2009年7月 5日 (日)

ワーグナー 「恋愛禁制」 サヴァリッシュ指揮

Kotstukaidon_1 これ、すき家じゃありませんよ。

その名も「国会丼」でありま~す。
国会議事堂の隣にある国会図書館の食堂で食べれるのですよ。
牛丼とスパイシーカレーの合いがけなのだけれど、間に温泉卵が乗っかっているところがすき家と違うところ。

なんでも自民・民主の「ねじれ国会」をイメージしてるとか・・・・。
お味は、@500円を加味するとまずまずのものでございました。
牛丼とカレー、まぁ、どっちもどっちですなぁ。温泉卵はどちらにもよく合うし・・・・。

Das_liebesverbot ワーグナーの完成されたオペラ第2作目は、「愛禁制」。
恋愛ご法度、色恋は禁止、というとんでもない法律にまつわる、はなはだバカバカしい内容のオペラ。

序曲だけは、いくつかCDになっているけれど、全曲盤は正規には、このサヴァリッシュ盤が唯一。

前作「妖精」のあとすぐにとりかかり、1836年に完成された。ワーグナー23歳の若さ。
シェークスピアの「尺には尺を」という戯曲に基づいて、ワーグナー自身が台本を書いたもので、イタリアのパレルモを舞台にした完全な喜劇作品。
毎度深刻なワーグナーらしからぬ、陽気でイタリアーンな雰囲気の音楽。
カスタネットやトライアングルが鳴りまくるその序曲を初めて聴いたとき、なんじゃこれ??的な思いになった。
全曲は、全2幕、2時間30分、CD3枚の大作で、そのすべてが序曲的なハチャムチャイメージではなく、随所に後年のワーグナーらしい響きが聴き取れるのがうれしい。
後年、ワーグナーはこのオペラを「若気のいたりで、恥ずかしい」と言ったとされるが、イタリアオペラやフランスグランドオペラの影響下にあった、前作「妖精」よりも、ずっと進化しているように感じる。

登場人物

総督フリードリヒ  国王外遊中で、王代行を務める。恋愛禁止令を発布した人物。
若い貴族ルツィオ 禁制に怒る人物。イザベラと恋仲になる。
 〃 クラウディオ ルツィオの友人。イザベラの兄で、禁制に触れ逮捕される。
 〃 アントニーノ    〃
 〃 アンジェロ     〃
イザベラ       両親を亡くし、修道院に入ったが、兄逮捕の報を受け兄を救いに。
マリヤナ     修道院で一緒になったイザベラの幼馴染。フードリヒのかつての恋人。
ブリゲラ       フリードリヒの手先の衛兵隊長
ドーレッラ     女給で、のちイザベラの待女
ポンティオ     給仕で、のち看守
ダニエリ      居酒屋の店主

  フリードリヒ:ヘルマン・プライ     ルツィオ:ウォルフガンク・ファッスラー
  クラウディオ:ローベルト・シュンク  アントニーノ:フリドーリヒ・レンツ
  アンジェロ :キース・エンゲン     イザベラ:ザビーネ・ハース
  マリヤナ  :パメラ・コバーン     ブリゲッラ:アルフレッド・キューン
  ドーレッラ :マリアンネ・ジーベル  ポンティオ:ヘルマン・ザペル
  ダニエリ  :ライムント・グリュンバッハ

 ウォルフガンク・サヴァリッシュ指揮  バイエルン国立歌劇場管弦楽団
                          バイエルン国立歌劇場合唱団
                         演出:ジャン・ピエール・ポネル
                          (83.7.9 ミュンヘン)

第1幕
 第1場
パレルモの歓楽街で、兵士たちが酒場や遊郭を壊していて、中から若い貴族たちが逃げ出してくる。店主と給仕、女給がブリゲッラに逮捕されて出てくる。
皆でくってかかるが、総督フリードリヒが出した遊興歓楽姦淫禁止令を読み上げられ、唖然とする。そこへ、クラウディオが、恋人と一緒に寝たばかりに逮捕され、死刑を求告されるとして引ったてられてきて、皆で彼を救う手立てはないかと考える。

 第2場
修道院の中。クラウディオの妹イザベラと3年ぶりに会った幼馴染のマリヤナ。
マリヤナは、かつて貧乏なドイツ人と密かに結婚していたが、彼が王に認められ出世してしまった、それが今のフリードリヒ、と語る。
そこへ、ルツィオが、兄逮捕&死刑の報をもってやってくる。しかし、ルツィオはイザベラに一目惚れして、求婚するが、今はそれどころじゃないと、イザベラは皆で出てゆく。

 第3場
法廷。ポンティオに追放令が出て、ドーレッラに禁酒法違反の罪を問うたところで、アントーニオが現れ、せめて謝肉祭だけは許可して欲しいと誓願するが、フリードリヒは嘆願書を破り捨てる。
次いでクラウディオの審理に入るが、若気の過ちという本人の主張を退け、死刑を宣告。
そこへ、イザベラが登場して、お願いの筋これありで、人払いを頼む。
イザベラはフリードリヒに、ただ一人の肉親の兄を助けて欲しいと訴えるが、フリードリヒは頑として受け入れない。怒ったイザベラは、恋をしたこともない男だ、と蔑む。
一方、フリードリヒは、イザベラの美貌に目がくらみ、兄の味わった快楽を共に分かち合うなら許してつかわそう・・・。と言うものだからイザベラは怒るが、マリヤナを身代わりにしようというアイデアが浮かび、密会を約束する。

