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2007年4月

2007年4月29日 (日)

イタリア・オペラ集  ネヴィル・マリナー指揮

Pepe_1 こちらは、自家製「ペペロンチーノ」。
といっても、市販のソースをからめて、スーパーで買ってきたベイリーフをトッピングしただけ。

見た目も、新緑を思わせるし、味も出来合いのソースとは思えないくらいにGOOD。

春から夏への移り変わりの頃に、に最高の一品で、ドライな白ワインがピッタリ。

Marriner_opera_1

すっきり、さわやか「あっさり君」、「サー・ネヴィル・マリナ」。今日は、ヴェルディとプッチーニのイタリア・オペラの名場面をオーケストラで演奏した1枚を。
もちろん、オーケストラは「アカデミー・オブ・セント・・・・・」(ああ長い)。

87年の録音で、すぐに国内盤も出たが、「こんなのは邪道じゃ!」と思い当時は見向きもしなかった。
10年ほど前、この画像の輸入廉価版が出て1000円で購入し、意外なまでの面白さに時折聴いている。

1.「アイーダ」 清きアイーダ  2.「蝶々夫人」 二重唱  3.「リゴレット」 女心のうた
4.「トスカ」 星は光ぬ      5.「トロヴァトーレ」 アンヴィル・コーラス
6.「トゥーランドット」 誰も寝てはならぬ      7.「ボエーム」 幻想曲風に抜粋
8.「トラヴィアータ」  プロヴァンスの海と丘    9.「蝶々夫人」 ある晴れた日に
10.「トスカ」 星は光ぬ(別バージョン)

こんな名曲のオンパレードだが、さまざまな工夫が施されていて楽しい。
アイーダでは、ソロ・ヴァイオリンがアリアを歌うし、蝶々夫人は、何とオンドマルトノが活躍してエキゾチックな雰囲気を出している。雰囲気という意味では、トロヴァトーレはツィンバロンがベロンベロン鳴っていてまさにジプシー風。
当たり前すぎる効果が、そのままに生まれていて納得の連続でもある。

歌がないと間の抜けてしまうヴェルディよりは、プッチーニの方がよろしい。
ボエームは12分かけた全曲のサワリのようなファンタジーで、冒頭のはじけるような部分からボヘミアンたちの登場、「冷たき手」を名アリア、2幕のパリの場面に「ムゼッタのワルツ」(これがとろけるように美しい・・・)このあと、ミミの死まで行くかと思ったら、2幕でオシマイ。これもまたアッサリ感がよろしいようで。

真剣に聴くというよりは、正に雰囲気を楽しむ1枚。
BGMとして聴くもよし、ドライブをしながら鼻歌を口づさみながら、いやカラオケのように歌いながらハンドルを握るのもよし。
晴れた休日の午後にどうぞ。

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2007年4月28日 (土)

ドイツ・オペラ序曲集 マリナー指揮

Kyoto_ekiben



京都駅で買った「京のおばんざい弁当」。

激しい二日酔いで、プレゼンを一件こなしたが、きっと酒臭かったろうな?
昼も食べず、夕方回復して新幹線での食事。そしてまたビールをプシュッと・・・・・。

二日酔いの体に、そして目にもやさしいお弁当。実にお上品で、ことに「おじゃこと豆ご飯」がたいへんおいしゅうございました。

Marriner_german_opera_2











 さてさて、今日も「あっさり君」 、「サー・ネヴィル・マリナー」のオペラ関連音楽を聴こう。

手兵「アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(以下アカデミー)」を指揮した1枚は、ドイツ・オペラの序曲集。
ウェーバーからホイベルガーまでのドイツ・オーストリアの作曲家9人のオペラ・オペレッタの序曲が収められていて、作曲年代は1823~1898年までのロマン派音楽ばかり。有名曲から初めて耳にするものまで、たっぷりと楽しめる1枚なのである。

 1.ニコライ 「ウィンザーの陽気な女房たち」 
 2.J・シュトラウス 「こうもり」
 3.スッペ  「詩人と農夫」            
 4.ウェーバー   「オイリアンテ」
 5.フンパーディンク「ヘンゼルとグレーテル」 
 6.マルシュナー  「ハンス・ハイリング」
 7.ホイベルガー 「オペラ舞踏会」       
 8.レズニチェク   「ドンナ・ディアナ」
 9.ロルツィング  「ロシア皇帝と船大工」

どうですか?このすばらしい曲目。ワーグナーが意図的にないのもいい。
いかにもドイツのちょっと田舎のオペラハウスのレパートリーのような日常性と、日本の劇場では取り上げにくい庶民的な要素を併せ持つオペラたち。

本来は、中部ドイツあたりの鄙びたローカルオケの音色で聴くのがよろしかろう。
マリナーとアカデミーの演奏にそうした要素を求めるのはまったくもって無理な話だし、オペラがこれから始まるという、沸き立つような趣きからも程遠い。
 でも、そうした次元とは別の純粋な音楽の再現。
楽譜を正しく、思い入れもほどほどに、美しく上品な表現に徹するこのコンビ。
テンポは比較的ゆったりで、何度聴いても飽きのこないエクセレントな演奏。
私はそんな「マリナー/アカデミー」が好きなのであります。

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2007年4月25日 (水)

オッフェンバック 序曲集 マリナー指揮

Red_stone2 先週、滋賀・京都方面に出張したおり、先斗町で一杯。二度目の訪問となる「レッドストーン」は、店にピアノが置かれ時おり軽いコンサートも開かれるといいます。ほんの小さな店で、ママやマスターは怪しい雰囲気だが、クラシック音楽がいつも鳴っていて落ち着く。
この「京風おでん」は、くじら(ころ)出汁のあっさりした味で、体にしみじみとしみ込むようなおいしさ。
 いずれ、別館にてまたご案内。

Marriner_offenbach京のおばんざい」のようにあっさりした指揮者「ネヴィル・マリナー」が好きだ。
このところ録音もなく、活動の様子があまり聞かれないが、今秋には来日が予定されていて楽しみ。
札響でメンデルスゾーンを振るが、東京には来ないのかしら?

録音数では、ヤルヴィと並んでカラヤン並みの膨大な記録を持つマリナー。
フィルハーモニアやロンドン響のヴァイオリン奏者からスタートした経歴から、弦楽器を美しくマイルドに響かせることが抜群にうまい。

ここでは手兵のアカデミーではなく、より弦の美しいフィルハーモニアを指揮していて、実に品の良いオッフェンバックが楽しめる。
底抜けの明るさや乱痴気ぶりも、上品でセンスがよろしい。
「天国と地獄」などは、カラヤンやバーンスタインで聴くとかさにかかったようにして、もの凄い騒ぎになってしまうけれど、アッサリ君のマリナーは何食わぬ顔でスイスイっと演奏してしまう。気持ちいい演奏である。

オッフェンバック(1819~1880)は、フランス人でなくドイツ人だった。
本名は「ヤーコブ・エーベルスト」というガチガチの名前で、子供の頃にパリに出てチェロ奏者からスタートした経歴らしい。
劇音楽だけでも100曲以上作曲したというからビックリの多作家で、メロディー・メーカーとしては天才的。

「美しいエレーヌ」「鼓笛隊長の娘」「天国と地獄」「ジェロレスタン大公妃殿下」
「ペリコール」「2人の盲人」「青ひげ」「パリの生活」

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2007年4月23日 (月)

ディーリアス 「春はじめてのカッコウを聞いて」 小川典子&ストット

Sibazakura_1 こちらの画像は神奈川県の私の実家近くの個人宅に咲く「芝桜」。
誰でも庭に入れて自由に見れます。でも今年は天候のせいか、あまり美しく咲かなかったらしいので、昨年の画像をご紹介しときます。

芝桜と言えば、北海道の滝上町。
一度でいいから、見てみたいもの。

Delius_noriko_ogawa

ディーリアスのオーケストラによる愛らしい小品の数々は、すっかり有名になり、季節の変わり目にはいつも心和ませてくれる私の重要アイテム。
そんな小品たちを、ピアノ連弾に編曲したものを1枚にしたCDを。

