2008年10月11日 (土)

幸田浩子&林美智子 デュオ・リサイタル

Nikikai_nagoya木曜は平塚・小田原へ出張、お昼は同級生の営むラーメン店で食事、夜は実家へ泊まり、金曜から名古屋へ。
金曜に「幸田浩子&林美智子」ジョイントリサイタルがあるのを発見し、チケットを電話予約し、怒涛の勢いで仕事をこなし、喜々として伏見のしわかわホールへ赴いた。

しらかわホールは初めて。
700席の美しいクラシック専用ホールだが、難点は2階バルコニー席。
予約の際に、1階や2階正面が売り切れておりますが・・・と言われ、じゃあしょうがないねと、バルコニーにステージ斜め上くらいの席に。
ところが、実際に席に行ってみると、なんと手すりが目線の位置にあるじゃないの。
舞台がまったく手すりの下にあるわけよ。
まったく見えないわけでもなく、格子状の側壁と手すりの間から覗き見える寸法だ。
これには参った。目がやたらと疲れるし、歌手が動くと隙間を探してこちらも首を回すことに。
音響的には適度な残響と密度の濃さがあって文句はないのだが、ステージを観るということにストレスがたまる席。こうした席でも一律同一料金ってのはちょっと考えものだ!
また、ホールのサイズに比べてロビーが不必要なまでにでかくて落ち着かない。
ホワイエのワイン@600円もボトルにはラベルが貼られていない無地で、どこのものか不明だし、味もさっぱりだったなぁ。

最初から文句ばっかり言っちゃいけないけど、コンサートは楽しかった。

  ヘンデル デュエット集から「夜明けに微笑むあの花を」Ⅰ~Ⅲ
         「セルセ」より「懐かしい木陰よ」
         「リナルド」より「私を泣かせてください」
  モーツァルト 「皇帝ティトゥスの慈悲」より
            「ああ、この苦しみ」
            「もしまだあなたに涙がおありなら」
            「私は行くが、君は平和に」

  ドリーブ  「ラクメ」より「おいで、マリカ」
  デッラクァ 「ヴィラネル」
  ドリーブ  「カディスの娘たち」
  オッフェンバック 「ホフマン物語」より
            「森の小鳥は憧れを歌う」
            「見ろ、震える弦の下で」
            「舟歌」「フィナーレ」
   アンコール ベッリーニ 「平和の天使」
           「舟歌」

           ソプラノ  :幸田 浩子
           メゾソプラノ:林 美智子
           ピアノ    :冨平恭平
                      (10.10@しらかわホール)

前半は、白いドレスの幸田さんと紺の林さん。
ヘンデルのデュエット曲は、「メサイア」の合唱曲と同じ旋律のもの。とても馴染みやすい。
そして林さんの歌う「オンブラ・マイ・フ」に幸田さんの「リナルド」の名旋律。
ふたりの伸びやかな声がホールに響き渡り、疲れたので目を閉じて聴いていた。
前半のハイライトは、林さんの歌うセストのアリア。ただでさえ素晴らしい音楽に、林さんの豊かな声量に温もりある声にしびれました。

後半、ピンクのドレスは幸田さん、白にグリーンの花をあしらったドレスの林さんが現れ、これからフランスものが始まるという華やかなムードに一新された。
誰もがうっとりとしてしまう、これまた名旋律の「ラクメ」の二重唱は、私の好きな曲。
ソプラノとメゾが艶やかに溶け合うロマンティックな歌声に聞き惚れてしまう。
どうせなら、ゾフィーとオクタヴィアンの二重唱も聴きたいよ・・・。
 あと素晴らしかったのが、林さんの歌った「カディスの娘」の魅力的な中声部の輝きと、幸田さんのオランピアのアリアの完璧なまでのテクニック。その技巧が鼻に付かず、豊かな音楽性に裏打ちされ、まるで微笑みを伴なったかのような暖かさを感じるのが幸田さんの素適なところ。
林さんの中音域と幸田さんの高音域。この二つはとても美しいと思った。
日本人的な繊細さと細やかな神経のかよった美しさ。
冨平さんのピアノは、ニュアンス豊かで見事なもの。オランピアのネジも回してます。

後半は、歌がホールを熱くしてしまい、ブラボーも飛び交って会場に一体感もうまれ、私の席のハンデも気にならなくなってしまった。
ビジュアルばかりでない、豊かな音楽性と、気さくで明るいお二人の人柄が感じられるステージマナーにも感心したいいコンサートでした。

帰りを気にしなくていいだけに、オジサン心が大いに芽生え、持参した林さんのCDに加え、幸田さんのモーツァルトを購入してサイン会の列に並んでしまった。
ドキドキしながら順番を待ち、いよいよ私の番に。
緊張しながらも、林さんに「横浜のオクタヴィアン素適でしたよ!」とお話をしたら、にこやかに「ありがとうございます」と。
そして、幸田さんには「こんど、お二人で、ばらの騎士やってくださいよう」とおねだりしたら、「4年前にやったんですよ。文化会館で、ねぇ、(みっちゃん)」とか、ほんと明るく話していただきました。「またやってくださいね。楽しみにしてますね」と私。
ミーハーっぽいけど、お父さん嬉ちぃ。日本語が通じるってのはえぇね(あたりまえか)。
11月に、幸田さんのシェーンベルク「ピエロ・リュネール」を聴く予定、これ必聴!

おふたりの過去記事

 「ばらの騎士」 林さんのオクタヴィアン
 「ナクソスのアリアドネ」 幸田さんのツェルビネッタ
 「地球はマルイぜ」 林さんの武満ソングス

おまけ(小さいですぞ)

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2008年10月 8日 (水)

パトリシア・プティボン 「恋人たち」オペラアリア集

3 コスモス畑。
去年の写真であります。
関東以西ではこれからが本番。

山口百恵の「秋桜」が、親心を刺激するような年代になってきた。
さだまさしの作った名曲。
詩を読むだけで胸が熱くなっちまう。

そんな繊細な情感を歌いこんだ日本の歌をこの人が歌ったら、さぞや素晴らしいのだろうなぁ~

Petibon_amoureuses_dg 私の大好きなキュートなソプラノ、「パトリシア・プティボン」である。
2年前にその歌声を聴いて以来、すっかりノックアウトされてしまい、今年4月には念願の来日リサイタルにも接することができた。
 その時の嬉しさと感銘は、後述の過去記事リンクをご覧いただきたいところです。
実物の彼女は、プロとしてのサービス精神も往行で、清々しいくらいの明るさで聴衆をいとも簡単に虜にしてしまう魅力に満ち溢れていた。
歌の実力も並外れていて、表現の幅の大きいことといったらない。
人の心にすぅ~っと入り込んできて、時にさりげなく、時に大胆に、感動を植え付けてくれる。

