2020年7月 9日 (木)

オペラストリーミング大会の軌跡 ⑪

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雨ばかりの合間の曇天を縫って歩き回ります。

それにしても線状降水帯による長期にわたる豪雨、その被害の大きさに心傷みます。
日本は地震とともに、かねてより水害も多い国。
天気予報の精度も高くなっているので、災害マップなど、いろんなデータを入手しつつ、そしてそうした情報を得にくい方々にいかに共有していくか、早めの行動も含めて予防措置はできるのではないかとも思ったりもしますが、、、、
 でもね、いざとなったら突然の災害には無力となるかもです・・・
まだ続く雨、引き続きご注意いただくとともに、被災されたみなさまにはお見舞いと哀悼を捧げます。

いまのところ安全なところからすいません。

まだまだ観てるよオペラストリーミング。

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 プロコフィエフ 「賭博者」 ウィーン 2017

姉御、S・ヤングの指揮。
またも陶酔境の気分を過ごさせていただいた。
レビューはまた明日。
ストリーミングプログラムで活路が開けたオペラは、ベルカント諸作と、プロコフィエフだ!
オペラを克服した耳で聴く7つの交響曲も実にいい、よろしい!


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日本語字幕がありがたい。
これでほぼ全容をつかめた感じで、プロコフィエフの若き日の作品がますます気に入った。
バレンボイムに次ぐこのオペラ2度目のこの配信で、こちらのウィーンではグルーバーの意欲的な演出。
マリンスキー配信もあり、もう頭の中が賭博者の虜。
やばいよ。

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ドイツのリゾートの物語で、メリーゴーランドとルーレットを絡めた舞台が秀逸。
登場人物たちが、次々と賭けにハマり泥沼化し、破綻してゆく。
最後、主人公は愛する女性を救うために、賭けに挑み、勝ちに勝ち大金を手にするも、金では彼女を得ることはできなかった。
この際、IRは反対っ!


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カジノの主催者側が悪人メイクで、最後のルーレット大会で集う人々は完全に悪魔。
勝ちに乗る主人公も悪魔風になっていくという巧みな仕掛けだけど、ラストは独自解釈で虚しさ哀しさ倍増。
ウィーンにしては過激に頑張った感じ。
ディディクの主役は適役で、がんがん鳴るオケに負けてなかった。


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グセヴァの相手役も声よし、美人でよし。
あとベテラン、お馴染みのリンダ・ワトソンが婆さん役で、富豪から、すってんてんになってしまう味わい深い歌と演技。
ヤング姉御はこのオペラを得意にしていて、ウィーンのオケからリズミカルであり、抒情性もある音を引き出してる。

ヤングさん、ウィーンでは「炎の天使」もやる予定になってるが、あれをウィーンで上演することもすごいな・・・

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 ヴェルディ 「ナブッコ」 ウィーン 2017

レオ・ヌッチを長く聴いてきて、3年前だけど、その健在ぶりに感心!
やっぱり素晴らしいイタリアンバリトンだな。
スミルノワのアビガイーレもおっかなさと超絶技量、ともに最高。
彼女はチューリヒと同じ適役。
しかし、演出は自分には最悪。


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クレーマーの2001年のプロダクションだけど、スタジオ的な舞台を作り、装置はほとんどなく、抽象的。
しかし、人物の動きは雄弁。
そのギャップが、ヴェルディ初期の原初的な感情のままの音楽の激しさにそぐわない感が。
歴史を抽象化することで焦点を見失った舞台かと。
ごめんなさい、また文句。


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 ヴェルディ 「仮面舞踏会」ウィーン 2016

1986年から続く息の長い伝統解釈舞台。
プリミエがアバドの音楽監督就任の上演で、パヴァロッティ、カプッチッリ、プライス。
アバド好きにとっては、この演出は世の流れに逆らってもずっと残していってほしい。
スウェーデン版でリッカルドはグスタフになってる。


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豪華な仮面舞踏会は、猫や人形面、中華面、ねずみ、トルコ風、貴族面など、思わず見入ってしまった(笑)
 この1年半後に亡くなってしまうホロストフスキー、この時は脳腫瘍であることを告知して舞台に立っていた、まさに壮絶なその姿と歌に感銘。
歌手はすべてみんな素晴らしい。


指揮のロペス・コボスもこの2年後に癌で亡くなってしまう。
リングの日本上演初体験はベルリン・ドイツオペラのコボスの指揮だった。
黒髪黒ひげのドイツ音楽も得意な名スペイン指揮者、シンシナティ響で残されたマーラーが実にいい演奏だ。
10番はお勧め!


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 ヘンデル 「アルミーダ」 MET 2010

魔法使いの王女、愛のキューピットと悪魔の化身を使い分ける。
6人のテノールと主役フレミングの歌が超絶技巧の驚きの凄オペラ。
英雄リナルドに袖にされ、最後は悪魔界に身を投じるアルミーダ。
こんなロッシーニオペラをレパートリーにするMETの懐の深さに感心!


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 ヤナーチェク 「マクロプロス家のこと」 ウィーン 2015

大昔のことから何でも知ってる大女優のミステリー。
1920年頃、ヤナーチェク作曲時の時代設定で、主役のエミリア・マルティが生まれたのは1585年で、彼女の年齢は337歳ということ!
あらゆる男を虜にしてしまう魅惑の女性で、ちょっと高飛車な女性に描かれてる。


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50年前に付き合ってたという爺さんが、なんとツェドニク、この時75歳で相変わらず芸達者だ。
原作にほぼ忠実な舞台は、美しくわかりやすいP・シュタイン演出でウィーンならでは。
ウィーン専属の歌手たちは粒ぞろいで、指揮のお馴染みフルシャが的確すぎる!
実に含蓄ある意味深いオペラです。


ラストは、推理ドラマよろしく全員が登場し、そこでエミリアがすべてを告白。
あまりに長く生きるのは辛いこと、恋も多くは望んではならないこと、そして恐ろしい孤独と精神が死んでいたことを語る。
若い女性に長生きの秘伝の書を託したが、その彼女は焼却してしまう。
そこで永遠の命の終焉。


ここでは、エミリアはミイラのようになって倒れたけど、私の体験した二期会オペラでは、白髪でよぼよぼになった程度、でも高貴さを保ったまま舞台奥に消えていった・・・
12年前の舞台、小山由美さんが素晴らしかった。
天皇陛下も来席された舞台でした。
当時のブログを。


二期会公演 2008

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  ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」 ウィーン 2018

すべてが完全に耳にすりこまれたヴェルディ作品。
どんなバリトンとバスとソプラノが、シモンを、フィエスコをアメーリアを歌おうと、どんな指揮者が振ろうと、自分の耳にあるカプッチッリ、ギャウロウ、フレーニとリッチャレッリ、そしてアバドにはかなわない。

 ある意味、自分にとって他の選択肢のない、好きなのに哀しい名作オペラ。
2002年プリミエの簡潔でスタイリッシュなP・シュタイン演出は、アバドも同年フィレンツェで取り上げてる。
ウィーンのこの前のプロダクションが1984年からのスカラ座のストレーラーのもので、アバドはウィーンで20回指揮。

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ハンプソンも実に立派だし、メーリ始め、ほかの諸役もみんないい。
ピドさんの勘所を押さえたオペラティックな指揮もよい。
でも、これでまたケタ違いのアバド盤と2度の実演体験の素晴らしさが再確認できてしまう、ある意味感動的な追体験ができた稀有の事例でありました。

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 プッチーニ 「蝶々夫人」 新国立劇場 2019

時間切れ前に早朝から涙。
新国のストリーミング配信で高校生のための鑑賞会のもの。
奥ゆかしく、美しい所作にあふれた和の「蝶々さん」。
歌はこれ以上のものはたくさんあるだろう、でもプッチーニの思い描いた「蝶々さん」の本質を日本目線で描いたものは、やはりいい。

演出の栗山さんは、海外の違和感あるものを正そうと、日本的なものになりすぎると、かえって違う結果になってしまうと語る。
シンプルで、装置も少なく、動作も少なめ、光と影をうまく使った美しい舞台は正解かと。
つつましく、涙誘うスズキの山下さんがステキ。

土足でどかどか居間にあがるピンカートン、美しくはためく星条旗。これもアメリカだ。
いまのアメリカの風潮からして、かの国ではこのオペラの上演は難しい局面となったと思う。
 またまた、11年前の新国での泣き虫オジサンの鑑賞記録を貼っておきます。

新国・蝶々さん 2009

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 ヤナーチェク 「カーチャ・カバノヴァ」 ウィーン 2017

ウィーンのヤナーチェクはいい。鋭角にならない木質の音色がこの作曲家独特の語法にもぴったり。
夢見るカーチャの憧れと自制の葛藤が、優しい旋律とリズムの刻みで見事に表出。
音はずっと聴いてきたけど、多くの登場人物と覚えきれない名前でややこしかった 。

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映像で字幕もあって、ほぼ十全の理解が。
ありがたき配信。
NYと思しき都会に設定を変えても、人目を気にし封建的な社会があり、でも自分は勝手に行動したり、そこから飛び出す前向きな人、そしてそこに忠実にあろうとしつつも絡めとられてしまい、破滅してしまう人・・・・

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ヤナーチャクの人間目線は厳しくも優しい。
しかし、ラストはむごさを際だたせた演出だった・・・
デノケは、こうした薄幸と危うさを伴った役を歌わせると完全だ。
ヘンシェルの憎々しさも見た目からして適役。
2幕の二組の逢引はトリスタンみたいで、ほんと美しかった。 

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歩き回って早朝サントリーホール。

徐々に、諸所、対策を施しながら開始した演奏会。

しかしながら都内の感染者数はまたも急増。
でも、その中身の分析や、実体の公表が必要で、数字だけで委縮しては、また経済や文化の活動も停滞してしまう。
経路と年代もしっかり公表して欲しいものだ。

ワタクシは、かかると一番やばいタイプに属してます・・・・

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2020年7月 5日 (日)

コープランド 交響曲第3番 ティルソン・トーマス指揮

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お台場の対岸、レインボーブリッジの芝浦側にある公園から。

この橋、カタカナ好きの都知事が、赤くしたりしてましたが、そうしたくなる気持ちもわかる、実に見栄えのいい橋です。

一番上は首都高、その下が一般道路と歩道、新交通線ゆりかもめ、ということで、車と電車と人間も通るすごい橋。
何度か、歩いて対岸に渡ってますが、高いところがやや苦手なので、ものすごい恐怖を感じます。
足下に海がもろに見えるし、車の振動と風圧も結構くる。
心臓の弱いかたは、おやめになったほうがいい。

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話は変わって、7月4日は、アメリカ合衆国の独立記念日でした。

ホワイトハウス様から、トランプ大統領のツィート画像をお借りしました。

Independence Day ~ 日本人にはわからないけど、この言葉はきっとアメリカ人の誇りと気概を高めるものでありましょう。

244年目の今年、アメリカはおそらく建国以来の混沌に陥っています。

その混沌を整理すると、
①覇権国としてのしてきた中国との経済摩擦。
②新型コロナ肺炎の蔓延。
③警官の黒人容疑者圧殺を契機とする人種差別を起因とするさまざま動き
 これが細分化、最初はANTIFA =アンチファシスト、つぎは、Black Lives Matterと、より広義の人種差別反対運動になり、全米でデモが起きて、さらに見境のない連中が暴徒化。
反警察の動きも顕著になり、警察官もやってらんないとして辞めてしまう動きも。
しかし、なによりも、白人への報復がひどくて、見るに耐えない残酷な映像もネットで見ることとなりました。
杖をついた高齢女性の顔をすれ違いざまに殴り、卒倒させる若い黒人男性など・・・
民族も色も関係なく、みんな星条旗のもとにひとつだったのに・・・・

アメリカが好きな自分、憧れた自分。
こんなの見せられて泣きました・・・・

やがて、一部の市のエリアが占拠され無法地帯化。
無法地帯化したのは、シアトルだったが、ここは警察が頑張って排除。
しかし、その連中は、違うところに移動してあらたな拠点を築いた・・・

①~③の混沌には、いずれも流れがあり、意図があるとしなくてはなりません。
秋の大統領選挙が迫っていることと、①~③はリンクしてます。
これまでの秩序を変えてしまおうとする動きは、世界へ・・・・

