2019年3月18日 (月)

ベルク ヴァイオリン協奏曲 

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先週の河津桜と東京タワー。

芝公園の一角で、四季折々の花がきれいに整備され、美しく咲きます。

寒暖の差も大きく、その歩みは一進一退なれど、春はそこまで。

年中聴いてますが、とりわけ桜の季節に、そして沈丁花の香りが漂いだすころに聴きたくなるのがベルクの音楽。

何度かしか経験はないが、ベルクのオペラを観劇したあとは、歩く足元もふわつき、どこか割り切れない不条理さにさいなまれ、そして周辺の空気が甘く感じたりして、官能的な思いに浸りながら帰宅した思いが何度かある。

もう、33年前に初めて観た二期会の若杉さん指揮する「ヴォツェック」の帰り、モクレンの香りだったか。
そして、10年前に琵琶湖まで飛んで行った、「ルル」。
その時の帰りは、湖畔を散策しながら、ほてった頬を冷ましながら、怪しいまでに美しい湖面に浮かぶ月を眺めたものだ。

かようにして、わたくしのベルクへの想いは、香りや、光といった五感の一部とともに印象付けられているのだ。

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    ベルク  ヴァイオリン協奏曲

           ~ある天使の思い出に~


        Vn:ギドン・クレーメル

    サー・コリン・デイヴィス指揮 バイエルン放送交響楽団


             (1984.3 ミュンヘン)

初めて買ったベルクのヴァイオリン協奏曲の音源が、クレーメル盤。
外盤で出て即、買った。
何度も、何度も聴いた。
とりわけ、日曜の晩、床に就く前に、グラスを傾けながら聴くと、より切ない感じになってたまらなかった。。

クレーメルの硬質な、ちょっと神経質な音色もいいが、ほんとは、も少し色が欲しいところ。
でも、デイヴィスとバイエルンの暖かな音色はいい。


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              Vn:ヘンリク・シェリング

    ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団


             (1968.5 ミュンヘン)

そして、その次に買ったのが、LP時代の名演、シェリングとクーベリックのもの。
気品ある端正なヴァイオリンに、クーベリックとバイエルンのこれまたマーラー仕込みの柔らかな響き、この融合にヨーロッパの音楽の流れと歴史を感じる。
この1枚は、ほんとうに気に入った。いまでも大好き。

そして、ベルクのヴァイオリン協奏曲を次々に入手、エアチェックも多数。

ちょいと羅列すると、渡辺玲子、パイネマン、ズッカーマン、スピヴァコフ、スターン、ブラッヒャー、ファウスト、アラベラ・シュタインバッハ、ツィンマーマン、テツラフ、ムローヴァ、堀、アモイヤル・・・・まだあるかも。

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        Vn:イザベル・ファウスト

    クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

               (2010.12@マンツォーニ劇場、ボローニャ)


アバドの指揮する3つの音源。
ソリストも、オーケストラも、いずれも違う。
ムローヴァ(ベルリンフィル、エアチェック音源)、ブラッヒャー(マーラー・チェンバー)、ファウスト(オーケストラ・モーツァルト)。
豊饒さと激性、でも豊富な歌いまわしのムローヴァ盤、気脈の通じた、元コンサートマスターとの自在かつ、緻密なブラッヒャー盤、そして、いまのところ、ベルクのヴァイオリン協奏曲で、一番と思っているのが、イザベル・ファウスト盤。
がっつりと音楽の本質に切り込むファウストのヴァイオリンと、モーツァルトを中心に古典系の音楽をピリオドで演奏することで、透明感を高めていったアバドとモーツァルト管の描き出すベルクは、生と死を通じたバッハの世界へと誘ってくれるような演奏に思う。

過去記事より、曲についてのこと。

1935年、オペラ「ルル」の作曲中、ヴァイオリニストのクラスナーから協奏曲作曲の依嘱を受け、そして、その2カ月後のアルマ・マーラーとグロピウスの娘マノンの19歳の死がきっかけで、生まれた協奏曲。

「ある天使の思い出に」と題されたこの曲がベルク自身の白鳥の歌となった。

第1楽章では、ケルンテン地方の民謡「一羽の鳥がすももの木の上でわたしを起こす・・・」が主要なモティーフとなっていて、晩年、といっても40代中年の恋や、若き日々、夏の別荘で働いていた女性との恋なども織り込まれているとされる。

こうしてみると、可愛がっていたマノンの死への想いばかりでなく、明らかに自身の生涯への決裂と追憶の想いが、この協奏曲にあったとされる。

その二重写しのレクイエムとしてのベルクのヴァイオリン協奏曲の甘味さと、バッハへの回帰と傾倒を示した終末浄化思想は、この曲の魅力をまるで、オペラのような雄弁さでもって伝えてやまないものと思う。

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     バッハ     カンタータ第60番「おお、永遠、そは雷のことば」

        A:ヘルタ・テッパー
        T:エルンスト・ヘフリガー
        Bs:キート・エンゲン

     カール・リヒター指揮 ミュンヘン・バッハ管弦楽団
                   ミュンヘン・バッハ合唱団

                  (1964 ミュンヘン)


ベルクが、引用したバッハのカンタータ。
1723年の作曲で、イエスの行った奇跡を著した福音書をもとに、「恐怖と希望の対話」をえがいたもの。(解説書より)

死に怯える「恐怖」と、一方で、奇跡が起こる強い信仰を持つ「希望」との対話。
やがて、お互いが寄り添い、希望の喜びを歌う。

このカンタータの最後におかれたコラールが、ベルクがその旋律を引用したもの。
ここに聴くバッハの原曲も、憧れとどこか、終末観を感じさせるもので、リヒターのアナログ的な演奏も懐かしく、甘いものがある。
信仰とは、ときに、甘味なるものなのだ。

 「足れり、主よ、み旨にかなわば、割れを解き放ちたまえ!
  わがイエス来たりたもう。いざさらば、おお、世よ!

  われは天なる家に往くなり。われは平安をもて確かに往くなり。
  わが大いなる苦しみは地に葬られる。 足れり」  (訳:杉山 好)

ふたつの作品を聴きつつ過ごした日曜。

朝晩はまだ寒いが、日中は、暖かさに、鼻腔をくすぐる芳香を感じる。

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2019年3月10日 (日)

アンドレ・プレヴィンを偲んで ②

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サー・アンドレ・プレヴィン(1929~2019)を偲んで。

ベルリンで、ユダヤ系の両親の元に生まれたが、音楽の素養は、弁護士で会った父親譲りのもので、5歳からピアノを学びはじめたことによる。
ナチス台頭で、パリに逃れ、そこから家族でアメリカへ。
そして作曲家の伯父のいるカリフォルニアのビヴァリーヒルズに住み、そこでピアノと作曲をさらに学び、学業がてらMGM映画の音楽の仕事も始め、19歳で映画音楽も担当するなど、めきめきと才能を開花させていった。。。

1948年頃、ハリウッドで活躍を始めたプレヴィンだが、ちょうどその頃は、コルンゴルトが映画音楽から、再度、本格クラシックの作曲に戻り、ウィーンで再起しようとしたものの、すでに時代に取り残されたことを悟り、ふたたび、ハリウッドに戻らんとしていたころ。

プレヴィンとコルンゴルト、このふたりの接点をこうして思うのもまた楽しいものです。

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   コルンゴルト  交響曲 嬰ヘ長調 
    
 J・ウィリアムズにも通じるコルンゴルトの本格シンフォニー。
プレヴィンは、ゴージャスでありながら、重厚かつしなやかな響きをLSOから引き出してます。

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さて、プレヴィンの初期のころの話、ジャズピアニストとして、一気にブレイク。
さらにモントゥーに師事して、1962年セントルイス響で指揮デビュー。
指揮者としてのレコーディングも同時に開始、指揮者、ピアニスト、ジャズピアニスト、作曲家としてのマルチな音楽家、アンドレ・プレヴィンの本格的なキャリアがスタートします。

