2019年5月18日 (土)

ドヴォルザーク 「伝説曲」 アルブレヒト指揮

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静岡県の富士宮にある「白糸の滝」

連休中に、ほんとに久しぶりに行きました。
小学校のときの遠足で行きましたが、そのとき以来かも。

富士山の雪解け水が沸きだしたもので、画像のずっと右側にも、まさに白糸のごとく清流があふれてます。

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   ドヴォルザーク 伝説曲 op.59

 ゲルト・アルブレヒト指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

      (1995.4.27 @芸術の家、ドヴォルザークホール、プラハ)

愛すべきドヴォルザークの桂曲。

この作品をブログに取り上げるのは、これで2度目。
前回は2011年の4月で、震災直後の不安な日々に、慰めを求めるようにして聴いて書きました。

そのときにも書きましたが、元来、この曲が好きで、その出会いは、もう40年も前のこと。
大学生のころ、FMで放送されたクーベリック指揮するイギリス室内管のライブ演奏で、エアチェックして何度も聴いた。
クーベリックとイギリス室内管という組み合わせが新鮮でしたし、ドヴォルザークの管弦楽作品に室内オケ、しかも本場でなくイギリスのオケ、という以外な組み合わせに、とても引かれるものがありましたので、曲に加えて、その演奏も大いに気に入って、何度も何度も聴いたものです。
室内オーケストラ、それもそのはず、この10曲からなる組曲のような作品は、もともと40歳のドヴォルザークが2台のピアノのために書いたもので、それを自身で小編成のオーケストラ向けに編曲したものだからです。

全曲にわたって、フォルテ以上大きな音はなく、ゆったりとなだらかに進む、小曲の集まり。
全部聴いても40分ぐらい。
ドヴォルザークならではの、優しいメロディがたっぷりで、次々にあらわれる旋律の数々は、どこかで聴いたことあるような、懐かしさや郷愁を誘うものばかりです。
観たことはありませんが、ボヘミアの森や自然って、この音楽のイメージでもって聴いていのでしょうか。
スラヴ舞曲は、ボヘミアの市井をも反映した人々の音楽って感じですが、伝説曲はそれこそ、ボヘミアの自然と懐かしい昔語りのような雰囲気の音楽に感じます。
このすてきな音楽に、これ以上の言葉はいりませんし、わたくしも、これらの10曲に、それぞれのコメントを残すことなんかできません。
作品の性格上、演奏会で全曲を取り上げられることはありません。
多くの方に、リラックスした気分でもって、ぜひこの音楽を味わって欲しいです。
雨よりは、よく晴れた日に聴いてほしい。

今日のCDは、チェコフィルの主席を93年から96年まで務めたゲルト・アルブレヒトの指揮で。
チェコの人以外の初の主席指揮者ということで、話題になり、その短い任期は何かとうわさされましたが、ここに聴くドヴォルザークは、わりと実務的な演奏に徹するアルブレヒトながら、心をこめて優しさあふれる音色をチェコフィルから引き出していまして、安心してその演奏に身をゆだねることができるものです。
それにしても、チェコフィルの弦は美しい。

アルブレヒトは、読響の指揮者としても長く活躍しましたが、わたくしは、「パルジファル」の上演と、ハンブルクオペラとの「タンホイザー」を観劇したことがあります。
そう、アルブレヒトはオペラ指揮者として、私には親しい存在で、ツェムリンスキーやシュレーカーなどの初録音や開拓で、とても恩義がある方なのです。
同時に、アルブレヒトはドヴィルザークのオペラと声楽作品の掘り起こしと初録音にも取り組んでました。
その途上で亡くなってしまいましたし、しかもその音源もなかなか手に入りにくいものばかり。
ドヴォルザークのオペラも、「ルサルカ」以外にもいい作品がたくさんあるので、じょじょに集めてますので、いつかブログに残したいとも思ってはいますが、時間が・・・・。

過去記事

「ドヴォルザーク 伝説曲 クーベリック指揮」

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白糸といいながら、太いものはかなりの大瀑ですが、その水質は透明で清涼感たっぷりです。

ただ残念なのは、人が多すぎたこと。
しかも、入らないように柵がはってあるのに滝のちかくまで入り込んでいるんだ。
外国の方もたくさんいたのに、それは日本人ですよ。。

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上からみると、こんな感じ。
新緑とともに美しいものです。

この日は、帰りがとてつもない渋滞に巻き込まれてしまい往生しました。
連休も疲れるもんだ。


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2019年5月12日 (日)

ドヴォルザーク ジプシー歌曲集より「母が教えてくれた歌」 フレミング

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柄にもなく、美しいカーネーションのお花を。

そう、母の日に。

そして、音楽も母の日の定番、ドヴォルザークの歌を。

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 ドヴォルザーク 「ジプシー歌曲集」op.55 から
     
    「母が教えてくれた歌」

   ソプラノ:ルネ・フレミング

  サー・ジェフリー・テイト指揮 イギリス室内管弦楽団

           (1997.@ロンドン)

ブラームスと同じくして、ドヴォルザークもジプシーにまつわる音楽を残しました。
7曲の歌曲集のなかの4曲目が、このあまりに有名な作品。

チェコ語とドイツ語、それぞれの歌詞に作曲され、この名旋律は、クライスラーがヴァイオリン作品に編んだことから、世界中で愛される音楽のひとつとなりました。
親しみやすい旋律をやすやすと生み出した、まさにメロディメーカーとしてのドヴォルザークらしい、美しくも、ちょっとセンチメンタルな歌であります。

その歌詞は、ちょっと調べればたくさん出てきますので探してみてください。

家を持たず放浪の生活をするジプシーたち。
歌も、親から子へ語り継がれていった。
母から教えてもらった歌、それをいまは、自分の子らに聴かすこととなった。

親になりわかる、親の気持ち。
まして、母親の気持ちとなれば、あぁ、そうだったのかと、涙が出るほどの感情につつまれることもある。

この長い連休の大半を、私は、育った実家で姉弟ととで母とともに過ごしました。
こんなに長く一緒にいたのは、正月休みや、盆休み以上の長さでありました。
それこそ御代替わりの恩恵でありましょうか、お仕事をされていた方々には、まことに申し訳なく存じますが、連休のありがたみを満喫いたしました。

年々、老いてゆく母。
おりしも、亡父の23回忌も併せて行うことができました。
耳も遠くなり、こちらの声も届かないこともたびたび、さらに、足腰もすっかり弱まり、長く歩くことはままならない。
 よくあることですが、昔語りをさせたら、年寄りにはかないません。
戦時中のこと、親戚の関係筋の話や家系のこと、さらに亡父との出会いのことなどなど、いつも多く、大好きなビールをすすりながら語ってもらいます。
 自分の子らも、いずれも社会人として巣立ちましたが、まだまだ子供たちのことが心配。
この歳になって、母の気持ちがつくづくわかります。
そして、母よ、あなたは強かった!

