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2007年1月

2007年1月31日 (水)

コルンゴルト 左手のためのピアノ協奏曲 シェリー&バーメルト

Hachi_2 秋田県北部の街「大館市」に出張してきた。

昨年秋から継続する仕事ができ、真冬のこの時期も意を決して赴いた。
ところがですよ、雪がな~い。しかも暖かい。へたすりゃコートいらない。
雪深い地域なのに、先だっての札幌に続きなんだこりゃのサプライズ。
北海道は、今になって「つじつま合わせ」のように雪が降っているけど、秋田はそうではなかった。

忠犬ハチ公の生まれた里。駅前に鎮座する本場のハチ公。こちらの方が渋谷よりふくよかな顔だち。

Korngold_piano_con_3                         

今年は、ウィーン生まれの早熟の作曲家「エーリヒ・ウォルフガンク・コルンゴルト」の没後50年と生誕110年(1897~1957年)。
まったくといっていいほど話題にならない。
モーツァルトを意識して「ウォルフガンク」と名付けられ、実際、神童と呼ばれ、10代でオペラまで書いてしまった。
以前のブログでも書いたが、ナチスの登場で不遇をかこち、アメリカでひっそり亡くなっている。

その作品は相当数あって、私なんぞまだその一部をかじったにすぎないが、その音楽は一言でいうと「ロマ(ンテック)・カッコいい」??
 マーラーの流れを汲む新ウィーン楽派風でもあり、アメリカで身につけた映画音楽風でもあり、といったところ。
誤解していただきたくないのは、それらが決して安っぽい音楽ではなくて、むしろウィーンの爛熟文化末裔として、その後継者として生きざるをいなかった宿命としてのロマンに満ちていることだ。

 「軍隊行進曲」
 「チェロ協奏曲」  Vc:ピーター・ディクソン
 「弦楽オーケストラのための交響セレナード」
 「左手のためのピアノ協奏曲」  
  
         
 Pf:ハワード・シェリー
    マティアス・バーメルト指揮BBCフィルハーモニック

こんなラインナップのCD。行進曲は3分そこそこの付けたしのような音楽。
「チェロ協奏曲」は単一楽章の13分ほどの曲だが、のっけから印象的な甘い旋律が奏でられ、うっとりとさせてくれちゃう。この曲はマジ泣かせてくれます。

「セレナード」はウィーンに帰郷して書かれ、1950年になんと「フルトヴェングラーとウィーンフィル」によって初演された30分あまりの大作。
これまた実にカッコいい曲だが、第3楽章のレントはマーラーを思わせるような連綿とした美しい楽章である。ウィーンに帰省し楽壇に返り咲くかに見えたが、意外にもウィーンの反応は冷たかった・・・・・。

「左手協奏曲」も単一楽章ながら、これも30分を要する作品で交響曲のよう。
レフトハンド協は数あれど、この曲ほど、片手で弾いてるなんて思わせない曲はないかもしれない。かなり大胆な和声で始まるが、すぐに美しい「コルンゴルド節」が始まる。
例えていえば、ラフマニノフのパガニーニ変奏曲に似ているかもしれない。
 1924年に初演されたあとは、作者没後の1961年に一度演奏されたきり。
その後今回のBBCフィルがG・グラフマンのピアノで1985年に復活させている。

このCDはスイス人指揮者「バーメルト」によるもので、彼はコルンゴルドの使者といってもいいくらい録音が多い。N響にも客演したことがあるが、その時はありきたりのプログラムでさっぱりだった。実に雰囲気豊かで、愛情こもった演奏に思う。

今年は皆さん、コルンゴルトを聴きましょう。
手始めは、ヴァイオリン協奏曲あたりからどうぞ。

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2007年1月30日 (火)

スメタナ 「我が祖国」 ノイマン指揮

日曜の晩は、八王子に所用があり、その晩、ひとり酒をすることとなった。
猥雑な呼び込みや勧誘を避け、大衆酒場に飛び込んだ。「酒蔵 一平」という店。
焼鳥の煙を店の外にたなびかせ、呑ん平の心を刺激する場末の雰囲気。
おばちゃんが数人給仕し、若い人はいない。客も若者は見当たらない。
新聞を読んだりして、皆思い思いに過ごしている。適度に放置され、かえって落ち着く。
 冷奴、焼鳥、あじフライ、タコぶつ。燗の枡酒・・・・・。居酒屋メニューの王道で勝負した。
実に落ち着く、超満足の居酒屋ライフなり。

Ma_vlast_neiman 居酒屋とは全く関係がないが、音楽に自分の祖国愛を思い切り託した、スメタナの「我が祖国」を。
ヴァーツララフ・ノイマン指揮ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団で。

6つの連作交響詩からなるが、内容はそれぞれ異なるものの、ボヘミアへの溢れんばかりの思いがつづられている。
①ヴィシェフラド(モルダウ川沿いの古城、その城の栄枯盛衰を描く)
②モルダウ(ご存知モルダウ、スメタナが残した注釈を読みながら聴くと感動もひとしお)
③シャールカ(伝説の女傑シャールカが恋人に裏切られ敵の男衆を皆殺しに・・・恐ゎ)
④ボヘミアの森と草原から(ボヘミアの自然賛歌、田舎の祝宴の様子)
⑤ターボル(フス教徒というキリスト教宗教改革の一派の拠点の街ターボル)
⑥ブラニーク(フス教徒の戦士が眠るブラニーク山、亡国を思い戦士は蘇えり聖戦へ)

どの曲も素晴らしメロディーに溢れ、そしてアツい。
有名すぎるモルダウも、連作の中に聴くと単なるメロディックな描写音楽だけに聴こえない。
スメタナが、母国の過去の伝説と溢れる自然に描こうとしたのは、自らの祖国の希望に溢れる未来であったろう。
 チェコがその後、大国に翻弄され苦難の道を歩んだのは、歴史が示すところ。

ノイマンはチェコ・フィルと数回録音しているが、今晩のCDは1965年の1度目のもの。
当時ゲヴァントハウスの音楽監督として優れた業績を残していて、マーラーやブルックナーなども最近復活していて注目。
1968年に「プラハの春」が勃発し、ノイマンはチェコに帰されることになる。
 オーケストラの音は渋い。そして腰から下にズシリとくる重厚さもある。
でも弦の音色がすごく美しい。このあたりはノイマンらしいところ。
6曲それぞれに聴かせどころ満載だが、全6曲が最後のブラニークのクライマックスに向かってジワジワと盛り上がっていくようなライブ感があるところが素晴らしい。
どんな演奏でも、最後の場面でヴィシェフラドの冒頭の主題が高らかに回帰してくると、心から感動してしまうものだが、このノイマン盤は殊更感激した。

こんな祖国思いの音楽があってうらやましい~。
日本で祖国、祖国っていうと、ちょっときな臭くなってしまうし・・・・。

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2007年1月27日 (土)

R・シュトラウス 楽劇「ばらの騎士」 バーンスタイン指揮

Rosenkavalier_bernstein R・シュトラウス、オペラ・シリーズ。ようやく第5作「ばらの騎士」にたどり着いた。
前作の「エレクトラ」からの変貌ぶりは大きい。シュトラウス56歳の作品。
ホフマンスタールとの名コンビの生み出した、爛熟のウィーンを舞台にした、「ほろ苦い火遊びの終焉と諦念を悟る大人の物語」。

「ばらの騎士」を誰の演奏で取上げようか、シュワルツコップか、クライバーか、ハイティンクかベームか・・・迷った末(あんまり迷ってないけど)、やはりこれしかないと、「バーンスタイン、ウィーンフィル」盤に決定。
こちらは、いつもお世話になっている「naopig」さんがすでに取上げていらっしやる。(naopingさんの二番煎じ、naopingさん、ご免なさい)
 有名曲ゆえ、劇の内容は書きませぬ。

Dsc01887 ←これこれ!バーンスタインのジャケットのバラが脳裏に焼きついていたし、86年のウィーン国立歌劇場の来日公演で、初めて「ばらの騎士」の舞台に接し、銀のバラの贈呈の場面にウットリしたもんだから、一度しかないウィーン訪問の折に、市内で「銀のバラ」を探しまくった。
 ありましたよ。でもショーケースの中に入ってて、「Silver Roses」な~んて、何度言ってもお店のオバハンに通じない。目の前に連れてって「あれ、あれっ!」でようやく購入することができた。ウィーンの人は、こんなもん何とも思ってないみたい。
ちなみに、この画像がケース入りで一番高いシロモノ。さらに安いものを数本買って土産物として配った。いちいち由来を説明しながら。
そして、数ヶ月してバラを配った親戚を訪問したら、銀のキラキラがすっかりはげて、「ビニール・プラステックのバラ」に成り果てていた。「メッキがはげる」とはこのことか・・・チ~ン。