「春はじめてのカッコウ・・」、「川のうえの夏の夜」、「夏の庭園にて」、「夜明け前のうた」、組曲「北国のスケッチ」、「ダンスラプソディー」第1番と第2番

これらを編曲したのは、本名を「フィリップ・ヘスルティン」、ペンネームを「ペーター・ウォーロック」(1894~1930)である。
「ウォーロック」は寡作ではあるが、弦楽オケ用の名作「カプリオール組曲」や歌曲「たいしゃくしぎ」などを作曲した早世の人で、なかなかに渋い音楽を残しているので、近くご紹介しましょう。
その「ウォーロック」は「ディーリアス」に強く傾倒し、400通あまりの手紙のやり取りや、作品の献呈などで、師のように敬った。
その結実のひとつとして、そしてこれらの名作が、ピアノ連弾用の曲として残された。

4本の手で弾かれる「ディーリス」は、聴きなれたオーケストラ版よりもニュアンスが豊かで、音のレンジが広く感じられる。たゆたうような、ディーリアスの模糊とした雰囲気では、原曲に負けるが、聞き古した愛しい曲たちが、実に新鮮な衣装をまとって登場したみたいだ。
「北国のスケッチ」の幻想的な風景描写や、「ダンスラプソディ」のリズミカルな雰囲気は、ピアノ版ならでは。
小川典子とカスリン・ストットの連弾は、文句なしのコンビネーションで、引き込まれてしまう。ディーリアスの新たな一面を楽しめる、素適な1枚。

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2007年4月22日 (日)

プッチーニ 「西部の娘」 新国立劇場

La_fanciulla_del_west 21日(土曜)に、新国立劇場にて、プッチーニの「西部の娘」を観劇した。

新国の公演記録を見るとさすがに人気作曲家、主要作品はほとんど取上げられていて、レパートリー化している。
そんな中で、上演されてなかったのが、この「西部の娘」と「三部作の一部」と「エドガー」「ロンディーヌ」など。
こうした地味な作品にもプッチーニらしい美しさとオーケストレーションの素晴らしさが満載なので、今回の新国の上演には、大いに敬意を称したい。

この作品、かつて「メータ」のCDを取り上げたが、舞台設定がアメリカ開拓時代で効果を狙いすぎなのと、劇の仕立てが少し陳腐なところから、音楽は素晴らしいが全貌がどうもよくわからない。
粗筋や音楽の内容は、以前の記事を参照くだされ。
こんな印象を持ちながら、劇場に向かった。

  ミニー :ステファニー・フリーデ        ジャック・ランス:ルチオ・ガッロ
  ディック・ジョンソン:アティッラ・B.キッシュ  ニック:大野光彦
  アシュビー:長谷川顕              ソノーラ:泉 良平
       ウルフ・シルマー指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
                  演出:アンドレアス・ホモキ

こんなメンバーに、演出のホモキ・・・、うん?私は初めてだが、この人はユニークな演出をする人と聞いている。
パンフを見ると、時代設定を現在に置換えているという。ふ~む。

West3_1  幕が開くと、なるほど舞台には、今風のなりをした若者がスーパーの、それもウォルマートのような大型スーパーで使うような、大きなカートに、いろんなものを積んで、客席を見ている。その人物たちは世界中の国籍の人々。アメリカ人、日の丸の鉢巻や刺青の日本人、ターバンを巻いたインド人、中国人、ユダヤ人、南米風に黒人に・・・・・。
ホモキによれば、東京での上演を意識し、祖国を失ったもの、移住者の心の悲しみを描こうとしたという。
これはこれで、すんなりと受け入れられる自然さがあった。
 舞台は、極めて多量の「段ボール箱」に埋め尽くされていて、メーカーの「レンゴー」の政策協力という。この特殊に強化された段ボールは、登場人物が階段のようにして乗り降りもするし、蓋を開けて中に隠れたりもする。驚いたのは、段ボールの壁が部分的にバタンと倒れ、通路が出来てしまったこと。なかなかのアイデア。
縦横と数えて掛け算したら、1100個いやもっとたくさんあったのかしらん?

人々は金鉱に働く労働者ではなく、大工場に出稼ぎにきた労働者なのである。
West2  悪役ランスは、アメリカンの悪漢ポリスだし、盗賊の首領ジョンソンはジーンズにネルのチェックシャツのトラック運転手のよう。ミニーは、上下のつなぎだし、おめかししたときは、赤い靴の完全なアメリカン・ガール。

わかりやすく、楽しい演出だった。
でも原作通り、西部の舞台が見たかったな。

歌手は、ミニー役の「キャロル・ヴァネス」が早くから降板したが、主役3人は、実に良かった。特に、ランスの「ガッロ」!アバド盤のフィガロのいい人とは、大違いの憎憎しさ。
声もよく響きわたり、悪いポリスぶりに徹していて、この人が一番拍手を受けていたように思う。
West1 ミニーの「フリーデ」は、出だしがイマイチだったが、1幕後半から調子を上げ、やわらかなやさしい女と鉄火場女の二面を歌い出さねばならない難しい役をよく歌っていた。
経歴によれば、ジークリンデやブリュンヒルデ、サロメも歌うそうだから、これは期待。
 ジョンソンの「キッシュ」はもう少し力強さも欲しいがまずまず。
男性合唱の正確さ、うまさも新国のもはや定番。

そして東フィルがまたうまかった。オペラ指揮者としての「シルマー」は、ワーグナーや後期ロマン派が得意だが、このプッチーニもよかった。
音楽を完璧に把握し、オケと歌手への指示もかなり細やかに出していて、安心の要のようだった。

今回の舞台で、「西部の娘」がより身近になった。

   

  

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2007年4月19日 (木)

プッチーニ オペラ・アリア集 ライナ・カバイヴァンスカ

Kabaivanska_1 今日も冷たい雨の降る首都圏。
コートはもうクリーニングに出しちゃったし、困ったもんだ。
寒いぜ。

今晩は、プッチーニのヒロインのアリアでも聴こう。

「ライナ・カバイヴァンスカ」をご存知であろうか。
ブルガリア出身の愛らしいソプラノ、1934年の生まれだからもう第一線は退いてしまっている。

日本に初登場したのは、1973年。NHKホールのこけら落としに企画された「イタリア・オペラ団」の公演で、彼女はお目見えした。
もう伝説となってしまった、NHKの「イタリアオペラ」。デルモナコやテヴァルディらがやってきて本場のもの凄い歌を聞かせてくれた。
私の記憶にあるものは、71年の「イタリア・オペラ」ぐらいから。
その頃から、物語としての「オペラ」に傾倒していった。田舎ではませた中学生だった。

それはそうと、73年の「カバイヴァンスカ」は、彼女の当たり役「トスカ」。
カヴァラドッシが「フラヴィアーノ・ラボー」、スカルピアは若手の「マストロメイ」、指揮は「ファブリティース」であった。
私には無名の人たちだったが、通のあいだでは、ついに噂の「カバイヴァンスカ」登場という評判だったと記憶している。
何が噂かというと、その歌はともかく、「美しい舞台姿」と「抜群の演技力」とによってである。実際、テレビで見た彼女は、スラリと背が高く、華奢で美人。まるで映画女優のような「トスカ」なのであった。トスカの赤い衣装が、実によく似合う。
これに比して、「ラボー」は小柄なオジサンだったが、やたらに声が良かったし、情熱的だった。名前は軽いが、「ラボー」は名テノールだったのに、録音が少なすぎ。

当時のカバイヴァンスカ画像が手元になく、ご紹介できないのが残念。
来る連休に、実家の古い書籍を探して、またご案内しましょう。

ともかく、その細やかな演技には、中学生の私も感銘を受けた。
スカルピアを刺したあとのオドオドぶりなど、見事なもの。それでいて、独特の気品とエレガントな物腰。オペラ歌手のひとつの局面を突き詰めたのも彼女だろうな。
肝心の歌は、もう少し声の魅力が欲しいところだが、舞台姿が勝るから善しだ。

今日のCDは、「ガヴァッツェーニ指揮トリノ・イタリア放送響」をバックに、彼女がもっも得意にした「プッチーニ」を歌ったもの。
録音も冴えないチェトラ盤で、何年頃の録音かデータがない。
70年代後半と推測するが、「カバイヴァンスカ」の声は少し荒れていて、ちょっと苦しい。
それでも、トスカの名アリアでは、思わずジーンとさせる歌いぶりで、とても感動した。
昔を思い起こして、DVDでも購入してみよう。

テレビで見た美しい「トスカ」。

その数年後、「カラス」が復活して、横浜で「ステファーノ」と「トスカ」の舞台に立つことになった。
が、やはり歌えず、「カラス」が代役に指名したのは「カバリエ」。
これまたテレビ視聴だったが、巨「カバリエ」と爺「ステファーノ」のトスカは、ドタバタとなかなかに面白い見ものだった。
最後にサンタンジェロ城から身を投げる巨体に、目をつぶる思いだったのを覚えてる。
でも、カバリエのピアニシモで消え入るような声には、日本中が息を止めたはずだ。

カバリエとカバイヴァンスカを足して2で割ったら、最高の・・・・・・・。

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2007年4月18日 (水)

ジョン・ウィリアムズ 「未知との遭遇」組曲 メータ指揮

Nihonzaka このシュールな写真。なんだと思います?

