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2006年9月

2006年9月28日 (木)

トマス・ステュワートを偲んで

Stwert アメリカ生まれの、名ワーグナー歌手「トマス・ステュワート」が24日アメリカ・メリーランド州で78歳で亡くなった。

私の年代にとっては、カラヤンやベーム、クーベリックに重宝され、60~70年代DG録音が多かっただけに、このところ相次いだ往年の名歌手の訃報とはまた違う次の世代の訃報だけに悲しみもひとしおだ。

ステュワートと同年代のアメリカ歌手がそうであったように、彼もドイツに渡って花開いた。
バイロイトでは、バス・バリトン歌手が大成して行く役柄を、そのまま自身の成長と結びつけた活躍をした。ドンナー→グンター→アンフォルタス→オランダ人→ウォータン→ザックス(バイロイトなし)

やや明るいが美しい声は、その厳つい姿からは想像できない。ドラマ性の欠如を指摘する向きもあろうが、これだけの声をもったバス・バリトンは彼のあと見当たらないだろう。
Bohm_hollander
ワーグナー以外の音源は聴いたことがないが、夫人の名ルル歌手「イヴリン・リアー」とのR・シュトラウスのオペラ集があったはず。
復活を望む。

「ベームのオランダ人」、「クーベリックのマイスタージンガー」、「ブーレーズのパルシファル」、「カラヤンのリング」。彼の残した代表盤からそれぞれ聴いてみた。
気品溢れる、一本筋の通った立派な声にこちらも襟を正す思いであった。
蛇足ながら、この4人の指揮者の素晴らしさといったらない。時代はもう戻れない。

悲しいことに、世代交代とともに往年の歌手の次世代にも告別の時が訪れつつあるようだ。
トマス・ステュワート氏のご冥福をお祈りいたします。

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2006年9月27日 (水)

リスト ピアノ・ソナタ ロ短調 アルゲリッチ

Liszt_sonate_argerich 駅は集客施設としては、どんなものにも増してすごい。通勤・通学者は毎日行くわけだから。横浜駅で一日の乗降客が100万人だそうな。
だから、いろんな人もいるわけ。
私の家側の最寄駅で、よく「田村正和」激似を見かける。
顔もそうだが、髪の毛、服装、ちょっと猫背、歩き方など、まるっきりそのもの。彼が現れると、皆じろじろみている。そんな彼が、ヨーカ堂でまったくのおばさんの奥さんとレジカウンターで品物を袋に詰めている姿は不思議なものである。

有名人でいえば、2回目に捕まる前の手鏡U先生を、ビックカメラで見かけた。水色のどうみても目立つサングラスをかけて、美しい奥さんと一緒に子供のゲームソフトを選んでいた。写メでも撮ってやろうかと思ったけど、訴えられたら怖いからやめた。
しかし、なんともはや・・・・。

まあ、どうでもいい話だが。

今日は、リストの超絶技巧を要するソナタを聴いた。
ワーグナー好きとしては必ず押さえておかなくてはならない曲だから。
リストはシューマンから、「幻想曲」を献呈されたお礼もあって、このソナタをシューマンに捧げたが、シューマンはすでに病んでいて、川に身をなげ病院行き。
よって、かの「ビューロー」が、初演をおこなった。
ワーグナーは、このソナタを大絶賛したが、ブラームス、クララ未亡人、ハンスリックは批判ばかり。
こんなところにも、「ワーグナー・チーム」と「ブラームス・チーム」の芸術論の違いがあったりして面白い。
リスト、ビューロー、ワーグナー、ここに娘コジマが出て来るともう完璧な横取りワーグナーの構図が出来上がる。こちらも面白い。

単一楽章の自由で幻想的な作品。主題がとことん姿を変えながら全編に現れる。
時に激しく、時にロマンティックに、そして崇高に。ソナタと呼ぶよりは、幻想曲のよう。
聴く側は「トリスタン」と同じようにのめり込んで聴いてしまう。ちょいとコワイ。

もの凄い技巧と幅広い表現力が要求されるだけに、「マルタ・アルゲリッチ」のピアノは完璧だ。どうしてこんなに弾けるんだろうと思ってしまう。
昔「丸太・アルゲリッチ」と揶揄された力強い打鍵ばかりでなく、繊細な部分のクリアーな表情など本当に素晴らしい。

凄い曲の凄い演奏。

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2006年9月26日 (火)

フォーレ レクイエム  バレンボイム

Baremboim_faure このところ毎日のように、車や交通機関の事故、それもバカどものあきれた過失による事故が続出している。そのため命を奪われるのは無力な子供達だ。あまりに辛くむごい。
新首相が掲げる「優しさにあふれた国」、「美しい国」はやってくるのだろうか?

このCDの解説によると、5大レクイエムと呼ぶ作品は、「モーツァルト」「ケルビーニ」「ベルリオーズ」「ヴェルディ」「フォーレ」であると、評論家高崎保男氏が述べているという。
うーむ、ケルビーニはまた地味やな。ブラームスは純粋レクイエムではないのか。
ドヴォルザークは?デュルフレは?ブリテンやディーリアスは特殊?

まあいろいろ議論はあるにしても、3大レクイエムなら、「モーツァルト」「ヴェルディ」「フォーレ」に決まりであろう。
そして聴く者を優しくつつむ癒しのレクイエムこそフォーレ。
声高に叫ばず、死者を、残された人々を優しくいたわる。

今日の演奏は1974年、バレンボイムがパリ管の音楽監督就任初期に録音したもの。  

    S:シーラ・アームストロング   Br:フィッシャー・ディースカウ
        パリ管弦楽団とエディンバラ音楽祭合唱団

冒頭の「入祭唱」開始から、ただならぬ思い入れを込めた入念な響きに驚く。え?フォーレだよね?と、最初はびっくりしてしまう。低音もズィーンと良く響く。
全編にわたり、オケも合唱もかなり克明に演奏し歌う。これは、ブラームスである。
その雰囲気に拍車をかけるような、フィッシャー・ディースカウの言葉一語一語を歌いこんだ歌唱。「ピエ・イエズス」でのアームストロングは、なかなかに清澄な歌いぶりであるが、私の好きな「バーバラ・ボニー」ちゃんの無垢な声とは遠い。
せっかくパリ管なのに、ブラームスじゃん・・・・。

とか言いながら、実はこれはこれでそのシリアスさがすごく面白く、私は充分に堪能した。
一筋縄ではいかないこの頃のバレンボイムの個性は、今では味わえないものだ。
フォーレのレクイエムも、その時の気分でコルボやクリュイタンス、ヘリヴェッヘなどで聴き分ければいい。

余白に入った「パヴァーヌ」。レクイエムがそぉっと終わったあとに洒落た組合せである。
ここではオケと合唱のバージョン。

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2006年9月24日 (日)

R・シュトラウス 歌劇「カプリッチョ」 フレミング

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昨晩、NHKBSで、R・シュトラウスの歌劇「カプリッチョ」の放送があった。
当然に録画し、試聴した。NHKにしてはなかなかにやるではないか。
こんなド渋いオペラを放送してくれちゃうとは。これも一重に「ルネ・フレミング」あってのものだろうか。
このDVDは、年内に国内発売されそうであるから、尚のこと得した気分。
2004年に、パリ・オペラ座で収録されたもの。
パリの本格オペラは、バスティーユになってしまったから、この上演がどういういわれかはわからないが、舞台背景をオペラ座の豪華なロビーや舞台そのものに求めていることもあって、特別なプロジェクトだったんだろう。

R・シュトラウス最後で、15番目のオペラは2時間30分にわたって言葉の渦というくらい、セリフに満ちていて、かつ内容も渋く難解で取っ付きが悪い。
音楽は、晩年の澄み切った境地にあっただけに、簡明で透明感溢れるものであり、馴染みやすいので良く聴いていたが、こうして字幕付きで観ると、内容がすらすら解かって実に楽しい至福の2時間30分となった。

本当によく出来ている。若き伯爵とその妹伯爵令嬢のサロンで芸術家達が集う。
作曲家と作詞家は令嬢に想いを告げるが、二人を決めかねる令嬢。
そんな中で、音楽と言葉(詩)のどちらが重要か? 鶏と卵のような議論が、先の二人に舞台演出家と女優を交えてケンケン・ガクガク交わされ、仕舞には舞台演出のひどさまでが非難の対象に・・・・。