そんな思いを込めて、ドヴォルザークの名旋律を聴きました。
フレミングの声は、わたくしには濃厚すぎて、ちょっと辛いことがいつもなのですが、オーケストラ伴奏付きなので、これぐらいでちょうどよいかもです。

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母への感謝と、いつまでも元気で、という思いをこめて。

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2019年5月 1日 (水)

ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」 ジュリーニ指揮

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令和元年の初記事。

東京タワーの麓には、毎年、この時期たくさんの鯉のぼりが泳いでます。


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333匹の鯉のぼりと、1匹だけの「さんまのぼり」。

1枚目の写真に「さんま」、います。

秋に例年開催の三陸大船渡市とのサンマ祭とのコラボです。

 平成の一番の記憶は、わたくしには、東北を中心に襲った東日本大震災のこと。
逃げようもない自然災害の無慈悲さを痛感しました。
そして、国民が絶望と悲しみにおちいる中、先の天皇陛下がテレビで励ましのお言葉を発し、その後被災地を巡ってお声をかけた。
日本は、その象徴としての天皇の下、まさにひとつだということを確信した。

この令和の時代にもいかなる災害が待ち受けているのか?
心の備えも忘れずに、過ごしたいと思う。
そして、日本人としての心も必ず忘れずに。

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  ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 「新世界より」

 カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

            (1977.4,2,6@オーケストラホール、シカゴ)


「新世界」でスタート。
クラシック入門、聴き始めに必ず通る登竜門的な名曲。
今更ながらに、聴いてみると、しみじみと、ほんといい曲だとつくづく思う点で、わたくし的には「田園」と双璧です。

マーラーとブルックナーが人気の主流を占めるなか、それらに並んで、コンサートでも、外来オケでもよくプログラムにのります。
でも、同じドヴォルザークの「8番」のほうが、演奏頻度は高くなったかも。

そんな「新世界」を聴きつくしたリスナーに、いまこそじっくり聴いて欲しい、そんな演奏がジュリーニのシカゴ盤。
丁寧かつ克明な音楽造り。
 この時期、72年頃から、レーベルをまたがって、「第9」を連続的に取り上げ、録音しました。
ベートーヴェン、シューベルト、ブルックナー、ドヴォルザーク、マーラーです。
「悲愴」も晩年作という意味では同一ですが、その多くをシカゴ響と。
作曲者の晩年、ないしは、最後期の作品ということに着目して力を注いだ70年代後半のジュリーニは、自身の円熟と重ね合わせるようにして、各作曲家の晩年作品を深く切り込むようにして録音しました。
この時期において、優秀なシカゴ響は、その思いになくてはならぬものでした。

ショルティがシカゴ響の音楽監督になるとき、ショルティが要望したことのひとつは、ジュリーニが主席客演指揮者となること。

60年代から、ジュリーニはシカゴとは相思相愛の仲で、剛毅な音楽造りのショルティは、きっちりした造形のなかに、歌心をにじませたジュリーニの存在が必要だったし、コヴェントガーデンで親しく接したジュリーニのことが大好きだったのかもしれません。
 ジュリーニは、ロスフィルの音楽監督のオファーを受けるまえ、シカゴを離れることになったが、ポストを辞したあとも、客演指揮者のトップの扱いを受けつづけ、アバドとともに、シカゴのアイドルであったんだろうと思う。
現音楽監督、ムーティにも通じるイタリア人指揮者との親和性。
ドイツ系、ハンガリー系の指揮者によって培われたシカゴの歴史に、マルティノンも含むラテン系の指揮者たち。
多民族国家のアメリカが生んだ世界最高補のオーケストラ、その指揮者たも多士済々、そのフレキシブルな柔軟さも、まさに最高峰です。

そんなシカゴ響から引き出したジュリーニの「新世界」の響きは、一点の曇りもなく、明晰でありながら、全体に荘重な建造物のごとくに立派なもの。
聴きつくしたお馴染みの「新世界」がこんなに立派な音楽だったとは!と、これを初めて聴いたときに驚いたものです。
いま聴いても、その思いはかわりません。
ことに、第2楽章ラルゴは、旋律線をじっくりと歌いむ一方、背景との溶け合いもが実に見事で、ほんとに美しいです。
終楽章も決してカッコいい描き方でなく、堅実にじっくりとまとめあげ、こうでなくてはならぬ的な決意に満ちた盛り上げやエンディングとなってます。

ちなみに、フィルハーモニア盤も、次のコンセルトヘボウ盤も聴いたことありません。
ジュリーニはDG時代が好きなのですもので。

新世界は、どんな演奏でもいい曲ですから感動します。

でも力演ほど醒めてしまうし、飽きてもしまう。
譜面どおりでは面白くない。
このジュリーニのように指揮者の強い意志でもって聴かせるのも一興だが、案外、こじんまりと、薄めの編成でサラッとやってしまうのもいいかもしれない。
昨年、ネットで聴いた、ティチアーティのスコットランド室内管との退任コンサートでの新世界が、とってもよかった。
まだまだ、いろんな「新世界」の可能性が開かれているのであります。

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平成から令和にかけての連休。

天気はどうも冴えませんが、明るく、わくわく感をともなった、御世代わりをわれわれ日本人は体験できました。

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2019年4月29日 (月)

バックス 交響曲「春の炎」 マーク・エルダー指揮

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春は、初夏の日差しを伴って、一挙に訪れる。

自然の織りなす色彩は、目にも鮮やかでなかには、人の手で変化し生まれた色合いもあるかもしれないが、「色」を作り出した神の差配に感謝です。

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  バックス 交響曲「春の炎」~Spring Fire~

 サー・マーク・エルダー指揮 ハレ管弦楽団

   (2010.3.18 @ブリッジウォーターホール、マンチェスター)

アーノルド・バックス(1883~1953)は、英国音楽好きのわたくしにとって大切な作曲家のひとり。
オペラ以外のジャンルの残された数々の作品、シャンドスレーベルのおかげで、そのほとんどを集めることができました。
生粋のロンドンっ子でありながら、ケルト文化を愛し、イギリス各地を旅して、自らの音楽の作風に反映させていった。

イギリスの作曲家ならではの抒情性と、神秘感あふれるミステリアスな雰囲気、そしてダイナミックな響き、自然の厳しさ、寂しさなども満載のその音楽。
前にも書きましたが、シャープでスモーキーなアイラ・モルトウイスキーを愛でるに等しい、そんなバックスの音楽です。

「春の炎」は、もう11年も前に、このブログで記事にしてますが、そのときの演奏は、ヴァーノン・ハンドリーとロイヤルフィルの演奏のもの。
今回は、英国音楽から、イタリアオペラやワーグナーまで、広範なレパートリーを持つエルダーの指揮によるもので。

7曲ある純粋交響曲の前、1913年のバックスの初期作品のひとつ。
5つの表題のついた楽章からなる、「森」を主人公にした交響詩のようなもの。

1.「夜明け前の森にて」
2.「夜明けと日の出」
3.「一日」
4.「森の国の愛」(ロマンス)
5.「メナド(maenads)」

1.夜明け前、雨が降り注ぐ森。雨の雫を感じさせるような美しく、夢見るような雰囲気。
2.印象派風の曖昧な幻想的な雰囲気から、徐々に音たちが立ち上がってくる日の出の生き生きとした様相。
3.ついにお日様も全開!春、爆発的に来りて、森は陽気な雰囲気に満たされて、あらゆる妖精たちが活動開始。
4.春の森は、愛の森でもある。まさにロマンス、ソロ・ヴァイオリンの甘い音色と、ソフトフォーカスなオーケストラの背景が美しい。
5.ギリシャ神話のディオニュソスを称える女性の取り巻きメナド。神話の中では、狂喜乱舞するという女性たちだが、超自然的な存在の象徴ともとられ、ここではダイナミックなオーケストレーションが駆使され、まるでR・シュトラウス的な眩さがあり、森は眩しくも賑やかな雰囲気につつまれる。