アメリカばかりでなく、英国を中心にヨーロッパでの活動も盛んになり、ロイヤルフィルとロンドン交響楽団との録音もRCAレーベルに始まります。
1967年には、ヒューストン交響楽団の音楽監督に就任。
さらに、ケルテスの後任として、1968年、ロンドン響から、首席指揮者としての就任を乞われるます。
アメリカとイギリス、ふたつのオーケストラでの活動が始まったものの、妻がありながら、女優のミア・ファーローと同居していたことが保守的なヒューストンでゴシップとなり、プレヴィンはヒューストン響を3年で辞任することになり、この先、長年の蜜月となるロンドン響に専念することとなるわけです。

1968~79年に首席指揮者を務め、その後、85年にロイヤルフィルの音楽監督になったこともあり、ロンドン響とは、ちょっと疎遠になるものの、後に桂冠指揮者、そして最後には、名誉指揮者となりました。

ロンドン交響楽団とは、ほんとに多くの録音が残されてます。
首席指揮者時代は、EMIに、名誉指揮者時代はDGに。

ロンドン響との録音で、このコンビの多様な魅力が味わえる2つ音源。

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プレヴィンは、バーンスタインのように、語りも巧みで、BBCで、一般向けのクラシック番組解説付きで放映し、それが大ブレイクして、そのカジュアルな雰囲気も相まって、大人気となりました。

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その番組「ミュージック・ナイト」で取り上げた曲を集めた2枚。

自作の番組テーマ曲、ウォルトンの「戴冠式行進曲」、「魔法使いの弟子」、アルビノーニのアダージョ、「ヘンゼルとグレーテル」序曲、ラ・ヴァルス、スラヴ舞曲、「ルスランとリュドミラ」序曲、バーバー「弦楽のためのアダージョ」、ファリャ「三角帽子」、ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」、バターワース「青柳の堤」、J・シュトラウス「皇帝円舞曲」

このあと、何度かの再録音もある、プレヴィンのレパートリーの根幹がここにあります。
いずれも爽やかに、親しみやすく、音楽を聴かせてくれます。
今回は、ことさらに、バーバーのアダージョと、バターワースの作品が、とても心に沁みました・・・・

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ロンドン響との、大きな功績のひとつは、ラフマニノフと並んで、ヴォーン・ウィリアムズの交響曲全集を手掛けたこと。

レコード時代に、ことさらにパノラマティックな作品の「海」と「南極」を入手し、ボールとのレコードとともに擦り切れるくらいに聴いた。

こういう大きな作品をわかりやすく聴かせることにかけても。プレヴィンは名人だった。
CD化され、ほかの番号も、さらに、ロイヤルフィルとの再録もすべて聴いたが、さまざまな作風のV・ウィリアムズの多彩さと抒情性を、これまたよく描いていて、RVW作品の自分にとっての、ひとつの道標ともなりました。

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プレヴィンは、ロシア系の音楽も広範に取り上げ、大いに得意にしてました。

ロンドン響とは、チャイコフスキーの3大バレエを録音し、そのビューティフルな演奏に虜となりました。
またプロコフィエフは、交響曲とバレエ音楽を幾度も録音。
切れ味のよさと、憂愁とを巧みに表出。
そして、ショスタコーヴィチも多く取り上げ、残した番号は、4、5、6、8、10、13番。
プレヴィンの持つ音楽性は、案外、低域を重たく表現することが多く、ショスタコの暗い響きをよくつかんでいました。

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プレヴィンとロンドン響との英国音楽もたくさん。
もちろん、ロイヤルフィルともありますが。
そのRPOとともに、エルガーの主要な管弦楽作品を残してくれました。
1番よりも、ノーブルさと憂愁さのまさる2番の方が、プレヴィンには合ってました。
N響では、取り上げてくれませんでしたが、コンセルトヘボウとのライブもFMで聴きました。
ホルストの「惑星」も、「エグドン・ヒース」も忘れ難いですが、親交のあったブリテンの「春の交響曲」が曲の内容とともに、そして爆発的な春の訪れを描くプレヴィンの指揮が素晴らしい1枚です。

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ロンドン響とは、オケのフレキシビリティも加わって、協奏曲の録音も数多いです。
合わせものが、とてもうまかったプレヴィン。
協調性と優しさ、ソリストを立てる巧さにおいて、みんなが共演を望んだ指揮者がプレヴィンです。
オーマンディ、マリナー、ハイティンク、アバドなども、みんな協奏曲の達人だと思います。
ルプとの、シューマン・グリーグ、アシュケナージとのラフマニノフにプロコフィエフなどが、その代表格でしょう。

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1976~84年には、ロンドン響と一次兼任で、ピッツバーグ交響楽団の音楽監督となります。

ピッツバーグは、ケチャップのハインツがオーケストラを支える資本のメインで、そのメインホールもハインツホールと言うくらい。
プレヴィンは企業の資本家筋とも実にうまくやって、さらに、レコーディングの檜舞台から遠ざかっていたオーケストラを、メジャーレーベルに復活させました。
ピッツバーグ時代のわたくしの思う代表作ふたつ。

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ロンドン響とのガーシュインが、実にナイスなんですが、あえてピッツバーグで。
ちょっと重心が低い感もありますが、フィリップスの見事な録音もあいまって、歌い心地満点のジャジーなガーシュイン
発売当時、ニッサンのブルーバードのCMに使われてました。
やりそうでやらなかったチャイコフスキーの後期交響曲を、ようやくピッツバーグで録音。
あせらず騒がず、堂々たるチャイコフスキーでした。

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ピッツバーグのあとは、ロンドンに戻り、ロイヤル・フィルハーモニー(RPO)の音楽監督に迎えいれられます。

ロンドンの5大オケのなかでは、やや低迷していたRPOを、これまたメジャーレーベルに再び登場させたのです。
EMI,フィリップス、テラークという幅広いレーベルに、かつてLSOと入れたレパートリーを再録音。
でも、LSOの旧録音の方が、よかったりもした部分もありました。
しかし、本格的なドイツ音楽を録音し始めたのもRPO時代であります。

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ブラームスの交響曲は、3番と4番しか指揮しなかった(はず)。
N響でも素晴らしかったけれど、このRPO盤は、意外なほどに渋く、かっちりとまとまっており、しなやかなロマンティシズムを感じさせます。
好きな4番のひとつです。
 そして、全曲は完成しなかったが、ベートーヴェンの交響曲をRPOで残しました。
こちらも至極オーソドックスで、クリアーな、もやもや感ゼロのベートーヴェン。
RPOの無色透明なサウンドがお似合いで、深みはないが、曲の良さし感じさせない演奏。
アックスとピアノ協奏曲全集を入れているので、交響曲の再発とともに、望んでおきたい。

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ロイヤルフィルと兼ねるように、再びアメリカへ。

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ロサンゼルス・フィルハーモニックには、1986~89年に音楽監督として、ジュリーニがヨーロッパへ帰ったあとの空席を救います。
ロス時代の録音は、フィリップスとテラークへ。

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テラークへのドヴォルザークの後期3大交響曲。
一番得意にしていた、8番。
ジャケットとともに、懐かしさと人なっこさを感じさせるハートウォームな佳演。
ちょっと乾き気味の録音のせいもあるけれど、カラッとしたロスフィルのカリフォルニアサウンドが実によろしい。
 同様に、明るめなプロコフィエフも機能性高いロスフィルあってのもので、ばっちり決まってる。5番よりも、6番の方がいい。
あと、アレクサンドルネフスキーもLSO以来、LAPOで再録しました。