当ブログの趣旨からしたら、もうこれ以上は触れません。

ただひとつ、言えることは、「Make America Great Again!」だ。
アメリカもいろいろと悪どいし、なにかとあるが、でも自由と民主の旗印の国だ!
日本を負かせたアメリカが、ずっと強くあって欲しいんだ。

そんな気持ちと、アメリカへのエールを込めて、コープランドの交響曲を。

 コープランド 交響曲第3番

  マイケル・ティルソン・トーマス指揮 サンフランシスコ交響楽団

            (2018. @サンフランシスコ)

この演奏は、サンフランシスコ交響楽団の公式ネット配信で聴いたものを録音したものです。
サンフランシスコ交響楽団の音質は、驚くほど優秀で、CDで聴くのとなんら変わりありませんでした。
4つの楽章からなる本格的な交響曲で、1944年、まさに我が国との戦争も勝機も見え大転換中の時節で、当然に愛国的な雰囲気・要素にあふれてる。
勝ったものの強みといえば、それっきりですが、でも、自由と民主主義を第一に歌うアメリカの建国精神が、しっかりと刻まれた、そして我こそは、その自由と民主主義を守るんだ的なヒロイズムと、絶対なんだという明るい肯定主義、そんな雰囲気がこの曲にはあります。

でもなんたって、この交響曲は、自作の「市民のためのファンファーレ」が1楽章で、その片鱗が、終楽章ではそのまましっかりと鳴り響くことがキモで、終楽章では、ワタクシ日本人でもまっこと感動しますし、その雰囲気のまま最後のフィナーレを迎えるときには、はなはだ感動します。
サンフランシスコの聴衆の熱狂ぶりも加えて感動。

やっぱり、アメリカ人の心に火を灯す音楽なんですな。

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バーンスタインのDG盤で記事にしようと思ったけど、ところがCDが見当たらない。
最近、管理不行き届きのせいか、行方不明の音源が多い・・・・悲しい。

でも、ともかく頑張れアメリカ!
負けるなCに(意味深)

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お台場から左に転じれば、オリンピックの選手村と、その先の左には豊洲市場も見えます。

本来なら真っ最中、でも、もうね、オリンピックは来年も無理かも・・・それでいい。

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2020年7月 4日 (土)

ハウェルズ チェロ協奏曲 ジョンストン

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鮮やかなとりどりの紫陽花が旬です。

連日の雨でふさぎがちな日々に、ちょっと癒しを与えてくれます。

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 ハウェルズ チェロ協奏曲

   チェロ:ガイ・ジョンストン

 クリストファー・シーマン指揮 ブリテン・シンフォニア

     (2018.12~2019.1 @キングズカレッジ、ケンブリッジ)

英国作曲家ハウェルズ(1892~1983)は、私の大好きな作曲家のひとりで、ヴォーン・ウィリアムズやフィンジに通じる叙情派。
過去記事で何度も書いてますが、42歳で、最愛の息子をポリオで突然に亡くしてしまうことから、陰りを帯びたシリアスな作品を書くようになった。
それまでは、田園情緒あふれるオーケストラ作品や、室内作品、瀟洒なピアノ曲などを中心に書いてます。

グロースターシャーで、家族と過ごした夏、9歳の息子マイケルを失ってしまい、満身創痍となったハウェルズ。
その気持ちを切り替えるため、さらにその思いを照射するためにもと、娘のウルスラは、父に作曲に戻るように勧めました。
そして出来上がったのが「楽園讃歌」で、まだ息子が存命中だった1933年から手掛けていた後のチェロ協奏曲。

ただ、チェロ協奏曲は、協奏曲としての形を結ぶことができず、「チェロと管弦楽のための幻想曲」という17分あまりの作品として完成される。
続く2楽章は、チェロとピアノスコアだけが残されることとなり、それを1992年にクリストファー・パーマーが補筆完成。
この作品は、チェロ協奏曲の2楽章ということでなく、「チェロと管弦楽のための挽歌」という曲として残されることとなります。
パーマーは、作曲家・プロデューサーとして多くの仕事をなしており、英国作曲家たちの作品を掘り起こしたり再生したりするばかりか、執筆家としても数々の作曲家について残してます。
残念ながらパーマーは1995年に49歳で亡くなってしまう。

パーマーの死でその先がなくなってしまったチェロ協奏曲の完成。
ハウェルズ財団のサポートを得て、今度はハウェルズの研究者でもあり、オルガン奏者でもあったジョナサン・クリンチが「幻想曲」と「挽歌」をそれぞれ1楽章と2楽章とすることで、それぞれとの整合性を第一優先にした第3楽章を創作しました。
2010年から、ラター、ロイド・ウェッバー、ペインなどの助言を受けつつ完成させ、2016年に、今回の演奏者ガイ・ジョンストンのチェロによって初演されております。

以上が、この作品の生い立ちで、CD解説書などを参照しまとめました。

第1楽章は、モダンな雰囲気のなかに、痛切なペシミズムと哀愁を感じさせるもので、少しばかり受け止めは重たいです。
でも第2楽章になると、その気分も救われます。
憂鬱と孤独が何故だか心地いい、そんな癒しの音楽で、ともかく美しい。
 そして前ふたつの楽章を統合しつつ、エネルギッシュな気分に押される前向きな音楽となった3楽章。
クリンチ自身も語ってますが、ウォルトン風でもあります。
悲しみと、ぶつけようの怒りや痛みを開放するような、そんな爽快さもありました。

私には慣れ親しんできた、ハウェルズの作風がしっかり投影されている立派なハウェルズ作品と思えました。
これも、クリンチの言葉ですが、ハウェルズはチェロを男性の声とみなし、その声はまさに作曲者の声となっていると語ってます。

今回聴いた、新しい録音は、教会での録音でもあり、響きがとても豊かで、でも音の芯はしっかりとしている優秀なもの。
演奏も初演者だけあって大いに共感しながらのもので、オケとともに音色もキレ味も素晴らしいと思いました。

当CDは2枚組で、この余白にはオルガン作品が、もう1枚にはテ・デウム、ミサ曲、マニフィカトなどの宗教作品が収められてます。
この合唱宗教作品は、ことのほか美しく、いずれの機会にまた取り上げたいと思います。

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 「幻想曲」と「挽歌」は、こちらのヒコックス盤にも収められていて、これが世界初録音でした。

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ハートのような紫陽花見つけました💛

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2020年6月27日 (土)

アバド 「スカラ座 その黄金時代」

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6月26日は、アバドの87回目の誕生日。

ブログ開設以来毎年、アバド特集をこの日に行ってます。

この生誕祭に、6年前から、まさかの追悼祭が加わってしまうとは・・・・・

アバド生誕祭 過去記事一覧

「ロメオと法悦の詩 ボストン響」2006

「ジルヴェスターのワーグナー」2007

「ペレアスとメリザンド 組曲」2008

「マーラー 1番 シカゴ響」2009

「ブラームス 交響曲全集」2010

「グレの歌」2011

「エレクトラ」2012

「ワーグナー&ヴェルディ ガラ」2013

「マーラー 復活 3種」2014

「シューベルト ザ・グレート」2015

「新ウィーン楽派の音楽」2016

「メンデルスゾーン スコットランド」2017

「スカラ座のアバド ヴェルディ合唱曲」2018

「ヤナーチェク シンフォニエッタ」2019

今年はこの映像を。

懐かしくて涙が出ました。

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 「スカラ座 その黄金時代」

私も体験できた1981年のスカラ座の引っ越し公演。
そのときの模様や、イタリアから来同したジャーナリストのインタビュー集です。
アバド、フレーニ、カプッチッリ、ドミンゴの日本での貴重なインタビューと、シモン・ボッカネグラとレクイエムの舞台の様子、さらには、オテロとクライバーも出てきます。

ソフトフォーカスな画像ですが、日本語字幕もあり、NHKホール、文化会館、銀座や新宿など東京のあの頃の街並みなど、もうほんとに懐かしい映像の宝庫なのであります。

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あのジャケットと同じ場面が、東京文化会館の舞台に再現されました。
私には、初アバド、初フレーニ、であたりまえに初スカラ座でした。
カプッチッリ、ギャウロウにはこの5年前のNHKイタリアオペラで、同じシモンを観てます。
このステキなアリアのシーンがこの映像では見れるんです。

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父と娘であることが、わかった瞬間の感動的な場面。
この時、オーケストラはフォルテの瞬間を築くのですが、このときのアバドは指揮棒を両手で持って、思い切り振り下ろし、そして広げました。
その出てきた音の輝かしさと、ある意味陶酔的ともいえる音は、幾多も聴いてきたアバドの演奏のなかでも、もっとも脳裏に残るもののひとつです。

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カーテンコールに出て行くふたり。
フレーニも今年、亡くなってしまいました・・・・

「シモン・ボッカネグラ」はヴェルデイのオペラのなかでも、もっとも好きな作品だし、あらゆるオペラのなかでも、自分的に上位にくるものです。
それもこれもアバドのこのときの上演と、DGのレコードがあってのもの。
アバドのシモンは、フィレンツェでのDVDも、ウィーンライブも、非正規スカラ座ライブもたくさん持ってますが、ほかはアバド以前の、ガヴァッツェーニとサンティーニのみ。
アバド以降のほかの指揮者のものは一切所有せず、実際、聴いたこともありません。
唯一、今月、ウィーン国立歌劇場のネットストリーミングで観たのが、アバド以外の初シモンでした。
でも、カプッチッリ、ギャウロウ、フレーニ、リッチャレッリ以外の歌手のシモンは、耳が受け入れることはできませんでしたし、それ以上にアバドの指揮でないと、やはりダメという、ある意味、哀しい結果となったのでした。

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文化会館で行われた2度のヴェルデイ「レクイエム」のうち、フレーニが歌った回の映像も観れます。
ここでは、アバドの大きな指揮ぶりと、4人の名歌手たちの歌いぶりが、少しだけど楽しめます。
このときの、NHKFM録音は、自分でも状態よく保存出来ていて、お宝的になってますが、ちゃんとした映像も残してほしかったものです。

ヴェルデイのレクイエムは、カラヤンとアバドが自分では無二の存在。
合唱団の素晴らしさでは、スカラ座に敵うものはありません。
ドミンゴが、この映像のインタビューで語ってますが、メゾソプラノが素晴らしい合唱団はなかなかなくて、このスカラ座は文句なく素晴らしいとしてました。
そう、男声もまったくすごいです。

オケも合唱も、スカラ座の全盛期は、アバド時代だと信じてます。

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ギャウロウもレクイエムにおいては無二の存在。
ルケッティもよかった。

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アバドも、ギャウロウ、カプッチッリ、テッラーニ、ルケッティ、フレーニ、みんな旅立ってしまいました。

このスカラ座来日の1981年、私は新入社員として、社会人1年目の年でした。
薄給だったので、シモンのS席のみに資金を注ぐのみでした。
今思えば、どんなことしても、クライバー含めて全部観て、聴いておくんだった。
でもね、新人1年生が、そそくさと定時上がりをできるような環境は、当時の社会や会社生活ではありえなかったな・・・

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アバドらしい、いやアバドにしか語れないインタビュー。
人によっては優等生的と思うかもしれない。
でも、アバドがこのあと、ロンドン、ウィーン、ベルリン、ルツェルンと登りつめ、指揮者として大きな存在になっても、ここで語るアバドの謙虚な姿勢はひとつも変わらなかった。

簡単に紹介します。

「演奏家や歌手たちと音楽的な交流を大事にします。見えやすいいよう、指揮台に立つだけで、上から横柄に指図するためではありませんよ。」

「内気な方? そうですね。私はあまり目立ちたくはないですね。指揮者の仕事は、作曲家の音楽をいかに伝えるかなので、指揮者が目立つ必要はないと、私は思ってます。楽譜をしっかり研究して、偉大な作曲家が残した音楽を披露するだけですよ。」
「ただ情熱に任せて音楽を続けるだけですよ。やればやるほど発見があって、満足することは決してありません。より深く学んでいけば、また新たな挑戦に行き着く、それが音楽の魅力です。」