全曲33分、連続して演奏されます。
日本の、緩やかで、ほのぼのとした春とは大違いに、バックスの描いた春は、かくもミステリアスでかつ、ダイナミックなものでありました。

ハレ管のライブ録音である当盤。
ロンドンのオケともちょっと違う、少しばかりローカルな印象も、ケント・ナガノ以来、バリっとした現代的なオーケストラに変貌した。
でも、こうした英国音楽をハレ管で聴くと、いわゆる本場ものという思いを強くする。
音楽への共感の度合いが、指揮者とともに、やはり違うのであろう。
美しくも明るい演奏で、録音の生々しさも手伝って「春」の爆発力を感じます。

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このCDには、あと、ディーリアスの「春への牧歌」「北国のスケッチ」から「春の行進」。
そして、ブリッジの「春の訪れ」が収められてます。

いずれも素敵な曲であり、すてきな演奏です。

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青空も花々も、タワーもまぶしい~

4月最後の、そしてどうやら平成最後のブログ記事となりそうです。

過去記事

「ハンドリー指揮 ロイヤルフィル」

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2019年4月21日 (日)

ワーグナー 「パルジファル」 ブーレーズ指揮

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今日、4月21日は、復活祭。
キリスト教社会においては、降誕祭とともに、最大のお祝いの日。

おりしも、ヨーロッパ諸国では、野山には花咲きほこり、春の到来の喜びと冬への決裂を祝います。

イエスの受難と復活、音楽も数多く、特にこのイースターの時期には、受難曲とパルジファルが演奏されます。

わたくしも、例年、聴きます。

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  ワーグナー 舞台神聖祭典劇「パルジファル」

アンフォルタス:トマス・ステュワート  ティトゥレル:カール・リッダーブッシュ
グルネマンツ:フランツ・クラス     パルジファル:ジェイムズ・キング
クリングゾル:ドナルド・マッキンタイア クンドリー:グィネス・ジョーンズ
聖杯守護の騎士:ヘルミン・エッサー、ベンクト・ルントグレン
小姓:エリザベス・シュヴァルツェンベルク、ジークリンデ・ワーグナー
   ドロテア・ジーベルト、ハインツ・ツェドニック
花の乙女:ハンネローレ・ボーデ、マルガリータ・クリアキ
     インガー・パウシティアン、ドロテア・ジーベルト
     ウェンディ・ファイン、ジークリンデ・ワーグナー
アルト独唱:マルガ・ヘフゲン

   ピエール・ブーレーズ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
                バイロイト祝祭合唱団
        合唱指揮:ウィルヘルム・ピッツ
        
        演出:ヴィーラント・ワーグナー

          (1970.7,8 @バイロイト)

ブーレーズのパルジファルを、ほんとに久しぶりに全曲聴きました。
1970年のライブ録音は、たしか、72年にレコード発売されました。
ちょうど、その頃から、年末のNHKFMを通して、ワーグナーの音楽にはまり始めていた中学生だった。

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レコードで5枚組。
当時のオペラを始めとする組物レコードは、豪華な装丁と分厚い解説書とで、手に取るとズシリとくる重さでした。
お小遣いも少なかった中学生だったので、レコード店で、この「ブーレーズのパルジファル」を憧れをもって眺めるしかなかったのです。
しかし、その翌年73年には、「ベームのリング」と「ベームのトリスタン」を入手して嬉々としておりました。

その「ブーレーズのパルジファル」を手に入れたのはCD時代になってから。
レコード発売から15年後の80年代半ばのことでした。
レコード5枚から、CD3枚に。
手にした感じも軽量だった。
時代の流れを感じつつも、今聴いても、ブーレーズのパルジファルは、鮮烈だし、色あせることない新鮮さを持って感動させてくれる。

ご存じのとおり、ともかく速い。
快調に聴くことができるが、でも、速すぎるという印象はまったくなく、パルジファルの音楽の魅力が、あますことなく、すべて押さえられていて、文句ありません。
それどころか、聖金曜日の音楽における抜群の高揚感は、ほかの演奏ではなかな聴くことができないほどで、大いに感動します。

対極の演奏に思われるクナッパーツブッシュにある神秘感や、滔々たる時間の流れと舞台の事象や、歌手の言葉に即して、刻々と変わる音の色合いのようなものは、ブーレーズの演奏にはありません。

オーケストラピットからは、整然とした響きが濁ることなく、明瞭に聴き取れ、明るいトーンの音色は神秘感よりは、現実的な音楽としての捉え方として再現されます。
これを聴くと、ワーグナーのパルジファルの先には、ドビュッシーがあり、ウェーベルンがあることを理解できます。

1951年からずっと続いた新バイロイト様式による、ヴィーラント・ワーグナーの演出は、53年にクレメンス・クラウスが振ったのを例外として、クナッパーツブッシュが常に指揮をしてきた。
1965年は、秋に亡くなってしまうクナッパーツブッシュが腰を痛めたため、クリュイタンスが指揮。
そして、1966年にブーレーズがパルジファルを初指揮するが、バイロイト当主のヴィーラントがクナッパーツブッシュ後の指揮をブーレーズに
ゆだねたのは、ラテン系の目線をワーグナーの音楽に持ち込むためだった。
その66年の音楽祭が始まるころ、ヴィーラント・ワーグナーはすでに体を壊してミュンヘンの病院にあって、実際の舞台を監督できていなかったわけで、そのヴィーラントは同年の10月に亡くなってしまうのです。

このときの演奏評を、愛読書のピネラピ・テュアリングの「新バイロイト」から引用します。
>バイロイト秘蔵のクナッパーツブッシュによるパルジファルに比べて、これ以上に著しく違っているケースをほかに想像することは難しい。ブーレーズのパルジファルは、敏捷で軽く(伝統的な荘重さに対して)、しかも思わず人を信服させてしまうようなものであった。
・・・・過去の演奏記録に比べて、タイミング(演奏時間)の幅広い変動にはびっくりしてしまうが、しかし、それでもブーレーズは見事な演奏を繰り広げた。ブーレーズといえあば、現代音楽が連想されるけれども、彼はパルジファルに対して真の愛情と感覚を持ち、パルジファルのなかに、ワーグナーの作品のみならず、オペラ作品全体を通じての転機を認めている。彼の演奏の仕方は、パルジファルを現代人の世界の中にしっかり定着させるようなやり方であるが、しかいそうかといって、ワーグナーの伝統主義者たちの感情を害するようなものでもないのである。<
51年以来、クナのパルジファルを聴いてきて、実際に66年の舞台に接した方の言葉として、とても意義あるものに思います。

ブーレーズは、66年から68年までの3年間、ヴィーラント演出のパルジファルを指揮しましたが、そのあとを継いだのが、69年のホルスト・シュタインで、70年には再度登場し、今回のCDの録音が残されました。
ちなみに、71年から73年までの3年間は、オイゲン・ヨッフムが指揮をして、そこでヴィーラント・ワーグナーの演出は終了となりました。

ブーレーズは、2005年と6年に、へんてこな演出ながら再登場してパルジファルを指揮しましたが、驚くべきことにその演奏の印象は70年のものとあまり変化しておらず、むしろ少し丸くなったような印象を受けました。
しかし、後述のとおり、さらにテンポが速くなってました。
演出のせいかもしれません。

