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2005年12月

2005年12月31日 (土)

アバドのワーグナー

バイロイト放送は終了したが、まだワーグナーで頑張るぞ。人並みに忙しくて、大晦日になってようやく休み。夜は、バイロイト三昧だったから、家の用事に駆り出されようやく愛器の前に座ったのが、夜10時。やれやれ、今年は第九を聴く気分になれず、こうなりゃまたワーグナーだわい、とすっきりと「アバドのワーグナー」を取り出した。

abbado_wagner アバドのワーグナーといえば、2000年にベルリン・フィルと上演したトリスタンが一生忘れられない思い出となって私の五体にしっかりと刻み込まれている。アバドとワーグナーを極めて愛好する私が、この二人の音楽家を聴きだしたときから、この組合せを待ち続け、FM放送での記録で、ローエングリンの2幕や前奏曲をエアチェックして渇をしのいでいたのである。

スカラ座で「ローエングリン」をルネ・コロを主役に上演したところから、アバドのワーグナーは始まったのではなかろうか。初レコーディングを同曲をウィーンで行ったあと、続くワーグナーはトリスタンで、ベルリン・フィルとザルツブルクのイースター祭で、ウィーン・フィルと夏のザルツブルクでそれぞれ上演することになっていた。しかし、ウィーンフィルとの関係をこじらせ、自らの体調も壊してしまい、このトリスタンの快挙は流れ、イースターのみの上演となったわけだ。これが、東京で体験できたのだから、私はもう涙なしにはいられなかった。このトリスタンは全曲が録音されているはずなのに、音楽不況のあおりで市場に出なかった。アバド次のザルツブルク上演のパルシファルも同じ運命をたどった。

こうした不運を少しでも解消させてくれたのが、このCDなのである。全体に音楽の豊かさ、明るさ、透明感、清潔感といったものが目立ち、もやもやと重いところがまったくない。過去の巨匠たちとは明らかに一線を画すワーグナーなのである。ヴィーラントが好んだ「ラテンの明晰さで見たワーグナー」こそがここに実現されている。

2005年を締めるにふさわしい、すばらしきワーグナーである。

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パルシファル

年末のバイロイト放送、最後は「パルシファル」。昨年プリミエの映画畑のシュリンゲンジーフ演出の2年目である。壊滅的なまでに、この作品のイメージを覆そうとする演出に対し、現物を見ていない私には評論する資格はないが、昨年の詳細なレポートや舞台写真を見るにつけ吐き気を催すような嫌な気分を充分すぎるくらい味わさせてくれた。

P2_W05_Gross 今年はかなり手を加えたらしいが、基本的には変わってないだろう。舞台神聖祭典劇とワーグナーがつけたキリスト教をベースとする宗教的な背景はまったく異なる世界に塗り替えられている。写真だけでもその異様さが判る。アフリカの土着宗教の世界で、クリングゾルは土人、聖杯守護の騎士達も異なる民族の土人。舞台の上は、ゴチャゴチャしてごみだらけ、変なものがやたらぶら下がっているし、極めつけは「スクリーンの多用」。ウサギが腐ってウジがわく画像が写しだされたそうだ。今年も同じようなことが行われたのだろうか?

P6_W05_Gross こんなヘンテコな先入観を植え付けられてしまったものだから、舞台のない音楽だけをきいても、それを演じ、それを見て指揮していると思うだけで、これはどうも・・・・、ということになってしまう。

ブーレーズの指揮は快速だ。この冷徹な人は、舞台なんてお構いなしに、自分の思うパルシファルを指揮した。70年のヴィーラント演出の時のCDとほぼ同じタイムである。がしかし、より深みが増し、見通しがよい精密な演奏なのだ。ここに、演奏時間を記しておこう。

1970年 Ⅰ(94分) Ⅱ(59分) Ⅲ(65分)     2004年 Ⅰ(93分) Ⅱ(60分)   Ⅲ(68分)    2005年 Ⅰ(91分) Ⅱ(59分) Ⅲ(65分)