  マルシャリン:クリスタ・ルートヴィヒ  オクタヴィアン:グィネス・ジョーンズ
  ゾフィー      :ルチア・ポップ      オックス男爵 :ヴァルター・ベリー
  ファーニナル:エルンスト・グートシュタイン   歌手:プラシド・ドミンゴ

     レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー 
     プロデュース:ジョン・カールショウ 
     録音エンジニア:ゴードン・パリー、ジェイムス・ロック、ジャック・ロウ

ここで注目は、カールショウ率いるデッカの名うての録音チーム。
ゾフィエンザールという、デッカのウィーンでの録音拠点、そうウィーンフィルのデッカあの音色を知り抜いた面々によるレコーディングであること。
71年の録音で、もう36年が経過したがその鮮度は高く、音楽的。

肝心の演奏はGOOD!!
Rosen5_1 まず、バーンスタイン。有名な話だが、楽員にむかって「これはあなた方の音楽だから、私は棒を振るだけ」というようなことを言って、プライド高い当時のウィーンフィルの面々をしびれさせた。そう、ここではウィーンフィルの滴るような美音が隅々まで味わえるのだ。
とか言いながら、バーンスタインはしっかり手綱を締めている。弾むリズム、今にも走り出しそうな躍動感、まばゆいばかりの輝かしさ、濃厚なロマンティシズム・・・・。
しっかり、バーンスタインしてるし、後年我々が驚嘆した「カルロス!」も真っ青の生きの良さが素晴らしい音質で味わえる。
「音のご馳走」である。スィートなチョコレートで、ウィスキーを飲むもよし、果肉の豊かなフルーツを摘まんでフレッシュな白ワインを飲むのもよし。

歌手も当時としては最高である。
メゾのルートヴィヒがマルシャリンのが最初あれ?であったが、葛藤に疲れた様子の、粋も甘いもわきまえた女性を豊かな声域で歌いつくしていて文句ない。
 ジョーンズの低音域の魅力が私は大好きで、ワーグナーの諸役で叫ぶような高域とは正反対の真中から下のほうの声の、グローリアスな響きがたまらなくいい。
そして、そして・・・、ポップのゾフィーが絶大的に素適だ。Rosen6pop
こちらは、レコーディングのスナップ写真。当時のレコ芸からの借り物。
若いポップは、茶目っ気たっぷりで、カメラを向けるとアカンベーをしたりしたそうだ。そんな、彼女の気質が素直にでた、このゾフィー、古今東西のゾフィー大賞である。第2幕のジョーンズとの銀のばらの献呈の場面、身震えがくるくらいの素晴らしさ。
 この三人、「ルートヴィヒ」はかつての名「オクタヴィアン」、「ジョーンズ」は後にドラマテックソプラノとしてワーグナー歌手の大御所に、そして「マルシャリン」に、「ポップ」はシュトラウスの諸役を極め、晩年は名「マルシャリン」になった。

ウィーン生まれのベリーのオックスは、少し生真面目で、小うるさい、そこらにいるオッサンを歌い描いていてうれしい。うれしいって、我々オヤジと等身大だから・・・・。
ちょい役の歌手で、ドミンゴが登場する。最盛期の分別臭い歌とは思いもつかぬイキのいい歌声でほれぼれしてしまう。

Rosen2 そんなこんなで、誉め尽くしのバーンスタインの「ばらの騎士」。
最後に、ウィーンフィルのホルンは最高!!!、ついでドレスデンとミュンヘンだな。

今年から来年にかけて、日本は「ばらの騎士」の上演だらけになる。
「W・メスト=チューリヒ」「シュナイダー=新国立劇場」「メルクル=ドレスデン」「琵琶湖ホール上演」、あとひとつあったはず。
新聞でも記載されていたが、これはまさに「ばら戦争」の年だ。
CDでも、最終場面を収めたものが最近やたらと多い。
 時代がシュトラウスと、いよいよマッチングしてきたのかしら?

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2007年1月26日 (金)

「デュオ・イン・ザルツブルク」 キュッヘル&プレヴィン

Owariya_tensoba_1 浅草「尾張屋」、永井荷風が愛した「天ぷら蕎麦」。
明治3年創業、浅草の蕎麦屋の顔。打ち合わせを見事11時30分に終え、12時前にすべりこむ。
器からはみ出る「くるま海老」の天ぷらは、揚げたてなので、汁に浸されパチパチと美味しそうな音を立てながら出てきた。あとは、言葉ありません。

Kuchlprevin

今日もプレヴィンとウィーン・フィルの幸せなコラボレーションを1枚。
プレヴィンはピアノにまわり、コンサートマスターのライナー・キュッヘルがソロを受け持つ、クライスラーを中心とした粋な「ウィーン・アルバム」。

曲はクライスラーの有名どころと、「ばらの騎士」ワルツの編曲ものに、ジーツィンスキーの「ウィーン、わが夢の街」。91年、ザルツブルクでの録音

この顔ぶれと曲目から想像できるとおり、思わずニンマリのウィーン情緒溢れる1枚だ。
その姿(頭)に似合わず、常に若いと思っていた「キュッヘル」も、もう56歳。
事故死してしまった、「ヘッツェル教授」から、ウィーン・フィルの顔を引継いでもう15年以上が経つ。私が始めて、ウィーンフィルを聴いたのが1975年。あの伝説のベーム来日の折りだが、ベームは抽選にもれてしまい、若獅子「ムーティ」の日本デビュー公演を聴いた。
その演奏会で、ブラームスの二重協奏曲のヴァイオリンを弾いたのが若き「キュッヘル」であったのだ。まだ25歳の「キュッヘル」は、栗色の髪がまだかなり健在で、チェロの「シャイワイン」とともに、ベテランが多かったこのオーケストラにあって、新しいウィーンを感じさせる爽やかさを滲みだしていた。

あれから30年が経ち、キュヘルも(私も)変貌してしまった。
でも音楽は変わらない。ウィーン・スタイルがしっかり身について、嫌味にならない上品なポルタメントや洒落た音の切り上げ方。
ウィーン風といっても、ネットリと時代を感じさせる遺物ではなく、ウィーンフィルが普通に「春祭」や「ショスタコ」を演奏するようになったように、このヴァイオリンもさりげなく現代風で、スマートなのだ。

プレヴィンのピアノがまたイイ。キュッヘルと表裏一体でありながら、単なる伴奏を超えた独特の風情を醸し出している。指揮の時と同じく柔らかな音色ながら、歌いまわしやリズム感がちょっとスゥイングするようで、味がある。

「愛の喜び」、「ばらの騎士」、「ウィーン、わが夢の街」・・・、何とチャーミングなんだろう。
「ウィーン、わが夢の街」は、原曲の歌が大好きで、クンツ、シュワルツコップ、M・ホリディなどなど・・・ああ、ため息がでちゃう。
 ウィーンは一度きり行ったことがあるが、思いのほか大都会で、滞在中はちょっと怖いイメージがあるものの、次の都市へ移動してみると、妙に懐かしく思い起こされる「あとを引く」街だった。
そんな「あと引く」きょうの1枚であった。

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2007年1月25日 (木)

ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第14番(弦楽合奏版) プレヴィン指揮

Asakusa_nakamise 浅草に始終訪問する会社があるが、普段はとんぼ帰りも多いが、先週は久々に宵闇の浅草を散策した。
この時間になると、観光客も引け静かな雰囲気で、なかなかに味わい深い。

Previn_beetohoven

今日は、ベートーヴェンの晩年の名作、弦楽四重奏曲第14番作品131の弦楽合奏版を聴く。
編曲は、「ドミトリー・ミトロプーロス」かの「ミトプー」。
演奏が、「アンドレ・プレヴィンとウィーン・フィル」。
ベートーヴェン=ミトプー=プレヴィン=ウィーン、となかなかに魅力ある取り合わせなのだ。

弦楽合奏とすることで、表現の可能性を増し、ことに分厚い合奏は交響曲を聴くような雰囲気にさせてくれる。逆に精緻さが失われてしまうが、そこは名指揮者と名オーケストラにかかればオリジナルでは味わえない合奏の喜びを充分に堪能できる。

1826年の作曲、7つの楽章が連続して演奏されるという変則的な構成で、形式主義からかなり踏み出した自由な発想と、音楽も人生も突き詰めてしまったベートーヴェンの澄み切った心境が以外やシンプルに発露されているように感じる。
ことに長大な第4楽章の淡々と、でも穏やかに続く独白めいた音楽はすごく魅力的。

かつて、バーンスタインが同じウィーン・フィルとDGに交響曲全集の余波をかって録音していた。そちらは、交響曲の延長のように堂々としながらも弾むような名演だった。
ビデオでも観たが、祈るように指揮したかと思うと、小躍りするようにしたりと、ビジュアル的にもバーンスタインならではだった。
 プレヴィンは、もっと大人、というか一歩引いて、淡々とした演奏ぶりである。
音楽の輪郭がとても優しく、デリケート。だから、ウィーンのマイルドな弦の魅力が難なく引き出されていて、どこまでがプレヴィンの個性かわからないくらいに一体化している。
それにしても、うまいものだ。嫌味のまったくない完璧なアンサンブル。

弦楽四重奏曲を指揮する。ということも指揮者にとってすごく魅力あることなんだろうな。

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2007年1月23日 (火)

マーラー 交響曲第4番 ハイティンク指揮

Mahler4_haitink 「そのまんま東」知事は、知事になっても名前は「そのまんま」なのだろうか?どっちが姓でどっちが名前なんだろうか?NHKは「そのまんま東」知事と呼ぶのだろうか?

