R・シュトラウス アルプス交響曲 プレヴィン
夏も終わりに近付き(実際は残暑が1ヶ月は残ってるけど)、海系統は何曲か訪れものの、大慌てで山登りをすることとした。
「アルプス交響曲」、この曲がこんな人気曲になるなんて、かつて想像もつかなかった。私がレコードを聴き始めた頃は、ステレオ録音では「ケンペ/ロイヤル・フィル」が唯一で、モノラルの「ベーム/ドレスデン」があと出ていたくらい。気鋭のメータも「英雄の生涯」と「ツァラ」までで、まだこの曲は手掛けてなかった。私が初めて聴いたのが、当時NHKのAM第一放送、日曜の朝に放送していた「音楽の泉」(確かこんな名前だった)で取り上げられたものだった。
曲を山登りの進行に合わせて止めながら、村田武雄先生の詳細な解説が入るもので、シュトラウスの写実的な作曲技法に驚き、時には「ふむふむ」などと感心しながら聴き入ったものだった。その放送は当然モノラルだから、ベームのレコードで何の支障もなかった。
今からすると隔世の感であるが、今より音楽を夢中になって聴いていたかもしれない。
ありあまる、CDや映像メディアを見るにつけ、音楽の本質を忘れちゃいかんと自戒する次第である。だが、「アルプス交響曲」ほど、高音質の音楽メディアの恩恵を被った曲もなかろう。演奏技術の向上もさることながら、CD1枚にこんな演奏効果のあがる曲がすっぽり収まってしまう。音の混濁やカスレなど気にしなくても良い。
レコードでは、頂上に至るクライマックスで盤面を変えなくてはならなくて閉口したが、そんな不満もなくなった。つくづくかつては、「何やってたんだろ」的な世界だ。
あらゆる指揮者達が、こぞって取上げる名曲となり、我々も選択に困るまでになった。
プレヴィンは、この曲が好きらしく、今日の「フィラデルフィア管」の録音の後、「ウィーン・フィル」とも決定的な名録音を残した。最近では「オスロ・フィル」とも取上げている。
ウィーンでの録音は、シリーズ録音の一環という以上に、ウィーンの柔らかな響きが全面にでた演奏になっていたが、このフィラデルフィア盤は生々しい録音も手伝ってか、隅々まで輝かしい明かりに照らされたような演奏になっているように思う。
オーケストラの超優秀さは言うまでもないが、細かな音の動きや各声部がすべて良く聴こえる。そこまで聴こえていやらしく感じないのは、プレヴィンの指揮のしなやかさ・柔らかさであろう。難点は、シュトラウスが描いたガルミッシュ・パルテンキルヒェンの山の爽快さ、清涼感があまり感じられない点か。
プレヴィンは普通に純音楽的に名オーケストラとのコラボを楽しんでいたのかもしれない。
天邪鬼の私は、こんな演奏が好きだ。
シュトラウスの作曲時期でいうと、「ばらの騎士」、「アリアドネ」を終えたあたり、交響作品の名作はあらかた書き尽くし、以降お伽の世界や軽やかで洒落たオペラ群を作り出していくことになる。
山ついでに、先だって北東北3県を出張したおり、ハンドルを握りながら撮影した山々を紹介。
上は、岩手県のその名も「岩手山」、盛岡市の北にそびえる2038mの山だが、火山である。平成10年には活動も再び始まった。
岩手富士」とも呼ばれるが、厳しい山でもあるようだ。
下の画像は、青森県の「岩木山」、こちらは「津軽富士」。
高さは1625m、一面のりんご畑と稲畑の津軽平野の中にそびえる姿は優しく美しいが、こちらも立派な休火山である。
日本の山々は、人々の信仰の対象にもなっていて、昔から山は生活に密着して恵みをもたらしてくれるとともに、冒すべからざる存在でもあったのだ。
シュトラウスを聴きつつ、日本の山を想う時、登頂の到達感よりは、山が与えてくれる恵みや慰めを感じる。海もいいけど、山もね・・・・。
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コメント
アルプス交響曲、夏になると聴きたくなる音楽ですね。
この夏は猛暑でしたから、何度も聴きました。頂上の場面の涼しさが聴きたかったんです。プレヴィンのウィーン・フィル盤が気に入っています。フィラデルフィア盤も確か持っていたはずなので、探してみようと思います。
投稿: mozart1889 | 2006年9月 1日 (金) 06時19分
mozart1889さん、こんばんは。
ほんとうは、ウィーン盤の方が好きなんですが、ちょっとひねって、フィラ管にしてみました。
オケの名技性とプレヴィンの優しさが気に入ってます。
投稿: yokochan | 2006年9月 2日 (土) 00時04分