アバド ルツェルン祝祭管弦楽団 演奏会
10月13日(金)サントリーホール。ルツェルン・フェスティバル・イン・東京2006のオーケストラ・コンサートは、モーツァルトのコンサート・アリアで穏やかに幕を開けた。
K416・K418・K383の3曲をアバドお気に入りの「ラヘル・ハルニッシュ」のソプラノで。細身の姿にお似合いのきめ細かな美しい声。
やや苦しいところもあったが、小編成のオーケストラの暖かなバックに支えられとても気持ち良い歌を聴かせてくれた。
デビュー当時の「シェーファー」を思わせる歌手で、これから彼女のように性格的な歌も身につけ大成して行くかもしれない。
休憩後のメイン「マーラー 交響曲第6番」。
前日のリハーサルに立ち会うという幸運を経ての本番だけに、聴くこちらも聴き所を予め設定して準備万端。ある意味リラックスもしてアバドを待ち受けた。
開始早々、リハーサルとは全く違うオーラがアバドの後姿から照射される。
オーケストラは全員夢中になって体を揺らしながら音楽を思い切り受止めている。
いろいろ意識していたこちらも、もうすべてを忘れ目の前に繰り広げられる音楽に完全に没頭し、意識も何も消し飛んでしまいホールの一部に自分が組み込まれてしまったかの気分になった。
ただもう音楽がそこにあり、自分がそれに向かいあっているだけ。
80分間にわたりずっとその感触。言葉に出来ない。浮かばない。
感動といった次元とも違う何かかもしれない。わからない。
ベルリン盤と同じく、従来の2と3楽章を入れ替えた演奏。
これに慣れると、かつての演奏も入替えて聴いてしまう。昔からそうだった気がする。
そんな考えも頭をほんの少しよぎるだけ。
かつては、マーラーの音楽をまず意識した。悲劇的であるとか、フロイトであるとか、アルマであるとか・・・・。マーラーに慣れ親しんだわれわれには、もうした知識は折込済みであるにしても、今回の演奏は「マーラー」云々という概念をひとつも感じさせない。
音楽とそれに奉仕する演奏家だけがそこにあった。
終楽章の終わりのあたりで、涙腺を刺激された。もっと続いて欲しい。
だが、曲は無常にも空しい終末を迎える。突然のトゥッティのあとの終結。
アバドが静かに腕を下ろす。われわれ聴衆は拍手も忘れ茫然と縛られたように座り尽くす。オーケストラの面々は動きを止めたまま。静寂が30秒は続いた。
ブラボーの一声が、呪縛を解いた。そのあと嵐のような拍手が続いた。
オケのメンバーの喜ばしい顔、そしてアバドの本当にうれしそうな笑顔。
メンバーが去ったあとも一人歓声に応えるアバド。
私が35年間見つめ続けてきた、偉大で謙虚な小柄な音楽家がそこにあった。
感想らしいことが書けない。言葉がないのだ。
ただひとつ、オーケストラのもの凄さ。ベルリン・フィルの次元とは異にする別ステージ。
くどいようだが、アバドとともに音楽するだけが目的の音楽集団。
私は、マイヤー(ワルトラウトじゃなくてザビーネ!)とアバドばっかり見ていたが、びっしり並んだスタープレイヤー。その狭間に随所に配置された先日のマーラー室内管の若いメンバー達。これからの音楽シーンを象徴するような図式かもしれない。
1972年、ウィーン・フィルとマーラーの6番を練習中の若きアバド。
長髪の若々しい姿。
当時の評では、「人間の弱さと優しさを描きつくした」とされた。
この人のいい微笑みは今も変わらない。
翌1973年、ウィーン・フィルと初来日した文化会館での演奏会。
ブラームスとベートーヴェンの3番のプロ、アンコールは青きドナウ。
テレビ放送に釘付けになった。
あれから30年以上が経ち、病から完全に復調し、別次元を目指して飛翔するアバド。ベルリンの時より、にこやかで温厚な様子。
夢多き中学生だった私も今や中高年の一員で、夢も破れ空しく日々を過ごす。
かたや音楽界の頂点に上り詰めながら慎み深く謙虚なアバド。
これまで、彼の音楽に何度励まされたかわからない。
その総決算のような今回の演奏会だった
感動の火照りが覚めやらぬまま、アバド・ファンの方々と楽しい談笑と美酒を酌み交わすことが出来、望外の喜びでありました。楽しく語りあううちにまたも感動がこみ上げました。
素晴らしい機会をおつくりいただいたYさん、ほんとうにありがとうございました。感謝です。
本日土曜は、仕事ながら一日惚けたように過ごした。他の音楽が今日は聴けない1日。
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コメント
Junじさん、お疲れ様でした。
「惚けたように一日を過ごした」・・・。そうですね。僕も、帰りの新幹線の中、14日の新日フィルでシチェドリンや伊福部、バルトークの熱演を聴いたはずなのに、意識はすぐ13日に戻されました(13日の拍手とブラボーで身体がぼろぼろ状態だったのもありますが。年はとりたくないもんだ)。
虚脱状態といおうか何といおうか。高崎を過ぎて三国山脈が近くなり、暗くなった車外を見詰めていると、無性に悲しく寂しくなってきました。サントリーで起こった2時間半の奇蹟(そう、奇蹟としか言いようもない出来事)が、自分の一生の中の過去のノートに書き込まれることーそれが切ない。
