ムソルグスキー 「ボリス・ゴドゥノフ」 アバド指揮
ザルツブルクのピットのなかのアバド。
ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」
1869年にアマチュア同然のムソルグスキーが30歳にして完成させた社会派オペラ。
プーシキンの原作に基づき、ムソルグスキー自身が台本を書いた。
完成時、ロシア当局から、アリアや女声の登場人物が少なく、バレエなどの場面がまったくないことに異議を唱えられ、演奏が却下された。すぐにその指摘を補完して完成させたのが、原典版の決定稿である。
初演は大成功だったらしいが、すぐに忘れ去られ、のちにR・コルサコフが手を入れ大幅に改定された。グランド・オペラ的な体裁が整い、この版がずっと「ボリス」の通常版としての地位を占め続けた。
1970年の大阪万博時の「ボリショイ・オペラ」公演では、ボリス個人の悪逆だけを非として、民衆や政治を善とした解釈で、テレビ観劇した小学生の私も、これが「ボリス・ゴドゥノフ」なのだと刷り込まれてしまった。
豪華絢爛たる、戴冠式の場は今もって脳裏にある。
レコードでは、同じ70年代、カラヤンがウィーンで録音したデッカ盤が、やはりグランドオペラとしての「ボリス」の典型で、ギャウロウをはじめとする名歌手達の歌と録音の鮮烈がドラマテックな「ボリス」として捉えていた。
悔恨にあえぐ「ボリスの死」によって、幕を閉じると、個人が引き起こした悲劇が終わって、次代に希望を残した終結と感じさせる。
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その後、原典を見直す動きや、ソ連にも自由な空気が入りはじめたことなどで、80年代からは、ムソルグスキーが本来書いた原色のロシア色に塗りこめられた、救いの訪れない世界を表出するようになった。
ボリスは歴史の一コマに過ぎず、民衆は無知蒙昧で、一時的な熱狂に酔うだけ。
日和見の貴族(政治家)や宗教家。ボリスのあとの息子や、偽皇子も先が見えている。
ボリスが死んだあと、凱旋する偽皇子。
だが終わりのない悲劇が繰り返されるロシア、それを予見する聖愚者のつぶやきで幕となる。
原典版が見据えた社会派的な問題提起。
それを置き去りにしてきた時代はもう過去のものになったのだろうか?
いまの世界、いや日本にも通じるものを、ムソルグスキーが描いたドラマと音楽に見ることができるような気がする。
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この原典版の興隆に一役かったのが、「クラウディオ・アバド」。
アバドは執念のようにムソルグスキーに取り組んできた。
「はげ山」も原典にこだわり、何度も録音している。
「ボリス」にいたっては、各地の劇場で何度も上演している。
スカラ座のオープニングに、これをもってきてしまうほどで、華やかなシーズン開幕を期待した聴衆を驚かせてしまったくらい。
その時のライブもあるが、そのすさまじいばかりの説得力にどんな人間も黙らざるを得ない。
ムソルグスキー 「ボリス・ゴドゥノフ」
ボリス・ゴドゥノフ:アナトーリ・コチュルガ
フェオドール:リリアーナ・ニチテアヌー
クセーニャ:ヴァレンティーナ・ヴァレンテ
シェイスキー公:フィリップ・ラングリッジ
ピーメン :サミュエル・レイミー
グリゴーリィ :セルゲイ・ラーリン
マリーナ :マリヤナ・リポヴシェク
居酒屋女将 :エレーナ・ザレンパ
クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団
ベルリン放送合唱団
(93年11月 ベルリン)
アバドの指揮するベルリンフィルは、いつもは明るい音色なのに、原色のムソルグスキー・カラーに塗リ込められていて渋い。
でも随所に恐ろしいほど見事なアンサンブルを聞かせるし、硬派でありながらも、リズム感が抜群なために決して単調にもならず、むしろ多々ある群集の場面では生き生きとした音楽に驚く。
歌手もふくめて、音符の一音一音にアバドの魂が込められた驚くべきムソルグスキー。
アバドは、1983年にロンドンで、名映画監督「タルコフスキー」(惑星ソラリスの監督)を演出に抜擢し、「ボリス」を上演した。86年にタルコフスキーは病死するが、1991年にも、音楽監督だったウィーンで上演し、94年のウィーンの日本公演にも、このプロダクションを上演した。
NHKホールのS席7列7番という、最高の席で観劇することができた。
金縛りにあったような感銘を受けた。
