2010年2月 9日 (火)

フィンジ オーケストラ作品集 ボールト指揮

Yumoya_kasai 夕靄が除々に立ち込める景色。

昨秋、兵庫県のとある街にて、高台から望んでみた。

なんか、懐かしい光景。
日本の原風景ともいえる、誰の心にもきっとある景色ではないかしら。

いまの若い人たちには、どうだろうか?
およそ、情緒的な感情が、だんだん失われつつあるのではないかと。
自分の子供たちを見ていてすらそう思うから・・・・

Finzi_boult ジェラルド・フィンジ(1901~1956)。
ロンドンっ子で、イングランド南部ハンプシャー州で、50代半ばにして白血病で亡くなってしまう。

薄幸の作曲家と呼ばれる所以は、「フィンジ」のタグをクリックいただき、いくつかの過去のエントリーをご覧ください。
英国作曲家のなかでも、抒情派のフィンジ。
かなり好きでいらっやるのであります。

破棄してしまった作品もあって、現在残されているのは40曲あまり。
管弦楽、協奏曲、室内楽、声楽曲など。

フィンジの声楽作品には、トマス・ハーディの詩につけた作品が多い。
幼いころに父を、さらに兄弟たちも亡くし、尊敬する師である作曲家のファーラー(この人の作品も素晴らしいですので、いずれ各種ご案内)を戦争で亡くしてしまい、失意のフィンジの心の糧となったのがハーディの詩。

ゆえに、フィンジの歌曲はいずれも深く、心に響くのだが、数少ないオーケストラ作品も負けず劣らず素晴らしく、聴き手の心にそっと寄り添って、いつしかその優しい抒情に同化してしまう自分を見つけることになるはずだ。

フィンジの作品目録を調べて作り上げたいと考えているが、いまだ手をつけていない。
少ないゆえに、全貌を知りたくもあり、知ってしまうと寂しい気もするから、そっとしておいて、いまある作品を静かに楽しむのも良しと思ったりもしてる。

今日の1枚は、オーケストラ作品の大半が収められたもので、その多くを、サー・エイドリアン・ボールトがロンドン・フィルハーモニーを指揮している。
これだけ1枚のCDに収められたフィンジ集も珍しい。
この1枚は、実はもう1年前、いつもお世話になっております、IANISさんにお連れいただいた、氏の行きつけのショップ、新潟のコンチェルトさんで購入したもの。
店主は大のフィンジ好きなのです。
ちなみに、この時同時に、コルンゴルトの1枚を買ってまして、いずれまた記事にしましょう。

 1.「7つのラプソディ」
 2.ノクターン「新年の音楽」
 3.小オーケストラのための3つの独白「恋の骨折り損」から

 4.弦楽オーケストラのためのロマンス
 5.弦楽オーケストラのための前奏曲
 6.「散りゆく葉」~オーケストラのためのエレジー
 7.小オーケストラとヴァイオリンのための前奏的作品
 8.「エクローグ」~ピアノと弦楽オーケストラのための
 9.ピアノとオーケストラのための幻想曲とトッカータ

  サー・エイドリアン・ボールト指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団
        Vn:ロドニー・フレンド

  ヴァーノン・ハンドリー指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
        Pf:ペーター・ケイティン  <8&9>
                            (録音75~77年頃)

ここに収められた9曲にうち、9つめのピアノとオケの作品が、意外なまでにジャジーな雰囲気で、ほかは、フォルテの部分が少なく、全般にゆったりと、そして優しく聴き手に語りかけてくるような作品ばかりで、ともかく美しくも物悲しい雰囲気に満ちていて、誰しもの心にさりげなく優しさという気持ちをそっと置いていってくれるような音楽ばかりなんだ。
どれもが、聴いていて涙が出そうなくらいにデリケートで美しい音楽なのだけれど、なかでも、「弦楽のためのロマンス」の繰り返し歌われる一度聴いたら忘れられないメロディには泣かされてしまう。
こんなに儚く、心を打つ旋律ってあるだろうか。1952年に出版された1928年、フィンジ27歳の若かりし日の作品。20代の青年に、こんな微妙な陰りを感じとる私にもそんな時代があったのだろうかと、思わず悔恨と忘失の念に包まれてしまう。

同様に、「オーケストラとヴァイオリンとための前奏的作品(イントロイトゥス)」もあまりにも甘味でかつ篤い敬虔的な美しさを伴った桂品。
ヴァイオリン協奏曲の2楽章として書かれた作品だが、ともかくその短調であり、楚々とした詩情が心に迫ってきてやまない。
ここでは、LPOのハイティンク時代の名コンマス、のちにNYPOに転じたR・フレンドの泣きのヴァイオリンがあまりにも美しく聴かせる。。泣ける。

泣けるという点では、同質の曲が、ピアノのソロを伴った「エクローグ」。
これまた繊細かつ心に染みいるような名作で、前作とともに涙なしには聴けない、どこまでも清純無垢の汚れない美しい音楽で、これを聴いて心動かされない人がいるだろうか
言葉にすることができません。
書いたら壊れてしまいそうな音楽ってあんまりないでしょう。
フィンジの「エクローグ(牧歌)」がそれかもしれない。
いくつもあって困るけど、わたしが死んだら、いや今際のきわに、この曲を流してもらいたい。
ケイティンハンドリーの慈しみあふれた演奏に、今回も涙するワタクシでございます。
H・シェリーとヒコックスの抒情味溢れる演奏も愛聴盤であります。

篤信あふれる「ノクターン」、K・ジャレットのような幻想味溢れるピアノが聴ける「トッカー」、その他の曲も愛すべきフィンジの桂作であります。

ボールトの横顔が茫洋としすぎて、ジャケットがイマイチでありますが、ディーリアスを演奏しなかったボールトが、フィンジを慈しむように指揮していて泣かせますです。

時期は遡るが、抒情という点では、ディーリアスと同質の癒し的な世界。
でもオペラや壮大な合唱作品があるディーリアス。
そして音楽には大自然が歌い込まれているディーアスだけど、フィンジにはオペラはなく、大きな合唱作品は少し、ほとんど愛らしい作品ばかりで、心の隙間を埋めてくれる人間味あふれる音楽。
日本人にマッチした素晴らしい世界です。

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2010年2月 7日 (日)