どうでもいいことだけど、本人は真剣で潔く好ましいが、どこか楽しい。
いっそ、「つまみ枝豆」や「井出らっきょ」、「大森うたえもん」、「ラッシャー板前」みーんな立候補すれば名前だけでもおもしろい。(不謹慎ですな)

さて、今晩はマーラーのほのぼのシンフォニーの4番を。
この曲は、今でこそ表題はついてないが、私がクラシックを聴き始めた頃は、「大いなる喜びへの賛歌」などという大仰な名前がついていた。
前作の第3番の第7楽章に予定された「子供が私に語ること」の部分が、この4番の交響曲に持ち越された。こうして、天国の生活を扱ったためか、そのような表題がついてしまったのかもしれない。

この曲には、色のあるオーケストラの演奏がよく似合うと思う。
そう、ウィーン・フィルとコンセルトヘボウがいい。
どちらも嫌味にならない程度に、伝統的な(もしかしたら楽譜に伝来の書き込みがあるかもしれない)ポルタメントを効かせたりして、ほっこりとしたムードをかもし出してくれる。

今日のハイティンク盤は、83年のハイティンク2度目の録音で、当時CD出始めのやたら高かったものを思い切って購入したもの。
自分でも懐かしい。この頃、会社ではペーペーで、東京でひとり侘び住まい。
終末になると、神奈川の実家に時おり戻り、愛用の装置で音楽をたっぷり聴くのが何よりの楽しみだった。同時に、マーラーに激しく没入していった頃。
 そんな思い出があるものだから、今住む場所で、まだ健在の装置を通してこのハイティンクの演奏を聴くと懐かしさと共に、戻れない過去への儚い思いに満たされてしまう。

ほんとうに、コンセルトヘボウの美しい音色。音たちが一音一音、雫となって滴り落ちるよう。録音もそうした美音をまともに捉えていて、うっとりとしてしまう。
ハイティンクのかっちりとした、生真面目な指揮によって、マーラーの思い描いた楽園の抒情の世界と、シニカルな世界が見事に描かれていて、それに華をそえるがごとくのオーケストラの美音なのである。
ソプラノのアレクサンダーはニュートラルでよろしい。

マイルドな芋焼酎を飲みながら聴いた。
さあ、風呂入って暖まって寝るか・・・・・。

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2007年1月21日 (日)

ブラームス ドイツ・レクイエム 神奈川フィル

Yokohama_baybridge
正月に大黒パーキングより垣間見た「みなとみらい」ベイエリア地区。
無粋な柱や、ビルが邪魔をしてスッキリ見えない。
観光現場なのだから、パーキングからの眺望も考えて欲しいわい。
高速運転中は、必死こいて運転しているから景色が拝めないもの。

Kanahil_brahms 今日は、そのまさに「みなとみらい地区」にお邪魔して、待望久しい「神奈川フィル」を「みなとみらいホール」で聴いた。
いずれも初物づくし。
C県民の仮面をかぶっていても、心はK県民なんだよう。
いつかはデビューしようと願っていた「神奈フィル」と「みなとみらい」。

しかも、いつもお世話になっている「yurikamome」さんのお誘いで、アフターコンサートを素晴らしいお仲間をご紹介いただきながら楽しむことができました。本当に楽しかったです。皆さん、ありがとうございました。
いろいろと、お教えいただくことばかりで、私なんぞ、うなずくばかりでした。(ペコリ)

        ブラームス    ドイツ・レクイエム
           S:澤畑恵美   Br:福島明也
     ハンス=マルティン・シュナイト 神奈川フィルハーモニー
                         神奈フィル合唱団(近藤政伸)

デビュー戦には、もったいないくらいの演目と顔ぶれに、期待は高まるばかり。
75分以上を要する大曲で、7つの楽章があり、決して聴きやすい曲ではない。
山場は少なく、起伏もなだらかで、全体に緩やかなカーブを描くように曲は進行してゆく。
細かいことは考えずに、ブラームスのように後ろ手を組んで、ゆっくりと逍遥するように、音楽を受け入れればいい。そう思って聴くことにしている。

シュナイト氏の作り出す音楽は、腰をおろしながらの指揮とは思えないくらい、全体を見渡し、細かいところまで充分に配慮しつくしたものでが、あくまで自然体。
でも出てくる音は、以外やドイツの森を思わせる深々としたものを感じた。
低音も豊かで、その上に乗る中音域の弦楽器は美しく、木管の中間色の合いの手もブラームスそのもの。「みなとみらい」がドイツの地方都市となった。

昨年春、まだ寒い札幌で「尾高・札響」のドイツ・レクイエムを聴いた。
あの時も大感激だった。日本人の繊細な手による完璧なブラームスだった。
今回は、ドイツの響きをより強く感じた。

最後にハープを伴ないながら、静かに音楽が完結した。シュナイト氏は、動きを止め、楽員も止まったまま。静寂がホールをつつんだ。静かにシュナイト氏が譜面を閉じる。
その後も静寂は続き、ようやくぱらぱらと拍手が起こり、やがて盛大な拍手につつまれた。
実にいいエンディングだった。昨年のアバド・ルツェルンのマーラーを思い起すような、最高の瞬間。シュナイト氏の満足そうな顔が印象的だった。

独唱では、札幌と同じソプラノの澤畑さんが素適だったが、福島氏は声が届かなかった。
以前も同じ思いをしたことがあるバリトンだ。美しい声なんだけど。
合唱もいいし、なんと言っても、神奈フィルの豊かな音色に二重マル。

おいしいビールと楽しい会話で、気持ちよく東京湾を対岸に向かう電車に揺られて帰宅。
ニューフィル千葉では、湾岸戦争も相手にならないな・・・・。
また聴こう「神奈フィル」。

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2007年1月20日 (土)

「エリーナ・ガランチャ」 アリア集 ルイージ指揮

Sap_makomanai_moiwa_ookurayama_20_2 真駒内方面を望む。

雪少なし、2月のノルディック大会は大丈夫かしら?

温暖化による歪みは、世界的な異常気象を引き起こしているようだ。
日本の四季もメリハリが薄くなっちまったものだ。

Garanca_1_1 今注目のメゾ・ソプラノ「エリーナ・ガランチャ」がDGに移籍し、昨今のDGお得意のビジュアル路線に乗せた1枚が出たので、さっそく聴いてみた。

ガランチャは 1976年ラトヴィアのリガ生まれ。
そう、マリス・ヤンソンスと同郷。 だから、ヤンソンスも強力バックアップしていて、コンサートツアーにもよく同行している。
まだ若いのに着実にステッアップしているのは、その美貌やスタイルの良さもさることながら、それ以上に彼女の歌声の素晴らしさによるもので、真の実力派であると実感できた。

収められた曲目は、この画像のとおり。
お得意のモーツァルトは既にアリア集があるから省かれているけれど、「ウェルテル」「チェネレントラ」「ホフマン物語」「ばらの騎士」など、彼女の今のレパートリーが次々に披露されている。

Garanca_3 その声は、クリアーで清潔、やや淡白な印象も受けるが若々しい瑞々しさは気持ちがいい。味わいは今後深まるだろうから、今はこの若さを武器に相当活躍するだろう。
歌いぶりは、昨今の御多分にもれず、知性的で完璧な技術に裏付けられている。
これらの歌のなかでは、「ウェルテル」と「チェネレントラ」が気にいった。
「ばらの騎士」のオクタヴィアンもいいが、 幕切れの部分がそっくり収められているとはいえ、出番が少なすぎる。
むしろこの「ばらの騎士」では、今が旬の豪華な顔ぶれに目を剥いてしまった。
マルシャリンが「アドリアンヌ・ピエチョンカ」、ゾフィーが「ディアナ・ダムラウ」なのだ。
ことに「ダムラウ」のゾフィーはため息がでるほど素適。

それでもって、オーケストラがこちらも旬のコンビ「ファビオ・ルイージドレスデン国立歌劇場」ときたからスゴイ。DGはやるときはやる。ネトレプコもそうだったけど、豪華なもんだ。
雰囲気の実にゆたかなオーケストラは、これだけじゃあまりにもったいないぞ。