年を重ねるとテンポが遅くなり、濃密な演奏をする人もあるが、この人は変わらないばかりか、テンポを増し精度も増しているところがすごい。だが、私の体にはパルシファル時間が刻みこまれていて、これではダメなのである。Ⅰ(110分)Ⅱ(67分)Ⅲ(77分)が私の理想タイムなのであり、この作品には深遠さと神秘性とともに晴朗感を求めたい。

昨年主題役を歌ったヴォトリヒが「こんな演出ではいやだ」と降りたことは誉むべきであろう。今年登場のエーベルツは、まずまずといったところか。声にハリがあってややかげりを帯びたところがよい。2幕の聴かせ所「アンフォールタース」と叫ぶとこるは「アンフォルタス」と軽く一声で終わってしまった。演出の意図でもあったのか? R・ホルのグルネマンツは今年はよかった。もともとの美しい声がよく出ていて3幕の聖金曜日の場面はすばらしい聴き物であった。他の歌手達も変な格好をさせられたわりには、皆良い出来栄え。

この悪魔的演出はいつまで続くのであろうか?ブーレーズは今年までで、来年はアダム・フィッシャーが指揮する。この人のリングはかなりゆったりとしていたので、快速パルシファルは一転どうなるのか?演出との相性もクソもないが、大いに気になるところ。

私は、ワーグナーの音楽があまりに偉大であるから、そこに演出が変にコテコテと色づけする必要はないと常々思っている。音楽がすべてを語ってくれるのだ。であるから、私の理想は今もって、ヴィーラントとウォルフガンクの「新バイロイト様式」なのである。演出が何かを語らなくては、演出から何かを読み取らなくては・・・、という観念ばかりが先行し、すっかり「演出の時代」になってしまった。こんな奴は家でCDを聴いてればいいのかもしれないが、音楽の本質をつかんだ演出による舞台を望んでいるだけなのである。

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2005年12月30日 (金)

タンホイザー

Th6_W05_Gross 深夜に渡るバイロイト放送。今晩は「タンホイザー」、昨年の出来もティーレマンの指揮がすばらしく最高だった。 今年はいかに・・・。1枚目の音楽祭HPからの借り物写真は、ヴェーヌスブルクで官能に溺れるタンホイザーの図。でも全然そう見えない。カルタ取りでもしてるみたいだ。

Th2_W05_Gross この演出は、変にいじくりまわしてなく、シンプルでよさげだ。光の用い方も美しく、即物的ながらいいと思う。いずれにしても、舞台を見たい。このアルローという演出家、新国でもいくつか演出しており観ておくべきであった。

Th7_W05_Gross そして、ティーレマンの音楽がまたすばらしいものだった。バイロイトに登場の他の指揮者にくらべ、低音がズシリと重く響く。うなりを上げている。少し過去に軸足をおいた音楽表現かもしれないが、ものすごい集中力によって説得力は充分だ。この人特有の、音楽が止まってしまうかのようなゲネラルパウゼは以前ほど聞かれなくなった。というより、絶妙の間として音楽に有効に機能している。とくに素晴らしかったのは、普通間延びしてしまう2幕の後半、メルベトの胸を打つ熱唱と相まって引き込まれるような名演であった。3幕のヴェーヌスブルク再出現後、ウォルフラムのエリーザベトの一声!この後に聴かれるオーケストラのため込んだフォルテがすごかった。難しいエンディングも見事に決まった。

Th3_W05_Gross 聴く者を興奮と感動に引き込む術を持ち合わせた指揮者である。歌手も皆良い。グールドのタンホイザーは力強い声で申し分なく、今後楽しみな存在で、他のワーグナーの諸役を各地で歌っているはず。エリーザベトのネルベトもいい。前述の熱演や3幕の美しいアリアも印象的。それから、私の好きなトレケルの友愛を絵にかいたような、清潔なウォルフラムもよろしい。