暗譜で指揮するアバドの指揮棒一本に、歌手も合唱もオケも一体になり、我々聴衆はアバドとタルコフスキーの舞台が提示する問題提起に釘付けとなってしまった。
幕が引けて、渋谷の繁華街に下っても、別世界にいるようでボウっとしてしまったものだ。
先立つ、1993年のザルツブルクでは、時代設定を変えた、ジャケット写真の「ヴェルニケ」演出でも上演している。
タルコフスキーとアバド、同じ年の生まれで、映像の詩人ともうたわれたタルコフスキーに、社会派アバドは大きく共感した。
ソラリス以外の映画は観たことが、これを機に他の作品を見てみたい。
アバドがどこに共感したのかも見据えてみたいから。
タルコフスキー演出の戴冠の場
時代設定を映したヴェルニケ演出の戴冠の場
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コメント
こんばんは。台風のせいもあってか、休み中家にいます。ボリスは以前実演で、聴いたことあります。たしか、ボリショイ劇場の公演だったと思います。その予習として、カラヤン盤と、もう一つ有名だった(指揮者忘れ)ボリス・クリストフの歌っているのとを聴きました。カラヤン盤の方がおもしろかったような気がします。
今ビデオでアバド=ウイーン時代のライブの「ボリス」「ホヴァンシチーナ」が入っているのをときどき少しづつ見ていますが、なかなかに感動的です。ウイーン日本公演は、高すぎて買えません。
そうそう、11月のデッセーのチケット、買いました。
投稿: にけ | 2007年7月16日 (月) 21時01分
にけさん、こんにちは。
私は不謹慎ながら、台風のおかげで、オペラ三昧でした。
3本聴きましたが、ボリスが一番内容が濃く、重たい作品に思われます。
クリストフのものはクリュイタンス盤だと思います。
Rコルサコフ版と原典版では、受ける印象がまったく異なります。
アバドという真面目な指揮者の真髄は、こうした作品に出ているような気がします。
私も、ナタリー様のチケット購入しましたよ。楽しみですね。
投稿: yokochan | 2007年7月17日 (火) 00時09分
おじさんといわれる年齢になっているのに未だにボリスの全曲を聴いたことが無い越後のオックスです。ストコフスキーが編曲したボリス・ゴドゥノフ組曲というものがあり、それはストコの弟子だったホセ・セルブリエールの指揮したナクソス盤で何度か聴いているのですが、オペラの全曲盤はまだ一度も鑑賞したことがありません。笑っちゃうでしょう?文学的戦闘力を復活させるためにフランスの伝記作家アンリ・トロワイヤのドストエフスキー伝を読み始め、ようやくドスト先生がシベリア流刑されるところまで読んだのですが、疲れて先に進めなくなってしまいました。このトロワイヤという作家、ことの他面白くて、他の大作家の伝記や小説も読みたくなりました。プーシキンやゴーゴリやチェーホフやフローベールやボードレールやヴェルレーヌの伝記まで書いている人なのですね。しかも96歳で2007年になくなられるまで生涯現役だったようです。ストコフスキーも朝比奈先生もビックリです。でも読むのに張り切りすぎてくたびれてしまったようです。こういうときは音楽かガンダムか貴ブログだと思い、性懲りも無くやってまいりました。原点版で演奏するのに徹底的にこだわるところがアバドらしいですね。大演出家のタルコフスキーとコンビを組むところもアバドらしいです。私はこの前、ラザレフ指揮ボリショイ劇場のDVDを買いましたのでこれからゆっくり鑑賞しようと思います。これはリムスキー版のようですね。アバド指揮のシモンやシャイー指揮のジョバンナ・ダルコもまだ全部見ておりません。ムーティのドン・カルロスもです。全部鑑賞し終えるのは何時のことになるのでしょうね・・・・
投稿: 越後のオックス | 2010年1月 8日 (金) 16時07分
越後のオックスさん、こんばんは。
ラザレフの映像をお買いになったのですね。
DVDでは私も持ってました。すっかり失念していてまだ観てません。
DVDはなぜかそんな扱いになって、なかなかじっくりと観る機会がないものです。
そんなかで、記事にありますようにアバドの実演舞台は、シモンやトリスタンと並んで生涯忘れえぬオペラ体験となってます。
小澤さんのボリスは、テレビで観ました。
Rコルサコフの従来版で、岡村喬夫さんのボリスでした。
いずれにしても、オペラを映像で楽しむのも時間が必要であります。
そして、すごく濃くて絶倫の作家でございますなぁ。。。。
投稿: yokochan | 2010年1月 9日 (土) 00時28分