その彼女が、DGの専属となり、来日直前の今年1月に録音した音源が早くも登場した!
しかも、相方が、これもDGの若きスター「ダニエル・ハーディング」指揮する「コンチェルト・ケルン」だからたまらない。
師クリスティの元を羽ばたいてのメジャー本格デビューは、「恋人たち」と題された、グルック、ハイドン、モーツァルトらのウィーン古典派作曲家のアリア集。

 ハイドン   「月の世界」
 モーツァルト コンサート・アリアK.418
 モーツァルト 「魔笛」 ~夜の女王のアリア
 モーツァルト 「フィガロの結婚」 ~バルバリーナのアリア
 モーツァルト 「フィガロの結婚」 ~恋人よ、早くここへ
 モーツァルト 「ルチオ・シルラ」 ~ああ、いとしい人の
 モーツァルト 「ルチオ・シルラ」~死のこの上い不吉な思いのうちに
 ハイドン    「薬剤師」
 グルック   「アルミード」
 ハイドン    「アルミーダ」
 グルック     「オルフェオのエウリディーチェ」
 ハイドン    「無人島」
 グルック      「トーリードのイフィジェニー」
 グルック    「アルミード」
 モーツァルト  「ツァイーデ」 虎よ!爪をひたすら磨きすまして
 グルック    「アルミード」

古典派に弱いワタクシには、モーツァルト以外は初めて聴く曲ばかり。
でもこれら初聴の音楽がまったくそれと感じさせないところが、パトリシアの素晴らしいところ。音楽は今生まれたばかりの活きの良さで、音符のひとつひとつがツヤツヤと輝き、弾んで聴こえる。
外盤ゆえどのようなシテュエーションでのアリアかわからないが、パトリシアの多感な歌声に聴いているだけで、手に汗握り、胸弾ませ、夢中になる思い。
「ツァイーデ」なんてすごいですよ!
 有名どころでは、耽美的なくらいに物思いに沈んだK418のアリアや、来日公演でも照明を落として連続して歌った「フィガロ」の揺れる女心(あたしゃオジサンだけど)の機微の素晴らしさ。夜の女王の音楽的な完璧さ。全然鼻につかないスマートな歌唱。

パトリシアの機敏な歌に完璧なまでに唱和している、ハーディングの指揮するオケの鮮やかさといったらない。

グルックとハイドンで、同じ題材のオペラを並べて取上げていて、その音楽が対比できるのも面白い。それを完璧なまでに歌いわけている聡明なパトリシア。
最初は、グルックもハイドンもみな同じに聴こえてしまう自分だったが、この二人の優れた音楽家の手にかかるとその違いがよくわかる。
ハイドンの遊び心もあるユニークさと、きっちりした古典的なフォルム。
グルックのシリアスさと、以外や大胆なリズムと予想外の節回し。
こうした音楽にこそ、クリスティ門下にあったパトリシアの本領発揮。

バロックから古典に対するいきいきとした大胆な歌唱。
ベルカントオペラ、ロマン派フランス音楽、後期ロマン派、それぞれを明快に歌いこなすパトリシア・プティボン。
メジャーと契約し、無理なレパートリー拡張をせずに、その素適な声をゆっくりと聴かせて欲しい。

最後のこのCDへ苦言。
最近はやりの一部紙製のケースで、環境的にもボリューム的にも支障なく受け入れるものだが、ぎちぎちのサイズのため、解説書を入れるところが裂けそう。
それに輸入盤には、無慈悲にも表紙にシールがしっかりと貼られていて無粋このうえない。実にけしからん。

そりゃそうと、パトリシア・プティボンの歌声が充分楽しめた1枚でした。
次はフランス歌曲やR・シュトラウスを録音してね。
そうそう、もう1枚とっておきのプティボンCDがあるのでした。近日公開。

 プティボンの過去記事

 デビューCD「フレンチタッチ」
 「バロックオペラアリア集」
 「来日公演2008年4月」①
 「来日公演2008年4月」②

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2008年10月 7日 (火)

ブライアン 交響曲第1番「ゴシック」 レナルト指揮

Manjyushan1 これは何でしょうか?

実はこれ、もう季節はずれとなったけれど「冷やし中華」にございます。
でも冷やし中華発祥の地とされる仙台では年中食べれちゃう。

こちらは、国分町で酔ってふらふらと入った四川料理「成龍萬壽山」という店。甘酸っぱくユニークなお味。

この翌日、地元の方に連れていっていただいた店は、もっともっと美味かった!
次の機会にその驚きのおいしさをレポートします。(最近、飲食系の別館がほったらかしでネタがあり過ぎなもんで)

Brian_sym1 歌入り交響曲シリーズ
思い出したように、とうか、超巨編だもので曲を知るのに時間が掛かりすぎた。
そしてその思いは、いまだ変わらず、もう何十回と持ち運び通勤・出張のお供に聴いたものの、その構成や造りがさっぱり見えてこない交響曲。

ハヴァーガル・ブライアン(1876~1972) は、英国の怪作曲家。
その交響曲第1番「ゴシック」は、演奏時間141分の最長交響曲のギネスを保持するとんでもない作品。
その楽器編成も超巨大。
8管編成(32の木管・24の金管)に打楽器奏者きわめて多数、オルガン・チェレスタの大オーケストラに別働隊のブラスバンド、600人の合唱、4人のソリスト!!
まさに、ばかやろう規模の途方もない交響曲は、よっぽどバブリシャスな投資家がスポンサーにならない限り実演には及ばないであろう。
(トヨタさま、全国アマチュアオケ・フェスティバルとか称してやってもらえませんか。)

怪人ブライン、これで驚いたらまだ甘い。
このオッサン、交響曲を32曲も書いているのだ!
しかも、この1番が51歳完成の作品で、80歳以降に12番~24番、90歳以降に25番~32番という巨魁ぶり。その他オペラや声楽作品もあるというから・・・。
でも、ばかげた巨大作品は1番のみで、あとは普通、もしくはシンフォニエッタ風の小振り作品だったりして、それらが以外と英国風の落ち着きある音楽で悪くない。
といっても、1番以外は、ほかに手に入る2枚のCDを聴いての印象のみでありますが。
労働者階級の出身で、音楽はほとんど独学。小学校卒業後、大工や石炭工、塗装工などを転々とした変わりだねだが、ある意味天才だったのかも!