高速運転中のトンネルの中なのです。
安全のため、私の車にはカメラを固定する仕掛けがしてあって、タイマー撮影ですので、大丈夫。
仕事柄、車内からの撮影は必須事項なのです。

何か、未来に続くタイムトンネルのような雰囲気に、満足の1枚です。

690ステーブン・スピルバーク」の1977年の名作「未知との遭遇」は、学生時代封切りされると即、渋谷の劇場で見た。
その特撮技術と眩いばかりの光の洪水に驚きっぱなし。

同時期の「ジョージ・ルーカス」の「スター・ウォーズ」は明快な活劇であったのに比べ、「未知との遭遇」はUFOと遭遇してしまった、いやせざるを得ない宿命を背負った人々の心理やその人をとりまく家庭の崩壊なども描いていて、なかなかに社会派的な切り口もあって、ちょっと難解な作品でもあった。

今と違って、ちょっとアメリカンだった私は、どちらも楽しみ、アメリカって、すげぇな!と感心しまくりだった。

そして、どちらも音楽担当は、「ジョン・ウィリアムズ」。
この半分クラシカルな作曲家の明快な音楽は、スピルバーグやルーカスの映像になくてはならないもの。
音楽も「スター・ウォーズ」の華やかなのものと違って、シリアスな内容で、ペンデレツキやリゲティのような、当時の前衛に近い作風で始まる。
13分程度の、この映画のダイジェストのような幻想曲だが、後半から宇宙人と交信する5音階の旋律が出てきて明るく、平和的なムードにとってかわり、未知の世界からの訪問者が平和的な訪問者であったことや、人類との前向きな交歓を思わせて美しい展開になる。
なかなかにいい曲なのだ。

ロスアンゼルスの人気者だった「ズビン・メータ」は、ハリウッドボウルの指揮もしていて、そこでの経緯から「スター・ウォーズ」とこの曲をカップリングした1枚を出していて、クラシックの分野での評価がなされていた。
ロスアンゼル・フィルの明るく機能的なサウンドと、素晴らしい録音を得て、メータの切れ味鋭い指揮は冴えまくっている。
当時のレコ芸では、音楽事態が散々の評価だったような・・・・。

3351 映画の出演者で印象的だったのは、「ジョーズ」にも出ていた「リチャード・ドレイファス」の没頭的な演技と、テレビドラマの「警部マクロード」で印象的な婦警を演じていた「テリー・ガー」のその妻の世間一般ぶり。それと、映画監督でもあった「フランソワ・トリュフォー」の宇宙人誘致チームのリーダー。

音楽が見事に付随した、SF映画のひとつの原点。

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2007年4月17日 (火)

シューベルト 「冬の旅」 ルネ・コロ

Sake_2  春はどこへ行った?ともかく寒いですなぁ。
一時あんなに暖かかったのに、おまけに連日の冷たい雨。みょうちくりんな天候に、体の温度計がおかしくなりそうであります。

寒いことをいいことに、今宵は千葉の地酒で熱燗を飲む。
画像は以前のものですが、内容はほぼ一緒。
お気に入りの「常滑焼」の酒器は、実に手に馴染み、右手が忙しいこと。

それはそうと、今日の首都圏の朝は、あらゆる電車が連鎖的に遅延してましたな。
人身事故、急病人、混雑による遅延とね。
推測するにですな、新入社員の配属が始まったこと、高校・大学の新学期の本格化、リクルーターの活動などが重なって、普段と異なる様相を呈しているのではないかと。
4月の半ばって、そういう時期。戻りたいな、あのコロに・・・・(オヤジのつぶやき)

Kollo_winterrese_1 寒さが戻ってきてしまったので、こちらもあのコロを思い出しついでに、「冬の旅」を登場させてしまおうではないか。
春が戻ってくる前に、大急ぎで「冬の旅」を、企画である。

こちらの急いた気持ちを察してか、この「冬の旅」は快速のすたすた歩きの忙しい旅立ちで始まる・・・・。

われらがワーグナー歌手、「ルネ・コロ」はもう引退して久しいが、今年70歳になる。
70年代の颯爽とした「ローエングリン」や「ヴァルター」は今でも伝説級の舞台姿。もちろん見たことないけど、数々の写真がそれを物語っている。
日本でも、「エリック」と「ローエングリン」以外は演じてくれたので、「トリスタン」以外は私も舞台に接することができた。

そんなコロの歌曲。「詩人の恋」は以前取り上げ、ヴァルターのような若々しさが嬉しい歌であったが、この「冬の旅」はジャケットが物語るように、後半はかなり疲れた旅人になっているように思う。
声が疲れているのではなく、人生の辛酸を舐めてしまった男のほろ苦さとでも言おうか。
そう、コロが引退前に演じたあのアウトローのような「タンホイザー」のそれを思わせる。
前半は、かなりの表現意欲で、驚くほど隈取りが濃いし、歌い飛ばすような勢いもある。
後半から、周りから浮いてしまう悲しい男をしっかりした声で歌いあげようとしている。

この冬に聞いたホッターはボソボソ声でありながら、そこに温もりの優しさを見出すことが可能だったけれど、コロのしっかりと意志をもった声は、かえって「誰の手も借りずにさすらってやる」ぞと、不気味な伴侶とともに旅立っていってしまうので、優しい手を差し伸べることができない。

ユニークな「コロの冬の旅」。
いつもお世話になっているeuridiceさんが、取上げていらっしゃいます。
ご紹介のコロ自身の言葉とともに、ワーグナー好き、テノール好きにとってなるほど、の記事です。

ちなみに、このCD、あるショップで500円で投売り状態のものを救出したが、コロの意志は、ドイツの体の不自由な子供たちへのチャリティーとのこと。
こんなに安く買って、どうもすんません。

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2007年4月16日 (月)

R・シュトラウス 交響的幻想曲「影のない女」 スゥイトナー指揮

Suitner_strauss_oper まだしつこく続く「影のない女」。
ここまでしゃぶり尽くせば本望。「影のない男」となってもいい。~だってもう、子供なんていらないもん~おっをーっと、重大発言ですかね??

シュトラウスは「影のない女」の1919年の初演後、作品を愛するあまり1946年の晩年に、主要な場面からエッセンスを抽出し、20分あまりのオーケストラ作品を作りあげた。

冒頭の威圧するような和音から始まり、バラクの愛の歌や、乳母が見せる夢のような光景・・・・、オペラの展開に従って、原曲を知るものにとってお馴染みの旋律が次々と現れ、3時間30分の全幕のダイジェスト版のような幻想曲に仕上がった。

バラク」の歌う音楽の比重が高いような気がする。
主要登場人物5人(皇帝夫妻・バラク夫妻・乳母)の中で、一番良識と優しさをもった人間が「バラク」ではなかろうか?
それは家族・兄弟、しいては身寄りのない子供達のために、必死に働くお父さんで、唯一自分の血を分けた子供(劇では果実と称す)を熱望する良心のかたまり。それが、ホフマンスタールとシュトラウスが描いた「バラク」。

二組の夫婦愛を賛美したオペラでもある「影のない女」。
妻を顧みない働くお父さん、そんな夫へ不満を募らせる妻。何だかちょっと昔の日本のような・・・、そんな気分である。シュトラウス一家はどうだったのだろうか?
少なくとも、今の日本の若い世代の働き手には考えにくい世界かもしれない。
妻も夫も対等に社会で活躍するが、わりを喰うのは子供達。

スゥイトナーとベルリン国立歌劇場管弦楽団」が1970年頃に録音した当CDは、美しい演奏で、かつ歌の呼吸に満ちた素晴らしい演奏。
プフィッナーやヴォルフの珍しい曲も収められた1枚は、渋いがお薦め。

Mehta_strauss_opera Sinopli_struss_opera

Stein_3 他の所蔵演奏。
メータとベルリン・フィル」は切れ味豊か。
シノーポリとドレスデン」は精緻でありながら、濃厚な歌に満ちながらも、オケの美しさに感服。
シュタインとN響」はエアチェックの自作CDR化、これがまた素晴らしい。ベームもかくあり、と思わせるキッチリとかつ熱い演奏。