良いことづくめのタンホイザーでした。よかったよかった。来年のティーレマンのリングはいったいどんなことになるんだろう。

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2005年12月29日 (木)

さまよえるオランダ人

バイロイト3晩目は「オランダ人」だ。FMなので音楽だけで、舞台写真を見ながら想像をタクマシクするだけだが、そこが楽しい。いやでも、今年の二期会の上演との比較になるが、未消化すぎた二期会にくらべ、数年を経たセッションなだけに舞台は良かったらしい。

H3_W05_Gross 救済なしの原典(?)バージョンは今や主流となった感ある。こうなると、ゼンタの夢や妄想といったコンセプトを取りやすいだろうし、悲劇性と矛盾感も強まり、演出家は楽しいだろうが、観ている方は満たされない思いに陥るわけで、私としてはちゃんと救済され昇天していって欲しいものだ。

M・アルブレヒトの指揮はややおもしろみに欠ける。もっと冒険をしてもいいのではないかと思われる。しかし読響の同姓の人よりは、音楽にあたたかみや情感が感じられるはよい。 それよりも今年のオランダ人がまずかったのは、歌手の低調さだ。私にとって、良かったのは、ダガーのセンタだけ。ラシライネンのオランダ人はどうしたものだろう。音程が微妙に決まらず、妙な歌いまわしでぶち壊し。第一声質がオランダ人向きでないと思う。トーキョー・リングのさすらい人はそんなに悪くなかったのだが。二期会の多田羅の絶不調と似ている。リュヒネンのダーラントも同じような感じ。ヴォトリヒのエリックは、良く歌えているが、この人の喉に詰まったような発声が私はあまり好きではない。だが、パルシファルのクソ演出家と喧嘩して降りたことは大いに評価出来ますです。

H7_W05_Gross 昨年までのオランダ人、ジョン・トムリンソンは世評高いが、私はどうもこの人の声が好きではない。洞穴の奥から絞りだすような声に感じるのだ。贅沢なもので、理想的なオランダ人はあまり聴いたことがない。良いオランダ人は、良いアンフォルタスになり、良いザックスになり、ついに良いウォータンになるものだが、こうした系図はハンス・ホッター、テオ・アダム、トマス・ステュワートから絶えて久しい。  それにしても、3日目ともなると、眠い・・・・・・。

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2005年12月28日 (水)

ローエングリン

次のバイロイト放送は「ローエングリン」だ。「リング」が休みのため、中期の歌劇3作が上演されているのも珍しい。(マイスタージンガーとリング以外はすべて)

L1_W05_Gross 指揮が、数年前からパッパーノからアンドリュー・デイヴィスに変わり、今回1年置いて上演するにあたり、デイヴィスに要請あったが、ペーター・シュナイダーの登場と相成った。1年のつなぎ上演だからだろうか? が、しかしこうした場合のシュナイダーは本当に貴重な指揮者だ。代役みたいに、急場に出ては見事万全な成果を上げる。ショルティがリングを1年で降りてしまった後を救ったのもこの人だし、大植の後のトリスタンを振るのもまた、この人なのだ。かつてのシュタインのような存在といったらよいか。

今回のローエングリンも手の内に入った、安心して聴けるものだ。すごいことはない代わりに、すべてが自然で無理なくワーグナーの4拍の音楽が全編に息づいている。前日の大植との違いは歴然で、劇場の空間をすら感じさせてくれる。しかし、音楽への表現意欲というか、今回は空転してしまったが、意気込みは、若い大植の方に感じられる。そういう意味では、大植にはもう少し振らして欲しかった。

L2_W05_Gross 話が戻ってしまったが、シュナイダーの安定したオーケストラに乗って、歌手達もチームワーク良く、理想的な歌いぶりだ。ザイフェルトの元来リリックな美しい声もだんだんと太くなってきた。ジークフリートも視野に置いているらしいが、無理はしないで欲しいもの。夫人のシュニッツァーがバイエルンでのエヴァが見映えだけのエヴァちゃんだったのに比べ、幅広い音域が良く響きとても素敵なエルザになっていた。3幕でローエングリンに禁断の問いを発するところなど、実に迫真の歌唱である。実の夫婦だから、迫真に迫っていたのかも。(ローエングリンは押されっぱなし)考えてみると、ザイフェルトは亡くなったルチア・ポップ(大好きだった)に続き、オシドリ夫婦やってるのう。いずれも美人だし。