Garanca_2006_06_e13_v450 それにしても、巨体ディーヴァたちの時代は遠くに去りぬ。
これだから、演出優位の時代に拍車がかかるってもんだ。

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2007年1月19日 (金)

ラフマニノフ 交響曲第2番 ロジェストヴェンスキー指揮

Sap_odori_20071 前回は札幌から完成記事をアップした。その後、駅前から徒歩で、大通りを経て「すすきの」に出勤(?)。雪祭り前のこの時期、観光客も少なく飛行機も宿もリーズナブル。旬の食材も豊富で一番お薦めの頃。

いいなぁ、北海道。大通り公園のイルミネーション。対岸では、雪をかき集めて雪像の準備中。今年から、真駒内の自衛隊の協力もあまりあてにできないらしい。雪像ひとつ、6000万円!だそうな。

Rachmaninov_sym2_rozhdestvensky 札幌の街には、ラフマニノフがよく似合う。
そんなことは、私くらいしか思ってないかもしれないけれど、冬の寒さが絵になり、街路樹ひとつとっても美しい北国の街だけに、ラフマニノフの最愛の交響曲第2番がぴったりとくる。
そういえば、札響の尾高氏は、この曲とエルガー1番のスペシャリストだ。
尾高氏のBBC時代の録音は、いずれ取上げるとして、今回は「ロジェストヴェンスキーとロンドン交響楽団」の最高にロマンティックな演奏を聴こう。

ラフマニノフ34歳、ドレスデンで作曲されたこの長大な作品は交響曲というジャンルにありながら、キッチリした構成感は薄く、全体が旋律の宝庫となっていて、聴く側は次々に繰り出される美しい旋律に身を委ねていれば高揚感とロマンテックな感情に満たされるという寸法の曲だ。
人によっては、受け入れがたい音楽かもしれないが、ワーグナーやシュトラウス、マーラーの延長線上に私はこの曲をとらえ、感じていて愛聴してやまない。
そして、寒い夜にお酒を飲みながら聴くのにも最高の一品。
プレヴィンのレコードを手にするまでは、FMでエアチェックした「ヤン・クレンツとケルン放送響」の伝説の名演を何度も聴き、この曲にのめり込んでいったものだ。
その時は、新宿のわびしいアパート住まいで、ホット・ウィスキーを必ず手にしていた。

今日のCDは、ロシアの名匠「ロジェヴェン」。
繰返しを復元しているとはいえ「66分」もかけた悠揚迫らぬ大演奏なのだ。
数ある「ラフ2」の中でも最長、いや最もゆったりとした演奏だろう。
優秀でフレキシブルなLSOを得て、すべてに心を砕き、一音一音に気持ちがこもっていて、長ったらしく感じない。むしろ、もっと浸っていたいとさえ感じさせる独特の世界を表出してくれたのかもしれない。これもお気に入りに追加!

そういえば、駄洒落マイスターの「リベラさん」と、髪ありバージョンが知られない人に「ロストロポーヴィチ」や「シュタイン」だ、という話で自分のことはさておいて、盛り上がったことがあったが、「ロジェヴェン」も負けてはいない。ずっとあのまま、いや、いつからあのままなんだろうか?

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2007年1月17日 (水)

R・シュトラウス 楽劇「エレクトラ」 バレンボイム指揮

Rstrauss_elektra

今、札幌の某オフォスサポート店で記事をアップしております。
先週末に作成済みの「エレクトラ」。
札幌は、確かに寒い。マイナス気温だけど、天気に恵まれ気持ちがいい。
この冬は、市内は極度に雪が少なくて拍子抜けです。
雪祭りの作業も始まっているが、ダンプで雪を外部から一生懸命運んでいる。
またも食べすぎのメタ出張。帰宅したら、別館にておいしいものご披露します。乞うご期待??

R・シュトラウスのオペラ全曲シリーズ、作曲順に追って、今回は4作目の「エレクトラ」。1907年に完成している。シュトラウス44歳。
有名なオーケストラ作品でいくと、もうあらかたの曲は作り終え、「家庭交響曲」と「アルプス交響曲」の間にある。もうオーケストラ作品は卒業してしまっていたのである。(サロメとほぼ連続)
いかに早熟かわかる。この後に9曲のオペラが続くわけで、これもまたすごい話だと思う。

台本は、ギリシア三大悲劇詩人ソフォクレスの「エレクトラ」を演劇化した「ホフマンスタール」によるもので、ここからホフマンスタールとの完璧なるコラボが生まれたわけである。

音楽は「サロメ」の延長線上にあって、不協和音や激しい響きに満ちていて、そんな中にもシュトラウスらしく親しみやすくも甘い旋律や、陶酔感に満ちた響きも次々に現れるから、決して聴きにくい音楽ではない。
ワーグナーを経てマーラーやシェーンベルクと並ぶ世紀末サウンドなのだ。

モーツァルトの「イドメネオ」に出てくる、いつも怒っている「エレクトラ」は、この劇の後年のエレクトラの姿。
 ここでは、ミケーネ王である父アガメムノンを、その妻クリテムネストラと不倫を結んだエギストらに殺された、長女エレクトラが父の敵を討つという復讐劇となっている。
気が弱く女性的な妹クリソテミスと、復讐の実行犯である姿を変えつつ帰還した弟オレスト、エキセントリックで夢見心地のエレクトラ3姉弟の対比も鮮やか。

筋立ては簡単。宿敵の叔父と母に軟禁される姉妹、悪夢にうなされる母をもてあそぶエレクトラ。そして、死んだと自ら噂を流し帰還する弟と感動的な対面を果たすエレクトラ。
弟が復讐を実行に移す。まず母の断末魔の叫び。次いで叔父エギストも殺され、王宮内を制圧した弟が中心となり革命が成就する。
歓喜する姉妹ふたり。さらに喜びのあまり狂喜したように踊り狂い、息絶える。
 そう死が横溢する血なまぐさい劇なのだ。

注目は、エレクトラとオレストの出会いの場面。姉弟なのに、かなり情熱的である。
ジークムントとジークリンデそのものを思わせるし、シュトラウスもかなり意識していたのではないか。この姉、「オレスト~」と何度も歌うし、徐々に甘く歌う。
最後に、姉が倒れ、妹がまた「オレ~スト・・・」と叫ぶ。ここで幕となるが、この3人の姉弟はかなり倒錯している。

でもシュトラウスの音楽は、刺激的かつ濃厚・甘やかで、私には素晴らしい以外の何ものでもない。
バレンボイムのCDは、ショルティとニルソンのような強烈さはない。
オーケストラの響きは見事にコントロールされ、かなり耳に心地よく、明るい雰囲気さえ漂う。スゥイトナーの個性が伝統あるベルリン・シュターツオーパーに植え付けた軽やかさや明晰さをさらに進化させたのが、バレンボイムと言えそうだ。

歌手も今が旬で豪華な人選、といっても録音時の95年には、新鋭だった人ばかり。
ポラスキのタイトルロール、マークのクリソテミス、シュトルクマンのオレスト、ボータのエギストらがそれにあたる。バイロイトで活躍のヴォトリヒまでちょい役で登場。
みんな素晴らしい歌唱。そして、意外な要がマイアーのクリテムネストラのすごさ。

バレンボイムの成功作のひとつ。

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2007年1月14日 (日)

フィンジ ヴァイオリン協奏曲 T・リトル&ヒコックス指揮

Finzi_violin_concert_1 ジェラルド・フィンジ(1901~1956)は、ロンドン生まれ。薄幸の人と呼ばれたりするのは、自身白血病に倒れたからということもあるが、幼くして父、相次いで兄弟や師を失い、そのせいか、フィンジの作風にはどこか悲しみに満ちた陰がいつもつきまとうからであろうか。

短い生涯で寡黙な作曲家だっただけに、40数曲の作品しか残さなかったが、いずれも優しく、ナイーブな感性に貫かれ、英国抒情派の代表選手として、私の大好きな人でもある。

ヴァイオリン協奏曲は、1925から27年にかけて作曲された若書きで、彼の愛した「シヴィル・イートン」という若いヴァオリニストに書かれた。
彼女のソロで、指揮は「サー・マルコム・サージェント」、オーケストラは英国女性交響楽団(British Womens Symphony Orchestra)。おおっ、こんなオケがあったんだ!!
 この時は、第1楽章の出来に不満なフィンジは、それを引っ込めてしまい、2・3楽章だけが初演された。
 その後、V・ウィリアムズのアドバイスなど受け、あらためて全曲が1928年に演奏されたものの、まだ1楽章が不完全と判断したフィンジは、この作品をしばらく放置してしまう。