con grazia のほうでJunじさんが書き込みされていたように、音楽体験の中で、もう2度とありえない体験だったと思います。
立ち直るまで相当時間がかかりそうです。
投稿: IANIS | 2006年10月15日 (日) 07時58分
IANISさん、先だってはお疲れさまでした。翌日の新日フィルも魅力的なプログラムですね。でもおっしゃるように、私も何も耳と体が受付ず、いや、あの希少な奇跡の体験を少しでも残しておきたいがために、他の音楽を遠ざけているのかもしれません。
また次回お会いしますことを楽しみにしております。
投稿: yokochan | 2006年10月15日 (日) 11時32分
JUNじさん、うちのブログへのコメントとTBありがとうございました。
JUNじさんの感想全てに心から同感です!今でも頭の中で6番が鳴り続けています。夢にも出てきます。こんなことは初めてです。
JANISさん、JUNじさん、また次のアバドで打ちのめされましょう!そして、飲み明かしましょう。
投稿: pockn | 2006年10月16日 (月) 00時29分
こんばんは。聴いてきました。アバド&ルツェルン祝祭管弦楽団。
幸いマーラー2公演とブラームス&ブルックナー1公演チケットを取ることができました。
13、14日となにかぽわーんと地から足が浮いてしまったような、変な錯覚にとらわれています。あのマーラーは何だったのでしょう?と思わず自分自身に問いかけ、そしてあの演奏を思い出し、にやにやしてしまうという、はたから見ると怪しい(?)人間に思われてしまうような、そんな状態です。
アバドはもう十数年前(私が中学生?ぐらいの時)でしょうか、ヨーロッパ室内管と来日したときから機会あるごとに聴いてきました。どんな好きな指揮者でも1つや2つはずす公演があるものですが、アバドに関しては接してきた演奏会、はずれだったことはありません。それでも今回のアバドは神々しかった。本当に言葉では表現できないほど。とにかく今回のマーラーは自分の胸に刻まれました。一生忘れることはないでしょう!
トラックバック&長文コメント、失礼しました。。。
投稿: minamina | 2006年10月16日 (月) 21時42分
こんばんは。
ほんと凄かったですね。
今でも余韻が強く残っています。
でもあの場所に居合わせたことは、本当に幸せでした。
ところで、ピアノ協奏曲のほうは18日に行かれるんですか?
19日ですか?
私のほうは、とうとう悪魔の囁きに負けて、出張の予定を調整して19日にも行くことになってしまいました。
素晴らしいコンサートになるといいですね。
投稿: romani | 2006年10月17日 (火) 00時46分
pocknさま、わたしもあれ以来、マーラー6番が頭にあります。
シカゴ、ベルリンと聴いてもあの晩以上の感銘はありません。
どうしたらいいんでしょうかね。次の晩がもったいなく怖いです。
投稿: yokochan | 2006年10月18日 (水) 00時05分
minaminaさん、コメント・TBありがとうございます。
うらやましい、2回もあの奇跡的な演奏に立ち会われたなんて。
私も同感。一生忘れられないコンサートになりました。
数日後に迫ったブラームスとブルックナーが、出来ることなら、もう少し先に取っておきたい気分です。もったいなさすぎるからです。
投稿: yokochan | 2006年10月18日 (水) 00時11分
romaniさん、こんばんは。こんなに長く感動の余韻を味わっていることって、かつてありません。リハビリが必要です。(笑)
こんな悪魔の囁きは負けても後悔しないですよ。
私も19日です。会場でお目にかかりましょう。2階席です。
投稿: yokochan | 2006年10月18日 (水) 00時17分
こんにちは。随分前の記事へのコメントですみません。
今度、所属する楽団でモーツアルトのK383,K416をやることになり、いろいろ調べていたら、2006年のサントリーホールでアバドがやっていたことがわかりました。ナマで聴いたんですね!・・・これって放送されたり、CDRで発売されたりしていないのでしょうか。マーラーは出ているようなのですが。
投稿: guuchokipanten | 2010年8月 3日 (火) 10時31分
guuchokipantenさん、こんばんは。ご無沙汰をしております。
思い出のルツェルンの演奏会にコメントいただきまして、ありがとうございます。
マーラーはその年のルツェルンでの演奏会が映像になってますが、モーツァルトは音源も映像もないはずです。残念ながらCDRでも見たことないですね。
ブルックナーは、日本公演のものがCDになっていて、ルツェルン音楽祭のサイトから購入できますが・・・
マーラーの凄演に、陰がうすれてしまいましたが、素敵なモーツァルトでした。
投稿: yokochan | 2010年8月 3日 (火) 19時29分