シェーンベルク 「グレの歌」 ブーレーズ指揮
いい天気で、気持ちがいい。気掛かりなことや、嫌なことはたくさんあれど、一時忘却して楽しもうではないの。
こちらは、相模湾の日の出。眩しさに目がくらむようだった。
満を持して、というか久しぶりに「アルノルト・シェーンベルク(1874~1951)」の「グレの歌」を聴いた。
この長大な曲を初めて聴いたのはもう何年前だろう?
74年頃にEMIから「フェレンチーク」盤が出たときに、FMで聴いたのがそう。
その時はさっぱりわからなかったし、「清められた夜」しか知らなかった私には、その延長線にある音楽だな、程度の認識しか持たなかった。
その後に、12音技法による、ピアノ作品(ポリーニ!)やオーケストラ曲を聴いてびっくり。同じ作曲家とは思えなかった。
高校生くらいから、ワーグナーやマーラーと同じように、新ウィーン楽派の作曲家たちを好んで聴くようになり、再び「グレの歌」が視野に入り出した。
そのきっかけは、今日の「ブーレーズ」盤と「小沢」のフランス国立管とのFMライブだった。
「清められた夜」と「ペレアスとメリザンド」の合間の1900年頃から作曲を開始し、長い中断を経てオーケストレーションが完成したのが1911年という。
作曲家の「シュレーカー」が初演し、大成功だった。
デンマークの作家ヤコプセンの同名の詩に作曲され、膨大なオーケストラと合唱、独唱を伴うオラトリオのような作品。
そのまんま「ワーグナー」である。
第1部のヴァルデマール王と乙女トーヴェの愛の二重唱は、トリスタンそのものの官能の世界。
テノールとソプラノで交互に歌われる9つの歌は、ツェムリンスキーの抒情交響曲との類似性も見られる。
山鳩が王の妻の嫉妬で、トーヴェが殺されたことを歌う。鳥の登場は、ジークフリートの世界。
第2部は短いが、王の恨み辛みのモノローグ。
そして第3部は、怒りで荒れ狂う王の狩の様子。これはまさにワルキューレ。
そして王に付き従う道化は、性格テノールによって歌われるとミーメそのもの。
最後は、シェーンベルク独特のシュプレヒゲザンク(語り)により、明るさがよみがえり、光り輝く生命の始まりが語られると大合唱による大団円となる、わけ。
ブーレーズの解像度の高いレンズを通して見た「グレの歌」は、整然・完璧・クール・・・、といった言葉が浮かぶ。
ここまで白日のもとにさらせれた演奏に、逆に恐ろしいまでの美しさを感じる。
情や熱、色といった要素は薄いが、これまたこの作品の持つ一面を怪しいまでに照らし出しているように思う。
BBCのオケの優秀さも大いにプラス。
歌手も当時のワーグナー歌手のベスト。
ワルデマール王:ジェス・トーマス トーヴェ:マリタ・ネイピア
山鳩 :イヴォンヌ・ミントン 農夫 :ジークムント・ニムスゲルン
道化 :ケネス・ボウエン 語り :ギュンター・ライヒ
ピエール・ブーレーズ指揮 BBC交響楽団
トーマスの力と気品に満ちた歌はほれぼれとする。当時、ジークリンデやエヴァで活躍したネイピアもカワユイ歌唱。そしてそして、ミントンの清潔な素晴らしさ。
ライヒのシェーンベルクは、鬼気せまるはまり役で、アバド盤がこの人であったなら・・・・・。
こちらが、オリジナルLPジャケット。
外盤の無粋なCDとは大違い。
いい雰囲気だった。
この解説書に素晴らしい文章があった、
「沈みゆく陽の光をうけて、きらめく波を聞いた」
なんていい文章でしょう。
それにしても「トリスタン」はなんという音楽であろうか!
