ブルックナー 交響曲第1番 アバド指揮
本日も晴天なり。乾燥した空気は、曲がり角を何十回も過ぎた中高年のワタシのお肌によろしくない。駅のトイレで見た自分のカサカサの顔に驚き、構内の「無印良品」で男性用乳液を購入(実に便利なステーション・ライフ)し、すかさずお手入れ。アタシら中高年も肌のケアはしなくてはネ・・・・。ふふふ。
それより都心で、もう花粉が舞っているとのこと。異常気象も慣れれば普通か?
1866年、ブルックナー42歳の作品、交響曲第1番。
え? 42歳で1番?? そう、このあと72歳で没するまでの30年の間に残る8曲の交響曲を苦労しながらも書くわけだ。
それこそ、中高年の仲間に入るまでブルックナーは何をしていたのか?
答は「オルガンを弾いていた」。その合間に作曲法を勉強し、ミサ曲や序曲、無印交響曲、第0交響曲なんぞをモジモジしながら書いていた。
この1番は、そうしたブルックナーがリンツ教会のオルガニストを務めていた時に作曲され、その時の版を「リンツ版」といい、手直し名人の名のとおり、後年66歳になってから手を入れた版が「ウィーン版」といわれる。
どちらも、作曲者自身の手になるものだから、優劣は言えないが、私はリンツ版の方がフレッシュで好きだ。
そもそも、ブルックナーの日陰者的な地味交響曲が好きなのだ。
この1番に、2番、6番の3作品。とりわけ、それぞれの緩徐楽章がいい。
前にも書いたことがあるが、アルプスの山々に咲く花々のように可憐でいじらしく、自然の力強さに満ちている、という感じ。
さてこの好きな1番、いろいろ聴いているが、文字通り一番好きなのが、アバドが1969年・36歳のデッカ録音のもの。最近CD化され即購入したが、ジャケットが陳腐ゆえ、所有するレコードジャケットをご紹介。
早めのテンポで溌剌と進むブルックナーゆえ、人によっては違和感があるかもしれない。
ロッシーニのようだ、と評した人もいる。冒頭が行進曲風だからよけいだ。
私はこんな明るく前向きブルックナーも好きだ。
そんな溌剌とした部分と対比するような、優しい鳥の歌のような木管やみずみずしい弦の調べなどが、ウィーンフィルの魅力とともに100%味わえると思っている。
もちろん、第2楽章のアダージョは清らかで素適な演奏。
30年以上を経過し、2度目の録音は1996年。
DGへのブルックナー・シリーズの一環は、瑞々しさはそのままに、旋律の歌いまわしの自在さや表情にスケール感が増している。
デッカ盤 46分15秒 DG盤 48分27秒
演奏時間にもそのあたりが現れている。
ソフィエンザールの生々しくウィーンフィルの音を捉えた録音に対し、柔らかでマイルドなムジークフェラインでのDG録音。
比較して聴くと、どちらも捨てがたく、日陰者1番の魅力が充分に味わえる。
「アバドのブルックナー」ジャケットをフォト・アルバムにしてみた。
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コメント
yokochanさま お早うございます。
このアバドのCD、デッカ盤を昨年末に購入しました。
私も、最近、ブルックナーは2番、6番を良く聴きます。
長くブルックナーを聴いてきましたが、一時期ブルックナーから離れている時期もありました。そういう時に、オーマンディのブルックナーを聴いて、あああ、こういう演奏もあるんだと思い、また聴くようになりました。
2番、6番を知り、またブルックナーを聴く愉しみを感じています。
ミ(`w´彡)
投稿: rudolf2006 | 2007年2月 3日 (土) 04時57分
rudolfさん、おはようございます。
2,6番もいいですよね。チェリビダッケやヴァントもいいのですが、少し疲れてしまいます。
ご指摘のオーマンディは、私は聴いたことがありませんが、そんな私のはいいのかもしれませんね。
アバドもガチガチのブルックナーでなく、歌に溢れていて大好きです。
シュタインの2・6番もお宝ですよね。
投稿: yokochan | 2007年2月 3日 (土) 10時00分
明日、こちらに、アッバードのブルックナー交響曲第1番が、到着します。ポイント値引きを使いたかったので、タワレコ通販セブンイレブン受け取りで。明日午前2時までのポイント10倍も決め手の一つとなりました。
