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2006年9月 1日 (金)

ショスタコーヴィチ 交響曲第14番「死者の歌」 オーマンディ

Ormandy_shostako14 今日は予想外の雨降り、残暑はどこかへ行ってしまった。都心もスーツ姿や女性のカーディガン姿がちらほら。何となく寂しい。

寂しさついでに、厳しい音楽を選択。ショスタコーヴィチの14番目の交響曲は、はたして交響曲と言えるのだろうか。
マーラーは「大地の歌」では、番号を外してしまった。第九の呪縛からの回避もあったであろうが、連作歌曲の色合いの方が強かった。
ショスタコーヴィチのこの作品も、男女のソリストを持つ、交響的な歌曲集のようだ。
弦楽と打楽器、チェレスタの編成にバリトンとソプラノの独唱付き。

全体に貫かれているのは、「死」のいろいろな局面である。
ロシアと、それ以外のスペイン、ドイツ、フランスのそれぞれ詩人のテキストに作曲されている。すなわち、「ガルーシア・ロルカ」、「ブレンターノ」「リルケ」「アポリネール」「キュへルベケル」らである。
死の局面も、愛・戦争・暴力など極めて陰惨で暗い内容が扱われていて、歌詞を見ながら聴くと辟易とするし、音楽だけ聴いても全編に漲る緊張感と鋭い響きに心はうつむき加減になってしまう。

11ある最終楽章のリルケの詩、「詩は全能。歓喜の時もそれは見守っている。最高の人生の瞬間、私達の中にもだえ、私達を待ちこがれ、私達の中で涙している。」
ショスタコーヴィチは言う、「死は始まりでもなく、正真正銘の終わりであり、その先には何もない。何も起こらない」

こんな絶望感をしっかりと与えてくれる作品なのだ。
チェーホフの「黒衣の僧」という小説にインスピレーションを感じた、と例の「証言」では述べられている。チェーホフと聞いただけで尻込みしてしまう暗さと救いのない世界の予感。

どこまでが、人間の死を本心で見つめて作曲したのか、体制に対する反動なのか、私にはこの作曲家と、この作品が、本当にわからない。そもそも何で交響曲なんだ?

1969年に作曲、同年バルシャイにより初演された。さらに英国で何とブリテンによって西側初演。このブリテンに献呈された。聴き様によっては、ブリテンの音楽にも近似性が窺える。時期を置かずに、アメリカ初演は、今回のオーマンディなのである。

71年の録音で、楽譜に真摯に取り組んだ名演である。オケの優秀さと明晰さが、やや明るさを与えていて、暗さの中に救いを見出せるようだ。
ソプラノにオペラ畑のカースティン。バリトンは、後年バイロイトやベルリンでオランダ人やヴォータンで活躍することになる、エステスだ。この二人の迫真の歌唱は見事。

第1版のロシア語による歌唱。
西側のもうひとつの名盤、「ハイティンク盤」は各詩の各国オリジナル言語による歌唱でフィッシャー・ディースカウとヴァラディの名唱が素晴らしい。サヴァリッシュがこの二人とN響で演った放送音源も私のお宝。
指揮者になりたてのロストロポーヴィチと夫人ヴィジィネフスカヤのレコードもその迫真性ゆえに忘れがたい。

こんな曲を聴いてすぐ寝ると良くなさそうなので、このCDにカップリングされた、ブリテンの「ピーター・グライムズ」の4つの海の間奏曲を聴いてオシマイとする。
これも悲惨な物語だけど、海のファンタジーが味わえるから良しとしよう。

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コメント

勝手にショスタコーヴィッチの日、ご参加ありがとうございます。
渋い選曲、恐れ入ります。なかなか持っていても(バルシャイの全集盤ですが。)手の出ない曲のひとつですね。
このような曲、どしどしご紹介下さい。

次回以降もよろしくお願い致します。

garjyu

投稿: garjyu | 2006年9月 2日 (土) 02時52分

こんにちは♪  おお! yokochan さんはショスタコの14番ですか!!  何とも言えない雰囲気の何とも言えない曲ですよね~。  でも「歌」が入っているこの交響曲(?)を選ぶあたり、やっぱり yokochan さんだなぁ・・・と(深い意味はありませんよ、念のため。 笑)。

>どこまでが、人間の死を本心で見つめて作曲したのか、体制に対する反動なのか、私にはこの作曲家と、この作品が、本当にわからない。そもそも何で交響曲なんだ?

コレ、激しく同意!です(笑)  KiKi もかつてこの曲を何回も聴いて何とか理解しようと試みたことがあるのですが、あまりの難解さにお手上げ状態でした。  で、多分この曲を理解するには自分は若すぎる(^^;)もしくは幸せすぎるんだろうと思うことにしました。  

別に音楽鑑賞する際に予定調和を求めているわけじゃないけれど、こういう音楽はコレで終われない(寝つきが悪くなりそうな)音楽ですよね~。      
  

投稿: KiKi | 2006年9月 2日 (土) 18時53分

garjyuさん、こんばんは。
ショスタコは、ハイティンクが手掛け出したときに1枚1枚揃え、マーラーは卒業した気になり、極めてハマリましたが、いまだに理解できない作曲家でもあります。交響曲を少しずつ紹介していきたいと思います。

投稿: yokochan | 2006年9月 2日 (土) 22時15分

kikiさん、こんばんは。
コメントごもっともであります。
旧ソ連体制の歪んだ社会に生まれなかったら、ショスタコーヴィチという天才はどうなっていたでしょうかね。案外普通の曲しか書けなかったかもしれませんね。私にとって、永遠に理解不能の作曲であります。
これに較べりゃ、ワーグナーなんざ、性格はエゴの塊で単純なもんです。

<こういう音楽はコレで終われない(寝つきが悪くなりそうな)音楽ですよね~。> 

ほんまにそうですわ。こんなののコンサートだったら、家にたどり着かないかもしれませんわ。     

投稿: yokochan | 2006年9月 2日 (土) 22時24分

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» ショスタコーヴィッチ作曲、交響曲第14番「死者の歌」 [yurikamomeの『妄想的音楽鑑賞とお天気写真』]
 今日は、ショスタコーヴィッチ作曲、交響曲第14番「死者の歌」。退屈なバーナード指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団ほか。  この曲のある解説の書き出し、「これは恐るべき曲である」だって、そうかも知れない。こんな異様な不気味さを愛好して聴くようになったらおしまいだよ。頭がへんになってしまう。  エゴイズムというものはこうまで人をひねくれさせてしまうものかと思う。知性と称して屁理屈のような”思想”と称するエゴを振りかざして、人をねじ伏せ、屈服させ、あるいは陶酔させてそして出てきたものがコレかよ... [続きを読む]

受信: 2006年9月12日 (火) 07時23分

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