2016年3月31日 (木)

お知らせ、そして、しばしさよなら

Tokyotower_g

3月31日の、朝に東京タワー。

晴れやかな気分に、桜の花もまみえて、大いに満たされました。

 そして、さよなら。

「さまよえるクラヲタ人」は、しばらく休業いたします。

・・・・・・・・・

言葉に詰まります。

 ほんと、たいへんな日々が続いてます。

音楽を愛する気持ちと、何よりも、それを求める欲求は高いです。

しかし、その、ささやかな想いすら、ままならなくなってしまった。

え~い、もういい!

ですから、ズバッと、みんな切り捨てます。

断腸の思いで。

Tokyotower_h

今年も、遅ればせばがら、桜は、しっかり、ちゃんと咲きました。

 これまでの記事は、このまま。

更新は、しばらくしません、そういうことにしました。

コメントへの返信は、ままならないかもしれません。

ながらく、ありがとうございました。

さようなら。

 そして、あるとき突然、思いのままに、新規記事を起こすかもしれませぬ。

しばし、おわかれです・・・・・・

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2016年3月30日 (水)

大好きなオペラ総集編

Tokyo_tower

桜は足踏みしたけれど、また暖かさが戻って、一気に咲きそう。

まだ寒い時に、芝公園にて撮った1枚。

すてきでしょ。

大好きなオペラ。

3月も終わりなので、一気にまとめにはいります。

Tristan

  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

ワーグナーの魔力をたっぷりと含んだ、そう魅惑の媚薬のような音楽。
この作品に、古来多くの作曲家や芸術家たちが魅かれてきたし、いまもそれは同じ。
我が日本でも、トリスタンは多くの人に愛され、近時は、歌手の進化と、オーケストラの技量のアップもあって、全曲が舞台や、コンサート形式にと、多く取り上げられるようになった。

わたくしも、これまで、9度の舞台(演奏会形式も含む)体験があります。

そして、何度も書いたかもしれませんが、初めて買ったオペラのレコードがこのトリスタンなのであります。
レコード店の奥に鎮座していた、ずしりと重いベームの5枚組を手に取って、レジに向かった中学生を、驚きの眼差しでもって迎えた店員さんの顔はいまでも覚えてますよ。

ですから、指揮も歌手も、バイロイトの響きを捉えた、そう右から第1ヴァイオリンが響いてくる素晴らしい録音も、このベーム盤がいまでも、わたくしのナンバーワンなんです。

次に聴いた、カラヤンのうねりと美感が巧みに両立したトリスタンにも魅惑された。
あとは、スッキリしすぎか、カルロスならバイロイトかスカラ座のライブの方が熱いと思わせたクライバー盤。ここでは、コロの素晴らしいトリスタンが残されたことが大きい。
 それと、いまでは、ちょっと胃にもたれるバーンスタイン盤だけど、集中力がすごいのと、ホフマンがいい。
フルトヴェングラーは、世評通りの名盤とは思うが、いまではちょっと辛いところ。

あと、病後来日し、空前絶後の壮絶な演奏を聴かせてくれたアバド。
あの舞台は、生涯忘れることなない。
1幕は前奏曲のみ、ほかの2幕はバラバラながら聴くことができる。
透明感あふれ、明晰な響きに心が解放されるような「アバドのトリスタン」。
いつかは、完全盤が登場して欲しい。

Ring_full_2

  ワーグナー 「ニーベルングの指環」

わたくしの大好きなオペラ、ナンバーワンかもしれない・・・

興にまかせて、こんな画像を作っちゃいました。

オペラ界の大河ドラマとも呼ぶべきこの4部作は、その壮大さもさることながら、時代に応じて、いろんな視点でみることで、さまざまな演出解釈を施すことができるから、常に新しく、革新的でもある。
 そして、長大な音楽は、極めて緻密に書かれているため、演奏解釈の方も、まだまださまざまな可能性を秘めていて、かつては欧米でしか上演・録音されなかったリングが、アジアや南半球からも登場するようになり、世界の潮流ともなった。

まだまだ進化し続けるであろう、そんなリングの演奏史。

でも、わたくしは、古めです。
バイロイトの放送は、シュタインの指揮から入った。

Bohm_ring1

そして、初めて買ってもらったリングは、73年に忽然と出現したベームのバイロイトライブ。
明けても覚めても、日々、このレコードばかり聴いたし、分厚い解説書と対訳に首っ引きだった。
ライブで燃えるベームの熱い指揮と、当時最高の歌手たち。
ニルソンとヴィントガッセンを筆頭に、その歌声たちは、わたくしの脳裏にしっかりと刻み付けられている。
なんといっても、ベームのリングが一番。

そして、ベーム盤と同時に、4部作がセットで発売されたカラヤン盤も大いに気になった。
でも、こちらと、定盤ショルティは、ちょっと遅れて、CD時代になって即買い求めた。
歌手にでこぼこがあるカラヤンより、総合点ではショルティの方が優れているが、それにしても、カラヤンとベルリンフィルの作り上げた精緻で美しい、でも雄弁な演奏は魅力的。