写真で見る、キース・ウォーナーの演出は、トーキョー・リングのようなポップな雰囲気はなく、シェークスピアを思わせるような雰囲気と演劇性の強い舞台のようだ。これは、観てみたいな。DVDにならないか? 少なくとも、パルシファルのクソ演出なんかより雲泥の差で魅力的だよ。(私にとっては)

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2005年12月27日 (火)

年末はバイロイト

Winter3 年末恒例のバイロイト音楽祭のFM放送が始まった。私は中学生の時から聴き始め、ワーグナーに馴れ親しんで早30ウン年・・・。当時は、「シュタインのリング」や「ヨッフムのパルシファル」「クライバーのトリスタン」「デイヴィスのタンホイザー」など等、音楽がまだまだ中心の良き時代であった。

そして今年、日本人がバイロイトに指揮者として登場するなんて、かつては考えもしないことが実現した。嬉しいくもあり、「おいおい、まだ早いのでは」という気持ちも抑えきれなかった。結果は、現地での否定的な評論が物語っていたようだ。

私はネットラジオですでに確認済であったけれど、改めて良い音で聴いてみて、「シンフォニックなトリスタンも悪くはないな」というものであった。全体にテンポが速く、「ここで溜めて欲しいな」と思うと、スすっーと流してしまったり、2幕の愛の二重唱の盛り上がりも、余りに煽ってテンポが先走ってしまい、歌手が大変そう。このあたりのオケを気持ちよく鳴らすばかりで全体を見失ってしまうところなど、経験不足がモロに出てしまったの感あり。こうした所を気にしないで、オーケストラを楽しむのであれば、楽しい聴き物ではないかと思う。

主役の二人はなかなかに良い。特にシュティンメのイゾルデがすばらしい。やや細身ながら、クールであり、やさしくもあり、「いい女」を思わせるイゾルデの出現である。Tr4_W05_Grossスミスのトリスタンも予想外に良かった。時おり、空転して裏返ってしまうことが見受けられたが、全体に慎重に歌っており、自分の身の長けにあったトリスタンを歌おうという意志が感じられ好ましい。3幕の長大なモノローグもじっくりとジワジワと感情がもり上がるさまを歌いあげていて感心した。数年前のTr9_W05_Gross ワーグナー・アリア集の頼りない歌からすると雲泥の差である。トーキョー・リングでジークムントを観ているはずなのに印象がない。この二人はこれから楽しみなコンビである。

他の歌手はクルヴェナール以外は万全。舞台を見てないので演出を語る資格ないが、音楽祭のHPの写真をみる限り、時代設定も好きでないし、なんとなく暗くていやな感じ。大植の演奏との乖離はこうした演出にも見出しうるであろう。

「愛の死」が終わると、見事なフライング拍手が・・・・・。本場でもあるのね、まさか日本人?明日から金曜まで、キツイな!バイロイトの前は、ザルツブルク音楽祭の放送だし、テレビじゃ今ベルリン・フィルやってるし、連日、どうしてこんなに集中的にやるのさ、NHKさんよ。

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2005年12月25日 (日)