コルンゴルト 「カトリーン」 ブラビンス指揮

Midtown_a 六本木ミッドタウンで見つけた光のオブジェ。
ひとつひとつにメッセージが書かれてました。

Korngold_kathrin コルンゴルト(1897~1957)のシリーズ。
何気にシリーズしてます。
録音されて聴ける作品は、そんなに多くはないので、全作品を時間をかけて踏破してみようと思っている。
同じ曲ばかりだけれど、本ブログでも記事数は15になった。
いずれの写真もイルミネーション系で、私の貧弱なイメージ造りに失笑・・・。
こうして愛着をもって聴いてきて思うのは、コルンゴルトのいい意味での保守性。
世紀末後の作曲家であるけれど、世紀末の末裔として生き抜くことしかできなかった悲劇。
時代は無調や十二音、さらには前衛音楽までもがコルンゴルトの身の回りには鳴っていたはずだ。
でも彼は、モーツァルト以来の神童として活躍し、もてはやされたウィーンのことを忘れられず、過去の街ウィーンを思い、いつか復帰できることを願望し続けるのだ。
Korngold_kathrin_1 こんなエピソードを思うだけで、胸が締めつけられる思いがする。
ユダヤ人ゆえに、アメリカにのがれ、ハリウッドで映画音楽の祖のような存在となるが、心にはヨーロッパがあったのだ。
ナチスが消え去っても、ヨーロッパは、もうコルンゴルトを受け入れることはなかった。
気の毒なコルンゴルト。
でもおかげで、素晴らしい映画音楽の数々が生まれたし、アメリカの風土とヨーロピアンの望郷がシナジーを生んだ素敵な作品も残された。

いろんなジャンルに作品を残したけれど、やはり声楽や劇場作品が素晴らしい。
オペラは5つ。
作曲順に、「ポリクラテスの指環」(17歳)、「ヴィオランタ」(18歳)、死の都(23歳)、「ヘリアーネの奇跡」(30歳)、カトリーン(40歳)。
いかに早熟であったか。
最後のオペラとなってしまった「カトリーン」は、CDにして3枚。
演奏時間3時間の大作だけど、これで怯んではいけません。
全3幕。
内容は、洒落たラブストーリーで、とっても気が効いていて、音楽は馴染みやすく、ウィーン世紀末風、かつ、ハリウッド的。
メロディアスな旋律の宝庫でもあり、コルンゴルト好きの私は、何も勉強せずに一度通して聴いて、そこですぐにお気に入りに昇格。
以来、ここ数カ月、何度も何度も聴いてます。
その素敵な旋律は歌えるくらいになっちゃった。

そう、コルンゴルトのヴァイオリン・コンチェルトをお好きな方なら、思わず口ずさみたくなるような、ロマンティックな旋律が次々に紡ぎだされてくる3時間。
R・シュトラウスとマーラー、ツェムリンスキーや初期新ウィーン楽派をお好きな方なら、全然OKのコルンゴルトのオペラであります。
有名な「死の都」よりは、シンプルで映画音楽的。死の都は、ゴシックロマン風の心理劇を見事に描いてみせたコルンゴルトだが、ここではよりシンプルなラブロマンス。
思えば、長じてますます、ヨーロッパの音楽の潮流から自ら脱して、より単純に大衆にもわかりやすいメロディ重視、耳に優しい音楽へと向かっていったことがわかる。
これを後退とみるか、前進とみるかは、当時のナチス政権が下した「退廃」という言葉では、簡単に片付けられない問題だけれども、私は、ハイドンやモーツァルト以降、営々と続いたドイツオペラの流れに立派に即した純正なオペラとして、大いに評価、応援したい。
しいては、コルンゴルトの音楽そのものにも、そう思いたい。

第1幕
南フランスの古い街。
若い男女がシネマを見に集いつつあって、映画館のドアマンの呼び込みもかまびすしい。
若い兵士のフランソワは、招集される前はシャンソン歌手、ギター片手に街で歌っていた青年で、ベンチに腰掛け歌っていると、カトリーンと友達のマーゴットが映画を見にやってくる。
フランソワは、カトリーンをひと目見てピピッときてしまう。
彼女たちは、ドアマンに兵士さんが同伴でないとお断りと、入場を禁止されてしまう。
そこでフランソワは、一緒にいかがとカトリーンを誘う。
街は学生や人々で大騒ぎ。映画を見終えて出てきたふたり。
ベンチに腰掛け、楽しかったと語りつつも、お互い魅かれあう。フランソワは、得意の歌を披露(このテノールの歌は、ホントとろけるほどに美しい)し、カトリーンもうっとりと答え、つに愛を交わしあう。カトリーンはスイスから出てきて両親もいないし、フランス語がわからない。フランソワは、兵士で歌が好き。片言のドイツ語がやがて歌になってゆくのが素晴らしい。
夜も更けて、二人は別れなくてはならない・・・・。

ハウスキーパーの仕事をマーゴットとしているカトリーン。

ご主人のことを気にしつつも、同僚とフランソワのことを話すが、マーゴットは所詮、兵隊さんだし別れた方がいいし、仕事を解雇されては困るから、もう会えないと手紙を書くことを勧める。
涙ながらに、別れの手紙を書くカトリーン(泣けるよ、このモノローグ)。
そこへ夜を忍んでフランソワがやってくる。帰って、いや君が好きなんだ、の押し問答。
そしてフランソワは、自分は兵士だけど、あともう少しでそれも終わる、本当は歌手なんだ、と熱く歌う。(~これまた素晴らしいアリア)
そして二人は朝まで過ごすのでありました・・・・・。

数日後、軍に命令が下り、隊は街を出て出陣することに。
別れの挨拶にきたフランソワをマーゴットは追い払うが、カトリーンが出てきて、変わらぬ愛を誓う。盛大に軍は行進して街を出てゆき、人々も熱狂してそれに続く。
一人カトリーンは、マリア様の像の前にひざまずき、残される悲しみを歌う。
そして、フランソワとのあいだに身ごもった子供に祝福を求め、マリアに深く祈るのであった。


第2幕
 数ヵ月後のフランス国境に近いスイス。
年末の宿屋の前、カトリーンがフランソワを探し国境を越えようとやってくる。
警察官にこの道はフランスのマルセイユに行くのか聞くが、警官は何故ゆくと問い詰め、フランソワからの手紙を取り上げ、パスポートの提示を求めるが、それはすでに期限の切れたものであった。
警官は、宿屋にカトリーンを押しこめ、明日戻りなさいと諭し、宿屋の女主人も含めて小競り合いとなる。
その騒ぎのなか、マリニャックとモニークの男女がやってくる。
この男は、マルセイユでクラブを経営する実業家で、ひと目カトリーンを見て気に入り、彼女がフランソワという男を探していることを聞き、マルセイユへ連れてゆくことを約束し、偽のパスポートを渡す。世間しらずのカトリーンは、他人のパスポートに疑問を抱きつつも、フランソワのいるマルセイユにいけるとあって了解する。
警官は、この男女に袖の下をつかまされ黙ってしまうのであった。悪いやっちゃ。