その後、クラリネット協奏曲に取り組んでいた時に、第2楽章だけを再生させ、「ヴァイオリン・ソロとオーケストラのためのIntroit(入祭唱)」として独立された。

こんないわく付きの曲を1999年に久方ぶりに取上げたのが、このCDで演奏のコンビ。
タスミン・リトル」と「リチャード・ヒコックス」による録音は、演奏会のあとなされた。

問題の第1楽章は、ストラヴィンスキーを思わせる新古典主義風の音楽だが、快活で何にも変じゃない。生き生きとした音楽は気持ちよく聴ける。
でも最高に素晴らしいのが、第2楽章。これぞフィンジ・ワールド。クラリネット協奏曲と同じように、楚々とした儚い抒情にあふれていて、いつまでも、ずっとずっとそこにとどまっていたいと思わせる癒しの音楽だ。この楽章だけ、何度聴いたかわからない。
3楽章は、3分ちょっことで、バランス的にどうかと思われるが、「ホーンパイプ・ロンド」と名付けられた舞曲調の、明るく楽しい終曲。

女流「タスミン・リトル」は、いつ聴いてもチャーミングで美しい音色に魅せられる。
ヒコックスとピタリとはまった名演。

ヒコックス指揮による、弦楽のための「プレリュード」と「ロマンス」も桂曲。
ことに、後者は泣ける1曲。日曜の晩、就寝前に聴くのにうってつけ。心が暖まりマス。

あと、このCDの素晴らしいのは、オーケストラ編曲版の歌曲が6曲入っていること。
アレンジは、アンソニー・ペイン、コリン・マシューズ、ジュディス・ウェアー、クリスティアン・アレクサンダー、ジェレミー・デイル・ロバーツといった、現代の人々の手によるもの。
見事にフィンジ・ワールドを作りだしている。
「ジョン・マーク・エインズリー」の歌も繊細で惚れぼれとする。

いいなぁ、ジェラルド・フィンジ。どんな情況で聴いても、私の心に寄り添ってくれる。

 
 

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2007年1月13日 (土)

「ルネ・コロ」 ワーグナー集 スゥイトナー指揮

Kollo_1 ご存知「ルネ・コロ」をば。

ワーグナー好き、テノール好きなら、知らぬ人はいない、ヘルデン・テノール。ごたぶんにもれず、私もこのテノールが大好きで、70年代始めの本格デビュー時から聴き続けてきた。
最初のメジャーレコードは、ショルティの「魔笛」の武士役ではなかったろうか。その後、カラヤンとショルティに重宝され、いきなり主役に抜擢され、バイロイトでも「オランダ人」の舵手や、「ラインの黄金」のフローといった、ちょい役の登竜門から起用され、70年代半ばには、バイロイトになくてはならぬ人気歌手となった。

そんな「ルネ・コロ」も今年は70歳になる。(1937年生まれ)こちらも歳を重ねるわけね。ベルリン生まれ、祖父は多作家のオペレッタ作曲家、父も作詞・作曲・実業家、という家庭に育ったわけだから、音楽家として恵まれた環境にあった。
最初はポップス系でヒットを飛ばし、同時にクラシックの勉強も重ね、ドイツの地方オペラであらゆる役柄をこなしながら上昇気流を待ちつつ、大指揮者やバイロイト当局の目にとまることとなった。

Kollo_2 コロが登場するまでは、ワーグナーのヘルデンテナー役は、ヴィントガッセンに代表されるような肉太で、骨格豊かなたくましい声の持主が多かった。先輩格のジェームズ・キングやジェス・トーマスらのアメリカン・ヘルデンは、クリアーな声を聞かせたが、もともとのバリトン系の音域が力強さと陰りを与えていたのに対し、ルネ・コロは、明るく伸びきった鮮明な歌声に独特の甘さを加えた、それまでにない声の持主だった。

こうした声で歌われる、「ローエングリン」や「マイスタージンガー」「パルシファル」が悪かろうはずがない。自我も強いコロは、声をセーブしつつ歌手生命を長く保つことを心掛けつつ、さらに重い役柄へも慎重に手を広げていった。
「タンホイザー」「ジークフリート」「トリスタン」の諸役は、ヴィントガッセンを忘れさせてくれる名唱を残してくれた。

今回の2枚のCDは、1973年、まだ大役を手掛ける前の初々しい「コロ」をフィーチャーし、ワーグナーのテノールの主要な役柄をすべて網羅したもの。
 
  「リエンツィ」「オランダ人」「タンホイザー」「ローエングリン」「マイスタージンガー」
  「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」「パルシファル」

さすがにトリスタンはないが、素晴らしい企画である。このところ、いくつか類似の企画が出てそれらを楽しませてもらったが、出っ張り引っ込みが多すぎたし、伴奏がヘナチョコすぎた。
 そこへ行くと、コロの明るくめざましい歌は実に鮮やかで、今聴いても実に鮮度が高し、どの曲もムラなく素晴らしい。前期のものほど誰も太刀打ちできない滴るような魅力がある。唯一全曲盤のない「ジークムント」は声のハリは素晴らしいが、少し甘口にすぎるのもコロらしいところ。
 こうしたコロの歌の魅力に加えて、オーケストラが特質大に素晴らしい。
スゥイトナー指揮のベルリン国立歌劇場が贅沢にもバックをつとめている。
この雰囲気豊かで、舞台の1シーンを感じさせてくれる演奏を何と例えたらよいか。
もっと、もっと続いて欲しいところで、フェイドアウトしてしまう。
でも「パルシファル」の最後の場面と「ジークフリート」の森のささやき、そしてそして、「ジークフリートの葬送行進曲」が聴けるのである。
これらは極めて音楽的で、コロの明晰な歌と通じる世界を持っている。
スゥイトナーのワーグナーは、日本でもいくつか上演されたが、明くるく開放的な響きの印象があり、ここでも確認できる。

コロの舞台は、「タンホイザー」「マイスタージンガー」「リング」「パルシファル」と来日公演で経験でき、本当に貴重な思い出となっている。年々、横に大きくなり、上のほうも寂しくなり、苦悩の吟遊詩人が良く似合うようになった。
今は現役を引退し、自適の生活にあろうが、いつまでも元気に過ごしていて欲しい歌手だ。

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2007年1月12日 (金)

エルガー 交響曲第2番 B・トムソン指揮

Fujiyaimgp2588 今日は、都心で電車が相次いでストップした。昼には山手線、夜には京浜東北線・東海道線が止まってしまった。いずれも人身事故で、後者は私の利用駅での出来事で救急車や消防車が駆けつけ、騒然としていた。
なんだか落ち着かないし、世間でも事件だらけ!          
どうなってしまったんだろ

 
Peco_1 そしてまた老舗が自ら穴を掘ってそこに陥ってしまった? 
ペコちゃん泣いちゃうよ。

こんな騒然とした世間にあって、音楽を楽しめることに感謝しなくてはなるまい。
仕事や生活は大変だけれど、音楽が日々与えてくれる力は私にとって何ものにも替えがたいものがある。感謝なり。

Elgar_sym2_thomsan 今日も英国名指揮者「ブライデン・トムソン」を聴く。
バックスと並んでこの指揮者の名を高めた燦然とした名演、エルガーの交響曲。1番も素晴らしいが、渋い方の2番を聴こう。

この曲は、1911年、エルガー54歳の歳の完成された。キッチリとした4楽章形式の堂々たる作品で1時間かかる。
1番の完成前から、構想を練り始め1908年の1番完成後すぐの曲。
高貴でかつ親しみやすかった1番に比べ、2番はノスタルジックで重々しい曲想に満たされていて、演奏会にもなかなかかからない。
英国の良き時代を体現した「エドワード7世」に捧げられていることも、エルガーがかなり意識して過去を偲びつつ作曲したことのあらわれだろうか。

伸びやかな旋律で始まる第1楽章は、行きつ戻りつするようなやり取りの中にエルガーらいい個性が聴き取れて、もうここからはまってしまう。
圧巻は第2楽章のラルゲット。これぞ大英帝国への悲壮なレクイエム。これを聴くたびに涙を禁じえない。楚々としたオーボエに縁取られながら、弦で奏でられる荘重かつ高貴な悲しみの旋律。本当に素晴らしい。
スケルツォの第3楽章は、ファンタジー溢れる魅力的なもの。
そして、終楽章は、「すべての悲しみは私がかくありたいと願う平穏で崇高な雰囲気へと昇華していく」とエルガー自身が説明した部分。ゆったりと始まり夕映えのような一瞬の盛上りを見せつつも、最後は静けさの中に溶け合うようにして緩やかに終わる。