ともかく長く、複雑で、音楽の特徴を一言でいうことは不可能。
なんでもかんでもありの、寄せ鍋的な音楽とも聴こえる。
冒頭は、大河ドラマかよ、スピルバーグかよ、と思わせるようなJ・ウィリアムズのようなカッコイイ出だしに、おぉっ、と思わせたかと思うと、すぐに歌謡性ある旋律が現れる。
それはまさに英国音楽風のほのぼのムードで、私的には「待ってました」の一言。
これが第1楽章で、あとはもう、いろんな断片がモザイクのようにからみあう不思議な音楽で言葉にできませ~ん。

wikipediaの力を借りて、その構成を記すと・・・・。
オーケストラによる1~3楽章(40分)、合唱が加わる4楽章が「テ・デウム」(20分)、同じく合唱が中心の巨大な「クレド」が5楽章(15分)。そして独唱も参加する壮大な終楽章(36分)。
1~3楽章が第1部、ゲーテの「ファウスト」をモティーフとし、残りが信仰告白の第2部。
12世紀以降のゴシック様式にも感化されたブライアンは、以降もそれをイメージした音楽を書いている、ゴス・ロリおじさんなのだ。
テ・デウムなんて言って宗教的な固い雰囲気かと思うと全然違う。
オケはぐゎんぐゎん鳴りまくるし、合唱もこれでもかといわんばかりに咆哮する。
かと思うと、妖しげな異教徒の生贄の儀式を見つからないように影からこっそり見ちゃう風な音楽になったりする。
そして突然「スターウォーズ」の宇宙人が集う酒場の音楽みたいに軽薄な音楽がひゃらひゃら鳴ったりしちまうし・・・・。
そして最後は結構神妙な雰囲気で静か~に音楽を閉じる。
えぇっ?ほんとに終わりなの?まだなんかあんじゃないの?ってな気分。

日本でもお馴染みオンドレイ・レナルトさんは、すげぇ頑張った。
オケはスロヴァキアフィルだけど、それ風なところでは、英国ムードをよく出していて立派。合唱も独唱もごくろーさん。
あとにも先にも、これが唯一の音源となるでありましょうか?
初演者ボールト(!)の非正規音源があるという。
wikipediaによれば、この作品はR・シュトラウスに献呈されているとされるが、CD解説では、朋友の作曲家バントックと書いてあるように思える。


いやはや、疲れました。印象が一本化できませぬ。
今回は歌入り交響曲シリーズの一環でチャレンジしましたが、これにてご勘弁を。
もっともっと聴き込みが必要な作品ではあります。
それより、手持ちのほかの交響曲をあらためて聴いてみましょう。

旺盛な好奇心とおヒマをお持ちの方、是非お聴きください。
そしてご感想をお聞かせくださいませ。
そしてそして、トヨタさま、この曲に投資しませんか!

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2008年10月 5日 (日)

シェーンベルク 「グレの歌」 俊友会管弦楽団特別演奏会

Gurrelieder シェーンベルク「グレの歌」を聴く。
トヨタ自動車グループの後援によるトヨタコミュニティ
コンサートで、チケットは全席3000円と割安。
世界のトヨタさまが、全国でもう何千回も行ってきたコンサート。
わたしは初めてだが、プロでもめったにやらない、こうしたコンサートなら毎回各地へ足を運びたくなる。
トリフォニーホールは7割くらいの入り。そのうちどれくらいが、トヨタ関係者なのかは不明なれど、普段通いなれたオペラやコンサートとはちょっと雰囲気が違うのも確か。
というのも、客席で聴いていて聴衆が音楽に浸っているという雰囲気をあまり感じられなかったから。
知らない音楽でも音楽に集中する「気」のようなものをホールに感じることがあるじゃないですか。それがなかったような気が・・・・
先だって同じホールで聴いた「ばらの騎士」の雰囲気とは大違い。
曲が曲とはいえ・・・、いや、やはり曲ゆえだろう。

   シェーンベルク 「グレの歌」

    ヴァルデマール:水口 聡    トーヴェ:佐藤ひさら
    山鳩      :向野由美子   農夫・語り手:東原貞彦
    道化クラウス:小山陽次郎

          堤 俊作 指揮 俊友会管弦楽団
                     晋友会合唱団(清水敬一指揮)
                     (10.5@トリフォニーホール)

本日の席は、11列目の左より。
しかし、油断大敵。巨大編成で、ステージをせり出し、シートは事実上は前から6列目。
こうした声楽をともなう巨大作品では、中から2階せり出しのない後列が理想だった・・。
おそらくそちらは、お偉いさまたちのお席になっていたのでは。
しかし、眼前で聴くシェーンベルクの膨大な濃密度の音塊を全身で受け止めると、CDで恐る恐る聴くのと異なり、かなりの快感を味わえる。

今日は、このコンサートの音楽監督、三枝茂彰さんのお話が音楽が始まるまえに10分ほどあった。
こんなすごい曲をアマチュアがやる快挙、日本でも5~6回しか演奏されていないこと、もうしばらく味わえないでしょうとのこと、シェーンベルクの無調・十二音のこと・・・などなど、珍しい楽器の紹介もあわせてのご案内があり、とても有意義だった。

さて、この曲については、以前の自分の記事から引用。
(我ながら端的によく書けているもんで)

>そのまんま「ワーグナー」である。
第1部のヴァルデマール王と乙女トーヴェの愛の二重唱は、トリスタンそのものの官能の世界。
テノールとソプラノで交互に歌われる9つの歌は、ツェムリンスキーの抒情交響曲との類似性も見られる。
山鳩が王の妻の嫉妬で、トーヴェが殺されたことを歌う。鳥の登場は、ジークフリートの世界。
第2部は短いが、王の恨み辛みのモノローグ。
そして第3部は、怒りで荒れ狂う王の狩の様子。これはまさにワルキューレ。
そして王に付き従う道化は、性格テノールによって歌われるとミーメそのもの。
最後は、シェーンベルク独特のシュプレヒゲザンク(語り)により、明るさがよみがえり、光り輝く生命の始まりが語られると大合唱による大団円となる。<

ワーグナーを経てシェーンベルクやベルク、ウェーベルン、そしてツェムリンスキーにたどり着いた私としては、その甘味で濃厚なロマンティシズムと、無調へ向かうギリギリの境目にあるこの作品が堪らなく好きだ。
ワーグナーのように強力な歌手陣と構成感よくまとめ上げる耳のいい指揮者が不可欠。