これにて、3夜に渡った「影のない女」は打ち止め。
お付き合いありがとうございました。
次月は、難題「インテルメッツォ」が控えております。

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2007年4月15日 (日)

R・シュトラウス 歌劇「影のない女」 ショルティ指揮

Die_frau_ohne_solti 今日も「影のない女」で。
それも映像と思い出の舞台をご紹介。

映像の方は、没後10年の「ショルティ」が1992年にザルツブルクで指揮した上演のライブで観劇。

このオペラは、劇の仕立てが複雑なだけに、舞台を一度じっくり観ないとその全貌がさっぱりわからない。
というか、シュトラウスのオペラは殆どそういうことが言えるかもしれない。

   皇帝 :トマス・モーザー      皇后 :チェリル・ステューダー
   乳母 :マリアナ・リポヴシェク   使者 :ブリン・ターフェル
   バラク:ロバート・ヘイル      皇后 :エヴァ・マルトン
  サー・ゲオルグ・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                  演出:ゲッツ・フリードヒ
こちらのキャストも強力で、昨日のサヴァリッシュ盤より少し若返っているが、ステューダーは共通している。
舞台は一様に暗い。お伽の世界だからか。ゲッツ・フリードリヒの作り出す舞台は、いつも近未来的な不思議空間を思わせる。その無機質ぶりが、音楽と乖離する直前に止まってこうした作品では絶妙の緊張感をかもし出す。
第3幕は、横に広いザルツブルクの空間を見事に活かし、なかなかにファンタステックな舞台で、引き込まれた。

皇帝は、リリックテノールからヘルデンに飛躍した頃のモーザー。生真面目な一直線の声は個性はないが、力強く安心できる。
皇后のステューダーは、カバリエほどではないが、結構立派なお体。歌は立派だけれど、同情しておろおろする様がかえって滑稽に。CDの方がいい。
皇帝夫妻より、ここではバラク夫妻が素晴らしい。
ヘイルは、リング公演のウォータンを観て、舞台栄えする姿と美しくよく響く声が気に入っていたバス・バリトンで、このバラクも人の良さと、妻への愛情に満ちた名唱。
その妻マルトンも渾身の歌。ドラマティックな要素の高いこの役、2幕でバラクに本心を訴えるところなど、感動ものだった。
 さらに、狂言回し的な乳母、リポヴシェクの憎くも、皇后を偏愛する様を凄まじい声で歌っていて、これにも二重マルだ。

この5年後には、没してしまうことになるショルティは、元気満々。
いつものように、ぎくしゃくした指揮ぶりだけれど、シュトラウスの円熟の作品の面白さをあますことなく描きだしていると思う。指揮姿と出てくる音楽が一致しているのは、2幕最後の超ドラマティックなエンディング。あとは、ウィーンフィルのまろやかな音色が楽しめる寸法だ。ショルティ晩年の境地だろう。

Die_frau_ohne_schatten_hamburug 思い出の公演は、1984年「ハンブルク国立歌劇場」の来日公演。
当時の総監督「クリストフ・フォン・ドホナーニ」に率いられての大規模な公演で、「影のない女」の日本初演と斬新な演出の「魔笛」、バイロイトで活躍していた、「ネルソン」指揮の「ローエングリン」の3演目を取上げた。

ドイツオペラ好きにとって、よだれものの演目で、当時会社に入ってちょっと余裕の出た独身貴族の私は、全演目S席観劇という、今思えば途方もない快挙をしてのけた。給料は、酒と音楽に消えてゆく楽しい思えば日々だった。

Die_frau_ohne_cast これが当時のキャスト。これまた素晴らしい。
リザネックは当時もう30年以上も皇后を歌い続けていたが、その感情移入の凄まじさは、声の衰えをまったく感じさせない見事なものだった。
そして、G・ジョーンズの圧倒的な声。低音の魅力は実際に聴くと実に素適だった。皇帝のシェンクもすごい声量で、耳にビンビン来た。
素晴らしいヘルデンだったのに、録音が残されず残念な人だ。
そして、そしてですよ、私の目当ては、「デルネシュ」。
ブリュンヒルデやイゾルデの彼女がメゾに転向して、日本に初登場した。おっかない厚化粧をしていたので、写真で見ていた美しいイゾルデの面影はないが、声はあのデルネッシュ。ちょっとイヤな役だけれど、やはり名歌手。舞台に華があった。

3幕での、皇后の葛藤の場。金色に輝く泉が、皇后の顔に映り、キラキラとして見えた。
リザネックのここでの歌唱は、忘れがたいほど感動した。

真近で見るドホナーニの指揮は、まさにオペラ指揮者のそれ。オーケストラを完璧にコントロールして、歌手と舞台に鋭い視線を送りつつ指揮していた。

Hamburuger_panf かつての歌劇場の引越し公演は新鮮だったなぁ。
今は多すぎるし、演出が疲れちゃうし、だいいち高すぎて
手がでない。
その分、「オペラ・パレス」で我慢するか・・・・。

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2007年4月14日 (土)

R・シュトラウス 歌劇「影のない女」 サヴァリッシュ指揮

Die_frau_ohne_schatten_1作曲順に取上げる、R・シュトラウスのオペラ。
今回は、オペラ7作目の「影のない女」で、1917年の作曲、1919年にシャルクの指揮でウィーンにて初演され、当然のようにドレスデンでも数日後に上演されている。

シュトラウスのオペラは、前作と趣きを異にするような題材と作風によって15曲が書かれている。
前作「アリアドネ」は室内楽的な透明感と地中海的世界が舞台であったが、この「影のない女」は、お伽話であり「メルヘンの世界」である。
だから時代設定は特に意識させないが、ところはインドネシアとかジャワのあたりらしい。
そして音楽は、巨大なオーケストラとドラマテックな歌手を複数必要とする、かなりヘヴィーなオペラなのだ。
でも、かつてのシュトラウスのようにオケがガンガンと鳴り響くばかりではなく、美しい旋律に満ちているし、ソロ楽器も活躍して登場人物の悩みを見事に表出する場面も盛りだくさん。
内容は難解だけれど、音楽の素晴らしさはまったくもって言うことがなく、シュトラウス作品の中でもかなり好きな作品である。

「影のない女」とは「魂」をもたない女のこと、この女が「影」を求めようという物語。

オペラの前段
「霊界の王カイコバートの娘は、人間界で鹿に化けて戯れているところを、鷹狩好きの皇帝に見つかり射られてしまう。が、この鹿は皇帝の腕の中で美しい女性に変わる。
皇帝は彼女を皇后にして暮らすが、霊界の女であるため、結婚して1年経っても子供が出来ない場合は夫である皇帝は石にされてしまうのである。~影をもたないから子供を授からないということ」

オペラの超概略
「皇后は父から付けられたチョイト悪い乳母とともに、愛する夫が石にされないように「影」を求めて人間界に出向く。目を付けたのは、貧乏で子供も欲しくなく、おまけに夫の不具の3人兄弟の面倒も見なければならないバラクの妻。
乳母は、魔法で若い青年や、宝石を見せ今の境遇を捨て影を売れば欲しいものが手に入ると誘惑。妻はその気になりかけ、皇后は良心の痛みに耐えかねる。
バラクの愛を知り、拒む妻、雷鳴とともに地下に沈む二人。

皇后は霊界へ赴き、父に皇帝への愛を訴え嘆願する。その愛を知った父カイコバートは、最期までバラク夫妻を苦しめようとする乳母を放逐する。
 しかし、最後の試練が皇后に課せられる、声はすれども会えないバラク夫妻。
皇后の前には「黄金の泉」が湧き出る。これを飲めば、影が得られ皇帝は救われると言われる。しかし、バラクの妻には永遠に子供が出来なくなる。
さあ、どうする皇后!  「わたしには出来ない!」と皇后は苦しみながら拒絶。
この決心により、父の怒りは解け皇帝は救われ、バラクの妻にも影が戻り、皇后にも影が。
最後は二組の夫婦の二重唱と、生まれざる子供達の合唱で静かに幕となる」

ふぅ~う。長くて煩雑な筋。全3幕が細かな場に分かれ、場面転換も激しい。
歌手もみんな出ずっぱりで大変。でも、舞台や映像で観ると面白いことこのうえなしだ。
最後に、皇后が「わたしには出来ない」(Ich will nichit!)と絞りだすように歌うとき、背筋がぞくぞくするほどの感動を味わえる。最高の瞬間であろう。

