ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団演奏会②
モーツアルト ピアノ協奏曲第25番
ピアノ:内田光子
マーラー 交響曲第1番「巨人」
@サントリーホール
ヤンソンスがお気に入りとなって以来、毎年聴いている。
2004年コンセルトヘボウ、2005年バイエルン、2006年コンセルトヘボウ。こんな感じで毎年、手兵を使い分けて来日しているヤンソンス。
来年の晩秋にはバイエルンと再びやってくるらしい。
父親「アルヴィド・ヤンソンス」が東響の指揮者をつとめたこともあって、「マリス」も日本贔屓。オスロ・フィルやピッツバーグ響とも何度か来日していて、それらを無視していた自分が疎ましい。
親子画像。
歳とともに、息子は親父に似ていくのは世の常。
こちら親子も、マリス君は急速に親父化しているように感じる。
さて、今宵のコンサート。モーツァルトのピアノ協奏曲にシンフォニックな25番をやるとはまた渋い。内田光子はオーケストラの長い前奏から曲に没頭していて、いざ出番となると、びっくりするくらいきれいで清列な音色で弾き始めた。
昨夜に続き対向配置の小規模なオケは相変わらず美しくウットリしてしまう。
内田のピアノがリードして築き上げてゆくモーツァルトは、天衣無縫で無垢な世界と、時折見せる悲しみの深淵を覗く世界とを見事なまでに聴かせてくれた。
これだけでも満足なのに、アンコールのシューベルトの即興曲(D90の3)が押さえに押さえて弾き始められたとき、思わず涙を止まられなかった。こんなに深くて心に響くピアノはちょっと聴いたことがない。オケの面々も神妙に聴いていた。日本人としてうれしい。
こんなに音楽にのめり込んで、凄い演奏ばかりしていたら、体を壊しはしないか心配になるくらい。
後半のマーラーはコンセルトヘボウの実力と魅力がたっぷり味わえる名演となった。
美しい弦に落ち着いた木管、華やかさを押さえたような金管。これらが混然となって奏でるマーラーはサントリーホールをヨーロッパの響きで満たしてしまった。2楽章の中間部、3楽章の各楽器に引き継がれてゆくアイロニィに満ちた調べ、終楽章の美しくも情熱的な弦の歌、こんな場面にものすごく惹かれた。
ヤンソンスは両腕を上に跳ね上げるように、体も跳ねるように指揮をする。リズム感がいいので、どこをとっても生き生きとしているし、歌謡性もすごく豊か。盛り上げかたも、聴く者を夢中にさせるほど巧みだ。マーラーのエンディングは最高の素晴らしい幕切れとなりドキドキしてしまった。聴衆からブラボーとともにヒョ~とかいう歓声があがったのもうなずける。
こんな全霊を込めたマーラーの後ではアンコールも演奏できないし、こちらも聞けない。
このコンビでマーラーを全部録音してくれないものか。
ヤンソンスの個性からして、オペラはイケルと思う。本人もその気らしいが、売れっ子だけに時間がない。プッチーニなんぞ最高だろう。
ふたつの手兵だけに専念して、オペラを振る機会をもっとつくるといいのに。
昨年に続き、今晩も楽屋口に並び、マリス君のサインを頂戴した。ガードマンが立つ横で、小さなデスクにちんまり座り、疲れも見せず、サラサラとサインをこなしていた。
ふと、思った。「サントリーホールのガードマンっていいな。」、それよりホールの案内係りで、出入口に座っている人の方がうらやましい。
マエストロ・ヤンソンス、来年も待ってるよ。
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コメント
こんばんは。
素敵なコンサートだったようで、何よりです。
一連のコンサートの中でも、この日のプロが一番人気でした。
内田光子さんは、今年のモーツァルトの誕生日のザルツブルクコンサートでも、ムーティ&ウィーンフィルとこの曲を演奏していましたので、きっと最近お気に入りの曲なのかもしれません。
マーラーも素晴らしい演奏だったのですね。
>それよりホールの案内係りで、出入口に座っている人の方がうらやましい。
激しく同意します。(笑)
なかなか、募集してないですよね・・・。
投稿: romani | 2006年12月 4日 (月) 00時05分
JUNじさま、12/3、すみませんでした。どうしても月曜日朝からはずせない仕事がありまして・・・。今度ご一緒の折は是非。
ポゴレリチ、フェルツマン(どちらも当たれば)、ティル・フェルナー。リンデン・オパー、新国の「タンホイザー」と「アイーダ」(ゼッフィレッリ演出)など、来年はオペラとピアノで上京しますので。
ところで。
マーラーは力演でしたね。LD7-12で聴きました。新国の「フィデリオ」がかかったもので、いい席なかったです。グールド、良かったです。力と声量はばっちり。数年の後に引っ張りだこになるでしょう。レオノーレを歌ったヨハンソンも、細かい転がしは上手くなかったですが、これも豊かな声量。オケは交響曲オペラとしての「フィデリオ」には役不足でしたけど。