シェーンベルクをはじめ、あらゆる作曲家たちを引き付け、啓蒙し、素晴らしい作品を派生させてしまった。
そろそろ、ワーグナーが私を呼んでいる・・・・。
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コメント
こんばんは。
綺麗な写真ですね。
うっとりします。
「グレの歌」、最初聴いたときは、長さに少々辟易としましたが、年のせいか少し慣れてきました。
ただ、シェーンベルクは、一度真剣に勉強しないといけないなと最近感じています。
彼のことをしっかり押さえておかないと、それ以降の作曲家の音楽の聴き方に関わってくるような気がして・・・。
でも、最後は自分の感性に合うかどうかなんだと思いますが・・・。
投稿: romani | 2007年5月 4日 (金) 22時08分
romaniさん、こんばんは。
有楽町でお忙しいことと存じます(笑)今年こそはと思いつつ、仕事や帰省でひとつも行けません。近くにはいるのですが・・・。
私も12音系のシェーンベルクはまだ五合目ぐらいの到達感です。
旋律を見出すことが出来ないので歌好きの私には手ごわいです。
しかし、ポリーニの弾くピアノ曲は美しさを感じてます。
コメントありがとうございました。
投稿: yokochan | 2007年5月 5日 (土) 00時11分
こんにちは。
「グレの歌」大好きですが、なぜかブーレーズ盤は持ってません。シェーンベルクの完全に無調になってからの音楽はほとんどわかりませんが、初期の声楽曲は本当によいです。
ところで私はシェーンベルク自身のなんとなく「わけわかんないけど愛すべきオヤジ」っぽいところがちょっとツボです。絵もヘタだし。曲が世に認められないから、ちょっとでも世の中の役に立とうと喜んで戦争に行ったなんてという話も聞きます。もうちょっと曲にも親しめるとよいのになあ、と思います。
投稿: naoping | 2007年5月 5日 (土) 10時39分
シェーンベルク。ワーグナーから始まって、マーラー、シュトラウス、ツェムリンスキー、シュレーカー、コルンゴールト(一時期)という流れではけっして落としてはいけない作曲家ですね。本人も歴史的にはそれらの先達や同輩を意識いていたみたいですし。
アッバードとラトルのCDは持ってます。LPでは小澤のをもってました。ブーレーズの演奏だとはっきりいって「つまんない」です。無調に至る前、少なくとも「ピエロ・リュネール」を書き上げる前までのシェーンベルクの音楽は後期ロマン派の音楽ですので。
アッバードが語りを女性にした理由は、第3部の音楽が様式的にいって無調の「ピエロ・・・」に重なるところが有ると判断したからではないでしょうか。ラトルのクヴァストホッフは確かにイモ。アッバードがベルリン・フィルで録音できたのなら、ブルーノ・ガンツを使ったんでしょうが。
でも、ウィーン・フィルのスコヴァは好きですよ。華やかさと色気があって。「気がふれている」んですよね。だから僕のベストはアッバード。大体、オーケストラが物凄く色っぽい!ベルリンはウィーンに比べれば洗練さと色香が足りません。
さて、ライヴでもこの曲を聴くことができました。昨年の大友=東響+京響のやつ。
第1部は半分寝てました。辛い音楽なんです。「大地の歌」1曲分が大体第1部なんですけど、師匠マーラーのようなメロディの才能のないシェーンベルクが、無理矢理テクストに合わせてソロ・カンタータのように仕立てているもんだから無理が来る。所有しているベルクが編曲したヴォーカル・スコア(Dover)をみても、ワーグナーやマーラーのような和声が続くだけで、ところどころに盛り上がる箇所に自然な感興が旋律につけられていないのです。「トリスタンとイゾルデ」のような音楽を書きたかったんでしょうが、ワーグナーとシェーンベルクでは才能に差がありすぎだ、ということなんでしょう。
でも、休憩後の間奏曲風第2部、そして第3部はうって変わって素晴らしい音楽でした。狂人と男性合唱の壮烈な掛け合い。そして語りの入る「夏風の荒々しい狩」の大団円。痺れました。ほとんど最後列だった席でもダブル・オーケストラと男声合唱団3個の音圧はサントリーの空間を満たし、もう陶酔状況でした。
そう考えていくと、シェーンベルクの本領はトリスタン和声の発展である無調音楽そして12音技法にある、と思います。DVDで出た「モーゼとアロン」、管弦楽のための変奏曲、「ワルシャワの生き残り」、未完の「ヤコブの梯子」、「ピエロ・リュネール」、管楽五重奏曲、3番と4番の弦楽四重奏曲などは、旋律が瞬間的な衝動に突き動かされています。無調、12音技法といってもシェーンベルクはいたって古典的でので、マーラーの交響曲-特に9番以降-の音楽に親しんでいればそれほど難儀でもないですし。
投稿: IANIS | 2007年5月 5日 (土) 11時06分
naopingさん、こんばんは。シェーンベルクの前期の作品は私も大好きです。無調以降の作品も積極的に聴いてはいますが、まだまだ把握できません。今秋の「モーゼとアロン」が怖いです・・・。
それにしても、シェーンベルクの戦争の話、いいですね。
あんないかつい顔してて、いいおじさんだったのですな。
作品とのギャップがまた味わいがありますねぇ。
キングはこの曲を歌わなかったのでしょうか?