アメリカのオーケストラとは、シカゴとフィラデルフィアでも録音を行いました。
終焉の地もアメリカでした。
ロスフィルを卒業しましたが、プレヴィンは、アメリカではバーンスタインに次ぐ、自国の巨星となったのでした。

プレヴィン最後の指揮者としてのポストは、オスロ・フィルハーモニーで、2002~06年。
ヤンソンスの後を継いだ訳ですが、さしたる録音は残しませんでした。
FMで放送された、ラフマニノフの2番を録音しましたが、相変わらずのプレヴィンらしい、聴かでどころのツボを押さえた見事な演奏でした。
ほかの録音も、今後、どこからか出てこないものでしょうか。

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プレヴィンは、ウィーンフィルとも相思相愛の仲でした。
ウィーンフィルとは、ザルツブルク音楽祭の来演のかたちで、一度来日し、モーツァルトだけの演奏会を行いましたが、これは聴きもらしました。
でも、この時行われた、キュッヘルを中心とするウィーンフィル四重奏団と、2曲のピアノ四重奏曲を演奏しました。
これを聴くことができましたが、それこそ至福のひととき。
ホール中が、まろやかなウィーンのモーツァルトの響きに包まれてしまいました。
CDでも、彼らの演奏は、とても大好きで、大切に聴いてます。

グローバル化しつつあったウィーンフィルの本来の響きや音色を、無理なく自然に引き出すことができたのが、プレヴィンだったのです。

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プレヴィンの軽やかなピアノも、ウィーンフィルのまろやかな響きも、ともに楽しめるのが、モーツァルトのピアノ協奏曲の17番と24番。
EMIにボールトの指揮でも、録音しておりましたが、ここでは、フィリップスの素晴らしい録音もあいまって、ほんとに素敵な、ステキすぎるモーツァルトが、一杯つまってます。
 そして、R・シュトラウス!
オーケストラ作品と協奏曲を、ほぼこのコンビで録音してくれました。
主だった作品はテラークレーベルに入れましたが、とりわけ、「アルプス交響曲」と「ドン・キホーテ」や「死と変容」、さらにフィリップスへの「メタモルフォーゼン」、DGへの「家庭交響曲」は素晴らしいと思います。
 でも、ここでは、オペラからの管弦楽作品を集めた珠玉の1枚を。
芳醇な「ばらの騎士」にうっとりとしてしまいますが、「インテルメッツォ」の軽やかさと、舞曲の心躍る楽しさ、そして、枯淡のような「カプリッチョ」、月光の音楽のしたたるような美音。
プレヴィンの音盤のなかで、シュトラウスのオペラ好きとしても、一番好きな1枚かもしれません。

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オペラといえば、プレヴィンの指揮したオペラ作品は、ラヴェルの2作と、「こうもり」ぐらいしかないかもしれません。
イタリアオペラやワーグナーとも無縁。
R・シュトラウスのオペラを録音するような話もたしかありましたが、実現はしませんでした。
 むしろ、オペラは自ら作曲をする方でありました。
「欲望という名の電車」は、映像で一度観たのみで、詳細はあまり覚えておらず、語れません。
いつか音源も入手したいところです。
自作では、「ハニー・アンド・ルー」がCDも実演も、両方聴いてますので、好きな作品です。

ジャズの分野は、またいずれ、日を改めたいと思いますが、あんまり聴いてません。

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さて、われわれ日本人にとってうれしかったのは。NHK交響楽団の首席客演指揮者となっていただいたこと。
もしかしたら、後期のことゆえ、賞味期限切れとも思われたりもしました。
元来、首が悪く、猫背の症状もさらに悪化していた2007年以降、常に来日して、プレヴィンの元来のレパートリーを数々、披露していただきました。

ここぞとばかり、その、ほぼすべての演目を貪るように聴きました。
お得意の、弾き語りのモーツァルト、ラフマニノフの2番や、ショスタコ、プロコフィエフのいずれも5番、ブラームスに、R・シュトラウス・・・、ともかく、プレヴィンの、これまでの集大成ともいえる音楽を、N響にて聴くことができたのです。

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老いて、背中も曲がり、かつての、スマートで、しゃきーーんとしたプレヴィンとは大違いの、好々爺的な指揮姿でしたが、N響から引き出す、その音楽は、まさにプレヴィンの音楽そのものでした。

プレヴィンの音楽を、ずっと聴いてきて、最終的に、老いたりとはいえ、日本のN響で、最後の輝きを残してくれたことに感謝したいと思います。


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  3月10日の、芝公園の梅

あとね、この3CD。
コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲。

この作品に、3つの録音を残したのも、プレヴィンならではで、ほかにはいません。

ソロに合わせつつ、コルンゴルトのほろ苦い、甘味な世界を描きつくしている、プレヴィンの指揮でした。

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オケごとに、プレヴィンの音楽を振り返りたいとも思いましたが、更新も遅れがち、書けるときに一気に書きました。
長文失礼しました。

サー・アンドレ・プレヴィンの魂が永遠でありますことを♰

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2019年3月 1日 (金)

アンドレ・プレヴィンを偲んで ①

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愛すべき音楽家、そして、日本にもおなじみの音楽家、アンドレ・プレヴィンが、2月28日、亡くなりました。

享年89歳、あと少しで90歳を前にして。(1929~2019)

ロンドン交響楽団の黄金時代を築いたプレヴィン、その死を悼むページがどこのオーケストラのサイトよりも先に出てました。

このブログで、何度も書いてるかもしれませんが、わたくしの敬愛する指揮者は4名、音源も多数聴いてきたし、実演も、記事数も多いマエストロたち。
アバド、ハイティンク、プレヴィン、マリナー。

次々に物故してしまう。
自分もどんどん歳を重ねるとともに。

彼らの演奏を、常に新しいものを聴きつつ楽しんできたけれど、それが止まってしまうことの悲しさよ。

アメリカにとどまって、ローカルなオケを楽しみながら指揮したり、作曲活動も、ゆったりと行っていた、ここ数年。
でも、その活動の報が、まったくキャッチできなくなっていた、この2年ぐらい。

来るべきものが来た、そんな感じです・・・

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今宵は、まず、プレヴィンがあってこそ、世に広まり、いまやコンサートの人気曲のひとつとなったラフマニノフの交響曲を聴いて、プレヴィンを偲んでみました。
ほんとに美しい演奏です。

時間が許せば、ここしばらく、プレヴィンの音楽をたどってみたいと思います。

サー・アンドレ・プレヴィンの魂が、常しえに安らかにありますことを♰

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2019年2月24日 (日)

ムソルグスキー 「ボリス・ゴドゥノフ」 アバド指揮

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数年目に訪れた、函館の聖ハリストス教会。

ロシア正教会の庇護下にあるハリストス正教会。

1859年が起源といいます。

ロシア・ビザンチン様式のこの教会建築は、見慣れたカトリックのそれとは、まったく違います。

函館山の中腹にある3つの教会、元町教会、聖ヨハネ教会とともに、3つの宗派の異なる建築物としても楽しめます、わたくしの大好きな場所です。

もう何年も行ってませんが。

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   ムソルグスキー  「ボリス・ゴドゥノフ」

    ボリス・ゴドゥノフ:ニコライ・ギャウロウ
    フョードル:ヘルガ・ミュラー・モリナーリ
    クセーニヤ:アリダ・フェラーリニ
    乳母:エレノーラ・ヤンコヴィック
    シュイスキー公:フィリップ・ラングリッジ
    シチェルカーロフ:ルイジ・デ・コラート
    ピーメン:ニコラ・ギュゼーレフ
    グリゴリー:ミハーイ・スヴェトレーフ
    マリーナ:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
    ランゴーニ:ジョン・シャーリー・クワーク
    ワルラアーム:ルッジェーロ・ライモンディ
    ミサイール:フォロリンド・アンドレオーリ
    旅籠屋のおかみ:フェドーラ・バルビエーリ
    聖愚者:カルロ・ガイファ
    ニキーチキ:アルフレード・ジャコモッティ
    ミチューハ:ジョヴァンニ・サヴォイアルド 他

     クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
                     ミラノ・スカラ座合唱団
             合唱指揮:ロマーノ・ガンドルフィ

              (1978.7.12 ミラノ)


よくいわれるように、アバドのムソルグスキーへの入れ込みようは、執念ともいえるくらいのものでした。

ボリス・ゴドゥノフ」は、ロンドン、スカラ座、ウィーン、ザルツブルクでまんべんなく上演し、「ホヴァンシチナ」も、スカラ座とウィーンでそれぞれ上演。
レコーディングでも、そのふたつのオペラに、「展覧会」は2度、原典版「はげ山」は4回、その「はげ山」を含む管弦楽曲集は2回。
しかも、「展覧会」の余白には、めったに演奏されないオペラの場面がカップリングされるという凝りようで、1回目のロンドン響とのものは、ラヴェルがカップリングされながら、渋いムソルグスキー色の「展覧会」に仕上がっていたし、2度目のベルリンフィルとのものは、オケの音色が明るくなったものの、カップリング曲も含めて、ムソルグスキー色満載。
 チャイコフスキーの交響曲の余白にも、死の色の濃い歌曲も。

こんな風に、アバドはムソルグスキーがほんとに好きだった。

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42歳で亡くなってしまった、ムソルグスキー(1839~1881)のその時代。
ブラームスやブルックナーとかぶる世代。
マーラーは、ボリス作曲のころ、まだ11歳。

 そして、ロシアの国情は、帝政ロマノフ朝の最後期にあり、ニコライ1世からアレクサンドル2世へと治世が変わった頃。
権力者、貴族、地主が潤い、農奴制があったため、民衆=農民は、つねに虐げられていた。
そんななかで起きたクリミア戦争で、武器や戦力に欧州勢との違いを見せつけられ敗北し、社会改革の必要性をアレクサンドル2世も痛感。
 農奴解放令を出し、上からの指令での改革に乗り出すも、反権力者・人民主義者(ナロードニキ)たちの皇帝などの権力者打倒の動きに押され、皇帝は暗殺されてしまう。
その暗殺の年、1881年は、ムソルグスキーが亡くなった年でもあります。

ロシアは、その後、日露戦争、第一次世界大戦でどんどん国力を弱めて行き、1917年のロシア革命と、1922年のソ連の誕生を迎えるわけです。

こんな歴史を念頭に、ムソルグスキーの、とくに人の手が入っていない原典の作品を聴くと、そのほの暗さに、ロシアの民たちの声が聴こえてくるような気もする。
まったく違う曲に思える「はげ山の一夜」や、「ボリス・ゴドゥノフ」などがその典型かと。

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一方で、実在の「ボリス・ゴドゥノフ(1551~1605)」は、ロマノフ王朝前、モスクワ大公国の時代にあり、ここでのロシアは周辺国を次々に呑み込み大国化。
国の基盤も整備したものの、内戦や周辺国との闘いが多く、やはり民衆は疲弊した。

その晩年が独裁的な強帝であった、イワン4世、すなわちイワン雷帝(プロコフィエフの作品にあります)は、家族にも暴力的で、3人の息子のうち、長男を殺めてしまう。

ボリスは、このイワン雷帝の顧問官という立場にあり、雷帝の方針で、貴族を迫害し、ボリスのような新興士族を重用するということもあって、政務に携わることとなった。
 ちなみに、貴族として登場しているのがシュイスキー公で、この公がこのオペラの影のキーマンでもあったりします。
 さて、イワン雷帝が亡くなると、次の皇帝には、次男のフョードル1世が即位するが、彼は知的障害もあって、実の政務はまさにボリスが行うこととなった。
さらに自身の妹をフョードルに嫁がせ、皇帝の縁戚としての立場を着々と築いていった。
独裁的な前帝のあと、心優しいフョードルは、国民に人気で、すなわちボリスの政治は悪くはなかったということになる。

このオペラの肝のひとつは、「聖愚者=ユロージヴィ」の存在で、愚かななかに、聖なるものを見出すという考えです。
これは、フョードル1世にもいえて、さらに考えると「パルジファル」にもつながりますね。

そして、フョードル治世下、イワン雷帝の三男ドミトリーが変死。
跡継ぎのいなかったフョードル帝もなくなり、ここで、モスクワ公国の血筋が途絶え、ボリスが選定されることとなるわけです。
ちなみに、この頃の日本は、秀吉の天下です。

 このボリス・ゴドゥノフの皇帝就任から、その死までの7年間が、このオペラの時間軸。

さらに知っておきたいのは、宗教のこと。
東西教会の分裂でできたキリスト教の二つの派、カトリックと正教会。
正教会の総本山は、なんといってもコンスタンティノープルだったが、イワン雷帝の頃、モスクワが総教主府になり、ロシアが正教会の総本山との意識に立つこととなり、カトリックは異端として弾圧された。
 ところが、ポーランドで旗揚げした偽ドミトリーが、ゴドゥノフ一族を滅ぼし、皇帝を宣言し、今度はカトリックを導入しようとしたところ、民衆の反発に会い、クーデターで滅ぼされる。
その後は、シュイスキー公が皇帝になったり、またもや偽ドミトリー2号が出てくるなど、ロシアは混迷を深め、やがてロマノフ王朝が開かれるわけです。
ほんと、ややこしい。

このあたりまでを頭に置いておくと、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」は、とてもよく書けてるし、R=コルサコフが改訂し、ボリスの死で終わる版が、ムソルグスキーの意図と異なることがわかります。
すなわち、ボリスはタイトルロールでありますが、このオペラで描かれているのは、ロシアという国そのものだと思います。
 皇帝・貴族・民衆と農民、この3者がロシアの大地で織りなす、それぞれの対立軸。
何度も繰り返されるその権力者と民衆の栄枯盛衰は、ソ連になってからも、さらにソ連崩壊後の現在のロシアにあっても、その役柄こそ変化しても、ずっと不透明感があふれているんだろうと思います。

      --------------

罪に苛まされて、苦悩のうちに死ぬ権力者の悲劇。
それから、お上が変わっても、いつも貧困や悲しみに苦しむ民衆の悲劇。
このふたつ悲劇が織り込まれたのが、このロシアのオペラの本質であります。

聖愚者=ユロージヴィは歌います。

 「流れよ、流れよ、苦い涙 泣け、泣くがよい、正教徒の民よ
  すぐに敵がやってきて、また闇が訪れるよ
  漆黒の闇、何も見えない暗闇
  苦しみだ、これがロシアの苦悩
  泣け、泣くがいい、ロシアの民よ、飢えたる民!」


ロシアの作曲家が、その作品を多くオペラにした原作者プーシキンの1825年の作。
発禁処分を受けたりと、権力側とも闘争のあったプーシキンならではの、ロシアの悲劇の描き方。
この原作をあまねく活かしたのがムソルグスキーの音楽で、このほの暗いなかに、原色の世界を、見事に描くのがアバドの指揮なのでした。