60年代後半から70年代を通して活躍した歌手たち。
その前の、ヴァルナイやメードル、ニルソン、ヴィントガッセン、ホッターたちの大歌手の時代の次世代。
いずれも、ブーレーズの指揮にもうまく乗りつつ、伝統の上にあるワーグナー歌手たちの足跡にも応じた名歌唱と思います。
とりわけ、J・キングのパルジファルは素晴らしい。
この傷を癒すのは、のモノローグでの最後の一音、「den Schrein」を一番きれいに伸ばすのは、いろいろなパルジファル役を聴いてきたけど、キングが唯一。
声の威力と気品、そして苦悩ぶりも申し分なし。
フランツ・クラス、ステュワート、マッキンタイア、リッダーブッシュ、男声低音陣たちが、そろいもそろって美声なのもこのブーレーズ盤のユニークなところ。
そんななかで、ちょっと異質なのがジョーンズかも。
賛否あるけど、彼女の声は大好きなわたくしですが、この頃は、声のコントロールがまだ不十分で馬力が露呈してしまうところも見受けられる。でも、長いモノローグはボリュームを抑え気味にして聴くとなかなかに魅力的であった。
花の乙女や端役に、のちに大活躍する方や、かつてのベテランの名を見出すのもこの時代の良さでありましょう。

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バイロイトでの演奏タイム

 トスカニーニ             4時間48分
 クナッパーツブッシュ(1962) 4時間19分
 ブーレース        (1970) 3時間48分
 シュタイン        (1969) 4時間01分
 ヨッフム         (1971) 3時間58分
 シュタイン       (1981) 3時間49分
 レヴァイン       (1985) 4時間38分
 ティーレマン     (2001) 4時間20分
 ブーレーズ      (2005) 3時間35分
 A・フィッシャー    (2007) 4時間05分
 ガッティ         (2008) 4時間24分
 F・ジョルダン     (2009) 4時間14分
 ヘンシェル      (2016) 4時間02分  

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何度聴いても、パルジファルはいい、そしてよくできてる。
神聖性をあえて取り外そうとする昨今の演出があるなか、この作品は耳で聴いてこそ安心できるのである。

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 野辺の花、パルジファルは、これを見て、かつて自分を誘惑しようとした花たちがいたと歌う。

この聖金曜日の場面でクンドリー、洗礼を受け、はらはらと涙する。

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春の花は、色とりどりに美しく鮮やか。

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2019年4月20日 (土)

バッハ ヨハネ受難曲 ヨッフム指揮

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増上寺の鐘撞堂と桜。

2週前の桜ですが、今年は、長く楽しめました。

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   バッハ  ヨハネ受難曲 BWV245

福音史家:エルンスト・ヘフリガー イエス:ヴァルター・ベリー
ソプラノ:アグネス・ギーベル   アルト:マルガ・ヘフゲン
テノール:アレグサンダー・ヤング ペテロ、ピラト:フランツ・クラス

 オイゲン・ヨッフム指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
             オランダ放送合唱団

           (1967.6 @コンセルトヘボウ)

今年の受難節はちょっと遅めで、聖金曜日が4月19日、復活祭が4月21日。

信者ではありませんが、キリスト教は、身近な宗教で、幼稚園の頃からプロテスタント系の教会の着いた園に学び、大学もミッション系だったので、キリスト教系の学問も必須授業だったりした。
そして、それ以上に、クラシック音楽を親しむうえで、音楽と宗教の関係は密接であり、教会を訪問したり、宗教美術をながめたりするときには、必ず、頭の中に音楽が流れる。

そして、ショックだったのは、大切なイースターを迎える矢先に、パリのノートルダム大聖堂が火災にみまわれてしまったこと。
パリの人、いやフランス人の心の支柱でもあった聖堂が炎につつまれるのを、祈りながら、涙とともにみつめる市民の姿を見て、こちらも泣きそうになった。

同じように、日本人からしたら、法隆寺や薬師寺、東大寺、京の神社仏閣など、いや、それどころか身近にある神社のお社がそんな被害にあぅたらどうだろうか。
あらゆる神に祈りを捧げてきた日本人。
わたくしも、そのなかのひとりで、神さまにも、仏さまにも、イエスや神さまにも、同じように祈る、神さまに対して見境のない典型的な日本人であります。

それぞれの宗教の真の信者の方には申し訳ありませんが、日本人にとっての神さまとは、相対的に「心のよりどころ」であり、古来より自然の中にあるすべてのものに、その恵みの感謝の念を抱いて生きてきたがゆえの存在ではないかと思います。
そして、何千年と続く皇統の御代がずっとお側にあることも、日本人の心には常に安寧をもたらすご存在として大きいのだと思う。

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さて、ヨハネ受難曲ですが、福音史家と各ソロが主体の「マタイ」に比して、「ヨハネ」は合唱の比重が高く、その意味では劇的な要素が高く感じます。
それゆえに、聖書のイエスの捕縛から磔刑の一番劇的な福音劇を、叙事的に緊張感を持って鋭く描いたのは「静」のマタイであり、それをダイナミックに劇的に描いたのが「動」のヨハネであると思います。

個々には触れませんが、イエスの「こと果たされし」と最後の言葉を受けて歌うアルトのアリアには泣かされます。
ヴィオラ・ダ・ガンバのソロを伴った切々たるその歌、その哀しみは時空が止まってしまったかのような深みを感じます。

古楽器を伴った奏法に耳が慣れてしまった昨今、かつての従来奏法による、しかも大編成による演奏に接すると、実家に帰ってきたような安心感と、慣れしたんだおふくろの味、みたいな思いにつつまれます。
コンセルトヘボウの暖かな音色とホールトーン、懐かしい歌手たちの正統的な歌唱も、そんな思いに拍車をかけます。
ヨッフムの温和で、全体を包み込むような優しいタッチの音楽づくりは、健全きわまりないバッハ演奏にふさわしく、ドイツ・ヨーロッパのどこにでもある教会できっと演奏されたらかくも、と思わせます。

マタイと並んで、こんなヨッフムのバッハも、やはり自分には大切だし、日常使いとして、これからも聴いていきたい演奏のひとつだと思いました。

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春は、一挙にやってきて、花々を開かせます。

過去記事

「ヘレヴェッヘ盤」

「シュナイト指揮 コーロ・ヌーヴォ演奏会」

「リヒター盤」

「シュナイト指揮 シュナイト・バッハ管弦楽団」

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2019年4月 7日 (日)

モーツァルト レクイエム ハンニガン指揮

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先週の吾妻山。
まだまだ、桜のつぼみは固くて、数輪がほころんでいただけ。
今頃は、きっと5分咲きぐらいかな。

ネットでミュンヘンフィルの演奏会を鑑賞したので、そちらを記事にしてみます。

指揮は、最近、レパートリーを広げつつある、指揮もするソプラノ、バーバラ・ハンニガン。

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  シェーンベルク 「地上の平和」

  ベルク     ヴァイオリン協奏曲
           ~ある少女の思い出に~

       Vn:クリスティアン・テツラフ

  モーツァルト  レクイエム

    S:エリザベス・カラーニ Ms:トゥーリ・デデ
    T:トーマス・エルヴィン Br:エリック・ロセニウス

  バーバラ・ハンニガン指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
               ミュンヘン・フィルハーモニー合唱団

           (2019.3.9 ガスタイク、ミュンヘン)

