チャイコフスキー「ロメオとジュリエット」、スクリャービン「法悦の詩」 アバド
1933年6月26日。今日は、私の一番好きな指揮者、「クラウディオ・アバド」の誕生日である。毎年、アバドももうそんな年か・・・、と思っているうちに、34年も過ぎてしまい、自分もそっくりアバドを聴きつづけるうちに年を経てしまった。
しかし、アバドに勇気づけられるのは、音楽のみを希求してやまない熱意と、その情熱から大病をも克服してしまった精神力である。
私がアバドの音楽に確信をもったのは、今回のレコードである。
1971年の録音で、ボストン交響楽団を指揮した2枚目のもの。
ヌードのジャケットは、刺激的だった。それ以上に、チャイコフスキーもスクリャービンも初めて聴く作品だけに、そのロマンテックな響きに参ってしまった。何度も何度も聴いた。
聴くうちに、アバドが、旋律を明るく、明確に、隅々まで光を当てるように、情熱的に歌いまくっていることがわかってきた。
これは大変な曲であり、演奏なのだと、思うようになった。
そして、オーケストラの素晴らしさ、巧さ。当時はベルリンやウィーンばかりで、アメリカのオーケストラなんてろくに聴いたこともなかった。
RCA専属から離れて、初めてヨーロッパのメジャーに録音したボストン響である。
オーケストラにも、ものすごい気迫が感じられる。アバドが情熱の塊と化して、グイグイ引っ張るものだから、ボストンも上品にしていられない。
金管はうねるように咆哮し、弦はエッジを効かせて決めまくる。打楽器、とりわけティンパニは冴え渡っている。
録音がまた素晴らしい。RCA時代は生々しい録音ばかりで潤いが欲しかったが、DG録音は第1作のフランスものも同様に、ホール・トーンを生かしながらも、各楽器が手にとるような臨場感を持ってとらえられている。
今聴いても、かなりのものだ。
ボストン響はこの後、小沢の手に委ねられることになるが、アバドとの相性は非常に良かった。シカゴでも素晴らしいマーラーを聴かせてくれたが、ボストンとマーラーを演奏していたらどうなっていたろうか。同時期、フィラデルフィアやクリーヴランド、ニューヨークにも客演していた。ミラノに腰を据えなければ、アメリカのメジャー・オケの指揮者にもなっていたかもしれない。実際、ウィーン国立歌劇場のポストを受ける前に、ニューヨークから、メータの後任を打診されていて、本人もその気になっていたらしい。
歴史はきまぐれ。結果としては、ミラノ・ロンドン・シカゴ・ウィーン・ベルリンというお馴染みのポストが正解であったし、残された録音も至玉の作品ばかりののだから。
それにしても、今聴き返してみて、アバドの指揮の歌謡性に驚く。チャイコフスキーはもちろんとして、スクリャービンの作品でこんなに歌が溢れているとは。
それがダラダラと流れないのは、全体を見通す鋭い視線による見事な構成感に裏付けられているからである。全体の色調は明るく、若々しい。最後のクライマックスでは、オルガンも鳴り、壮絶な頂点を迎える。長く伸ばされる最終和音もクリアーで美しさを失わない。
聴いていて、ショパンの詩情に満ちたスクリャービンが、詩情を残しながらも神秘主義的な陶酔に満ちた音楽に変貌していった様子がわかる。
ここに、ワーグナーやドビュッシーの響きを聴き取ることも難しくない。
進化するアバドは、この5月に、ベルリン・フィル定期に登場し、ワーグナーの「ヴェーゼンドンク歌曲集」とシューマンの劇音楽「マンフレッド」全曲を演奏した。
新レパートリーである。どこまでもチャレンジするアバド。今年の来日が楽しみだ。
ありがとう、クラウディオ!
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コメント
yokochanさん、こんばんは!
このアバド盤、LP時から気になっていたのですが、いまだに聞く機会を持てていません。アバドがボストン響を振っているということで興味津々なのですが…。
今回拙ブログでスヴェトラーノフ盤を取り上げましたので、TB失礼いたしましたm(_ _)m
投稿: Niklaus Vogel | 2006年11月20日 (月) 21時50分
Niklaus Vogelさん、コメント並びにTBありがとうございます。
レヴァインのボストンは全くといっていいほど、極東の私達の耳にその情報ですら入ってきませんね。松阪=レッドソックス効果を期待して、また日本との結びつきを深めて欲しいものです。
アバドとボストンは2枚しかありまえんが、ヨーロピアンなオケとの相性は抜群ですよ。
スヴェトラさんのチャイコフスキーは、すべてを聴いたことがありませんが、強烈な個性に溢れた素晴らしい演奏ですよね。
投稿: yokochan | 2006年11月21日 (火) 00時18分