よく言われますが、ムソルグスキーの音楽には歌があって、そして、旋律線とロシア語という言葉が連動し合う巧みさがあります。
そして、のちの表現主義的な要素もあり、アバドはこうしたあたりにも共感して、ヴェルディを指揮するように、そして、ベルクやシェーンベルク、マーラーを指揮するかのように、ムソルグスキーを指揮していたんだろうと思います。

今回、メインに聴いたスカラ座でのライブは、まさにアバドの真骨頂で、スカラ座のオーケストラから、渋い色調の音色と、一方で開放的な明晰な音色とを引き出しています。
ライブならではの熱気にもあふれていて、聴衆の興奮が、ものすごいブラボーとともに収録されているんです。

93年のベルリンフィルとの録音は、ちゃんとしたレコーディングなので、すべてが完璧極まりなく、精度も高く、オケも歌手もべらぼうに巧いです。
しかし、完璧のベルリン盤もいいが、このスカラ座の熱気に満ちた演奏も実に素晴らしいものがあります。
さらに、わたくしは、自慢じゃないけど、NHKで放送された91年のウィーン国立歌劇場でのライブ音源も所蔵していて、ウィーンフィルの音色も楽しめつつ、やはりムソルグスキーの原色の音楽がここにあります。

そしてさらに、94年9月、NHKホールで観劇したウィーン国立歌劇場との来日上演に、最上の席で立ち会えました。
暗譜で指揮するアバドの指揮に、歌手も合唱も、オーケストラも、そしてわれわれ観劇者も集中しつくし、一体となってしまいました。

Boris_wien_3

このときの演出が、ロシアの映画監督のタルコフスキーのもので、そもそも、タルコフスキー唯一のオペラ演出が、このボリスで、亡命中のタルコフスキーに、83年にアバドが依頼してロンドンで上演したものなのです。
タルコフスキーは、86年に亡くなってしまうのですが、アバドは、この演出を91年のウィーンでも取り上げ、そして、日本にもこのプロダクションを持ってきたのです。
ごくごく明快で、時代設定も動かさず、わかりやすい舞台でした。
印象的だったのが、舞台のどこかに、少年ドミトリーのような姿が始終あらわれていて、ボリスの心理を圧迫してゆく影武者のようになっていたことです。
 このタルコフスキー演出は、83年、91年、94年(東京)で取り上げてます。
そして、ベルリンフィルとのレコーディングのものは、ベルリンでのコンサートと、ザルツブルクでの上演に関わるもので、こちらの演出は、ヴェルニケとなりました。
94年4月ザルツブルク・イースター、8月にザルツブルクで、ベルリンフィルとウィーンフィルが、それぞれピットに入りました。
そして、その年の9月に東京にやってきたわけです。

集中的にボリスを指揮し続けた1994年、その年以来、アバドはボリスを取り上げる機会がありませんでした。
ボリスを、ムソルグスキーを愛したアバドです。

Boris_godunov_abbado_01
 ザルツブルクのアバド

このスカラ座盤のいいところは、もうひとつ、ニコライ・ギャウロウのタイトルロールです。
絶頂期にあった、この深くて神々しいまでの美声は、ほんと魅力的です。
ほかの、スカラ座のイタリア歌手たちや、ロシア、ドイツの歌手、みんなアバドの元に素晴らしい歌です。

録音もちゃんとしたステレオで、視聴にはまったく問題ありません。

Boris_godunov_abbado_05

ヴェルニケ演出での戴冠式の場。
全然違います。

Haris_1

長文失礼いたしました。

いつかまた、今度は、「ホヴァンシチナ」を記事にしようと思います。

過去記事

 「ボリス・ゴドゥノフ アバド&ベルリンフィル」

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2019年2月14日 (木)

シベリウス 弦楽のためのロマンス ヤルヴィ指揮

Hikawa

ちょっと前の梅の花。

赤坂の氷川神社。

いまはきっと満開。

このところ、仕事もふくめて、いろいろと気ぜわしくて、ブログ更新もままならず、さらに音楽をちゃんと聴く環境にもなかった・・・・

そんなとき、短くてもいい、癒される佳品をと思い、思いつくままに引っ張り出した1枚の、メイン曲のその余白。

涙が出てきた。

Sibelius_sym2_jarvi_2

  シベリウス 弦楽のためのロマンス op.42


      ネーメ・ヤルヴィ指揮 エーテボリ交響楽団

           (1982.9.3 エーテボリ)


N・父・ヤルヴィが評価され、本格的に世に出た、BISレーベルからのシベリウス全集の2番の余白に入ってた曲。

テンポよく、スピーディーにすすむメインデッシュの2番よりは、なぜか、この楚々とした5分ぐらいの地味な作品が気に入ってました。

CD初期の、もう35年前の音盤。

週末に実家に帰り、週初めには都内の職場と、無味乾燥な安アパートに帰る日々。

そんな日曜の晩の、寝る前の刹那的なひと時。

これを聴いて、ウィスキーを一杯あおって、床に就く。

そんな若きいっときもありました。

 いまは、いろんな自由は得たけれど、他の縛りや逆行に囲まれた。

なにげなく、聴いた。

無意識に、かつての想いにとらわれ、チョイスした曲。

1番と2番のあいだあたりのこの作品。

切実な様相もありつつ、情熱にもあふれ、そして、悲しみのなかのやさしさを感じる。

さぁ、寝ましょう、という感覚も呼び覚ます、そんな効能あふれる曲でした。

Hikawa_2

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2019年1月20日 (日)

アバドのプロコフィエフ

Ume_1

日の入り直後、浮かんだ雲が夕日を浴びて美しかった。

そして、クラウディオ・アバドが天に召されて早くも5年。

あの日の朝、ネットで海外ニュースをぼんやりと見ていて、飛び込んできたアバドの訃報。

呆然として、しばらく何も手につかなかった。

でも、ときおり思い出したように出てくる発掘音源が、心から楽しみだし、残された豊富な音源や映像に囲まれているのも、思えばファンとしては幸せなことなのかもしれない。

この日に、アバドの得意としたプロコフィエフをいろいろ聴いてみた。

Prokoviev_abbado

「ロメオとジュリエット」「道化師」 抜粋  ロンドン交響楽団 66年

ピアノ協奏曲第3番 マルタ・アルゲリッチ ベルリンフィル  67年

「古典交響曲」、交響曲第3番       ロンドン交響楽団 69年

「キージェ中尉」「スキタイ組曲」      シカゴ交響楽団  77年

「アレクサンドル・ネフスキー」        ロンドン交響楽団 79年

タイボルトの死               ECユースオケ  79年

ヴァイオリン協奏曲第1番・2番  ミンツ シカゴ交響楽団  83年

「ピーターと狼」「古典交響曲」ほか    ヨーロッパ室内管  86年

ピアノ協奏曲第1番・3番   キーシン  ベルリンフィル    93年

「ロメオとジュリエット」抜粋      ベルリンフィル    96年

 (あと映像として、シモン・ボリバルとのスキタイ、ピーターと狼
    ワンとルツェルンでピアノ協奏曲第3番)

アバドの録音したプロコフィエフは、以上だと思います。

こうしてみると、やはり、「ロミオ」が一番お得意で、あとは協奏曲。

でも、本当にアバドらしいのは、「アレクサンドル・ネフスキー」と交響曲第3番。

Prokofiev_alexander

「アレクサンドル・ネフスキー」、もともとは、エイゼンシュタインの依頼による映画音楽からチョイスした壮大な声楽作品。
ダイナミックで写実的な場面は、迫力満点で、アバドは、気脈の通じ合ったロンドン響と緻密かつ明快盛大な音楽を作り出している。
 しかし、この作品のもうひとつの一面、圧制に苦しむ民衆と、その開放、このあたりをよく描いていて、ムソルグスキーを愛したアバドの着眼点は、ここにあると思わせる、そんな「ネフスキー」の演奏になってます。
そして、録音が抜群によろしい。
 
