼントで演奏された回廊の音楽。
速めのテンポで、すっきりと見通しよく演奏されてます。
オリジナルの各奏者1人でなく、オーケストラ版だけど、そこはこのコンビ、音が透けてみえるくらいに磨き上げられているし、慈しむような愛情あふれる演奏ではなく、サラッとしたこだわりの少ないスッキリ演奏で、これはこれでとても音楽的だし、夾雑物の一切ない蒸留水みたいで新鮮すぎ。

コジマを音楽で喜ばせた以前、マティルデ・ヴェーゼンドンクにも、ワーグナーは音楽のプレゼントをしました。
歌曲集から、5曲目の「夢」を管弦楽版に編曲(1857年)。
ここでは、ヴァイオリンソロを伴った版で録音されました。
これがまたムーディでありながら、どこか北欧風の小品のようにもなって聴こえましたのも、ヴァイオリンソロだからでしょうか。
歌曲集ではトリスタン色が強かったが、ここでは明るく、幸福感が漂うかのようで。

そして、最後にハ調の「マイスタージンガー」(1867年)がトリをつとめます。
ここにマイスタージンガーが来る必然性は、この明るい和音ではないかと。
室内オケで聴くマイスタージンガーは初めて。
軽やかで、重厚さなんてこれっぽちもないし、ダウスゴー流の快速テンポで、どんどん進む。
低回感なく、さらりとしたワーグナーだけど、各フレーズはしっかり浮き出てきて、しかもよく歌ってるし、その歌たちが実に心地よい。
半世紀以上もワーグナーを聴いてきて、こんなに面白いワーグナーは久しぶり。
エンディングも楽劇のオリジナルどおりに、礼拝堂の合唱に入る直前で、スパっと終わる心地よさ。
わたしには、これもまたあり、もともと巨大なワーグナーのオーケストラだけど、こんな風に、カジュアルに、嫌味なく演奏するのって実は難しいことなのだと思います。
また、これからの時代、大編成オケをピットに密集させるのも難しい局面を迎えました。
先だっての新国のワルキューレがそうだったように、ワーグナーも規模を落として上演するのもありかと。
トリスタンや、パルジファルなどは、そんな上演様式が十分可能ではないかと思います。

ダウスゴー、お気に入りの指揮者です。
次々にその音源を入手中。
マーラーと、ランゴー、チャイコフスキー、ブルックナー、シュトラウスなどを今後予定してます。

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式の準備の間、男性はやることもなく、この歴史的な空間に、ワタクシと息子のふたりだけで10数分。

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秀吉の死後、北政所は、亡夫との思い出深い伏見城の化粧殿と前庭をこの地に移築して、終焉の地としました。

北庭は、ほぼ設営当時のままとされ、開け放った間と庭は、時間が止まったかのような静謐な空間を体感できます。

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丸窓の外の緑も美しい。

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昨年は、このような感じでした。

ともかく秋も初夏も美しいのですが、人気の場所なのでこんな光景になります。

ご住職のお話しを承りましたが、初夏の緑をこそ味わっていただきたいとのことでした。

娘よありがとう、そして幸せに。

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2021年5月14日 (金)

ブリテン 「ねじの回転」 ヒコックス&ハーディング

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三田の坂の上にある三井倶楽部。(さんだ、の三田ではありません)

三井グループの関係者だけが利用できる迎賓館で、明治10年にここに設置。
財閥の巨大さを感じ取れる施設ですが、終戦後は当然のように米軍に利用権を独占された歴史があるという。

この周辺、港区一体には、各国の大使館があってそれぞれの国柄によって警備の度合いもまちまち。
日本にとっての友好国は、おまわりさんが一人もいないし、お国の魅力を伝える掲示物もたくさんあって、異国情緒を味わえる。
そうでない国は・・・・C・K・R云々、げふんごほん。。。。

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その斜め向かいには、かつて、郵政の簡易保険事務センター、昭和初期の旧逓信省貯金局庁舎の瀟洒な建物がありましたが、跡形もありません。
その建物は歴史的な文化遺産とも呼べたかもしれません。
アールデコ調のとてもヨーロピアンな建物で、ここを通るときにはよく眺めたものです。