第2幕
 第1場
牢獄の中庭。クラウディオのもとにイザベラが訪れ、兄の命乞いをしたら貞操を求められたと話すと、兄は怒り狂うが、でも生きていたいからそうしたら、と妹に言うのでイザベラもこれには怒る。
そして、フリードリヒとマリヤナに、仮装して謝肉祭に来るようにとの手紙をしたため、ドーレッラに託す。
そこへ、ルツィオがやってきて、首尾を聞きイザベラは守ると言い、彼女を喜ばせる。
看守になったポンティオを買収して、兄に出る令状を真っ先にイザベラに渡すようにさせ、準備は整う。

 第2場
フリードリヒの部屋。連絡を心待ちにする心情を歌いつつ、待ちに待った手紙がやってきて、カーニバルに出かければ、イザベラに会えると喜ぶ。
でも法は曲げられない。兄クラウディオの放免状でなく、死刑執行書を書き、自分も今宵、同じ運命になるどろうが構わないと歌う。
ブリゲッラとドーレッラが現れ、二人して仮装して出かけようと示し合わせる。ふたりは急接近したのだ。(この場面は語り)

 第3場
パレルモの街の目抜き通り。人々は禁制を破って謝肉祭に浮かれ騒いでいる。
そこへプリゲッラが現れ、謝肉祭は禁止だ、と叫ぶので、人々は不承不承立ち去る。
ブリゲッラはさっそく仮装して、ドーレッラを探しにゆく。
イザベラとマリヤナが現れ、マリヤナを励まし、イザベラは去り、マリヤナも期待を胸にした歌を歌い去る。
仮装したフリードヒがそわそわと現れ、それと知ったルツィオにかわかわれる。
そこへ、マリアナが合図を送り、フリードリヒはそそくさと付いてゆく。ルツィオはイザベラだと思っているから、これを追いかけようとするが、運悪くドーレッラがやってきて、ブリゲッラと勘違いしてこれを離さない。しかたがなく、接吻をしてごまかし走り去るルツィオ。
これを見ていたイザベラはショックを受ける。まったくややこしい。
そこへ、死刑執行の書面が届き、これを見たイザベラは怒り、ルツィオに復讐を頼むが、ルツィオはすっかり誤解しているので乗り気でない。
 そこへ、一組の男女が捕えられてくる。
仮面を取れば、男はフリードリヒ、女は自らをその妻と名乗る。
イザベラは、これまでのいきさつを洗いざらい話し、フリドーリヒが嘘をついたと詰るが、フリードリヒは自分を死刑にしろと開き直る。
 そこで、人々は恋愛禁制の法律は破り捨てたから無効だ、と言ってフリードリヒを許す。
クラウディオも登場し、ルツィオもイザベラに謝罪し、修道院に帰ろうとするイザベラは、皆に止められ、かわりにルツィオの胸に飛び込む。
そのとき、国王帰国の知らせが入り、王を迎えようと謝肉祭は大いに盛り上がる。

以上が概略あらすじである。音楽の友・別冊の「ワーグナーとリング」を参照させていただきました。
こんな内容をざっと頭において聴けば、なかなかによく書けていて面白いオペラなのである。

Das_liebesverbot_2 主役は総督フリードリヒ。この筋からしたら、まったくの悪代官で、「お主も悪よのう~」とか、襖の奥にはお布団が引いてあって、アレ~っのシーンに登場してしまうようなタイプ。
でも、それは逆に人間らしい欲をもった側面であり、フリードリヒを覆っているのは、頑迷で融通の効かない思いこみの激しい性格。
これはある意味、滑稽でもあり、そうした意味では、後のマイスタージンガーのベックメッサーを思わせる。
だから、この役柄は、ヘルマン・プライ、その人をおいてほかに見当たらないくらいにピッタリなんだ。同じ頃、ベックメッサーで新境地を開き、さらにはヴォツェックにも挑戦する予定だったが、この録音の5年後、88年に59歳の若さで亡くなってしまった。
何度も書くけど、ルチア・ポップとともに、プライの早世は歌の世界の最大の損失だ。
 第2幕2場における、フリードリヒの独白は、ワーグナーがバリトンに与えた数々の名モノローグに匹敵する素晴らしいもので、欲望に揺れ動く心境と厳格な法の番人として死を決してしまう心情が歌いこめられていて、プライのよく通る美声と躍動感、その圧倒的な説得力ある歌唱に惚れぼれとしてしまう。