Bthomson ブライデン・トムソンの指揮はこの曲でもゆったりとしている。61分をかけていて、この曲でも最長の方かもしれない。
この悠長かつダイナミックな嗜好の持主にピッタリの音楽。おのずと、エルガーのノーブルで悠然とした音楽がごく自然に語られる演奏になっている。
第1楽章冒頭の和音をこんなに長く伸ばすなんて、もうここから全霊をかけていると感じる。
全曲に渡って魂のこもった熱い演奏に、こちらもググっとくるものを感じる。
トムソンは相当に酒を飲んだらしく、それで早くに亡くなってしまったんだろうか。
私も気をつけなくちゃ。

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2007年1月11日 (木)

バックス 「ウィンター・レジェンド」 B・トムソン指揮

Sakehoso_1 私の愛読書に「酒の細道」という漫画がある。いずれ詳しくご紹介したいと思うが、この作者で、酒好き呑ん平のラズウェル細木氏 には共感しっぱなし。
「酒を飲んでほろ酔い加減になってくると、ウキウキとしてきて脳細胞も活性化して、自分が今抱えている問題や仕事、政治など、思わず膝をたたきたくなるような妙案が次々に浮かぶ」というのだ。 これには、大いに共感。
大事なのはこのとき、必ずメモをとっておくこと。
ほろ酔いから、本格的な酔いに進むと、忘れてしまう。さらに翌日には、頭の冴えていたかに思われた自分は、きれいサッパリといなくなってしまい、何を考えついたか、何を議論したか、すっかり忘れてしまう。でも、その時メモしたり、携帯で自己メールして残したとしてもあとで見ても、何だかわからない。自分の素晴らしさを何も証明できない「しらふ」の自分を発見することになる。トホホの毎日がこうして続くわけである。

Bax_winter_legends_thomson_1 今日は、終生アイルランドを愛したロンドン生まれの「アーノルド・バックス(1833~1953)」の「ウィンター・レジェンド(WINTER LEGENDS)」を聴く。「冬の伝説」という文字どおりの直訳で可らしい。
バックスは、すでに第1交響曲を取上げた。
交響曲はいずれも幻想的で、その他たくさんある交響詩やオーケストラ曲、室内楽、器楽、どれもこれもケルト的で、北方的な厳しくシャープな曲が多い。
バックスは女性関係もかなりのもので、ロマンテックでナイーブな気質だったから、もてたんだろう。うらやましいー。
中でも、ピアニスト「ハリエット・コーエン」との不倫関係は、公然の仲だったらしく、彼女に数々の作品を書いている。
そんなひとつが、このレジェンドで、1932年に彼女のピアノ、ボールト指揮のBBC響で初演されている。
そう、この作品は45分を要するピアノ独奏を伴なった7曲の交響曲と同じ構成の、3楽章からなる協奏交響曲なのだ。

古いアイスランドで言い伝え、歌われてきた伝説を意識して書かれたらしいが、英文の解説書はイマイチ私にはわからない。でも、虚心に音楽に耳を傾けているだけで、ジャケットにあるような、寒々しく、荒々しい自然やロマンテックで壮大な光景が目に浮かんでくる。
それぞれに15分あまりを要するが、まず1楽章のダイナミックな響きに、映画音楽を思わせるものを感じる。
「クリント・イーストウッドのダーティーハリー」で、ハリーが犯人を追い詰めるような音楽に聴こえるのは私だけ?
2楽章の静かで荒涼とした調べは極めてロマンテックで、その雰囲気に思い切り浸れる。
残る楽章は神秘的に始まるが、スケルツォ的なリズミックな曲想と夢幻的な曲想とが交互にとってかわりながら終結部まで進み壮麗な幕切れをむかえる。

このCDのピアノは、女流「フィンガーハット」、長崎ちゃんぽんみたいな名前だが、この人も英国・北欧音楽のスペシャリストだ。見事なテクニックと怜悧な切れ味に加え、抒情的な場面での味わいは素晴らしい。
大好きな指揮者「ブライデン・トムソン」は、イギリス音楽しか録音しなかったある意味スペシャリストだが、とりわけバックスの演奏においては、最近こそハンドレイがチャレンジしたものの、かつては第一人者だったわけだ。
雄大なスケール感の表出と、男のロマンをそこはかとなく滲みださせることにかけては、最高の指揮者だった。
早死にが惜しい指揮者だった。ブラームスとか、マーラーが聴きたかったぞ。

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2007年1月10日 (水)

V・ウィリアムズ 交響曲第5番 B・トムソン指揮

昨晩、 野球ボヤキを書いてしまったが、自主トレ中の工藤の記事を見て、「頑張れよ、応援したる」とすっかり受け入れ態勢が自分の中にできてしまった。
限界も近い自分を高く買ってくれ、野球を続けられることへの感謝を表明していたから。
これぞ、プロよ。と思い直した。仁志とともに、古巣を見返してやれ!
 ばかだねぇ。ファンはこんなもんだろな。
むしろ、大枚はたいて一流選手を買い集め、用が済むとはいサヨナラの某G軍に対し、けしからん思いで一杯だ。これまで、何人同じ目にあったろう・・・・。

Vwilliams5_thomson_2 さて、またぼやいたあとの、今日の5番は、英国作曲家のラルフ・ヴォーン・ウィリアムズ(以下RVWといいます)を。
これ実は、11月にも取上げました。その時は、「ノリントンとN響の定期」での印象と、今回のCDを聴き比べたもの。
私の5番シリーズに、RVWは外せないので、早期登場願った次第。
前回も書いたが、極めて多彩な9曲の交響曲は、オラトリオ風あり、映画音楽風あり、表題音楽風あり、当時の前衛風あり、田園音楽風あり、といった具合。
この5番は、田園交響曲と呼ばれる3番と並んで、牧歌的かつ自然への感謝に満ちた静やかな桂曲である。

全体はキッチリした4楽章形式だが、全体になだらかで起伏もあまりなく、時おり小さな丘を見出すようなちょっとした盛上りがある程度。
一聴しただけでは、曖昧模糊と過ぎてしまうかもしれない。
私は、かつてプレヴィンの実演を前に何度も何度も聴いて、そうしてゆくうちに音楽が英国の自然を伴なって、私の中にしみわたるように入ってくるようになった。
1943年という時代を考えれば極めて不穏な空気の中に、このような安らぎに満ちた音楽を書いたRVWの気持ちはいかばかりだったろう。
いろいろな望みを託し、イングランドの自然を思いながら作曲したのだろうか。

3楽章の祈りに満ちた音楽は、あまりにも素晴らしい。言葉が出ない。涙が出てしまう。
終楽章の終結部は、音たちがどんどん上昇していって神々しさのうちに静かに消えて終わりになる。胸にジーンと来る。
多くの方に、この素晴らしい音楽を聴いていただきたい。

ブライデン・トムソンはスコットランド生まれの英国音楽の使者のひとり。
1991年に63歳で亡くなってしまった。生前より、ハンドレイと並びシャンドス・レーベルに貴重な録音を次々に録音していって、1枚1枚揃えていく楽しみを味わうこともできた。
じっくりとしたテンポで、骨太のたくましい演奏をするタイプだと思うが、こうした男らしい指揮者が優しい抒情を奏でるとなると、苦味の効いたホロリとさせる演奏になる。
そんな典型が、この1枚だと思う。オケもロンドン響なだけに素晴らしい。

静かに交響曲が終わると、カップリングの「揚げひばり」が始まる。
なんとファンタステックな組み合わせであろうか!

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2007年1月 9日 (火)

シベリウス 交響曲第5番 バーンスタイン指揮

本日は、いきなりオフシーズンの野球の話。わが横浜ベイスターズが、まんまと 門倉のFA保障で、工藤を獲得させられる?ことに相成った。これには、あいた口が・・・・・。
田村の放出から始まって、やることなすことファンの思いから外れていく。
世渡り上手の工藤を将来コーチなどに留めおくことができるわけがなく、43歳という年齢を考えれば、もうあとがないのは、子供でもわかるわい。悲しいよ。
まあ、野球少年たちの前で、「君たち、横浜だけはやめとけよ」なんて、ファンや子供の心を傷つけるようなことを放言してしまう、門倉君の対価だからしょうがないか??