ここが三井不動産に売却され大型マンションとなるようで。
この坂下にも大型高級マンションが次々に建ってきて、どんどん空が狭くなる東京。

この記事の最後に2008年頃に撮った写真を載せときます。

今日はブリテン(
1913~1976)のオペラ。

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    ブリテン 歌劇「ねじの回転」

アメリカに生まれ、英国で活躍した作家ヘンリー・ジェイムズ(1843~1916)が書いた同名の小説に基づくもの。

「ねじの回転」とは?
ねじは、ひとつの方向に回すことで、閉まるし緩まる。
そう、どちらかの方向に回りだしたら、もう後戻りできずに、ゆっくりでも事は進行してしまう、ある意味止められない、という意味合い。
いい方向にも、悪い方向にも・・・・

無意識の心理学を発見・確立したフロイト以前にそうした意識の流れを小説に取り入れた点で、革新性のある作家とされます。
人物たちの深層にある意識の流れが、とどまることなく、いろんな外形的な出来事の進行を通じて、思いもよらぬ、でもその心理に応じた結果をもたらすというもの。
また、郊外の壮麗な屋敷を舞台とすることから、英国のゴシック・ロマン小説の流れもあり。
以前の記事で、「次は小説も手にとってみよう」とか自分で書いてるけど、結局読んでない怠け者でありました。
今回は映像で2作視聴したので、作品への理解もひとしおでした。

「ねじの回転」は第9作目。
1954年にヴェネチア・ヴィエンナーレでブリテン指揮するイングリッシュ・オペラ・グループによって初演。
楽器持ち替えを含む13名程度の室内楽団と、ソプラノ、ボーイ・ソプラノ、テノールの6人の登場人物だけの室内オペラ。
こうした室内オペラは、これで3作目で、生涯好んだジャンルでもある。
器楽的な編成も含めた、室内編成オペラは、16作のオペラ中10作もあります。
大編成のオペラも、ピーター・グライムズやビリー・バッド、グロリアーナや真夏の夜の夢など、ともかく多彩で魅力的な世界がブリテンのオペラなのであります。

少年と少女、その少年を誘惑する幽霊がテノールで、当然にピーター・ピアーズが念頭。
欲求不満という悩める女家庭教師が主役。
こうしたいかにも的・ブリテン的な内容でありますが、無垢と邪悪との対比と闘い。
ブリテンが生涯貫いたテーマであります。
第2幕の最初に、幽霊組のふたり、クゥイントとジェスル婦人が悪だくみを語りあうシーンがあるのですが、そこで口にする言葉「The Celemony of innocence」。
これを打ち負かしてやるぜ、と話します。
「純粋・無垢な作法」とでも訳せましょうか。
ラストで、クゥイントと少年が直接対決し、それを女教師が必死に守り、少年は打ち勝ちますが、しかし魂は抜かれてしまった。
無垢な世界の敗北なのか、それとも死と引き換えに打ち破って、その魂は清らかに昇天したのか?
オペラでは、リアルに登場する幽霊たちの姿が見えることから、女教師の心理から、少年が死に至るという、ある意味事件性は薄くなっているが、そのあたりにメスを入れる演出も出てくるかもしれない。
「The Celemony of innocence」という言葉は、イェーツの詩から引かれたもの。
「再臨(Second Comming)」という詩で、キリストの循環再臨を詠った。
原作も、ブリテンの解釈も、いろんなものに読める、謎多きオペラかと思いますが、音楽はクールでありながら、かつ優しく、極めて緻密に書かれています。
 繰り返しですが、そのあたりの理解のためにも原作を読まねばなりませんな・・・・

プロローグ
  テノール独唱が、ピアノ伴奏を受けて物語の前段を語る。
 若い女教師が、二人の子供の後見人から、高給を約束しつつ、二人の世話を一切任せ、自分は手を引くことを、募集に応じてから聞かされた。
その後見人は、唯一の親族でかつハンサムだった。
家庭教師は、やる気に溢れて申し出を受け入れる。