60年代のクーベリックのDG盤のテノールが誰だか気になります。
投稿: yokochan | 2007年5月 6日 (日) 00時55分
IANISさん、毎度ありがとうございます。
読み応えのあるコメントにただ頷くばかり。感謝であります。
アバドのスコヴァは嫌いではありませんが、少しばかりの場違い感を抱いておりました。イキ過ぎではないかと。
アバドならもっとすっきり感があればと思った次第です。ご指摘のガンツであれば最高でした。でも、私の中ではアバドとウィーンの素晴らしい結びつきの記録としてこのコンビの最高の演奏と思ってます。
「トリスタン」の延長としてのシェーンベルクに、また取り組もうかと思ってます。
素晴らしいコメントをありがとうございました。
投稿: yokochan | 2007年5月 6日 (日) 01時03分
yokochan様今晩は。
グレの歌も長い間食わず嫌いで苦手な曲の一つでした。小沢&ボストンのCDを大学時代に買ったのに長い間未聴でした。同じ後期浪漫派的傾向が濃厚な浄夜やペレアスは昔から大好きなのにグレの歌がどうして食わず嫌いなのか自分でも不思議でした。それがyokochan様の記事を読んで初めて楽しんで聴きとおすことが出来ました。ここはトリスタンとそっくりとか、ここはヴァルキューレそのものとか、道化師はミーメそのものとかワーグナーファンの琴線に触れるようなことが書いてあるからです。そして実際に聴いてみてその通りであることがわかりました。国内盤の下手な解説なんかよりyokochan様の記事のほうがずっと未知の曲を聴いてみたいという気にさせてくれますよ。お世辞なんかではありません。次はアバドのシモン・ボッカネグラに挑戦してみたいと思っています。
ヤコブセンはデンマークが誇る文豪ですね。若くして亡くなった上に寡作な作家ですが、世界文学史に名を残す人であることはグレの歌のテクストだけ読んでも明らかです。数年前に古書店で岩波文庫絶版のヤコブセン短編集「ここに薔薇ありせば」を見つけて100円でゲットしたときは狂喜したものです。
私事で恐縮ですが、私の最近の悩みは本が読めなくなってしまったことです。件のヤコブセンの小説集も、辻邦生先生の歴史小説もツヴァイクも読めないという悲惨な状態です。文学と音楽は私にとって車の両輪です。音楽は問題なく聴けるのが救いと言えば救いですが、両輪の片方がイカレテしまったのは筆舌に尽くしがたいほど辛いです。詩や小説を読んでいても情景が頭に浮かんで来ないのです。一時の気の迷いのようなものであれば良いのですが・・・
投稿: 越後のオックス | 2009年4月 5日 (日) 21時02分
越後のオックスさま、コメントありがとうございます。
こんな駄文をお誉めいただき、くすぐったいです。
というか、やはり音楽が偉大なのです。
だから、言葉やイメージが鮮やかに浮かぶのでしょう。
文学も同じに思います。
でもそれを受けとめる自分の環境や状況によって、その印象は様々ですよね。
越後のオックスさまの、文学に対する一時の悩みも、きっといっときのみで、払拭されることと思いますし、そうお祈りいたします。
投稿: yokochan | 2009年4月 7日 (火) 00時06分
この曲を最初に聴いたのはブーレーズ指揮のLPでした。あのジャケット、デザインも解説(林光氏でしたか?)も今なお記憶に残っています。なんとも趣のあるジャケットでした。そして、この演奏から生涯忘れないであろう衝撃を受けました。当時レコード・アカデミー大賞を受賞したのも当然という思いでした。かくして「グレ」にはまり、主な録音はほぼ聴いてきました。気に入っているのはブーレーズ、ケーゲル、ギーレンの3つです。録音状態はギーレンのSACDが最高で、なんと美しい曲かと聞き惚れています。「グレ」の実演は未体験のため、出来れば本年(2019年)中にと思っています。何と3団体が取り上げる予定です。
投稿: ハーゲン | 2019年1月 6日 (日) 19時42分