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2006年2月14日 (火)

ベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」

Richter ベートーヴェンミサ・ソレムニスは「荘厳ミサ」というくらいで、80分を越す大曲だ。聴き手もそれなりの覚悟と準備を要する。はずだと思っている。
日曜日に、思い立って2回も聴いてみた。
しかし、音楽はベートーヴェンのいかめしい厳しさ、とっつき憎さ、正に荘厳と呼ぶべきものは、以外と少ないのではないかと思った。
 むしろ、晩年の澄み切った心境を感じさせる、無駄のない明快さと簡潔感に満ちている。後半のベネディクトスなど、完全にロマン派の音楽で、その美しさには耽美的なものさえ感じてしまう。ともかく美しい。その美しさばかりを磨き上げると、一時のカラヤンのようになってしまう。そうした、ベートーヴェンの二律背反する要素をうまく現していたのが、ベームとウィーン・フィルで、ベームの堅い枠組みから微妙にはみ出して、美しい音楽を奏でていたウィーン・フィルの音が、その要素を完璧に捕らえていた。

今回は、非正規盤ではあるが、リヒターミュンヘン・フィを指揮したライブを聴いた。
写真は、本演奏とは関係ないが、DGのリヒターのサンプル盤で、これが素晴らしい選曲で何回聴いたかわからない。これを代用した。
S:ヘザー・ハーパー、Ms:ユリア・ハマリ、T:ゴルドン・グリア(?)、B:ニコラウス・ヒレブラント、Cho:ミュンヘン・バッハ合唱団 録音:1977年9月

バッハばかりか、リヒターはベートーヴェンまでの宗教曲を中心によく演奏していた。我々にとっては、早くに旅立ってしまっただけに、「マタイ受難曲」の超絶演奏があってこそのリヒターだが、晩年は、こうした大曲やメンデルスゾーンやブルックナーまで演奏していた。
 この「ミサ・ソレ」は晩年の記録だが、合唱の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。あまり大きな編成でないであろう、言葉の明晰さは、永年の手兵の一連のバッハ演奏を思わせる。合唱も人の声の集合体だから、個性や特徴あるわけで、まさにこれはミュンヘン・バッハ合唱団の声なのだ。しかし、全般にどことなくロマンティックな演奏である。一番美しい「ベネディクトゥス」から「アニュスデイ」にかけては特にそう感じる。たっぷり楽器を鳴らし、豊かな響きを作りながら、独唱も合唱もことのほか陰影が濃い。
 同時期に来日して、オルガンとチェンバロのみでのリサイタルを行っているが、当時「ゴールドベルク変奏曲」を聴いた友人は「結構濃い」と評していた。

放送音源で万全の視聴ではないが、リヒターの演奏としては貴重で、かつての「マタイのリヒター」という固定観念を無視して聴けば、極めて立派な演奏ではなかろうか。
本来ならば、謹厳なリヒターがベートーヴェンから、同質のものを引き出す、という厳しい演奏を望むところであったが、合唱を中心とした言葉への訴求力の高い演奏と感じた。

リヒターが、もう少し活躍していたら、どんな風になっていただろう。
 

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コメント

こちらにも、今年はベートーヴェン生誕250周年イヤー、またコロナ禍もありよく聴いたのがベートーヴェン ミサソレムニス。ベネディクトスの神の降誕を表現したヴァイオリンソロに聴き入っています。ベートーヴェンで1番に入りそうなメロディと高揚感に昇天しそう。
ゲルハルト・ヘッツェル死去前のソロが聴けるレヴァイン WPh 合唱団もソリストもオールスター。カラヤンからアーノンクールまで聴いてこれが1番でした。
https://youtu.be/WFor50sjEaw

投稿: Kasshini | 2020年11月15日 (日) 07時17分

ベネディクトスの美しさは、その旋律をそらんじてて、エア視聴できて、それで感動すらできてしまいます(笑)
学生時代にエアチェックしたクーベリックの演奏で、この箇所に落涙し、目覚めました。
 レヴァイン盤、じつは持ってますが、まだ聴いたことがないのです。
テノールの方がだいたい想像できて触手が伸びないのでした・・・・

投稿: yokochan | 2020年11月16日 (月) 08時49分

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