2024年12月 1日 (日)

プッチーニ 「トスカ」 レッシーニョ指揮

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 昨年にオープンの港区の麻布台ヒルズ。

近くの役所まで行く用事があり寄ってみましたが、クリスマスイルミネーションはこの日の翌日からで、スタッフが慌ただしく準備中のところを拝見しました。
都会から離れてしまったので、早々に行けないけれど、夜はさぞかし奇麗だろうなぁ。

さて、2024年11月29日は、プッチーニの没後100年の命日にあたりました。

1858年12月22日生まれ、1924年11月29日没。

いうまでもなく、最後のオペラ「トゥーランドット」を完成することなく、咽頭がんの手術も功を奏さず亡くなったのが100年前。
ちなみに、ワタクシは、プッチーニの100年後に生まれてます。

中学生のとき、NHKがプッチーニのテレビドラマを放送して、わたしは毎回楽しみにして観たものです。
かなりリアルにそっくりで、吹き替えの声は高島忠夫だった。
中学生ながらに思ったのは、プッチーニがずいぶんと恋多き人物で、ハラハラしたし、またあらゆるものへのこだわりが強く、妥協を許さず、ちょっとワガママに過ぎる人だな、、、なんてことでした。
トゥーランドットのトスカニーニによる初演もリアルに再現され、リューの死の後、悲しみにつつまれるなか、トスカニーニが聴衆に向かって、「先生が書かれたのはここまででした・・」と語る場面で泣きそうになってしまった。

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  プッチーニ 「トスカ」

   トスカ:ミレッラ・フレーニ
   カヴァラドッシ:ルチアーノ・パヴァロッティ
   スカルピア:シェリル・ミルンズ
   アンジェロッティ:リチャード・ヴァン・アラン
   堂守:イタロ・ターヨ
   スポレッタ:ミシェル・シェネシャル
   シャローネ:ポール・ハドソン
   看守:ジョン・トムリンソン
   羊飼い:ワルター・バラッティ

  ニコラ・レッシーニョ指揮ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団
              ロンドン・オペラ・コーラス
              ワンズワース少年合唱団

      (1978.6  @キングスウェイホール、アルバートホール)

これまで「トスカ」を記事にしたことが限りなく多く、最後にリスト化してますが、没後100年にも、やはりこのオペラを選びました。
プッチーニのオペラ、基本、ぜんぶが好きなのですが、いまは「ラ・ロンディーヌ」が一番好き。
でも、初めてのプッチーニは、「ボエーム」や「蝶々さん」よりは「トスカ」だった。

何度も書いてて恐縮ですが、1973年のNHKホールのこけら落としに招聘された第7次イタリアオペラ団の演目のひとつが「トスカ」。
「アイーダ」「トラヴィアータ」「ファウスト」と併せて4演目、中学生だった自分、すべてはテレビ観劇でした。
ライナ・カヴァイヴァンスカ、フラビアーノ・ラボー、ジャン・ピエロ・マストロヤンニの3人で、指揮は老練のファヴリティース。
演出は伝統的なブルーノ・ノフリで、その具象的な装置や当たり前にト書き通りの演技、初めて見るトスカとしては理想的でしたし、なんといっても赤いドレスの美人のカヴァイヴァンスカの素晴らしい演技に、子供ながらに感激しましたね。

以来、トスカは大好きなオペラとして数多くの音源や映像を鑑賞してきましたが、そんななかでも、いちばん耳に優しく、殺人事件っぽくない演奏がレッシーニョ盤。
久しぶりに聴いても、その印象です。

デッカにボエーム、蝶々夫人とカラヤンの指揮で録音してきたフレーニとパヴァロッティのコンビ。
数年遅れて、デッカが録音したが、指揮はカラヤンでなく、生粋のイタリアオペラのベテラン指揮者レッシーニョとなった。
当時、わたくしはちょっとがっかりしたものです。
この録音は78年で、カラヤンは翌79年に、DGにベルリン・フィルと録音。
ザルツブルクがらみでなく、フィルハーモニーでのスタジオ録音で、こちらはリッチャレッリとカレーラスを前提とした商業録音だったので、レーベルの関係なのか、カラヤンの歌手の人選にこだわったのか、よくわかりません。

しかし、じっくりと聴いてみて、この歌手たちであれば、カラヤンでなくてよかったと、いまも思います。
カラヤンならリリックなふたりの主役を巧みにコントロールして、見事なトスカを作り上げるとは思いますが、カラヤンのイタリアオペラに感じる嵩がかかったようなゴージャスなサウンドは、ときにやりすぎ感を感じることもある。
マリア・カラスが好んだレッシーニョ。
イタリア系のアメリカ人ではありますが、アメリカオペラ界の立役者で、全米各地にオペラ上演の根をはったことでもアメリカでは偉大なオペラ指揮者と評されてます。
もちろんカラスとの共演や録音が多かったのが、その名を残すきっかけではありますが、それのみが偉大な功績となってしまった感があります。

歌を大事にした、オーケストラが突出しない流麗な「トスカ」。
このようなオペラ演奏は、最近あまりないものだから、ある意味新鮮だった。
3人の主役たちのソロに聴くオーケストラが、いかに歌を引き立て、歌詞に反応しているか、とても興味深く聴いた。
一方で、プッチーニの斬新なサウンドや、ドラマテックな劇性がやや後退して聴こえるのも確かで、ここではもっと、がーーっと鳴らして欲しいという場面もありました。
当時、各レーベルで引っ張りだこだったロンドンの腕っこきオーケストラ、ナショナルフィルは実にうまいものです。

フレーニとパヴァロッティ、ふたりの幼馴染のトスカとカヴァラドッシにやはりまったく同質の歌と表現を感じます。
嫉妬と怒り、深い愛情と信仰心で、トスカのイメージは出来上がっていますが、フレーニのトスカはそんなある意味、烈女的な熱烈な存在でなく、もっと身近で、優しく、ひたむきな愛を貫く女性を歌いこんでいる。
1幕で、マリオと呼びながらの登場も可愛いし、教会の中で嫉妬に狂う場面もおっかなくない。
「恋に生き歌に生き」は、心に響く清らかな名唱です。
ラストの自死の場も無理せず、フレーニらしい儚い最後を感じさせてくれた。

ヒロイックでないパヴァロッティのカヴァラドッシも、丁寧な歌い口で、あの豊穣極まりない声を楽しむことができる。
この頃はまだ声の若々しさを保っていて、テノールを楽しむ気分の爽快さも味わえました。

わたしには、スカルピアといえば、ゴッピだけれど、それ以外はミルンズであります。
役柄にあったミルンズの声は、ここではときに壮麗にすぎて、厳しさや悪玉感が不足しますが、やはりテ・デウムにおけるその歌唱には痺れますな!

当時、超大ベテランだった、イタロ・ターヨの妙に生真面目な堂守や、脇役の定番シエネシャルも味わい深く、のちに大成するトムリンソンがちょい役で出てるのも楽しいものだ。

アナログ最盛期のデッカ録音、プロデューサーは、ジェイムス・マリンソン。
エンジニアリングにケンス・ウィルキンソンとコリン・ムアフットの名前があり、この頃のデッカならではの優秀録音が楽しめました。
キングスウェイホールとヘンリ・ウッドホール、響きのパーシペクティブや音の芯の強さではキングスウェイホールが、ほかのレーベルの録音でも好きなんですが、おそらく1幕はキングスウェイホール。

この時期のレコード業界はまさに黄金期でした。

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 「トスカ」過去記事

「マゼール指揮 ローマ聖チェチーリア」

「シュタイン指揮 ベルリン国立歌劇場」

「シャスラン指揮 新国立劇場」

「カリニャーニ指揮 チューリヒ歌劇場」映像

「T・トーマス指揮 ハンガリー国立響」

「コリン・デイヴィス指揮 コヴェントガーデン」

「マゼール指揮 ローマ聖チェチーリア」独語ハイライト

「テ・デウム特集」

「メータ指揮 ニュー・フィルハーモニア」

「没後100年」

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カヴァイヴァンスカのトスカ(1973年 NHKホール)

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2024年11月28日 (木)

ヴァイル 交響曲と7つの大罪 マルヴィッツ指揮

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横浜のランドマークタワーのツリー。

今年の横浜は、ベイスターズ日本シリーズ優勝もあり、ブルー系のカラーで包まれてます。

半世紀あまりにおよぶ横浜大洋DeNAホエールズベイスターズのファンであるワタクシ。
前回のリーグ優勝は甲子園で立ち会えたし、そのときの日本シリーズも球場には入れなかったものの、近くで応援。
もう若くもないので、今回は冷静にテレビ観戦で、じんわりくる喜びをかみしめました。

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横浜はあかぬけた都会だけれども、東京とはまったく違う、ちょっとローカル感もある都会。

あか抜けた都会に憧れ田舎から出てきた娘の物語・・・クルト・ヴァイルの「7つの大罪」を真ん中に据えた見事なアルバムを聴きました。

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 クルト・ヴァイル (1900~1950)

  交響曲第1番「ベルリン交響曲」(1921)

  バレエ「7つの大罪」(1933)

  交響曲第2番 「交響的幻想曲」(1933)

  ヨアナ・マルヴィッツ指揮
         ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団 


   アナ1とアナ2:カタリーネ・メールリンク
   家族:マイケル・ポーター、ジーモン・ボーデ
      ミヒャエル・ナグル、オリフェール・ツヴァルク

            (2024.1.3~5、2.5~7 @コンツェルトハウス、ベルリン)

ヨアナ・マルヴィッツのDGへの本格録音の第1弾。
マルヴィッツは、私が以前より注目していた指揮者でして、幣ブログでも2度ほど記事を起こしてます。
ヴァイオリンとピアノを学び、ピアニストとしてスタートしたあとは、オペラハウスで指揮者として各地の劇場で活躍。
ニュルンベルク州立劇場の音楽総監督を2018年から6年間つとめ、そこでオペラ・コンサートのレパートリーを拡充し、オーケストラも躍進した。
そしてエッシェンバッハのあとを受けて、ベルリン・コンツェルトハウス管の芸術監督に2023年に就任してDGとも契約。
バイロイトへの登場も必ずあるし、欧米各地のオーケストラに客演中のなか、手兵と日本にも1~2年内にはやってくると思います。
その際には、お願いだから名曲路線や人気日本人ソロとの共演でなく、本格的なプログラムでやってきて欲しい!
これ、ほんと切実に思う、昨今の外来オケの演目は悲しすぎるから・・・・