クリスマスに聴く音楽

今年はクリスマスが連休にうまく重なって、週末の街はとてもにぎやか。平日のイブも好きなのだ。世のおとうさん達はみんなケーキをもっちゃって、残業なんてしようなものなら、電車はガラガラ。休みの日より、こんなクリスマスがいい。何故、日本人はクリスマスを祝うのか?完全に商業化された催しの一環に成り下がっている。クリスマスの意義も知らず、テレビでは、赤い帽子をかぶったタレントが浮かれている。26日になると、街はもうお正月に模様替え。この無意味さもいいのかもしれない。

fiedler_bpo_white_christmas 私のクリスマスは、まずこの1枚。フィードラーとボストン・ポップスの「WHITE CHRISTMAS」、お決まりのクリスマスソング・メドレーから、バッハやヘンデル、花のワルツなどが、耳あたりよく、さわやかに演奏されている。オーケストラのうまさは、文句なし。フィードラーの思い入れのない早めのテンポも実によい。DGGのボストン録音も最高によろしい。最後のホワイトクリスマスはしんみりと星夜にふさわしく、涙ものの演奏なのである。

kunzel_cincinnati_chrisitmas そしてもう1枚。デジタル時代のポップス・オーケストラの雄、クンツェルとシンシナティのクリスマス曲集。ボストンがレーベルもあって、ヨーロッパ風なのに、こちらは、アメリカそのもの。テレビや映画で見て憧れた、豪華なアメリカの家庭のクリスマスにこそふさわしい。ローズマリー・クルーニーのすてきなヴォーカルや、何と名バリトン、シェリル・ミルンズの渋い歌も聴ける。

これらのCDに、「メサイヤ」「クリスマス・オラトリオ」「クリスマス・コンチェルト」などをツマミ聴きすればもうお腹が一杯。子供達が寝静まった頃に、こっそり枕元にプレゼントを置き、クリスマス終了。なんだ、私も俗な日本人と変わらぬな・・・・・・。

例年、クリスマスには料理に腕をふるうこととしている。今年のチキンは前日からよく漬け込んだため、良い味にしあがった。他もなかなか満足の出来栄え。「ふむふむ」とスパークリングワインと日本酒・焼酎と飲みつづけるお父さんである。(マイ・フォトにて)

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2005年12月19日 (月)

厳冬のエルガーの交響曲

寒い日が続く。大阪の方が寒く感じたが、さすがに日曜は強風が吹き荒れ、千葉も身も縮む寒さであった。BBC響のライブから、サー・ジョン・プリッチャードの指揮する「エルガーの交響曲第1番」を聴く。

pritchard_ergar プリッチャードという指揮者は、英国人でありながら、あまり自国の音楽を残さなかった人だ。どちらかというと、オペラ指揮者のイメージが強く、ベルカント系やヴェルディのイタリア物やモーツァルト、特にイドメネオ、などを得意にする人とばかり思っていた。残念ながら他にこの人の演奏を聴いたことがなかったので尚更である。

このライブに聴く演奏は、以外やドラマティックであった。温厚なエルガーになりそうだな、と思っていたが、かなりメリハリや緩急がついた、いわばオペラティックな雰囲気さえ漂うものであった。

エルガーの交響曲2曲(3番は余興に思っている)は、私にとって外せないレパートリーで、何枚集めたかわからない。1番の出だし、ゆったりとノーブルな旋律が始まり、繰り返しながら徐々に盛り上がってゆく。この場面でもう、私はジーンとしてしまう。一転して主部はグローリアスな展開になるが、どこか後ろ髪引かれるような過去への追憶のような雰囲気がつきまとう。3楽章の緩徐楽章にいたっては、こわれんばかリのはかなさや哀惜感に、こちらもつらくなってしまう。終楽章の最終場面で、冒頭の主題が力強く再現され、ここにいたって私は感激にむせぶのである。

プリッチャードの演奏は、私がここはこうして欲しいという部分をほぼそのまま再現してくれる。全体に早いテンポで、2楽章が元気すぎるとは思ったが、終楽章最後の決めの場面では思い切りテンポを落として熱くじっくりと歌い上げるものだから、こちらの感動もひとしおであった。この指揮者、もう少し長生きをして、本来本流であったところの、自国音楽をもっと聴かせてほしかったものであるよ。

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2005年12月13日 (火)

オーマンディのメサイア聴きたい

日曜に、娘のピアノの先生がチェンバロを弾くサロン・コンサートがありました。フランス組曲やイタリア協奏曲といったバッハや、フルートも加わってすてきな時を娘と二人過ごしました。ちなみに、ワインが飲み放題で、一人で赤・白・赤・白・・・と飲む、どうしょうもない私。

Chiba
コンサートのあと、きれいな千葉のイルミネーションを見て散策。

クリスマスも近いということで、これまた30年以上前にすり減るほど聴いた「オーマンディのメサイア」が無性に聴いてみたい。レコードはあるものの傷だらけ・カビだらけなのだ。CD化されてないのだろうか?