もう一人の主役が、イザベラ。獅子奮迅の大活躍ぶりは、自己犠牲は伴わないけれど、舞台を引っ張る強靭なソプラノ。一方で軽やかさも必要だから難しい役柄。
ミュンヘンを中心にワーグナーやシュトラウスの主役を歌い続けたザビーネ・ハース、日本にもやってきているし、おなじみだけど、音源が少ない。「影のない女」くらいかも。
やや音程にブレがあるけれど、すっきりとしたとてもきれいな声で、重々しい一時代前の歌唱と異なる。
サヴァリッシュとのトリスタンなど、音源化してもらえないだろうか。

二人の若い貴族はテノール。ファッスラーシュンク
二人とも声がでかく、どちらも立派なヘルデンテナーだけれど、ここでは軽めのノリの役柄。これまたちゃんとした録音が少ない二人が残念。

真面目でかわいらしいマリヤナのコバーン、ほかのオモシロ・コミカル役の歌手たち。
いずれも当時ミュンヘンやバイロイトで活躍し、その名を目にした人たちばかり。

こうした万全の布陣で、ポネルがどんな演出を付けたのか大いに気になるところ。
この年、ワーグナーの没後100年を記念してその全作品を指揮したサヴァリッシュ
その精力的な活動と意志の強さ、ワーグナーにかける情熱には誰しも頭が下がったはずだ。この後、シュトラウスのオペラも全曲上演してしまったサヴァリッシュ。
やはり劇場運営に疲れてしまったのか、フィラデルフィアでコンサート指揮者に専念することとなってゆく。
それはともかく、ここで聴くオーケストラの積極的かつ有機的な響きは、この珍しいオペラをまったく自分たちの音楽として易々と演奏しているように聴こえる。

序曲と最後のカーニバルの場面が、まるで打楽器協奏曲のようで派手ハデしいけれど、それ以外はかなり真っ当で、明るいながらもしっかりワーグナーしている面白いオペラであります。
こちらも、東京オペラプロデュースの上演歴が2度あり、「妖精」とともに再演を切に望みますsign03

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2009年7月 4日 (土)

なぞの「にゃんにゃん」

Mita_nyan1 都心の駐車場で見つけた怪しいナゾの生物sign02

都会に舞い降りたエイリアンか?

どれ、ズームアップしてその姿態を確認してみようではないかeye

Mita_nyan2 おっおーつ!

カンガルーかっ!

いや、なんのことはない、「ねこ」でしたcat

それにしても、尻尾、長ぇ~、手、長ぇ~~。

Cat3

はぁーんup

それがどうしたってんだsign03

と、ひとんちの「にゃんにゃん」S君再登場の図catface

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2009年7月 3日 (金)

チャイコフスキー 交響曲第4番 ロストロポーヴィチ指揮

Abukuma_1 福島県から宮城県に流れる阿武隈川。
宮城県側の丸森というあたりの河川敷。
こんなところ、今後絶対来ないな、と思い、道路の切れ目を見つけて降りて見た。
眩し~いsun

Abukuma_2

反対側の下流に目を転じると、あんれまぁ、橋が・・・・。

解体中かと思ったら逆で、架けている途中のようだった。
珍しい景色でしょ。

Tchaikovsky_rostoropovich_2何を思ったか、急にチャイコフスキー第4交響が聴きたくなった。

5番は、始終聴いているし、ラジオを付けると鳴っていたりする最人気曲だ。
6番は、ちょっと食傷ぎみ。
1番は大好きだけど、今聴くには暑すぎる。
2番は軽薄すぎるし、3番も寒くないとね・・・。
マンフレッドは引きずりまわされて疲れちゃうし。

だから4番かっupwardright

考えたら4番は、アンバランスで身勝手な交響曲だ。


長大で幻想的な第1楽章は深刻で胸毛のあるロシア人が頭抱えて、それこそ胸をかきむしって悩んでいるみたいな苦渋の音楽。でも哀愁さそう旋律に夢心地となる場面も・・・。
さらにメランコリックな第2楽章がそれに追い打ちをかける。
あぁ、愛しいあの方はどーして?? なーんて気分で、これまた悩んでください。
 一転、ピチカートの3楽章は明るく、さっきまでにお悩みはいずこに。
あっけらかんと終わってしまい、怒涛の終楽章へ。
終わりよければすべてよし。矢でも鉄砲でも持ってこいってんだ。
ガンガンいくよ、がんがんとね。ちょっと立ち止まってこれまでを振り返り、冒頭に少し帰ってみて悩んでみたと思ったら、すくっと立ち上がり、「さぁ皆さんご一緒に」的にハチャムチャ大フィナーレが怒涛のように押し寄せ、何事もなかったかのように、聴くわれわれを興奮の坩堝に陥れて勝手に終わってしまう。