そこで、演出家が延々と「劇場の法則」を演説する。
この場面は、「マイスタージンガー」のザックスのようだ。これに皆感動。
そして「調和の女神」たる令嬢がオペラをこのメンバーで作ってみたら、と提案。
伯爵のアイデアで、今日の出来事(音楽と言葉の議論)を題材にすることに。
そこで一同解散となるが、舞台下から何とプロンクターがちょこっと登場。
劇場の中で忘れられた地味な存在、イギリスの名テノール「ロバート・ティアー」の味のある登場であった。

有名な「月の音楽」がここで始まる。
このホルンのソロを伴った素晴らしい音楽は、文字通り月の雫が滴り落ちるような美しさ。
パリのオペラ座のホルンも見事なものだったが、ドレスデンのペーター・ダムや、ウィーンのヘーグナーらの演奏が理想的。

そのあとの、伯爵令嬢のモノローグは、二人(または音楽と詩)を選ぶに選べない心の葛藤と諦念が、シュトラウスの美しい旋律と既出のモティーフがあやなす上質な肌ざわりの音楽で歌われる名品。
結局、答えを出せないまま音楽は洒落た幕切れとなる。

この作品の台本は、作曲者と何と「クレメンス・クラウス」である。
ナチが台頭していた時期の作品だけに、何とも・・・の気分ではあるが、名作に違いない。

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ロバート・カーセンの演出は、作曲当時の時代設定と豪華な舞台、人物描写のきめ細かさなど、奇をてらったところなく見事なもの。
ゾフィー・オッター演じる女優が、マレーネ・ディートリヒのようで、彼女に付き添う人物はゲシュタポそのもの。
最後のモノローグを、劇中劇のように扱ったところは秀逸。

肝心の「ルネ・フレミング」、私は時として彼女の濃厚な表現をともなった歌唱がツライ場合があるが、映像を伴い、またシュトラウスとなると別物、その見事さに正直驚いた。
シュヴァルツコップ、ヤノヴィッツ、トモワ・シントウと続いたこの役の系譜に彼女が名を連ねられるか・・・。
もう少し大人の魅力が欲しいところかな。

 

Bohm_capriccio 指揮の「ウルフ・シルマー」は、この曲をキリ・テ・カナワと録音して、ウィーン生まれらしい自信に満ちた演奏だった。

 

愛聴盤は、「ベームとバイエルン放送響」、枯淡の名演はいずれご紹介。

 

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秋の日のコスモス、娘が撮影。私は家で酔っ払い。不健全なり。

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2006年9月23日 (土)

ショスタコーヴィチ 交響曲第15番 オーマンディ

Ormandy_shostako15 多彩と呼ぶには、あまりにも作為的なまでに多面的かつ多作のショスタコーヴィチ。ともかくこの作曲家の内面を知ることは永遠に訪れないであろう。

裏切りの作曲家でもある。それは、ソ連体制への隠れ蓑という以上に、世の音楽愛好家をも手玉に取ったような肩透かしを行い続けたこと。
大作5番の後に、誰が全曲の半分を悲劇的な緩徐楽章と有頂天の6番を予想したろうか?宿命の第9に、何故軽薄なシンフォニエッタ風の曲が来るのか?
作曲当時は最後になるとは思いもしないが、純交響曲とはいえ、「ウィリアム・テル」が鳴ってしまうパロディー交響曲を、よりによって死の雰囲気に満ちた14番の後に作曲するだろうか??

第1楽章は、「ウィリアム・テル」のテーマが引用され、繰り返されるロンド楽章。
第2楽章は、引用はないが、かなり深遠な雰囲気の葬送行進曲。チェロやヴァイオリンのそれぞれ独奏が悲痛な音楽をかねで、ついにはこの作曲家独特の物凄い沈鬱かつ切実なる全奏にいたる。この楽章の鳴き濡れた音楽は、この15番の白眉かもしれない。
第3楽章は、軽薄な感じのアレグレット。打楽器が印象的。
第4楽章は、いきなり「ワルキューレ」の運命の動機がまるっきり響く。ジークムントの死の告知のようだ。しまいには、「ジークフリートの葬送行進曲」までが登場。これらが、ショスタコーヴィチ風の楽想とミックスされて」、「トリスタン」の無調的な響きをも感じさせながら、チェレスタ、打楽器が印象的に鳴り響きながら皮相な雰囲気のまま終結する。

1972年1月に、息子マキシムによって初演。5月には、ロジェストヴェンスキーがモスクワ放送響と日本初演を行った。私は、この時の演奏をテレビで何度も観た。
中学生だった私には、ウィリアム・テルと最後のヘンテコな終結しかわからなかった。
それより、ロジェヴェンの愉快な指揮が印象に残っている。

オーマンディは、同年にアメリカ初演を果たし、このレコーディングを行った。
極めて純音楽的な扱いで、楽譜の再現以上のことはしてないかもしれないが、フィラデルフィアという超優秀なオーケストラが完璧なだけに音楽を楽しむには充分すぎるかもしれない。
解説によると、オーマンディは作曲者のライナーノーツから、1楽章は「玩具屋」の様子で、おもちゃの兵士が吹けるのが「ウィリアム・テル」だけ。終楽章は全く異質なものの組合せで、やむにやまれぬ和解という結論を紡ぎだしている。・・・こんな内容のものを読んだらしい。
さらに、純度の高いハイティンクやヤンソンスは同じロンドン・フィルのくすんだ響きがいい。

45分程度の作品ながら、聴いたあとの印象は重い。
不可解で未解決な思いに囚われるからである。
15番は、作曲者がほくそえみながら、筆を置いた作品ではなかろうか?
16番なんて、絶対書くつもりはなかったのであろう。

Asakusa_asahi 取引先のある浅草で、夕刻のオブジェ・ビルを1枚。
浅草はいつも、「アナザー・ワールド」である。
意味不明。

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2006年9月22日 (金)

メンデルスゾーン 交響曲第3番「スコットランド」・第4番「イタリア」 アバド

Abbado_menderrsson_1 涼しさが日に日に増してきて、ますます酒も旨いし、音楽も耳によろしい。
食事で発泡酒(ビールは家では飲めません)と芋焼酎をさんざん飲んだのに、音楽と共にシングル・モルトのスコッチをロックでチビチビ飲っている。

今晩は、快活でロマン溢れるメンデルスゾーンの定番交響曲をふたつ。

クラウディオ・アバド34歳の若き日の録音。1967年ロンドン・キングスウェイホールでのデッカ原盤。
音楽を聴き始めたころから、「レコード芸術」はバイブルだった。ついでに当時は「ステレオ芸術」なんてオーディオとクラシック音楽の融合本もあった。そしてFM誌はFMファンだ。
レコ芸も古いところは切り抜いたりしてしまった。今考えるとなんともったいない。

そんなひとつが、毎号巻末を飾っていた「ロンドン・レコード」の広告。
1971年の号で、300円ですよ。音楽メディアはむちゃくちゃ安くなってしまったけど、雑誌はその逆である。

広告にあるように、「アバドはアバード」だったし、「天才」扱いされていた。
天才なんて音楽家に対して、今はめったに使わない言語だろう。
クルー・カットのアバドの若さも印象的だが、風景写真を用いた見開きジャケットが美しい。

アバドが世界的な注目を浴びたのは、1965年のザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルを振っての「復活」であることは有名だが、66年にはウィーン・フィルとベートーヴェン、ロンドン響とプロコフィエフ、67年には当録音やベルリン・フィルとのブラームス。68年にはスカラ座の音楽監督に就任するという、30台で破竹のキャリアを築いていった。

伸びやかで若やいだ表情が横溢するこのメンデルスゾーンは、均整の取れた美しい絵画のようだ。ハイティンクやサヴァリッシュのような陰りを帯びた抒情はないが、これからどんどん前向きにすすんで行こうという快活な明るさに満ちていて、聴く側もなんだか気持ちが
よくなってくる。
ロンドン響は当時、ケルテスやショルティらに鍛えられ最高のコンディションにあったオケで、後々アバドと個性豊な名演を残して行くのも納得できる。

1971年のレコ芸か・・・、万博は終わったけど、翌年には札幌オリンピックが控えていた。
「トワ・エ・モワ」の「虹と雪のバラード」なんてのを思い出してしまった。懐かしい~。

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2006年9月21日 (木)

ラッブラ 交響曲第4番 ヒコックス

Rubbra_4 エドムンド・ラッブラをご存知だろうか。1901年生まれ、1986年没。
コープランドやウォルトンと同世代。交響曲を11曲も残したほか、オペラ以外のジャンルにそこそこの数の作品を残している。