今日の最大限にすばらしかったのは、堤さんの指導のもと率いられたオーケストラ。
出だしこそ固かったものの、2時間に渡ってほぼ完璧な仕上がり。
大音響もクリアだったし、シェーンベルクが細心に渡り作りあげたモザイクのように分割された小編成のオケの繊細な響きも実に見事。
オケの眼前にあって、私はきょろきょろと忙しかった。それだけ、オケが随所にいろんなことをやっている。
堤さんのわかりやすい指揮ぶりもオケにとっては頼もしいのであろう。
各奏者の皆さん、楽譜に首っ引きなんてことはまったくなく、音楽を楽しみながら、体を揺らしながら弾いていらっしゃっていてとてもアマチュアとは思えない。

独唱者の中では、日本を代表するヘルデン、水口さんの力強い声がことに2部と3部において素晴らしかった。オケの大音量と拮抗しなければならない難役を見事に歌った!
山鳩の向野さんのよく通るメゾは素適だったし、性格的な小山さんのクラウスもいい。
佐藤さんのトーヴェは、ドイツ語がややこもりぎみで、ホールに馴染みにくい声だったかもしれないが、とても美しい声だった。
そして、東原さんの語りが、最高によかった。
ドイツ語によるシュプレヒゲザンクが、何故あんな見事に歌い語られるのだろうか。
3部で、語りが入ってきて、音楽がどんどん浄化されゆくところ、私は感動で涙が溢れてきた。そうして、合唱が眩い音楽とともに歌い出して、曲がキラキラと輝くように終わった。
あぁ、世紀末音楽を充分に歐歌し、わたくし、シビレてしまった!
今宵もブラボー一声献上しました。

曲が閉じても、今夜は大人しめの拍手。

こんな大曲に身も心も動かされてしまう聴き手はまだまだ少ないのだろうか?
ともあれ、今日演奏された皆さんの熱意と頑張りに、大大拍手を捧げたい。

この半月の間に、「トリスタン」と「ばらの騎士」と「グレの歌」を聴いてしまった。
互いに密接な間柄の音楽、これらを高水準の実演で聴くことができる東京は異常な音楽都市だ。

 「グレの歌」の過去記事

   「ブーレーズとBBC交響楽団のCD」

 





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2008年10月 4日 (土)

ルチア・ポップ R・シュトラウス オペラ・アリア集 シュタイン指揮

1 私の姉が作ったフラワー・アレンジメント。
丸いのは何だろうと調べたら、「ピンポンマム」という花らしい。

菊科の愛らしい形のこの花、丸いから姿の違う花々と合わせると見映えがとてもいい。
今は色んな色が開発されて、まさに七色以上あるみたい。

Popstein_strauss 今日は私のとっておきのCDを。
ブラティスラヴァの歌姫、亡き「ルチア・ポップ」が、これまた先頃物故してしまった「ホルスト・シュタイ」の指揮で録音した「R・シュトラウスのオペラ・アリア」。

こんな素晴らしいコンビによる、理想的なR・シュトラウスは、どこを探してもない、そして永遠に生まれることのない組み合わせによる1枚。

何度もここに記したことだけれど、1993年に54歳の若さで癌で亡くなってしまったルチア・ポップ。
あまりの無念さに、それを思うだけで15年が昨日のように感じる。聴くものは誰しも好きになってしまう、素適な歌声を持っていた。
ヘルマン・プライとともに、その早すぎる死が惜しみてもあまりある・・・・。

R・シュトラウスは、ポップがモーツァルトとともに、最も得意とした作曲家であり、彼女がウィーンで愛されたのも二人の作曲家のチャーミングなロールでオペラ座をわかしたからであろう。
これまた何度も書いているけど、コロラトゥーラからスタートし、スーブレット、そしてリリコスピントへと声を強くしていった彼女。
シュトラウスなら、ゾフィーから元帥夫人へ、ズデンカからアラベラへ、そしてもしかしたらツェルビネッタからアリアドネもあったかもしれない。ダフネや伯爵夫人(カプリッチョ)も歌ったくらいだから・・・・。こんな風に、あれこれ思ってしまうのも、彼女の声でその役柄を想像して夢想してしまうから。

 R・シュトラウス 「カプリッチョ」 月光の音楽と伯爵令嬢のモノローグ
           「ばらの騎士」 元帥夫人のモノローグ
           「アラベラ」 1幕フィナーレ、2幕二重唱、3幕フィナーレ

             S:ルチア・ポップ
             Br:アラン・タイトゥス、ワルター・ツェー

        ホルスト・シュタイン指揮 バンベルク交響楽団
                          (88年3月録音)

これら3つのシュトラウスのオペラは、私の最も好むシュトラウス作品で、これらにあと「アリアドネ」「影のない女」「ダフネ」「ダナエの愛」が私のフェイバリットであろうか。
この3作品にポップが残した唯一の録音が実はこのCD。

女声を愛したシュトラウス、そのオペラの大半がヒロインが主役。
シュトラウスのオペラは、そのほとんどが男性を差し置いて、ヒロインが諦念や達観の高みに達し、澄み切った心境のうちにフィナーレを迎え、あまりに素晴らしく霊感に満ちた歌と音楽で幕を閉じる。
これら3作も、まさにその世界。

月光の光を浴びて、音楽と詩、ふたりの芸術家のどちらも選べない伯爵令嬢の胸の内
シュトラウスが書いた最後のオペラ「カプリッチョ」は洒落たセンスと透明感に満ちた夕映えのような名作。ポップの令嬢はもうまさに理想的な歌で、情熱に揺れ動く細やかな感情の機微を歌い出していて、その素晴らしいオーケストラの背景とともに、私は涙が止まらないほどの感動に震える・・・・。
シュヴァルツコップとヤノヴィッツ、トモワ・シントウに継ぐ名令嬢になったかもしれないのに。
シュタインはウィーンフィルとのザルツブルクライブもあるが、このバンベルクでの演奏も軽妙で美しい演奏だ。

時間の経過に心が揺れ動くマルシャリン。
これを歌いだすポップは、ゾフィーの20年後の自分。
まだまだ若いのに、じつはそうじゃない。去ってゆく恋人も見える・・・
ポップの元帥夫人のライブは、きっとミュンヘンあたりにあるのではないか?
いずれ驚きの登場を待ちたいもの。
このCDで残念なのは、オックスを追い出したあとのモノローグだけで、オクタヴィアンが戻ってきてからの場面がカットされ、1幕の最後の静かな音楽につなげられて終わってしまうところ。どうせならオクタヴィアン役も探してきて、カットなしで録音してほしかった。