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ご多分に漏れず、ユダヤ系であった戦中を生きたドイツ人作曲家、クルト・ヴァイルは多難な50年の短い生涯だった。
ブレヒトとの「三文オペラ」(過去記事あり)ばかりが有名なヴァイルだけれど、それ以外の本格作品はあまり聴いたことがなかった。
印象として、晦渋な雰囲気を常に持っていて、プフィッツナー、ブゾーニ、ヒンデミット、アイスラーなどとともに、どうも苦手意識を持ってました。
そんな思いを一掃、というわけにはいかないけれど、交響曲とアイロニーに満ちた声楽付きバレエを聴いて、ヴァイルという作曲家の時代ごとの変遷や、オーケストラ作品としての面白さなども実感できました。

20歳の交響曲第1番、ブゾーニの弟子であった頃で、同じころには弦楽四重奏やピアノ作品なども書いている時期。
マーラーやシュトラウス、無調の影響、さらにはシェーンベルクやシュレーカーなどを思わせる雰囲気があり、現代人の耳みは案外と聴きやすいし、あとベルクの退廃と甘味の響きも感じた。
単一楽章ではあるが、このCDでは4つのトラックに分割されていて、交響曲の体を立派になしていることもわかる。
不協和音も心地よく感じられ、とっつきの悪さよりは、辛辣さが交響曲の形式をまとった結果がそうなったのだと思われた。
マルヴィッツによると、この楽譜はイタリアの修道院に保管され、道女たちがそれを隠し、ユダヤ人の手によるものとわからないように最初のページは切り取られていたそうだ。
生前は演奏されず、初演は1957年に、N響でお馴染みのシュヒターの指揮だった。
表現主義詩人のロベルト・ベッヒャーの劇と関連付けられているとされるが、ヴァイルはそのことに関してスコアや文章になにも残していないとされる。
私は2番よりも1番の方に魅力を感じ、曲の最後に平和なムードが一瞬でも訪れる場面が気にいった。
ヴァイルは、本格作品を書くかたわら、困窮から作曲や音楽学を教え、その門下には、クラウディオ・アラウやアブラヴァネルがいることも、歴史のひとコマとして興味深いです。

やがてヴァイルは1幕もののオペラなど、劇作品も書くようになり、ロッテ・レーニャにも出会う。
ブレヒトと共同で、乞食オペラの改作「三文オペラ」を書いたのが1928年。
人気のあがったヴァイルは、ナチスに目を付けられ、ドイツでの活動に不自由さを感じパリへ向かった。
パリで合流したブレヒトと、裕福な英国人から委嘱を受け、歌うバレエ「7つの大罪」を作り上げたのが1933年で、同年にシャンゼリゼ劇場で初演。そのときの指揮者がモーリス・アブラヴァネルで、ソプラノも妻となったロッテ・レーニャ。

7つの都市を1年間づつ滞在し、遍歴する女性の物語で、アナというこの女性は分身のようなふたつの性格を持ち、「『罪人』に内在する相反する感情を伝えるために、ブレヒトはアンナの性格を、実用感覚と良心を持つ冷笑的な興行主のアンナ1世と、感情的で衝動的で芸術的な美しさを持ち、非常に人間的な心を持つ売れっ子のアンナ2世に分割した」。
姉妹は、ミシシッピ州のルイジアナから出て、幸運を求めて大都会を遍歴、メンフィス、ロス、フィラデルフィア、ボストン、テネシー、ボルティモア、サンフランシスコと続き、それぞれが「怠惰、高慢、激怒、飽食、姦淫、貪欲、嫉妬 」という人間の持つ闇ということで象徴。
男声はそれを見守り、揶揄する家族の役柄となっている。
最後はミシシッピ川の流れるルイジアナに帰る姉妹は、7年の月日を回顧して、小さな家に帰ってきたと神妙に曲を閉じる。

32分ほどのリズム感あふれる曲だが、とても聴きやすく、三文オペラを聴いた耳にはまったく問題なく楽しめる。
本格シンフォニーである①とはまったくの別世界で、軽妙さとジャズのイディオム、さらにはメロディアスなドイツの声楽作品なの延長的な存在が極めて皮相なこの題材を多彩に描いている。
結構楽しめましたね。
バレエ最新の上演映像のトレーラーをネットで観たりもしましたが、内容が内容だけに、けっこう🔞的に描かれてましたよ。

ベルリンを去る直前に書き始めた交響曲第2番は、パリの社交界の著名人から依頼を受けたもので、1934年にパリで完成。
ヴァイルの最後の純粋クラシカル作品で、こちらはうって変わって3楽章形式の新古典主義的な明快な音楽。
初演はコンセルトヘボウでワルターの指揮で、ワルターはこの作品がいたく気にいり、ニューヨークやウィーンでも指揮した。
ワルターは、この交響曲に名前をつけるように提言、フランスでは「幻想」とも呼ばれたらしい。
コンサートでの演奏機会も多く、音源も2番は多くあり、事実ワタシのヤンソンスのものを持っていた(でもすっかり忘却してる)
シンプルな2管編成で、リズミカルでかつメロディも明確、無窮動的な終楽章も面白く盛り上がるし、全体に1番よりもずっと聴きやすい。
金管や管楽器のソロもみんな楽しいし、オーケストラとしては演奏しがいがある作品なんだろう。
CDを持っていたことを忘れてしまう、演奏会で聴いても、もしかしたら忘れてしまう、そんな印象がヴァイルの2番なのかもしれない。
第1交響曲が、当時のドイツの伝統の流れを汲むものだったのに対し、ドイツを出て遍歴の経験を経たあとの第2交響曲は、これで本格クラシカル作品が終わってしまったけれど、世界を観たヴァイルの心情の吐露なのかもしれない。

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マルヴィッツのヴァイルに対する思いと熱意を感じる1枚。
CDリブレットでも、彼女はその思いを語ってます。
ニュルンベルク劇場時代、ピアノを弾きながら、曲目解説をよくやっていて、いくつか見たことがありますが、彼女は学究肌でもあり、その探求心と分析力な並外れた才能だと思います。
劇場で培った全体を見通し、構成を大切に、オケや舞台を統率してゆく指揮者としての能力の並外れている。
ベルリン・コンツェルトハウスの高性能ぶりも、優秀録音でよくわかりました。

次のDGへの録音が待ち遠しいです。

ちなみに、ここ数年で各放送局から録音したマルヴィッツの指揮した音源を列挙しておきます。
モーツァルト「リンツ」、ヴァイオリン協奏曲、「フィガロの結婚」「コジ・ファン・トウッテ」
ベートーヴェン 7番、シューベルト 9番 、マーラー 1番
ワーグナー 「ローエングリン」
コダーイ ハーリ・ヤーノシュ、ガランタ舞曲
チャイコフスキー ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、ロココ
ラフマニノフ ピアノ協奏曲3番
シュトラウス ティル、「影のない女」
プロコフィエフ 古典交響曲
ベルク ルル交響曲
ブリテン 戦争レクイエム
あと夏の野外コンサートでは、ガーシュイン、バーンスタイン、新世界など
逃した録音としては、プロコフィエフ「戦争と平和」もあります。
どうでしょう、多彩でしょう。

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もう女性指揮者とか、「女性」をつける必要性のない、あたりまえの時代になりました。
マルヴィッツさん、次のバイエルン国立歌劇場の指揮者になると予感します。
来年はベルリン・フィルにもデビューです。

 ヨアナ・マルヴィッツ 過去記事

「ローエングリン」 2019.5.25

「戦争レクイエム」 2021.8.14

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2024年11月23日 (土)

ヴェルディ レクイエム 神奈川フィル400回定期 沼尻竜典 指揮

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色づく秋のみなとみらい。

神奈川フィルハーモニーの記念すべき第400回定期公演に行ってまいりました。

久々の土曜の横浜は、かつて始終通っていた頃と、その人の多さと整然と開発が進む都市計画の進行とに驚きました。

ともかく忙しく、せっかく感銘を受けたコンサートですが、blog起こしがなかなかできず、1週間が経過してしまった。

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  神奈川フィルハーモニー 第400回記念公演  

       ヴェルディ レクイエム

      S:田崎 尚美   Ms:中島 郁子
        T:宮里 直樹   Bs:平野 和

  沼尻 竜典 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
         神奈川ハーモニック・クワイア
         クワイアマスター:岸本 大
    ゲスト・コンサートマスター:東 亮汰

       (2024.11.16 @みなとみらいホール)

300回記念公演は、2014年に川瀬健太郎の指揮でマーラー「復活」で、わたくしも聴きました。
さかのぼること、200回は現田茂の指揮で「蝶々夫人」(2003)、100回は佐藤功太郎の指揮で「田園」ほか(1992)、さらに1回目は大木孝雄の指揮で、ペルゴレージのスターバト・マーテル(1970)、このような歴史があります。

合唱を伴う大きな作品が、こうした記念公演にはプログラムに載ることは、世界のオーケストラのならいとなってますが、昨今はマーラーが選ばれることが多いのがトレンドかと思います。
そこでヴェルディのレクイエムを取り上げたことの慧眼。
世界に蔓延する不穏な出来事、日本は一見平和でも、海外では不条理な死が横行しているし、いま我々は常に不安に囲まれ囚われて生きています。
ヴェルディの書いたレクイエムの持つ癒しと優しさの側面、オペラの世界も垣間見せる、そんな誠実な演奏が繰り広げられ、満席の聴衆のひとりひとりに大きな感銘を与えることになったのでした。

プレトークでの沼尻さんのお話しで、このレクイエムのなかに、ヴェルディのオペラの姿を見出すことも楽しみのひとつと言われて、バスの歌にリゴレットのスパラフチレを思い起こすこともできますね・・、とのことで、私もそんな耳でもこの日は聴いてみようと思った次第でもあります。