これだよ、この独りよがり的な交響曲第4番が面白いのだ。

今日は、望郷の思いあふれるロストロポーヴィチロンドン・フィルハーモニーの76年の演奏で。
ロストロさんは、この曲を約45分かけて演奏している。
通常40分から42分くらいの演奏が多いなかでは、長めの演奏タイムだが、さほど長いとは感じさせない。
思いを込めてじっくり歌いあげる部分とダイナミックにたたみかける部分とのメリハリが豊かだからだろうか。
終楽章は、お祭り騒ぎを期待するも、空しく裏切られ、インテンポで着実なエンディングが用意されていて以外だったりする。
濃厚になりすぎる一歩手前で立ち止まってしまった感もあって、少し残念。
以前取り上げた5番の方が熱いぞ!
ロシアのオーケストラだったらうるさくなったり野放図になってしまうところが、ロンドンでも一番くすんだ音色をもっていたLPOとのコンビはいい。
だから、ロシア系の演奏というよりは、ヨーロッパのチャイコフスキーになっている。

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2009年7月 2日 (木)

ハイドン トランペット協奏曲 ハーセス&アバド

Pepsiso_2 今年の夏の限定ペプシは、「しそ」。

去年は、ブルーハワイ、一昨年はキューカンバー(きゅうり)だった。

楽しいのうsmile

一口飲めば、まるで「しそ」。
おいしそーでしょ・・・・、でもないかbleah

Cso 今日は、ハイドントランペット協奏曲
1796年、ハイドン64歳の最充実期のこの作品。

改良が進んでメカニックになったトランペットを想定して書かれた曲だけに華やかなソロが目立つ。
一方のオーケストラは、シンフォニーのように鳴りのよさがあって、とてもよく書かれている。
さすがはハイドン。

フンメルと並んで、髄一のトランペット協奏曲の名曲。
あとは、ヴィヴァルディ、テレマン、ずっと下ってトマジ、ジョリヴェあたりだろうか。
トマジの曲は、神奈川フィル定期で聴いたことがあった。ジャジーな雰囲気が粋な曲だった。
でも、モーツァルトは、何故にトランペット協奏曲を書かなかったんだろ?

15分たらずの演奏時間、変ホ長調の屈託ない明るい協奏曲は、中身はともかく、メロディも一聴して覚えてしまう親しみ溢れるものだ。
これが、シカゴ交響楽団の名手、アドルフ・ハーセスの手にかかると、フレンドリー感はそのままに、多彩で鮮やかな音色を難なく次々に繰り出してみせて、舌を巻くどころか唖然とさせてくれる。
ショルティ時代を飾った、「ザ・シカゴ」のような音色のハーセスだけに、ピーンと突き抜けるような響きがあまりに素晴らしい。
マーラーの5番、展覧会、ツァラトゥストラなどなどに、刷り込みのようなその音色。
すごいものです。

アバドシカゴ響の品のいいバックも弾みがよろしく素敵なのである。

このCDは、アバドがシカゴの首席客演指揮者時代の貴重な1枚で、ほかはいずれもモーツァルトで、グレヴェンジャーのホルン、エリオットのファゴット、スティルのオーボエのそれぞれ協奏曲が聴ける。
シカゴ、ベルリン、ウィーン、ドレスデン、パリ、管の名手が多いオーケストラ。
名人揃いのオーケストラ、指揮者は楽なのだろうか、それとも大変なんだろうか・・・

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2009年7月 1日 (水)

モーツァルト ファゴット協奏曲 ツェーマン&ベーム

Tomato ははっ、これ見てくださいよ。
静岡方面に行くと、変わりダネのサイダーやラムネがたくさんある。
カレー、山葵、お茶などなど。
そして見つけた「マトサイダー」。

青臭くて甘いトマトジュースの炭酸バージョン。
結構うまい、いけるscissors

ちなみに、我が家のコップは、ワンカップ酒ばかり(笑)

Photo 今日も管楽器の協奏曲を。
ファゴット協奏曲は、そう多くはなくて、モーツァルトの作品が一番であろう。

モーツァルトは、ファゴットのために4つ、ないしは5つの協奏曲を書いたとされるが、現存するのは、K191の変ロ長調の1曲のみ。
ザルツブルク時代1774年の作品とされ、だとすると18歳であります。
いつもながら、アマデウスの早熟の才には驚き。

モーツァルトの時代、ファゴットはどんな音色だったのだろうか。
ファゴットはどちらかというと地味な楽器だし、オーケストラの中でも控え目な存在になりがち。
バロック時代の通奏低音では重要な役回りだったし、ヴィヴァルディもさかんに協奏曲を残したから、地味な存在になってしまったのはロマン派以降か。
それでも、作曲家たちは、オーケストラの中で、ファゴットしかできない多彩な作品を書いた。でも協奏曲は少ない・・・。
 ファゴットで協奏曲以外、一番ピーンとくる曲は・・・・、「春の祭典」、「道化師の朝の歌」、「幻想交響曲」、「カルメン」、「悲愴」などなど。いずれもナイスなファゴットじゃありませんか!!