初めての恋におののき、娘時代に別れを告げるアラベラ
ポップの「アラベラ」は、日本でもサヴァリッシュの指揮、ヴァイクルのマンドリーカで上演され、私は行けなかったもののNHKのFMとテレビの記録を大切にしている。
1幕では、ズデンカの歌もちょっとだけだが、一言歌っている。いい寄る男たちではなく、一目みたあの人が・・・という切ない歌の背景に流れるシュトラウスの音楽の刻々と色が変わるかのような素晴らしさがまじまじとわかる。
階段で歌われる最後の二重唱も、出だしのあまりに美しく静謐な音楽が私は極めて好き。
そのあと、情熱の高まりと明るく前向きで洒落たエンディング。
アラベラはポップの当たり役でもあり、その声質がもっとも合っている。
おなじみのタイトゥスが神妙にマンドリーカ役をつとめている。

ほんとうに素晴らしい1枚。
欲をいえば、先ほどの「ばらの騎士」の構成と、曲順。
「カプリッチョ」は最後に持ってきて欲しかった。
廃盤であることがまったくもって信じられない。

 ルチア・ポップの過去記事

 「オペラ・アリア集」
 「ミュンヘン・オペラ・ライブ」
 「R・シュトラウス ばらの騎士」
 「R・シュトラウス ダフネ」
 「マーラー 子供の不思議な角笛」

 

 

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2008年10月 3日 (金)

ドヴォルザーク チェロ協奏曲 シフ&プレヴィン

Iketani_tsukimi 過ごしすくなったというよりは、めっきり涼しくなりました。
蕎麦屋へいくと、暖かい蕎麦が食べたくなる。
心にしみるほのぼのとした出汁の効いた汁をすすれば、誰しも「あぁ!」と一言もれる。

音楽も食も、本当にいい季節であります。
銀座「いけたに」の月見とろろそば。
ほどよく飲んで、蕎麦をたぐる。
最高であります。

Dvorak_vccon_schiff 今週は出張と飲みが重なり、連日、音楽を聴けない日々が続きちょいと音楽に飢えております。
そんな金曜、疲れた体と胃に優しい、和やかなドヴォルザークを聴こう。
ドヴォルザーク(1841~1904)のアメリカ時代の名作のひとつ、チェロ協奏曲は古今のチェロ協奏曲のなかでも最高の作品であろう。
チェロだけが突出するわけでもなく、オーケストラにも聴かせどころが多く、ソロとオケが拮抗している。
望郷の思いに浸ることも出来る懐かしい雰囲気もあるし、ボヘミアの土の香りもプンプンとする民族臭もたっぷり。
長い曲だけれど、誰もが愛着を感じる協奏曲であろう。
これから深まる秋の日にぴったり。

私も含めて愛好家のほとんどは、ロストロポーヴィチとカラヤンの雄弁かつ美しい演奏をお持ちであろう。それとノーブルなフルニエとセル。
今日はハインリヒ・シフプレヴィン&ウィーンフィルの演奏を。
オーケストラも重要なこの曲。ウィーンフィルの録音って他にあったであろうか?
出だしからウィーンの魅力的な木管、ホルンの音色が威力を発揮する。
ベルリンフィルだと威圧的になってしまう部分も、マイルドで柔らかく感じる。
相性抜群のプレヴィンの指揮だけにそのチャーミングぶりには惚れ惚れとしてしまう。
最近は指揮者として活躍も目立つシフの2度目の録音は、ロストロさんのようなスケール感はないけれど、瑞々しくも流麗なチェロは、プレヴィンとウィーンフィルと音が見事に溶けあっていて、2楽章の掛け合いなどは極めて美しい。
オーストリアのチェリストとオーケストラによるこのドヴォルザークは、土臭さにはやや欠けるものの、適度な洗練されたムードがとてもよろしい。
ああ、いい気分。

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2008年9月30日 (火)

フィンジ 「レクイエム ダ カメラ」 ヒコックス指揮

1 緩やかな水をたたえ、流れるともない河の流れ。
その土手に咲く「曼珠紗華」の赤い花。
まさに彼岸の風景は、この世のものとは思えない。
岐阜県の南濃町。
車で走っているときに彼岸花の群生の看板を見つけ寄り道。
そしたらこんな絶景が・・・・。
おかげで、仕事のお約束に遅刻。

Finzi_brtten_holst_hickox

ジェラルド・フィンジ(1901~1956)の抒情に満ちた音楽は、作品数としては決して多くはない。
自身が破棄してしまったものもあるにしても、40曲あまり。
そのどれもが、フィンジの個性ともいえるデリケートで優しい響きに包まれていて、いとおしい。

子供の頃に父親を亡くし、さらに兄達も亡くしたフィンジは健康も害し、ヨークショアのハロゲイトに移住し、ここで父や兄とも重ね合わせて敬愛した師ファーラーに出会い、音楽の勉強を本格化することとなった。
このファーラー(1885~1918)の音楽、いずれ取上げる予定だが、なかなかほのぼのとしたいい音楽。
 ところが、この師が第一次大戦で戦死してしまう。
またしても取り残されてしまったフィンジ青年。
戦後、コッツウォルズに戻り、1924年「レクイエム ダ カメラ」を作曲し、この作品を師ファーラーの思い出に捧げることとした。
ブリテンと同じく、反戦と平和への思いに満ちた「レクイエム」。

曲は4部からなり、1部はオーケストラによる静謐で美しい前奏で、これぞまさにフィンジならではの少し寂しげで、ひたむきな内向的な音楽。
2部は、ジョン・メースフィールドの詩に付けた真摯な音楽で、アカペラで自然の営みの美しさを歌いはじめ、徐々にオーケストラが加わって、変わることのない人間の行為を歌ってゆく。
3部は、トーマス・ハーディの詩に付けた曲だが、このオーケストレーションが未完で、フィリップ・トーマスという人が82年に補完して完成させた。
バリトン独唱がはいり、ハーディ特有のナイーブな世界と音楽が結びついた音楽が仕上がっている。フィンジは、この章がおそらく核心と思い、それゆえ書上げることが出来なかったのではなかろうか。
私の能力では元詩が理解できないゆえ、そのあたりはハーディ詩集を確認しなくてはいけませぬ。
4部は、1部のような平和で慰めに満ちた音楽で、W・ギブソンの詩。雨上がりの陽光をの中、雨に濡れたライラックの花々に小鳥が鳴く・・・・。平和が戻ってきた。
極めて印象的で儚いほどに美しい。