そんな聴き方のヒントを得て、聴いたヴェルディのレクイエム。
ヴェルディの中期後半から後期のスタイルの時期の作品という位置づけでいくと、レクイエム(1873年)の前が「アイーダ」(1871)で、アイーダは劇場のこけら落としなどの晴れやかな節目に上演されるように、輝かしさとダイナミズムにあふれたオペラだが、それは一面で、登場人物たちの葛藤に切り込んだドラマがメイン、最後は死の場面で静かに終わる。
少し前の「ドン・カルロ」(1867)も原作が優れていることもあるが、グランドオペラの体裁を取りつつも、ここでも登場人物たちの内面に切り込んだヴェルディの円熟の筆致がすばらしく、ソプラノ、メゾ、テノール、バリトン、バスに素晴らしい歌がちりばめられていて、これらの歌手は、そっくりそのまま「レクイエム」のソロを務めることができる。
そして、レクイエムを聴きながら、自分では一番思い起こした作品は、「シモン・ボッカネグラ」で1857年の作品を、1881年に大幅改訂している。
レクイエムのあと「オテロ」(1887年)まで、オペラを書かなかったが、そのかわり「シモン」の改訂を行った。
主人公の死で終わるシモン・ボッカネグラ、そのラストはまるでレクイエムそのもの。
わたしはそんな風に、この日のレクイエムを聴いた。

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素晴らしかった4人のソロのみなさん。
このメンバーであれば、もっと自由に好き放題に歌わせて、オペラティックなレクイエムを描くことも可能だったでしょう。
しかし、沼尻さんの作りだすヴェルディのレクイエムは、ソロもオーケストラも、合唱も、すべて抑制の効いた真摯なる演奏だったので、4人のソロが突出することなく、淡々としたなかに集中力の高い歌唱に徹してました。

なかでも一番良かったと思ったのがメゾの中島さん。
繊細精緻な歌唱で、一音一語が明瞭、耳にも心にもよく届くそのお声は素晴らしい。
この演奏の1週前には、ノット&東響でデュリュフレのレクイエムを歌っていて、行けなかったけれどニコ響で視聴ができました。
 あとバスの平野さんも、驚きの深いお声で、ビジュアル的にもギャウロウを思い起こしてしまった。
田崎さんのソプラノも素敵でしたが、この曲のソロには強すぎるお声に思えて、もう少しリリックな方でもよかったかな、と。
でも、リベラメの熱唱は実に素晴らしく感動的でした。
テノールの宮里さん、ずばり美声でした。やや硬質な声はプッチーニもいいかも。
インジェミスコは聴き惚れました。

「怒りの日」で3度、「リベラメ」で1度、あのの強烈なディエスイレが登場するが、いずれも激しさや絶叫感は少なめで、4回ともに均一に轟くさまが、壮麗さすら感じるものでした。
カラヤンなどは、最後のディエスイレにピークを持っていったりして、聴き手を飽きさせない演出をするが、こたびの演奏では、そんな細工は一切なく、ひたすらヴェルディのスコアに誠実に向き合う着実な演奏で、抒情的な場面をあますことさなく引き出した桂演だったのでした。

ベルカントオペラのようなソプラノとメゾの二重唱「レコルダーレ」は美しい限り、圧巻だったのは4重唱と合唱の「ラクリモーサ」における悲しみも切実さというよりは、慰めを感じ、思わず涙ぐんでしまうほどだった。
若い頃、この作品のFM放送をエアチェックするとき、90分テープを用意すると、ちょうどA面の45分で、このラクリモーサが終わりました。
ほとんどが、すぐさまカセットを入れ替えることで完璧に録音できましたが、そうはならなかった演奏がベルティーニとN響のものでしたね・・・

光彩陸離たる「サンクトゥス」はみなとみらいホールが今回一番輝かしく響いた瞬間だった。
木管と弦のたゆたうようなトレモロに乗った、美しい「ルクス・エテルナ」では、素晴らしい音楽と演奏とに身を委ね、ホールの天井を見上げて音がまるで降ってくるのを感じていた次第。
そして、最後のソプラノを伴った劇的な「リベラ・メ」でした。
音が止んだあとの、ホールの静寂。
この素晴らしいヴェルディのレクイエムの演奏の終わりをかみしめる感動的な瞬間でした。

大規模な合唱団とせず、プロフェッショナルな精鋭で構成された神奈川フィルハーモニック・クワイアの精度の高さも大絶賛しておきたい。
あと、もちろん神奈川フィルは、これまで聴いてきた神奈川フィルの音でした。
そして、その音も若々しくもなった感あり、自分にはまた懐かしいあの頃の美音満載の神奈川フィルでありました。

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急に深まった秋は冬にまっしぐらで、みなといらい地区も秋から冬の装いに。

イルミネーションもいくつか撮りましたが、アドヴェントは死者のためのミサ曲にはそぐいませんので、ここでは貼りませんでした。

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次の神奈川フィル、さらには来シーズンは何を聴こうかと思案中。

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2024年11月12日 (火)

プロコフィエフ 「束の間の幻影」 アンナ・ゴウラリ

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何年か前の京都の圓徳院のお庭。

京都好きの娘の念願は、京都でお式を挙げること。

流行り病で、異国の方はまったくおらず、静かな京の街なのでした。

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 プロコフィエフ 「束の間の幻影」op.22

          ピアノ:アンナ・ゴウラリ

              (2013.10 @ノイマルクト)

プロコフィエフ(1891~1953)の作品シリーズ。

略年代作品記(再褐)

①ロシア時代(1891~1918) 27歳まで
  ピアノ協奏曲第1番、第2番 ヴァイオリン協奏曲第1番 古典交響曲
  歌劇「マッダレーナ」「賭博者」など

②亡命 日本(1918)数か月の滞在でピアニストとしての活躍 
  しかし日本の音楽が脳裏に刻まれた

③亡命 アメリカ(1918~1922) 31歳まで
  ピアノ協奏曲第3番 バレエ「道化師」 歌劇「3つのオレンジへの恋」

④ドイツ・パリ(1923~1933) 42歳まで
  ピアノ協奏曲第4番、第5番、交響曲第2~4番、歌劇「炎の天使」
  バレエ数作

⑤祖国復帰 ソ連(1923~1953) 62歳没
  ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第5~7番、ピアノソナタ多数
  歌劇「セミョン・カトコ」「修道院での婚約」「戦争と平和」
 「真実の男の物語」 バレエ「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」
 「石の花」「アレクサンドルネフスキー」「イワン雷帝」などなど

年代順にプロコフィエフの音楽を聴いていこうという遠大なシリーズ。

ピアノの名手でもあったプロコフィエフがピアニストにならず、作曲家としての道を歩んだことは幸いなことでした。
5歳のときに書いたピアノ作品が作曲家としての処女作という。
1909年、18歳のときに作品1となるピアノ・ソナタ1番、最後のソナタ9番は、ずっとあと1947年56歳のとき。

ほかの諸作でもそうですが、プロコフィエフは年代とそのときの居場所や政治背景などで、その作風が目まぐるしく変わったが、その根底にはいつもクールなリリシズムがあったと思います。
いくつもの顔を持つプロコフィエフの作風において、気まぐれ的な即興性という側面があり、自身は「スケルツォ的」とも呼んだらしい。
そんな様相は、交響曲やオペラにも見出せます。
そして、案外とその代表格のような作品が「束の間の幻影」という小品集。

1915年24歳の頃に作曲され、1917年に出版されたので作品番号は22がついてます。
ソナタの3番や「古典交響曲」などと同じころ、さらには「賭博者」も控えていた時分。

20曲の小品を集めたもので、それぞれが独立しているとも言えるし、またまとめて聴くことで、聴き手は次々に変わるプロコフィエフの即興性を、まるで万華鏡でも見るがごとく味わうことになる。
「束の間の幻影」という、極めて印象的なタイトルは、ロシアの詩人コンスタンティン・バリモントの詩からとられたもので、この日本語訳も実によくできたものだと思います。
いかにもタイトル通りの、まるで感覚的であり、気まぐれ的でもあり、姿を捉えようもない不可思議さも感じたり、印象派風でもあり、神秘主義的でもあり・・・なんでもありの感じの小品が数分単位で連続している。

あらゆる刹那の瞬間に私は世界を見る、変わりゆく虹の色の戯れにくまなく映えた世界を」バリモント

ここ数日、静まった夜間に、この曲を何度も流したりして過ごしました。

なにも考えることなく、ぼんやりと聴いて、そして寝てしまうのです。
これもまたプロコフィエフの音楽の世界なんだな。

ロシアのタタールスタン出身で、現在はドイツで活躍中のアンナ・ゴウラリの硬質でありながら、煌めくような美感も感じるピアノが素敵でありました。
カップリングのショパンの3番のソナタが辛口の演奏で、これがまた実に素晴らしい。
彼女のほかのショパン、スクリャービンなども聴いてみたいものです。

ゴウラリさんのバッハです。



深まる秋

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2024年11月 6日 (水)

R・シュトラウス 「インテルメッツォ」交響的間奏曲

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文化の日は、ニッポンの「菊」がお似合い。

亡父が菊や盆栽に、かなり凝っていくつもの鉢植えを作成せいていたけれど、無精なワタクシは、それをまとも受けつぐことができず、ことごとく枯らしてしまいました・・・・

いまとなっては虚しい数十年であります。

R・シュトラウスの数回目のオペラ全曲聴き、ブログ化としては2度目のものが進行中ですが、次は「ばらの騎士」で止まってます。
年末のノット&東響をひとつのピークに致したく、そのときにまとめ上げたいと考えてます。

「インテルメッツォ」を取り上げるのはまだ先のことになりますが、夫婦や家庭のことを描いたシュトラスお得意のモティーフとなるこのオペラ。
先日に観劇した「影のない女」(1917)の次のオペラ作品にあたりますが、「インテルメッツォ」は、1923年で、少し間があきます。
このふたつのオペラには、夫婦愛にまつわる内容で、さらにインテルメッツォではすでに成した子供が可愛い役回りを演じてます。

いまだにモヤモヤ感を引きずる「コンヴィチュニーとバルツの影のない女」。
その気分を明るくするためにも、「インテルメッツォ」の素敵な間奏曲を集めた幻想曲を秋晴れのもと聴きます。

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 R・シュトラウス 「インテルメッツォ」交響的間奏曲

   ヨーゼフ・カイルベルト指揮 バイエルン国立歌劇場管弦楽団

            (1961 @ミュンヘン)

全2幕のオペラに散りばめられた前奏曲と間奏曲。
これらを抜き出し、4つの交響的な作品に仕立てたもの。
オペラの副題には、「交響的間奏曲付きの2幕の市民喜劇」と書かれていて、オペラ全体そのものがシンフォニックな作りとも目されます。