そして、モーツァルトの協奏曲。
20分あまりの3楽章で、あっという間だけれど、全体に流れるギャラントな雰囲気は、ファゴットという楽器を、一人の騎士のように颯爽とした紳士に仕立てあげてしまった感がある。
明晰で軽快に吹きまくるファゴットを聴いていると快感をさえ覚える。

ウィーン生まれのツェーマン、75年のウィーンフィル来日以来、すっかりおなじみの奏者。
柔らかくも流麗なファゴットは、ベーム指揮するウィーンフィルの仲間たちと、楽しそうにほのぼのとした世界を築きあげている。
あ~、のんきでのほほん、いいなぁ~。
それにしても、モーツァルトのメロディの天才ぶりといったらないです。

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2009年6月30日 (火)

「ケロケロ」

お気づきの方もありましょうが、左側に、ケロケロ・スロットルを置いてみました。
スタートを押して、てきとーにストップを押してみてください。
たいへんなことになりますが、右上の閉じるでいなくなりますし、ケロケロランドに遊びにゆくもよしです。
遊んでやってケロsmile

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R・シュトラウス オーボエ協奏曲 クレメント&ケンペ

Ajisai_5 まだあります、紫陽花。

最近、紫の色を見かけなくなったのは気のせいか?

Strauss_concerto_kempeR・シュトラウス(1864~1949)のシリーズ。
今日は小気味いいオーボエ協奏曲を。

そして何気に、このところ管楽器の作品や協奏曲ばかり続いているのもお気づきでしょうか。

オーボエ協奏曲というと、バロック期の作曲家たちにバッハ、モーツァルト、R・シュトラウス、ヴォーン・ウィリアムズあたりが有名でありましょうか。

シュトラウス晩年の1945年の作品。
いつも引き合いに出すオペラでいうと、最後の「カプリッチョ」を1941年に完成させ、あとは管楽のためのソナチネや同時期に「メタモルフォーゼ」が作曲されている。
この協奏曲のあとの大作は、「最後の4つの歌」になるわけだ。

ガルミッシュにあったシュトラウスのもとに、元フィラデルフィア管のオーボエ奏者のランシーが米軍慰問団として訪れ、作曲を依頼した。
オーボエを外した木管楽器に弦楽というすっきりした編成による古典的な作風。
晩年のシュトラウス特有の軽やかで澄み切った境地に達した枯淡の音楽。

切れ目ない3つの楽章は、いずれもさらさらと流れるようなよどみのない旋律に満たされていて、地中海的な明晰さと、高原の爽やかな明るさに充ちた桂作。
それにしても、オーボエのソロはずっと、ずっと続いている。
フレーズひとつひとつが長い。
これがソリスト泣かせだ。
しかも、オケが小じんまりと精妙かつ軽いものだから、ソロが突出して目立つ仕組みになっていて、さすが老境の世界に遊んだ達人の筆によるものと感心してしまう。
そして、第2楽章などは、オペラの一節のよう。
そう、女声を好んだシュトラウスらしくソプラノの主役が最後の大団円で澄み切った心境のままに語るような場面だ。
「ダフネ」しかり「ダナエの愛」「カプリッチョ」のように・・・・。
この楽章はほんとに素敵。

今日のオーボエは、マンフレート・クレメント。ゲヴァントハウスから、西側へ転出し、ミュンヘンで長く活躍した名手は、いかにも南ドイツ風の明るくもコクのある味わい深い音色。
リヒターのカンタータなどのソロは、すっかり耳に残る名演ばかり。
ケンペドレスデンという、もう何もいうことのないビロードのようなシュトラウスサウンドをバックに、クレメントはいつまでも浸っていたくなるような同質性あふれる素晴らしい音色を歌いついでゆくから最高なのだ。

ホリガーやコッホもいいけれど、このクレメント盤には敵わない。
あと達者なシュレンベルガーも聴いてみたい。
シュトラウスのオーボエ協奏曲、いい曲ですnote

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2009年6月28日 (日)

神奈川フィルハーモニー演奏会 金 聖響指揮

Minatomirai 開港150年を迎えた横浜みなとみらい地区。

昨日27日は、こちらを抜けて「みなとみらいホール」へ。

神奈川フィルハーモニー 第254回定期演奏会横浜開港150周年記念と冠されたコンサートへ行ってきました。
それにしても暑い一日。
新音楽監督 金さんの二度目のコンサート、初回は当方・消化不良だったが、今回涼やかな新風が吹きぬけるかどうか。

 武智由香 オーケストラのためのEaux Lumieres Temps
         (横浜開港150周年記念委嘱作品)

 ハイドン  交響曲第100番 「軍隊」

 ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 前奏曲と愛の死

 ドビュッシー 交響詩 「海」

    金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
                    (6.27@みなとみらい)

Kanagawa_phll200906 土曜日と金さん効果で、今回もほぼ満席。
そこに響いた第1曲目第一音は静謐でミステリアスな音楽。
武智由香さんは、鎌倉出身の若い女流作曲家。
「オ・ルミエール・タン」は、「水 光 時間」を意味するそうで、すべての根源としての「海」、その情景を描いたという。
プレ・トークで金さんと対話をしていたが、とても真面目そうな彼女、まさに生真面目で優等生的な音楽は、とても聴きやすく、美しい場面も少なくなく、もう一度じっくりと聴いてみたいと思わせるものだった。トークのなかで、「通常は亡くなってしまった作曲家の音楽を聴いているけれど、今日は生きている作曲家を・・」とユーモアを交えての金さん。
 今を生きているがゆえに、聴くわれわれから、武満徹だ、リゲティだ、J・ウィリアムズだ・・と言われてしまうのも致し方ない。
鍵盤楽器・打楽器多数を配したフル編成で、目の醒めるような大音響を期待してしまったが、3部にわたる15分間、静的で、とてもキレイな音楽でした。