近現代ものを歌う、特異なソプラノ、いや、それも超ド級のテクニックと涼やかで、超クールな美声の持ち主、というイメージのハンニガン。
「ルル」と「グラン・マカーブル」の印象もものすごく強くて、その迫真の演技もすさまじいし、その身体能力もまったく驚きの彼女。

歌いながら指揮もし、指揮ながら歌う。
そんな指揮者としての彼女の、指揮者としての歌わない演奏会。

プログラミングが素敵すぎる。
シェーンベルクの合唱曲に、得意とするベルクの作品、そして自らは歌わないモーツァルトの彼岸のレクイエム。
レクイエムまたは、永遠といったテーマが貫かれてます。

透明感にあふれたシェーンベルクに、怜悧ななかにも、雄弁さを感じさせるテツラフのソロが素晴らしいベルク。
ベルクにおいては、オーケストラはさほどに個性的ではないけれど、終楽章の美しさと和声の響かせ方はなかなかのもの。

Mpo-2

指揮棒を持たずに、しなやかに指揮をするハンニガン。
動画でも多く見れますが、その指揮姿はかなりまっとうで、拍子を取りつつ、片手はしっかり音楽表現を振り分けていて、指揮者としてのその才覚は、大いに納得できるものです。

演奏時間45分ぐらいで、快速モツレクといっていい。
しかし、単なる無味乾燥なテンポの速さだけではなく、ヴィブラートを極力排した見通しの良さから浮かびあがってくる、磨きあげられた音ひとつひとつの光とその影の陰影の強さ。
かなりの集中力と緊張感の表出、音楽への踏み込みと強さとその意思を感じました。
そして、際立つリズムのよさと、明解さ。
アクセントも効きすぎるくらいに効いて、聴きなれたモツレクが極めて新鮮に聴こえました。

そして、面白いのは、後半のジェスマイヤーの手による部分。
ここでは、思い切りメリハリをつけて、繰り返しのマンネリ化を感じさせないように、一気呵成な感じ。
でもかえって、後半の霊感のなさが浮き彫りにされてしまうことも・・

しかし、素敵な指揮ぶりだな、バーバラさん。

Hannigan

彼女は、今度は、ストラヴィンスキーの「レイクス・プログレス」の集中して取り組んでます。
音楽の選択肢が、これまでの女性指揮者にはなかったものだ。

  ---------------------

女性指揮者の活躍が目立ってきた。

ポストを持って、世界を駆け巡る女性指揮者は、これまで数えるほどしかいなかったが、ここ数年は個性的な指揮者も続々登場し、活躍の場も広がっている。
ベテランのお馴染みの女性指揮者と、ハンニガンをのぞく、活躍中の彼女たちを集めてみました。

①イヴ・クウェラー(米)シュトラウスの「グンドラム」をはじめ、オペラ指揮者として成功
②マリン・オールソップ(米) 南北アメリカにポストを持ち、ロンドンでも大活躍、CD多し、取り上げる作品も有名どころから渋いところまで網羅。
③シモーネ・ヤング(豪) 母国とドイツでオペラ指揮者 リング、ブルックナー全曲を初録音した女性 ハンブルクオペラの音楽監督は画期的。
④スサンナ・マルッキ(フィンランド)オペラにたけ、ヘルンシンキフィルの首席指揮者に
⑤アロンドラ・デ・ラ・パーラ(メキシコ) 母国やアメリカから飛び出し、豪のクィーンズランド響の音楽監督へ
⑥エマニュエル・アイム(仏) クリスティ門下 バロック、古楽の指揮者
⑦アヌ・タリ(フィンランド)パヌラ門下 妹とともに自身でオケを創設
⑧ミルガ・グラジニーテ=ティーラ(リトアニア) ネルソンスのあとのバーミンガム市響の指揮者 DGの専属に 彼女は海外配信で一番多く聴いてる。プログラミングも知的だし、音楽の鮮度は抜群。
⑨カリーナ・カネラキス(米) オランダ放送フィル首席に ここ数年Promsで聴いてきたが、オーソドックななかに光るものが
⑩ソフィ・イェアンニン(スゥエーデン) メゾソプラノで、BBCシンガーズの指揮者 バロックから近現代まで、彼女の今後に注目したい
⑪Xian Zhang シャン・ジャン(中国)ミラノのヴェルディ響、NYPOの副指揮者を経てニュージャージー響の音楽監督
⑫Elim Chan エリム・チャン(香港) ハイティンクに師事 スコテッシュ管の首席客演、今年からアントワープ響の音楽監督
ベアトリーチェ・ヴェネッツィ(伊) ヴェルディ音楽院卒 プッチーニ音楽祭首席客演指揮者 オペラに強し プッチーニCD登場予定
オクサーナ・リニフ(ウクライナ) オペラの叩き上げ、グラーツ歌劇場の音楽監督に
ヨアナ・マルヴィッツ(独)ピアニスト 指揮はハノーファーから出発して、いまやニュルンベルク歌劇場の音楽監督に

日本
松尾葉子、三ツ橋教子、西村智実、田中裕子、斎藤友香理、藤本亜希子

以外と知らない、そして聴いたことが少ない日本人女性指揮者たち。
国内で長く活躍する人に加え、海外で活躍中の指揮者たちも増えてきた。
世界の彼女たちも含め、日本のオケもポストを設けて欲しいとも思います。
そして、われわれ聴き手も変わらなくては。
 
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相模湾と富士、かすかに残った菜の花、で、いまは満開の桜。です。

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2019年4月 6日 (土)

バッハ ブランデンブルク協奏曲第5番 アバド指揮

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満開の桜、あとは散るだけとなりましたこの週末。

桜の名所には驚くほどの外国の方が。

日本人のわれわれと同じように、桜を愛で、写真を撮り、その下で楽しんでいる。

桜の咲く日本が誇らしい。

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そして、今週は、5月1日からの新年号「令和」の発表に日本中が沸いた。

清々しく、涼やかでもあり、また美しい語感も伴った年号だと思います。

なによりも、万葉集を由来とする点も、とても麗しい。

富める者も、そうでないものも、聖も貧も等しく万人の歌を集めた1300年以上前の歌集。

来たる新年号を思いつつ、そして30年の平成の時代、今上天皇の残りのご在位のことなどを考えつつ、爽やかな晴天のもと、桜と東京タワーを愛でつつ逍遥いたしました。

そんな気分に、バッハのブランデンブルク協奏曲、それも第5番が晴れやかでぴったり。
しかも、ちょっとギャランとな雰囲気だし。

Brandenburug_abbado_scala

  バッハ  ブランデンブルク協奏曲第5番 

   クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団

          (1975.5 1976.11 @ミラノ)

   Vl:ジュリアーノ・カルミニョーラ

   Fl:ジャック・ズーン

   Cemb:オッタヴィオ・タシトーン

  クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

         (2007.4.21 レッジオ・エミーリア)

スカラ座の音楽監督だったころに、なぜか録音されたアバドのブランデンブルク協奏曲の全曲。
親しい仲間のようだった、スカラ座の面々との、和気あいあいとも感じ取れる親密なアンサンブル。
この頃、「マクベス」や「シモン」といった深刻なドラマを伴うオペラを日々上演していたコンビの、このバッハの演奏は一種の解放感のような「歌」あふれた雅さを感じ取ることができる。