意外なほどまっとうな演奏で、合唱が少し荒っぽいが、独唱陣もすばらしく、何よりも弦の美しいオーケストラがたまらなく印象に残っている。
CBSソニーのダブル・シリーズのひとつで、ステンドグラスのジャケットが実によい。
子供心にクリスマスに対する「あこがれや期待」、宗教に対する「荘厳な思い」などがこのレコードの思い出に込められてます。

Ormandy_messiah Ormandy_messiah_jp20b

Ormandy_messiah_jpg20c
純真な心でまたこの演奏を聴きたいな。

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2005年12月12日 (月)

アルゲリッチ・アバドの青春のショパン

argerich_chopin ショパンのピアノ協奏曲第1番を聴く。ショパンの協奏曲は意気込んで聴く曲ではないし、昨今は思わせぶりな1番よりは、「2番のほうがいいなぁ」と自分では思っていた次第でありますが、何故か一度は通る青春の1番。 かってに思い込んでます。しかも、68年録音のアルゲリッチとアバド/LSOの演奏は、当時のレコードジャケットの素晴らしさも織り込まれて、思い出で満載であります。

 ともかく写真の二人、若いです。思い切り歌わせたオーケストラの出だしから熱いです。オーケストレーションの弱さなど関係なく、当時のアバドは良く歌わせます。でも2楽章など、後年の見事な「歌うピアニッシモ」もこの頃から健在であります。argerich_chopin

アルゲリッチも良く見ると、それこそ「丸太」のような二の腕が写真で確認できますが、ミステリアスな美人ですよね。今を思うと・・・・・・。(レコードジャケットの劣化で見苦しい点あり)

技巧の素晴らしさは、全編に渡り確認できますが、弱音の澄み切った美ししさはどうでしょう。「奔放さ」よりは楚々とした叙情を感じさせる意外な演argerich_chopin 奏に思います。二人の「ラテンの血」と、「歌心」がしっくりと溶け合った名演だと思います。最近遠ざかっていたリストもこのレコードから覚えた名演だし、少し前の録音のプロコフィエフとラヴェルとも俊敏で、すてきな演奏であります。

数十年後の二人の演奏は、また違う意味で、指揮者が奏者に歩みよりつつ、触発されて爆発したかのような超名演ばかりであります。

私が、稚拙ながら思うに、まぎれもなくこの二人には「ラテンの血」が流れ、かよっていること、それであります。

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2005年12月10日 (土)

カラヤンのブルックナー4番

昨晩に続き、ブルックナーを聴きたい気分のため、カラヤンとベルリン・フィルの4番のEMI旧盤を購入から1年目でようやく取り出した。mozart1889さんのブロムシュテットの4番の試聴記を拝見し、大いに同感しました。そして激しくブロムシュテットの4番が聴きたくなってきた。その渇を補おうと、このCDを取り出したのであります。

karajan_burckner4 私は、カラヤンをワーグナーとシュトラウスとチャイコフスキーを除いてあまり聴かないが、(なぁーんだ、結構聴いてる)ブルックナーとの出会いがこの演奏だったのであります。7番との3枚組のレコードが、チャイコフスキーやモーツァルトの後期交響曲やトリスタンなどと同時期にEMIから発売されました。中学生だった私がそんな高価なレコードが買える訳もなく、FMをエアチェックして初めて体験するブルックナーを繰り返し聴いたものです。