シュトラウス自身の家庭をありのままに描いたようなオペラで、家庭交響曲と同じくするものです。
主人公が楽長さんで、作曲者そのもの。
嫉妬深いその妻は、シュトラウスの妻パウリーネ。
パパの擁護者、可愛い息子は、そのままシュトラウスの愛息フランツ。


口うるさく、姐御肌だった妻パウリーネ。
よく悪妻ともいわれるが、ただでさえ、勤勉で日々同じペースの生活をし、かつ天才肌だったシュトラウスの尻をたたいたので、こんなにシュトラウスは多作だったとも冗談のように言われたりもしますね。

しかしシュトラウスは、その反動で、妻や家庭も音楽として風刺して描くことができた、そんなしたたかさもあり、なんでも音楽にできちゃうというシュトラウスならではなのです。
妻にない多彩な女性の姿を台本作者と手を携えて描きつくすというシュトラウスのオペラの素材選びと音楽造り。
いろんな女性を描きたかったシュトラウスにとって妻のパウリーネの存在は思いのほか大きかったと思います。


この「インテルメッツォ」は、主人公が楽長で、作曲者そのもの。嫉妬深い妻は、パウリーネ。パパの擁護者、可愛い息子は、そのままシュトラウスの愛息フランツ。

全曲盤の細かく刻まれたトラックを見てみると、めまぐるしく変わる場のつなぎに、9つのオーケストラ間奏があります。
その間奏を見事につなぎ合わせて4つの部分に作り上げています。

 ①出発前の騒動とワルツの情景

 ②暖炉の前の夢

 ③カードゲームのテーブルで

 ④更に元気な決断


かまびすしい前奏曲、瀟洒なワルツや、静かで感動的な平和な家庭の雰囲気、明るく楽しく快活な大団円。
シュトラウス好きを決して裏切らない素敵な作品です。

今日は往年のカイルベルト盤を聴きましたが、61年録音とは思えない録音のよさ、暖かな音色のオーケストラで木質を感じさせる抜群のシュトラウスサウンドです。
この2年後にカイルベルトは「影のない女」と「マイスタージンガー」でシュターツオーパーの再開上演を指揮しました。
さらに同年63年に、ウィーンで「インテルメッツォ」を指揮していて、そのときのライブも聴くことができます。
次のオペラでのインテルメッツォ記事は、サヴァリッシュ盤をすでに取り上げたので、このカイルベルト盤にしようかと思います。

こちらの交響的間奏曲の音源はたくさん持ってます。
メータ、テイト、プレヴィン、ヤンソンス、ウェルザー・メスト、A・デイヴィスなどなど。

ともかく、聴いて幸せな気分になれる晴朗なシュトラウスの音楽はステキなのであります。

やっぱり、「コンヴィチュニー&バルツの影のない女」はいかんな!

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2024年10月28日 (月)

R・シュトラウス 「影のない女」 二期会公演

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2022年に予定されながら、流行り病の影響で流れた二期会の「影のない女」
クラウドファンディングや関係者の尽力の積み重ねで、ついに上演のはこびに。

その全オペラを楽しみ、愛するわたくし、シュトラウスの初オペラ体験がこの「影のない女」でした。
忘れもしない、ハンブルク国立歌劇場の来日公演。
1984年の5月7日、日本初演の初日から3日後で、このオペラはその2回のみの上演でした。
場所は同じく東京文化会館で、大切にしているチケットを確認したら、1階10列24番。
今回の二期会上演の席は、よく見たらその席のほぼすぐ近く。

40年を経過し、ワタクシも歳を経ましたが、あのときの感動はいまでも鮮やかに覚えてます。
ドホナーニの指揮、皇后:リザネック、皇帝:R・シェンク、乳母:デルネッシュ、バラクの妻:G・ジョーンズ、バラク:ネンドヴィヒ、、こんなキラ星のようなキャストで、その素晴らしい声の饗宴に痺れまくり。
なかでも3幕で、きらめく泉が皇后の顔にあたり、その頬が光るなか、「Ich will nicht・・・」と苦しみつつも発するリザネックに背筋がゾクゾクするような感動を覚えました。

このオペラのひとつの聴きどころ・見どころであるそのシーンは、今回どうなるのか・・・

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  R・シュトラウス 「影のない女」

     皇帝 :伊達 達人         
     皇后 :冨平 安希子

         乳母 :藤井 麻美     
              伝令使:友清 崇
      〃 :高田 智士
      〃 :宮城島 康
     若い男:高柳 圭
         鷹の声:宮地 江奈
     バラク:大沼 徹
     バラクの妻:板波 利加 
             バラクの兄弟:児玉 和弘
                      〃        岩田 健示
         〃     水島 正樹


    アレホ・ペレス指揮 東京交響楽団
             二期会合唱団
  
   演出:ペーター・コンヴィチュニー
   舞台美術:ヨハネス・ライアカー
   照明:グゥイド・ペツォルト
   ドラマトゥルク:ベッティーナ・バルツ

     (2024.10.26 @東京文化会館)

コンヴィチュニーだから、普通の演出じゃなくて、いろんな仕掛けをかましてくるだろうなと思っていたし、これまで観劇してきたコンヴィチュニー演出は4作あり、正直いずれも楽しんだし、面白かった。
また20年前ぐらい、まだ読み替え演出に嫌悪感のあった自分に、その楽しみを植え付けてくれたのもコンヴィチュニー演出なのだ。

しかし、今回はどうしたものだろう。

できるだけ情報をシャットアウトして、公演に挑むのが常であるが、二期会のSNSや出演者たちの「X」が目に入るようになり、気になって公式HPにアクセスして確認してみた。
カットと筋立ての読み替え、場の入替えなどがあらかじめ、あらすじ概要とともに書かれていた。
それを読んだとき、カットがあることに正直がっかりしたし、筋の内容も読んで暗澹たる気分になった。
でも実際の舞台に接すれば、コンヴィチュニー演出のことだ、面白いし納得感もあるに違いないという思いで上野に向かった。

今回のコンヴィチュニーの「影のない女」は、これまで好意的だった私としては、「No」と言っておきたい。
読み替え自体はそれは問題ではなく、でも今回のは好きじゃなかったけれど、やはりシュトラウス&ホフマンスタールの「原作」と「音楽」にあまりに手を入れすぎで、それはもう私には冒涜クラスのものに思われた。
「原作」の最終場面は正直言って取ってつけたようなエンディングで、アリアドネにもそんな風に感じることもあるが、長いオペラをずっと聴いてきて訪れる予定調和の平和は、なによりも安心感や安らぎを与えるのだ。
さらに、私がいつもこのオペラでこの皇后はどう歌うんだろうと注目する「否定」の場面。
あそこを冨平さんの皇后で聴きたかったし、観たかった。
そんな風な楽しみを奪われたと思う観客は多かったのではないだろうか。

忘れないうちに、どこをカットされたか、どうつながれたかを自分でまとめて、こんなの作りました。
クリックすると別画面で拡大表示します。
間違っていたらすいません。
背景は、上野駅で見かけたパンダの絵です。
たぶん夫婦のパンダですwww

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こうなったらユーモアで封じるしかないか。

「影」は北欧伝説によると「多産」の象徴、すなわち「子」を意味し、霊魂の影じたいが肉体とも結びつくとされ、影を売る行為は、魂を売り渡してしまうという意味にも通じる。(ハンブルクオペラのときのパンフから)。
しかし、そんな高尚なところはみじんもなく、二組の夫婦の子をめぐる思いと抗争のみがここにあり。
夫婦は相手を入れ替えたらめでたく子ができてしまった。

子ができなかったのは、夫婦どっちが悪い?
「種のない男」「豊かな畑のない女」どっちだ・・・いやどっちでもなく、なんのことはない、相手を変えたらできちゃった。
こんなインモラルなのありか、会場には中学生ぐらいの女子もいたぞ。

この書き換え構想を担ったドラマトゥルクのベッティーナ・バルツの書いた前置き、二期会HPでも読めます。

このオペラは現実の物語ではなく、象徴的な出来事を描いている。筋の通った物語ではなく、架空の二層の世界で演じられる悪夢のようなエピソードであり、そのルールはどこにも制定されておらず、理解不能である。人物、場所、ルールは、夢の中のように流動的で変化する。
このプロダクションでは、妻が夫に隷属することを賛美し、美化するような筋書きのない終幕のフィナーレを排除し、代わりに元の第2幕のシーンを最後に置く皮肉な場面で終わる。」

まさにこの前置き通りの想定でオペラは進行した。
常套的なカットをいれても3時間の作品が、今回は2時間40分に短縮。

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前の一覧にある通り、最終場面などはまったく演奏されず、幕という枠も排除し、場をばらばらにして交互にしたりして入れ替えてしまった。
夫婦を入れ違えてめでたく子ができたのもつかの間、暴力的な死の横溢するシーンで幕となった。

ちなみに、この演出でのエンディングシーンとなった2幕のラストは、わたくしは最初に影のない女を聴き馴染んだころ、めちゃくちゃ気にいって、初めて聴きエアチェックした75年のベームのザルツブルク上演を何度も聴いて、この激しくもダイナミックなシーンを指揮真似しながら興奮して楽しんだものだ。

しかし、今回の上演では、わたくしは意識することなく、このエンディングで幕が降りた瞬間「ブー」と叫んでいた。

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前段のバルツさんの書いたこの書き換えの意図を読んでみた。
正直、なにいってやがんだ・・という思いです。

「影のない女」の内容を家父長思考賛美、女性蔑視と断じ、「読み替えなしという選択肢はありえなかった。今日のわれわれが、道徳的に納得できる上演は読み替えによってよってのみ可能となる」としている。
「演出する私たちは、当時の男女の関係や問題を反映している芸術的な内容の部分を明らかにするために、このように手を加えることが必要だと考えている。この作品がなぜ、そんな手入れを必要とするほど、救いがたい出来損ないになってしまったかを検討してみたい」と書いている。
なぜに出来損ないなのか?
ホフマンスタールの台本が1911~19年にわたって何度も書き換えられ、「意味不明な童話的要素に満ちた悪趣味な混ぜ物になった。」
この作品は「子を産めない、あるいは産みたくないすべての女を。役立たずで下等な人間のくずと貶めるのが狙いだ」とホフマンスタールを断じている。
被害者はここに登場する作者さえ同情を寄せない女性の3人、加害者(男×2)は文字通り賛美される。
さらにバラクの弟たち、いまでは禁句となった障碍ある3人でさえ、男性であることからバラクの妻を蔑視していると。
こんな風に長々と書かれていて、しまいに、シュトラウスは「音楽と俳優のバランス」と言ったとおり、「歌手でなく俳優」と意識していた。
音楽ばかりでなく「演劇」もみたかったのだとシュトラウスの音楽をいじくったことの弁明をしているように感じた。