  皇帝 :ルネ・コロ           皇后:チェリル・ステューダー
  乳母 :ハンナ・シュヴァルツ    使者:アンドレアス・シュミット
  バラク:アルフレート・ムッフ     バラクの妻:ウテ・ヴィンツィング
 

    ウォルフガンク・サヴァリッシュ指揮バイエルン放送交響楽団

Sawallishch サヴァリッシュは日本でもこの作品を上演した。
この長大・複雑な作品を、理路整然とかつ劇的な要素も充分に聴かせることでは、唯一の存在だったろう。
オーケストラがまた素晴らしい。暖かみと機能性を備えたこのミュンヘンのオケは、シュトラウスが実にうまい。
ウィーン・ドレスデンと並ぶシュトラウス・オケだろうな。(シュターツオーパーも同様に)

歌手は、naopingさんのご紹介されたベーム盤に一歩譲るが、なんといっても「コロ」の凛々しい皇帝が最高。
キングもいいけど、コロもね。(あらためて、ベーム盤の皇帝の歌を聴いたら、やっぱりキングが・・・・・・)
当時大活躍だったステューダーの決してもたれず、過剰にならないスリムな歌唱がいい。
他の歌手も地味だが、アンサンブルとしてのまとまりが良く、ミュンヘンの舞台で手馴れたメンバーと思わせる。

Die_frau_ohne あんまり好きだから、ふたつもあるサヴァリッシュの「影のない女」!
じゃなくて、以前久しぶりに取り出したら、CDの鏡面がまったく喪失していたのですよ。このショックは巨大だった。
日を追って進行し、今回は3枚すべが塩を吹いたように変貌していた。

Cd このような恐ろしいことがあっていいのだろうか。
あと、デンオンのインバルのマーラーも大半やられてしまった。

この「影のない女」はとっくに廃盤になってしまっていたものだから、中古で発見したときはめちゃくちゃ嬉しかった。
「輝きのないCD」はもうご免だぞ。気をつけようがないが、みなさんも気を付けてください。

この作品、やはりベームが一番いいと思っている。ウィーンでのライブや、ザルツブルクでのFMライブなどでは、燃えまくり燃焼しつくしていて凄まじい。
さて、明日も行きますかな。

 

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2007年4月13日 (金)

シューベルト 交響曲第9番「ザ・グレイト」 ワルター指揮

Koyurugi こちらの駅弁は、「こゆるぎ弁当」のミニ版。
小田原の「東華軒」のもので、平塚から熱海あたりにかけて販売されています。
大磯から西のあたりの海岸線一帯を「こゆるぎ」と呼んでいたらしいです。
そのあたりに育ちながらも、初耳。
でも、東華軒の駅弁は子供の頃から慣れ親しんだ味でして、ことにこの弁当にも入っている甘辛の「鶏そぼろ」は、昔から変わらない味で大好き。
ご飯も味ご飯で、シンプルながら、ほんとに美味しい弁当です。

Schubert_great_walter ホンワカとした懐かしめの弁当に続き、これも郷愁誘うシューベルトの演奏を、今宵は味わう。

ワルターの芸術と称したCBSソニーのシリーズは、いずれもジャケットの上部に「WALTER」と表記されていて、ダブルジャケットのしっかりしたレコードだった。
その「におい」まで覚えている、変な私。

未完成ばかりだった当時。
グレイトなんてあんまり演奏会に乗らなかったし、レコードも少なかったが、第2楽章のオーボエの旋律に惹かれワルター盤を購入した。

その頃、「カラヤン」が初めてレコーディングし、話題になりFMで聴いたが、その早いこと。
急がず、あわてずの「ワルター」に馴れきっていたものだから、高速カラヤンは抵抗だらけだった。
以来、「グレイト」は「ワルター」が基調となって、ゆったりした演奏を好むようになった。

今でも、この「ワルター」が最高と思っているし、今夜久しぶりに聴いてもその思いは変わらない。コロンビア響の薄い響きもなんだかプラスに作用しているし、響きの多い録音もヨーロッパ的でよろしい。
 そしてなんといっても第2楽章のアンダンテがいい。哀愁に満ちたオーボエに、快適に歩むような弦楽器。副主題の歌に満ちた豊かな旋律もいとおしむように演奏されて、感銘を受ける。

やっぱりシューベルトはいいねぇ、歌に満ちていて。

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2007年4月12日 (木)

「チャント・オブ・インディア」 ラヴィ・シャンカール

Moti2














赤坂のインド料理店「MOTI(モティ)」でランチ。
昼は、リーズナブルなランチ・セットがあって、今日のコンビ・メニューは、手前がかなり辛い「野菜」、奥が少しマイルドな「エビ」。

これに、好物の「タンドリー・チキン」がついて@1200円。
「ナン」も大型で、お腹一杯になる。
日本語ベラベラのインド人たちは、混雑時の客のあしらいも上手。
束の間のインド気分を味わう以上に、美味しいカレーに二重マル。
六本木、ニ子玉、港北、上大岡などにも出店してます。

Chants_of_india











昨晩の「ビートルズ」に触発され、カレーも体に染み渡り、インド音楽の神様的存在「ラヴィ・シャンカール」のアルバムを緊急購入した。

あらゆる音楽ジャンルに影響を与えたシタール奏者であるから、DGからもEMIからもCDが出ているが、今回は、「ビートルス」の一員、「ジョージ・ハリソン」がプロデュースしたこのCDを。

シタールがチャララ~ンと鳴ったり、タブールがポゴポゴ鳴ったりしる音楽を期待すると、軽く裏切られる。
製作は1996年。「グレゴリアン・チャント」が一世を風靡したあと、エンジェル・レコードの社長が、シャンカールに「インドにもこうした聖歌はあれば録音するのに」といった一言から始まった。
そして、シャンカールの永年来の弟子であり友であった、ジョージ・ハリソンが喜んでプロデュースに回ったらしい。

だから、このCDは間奏曲としてのシタール等の演奏は数曲入っているが、それ以外はボーカルの音楽。
それも、インドの聖典「ヴェーダ」をテーマにシャンカールがアレンジした、宗教的な歌が次々と歌い継がれていく。
最初は、げげ!!と思ったのも束の間、あっという間に独特の雰囲気に飲まれてしまった。これはこれで、究極の癒しの音楽である。
今の厳しい世の中にあって、「平和や幸福への祈り」に満ちている音楽と、シャンカールやジョージは言っている。

各曲の冒頭には「オム」と必ず歌われる。
そう、あの「○○○心理教」のアレである。聖なる神への神聖なる呼びかけらしい。
う~む。その導き手は、導師(グル)だし、怪しい雰囲気にも事欠かない。
ジョージもボーカルや各楽器に参加しているという。

まぁ、なんともいえない音楽でありました。インド料理屋さんのBGMにはうってつけだし、寝る前にちょっと聴くと中空に浮く夢を見そうだし、妙な高揚感も味わえるしで、不可思議な1枚。ことに11曲目の「マンガラム」はすごい、おもろい。
「サルヴァマンガラム・バハトゥ・バハトゥ・バハトゥ・・・」繰返しのオスティナート効果は、オルフも真っ青の興奮状態へ。
 それから、15曲目の「プラブージー」は、ジョージの曲を思わせるようなラブソングのような美しい音楽(歌っている内容は神への愛だけれども)で印象的。

「ラヴィ・シャンカール」に、「ジョージ・ハリソン」に、「ビートルズ」に、そして繁栄と躍進の「インド」に敬意を表して取上げた今日のCDでありました。

ちなみに、ラヴィ・シャンカールの娘「ノラ・ジョーンズ」はアメリカで活躍する人気ヴォーカリストである。

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2007年4月11日 (水)

「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」 ビートルズ

Beatles_sjpappers クラシック以外のアルバムで、古今東西最強の名作は、「ザ・ビートルズ」の「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」であろう。これに準じて、「アビー・ロード」が来る。