あと、忘れがたいのが、ブーレーズ盤。
シェローの演出があって成り立ったクリアーで、すみずみに光があたり、曖昧さのないラテン的な演奏だった。歌手も、いまや懐かしいな。
 歌手といえば、ルネ・コロのジークフリートが素晴らしい、そしてドレスデンの木質の渋い響きが味わえたヤノフスキ。

舞台で初めて味わったのが日本初演だったベルリン・ドイツ・オペラ公演。
G・フリードリヒのトンネルリングは、実に面白かったし、なんといっても、コロとリゲンツァが聴けたことが、これまた忘れえぬ思い出だ。

舞台ではあと、若杉さんのチクルスと、新国の2度のK・ウォーナー演出。
あと、朝比奈さんのコンサート全部。
みんな、懐かしいな。。。

以下、各国別にまとめてドン。

ドイツ

 モーツァルト   「フィガロ」「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」「魔笛」

 
 ワーグナー   「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」 「ローエングリン」
           「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
            「ニーベルングの指環」「パルシファル」

 ダルベール   「低地」

 R・シュトラウス 「ばらの騎士」「ナクソスのアリアドネ」「影のない女」「アラベラ」
            「ダフネ」「ダナエの愛」「カプリッチョ」

 ツェムリンスキー 「フィレンツェの悲劇」 (昔々あるとき、夢見るゾルゲ2作は練習中)

 ベルク      「ヴォツェック」「ルル」

 シュレーカー   「はるかな響き」 「烙印された人々」「宝探し」

 コルンゴルト  「死の都」「ヘリアーネの奇蹟」「カトリーン」

 ブラウンフェルス 「鳥たち」

 レハール    「メリー・ウィドウ」「微笑みの国」

イタリア

 ロッシーニ   「セビリアの理髪師」「チェネレントラ」

 ヴェルディ   「マクベス」「リゴレット」「シモン・ボッカネグラ」「仮面舞踏会」
           「ドン・カルロ」「オテロ」「ファルスタッフ」

 カタラーニ   「ワリー」

 マスカーニ   「イリス」

 レオンカヴァッロ  「パリアッチ」「ラ・ボエーム」

 プッチーニ   「マノン・レスコー」「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」「三部作」
           「ラ・ロンディーヌ」「トゥーランドット」

 チレーア    「アドリアーナ・ルクヴルール」

 ジョルダーノ  「アンドレア・シェニエ」「フェドーラ」

 モンテメッツィ 「三王の愛」

 ザンドナーイ  「フランチェスカ・ダ・リミニ」

 アルファーノ  「シラノ・ド・ベルジュラック」「復活」

 レスピーギ   「セミラーナ」「ベルファゴール」「炎」

フランス

 オッフェンバック 「ホフマン物語」

 ビゼー      「カルメン」

 グノー      「ファウスト」

 マスネ      「ウェルテル」

 ドビュッシー   「ペレアスとメリザンド」

イギリス
 

 パーセル   「ダイドーとエネアス」

 スマイス    「難破船掠奪者」

 ディーリアス  「コアンガ」「村のロメオとジュリエット」「フェニモアとゲルダ」

 R・V・ウィリアムズ  「毒の口づけ」「恋するサージョン」「天路歴程」

 バントック   「オマール・ハイヤーム」

 ブリテン    「ピーター・グライムズ」「アルバート・ヘリング」「ビリー・バッド」
          「グロリアーナ」「ねじの回転」「真夏の夜の夢」「カーリュー・リバー」
          「ヴェニスに死す」

ロシア・東欧

 ムソルグスキー 「ボリス・ゴドゥノフ」

 チャイコフスキー 「エフゲニ・オネーギン」「スペードの女王」「イオランタ」

 ラフマニノフ    「アレコ」

 ショスタコーヴィチ 「ムチェンスクのマクベス夫人」「鼻」

 ドヴォルザーク   「ルサルカ」

 ヤナーチェク    「カーチャ・カヴァノヴァ」「イエヌーファ」「死者の家より」
             「利口な女狐の物語」「マクロプロス家のこと」

 バルトーク     「青髭公の城」

以上、ハッキリ言って、偏ってます。

イタリア・ベルカント系はありませんし、バロックも、フランス・ロシアも手薄。

新しい、未知のオペラ、しいては、未知の作曲家にチャレンジし、じっくりと開拓してきた部分もある、わたくしのオペラ道。
そんななかで、お気に入りの作品を見つけたときの喜びといったらありません。