ステファン・バーコーのバリトン、ブリテン・シンガーズに、ヒコックス指揮のシティ・オブ・ロンドンシンフォニアの演奏は、これしかない録音という以上に、フィンジの魅力を伝えてやまない。ほかのカップリング曲も素適すぎる曲。
いや、ブリテンのカンタータがこれまた私の提琴に触れる素敵な曲。

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2008年9月27日 (土)

シュナイト指揮 仙台フィル演奏会

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シュナイト&石田が、杜の都に浜風を吹き込んだ

仙台フィルハーモニーに、シュナイト師が客演、しかも手兵神奈川フィルの石田氏を引き連れて。
直前にチケットを購入して、ワクワクしながら仙台へ。

仙台フィルは初めて聴くオーケストラだし、会場の青年文化センターというホールも初めて。
市の中心部から地下鉄で北へ向かい10分。大きな公園に囲まれ緑豊かな場所にあって、雰囲気がよろしい。
1階フロアのみ、802席という座席数ではあるが、天井がとても高く、響きがとても豊かで美しいホール。

ほぼ満席の会場で、楽員も出揃い、コンサートマスターの登場を待ち受ける。
そして、毎度おなじみとなったいでたちの石田氏登場。一瞬、おやっ、というムードがホールに流れた(気がする)。チューニングのあと、シュナイト師が姿をあらわした。6月以来だが、しっかりした足取りで、とても元気そう。
 そして、「魔笛」の和音が荘重に鳴り響いた。

     モーツァルト 歌劇「魔笛」 序曲
               ヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」
                Vn:川久保賜紀
     シューベルト 交響曲第8番「ザ・グレイト」

   ハンス=マルティン・シュナイト指揮  仙台フィルハーモニー管弦楽団
                             コンサートマスター:石田泰尚
                          (9.26@仙台青年文化センター)

Orchestra

ゆったり目のテンポで厳かな雰囲気で始まった「魔笛」、活気ある主部が始まると石田氏はいつもの動きでオーケストラを活発にリードしてゆく。
ゆったりした部分はより遅く、早いところはほどほどに早く。シュナイト師の面目躍如の活き活きとした「魔笛」。
 次いで、川久保さんの繊細かつ能動的なソロが光ったヴァイオリン協奏曲。
オーケストラをよく聴きながら、ソロのない時は体も揺らしながら音楽に聴き入る彼女。
面白いことに、指揮者ではなく、コンマスとよく目を合わせながら溌剌と弾いていた。
2楽章の天国的な美しさと、有名な3楽章のトルコ風場面の切れ味のよさなどが、ソロ・オケともに印象に残った桂演だった。

休憩後の「ザ・グレイト」は、やってくれました、まさにシュナイト風、巨大な名演奏。
時計をちらちら見ながら計ってみたら、Ⅰ(15分)、Ⅱ(21分)、Ⅲ(14分)、Ⅳ(14分)の合計64分。繰返しなしでこの長さ。まさにグレイト!
 2楽章がまさに、「天国的」な長さ、というか遅さ!
それがまったく弛緩しないし、歌心に満ちていたのがまさにシュナイト師のシュナイト師たる由縁。木管がおそらく緊張のあまり、固かったがそれも徐々にほぐれ、このテンポによく着いていったという以上に、素晴らしく柔らかい響きをかもし出していた。
そしてやはり、シュナイト師と気心の知れた石田氏の存在は大きかった。
他流試合ながら、そして練習もそんなに多くはなかったかもしれないが、シュナイトイズムの落とし込みをしっかりやった以上に、弦楽セクションの明るく活気ある響きは、普段の仙フィルを知らずに言うのも恐縮ながら、石田氏のパフォーマンスによるところも大きかったのではなかろうか。
ともかく、美しい2楽章。中間部から後半にかけて、たゆたうような歌の数々は、涙が出るほどに素晴らしかった。
 さかのぼって1楽章。冒頭のホルンの主題は、先のとおり、固すぎて滑らかさが不足したが、主部に入ってからの音楽のノリのよさは特質もの。
楽章の最後、思い切りテンポを落として、朗々と主題を奏で聴衆は固唾を飲んでその終わりを見守った。
2楽章は、先のとおり。
3楽章のリズムのよさ。シュナイト師は足を踏み鳴らし、舞踏性にこだわったかのよう。
その中間部、テンポを大きく揺らし、左右に踊るように指揮するシュナイト師だった。
 そして、爆発的な終楽章。これまでじっくり積上げてきたものが、その頂点で爆発したかのような活気みなぎる演奏に、手に汗握る気分だ。
石田氏の動きも激しく、体一杯に音楽を表現している。
オケももう夢中だ!すごいぞ、仙フィル!
最後のコーダ、弦は弓を使いきり思い切りのユニゾンで応え、シュナイト師がこれまで押さえていた金管も大爆発。もうドキドキが止まらない。
そして、最後の和音は、フォルテで終わることなく、緩やかなドミネンドで極めて印象的に終了。シュナイト師は動きを止め、石田氏は弓を掲げたまま、オケも全員止まったままに、しばしの静寂が。
もうすっかりお馴染みとなった、シュナイト・エンディングがこの曲でも味わえた。
やがて会場はブラボー(客演のわたくしも当然に、ひと声参加)と喝采につつまれた。

いやはや、またもやシュナイト・マジックにやられてしまった。
この巨匠の個性は、時間の少ない客演ではなかなかに発揮されないし、その指揮ぶりもわかりにくいものだから、相棒の石田氏の存在は不可欠。
それにも増して、仙台フィルのアンサンブルの緊密さに驚いた。
神奈川フィルとのコンビで味わえる南ドイツ風の明るくも重厚な響きが、杜の都でも!
素晴らしいコンサートが聴けました。

7時にはじまり、ホールを出たら、もう9時20分。
美味しい酒と肴をもとめて、国分町へ向かったワタクシであった。

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2008年9月25日 (木)

R・シュトラウス 「ばらの騎士」 新日本フィルハーモニー公演

Img_0002 ばら戦争」は終わっていなかった!
昨年来の「ばらの騎士」の饗宴、今度こそ最後だろう。
2007年5月から数えて、通算5つ目の「ばらの騎士」を観劇。
一昨日の「トリスタンとイゾルデ」の響きがまだ脳裏に残るなか、迎えてしまった今日のばらの騎士。ワーグナーとシュトラウス、私のもっとも好きな作曲家達による、もっとも好きなオペラ。よりによって、こんなに集中して演ることはないじゃないの! 
好きだからこそ、そのすべてを聴きたくなるから困ったものだ。