私にとって、いまや古典となったビートルズも「イギリス音楽」。
誰しもが通る道がビートルズ」、と思っていたら、最近はそうでもないみたい。
そりゃそうだ、若い人にとっては、お爺さんの世代の音楽だもの。
1964~1970年が活躍年度。
私のような、オジサンでも小学生だったから、目覚めたのは中学生以降で、すでに彼らは解散していたし。
そんでもって、中学時代にビートルズのLPを買い集め、詩集を揃えたり、映画を観たりで、すっかり「ビートル・マニア」だった。それというのも、好きな女の子がビートルズ・ファンだったからであります・・・。
同時にクラシックも聴いていたけれど、両親は急にロック・ポップスばかり聴きだしてしまったものだから、大いに心配したもの。今となれば、なんのこともない。柔な話でしょ。
4人が存命中から、彼らのソロアルバムまで、そこそこ聴きまくった。
ジョン・レノン」と「ジョージ・ハリソン」の死去は本当に悲しかった。

「サージェントP」が発売されて、今年は40年!!を迎えるそうだ。
驚きの境地。本国イギリスでは、このLPのカヴァー・アルバムが企画されているそうだ。
ともかく、音楽のジャンルの領域を越えたクロスオーヴァー的な名作なのだ。

Beatles_sjpepperas_1 こちらは秘蔵のLPジャケットから。
ジャケットは、かつてのサイケの代名詞のようなものだが、考え抜かれたユーモアと風刺のセンスに満ち溢れ、それこそ天才的な出来栄え。

全13曲のすべてが個性に満ちあふれ、 いまここで生まれてきたばかりのような初々しさに、驚いてしまう。
ジョージが好きなものだから、彼がインドに惹かれ、「ラヴィ・シャンカール」とも親交を持ち、シタールを伴なった「With you Without you」が大好き。
J・レノンは、この頃ヤクをやってた核心の行ってしまっている曲や、P・マッカートニーがモーツァルトに近いと思わせるメロディーメーカーであり、抜群の歌唱力を見せつける曲。
付けたしのようだけど、人の良さとメンバーの中和剤のようなリンゴ・スターの歌。

どれもこれもが、この1枚になくてはならない曲で、一夜のバリエーション豊かなライブを楽しむ思いだ。

繰返し言うが、40年前の作品に思えないし、ここまで来るとクラシックの分野と紙一重。
こんな音楽を聴いていると、過ぎ去りし大昔が語りかけてきて、思いきり当時に舵をきってみたくなる思い。

それからもうひとつ、これらの曲の詩の素晴らしさ。
当時、翻訳と対比しながら、何度もその英語を確認した。
私の中学時代は、英会話なんて夢のまた夢だから、語学の世界の英語学習だったから、ビートルズの詩はちょうどいい素材だった。
今の日本の若者は、日本の歌手の歌ばかり聴くし、事実、日本ポップスは数段の進化をアジアの中で遂げている。だから、文学的な英語からはますます遠くなってしまう。
詩的な世界をもう一度味わっていただきたいな。

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2007年4月10日 (火)

ブリテン 「春の交響曲」 ガーディナー指揮 

Ikari_cake これ、な~んだ??

イチゴのムースです。

どこの店のか?って。

スーパーのプライベートブランド品なのです。
芦屋が本拠の高級スーパー「いかり」。
JR大阪駅構内にも出店していて、大阪出張のおりは、飲んだあと小腹が空いた時のために、惣菜やデザート、ついでに酒なども仕込んでおくのであります。
今回は、季節ものの「苺」系デザートが豊富で、どれにしていいか迷ってしまう・・・。
さすがは、洋菓子店から発祥したスーパーだけあって、本格的なお味。
朝からデザートいただきました。甘くもなく、ほんのりすっぱい。
 関東では唯一、大宮の駅中に進出している様子。関西では、その紙袋までが、ブランド化していて、関東でいう「成城石井」か「紀ノ国屋」って感じ。

Britten_spring_sym

ブリテン(1913~1976)は、なかなかに多作の人だが、オペラ・声楽作品が多いせいか、日本での人気はいまひとつ。
アッチの性癖のことはともかく、日本にはゆかりのある人だけに残念な思いがする。
「青少年云々」の曲もあんまり聴かれなくなっちゃった気がする。

しっかりした交響曲がないのも不人気の原因であろう。
交響曲と名が付いても、ちっこい「シンプル・シンフォニー」であったり、日本政府いわくつきの「シンフォニア・ダ・レクイエム」であったりと。

そして交響曲の極め付きは、声楽付きの、まるでマーラーのような作品「春の交響曲」がそれである。
クーセヴィッキーの委嘱により1949年に作曲され、同年ベイヌム指揮により初演された。
この初演がCD化されていて、naopingさんが既に取上げております。

曲は、ソプラノ・アルト・テノールの独唱と少年合唱・合唱をともなった大規模なもので、全4部12曲からなっている。
ブリテンは「冬から春への移りかわりと、それが意味する大地と命の目覚め」について書いたとしていて、サフォーク州の春の劇的な訪れにインスピレーションを得ているらしい。
イギリスの春は、日本のようにゆるやかに、まったりとやってくるのでなく、劇的に訪れる。
北海道の春にも例えられようか・・・・。

太陽への憧れを歌う冒頭から、小鳥やカッコウの声が聴かれる場面、少年合唱は軽やかに口笛を吹き、楽しい第1部。
終戦を迎えたのも春。反戦の感情も込めしみじみとした第2部。
スケルツォであり牧歌的・リズミカルな第3部。
そして歓喜が爆発する、第4部フィナーレ。ここでは、ロンドンの街と英国への晴れやかな賛歌が歌われる。さらに中世イギリスのカノン「夏はきたりぬ」が少年合唱が高らかに歌い始めると、もう感動の坩堝と化してしまう。

  「夏がきた、かっこうは鳴き、花は開き、木々は緑・・・・・・」

この合唱もフェイドアウトして行き、テノール独唱が口上を述べ、舞台から引くように唐突に曲は終わる。
何ていい曲なんだろ。

ガーディナーとフィルハーモニア管、モンテヴェルデイ合唱団はすっきりさわやかなブリテンを聴かせるし、深みにも欠けていない。そして、テノールのエインズリーが最高。
わたしは、あとプレヴィンとロンドン響の1枚も楽しんでいる。

1999年5月、東京ではふたつの演奏会でこの曲が演奏された。
 ①ヒコックスと新日本フィル  エルガー「序奏とアレグロ」
                    デーリアス「ブリッグの定期市」
                   ブリテン「春の交響曲」
 ②ヒコックスと新日本フィル  ラヴェル「マ・メール・ロワ」
                    カントルーヴ「オーヴェルニュの歌」
                    V・ウィリアムズ 交響曲第5番

 ③プレヴィンとN響       ベートーヴェン 交響曲第4番
                   ブリテン「春の交響曲」
 ④プレヴィンとN響       プレヴィン「ハニー&ルー」、「ヴォカリーズ」
                    V・ウィリアムズ 交響曲第5番

私は悩んだ末に、①と④を選択しコンサートに出かけた。
なんと贅沢な饗宴。
まさに、その時、東京の5月は「春から夏」への一番美しい季節の真っ盛りであった。

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2007年4月 9日 (月)

ワーグナー IN ドレスデン 若杉弘 指揮

Wakasugi_wagner 今日の東京地方の天候は春の初めのに逆戻り。
寒いし、晴れたと思うとにわか雨。
こんな嫌な月曜でも、酒は飲んでしまう。

11時過ぎにほろ酔いで帰還し、音楽が聴きたい。

こんな時は、大好きな音楽で、しかも短くも完結感があり、そこそこ高揚させてくれるモノ。
とくりゃ、ヴェルディかワーグナーの序曲だろ。

てなわけで、「リエンツィ」「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」「ローエングリン」といった、ロマンテック・オペラの序曲・前奏曲を集めた1枚。
しかも、それらにゆかりの「ドレスデン国立歌劇場のオケ」を我らが、「若杉弘」が指揮したものである。
1984年、ドレスデンでの録音。
当時、若杉氏は、ドイツでの活躍において最も脂ののっていた時期で、「デュッセルドルフのラインドイツオペラ」→「ケルン放送響」・「チューリヒトーンハレ」→「ドレスデン国立歌劇場」と、まさにドイツ音楽界の王道を駆け抜けつつあった。
日本でも、二期会でワーグナーやシュトラウスの日本初演をやってのけるなど、内外でオペラ指揮者として誰しもが認める存在になっていた。

そんなロングキャリアの若杉先生が、満を持して「新国立劇場」の芸術監督に。
新国はなんと「オペラパレスなどという、コメントしがたいあまりにも素晴らしい愛称がついてしまったが、今後の運用・演目には若杉氏ゆえ、大いに期待がかかる。