 そして、ユニークなのが、交響曲第3番
若い頃から、プロコフィエフの交響曲ならこの3番のみを演奏してきたアバド。
西側の指揮者で、この3番に刮目した初の指揮者ではないでしょうか。
 2番とともに、アヴァンギャルドな作風も有しつつ、ロシアの憂愁や、甘味な旋律もあふれる、何気に素晴らしい作品で、バレエ音楽にも近い。
これをアバドは、イタリア人の明るい目線でもって、歌でもって答え、快活に演奏してしまった。
プロコフィエフの特徴である、クールなリリシズムを、アバドほど巧みに描きだす指揮者ないなかった。

Prokofiev

画像は借り物ですが、アバドのDGデビュー盤は、朋友アルゲリッチとの、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番とラヴェル。
ともに、両曲一番の名演だと、いまもって思ってます。
67年の録音ですが、この年、さらにベルリンフィルとは、ブラームスのセレナーデ2番などを入れてまして、カラヤン以外の録音は当時はとても珍しかったはず。
当の名器ベルリンフィルも嬉々として演奏している感があり、ノリノリです。
そしてアバドのスマートな指揮に、アルゲリッチの情熱的なピアノが見事な反応を起こして、チョーかっこいいプロコの3番が仕上がりました。
のちの慎重すぎのキーシンとのもの、さらには、アクロバティックな空疎なY・ワンのものより、ソリストとの組み合わせで、この一番古いものが好きです。

協奏曲で、シェロモ・ミンツとのヴァイオリン協奏曲
こちらも、今度は曲が、とくに2番が深いだけに、さらにシカゴがオケなだけに、演奏の充実度が高いです。アバドの緻密なバックがあって、ミンツの美音が光っている印象。
受ける印象は、冷たい空に浮かぶ怜悧な三日月みたいな感じの美しさ。

さらにシカゴの高性能ぶりをまざまざと見せつけてくれる見本のような、「キージェとスキタイ」。
このふたつの組曲の理想的な演奏がアバド盤でしょう。
切れ味するどく、どこもかしこもエッジが効いていて、リズム感も抜群、聴いていて、爽快かつ胸のすくような快感を覚えます。
さらに、この1枚もまた、録音がよい!

「ピーターと狼」は、各国の著名人たちがそれぞれに声を担当して各地で発売されたが、日本では、アバド自身が選んだ坂東玉三郎。
しかし、私の持っている外盤は、カレーラスで、スペイン語だったりします。
鋭敏な演奏で、面白いのですが、この音盤でステキなのは、その余白に収められた「ヘブライ序曲」と「軍隊行進曲」だったりします。
アバドらしい凝った企画です。

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アバドのメジャーレーベルデビューが、デッカへの「ロミオとジュリエット」
組曲から、9曲を抜き出したロンドン響との演奏。
デッカの生々しい録音が今でも鮮度高いですし、アバドの堂々としてゆるぎない指揮ぶりもデビュー盤とは思えない充実ぶりを感じさせます。
音色は明るく、地中海的ですらあります。
そして、ここでも抜群のリズム感が光ります。

79年に、ザルツブルク音楽祭で、若いECのオケとの演奏会のアンコールに「タイボルトの死」を演奏。
この鮮烈かつ、血の出るような熱気あふれる演奏はライブで燃えるアバドならでは。

そして、デビュー盤から30年後、お互いにベストコンビとなったベルリンフィルとの録音は、今度は組曲からではなく、全曲版全52曲から、アバドが選び出し、曲順も変えた20曲の抜粋版。
以前に書いたこの音盤の記事と、今聴いても思いは変わらないで、ここに再褐しておきます。

<繊細な歌う絶妙のピアニシモから、分厚いフォルティッシモまで、広大なダイナミックレンジを持つ鮮烈な演奏。
威圧的にならず、明るいまでのオーケストラの鳴りっぷりのよさが味わえるのも、見通しいい音楽造りをするアバドならでは。
 有名な「モンタギュー家とキャピレット家」や「決闘」「タイボルトの死」などでは、オーケストラの目のさめるようなものすごいアンサンブルと、アバドの弾けるようなリズムさばきに興奮を覚える。
 一方、恋人たちの場面での明るいロマンティシズム、ジュリエットの葬式~死の場面での荘重で静謐極まりないレクイエムのような透明感、それぞれにアバドの持ち味。>

最後におかれた2曲~悲痛極まりないジュリエットの葬儀、それから、リリシズムをたたえたジュリエットの死をふたたび聴いて、5年目の想い出をここに閉じることといたしましょう。

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波立つ相模湾と、遠く、箱根の山に沈む夕日。

「ジュリエットの死」、美しすぎて泣けてきた。

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2019年1月18日 (金)

スメタナ 交響詩「わが祖国」 ビエロフラーヴェク指揮

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菜の花がもう満開の吾妻山。

1月4日に撮りましたが、現在、「菜の花ウォッチング」開催中。

再三、書いてますが、この町で、のほほんと育ったわたくしは、この山の麓にある小学校と、海沿いにある中学校に通ってました。

二宮金次郎像があって、木造の由緒正しき校舎はいまやありませんが、校庭には大きな楠の木がいまだに立ってます。

折に触れ帰っては、海と山を見て、郷里への想いを強くしてます。

ということで、「わが祖国」を。

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   スメタナ  交響詩「わが祖国」

     イルジー・ビエロフラーヴェク指揮

        チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

            (2014.5.12 @スメタナホール、プラハ)

これまた何度も書いてるかもしれませんが、けっこう集めちゃう「わが祖国」。
最近でこそ、あまり訪問しなくなったCDショップで、必ずチェックしてみる棚が、「わが祖国」。
同じく、チェック先は、「幻想」に「チャイ5」に、「ディーリアス」を中心に英国もの全般。

「モルダウ」も素晴らしい名品だけれども、やはり連作交響詩としての「わが祖国」を通して聴くことの、音楽体験としての充実ぶりには及ばない。
しかも、レコード時代は2LPだったけど、CDでは、ちょうど1枚に収まる。
「第九」と同じく、CDになってからのメリットを、とても感じるのが「わが祖国」。

それから、自国のアイデンティティを鼓舞し、自国愛を歌うことで、それが等しく世界の共感をえるのが「わが祖国」。

そう、なんだかんだで、「わが祖国」なのであります。

6つの連作交響詩は、5年に渡って作曲され、ボヘミアへの溢れんばかりの思いがつづられ、モティーフも関連付けがなされ、結果として、ひとつの大きな流れをもつ大交響詩となりました。

1.「ヴィシェフラド」 モルダウ川沿いの古城、その城の栄枯盛衰を描く

2.「モルダウ」    スメタナが残した幻想的な注釈を読みながら聴くと
             新たな感動も

3.「シャールカ」   伝説の女傑シャールカが恋人に裏切られ、
           仲間の女戦士とともに、敵の男衆を皆殺ししてしまう
           ・・・怖いよ

4.「ボヘミアの森と草原から」 
           ボヘミアの自然賛歌と、市井の田舎の祝宴の様子
        
5.「ターボル」  キリスト教宗教改革の一派、フス教徒の拠点の街ターボル
        旧弊な教会サイドとの闘いは、チェコ民族の団結を強くした。

6.「ブラニーク」 フス教徒の戦士が眠る山、ブラニーク。
           国家存亡のとき、
           その亡国を思い戦士は蘇えり聖戦へ導くとされる
           ここに至り、戦士の動機と祖国への愛の旋律が合体し、
           高らかな勝利へ♪