今回は、新日本フィルの定期公演でもある、セミステージ上演。
オーケストラをステージ奥にきっちきちに押し込んで、その手前、つまり指揮者のうしろで演じ、歌われる仕組みだった。

簡単なセットは、左手の第1ヴァイオリンの前に据えられ、歌手達は、ステージ左手で歌うことが多く、右手前方の席だった私の首はいまも痛いっ

制約ある条件ながら、演出はしっかり付けられていて、飯塚励生(れお)さんによるもの。ニューヨーク生まれのこの方、以前の新日ホールオペラ「ローエングリン」の演出をはじめとするホールものの数々、またサイトウキネンの「グレの歌」なども手掛けた気鋭。
実力派の歌手たちばかりだから、果たして、どこまでが振り付けか個々の動きは不明だが、ホールオペラの利点を活かし、出演者と指揮者が掛け合いをしたり、客席からオクタヴィアンが従者を伴なって登場したり、オックスのチンピラのようななりをした手下たちが客席のあちこちで、ファーニナル家の女性たちを追いまわすなどの仕掛けが豊富であった。
アンニーナが、オックスの脱いだカツラを、こともあろうにイケメンのアルミンクにかぶせてしまい爆笑!
 さて、こうしたアイデアは楽しめたが、限られた舞台に新たな解釈を持ち込もうとしたものだから、私にはそれは「過ぎたるは及ばざるが・・・・」の印象であったことも事実。
最初から、原作にない白いドレスを着た妖精のような少女が出てきて、出演者にまとわりついたり、舞台の斜め右から一喜一憂しながら眺めたりしている。
1幕では、幼稚園児くらいの少女。2幕では、あれ成長したと思ったら、小学高学年くらいの少女。途中から二人とも登場・・・・。
ともかくその演技も、父親世代から見ると可愛くてしょうがないのだが、大人のドラマに何故?不自然であると同時に、ドラマの感興をそいでいたように思う。
モハメット君の役割は別にいるわけで、最後はぞろぞろ3人出てきて、今回はゾフィーが肩から落としたショールを拾いあげて幕となったくらい。
 可愛い彼女たち。
時の経過を司る少女たちではないかと思料。
1幕でオクタヴィアンと戯れるマルシャリンには見えなかったのに、幕の後半に、時間を意識してアンニュイになったあとから、マルシャリンには少女たちが見えるようになった。
少女に手を引かれ、オクタヴィアンの走り去った舞台を去る。
もう一人、少女たちが見えていたのは、オックス男爵。
2幕で、オクタヴィアンに決闘を挑まれるが、少女がオックスを後ろからチョンチョンとつついて、なに?と振り返った拍子にオクタヴィアンの剣でちょこっと怪我をする。
愛し合うオクタヴィアンとゾフィーと、少女たちの接点はなかった。
 云わんとするところはよくわかった。時間の経過とそれへの受入れ、同じコンセプトは、今春の横浜の「ホモキ演出」の根源だった。
ホモキは、舞台を逆さまにしたり、衣装を脱がせたりすることで、巧みにそれを表出していたが、今回の少女たちは、私としては、ちょっと過剰であったように思う。
それでも、カーテンコールで演出家へのブーイングは心無いことだ。
そんなことをしてどこが気持ちいいのだろう。素晴らしかったファーニナル役のユルゲン・リンが、あれれどうしてよ??というような面持ちだった。

 元帥夫人:ナンシー・グスタフソン オックス:ビャーニ・トール・クリスティンソン
 オクタヴィアン:藤村実穂子     ゾフィー:ヒェン・ライス
 ファーニナル:ユルゲン・リン    マリアンネ:田中三佐代
 ヴァルツァッキ:谷川佳幸      アンニーナ:増田弥生
 歌手     :佐野成宏

  クリスティアン・アルミンク指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団
                     栗友会、東京少年少女合唱団
                     演出:飯塚励生
                        (9.25 @トリフォニーホール)

何と言っても、オクタヴィアン初挑戦の藤村さんがいい。
あの小柄な体で、そうしてあんなパワーある声が出せるんだろう。声が大きいというよりは、明晰で豊かな声量だから、オーケストラを圧してホールに響き渡るのだ。
その声も、暖かであり感情移入も豊かなので、聴き手の心をとらえてやまない。
バイロイトでフリッカやクンドリーを歌う藤村さんが、本場でも大きな歌手に負けずに評価されているのがよくわかる。日本人ばなれした声量と、日本的な細やかな歌唱。
 アイスランド生まれのクリスティンソンの深々としたバスにも感心。クルト・モルを思い出してしまったくらい。
ウィーンで活躍するグスタフソンのマルシャリンは、そのアメリカ人風の豊かな表情のとおり、少し大らかな歌唱だったが、若い歌手達の中にあって貫禄たっぷりの歌声。
Chen20reiss20fotoklein 予定された歌手が体調不良で降板し、代役で登場のライスは、驚くほど立派な声だった。
ゾフィーにしては声が強すぎかもしれないが、その美貌がまた素適な彼女、今後活躍しそうな歌手に思う。(画像)
他の諸役は、みんな良し。

それにしても、アルミンクと新日フィルの精緻でシンフォニックなシュトラウスは聴きものだった。右を向きすぎて疲れたとき、数々のワルツを優雅に指揮するアルミンクの姿を眺めたりしていたものだ。
 
 シュトラウスの巧みでニクイまでのオーケストレーション。
こうして舞台にあがったオーケストラを一望することで、普段ピットで見えないことが実によくわかった。弦楽器もソロあり、重奏ありで変幻自在な透明感をかもし出す。
何度観ても、何度聴いても、飽くこと無い「ばらの騎士」、そしてシュトラウスの音楽。
3幕の3重唱では、お約束の陶酔郷に誘われ、思わず涙が・・・・。

さて、5つめの「ばらの騎士」。
ひとつだけ、特殊な上演ではあったが、「これもあり」の「ばら騎士」。
あえて比較はいたしません。

次の「ばらの騎士」の舞台は、いつになるでしょうか?