それをブログに残すことによって、より自分の理解も深まるという相乗効果もありました。

そして、CD棚には、まだまだ完全に把握できていない未知オペラがたくさん。

これまで、さんざん聴いてきた、ことに、長大なワーグナー作品たちを、今後もどれだけ聴き続けることができるかと思うと同時に、まだ未開の分野もあるということへの、不安と焦り。
もう若くないから、残された時間も悠久ではない。
さらに、忙しくも不安な日々の連続で、ゆったりのんびりとオペラを楽しむ余裕もなくなっている。
それがまた、焦燥感を呼ぶわけだ。

でも、こうして、総決算のようなことをして、少しはスッキリしましたよ。

リングをいろんな演奏でツマミ聴きしながら。。。。
 

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2016年3月27日 (日)

バッハ マタイ受難曲

Tokyo_tower_4

桜の季節は、イースター週間と重なりました。

キリスト教徒国にとっては、クリスマスと並ぶ一大祭で、長いお休みがある。

この時期、欧米系の外国人の方々の観光客も多くみかけるのも、そのため。

日本では、クリスマスはあんなに大騒ぎするのに、復活祭はまったく話題になりません。

大好きな音楽、そして、もっとも大切な音楽のひとつ。

偉大な、バッハのマタイ受難曲。

Bach_matthaus

  J・S・バッハ  「マタイ受難曲」 BWV244

人類に残された音楽の至芸品。

それが、バッハのマタイ。

わたくしもご多分にもれず、最大級に愛する音楽として、ワーグナーやディーリアスの音楽とともに双璧の存在です。

イエス・キリストの受難劇。

すなわち、イエスの捕縛から、十字架上の死、そして、埋葬後の復活までを淡々と音楽で描く作品であるが、それがキリスト者のための音楽だけにとどまらず、人類普遍の、そして人間の存在の核心をついたという意味で、まさに人類のために存在する音楽作品なのだ。

 テキストは新約聖書のマタイ伝。

劇的でありつつ、ほかの伝記に比べて一番内省的かもしれない。

そんな聖書にバッハは、途方もなく感動的な音楽をつけた。

イエスの受難の物語を語る福音史家は淡々と、でも、ときに聖句に劇的な歌い口を示します。
その客観的な存在が、イエスへの同情、人間への問題提起を求めるさまが、ほんとうに鋭く、魂が揺さぶられる。

むごい感情をむき出しにする群衆と、聖なる清らかな合唱の二律背反が生むドラマティックな落差。

ソロ歌手たちの切実なアリアたちが、受難劇の進行のなかで、われわれ聴き手・人間たちの心に寄り添いつつも、その悲しみへの共感をよりそそる。

 マタイ受難曲、最大の聴きどころは、ペテロの否認の場面。
イエスを知らないと、イエスの予言通りに3度言ってしまうペテロ。
そのあと、にわとりが鳴き、イエスの預言が成就することで、激しく泣くペトロ。
「憐れみたまえ、わが神よ」
アルト独唱の名アリアは、それを聴くわれわれも、だれしもが思う自戒の念にとらわれ、心揺さぶられる。
わたくしは、必ず、泣いてしまう。

Richter

マタイといえば、リヒター
リヒターといえば、マタイ。

そんな図式が、6~70年代には行きわたっていて、わたくしも、同じく、そんな洗脳に近い想いに凝り固まっていた人間のひとりです。

人を寄せ付けないまでの峻厳、厳格なバッハ。
イエスをめぐる人間ドラマも容赦なく、切れ込みは鋭く、その一方で、その視線は鋭く、そして優しい。
重い足取りで始まる大ドラマも、最後は悲劇にあふれながらも、聴く人を包み込み、次へと羽ばたけそうな、大きな翼を与えてくれるような、後押しの巨大な力にあふれている。
そんな「ドラマ」に満ち溢れている、「リヒターのマタイ」なのであります。

これまた絶対的なエヴァンゲリストとしての存在であった、ヘフリガーの禁欲と情感、ともに満ち溢れる福音史家が完璧すぎる。
テッパーのアルトを始め、歌手たちも、ともかく素晴らしいリヒター旧盤。

つぎに、若き日に、マタイにより親しんだのが、リリングとシュトットガルトとの来日公演の放送。
明るい歌にあふれたリリングの指揮は、クラウスの福音史家とともに、何度もテレビ放送されたなか、マタイが完全に血肉化されるのを感じました。
聖書も全体を読み、ますます、マタイ受難曲への理解が進んだ大学生の時代です。

そのあとのマタイ遍歴は数々あれど、いつも戻るのはリヒター。

でも、柔らかで、ドイツの教会のひとコマを思い起こさせてくれるヨッフム盤。
ここでは、ヘフリガーが相変わらず素晴らしいのと、コンセルトヘボウの伝統あふれる木質の響きがなんとも美しいのです。

CD時代に購入した、リヒターと違う意味での峻厳なレオンハルト盤。
そこでは音楽が息づき、バッハの楽譜優先のピュアな再現がかえって、音楽に力を与えているようだった、