マルセイユ、マリニャックがオーナーのクラブ。大晦日のパーティを迎える準備中。
ジャズ風の音楽、むせび泣くサクソフォーン。コルンゴルトの面目躍如たる音楽。
女主人ショウショーが、新人歌手のフランソワにキャバレーの歌の手ほどきをしている。
彼女は、フランソワにいいよるが、彼は一人の女性を大事にしていると断り、彼女を怒らせてしまい、出て行けということになる。
 オーナーにお暇をもらおうと向かったところに、マリニャックが帰ってくるが、話を聞いてくれない。こいつは、カトリーンをいかに物にするかで頭が一杯。
フランソワは引き下がり、マリニャックは、まるでスカルピアのように燃える邪悪な心を歌う。それを物陰で聞いていたのが、モニークで、彼女は嫉妬に狂い、自分と結婚をしなくてはならないと散々に食い下がり大喧嘩になり、マリニャックに殴打されてしまう・・・。
 覚えておき!と退出したかに見えたモニークは、カーテンの後ろに巧みに身を隠す。

そこへカトリーンが連れられてくる。
フランソワに会えると喜々としているが、マリニャックはマルセイユは複雑な街だからすぐには無理だ。明日ゆっくりと探しましょう、ほら海だよ、と外の海を見せると山育ちのカトリーンは感動してしまう。
迫る男に、ようやく気付き逃げるカトリーン。気分直しに、歌でも聞かせようと、ボーイを呼び、先ほどの新人歌手を連れてこさせる。
ここで再会を果たす二人。
マリニャックに抱かれようとするところに来てしまったフランソワ。怒り、カトリーンは逃げる。思わず、軍人ゆえに持っていたピストルを出してしまうが、冷静になりそれを雇い主に渡し、さるフランソワ。この混乱のなか、物陰からそっとそのピストルを取ったのがモニーク。欲望ギラギラのマリニャックがカトリーンに襲いかかるところへ、一発の銃声。

ホールに瀕死の状態で出てきたマリニャック。犯人は新人歌手だ・・・・とこと切れる。
それを見ていたフランソワは、てっきりカトリーンがやったものと思い、そう、自分がやりましたと自白。カトリーンは、フランソワが撃ったものと思い、自分がやったの・・というものの、フランソワは連れていかれる。
 一人残ったカトリーンは、わが身の哀れさに、悲しみの歌を歌い泣く。。。。


第3幕
 あの事件から5年が経過し、カトリーンはスイスの山に抱かれた小さな宿屋の女主人となっていて、傍らには父と同じ名前をつけられた少年フランソワがいる。
ここで、カトリーンはずっとフランソワを待っていたのである。
夕方、親切にしてくれるテイラーが頼まれた商品をもってやってくる。
彼は、カトリーンに好意をもっていて、いつまで待っても帰ってこないよ、自分ならいつでもいいと語るが、カトリーンはあなたはとてもいい人だけど、必ず帰ってくるのよ、といなす。
少年は、夕飯の片付けをするカトリーンに、何故いつもお皿が余分にあるの?と無邪に聞くと、彼女は、いつお客さまが来るかわからないでしょ。
イエスさまもお客さまも、疲れていらっしゃるのです。。。と8時になったらベットに入るのよ、と約束させて、仕事をしに奥へ消える。

そこへフランソワがギターを片手に、「何かに導かれてここへ来た、私の憩う場所はどこに・・・」と歌いながらやってくる。
少年を認め、彼の頭をなでつつ、少年に父がいないことなどを聞き、自分なら君のような子供が欲しいとフランシスはいい、少年に歌を教える。
やがて8時の鐘がなり、少年は別れを告げ家の中に入る。

テイラーと道であったフランシス。テイラーは、一晩の宿を提供するかわりに、自分のために求愛の歌を歌って欲しいと頼みこみ、カトリーンの家のまえでギターを構え、見えないところでフランソワが美しいラブソングを歌う。
 やがて、歌を聞いてカトリーンが出てきて、ここで二人はまた再会を果たす。
しかし、テイラーと結婚してしまったと早合点したフランソワはその場を去ろうとし、カトリーン
は、ずっと待っていたと必死に食い止め、人のいいテイラーも違うんだととりなし、ギターをフランソワに返して去ってゆく。

ここで、二人の邂逅の二重唱。
お互いが、片方が人を殺めてしまったと思い込んでいたが、ここでようやく真相がわかる。
少年フランソワが、眠気まなこで出てきて、父親が帰ってきたとカトリーンに言われて、父の胸に飛び込み、明日は喜びのあまり踊っちゃうよ!と語り、ベットにまた帰ってゆく。
もうパズルのようにややこしいことはオシマイだね、ここでずっとずっと暮らしてゆくことにするよ、とフランソワ。
 静かに、静かに音楽は感動的なまでに美しく閉じるのであります。。。。。。


長いあらすじを起こしてしまいました。
邦訳が付いてないので、英訳を見ながら聴いたものです。
ワーグナーの台本のように複雑じゃないから、音楽をしっかり聴いて耳になじませてから、対訳片手に聴いたものです。

  カトリーン:メラニー・ディーナー  フランソワ:ディヴィット・レンドール
  モニーク:デッラ・ジョーンズ    マーゴット:メラニー・アルミステッド
  ショウショウ:リリアン・ワトソン   マリニャック:ロバート・ヘイワード
  テイラー:トビー・スペンス      息子 :マーガレット・フィーヴィオル
  その他
   
      マーティン・ブラビンス指揮 BBCコンサート・オーケストラ
                       BBCシンガース
                           (1997.11 @ロンドン)


このCD、これまで何度聴いたかわからない。
ともかく甘味で美しいコルンゴルトの音楽。
そして、素晴らしい歌の数々がたっぷり詰まったこのオペラに何度も涙を流した。

馴染みでないオペラを、ものにするには手間暇がかかる。
たいていそれは輸入盤だから、私は、まず音楽だけを徹底的聴いて耳につくくらいまでにする。同時に、各国語だから厚い解説書の中から、あらすじの部分をコピーして電車の中などで読んで概略頭にいれておく。
そして、最後は英訳をたよりとして、CDを全曲じっくりと聴くのだ。
音楽はすっかり馴染みになっている頃あいなので、不思議なほどに、ストーリーと歌、オーケストラがどんどんこちらに入ってくる。
 こうして狙ったオペラを自分のお気に入りにしてゆく喜び。
なかでも今回の「カトリーン」は、私の大好きなオペラのひとつとなったことは間違いない。
昨年のRVWの毒入りキッスとともに、私の中での大ヒットであります。 
美しくも愛らしい、フランソワの歌の数々は歌えちゃいますし、カトリーンのアリアも鼻歌で歌えます(笑)

