マーラー 交響曲第4番 ハイティンク指揮
「そのまんま東」知事は、知事になっても名前は「そのまんま」なのだろうか?どっちが姓でどっちが名前なんだろうか?NHKは「そのまんま東」知事と呼ぶのだろうか?
どうでもいいことだけど、本人は真剣で潔く好ましいが、どこか楽しい。
いっそ、「つまみ枝豆」や「井出らっきょ」、「大森うたえもん」、「ラッシャー板前」みーんな立候補すれば名前だけでもおもしろい。(不謹慎ですな)
さて、今晩はマーラーのほのぼのシンフォニーの4番を。
この曲は、今でこそ表題はついてないが、私がクラシックを聴き始めた頃は、「大いなる喜びへの賛歌」などという大仰な名前がついていた。
前作の第3番の第7楽章に予定された「子供が私に語ること」の部分が、この4番の交響曲に持ち越された。こうして、天国の生活を扱ったためか、そのような表題がついてしまったのかもしれない。
この曲には、色のあるオーケストラの演奏がよく似合うと思う。
そう、ウィーン・フィルとコンセルトヘボウがいい。
どちらも嫌味にならない程度に、伝統的な(もしかしたら楽譜に伝来の書き込みがあるかもしれない)ポルタメントを効かせたりして、ほっこりとしたムードをかもし出してくれる。
今日のハイティンク盤は、83年のハイティンク2度目の録音で、当時CD出始めのやたら高かったものを思い切って購入したもの。
自分でも懐かしい。この頃、会社ではペーペーで、東京でひとり侘び住まい。
終末になると、神奈川の実家に時おり戻り、愛用の装置で音楽をたっぷり聴くのが何よりの楽しみだった。同時に、マーラーに激しく没入していった頃。
そんな思い出があるものだから、今住む場所で、まだ健在の装置を通してこのハイティンクの演奏を聴くと懐かしさと共に、戻れない過去への儚い思いに満たされてしまう。
ほんとうに、コンセルトヘボウの美しい音色。音たちが一音一音、雫となって滴り落ちるよう。録音もそうした美音をまともに捉えていて、うっとりとしてしまう。
ハイティンクのかっちりとした、生真面目な指揮によって、マーラーの思い描いた楽園の抒情の世界と、シニカルな世界が見事に描かれていて、それに華をそえるがごとくのオーケストラの美音なのである。
ソプラノのアレクサンダーはニュートラルでよろしい。
マイルドな芋焼酎を飲みながら聴いた。
さあ、風呂入って暖まって寝るか・・・・・。
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コメント
yokochanさま お早うございます。
コメントにトラックバック、ありがとうございます。
私、もう何十年も前に、ハイティンク指揮コンセルトヘボウで、マーラーの4番を聴きました。本当に良い演奏でしたよ。その当時、女性のホルン奏者いて、その人があの難しいソロを見事に吹いていたのを思い出します。確か、神戸の文化ホールで聴いたと思います。
何年前なのでしょうね??最近アルツが;;
ミ(`w´彡)
投稿: rudolf2006 | 2007年1月24日 (水) 06時53分
これは名盤ですよね。歌は私は旧盤のアメリングの可憐な声がとっても魅力的ですが(実は3楽章まではこの新盤、4楽章のみ旧盤と言うへんてこな編集をして聴いてみましたが、当たり前ですが全然だめでした、爆)。
この録音はコンセルトヘボウ大ホールのなめらかな美しいホールトーンに溶ける柔らかな音と響きが素晴らしく、もう3楽章の一番盛り上がるところなど素晴らしく、その後の黄昏時、夕焼けの山々がそれはそれは雄大に広がるのですよね。
私はこの録音と、誰も褒めませんがマゼールのVPOがあればそれで十分です。
投稿: yurikamome122 | 2007年1月24日 (水) 08時16分
yokochanさん、こんばんは。
このCDは、本当に素晴らしい演奏ですね。ハイティンクは何もしていないような感じなのに、この演奏を聴いていると幸福になります。
何よりアムステルダム・コンセルトヘボウ管の音が素晴らしいです。よく融け合って、自然な質感で、豊かなホールトーンが花を添えます。
アレグサンダーの歌唱もイイですし、文句なしの名盤かと思っています。
投稿: mozart1889 | 2007年1月24日 (水) 22時42分
rudolfさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
私もアルツがちょっと入ってますが、おっしゃるハイティンクの来日は覚えてます。74年か75年だと思います。
FMで放送されたものを、聴きました。「海」も演奏されました。
日本人の大川隆子が独唱だった記憶がかすかにあります(笑)
とてもいい演奏だった、これも記憶が残ってます。
私もそうですが、音楽の記憶も過去のものとなるとなかなか朧になってしまうものですね。とほほ。
投稿: yokochan | 2007年1月24日 (水) 22時57分
yurikamomeさん、こんばんは。
旧盤のアメリングは私も惹かれます。新旧ミックスは実に素晴らしいアイデアですね。でもダメでしたか(笑)
おっしゃるように3楽章はもう絶無の美演ですよね。
マゼールはちょっと怖いもの見たさの感ありますが、ハイティンク盤は最高であります。
投稿: yokochan | 2007年1月24日 (水) 23時06分
mozart1889さん、こんばんは。遅くなってしまいましたm(__)m
ハイティンクとコンセルトヘボウのファンは結構いらっしゃっって、心強いです。朴訥な芸風が長じて深遠な音楽づくりの名指揮者となってしまいました。 このマーラー、ことに3楽章は涙ものです。
投稿: yokochan | 2007年1月25日 (木) 23時05分
実は愚生、LP時代にこの曲に惹かれ8種類ほどの盤を、聴き比べしていた事がありました。東芝が長い間廃盤扱いにしていた、クレンペラー&シュワルツコップ盤のアメリカangel盤を、当時三宮に在ったPALEXと言う輸入盤取扱店で、偶然見つけた時は嬉しかったです。
で、あくまで私見ですがこの曲のフィナーレは、大歌手にあまり堂々と唱われると、持ち味が損なわれると思うのです。ショルティ旧盤のスタールマン、バーンスタイン&NYフィルのグリスト、レヴァイン盤のブレゲン‥等を好んでおります。無論指揮者の解釈が大きなウェイトを占めるのも当然でして、前述のクレンペラー、アバドの旧盤も無論手もとに置いております。オーディオ的に博物館モノ的な、メンゲルベルク&フィンセント、ワルター&ハルバンも、いまだ棚に在りますし(笑)。
投稿: 覆面吾郎 | 2019年5月20日 (月) 10時31分
話は変わってしまいますが、かつて親しみ、万全と思っていたシュヴァルツコップの歌は、今聴くと微に入り細に入りすぎて、ちょっとキツく感じるようになりました。
大歌手であることに変わりはありませんが、歌唱のスタイルの変遷とともに、こちらの耳も変わってきたわけだと思います。
同じように、この4番のソプラノも、楚々と歌われるほうが、わたくしも好きであります。
投稿: yokochan | 2019年5月22日 (水) 08時26分