あと、明るく伸びやかなヘルヴェッヘ盤。
新鮮な響きのなかに、市井の人々の緩やかな毎日までも感じさせてくれる。

 
旅行鞄に、余裕があれば、この4つを持って行きたいマタイ。

でも、ひとつと言われたら、そう、あれしかないですね。

 あと、アバドのマタイを是非聴きたいものだが、ベルリンでの音源、なんとかならないものか・・・・・

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2016年3月25日 (金)

ワーグナー 「パルシファル」 大好きなオペラ

Zoujyouji_3

また寒くなって、ほころび始めた桜も足踏みか。

でも春はやってきた。

そして、今日は聖金曜日。

今年の復活祭は27日です。

これに合わせて、好きなオペラ、「パルシファル」

Parisfal3

  ワーグナー 舞台神聖祭典劇「パルシファル」

この深淵な作品との出会いは、中学生の頃。

ワーグナーに目覚め、年末のバイロイト放送に熱狂し、当時は、イースターに合わせて、春に放送されていた「パルシファル」を、初めて聴いて、あまりにも静的な音楽に最初は戸惑いを覚えた。

でも、作品の筋を理解し、前奏曲や聖金曜日の音楽を何度も聴くうちに、全体を把握できるようになり、これは本当に美しい作品なのだと思うようになった。

最初に聴いたバイロイト放送は、ヨッフムの指揮によるもの。

でも、この作品には、クナッパーツブッシュという偉大な演奏があるということを、レコ芸やワーグナーの書評で知ることとなり、いつしかそのレコードが欲しいと、クナの演奏を妄信するようになった。
だがしかし、おこずかいは限られ、ベームのリングも買ってもらっちゃったものだから、クナのパルシファルは、大学生になるまで全曲盤を入手することができなかった。
 それまでは、抜粋盤で我慢ということで。

その間は、エアチェックしたショルティ盤。
これは、バイロイトのライブ以外での初スタジオ録音で、デッカの目覚ましいサウンドがFMごしでもよくわかった。
あとは、毎年録音したバイロイトの放送。
シュタイン、レヴァイン、バレンボイム、シノーポリなどなど・・・。

聖と邪。
同情によって、智をえた鈍き愚者によって、救われる魂ふたつ。
ひとりは、キリストを笑ったクンドリーと、邪に染まった男によって罪に溺れたアンフォルタス。

宗教の奥儀と、ヨーロッパ社会発想の根源がここにあり、オペラという枠をリングにもまして、大きく踏み出した。

ワーグナーの音楽も、ドビュッシーやウェーベルンに繋がる精緻さと透明感がある。
もしかしたら室内オーケストラでもいいかもしれないくらい。

Parsifal

戦後のバイロイト、いわゆる新バイロイトを象徴するヴィーラント・ワーグナーの演出には、クナッパーツブッシュの大河の流れのような雄大・深淵な演奏があってこそ、映えるもの。
映像が残ってないのが本当に残念だが、クナの永年の演奏は、いくつもの音源があって、それぞれに楽しめる。
しかし、最良の状態で残された62年のフィリップスライブは、その録音も、歌手たちの歌唱も神々しいほどに素晴らしい。
クナが築くゆるやかな音楽の流れは、場面場面、しいては言葉の一言一言に反応を起こし、オーケストラは驚くほどに雄弁なのである。
 ホッターの含蓄あふれるグルネマンツと、J・トーマスの凛々しいタイトルロールも完璧。

そのクナッパーツブッシュの後は、誰しも驚いたブーレーズ
ゆったりした前任者のテンポを、大幅に早めて、快速パルシファルを達成してしまった。
でも、その速さを感じさせないのは、ブーレーズの音楽の明晰さと、音符のすべてがクッキリとはっきりと聴こえる鮮やかさがあったから。
後年、パルシファルを指揮しにバイロイトに復帰したブーレーズは、クソみたいな演出にもかかわらず、30年以上前とほぼ同じ切り口の演奏を聴かせたのには驚いた。
F・クラス、デイム・ジョーンズ、J・キング、マッキンタイアなど、70年代の若手歌手も見事。

そして、70年代の若手と、その前の大ベテランを配した豪華な歌手をずらりとそろえたデッカならではのショルティ盤。
剛力をちょっと押さえつつ、ウィーンフィルの柔らかな響きを大切にしたショルティの円熟の指揮と、素晴らしい録音。
ルネ・コロのパルシファルとルートヴィヒのクンドリーが大好き。

ワーグナー家の手を離れたパルシファル演出だった、G・フリードリヒのもの。
指揮はジェイムズ・レヴァインが起用され、クナより遅いテンポと、豊穣なまでにオペラティックな演奏が、年を追うごとに充実していった。
あと、P・ホフマンの鋼鉄のような声がここでは感銘を誘う。
もちろん、フィリップスの録音も最高によろしい。
後年、レヴァインは、あんなひどい演出で指揮するのは耐え難かったと語ったというが・・・・