ここで歌っている歌手のうち、M・ディーナーは、シュトラウスやプッチーニを得意にする今や旬の歌い手で、わたしのお気に入り。昨年N響にも来てました。
後期ロマン派を歌うのに必須の声の怜悧な美しさと音程のよさが完璧なまでに素晴らしい。彼女のマルシャリンを聴いてみたいもの。
対するレンドールのリリカルなテノールも惚れ惚れとしてしまう。
このひと、最近オテロやトリスタンも歌うそうだから、声が重くなっているのか。興味あり。
BBCの英国オケらしい柔軟で適用力あるニュートラルな響きもコルンゴルトには合っているように思われ、近現代ものに強いブラビンスの指揮のもとに素敵なオーケストラが聴けるのだ。

多くに方に聴いていただきたい、コルンゴルトの最後のオペラカトリーン」であります。
コルンゴルトのオペラ、あと3作、徐々に取り上げますよ。

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2010年2月 6日 (土)

「松村英臣 ピアノ・リサイタル」

Saigosan 上野の山におわす「西郷さん」。
夜の西郷さん、しっかり犬も連れております。
今年の大河ドラマも幕末ものだから、西郷さんが登場することでしょう。

Hideomi_matsumura 松村英臣さんのピアノ・リサイタルに行ってまいりました。
一昨年秋に、初めて聴かせていただいた。
今回も、いつもお世話になっております、schweizer_music先生のご案内を頂戴し、今年も聴くことができました。

この西郷さんの北側の並びにある東京文化会館小ホールにて行われたコンサート。
かつてのクラシック音楽演奏会の殿堂、数々の音楽の歴史を刻んできた文化会館。
いまや、都内ではほかに専用ホールがたくさんできてしまったけれど、私がコンサート聴き始めのころは、ここか、日比谷公会堂、新宿厚生年金会館、杉並公会堂などくらいしかなかったもの。
久しぶりに上野の公園口に降り立ち、そんな感慨にふけってしまった。

そして音楽をじっくり聴く、という感興がおのずと溢れだすような雰囲気の小ホール。
響きのよいこのホールで、ピアノが聴けるというのは、ほんとうに素晴らしい体験でありました。

松村さんは、以前のコンサートの時にもその経歴を書いたとおり、大阪を活動のベースとしていたので、関東ではあまり馴染みが少ないかもしれない。
こちらの氏のHP。schweizer_music先生のレポートがございます。
 チャイコフスキー・コンクールでの逸話が示すとおり、日本人には数少ない本格ヴィルトゥオーソのおひとり。

    ベルク       ピアノ・ソナタ

    リスト        ピアノ・ソナタ

    シューベルト   ピアノ・ソナタ第21番

        チャイコフスキー 「四季」~舟歌

    ナザレー
         (曲名忘れ・・brejeiro?)     

         ピアノ:松村 英臣 
               (2010.2.5 @東京文化会館小ホール)
     

素晴らしいプログラムが据えられました。
どう見てもすごい演目。
前半が、ワーグナーつながり。そして時代も遡ってシューベルトで終わる。

ベルクの初期作品は、前期シェーンベルクやツェムリンスキー風の後期ロマン派風の曲で、始終ベルクを聴きながら、このソナタは初めて聴いたもの。
短い曲で、もやっとしているうちに終わってしまったが、終演後、schweizer_music先生のお話ではトリスタンの半音階も現れるし、何度も聴くと味わいの増す音楽とのことでして、ベルク好きとしては、これはひとつハマってみようかい、と思った次第。

次のリストは、松村さんならではの、バリバリの超絶技巧の音楽。
情念うずまく、そして幻想的ともいえるその音楽は、まるでオペラの世界。
婿さんのワーグナーにも通じてゆくのも感じることができた。
どうしても、曲中何度も訪れる凄まじいパッセージの続く劇的な部分に耳がいってしまうが、そして確かに松村さんのピアノの素晴らしさはその完璧な技巧に裏打ちされた、そうした部分だけど、リストの詩情に満ち溢れた静かな場面の方にこそ魅力を感じる演奏だった。
強い音も弱い音も、しっかりと弾かれてホールに響き渡るさまは、これはある意味、快感でございました。

後半のシューベルトの長大なソナタ。
ここには、本当に豊かな歌があふれておりました。
シューベルトの中でも大好きな旋律が、第1楽章の冒頭のもの。
静かに、ゆったりと抒情的に流れるこの素敵な旋律は、こうして眼前のピアノで接すると、感銘もひとしお。
余裕を持たせながらも、しっかりとシューベルトに没頭している松村さんのピアノは、前半とまったく異なる世界を描きだしてくれた。
さらに素晴らしかったのが、第2楽章。
深遠を見尽くしてしまったかのようなぎりぎりの音楽のようにも感じ、そしてその演奏でありました。聴いていて「冬の旅」を思い起こしていたが、後にパンフレットを読んだら同じことが書いてあって、大いに納得。
この楽章をあっさりスルーしてしまう演奏も多いが、松村さんのピアノはそのあたりを想起させる感動的なものと思った。
続く2つの楽章は、すっきりと、そして軽やかに、シューベルトを聴くときの気持ちのよい気分に満たされるものでありました。
シューベルトの音楽にある、明と暗のような要素を弾き出していて見事なものだったと思います。

アンコールの舟歌はもう、絶品!
氏の十八番とのことだけど、こんなにリリシズムあふれ、音の粒立ちが豊かな演奏を聴いたら誰しも耳が釘付けになっちゃう!

最後に、近々のコンサートのご案内もユーモアを交えてお話され、これまた初聴のブラジルの作曲家ナザレーの明るく陽気な音楽でお開きとなりました!
満足満足note

アフターコンサートは、先生を交えて、とても楽しく有意義な時間を過ごし、上野の森の夜は更けゆくのでございました~
皆様、ありがとうございました。

 

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2010年2月 4日 (木)

フルトヴェングラー 交響曲第2番 ヨッフム指揮

Brso これ、買ってしまった。
新譜はなるべく控えていたけれど、その豪華ラインナップを見たら、クリックせざるをえなかったんだ。

バイエルン放送交響楽団創立60周年の自主製作アンソロジーCD。
歴代の主席指揮者たちの演奏が、1枚1枚に収められた6CD。

①ヨッフム(1949~1960) フルトヴェングラー 第2交響曲
②クーベリック(1961~1978) ブルックナー 第8交響曲
③コンドラシン(1982未就任) ロシアの復活祭、フランク 交響曲
④デイヴィス(1982~1992) エニグマ演奏曲、RVW第6交響曲
⑤マゼ-ル(1993~2002) 火の鳥、春の祭典
⑥ヤンソンス(2003~ )   ティル、ばらの騎士、最後の4つの歌