スカラ座フィルハーモニーを創設し、定期演奏会も充実させたアバド。
スカラ座フィルとも、マーラーを録音して欲しかった。
2012年に奇跡のカンバックを遂げたときの「6番」の録音など、残ってないものかな・・・

Abbado-bach  

スカラ座との録音の32年後、孤高の境地の境地に到達したアバドが、自ら創設したオーケストラ・モーツァルトとブランデンブルク協奏曲をライブにて再録音した。
ソロやメンバーに、ルツェルンの仲間たちを交え、若い奏者とベテランが等しく、アバドのもとに集った、こちらは凝縮された緊密なアンサンブル。
古楽奏法で、奏者も刈り込んで、透明感と弾むようなリズム感あふれる若々しい演奏。
スカラ座とのコンサートスタイルの、いわゆる当時の演奏は、あれがオーソドックなものだった。
試みに、愛聴するシューリヒトや、リヒターの演奏を聴いても、タイムの上でも、だいたい同じスタイル。
押しも押されぬ大家となっても、積極的に演奏の在り方を追い求めたアバド。
ベルリンで取り上げた、マタイやロ短調も、その晩年に指揮をしたかったかもしれません。

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門の向こうに見事な桜🌸

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増上寺の桜🌸

ココログが全面リニューアルして、使い勝手がいまだにわかりにくく、いまいちな週末。

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2019年3月18日 (月)

ベルク ヴァイオリン協奏曲 

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先週の河津桜と東京タワー。

芝公園の一角で、四季折々の花がきれいに整備され、美しく咲きます。

寒暖の差も大きく、その歩みは一進一退なれど、春はそこまで。

年中聴いてますが、とりわけ桜の季節に、そして沈丁花の香りが漂いだすころに聴きたくなるのがベルクの音楽。

何度かしか経験はないが、ベルクのオペラを観劇したあとは、歩く足元もふわつき、どこか割り切れない不条理さにさいなまれ、そして周辺の空気が甘く感じたりして、官能的な思いに浸りながら帰宅した思いが何度かある。

もう、33年前に初めて観た二期会の若杉さん指揮する「ヴォツェック」の帰り、モクレンの香りだったか。
そして、10年前に琵琶湖まで飛んで行った、「ルル」。
その時の帰りは、湖畔を散策しながら、ほてった頬を冷ましながら、怪しいまでに美しい湖面に浮かぶ月を眺めたものだ。

かようにして、わたくしのベルクへの想いは、香りや、光といった五感の一部とともに印象付けられているのだ。

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    ベルク  ヴァイオリン協奏曲

           ~ある天使の思い出に~


        Vn:ギドン・クレーメル

    サー・コリン・デイヴィス指揮 バイエルン放送交響楽団


             (1984.3 ミュンヘン)

初めて買ったベルクのヴァイオリン協奏曲の音源が、クレーメル盤。
外盤で出て即、買った。
何度も、何度も聴いた。
とりわけ、日曜の晩、床に就く前に、グラスを傾けながら聴くと、より切ない感じになってたまらなかった。。

クレーメルの硬質な、ちょっと神経質な音色もいいが、ほんとは、も少し色が欲しいところ。
でも、デイヴィスとバイエルンの暖かな音色はいい。


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              Vn:ヘンリク・シェリング

    ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団


             (1968.5 ミュンヘン)

そして、その次に買ったのが、LP時代の名演、シェリングとクーベリックのもの。
気品ある端正なヴァイオリンに、クーベリックとバイエルンのこれまたマーラー仕込みの柔らかな響き、この融合にヨーロッパの音楽の流れと歴史を感じる。
この1枚は、ほんとうに気に入った。いまでも大好き。

そして、ベルクのヴァイオリン協奏曲を次々に入手、エアチェックも多数。

ちょいと羅列すると、渡辺玲子、パイネマン、ズッカーマン、スピヴァコフ、スターン、ブラッヒャー、ファウスト、アラベラ・シュタインバッハ、ツィンマーマン、テツラフ、ムローヴァ、堀、アモイヤル・・・・まだあるかも。

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        Vn:イザベル・ファウスト

    クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

               (2010.12@マンツォーニ劇場、ボローニャ)


アバドの指揮する3つの音源。
ソリストも、オーケストラも、いずれも違う。
ムローヴァ(ベルリンフィル、エアチェック音源)、ブラッヒャー(マーラー・チェンバー)、ファウスト(オーケストラ・モーツァルト)。
豊饒さと激性、でも豊富な歌いまわしのムローヴァ盤、気脈の通じた、元コンサートマスターとの自在かつ、緻密なブラッヒャー盤、そして、いまのところ、ベルクのヴァイオリン協奏曲で、一番と思っているのが、イザベル・ファウスト盤。
がっつりと音楽の本質に切り込むファウストのヴァイオリンと、モーツァルトを中心に古典系の音楽をピリオドで演奏することで、透明感を高めていったアバドとモーツァルト管の描き出すベルクは、生と死を通じたバッハの世界へと誘ってくれるような演奏に思う。

過去記事より、曲についてのこと。

1935年、オペラ「ルル」の作曲中、ヴァイオリニストのクラスナーから協奏曲作曲の依嘱を受け、そして、その2カ月後のアルマ・マーラーとグロピウスの娘マノンの19歳の死がきっかけで、生まれた協奏曲。

「ある天使の思い出に」と題されたこの曲がベルク自身の白鳥の歌となった。

第1楽章では、ケルンテン地方の民謡「一羽の鳥がすももの木の上でわたしを起こす・・・」が主要なモティーフとなっていて、晩年、といっても40代中年の恋や、若き日々、夏の別荘で働いていた女性との恋なども織り込まれているとされる。

こうしてみると、可愛がっていたマノンの死への想いばかりでなく、明らかに自身の生涯への決裂と追憶の想いが、この協奏曲にあったとされる。

その二重写しのレクイエムとしてのベルクのヴァイオリン協奏曲の甘味さと、バッハへの回帰と傾倒を示した終末浄化思想は、この曲の魅力をまるで、オペラのような雄弁さでもって伝えてやまないものと思う。

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     バッハ     カンタータ第60番「おお、永遠、そは雷のことば」

        A:ヘルタ・テッパー
        T:エルンスト・ヘフリガー
        Bs:キート・エンゲン

     カール・リヒター指揮 ミュンヘン・バッハ管弦楽団
                   ミュンヘン・バッハ合唱団

                  (1964 ミュンヘン)


ベルクが、引用したバッハのカンタータ。
1723年の作曲で、イエスの行った奇跡を著した福音書をもとに、「恐怖と希望の対話」をえがいたもの。(解説書より)

死に怯える「恐怖」と、一方で、奇跡が起こる強い信仰を持つ「希望」との対話。
やがて、お互いが寄り添い、希望の喜びを歌う。

このカンタータの最後におかれたコラールが、ベルクがその旋律を引用したもの。
ここに聴くバッハの原曲も、憧れとどこか、終末観を感じさせるもので、リヒターのアナログ的な演奏も懐かしく、甘いものがある。
信仰とは、ときに、甘味なるものなのだ。

 「足れり、主よ、み旨にかなわば、割れを解き放ちたまえ!
  わがイエス来たりたもう。いざさらば、おお、世よ!