イングランド中央部のノーサンプトンの貧しい家に生まれ、母親からピアノの手ほどきは受けたものの、若くから労働に精を出した努力の人である。
音楽の道は絶ちがたく、シリル・スコット(今はあんまり有名でない作曲家)に作曲を学び、
才覚をあらわした。のちにV・ウィリアムズやホルストにも師事している。
なかでも、ホルストは音楽以外にも思想・宗教に一番影響を受けたといわれる。

先鋭なところはどこにもなく、いわゆる癒し系イギリス音楽の範疇に入るだろう。
厳しさよりは穏やかさ、先鋭よりは柔軟さ、音楽はロマンテックでさえあり、イギリス抒情派の系統にある。
まだ11曲の交響曲すべてを聴いてはいないが、曲によっては単一楽章で十数分程度。
コンパクトゆえに単調に陥らずに、そこそこの完結感をもって聴ける。
この人の根幹に流れるのは、敬虔なカトリックの思想であろう。オルガン曲や宗教曲などは、ロマンティックという以上に保守的な新古典主義をも思わせる。
ホルストから引継いだ、インド・サンスクリット思想や仏教思想なども常に視野にあったとされるが、彼の宗教曲を聴くと敬虔なカトリシズムを強く感じる。

4番の交響曲は4楽章形式、28分程度の作品だが、聴くほどになかなかに味わい深い。
1942年にプロムスで初演されたこともあって、かのヘンリー・ウッドに献呈されている。
全体の1/3を占める第1楽章が美しい。明滅するようなリズムに乗って主要主題が優しく、穏やかに歌われる。これを聴いていると、何か宗教的な瞑想にふけってしまいそうになる。時間はゆったりと過ぎ、不必要な言葉は一切語られない。全体に大きな音はなく、こんな基調でまとめられている。
個性的な響きがないのが欠点であり、それが個性でもある。

ヒコックスとシャンドス・レーベルあってこそ、このような作曲家を極東の地で楽しめる。
尾高氏のBBCウェールズ響が素晴らしく親密な音楽を聴かせる。

この曲に限らず、静やかな穏やかさに満ちたラッブラの作品はイギリス抒情派系がお好きな方にはお薦め。
他の交響曲、協奏曲などもこれからご紹介したい。

Mtiwaki_ 青森は弘前近郊で見た、岩木山の夕暮れ。
刈入れを待つ広大な稲畑。このあと、ゆったりと空は藍色に染まっていった。

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2006年9月20日 (水)

チャイコフスキー 交響曲第4番 バレンボイム

Barenboim_tchaiko4 チャイコフスキーも久しぶりにちゃんと聴くといいもんだ。
なんだかんだで、好きなのだから。

今日は変わりダネの演奏で、バレンボイムがニューヨーク・フィルを振った4番の交響曲を。
バレンボイムがピアニストから本格的な指揮者になるまでは、イギリス室内管でモーツァルトあたりでじっくり練習しながら、大きな編成のものにチャレンジしていった。70年代に入ると、ロンドンのオケやアメリカのメジャーを振り始め、EMIからDGに鞍がえしたのもその頃。その狭間に、CBSに録音したのがこの1枚。
今では考えられないNYPOとの共演。1971年の録音である。

Barennboim ちょうどその頃、日本にイギリス室内管とやってきた。
その画像がコレ。
もじゃもじゃ頭に、自信たっぷりの反り返った演奏ぶり。
同時にN響に客演し、今日のチャイコ4番を中心とするプログラムを振ってみせた。ズッカーマンとのメンデルゾーンもやったように記憶する。
テレビで見てたが、今でも思い出す力瘤のはいった指揮。拳を下に向けエイッとばかりに決める姿は頼もしかった。現在の薄毛の円熟した姿とは似つかない。

演奏は、ほぼ上記の印象のとおり。開放的なオケだから、結構野放図に鳴ってしまうが、時おり巧く押さえ込んでカラヤンばりの抑制の効いた上手な演奏となっている。
注目の終楽章のコーダは、極端なアッチェランドはかけずに、じっくりとした盛上げになっていて好ましい。オケの明るさも良いところだが、若きバレンボイム君、もう少し若気の至りがあってもよかったのでは?
しかし、バレンボイムの貴重な録音であることは確か。若い頃から大人びたもじゃもじゃ君だったのである。

Odate 先日、秋田の大舘の居酒屋で食べた「馬刺し」。比内地鶏の産地ながら、ちょっと足を伸ばせば、青森。下北の岩手寄り南部は馬の産地だ。
程よい肉感と脂身のサシが微妙に美味い。ニンニク生姜でいただく。
大舘の地酒「北鹿」のシャープな味との相性は抜群だった。

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2006年9月19日 (火)

クリスタ・ルートヴィヒ ブラームス・ワーグナー・マーラー

Ludwig 九州地方を襲った台風13号、自然の猛威とはいえ、被害に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。
 かたや、日本中懲りない面々が横行している。
一度楽をすると、一度味を覚えると、人間は同じことを繰り返す。
飲酒運転や痴漢行為などは、人間の性(サガ)云々する以前の問題であろう。
モラルや恥、我慢を忘れた日本人は、もう日本人を捨てているのだろう。

今日は懐かしめの1枚を選択。ドイツ系メゾ・ソプラノの代表的な作品が3作収められている。

    ブラームス  「アルト・ラプソディー」
    ワーグナー   「ヴェーゼンドンクの詩による5つの歌」
    マーラー    「リッケルトの詩による5つの歌」
           Ms:クリスタ・ルートヴィヒ
      オットー・クレンペラー指揮  フィルハーモニア管弦楽団

ルートヴィヒまだ30台後半の62~64年の録音。クレンペラーも高齢ながらウォルター・レッグのプロデュースで続々と名録音を残していた頃。
ルトーヴィヒは素顔もわれわれには馴染み深く、カラヤンやベーム、バーンスタインにも重用され数々の録音にも恵まれている歌手だ。
私は、小学生の頃に父親にせがんで厚生年金会館で行われたカラヤンのビデオ映画を観に行ったことがある。ユニテルの音楽ビデオだが、モノクロの第5とカラーの第9の二本立てで、初めて見る目をつぶったカラヤンのカッコよさに引きつけられっぱなしだった。
第9の終楽章で、ソロが入ってはじめて目を「かっ」と開いた。
そして熟睡していた、父親もバスの一声で、驚いて目を覚ました。
もう遥か大昔の話であるが、このバスがルートヴィヒの夫君「ワルター・ベリー」であり、メゾを歌っていたのが、「ルートヴィヒ」だった。ちなみに、他の独唱は「ヤノヴィッツ」と「ジェス・トーマス」というワーグナーでもやれそうな豪華版だった。

その時の何故か気になる美人であり、母のようでもあったルートヴィヒは、ソプラノの領域まで楽々とこなす知的な名歌手で、知的なだけでなく声に温もりや優しさも兼ね備えた万能歌手だったのだ。

ブラームスはともかくとして、ワーグナーの諸役、マーラーにR・シュトラウスにおいては、彼女以外を思い起すことができないほどの名唱を残した。
ここに収められた3作品は、いずれも諦念と満たされない思い、そして慰めに満ちたものばかりだが、ルートヴィヒはクレンペラーの描き出す重厚ながら枯淡のキャンパスに、抜群の安定感をもって格調・気品溢れる歌を聴かせてくれる。
 マーラーなどは、今の水準をもってすればもっと精緻な演奏が望まれようが、ここに聴く演奏は、世紀末のややモッタリとした雰囲気に満ちていてなかなかに味わい深い。
さらに秋が深まれば、もっと心の奥底まで響くであろう。

Imgp2526 ルートヴィヒもおそらく80歳を超えたあたりの年代。
このところ、往年の歌手達がいなくなってしまう中、われわれの思い出のためにも、ずっと元気でいて欲しいと心から思う。

自宅から眺めたこの秋一番の夕暮れの情景。

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2006年9月18日 (月)

コルンゴルト 交響曲嬰ヘ長調 プレヴィン

コルンゴルドで検索していたら、「マーラー成分解析」なる妖しいサイトを発見。成分解析の膨大なリストの一部であった。
さっそくどれどれと、試してみた。解析欄に自分の名前を入力してみる。

          私の66%は愛が私に語るもので出来ています
          私の16%は3つのピントで出来ています
        7%はベルクで出来ています
        7%はウェーベルンで出来ています
        4%はシェーンベルクで出来ています

なんじゃこら?ふむふむ、当たっているようないないような。
「3つのピント」なんちゅうマーラー編曲のウェーバーのオペラが登場するところが、自分らしいというか。でもこんな愛に満ちた自分って?飢えているのかしらん?