「音楽の友」誌を立ち読みしていたら、氏のインタヴューが出ていて、氏いわく、古今のオペラの代表6作は、「ドン・ジョヴァンニ」「トリスタン」「ボリス・ゴドゥノフ」「ペレアスとメリザンド」「ヴォツェック」あと何だっけ?「オテロ」か「ファルスタッフ」・・・・。

これらが、新国では上演されてないことを指摘していて、自身「トリスタン」は唯一指揮する機会がなかったので、是非に・・・、という内容であった。
私にとって、こんなにピピ~ンとくる大好きレパートリーの日本人指揮者はいないよ!と感銘を受けた次第。ちなみに、あとは「飯守氏」と「尾高氏」ですな。(小声で「大友氏」)

Wakasugi 20年前の若すぎの若杉氏。
ドレスデンのルカ教会での録音スナップ。細い。妙なズボン。
そんなことは、ともかく細かくも的確な指揮が当時のドイツで受けた。
小沢征爾に出来なかった劇場での活躍。
ドレスデンの素晴らしい響きは言うにおよばず、いつでも幕の開きそうな雰囲気が満ちていて、旋律の歌わせ方も単なるオーケストラピースのそれではない。
劇場のヒト、「若杉弘」の素晴らしい記録であり、円熟期にある氏の「日本国立歌劇場」での活躍、そう具体的には「トリスタン」上演を大いに期待したくなる1枚のCDである。

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2007年4月 8日 (日)

バッハ 復活祭オラトリオ ヘリヴェッヘ指揮

Sakura_osaka_castel 桜もこの週末が見納めかな?
大阪城の桜の大写し。

桜は見る分には、美しく楽しいが、散ったあとが大変。
実家の前に、山桜が立っていて、これが咲き終わり散り始めると大変。
雨でも降れば、庭に、車に付着した花びらに往生することとなる。

テレビで見たけれど、この花びらを競って食べてる猿たちがいるんだそうな・・・。

Bach_osteroratorium

今日、日曜日はキリスト教でいうところの復活祭、イースターである。
キリスト教最大のお祭りでもあるが、いうまでもなく日本ではまったく無視。
クリスマスをあんなに商業的に楽しんでしまうのに、無節操な日本人。
 年に1回は、神妙に他国の宗教のことを考えてみてもいいのかも。

バッハの宗教曲は教会歴に沿った膨大なカンタータと、大小ミサ曲、クリスマス・オラトリオ、そして聳え立つ二つの受難曲があるが、この受難曲がイエスが十字架上で事切れ、終わっているのに対し、これらを補完する「復活」を扱ったのが、「復活祭オラトリオ」BWV249である。

1725年、バッハ40歳の時にヨハネ受難曲が演奏された三日目に初演されている。
曲は50分足らずなので、受難曲のように構えなくてよい。
冒頭のシンフォニアと、美しいオーボエソロを伴なったアダージョの2曲のオーケストラ曲に始まり、復活の様子を弟子やマリア達が語るレシタティーボとアリア、合唱曲と続く。
全体に明るく、抒情的な雰囲気で、ここには峻厳なバッハの顔は見当たらない。

バッハをいつもすっきりと、テンポよく聴かせている「ヘリヴェッヘ」は、ここでも実に気持ちいい演奏ぶり。
リヒターに疲れた時は、ヘリヴェッヘがいい。
音楽に深みや意味を求めすぎる、評論家筋の評価は、特にロマン派系の音楽を取上げたときに芳しくないが、私は結構この人好きなのである。
フランクの交響曲など耳が洗われる思いがしたのだが。

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2007年4月 7日 (土)

チャイコフスキー 交響曲第5番 アバド指揮

Asakusa_sakura_1 桜のある風景。
今日は、昨日撮った「浅草」のアサヒビールの○○○ビルを背景の1枚をどうぞ。

浅草には幸運なことに、隔週くらいで訪問しています。
しかも、訪問先はこの画像の近く。
隅田川沿いのビルの上階で、いつも厳しい打ち合わせを行いながらも、窓の外はこの○○○が鎮座していて、心和ませてくれるのであります。
ここからは、お花見も、隅田川の花火大会もベランダから臨むことができて、夢のような立地なのであります。そして、近くには、「カミヤバー」を始め、有名な店がたくさん。
そして、浅草は、日本人の各地のなまりばかりか、世界中の言語に満ち溢れる国際観光地なのであります。
だから○○○は、このオブジェ本来の意味であるところの「炎」。そう前進を意味する「躍進」をかたどっていると、ここに宣言しておかなくてはなりませんね。

Abbado_tyaiko5 今日の1枚は、そんな「炎」ような「躍進」が音楽の隅々に感じられる演奏を。
超メジャーとなった名曲、チャイコフスキーの第5交響曲を、「アバド指揮ロンドン交響楽団」で。

1970年、アバド38歳の録音。
そう、日本は万博の年で、大阪フェスティバルホールに、キラ星のごとく世界中から名オーケストラやオペラ団が訪れた。

当時はアバドは、デッカに数枚録音していたが、日本では「若い俊英」と評されるだけであった。

カラヤンやベームのドイツ系ばかりが本格扱いされ、イタリアの若い指揮者などは、「イタリア人らしくよく歌う」とか「明るい」とかいうレッテルしか貼られず、あまり聴かれなかったように思う。

そんなアバドを強力にサポートしたのが、DGである。
ロンドン、ベルリン、ウィーン、ボストンで、名門オケを相手にロッシーニは別として、カラヤンのレパートリーを次々に録音していった。
スカラ座とのヴェルディ、シカゴとのマーラーは、もう少しあとのはなし。
今日のチャイコフスキーもまさに、カラヤンの得意分野。
これ以前にニュー・フィルハーモニアと2番、このあと、ウィーンフィルと6番4番を録音したが、DGでは全集に至らなかった。
後に、全集の一環として、シカゴ響と。さらにベルリンフィルとも録音しているが、このロンドン響とのものは、アバドとの出会いの頃の、私にとって一番大切な1枚である。

響きが豊かで、かつ全体がしっかりとまとまっていて、交響曲としての枠組みが完璧なカタチで示されている。
でも、節度を保った豊かな歌に満ちていて、オケがニュートラルなものだから、しなやかな雰囲気は聴いていてホンワカとしてしまう。特に第2楽章。
終楽章も前途豊かな希望に満ちていて、前へ進む力に満ちているが、強引さは少しもなく、オペラの一場面のように劇的であると同時に、自然な感情の高まりが音に現れていると思う。

円熟の極にある、アバドという指揮者をこうした過去の演奏で聴いていただくのも、アバドが昔から変わらなかったことが認識できるものと思う。

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2007年4月 6日 (金)

ワーグナー 「パルシファル」第3幕 クナッパーツブッシュ指揮

Matsusaka_castle_1 昨日に続き、お城の桜。
こちらは、三重県松阪城址の桜。
小高い平山にある城跡の天守閣があったあたり。
ここからは、松阪市内の眺望が望める好立地。
秀吉の時代、蒲生氏郷が築いたとのことで、信長の安土を参考に、町内は自由交易で栄えたといいます。
三井物産の祖、三井家もこの地が発祥とのこと。そんな由緒あるところがそこらじゅうにある。
いやはや、西日本の歴史は重い。
それに比べると、関東は江戸以降だから、関西から見ると、「東京なんぼのもんじゃい」というのもわかりますな。

Parsifal_kuna60 今日の金曜日は、キリスト教では「聖金曜日」。
イエス受難の日で、弟子達と「パンと葡萄酒」による「最後の晩餐」をとりおこない、「ユダ」の裏切りによりユダヤ教の司祭らに引き渡され、民衆の無慈悲な煽動による裁判で「十字架」に架けられる。

この「晩餐」でイエスが使った盃が「聖杯(グラール)」である。十字架上のイエスを楽にするために横腹を突いた「槍」が「パルシファル」において「アンフォルタス」を傷つけ、そして最後には開放する「槍」である。おまけに「聖杯」はこの時のイエスの血も受けている。
ワーグナー好きには、いわずもがなの物語だが、この「聖杯」を守る騎士達の王が、「アンフォルタス」から「パルシファル」へと引継がれ、その息子が「ローエングリン」と相成るわけ。