その後、多くのブルックナーを聴くうちに、このカラヤン盤とはすっかりご無沙汰してました。 ここに久しぶりに聴いてみると、実に美しい。もちろん、ブロムシュテットとドレスデンの美しさとは、まったく違う。厳選素材を用いて、磨きあげられた美しさ、とでも言おうか。当時の録音場所だったイエス・キリスト教会の響きが、それに環をかけて美しい。しかし、これでいいのだろうか?という気持ちも否めない。金管が嵩にかかったように鳴り渡る。ピチカートも一音一音が感覚的。3楽章の馬上の狩人たちはピカピカに光る甲冑を着けているかのよう。深い森は整然と植栽されたかのよう・・・。

でも、この耳の心地よさはどうだろう。きれいすぎてコワイ。聴き進むうちに、こちらの耳まで洗練されてきたようだ。何だか気持ちがよい。終楽章の完璧な合奏力を前にもうお手上げ、夢中にさせられて、かくして、カラヤン・マジックにはまってしまうのでありました。

どうしてくれるんだ。だからカラヤンは嫌いなの。憎いあのヒト。

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2005年12月 9日 (金)

ドレスデンのブルックナー7番

有名なブロムシュテットとドレスデン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ)のブルックナーの7番を始めて聴きました。ようやく手にしたCDは某中古有名オフ店。よくある、百科事典的シリーズに編纂されたうちの1枚。新品で250円。しかもゴールドディスクなのだ。

bromshtedt_buruckner7 ジャケットもオリジナルの美しさには劣るが、曲想を捉えていて悪くない。そして、録音がまたドレスデンのルカ教会の響きを見事に再現してくれる出来栄え。 肝心の演奏も全く素晴らしい。曲が始まるとドイツの深い森から優しい妖精が微笑みかけるかのような、まろやかな音に満たされ、思わず目をつぶってしまい、耳を、心を澄ましてしまう。中でも、第2楽章、第二主題の極めて美しい歌。この演奏は当然の成り行きとして、シンバルは鳴りません。終始ゆとりを保ちながら、曲は進められ、バランス的にあっけない、終楽章も大きな呼吸をもってエンディングを迎える。こんな美しいブルックナーも充分ありだな、と強く思う次第でして、ヴァントやマタチッチが厳しすぎたり、鷹揚すぎたり感じたら、このコンビのブルックナーは清涼剤のように感じるでありましょう。

N響でのブロムシュテットはもっとストイックだから、ドレスデンとの理想の組合せのなせる技なのです。同じドレスデンのヨッフムやシノーポリは未聴です。ハイティンクとのCDRを入手したので、楽しみにしています。

ブロムシュテットは、ゲヴァントハウスを辞めたあと、どこへ行くんでしょう。特定のポストには着かないでしょうが、ドレスデンやコンセルトヘボウ、ウィーンあたりでまた活躍して欲しいものです。

ドレスデンの方も理想のハイティンクが任期半ばで辞任してしまい、昨年の来日でのブル8を泣いて感動しただけに、残念でなりません。ドレスデンは、ケンペ、スウィトナー、ザンデルリンク、ブロムシュテット、若杉、デイヴィス、ハイティンクといったオケと相性の良い的確な選択をしてきた一方、一風変わった演奏家を招く傾向をもっています。シノーポリ、ビシュコフ、チョンなど、個性ある指揮者達がそうです。長い伝統に縛られない柔軟さがこのオーケストラを古色蒼然としたものでないフレッシュな存在に保っているんでしょうね。

次期主席のファビオ・ルイージが大いに楽しみです。オペラもオケも、ドイツものも、イタリア・フランスものもこなす異色の指揮者ですから。

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2005年12月 7日 (水)

ボビール再び

今年のプロ野球は、前半、千葉ロッテの快進撃が続き、終盤もロッテの明るく圧倒的な強さを印象付けて終了した。私は川崎時代からの大洋ファンで、アンチG。大洋以外は、日ハムかロッテを応援するヘソまがりなのでありました。