好意的にこの解釈を理解した人々からは、子供を産んでも断ざれてしまう女性ふたり、そのエンディングは、いまだに変わらない女性の立ち位置に対する猛烈な皮肉だったと評するだろう。

まあこういった議論がでて、賛否両論を呼ぶこと自体がコンヴィチュニー演出の意図でもあろう。
しかし、今回は、コンヴィチュニーがこのバルツ氏の書き換えた台本に乗ってしまったことは失敗だったと思う。
ここは日本だよ、ドイツじゃないし、男女は大昔から平等だし、ジェンダー指数なんて表面的なウソっぱちだい!
もう一回、この素晴らしいキャストとオケで、ちゃんとした演出で、演奏会形式でもいいからやり直して欲しい。
バラクの日本語のアドリブセリフ「ちゃんと台本通りやろうよ」だよう。

こんなところに不平等を見つけ出し、問題の顕在化をしてみせて、結果としてシュトラウスの素晴らしい音楽の一部を失くしてしまい、それを楽しみにしていた聴き手の心も消沈させてしまった。
始終、日本で上演されていて何度も接するオペラならまだしも、10年に1度クラスの上演機会のオペラで、これをやっちゃオシマイだよという気分です。
繰り返しますが読み替え演出は、わたしはぜんぜんOKだし、今回のピストルドンパチ、立ちんぼ、性描写などもがっかりはしても否定はしません。

舞台の詳しい様子は、今後書く気になったら記憶のある限り補足します。

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出演者の皆様を讃える大きな拍手とブラボー。
幕が降りた瞬間のブーのみで、わたくしは盛大な拍手をいたしました。
演出陣が出てきたらかましてやろうと待ってましたが出て来ず残念でした・・・・

こちらの歌手たちの皆さんについては、賛美しても尽くせない素晴らしさでした。

まず、皇后と乳母のふたり。
冨平さんはエンヒェンもルルもよかったが、今回は、あの演出でありながら、完全に役柄に没頭しての歌と演技。
その歌は涼やかな高音域が安定して美しかったし、音域の広い役柄なので、低い方の声にも哀しみが宿るような神々しさもありました。
二ールントの歌にもにたその歌唱、ドイツ語の発声も素敵でありました。
皇后との声の対比で万全だったのが乳母の藤井さん、明瞭ではっきりしたよく通る声で、一語一語がよく聴こえたし、ユーモラスな演技もその歌とともに印象的。
 バラクの妻役の板波さんの力ある声も際立っていて、バラクの大沼さんとの夫婦漫才のようなやり取りも楽しかったです。
その大沼さんのバラクの人の好さそうな声質の暖かなバリトンも実によかった。
かなフィルのサロメでのヨカナーンは歌う位置で損をしたイメージがあったけれど、背中でも演技するステキな、(うらやましい)役柄でしたねぇ。
 皇帝の伊達さんは、このヒロイックな役柄には軽すぎ・きれいごとすぎるように感じた。
確かに美声でクセのない声は素晴らしいが、今回の演出でのダーティに過ぎる存在もマイナスになってしまったのかもですが、ちょっと残念。
それにしても、なんであんな悪いヤツに仕立ててしまったんだろ・・・・
 伝令を歌った、前のコンヴィチュニー・サロメでヨカナーン役の友清さんを見出したのもうれしかった。
あと登場場面の多かった、まるきり鷹じゃない、可愛い夜鷹(?)となった宮地さんもリリカルなお声がよかったです。

ペレスの指揮する東京交響楽団は、この日ピットでシュトラウスの音楽の神髄を、クソみたいな演出にもかかわらずしっかり聴かせてくれた感謝すべき存在だと思うし、大々絶賛されていい。
ノット監督のもと、シュトラウスオペラを順次演奏してきている経験値や近世の音楽の演奏履歴などを経て、どんな大音響でも混濁せずに聴かせてしまうオケ。
さらに各奏者たちの能動的な演奏姿勢が有機的なサウンドを産み出すというシュトラウスにとってなくてはならない能力も兼ね備える。
ヴァイオリンとチェロ、ふたりのソロも最高でした。
 アルゼンチン出身のオペラ指揮者ペレス氏は、魔弾の射手に次いで2度目ですが、だれることのないスピード感あるテンポ設定と、抒情的な場面では美しく各パートを際立たせるような繊細な音楽造りもありました。
良い指揮者です。

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もやもやする。

ジェイムズ・キングの皇帝を聴き、あの嫌なヤツとなった姿の皇帝をリセットし、聴けなかった皇后の3幕をリザネックとニールントで補完する日曜でした。

最後にもう一言、入りはよくなかったけれど、怒りつつも楽しんだのも事実ですし、二期会さんには、今後も攻めのプロダクションをぜひともお願いします。

追記)
公演前に何種類も聴いた「影のない女」のオーケストラ編幻想曲をあらためて聴いた。
20数分の管弦楽曲ですが、ここでの最後は、オペラと同じく3幕の二組夫婦によるシーンで静かに終わっています。
この曲は、シュトラウス晩年の1846年に、作者自らが選んで編曲した作品です。
シュトラウス晩年の思いも宿っているのではないでしょうか。。。

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2024年10月25日 (金)

R・シュトラウス 「影のない女」交響的幻想曲

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秦野の街を見下ろす小高い山から。

弘法山、浅間山、権現山と3連の山、ここから本当は富士山がきれいに見えるのですが、この日は雲に隠れてました。

奥の山々は丹沢山脈です。
こうして山々に囲まれた神奈川県唯一の盆地の町が秦野です。

秦野はミュージシャンや俳優も多数輩出してまして、ルナシーとか、吉田栄作のほか、俳優やスポーツ選手もたくさん。
あとなんといっても、山田和樹も秦野の出身で、いまや世界のヤマカズとなりつつあります。

ちなみに、吉田栄作の実家は、もとは卸屋さんをやっていて、母の実家は隣町でお店をやっていたので、少年時代の吉田栄作も父親に連れられてしょっちゅう卸しに来ていたそうな。

余談が過ぎましたが、二期会の「影のない女」を観劇に行きます。

まいど大胆な解釈で驚かせてくれるコンヴィチュニーの新演出が目玉ですが、事前に発表されたカットや入替、大胆な設定替えなどを確認するにつけ・・・・・
ま、あしたのお楽しみということで。

今週は前夜祭ということで本編そのものを聴く時間はなかったので、オーケストラ編をいろいろ聴きました。

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  R・シュトラウス 「影のない女」 交響的幻想曲

1917年に完成、1919年に初演のシュトラウスの傑作オペラ「影のない女」。
近年、ヨーロッパでは上演頻度が高くなっていて、その都度、ネットでも聴くことができるので、私のCDと録音ライブラリーも充実の極みとなっております。

1946年にシュトラウス自身の手で、オペラの主要部分やおもなライトモティーフを用いて22分ぐらいの交響的作品が作られました。
こちらの幻想曲も、最近はコンサートで取り上げられることが多くなっていてシュトラウスのもう一つのオーケストラ作品として、たいへん好まれる存在になりつつあります。

第1幕の超カッコいい前奏そのものから開始し、バラク夫妻の優しい旋律に切り替わり、次いで乳母がバラクの妻に見せる黄金やかしずく女たち、若い男の場面となりキラキラする。
かいがいしく働くバラク、そのあとはバラクの優しい愛の歌となり、トロンボーンが歌い、バラクの妻もその思いを今さら知ることになる。
離れ離れのバラク夫妻、声に呼ばれ登っていく、皇帝と皇后も救われ、音楽は感謝と歓喜に包まれる。
ここでは、このオペラのいろんなモティーフがモザイクのように出てきて絡み合うが、さすがの練達のシュトラウスと感じさせる。
やがて、子供たちの声を思わせる柔和な雰囲気がうまく漂いだして、オペラの最後の場面となる。

手持ちの音源

・スウィトナー指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団(1970)
・メータ指揮  ベルリン・フィルハーモニー(1990)
・J.テイト指揮 ロッテルダム・フィルハーモニー(1991)
・シノーポリ指揮 ドレスデン・シュターツカペレ(1995)
・ティーレマン指揮 ウィーンフィルハーモニー(2002)

エアチェック音源

・シュタイン指揮  NHK交響楽団(1987)
・ネルソンス指揮 ケルン放送響(2014)
・ペルトコスキ指揮 フランクフルトhr響(2023)
・ケレム・ハサン指揮 BBCフィルハーモニック(2024)
・ファヴィアン・ガベル指揮 トーンキュンストラ管(2024)
・ウェルザー=メスト指揮 ウィーンフィルハーモニー(2024)

正規音源としては、録音も含めてティーレマンが圧倒的な演奏。
それと美しくしなやかなのがテイトの演奏で、オペラの舞台も感じさせる豊かさがある。
スウィトナーも雰囲気豊かな、まさに晩年の作者とも近かった往年の指揮者ならではの味わいあり

エアチェックでは、シュタインの熱い演奏と、最新のメストとウィーンフィルの豪華な響きが眩い。
今後活躍しそうな若きペルトコスキの演奏も興味深く23歳の青年とは思えない選曲であり、演奏でありました。

曲は、平和に調和のとれたエンディングで静かに終わるが、明日のコンヴィチュニー演出の幕閉めはとんでもないことになるんだそうな・・・

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2024年10月20日 (日)

ディーリアス 人生のミサ エルダー指揮

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今年の秋は夏との境目がないように感じられ、秋らしい日、夏の終わりなどもあまり感じないです。

コスモスや彼岸花といった季節を感じさせる花々も今年は不調で、いつも見に行く場所もあまり咲いてなかったりで・・・

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やはり季節のメリハリがなくなってきてます。

気候変動や温暖化、といった言葉でくくるのはあまり好きではないです。

こうした分析をするのは、いまを生きる、それこそ100~200年単位の人類の考えや思いにすぎず、地球と宇宙はもっとその何億倍の単位で活動しているのだから、安易に気候変動でひとくくりにするのもどうかと思う。