あと、フルトヴェングラーを偉大な指揮者であり、彼のドイツ音楽は見事だと話します。
さらに、現在の指揮者では、クライバーを優れた芸術家としてあげてます。

ムーティとライバルとされてますね、と問われると、「ばかげてますよ、いろんな指揮者がいて当然、彼のように
世界中で活躍する指揮者がいることは喜ばしい、同じイタリアの指揮者でも、ジュリーニ、チェッカート、あと若いところではシャイーとシノーポリも出てきてますよ」、と大人の対応。

あと、新聞ではあなたは左派と書かれてますが・・に対しては、きっぱりと「勝手なレッテル貼りですよ!」とぴしゃり。
それから、海外で住みたい町は、ロンドンと答えてます。
地元ミラノは窮屈だったのでしょうか。
ロンドンはヨーロッパの芸術の中心であり、そこでひとり静かに読書や楽譜の研究をしたいと。
休日は、演劇をみたり、山歩き、スポーツなどとのお答えで、アバドらしい生真面目ぶりです。

アバドは居をロンドン、そのあとウィーン、そしてベルリン、最後はスイスに住まうことになります。
この若き日のインタビューどおり、静かに過ごすことが、一番の願いだったにかもしれません。

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フレーニのインタビューも興味深かったです。
いずれは若い人を指導したいと、この頃から語っていて、その思いはアバドにも通じるものがあります。

幼馴染のパヴァロッティとは、乳母までおんなじで、すべてが同じと懐かしそうに語ってます。

そして、自分にとって偉大な指揮者は、カラヤンとしてます。
自分がアイーダを歌うなんて思いもしなかったけど、カラヤンのおかげと。
あと親しい仲間としてのアバドの名前をあげてます。

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文化会館でカーテンコールに応えるアバド。

この数十年あと、トリスタンの上演で同じ文化会館で舞台で出てきたアバドの痩せ細った姿、そして最後のルツェルンとの来日で、オーケストラが去ったあと一人出てきたにこやかなアバド、いずれもともに、自分にとって忘れえぬ残像ですの数々です。

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2020年6月26日 (金)

オペラストリーミング大会の軌跡 ⑩

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アジサイ真っ盛り。

土壌のPH値で、紫陽花の色合いが変わるといいます。

簡単に言うと、酸性だと青系、アルカリだとピンク系。
リトマス紙に同じであります。
なんかかわいい。

さて、毎日オペラを諸所工夫しながら見てます。
だいたい、ウィーンとメトに集約された感じだし、配信も安定してます。
でも、時に、ウィーンは音が悪かったりします。

Andorea

 ジョルダーノ 「アンドレア・シェニエ」 ウィーン 2018年

カウフマンのヴェリスモ、声の力感と悲劇性が申し分ない。
 が、頭抜けるなにか、情熱の輝きがちょっと自分の中で違う。
私にはLPで長く親しんできたデル・モナコ、ライブで聴いた片足を一歩前に出して歌うカレーラスの声が忘れられない。


年輩を迎えた自分の耳の軌道修正も必要かとも思った。
だがベテランのフロンターリの純正イタリア歌唱を聴いても、同じくバスティアニーニと実演で聴いたカプッチッリの声から逃れられない。
 そんなオペラなんだ。
デル・モナコとゴッピ絶対のオテロはもっと柔軟に受け入れてるから自分には特別か・・・
カプッチッリのジェラールはガラコンサート。
オケの一番後ろのプルトの女性のおさげ髪を、舞台に出てくるたびに、ちょいとイジるユーモアあふれる仕草が、いまでも脳裏に刻まれてます。
粋なイタリア男でもありました!
 伝統解釈のウィーンもいいけど、新国でのアルロー演出もよかったな。

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ルルって?
ベルクだれ?
ヴォツェック、なに?
子供のときはわからないことばかり。
いまは、それらを嗜む大人となりました。

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 ヴェルディ 「オテロ」 MET 2015

まず、セガンの指揮がいい。
活気あふれる鮮度高いオケの響きがピットから立ち上る。
アントネンコのオテロも、自爆への突進ぶりがなかなかのもので、あと最後の高貴な悲劇性が出れば申し分ないかな。
ルジッチは人のいいイメージがありすぎて、悪になりきれない風に見えちゃう。

ご無体なオテロに翻弄されるデスデモーナのヨンチェバのよろしい。
一見、スタイリッシュな舞台だけど、目新しいところもく、ある意味安心のMET。
 ワタクシの生涯初のオペラは高校時代の二期会のオテロ。
若杉さんの指揮で、当時、オペラはワーグナー以外は日本語上演だった。
「よっろこーべ~」 「剣を捨て~ろ」「口づけを~」なんて感じで、みんな覚えちゃったし。
その後いくつもオテロは観劇したけど、残念だったのはクライバーを逃したこと。
テレビでクライバーとドミンゴのすさまじさに釘付けになった・・・
エアチェック音源はお宝です。

Thais

   マスネ 「タイース」 MET 2008

この機会に初視聴。
モッフォとシルズのレコードが出たとき気になってたけど、3枚組だし、おっかない女性のジャケットだったから手が伸びなかった。
それから40年。
長く聴いてるとこんな出会いもある。
実によろしきオペラ。
悪人なし、みんないい感じに機能する登場人物たち。

最後には現実の愛の渇望に負けてしまう、いわば生臭坊主。
対する奔放なタイースは彼の導きで神の道を歩んで昇天するという物語。
あの瞑想曲がこんな場面で鳴る、最後の決め所でもくる。
不覚にも涙ぐんでしまった。
 いいオペラだ。
ムーディなフレミングがここでは最高。
ハンプソンもナイスガイだ

Adriana-01

   チレーア 「アドリアーナ・ルクヴルール」 ウィーン 2014

「アドリアーナ・ルクヴルール」ウィーン 2014
METに続いて同じくマクヴィカーの演出。
ネトレプコもよかったし、2017年ウィーンでは彼女が歌ったけど、ゲオルギューのアドリアーナは、隣のきれいなお姉さんてきな親しみを感じるし、儚さもいい感じ。
 それ以上にツィトコーワのブイヨン公妃が最高!

Adriana-02

ツィトコーワには思いいれあり、新国で、オクタヴィアン、フリッカ、ブランゲーネを観劇。
小柄で、いろんな所作が可愛くて、でも声は力強い。
去年のバイロイトでタンホイザーを食ってしまったヴェーヌスが彼女です。
好きすぎて、こんな画像も作成しました。

Adriana-03

チレーアの抒情的・旋律的なオペラは高校時代にNHKイタリアオペラで観劇。
プッチーニ以外のヴェルディの後をいろいろ聴くきっかけになりました。
 このオペラの肝は、女性達の恋のさや当てでもあり、でも愛する女性を後押しするミショネの顔で笑って背中で泣く優しいバリトン役があること。

Boliss

 ムソルグスキー 「ボリス・ゴドゥノフ」 ウィーン 2016

ムソルグスキー原典版による休憩なし、省エネ時短ボリス。
ボリスの死で幕となる。
かつてはR=コルサコフ版が主流で、華麗な戴冠式とボリスの死がクローズアップされる版だった。
いまは、粗削りで、ロシアの民衆に光をあてたムソルグスキー改定2版がメイン。

2007年プリミエで原典版の選択は面白いが、やや洗練されすぎ。
スーツ姿は旧ソ連の高級幹部みたいな感じ。
偽ドミトリーのグリゴリーに乗る民衆は、ほぼなく、シュイスキー公が幕切れ、次の権力を匂わせる場面があり、変わらぬ権力闘争が継続することを描いていた。
パペのボリス、滑らかな声が最高
でも苦悩は弱めかな。
 この演出の前のウィーンのボリスは、1991年のタルコフスキー演出。
そう、83年にロンドンでアバドがタルコフスキーを起用したもので、ウィーンでもアバドの独壇場だった。
94年に引越し公演があり、眼前で暗譜で指揮するアバドの集中力高い姿に釘付けになった。

Iolanta

 チャイコフスキー 「イオランタ」 MET 2015

青髭と抱き合わせ上演。
悪人がひとりもいない、愛すべき美しいオペラ。
これほどわかりやすく、幻想的な舞台はないな・・と、ネトレプコ、ベチャーワの声も堪能。
でも、最後にあれ?
父、へそ曲げた?
ん?怖い顔して喜びの輪に不参加で、ラストスポットもあびちゃう。

もやもやを引きづりつつ、青髭へ行ったが、振り返ってわかった。
映像を多用し、それも立体的で美しく、イオランタが絡めとられるような雰囲気。
あと、父が鹿を狩りで仕留め、娘の部屋は鹿さんのレプリカだらけという謎・・・・
ゲルギエフ指揮。

Blue-01

 バルトーク 「青髭公の城」 MET 2015

イオランタの後半公演。
こちらも立体的な映像が多様され、登場人物たちがそこに組み込まれる仕組みで、配信映像では効果的だけど、実際の舞台からみた現物はどうだったろう。
城内の移動は無機質なエレベーター映像を絡ませ、それなりの効果はあり。
ピークの第5のドアの場面は、なかなか盛り上がるシーンだし、METらしく金がかかってる。
しかし、おどろおどろしいイメージ画や音の動画の挿入はいかがなものか。
いつも思うけど、作曲者の書いた音楽の力を信じないのだろうか、聴衆をバカにしてるのだろうか。
バルトークの音楽はそのまま鮮烈だよ!

Blue-02

青髭を見て、片方手袋のイオランタの父親に繋がった。
娘の盲目を本人に隠し、溺愛し、愛する彼氏の登場にへそを曲げるチッちゃい男に描く。
 青髭は、コレクターのような異常さ際立つ存在。
最後は、完全に取り込まれてしまったユデーット。
鹿、薔薇、森、密閉小部屋、イオランタに共通モティーフ。

Josef

 R・シュトラウス 「ヨゼフの伝説」 ウィーン 2015

R・シュトラウスの3つあるバレエ音楽のひとつ。
めったに聴くことはできないが、ちょっと古いがノイマイヤー演出のウィーン上演。
なかなか始まらないと思ったら、前半はクープランのクラブサン曲を編曲した部局。
ヨゼフはアルペンとかアリアドネと同じ時期の作品。

安心してください、はいてます。
超大編成のオケを指揮するのは、ミッコ・フランクでウィーンの音色も生かした洗練されたシュトラウスサウンド。
旧約聖書の物語で、サロメと同じく、牧童のヨゼフが、買主の豪商の妻の強引な欲望の対象となり、罪を着せられ、最後は天使と昇天。
実際の旧約聖書では後日談もあるが、このバレエでは、精神と肉体の欲の葛藤で、精神の勝ちで終わり、極妻が破滅する筋立て。
豊饒な旋律をベースに、サロメやエレクトラにも通じる強烈な音楽だ。
若杉さんのCDが世界初全曲録音であることも特筆ものです。

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 フンパーディンク 「ヘンゼルとグレーテル」 MET 2008

英語版での上演だけど、違和感なし。
壁紙の魔術師リチャード・ジョーンズの描くフォーレスト・ルームは森の怖さも神秘感もうまく出していた。
魔女は故英国テノールのラングリッジでさすがに上手い。
兄妹もナイスなコンビで、特にこの頃、シェファーは可愛い。

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NYの有名菓子店のリアルスイーツがマジで美味そう。
しかし、食べ物を粗末にしちゃあかんで。
でもこんがり仕上がった魔女は、みんなで美味しくいただきました・・とさ。
皮肉とユーモアと恐怖のエンディング。

姿からは、童話オペラを指揮してるとは思えないユロフスキの明快なオケもよろし。
すっかり楽しめましたよ。
すっかりもてあそばれる魔女の婆さん・・・

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  R・シュトラウス 「ナクソスのアリアドネ」 ウィーン 2017

J・テイトが指揮する予定だった公演で、氏の逝去によりシュナイダーが指揮。
さすがの熟練、ふくよかなウィーンの音色と歌手の声を第一にしたオケピットを創出。
2度目のストリーミングで、この度はじっくり鑑賞。
疑問に思った最後の作曲家の登場だが・・・

Ariadone-02

序劇はパトロン出資でオペラを造っていく人々のドタバタ。
本編は、その人々の作り出す地中海風オペラの本番。
このふたつを、巧みに結び付けた演出意図がよくわかった。
嫌いな同志のテノールとプリマ。
一応、オペラでは壮大な二重唱を歌いつつ、劇場を去るや即決裂(笑)

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序劇でのツェルビネッタと作曲家のちょっと気になる関係が、本編オペラで完結する仕組み。
これをメインに仕立てあげた演出かと。
バイロイトのタンホイザー・トリオが万全。
METの可愛いママさんコロラトゥーラ、モーリーさんがステキ!
この秋もティーレマン指揮で再演で、モーリーも再び!

