チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」 アバド
さて今日は名曲を一発。
「悲愴」ほどの名曲となると、なかなか改まって聴く機会がないし、ちょっと濃いから田園や新世界のような訳にいかない。
でも名曲の名曲たる由縁、愛好家が必ずとおる道にこの作品はある。
今の若い方々はどうかしらないが、私のような年代だとおそらく「悲愴」には泣かされたのではなかろうか。悲哀に満ちた旋律に胸かきむしられるような感情を持ったものだ。私の最初のレコードは、コロンビアのダイアモンド1000シリーズ(知ってますかねぇ)のパイ原盤による「バルビローリ」盤だった。やるせなくなるような悲愴だった。
今思うと、バルビ節だった。
これに親しんだ私が、大好きな「アバド」の「悲愴」が出て飛びついた。しかもウィーン・フィルだった。
1973年、ちょうどこのコンビの来日のあと、ムジークフェラインでの録音。
黄色がトレードマークだった、当時の日本グラモフォンは、大いに売り出したものだ。
高校生だった私は、まず一聴して、その生々しい録音の素晴らしさに目を剥いた。安いステレオが実によく鳴った。それも、まだ見たことも聴いたこともなかったホールのややデットながら柔らかな音をまともに捉えた音だった。ウィーン・フィルといえば、デッカのゾフィエンザールの分離のよい明晰な録音のイメージが強かったが、DGはコンサートの本拠地での録音を敢行し、見事な成果をあげていた。
録音ばかりでない、アバドの明るく、今生まれたばかりのような新鮮な解釈は、当時チャイコフスキーなんてほとんど演奏したことがなかったウィーン・フィルの面々を夢中にさせ、正にウィーン・フィルの魅力満載の滴り落ちるような美音を響かせることになった。
ウィーンの管楽器の独特の音色で聴くチャイコフスキーは本当に魅力的。
アバドの指揮もおそらくこれらの美音を意識しつつ、旋律をいとおしむように歌うところは、若いこの時期ならではのもの。
しかし、センチメンタルな憂愁はこれっぽちもなく、ここにあるのは、純粋に楽譜に書かれたチャイコフスキーの美しい音だけである。
第1楽章の素晴らしい第2主題が次々と展開される場面は、さながら夢のような美しさ。
それが事切れ、ファゴットの下降する音が止む。指揮者とオーケストラが次のフォルティシモに向けて身構えるところは、緊張の瞬間が捉えられている。そのあとに続く生々しい展開も、威圧的にならない。
中間部の弱音の部分の歌い方が豊かな第2楽章、騒々しくなく平常心の第3楽章、重苦しい情感がなく、淡々と染み入るような第4楽章。
久々の「アバドの悲愴」は、若き日々に聴いた通りだった。
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コメント
おおっ、このアルバムは懐かしい。発売してすぐ買いましたよ。確かドイツ盤はジャケットデザインが違った記憶がありますがこの国内盤デザインが強烈に印象に残っています。ちなみに当時アイドルだった浅田美代子のデビューアルバム「赤い風船」と一緒にレジに持っていきました。店員が不思議そうな顔してました(笑)
投稿: einsatz | 2006年11月 7日 (火) 01時42分
アバドの「悲愴」、大好きでした。
後年のシカゴ響との演奏より、若々しく覇気に満ちて瑞々しい「悲愴」でした。ジャケットも懐かしいですね。
久しぶりに聴いてみたくなりました。
投稿: mozart1889 | 2006年11月 7日 (火) 05時21分
einsatzさん、こんばんは。このレコードと浅田美代子を同時に購入するヒトはかなり珍しいですよ(笑)私にはそういう経験はありませんが、レコードはデカイため、何を購入するか皆に見られてしまいますね。
かつて中学生の小僧だった私が、「ベームのトリスタン」をレジにもっていったら、結構な注目を浴びました。
投稿: yokochan | 2006年11月 7日 (火) 23時29分
mozart1889さん、こんばんは。私もシカゴ盤より、録音のせいもありましょうが、こちらの方が好きです。おっしゃるとおり、正に「瑞々しい」ですね。ベルリンでの再録音はありませんでしたが、有り得ないとは思いますが、ルツェルンと演奏したらどうなるものか、想像するのも楽しいものです。
投稿: yokochan | 2006年11月 7日 (火) 23時41分
このLPは懐かしい思い出があります。
1974年にこのLPは発売されていますが、その当時に入り浸っていたレコード店でカタログを見ながら注文するLPを選んでいたら、
たまたまポリドールのセールスマンがそのレコード店へ販売促進に来ました。
そのセールスマンがアバドの「悲愴」の新譜のチラシをアタッシュケースから出して開口一番に「このレコードは録音が凄くイイ!」と熱く語り出しました。
演奏の内容の話は殆ど言っていた記憶はないのですが、録音がズバ抜けて良いという熱いセールストークを何度も繰り返していたことは今でも強烈に憶えています。
当時10代前半の私はアバドは知らなかったし、ジャケット写真を見ても長髪のヒッピーみたいに見えて聴く気にもならなかったものです。
アバドを聴くようになったのはそれから5~6年も経ってからです。
このLPを発売当時に聴いたなら録音の素晴らしさに目もくらむような思いを出来たことであろうと思います。
それは新譜で聴くことができた人の特権というべきかもしれません。
私はその特権を自ら放棄したのかもしれませんが、このLPを見ると1974年の事をいつも思い出してしまいます。
クラヲタ人さんはこのLPをリアルタイムで新譜として聴いたのでしょうね。
私はこのLPを購入することは遂にありませんでしたが、
若き日のアバド指揮ウィーンフィルの「悲愴」のLP、
本当に懐かしいレコードです。
投稿: Macky | 2014年2月25日 (火) 08時54分
Mackyさん、こんにちは。
コメントどうもありがとうございます。
レコード店でのエピソード。
かつては、レコード店が、大切な音楽の情報の収集場所でしたし、いろんなポスターやポップで賑やかな場所でもありましたね。
いまや、大手ショップしか生き残ってませんこと、とても寂しいです。
そのセールスマン氏の言葉どおり、当時のこのレコードの生々しい録音は、とても素晴らしくて、それがウィーンフィルの音色をとてもよく捉えていた(と思いこんだ)ものですから、アバドの指揮とともに、大好きな1枚として、擦り切れるほどに聴いたものです。
CDは初期のものほど思い入れがありますが、昨今の大量の組みかえ再発や、安売りで、大切に聴くという行為自体も遠ざかってしまった感があります。
レコード時代は、その1枚1枚が、ほんとうに思い出も相乗効果となって、大切にしておりました。
どうもありがとうございました。
投稿: yokochan | 2014年2月27日 (木) 23時48分