人間は自然の前には無力だし、人間の繁栄のために自然を犠牲にして自然エネルギーなんぞというものを推し進めるのもどうかと思う。

自然を愛した、そして宗教とは無縁の感性の作曲家。ディーリアス(1862~1934)の大作を。
ディーリアスは、今年は没後90年となりました。

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  ディーリアス  人生のミサ

    S:ジェンマ・サマーフィールド
    A:クラウディア・ハックル
    T:ブロウ・マグネス・トーデネス
    Br:ロデリック・ウィリアムス

  サー・マーク・エルダー指揮
     ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団
     ベルゲン・フィルハーモニー合唱団
     エドヴァルド・グリーグ・コール
     コレギウム・ムジクム

    (2022.9.26~29 @グリーグホール  ベルゲン)

通算3度目の「人生のミサ」の記事となります。
最初はヒコックス盤の記事、次はビーチャム、デル・マー、グローヴス、さらに同じくヒコックスも取り上げあとヒル盤を残し、入手可能な音盤4種をレビューした記事でした。

そして今回は、この曲の最新のレコーディング、マーク・エルダー盤を入手しました。
予約して入荷待ちをしていたが、遅れに遅れて、鶴首状態でたしか5月の連休以降に届いた。
しかし、なんだかんだで聴いたのは夏が終わる頃になってしまった。
その間、指揮者のマーク・エルダーはPromsで、長年の手兵ハレ管弦楽団と最後の出演をマーラーで果たしてました。
イギリスの名匠となったマーク・エルダーは、2000年から2024年にわたって、ハレ管弦楽団の首席指揮者を務め、オケとまさに一体化した名コンビとなってました。
数々の英国音楽のレコーディングを通じ、バルビローリによって育まれた歴史あるオーケストラの指揮者を77歳にして降りることは、私にはとても残念なことでした。
ちなみに、次のハレ管の指揮者はカーチュン・ウォンです・・・
新しい風は必要なれどねぇ。

マーク・エルダーは、ハレ管を降りたあと、ノルウェーのベルゲン・フィルの首席客演指揮者になっていて、このディーリアスもハレでなく、ベルゲンでの演奏会と同時の録音となったようだ。
高弦の美しさ、しなやかさ、さらには重厚な低音域も北欧のオーケストラならではで、ややデッドな録音ながら、オーケストラの持ち味とディーリアスの音楽とのマッチングのよさも、ここに聴いてとれます。
ドイツで知り合った先輩グリーグ(1843~1907)を敬愛し、そのグリーグからは音楽の才能を高く評価され、実業家として跡継ぎにさせたかった父親を説得したのもグリーグだった。
そしてノルウェーの自然や風物を生涯愛したディーリアスは、そのノルウェーの海やフィヨルド、山々に感化されたかのような音楽を残したわけです。
グリーグの出身地であり、その指揮台にも立ったオーケストラ、ベルゲン・フィルほどディーリアスに相応しいオーケストラは、イギリスのオケを除いては随一の存在かもしれません。

 少し年齢が上の、アンドリュー・デイヴィスがヒコックスやハンドレー、トムソン亡きあと、イギリス音楽の伝道師としての存在を一身に担ってましたが、そのデイヴィスは今年、あまりにも無念の死を迎えてしまった・・・
デイヴィスもベルゲンフィルと素敵なディーリアスを録音しましたが、まさにその跡を継ぐかのような、エルダーの存在です。
それからエルダーは、ほんとは根っからのオペラ指揮者だと思います。
エドワード・ダウンズの弟子でもあり、シドニーのオペラハウス、その後はイングリッシュ・ナショナル・オペラを長く率いて、ワーグナーからヴェルディ、ベルカントオペラやフランスオペラの数々もそのレパートリーにしているくらいです。
 私は忘れもしないのは、1981年にバイロイトに登場し、のちにシュタインの指揮によるものが映像化された「マイスタージンガー」のプリミエを指揮したこと。
当時、その名も知らないイギリスの指揮者が新演出上演に起用されたことに驚き、エアチェックも喜々として実行したものですが、そのテープは消失してしまい、どんな演奏だったかは記憶の彼方であります。
エルダーは、初年のみでそのあとは、シュタインに交代となってしまったことも、エルダーの後年の活躍を見るにつけ、残念なことでした。

規模の大きな歌を伴った作品を、うまくまとめあげる才能は、まさにオペラ指揮者エルダーの力量で、この長大さ作品、しかも旋律も少なめでまさに感覚的なおんふぁくでもあるディーリアスの大作をわかりやすく、各部の対照も鮮やかにして聴かせてくれます。
大きくシャウトするような合唱を伴ったフォルテから、繊細で耳を澄まさなかれば聴き逃してしまうようなオーケストラの細部まで、いずれもくっきりと、しっかりと、そして美しくあるように響きます。
ソロや合唱とのバランスも見事なものでした。
 いまや英国ものでは一番の存在、R・ウィリアムスの明晰で暖かな歌唱がすばらしい。
ノルウェーのテノールトーデネスのイギリスのテノールにも通じる繊細さと明晰があり、澄んだ声のソプラノ、深みのあるメゾもともによろしい。

「人生のミサ」にまた素晴らしい名演が生まれたことがうれしい。
ベルゲンフィルのHPで、この演奏のライブ動画が全編見れます。

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以下はくり返しとなりますが、過去の記事を大きく修正して引用。

4人の独唱、2部合唱を伴なう100分あまりの大作。

 ディーリアスは、世紀末に生きた人だが、英国に生まれたから典型的な英国作曲家と思いがちだが、両親は英国帰化の純粋ドイツ人で、実業家の父のため、フレデリックもアメリカ、そして音楽を志すために、ドイツ、フランスさらには、その風物を愛するがゆえに前述のとおりノルウェーなどとも関係が深く、コスモポリタンな作曲家だった。

その音楽の根幹には、「自然」と「人間」のみが扱われ、宗教とは一切無縁
無神論者だったのである。
この作品も、「ミサ」と題されながらも、その素材は、ニーチェの「ツァラトゥストラ」。

 アールヌーヴォ全盛のパリで有名な画家や作家たちと、放蕩生活をしている頃に「ツァラトゥストラ」に出会い、愛する伴侶となったイェルカ・ローゼンとともに、34歳のディーリアスはその「超人」と「永却回帰」の思想に心酔してしまった。
同じくして、R・シュトラウスがかの有名な交響詩を発表し大成功を収め、ディーリアスもそれを聴き、自分ならもっとこう書きたい・・・、と思った。
1896年のことである。
その後ディーリアスは、ツァラトゥストラを原詩とした「夜の歌」を1898年に作曲。
ドイツにおけるディーリアスの応援団であり、その音楽をドイツに広めた指揮者フィリッツ・カッシーラーが、ディーリアスのために、「ツァラトゥストラ」からドイツ語で原詩を作成し、そのドイツ語にそのまま作曲をしたディーリアス。
作品の完成は1905年で、全曲の初演は1909年、ビーチャムの指揮、その初録音もビーチャムによる。
初演の前、2部だけがミュンヘンで演奏されており、そのときに、もしかしたら前回取り上げたハウゼッガーが聴いていたかもしれない。
そして、カッシーラーはビーチャムにディーリアスの音楽を聴かせたことで、ビーチャムもディーリアスの使途となったといいます。
 
このドイツ語の抜粋版のテキストに付けた音楽の構成は、2部全11曲。

合唱の咆哮こそいくつかあるものの、ツァラトゥストラを歌うバリトン独唱を中心とした独唱と合唱の親密な対話のような静やかな音楽が大半を占める。
日頃親しんだディーリアスの世界がしっかりと息づいていて、大作にひるむ間もなく、すっかり心は解放され、打ち解けてしまう。

第1部

 ①「祈りの意志への呼びかけ」 the power of the human will
 ②「笑いの歌」 スケルツォ 万人に対して笑いと踊りに身をゆだねよ!
 ③「人生の歌」 人生がツァラトストラの前で踊る Now for a dance
 ④「謎」      ツァラトゥストラの悩みと不安
 ⑤「夜の歌」   不気味な夜の雰囲気 満たされない愛

第2部

 ①「山上にて」 静寂の山上でひとり思索にふける 谷間に響くホルン
         ついに人間の真昼時は近い、エネルギーに満ちた合唱
 ②「竪琴の歌」 壮年期の歐歌!
         人生に喜びの意味を悟る
 ③「舞踏歌」   黄昏時、森の中をさまよう 
          牧場で乙女たちが踊り、一緒になり
踊り疲れて夜となる
 ④「牧場の真昼に」 人生の真昼時に達したツァラトゥストラ
           孤独を愛し、幸せに酔っている
           木陰で、羊飼いの笛にまどろむ
 ⑤「歓喜の歌」 人生の黄昏時
           過ぎし日を振りかえり人間の無関心さを嘆く
           <喜びは、なお心の悲しみよりも深い>
 ⑥「喜びへの感謝の歌」
           真夜中の鐘の意味するもの、喜びの歌、
           永遠なる喜びを高らかに歌う!
                      