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    プッチーニ 「西部の娘」 ウィーン 2013

スマートでプッチーニの斬新なオーケストレーションが透けて見えるようなウェルザー・メストの指揮がいい。
西部時代から1970年代のアメリカの炭鉱の町に設定を移した舞台は、とても写実的で面白かった。
そして切実なる銃社会も見せてくれて、今がいまだけに悩ましい・・・

Seibu-02

ミニーは、働く男たちのアイドルである以上に精神的支柱で、縛り首寸前の恋人ジョンソンの助命を説いてまわると、簡単に男たちは許しちゃって旅立たせてしまう。
で、カラフルな気球で去るところが、えー、なんでやねん!
ラストシーンの恋敵ジャックのピストル自殺暗示の深い解釈とそぐわない気が・・

Seibu-03

嫉妬に狂うコニュチュニーのポリスが実によくて、このオペラによくあるテノール役を食ってしまう事象がここでも。
そんなオペラだけど、カウフマンは適役だし、なんたって体当たり的な鉄火場女を歌い演じたシュティンメが素晴らしい!
METの配信に続いてありがたく視聴しました。
Danke Wien!

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METの「西部の娘」2011を振り返り。
さすがのお膝元、日本が「蝶々さん」で一家言あるように、王道の西部劇描写。
ヴォイトのミニーが適役すぎ。
あとなんたって、ジャック・ランスのルチオ・ガッロが役になりきりすぎで、憎々しい存在。
このオペラに限ってはMETに軍配だな!

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新国で観たホモキ演出でも、ガッロが最高に輝いてた!
段ボールを1000個も重ねて舞台設定した日本の技術とのコラボ。
東洋での演出もにらんだ、他民族国家の問題点も描いたアメリカのウォールマート風のスーパーが舞台だった。
METやウィーンより、社会派演出。
今後は難しいオペラだな・・・

Ajisai-shiba-02

まだまだ続くよ、梅雨とオペラの日々。
METは7月もストリーミング配信続行。
魅惑のラインナップも発表されワクワクしてる自分。
音楽視聴生活もすっかり変わってしまった。

これが自分の新しい生活様式ということか・・・・・

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2020年6月14日 (日)

ワーグナー オペラ 序曲・前奏曲 全部聴く

Shinagawa-04

梅雨入り前の晴れ間に神社巡り。

旧東海道、品川宿を抜けて品川神社に。

1187年の創始で場所柄、家康などとも由縁のある社です。

この社の後ろのほうに、板垣退助の墓石がありますが、改装工事で行きつきませんでした。

自由民権運動の祖でもあり、板垣死すとも自由は死せず・・・は著名な言葉です。

最近は、自由の名のもとに歪んだ活動が横行してると思いますがいかに。。。。

そして、存外に市民運動に身を投じ、貴族的な政治を批判したワーグナーも革命好きな方でした。

関係ないけど、この際、10あるオペラ作品の管弦楽部分を一気に聞いてしまおうという企画です。

数年前にもやってますが、音楽への渇望がみなぎるいま、またやっちゃいます。

一部ジャケットは、手持ちが好みでないものは、借り物です。

De-waart

  「妖精」 序曲

 エド・デ・ワールト指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

現存する完成された、ワーグナーのオペラ作品の第1作。
この前に「婚礼」という作品を手掛けたが、未完のまま破棄。
1834年、21歳の作品。
ウェーバーやマルシュナー、マイヤーベアなどの影響を受けつつ、オペラの内容もおとぎ話風で、かつ喜劇的な要素や、狂乱の場的ないろんな要素が混在していて、しかも歌手への負担も大きく、なかなか上演が難しい処女作。
序曲もなかなか演奏会でもお目にかかれない。
 目隠しされて聴かされたら、ワーグナーとはすぐには見抜けないけど、のちのワーグナー風であることは確か。
オランダ人みたいな旋律も聴かれる。
ワールトがコンセルトヘボウとデジタル初期に残した録音は、さすがのフィリップスサウンドで、フレッシュかつ活気あふれる演奏であります。
ジャケットがノイシュバンシュタイン城の近隣にあるホーエンシュヴァンガウ城であることが実によい。
ノイシュバンシュタインの前に、ルートヴィヒ2世がこの城で過ごした縁の地です。

唯一の舞台体験・日本初演 http://wanderer.way-nifty.com/poet/2008/02/post_7711.html

サヴァリッシュのCD   http://wanderer.way-nifty.com/poet/2009/06/post-4d08.html


Sawallish

  「恋愛禁制」 序曲

 ウォルフガンク・サヴァリッシュ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

非正規のものも含むと、初期3作を含むワーグナー全オペラ作品を上演し、聴くことができる唯一の指揮者がサヴァリッシュ。
「妖精」のすぐあと23歳の作品。
シェイクスピアの戯曲をベースにした、イタリアを舞台とする、ワーグナーらしからぬイタリアンカラーに染まった喜劇。
カラッとした明るさのなかに、音楽と劇とが密接感を増していて、イタリアンだけどワーグナーらしさが出てきているオペラ。
タンバリンとカスタネットで始まるワーグナーの音楽なんてちょっと信じられないですね。
中間部では劇中のアリアの旋律が出てきて、なかなかいい雰囲気。
以外と好きな序曲だったりしますな。

フィラデルフィアの明るい音色と機能性があって、ミュンヘンの明るさとはまた違う楽しみがあります。

日本でも上演歴があるも、見逃してます。

サヴァリッシュのCD http://wanderer.way-nifty.com/poet/2009/07/post-fbc3.html


Wagner-mehta-1

  「リエンツィ」 序曲

 ズビン・メータ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

序曲だけはやたらと有名。
でも全曲上演はやたらと長いこともあって、欧米でもめったに上演されず、わたしは、準地元・藤沢での98年の日本初演をこれまた逃してしまった。
借金と遍歴癖のワーグナーは、パリではやりのグランドオペラ風の上演を目指し、かの地で「リエンツィ」を作曲したのは27歳1840年のこと。
しかし、初演はされず、42年にドレスデンで初演され大成功し、その流れでオランダ人につながる。
全曲はともかく長くて、初レコードは5枚組だった。
その全曲のエッセンスともいえるのが序曲。
熱烈な護民官リエンツィの祈りの旋律が美しく、そして勇壮で、人心を鼓舞してしまいそうな、行進調の勇猛果敢な音楽。
深く考えず、楽しめるメータの指揮でどうぞ。

このオペラでもサヴァリッシュの献身的な活動が光りますが、同時にルネ・コロという大歌手あってのリエンツィ。

ホルライザーのCD http://wanderer.way-nifty.com/poet/2009/07/post-e13c.html


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  「さまよえるオランダ人」 序曲

 ダニエル・バレンボイム指揮 パリ管弦楽団

いよいよ7大オペラとなると、耳なじみばかり。
リエンツィと同時期に29歳で作曲し、ドレスデンでリエンツィの1年後に初演。
ライトモティーフの活用が堂に入り、音楽の構成力も大幅UPし、無駄がなくなった。
初稿版では、序曲のオペラのラストも救済動機はなし。
その40年後、1880年に円熟の域に達したワーグナーの最終稿で、救済がプラスされた。
救済ありバージョンが主流だったけど、最近はバイロイトでもなしバージョンも多く上演されるようになった。
その混在もあって、序曲は救済なし、ラストは救済ありの折衷方式も新国で観ました。

でも序曲単独では、演奏効果が上がり、完結感が増すので救済の動機で終わるものがほぼ100%。
パリ管のワーグナーということで、デジタル初期にレコードで出たバレンボイム盤にすぐ飛びついた。
菅の音色などに、フレンチワーグナーの香りを感じさせるが、バレンボイムの重さ感は、とくにトリスタンなどに顕著。
ホルンがステキなパリ管オランダ人はいい。これ好き。

Abbado-2

  「タンホイザー」 序曲

 クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

32歳のワーグナー、リエンツィとオランダ人の成功で指揮者としてもドレスデンの宮廷劇場のポストをえて、順風ななかに「タンホイザー」を作曲。
これまた成功して、少し改訂してドレスデン版として、いまの序曲が完全演奏され、その後にヴェーヌスブルグの音楽に入るのが今の定番。
のちにパリでの上演に際し、序曲の途中のヴェーヌスブルグの音楽から、オペラ本編になだれこんだり、歌合戦に手を入れたパリ版が作られ、この版の上演も多々あるし、さらにドレスデンとパリ版の折衷もあるという、実はややこしいタンホイザー。

でも、普通に取り上げられる序曲は15分のオペラのエッセンスともいうべきドレスデン版のもの。
起承転結がちゃんとあって、思えばオペラの内容を凝縮したもの。
よく歌うアバドの研ぎ澄まされたワーグナーは、トリスタンを中心にほかの指揮者とは違う新しいワーグナーを打ち立てたと思っている。
癌で倒れることがなかったら、トリスタンとパルジファルのあとに、このタンホイザーを、やがてマイスタージンガーを取り上げたかもしれない。(本人もそんな発言をした時期があった。)
同じベルリンフィルでも、カラヤンの重心の低いレガート気味のワーグナーとは、まったく違う。
明るく、透明で、ピアニシモが豊かでサラリとしたローカロリーのワーグナーは新鮮。

Bohm

  「ローエングリン」 前奏曲

 カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ドレスデンを拠点とした37歳の年に完成、しかし革命好きが災いし指名手配を受けドイツから出ざるを得なくなり、ローエングリンの初演はリストに託し、ヴァイマールで上演。
タンホイザーからローエングリンへの飛躍も大きく、オペラの内容を凝縮したような大規模な序曲は廃され、簡潔な前奏曲となり、オペラ本編でもアリアが突出することなく、劇の流れが優先し、人物たちの性格表現がより豊かに。
性格もよろしくなく、品行方正とは言い難かったワーグナーが、こんな清らかな音楽を書くなんて。
ロマンティストであり、美と理想を求める自己陶酔性がワーグナーの一面、というより本質がこの音楽かもしれない。
同じことはトリスタンにもいえる。

ベームとウィーンフィルの木質感あふれる、まろやかなローエングリンは、その穏やかでゆったりとした運びにおいて理想的な美しさ。
前にも書いたけど、ベームはローエングリンは、最初から最後まで、4拍子で振ってればいいんじゃよ・・なんて言ってたけど、正規録音で全曲残してほしかったな。

ベームのローエングリンCD http://wanderer.way-nifty.com/poet/2017/07/post-c1ea.html


Stkowski

  「トリスタンとイゾルデ」 前奏曲と愛の死

 レオポルド・ストコフスキー指揮 ロイヤル・フィルハーモニック

46歳となったワーグナー、1859年の作品。
ドレスデンを追われ、亡命先のスイスで、このトリスタンの前に「リング」に取り組み、ライン、ワルキューレ、ジークフリートの2幕までを完成させていた。
楽劇・ムジークドラマは、もうすっかり板について、全曲に張り巡らされたライトモティーフ、どこまでも発展していく無限旋律など、ワーグナーの筆致は最高の域に。
加えて、半音階進行の和声など、このトリスタンが聴く人に、それこそ憧憬と渇望を与えてしまうというやるせないイケナイ音楽なのだ。
ワタクシも中学~高校と胸かきむしりながら聴いてました(笑)
演奏会でも、「前奏曲と愛の死」はやたらと人気曲で、ブルックナーの7番とマーラーの5番の前に演奏されることが多い。

ストコフスキーを選んだことには深い意味はありませんが、91歳の指揮者とは思えない若々しさと、不思議な毒気を感じます。
前奏曲の盛り上がりでは、超快速で、胸かきむしるヒマはございません。
愛の死も、さらさらと流麗にことが進み、何事もなかったように浄化されてしまうワザを披露してくれますが、最後にスコアを一ひねりしてまして、最終音がどこか違う。
やっぱりなんかやってた(笑)

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  「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 前奏曲

 サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団

短調に続いて長調、それも開放的なハ調。
リングの合間に書かれたトリスタンとの姉妹作。
いろんなことを同時進行的にこなしていたワーグナーは、イケナイ結婚や、パトロンを得ての安定的な生活のなか、試行錯誤しつつ1867年に齢54歳でマイスタージンガーを完成。
没頭的な愛に溺れた二人が主役のトリスタンに対し、マイスタージンガーは、ニュルンベルクという街と親方たち、ドイツ芸術が主役で、神話や伝説でなく史実を描いたことでも画期的。
でも、ちょっと政治色も出て、後々の火種として使われてしまうことも・・・

バルビローリのステレオ録音のワーグナー集は50年代後半のハレ菅のものと、晩年のロンドン響とのマイスタージンガー前奏曲だけ(たぶん)
前奏曲のテンポのゆったりぶりは、ブーレーズと並んで随一かと。
でもその豊かな歌といったらありません。
併録された3幕への前奏曲とならんで、しみじみと聴ける味わい深いワーグナー。
さらに併録の3幕の市民の踊りや親方たちの入場などの弾むリズムや、生き生きとした活力など、バルビローリならでは。
ちなみに、親方たちの入場から、ザックスの市民への挨拶、そしてラストのエンディングと3幕が手短にまとめられてます。
カラヤンのドレスデンでのマイスタージンガーが、最初はバルビローリの指揮で企画されたとか・・・

Runnicles

  「ニーベルングの指環」 管弦楽曲集

 ドナルド・ラニクルズ指揮 ドレスデン・シュターツカペレ

1848~1874年、35歳から61歳まで、あしかけ26年をかけて作曲された「リング」4部作。
最初に書かれたラインの黄金のライトモティーフが、進化しつつも、容を変えずに、神々の黄昏にまで引き継がれ、連続性を持った4つの楽劇がひとつの大河ドラマのように保たれているのが、この年月を思うと驚異であります。
ワタクシのような凡人には、とうていなすことのできない持続的な事業継続意欲。
14時間かかる全作を1時間ぐらいの連続した流れの音楽とした、フリーヘル版オーケストラル・アドヴェンチャーは定番化しましたが、ここで聴くのはそうではない、楽曲チョイス方式。
ワルキューレの騎行、告別と魔の炎の音楽、森のささやき、夜明けとラインの旅と葬送行進曲に自己犠牲。

スコットランド出身のラニクルズは長くベルリン・ドイツ・オペラを率いるオペラ指揮者であり、ブルックナーやマーラーなどのドイツもの、英国音楽も得意とするマルチな指揮者で、左手に指揮棒を持つ左利き指揮者であります。
ラニクルズのダイナミックで、スケールの大きい演奏は結構好きで、大曲を構成力豊かにテキパキと指揮できる力量は並々ならないです。
毎年のPromsでは、オペラをやってくれますので、ワーグナー、シュトラウス、ブリテンなど、かなりアーカイブができました。
そんなラニクルズがドレスデンを指揮した正当・本流ワーグナーがこの1枚。
96年の録音で、オペラのオーケストラであることを管のちょっとしたフレーズや、雰囲気ゆたかな弦の支えなどに感じるし、なによりも音色の暖かさがよろしくて、ヒノキ香る温泉にゆったりと浸るが思いであります。
ヤノフスキがリングを録音した、あのときのドレスデンの音です。

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  「パルジファル」 前奏曲と聖金曜日の音楽

 オイゲン・ヨッフム指揮 バイエルン放送交響楽団

リングを自分の劇場を造ってついに上演。
しかし、ワーグナーの夢はまだ冷めやらず、イタリアに居を移して1877年、64歳の年に「パルジファル」を完成。
しかし、パルジファル構想は、ずっと昔、ローエングリンの頃に着想されていて30数年間あたためてきたもの。
ここでも変わらぬ熱意と、絶倫的な構想力の維持の力を感じます。
パルジファル後も、まだオペラの発想があったワーグナー、ワタクシにはもう神さんです。
舞台神聖祭典劇という大仰なジャンルを開拓したものの、あとにも先にも、これひとつ。
楽劇はシュトラウスや一部の作曲家が使ったけれど・・・

リングでは単独演奏できるような長い前奏曲はなしで、パルジファルでは、ローエングリンを思わせるような神聖かつ静謐な長い前奏曲が付きました。
愛餐の動機、聖杯の動機、信仰の動機からなるシンプルながら、実に深みのある前奏曲。
単独演奏だと完結感をつけるためのエンディングがあるが、わたくしは、そのまま音が延ばされ、そのまま本編に突入して欲しい思いにかられる。
ワーグナーの書いたもっとも美しい音楽のひとつと思うのが、「聖金曜日の音楽」。
野に咲く花のように美しい。

1951年から続いた戦後バイロイトの象徴ともいえる、ヴィーラント=クナッパーツブッシュのパルジファル。
70年代に入っての数年を指揮し、ラストをみとったのがヨッフム。
まさに順当ともいえる穏健かつ緩やかなこのCDでの演奏は、57年の録音でミュンヘンのきっとヘラクレスザールでのものでしょうか、とても鮮明で響きも豊かです。
初代指揮者として、バイエルン放送響の足場を築きあげたヨッフム。
この時期のバイエルンも、いまと変わらず暖かくて明晰なサウンドを聴かせます。
いまも昔もミュンヘンのオーケストラは優秀で、味わいにもかけてません。

ヨッフムのパルジファル http://wanderer.way-nifty.com/poet/2011/07/post-175f.html
オルフェオで正規復刻してくんないかな・・・

数日かけてワーグナーの全オペラ作品を駆け足で振り返りましたが、オオトリの聖金曜日の音楽で、ほろりときました。
ワーグナーのような大規模な音楽は、コンサートでも、ましてやオペラ上演でも、今後いかにして取り上げられるのだろうか。
いい着地点が見つかりまして、ワーグナー好きの渇望をなんとか満たしてほしいものです。

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梅雨まっさかりで、街はしっとりとしてます。

ウィルスのヤツは、暑さと湿り気には弱いのだろうか・・・
まったくもう!

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2020年6月 6日 (土)

オペラストリーミング大会の軌跡 ⑨

Shibapark-05

バラの季節も去り、紫陽花の色づきも濃くなりました。

関東は梅雨入りを待つばかりですが、相変わらずオペラデイを満喫中。

しかし、オペラ疲れも否めない。

6月一杯は、ウィーンもMETもストリーミングプログラムを予告していて、ほかのハウスも限定配信を継続中。

でも正常化したとしても、オペラ上演はオーケストラ以上に判断が難しいだろう。
野外オペラは一手かもしれないが、観客数をどう確保するか。
無観客での常時有料配信が、正常化後は常態化するかも・・・・

コロナであぶりだされた問題が世界で続出、しかも米中を中心に特筆すべき事態に突入しつつある・・・
でも、わたくしはオペラ配信に感謝しつつ、平和を祈るのみ。

Twitterでの呟きを転載し、自身の記録としておくべきブログ⑨

Manon-lescaut

 プッチーニ 「マノン・レスコー」 MET 5月28日

「マノン・レスコー」 MET 1980
レナータ・スコットを称えて、ということで過去の名舞台をうれしい配信。
スコットもドミンゴもぴかぴかしてた頃、しかもレヴァインも熱血漢だった。
セピア調に古めかしい映像にサウンドだけど、昔はブラウン管テレビで、こんな映像を見て音楽生活を養ってきたもんだ。


演出がメノッティであることも歴史そのもの。
2幕の二重唱の熱さ、間奏曲の陶酔感、4幕のスコットの迫真のアリアの素晴らしさ。
贅沢なもので、声の垂れ流しともいえるドミンゴの豊饒さに、こちらの耳が疲弊するような思いがした。
耳が飽きを覚えたんだろうか
齢86歳のスコットさん、ずっと健やかに!


Salome-02

今日は、なんてこった、トロイとトリスタンだよーー。
しかも月末だし、時間が・・・・
 昨日のリンドストロムのサロメを確認し、ラストの文字通りの「オチ」に脱力す・・・・


そう、ウィーンのサロメで、最後の音が完全に落ちた。
ヘロデがあの女をころせーといったと、急転直下のエンディングの3つのジャカジャン、その最後ティンパニと金管の一部(たぶん)がそっくり落ちたんです。
だからへろへろな感じの末尾でした(笑)
振り落としですかね、オケですかね・・・

Troyens-01

 ベルリオーズ 「トロイアの人々」 MET  5月29日

「トロイアの人々」MET 2013
この前のウィーンに続いて、この長大なベルリオーズのオペラが観劇できることに感謝。
欧米ではレパートリー化したこの作品、新国あたりでもなんとかと思いますが、当面無理かも。
実質デビューのイーメルのエーネアスが大喝采。
バカでかい声で存在感満点。
 
この役のパイオニア、ヴィッカースにも似てる。
 あとディドを当たり役にする、S・グラハムの女性らしい、そして知的な歌唱が素晴らしかった。
ルイージの熱狂に溺れない歌にあふれたオーケストラもよかった。
 おかげさまで、このオペラがますます、親しめるようになりました。


Tristan-01

 ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 ウィーン 5月29日

「トリスタンとイゾルデ」 ウィーン 2015
マクヴィカーの演出で、2010年に新国で観劇。
でも、微妙に違うような感じ。
 二人は、そもそもが魅かれあう、愛し合う存在で、媚薬は単なるきっかけ。
飲んだあと、待ってましたとばかりの熱い抱擁。
 そのあとは死をひたすら求める二人という解釈。


テオリンさまは、新国でこのイゾルデ、ブリュンヒルデ、トゥーランドットを観劇したけれど、ややヴィブラートが増したが、その気品と強い声は素晴らしい。
リリックだった、元ルチア・ポップの旦那、ザイフェルトの心境著しいトリスタンも見事。
で、で、シュナイダー先生の指揮が万全!


Sonnambula-01

 ベルリーニ 「夢遊病の女」 MET 5月30日

「夢遊病の女」MET2009
DVDで出てるけど初見、面白かった♪
スイスの山村が舞台の牧歌的な背景を、NYのビルの一室のミュージカル演習場に置き替え。
恋愛リアリティーゲームみたいな展開でこの時期なんとも・・
夢遊病で客席や、ビルの窓の外を歩くアイデア。
しかし最後はちゃんとスイスきた!


Sonnambula-02

ナタリー・デセイの繊細で完璧、精緻な歌。
この公演の数年前、彼女の来日コンサートを聴いたけど、裸足で歌う集中力高い名唱の数々と、殿方(ワタクシ)の心を奪うステキなステージマナーもいまだに忘れられない。
指揮は、その時もピドさん。
フローレスも相変わらずスゴイもんだ!
楽しかった♬


Salome-met

 R・シュトラウス 「サロメ」 MET  6月1日

「サロメ」MET 2008
歌って踊れる、しかも高度な演技を要求されるサロメ。
驚きだったマッティラの挑戦は大成功かと。
わがまま少女→魔性の女→狂気走る女
この3段階を見事に歌い演じた。
おっかないドラマテックな強いサロメとは違う側面のはしりだったかもしれない。


ベグリーのヘロデが、サロメが首を所望したときに酒を吹く場面が最高じゃん。
演出のユルゲン・フリムはバイロイトのミレニアムリングを担当した人で、ちょびっと政治色をにじませる方。
アメリカっぽい他民族・多様さもちょっと出してた。
モダーンな感じだけど、味わいは因習的。


新国で伝統的なエヴァーディング演出を観て、その後の二期会のコンヴィチュニーが衝撃的だった。
観客席に普通にいた人が、最後に、あの女をやれーーっと立ち上がって叫んだ。
ヘロデじゃなく、観客から声が上がるぐらいに敢えて過激な内容に仕立てたビックリ演出。
METではこんな過激さは無理かも。


Arabella-2

 R・シュトラウス 「アラベラ」 ウィーン 6月1日

「アラベラ」 ウィーン 2017
2度目のストリーミング配信。
前回はシルマーの指揮で、キリリとしたシュトラウスで、今回はシュナイダーのベテランならではの、馥郁たるウィーンの香り感じさせるオーケストラ。
共通キャストも含め、この年の配役もステキなもので、可愛いズデンカが好き。
 
レイスさん、2008年に新日フィルのばら騎士でゾフィーを聴いて、とても好ましく思った。
 そして、新国で観たアルロー演出の「アラベラ」は、演出の意図として、ズデンカに視点を向けたものだった。
思えば、彼女の行動がすべてのキーポイントなんだ。

