R・シュトラウス 交響詩「死と浄化」 アバド指揮
札幌大通り公園の「ホワイト・イルミネーション」。よく見たら毎年同じ。
この「すずらん」も数年前からお馴染み。でも、きれいでなにより。
この公園内は、アイスバーンと化していて、恐ろしくツルツル。あらゆる国の言葉がすべる悲鳴と共に聞かれるのも、国際観光都市「サッポロ」ならでは。私もカメラ片手によちよち歩き。「なまら怖いさぁ」
今日の「のだめ」は、「シューマンの第2ソナタ」と「ペトルーシュカ」。
渋いぜ。おまけに、ペトルーシュカは「今日の料理」ときたもんだ。愛好家なら誰しも「はは~ん」とくるミス・マッチング。
ついでに「キューピー3分クッキング」も絡ませたら最高だったのに。
それにしても、おカマちゃんが多すぎる。困ったものだ。
音楽界にはとかく多い(?)が、クラシック界をヘンな色眼鏡で見られちゃ困るわ・・・・・?
そんなことは、さておき。R・シュトラウスでも聴こう。
シュトラウスは何を聴いても、その豊穣なサウンド、甘すぎる音色、激しくも良く鳴るオーケストレーションに夢中になってしまうが、私の場合オペラに比べると、管弦楽作品で聴く指揮者は限られていて、「プレヴィン、ハイティンク、メータ、アバド、ケンペ」となっていて、「カラヤンやショルティ、マゼール」はあまり積極的でない。サラリ系か、スピード系が好き。
アバドが手兵のロンドン響と1982年に録音したこの1枚には「ドン・ファン」「ティルオイレンシュピーゲル」「死と浄化」の3曲がきれいに収められている。
当時、ストラヴィンスキーやプロコフィエフ、マーラー、ヴェルディに没頭していたアバドが、まさかR・シュトラウスのこうした有名曲を録音するなんて夢にも思わなかった。
しかも、オーケストラがウィーン・フィルでもシカゴ響でもなく、ロンドン響だった。
3曲とも音楽的で作為がなく、シュトラウスの音楽の楽しさ・無類の表現力とは一線を画した順音楽的な演奏に思う。前半の2曲は、後のベルリン盤がかなり勝るが、「死と変容」はアバドに合った抒情的な作品なので、淡々としながらも繊細でしなやかな演奏は期せずして曲の核心に迫っている。
作者25歳の若書き。(その頃、私は何をしていたろう・・・)
「死に瀕した貧しい重病人が、うなされながらも、子供の頃の思い出にふける。しかし、死は容赦なく彼を連れ去る。しかし、その魂はあこがれの天上に召される・・・・」
こ~んな、ヘヴィーな詩が後付けでつけられた。
死との戦いについては他にいくらでも激演があるが、天上に昇華するような音楽の描き方の美しさにおいては、アバドは完璧に美しい。静やかに歌っている。
オケもニュートラルできめ細かく、ぬくもりもある。
「グスタフ・クリムト」の絵をあしらったジャケットもセンスがよく、スピーカーの上にでも飾って聴いていると雰囲気がすこぶるよろしい。
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