Previn_korngold_sympony さて気を取り直して、「コルンゴルト」のかっこいい交響曲を聴く。
コルンゴルトはボヘミア生まれ、英才を目論んだ親に「ウォルフガンク」の名前をもらった。
はたしてその名の通り、神童としてウィーンに幼くしてデビューし、10歳台でオペラを書き、マーラーやシュトラウスを驚かせた。ワインガルトナーやワルターらに初演された作品も多い。後年、映画音楽も手掛け作曲家としても絶頂期にあったが、急台頭していた「ナチス・ドイツ」に退廃音楽のレッテルを貼られ、アメリカに亡命。
アメリカでは、ハリウッドで活躍し、今のスペキュトラーな映画音楽の土台を築いたといってよい。戦後純音楽も再開したが、終生以前のように認められることなく、ウィーンに見捨てられたまま、不遇の死をアメリカで終えている。

コルンゴルトの不遇は、戦争に伴うものであろうが、世紀末ウィーンの爛熟した文化を一身に引きずり続け、生涯ロマンティシズムを探究したことが、戦後は時代錯誤とされてしまったからでもあろうか。

現在、マーラーに耳が馴れたわれわれにとって、コルンゴルトの音楽はまったく自然に響く。ダイナミックな鳴りのいいオーケストレーションは、技術の上がったオーケストラにとっては腕の見せ所にもなろう。
この交響曲に、J・ウィリアムズの響きを聴き取ることもできるし、当然にマーラーやシュトラウスの雰囲気も感じる。なによりも、4楽章形式の本格的な交響曲なのである。
動機も各章で関連付けられ、構成もしっかりしている。
3楽章の悲しみに満ちたアダージョはまったく素晴らしい。

プレヴィンとロンドン響は、隙ももらさずにこの本格シンフォニーに取り組んでいて、聴いたあとの満足感と爽快感はたまらない。
離婚してしまった、ムターとのヴァイオリン協奏曲をまた取り出してみよう。


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2006年9月17日 (日)

フィンジ 「不滅の暗示」 ヒコックス

Finzi_immortality_1 1901年ロンドンに生まれ、1956年イングランド南部のニューバリー(ハンプシャー州)で白血病で亡くなった作曲家「ジェラルド・フィンジ」。
あまりにも美しいクラリネット協奏曲は聴かれた方も多いであろう。

その生涯に書いた作品は40数曲、じっくりと自己を見つめながら、感情を込めて残した作品は、ナイーブで抒情的なものが多い。イングランドのなだらかな情景にも大きく影響を受けているであろう。

フィンジが書いたカンタータ「不滅の暗示」は50分あまりの大作。
テノール・ソロと合唱、オーケストラによるもの。
「Intimations of Immortality」というなかなかに哲学的なタイトルは、イギリスの自然詩人「ウィリアム・ワーズワース」の同名の詩集に音楽をつけたことによる。当然、この詩集やワーズワースの世界と音楽は不可分の内容になっている。
原題は「幼少時の回想にもとづく霊魂不滅のオード」。

私の英語力では全貌を読解するのは至難の業だが、第1曲目にその雰囲気の大要が収められている。

  かつて牧場と 森と 小川と
  大地と あらゆる周囲の風景が
  わたしにとって
  天上の光に包まれて、見えた時があった

「幼い日々に過ごし、記憶した情景や思い出は、記憶の回路にしっかり刻まれ、後年それらが啓示的な暗示をもって蘇えり、癒しや精神的な慰めをももたらすとする」という考えのもとに、当初は幼い時に体験した自然の中での至福の光景が描かれる。
 成長とともに、そうした光景の記憶は薄れて、やがて去ってしまう。
しかし、大人になって再び自然に身を置き、春の花を摘むとき、鳥に耳を傾けるとき、それらの自然の中に精神的再生を見出すと歌う。

歌詞の内容は気にせずに、だいたいこんな雰囲気が歌われているんだぐらいの感覚で、フィンジの素晴らしい音楽を虚心に聴くのがいい。
デリケートな響きのイメージのフィンジとしては、この曲では大規模なオーケストラを大胆に鳴らす場面も多い。しかし、基調は親しみやすい穏やかな旋律が多い。

フィリップ・ラングリッジのテノールの全霊を込めた素晴らしさ、ヒコックスとリヴァプールのオケと合唱も気持ちがいい。

Imgp4605cosmos フィンジの音楽はいつも耳ざわりが優しいが、生と死、自然を見つめたものが多い。

昨秋のコスモス畑の写真。

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2006年9月16日 (土)

ハイドン 交響曲第6番「朝」 第7番「昼」 第8番「晩」  マリナー

Imgp2516 今日は、子供の運動会だった。さわやかな好天に恵まれ、観戦する側も腕や顔、寂しい頭頂も真っ赤に焼けてしまった。運動会の朝の厳しい場所取りは、どちらも同じだろうか? 6:00開門を前に、シートを抱えて並んで待つこと30分。1番手は何時から並んでいるんだろうか。
開門と同時に走り出し、目当ての陣取り合戦を行うのである。
私はもう8年もこんなことやっているが、若いお父さん方には負けられない。
というか、普通に負けてしまうので、朝早く起きることだけが、年々得意になってきているので、早がけに勝負をかけるのだ。転んでしまうお父さんもいるのだ。

ビデオの放列といい、陣取りといい、こうした加熱はどうかと思うが・・・・。
早く起きるプレッシャーで、夢ばかり見た。学校側が、早く来た父兄向けに限定5席の特別観覧席を用意している夢だ。日陰に豪華なソファー、こんなリアルな夢を見てしまった。

Marriner_haydn_678_1 父は父でも、「交響曲の父」ハイドンは、あくせくもせず、ユーモアのわかるゆったりとした、ナイスな人であった(だろう)。

山盛りにある交響曲のすべてを聴くということは、おそらく私の人生ではないかもしれないが、表題付きのものは手に入れやすいだろう。

ハイドン30歳頃の初期の3部作、「朝」「昼」「晩」。こんな洒落た連作をひねり出すなんてことは、ハイドンには「朝飯前」であったろう。
聴く我々も、リラックスしてそれぞれ食前酒ならぬ、食前音楽のように楽しむのがいい。
エステルハージ公の専属楽団には、名手が多かったため、この3作は随所にソロ楽器が活躍する。コントラバス・ソロまであるのだ。
「昼」などは協奏交響曲のようで、その2楽章のヴァイオリン・ソロはオペラアリアのようによく歌われる。
 写実的な表現も楽しく、「朝」の冒頭は日の出のカオスを思わせる。そう「天地創造」の冒頭のミニ版である。
「晩」は夜想曲のような2楽章が美しく、終楽章では雷も模倣されている。

そんなこんなで、たいへん味のある作品集。
ネイム・シンフォニーをかなり録音した、サー・ネヴィル・マリナーとアカデミーの面々による演奏は、蒸留水のようにクリアーで清潔感あふれるもの。
従来楽器による演奏だが、古楽器にない安心感と安らぎを与えてくれた。

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2006年9月15日 (金)

シェリル・ミルンズ アリア集

Milnes 昨晩、本場イタリアの雰囲気をまがりなりにも味わってしまい、歌が聴きたくてしょうがなかった。今回来日の演目は「ファルスタッフ」と「トゥーランドット」の2演目だったが、チケットが高いのと、荒川静香効果でトゥーランドットは早々に完売。どうして日本人はこうなるんだろ。

それはともかく、今晩は朗々としたバリトンの歌唱をアメリカの名バリトン「シェリル・ミルンズ」で楽しむことにする。アメリカ系のバリトンといえば、「ウォーレン」や「メリル」が思い浮かぶがミルンズもその器用さ、マッチョな力強さにおいて同系。

70年代は、「カプッチルリ」か「ミルンズ」かで、各社のレコーディングに名を連ねていた。
レパートリーは広大で、バッハからオルフ、R・シュトラウスまで、独・仏・伊なんでもござれ。
こんなオールマイティーだから、何でもソツなくそれなりに良く、この人でなければ、という強列な個性や絶対性はない。そんな訳で、有名だけどあんまり印象にない人なのかもしれない。

でも抜群の歌唱力とテクニック、豊な声量と朗々と響く美声で聴くミルンズの歌は、快感にも似た満足感が得られ、私は好きだ。(カプッチルリのほうがそりゃいいけど、レパートリーがやや狭い)中でも、「イャーゴ」「スカルピア」「エスカミーリョ」「ジェラール」なんてところは、文句なし。いい人役の「ロドリーゴ」「リゴレット」なんてのも、それなりに良いところがミルンズらしい。