Arabella-3

ニールントは最高のシュトラウス歌手になりました。
マンドリーカは、スコウフス。
このあたりは往年のヴァイクルが懐かしいな。

 ラストシーンのコップの水、好きなシーン。


Scahatten-1

 R・シュトラウス 「影のない女」 ウィーン 6月2日

「影のない女」 ウィーン 2019
5月のプリミエに続いてのありがたい配信。
ティーレマンと映像で確認できたほぼウィーンフィルが重厚自在で前よりよい。
 ニールントとシュティンメが相変わらず素晴らしい。
われらが藤村さん、前半は中低域がやや不調に感じたけど後半は見事。
シャガーとコニチュニの男声陣は5月(グールドとコッホ)の方がよし。

Scahatten-4

ぎっしり満載のオケピット。
しかし、無料で楽しみながら文句言うのは演出。
音楽と歌の力を信じないんだろか、無駄に人が出てきて説明的にすぎて、想像力を阻害する。
魔笛にも通じる夫婦への試練の場が妙になった感じ。
シェローに学んだフランスの若手演出家。
猫好きらしいから、まあいいか。


Scahatten-2

ベームのFM録音で刷込み。
84年のドホナーニ&ハンブルクオペラの来演で初観劇。
リザネック、ジョーンズ、デルネッシュというワーグナー歌手に酔いしれた。
3幕の皇后の語り、Ich will nichit !
泉の輝きが皇后のリザネックの顔に反映、その言葉とともに真っ暗に、背筋に戦慄が走りました。


Scahatten-3

あの時自分は若かった・・・・・

Ades-1

 アデス 「テンペスト」 ウィーン 6月3日

アデス「テンペスト」 ウィーン 2015
MET上演の配信はスルーし、ちょっと躊躇したけど観てみたらとてもよかった!
英国音楽好きとしては受入れ可能な、保守的な作風。
ルパージュの演出は、嵐で漂着した先がスカラ座という舞台設定。
主役のプロスペローは、ウォータンのように槍っぽいものを持ってる。


Ades-2

その復讐相手の弟の息子と愛娘が恋に落ちる。
愛するわが娘の旅立ちと別れもあるので、ウォータンでも納得感あり。
 黒子てきな妖精さん役のコロラトゥーラが、それこそ超々高音駆使のハイコロラトゥーラでとんでもない。
シェイクスピアの原作ゆえか、ブリテンの真夏の夜の夢にも似た役柄設定も。


Ades-3

愛する二人には、こんな美しい場面もありました。
これを哀しくも見守る父プロスペローでありました。


アデスのオペラ、音楽がしっかりしてるし、物語に入り込める安心感もあり。
他の作品も次週METでありそうなので観る!かも。

Lulu-2

 ベルク 「ルル」 MET 6月4日

「ルル」MET 2015
Black Tuesdayで公開時間が半日に。
早寝なので、早朝ルルにチャレンジ。
途中で止まるかとヒヤヒヤしてたけど大丈夫だった。
ブラウザを消さなければ、今も繰り返し見れちゃうということに今さらわかったオジサンです。
 で、我、ファムファタル・ルルにまたも魅せられし男なり。


手書きのイラストの映像やマッピングが多用される演出。
ルル逮捕後の監獄シーンは、ベルクが映像を利用と指定していたことをいいことに、全編背景が目まぐるしいことおびただしい。
 ルル役は、リリックな声とコロラトゥーラ的な技量と力感も必要で歌だけでも難役。
ペーターゼンは理想的なルル。

Lulu

ラスト、切り裂きジャックによる殺害シーンはなしで、映像でルルの似顔絵が血に染まりつつも、だんだん優しい顔に浄化される。
道連れグラハムのゲシュヴィッツ譲がいい。
いつも思うが、ベルクが描いたルルには確たる意思はなく、なされるがままに生きて破滅していく哀しさがある・・・・

早朝ルルは血圧上がるな....

Shibapark-06

1週間分終了して現在に近づいた。

ウィーンとMETばかりになりつつあるが、どちらも保守的な劇場だから、あれこれ考えたり、推量したりして悩むことが少ない。
でも、最近のプリミエ演出になればなるほど、現代風のテイストを混ぜ合わせつつ、保守的な観客とも折り合いをつけたような舞台となってる感じだ。

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2020年6月 3日 (水)

オペラストリーミング大会の軌跡 ⑧

Hibiya-02

 休日になまりきった身体に、かなり歩きます。

早朝なのでひと気の少ない日比谷公園。

そして日比谷公会堂。

いまは休館中だが、90年の歴史を持つ老舗ホール。

私は、1982年にここで、アンタル・ドラティ指揮する読響で、ハイドン104番と、マーラー1番を聴きました。
デッドなホールで生々しい音が迫力満点。
動きの好きないドラティの指揮から、どうしてこんな爆発的な音が出るんだろうと驚いた若き日の思い出です。

1975年に来日したクーベリックが、ここでマーラー9番が予定されていたものを、文化会館に変更させたという話は有名です。
そのときにこちらで変更されて演奏されたのがベートーヴェン7番だったかと。

Ballo-maschera

 ヴェルディ 「仮面舞踏会」 MET  5月21日

「仮面舞踏会」MET 2012
最初から最後まで豊富なメロディにあふれるヴェルディ中期の名作。
オーケストラがこのあたりから雄弁になり、大胆なリズムや和声も特徴。
ルイージの指揮がメリハリと明快さで見事。
 アルバレスと亡きホロストスキーのコンビの友愛と憎悪の歌と演技もかっちょいい!

オールデンのスタイリッシュな演出は読み替えは少なめ、空間の活かし方と群衆の動かし方のうまさが光る。
終場の舞踏会のシーンは、鏡面を巧みに利用し、人物たちがフェイスマスクをしつつ、交差し、やがて起きる暗殺がどうなるのか?というスリリングな予感を聴衆に抱かせるという見事なものだった。


Turandot-1

 プッチーニ 「トゥーランドット」 MET 5月22日

「トゥーランドット」 MET 2019
昨年10月の新しい上演記録で、セガンの初プッチーニである以上に、同年亡くなったゼッフィレッリの追悼上演。
 お馴染みの豪華絢爛舞台。
でも細かいところ、とくにトゥーランドットが心動かされ、表情にもそれを表出させる細やかさが見事。

 カラフのエイヴァゾフはネトレプコの今の旦那だけど、ドラマティコでないから、強力なゲールケの王女さまに圧倒されっぱなし。
ウォータンしか思い起こせないその声、モリスのティムールに、気の毒なブラットーのリュウもよかった。
で、セガンの躍動感あふれる、振幅豊かな指揮がよし!


Turandot-2

「トゥーランドット」MET
しかし、漢民族はこのオペラでもわかるように残虐だし、おまけに周辺民族への弾圧ぶりが激しい。
プッチーニが描いた東洋の様子は「蝶々夫人」とともに、最大公約数をしっかりつかんでる。
「西部の娘」のアメリカ西部劇的な世界と合わせて、正しい認識だと思う。


Faust

 グノー 「ファウスト」 MET 5月24日

「ファウスト」MET 2011
あの震災の年の暮れのプリミエでセガンの指揮で私は初見。
ファウストの書斎は、アトミック研究所のなっていて、そこに出現したメフィストフェレスは戦前にタイムスリップさせて若返りをはかる。
ワルプルギスの場面では、原爆投下後と思わせる被爆者も登場、なんじゃこりゃ!


原爆投下国がこの、無理筋の演出を取り上げるのか。
もう一度会いたいというファウストが遡って、マルガレーテと会い、彼女は昇天するが、最後は戻ったファウストが原爆開発をあきらめ、老死するというシナリオ。
むちゃくちゃすぎ、被爆国をなんと思うんだ!


演出はNO!
主要歌手の3人は素晴らしい。
演出意図に反対して降りたゲオルギューに代わってのポプラフスカヤが相当にいい。
 1973年のNHKイタリアオペラでの、クラウス、スコット、ギャウロウの3人が、テレビとFMですっかり刷り込みにすぎて、なかなか他はダメ
あの音源、正規化されないかな・・


Arabella-1

 R・シュトラウス 「アラベラ」 ウィーン 5月24日

「アラベラ」ウィーン 2014
シュトラウスのオペラでも大好きな作品で、実演も何度か。
ベヒトルフ演出は、ここではかなりビジュアル的にも麗しい。
妙なことはしていないのがいいが、舞踏会がいかがわしい雰囲気だし、女装の男たちが始終出てる。
これはズデンカが男の子として生きてきたことの反証か
 ?

美人のシュヴァンネウィリムス、ウォータンより、ずっといいコニチュニー。
 3人のアラベラ追っかけ隊が、成金、ヲタク、フリーダム人とになってて、実に趣きあり(笑)
ステキなラストシーンは、過去の写真を破り捨て、抱擁するふたりに、予言を的中させた占い師が何気に出てきて、物語を完結。


Manon-met

 マスネ  「マノン」 MET  5月25日

「マノン」 MET 2012
ローラン・ペリーの美しく、かつユーモアあふれた舞台。
ネトさまが、シルクハットの紳士たちを指一本で操り、3幕の名アリアでは、あっちへお行き、と命じるとさっと解散してしまう男たち。
数えたら、だいたい30人、あら虚しい。


坂や勾配をうまく使ったペリー演出が、ビジュアル的にもよろしく、終幕の監獄の遠近感はよい。
美しいマスネの音楽が、最近耳にこびりついてやまない。


Zu

 モーツァルト 「魔笛」 ウィーン 5月26日

「魔笛」ウィーン 2017
面白かった。
タミーノの笛で出てきたのは、くまさん、ゴリラくん、恐竜、サイ、そしてそろりそろりとダチョウさん。
これには客席も笑いが。
ぽっちゃりタミーノは美声で実によかった。
パペ以外はみんな初の歌手たち、ウィーンの専属歌手たちのレヴェルの高さと安定感はさすが
 。
 もう何十年も前の初ウィーンで見たオペラが「魔笛」。
でもフォルクスオーパーで、タミーノはのちにトリスタンも歌う歌手に成長したR・ガンビルだった。
中学生ぐらいの子供たちもたくさん観劇してて、やはり、パパゲーノは人気者!
「魔笛」は、ウィーンの観光の目玉だね。


Ernani

 ヴェルディ 「仮面舞踏会」 MET  5月27日

「エルナーニ」MET 2012
音源でしか接してなかったけど、こうして豪奢な舞台を観ると、筋立てのムチャクチャぶりがよくわかる(笑)
広大な領地、ハプスブルク、神聖ローマ帝国などを手中に収めることになるのちのカール大帝が人の家に忍び込んだり、墓から出てきたりで、軽やかな存在。


そのホロストスキーが素晴らしい。
他の歌手たちの歌唱もビジュアルもメットならではの豪華さ。
ヴェルデイ比較的初期作品だけど、歌が満載、そして興奮呼ぶ劇性もあり、中期・後期とは違ったヴェルデイのオペラの楽しみが味わえました。


Rentai

 ドニゼッティ 「連帯の娘」 ウィーン  5月27日

「連隊の娘」ウィーン 2016
いやぁ~面白かった。
いくつかのアリアは聴いてたけど、全曲を初視聴。
ローラン・ペリーのユーモアとセンスあふれる演出は、N・デセイでブレイクした演出だけど、ほんと楽しいし、人と群衆の細かな動かし方が巧み。

以前より気になってたJ・フックスの歌も演技も、所作もチャーミングなマリー役がステキ。
フローレスのハイCに慣れてしまった耳には、ちょっと気の毒だけど、イケメン、テシエ氏は頑張りました。
しかし、面白いオペラだな、2幕冒頭ではここでは、英語のミュージカル風の歌が挿入されてた。


Salome-01

 R・シュトラウス 「サロメ」 ウィーン 5月28日

「サロメ」 ウィーン 2020
コロナ前、今年1月24日の上演。
1972年から続く伝統と格式の演出は、日本への引越し公演もあり。
1980年のベーム最後の来日の時にはホルライザーが指揮し、テレビとFMで視聴。
クリムト風の世紀末と旧約聖書の物語の融合はいまでも色あせない。