こんな具合の詰め合わせに、触手が伸びないわけがない。
で、買っちゃった。

Brso_jochumfurtwangler これから1枚1枚、取り上げますよ。
今日は、初代主席、オイゲン・ヨッフムの指揮で、なんとフルトヴェングラー交響曲第2番を。
フルトヴェングラーの作品は、初めて聴くのである。
いやはや、なんと長い、そしてゆったりと流れる交響曲でありましょうや。
1枚に収まらずに、2CDになっちゃってるし。
約83分の長丁場、どこまで続くのフルヴェン、って感じでありました。

ウィキによりますれば、1945年の作品で48年にベルリンフィルで自身の指揮により初演とある。
戦時~戦後の時期、何かとむずかしい立場だったフルトヴェングラーの力作。
それにしても長い。
ほかの交響曲や、室内作品も長いらしい。
う~ん、フルトヴェングラーらしいといえばらしいが、こうして名前を打ち込むのも長いと思えてきた。アバドなら3文字だし。。。

しかし、よくよく聴けば、後期ロマン派臭ぷんぷんの軸足超過去型の曲で、どこ見ても書いてあるとおり、ブルックナーとマーラー風なのである一方、やはりフルトヴェングラーらしく、ベートーヴェンやブラームスの偉大な交響曲を念頭に置いているものとも思われる。
苦しみを経て、最後には神々しく解放されるような曲の大きな流れがある。
4つの楽章が、まるで大河の流れのように滔々とあふれるように流れるさまは、まさにフルトヴェングラーの指揮して造りだす、ワーグナーの叙事詩的な世界そのもの。

初聴なものだから、この程度の感想しか今回は書けません。
でも3楽章のスケルツォのボロディン風な主部とブルックナーの緩徐的な中間部、そして終楽章のエンディングのオペラの最後の幕引きのような神々しいさまなどは、とても気に入ったし、ライブで聴いたらさぞかし感動するだろうと予想しますな。

ヨッフムの気合いの入った、かつ若々しい指揮は、清新なオーケストラとともに、素晴らしいものである。
1954年のモノラル録音だが、鮮明かつリアルな録音。
ヨッフムは、バイエルンとともに、ハイティンクを補佐するように、コンセルトヘボウの指揮者も務め、ふたつのオーケストラと関係深い初代の指揮者となった。
このトレンドは、ハイティンク、ディヴィス、ヤンソンスと両オーケストラと関係深い指揮者たちの流れとなるわけ。
それは多分に、なくなってしまったフィリップスレーベルの存在も大きかった。

さて、長いけど、もう一回挑戦するか、フルトヴェングラーさん。

Furutomenkrau 最後に過去のレコ芸から、砂川しげひさ先生の名作をいただいて掲載。

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2010年2月 3日 (水)

「明日の担う音楽家による特別演奏会」 現田茂夫指揮

Operacity クリスマスシーズンが終わっちゃうと1年で一番寂しい雰囲気になるオペラシティ。
でも隣接のオペラパレスは年中、晴れやかに感じられるのは私だけ?

Bunkacho_2010 今日は、文化庁主催による「明日を担う演奏家による特別演奏会」に行ってきました。
国が若い広範な分野の芸術家を海外研修に送り出していて、その後、活躍の場を海外や国内に得て頑張っている若い歌手の皆さんの成果発表ともいえるコンサートであります。
新進芸術家海外留学制度といわれるもので、21年度からは、新進芸術家海外研修制度と呼ばれるもの。
勉学よりは、より、実地の研修を重んじるということらしい。
例の芸術家や愛好家を心底ヒヤヒヤさせた事業仕訳のターゲットにされた分野であります。
今回のコンサートは、平成18年から20年度に派遣された方々のコンサート。

愛好家としては、実績を上げつつある上り調子の歌手のイキのいい歌が数々、それも格安に聴けるということで、こんなにうれしいことはありませんね。
(私の席は1階後方A席2000円ですよ!)
しかも、オペラを得意とする神奈川フィルハーモニー名誉指揮者の現田茂夫さんの指揮だから、もういうことなし。
メンバーの皆さんに声をかけなかったのが悔やまれるが、今日は「勝手に神奈川フィルを応援する会」ひとり分課会となったわけです。

グルック   「オルフェオとエウリディーチェ」~序曲
        「おいで、君の夫についておいで」 鷲尾 麻衣・小野 美咲

モーツァルト 「コジ・ファン・トゥッテ」~「岩のように動かずに」
             吉田 珠代

ヴェルディ   「エルナーニ」~「エルナーニ、一緒に逃げて」
             石上 朋美
         「リゴレット」~「悪魔め、鬼め」
             町 英和
         「トロヴァトーレ」~「わかったか 夜が明けたら…」
             石上 朋美

プッチーニ   「蝶々夫人」~「夕暮れは迫り」
             田口 智子・塚田 裕之


グノー     「ファウスト」~「宝石の歌」
             田口 智子

ビゼー     「カルメン」~「母のたよりを聞かせて」
             駒井 ゆり子・塚田 裕之

オッフェンバック  「ホフマン物語」~「お前はもう歌わないのか」
             吉田 珠代・町 英和・小野 美咲

プーランク    「ティレジアスの乳房」~「いいえ、だんな様」
             駒井 ゆり子


バーンスタイン  「キャンディード」~「きらびやかに着飾って」
             鷲尾 麻衣

ワーグナー    「ラインの黄金」~「避けよ、ヴォータン!避けよ!」
             小野 美咲

           「ワルキューレ」~「さらば 大胆で輝かしき娘よ!」
             大塚 博章

     現田 茂夫 指揮  東京フィルハーモニー交響楽団
                  (2010.2.3@オペラシティコンサートホール)



「THE JADE」の成田さんの司会で進められたコンサート、曲目をご覧のとおり、イタリアを発し年代順に進行し、後半はフランス、アメリカ、ドイツと、 万遍なく楽しめるもので、ヴェルディとワーグナーを中軸に、オペラの歴史を俯瞰できるものになっている。
文化庁らしい優等生的なことでもあるが、歌手の留学先に応じた得意曲でもあるので、成果披露の目的も万全に達しているわけ。

こうして、皆さんしっかり成果をあげて、オペラ界に羽ばたいていってるわけで、こんな立派な制度はどんな名前に変わっても、しっかり存続させていただきたいものだ。

ここで、個々の歌い手さんたちを、どうこう言ってもしょうがないですね。
皆さん素晴らしい!
強いて印象深かったのは、鷲尾さんのコケットリーで軽やかなキャンディード。
小柄な体から、深々としたメゾを聴かせた 小野さんのエルダ。
しっかりワーグナーしてました

そして、私の耳と目は、しばしば、現田マエストロのしなやかな指揮に向かうのでありました。
歌手の呼吸や声を入念に見守りながら、時にオーケストラを抑制しつつ、そして煽りもして、美しくも味わいある背景を作りだしておりました!