次のハイドンに焦点を合わせた対抗配置。
それでも、ピアノをどかしたり、打楽器の位置を変えたりと、団員が一旦退いて大規模な転換がなされ、ちょっと興ざめになったけれど、一転、ハイドンが始まると爽快な気分に一瞬にして満たされてしまった。
やっぱり、メロディがあるのってイイ。
 今回の「軍隊」交響曲は、前回のせせこましく感じられた「時計」より、はるかにこちらに近いところで鳴ってくれたように思う。
テンポは相変わらず早いけれど、極端なピリオド奏法も今回はやや控えめ、リズム感あふれる元気のよいハイドンは、梅雨のモヤモヤを吹き飛ばす、気持ちいい演奏。
そこに、何があるの? まぁ、そんなことは言ぃっこなし。
ナイスで楽しい、パパ・ハイドンの音楽でありました。

休憩後の2曲が、今回のお楽しみ。
私の大大好物が並ぶ、でも演奏者にはとてもハードな2曲。
私の人生、トリスタンをもう何百万回も聴いてきているから、どんな演奏でもそれなりに楽しんでしまうし、たいていは音楽の素晴らしさに免じて受け入れ可能なんだ。
そして今回はだいたい予想していた通りの演奏になり、妙に納得。
やっぱりな、と思いつつ、すいすいサラサラ系のひっかかりのないスマートなトリスタン。
情念渦巻く濃い目のワーグナーは、昨今は流行らなくなったけれど、タメや旋律の歌わせ方、半音階進行の楽器間の受け渡しの妙・・・、などなどいずれもまだまだ。
前奏曲が終わって、おのずと若い水夫の歌が聴こえてくるような演奏もあるが、今回はまったく感じず。(自分でこっそり口ずさんでおりました)
コンサートピースとしての「前奏曲と愛の死」、神奈川フィルの美音が楽しめたのが最大の報酬。
あと、次の「海」でも気になったこと。
対抗配置のままの演奏で、私の席は1階前方のやや右より。
右には第2ヴァイオリン、ビオラしかない。低音域は左手奥に封じ込められてしまっているので、ただでさえ弱い声部なのに私の席では音に芯がなくスカスカに聴こえてしまった。

その感覚はドビュッシーにも言えたけれど、こちらは色彩感あふれる音楽だから、かなりマシ。第1曲は、モヤモヤした感じでまとまりが悪かったけれど、2曲目からは音のキラキラ感がオケの持ち味も加わって増してきて、こちらでも情感不足と高速テンポは感じつつも、勢いで楽しめてしまう。
3曲目、ヴァイオリンの高音の美しい持続音(ヴァイオリンセクションの素晴らしさ)に乗って、オーボエから始まる木管の美しい主要主題。
この場面は、この最高の瞬間で、そこから一気に迎えてゆく、弾け飛ぶ波しぶきのようなエンディングまで、息もつかさない素晴らしさだった。

若さとやる気が、眩しい「海」も、これはいいものだ、と痛感し、金さんをこれから見守っていこうという、高揚した気分に満たされた。
そして、なんということでしょう、アンコールに、これまた私の大好きな、ドビュッシーの小組曲の「小舟にて」が演奏されました。
この素適な音楽は、私が大昔フルートをちょいとかじったときに、気にいって散々吹いた曲で、実演で聴くのは初めて。
洒落た雰囲気はなかったけれど、さわやかで気持ちのいい桂演ではなかったろうか。
「海」のあとに、これが必要だったかどうかは何ともいえないけれど、爽快なコンサートの締めくくりとしては実によかった。

という訳で、不安で終えた前回定期、伝説ともなろうシュナイト音楽堂をはさんで、今回定期は、このコンビがどちらへ向かうかまだ不詳ながらも、じっくり付き合って見極めていこうという思いに満たされた。

アフターコンサートは、新潟から新国に合わせていらした「Iさん」を交えて、毎度おなじみのメンバーに、途中から神奈フィルの「Mさん」もいらしていただいて、極めて楽しい「5時間呑み」でありました。
皆さんどうもお世話さまでしたbeer

Center_grill_1

コンサートの前、野毛の洋食屋さん「センターグリル」に出向いて、ナポリタンnote
懐かしくも美味なるお味に、ワタクシのお口もオレンジ色に。

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2009年6月27日 (土)

マーラー 交響曲第1番「巨人」 アバド指揮

Ajisai_3

これも「あじさい

実家の庭に咲いている。

墨田の花火」というそうな。
あじさいっぽくないけど、華麗な雰囲気は夏を迎えるのに悪くない。

 マイケル・ジャクソンが亡くなりましたな。
ジャクソン・ファイブの時から知っていたその少年は、80年代にダンスのパフォーマンス付きで大ブレイクした。社会人になった頃だったなぁ~。MTVでさんざん見たもんだ。