最後に、正規録音を残さなかったアバドのパルシファルの清新さを、自分的には、最良のパルシファルとして記憶しておきたい。

Photo
  
      (ザルツブルクでの舞台 アバド&BPO)

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2016年3月22日 (火)

R・シュトラウス 「ばらの騎士」 大好きなオペラ

Dsc01887

大好きオペラ、次は、R・シュトラウス「ばらの騎士」ですよ。

セビリアの理髪師の続編だったフィガロの流れは、こちらに、より普遍的に受け継がれている。

ともかく大好き。

この、まだ、シュトラウスが楽劇と呼んでいた作品に出合ったのは、バーンスタインが、ニューヨークを離れ、ヨーロッパ、とりわけ、ウィーンとの関係を深く築いていったなかの一環で、生まれた名演だった。

バーンスタインのオープンな個性と、伝統を重んじるという、いい意味でのダブルパフォーマンスが、ウィーンそのものを、バーンスタインそのものの虜になってしまった。

カルショーのプロデュースということもあり、実にエポックな「ばらキシ」なんだ。

そのジャケットが素晴らしい。

Rosenkavalier_bernstein

 歌手たちも、この音盤を機に、またここで、いろいろ変転しました。

ルートヴィヒ、かねてのオクタヴィアンが、ここでは、マルシャリンとなりました。

ここでの、オクタヴィアンの、G・ジョーンズは、ステキなデイム・ジョーンズのマルシャリンとなりました。

さらに、可愛い役柄の、そう、スーブレット的なソプラノ役のゾフィー。
ルチア・ポップは、亡くなる前に、貫禄あるマルシャリンとなりました。

オックスも、多面的な歌手たちによって歌われますが、彼らは総じてワーグナー歌いであり、最高のザックス歌いであることが多くて、そんななかの、W・ベリーだったのです。

ともかくも、わたくしの、いろんな想いに合致する「ばらキシ」がバーンスタイン盤。

ウィーンフィルが、バーンスタインの明るく自在な個性によって、生き生きと活性化した稀有の演奏だと思いますよ。

4rosenkavalier

こんな画像を過去、作成しまして、当ブログにもその比較をしました。

まるで、バラ戦争?かと思われるくらいに、東京で、ばらの騎士が上演されました。

新国(シュナイダー)、チューリヒ(メスト)、ドレスデン(ルイージ)、横浜(沼尻)に加え、新日フィルがステージオペラでアルミンクの指揮で上演。

スゴイことでした。

ここでの体験は、いまでも忘れえぬものです。

舞台上演でのばらキシ体験は、これらに加え、ウィーン国立歌劇場の来演で、全部で6件です。
保守的な演出も含め、どんな舞台でも、ばらキシは映える音楽作品であります。

Kleiber

そして、ばらキシは、なんたって、これ!

そう、カルロス・クライバーの独壇場ですよ。

映像に加え、リッダーブッシュの最高のザックスが聴けるバイエルンライブが出たことは、狂おしいほどに素晴らしいことだった。。。

 マルシャリンの時間の経過に不安を持ち、でも、それを克服して、若い人たちの後押しをする、その姿に、ますます共感を覚える・・・・・

ではまた。

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2016年3月20日 (日)

モーツァルト 「フィガロの結婚」 大好きなオペラ

2

春は急にやってきて、でも、また戻ったりの一進一退で本格化する。

春は、その機微も色合いも、きれい。

3月も終わりに近づき、大好きな音楽を、つまみ聴きながら慌ただしく夜を過ごし、そして床につく。

もちろん、長大なオペラばっかりなので、聴くことなく、これまでの印象で書いたりもします。

Mozart_figaro

  モーツァルト 「フィガロの結婚」

汲めどもつきない、音楽の魅力という名の宝庫、そんなフィガロ。

聴くたびに、さまざまな発見や驚き、そして既聴の安定路線ながらも、喜びに満たされる。

これからいくつか続くファイバリット作品に共通するものだけど、とりわかフィガロは、赤裸々な人間ドラマが、天衣無縫の域の音楽でもって引き立ってる。

 往年の歌手たちが指揮者の厳しくも、モーツァルトを知り尽くした棒の元で自在に繰り広げるマジカルな演奏。 
自分世代的にも、ベーム盤が最高です。
ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団でむしろよかった。
ベームの60年代のストイックかつ、音楽優先の個性がとても反映されてる。
のちのウィーンとの関係では、麗しいけれど、緩すぎるから。

 そして、ザルツブルク音楽祭のFM放送で何度も聴いて、そして録音もされたカラヤン盤。
シュターデと、ホセ・ファン・ダム、トム・クラウセがとてもよい。

 ブリテッシュなモーツァルト。
グラインドボーンの紳士的なモーツァルトには、上質でふくよかな嗜みを感じ、そして、隠された秘めごとも盗み聴きできそうな感じ。
ともかく真面目。
味わい深いハイティンク盤。