  われは天なる家に往くなり。われは平安をもて確かに往くなり。
  わが大いなる苦しみは地に葬られる。 足れり」  (訳:杉山 好)

ふたつの作品を聴きつつ過ごした日曜。

朝晩はまだ寒いが、日中は、暖かさに、鼻腔をくすぐる芳香を感じる。

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2019年3月10日 (日)

アンドレ・プレヴィンを偲んで ②

Shirogane

サー・アンドレ・プレヴィン(1929~2019)を偲んで。

ベルリンで、ユダヤ系の両親の元に生まれたが、音楽の素養は、弁護士で会った父親譲りのもので、5歳からピアノを学びはじめたことによる。
ナチス台頭で、パリに逃れ、そこから家族でアメリカへ。
そして作曲家の伯父のいるカリフォルニアのビヴァリーヒルズに住み、そこでピアノと作曲をさらに学び、学業がてらMGM映画の音楽の仕事も始め、19歳で映画音楽も担当するなど、めきめきと才能を開花させていった。。。

1948年頃、ハリウッドで活躍を始めたプレヴィンだが、ちょうどその頃は、コルンゴルトが映画音楽から、再度、本格クラシックの作曲に戻り、ウィーンで再起しようとしたものの、すでに時代に取り残されたことを悟り、ふたたび、ハリウッドに戻らんとしていたころ。

プレヴィンとコルンゴルト、このふたりの接点をこうして思うのもまた楽しいものです。

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   コルンゴルト  交響曲 嬰ヘ長調 
    
 J・ウィリアムズにも通じるコルンゴルトの本格シンフォニー。
プレヴィンは、ゴージャスでありながら、重厚かつしなやかな響きをLSOから引き出してます。

    -----------------

さて、プレヴィンの初期のころの話、ジャズピアニストとして、一気にブレイク。
さらにモントゥーに師事して、1962年セントルイス響で指揮デビュー。
指揮者としてのレコーディングも同時に開始、指揮者、ピアニスト、ジャズピアニスト、作曲家としてのマルチな音楽家、アンドレ・プレヴィンの本格的なキャリアがスタートします。

アメリカばかりでなく、英国を中心にヨーロッパでの活動も盛んになり、ロイヤルフィルとロンドン交響楽団との録音もRCAレーベルに始まります。
1967年には、ヒューストン交響楽団の音楽監督に就任。
さらに、ケルテスの後任として、1968年、ロンドン響から、首席指揮者としての就任を乞われるます。
アメリカとイギリス、ふたつのオーケストラでの活動が始まったものの、妻がありながら、女優のミア・ファーローと同居していたことが保守的なヒューストンでゴシップとなり、プレヴィンはヒューストン響を3年で辞任することになり、この先、長年の蜜月となるロンドン響に専念することとなるわけです。

1968~79年に首席指揮者を務め、その後、85年にロイヤルフィルの音楽監督になったこともあり、ロンドン響とは、ちょっと疎遠になるものの、後に桂冠指揮者、そして最後には、名誉指揮者となりました。

ロンドン交響楽団とは、ほんとに多くの録音が残されてます。
首席指揮者時代は、EMIに、名誉指揮者時代はDGに。

ロンドン響との録音で、このコンビの多様な魅力が味わえる2つ音源。

Previn_musicnight Previn_music_nighat2

プレヴィンは、バーンスタインのように、語りも巧みで、BBCで、一般向けのクラシック番組解説付きで放映し、それが大ブレイクして、そのカジュアルな雰囲気も相まって、大人気となりました。

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その番組「ミュージック・ナイト」で取り上げた曲を集めた2枚。

自作の番組テーマ曲、ウォルトンの「戴冠式行進曲」、「魔法使いの弟子」、アルビノーニのアダージョ、「ヘンゼルとグレーテル」序曲、ラ・ヴァルス、スラヴ舞曲、「ルスランとリュドミラ」序曲、バーバー「弦楽のためのアダージョ」、ファリャ「三角帽子」、ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」、バターワース「青柳の堤」、J・シュトラウス「皇帝円舞曲」

このあと、何度かの再録音もある、プレヴィンのレパートリーの根幹がここにあります。
いずれも爽やかに、親しみやすく、音楽を聴かせてくれます。
今回は、ことさらに、バーバーのアダージョと、バターワースの作品が、とても心に沁みました・・・・

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ロンドン響との、大きな功績のひとつは、ラフマニノフと並んで、ヴォーン・ウィリアムズの交響曲全集を手掛けたこと。

レコード時代に、ことさらにパノラマティックな作品の「海」と「南極」を入手し、ボールとのレコードとともに擦り切れるくらいに聴いた。

こういう大きな作品をわかりやすく聴かせることにかけても。プレヴィンは名人だった。
CD化され、ほかの番号も、さらに、ロイヤルフィルとの再録もすべて聴いたが、さまざまな作風のV・ウィリアムズの多彩さと抒情性を、これまたよく描いていて、RVW作品の自分にとっての、ひとつの道標ともなりました。

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プレヴィンは、ロシア系の音楽も広範に取り上げ、大いに得意にしてました。

ロンドン響とは、チャイコフスキーの3大バレエを録音し、そのビューティフルな演奏に虜となりました。
またプロコフィエフは、交響曲とバレエ音楽を幾度も録音。
切れ味のよさと、憂愁とを巧みに表出。
そして、ショスタコーヴィチも多く取り上げ、残した番号は、4、5、6、8、10、13番。
プレヴィンの持つ音楽性は、案外、低域を重たく表現することが多く、ショスタコの暗い響きをよくつかんでいました。

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プレヴィンとロンドン響との英国音楽もたくさん。
もちろん、ロイヤルフィルともありますが。
そのRPOとともに、エルガーの主要な管弦楽作品を残してくれました。
1番よりも、ノーブルさと憂愁さのまさる2番の方が、プレヴィンには合ってました。
N響では、取り上げてくれませんでしたが、コンセルトヘボウとのライブもFMで聴きました。
ホルストの「惑星」も、「エグドン・ヒース」も忘れ難いですが、親交のあったブリテンの「春の交響曲」が曲の内容とともに、そして爆発的な春の訪れを描くプレヴィンの指揮が素晴らしい1枚です。

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ロンドン響とは、オケのフレキシビリティも加わって、協奏曲の録音も数多いです。
合わせものが、とてもうまかったプレヴィン。
協調性と優しさ、ソリストを立てる巧さにおいて、みんなが共演を望んだ指揮者がプレヴィンです。
オーマンディ、マリナー、ハイティンク、アバドなども、みんな協奏曲の達人だと思います。
ルプとの、シューマン・グリーグ、アシュケナージとのラフマニノフにプロコフィエフなどが、その代表格でしょう。

     -------------------

Previn_pso

1976~84年には、ロンドン響と一次兼任で、ピッツバーグ交響楽団の音楽監督となります。

ピッツバーグは、ケチャップのハインツがオーケストラを支える資本のメインで、そのメインホールもハインツホールと言うくらい。
プレヴィンは企業の資本家筋とも実にうまくやって、さらに、レコーディングの檜舞台から遠ざかっていたオーケストラを、メジャーレーベルに復活させました。
ピッツバーグ時代のわたくしの思う代表作ふたつ。

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ロンドン響とのガーシュインが、実にナイスなんですが、あえてピッツバーグで。
ちょっと重心が低い感もありますが、フィリップスの見事な録音もあいまって、歌い心地満点のジャジーなガーシュイン
発売当時、ニッサンのブルーバードのCMに使われてました。
やりそうでやらなかったチャイコフスキーの後期交響曲を、ようやくピッツバーグで録音。
あせらず騒がず、堂々たるチャイコフスキーでした。

