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2006年1月21日 (土)

アバドのルツェルン音楽祭

Imgp1865 今日の関東地方は、南側で大雪。私の住む千葉も久方ぶりの雪に見まわれ、一日自宅で軟禁状態。それをいいことに、一日まとめて音楽三昧。

先週FMで放送された、「アバドールツェルン祝祭オケ」の3夜のライブをすべて聴いてみた。演目は次に通り。

「ブルックナー 交響曲第7番」「ノーノ プロメテウス」「シューベルト オーケストラ伴奏の歌曲(Br:クヴァストフ)」「トリスタンとイゾルデ 前奏曲と愛の死」「ベルク アルテンブルク歌曲集ほか(S:ルネ・フレミング)」「マーラー 交響曲第7番」

まずは、ブルックナーから。最初に編集してその演奏時間を見て驚き!(59分50秒)で何と1時間を切っている。通常66~8分くらいで、1楽章と2楽章で45分を強いるイメージを持っている。聴きとおしてみて、早からず、遅からず、時間の先入観を忘れさせる。もう一度調べると、たしかに59分なのだ。全く停滞感がなく、じっくりと旋律を奏でてしまい、曲に没入してしまうところが見当たらないのだ。スコアを突き詰めていったら実演でこうなった、といった感じの即興性にも満ちていて、すこぶる新鮮味に満ちている。ブルックナーから連想する「教会」「オルガン」「朴訥さ」「宗教性」云々といったものは感じられない。その代わり今生まれたばかりの新鮮な音楽がスコアに書かれてあるとおり、そこに生き生きと鳴っている感じなのだ。2楽章の第2主題の美しさ。3楽章のトリオの部分の優しい牧歌性。終楽章の動と静の簡潔な描き方。こうしたところが、とても素晴らしい。92年録音のウィーン・フィルとのCDは(64分)、FMのエアチェック音源のウィーン・フィル84年ライブは(62分)ということで、ライブ感のあるアバドであるが、ざっと比較してみると、これらの演奏は「アバドの指揮」であると同時に「ウィーン・フィルのブルックナー」という要素もあって両立している。今回のルツェルンの演奏は「マイ・オーケストラとのアバドのブルックナー」なのである。

021017-8 そして、それにも増してすごかったのが、同じマーラーの同じ第7交響曲で冒頭から最後の輝かしいフィナーレまで、アバドのマーラーに寄せる愛情が隅々まで行き渡っていて、ブルックナーよりさらに音楽に対する「没入感」が強く感じられる。テンポの比較ばかりで何だが、今回の演奏は(約73分)、2001年のベルリン・フィルのライブが(約77分)、シカゴ響との録音G(約79分)という具合に演奏時間が短くなっている。演奏時間の長短で演奏の良し悪しは語れないが、アバドの場合年月の経過と共に無駄を省いた透徹感が増しており、ブルックナーの場合と同様に音楽だけがそこにある、という境地を感じさせる。終楽章にいたっては、音楽はもの凄い推進力を伴って、極めてたかいい高みに達している。

過去の録音も、それぞれの局面でアバドを感じさせ、大事な演奏であるが、ベルリン後のアバドはさらに異なるステージを目指して登りつめて行くようだ。同時に若々しい歌をともなったアバド特有の個性も磨かれている。

他の演奏も皆すばらしい。クヴァストフの心理的な歌いぶりは良かったが、フレミングはちょっとねっとりとし過ぎで、アバドとの相性は如何に?

トリスタンの「愛の死」を聴いていたら、音楽のもつあまりの美しさにハッとして思わず涙ぐんでしまった。

今秋来日する「アバドとルツェルン」、どんなブルックナーとマーラーを聴かせてくれるんだろうか? チケットは高過ぎるが、何としても全部聴いてみたい。

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