このCDは、72年に録音されたアリア集に、デッカに残した各種全曲盤からの聴き所を集めたもの。アリア集では、「セヴィリア」「清教徒」「エルナーニ」「ドン・カルロ」「オテロ」「ジョコンダ」「西部の娘」などが、何と私が高く評価する「シルヴィオ・ヴァルビーゾ」の指揮で収められている。いずれも素晴らしい。
ハイライトの最後は「トスカ」から「スカルピアのテ・デウム」がそっくり入っている。
こいつは、スカルピアの模範生のような歌唱でたまらなくいい。

「音楽の季節」到来と共に、「食欲の季節」も世間では云々される。メタな私は年中「食・酒」の季節である。
Hachinohe_hasyhoku 今週は、再び青森・秋田に出張。北東北だけ晴れ、あとに地方は雨の恵まれた時に。コスモスが咲きほこり、初秋を充分に感じ取れた。
今回は、お客さんと一緒だったので、プチ・メタボリック飲食。
画像はまた訪れた、八戸の八食センターで、ちらし寿司を。
あらゆる海の幸が、ぎっしりと乗っている。プチのつもりが、・・・・・。
「これはもう、秋のメタボリック大行進曲や~」

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2006年9月14日 (木)

メータ指揮 フィレンツェ五月音楽祭管弦楽団

Mehta_fiorentino今日は涼しくて、音楽を聴く気分も上々。
 メータ指揮するフィレンツェ五月祭管弦楽団のコンサートに出向いた。メータほど若い頃はよかった、と言われてしまう指揮者もいない。ロス・フィル時代がそれほど輝かしかった訳だが、私は今のオペラで活躍するメータも好きである。そして、歌劇場のオーケストラを聴くのも好きなのである。

メータのもう一方の手兵、バイエルンの歌劇場のオケは昨年オールシュトラウスの演奏会を聴き堪能した。「英雄の生涯」のあとの見事なまでのフライング拍手でやや後味が悪いが、アンコールに亡きカルロスを偲ぶかのような「こうもり」の名演をやってのけた。そして今日は、イタリアのオーケストラということもあって、ワクワク感もひとしお。

画像の通り、なかなか洒落たプログラム。
冒頭のヴィヴァルディは通常のスタイルの演奏だが少人数による爽やかな合奏が楽しめた。大振りの演奏が予想されたモーツァルトも人数を刈りこんだ室内オケサイズによるもので、歌と愉悦感に満ちたなかなかの聴き物だった。ティンパニをバチを使い分けて強調するなど古楽風の響きも意識していたが、概してオーソドックス。気持ちいい演奏だった。
 

後半はメータの持ち味全快のベルリオーズ。メリハリの効いたツボを捉らえて離さない、幻想だ。幾分、耳当たりが良すぎる感もあったが曲が進むうちに、ベルリオーズの奇凶な響きと巧みなメータの指揮ぶりにすっかりハマってしまうことになった。

それにしても、フィレンツェのオケの優秀さと艶やかな音色はどうだろう。イタリアでも北にある街のオケだけに、明るさが野放図でないところがいい。
フィレンツェを訪れることは、私には夢のまた夢だが、花の都からやってきたオーケストラは私のお気に入りに仲間入りした。

大拍手を受けてのアンコールは当然ヴェルディのアレかと確信していたら、超うれしい誤算のプッチーニはマノン・レスコー間奏曲。これには参った。この甘味ではかない曲に私の涙腺は潤んでしまうのだ。オケの面々も自分達の音楽とばかりに体を大きく揺らしながら、気持ち良さそうに演奏している。静かに音が消えた後、完璧な静寂が長くホールを包んだ。
じ~ん。
             
よかった、よかったと思っていたら、メータ先生、指揮棒もって再び登場。
振り向きざま、日本語で「ウンメイのチカラ」ときたもんだ。
待ってましたの定番にホホは緩みっぱなし。指揮・オケともに文句なし。オペラ序曲はかくあるべしの沸き立つ感興。

演奏後、メータは会場に感謝の印として両手を合わせお得意の祈るポーズ。
70歳にはとうてい見えない元気な姿。ミュンヘンのポストをケント・ナガノに譲り、次はどうなるか?同朋アバドや小沢のように、自分のオーケストラでも創設するのだろうか?
インド人オーケストラなんて面白そう。

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2006年9月10日 (日)

ディーリアス 「夏の夜 水の上にて歌える」

Delius_tone_poems















なかなか立ち去らない夏。行く夏を何度も惜しんで夏物を聴いているが、最後のとっておきは、やはりディーリアス。
この人ほど夏にちなんだ作品を残した作曲家もいないであろう。

「夏の夜 水の上にて歌える」・・・なんとも涼しげなタイトルだが、むむ?
なんか文法が変ではないかな?

「To be sung of  a summer night on the water」が原題。解説書によると「To be sung on Summer night on the Water」にすべきではないかとの指摘をディーリアスは無視したらしい。
英語力がなく私にはよくわからないが、前者のほうがずっと詩的で、音楽的に感じる。

「夏の夜に水の上で歌われるべき2つのパートソング」、と三浦淳史先生は補完している。

無伴奏の無歌詞による2曲の小品からなっており、1曲目は合唱で「アァ~」と歌われ、2曲目はテノールのソロが「ラララ~」と合唱をバックに歌う。

それぞれ2分前後の小品だが、実に涼やかで夏の夜の静けさを感じさせる桂曲。
それでいて、逝く夏を惜しむ様子も充分窺われる。
フィリップ・レッジャーとキングス・カレッジ合唱団による演奏。

 

Gure











パリ郊外のグレ・シュール・ロワンに長く住んだディーリアスは、この流れるともないロワン川をイメージして作曲したという。
日本のどこにでもあるような景色みたいだ。
ちょっと昔だったら、郊外へ足を運ぶと小川が流れ、蛙が鳴き、小魚が泳ぐ光景がどこにでもあった。

こんな思いも今はノスタルジーでしかないのが寂しい。

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2006年9月 9日 (土)

マーラー 交響曲第9番 若杉 弘/N響

今日も暑かった。午前中は、娘の体育祭で午後はN響コンサート。娘は吹奏楽部に所属しているため、朝一番の開会式近辺が活躍の場。そのあたりのビデオ撮影と午前の部のみ観戦して、家族のお許しを頂戴し、都心へ向かう電車に飛び乗った。

    ウェーベルン パッサカリア  
    
    マーラー    交響曲第9番
      
     若杉 弘  NHK交響楽団 
             (@NHKホール 15:00)

はからずも、上洛中のリベラさんとアポ爺さんとご一緒だった。席も偶然近くで、再び楽しく歓談できました。リベラさんは、幕が引けると急ぎ新幹線に向かいダッシュ。
どうもお疲れさまでした。またゆっくりとお会いしましょう。

さて、大好きなウェーベルンのパッサカリアが1曲目にあるなんて、会場に来て、リベラさんに教えられるまで知らなかった。こんなナイスな組合せがいかにも若杉氏らしい。
しかし、開始早々調子がのらない。聴く方も暑い中、俗悪の渋谷の街を抜けてきただけに、気分がのらない。おまけに、聞かせどころのホルンも思い切りコケてしまった・・・。

こんな様子は、小休憩後のマーラーまで続いてしまった。
この曲をライブで聴くときは、いつもドキドキ。各ソロ楽器、特にホルンが巧く難関を通り抜けるか?まわりの聴衆がゴソゴソやらかさないか?静寂でお腹がグゥーとなってしまわないか?そして、最後の静寂のエンディングに聴衆が拍手を耐え切れるか?こーんな不安を抱えて聴かなくちゃならない。

この不安は半ば的中したが、それ以上に演奏が乗ってこない。かなり慎重に抑えながらの印象だ。しかし、3楽章のブルレスケから、急にエンジンがかかってきた。終楽章は、全楽員が若杉氏の的確で詳細な指揮に心を一つにしたかのような熱演になった。
N響の弦楽セクションの素晴らしさにも感心した。

前日の晩に続き、翌日昼、しかも蒸し暑い中での演奏。こんなことも要因としてあるかもしれない。第一、残暑の昼の最中に、ウェーベルンとマーラー第九は、演る側も、聴く側も、ちとキツイかもしれない。

Imgp2258_toriwasa ホールに向かう前、青山で一件所要をすませた。
その後、ふらりと入った表参道は、手打ち蕎麦の店「楽」。
ビールに「とりわさ」。これで暑さからは、ひとまず逃れられた。
あっさりした鶏は、たいへんビールに合う。