そして、もうひとり、アメリカの一時代を思わせる、ファラ・フォーセット(メジャース)も数日前亡くなっている。
そう、チャーリーズ・エンジェルの彼女。
大学時代、日曜の晩の放送がすごく楽しみだった。
アメリカの西海岸の心地よい軽やかなイメージがぴったりで、そのレイヤーズヘアは、誰もがマネした。楽しき大学時代・・・・。
アメリカのドラマも楽しいものばかりで、彼女の夫は一時、リー・メジャースで、サイボーグ人間のかっこよくも人情味あるドラマ「600万ドルの男」の主役だった。

懐かしいなぁ~。
どんどん歳とるなぁ~。
アメリカの一時代を築いたお二人、ご冥福をお祈りします。

そして、記事はうってかわって、メデタイお話にwine

Abbado_mahler1 この記事が書きあがるころには日付は変わってしまいますが、6月26日は、クラウディオ・アバドの76回目の誕生日。

「さまよえるクラヲタ人」をご覧になっていただいている皆様には、さんざん表明しておりますとおり、わたくしは、アバドの大ファンであります。
ワーグナー・アバド・イギリス音楽・オペラ、そして酒と食>な~んて、プロフィールに書いてありますよ。
それはずっと昔から変わらない、私の音楽の基本。
72年頃から、アバドを聴いて、もう37年。
アバド39歳の頃。わたしゃ中学生。
リングもディーリアスもしっかり聴いてましたよ。

以来、アバドは、ウィーンフィルの首席、スカラ座の音楽監督、ロンドン響の音楽監督、シカゴの首席客演、ウィーン国立歌劇場の音楽監督、ベルリンフィルの芸術監督、という具合に指揮者としてのポストの頂点に登りつめていったのはご承知のとおり。
 自分をあまり主張することなく自然体のアバドは、周りから請われるようにして頂点を極めた慎ましさがあって、逆にポストにしがみつくことなく、あっさり投げ出してしまう潔さもあって、私などはそのもったいない行動にヤキモキしてしまうことが多かった。
サラブレット的な血筋の良さからくる余裕ともとれるが、音楽をすることのみを至上とし、そこに喜びを見出すアバドならではの生き方だと思う。
逆に、アバドを物足りなく思う方からは、優等生としか映らないのだろう。

そんなアバドが好きなのだが、さらに拍車がかかったのは、生死の堺を見てしまった後の、研ぎ澄まされ神がかり的な高みに到達してしまったその凄まじさ。
これまた何度も書くが、東京での「トリスタン」上演と、ルツェルンとのマーラー。
これらは、人生で何度も巡り合うことのできない異常なまでに強烈な音楽体験だった。
ついでにいうと、スカラ座との「シモン」もすごかった!

あわせて、若い人への愛情の注ぎかた。アバドはいくつ若いオーケストラを育てたろうか。
ルツェルンの豪華メンバーもそうだが、一緒に共感しあいながら音楽を作っていく・・・、そんな共同作業の大いなる喜びに、いまだに喜々としているアバド。

今だに若々しい表情を失わない秘訣は、こうした音楽への愛情と、そののめり込み具合なのだろうな。
私も、よたよたしてないで、マエストロにあやかりたいものだ。

Abbado 今日は、超お得意のマーラーから、第1番を。
81年のシカゴとの一度目の録音は、ライブ感あって自在なベルリンフィル就任の後年の録音よりも、まとまりがあって、しなやかかつ、シャープでスリム。
ショルティの剛毅な指揮のもとにあったシカゴが、アバドが振ると強靭さはそのままに、繊細なまでの豊かな歌が溢れだしていたからおもしろい。
 シカゴの意中は、アバドだったというし、ニューヨークフィルからのお誘いにも乗る気だったから、ウィーンのオペラのポストがなかったらアバドはアメリカで長期活躍したかもしれない。
1番は、ロンドン響との来日公演が、火の玉のように熱い演奏だった。
その演奏がこれまでの最高。

そして、今年のルツェルンでは、この1番と4番をメインとしたふたつのプログラムが予定されている。
ルツェルンでのマーラー・チクルスも、今年が終われば、あと8番と9番。
8番は来年、スカラ座に復帰して演奏するので、先が見えてきたというもの。
交響曲も歌曲も、何度も何度も演奏するアバド。
ほんとは、ワーグナーとヴェルディもやって欲しいんだけれど。
それとバッハもね。

まぁ、永遠に元気そうだから、きっと演奏してくれる。

マエストロ・アバド、いつまでも元気で素晴らしい演奏を聴かせて下さいnote
ワタシモ、ガンバリマスpunch

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2009年6月26日 (金)

「パストラル」 エマ・ジョンソン 英国クラリネット作品集

Ajisai_1 いまや咲き誇る「あじさい」たち。

紫陽花」という漢字もほんと趣きがありますな。

よく言われるように日本は火山灰を含んだ地質で酸性だから青い花が多く、土壌改良をしてアルカリにすると赤系の色になるという。

そうでもないという説もあるが、梅雨の季節にしっかりと咲いてくれる紫陽花だから、日本の風土にしっかり根ざした説であってこそ、まさに趣きがあるというもの。
そぼ降る雨の日に、濡れたブルー系の「あじさい」を眺めつつ嘆息する、そんな情感がとてもいい。