この「聖杯」を巡る伝説は、中世のアーサー王や騎士団の伝説と符合し、「聖杯」を探求する冒険・旅、しいては自己探求という放浪の旅を希求させた。
このあたりは微妙に「タンホイザー」の世界にも通じる。
日本人には理解しがたい観念として、こうした「聖杯探求」という行動通念が欧州人にはあったらしい。
 そして恐ろしいことに、かの「ヒトラー」も「聖杯探求」に憑り付かれた人物であった。
「聖杯」を所有することで、世界が支配できるという観念で・・・・。
事実、「聖杯」には不死・復活・再生・・といった秘蹟が込められているとされた。

人間の欲望と冒険への情熱、そして人間の魂の開放という宗教の概念を超えてしまう恐ろしい武器となりかねない「聖具」。恐ろしいことだ。
音楽で私たちを支配し、虜にしてしまう「ワーグナー」も「聖杯」を求め続けた一人なのかもしれない。

奪われた槍を奪還したパルシファルを迎えた老臣グルネマンツが、聖金曜日の奇跡と厳かに歌う。音楽は高揚し、胸が高鳴る感動を覚える。やがて緑の野辺は花に染まり、言葉に尽くせぬように美しい音楽が展開される。
クンドリーは、パルシファルから洗礼を受け、初めて涙を流すことを覚え泣き伏せる・・・。
素晴らしすぎる音楽の泉。ここにはワーグナーの毒なんてひとつもない。
純粋に美しい音楽のみがある。

Parsifal_4 戦後バイロイトのパルシファルの定番。
ヴィーラント演出とクナッパーツブッシュの指揮。
14年間続いたこのコンビによる演奏は、おそらくほとんどが手に入るかもしれない。
私は5種類を持つのみだが、今日の1960年盤は、即興的な要素と深淵な雰囲気に満ちた名演。

    アンフォルタス:トマス・ステュワート  グルネマンツ:ヨーゼフ・グラインドル
    ティトゥレル  :デイヴィット・ワード  パルシファル:ハンス・バイラー
    クンドリー   :レジーヌ・クレスパン クリングゾル:グスタフ・ナイトリンガー

      ハンス・クナッパーツブッシュ指揮  バイロイト祝祭管弦楽団

テオ・アダムやヤノヴィッツらが、脇役にチョロっと名を連ねているのも楽しい。
聖金曜日の夜に聴く「パルシファル」は格別でありました。
 

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2007年4月 5日 (木)

フランシスコ・アライサ オペラ・アリア集

Osaka_castle 三重から大阪へまわる出張から帰還しました。大阪は寒かったり、暖かかったり、突然雨が降ったりとせわしなかかったけれど、空いた時間を利用して桜見物やCD屋訪問などをしました。
 夜も珍しく多忙で、関西首脳団の方々とは、今回は交歓することが出来ませんでした。
城があれば、すぐに行ってしまう私ですが、大阪は数えきれないほど来ているのに、「大阪城」は初めて。それも満開の桜の時期に。
日本の城には、桜が似合うのう。

Araizaフランシスコ・アライサ」、この名前を最近聞かないが、欧米の歌劇場では相変わらず活躍しているのであろうか?
アライサの名前は、1981年のスカラ座来日公演で、アバドの指揮により「セビリアの理髪師」のアルマヴィーヴァ伯爵を歌った時に強烈に印象付けられた。舞台は「シモン」しか観れなかったが、NHKが全公演をTV・FMで放送してくれたので、その美しい声と若々しい容姿が日本のファンの間で話題になったものだ。
以降の大活躍は、日の出の勢いで「テノール・リリコ」として引っぱりだこになった。
イタリア、フランス、ロシア、モーツァルトと、リリコのレパートリーは大方制覇してしまった。
その後、徐々に重い役柄に挑戦を始め、カヴァラドッシ、シェニエ、バッカス、ワーグナー(ローエングリン、ワルター、ローゲ等)も歌うようになった。
頭脳派テノールとしては、当然の挑戦であり、当然の帰結であった訳だ。
最近聞かれないのは、こうした無理がたたったのであろうか?
リートなどに活路を見出しているのであろうか。

1950年、メキシコ生まれ。メキシカンながら、先輩ドミンゴやカレーラスと同じく知性的なアプローチによる端正な歌は、持ち前の美声とともに、テノールを聴く楽しみを充分に味わえる。どちらかというと、明るいドミンゴよりは、陰りを含んだカレーラスの個性に近いと思う。

このCDは1986年にロンドンで録音されたもの。
「リゴレット」「トラヴィアータ」「マノン」「ウェルテル」「トスカ」「ボエーム」「オネーギン」「アルルの女」などから歌われていて、伴奏は「アルベルト・ゼッタ指揮イギリス室内管」。
どのアリアも、キッチリと歌われているが、私が気にいったのは「ボエーム」の「冷たい手を」。並み居るテノール・アリアのなかでも大好きなこの曲。アライサは情熱を込めた真摯な歌いぶりでなかなかに泣かせる。
ゼッタのオペラを知りぬいた指揮も雰囲気がいい。室内オケの見通しのよさもいいもんだ。

Araiza_walter でもワーグナー好きとしては、アライサのワーグナーやシュトラウスが聴きたかった。
男のわたしが言うのも何だけど、あの容姿だもの、ワルターにローエングリンは最高でしょ。

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2007年4月 1日 (日)

バルトーク 「青ひげ公の城」 ハイティンク指揮

Marines_2 新聞屋さんにもらったチケットで、マリンスタジアムに。
今日は暑いくらいの陽気で、海が見えるスタジアムはほんとうに気持ちよかった。
最初のビールのおいしかったこと!
地元「ロッテ対ソフトバンク」、親子ともに「ベイスターズ」ファンだけど、浮気先は私が「ロッテ」、息子が「ソフトバンク」ということで、本日は親子対決に。

試合は、最初からソフトバンクの強力打線が炸裂し、ソフトバンクペースに。
もう飲むしかないね、お父さんは。

Cheese_steak_1 食べたのは、「Cheese Steaks」のステーキ・サンド。フィラデルフィアの味ということだけど、よくわからない。
でもフランスパンにとろけるチーズにバーベキュー味の肉がぎっしり詰まっていて、ほんとうにおいしかった。
ビールに最高!

あとは、本格インドカレーの店で、タンドリーチキンを。

居酒屋状態のマリスタでありました。

Bartok_bluberard_castel

バルトークの唯一のオペラ「青ひげ公の城」は、1時間のコンパクト作品ながら、独特なハンガリー語を前提に書かれているため、他国語での上演がなかなか難しいらしく、舞台ではあまりお目にかかれない。
おまけに、1時間上演で、あと何をセット上演するか?
難しい1時間であろう。

1911年の作。原作は童話作家のペロー、台本はバラージュというハンガリー人。
わけわからんハンガリー語による歌唱つきだが、オケコンやマンダリン、協奏曲などが楽しめれば、このオペラはどこをとってもバルトーク。聴きやすい音楽であろう。

「孤独な青ひげ公は、ミステリアスな人物で、今日も青ひげ公に見せられた女性ユディートが城に着いて来る。女はどこまでも着いて行くという。城に入ると7つの扉があり、その扉をひとつひとつ開いてゆくが、それぞれ武器や宝石、花園、太陽に輝く肥沃な土地・・・などが現れるが、みな血ぬられている。
最後の7番目の扉から、3人の女たちが出てくる。かつて青ひげ公が愛した女たち。
ユディートは惨めになるが、今度は自分が4番目の女となり7番目の扉に消える」

変な物語。隠した性癖をもった男に尽くしてしまう女・・・・。なんだかねぇ。
7という数字は、意味深い。7の前の6は不吉な数字で、悪魔の数字とも言われるらしいし、7が揃って安息があり、完璧になるという。

でも音楽は、素晴らしい。第5の扉(肥沃な領地)を開いた時の輝かしい音楽をピークにして前半はクレッシェンド、後半はディミヌエンドしていく緻密な構成で、扉ひとつひとつの音楽がそれぞれに個性的で楽しめる。

  ユーディト:アンネ・ゾフィー・オッター  青ひげ公:ジョン・トムリンソン
    ベルナルト・ハイティンク指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

Otter_thomlinson1 Otter_thomlinson_2   クールで蒸留水のような声のオッターは、以外にこの役にピッタリ。そしてワーグナーでも歌うかのようなトムリンソンも実に立派な声で感心してしまう。
ちょっと立派すぎて、ちょいワル臭さがあってもいいかも。
それでもって、ハイティンクのキッチリした指揮のもと、ベルリンフィルの舌を巻くようなうまさと豊穣さ。
あとの贅沢な悩みは、この演奏が洗練されすぎていること。こうした変な男と女の物語には、土臭さも必要では・・・・。

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