尾高忠明指揮 札幌交響楽団 演奏会
札幌交響楽団の東京公演を聴く。@サントリーホール。憧れのP席、3000円。
札響は、今年4月本拠地の「キタラ」で聴いた。「札幌に来たら、「キタラ」さぁ。」と知り合いに言われていた。終演後、まだ寒かった晩に中島公園をゆったり歩いて帰った。
音楽を聴く雰囲気に溢れた素晴らしいホール。その座付きオケも細身ながら、とても気にいった。その彼らが、東京でマーラーを演奏する。聴かない手はない。
尾高氏は、私の好きなジャンルを得意にしていて、私にとって信頼置ける指揮者。
BBCウェールズ響で鍛え上げた英国音楽の数々、特に「エルガーの交響曲第1番」のスペシャリストだ。グラズノフ、ラフマニノフらの後期ロマン系・ロシア作曲家らの交響曲も。
そして以外なのが、ワーグナーへの傾倒ぶり。以前、二期会「タンホイザー」を観た。
素晴らしかった。BBCとの「神々の黄昏」のCDも驚きの名演。
ノルトグレン/左手のための協奏曲 Op.129
~小泉八雲の「怪談」による
ピアノ:舘野 泉
マーラー/交響曲第5番 嬰 ハ短調
ノルトグレンの協奏曲は、脳溢血で倒れ、左手のピアニストとして復活した舘野泉氏に書かれた曲で、小泉八雲の怪談にインスピレーションを得て書かれたらしい。女を離縁した男が、怒りと悲しみによって死んだ女の怨念を陰陽師の助言で、女の屍にまたがり、その女の怨念を解くという、全くもって恐ろしい物語(プログラムより)
曲は最初いかにも怪しい雰囲気で始まり、ピアノも打楽器のように扱われ、結構激しい。「どこでまたがるんだろ?」 と注目していたら、音楽は徐々に澄んだ響きへと変わってゆき、ピアノがいたく美しく、浄化されていくような旋律を奏でながらも、静寂のうちに音が止んだ。結局、表題音楽ではないらしい。最後は魂の救済なのだろう。
聴いていてやるせなかったが、最後は救われた気分で、舘野さんの痛々しさをこれっぽちも感じさせない透徹した演奏に大いに感銘を受けた。
アンコールの曲(シュールホフのアリア)もシンプルだが美しく、5本の指だけでこんな豊かな音楽が奏でられるのとか!と驚き、そして目頭が熱くなってしまった。
満場の聴衆も同じ思いったろう。
尊厳に満ちた素晴らしいピアニスト、舘野泉さん。
マーラーは、札幌で演奏してきたので、このコンビの手の内に入った安定感あるもの。
冒頭のトランペットの艶のある出だしでこの演奏は決まった、と思った。
このトランペットとホルンの両主席は、なかなか素晴らしい。
舞台奥のP席だったから、各楽器がどんなことをしているか、手に取るようにわかる。
主旋律をどの楽器がどんな音で支えているか、時には主旋律より美しく感じる瞬間も多々あった。尾高氏が。マーラーの錯綜するスコアを整理するように細かな指示をオケに与えているが故の響きだ。だから、透明感あふれる、スッキリしたマーラーとなった。
第4楽章アダージェットの後半、第2ヴァイオリンでメロディが再現され、第1ヴァイオリンがなぞるように応える。このあたり、ものすごく音を押さえ、極めて美しい瞬間が訪れた。
私は感動に涙を押さえられなかった。
終楽章の歓喜のエンディングも着実で見事なもの。
実に、心に響くいい演奏だった。
エキストラも複数参加しているが、指揮者も混じえた、このオーケストラの家族的、親密な雰囲気はしのぎを削る東京のオーケストラには見られない、ぬくもりのある音に反映されているような気がする。
ホールで配られた来年の公演ラインナップ。
なかなか魅力的なプログラムが組まれている。
これを睨みながら、出張を組めたらホント幸せだ。
札幌にいらっしゃる際は是非、札響を聴いてみるっしょ。
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コメント
こんばんは。
尾高のマーラー5番は、20年くらい前に東京フィルで聴いたことがあります。まだ彼が東フィルの音楽監督だった頃です。
ゆったりとしたテンポで、おおらかなマーラーでありました。オケの状態も当時としては抜群に良くて、ほとんどミスがなく、感動した覚えがあります。その公演の少し前に聴いたメータ/イスラエル・フィルのものよりも良かったと思いました。
投稿: 吉田 | 2006年11月15日 (水) 21時27分
こんばんは、コメントありがとうございます。
今回の尾高のマーラーも、おおらかで、呼吸のいい演奏でした。
メータはマーラーになると、せかせかし過ぎかもしれませんね。
日本のオケも捨てたもんじゃありません。
投稿: yokochan | 2006年11月17日 (金) 00時31分