今回チョイスしたのは、おそらくyokocanさんが所有していないであろう、ルツェルン祝祭管弦楽団演奏のCDです。理由は、シャイ―、ヴァント以外採用していない、ヴィーン稿。このエディションは、第8番第2稿の後に誕生し、楽器の鳴らし方が後期様式になっていて、その点は、あまり賛否がなさそうですが、トリオからスケルツォに戻る時のブリッジなどは、生気がなくなくさせたと、ネガティヴな意見が結構多いいわくつきの稿。ブリッジは、両端楽章は、好意見もあるような感じですが。現在、リンツ稿をMr.Sで聴いていますが、ハンスリックやヴァーグナーブルックナー大嫌いを公言していた絶対音感もち、微分音も聞き取れていた作曲家兼ヴァイオリニストこと故・玉木宏樹も、ブルックナー 交響曲第1番は、好きだったようで、興味深かったので手に取って思ったこと。2番以降は、8・9番へ向かってひたすら進化・深化といった感じに聴こえ、Mr.Sで2番・6番と聴いていて、緩徐楽章以外印象に残らずでした。のどかで、私もモンブランやユングフラウ、そしてザンクトフローリアンの自然に囲まれて聴いてみたいと思いました。ハンスリックは、ヴァーグナーに献呈しヴィーン・ヴァーグナー協会に入会するまでは、ブルックナーに好評を書いていたりするので、いつの時代も評論家たちは・・・ねえと思いながら調べていました。ハンスリックの功績は、言葉に表現できないと言うに偈を使わずに論評したこと、R.シュトラウスはオペラで大成すること、マーラーは作風を嫌っていたようですが、否定のない器用さと、オーケストラに対する優れたセンスをマーラーが持っているとし、マーラーの歌曲に対しても極めて繊細な神経と卓越した技法によって完成されていると見抜いたことかなと思っています。マーラーに関しては、作曲家として美学は相いれないが、指揮者としては優秀のおまけつきですが。
6番のゲネラルパウゼなしは、他では聞けないのでとても印象的でした。
さて、1番最後の豪快な鳴らし方は、チャイコフスキーの弟子であった、セルゲイ・タネーエフのようにも聴こえてとても印象的でした。ブルックナー史上ある意味最も豪放磊落な曲だなと思いました。他の豪快な金管の鳴らし方とまったく異質でしたので。スケルツォ、フィナーレで聴かれる金管の使いからは、9番に向かって進化していったのだなと感じたりしました。
こうして聴くと、愚直に同じスタイルを進化・深化させていったのだなと、つくづく思いました。そう考えると、この交響曲第1番は、いい意味で、ブルックナー交響曲で最も異質ですね。8・9番以外かつ緩徐楽章以外では、唯一のプリセットとなりそうです。5番フィナーレも、またMr.Sで挑戦してみようか悩んでいます。理由は、まだ理解できていないからきいてみたいと、ブル9第4楽章の断片で、この曲で用いた対位法はやりきっているためです。
バレンボイム指揮、ベルリンフィルの最後に完成させた作品ヘルゴラントも、図書館で借りられたら、借りる予定です。ブル9第4楽章のエンドで、よく使われている素材にもなっている作品で、自然描写は、ヴァーグナーに近接しますが、これも良い作品です。
アッバード関連で言えば、今年は私自身初めて、yokochanさんの追悼特集に影響を受けたからか、聴きたい演目が偶然アッバード指揮の演目がターゲットになったからか、いくつか聴いています。ヴォツェックも素晴らしいと思えるようになりました。これは、マーラー交響曲第8番が第2部も理解できるようになったからかもしれませんね。
また、余談ですが、プティボンがタイトルロールを歌った、バックがヴィーンフィルのベルク「ルル」BDで手に入れました。今年中に、BDを見れる環境にするので、レビューがまとまった時に、yokochanさんが、綴られた記事にお邪魔致しますね。「ルル」、レヴァイン指揮ヴィーンフィル演奏「魔笛」、初代鬼武者の映像、ヴィスコンティ「ヴェニスに死す」以上4作品を持って、私にとっての理想の総合芸術を探求する旅は一つの終着点となりそうです。アニメーションは、去年のジブリ映画2作で一往完結となりました。
大変長くなりましたが、明日が待ち遠しいです。感想がまとまったら、こちらに、またお邪魔致しますね。
投稿: Kasshini | 2014年2月 2日 (日) 12時10分
Kasshiniさん、こんにちは、いつもお世話になります。
そして充実のコメント、ありがとうございました。
ただいま、アバドの逝去を経て、アバドの足跡を、関連団体を交えながら、自分自身の係わり合いとともに、振り返って記事にしております。
アバドをずっときいてきて、その広範なレパートリーをほぼ把握し、音源もほぼコンプリートし、さらに放送音源も、きっとかなりの確率で所有してます。
ルツェルンでのブル1も、持ってますよ。
密度の濃いコメントを頂戴しながら、いまのわたくしには、それぞれにご対応することができず、申しわけなく存じます。
しばらくは、アバド喪中ということで、あしからず、お許しいただければと思います。
落ち着きましたら、しっかり再読させていただき、応じさせていただきますね。
申しわけありません。
ちなみに、ヴァント盤は、レコード時代から聴いてまして、ウィーン版とリンツ版の、ともに捨てがたく思っておりました。
アバドが、ここまで1番にこだわるとは、思ってもませんでした。
投稿: yokochan | 2014年2月 3日 (月) 00時01分