アバドのワーグナー
バイロイト放送は終了したが、まだワーグナーで頑張るぞ。人並みに忙しくて、大晦日になってようやく休み。夜は、バイロイト三昧だったから、家の用事に駆り出されようやく愛器の前に座ったのが、夜10時。やれやれ、今年は第九を聴く気分になれず、こうなりゃまたワーグナーだわい、とすっきりと「アバドのワーグナー」を取り出した。
アバドのワーグナーといえば、2000年にベルリン・フィルと上演したトリスタンが一生忘れられない思い出となって私の五体にしっかりと刻み込まれている。アバドとワーグナーを極めて愛好する私が、この二人の音楽家を聴きだしたときから、この組合せを待ち続け、FM放送での記録で、ローエングリンの2幕や前奏曲をエアチェックして渇をしのいでいたのである。
スカラ座で「ローエングリン」をルネ・コロを主役に上演したところから、アバドのワーグナーは始まったのではなかろうか。初レコーディングを同曲をウィーンで行ったあと、続くワーグナーはトリスタンで、ベルリン・フィルとザルツブルクのイースター祭で、ウィーン・フィルと夏のザルツブルクでそれぞれ上演することになっていた。しかし、ウィーンフィルとの関係をこじらせ、自らの体調も壊してしまい、このトリスタンの快挙は流れ、イースターのみの上演となったわけだ。これが、東京で体験できたのだから、私はもう涙なしにはいられなかった。このトリスタンは全曲が録音されているはずなのに、音楽不況のあおりで市場に出なかった。アバド次のザルツブルク上演のパルシファルも同じ運命をたどった。
こうした不運を少しでも解消させてくれたのが、このCDなのである。全体に音楽の豊かさ、明るさ、透明感、清潔感といったものが目立ち、もやもやと重いところがまったくない。過去の巨匠たちとは明らかに一線を画すワーグナーなのである。ヴィーラントが好んだ「ラテンの明晰さで見たワーグナー」こそがここに実現されている。
2005年を締めるにふさわしい、すばらしきワーグナーである。
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