Gファン、工藤ファン、門倉ファンの方々、すんません。弱小貧乏球団ファンのボヤキです。

Sibe5_7_bernstein_1 今日の「5番」は、シベリウス。(今日の5番って?)
シベリウスの交響曲は全部大好きだが、この5番が一番かも、いや4番もいいし、7番も、6番も・・・、やっぱり全部いい。
この5番は、7曲の中で一番明るく、牧歌的。前曲の暗く・内向的な作風とはうって変わって、自然を賛歌する大らかさに満ちている曲だ。
ベートーヴェンの5・6番、ブラームスの1・2番にも例えられる対比。

1914年の作曲だから、マーラーもすでに亡く、R・シュトラウスが活躍していた頃。
シベリウスを得意にしたバーンスタインは、晩年濃厚な芸風に到達したころ、ウィーン・フィルとシベリウスの再録音にチャレンジしたが、数曲を残し世を去ってしまった。
バーンスタインのシベ5番は、1975年ザルツブルクでロンドン響を指揮したライブをFM録音したものが強烈に印象に残っていて、まさにライブ感にあふれた大熱演だった。
第1楽章の終わりなど、猛烈なアッチェランドをかけて興奮させられた。

1987年にライブ録音されたこのウィーン盤は、全体にテンポが遅くなり、雄大なスケール感が増している。1楽章の終結部もそんなに煽ることなく、着実に進められいくため、録音の鮮明さもあって、こんな風に書かれていたんだ、とシベリウスのスコアの素晴らしさを認識できる。この楽章で、曖昧な雰囲気から、霧が徐々に晴れるように北欧の風景が輪郭を表わしていくさまも、実に生き生きとしていて、盛上げも堂々たるもの。
 単純な楽想による2楽章は、ウィーン・フィルの管の美しさが味わえ、演奏の難しい終楽章は、冒頭のもやもやとした雰囲気を良く出しているし、それを吹き飛ばすような爽快で朗々としたコーダを迎える。このあたりのこのコンビの爽やかさは実に気持ち良い。
1番と2番では、粘液質すぎて、バーンスタインの個性が曲に勝った感があったが、この5番は曲の本質に迫った名演だ。
 ウィーン・フィルのホルン群が実に素晴らしい。

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2007年1月 8日 (月)

ベートーヴェン 交響曲第5番 トスカニーニ指揮 

Hadano_oyama 秦野市の丹沢山系を望む。
秦野は、勾配の多い土地柄だが、その勾配を少し登れば、湧水が溢れる名水の地である。蕎麦にラーメン、地酒も豊富、落花生に地野菜もおいしい。厚木方面にまわれば温泉もある。いいところである。

Beethoven_5_toscanini_1 前置きには関係なく、明日から仕事に学校に、本格稼動。
年末・年始の緩んだ頭に褐を入れよう。
そんな時には、見るからに恐ろしく、情けも容赦もない「アルトゥーロ・トスカニーニ」を一発。このジャケットの髭おじさん、今にも「こらぁー、何しとんねん!!」と怒鳴りそうな様子。 おお怖ぁ~ぁ。

トスカニーニは、1867年パルマ生まれ、1957年ニューヨークにて亡くなったので、2007年は、生誕140年かつ没後50年にあたるため、いろいろと名盤が再発されることだろう。
ワーグナーなどもいずれ取上げたいが、やはりこの人はオペラの人と感じる。
有名な逸話だが、オペラの座付きオケのチェリストだったが、急遽指揮台に上がり「アイーダ」でデビュー、「ボエーム」や「西部の娘」「トゥーランドット」などを初演しているだけに、伝説的ともいえるオペラ指揮者である。
体に染み付いたともいえる強靭なカンタービレ。「この俺の歌心がわからねぇのかぁ」
ということで、いつもオーケストラを怒鳴り散らしていたんだろうな??

トスカニーニのベートーヴェンはいい。全部好き。とりわけ奇数曲がいい。
早いテンポで思い入れなくズンズンと核心を突いていく感じがする。
これだけドライに割り切っていながら、冷徹に感じないのは、常に歌と劇的な構成があるから。2楽章の美しさ、3楽章から終楽章へのなだれ込み具合は極めて劇的。その後は、拍車をかけるような盛上りを、NBC響の完璧なアンサンブルをも楽しませながら聴かせてくれる。
モノラルの音源でも、様々な音の強弱やニュアンスを味わえるのもすごい。
このような演奏を生で聴いたらどんなにか素晴らしいだろうか。

休日の晩に手垢にまみれた名曲を、いにしえの演奏で新鮮に聴けた。

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2007年1月 7日 (日)

ストラヴィンスキー 「春の祭典」 サロネン指揮

Chukagai

正月にチラリと訪れた横浜中華街。海の女神を祭った「横浜媽祖廟」は昨年3月に出来た新名所。提灯がなかなか中華してます。

これを見たからじゃないけど、イケメン指揮者「エサ・ペッカ・サロネン」が手兵のロサンゼルス・フィルを指揮したDG本格デビュー盤を取り出した。

Salonen_lapo

輸入盤で昨秋に購入済みだったけど、「はげ山」「中国の不思議役人」「春祭」のバーバリステック3兄弟の揃い踏みに、何となく恐れをなして二の足を踏んでいた。
あの提灯を見て、そして新春だし、酒でも飲みながら聞いてみるか、といったノリでプレーヤーに乗せてみた。

そしたら、全然バーバリー??じゃないの。早い颯爽とした快適テンポで、軽いノリでひょいひょいって感じじゃん。相変わらず、イケテるよ。サロネン君。
こんなこと言いつつ、サロネン君と同世代のワタシ。そして、全然イケテないワタシ。

数年前のフィルハーモニア菅とのCBS盤も、スピーディーでかっこいい演奏だった。
基本的にはおんなじ。
でもオーケストラが手兵で、なおかつカリフォルニアの陽光溢れるサウンドを聴かせるし、日本人エンジニアの手になる「ウォルト・ディズニー・ホール」の明るく燦然とした響きが、よりいっそう、あっけらかんとした音に拍車をかける。
こんな風に書いてくると、中身が薄いように感じるかもしれないが、音楽の考え抜かれた構成の豊かさや、歌いどころの見事さ、そしてストラヴィンスキーしか描きようのない原色の生々しさ、といった要素がすべて表出されている。
恐るべしサロネン! 全曲33分は、かなり短いほうの演奏だろうが、ちゃんと密度の濃い演奏になっている。

「春祭」は、ロスフィルの先輩指揮者「メータ」盤が、私にはすり込み盤だが、同じオケでもこうまで解像度が違うものか。このサロネンに比べると、メータはまだまだソフト・フォーカスである。
そして、春祭の最愛盤は、「アバド」盤だが、メータは優秀なアナログカメラ、アバドは鮮明な初期デジカメ、「ブーレーズ」は画素数が高いデジカメ、「サロネン」はさらに最新のデジカメ。画素ばかりで勝負せず、アナログ的なライブ感もあり。

Salpnen_2 DGは、サロネンをイケメン・ビジュアル系としても捉えているのか?
ジャケット内には、かなりの写真があしらわれている。
私にそちらの趣向はないが、女性陣に特別に「眠れるサロネン君」画像を。

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ロッド・スチュワート 「アトランテック・クロッシング」

Rod_stewart_atlantic 毛色の異なる、英国産の音楽を。こじつけ「イギリス音楽」。
Rod Stewartの「Atrantic Crossing

昨年暮、ロッドは大英帝国第3等勲爵位、いわゆるCBEに叙勲された。これを記念して取上げてみた。
スコットランド系のロンドン生まれの英国人。もう61歳になるが、いつまでも若々しく、チョイわるオヤジ的存在。
英国のロックバンド「フェイセス」のヴォーカルから、ソロに転向し、アメリカに渡った。

学生時代はクラシック以外にも、プログレッシブロックやAOR系、和製ニューミュージックなど、広範に聴きまくっていた。
ロッドとの出会いは、この1枚。少しサイケな見開きジャケットにも惹かれた。
1975年の作で、この1枚をもって、所属レコード会社も変わり、英国から米国へ、文字通りなが~い足をもって「大西洋を渡った」。

レコードでいうところのA面は「ファースト・サイド」、B面は「スロー・サイド」という具合に、アップテンポの曲5曲と、スロー・バラード系の曲5曲が、きれいに分けられていた。
 ことさら気に入ったのが、スローな曲。ハスキーな声でシャウトするイメージのロッドが、バラードを歌う。これにハマッた。

「もう話したくない」、「スティル・ラブ・ユー」なんてのは、今聴いてもぐぐっとくる。
もちろん、最後に歌われるあまりにも有名な「セイリング」もいい。

 「ぼくたちは帆を広げ海を渡っていく 海原を越えて故郷への海を急ぐ
 ぼくたちは海を渡る 潮辛い水を飲み君のもとへ 自由になるために
 あぁ神よ あなたのそばへ 自由になるために ぼくたちは航海を続けるのだ」

大英帝国のひとって、海が好きなのかもしらん。エルガーにV・ウィリアムズらの「海」系の音楽を思い起してしまった。

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2007年1月 6日 (土)

シェーンベルク 「清められた夜」 メータ指揮

Otyanomizu 昨年末、といっても数日前だけど、御茶ノ水の駅近辺、日暮れ時に、御茶ノ水橋から、聖橋を望むの図。JRと地下鉄丸の内線がクロスするこの光景はとても絵になる。
昔は、秋葉原の高層ビルなんてなかったし、聖橋のライトアップもなかった。ノスタルジーと最新の都市開発の先端がうかがえる街「御茶ノ水」