第1幕
 郊外の邸宅に家庭教師は着任する。そこには、兄マイルズと妹フローラの二人の子供と、家政婦グロース婦人がいるのみ。子供たちは、カワユク美しく、利発で、家庭教師も気にいる。
うまくいくかと思った数日後、マイルズの学校の校長から、暴力をふるったとして退校処分の手紙が来る。
その後、家庭教師は、屋敷の一角の塔に男の姿を認め、恐怖にかられる。
さらに再びその男を見てしまい、グロース婦人に聞くと、かつての使用人のクイントではないかという。クイントは、マイルズをかわいがりすぎていたこと、前任の女教師ジェスルとも親しくしていたが、凍った道路で転倒して死に、ジェスルも自殺した旨を聞かされる。

Turn-01

ある日、マイルズは勉強中に不思議な歌を歌う。
夜、マイルズはベッドから出て、塔の元までクイントに惹き付けられる。
一方、フローラは、邸内の湖のほとりから呼ぶジェスルからも呼ばれている。
二人の幽霊から再び戻ることを約束させられたところで、家庭教師と婦人に見つかり戻される

第2幕
 幽霊二人は、生前と同様に、子供たちを手にいれようと、意気投合している。怪しい会話。
日曜の教会、マイルズは、家庭教師にいつになったら学校に戻れるのか?と語るが、家庭教師は、それを挑戦と感じ、孤独感につつまれる。
ジェスルとの直接対決もあったがますます、困惑し、かつ子供たちを守ろうと決意する家庭教師。禁じられていた後見人への手紙を書くことを決心し、書き上げる。
マイルズから、クイントのことを聞き出そうとするが、クイントはマイルズしか聞こえない声で、口止めしたり、手紙を盗むことを指示する。

Turn-03

 ある日、ピアノの練習中のマイルズ。やたらにうまい。
ところが一緒にいたはずのフローラがいない。
大人二人は、クイントのせいと思い、湖畔に探しに走る。そこで遊ぶフローラと遠くにジェスルの姿を認めた家庭教師はフローラを責める。
フローラは、先生なんか大嫌いと言い、家庭教師は大いに落ち込む。
 その夜、フローラはグロース婦人と過ごし、妙なことを口走るフローラに気がつき、家庭教師のいうとおりの異常に気付き、フローラを連れて去る。

Turn-09

 さて、残った家庭教師とマイルズ。大いに決意し、マイルズからすべてを聞きだそうとするが、マイルズは答えない。さらにクイントは、マイルズを呼び苦しめる。
その狭間で苦しむ少年。
つにに、マイルズは「ピーター・クイント、you devil!」と叫び、教師の胸に飛び込む。
「おおマイルズ、救われたわ。もう大丈夫。二人で彼をやっつけたわ!」と家庭教師。
「おおマイルズ、もう終わりだ。お別れだマイルズ。お別れだ・・・・」とクイント。
「マイルズ、マイルズ、どうしたの?どうして答えないの?」・・・・・。
マイルズを抱きかかえる彼女。彼はこときれていた。
彼を静かに降ろし、家庭教師は、かつてマイルズが歌った不思議な歌を寂しく歌う・・・・・。

           幕

各幕ともに、8つの場からなっており、それぞれに短い間奏がついている。
この間奏は、プロローグの後の最初の12音技法による前奏曲の変奏曲になっていて15ある。
各役の没頭的な歌も特徴的で、ことにテノールによって歌われる幽霊と、無垢の少年の対話や対決は背筋が寒くなる雰囲気でヒヤヒヤする。
思わず、少年、ダメだ頑張れと声をあげたくなります。

初めて聴いたとき、少年の死は、かなりショックだった。

Turn-of-screw-hickox

    家庭教師  :リサ・ミルン      
    クゥイント :マーク・パドモア
    ジェスル婦人:カトリーン・ウィン・ダヴィース      
    グローズ婦人:ダイアナ・モンタギュー
    マイルズ  :ニコラス・カービー・ジョンソン        
    フローラ  :キャロライン・ワイズ
    語り      :フィリップ・ラングリッジ

 サー・リチャード・ヒコックス指揮 シティ・オブ・ロンドン・シンフォニア

                 (2004年制作)