 同じ傾向ながら、もっと軽やかで、羽毛のような肌触りが心地よく、そして、さわやかな聴後感を味わえるマリナー盤。
歌手陣充実。

 そして、最愛のアバド盤。
ウィーンの楽壇が成し遂げることができた最良のモーツァルトだけど、ここにはウィーンのよき伝統はなく、あるのは清新かつヴィヴィットな音楽。
歌心と、ピュアな切り口がとても新鮮なアバドの指揮。
マクネア、スコウフス、ガッロ、バルトッリ、ステューダー・・・歌手たちも、いまも通じる現代的な歌唱。
悪かろうはずがないアバド盤

 ほかにも、たくさん、好きな「フィガロ」が。
オヤジクライバー、ジュリーニ、クレンペラー、バレンボイム(旧)、デイヴィス(旧)などなど。
ともかく古いですね。

フィガロは、ほどよく古いほどいい。
こんなこと言ったら退場ですかね。

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2016年3月18日 (金)

J・シュトラウス 「酒・女・歌」 シューリヒト・ボスコフスキー・グシュルバウアー

Hirayama

もう散ってしまった今時分の河津桜。

ピンクが濃くて、桃の花みたい。

なんか官能的でもあります。

背景が青空じゃなくて、これが暗い夜空だったりして、しかも、暖かい晩だったりしたら。

P9216958

  J・シュトラウス ワルツ「酒・女・歌」 op333

    
       カール・シューリヒト指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団

                            (1963.4 @ウィーン)

       ウィリー・ボスコフスキー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

                            (1965.10 @ウィーン)

       テオドール・グシュルバウアー指揮 NHK交響楽団

                            (1988.1  @NHKホール)


3つの演奏を聴いてみました。

処分整理のなか、ふと見つけたビデオ起こしのDVD。
N響アワーのなかでの、懐かしいグシュルバウアーの指揮ぶり。

ウィーン生まれ、ウィーン少年合唱団出身のグシュルバウアーだけど、ウィーンの楽壇とは少し距離があって、ドイツやフランスでのポストしか持てなかった。
よくいわれるけど、オーストリア系、それもウィーンっ子は、指揮者の場合、ウィーンでの活躍がなかなか約束されないということ。

そんなグシュルバウアーも、もうすぐ77歳。
巨匠の域に達した姿を是非聴いてみたい。
柔和な指揮ぶりのなかに、思いのほか強い意欲を込める。
そんなグシュルバウアーが妙に好き。
ロンドンフィルを指揮したウィンナワルツ集の音源もありますな。

Guschurbaeuer


J・シュトラウス(1825~1899)の44歳、壮年期の作品。
恋多きシュトラウスの甘くも、晴れやかなワルツ。

酒・女・歌。。。何が悪い、楽しいじゃないか!

そんな風な想いを明るく、あっけらかんとして歌いこんだ曲。

どちらかというと、人生を楽しく過ごすためのツールとして、まず音楽があって、そこには美味しい酒と食がつきもの。
そしてなによりも、愛する女性がそこに共にあって欲しい、という、そんな日々を謳歌したいというワルツ。
いいなぁ、享楽的で。

いまのわたくしに欠けている3要素+MとTとH。

はて何でしょうな。

このステキなワルツを初めて知ったのは、シューリヒトの指揮。
コンサートホールのレコードでした。
前奏をカットして、簡潔に、シンプルに、でも、とてつもなく粋に、小唄のように演奏した達人の極意。

 ウィーン出身の人たちが、意外や、すっきり、あっさり、スタイリッシュな演奏に向かう。
そんな典型が、ウィリー・ボスコフスキー。
ヴァイオリン片手に、ニューイヤーコンサートの顔となったボスコフスキーだけど、その音楽は、しなやかでありつつ、とても現代的だった。
思えば、W・ウェラーも、いま活躍するホーネックも、みんな淡麗系。
濃厚なウィーンの味と裏腹に。

面白い傾向だと思います。

さてはて、3種の「酒・女・歌」を聴きつつ酩酊中。

あと2週間で、いろんな節目を築きたい。

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2016年3月13日 (日)

チャイコフスキー 交響曲第1番「冬の日の幻想」 秋山和慶指揮

Oonuma_1

春は一進一退。

首都圏では、春めいたかと思うと、凍えるような寒さがやってきて、体温調節はなはだ難しく、体調もイマイチ。
おまけに、花粉が鼻をくすぐり、ワタクシは、くしゃみと鼻水、そして眼の痒みに苦しみ中。

以前、冬の北海道、大沼を訪れたときの冬の氷に閉ざされた光景。
夏にも行ったことがありますが、緑と青の、それはまた美しい風景でした。

北国の風物は、ドラマティックなほどに、濃淡が美しい。
それは、厳しくもあり、そして美しい。

そして、まだ寒い日が続くなか、チャイコフスキーを聴きます。

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   チャイコフスキー 交響曲第1番 ト短調 「冬の日の幻想」 op13

