ハイドン 交響曲第6番「朝」 第7番「昼」 第8番「晩」 マリナー
今日は、子供の運動会だった。さわやかな好天に恵まれ、観戦する側も腕や顔、寂しい頭頂も真っ赤に焼けてしまった。運動会の朝の厳しい場所取りは、どちらも同じだろうか? 6:00開門を前に、シートを抱えて並んで待つこと30分。1番手は何時から並んでいるんだろうか。
開門と同時に走り出し、目当ての陣取り合戦を行うのである。
私はもう8年もこんなことやっているが、若いお父さん方には負けられない。
というか、普通に負けてしまうので、朝早く起きることだけが、年々得意になってきているので、早がけに勝負をかけるのだ。転んでしまうお父さんもいるのだ。
ビデオの放列といい、陣取りといい、こうした加熱はどうかと思うが・・・・。
早く起きるプレッシャーで、夢ばかり見た。学校側が、早く来た父兄向けに限定5席の特別観覧席を用意している夢だ。日陰に豪華なソファー、こんなリアルな夢を見てしまった。
父は父でも、「交響曲の父」ハイドンは、あくせくもせず、ユーモアのわかるゆったりとした、ナイスな人であった(だろう)。
山盛りにある交響曲のすべてを聴くということは、おそらく私の人生ではないかもしれないが、表題付きのものは手に入れやすいだろう。
ハイドン30歳頃の初期の3部作、「朝」「昼」「晩」。こんな洒落た連作をひねり出すなんてことは、ハイドンには「朝飯前」であったろう。
聴く我々も、リラックスしてそれぞれ食前酒ならぬ、食前音楽のように楽しむのがいい。
エステルハージ公の専属楽団には、名手が多かったため、この3作は随所にソロ楽器が活躍する。コントラバス・ソロまであるのだ。
「昼」などは協奏交響曲のようで、その2楽章のヴァイオリン・ソロはオペラアリアのようによく歌われる。
写実的な表現も楽しく、「朝」の冒頭は日の出のカオスを思わせる。そう「天地創造」の冒頭のミニ版である。
「晩」は夜想曲のような2楽章が美しく、終楽章では雷も模倣されている。
そんなこんなで、たいへん味のある作品集。
ネイム・シンフォニーをかなり録音した、サー・ネヴィル・マリナーとアカデミーの面々による演奏は、蒸留水のようにクリアーで清潔感あふれるもの。
従来楽器による演奏だが、古楽器にない安心感と安らぎを与えてくれた。
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