チャイコフスキー 交響曲第4番 アバド指揮ウィーンフィル
いきなり春がやってきちゃった。どこ行ってたの?という感じもあるけど、来たらうれしい春。
先日、大阪出張のおり、宇治にも仕事があり、いつもの癖で空いた時間で周辺を散策。
「宇治」といえば、「宇治川」に「平等院」。
平等院の枝垂れ桜は、ちらほらと花開いていた。う~ん、ええなぁあ。
なみなみと豊富な水量の宇治川沿いを散策し、夕刻迫る平等院へ。
平等院なんて、中学の修学旅行以来。
記憶の中の平等院、いや名勝のどこもかしこも、もっと大きく広々としていたはずなのに、こうして訪れてみると以外に小ぶりなサイズ。
この感覚は不思議。自分が幼少時代過ごした場所、まして幼稚園などを訪問すると、まさに箱庭のよう。
こんな感覚は誰もが経験していると思う。
だからよけいに、今、このときが大事なのよね!
アバドがチャイコフスキーの後期交響曲を録音したのは70年代前半。
DGの大交響曲全集には間に合わなかったけれど、75年に録音したこの4番で後期が完結。同じ「ウィーンフィルとの悲愴」は73年の録音。
76年に国内発売されたこのレコードが、私のチャイコ4番の初レコード。
以来、悲愴と同じく、擦り切れるくらい聴いた1枚。
後年、シカゴ響との再録音は、オーケストラの優秀さもあって、強靭な歌と鋭いエッジに満ちた名演に思うが、こちらはなんといってもウィーンフィル。
アバドの柔らかな指揮振りに、随所にウィーンらしいまろやかさや、ホルンや木管の独特の響きが聞かれ、オペラの一場面のような豊かな歌に全編満ちている。
ウィーンフィルでも、カラヤンはうま過ぎて鼻に付くし、ゲルギエフはやりすぎて、オケが軋んでしまいかわいそう。
私としては、やはりアバドやプレヴィンがいい。
第2楽章の木管の響きとアバドの敏感な指揮ぶり、終楽章の明るく、冷静ななかにもおおらかな歌声の満ちた爆発的なエンディング。
過去の演奏を懐かしむというよりは、今を確かめながら過去の演奏を確認する。
そしてそこに大いなる喜びを見出す。音楽はそうして、いつも新しい何かを自分に与えてくれるものと思う。(な~んてね)
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コメント
おはようございます。
アバドのチャイコフスキーはしなやかでよく歌う演奏で、大好きです。DGにVPOと録音した4番と6番は、とてもイイです。
後に録音したシカゴ響との全集も素晴らしかったんですが、オケの魅力はやはりVPOでしょうか。
1970年代のアバド、懐かしいです。あの頃からアバドは素晴らしかったです。
投稿: mozart1889 | 2007年3月28日 (水) 06時08分
mozart1889さん、こんにちは。
何といっても、ウィーンの魅力ですね。
70年代にウィーンで全集をやって欲しかったですね。
あの頃から、アバドは充分に個性的だったと思うのですが、世評は厳しかったです。
投稿: yokochan | 2007年3月28日 (水) 12時39分