Schonberg_verklarte_nacht_mehta 昨晩のディーリアスの男女のロマンテックなゆきずりの愛を描いた音楽に続いて、今夜は、本格的な(?)男女の不倫愛を描いた、これまた絵に描いたようなロマンテックな音楽を。
シェーンベルクの「清められ夜」、「浄夜」を。
「じょうや」で変換しても「浄夜」と出てこない。文学的なる響きだけど、音楽はいやらしいくらいにネットリと甘やか。

リヒャルト・デーメルの詩集からイメージされた音楽は、オリジナルは弦楽六重奏曲。
1899年、今から100年以上前の、文字通り世紀末の作品。世紀末、世の終わりの逼迫した興奮と熱情が、からみあって、本当にロマンテックな雰囲気に満ちている。
1943年に弦楽バージョンに編曲された。

一組の男女が、冬の凍てついた月夜、林の中を逍遥している。「私、赤ちゃんが出来たの、でもあなたの子ではないの!」「ゲっげー」と男。
「でも出来ちまったものは、しょーがねぇ」「俺に任せろ、俺の子として面倒みたるで」
「やったぁ、ラッキー!」と女。
こうして、二人の愛は浄化していくのであった・・・・・。

でも生まれ来る子供は、将来父親と顔が似てない、「あいつが、俺の父親でないとは?」
とジークフリートよろしく悩むことになるのだろう。頑張れよ、と言いたい。

Mehta_2 年取ったりとはいえ、メータにこの曲を振らせると、天下一品。
バイエルンの国立歌劇場の弦楽セクションの優秀さといったらない。
あたたかくも、機能的なサウンドは、メータの後期ロマン派的資質に華を添えている。
ロスフィル盤が、録音的に古さを感じさえてしまうので、もうこの1枚がとってかわる。
大阪ワルティで、780円でゲット。ふふふ。

カラヤンは濃密すぎ、ブーレーズはあっさりすぎ、ちょうどいいのがメータだわい。
あと、若きバレンボイムがイギリス室内菅と入れた1枚も、カップリングの「ジークフリート牧歌」と相まって素適な演奏だった。

月夜の晩には、男女で、林を歩こう。きっといいことがあるはず!!?

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2007年1月 5日 (金)

ディーリアス 「田園詩曲」 バルビローリ

Ninomiya_sea 正月も早や5日、私は今日から仕事開始 。
この正月は、久しぶりに実家でのんびり出来ました。
連日の小春日和で、過ごしやすい正月。朝の海も陽光うららかに輝いていて、とても眩しく、日の光と海の輝きのシャワーは、とてもバカチョン・デジカメには収めきれません。
ドビュッシーの「海」を頭の中に思い浮かべながら、浜辺をしばし散策。こんなのんびりした気分って大事だなぁ、なんて思っていたら、「エイ」の赤ちゃんが、打ち上げられていた。こんなにちっちゃいのに、エイしてる。
Ninomiya_sea_ei

今年も、「箱根駅伝」を見物し、「川崎大師」にお参りして、無宗教的に屋台C級グルメで一杯。

Ekiden_3 Kawasaki_daishi_1  今年の駅伝は、箱根の山の坂を制した「山の神」がいる「順天堂大」が見事優勝した。車でさえキツイのに、あの坂をあんな風に駆け上がるなんて・・・・。
地元「神奈川大」は、「東海大」と並んで、声援が大きいが、繰り上げ出発で「たすき」が途絶えてしまった。
選手の人生には、あまりに無常なひとコマ。こんな涙を誘うドラマもある「箱根駅伝」には、感動しっぱなし。
間近に見る選手達は、小柄で華奢。どこにパワーを秘めているのか?

Delius_idyll_barbirolli_1 さて、今晩は最愛のディーリアス。それも作者70歳の最後の作品。
献身的に仕えた「フェンビー」の協力を得てはいるが、パリ郊外フォンテーニュブロウの森の奥、グレ=シュールロワンの隠れ家での文字通りの「白鳥の歌」となった。
1933年、ロンドンにて初演。74年前のこと。

オーケストラにバリトンとソプラノの独唱を伴なう「牧歌=Idyll」。
ディーリアスが生涯愛した「ステュワート・ホイットマン」の「草の詩」に原典を求めている。
この詩集は岩波文庫でも出ていて、かなり前に入手し時おり開いているが、自然と人間、人間の男と女、そんな要素が入り組んで、かなり自由な詩集と感じた。

ディーリアスの茫洋とした世界にピタリと寄り添うような詩が多い。

この作品の内容の一部はこんなだ。
「かつて、私は人の多い都会をとおってさまざまな光景を脳裏に刻み付けてきたが、今私の記憶に残っているのは、私に対する愛から私を引きとめた、ゆきずりの女だけだ・・・、」
こうした二人の切々とした対話で、愛らしくも官能的な音楽が進められる。

この二人の出会いと愛も長くは続かない。「酒とバラの日々は長くは続かない」
「すべては終わり、永久に過ぎ去ったが、愛はいつまでも変わることはない」

こ~んな甘い内容、でもディーリアスが付けた音楽は、官能に後ろ髪引かれつつも、淡いパステル・タッチの人間と自然への賛美に聞こえる。

バルビローリの唸り声も豊かに録音されたこのCDは、1956年のもの。
初演から23年、今から31年前のもの・・・・・。
このフレッシュなバルビローリの感性に感激。
まだ多くはない、この曲の録音の最高の演奏だと思う。

  S:シリヴィア・フィッシャー  Br:ジェス・ウォルターズ
 
  サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団

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2007年1月 1日 (月)

ワーグナー 「パルシファル」と「千の風になって」

Sennokaze バイロイト放送の「パルシファル」を聴きながら、テレビをちょいとつけたら「千の風になって」が歌われていた。オペラ歌手のようだが、知らなかった。そして、この曲には惹かれてしまい、パルシファルの音を絞った。

「私のお墓の前で泣かないでください。私はそこにいません。・・・・・私は千の風になって空を吹き渡っていますから」

このインパクトある詩に誰しも聴き入ってしまうことだろう。
1995年にアイルランドでテロにより亡くなった青年が、「僕が死んだときに開封してください」と両親に託した手紙。
アメリカの同時多発テロの1周年追悼式では、父親を失った少女が朗読したという。
日本でも、JR尼崎事故の追悼式で歌われた。

悲しい死が日常的に満ち溢れている今の日本。残された人を思い、無駄な命の浪費は慎まなくてはならない。でも、死は確実にやってくる。歳を重ねると、親しい人を失うことをいやでも経験する。そんな空白感を埋めるかのような優しい歌だ。

P1_w06_gross 大晦日は、ワーグナー最後の作品「パルシファル」。
シュルゲンジーフによる、とんでもないクソったれ演出も3年目。
ブーレーズから、アダム・フィッシャーに指揮が変わった。
一聴して前年と異なるのがそのテンポ。快速ブーレーズからすると、遅い。
というか、元に戻った。でも、へんてりんの演出を長い時間見せられるよりは、速くとっとと済ましてもらった方が、会場にいる人にはいいかも。

    フィッシャー  Ⅰ(102分)  Ⅱ(67分)  Ⅲ(75分)
    ブーレーズ   Ⅰ( 91分)  Ⅱ(59分)  Ⅲ(65分)

個性は弱まったが舞台なしの音楽だけなら、このフィッシャーの指揮はよい。
ためも気合も充分で、歌手をしっかりサポートする劇場型の指揮。
歌手で練られてきたのが、グルネマンツのホルとアンフォルタスのブールメスター。
ブリュンヒルデ級のヘルツィウスも余裕をもって、この奇女を歌っている。
でも、エーベルツのパルシファルは生硬な声で、やや不安定だった。

P8_w06_gross しかし、見たことはないものの、この演出はどうにかして欲しいもの。
早く退場を望みたい。3年目なのに、いまだに激しいブーイングの嵐。
キリストに見立てたパルシファル、アフリカの土人ちゃん、日本の神主、ユダヤ教の司祭、世界の宗教のオンパレード。
解説者の話では、2幕で槍を奪ったパルシファルはその槍でクリングゾルとクンドリーまでも刺してしまう。3幕の聖金曜日の場面では、アンフォルタスとクリングゾルも登場し、パルシファルに平伏す。死んだんじゃないの?最後の場面では、パルシファルまで死んじまうらしい。
ここまで、原作を捏造しちゃぁイカンだろう。こんなクソ演出を許すのも実験劇場なのだろうか? FM聴いて、年の変わり目にブツブツ言ってる私。
同じ死を考えるにしても、こんな「クソミソてんこ盛り演出」よりは、「千の風になって」の方が次元がはるかに上をいっている。

ともかく、年が明け、今年も音楽を聴きまくるぞっ、と決意したまで。
「ワーグナー」「英国音楽」「アバド」の三本柱に「オペラ」を加えて・・・・。

皆様、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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