軽やかなモーツァルト、弾むような推進力あふれるヴェルディ、痺れるような美音のプッチーニ、洒落たプーランク、ゴージャスなバーンスタイン。
そして、これら今日会場に来て知ったプログラムのなかでも注目は現田ワーグナー。
過去に全曲の上演を手がけているし、神奈フィルでも演奏しているワルキューレ。
いやこれが実に素敵なものだった。
決してうるさくならない、そして、重くならない、充分に抑制の効いた美しいワーグナーで、舞台に上がったから突出してしまう、金管や低弦を巧に抑えつつ、結果として柔らかなワーグナーが響いたのだ。
大々大好きな音楽だから、涙うるうるを覚悟のうえ構えたが、なんということでしょう、ブリュンヒルデを優しく眠りにつかせる絶美の箇所、そのあとのローゲの召喚、このふたつがカットされ、いきなり「我が槍を恐れるものは・・・」のウォータンの絶唱の部分に飛んでしまった。そのあとの魔の炎の音楽も少し短縮。
うーーーん。
いろいろ状況でおありだとは存じますが、歌入りのワーグナーにカットは厳禁ではないかと存じますが・・・。これならマイスタージンガーの方がよかったかも。

最後はややがっかりだったが、フレッシュな歌と素敵なオーケストラが聴けて満足の一夜でございました。

蛇足ながら、司会者のインタビューで、現田さんも派遣経験があるとのお話で、その場所はウィーン。そして、「ばらの騎士」をじっくり学んだと言われていた。
そんなんなら、来シーズンの新国の「ばらキシ」は、現田&神奈川フィルをピットにいれて欲しかった! アルミンク&新日フィルは、もう聴いてるし・・・・。

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2010年2月 2日 (火)

ヴォジーシェク 交響曲  ヘンゲルブロック指揮

Snow_view 2月1日の夜は、関東地方でも雪が積もった。
それでも1cmの積雪なんだけど、電車は少し乱れ、首都高も橋のあるところは通行止め。雪に慣れてない首都圏。
さらに降ってしまうと、翌朝は怪我人続出。靴の裏がツルツルの都会人の靴なのであります。
かく言うワタクシも、若い頃、北海道に初めて雪の季節に普段の靴で行ってしまい、まったく歩行困難になりました。滑り止めを市内で手に入れようやく歩けるように。
でも、夜飲んで、滑らな~いなんて、調子乗ってほいほい歩いていたら、見事にすってんころりん。
今では、雪道を歩くと、慎重のあまり筋肉痛になります(笑)

Schubert_vorisek_sym_hengelbrock 今日は、古典から初期ロマン派にかけての音楽を。
ヴォジーシェク(1791~1825)の交響曲と、シューベルト(1797~1828)の交響曲第1番がカップリングされたCD。
ヴォジーシェクなんて知らん
そう、私もまったく知らない作曲家で、この1枚でその名前を知った。
シューベルトと生年・没年を比べて見てください。
ともに34歳、31歳と早世している。
そして、ともにウィーンで活躍しているのも同じで、シューベルトはヴォジーシェクに幾多の影響を受けているともいう。
 そのヤン・ヴァーツラフ・ヴォジーシェクとは、どんな人なのだろう。
いかにもボヘミア系の名前。CD解説によれば、プラハに学び、かなりに実績を積んでからウィーンに移住し、フンメルに学び、ベートーヴェンとも知己を得てウィーンでも要職を得て第二の故郷として活躍するも、肺結核で亡くなってしまう。
オペラ以外の多彩なジャンルに曲を残したとされるが、交響曲はこの1曲。

ベートーヴェンに褒められたこともあって、その影響が大きいようで、シューベルトよりもよりベートーヴェンよりなところが面白い。
強烈なアタッカで推進力のある第1楽章に、ベートーヴェンの緩徐楽章のようにメロディアスな第2楽章、でもこの楽章の中間部では意外なまでに短調の厳しい響きが登場したりする。そしてスケルツォの3楽章の切れ味の鋭さとトリオのゆったり感。
ピリオド奏法で演奏するヘンゲルブロックの造りだす先鋭さばかりでなく、音楽そのものにも強さが感じられる。
シューベルトに一番似ている箇所かもしれない。
終楽章は、第1楽章の旋律が回帰されるなど、斬新なところもある朗らかで快活、明るいフィナーレである。ベートーヴェンとシューベルトを足して割ったような感じといえばよいかしら。
埋もれさせておくには惜しい名作だと思いますぞ。
マッケラスやビエリフラーヴェクも録音してるみたい。

対比して、シューベルトの若書きの交響曲は、抒情的な反面、背伸びしたかのような重厚感が微笑ましく、一方で素直にシューベルトの歌心に感じ入ることができる桂作。

こんな考えぬかれた組み合わせのCDを造るトーマス・ヘンゲルブロックは、1958年生まれ。おや、馴染み深いお歳だこと。
これからますます注目のドイツの指揮者。
ヴァイオリストとしてキャリアをスタートさせ、ドイツカンマーフィルのコンサートマスターも務め、ウィーンコンツェルトムジクスでも弾いたという。
若手演奏家たちと古楽オケや合唱団を創設したり、ルトスワスキやドラティらのアシスタントも務める一方、あらゆる芸術分野にも造詣を深めていった。
古楽出身と一言で割り切れず、現代音楽までも普通にこなす、マルチ指揮者は、まさにこれからの指揮者のあるべき姿のひとつの典型かもしれない。
 ここで指揮しているドイツカンマーフィルの芸術監督のあと、ウィーンフォルクスオーパーの音楽監督を経て、フェルキルヒ音楽祭の監督、さらには来年からドホナーニの後を継いで、北ドイツ放送響の音楽監督に就任する。
さらに来年はまた、バイロイト音楽祭にデビューして、「オランダ人」(順番から推測して)を指揮することになっているから驚きだ。
 ちなみにバイロイトの指揮者は、急速に若手器用を深めていて、今年はネルソンス(ローエングリン、ノイエンフェルスの恐怖の演出・・・)、2013年頃のペトレンコ(リングとの噂)などで、いま旬の指揮者たちばかり。

