パルシファル
年末のバイロイト放送、最後は「パルシファル」。昨年プリミエの映画畑のシュリンゲンジーフ演出の2年目である。壊滅的なまでに、この作品のイメージを覆そうとする演出に対し、現物を見ていない私には評論する資格はないが、昨年の詳細なレポートや舞台写真を見るにつけ吐き気を催すような嫌な気分を充分すぎるくらい味わさせてくれた。
今年はかなり手を加えたらしいが、基本的には変わってないだろう。舞台神聖祭典劇とワーグナーがつけたキリスト教をベースとする宗教的な背景はまったく異なる世界に塗り替えられている。写真だけでもその異様さが判る。アフリカの土着宗教の世界で、クリングゾルは土人、聖杯守護の騎士達も異なる民族の土人。舞台の上は、ゴチャゴチャしてごみだらけ、変なものがやたらぶら下がっているし、極めつけは「スクリーンの多用」。ウサギが腐ってウジがわく画像が写しだされたそうだ。今年も同じようなことが行われたのだろうか?
こんなヘンテコな先入観を植え付けられてしまったものだから、舞台のない音楽だけをきいても、それを演じ、それを見て指揮していると思うだけで、これはどうも・・・・、ということになってしまう。
ブーレーズの指揮は快速だ。この冷徹な人は、舞台なんてお構いなしに、自分の思うパルシファルを指揮した。70年のヴィーラント演出の時のCDとほぼ同じタイムである。がしかし、より深みが増し、見通しがよい精密な演奏なのだ。ここに、演奏時間を記しておこう。
1970年 Ⅰ(94分) Ⅱ(59分) Ⅲ(65分) 2004年 Ⅰ(93分) Ⅱ(60分) Ⅲ(68分) 2005年 Ⅰ(91分) Ⅱ(59分) Ⅲ(65分)
年を重ねるとテンポが遅くなり、濃密な演奏をする人もあるが、この人は変わらないばかりか、テンポを増し精度も増しているところがすごい。だが、私の体にはパルシファル時間が刻みこまれていて、これではダメなのである。Ⅰ(110分)Ⅱ(67分)Ⅲ(77分)が私の理想タイムなのであり、この作品には深遠さと神秘性とともに晴朗感を求めたい。
昨年主題役を歌ったヴォトリヒが「こんな演出ではいやだ」と降りたことは誉むべきであろう。今年登場のエーベルツは、まずまずといったところか。声にハリがあってややかげりを帯びたところがよい。2幕の聴かせ所「アンフォールタース」と叫ぶとこるは「アンフォルタス」と軽く一声で終わってしまった。演出の意図でもあったのか? R・ホルのグルネマンツは今年はよかった。もともとの美しい声がよく出ていて3幕の聖金曜日の場面はすばらしい聴き物であった。他の歌手達も変な格好をさせられたわりには、皆良い出来栄え。
この悪魔的演出はいつまで続くのであろうか?ブーレーズは今年までで、来年はアダム・フィッシャーが指揮する。この人のリングはかなりゆったりとしていたので、快速パルシファルは一転どうなるのか?演出との相性もクソもないが、大いに気になるところ。
私は、ワーグナーの音楽があまりに偉大であるから、そこに演出が変にコテコテと色づけする必要はないと常々思っている。音楽がすべてを語ってくれるのだ。であるから、私の理想は今もって、ヴィーラントとウォルフガンクの「新バイロイト様式」なのである。演出が何かを語らなくては、演出から何かを読み取らなくては・・・、という観念ばかりが先行し、すっかり「演出の時代」になってしまった。こんな奴は家でCDを聴いてればいいのかもしれないが、音楽の本質をつかんだ演出による舞台を望んでいるだけなのである。
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