Imgp2259soba 締めに、「せいろ蕎麦」。
こちらは、十割蕎麦のようで、新蕎麦にはまだ早いが、なかなかに蕎麦の香ばしさが嬉しい味だった。美味いには美味いが、私には、蕎麦はもう少し歯ごたえもほしいところ。つなぎを配合してもいいのではと思った次第。

音楽と蕎麦もいい配合。これからの季節である。

 

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2006年9月 8日 (金)

ワーグナー 「ニーベルングの指環」 ヴァルナイを偲んで

昨晩は横浜にてすこぶる愉しい時間を過ごすことができました。リベラ33さんyurikamomeさんromaniさん、皆様と会合し酒席を持つことができました。こんな素晴らしい機会を企画いただいたリベラさんに感謝感激。クラシックブログの中でも名うての皆様の博識かつ豊富な音楽体験を前にただ恐れ入るばかりでありました。
音楽とその周辺の話題を肴に、ジョッキやグラスを傾ける愉悦は何ものにも変えがたいものがあります。こんな稀な体験ができました。仕事仲間や取引先との酒席とは別次元。
本当に、時間が惜しいくらいでありました。ありがとうございました。
またの機会を是非に。

Varnay  さて、往年の大ワーグナー・ソプラノ「アストリッド・ヴァルナイ」が9月4日、ミュンヘンで亡くなった。88歳であった。
少し後輩のビルギット・ニルソンに続き、これでまた良き時代の巨星が一人去ってしまった。
ニルソンと同じ北欧スウェーデンの出身とばかり思っていたが、こうして亡くなってみてバイオグラフィーを見てハンガリー人の両親の元にストックホルムに生まれ、アメリカで育ったようだ。「ヴァルナイ」はハンガリー人によくある名前だし、「アストリッド」はスウェーデン系でよくある名前。

私のような年代だと、ブリュンヒルデ=イゾルデ=ニルソン(サロメ、エレクトラ)、こんな図式があって、それ以外はなかなか考えられない強烈な刷り込みがあるのではなかろうか。
これは間違いなく、ショルティとベームのレコードの影響である。
ニルソンの全盛期は、50年代末~60年代で、各社ステレオ録音による各種レパートリーの録音全盛時期と重なる。
ヴァルナイの活躍時期は、ニルソンより少し前まさに50年代そのものであったから、ワーグナーのような長大な作品は、正規録音出来なかった時期だ。

要は正規の商業録音がなかったゆえ、我々日本人には馴染みのない歌手だった。
そんな彼女の歌声が最近次々と復刻され、その素晴らしさに私も開眼したのがつい最近。
クナッパーツブッシュの51年「黄昏」、同じクナのリング(56年)、クレメンス・クラウスのリング(53年)、極めつけはカイルベルトのリング(ステレオ55年、54年)、といった具合にいずれも「ブリュンヒルデ」で驚くべき歌を聴かせてくれている。

Krauss_ring_1 55年カイルベルトが破格に素晴らしいと聞くが、これはまだ未取得。
本日は、K・クラウスの唯一のバイロイト・リングから、ブリュンヒルデの登場する名場面をいくつか聴いて見た。

「ワルキューレ」  死の告知、ウォータンとの別れの場面
「ジークフリート」  二重唱
          「神々の黄昏」   ジークフリートの旅立ち、2幕の裏切られた後
                     自己犠牲

聴いていて驚くのは、その声のピーンとした張りと明晰さ。最後まで変わらず、乱れない完璧な歌のフォーム。ニルソンと同質の強靭な声ではあるが、ニルソンの怜悧さはなく、もう少しぬくもりがある。さらに言葉に対する、強い表現意欲。
 ヴィントガッセンも絶頂期の声が記録されているが、そのヴィントガッセンすらタジタジになってしまうくらいの説得力に満ちている。

歌手の場合、現役を終え自適生活を楽しんだあげく亡くなるので、遣り残された没後の無念さはないが、聴き手にとっての懐かしい過去が徐々に幕を閉じていくかのような感慨を覚えることになる。
ニルソンやホッター、シュヴァルツコップはその典型だが、ヴァルナイは近時聴き始めたこともあって、過去は過去でも私には、これから味わい楽しんでゆく新鮮な歌手かもしれない。マルタ・メードル(存命)もそうした一人かもしれない。

曲が佳境に入ってついつい長聴きしてしまう。ヴァルナイを聴く趣旨に厳しく立ち戻りながらも、往時の名歌手達とクラウスの明快な音楽を堪能した。

大歌手アストリッド・ヴァルナイのご冥福をお祈りします。

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2006年9月 6日 (水)

ワーグナー 「ワルキューレ」第1幕 ノリントン

Norrington2 涼しいのだか、蒸し暑いのだかわからなかった一日、想定内の慶事もあったことだし、今宵はまた、ワーグナーの森にさまよおうか。
昨晩はサー・ロジャー・ノリントンの愉快指揮だが、深遠な音楽に酔いしれた。
続いては、ワーグナーの「ワルキューレ」である。

2004年7月のライブの非正規盤であるが、音質はまったく素晴らしい。最近の放送音源はへたな正規録音よりいい音がする。まあ、安い装置で聴いていることもあるが・・・。
「ワルキューレ」の第1幕は、演奏会形式で単独で取上げられることも多い。
1時間という時間、3人だけの登場人物、ロマンテックであり最後の盛上りも上々、こんな要因からであろう。
このノリントンの演奏会の前半に何が取上げられたかは不明だが、この1時間だけでも充分に緊張感と叙情性に満ちたドラマを堪能できる。
ノリントンのオペラは今のところ、モーツァルトだけと思うが、彼はワーグナーに多大の感心を寄せていて、声なしのオーケストラ曲集は何度か録音している。
そこでの印象は、テンポが速く、情感を削ぎ落としてしまったかのようなアッサリしたものだ。

        ジークムント:ポール・エルミング
        ジークリンデ:メラニー・ディーナー
        フンディング:マティアス・ヘレ

        シュトゥットガルト放送交響楽団    

ところが、この「ワルキューレ」はどうだろう。心持ち早いテンポで進められるが、なかなかに美しく、ハッとする場面が多い。一例をあげると、始まって早々、ジークムントとジークリンデが出会い、水や蜜酒を交わす場面のオーケストラの静やかな背景。
例によって、ノンヴィブラート奏法が冴え透明感に満ち満ちていて新鮮だ。
こうした具合で、全体にやや重心が上の方にあるが、抒情的な部分が引き立った素晴らしい演奏に思う。
最後は、猛然としたアッチェランドをかけ、かなり劇的に幕を閉じる。

ジェイムズ・キングと並び最高のジークムントと思っているのが、ポール・エルミングであるが、ここではどうしたことか不調だ。やや音程も不安定だし活気がない。こんなはずでない人だが、やや残念。49年生まれだが、まだ老け込む年ではなかろう。
それと、ノリントンの指揮がスイスイとしてしまうものだから、歌いづらそうに感じた。
この録音の2年前の日本における「パルシファル」は完璧だっただけに、アレ?であった。

相手役のディーナーは今が盛りの生きのいい歌声を聴かせてくて、ひとつの発見である。
バイロイトでのエルザも良かった。今年のメトでも来日している様子。
注目のドイツソプラノであろう。
ヘレのフンディングは定評あるもので、安定感充分。この人で締まった。

これで全3幕が舞台上演されたらどうなることか?
頭のいいノリントンのことだ、きっと音楽の本質をしっかり捉え、劇場的な上演にもなることであろうが、出てくる音は全体が透けて見えるようなユニークなワーグナーが誕生することであろう。
私は諸手をあげて歓迎、という訳ではないが、「ワルキューレ」に限らず、ワーグナーの全曲を何とか手掛けて欲しいものだ。

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2006年9月 5日 (火)

エルガー 交響曲第1番 ノリントン

Norrington サー・ロジャー・ノリントン、この英国オックスフォード生まれの指揮者は、エイドリアン・ボールトに学んだ筋金入りの英国音楽の使者でもある。
ロンドン・クラシカル・プレイヤーズを皮切りに、98年以来のフル・オケの手兵シュトットガルト放送響と蜜月を続け、ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、ベルリオーズ、シューマン、ブラームス、マーラーと次々に個性的な録音をなし、一躍大注目のコンビになってしまった。

ノンヴィブラート奏法を、ドイツの放送オーケストラに完全に植え付けてしまったことも驚きだが、対するオーケストラの柔軟さ、優秀さにも特筆すべきだ。
先にあげたドイツ・フランスのロマン派はもとより、ハイドン、モーツァルトも得意分野だが、エルガー、V・ウィリアムズ、ホルストなども新鮮な切り口で手掛けてくれる。
この先何を繰り出すか、楽しみなコンビでもある。