    ---------------------

ピッツバーグのあとは、ロンドンに戻り、ロイヤル・フィルハーモニー(RPO)の音楽監督に迎えいれられます。

ロンドンの5大オケのなかでは、やや低迷していたRPOを、これまたメジャーレーベルに再び登場させたのです。
EMI,フィリップス、テラークという幅広いレーベルに、かつてLSOと入れたレパートリーを再録音。
でも、LSOの旧録音の方が、よかったりもした部分もありました。
しかし、本格的なドイツ音楽を録音し始めたのもRPO時代であります。

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ブラームスの交響曲は、3番と4番しか指揮しなかった(はず)。
N響でも素晴らしかったけれど、このRPO盤は、意外なほどに渋く、かっちりとまとまっており、しなやかなロマンティシズムを感じさせます。
好きな4番のひとつです。
 そして、全曲は完成しなかったが、ベートーヴェンの交響曲をRPOで残しました。
こちらも至極オーソドックスで、クリアーな、もやもや感ゼロのベートーヴェン。
RPOの無色透明なサウンドがお似合いで、深みはないが、曲の良さし感じさせない演奏。
アックスとピアノ協奏曲全集を入れているので、交響曲の再発とともに、望んでおきたい。

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ロイヤルフィルと兼ねるように、再びアメリカへ。

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ロサンゼルス・フィルハーモニックには、1986~89年に音楽監督として、ジュリーニがヨーロッパへ帰ったあとの空席を救います。
ロス時代の録音は、フィリップスとテラークへ。

Dvorak_sym8_previn Prokofiev_sym6_previn

テラークへのドヴォルザークの後期3大交響曲。
一番得意にしていた、8番。
ジャケットとともに、懐かしさと人なっこさを感じさせるハートウォームな佳演。
ちょっと乾き気味の録音のせいもあるけれど、カラッとしたロスフィルのカリフォルニアサウンドが実によろしい。
 同様に、明るめなプロコフィエフも機能性高いロスフィルあってのもので、ばっちり決まってる。5番よりも、6番の方がいい。
あと、アレクサンドルネフスキーもLSO以来、LAPOで再録しました。

アメリカのオーケストラとは、シカゴとフィラデルフィアでも録音を行いました。
終焉の地もアメリカでした。
ロスフィルを卒業しましたが、プレヴィンは、アメリカではバーンスタインに次ぐ、自国の巨星となったのでした。

プレヴィン最後の指揮者としてのポストは、オスロ・フィルハーモニーで、2002~06年。
ヤンソンスの後を継いだ訳ですが、さしたる録音は残しませんでした。
FMで放送された、ラフマニノフの2番を録音しましたが、相変わらずのプレヴィンらしい、聴かでどころのツボを押さえた見事な演奏でした。
ほかの録音も、今後、どこからか出てこないものでしょうか。

   -------------------

プレヴィンは、ウィーンフィルとも相思相愛の仲でした。
ウィーンフィルとは、ザルツブルク音楽祭の来演のかたちで、一度来日し、モーツァルトだけの演奏会を行いましたが、これは聴きもらしました。
でも、この時行われた、キュッヘルを中心とするウィーンフィル四重奏団と、2曲のピアノ四重奏曲を演奏しました。
これを聴くことができましたが、それこそ至福のひととき。
ホール中が、まろやかなウィーンのモーツァルトの響きに包まれてしまいました。
CDでも、彼らの演奏は、とても大好きで、大切に聴いてます。

グローバル化しつつあったウィーンフィルの本来の響きや音色を、無理なく自然に引き出すことができたのが、プレヴィンだったのです。

Previn_pfcon24_2 Previn_rstrauss_opera

プレヴィンの軽やかなピアノも、ウィーンフィルのまろやかな響きも、ともに楽しめるのが、モーツァルトのピアノ協奏曲の17番と24番。
EMIにボールトの指揮でも、録音しておりましたが、ここでは、フィリップスの素晴らしい録音もあいまって、ほんとに素敵な、ステキすぎるモーツァルトが、一杯つまってます。
 そして、R・シュトラウス!
オーケストラ作品と協奏曲を、ほぼこのコンビで録音してくれました。
主だった作品はテラークレーベルに入れましたが、とりわけ、「アルプス交響曲」と「ドン・キホーテ」や「死と変容」、さらにフィリップスへの「メタモルフォーゼン」、DGへの「家庭交響曲」は素晴らしいと思います。
 でも、ここでは、オペラからの管弦楽作品を集めた珠玉の1枚を。
芳醇な「ばらの騎士」にうっとりとしてしまいますが、「インテルメッツォ」の軽やかさと、舞曲の心躍る楽しさ、そして、枯淡のような「カプリッチョ」、月光の音楽のしたたるような美音。
プレヴィンの音盤のなかで、シュトラウスのオペラ好きとしても、一番好きな1枚かもしれません。

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オペラといえば、プレヴィンの指揮したオペラ作品は、ラヴェルの2作と、「こうもり」ぐらいしかないかもしれません。
イタリアオペラやワーグナーとも無縁。
R・シュトラウスのオペラを録音するような話もたしかありましたが、実現はしませんでした。
 むしろ、オペラは自ら作曲をする方でありました。
「欲望という名の電車」は、映像で一度観たのみで、詳細はあまり覚えておらず、語れません。
いつか音源も入手したいところです。
自作では、「ハニー・アンド・ルー」がCDも実演も、両方聴いてますので、好きな作品です。

ジャズの分野は、またいずれ、日を改めたいと思いますが、あんまり聴いてません。

   -------------------

さて、われわれ日本人にとってうれしかったのは。NHK交響楽団の首席客演指揮者となっていただいたこと。
もしかしたら、後期のことゆえ、賞味期限切れとも思われたりもしました。
元来、首が悪く、猫背の症状もさらに悪化していた2007年以降、常に来日して、プレヴィンの元来のレパートリーを数々、披露していただきました。

ここぞとばかり、その、ほぼすべての演目を貪るように聴きました。
お得意の、弾き語りのモーツァルト、ラフマニノフの2番や、ショスタコ、プロコフィエフのいずれも5番、ブラームスに、R・シュトラウス・・・、ともかく、プレヴィンの、これまでの集大成ともいえる音楽を、N響にて聴くことができたのです。

Previn_nhkso

老いて、背中も曲がり、かつての、スマートで、しゃきーーんとしたプレヴィンとは大違いの、好々爺的な指揮姿でしたが、N響から引き出す、その音楽は、まさにプレヴィンの音楽そのものでした。

プレヴィンの音楽を、ずっと聴いてきて、最終的に、老いたりとはいえ、日本のN響で、最後の輝きを残してくれたことに感謝したいと思います。


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  3月10日の、芝公園の梅

あとね、この3CD。
コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲。

この作品に、3つの録音を残したのも、プレヴィンならではで、ほかにはいません。

ソロに合わせつつ、コルンゴルトのほろ苦い、甘味な世界を描きつくしている、プレヴィンの指揮でした。

Korngold_perlman Mutter_tchaiko_korngoldShaham_barber_korngold

オケごとに、プレヴィンの音楽を振り返りたいとも思いましたが、更新も遅れがち、書けるときに一気に書きました。
長文失礼しました。

サー・アンドレ・プレヴィンの魂が永遠でありますことを♰

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