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2007年7月19日 (木)

デュリュフレ レクイエム コルボ指揮

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以前、書いたお仕事「ロンドン・パリ編」のパリ版。
パリを起点に車を自ら運転して駆巡る出張。
恐怖のパリの街での運転のドタバタはまたにして、合間にルートをそれて訪れた素適な街をご案内。

ロワール川流域、イル・ド・フランスにある「エタンプ」という小さな町。パリから50km、車で1時間ちょい。もっと先へ行けば古城街道。
フランスのもっとも美しいエリアかもしれない。
まったく予備知識なく、ふと寄った町。
いきなり古びた教会があったので、入ってみた。
帰国後調べたら、もっと大きな史跡や教会もあったようで、いずれまた行って見たい町として脳裏に刻み込んで、はや10数年が経過してしまった・・・・。

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平日の昼間の教会には、人気がなく、ひっそりと静まりかえり、私の足音だけが響く。
心洗われるような、清潔で清新な雰囲気に胸が一杯になった。

その由来は今もって調べてないし、不明だが、保存史跡として財団を組んでいる様子で、佇んでいたら、どこからともなく、関係者と思われる女性が現れて寄付を強く要請してきた。あとで考えたらそう思ったまでで、その時は何がなんだか解からず、へらへら立ち尽くすのみの日本人に成り果ててしまった。とほほ。

Durufle
フランスの教会音楽を。
モーリス・デュリュフレ(1902~1986)のレクイエムは、60年前に書かれた先輩フォーレのレクイエムを規範とした、慈愛と優しさに満ちた音楽である。

近代の作曲家にしては、あまりに保守的な作風で、「ディエス・イレ(怒りの日)」を省き、「天国に」で終結するところまでもフォーレと同じで、その二番煎じとも思われようが、外観は同じでも和声や楽器の使用法などは明らかに近世のものだし、グレゴリオ聖歌も引用した作風はフォーレには見られないもの。

ともかく、フォーレのことは忘れて虚心に聴いていただきたい。
そのあまりにも美しく、心の襞に染み込んでくるような音楽は、聴くほどに気持ちを和ませ、優しく包んでくれる。
単なる癒しの音楽とも違った深い祈りに満ちた音楽の虜となるでしょう。
よく自分の告別式に流す音楽は?。。。などということを考えるが、フォーレとともこのデュリュフレも自分のなかで候補曲にあがる。もっとも、まだまだたくさんあって、永遠に告別式が音楽で終わらないことになるであろう。ハハハ。

作曲者自演盤もあるが、フォーレだけではなく、こちらでも名演を残してくれたのが、「ミシェル・コルボ」。あたたかな眼差しに満ちた素晴らしい演奏。

      Ms:テレサ・ベルガンサ     Br:ホセ・ファン・ダム
    ミシェル・コルボ指揮 コロンヌ管弦楽団/合唱団(84年録音)


A・デイヴィスのソニー盤と、尾高忠明/東フィルのライブ放送も素晴らしかった。

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エタンプの教会の内部。
ゴシック調の調和のとれたシンプルな美しさ。
こうしたところで、フォーレやデュリュフレを聴いてみたい。  

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