       秋山 和慶 指揮 札幌交響楽団

                   (1990.9 @オーチャードホール)


5番は、普通に別格として、わたくしは、1番が大好き。
もう何度も、ブログで取り上げてます。

メランコリックで、あふれる北国のファンタジー。
眼を閉じれば、窓の外は、雪の降りしきる白樺の林と、暖かい暖炉。
そんなイメージを感じる。

以前の記事から、われながらよく書けているので再褐。

<1楽章冒頭のファゴットとフルートによる詩的でクールなスノー・サウンド。

あまりに素敵な2楽章は、オーボエの連綿たるメロディが雪に埋もれ、ずっと先まで真っ白なロシアの大地をロマンティックなまでに思わせる素敵なもので、その後の展開はあまりに美しく、かの地の抜けるように白い肌の女性の微笑みみたい。

 で、スケルツォになると、中間部の歌謡性に富んだ場面が無情に素晴らしい。
いつまでも、どこまでも浸っていたい甘さを備えたワルツ調のメロディにメロメロ。

そして決然と、かつ民族調の終楽章。
「小さな花よ」というロシア民謡からそのメロディが取られた序奏とその主題。
繰り返しのファンファーレが重奏してゆく、ややくどい展開ですが、その興奮はいやでも高まり、最後は、後期の完璧なフィナーレ感とは遠いですが、健康的なまでの壮麗なエンディングを迎えるのです。>

このステキな交響曲を札響で聴く喜び。

なにも北のオケだからご当地ものと言うワケじゃありませんが、やはり、北海道の自然や風物は、ロシアや北欧、北ヨーロッパの空気や雰囲気に似通ってます。
短い春と夏は、圧倒的に美しいし、暗い秋も憂愁に富んでる。
そして、長い冬は白と銀色の世界に閉ざされるけれど、人々は寡黙ながらも、冬を過ごす術と力強さに満ちている。

そんな北国に住まう奏者たちが奏でる音楽は、ロシアや北欧のオーケストラの澄んだ響きと力強さと相通じつつ、日本人らしいきめ細やかな繊細さも有している。
 東京のホールでのライブ録音だけど、そんな音をこの「冬の日の幻想」に感じることができました。
思いこみが強すぎるかしら・・・・。

88年から10年間、岩城宏之さんの後を受けて札響を率いた秋山和慶さん。
的確さと、ツボを抑えた危なげない指揮ぶりは、ムーディに流れがちなこの交響曲を、シンフォニーとしての構成をしっかり備えた音楽として鮮やかに再現してます。
旋律の歌わせ方も過剰にならずに、でも思い通りにやってくれちゃうし、盛りあげのうまさもばっちり。さすがと思います。

春はそこまで・・・

過去記事

 「マリナー&アカデミー」

 「メータ&ロサンゼルスフィル」

 
「ハイティンク&コンセルトヘボウ」

 
「T・トーマス&ボストン」 

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2016年3月 5日 (土)

コルンゴルト 交響的序曲「スルスム・コルダ」 リヒター指揮

Shibapark

昼間は、すっかり暖かくなり、夜気も徐々に緩みつつあります。

先週は、風邪をこじらせて、完全沈没してしまった。

ここ数年、風邪をひかなかったのに、歳と共に、体も、気力も無理が効かなくなってきた感がありです。

Korngold


コルンゴルト  交響的序曲「スルスム・コルダ」~心を高く上げよ op13
                     (Sursum Corda)


       カスパール・リヒター指揮 リンツ・ブルックナー管弦楽団

                    (1999.3 @リンツ ブルックナーハウス)


コルンゴルト(1897~1957)の作品番号付きでは、3つめのオーケストラ曲。

1919年に作曲、初演は1920年1月、ウィーンにて作曲者自身。

23歳での作品でありますが、それまでに、オペラをすでに3作(ポリクラテス、ヴィオランタ、死の都)を仕上げているので、オーケストラ技法においては、ますます充実に極みにあったわけです。

そもそも、この曲のタイトル。
「スルスム・コルダ」とは、なんとヘンテコなタイトルかと思いますね。

Sursum Corda、すなわち、ラテン語で、「あなたの心を揚げよ」。
英語では、「Lift up your Hearts!」。

ローマ帝国内に、キリスト教が広がりつつあった2世紀頃の典礼句の一節だったようです。
「主を見上げ、心を高く・・・」、こんな感じでしょうか。

ただし、このコルンゴルトの音楽には、そうした宗教観はまったくなくって、自身がこのタイトルについて述べたところでは、「闘争と大望、嵐と圧迫からの喜ばしい救出」という意味合いを込めたのだそうだ。

2年前に出会った、同じユダヤ系の音楽好きの女性、しかも、ピアノもソプラノの声も素晴らしかったルーツィと相思相愛になり、何度も逢瀬を重ねていた頃である。
そんな高揚した気分も、この曲には、しっかりと反映されていて、まさに、コルンゴルトの気持ちが、おおいに上がっていたなかでの作曲だったわけであります。
  そのルーツィとは、のちに、幸せな結婚をし、子供たちにも恵まれるコルンゴルトなのでした。