   (本概略は一部、かつてのレコ芸の三浦先生の記事を参照しました)

「祈りの意志への呼びかけ」での冒頭のシャウトする合唱は強烈
だがしかし、安心してください、すぐに美しいディーリアスの世界が展開。
「笑いの歌」では軽妙な、まさにスケルツォ的な章でバリトンの歌が楽しい
「人生の歌」、ソロがバリトンを中心に春の喜びを歌う。
そこに絡む妖精のような女声合唱のLaLaLaの楽しくも愛らしい踊りの歌
章の最後に歌われるアルトと、マーラーの3番と同じ歌詞の合唱を挟んでのソプラノのソロは、沈みゆく美しさが沁みる
「謎」ではバリトンが自分に問いかける、自分とは・・・男性合唱も加わり、謎を残しつつ不可思議なままに終わる
「夜の歌」における夜の時の止まってしまったかのような音楽はディーリアスならでは。
ここでも合唱とバリトンが歌い継ぐが、静的な雰囲気、感覚を呼び覚ますような遠くで鳴る音楽が、まさにディーリアス。


「山上にて」の序奏は茫洋とした雰囲気にこだまする、ホルンはとても素晴らしく絵画的でもある。
続く活気あふれる壮大な合唱とバリトン以外のソロが真昼を謳歌するように歌う。
「竪琴の歌」はバリトンのソロで、静かな語り口につきる、夜半に聴くと実にじみじみする。
「舞踏歌」では、オーケストラの前奏ともいえる森の情景が美しい
乙女たちの踊りは、女声無歌詞の合唱の軽やかさが時に笑いを伴い涼やかななものだ
バリトンはやめないでと恐れた女性たちに優しく歌いかける(そこが邪なアルベリヒと違いますな)
ディーリアスのバリトンを伴った数々の作品にも通じます。
ハープのグリッサンドがここでは効果的だし、女性たちもまた楽しく応じます。
牧場の昼に」この作品の最美の章かと思う
羊飼いの笛の音は、オーボエとコールアングレで奏され、涙がでるほどに切なく悲しい。
この場面を聴いて心動かされない人がいるだろうか
まどろむツァラトゥストラの心中は、悩みと孤独・・・・。
テノールが物憂い気分で優しく歌い、バリトンは覚醒しようとするが、他の独唱ソロたちに優しく戒められる

「歓喜の歌」の合唱とそのオーケストラ伴奏、ここでは第1部の旋律が回顧され、極めて感動的で徐々にエンディングに向けて準備も整う。
休みなく入る最後の「喜びへの感謝の歌
低弦が豊かに響き、そこにクライマックスに向かうかのような静かなステージが準備されたのを感じる。
バリトンは呼びかける、時は来た、来るんだ一緒に夜へと歩もうと・・、合唱もそれに応じる。
最後に4人の独唱者が高らかに喜びを歌い上げ、合唱は壮大かつ高みに登りつめる。
やがて音楽は静かになっていって胸に染み込むように終わる。

エルガーの「ゲロンティアスの夢」(1900)、マーラー「千人」(1906)、シェーンベルクの「グレの歌」(1911)とともに、わたしの好む、あの世紀末の時代の大好きな声楽を伴った一連の名作のひとつと思います。

ニーチェの「ツァラトゥストラ」を学生時代に文庫版で買って読んだことがあり、前もこの曲を聴く際に引っ張り出して照合してみたが、あのツァラトゥストラの文言をあまり意識することなく、ディーリアスの美しく儚い音楽のみに集中した方がよいかもです。
というか凡人のワタクシにはわかりませぬゆえ・・・

畑中良輔さんの批評で読んだこと。
「人生のミサ」の人生は「生ける命」のような意味で、いわゆる「人生」という人の生の完結論的な意味ではないと。

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2024年10月14日 (月)

ハウゼッガー 自然交響曲 ラシライネン指揮

Oyama

少し前、春先きの丹沢連峰のひとつ、大山。

標高は1,252mで、オオヤマと読みます。

一方、西の鳥取の大山は、ダイセンと読んで標高は、1.729m。

どちらも容が美しく、そして信仰の対象ともなって霊験もあらたか。

Hadano

大山から西に目を転じると、丹沢の山々が連なり、盆地の都市、秦野市があります。

名水百選にも選ばれ、水が美味しい町。

第2東名がしっかり見えますが、なんだかこう見ると邪魔のものとしか思えないのよね。
大動脈としてさらに必要な高速なのでしょうが・・・

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 ジークムント・フォン・ハウゼッガー

   大オーケストラと最終合唱付きの「自然交響曲」

  アリ・ラシライネン指揮 ケルンWDR交響楽団
             WDR放送合唱団

        (2005,6 12~1 @ケルン・フィルハーモニー)

ジークムント・フォン・ハウゼッガー(1872~1948)は、オーストリアのグラーツ生まれの作曲家・指揮者。

その作品はあまり演奏されず、音源も数えるほどしかないが、ハウゼッガーの名前は、むしろ指揮者としてなしたことが注目されたりする。

ブルックナーの第9交響曲の初演は、1896年の作曲者の死後、1903年にフェルディナンド・レーヴェの指揮で、そのレーヴェの改訂版により行われた。
その後、校訂されたいまのノーヴァーク版に近いオーレル版で、1932年に初演したのが、指揮者としてのハウゼッガーだった。
そのときは、レーヴェ版とオーレル版を併行して演奏したという。
さらにハウゼッガーは1935年に、ハースによる原典版の初演も指揮している。
9番の方は、1938年にミュンヘンフィルと録音もしていて、復刻されていて聴くこともできる。
このように、ブルックナーへの原典への真摯な取り組みにみられるように、オーストリア人としての意気のようなものも感じてしまう。
指揮者の門下としてオイゲン・ヨッフムがいたことも興味深いです。

そんなハウゼッガー、父親のフリードリヒ・フォン・ハウゼッガーが高名な音楽学者であり評論家でもあった。
この親子鷹的な同じ関係を見ると、古くはモーツァルトを、同時代にはコルンゴルトを思い起こします。
そして、vonでわかる通り、オーストリアの貴族の家系であることもわかりますが、親父さまは、バッハ、ベートーヴェン、ワーグナー、ショーペンハウアーなどに関する著作も多数あるようで、まさに息子はそのDNAを継いで、重厚長大なワーグナー路線とそのあとに続く後期ロマン派路線を歩んだわけです。

ワーグナーとリスト、そしてブルックナー路線を歩み、しかも時代はナチスのドイツとも符合するオーストリア人。
ヒトラーからの覚えもめでたく、そのプロパガンダにも協力はしたり、音楽者としての要職も得たものの、再三の要求にもかかわらず、ドイツ労働者党(ナチス)への参加だけは絶対に固辞した。
業を煮やした当局は、ハウゼッガーの逮捕までも匂わせ脅したが、それでも拒絶を継続し、最後にはすべての職を辞した。
このあたり、うまくかわしつつも、最後は批判に回った同世代人のシュトラウスとも似ている。
しかし、そのシュトラウスに比べ、難解な音楽ばかりを残したハウゼッガーの名前は、忘れ去られたままなのであります。

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ハウゼッガーと同じころの作曲家

  マーラー      1860~1911
      ディーリアス    1862~1934
  R・シュトラウス   1864~1949
  シリングス     1868~1933
  バントック     1868~1946
  ツェムリンスキー  1871~1942
  ハウゼッガー            1872~1948
  スクリャービン       1872~1915
  V・ウィリアムズ       1872~1958
  ラフマニノフ            1873~1943
  シュレーカー    1873~1934
  シェーンベルク   1874~1951
  F・シュミット          1874~1939
  スーク                     1874~1935
  ブラウンフェルス  1882~1954
  マルクス                  1882~1964
  ウェーベルン    1883~1945
  ベルク       1885~1935
      ハウェルズ     1892~1983

コルンゴルトはもう少しあと。
だいたいこのあたりの作曲家たちが、いまとても演奏されるようになってきている。
マーラーとシュトラウスがひと際人気を集めている存在ではあり、これらの作曲家たちは、みんなワーグナーにつながる。

この同世代の作曲家たちの作品をハウゼッガーは、どの程度実際に耳にしたり、指揮をしたりしていたのか、それを想像するのも楽しい。
いまのところ、ハウゼッガーの代表作である、今回の自然交響曲を聴くと、ここにあげた作曲家たちの名前を思い起こすシーンもいくつかあった。
この曲の海外レビューや、HMVの視聴レビューなどに多いのは、マーラーであり、冒頭のホルンは3番、終楽章の壮大な合唱は2番や千人をそれぞれ思い起こされると書かれたりしている。

ハウゼッガーの「自然交響曲」は1917年の作品。

そして千人交響曲は、1910年に初演。
千人はゲーテのファウストを扱っているが、自然交響曲の終楽章は、ゲーテの詩集「神と世界」からの序文「プロエミオン」が歌詞に使われている。
ゲーテのその詩の原典を調べたけれど、よくわかりませんでしたので想像の部分もありますのでご容赦ください。

マーラーの千人は、声楽を楽器と化した交響曲であり、聖霊と愛の喜びの賛歌で、その喜びに至る経過として、山上の厳しさや孤独、清々しさなどもあります。
ハウゼッガーの自然交響曲は、なんとなく流れも似ていて、というかベートーヴェン以来の苦しみから歓喜へといたる交響曲の流れがしっかりと踏襲されているようにも思う。
またシュトラウスのツァラトゥストラ(1896年)のようなオルガンの効果的な使用や、起承転結の巧さなども類似点ともいえる。

ちなみに、似ている選手権を勝手に述べてしまうと、シェーンベルク「グレの歌」(1911)、ディーリアス「人生のミサ」(1909)、F・シュミット 交響曲、バントック「オマル・ハイヤーム」「ケルト交響曲」、バックス 交響曲・交響詩、ハウェルズ「楽園賛歌」、ホルスト「雲の使者」・・・・・
こんな風に、これまで好んできた音楽たちが想起されたハウゼッガーの「自然交響曲」が、一発で気に入りました。

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連続する4章からなる56分の大作。
オルガンの多数の打楽器、終楽章には合唱も加わる大シンフォニー。

グラーツ生まれのハウゼッガーは、グラーツを囲む周辺の山々を見て育ち、その山々に着想を得ての「自然交響曲」でもあります。

ホルンの勇壮なるソロで始まり、オルガンの重低音が厳かに支える出だし。
そしてトランペットが引き継ぎ、段々とオケも厚くなり、テンポもあげて活気がみなぎるさまの高揚感は、後期ロマン派好きとしてはたまらない瞬間だ。
日差しを浴びた山々が目覚め、活気に帯びるさまを思い起こそう。
歩みを止めて振り返り、静かな場面になるが、そこでの甘味な雰囲気もよろしいし、山々の自然の孤独すらも感じる。
やがてまたスピードをあげて、さらなる歩みを進め、元気も満タン、威勢もよろしく、ティンパニの連打に乗り、最初の主題や静かなときの主題などが複層的に鳴り響いたりして、聴き手を混乱させてしまうのも事実。
だが音楽は、急に静まり夜が近づいてきたことを感じさせる。