「ばらの騎士」の過去記事

  新国立劇場        シュナイダー指揮
  チューリヒ歌劇場     ウェルザー・メスト指揮
  ドレスデン国立歌劇場  ルイージ指揮
  
神奈川県民ホール(琵琶湖) 沼尻竜典指揮
  ドホナーニ指揮のCD&4つの舞台のレビュー
  バーンスタイン指揮のCD
  ヴァルヴィーゾ指揮のCD(抜粋)
  プレヴィン指揮の組曲版CD

Dsc07552 開演前のホールの前の夕空。

そしてうれしいニュース。
カルロス・クライバーの「ばらの騎士」73年ミュンヘンの正規CDが出るとのこと。
リッダーブッシュのオックスが聴ける。  

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2008年9月23日 (火)

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 東京シティフィル公演

Tristan_iimori_tcpo 東京シティフィル、オーケストラル・オペラ「トリスタンとイゾルデ」を楽しんできた。
指揮は日本が誇る大ワーグナー指揮者、飯守泰次さん。
今回は、会場をティアラ江東に移しての公演で、客席数1200、響きの豊かなこのホールは、これまでの文化会館や日生劇場よりは、ずっとワーグナーに適していたように思う。
第一、歌唱がオーケストラに消されることなくよく聞こえたし、オーケストラの音も芯があって、各楽器のブレンド具合がとても美しい。
このところ、ツェムリンシキーやスクリャービン、アルヴェーンなど、トリスタン後の音楽を聴いていたものだから、そうした作曲家たちが魅せられた本家トリスタンをオーケストラを俯瞰するような形式でじっくり聞きこむことができて、あらためてこの作品の偉大さに感服つかまつった次第。
日本人だけによる全曲上演は、もしかしたら初めてではなかろうか?
もし違っていたら教えてください。
私はかつて、95年、名古屋に単身赴任中に、時の音楽監督飯守さんの指揮で名古屋フィルのトリスタン演奏会形式抜粋を聴いたことがある。主役は岩本明志と渡辺美佐子。その時の記憶はうっすらとしかないが、まだまだ若々しかった飯守さんの指揮ぶりがやたら印象に残っている。
 あれから13年、髪もシルバーになり、ワーグナーにおけるカリスマ性を増して、恰幅のいい豊かで自在な音楽を作り出す巨匠となった飯守さん。
本日の主役は、飯守さん指揮する東京シティフィルだった。
ワーグナーの息の長い旋律と、刻々と移り変わる網の目のように張り巡らされた精妙なライトモティーフ。そんなオーケストレーションの妙を、このコンビは見事なまでに描きだしている。多少の傷はあったものの、そんなことはまったく気にならない。
1幕のイゾルデの長丁場を支える明晰な響き、2幕のブランゲーネの警告の夢幻なまでの美しさ、トリスタンが故郷を語る場面での寂寥感、3幕のトリスタンの渇望と熱狂。
こんな場面におけるオーケストラの素晴らしさ。
2年のブランクをおいて満を持しての「トリスタン」。かなり厳しい練習を積んだであろうし、なによりも飯守=シティフィルというくらいに、長い期間をかけたこのコンビが熟成の時を迎えているのかもしれない。リングの一部を除き、ローエングリン、パルシファルと聴いてきての実感。
フランスものを担当する矢崎さんの存在も大きいものと思う。
演奏終了後、拍手に応える楽員の中には泣いている方もいらっしゃった。
思わずこちらも涙腺が・・・・。
今年聴いた「ワルキューレ」もこのオケがピットに入ればよかったのに。

  トリスタン:成田勝美     イゾルデ:緑川まり
  マルケ王:小鉄和広     ブランゲーネ:福原寿美枝
  クルヴェナール:島村武男  メロート:青栁素晴
  羊飼い :近藤政伸

  飯守泰次郎 指揮 東京シティフィルハーモニー
              東京オペラシンガーズ
                     (9.23@ティアラ江東)

今ワーグナーを歌える日本を代表する歌手が勢ぞろい。
舞台栄えのする成田さん、出だしは体力をセーブしたのか慎重だったが、2幕の二重唱のリリカルな歌いまわし、対して3幕では声を全開してかなり思い切った歌となり、こちらも息を飲んだ。
緑川さん、少し前の出演をキャンセルしていて体調不良がまだ残っているのかもしれない。声の威力は相変わらず目を見張るものの、音程が決まらず、高音が苦しい、というか歌えていなかった。ちょっと気の毒。飯守さんのオケが巧みにバックアップしていた。
 あと、一番良かったのが、福原さんのブランゲーネ。「アリアドネ」の作曲家役で関東でも人気者になってしまった関西二期会の実力者だが、声に存在感が充分あって、その女主人よりも立派に聴こえてしまった。2幕の警告の場が、オケとともに極めて美しかった。
クルヴェナールの島村さん、前回の「パルシファル」のクリングゾルでの道化のような衣装の印象が私的にはまだ拭いきれないが、やや暗めの声によるクルヴェナールは実によかった。クルヴェナールが、トリスタンの傍らに倒れる時、毎度涙をそそられるものだが、演出の都合から、メロートと刺し違え、絶え絶えに倒れたとき、やはりグッときた。
 小鉄さんのマルケ、サルミネンばりの深々とした声に感心したが、ちょっと声が揺れぎみなのが気になったところ。
他の方々も贅沢な役どころで文句なし。水夫さん立派すぎだし。

舞台ぎりぎりにこぼれそうなオーケストラの背景に据えられた小舞台。
そこで、最低限の演技をするが、舞台奥の壁に刻々と変わる静止映像が映し出される。
当初は、ほぅ~と思ったが、何故に惑星の宇宙映像や、たくさんの覗き見お目々の映像は趣味わるすぎ。
でも2幕のグリーンの葉っぱはとてもきれい。
「愛の死」での胎児や宇宙、地球は、愛の死の浄化と救済を意味するのだろうか。
 映像はあってもなくてもよかったような・・・・、それよりも音楽が雄弁なものだから。

次のオーケストラル・オペラは、「オランダ人」「タンホイザー」「マイスタージンガー」のどれだろう。いずれも合唱がたくさん登場するだけに、ホールオペラ上演が難しそう。
いずれ、ティアラ江東で、「リング」連続上演をやってもらいたいものだ!
飯守さんのワーグナー、録音でもしっかり残していって欲しい。

「トリスタンとイゾルデ」過去記事

 大植バイロイト2005
 アバドとベルリン・フィル
 
バーンスタインとバイエルン放送響
 P・シュナイダー、バイロイト2006
 カラヤン、バイロイト1952
 
カラヤンとベルリン・フィル
 ラニクルズとBBC響
 バレンボイムとベルリン国立歌劇場公演
  レヴァインとメトロポリタン ライブビューイング
 パッパーノとコヴェントガーデン
 ビシュコフとパリ・オペラ座公演

おまけ画像=思い出の名古屋
Tristan_iimori_nagoya

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