過去の伝説と溢れる自然を交響詩に描きだしたスメタナ。
国のあふれる希望と期待を、その音楽に折り込んだ。
しかし、チェコがその後、大国に翻弄され苦難の道を歩んだのは、ドイツ・オーストリアに近いことや、その後すぐに東側に組み込まれたことで、歴史が示すとおりであります。

でも、苦難のときも、ビロード革命の末、民主化されたのちにも、常にチェコにあったのは、このスメタナの「わが祖国」であり、チェコ・フィルハーモニーであり、さらにチェコ出身の指揮者たちであったのです。

ちなみに、歴代のチェコフィルの指揮者たちは、チェコスロヴァキアの政治体制とまったく呼応するように、その進退を繰り返してます。
クーベリックは、戦後、共産体制になったことを受け、西側に亡命。
アンチェルは、68年のプラハの春のチェコ事件で楽旅中にカナダに亡命。
ノイマンは、東ドイツで活躍しつつも、アンチェルの後を受け、プラハの春に故国へ召還。
しかし、東側体制崩壊の1989年のビロード革命では、音楽面で大きな役割を担い、一貫してチェコのために生き抜いた。

以降は、チェコは、開かれた民主主義の国として、中欧の勤勉な国民のもと、穏やかな国として存在してます。
自国出身の指揮者として、1990年に就任したビエロフラーヴェクは、3年で退任し、その後、アルブレヒト、アシュケナージ、マカール、インバルを経て、2012年に、再びチェコフィルに復帰しました。
 その間、ビエロフラーヴェクは、国内ではオペラ、海外では世界中のオーケストラに客演し、なかでもBBCsoの首席指揮者になったことが、そのキャリアの上でも、最高のステップアップになりました。
フレキシビリティの高い優秀なBBC響は、ロンドンのなかでもLSOに次ぐ実力オケだと思ってます。プロムスでも多彩な演目をこなし、ビエロフラーヴェクは、イギリス国民のお祭り的なラストナイトを何年も指揮してました。

今回、取り上げた「わが祖国」は、ビエロフラーヴェクとチェコフィルが2014年のプラハの春音楽祭の恒例オープニングを飾った際の模様で、ゲネプロかなにかからの録音です。
最初の音楽監督就任時の1990年にも「わが祖国」は録音されていて、そちらも端正かつ、正しき演奏なのですが、時を経て、経験も経ての2014年盤は、それ以上に練れて、充実した内容となっておりました。

演奏タイムは、90年も14年も、ともに77分ほどで、ほぼ同じ。
あれこれ細かいことはせずに、王道のストレートな解釈なのですが、後年のものは、ともかく恰幅がよくなった感じで、堂々としているのです。
 この連作は、チェコの自然や生活、遺跡をそのままに歌い上げた1,2,4と、歴史の史実を掘り返してみせたような生々しい3,5,6とで、2種類の性格があるように思います。
それらをともに、きっちりと描きわけている点でも完璧だし、チェコフィルに沁みついた心の歌ともいうような旋律やモティーフが、それぞれに、あるがままに歌われること、同じアイデンティティを持った者同士でないとできない自然さであります。
 ふたつのこの連作作品の性格要素が、最後の「ブラニーク」で感動的に結実し、高らかに歌い上げられるとき、いつも以上に心よりの高揚感に満たされました。
優等生的解釈ながら、その正統ぶりには、誰しも真似できない近づき難いものに思われました。

かえすがえすも、病気とはいえ、ビエロフラーヴェクの早かった死が悔やまれます。
思えば、チェコフィルのチェコ出身指揮者たちは、みんな早世でありました。

ビエロフラーヴェクの後を継いだのは、セミョン・ビシュコフ。
チャイコフスキーの交響曲を順次録音中のようです。

フルシャとネトピル、若い次の世代も着実にきてます。

しかし、中欧・北欧・東欧、ロシアの作曲家たちって、祖国への熱い思いを、思い切りその作品に反映させているし、国民たちもそれを愛し、誇っています。
国民たちは、その思いを、同じく愛国心として吐露しています。
 なんだかうらやましい。
日本では。。。。

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今回、スコアを見ながら聴きましたが、ほんと、よく書けてる。
波乱万丈のスメタナ、失聴していたとは驚きです。

そして、チェコフィルの音は美しい♪

わが故郷から。

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2019年1月12日 (土)

テオ・アダムを偲んで

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バスバリトン歌手のテオ・アダムが亡くなりました。
1926年生まれ、享年92歳、生まれ故郷のドレスデンにて。

またひとり、わたくしのオペラ好き、いや、ワーグナー愛好の気持ちをはぐくんでくれた大歌手が逝ってしまった。

1952年に、マイスタージンガーの親方のひとり、オルテルでバイロイトデビュー以来、1980年のグルネマンツまで、長きにわたりワーグナーの聖地で活躍しました。

初めて買った「リング」のレコードが初出時の、ベーム盤。
1973年の盛夏に発売された、そのLP16枚組は、瞬く間に、少年のわたくしを魅了しました。
そのウォータンが、テオ・アダムで、当時まだ断片的にしか聴いてなかったショルティのホッターよりも早く、ウォータンの全貌をアダムの歌で聴き込み、それが刷り込みとなったのでした。

以来、意識することなく、ドイツ系のオペラや宗教音楽のレコードやCDを買うと、テオ・アダムの名前がそこに必ずと言って入っているのでした。

聴きようによっては、アクの強い声。でもそこには、常に気品と暖かさがあり、その強い声は、まさに神々しいウォータンや、大きな存在としてのザックスや、バッハの一連のカンタータや受難曲などで、まさになくてはならぬ存在でした。

いくつか接したその舞台で、記憶に残るものは、やはり、スウィトナーとベルリン国立歌劇場とのザックスに、ホルライザーとウィーン国立歌劇場とのマルケ王です。

Theo_adam_2

 今夜は、テオ・アダムの音源から、ウォータンとザックス、マルケ王にグルネマンツ。
それから、シュトラウスから、オックス、ラ・ローシュ、モロズス卿を、さらに、ドレスデン製十字架合唱団にルーツを持つことから、クリスマス・オラトリオやマタイ、カンタータなどのバッハ作品をあれこれ聴いてみることといたします。

Adam

テオ・アダムさんの魂が安らかでありますこと、お祈りいたします。

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2019年1月 1日 (火)

シューベルト 交響曲第5番・第8番「未完成」   アバド指揮

2019

2019年、平成31年の始まりに。

今年は、御代替わりの年で、自分とほぼ同世代の天皇陛下がご即位される。

自分にとっても、こうして年を重ねてきて、感慨深い1年となりそうです。

かつて停止したこともありました。

いまでは自分の音楽の体験録ともいえるようなこのブログですが、14年目となる今年も、ゆっくりとですが、稚拙ながらの言葉を連ねてまいりたいと思います。

今年の1枚目は、まさかの新譜登場、アバドの若き日のシューベルトです。

Schubert_abbado_1

   シューベルト 交響曲第8番「未完成」

            交響曲第5番


   クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1971.5.31 @ムジークフェラインザール、ウィーン)


2018年に、突然登場したアバドの新譜ですが、実はこれ、わたくしはかつての昔に聴いていたのです。

音楽にひたすらのめり込んでいた高校時代。
FM放送の番組表をメインとするFMファンや、週刊FMを購読してましたが、NHKFMの番組表のなかに、アバドとウィーンフィルの「未完成」がプログラムのひとつにのってました。