ここ数年、私のホエールズは低迷を重ねました。私が生を受けた頃に優勝して以来、低迷ぶりを見ることにすっかり慣れっこになってしまった。数年前、なまじ優勝なぞしてしまうものだから、このところの不甲斐なさには、もうがっかりの連続でありました。

Imgp0972 そんな私に正妻を束の間忘れさせる気持ちイイ思いをさせてくれたのが、今年のロッテであります。はからずも地元千葉に在住していることもあり、応援のしがいもあったものです。なんたって、冬の入り口の頃まで野球が楽しめたのですから、それだけでもありがたいこっちゃ。 福岡や大阪のファンの方には誠に申し訳なく思います。

千葉のサッポロビール工場産の県内限定ビール、その名も「ボビール」が夏頃に続き、また店頭に並びました。日本一バージョンであります。いいなぁ。保存版だよ。

Imgp0974 ビールと言えば、わが正妻ベイスターズ優勝時のスーパードライであります。これは貴重なのだ。おそらく私が生きているあいだはこんな企画が産まれないからなのだ。悲しい現実だが、そんな情けない横浜大洋ホエールズ・ベイスターズが大好きなのだ。もう浮気はしないぜ・・・・・・。

でも、「ボビール」はいいのう。うらやましいのう。

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2005年12月 6日 (火)

望郷のディーリアス

Delius_beecham














私のフェイヴァリットのひとつ、イギリス音楽。
料理と同じで、おいしくないイメージが音楽にもあるのかどうか、日本では好まれて聴かれません。

でも最近はエルガーの交響曲や協奏曲がコンサートで取り上げられることが増え、うれしい限りであります。 
が、しかし、余り人気が出ても困るのよ。
ひそやかに、楚々と一人楽しむのがイギリス音楽の聴き方なのであります。 

私とイギリス音楽の出会いは、ディーリアスを通じてです。
私が中学生だった頃、父が職場より、LPのサンプル盤を大量にもらって来ました。
父がホテルマンだったため、館内で利用していたLPだったようです。
大半がEMIやキャピトルのもので、赤の半透明の盤もあり、そのほとんどは、ジャズやビアホール向けの軽音楽でした。

そうした中に混じって、フルトヴェングラーや、ミルシュテイン、フェラス、そして何故かビーチャムのディーリアスのLPがありました。
ジャケットなど白の厚紙にマジックで「ビーチャム・ロイヤルフィル、ディーリアス」としか書かれてません。
ディーリアスが何者なのか、曲名は何かなどがわかったのは、後年です。
ともかく、多感(?)な当時、幽玄でモヤモヤとした雰囲気の音楽に何故か惹かれ、何度も繰り返し聴いたものでした。
今を去ること30年以上も昔の話なり。

Delius_beecham1_3













その後長じて、EMIから廉価盤でディ-リアスの一大アンソロジーが発売され、もう立派なオトナになっていた私は、狂気してそのすべてを買い揃えました。
もちろん、懐かしいビーチャム盤もそこに入ってました。
またいずれ、書き改めたいですが、このシリーズは「ターナー」の絵がジャケットに使われ微妙な光を描いた画風とディ-リアスの音楽がぴったりと寄り添うようでした。 
もう涙もの。

ブリッグの定期市」という曲の冒頭、懐かしげなフルートがハープに乗って歌い始めると、私は過去の思い出や、かつて過ごした故郷を思い浮かべ陶然としていまう。
ディーリアスのLPを運んできた父も今はもういない。

私の故郷は海と小さな山に囲まれたそれこそ小さな町。
実家の部屋からは、山越しに「富士山」の頂が覗える。
そこに日が沈み富士や周辺の山が赤く染まり、あたりが夕闇に包まれるのを見ながら、ディーリアスを聴いたものだ。
「夏の歌」や「楽園への道」「高い丘の歌」などが壮絶なほど美しく、こうした景色に映えるものであった。

音楽はもう帰れない昔や場所、会えない人を懐かしく思い起こさせてくれる。

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