で、マーラーに戻って。2楽章とフィナーレのホルンに疵はあったものの、木管、特にオーボエが素敵でした。弦はゲヴァントハウスの木綿の肌触りのような美観はなかったし、ルツェルンの精妙さには全然だと思いましたが、東欧風の歌いまわしを要求したマリスに、十分な歌心で応えていたと思います。まぁ、マーラーといったら、アバドとLFOの物凄いのを聴いてますので、・・・。
それより愕然としたのがモーツァルトの25番。あんなに綺麗な音、しかも自由、天衣無縫、清冽なのに豊かな色彩、溢れ出んばかりの愉悦、生命。どれをとっても「シンジラレナーイ」。25番はピアノ協奏曲の「ジュピター」とはよく言われますが、堂々としていながらもったいぶらず、それでいて細やかな感情に満ち、ドラマが合って真実を語る。
ハッキリいって芸術です!ヤンソンス、前半で内田に食われました。
アンコールのシューベルトのメッツァ・ヴォーチェ!これでこそシューベルトです。内田光子、はっきりいって偉大なピアノ芸術家のひとりとなりました。ブレンデルと同一です。
いい聴きものさせてもらいました。
投稿: IANIS | 2006年12月 4日 (月) 01時43分
こんにちは。
はじめて投稿します。
私も昨晩のコンサートに行ってきました。
皆さんおっしゃっているとおり、内田光子の演奏は凄かったですね。
私は、モーツァルト25番の時点で、既に目がうるうるしていましたが、アンコールのシューベルトで完全にノックアウトされ、涙が止まらなくなりました。弾き終わってから拍手が起こる迄の、あの何とも言えない(会場の)沈黙が、ずっと永遠に続いてくれればいい、と思いました。休憩時間になっても、腰が抜けて、暫く席を立てませんでした。まだまだ経験不足なのかも知れませんが、こんなの初めてのことです。
その余韻が余りに大き過ぎて、マーラー1番も大変素晴らしい演奏だとは感じたのですけれども、残念ながら前半はあまり気が入りませんでした。
ちなみに、25番の後の休憩が終わって、マーラーの1番が始まる際、ふっと右上を見たところ、何と、ついさっきまで演奏していた内田光子が私の斜め後方に座っていました。驚きのあまり『内田さん・・・』、としか声が出ませんでしたが、彼女はにっこり微笑んで私に手を上げて応えてくれました。たったこれだけのことですが、今回のコンサートの充実した内容と合わせて、一生忘れられない夜となりました。
投稿: Nori | 2006年12月 4日 (月) 12時50分
いいですね~、うらやましいなぁ。ヤンソンスびいきの私としては諸事情ゆえ今年は行けなかったのが誠に残念!久々に父ヤンソンスの画像を見ましたがおっしゃる通り序々に息子も父親化してますね。父ヤンソンスは1970年のレニングラード・フィルで聴きましたがこれが凄かった。ショスタコ5番で斜め後ろの女性(しかも若かった)が狂ったように「ブラボ~!!」って叫んでいたのを鮮明に覚えています。
投稿: einsatz | 2006年12月 4日 (月) 14時48分
romaniさん、おはようございます。私にとって年内最後のオーケストラコンサート、充実したものになりました。
サントリーホールが、あの手の募集をしたら、即、手を挙げます。
椅子は、聴衆でなく、舞台に向かってしまうでしょう(笑)
投稿: yokochan | 2006年12月 5日 (火) 07時17分
IANISさん、おはようございます。
先日は、お疲れさまでした。「フィデリオ」は土曜に行きます。
グールド狙いです。なかなか期待通りのようですね、楽しみです。
内田さんは、まさに「シンジラレナーイ」世界を作りあげてましたね。
体から音楽を発してました。来年は機会があれば是非!
投稿: yokochan | 2006年12月 5日 (火) 07時21分
Noriさん、はじめまして。ようこそおいで下さいました。
ホント、内田さんのピアノは素晴らしかったですね。
普段冗長に感じる25番のコンチェルトが、あっという間に終わってしまいました。いつまでも続いて欲しいと願ったのに。
そして、シューベルト!!あの美しい瞬間、私も涙を押さえられませんでした。曲が終わってからの沈黙の「間」も良かったです。
マーラーが霞んでしまったのも無理はありませんよね。
内田さんとの遭遇、羨ましい光景ですね。どうもありがとうございました。
投稿: yokochan | 2006年12月 5日 (火) 07時28分
einsatzさん、おはようございます。
親父アルヴィドを聴いてらっしゃるところは、さすが。ムラヴィンスキーの代役の時ですね。
息子は、サラブレッド以上に世界を制する指揮者になりました。
マリスファンになつたのも、einsatzさんのお陰です。
来年のバイエルンは是非、ご一緒しましょう。
投稿: yokochan | 2006年12月 5日 (火) 07時32分