そんな幸せのなかにいたコルンゴルトは、音楽活動でも、神童から一流の青年音楽家として、ことにオペラ、「死の都」の爆発的な成功でもって、ヨーロッパにその名を轟かせていたわけですが、1920年の、この「スルスム・コルダ」の初演は、聴衆からの理解が得られずイマイチの成果に終わり、その後のベルリンなどでの再演でも、パッとした評価は得られませんでした。
でも、コルンゴルトは、この曲への想いは強かったのでしょう。
なんといっても、敬愛する、R・シュトラウスに捧げられていて、19分あまりの、まるで雄弁なシュトラウスの交響詩のような雰囲気を持っているのですから。
1922年のシカゴでの演奏会には、自身が、プログラムに、こと細かな楽曲解説を施しております。

そのシカゴの演奏会もいまひとつだったこの曲。
たしかに、明快な形式を持たず、でもソナタ形式の枠にはある。
でも、それは、後期ロマン派的なムードのなかで、かなり拡張解釈され、形式よりは、描写的、絵画的な音楽となっている。
それが、シュトラウスのように、具象性や明快さが伴わないものだから、とっつきが悪い結果となっている。
 しかし、何度も何度も、そして、いつものコルンゴルト節を、しっかり身に付けた耳で聴いてみると、これはこれで、実に魅力的な音楽なのだ。

愛するオペラ「死の都」のムードも踏襲され、旋律的なつながりも感じる。
そして大胆な和声と、ダイナミズムは、パワフルであるとともに、カラフルで、そして、一方で、コルンゴルトならではのクールな抒情。
わたくしには、極めて魅力的な音楽です。

コルンゴルトの管弦楽作品をおさめた音源のなかに、いくつも収録されてます。
手持ちでは、アルベルト、バーメルト、そして、今回のC・リヒターのものがあります。
 ブルックナーゆかりのオーケストラを指揮したリヒター盤が、オーストリアのオーケストラならではの丸い響きでもって、なかなかの雰囲気で聴かせてくれます。
録音の良さと、オーケストラの機能性では、バーメルト。
シュトラウスに近いサウンドでは、アルベルトでしょうか。

この曲では、生前、さっぱりだったコルンゴルトですが、18年後の1938年。
ハリウッドで、映画「ロビンフッドの冒険」の音楽に、この曲から転用していて、ロビン・フッドのテーマともなってます。
 まさに、その高揚感などは、「心を高く・・」という気分が相応しいものとなってますね!

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2016年2月27日 (土)

ディーリアス 「シナーラ」 グローヴズ指揮

Naka_1

夜の紅白しだれ梅。

お月さんも、アングルにはおさめられなかったのですが、朧に輝いておりましたよ。

梅の甘い香りが、少しづつ緩みつつある夜の気配に色気を華ってましたね。

Delius_naka

 ディーリアス  「シナーラ」 ダウソンの詩による

         バリトン:ジョン・シャーリー=クヮーク

  サー・チャールズ・グローヴズ指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー

                        (1969 @リヴァプール)


ディーリアス(1862~1934)が、薄幸の同世代の世紀末英国詩人、アーネスト・ダウソン(1876~1900)の同名の作品に作曲した「シナーラ」。

1907年に筆をとるも、長く捨て置き、ビーチャムの新作の依頼により、そして、その晩年に献身的に尽したフェンビーの強力を得て、1929年に完成させた。

バリトン独唱が、主人公となって、忘れえぬ女性「シナーラ」を歌う。

ポーランド系の娘、シナーラは、レストランの娘。
ダウソンは惚れこんで、2年間通い、口説いたが、結局、彼女は店のウェイターと一緒になってしまった。
自暴自棄となった彼は、夜の街に沈み、酒と女の日々。
そして、そんな歓楽のなかにも、ふっと思い浮かぶのはシナーラの姿・・・・。

曲は、やるせないまでに切なく、そして官能的でもありつつ、感覚的。
ときに響きはぼやけて虚ろだし、そして、反面明晰。
いろんな要素が10分たらずの曲に込められてる。
それは、忘れられないシナーラを、つねにどこかで求めている主人公の感覚かも。

 「さらに狂える楽を 強き酒を呼ばった
   だが宴が終わりを告げ 燈火消え去れば
  その時こそさしおりるは おまえの影よ

   シナーラ! 夜はおまえのもの
  そしてこの身は想いに沈み 昔の情熱に苛められる
  そうよ 恋しきおまえの唇を求めもとめて
  おまえを思いとおしてきたのだ シナーラよ
  我なりに  」

                南條竹則 訳

三浦淳史さんの解説を参考にいたしました。

ディーリアスの音楽に帰ってくると、ほんとうに、心の底から安寧感に満たされる・・・・・。

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