リンドストロムのサロメ。
注目してたドラマテックソプラノだけど、キンキン声が改善され、北欧出身ならではの硬質さに、繊細な歌いまわしが加わった感じで、とてもよかった。
マイアーさんの鬼ママもいいし、フォレ、ペコラーロもさすが。
ただ、なんで最後にオケがこけたんだろ・・・・


リンドストロムさんを初聴きのブログをリンク。
あと、3月のパリ、セガン指揮の影のない女でもよかった。
美人さんなのがまたいい。

フランケッティ「ゲルマニア」
http://wanderer.way-nifty.com/poet/2011/10/post-fdb7.html

Hibiya-01

緑が濃くなってきました。

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2020年6月 1日 (月)

オペラストリーミング大会の軌跡 ⑦

Shiba-04

もう2か月前のチューリップ。

季節のめぐりがとても速く、自粛生活を国民が続けている間に初夏となってしまった。

桜が咲いて、春が爆発的にやってきて、花が咲きまくって・・・、でも新緑になると色とりどりの花は少なめに。

アジサイ以外、なんか色合いが寂しい季節なので,撮りだめた春の色彩をここに。

で、相変わらずのオペラ生活。
改めてですが、ツイッターでつぶやいてる内容を、自身の鑑賞記録のためにもここに残していくシリーズ。
ずっと終わらないよ・・・

Ariadone

 R・シュトラウス 「ナクソスのアリアドネ」 ウィーン 5月13日

「ナクソスのアリアドネ」ウィーン2014
美しい舞台。
初見。いつもより穏健なベヒドルフ演出だけど、序幕はよしとして、本編オペラで作曲家が、ツェリビネッタのピアノ伴奏をするのはいいけど、最後まで出てきて、本編のワーグナー的な主役ふたりに代わって、しかもチューしちゃうのはどうだろう。


同演出で、初稿の「町人貴族」版もあるが、長くなるのを覚悟で両版ともにやるのもいいかも。
 ビジュアルよし、声量歌唱いまいちの準主役。
その真逆の主役ふたり。
コッホさんと、愉快なハルレキンたち、いずれもしっかり固める、さすがのウィーン。
そのウィーンフィルあってのテシーレマンの凄さ
 。
劇中劇をあえて、かなりリアル化させた演出で、その枠でのツェリビネッタと作曲家との恋愛にフォーカス。
その意味で準主役となったのバッカスが出てきて、思い切り歌ったら、執事の爺さん、びっくり椅子からころげ落ちて、思い切りわろた( ´艸`)


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 R・シュトラウス 「ナクソスのアリアドネ」 MET 5月14日

「ナクソスのアリアドネ」MET 1988
30年前NHKで放送されたものを録画して楽しんだのが、このオペラの詳細を知ることになったきっかけ。
懐かしい出演者たち、ト書きに忠実な原点のような演出に舞台。
あらゆるオペラにいえるけれど、こうした舞台を観てから、新しい演出のものに挑戦すべきかと思う。


そういう意味では、METとウィーンと東京は伝統解釈がいまも中心かな。
亡くなってしまった方が多いが、やはりノーマンの声の存在感は抜きんでてるし、ジークムントのようなキングもヘルデンしててあの時代ならでは。
あとなんといっても、トロヤノスが素晴らしすぎる!

一世を風靡したバトルはコケティッシュで所作も可愛いけれど、その後にグルベローヴァを知ってしまったので、歌唱面ではちょい甘めかな。
レヴァインの全盛期の指揮は明朗快活で、シュトラウスの地中海的な澄んだ世界にぴったりだ。

映像の最後に、映像監督ブライアン・ラージの名前が出てくるのも、20世紀末の映像作品ならでは!
懐かしいひとときをありがとう~Thank you MET!


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 ドニゼッティ 「ドン・パスクワーレ」 ウィーン 5月14日

ドン・パスクワーレ」ウィーン 2016
めちゃくちゃ面白かった♪
2015年のプレミアで、演出はイリーナ・ブルックで、かのピーター・ブルックの娘さん。
華やかだけど、品があって嫌みのないビューティフルな舞台で、人物たちの動きも含めて納得感とユーモアをともなった面白みがしっかり決まっている。


ブリテンの「真夏の夜の夢」も彼女の演出だった。
その時の可愛いなと、思って見ていたひとりが今回のヒロイン、ノリーナ役のナフォルニツァ。

Valentinadonpasquale

ドン・パスクワーレさんじゃないけど、美人・スタイルともによしで、おじさんメロメロ。
ペルトゥージのタイトルロールは最高の面白さ、とんでもいい!

完フローレス、パパゲーノでブレイクしたプラシェトカもいい味だしてる。
ベルカントオペラ指揮者の最高峰、ピド氏がウィーンフィルを万全に指揮するのもさすが。
本日30年前のメットのアリアドネと同時に観たこのドン・パスクワーレ。
演出も歌唱も時代の変化を感じた。

陶酔的に歌うのでなく、スマートな歌いぶりが求められ、かつ高度な演技力が必須の現代。
伝統解釈ばかりでなく、時代を変えたり、ドラマの解釈に読込みを求められる演出。
劇場でしか味わえなかったオペラが、スクリーンやモニターで楽しむ時代になり、仔細なまでにこだわる必要性がいやでも生まれた。


こうした時代の変遷に、歌手も演出家も装置家も進化しつつ対応ているのが現在のオペラ界だと強く認識。
伝統解釈でもそれは同じく。
で、なによりも、そのすべてを掌握して統率しなくてはならない指揮者も、オペラを降らない人との実力格差が出るのではとますます思う。


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 ワーグナー 「ラインの黄金」 ウィーン 5月15日


「ラインの黄金」ウィーン 2019
久々にワーグナーに帰ってきた感じ、謹慎がとけて自宅の風呂に入ったかのような慣れ親しんだ安心感をまず味わう。
ベヒトルフ演出は簡略にすぎる舞台で、ちまちまと動きすぎる人物たちが妙にそぐわな憾じ。
同時期のウォーナーのトーキョー・リングの方がはるかに面白い。
コバーさんの指揮がよい。
この指揮者、かつてのシュタインやシュナイダーのような貴重な存在となりそう。
ウォータンのコニチュニーは、どうにもその声が苦手で、悪玉テルラムントにしか思えない悲しみ。
あとはいい感じ。
ウィーンの無難な演出はリングぐらいになると、もっとひねりが欲しいな。


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 ブリテン 「ピーター・グライムズ」 MET 5月15日

「ピーター・グライムズ」MET 2008
2008年のライブストリーミングで映画館でみたもの。
あのとき味わった、救いのない暗澹たる気持ちがよみがえる。
ヴォツェックにも通じる、自らどんどん深みにはまってしまう宿命的な主人公に、目線を合わせたブリテンの社会派的な思いは、実は優しい。


燻されたような壁に囲まれた閉鎖的な家並みのなか。
演出家は、漁師町出身でピーター・グライムズの物語に即したものを再現。
狭い社会での監視・密告社会に、アウトローのピーターははみ出してしまう。
彼を擁護する同情心あふれるふたりがいい。


Lucia

 ドニゼッティ 「ルチア」 MET  5月16日

「ランメルモールのルチア」MET 1982
伝説級の舞台でDVDにもなってるが初見。
主役ふたり合わせて110歳。
サザーランドは最盛期をとうに過ぎてたけど、さすがの貫禄と美声で、懐かしさも充分。
そして素晴らしいのはクラウスで、耳洗われる清流のような歌唱、息の長い名テノールだった。

ともに逝去し、いま健在は、指揮のボニングかな。
ベルカントとバレエ音楽の達人だった。
シンフォニックな作品や協奏曲が皆無というユニークな指揮者。
エンリーコがミルンズあたりだったら、ほんとはもっとMETっぽかったな。
Thanks MET♪


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 モーツァルト 「イドメネオ」 MET 5月19日

「イドメネオ」MET 2017
荒唐無稽で、生真面目なセリアなので、今の時代、ポネルの伝統演出を切替えたり、時代考証を経たオーケストラピットからの音でもって、もっと刺激的な舞台であってもよいのかも。
 しかし、パヴァロッティより続くこの伝統演出はMETは、おいそれとは変えられないんだろな。

METのイケメンテノール、ポレンツァーニ君のイドメネオが予想以上によかった。
あと怒ってばっかりのエレットラのヒーファーさんがよい。
レヴァインは相応で、聴衆から大喝采。
今思えばあれで、活動末期の頃かな。
しかし、モーツァルトの歌満載のイドメネオ、いいオペラです。


Gotter-1

 ワーグナー 「神々の黄昏」 ウィーン 5月19日

「神々の黄昏」ウィーン 2017
ウィーンっ子のシュナイダーが、聴衆から大喝采。
年度を替えての2度目のウィーンのストリーミング・リング。
黄昏が歌手も含めて一番充実してた。
テンポがゆったりになったが、弛緩した感じが一切ないのは、音がすべて有効で雄弁だから。
ワーグナーを知り尽くした指揮。
1984年ショルティが降板したバイロイトリングの急場を救ったシュナイダー。
85年だけど、エアチェックした音源はお宝です。
その時の演奏時間が4時間16分。
今回は、4時間35分。
シュナイダー先生、ばら騎士で2回、リングオケバージョンで1度聴いてます。
スワロフスキー門下の名匠、ずっとお元気で!

Gotter-2

ジークフリート殺傷の場面。
打ち合わせしていたのに、なんでやねん的な素敵なアイフェのグンターが好き。
このウィーン・リング、舞台が暗くて、簡素すぎるのに、歌手が動きすぎの演出、ぼちぼち新しいのが欲しいところ。
C国資本が蔓延したウィーン、コロナ後のリングでもマジで描いてみて。


Freischtz

 ウェーバー 「魔弾の射手」 ウィーン 5月20日

「魔弾の射手」ウィーン 2018
同年がプリミエの新しい舞台。
ウィーンには珍しい、読み替え演出は、ラートさん。
射手マックスを作曲家に見立て、アガーテの祖先がウェーバーそのもの。
この作品には、ドイツの森が出てきて欲しいが、それはちょっとだけで、あとは無機質なモダーンな室内仕立て。


狼谷では楽譜を1枚1枚書いて行き、ピアノに火が付き、狂気の作曲家になってしまう。
ここ面白かった。
ラストシーンでは悪魔くん・ザミュエルが懲りずに出てきて、救われたマックスとアガーテがふたり共同で作曲する様子を眺め見る。
これは、魔界に魅せられたワーグナー夫妻のことなのか??


アガーテのガブラーさん、同性愛風な存在のエンヒェンのレイスちゃん(彼女、実演で接し好きなんです)がよろしい。
指揮はプリミエのネトピルに代わって、お馴染みのヴァイグレ。
演出は、1度観ただけじゃわからんが、音楽面ではさすがのウィーンクオリティ!


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 ワーグナー 「ローエングリン」 MET 5月20日

「ローエングリン」MET 1986
DVDでも高名なこの舞台、初見。
バイロイトのG・フリードリヒ演出でのP・ホフマンが刷り込み状態で、こちらのメットでのホフマンもいい!
スポーツで鍛え抜かれた肉体と、ロックも歌う強靭な喉、真っ直ぐな張り詰めた無駄のない声!
素晴らしいホフマンのローエングリン
 。

旬を過ぎたが、すさまじいリザネックのオルトルートに、カーテンコールでは投げ花の嵐バラ

エヴァーデングの演出、84年のハンブルクオペラの来演で観たものと同じで懐かしかった。
その時と同じテルラムントのロアーもいい。」
なんといっても気合とやる気に満ちたレヴァインとオーケストラが素晴らしい。

幾多のローエングリンを聴いてきたけど、いまの時点でのローエングリン・ランキング。
コロとホフマン(同率No1)→トーマス→フォークト→キング→コーンヤ・・・こんな感じ。


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なんだか、4月と5月はあっという間で、あまり記憶がない気がする。
諸所、正常化を目指す6月は、梅雨ではありますが、鮮やかな初夏、そして心も晴れるような日々であってほしい。

そして各地のオペラハウスからの配信は6月も続く。
とくに、ウィーンとMETの日替わりメニューはため息したでない・・・あ~忙しい~

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2020年5月30日 (土)

オペラストリーミング大会の軌跡 ⑥

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5月29日、東京の空にブルーインパルスが飛びました。

医療従事者のみなさんへの感謝をこめて!