BBCによるシネマ化で、リアル感満載の映像作品。
英国の郊外の少しばかり荒廃した舘が、リアルに舞台になっていて明るい暖色系の色彩は避けるようにして褐色の世界になっている。

Turn-02

水辺のシーンとか、荒涼とした野辺とか、もうほんとに英国音楽好きならたまらない景色もありました。
 でも、怖いんです。
とくに、ジェスル婦人・・・・、歌も演技も、そのお姿もあの世の感じがよく出てる

Turn-04

パドモアのクゥイントは、そんなにおっかなくなくて、いい人に見えるのは、いろんな演奏や映像でパドモアを多く見てきて慣れちゃったからか。
包容力ある家庭教師役のミルンも、そのクリアボイスは、英国音楽にはぴったりと思わせるし、おなじみのベテラン、モンタギューもいい味だしてる。
 ヒコックスの共感あふれるブリテン演奏は、ここでも安定感ある。
子供たちは、演技が本格的なもので、だんだんと、クゥイントとジェスルに取り込まれて行くさまが、とてもよく表出されてるし、歌も素敵。
迫真のラストシーンは、哀しみもひとしおで、舘の中に舞い込んだ枯葉が巻き戻しのようにして、クゥイントとともに去るところなど秀逸な映像でありました。

Turn-of-screw-harding

    家庭教師    :ミレイユ・ドゥランシュ      
    クゥイント :マーリン・ミラー
    ジェスル婦人:マリー・マクラクリン      
    グローズ婦人:ハンナ・シェア
    マイルズ:グレゴリー・モンク        
    フローラ  :ナザン・フィクレット
    語り      :オリヴィエ・デュメ

  ダニエル・ハーディング指揮 マーラー・チェンバー・オーケストラ
       
       演出:リュック・ボンディ
                              
             (2001.7 @エクサン・プロヴァンス音楽祭

シネマと違い、実際の舞台で上演するには、幽霊的な存在のふたりをどう扱うか?
複雑な舘の中の複数の部屋で起きるシーンをどう描きわけるか?
こんな難点を、ボンディの演出では、シンプルすぎるやり方で簡単に解決してしまった感じだ。
全体のカラーは、こちらはブルー系で、幽霊たちもシルバーからブルー。
教師と家政婦さんは黒、子供たちは白。
このあたりもよく考えらえている。
空間を狭く仕切ったり、ときに縦に広く扱ったり、ドアで他空間との仕切りや分断を表現したりと、極めて緊迫感の作り方がうまいと感じた。

Turn-10

若きハーディングの意欲あふれる指揮は、若いオケから切れ味抜群のサウンドを引き出していて、穏当なヒコックス盤に比べ、ヒリヒリするような緊張感を導きだしている。
このあたりは、劇場上演の強みでもあろうか。
それにしても、アバドに似てる。

 古楽のジャンルでも素敵な歌唱をたくさん残してるドゥランシュがブリテンを歌うとは、最初は驚きましたが、彼女は膨大なレパートリーを持ち、ここでも完全に役柄になり切って、期待が不安と恐怖に変わり、やがてうち勝とうとする強い意志を持つ女性へと、まったく見事な演技と歌唱であります。
ドゥランシュの過去記事

Turn-07

クゥイントの不気味さをうまく歌ったミラー氏、美人なマクラクリンのジェスルさんは、その出現がおっかなすぎで、貞子だった・・・
画面奥の方から、にじるようにして登場する恐怖の美人ジェスルさん。
気の毒な雰囲気ありありのグロース婦人。
ヒコックス盤の子供たちに比べると、その迫真性がやや劣るものの、こちらの二人も気の毒さにかけては秀逸。
ラストは、ここでも辛い悲しさだった。

Italy

こちらはイタリア大使館。

ものものしい警備はゼロで、周辺も閑静な雰囲気におおわれてます。

職員の宿舎も隣接してるので、散歩してると、ときおり本場もんのイタリア語を話しながら歩く皆さんに会うこともあります。

六本木方面のロシア大使館でも、職員さんや家族に出くわすことがあり、生ロシア語を聞けますが、声がデカいです・・・

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