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2006年7月27日 (木)

ワーグナー 「ワルキューレ」 カラヤン

Karajan_walkure


 

 

 

「ニーベルングの指環」第一夜の「ヴァルキューレ」にたどり着いた。
リングの中でも、これだけ抜き出しての上演もあり、作品的にも充実している。前にも触れたがこの作品が「トリスタン」や「マイスタージンガー」の前に書かれていることが驚きだ。

「ヴァルキューレ」は人間主体の物語だ。ここでは、神々はいるが、まがまがしいニーベルング族や巨人族は出てこない。ヴォータンが人間界に産んだ「ウェルズング族」の悲劇が中心となっている。ここでの悲劇を引き起こす主体は、またもやヴォータンである。まったく困った神様なのだ。
自分が産み落とした、英雄ジークムントを図らずも死に追いやることになるのだし、自分の意志を継いだブリュンヒルデにお仕置きをせざるを得なくなって、愛しい娘と永遠に別れなくてはならなくなる。
 一方、この作品は近親相姦というモラル的に問題ある内容も伴っている。
兄と妹が出来てしまい、子供まではらんでしまう。その子供が長じて、叔母ブリュンヒルデと結ばれる。ムチャクチャである。常識(婚姻)の鏡である正妻フリッカが怒りまくるのもあたりまえだ。ヴォータンはそれを「今日おこったことを、あるがままに受止めよ」と平然と言い切る始末だ。

 

そんな非常識はおいておいて、音楽の素晴らしさに耳を傾けよう。
ここには、「情熱的な愛」、「逃走する悲劇的な愛」、「倦怠期の夫婦愛」、「父と息子の愛」、「生まれ来る子への母性愛」、そして「父と娘の愛」、こんないろいろな愛の形が描かれている。ここに付けられた音楽は、ワーグナーの作品の中でも最もわかりやすいものではなかろうか。

 

若い頃は「ヴァルキューレの騎行」に沸き立ったものだが、今は表面的すぎるし、うるさく感じる。この作品は、登場人物同士の語り合いが多いため、意外や室内楽的な雰囲気も多数ある。そんな場面の管楽器の独白めいたソロや、抒情的な弦楽器のささやきなどが、私の聴きものとなっている。
第2幕の「ヴォータンとフリッカ」「ヴォータンとブリュンヒルデ」、「ジークムントとジークリンデ」、「ジークムントとブリュンヒルデ」、第3幕の「ヴォータンとブリュンヒルデ」これらの対話の場面に耳をそばだたせて聴く。

 

そんな場面を精緻に見事なまでに聴かせてくれるのが「カラヤンとベルリン・フィル」だ。
ベルリン・フィルのソロは実際に雄弁で凄い。吹いている人の顔が浮かぶくらいだ。
こうした精密さばかりに気を取られていると、盛り上がる場面でも唖然とするような圧倒的なパワーが全開される。名旋律に満ちた作品だけに、カラヤンの巧さが目立つ。
こうした完成された美しさもたまには良い。これに毒を感じたら、ベームやショルティ、クナを聴けば良いと自分では思っている。

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1967年、カラヤンがオペラを上演するために始めた「ザルツブルクのイースター音楽祭」。まさに帝王のなせるワザ。おまけに普段オーケストラ・ピットに入ったことのないベルリン・フィルをピットに入れてしまった。その第1回目の上演が、この「ヴァルキューレ」。
音楽祭に合わせ新譜として発売できるように、前年に録音を済ませてあるから、上演における音楽面は完璧で、そこに居合わせた人は感嘆のため息を漏らしたろう。
以降、「ラインゴールド」「ジークフリート」「たそがれ」の順に「リング」は上演され、「フィデリオ」「トリスタン」・・・・と名録音と合わせて上演されていった。
いずれも、カラヤン自ら演出も行うというマルチぶりだが、このあたりは資料もないしどんな演出かは不明。写真で見ると舞台は暗く、風潮であったヴィーラント風のものではなかったろうか。

美声ばかりをあつめたやや軽量級の歌手陣だが、これまた素晴らしい。
トマス・スチュワートの美しい声に満ち、かつ立派なヴォータン。
普段はジークリンデのクレスパンのクリスタルな輝きに満ちたブリュンヒルデ。
これまた歌うはずのない、ヤノヴィッツのジークリンデは清冽な美に満ちている。3幕での救済の動機で感謝を歌う場面では涙が出た。
立派すぎるタルヴェラのフンディンクと、キリリとしたヴィージーのフリッカ。
 ヴィッカースのジークムントはこの中ではちょっと異質かもしれない。立派だけれども、今聴くとスタイルが古く感じる。

目をつぶって、ヴォータンが告別の歌を終え、近付くものへの警告を「ジークフリートの動機」とともに歌って、振り返りつつそこを去る場面を思い描く。
実家で暮らした頃、部屋の窓から小さな山越しに富士山が少し見えた。夕日がそこに沈む時、壮麗な夕焼けが望め、あたりが赤く染まり、徐々に暗くなっていった。
そんな光景を見ながら、デーリアスや「ヴォータンの告別」を聴いたものだ。

バイロイトでは、新演出のリングがそろそろ始まっていることだろう。
どんな告別のシーンが描かれていることだろう。ティーレマンの指揮はいかに。

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コメント

ヤノヴィッツとクレスパンはお気に入りなのでそれだけでこのディスクは満足です、って本格的ワグネリアンから
みたら何じゃそりゃ!でしょうね。(^^♪

投稿: びーぐる | 2006年7月28日 (金) 10時36分

いや、そうでもないです。この二人の貴重な役柄ですから、それだけでも貴重なワルキューレであります。

投稿: yokochan | 2006年7月28日 (金) 20時39分

こんばんは♪  今日はちょっと遅くなってしまったのですが、何とかワルキューレに進むことができました。  ここは聴きどころ満載ですよね~。  KiKi がワーグナーに目覚めたきっかけを作ってくれたのがここでした。  「ワルキューレの騎行」もよかったのですが、第2幕のヴォータンの苦悩でガツンとやられ、第3幕のヴォータンとブリュンヒルデの二重唱とヴォータンの別れで号泣。  ジークフリートの動機でちょっと希望・・・・。  明日(ってもう今日なんだけど)は何とかジークフリートに進みたいなぁと思っている KiKi でした♪

投稿: KiKi | 2006年7月29日 (土) 02時03分

kikiさん、こんばんは。ワルキューレは泣ける場所が多くて困りますね。ウォータンの告別なんてもうウォータンになりきって歌ってしまいますよ。(車運転中とかですが)
週末は外出したりで、私のほうは「ジークフリート」は「おあづけ」でした。

投稿: yokochan | 2006年7月30日 (日) 23時19分

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