2周しましたが、あっという間にやってきて、1週目は見逃し。
2周目をかろうじてスマホ撮影。

ずっと内向きだったここ数か月。
空を見上げることの喜びを、だれしも皆さん感じたことだろうよ思います。
東京だけでなく、基地周辺では、コスト度外視で各地でやってほしいな。

で、まだまだやってます、オペラの毎日。

Igor

 ボロディン 「イーゴリ公」 MET  5月4日

「イーゴリ公」MET 2014
ヘヴィーだった。
ハイティンクの映像で刷り込まれた伝統解釈とまったく違う。
いや、別の作品と言っていい。
もともと、ボロディンのオリジナルの筆は完全に残されてなく、五人組諸氏が書き添え完成したものを習慣的に上演していたものと思えば、これはこれで成り立つ読み込み
 。

チェルニアコフ演出にまたもやられた感じ。
ロシアのイーゴリ公が戦争をしかけ、拉致られた相手は共産圏風。
映像の多用で、さんざんに描かれた公の敗戦の様子と、その反動と後悔がラストの指導者としての民衆が望んだ立場の放棄と、自らの手で人々と復興していこうという民主的な姿が描かれる。

 この落としどころがあるから、保守的なMETも、こうした曲の大幅な解釈変更も受け入れたのかも。
最後は涙ぐむことも可能な演出に驚きだ。
 アブドゥラザコフの深々としたバスが凄すぎ!
あとダイナミックなラチヴェリシュヴェリに、美しいウクライナのディーカさん、気にいったし。


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 ベルク 「ヴォツェック」 ネーデルランド・オペラ 5月5日

「ヴォツェック」ネザーランドオペラ2017
ベルクの本編が始まるまで、超長い前置きがあり、子供たちが演じるダンスや、そこからはじかれたヴォツェックの息子が疎外されるシーンはやりすぎ。
医師の実験のもと、妄想と狂気に歩んでいくヴォツェックだけど、箱庭的な細部へのこだわりが失敗かな。

 息子が最後に水槽に人体部位を投げ込みながら、ヴォツェックが絶えていくさまもなんだかなぁ~
この場面での宿命的な甘味な音楽が台無しだよ。
場面展開のうまさは認めるけど、ベルクの音楽との乖離を感じたな。
 豊満なウェストブロックと、狂気な感じのマルトマンがよかった。
でもありがとう蘭国。


Pg-borgnya

 ブリテン 「ピーター・グライムズ」 ボローニャ歌劇場 5月5日

「ピーター・グライムズ」ボローニャ2017
イタリアの劇場のブリテン。
メインキャストは英米。
なにかやらねば的な、映像挿入など、中途半端な感じもあるけど、よけいなことはしてなかった。
普通にPGを観劇できる。
気の毒な少年に同情と悲しみを誘うが、ブリテンの思いも一部そこにあったと認識。


社会からはじかれ、疎外感一杯の主人公は、ヴォツェックに同じで、対人を拒絶する少年もその感じを引き継いでいる。
そして取り巻きや、村人が犯人あぶり出しに狂奔し熱狂していく。
最後は、何事もなかったかのような日常が来るが、どの場面も、新国のデッカー演出に及ばないと思った。
辛い結末・・


ボローニャ劇場のありがたい配信は、S席あたりからの定点カメラ。
ときおりアップになる。
劇場では、本来こんな見え方で、昨今の映画的なビジュアルはないけど、これはこれでよし。
でも音がちょっと・・・


Onegin-wien

 チャイコフスキー 「エウゲニ・オネーギン」 ウィーン  5月6日

「エウゲニ・オネーギン」ウィーン2019
2008年、東京オペラの森との共同制作。
日本では当時、小澤征爾の指揮で、今回が初見。
氷と降りしきる雪で表出された、ブルーでクールな舞台。
スマートすぎて、ロシアの憂鬱、なんでやねん的なご無体ぶりは弱め。
しかし、なんたってウィーンのオケがいい。


歌手たちはロシアの若手、いずれも初の方々だけど、かの国の層の厚さを実感。
ピンハウセヴィチ(?)のオネーギンは今後よくなりそうで、タチャーナのレベッカさんもよろし。
しかしまあ、どんな演出でも、オネーギンの空気読めない身勝手ぶりは特筆ものだが、最後はどれも因果応報で寂しいぼっちに
 。

Puritani

 ベルリーニ 「清教徒」 ウィーン 5月7日

「清教徒」ウィーン2015
ベッリーニはノルマしか知らない、苦手なベルカント系だけど、各ハウスの配信を観ることができて徐々に克服。
 ウィーンの「清教徒」は音楽が旋律満載でよろし。
しかし、美しいとこもあるけど暗い舞台に、解せない日本刀や和風鎧帷子。
イングランドの史実感をあえてなしに。


しかしまあ、なんといいましょうか、狂ったり、正気になったり、このあたりのオペラの主人公は忙しい。
見たくないものから逃げるんじゃなくて、本気で、あなたは誰?になっちゃう設定。
 この演出、原作のハッピーエンドを回避し、最後はトリスタン的なあの世で・・・になってたのがそこだけ驚き。


33歳でなくなったベッリーニが、もう少し存命であったなら、ヴェルディとワーグナーより10歳若いので、どのように彼らに影響を与えたろうか。
また、そのベッリーニも、さらにどんなオペラを書いたのだろうか・・・
気になる音楽史のひとこま。


Wertel-wien

 マスネ 「ウェルテル」 ウィーン 5月8日

「ウェルテル」ウィーン 2017
見てみれば、手持ちのガランチャの歌うDVDと同じ演出。
ウェルテルの登場は、まるでカウフマンかと思った。
バリトンのデジエがタイトルロールで、マスネが残したバリトン版での上演。
前半はよかった、でも、オシアンの歌はやっぱりテノールの熱烈・逼迫感がないとな。


本場のフランス語、わからないけど、デジエとコッホ、どちらも流麗で美しく聴ける。
60年代頃の時代設定も、クリスマスツリーとか郷愁を誘うようで悲しい。
 CDで聴くと感じないけど、4幕でなかなか死なないウェルテルが、映像だともどかしく感じて、これまた虚しい。
美しい舞台に音楽でした。


Capuriccio-met

 R・シュトラウス 「カプリッチョ」 MET  5月8日

「カプリッチョ」MET 2011
DVDになってる英国のコックスの演出で初見。
具象的で豪華な舞台、時代設定は18世紀から、シュトラウスの時代ぐらいに。
最後のオペラ、作曲者の到達した明朗なる澄み切った世界が魅力の音楽。
それを損なわない、ユーモアも兼ね備えた美しい舞台。


マジで弾いてた(と思う)フレミングさん、言語含めてムーディに流されるけど、ビジュアルが伴うと説得力抜群。
6人の主要登場人物たちが、それぞれの芸術上の立場で思いを発し、行動するので慣れないと混乱するオペラ。
しかし、最後のマドレーヌの言葉と音楽、どっちが大事、悩む姿に収斂される。

この演出では、どちらでもない、文学者・音楽家、いずれも選べない彼女が、どちらかを選んだかに見せるところがまた、秀逸に感じました。
オペラに勤しむ上流階級を揶揄する執事たちや、影の存在のプロンクターたちにも光をあてるシュトラウスの凄腕をうまく描くシーンも見事。
でも結論は不明・・的な


Bohem-met

 プッチーニ 「ラ・ボエーム」 MET 5月9日

「ラ・ボーエム」MET 1977
今日のオペラストリーミング、まずはお約束的な70年代のメットの舞台。
いにしえの映像に感じますが、わたくしにはちょっと前。
フレーニ没し、同年代のスコットさんのミミを、パヴァロッティとともに堪能。
ずっとお元気で、お健やかに!


Fire-engel

 プロコフィエフ 「炎の天使」 バイエルン州立歌劇場 5月9日

「炎の天使」バイエルン 2015
こたびの各地のストリーミング配信で、いくつものプロコフィエフのオペラを観劇し、一挙にファンになった自分。
最後のダメ押しは、これ!
まずは、大好きだった暴力的甘味な第3交響曲が、ほぼほぼ鳴る。
これでもう、音楽的には陶酔境とこみ上げる興奮の坩堝!


5つ星ホテル→ベッドの下から貞子かい→占い師のこっくりさん的な→本屋・魔法師→妄想の恋敵→悪魔の居酒屋→地獄のような磔刑イエスの修道院→残された二人はいかに・・・
ホテルの一室を舞台に、二人の主人公を狂気と荒廃へと変えていく手法はお見事!
最初、あんなに綺麗なお部屋だったのに。


出ずっぱりのヒロインのスヅダレヴァの没頭的な強靭な歌と演技。
神経質な旅人から、ヒロインとともに狂気の旅をするニキティンのすさまじいまでの姿と巧みな歌唱。
アレなコナーズの悪魔くんもいい。
息子ユロフスキも魔的なピット姿だった!
プロコのオペラ、あと戦争と平和を見たいぞ!


Bruggen

 オペラ疲れを癒す日曜の1曲。
リコーダー奏者だった若き日のブリュッヘン。
「涙のパヴァーヌ」
16世紀ファン・エイクの作品。
ダウランドの「あふれよ、わが涙・・」による変奏曲で、リコーダー1本。
無垢なるシンプルすぎる音楽がしみる。
故皆川先生もレコ芸で絶賛した1枚
はよコロナ消えてくれい!


Pariaccio

 マスカーニ 「カヴァレリア・ルスティカーナ」

 レオンカヴァッロ 「パリアッチョ」   MET 5月11日

「カヴァ・パリ」MET 2015 ルイージ指揮
どうにも、カヴァが苦手になった、作品からすると道化師の方がかなり緻密だし、出来栄えがよろし。
マスカーニは、血なまぐさいヴェリスモより、抒情・田園志向。
レオンカヴァッロは劇作家でもあり、多面的。
そんなことを思いつつ観劇したマウヴィカー演出。


両作を歌ったアルバレスは、前半はセーブぎみ、カニオでは大爆発でナイス。
サントゥツァのウェストブロックは厳しいな、でもネッダのラチェッテはぽっちゃりカワイイ。
ガニーゼのアルフィオ&トニオはカンタービレとは程遠いが破壊的で面白い。
暗めのカヴァ、カラフルなパリアッチョ。


ルイージの熱い指揮ぶりと、豊かな歌心は素晴らしい。
2006年に新国で、ルイージのカヴァパリを観てました。
1976年のドミンゴのNHKイタリアオペラはテレビ観戦。
チケット売場のおばさんに、シモンとチレーアしか買わない自分に、「兄さん、ドミンゴはいいの?」と言われたこと、よく覚えてる(笑)


War-peace-1

 プロコフィエフ 「戦争と平和」 マリンスキー劇場 5月12日

「戦争と平和」マリンスキー劇場 2003(たぶん)
二日かけて観劇。
長いといいながら、ワーグナーほどじゃないことに気が付く。
プロコフィエフ後期のオペラで、政治的な側面もありつつ変化多いその作風が反映。
トルストイの大小説に、ほぼ忠実なオペラ。
前半が平和なロシアの権謀術策な恋愛模様。


後半は戦争の現場、とそのアフターで、このあたりの急展開は急ぎすぎで、お国の政策に従った無難な落しどころに。
叙事的な大物語にプロコフィエフの音楽は実にさまになってる。
前半と後半でその音楽ががらりと変わる。
交響曲でいえば、5番以降の音楽な感じで、メロディアスであり、スマートクール。

 メットとの共同制作で、なんといってもゲルギエフの献身的な指揮が素晴らしい。
いまでは考えられないゲルギー。
超若いネトレプコのナターシャがすてき。
小説は若き日に断念、BBCのドラマを昨年全部観て、「戦争と平和」を刷り込ませた。
 人物多すぎのややこしい物語を把握してからの観劇が必須。


War-peace-2

BBCのドラマ(2015)は実によくできてて、そのときの人物たちのイメージ通りが、そのずっと以前のオペラに。
トルストイが描いたそのままといえるのかも。
ドラマでのリリー・ジェームズの演じたナターシャがすごく可愛かったんだわ。


Shiodome

 まぶしい陽光の季節になりました。

あのくウィルスは、気温の上昇と湿度で弱まるとされるが、まだ感染は止まらず。
2週間前の自分が、どこで何をしてたかを、しっかり記録し記憶しておくことが肝要かも・・・・

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