Imgp2254 2001年11月に来日したサントリーホールの公演、エルガーを演るとあって、期待とともに出かけた。
後日NHKで放送されたものを撮ってあつたので、本日試聴した。

ノリントンは語る、「エルガーは、ブラームスとワーグナーを融合した作曲家である」と、うんうん、激しく同意だ。「古典的な抽象性にストーリー性」を持ち込んだ。
なるほどの見地であり、私が英国音楽に見出す世界もまさにこれかもしれない。

エルガーにおいても、厳しくノンヴィブラート奏法が徹底されていて、弦楽器奏者を映像でみているとよくわかる。ここで思い切り泣きのヴィブラートをかけたいだろうにそうならずに、ツィーツィーと流れる。管楽器群の彩りも地味で、全体の色調はセピア・カラーともいえるくらいだ。透明で清潔感溢れる響きもこのコンビならでは。

こんな渋くも素晴らしいエルガーが響き渡っているが、当のノリントンの指揮振りは顔の表情も豊かで、両手を大きくぶらぶらさせているだけに見える。
客席にいた時も、エルガーの時はなかったが、「魔笛」序曲や、ベートーヴェンの2番の時など、体半分を聴衆の方に向けて、「どう、どう?」と言わんばかりのパフォーマンスを見せてくれた。拍手に応える様も、客席に手を振ったり、遠くを見やる格好をしたりと、愉快でひょうきんなのだ。
ベルリン・フィルの定期に登場したときのこの曲の映像も残っているはず。ナイジェル・ケネディとのパフォーマンス合戦のようなブラームスも演奏されている。

こんなナイスなノリントンの再来日を2005年に聴いた。マーラーの巨人である。
また今年は、N響に客演する。早速、V・ウィリアムズの抒情的な第5交響曲を演奏するプログラムのチケットを入手した。是非ともノリントン体験をお薦めしたい。

エルガーの1番は、最愛の曲。冒頭の旋律が徐々に盛り上がって行く時、思わず気持ちが高ぶっていき涙ぐんでしまう。3楽章のノーブルな旋律にもホロリ。最終段階で、冒頭の主題が全奏で再び現れると、今度は涙を押さえられない。
ノリントンの愉しそうな指揮ぶりをもってしても、涙は抑えられなかった。

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2006年9月 4日 (月)

マーラー 交響曲第6番 バルビローリ

Barobilo 9月を迎え、学生たちも本格的に2学期がスタートし、電車や街も平常を取り戻した。我が家の子供達の今年の夏休みは、新学期早々、しかも8月の終わりから学力テストなんぞがあって、忙しかった。その分、宿題が少なく、親としては楽だったが、子供達は大変だったろう。
早く始まった分、ご褒美に秋休みなるものがあるらしい。
親も一緒に、秋を満喫したいところだが、そうもいくまい。羨ましいのだ。

今日は、久しぶりのマーラー。20年以上前は、明けても暮れてもマーラーだった。
演奏会で取上げられるのも珍しく、マーラーと聞けば足を運んだ。全部の曲を一応生演奏制覇したが、強烈に印象に残っているのが、バーンスタインの第9とアバドの第5である。

そんな中で、6番は誰を聴いたんだったかな?と遠い記憶をたどると、若杉とN響だった。
巨大なホールで、遠くで演奏している様子を見ているようなマーラーの印象しかない。
本来、若杉の気質に合っていそうな曲だから、こんな記憶のはずはないと思うが、私にとってのマーラーは、いつもどこか遠くで鳴っているような音楽のように感じているから、きっとすんなりと聴けた演奏なんだろう。
前述のバーンスタインとアバドのものは、そんな私の醒めた次元とは違うところで、私を強烈に捕らえた演奏だったのだ。

人生の絶頂期にあった頃の作品だが、それも5番をピークに急下降。作品完成後、愛娘が亡くなったり、仕事も人間関係もこじれてゆくマーラー。
そんな不運・不幸を先取りしたような第6番である。
だが、決して後向きの作品ではない。高らかに奏でられる愛妻アルマへの情熱の旋律や叙情的な2楽章などは、人生を肯定的に捉えた場面ではないか。
言い様もない終楽章も、何度でも立ち上がり現実に向き合う強い姿勢を感じさせる。

さて、今日の演奏は、「バルビローリ指揮のニュー・フィルハーモニア管」の1967年の正規録音。
まずは開始早々遅い。それもかなり遅く、執拗に旋律をじっくりと奏でる。これが全編にわたっている。バルビローリの唸り声も全曲にわたり聞こえる。
完全に作品に共感し、同化しているさまがよくわかるし、ニュー・フィルハーモニアもメチャクチャ巧い。当時、クレンペラーのもとに絶頂期にあったのであろう。
ここまで書くと、バーンスタインばりの、感情移入を経たネットリ演奏かと思われるであろうが、バルビローリはそうではない。
音の響きが輝かしく明るい。低い方も重ったるくない。そして楽員を、聴く者を、夢中にさせてしまう心からにじみ出る、ゆたかな歌がある。
彼の体にイタリアの血が流れていることも無縁ではなかろう。
 このマーラーを聴いていて、不思議に「明日もがんばるぞぅ」なんて気分になってきた。

1970年の大阪万博の来日オーケストラ・ラッシュの中に、「バルビローリとニュー・フィルハーモニア」の名前がありながら、直前のサー・ジョンの死でバルビローリの日本デビューは永遠に無くなってしまった。
この人も、あと少し長生きをして欲しかった指揮者の一人。カラヤンのドレスデンでのマイスタージンガーは、バルビローリが録音するはずだったのだから。

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2006年9月 3日 (日)

チレア 「アドリアーナ・ルクヴルール」 

Adriana1_2 プッチーニやマスカーニより少し後輩、南イタリア生まれのチレア。
マスカーニやレオンカヴァルロのような激情的な音楽でなく、また刺した、刺されたの血なまぐさいドラマもなく、優美で叙情的な旋律に満ち溢れたオペラを残した。
どちらかというと、プッチーニからマーラーのような壮大な管弦楽技法を抜き取ったような感じ。繊細で細やか、大音響は少なく、ヴェリスモ抒情派といえる。

Adriana2 このオペラは、実在の人物を扱っている。
「アドリアーナ」は17世紀末、パリのコメディー・フランセーズの一員として活躍した大女優。その彼女と、愛し合うのが、ザクセン(サクソニア)伯の身分を隠した「マウリツィオ」。この彼に横恋慕するのが、ブイヨン公爵夫人。この三角関係が、オペラの題材になっている。
たわいもない物語ではあるが、劇中劇があったり、バレエ音楽があったり、時代考証もしっかりしていて、よく出来たオペラなのだ。

アドリアーナを愛するマウリツィオは、ロシアやトルコの列強に挟まれ争いに巻き込まれた祖国のために、ブイヨン公に接触し政治活動を行っていた。その彼に惚れてしまった公爵夫人は、激しく言い寄る。あ~こわ~。
こんな言い寄られ最中に、アドリアーナがやってきて夫人は隠れる。さらに、旦那の公爵らが帰って来る。マウリツィオの相手が、別の女優と周囲が勘違いしているため、旦那らは「やりますなぁ」なんて言っている。ここでマウリツィオの正体は、アドリアーナにわかってしまうが、マウリツィオは祖国の運命を握る大事な人だから、隠れた人を後で逃がして欲しいと依頼。女二人きりとなって、お互いの相手が同じ男とわかり、激しい鞘当てが行われる。
 
 こうしてマウリツィオが祖国へ帰ったあと、傷心のアドリアーナは寝床に伏せがちになる。意地悪な、公爵夫人は、「すみれの花」に毒を仕込んでマウリツィオの名前を語って送りつける。「すみれ」はかつてアドリアーナがマウリツィオに送った一輪の花だったのだ。

Adriana 激しくショックを受けたアドリアーナは、枯れ果てた花びらに口づけして、美しすぎる悲しいアリアを歌う。
毒がはやくも回り、息も絶え絶えになったところにマウリツィオが駆けつけてきて、真相を語るが時遅し。苦しみながら、アドリアーナは死を迎え、マウリツィオが慟哭するなか静かに終わる。
 こんなストーリーである。

Lirica_italiana_1 今日の音源は、1976年にNHKが呼んだ「イタリア・オペラ」による上演の記録。エア・チェックのカセットから、CDを起したもの。
当時、高校生だった私は本格オペラが観れるとあって、いずれも日本初演だったこの「アドリアーナ」と「シモン・ボッカネグラ」を安い席で観劇した。
ドミンゴが一晩に二役をやる「カヴァレリア」と「パリアッチ」ばかりが注目されていて、チケット売場で「ドミンゴはいいんですか?」なんて言われた覚えがある。今見ても素晴らしいキャストによる上演は、なかなかに豪華な衣装と舞台装置も相まって忘れられない思い出になっている。