休みなく、オルガンが神秘的な雰囲気で鳴り、ティンパニがゆっくりと静かに連打されるなか、ファゴットが哀歌を奏でる。
深刻なムードで各楽器に引き継がれて行き、哀しみのムードが増して、ブラスも加わって深刻の度合いも増す。
ソロヴァイオリンを契機に、安らぎの雰囲気が漂い、弦が優しい旋律を奏で、ハープのグリッサンドやチェレシタも加わり、なかなかいい感じに拡がりを見せる中間部は素敵なものだ。
このまま終わるかと思うとそうはいかない。
ティンパニに冒頭のリズムが回帰してきて、こんどは葬列のような沈鬱な行進調になり、やがてそれが壮絶なまでに盛り上がる。
ここもまた聴かせどころで、この深刻さからすると、マーラーは優しすぎると思うくらいの深刻ぶりと強烈さだ・・・・
葬列の哀しみの去ったあとは、寂寞の雰囲気でオルガンも静かに鳴る

突如始まるスケルツォ的な3楽章は、前章がウソみたいに活力のあふれた、ティンパニも大活躍のかっこいい雰囲気だが、中間部の平和にあふれた田園調の幸福感がまたよい。
チェレスタの使い方とキラキラした雰囲気など、のちのコルンゴルトを感じた。
ずっと若いコルンゴルドは早熟の天才だったので、14歳のときのシンフォニエッタは、1911年の作品だからこの自然交響曲よりは前です。

なだれを打つように突入する4楽章でいきなり合唱の登場。
これまた超カッコいいのだ。
ここに至って、これまでの苦難が解放されたかのような浄化作用と解放感が満ち溢れる仕組みだ。
幾重にも連続する音楽の高まり、寄せては返す高揚感
最後は金管とオルガンの咆哮、ティンパニの痛打で、音楽は崇高な雰囲気とダイナミックな盛り上がりで持って閉じられる。

グーグル先生による翻訳 Proomion

「ご自身を創造された方の御名において!

 創造的な御業において永遠に。
 信仰、信頼、愛、行動、力を
生み出す神の御名において。
 しばし言われるその御名は、本質は常に未知のまま。


 耳が聞こえうる限り、目に見える限り、
 あなたは神に似た見慣れたものしか見つけられない
 そしてあなたの精神の最も高い火の飛行
 すでにたとえもあり、イメージを十分にあるはずだ
 それはあなたを惹きつけ、明るくもあなたを連れ去り、
 あなたが行くところ、道も場所も飾られる
 もう数えたり、時間を計算したりすることはなく
 そして、すべてにわたりその一歩一歩は計り知れない

こうした作品を盛んに演奏し録音しているラシライネン。
WDR響(旧ケルン放送響)という優秀なオーケストラを得て、解像度の高い明快な演奏です。
録音も超優秀ですが、海外盤なのであまりに細かな文字でびっしり書かれたライナーノーツは、難解極まりなく、まったく判読不能。
海外評などを読むと、曲や演奏の良しあしより、この解説の長ったらしさと難解さを指摘しているものも多いのも笑える。
こうした作品こそ、その作者がブレイクするきっかけにもなるので、平明でわかりやすい案内が必要です。

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ハウゼッガーが眺めていたグラーツ周辺の山。

いったいどこだろうとマップ検索。

それっぽかったのがグラーツ南西のグローセル・シュパイクコーゲルという山

標高2,200m、山頂には十字架が立っている。

借り物の画像ですが、周辺も山並みが連なり、さらに悲しいことに風力発電の風車がたくさん・・・

自然を壊す人間なんて、100年前のハウゼッガーは思いもしなかっただろう。

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2024年9月28日 (土)

ショスタコーヴィチ 交響曲第4番、5番、6番 マケラ指揮

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浅草の浅草寺の山門。

都会を離れて、浅草もしばらく行ってないので、過去の写真ホルダーを眺めて選択しました。

東京オリンピックの年に撮影したもので、まだコロナ禍にあり、外国人観光客はほとんどおらず、制限解除されたばかりのときで、日本人ばかりのいまやレアな浅草の町でございましたねぇ・・・・

Asakusa-30

六区どおりもご覧のとおり、平和な雰囲気でしたね。

田谷力三さんの写真も、もはやその人の名も知ることのない若者や外人さんたちばかりになりました。
いまやwikipediaの力を借りないと、こうした偉人のなんたるかがわからない世の中にもなってしまった。

中途半端な初老の自分が、つい数年前の静かだった日本を思いつつ、台頭著しい若手指揮者の演奏を聴きつつ思う秋の日。

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 ショスタコーヴィチ 交響曲第4番 op.43
     
           交響曲第5番 op.47

           交響曲第6番 op.54

  クラウス・マケラ指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

      (2022.9、2023.5、2022.1  @オスロ)

飛ぶ鳥を落とす勢いのマケラ君はまだ28歳。
多くの有力指揮者を輩出しているヨルマ・パルマ門下でフィンランド出身。
オスロ・フィルの首席指揮者(2020~)、パリ管の音楽監督(2021~)にあり、さらには、2027年からは、コンセルトヘボウの首席とシカゴ響の音楽監督に就任することが決っている。
有望指揮者をいち早く抑える、いまや大物不在の指揮者界をあらわすような、そんな世界のオーケストラ界。

この目覚ましい躍進ぶりを、どこか醒めた目で眺めていた自分。
高身長のイケメンさんだけど、その前の黒縁メガネをかけていた、どこかガリ勉君のような風貌の頃に、ドイツの放送オケやオスロを指揮したシベリウスをネット視聴した程度で、お国ものをしっかり振れる若者だ、程度の認識でした。
それがあれよあれよと、いまの目を見張るご出世ぶり。
日本にも都響、オスロ、パリ管で早くも来日しているというが、まだ様子を見ようと警戒してたワタクシ。

しかし、数か月前、オランダの放送で、彼がチェロを担当した室内楽コンサートを聴き、これがコルンゴルトの五重奏曲だったものだから、自分にピタリと来るその感性に注目をしたものだった。
そう、指揮者に加え、マケラの本職のひとつはチェリストなんです。
自己を主張せずに、豊かな歌を聴かせてくれ、コルンゴルトの甘味な音楽をさわやかに表現してましたよ。

そして出てきたショスタコーヴィチの新盤。
先に出ているシベリウス全集も気になりますが、まずはこちらを聴いてみました。
いまの指揮者のトレンドは、マーラーもしかりですが、ショスタコーヴィチをレパートリーとしてしっかり演奏できることでしょう。
しかも、4・5・6番という3年以内に書かれた特色の異なる3曲、でも純粋交響曲でもあり、名誉失墜と回復の時期、さらにはその裏に隠された二重三重のホンネ、そんな交響曲を一挙に録音したマケラ。

① 交響曲第4番

ショスタコーヴィチの交響曲のなかで、一番好きな作品になった4番。
この情報満載の奇矯なる音楽を、極めてスマートに、その面白さをストレートに聴かせている。
われわれがこの曲に求める、いくつかの聴かせどころも外すことなく、こちらの思いの通りにスカッとやってくれる。
そして流れるように、すんなりと聴けてしまう66分間。
いや待てよ、これでいいのか?と思ったことも事実で、曲の持つダイナミズムは完璧だけれども、反面にあるニヒルな虚無感や不条理感は弱めで、音に熱さや、作者の描きたかった暗さと熱狂感も低めだと思った。
昨秋に聴いた井上道義の壮絶なライブに、当然ながら遠く及ばす、手持ちの数あるこの曲の音源のそれぞれのなかでは、やや薄味にすぎる演奏か。
録音時、まだ26歳のマケラが、この先、きっと何度も手掛けるであろうこの4番、どのように成長の証を刻んで聴かせてくれるであろうか、そうした楽しみに期待したい。

② 交響曲第5番

この作品をレパートリーとして、何度も指揮しているであろうことが、よくわかる自信に満ちた演奏。
聴きすぎて、かえって飽きてしまった5番だけれども、ここには4番の演奏で聴かれなかった切迫感や切り詰められた緊張感が指揮にもオケにも感じられる。
3楽章の切実さにはさらなる厳しさも求めたいが、5番の演奏の最大公約数的なものは押さえているし、すべての音が過不足なく聴こえる優秀録音もあり、細部までよく聴こえる表現力もよいと思う。
もっと賑々しくやってもいいとは思ったが、表面的な効果に終わることなく冷静な音楽の運びが好ましく、ここは逆に手慣れた作品を若さでぶっちぎるような演奏にしていないところがよいかと。
この作品にある意味求められる客観さを、逆に適格に表現しつくしたようにも思った次第。
その客観さとは、自分のなかに言えることでもあり、この作品に飽いた自分は、いつも醒めて白々しく聴いてしまうものですから・・・

③ 交響曲第6番

高校時代にムラヴィンスキーのレコードで衝撃を受けた6番。
そのときのカップリングはオネゲルの3番だった。
「序・破・急」の「序」の部分がメインになっている、その深淵なクールさを持ったアダージョ楽章から、とりとめのないスケルツォ、人を興奮状態に持って行ってしまうプレストな3楽章。
思えば、4番以上にナゾ多き6番かもしれず、かつてのムラヴィンスキーは、その謎を鋼のような厳しさとスピード感でもって煙に巻いてしまった(と思う)。
マケラとオスロのオケに、そのような芸当は期待できるものでないが、1楽章の思わぬ抒情性は美しかったし、スケルツォにおける軽妙さもなかなかのもの。
むちゃくちゃな終楽章も大真面目、しかし案外と面白みなくあっけなく終わってしまった。
この作品に完結感など求めにくいものだが、終わってみて、あれ、それで?って感じではありました。
マケラ君が数年後に任されるコンセルトヘボウを指揮したハイティンクが、この6番を堂々たるシンフォニック作品に仕上げていたのが懐かしい。

総じて辛めの評価となりましたが、それもマケラ氏への期待を込めてのもの。
この若さで、この見事なオーケストラドライブは大したものです。
オペラへの経験も深めて欲しいし、そうして更なる統率力や緻密さも得ることでしょう。
ちなみに、先月のプロムスでパリ管とやった「幻想交響曲」は実に瑞々しく、晴れやかな演奏でしたよ。

Asakusa-imo

浅草行ったらお土産はこれ。

舟和の芋羊羹とあんこ玉。

明治35年創業の老舗、こうした日本の美味しい伝統あるモノは永遠に残していって欲しいものです。

腐りきった政治に腹を立てつつ、もどかしい思いで聴いたショスタコーヴィチ。

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