Emma_johnson_pastoral 今日は、私の愛聴盤のひとつ、英国のクラリネット奏者、「エマ・ジョンソン」の英国作品集。

若いころ、そうまるで少女のような彼女が本格デビューしたのが84年。
あれからもう25年も経過し、彼女は大人の女性としてコクのあるクラリネットの音色を奏でるようになった。
DGやナクソスに最近の録音があるようだが、まだ聴く機会をもっていない。

このCDは、94年の録音で、つやつやとした音色に、しっとりとした木質感漂う、素敵なクラリネットで、英国音楽特有の憂いと抒情を難なく表出している1枚なのだ。

 アイアランド    「幻想ソナタ」
 RV・ウィリアムズ イギリス民謡による6つの練習曲
 バックス      クラリネット・ソナタ
 RV・ウィリアムズ 3つのヴォカリーズ
 ブリス        「パストラル」
 スタンフォード   クラリネット・ソナタ
 ブリス        2つの童謡

    クラリネット:エマ・ジョンソン
    ピアノ   :マルコム・マルティニュー
    ソプラノ  :ジュディス・ハワーズ

このCDの解説で、エマ自身が語っていること。
それは、これらの英国作曲家たちが、2つの世界大戦と切ってもきれない関係にあること、そして肉親や親しい人を亡くしたことに大きな痛手を受けたこと。
一番古い人が、スタンフォード(1852~1924)、次いでヴォーン・ウィリアムズ(1872~1958)、アイアランド(1879~1962)、ブリス(1891~1975)、バックス(1883~1953)。こんな生没年、ふたつの大戦がしっかりとその活躍期に収まっているのがわかる。
ひとり、スタンフォードは古く、エルガー以前、パリーと並ぶ英国作曲家でシンフォニストなのだが作風も含めドイツロマン派の流れを踏襲している。

アイアランドの幻想ソナタは、1943年の作品。
切れ目なく続く15分ほどの作品ながら4つのセクションに曲想は分かれている。
アイアランドは、好きな作曲家で、抒情派でメロディアスな作風にケルト風のミステリアスなムードも併せ持っている人。このクラリネットのソナタもまさにそんな雰囲気に満たされていて、静かな第1部から、ジワジワとクラリネットが亡郷にも似た歌を歌い込めてゆくさまがとても美しく、私を陶然とさせる。最後のノリのいいリズムは、彼の素敵なピアノ協奏曲を思わせる素晴らしいもの。

RVWの英国民謡の練習曲は、RVWが各地を巡って集めた民謡をまさにモティーフとした6つの作品。1927年の作品で、それこそ歌謡性にあふれた懐かしい民謡ならではの世界が6曲つぎつぎに歌われる。
クラリネットの持つ憂愁と親しみやすい音色が、いいようもなく郷愁を誘う。
そして、RVWは30年後、死の前年、これらの中から3曲を選んでヴォカリーズとして編みなおした。
ソプラノのヴォカリーズを伴う雰囲気豊かな作品となり、そう、交響曲第3番「田園」のいかにも英国の緑の丘を思わせるような、あまりにすてきなクラリネットを伴う声楽作品。

これまた、私のフェイバリット作曲家、アーノルド・バックスのソナタは、1934年の作品。二つの楽章からなりそれこそ、こちらも「幻想ソナタ」と言ってもいいくらいの即興性とほの暗い幻想味にあふれている。バックスも生粋のロンドンっ子でありながら、ケルトに魅せられた人だけにそのフェアリーなムードはなかなかのもの。

ブリスのパストラルは1916年、戦下のフランスで書かれた平和を希求するほのぼのしたムードの音楽。ブリスはロンドンっ子ながら、やはりケルテックなムードも持っていて、ミステリアスかつ現代的なムードを併せ持った、とても素晴らしい作曲家なんだけれど、当時はなかなか評価されず、映画音楽などで活躍せざるを得なかった人。
戦争にまつわる音楽としては、大曲の「朝の英雄たち」(モーニング・ヒーロー)などは感動の一作。「色彩交響曲」ばかりでないブリス!
の作品は21年のもので、フランス時代の子供たちのイメージがあるあらしい。

スタンフォードのソナタは、これはもう、ブラームス。
ブラームスが海を渡って英国へ行き、ロンドンも飛び越えて、内地へ向かい、英国を極めてしまったような音楽。スタンフォードの交響曲と同じくする雰囲気だけど、妙に寂しげで儚いムード。ウィスキーでも飲みながら聴きと、その苦味と甘さがぴったりと寄り添ってくる、そんな音楽なんだ。

Portraitgeo986pg2p9_2   エマ・ジョンソンのふくよかで、歌声のような、美しい詩情あふえるクラリネットに、だれも気持ちを解放されてしまうことだろう!
笑顔もかわいいエマでありました。

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