遠めに見ても、カバリエは横に大きく、若く華奢なカレーラスを質量で圧倒していたが、声は素晴らしく美しく、最後のすみれのアリアでのソット・ヴォーチェは、巨大なNHKホールが息を飲んで静まりかえったものだった。
対するカレーラスのひたむきで感情をじっくりと歌い上げた歌唱は素晴らしかった。
このあたりから、カレーラスはめきめきと名をあげて行き大テノールとなっていった。
 そして、恋敵はコソットで、これはもう文句なしのはまり役。カバリエとのやり取りも火花がでるくらい。

幕切れが、「トラヴィアータ」や「ボエーム」のようなヒロインの死、お涙頂戴のメロドラマになっているが、このドラマに奥行きを与えているのが、バリトンの役である舞台監督の「ミショネ」である。彼は、陰でアドリアーナを愛しながら、ひたすらそれを押さえて彼女の舞台に尽くす。傷心の彼女を慰めるのも彼であった。最後の死にも立会い、涙を楚々と流すのだ。
舞台では、ドラーツィという名バリトンが涙をそそる名演技を見せた。
フランコ・マジーニの指揮もチレーアの素晴らしさを伝える名指揮で、N響の硬質な響きも逆によかった。

決して甘ったるい音楽ではない。美しい旋律に満ちながらも、ほろ苦いビター・チョコのような味わいの音楽である。
CDでは、テバルディ、デル・モナコ、シミオナートという凄い顔ぶれのものと、スコット、ドミンゴ、オヴラスツィオワのレヴァイン盤が手に入るが、マウリツィオだけは、カレーラスの少しひ弱な感じの方が数段よい。

最近聴くことが少なくなってしまったイタリア・オペラのなかでは、ヴェルディの中期以降の作品やプッチーニの諸作と並んで私の大好きな作品である。

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2006年9月 2日 (土)

プロコフィエフ 交響曲第3番 アバド

Abado_janacek_hindemith_proko 昨晩は、ショスタコーヴィチの救いの無い暗い交響曲を聴いた。
今晩は、その少し先輩にあたる、プロコフィエフの交響曲を取り出した。
プロコフィエフの交響曲は、7曲あるが、1番と5番以外はなかなか人気が高まらない。
ショスタコほどには、交響曲作家ではないが、規模の大きい「歌劇」や「バレエ」といった劇場音楽にその真髄をみることができる。ついで言うと、ピアノ作品も、自身が名手であったとおり名作が多い。

7曲の交響曲は、V・ウィリアムズやショスタコーヴィチのように、それぞれが全く違う作風で書かれていてまったく飽きさせない。1番の単純さに続き、2番の春祭のような超暴力的な
作風に驚く、次いで書かれた3番は、2番の持つアヴァンギャルドな雰囲気は残しながらも、甘く美しい旋律も、冒頭の暴力的な旋律も、いわばなんでもありの曲になっている。

比較ばかりで恐縮だが、ショスタコーヴィチの4番の交響曲のようなつかみ所のない多彩な作品に似ている。

さきにふれたとおり、冒頭から叩きつけるような凄いサウンドに度肝を抜かれるが、それは冒頭だけ、続く旋律は親しみやすく、ロシア風の雰囲気になる。
高名な「ロミオとジュリエット」が好きな人ならば、この楽章も好きになるに違いない。
 一転して2楽章は、荒涼としたロシアの大地を思わせる怜悧な曲想に支配される。
このクールなリリシズムはプロコフィエフ独自の聴きものかもしれない。
 さて、注目は3楽章。いくつにも分かれた弦楽群が、不可思議このうえないグリッサンドを奏でるのだ。ネズミや猫が追いかけっこをしているかのような様子だ。
中間部では優しい旋律が繰返し各楽器間でやりとりされるが、すぐにまたネズミと猫が登場して、ファンファーレのように中間部の旋律も高鳴ってあれよあれよで終わってしまう。
 終楽章は、厳しいフォルテの応酬始まり、各楽章の旋律をさまざまに扱いながら技巧の限りを尽くして豪快に終わる。

突拍子もない音楽だが、繰返し聴くとプロコフィエフの独特な味わいが見えてくる。

1968年、アバド34歳の才気溢れる録音で、ロンドン響の曲への適性も抜群。
アバドは有名な5番は全く演らないが、この3番だけは何度も演奏している。
アバドに続くイタリアの指揮者達、ムーティやシャイーもこの曲を得意にしている。
イタリアの歌心を刺激する何かがあるのか。チャイコフスキー、ムソルグスキー、ストラヴィンスキーは演るが、ショスタコーヴィチは演らない。キーは「歌」であろうか?

知ってるようで、知らない、知られざるプロコフィエフ。
私には解明する能力も時間もないが、気になるプロコフィエフその人であった。

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2006年9月 1日 (金)

ショスタコーヴィチ 交響曲第14番「死者の歌」 オーマンディ

Ormandy_shostako14










今日は予想外の雨降り、残暑はどこかへ行ってしまった。都心もスーツ姿や女性のカーディガン姿がちらほら。何となく寂しい。

寂しさついでに、厳しい音楽を選択。ショスタコーヴィチの14番目の交響曲は、はたして交響曲と言えるのだろうか。
マーラーは「大地の歌」では、番号を外してしまった。第九の呪縛からの回避もあったであろうが、連作歌曲の色合いの方が強かった。
ショスタコーヴィチのこの作品も、男女のソリストを持つ、交響的な歌曲集のようだ。
弦楽と打楽器、チェレスタの編成にバリトンとソプラノの独唱付き。

全体に貫かれているのは、「死」のいろいろな局面である。
ロシアと、それ以外のスペイン、ドイツ、フランスのそれぞれ詩人のテキストに作曲されている。すなわち、「ガルーシア・ロルカ」、「ブレンターノ」「リルケ」「アポリネール」「キュへルベケル」らである。
死の局面も、愛・戦争・暴力など極めて陰惨で暗い内容が扱われていて、歌詞を見ながら聴くと辟易とするし、音楽だけ聴いても全編に漲る緊張感と鋭い響きに心はうつむき加減になってしまう。

 

11ある最終楽章のリルケの詩、「詩は全能。歓喜の時もそれは見守っている。最高の人生の瞬間、私達の中にもだえ、私達を待ちこがれ、私達の中で涙している。」
ショスタコーヴィチは言う、「死は始まりでもなく、正真正銘の終わりであり、その先には何もない。何も起こらない」

 

こんな絶望感をしっかりと与えてくれる作品なのだ。
チェーホフの「黒衣の僧」という小説にインスピレーションを感じた、と例の「証言」では述べられている。チェーホフと聞いただけで尻込みしてしまう暗さと救いのない世界の予感。

 

どこまでが、人間の死を本心で見つめて作曲したのか、体制に対する反動なのか、私にはこの作曲家と、この作品が、本当にわからない。そもそも何で交響曲なんだ?

 

1969年に作曲、同年バルシャイにより初演された。さらに英国で何とブリテンによって西側初演。このブリテンに献呈された。聴き様によっては、ブリテンの音楽にも近似性が窺える。時期を置かずに、アメリカ初演は、今回のオーマンディなのである。

 

71年の録音で、楽譜に真摯に取り組んだ名演である。オケの優秀さと明晰さが、やや明るさを与えていて、暗さの中に救いを見出せるようだ。
ソプラノにオペラ畑のカースティン。バリトンは、後年バイロイトやベルリンでオランダ人やヴォータンで活躍することになる、エステスだ。この二人の迫真の歌唱は見事。

 

第1版のロシア語による歌唱。
西側のもうひとつの名盤、「ハイティンク盤」は各詩の各国オリジナル言語による歌唱でフィッシャー・ディースカウとヴァラディの名唱が素晴らしい。サヴァリッシュがこの二人とN響で演った放送音源も私のお宝。
指揮者になりたてのロストロポーヴィチと夫人ヴィジィネフスカヤのレコードもその迫真性ゆえに忘れがたい。

 

こんな曲を聴いてすぐ寝ると良くなさそうなので、このCDにカップリングされた、ブリテンの「ピーター・グライムズ」の4つの海の間奏曲を聴いてオシマイとする。
これも悲惨な物語だけど、海のファンタジーが味わえるから良しとしよう。

 

 

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