ヘンゲルブロックのはつらつとした、イキのいい音楽を聴いていると、先週聴いたミンコフキのハイドンのような、一皮むけたような生まれたての音楽に接したようなフレッシュな感銘を味わうことができる。
単にイキがいいだけでなく、全体のバランスや構成感もあって、曲がしっかりとあるべきところに収まっている感じで、突飛なところは一切ない。
彼の音源は、グルック、バッハ、モーツァルトや協奏曲の伴奏など。
ロ短調ミサやカンタータは是非にも聴いてみたいし、埋もれた名作の発掘にも力を入れたいと話しているので、これから面白いものがたくさん出てきそう。

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2010年2月 1日 (月)

後ろ向きのにゃんにゃん

1a 仕事の関係から定期的に訪問する人形町。
時間があれば、東西南北の路地をにゃんこ先生を求めて散策する。
この方は、たいていお会いできます。
呼んでも答えない、いつも後ろ姿。
2 寒いから尻尾が丸くなっちゃってますよ。
頭からうなじにかけてのライン。
ねこで、一番好きなところ。
おいおい、どんなお顔をしているのかね?
こっち見たらどうだい?
3 ウン?
と、チラリ。
1  今度は、帰り道に寄ってみましたよ。
そしたらいましたよ、さきほどの謎のにゃんにゃん。
くつろいでますなぁ。
4 「おい君」
「なんだい?」
今度は、すんなり振り向きましたぞ・・・・。
そしたら、あれ? れれ?
あんた、いい顔してんね~
味ありすぎちゃう?
5 さらに近づくと、こんな感じ。
めんどくさそうにしてますなぁ。
6 前にまわると、もうこれだよ。
目つぶっちゃったよ。
ごらぁ、起きろよsign03
余裕と風格のブ○○クにゃんにゃんでございました。
肉球、かわいいね。

後ろ向きじゃなくって、何事も前向きにいきましょうねnote

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2010年1月31日 (日)

東京交響楽団 名曲全集第53回 飯森範親指揮

Muza 川崎駅の改札周辺の混雑ぶりはすごい。
首都圏のターミナル駅はみんなそうだけど、その雑踏を抜けないと、ミューザ川崎にはたどり着かない。

    
リスト ピアノ協奏曲第1番
  
    ショパン(リスト編曲)
          17の歌曲~「わたしの愛しき人」

          ピアノ:ベンジャミン・グローヴナー

    マーラー 交響曲第10番
       (デリック・クック補筆完成版 第3稿 第2版)

          飯森範親 指揮 東京交響楽団
 
                      (2010.1.30@ミューザ川崎)      

Tso20100131 ミューザをフランチャイズとするオーケストラ、東京交響楽団の名曲全集。
今日の演目は、そんな有名通俗曲を思いおこさせるシリーズタイトルとは程遠い、マーラ10番がメインにどっかりとすえられた重量級プログラム。
ほぼ満席のホールは、めったに生演奏に接することのできない10番を食い入るように聴いている方々と、最初から終楽章のドラムの一撃までのあいだ安らかに昇天されていらっしゃる方々との対比が面白かった。

どちらも、演奏会では初めて聴く曲目。
18歳の英国のピアニスト、グローヴナー君の弾くリスト
有名なようで、そうでもない曲。アルゲリッチとベルマンしか持ってないけど、それらを直近で聴いたのはいつのことだろう?
全く聴かない曲のひとつ。久しぶりに聴いてみて、威勢のいい音楽というよりは、リリシズムにあふれたきれいな作品との印象。
グローヴナー君は、バリバリ弾くよりは、そうした場面での繊細な表現がよかったのでは。
アンコールの文字通りショパンとリストを足して2で割ったような曲も美しいものでありました。
リストって、ワーグナーの義父なんだなぁ~
ってことは、バイロイトのワーグナー家の人々にもその血が流れているんだなぁ~ なんて、ぼぉ~と考えながら聴いているうちに終わってしまった前半でありました。

マーラーは、そんなぼんやり聴きは許されない。
1楽章はすっかり手の内に入ってるけど、それ以降はそんなに聴いてない。
CDもハーディングとシャイー自家製カセットテープ起こし盤しかありません。
だから、思い切り必死に聴いて、そして涙したのです。
いったいぜんたい、なんたる曲なのでありましょうかsign01
最初と最後で25分ずつのアダージョ楽章。
間にある3つの楽章は、スケルツォ→ブルガトリオ→スケルツォ。
短かめの煉獄(ブルガトリオ)をはさんで、完全なシンメトリーの構成だが、間の3つは奇矯な音楽に聴こえるけれど、両端楽章は生への決別があまりに美しく語られる悲しみと諦めの浄化なのだ・・・。
最初のアダージョで、最近いろんなことがあったからウルウルきちゃって、中間の3つは少し気楽に楽しんで、最後のアダージョでは、悲しい気持ちを後押しされて、無常感漂うフルートソロでは、涙が溢れ出てしまった。

愛するアルマに未練たらたらのグスタフ。
一方で、改宗したクリスチャンとして、異例なまでにキリスト教の神にしがみつこうともしている。見えてきた自身の死をも重ね合わせ、孤高の様相も呈しつつ、グロテスクな中間部なども持つ・・・・。
やはり、これは多面的な要素のごった煮になった、まさにマーラーの音楽そのものであり、完成された完璧な音楽であることを、昨日の実演では目の当たりにすることができた。
いろんな版があって、ある意味では進行形の作品であることも魅力的。
エルガーの3番も、完全なる作品と私は認知しているけれど、そちらはペイン版しか考えにくいのに比して、マーラー10番は、いろんな可能性がある。
この曲の初心者であるワタクシには、いまのところクック版しか手が回りませんけれどね。
そんなワタクシには、昨日の飯森範親さんの指揮は、率直で明快、とてもわかりやすかった。
振りすぎの勇足もあったりしたけれど、音楽に没頭する熱意のあらわれ。
オーケストラも、こういう曲だとこなれるまで大変だと思うけれど、東響らしいパワフルな音と繊細さがとてもよく出ていたと思う。
フルート、トランペット、弦楽各奏者のトップさん、ホルンも含めて皆さんのソロとてもよかった。

大地の歌のパロディも随処に発見。同曲と第9と、この10番の3作品は、マーラー晩年の生への告別彼岸の3部作といえそう。
マーラーがこれらを書いたのと、同じ歳を迎えているワタクシ。
こんな、のほほんと、脳天気でいいものだろうか。
人生は厳しく、私を取り巻く環境も日に日に悪化してゆくばかり・・・。
だからこそ、音楽に救いを求めちゃうわけだけれど、この10番の終楽章には堪えた。
泣けた。
むなしかった。
なんという素晴らしい音楽だろうか。