「あれ? アバドとウィーンには、未完成のレコードはないはず?」
73年か74年だったかと思う。
完全なアバドファンだった自分は、アバドの録音のすべてを把握していたから、その当時、「アバドの未完成」の録音はない、というのが、当たり前の前提でした。

平日の昼時のレコードでのクラシック番組でしたが、運よく、テスト週間で早帰りで、疑心暗鬼で聴くことができました。
しっかり「アバドとウィーンフィルの演奏で」と放送されました。
 でも、当時より、アバドの全てを知っていたつもりのわたくしは、これは間違いだ、ベートーヴェンの8番とデータを取り違えているんだと思いつつ聴き、聴き終え、クリップスとウィーンフィルの演奏であろうということで、納得させた当時の自分でした。

でも、こうして、71年のオーストリア放送協会での録音の復刻を聴いてみると、時代的な裏付けもふまえても、きっとあのNHK放送は、この音源であったろうということを確信したのが、これを聴いた昨秋のことなどでありました。
   ----------

そう、ウィーン情緒を感じ取れる、まさにクリップス風の柔らかなシューベルト。

でも、ここにある歌心は、アバドの知的ななかにもあるイタリア心とも裏返しにあり、柔らかな中にも、劇的な局面も聴いてとれます。

「未完成」においては、遠い昔の自らの懐かしの記憶でありますミュンシュとクリップス、その間にあるような演奏だと、このアバド盤を聴いて思ったりもしました。

「第5」は、もう、ウィーンフィルのウィーンフィルである音色が満載。
CDのリブレットに、当時のオーケストラメンバーの一覧が掲載されてますが、をれを見ても懐かしいウィーンフィル。
いまや絶滅危惧種的と化した、オーケストラの個性的な味わいがここにあると聴いてとれました。
グローバル化したオーケストラの世界。
ウィーンフィルも例外でなく、70年代は、まだまだかつてのウィーンの音色を保ってました。
鄙びたオーボエ、柔和なフルート、甘味なクラリネット、もっこりしたファゴット。
ホルンも丸くて耳に美味。
そして琥珀の弦楽器は、ムジークフェラインの響きそのもの。
そして、歌、また歌のアバドの指揮。
あぁ、なんて美しいんだろう。

正月1日の朝から、耳のご馳走をたらふくいただきました。

もう帰ってこない組み合わせのシューベルトでした。
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本年もよろしくお願いいたします。

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2018年12月31日 (月)

マーラー 交響曲第9番 バーンスタイン NYPO

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竹芝桟橋から、レインボーブリッジ方面を俯瞰した夕暮れの東京湾。

事務所からさほど遠くないので、気晴らしにここに海を見に来ることが多い。

太陽は、海に沈んでほしいものだが、関東ではなかなか難しい。

けれど、こうした夕暮れ時の夕映えは、空も、海も赤く染めてくれて美しい。

   --------------

今年の締めくくりに、マーラーの方の第9を。

マーラーのなかでも、深淵ともとれる作品が、近年は、大の人気曲となり、国内オーケストラではアマオケも含め始終、外来オケも盛ん持ってきます。
なんたって、南米出身の指揮者が西海岸のオーケストラとアジアの日本にやってきて、マーラーの第9を演ってしまう世の中となりました。

でもそんな風潮のなか、選んだのは今年、生誕100年だったバーンスタインのニューヨークフィル盤。

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     マーラー   交響曲第9番 ニ長調

   レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

        (1965 @ニューヨーク、フィルハーモニックホール)


世界に先駆けて、マーラーの交響曲全集を60年代に完成させたバーンスタイン。
バーンスタインのひと世代前の指揮者たちは、同世代の音楽家であり、作曲家であったマーラーが師でもあったりして、その作品を世に広める活動期でもあった。

しかし、バーンスタインは、マーラーへの完全な共感とともに、自分の内にあるものとの共鳴ともいえるくらいに、自分の言葉で語る、「バーンスタインのマーラー」を作り上げたのだ。

その後続出するマーラー指揮者たちは、今度は、より客観的になったり、よりスコアを分析して緻密な解釈を施したり、また楽譜にひたすら忠実に演奏したりと、ともかく多士済々なマーラー演奏が生まれることになった。

しかし、マーラーを自分のなかに引き付けて、そこに思いの丈をたっぷり注ぎ込む、バーンスタイン・スタイルの演奏は、いまだもってバーンスタインのものしかありませぬ。

80年代のDGへの2度目の全集は、より完成度が高く、録音もよく、よりバーンスタインの踏み込みも深くなっている。
その分、始終聴くには、感情が入り込みすぎて、ちょっと辛くなってしまうこともある。
 そんなときには、60年代のCBS盤に方が、若々しく、粘度もさほどに強くないため、さらりと聴くことができる。

第9は、正規録音としては、ニューヨークフィル(65年)、ベルリンフィル(79年)、コンセルトヘボウ(85年)、そしてイスラエルフィル(85年)の4つに、ウィーンフィルとの映像(71年)があります。
しかし、日本での演奏会に立ち会い、打ちのめされたときの少し前のテルアビブのライブは、実は未取得。
聴きたいのはやまやまだけど、なんだか聴きたくない。
あのときのNHKホールでの儀式に立ち会ったかのような体験の記憶を壊したくないからかもしれません。
でもね、死ぬまでには聴こうと思ってます。

さて、いろんなところで比較されてますが、年を経るごとに隈取の濃い濃厚な演奏をするようになったバーンスタインの第9ですが、テンポも徐々に伸びてます。

65年NYPO(79分)→79年BPO(82分)→85年ACO(89分)
IPO盤もACO盤と同じぐらいとのこと。
 楽章で見ると、1~3楽章は、あまり変わらない。
異なるのが終楽章で、65年NYPO(23分)→79年BPO(26分)→85年ACO(30分)。
NYPO盤が速いのは、録音サイドからの要請ともありますが、果たしていかに・・・

ということで、バーンスタインのマーラーの第9への思い入れの熟成度は、テンポだけをとらえると、終楽章に端的に現れているのがわかる。

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Mahler_9_bernstein  Bernstein_mahler

拾いましたが、オリジナルジャケットと、後年出た、6番との3枚組のレコード。

ニューヨークフィル盤は、録音が平板にすぎるという悩みはあるものの、演奏は、60年代のバーンスタインらしく、情熱的で、誰にでも納得できる必然性を全体にたたえたものになっていると思う。
NYPOの楽員の腕っこきの優秀さを感じるのは、とりわけ第1楽章で、かなり美しい終盤です。
ユーモア感じる第2楽章と、憂愁と疾走感のないまぜになった3楽章はカッコイイ。
 そして、CBSソニーの音のカタログで、完全に耳タコの刷り込み状態になっていた終楽章の出だし。その開始部は、わたしは、このニューヨークフィル盤が一番好き。
その後の、うねり具合も上々だが、後年のようなタメや、濃密な歌い回しは弱めだから、曲はテキパキと先へ進みます。
録音のせいかもしれないが、金管の響きが時代がかって聴こえるのも、なんだか懐かしくもあります。
でも、やはり聴かせます、オケはレニーの指揮棒に集中しつくしていて、マーラーも指揮をした摩天楼のオーケストラは、終結部の死にゆくアダージョを絶美に描きつくしていて、感動的であります。

Takeshiba_02

去り行く船。

でも、旅立ちの船の後ろ姿。

夕暮れの中、希望があります。

それでは、ありがとう平成30年、自然の猛威はもう勘弁してね。

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