こうして、わたしの、のほほん人生は、今日も続くのでありました。

アフターコンサートは、いつもお世話になっておりますお仲間と、ホール隣のラゾーナの居酒屋さんで、盃を傾けました。
ここで10番のスコアを初めて拝見させていただきましたよnote
一番下の段に、マーラーが残したスケッチが対比して書かれていて、全体は上から下までびっしりの音符。指揮者はこれを頭にいれて振ってるんだsign03
素人のわたしは、それで酔いがまわって、へろへろになってしまいました。
みなさん、お世話になりました。
Basashi





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2010年1月29日 (金)

ドビュッシー 練習曲集 内田光子

Asakusa_9 浅草は浅草寺のライトアップの様子。
この位置から見るのが五重塔と山門の両方が窺えるから好きなのだけど、1月は露天がしっかり出ていて、激しくフランクフルトーー、とかとうもろこし、あんず飴ーーとか暖簾が写ってしまうんだ(笑)
だから下をちょこっとカットしました。

Monet_pourville00_2  昨日酔っぱらった勢いで「月の光」をむさぼるように聴いたドビュッシー(1862~1918)。
あれ1曲じゃぁ、すまされない。
ドビュッシーの到達したピアノの世界。最後のピアノ作品を聴きましょう。
「12の練習曲」。
1915年、英国海峡よりの町、プールヴィルにて作曲を開始された練習曲。
 プールヴィルといば、モネの「断崖にて・・」のこの絵画が思い浮かび、ここに載せてみた。
この名画、2000年に盗難に遭い、つい先ごろ10年ぶりに発見され、犯人もお縄になったとのことである。その価値、1億ともいいますeye

絵画における印象派の代表モネと、音楽の印象派ドビュッシーはイメージ的に切ってもきれないものがあるけれど、ドビュッシーの方は、晩年に行くに従って、調性の世界からの離脱を感じさせるスレスレの緊張感に満ちた音楽を書くようになっていった。
だから、モネのぼうっ~とした、印象第一主義の雰囲気とは明らかに違う、いわば明晰で音楽のすみずみまで、光があたったかのような印象。

Debussy_12etude_uchida あの時代、音楽家の誰しもが「トリスタン」そして「パルシファル」の影響を受けざるを得なかったが、ドビュッシーも例外でない。
でも、自らワーグナーに決別しつつも、半音階的な技法に民族的な要素も加えたりで、新たな境地を切り開き、同時代人シェーンベルクが無調→十二音と進化していったのに比して、音階のある音楽の極限の可能性を極めてしまった晩年。
このあとに、メシアンがやってくるのを予見させるドビュッシーの音楽なんだ。
解説書に書かれた内田光子さんの文章も参考にして、まとめてみた印象。

まぁ、そんな小難しいことは抜きにしてこの12曲のエチュードを聴くとき、ショパンのような表題性はないものの、普通にここに展開されるピアニズムを楽しめば、メカニカルでも無機的でもない、お馴染みのドビュッシーの響きが見えてくる。
ちょっととっつきは悪いけれど、前奏曲集や映像、各組曲などと、同列に聴くことができるようになってきた、今日この頃。
何度も聴いていたら、キース・ジャレットやチック・コリアなどのいわばジャス抒情派の曲の先駆としても聴くことができるようになってきた。

2巻からなり、それぞれ6曲、計12曲。タイトルも付いている。
①5本の指のために、②3度のために、③4度のために、④6度のために、⑤オクターブのために、⑥8本の指のために・・・の第1巻。

第2巻は、⑦半音階のために、⑧装飾音のために、⑨反復音のために、⑩対比的な響きのために、⑪アルペジオのために、⑫和音のために。

それぞれのタイトルと、曲を結び付けて、その印象を述べるまでには、わたくし、まだ聴き込んでおりませなんだが、第2巻などは、音楽理論・実際演奏素人のわたくしでも、その雰囲気はアリアリと感じとることができます。

デイム・ミツコ・ウチダ
内田光子さんの緊張をはらんだ演奏を聴くと、いつもハラハラしてしまう。
そんなに根をつめて、凝縮し、透徹した音楽づくりをしていて、大丈夫なのかと・・。
このドビュッシーもそう。
曖昧さの一切ない、明快そのもののクリアーなピアノ。
一音一音が、考えつくされ、研磨しつくされたすえに選びとられた、厳しいまでのピアノ。
モーツァルトもシューベルトも素晴らしくて、おいそれとは日常聴けないくらいに凄いし、室内楽やリートの伴奏でも同じように、深い世界を切り開いてしまう内田さん。
ピアニストの概念を超えたピアニスト。
日本的なもの、とかなんじゃらなんて通念もとっくに通り越した人間存在・内田光子。
今年秋のクリーヴランド管との共演や、その時おそらく開かれるピアノコンサートは必聴でありましょうsign03

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2010年1月28日 (木)

ドビュッシー 「月の光」 フランソワ

Biwako_moon 本来は、真冬の今日、関東はとても暖かったし、お湿りも久方ぶりにあった。
でも、雨上がり、夜は冬らしく冷え込んで、空気が澄んで、月がとってもきれいな晩でした。
画像は、昨年10月の琵琶湖の月。
そうそう、びわ湖オペラで、やたらに感激した「ルル」の帰り道で、湖畔に浮かんだ月であります。

そして、今宵、ほろ酔いの帰宅途中、空を見上げたら、月しかありません。
むなしくもあり、美しくもあり・・・冬の月は妙に美しくありました。

Debussy_francois というわけで、こちらのブログでは、異例なまでに短い曲、ドビュッシー「月の光」を聴きました。
「ベルガマスク」組曲の中の一曲として、作曲されたのが、1890年。
自身は、没頭し、決別したワーグナーが「パルシファル」を初演したのが1882年。
この近似値的な年数は、われわれが、ワーグナーを聴き、ドビュッシーを聴くとき、思い起こさなくてはならないものだと、いつも思っている。

「月の光」ほど、一般的に、ドビュッシーのピアノ音楽を相対的にイメージする曲はないのではないでしょうか。
甘美かつ陶酔的で、旋律線が微妙にぼやけてしまって、曖昧、すれすれの音楽。
少し、酒気を覚えて、部屋の電気を消して、カーテンを全開にして、夜陰の中に月の光を探してみよう。
目が慣れてくると、ほのかに「ひかり」が差し込んでくるではないか。
寒い夜なら、月の精は、キラキラと雪の結晶のように舞うように見えるかもしれない。
これから迎える春の晩なら、ぼうっとした月明かりに、小躍りするような妖精も見えるかも。夏には、そして、よりクッキリした秋の月夜には・・・・・。

こんなイマジネーションを、四季折々、思いおこすことができるのは、わたしたち、繊細な日本人の特権かもしれません。
こんな数分間の名作品を、年中、愛でることのできる日本の四季と風土、人情に感謝しなくっちゃならないです。

サンソン・フランソワの粋なピアノで聴きました。

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