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2007年7月11日 (水)

マーラー 交響曲「大地の歌」 ショルティ指揮

Solti_mahler_erde 昨晩は、二人のディーヴァのR・シュトラウスの異なる告別の音楽を聴いて、亡き名歌手たちを偲んだ。
今日も異なる「告別の音楽」を聴くことにしてみた。「大地の歌」自体は交響曲といいながら、連作歌曲のような彼岸の作品。

あとがない第9の番号のジンクスに恐れを覚え、無番号の作品としたのが「大地の歌」。そして宿命のように、次の純粋シンフォニーは、第9と付けざるを得なくなり、第10の完成を見ることなく、世を去るマーラー
死の影を引きずった「大地」と「第9」。
このふたつの厭世的な概念には抗し難い魅力があるが、それゆえ始終聴ける音楽でもないと思っている。
 マーラーは「大地の歌」を聴いたら「自殺者がでるのでは」とワルターに語ったという。
不謹慎だけど、駅のホームでこんなもの流したらどうなってしまうんだろう、ただでさえ・・・。
もっとも、ここ10数年でマーラーがごく普通の音楽として定着してしまったから、今更そんな柔なヤツはいないだろうけど。

「大地の歌」は、指揮者やオケがよくても、歌手に人を得ないとどうしようもない。
メゾのパートは、かなり神妙に書かれて、音楽そのものが「秋」「美」「告別」と物事の本質に迫った深い音楽だから、じっくり慎重に歌えば長大だけど何とかなる。
でもテノールは、「酒」に酔って世を憂えたり、「青春」を語ったり、「春」に酔いしれたりするもんだから、羽目を外して妙に浮ついて歌ってしまうと軽薄なだけの歌になってしまう危険がある。

ワーグナー役を歌うヘルデン系やリート系の歌手が歌う場合が多いが、意外やワーグナー系の歌手は、オペラチックに歌いすぎてしまい、先の軽薄さに陥ってしまうような気がする。
キングやイェルザレム、ケーニヒ、ヴィッカースなどがそれにあたると思ってしまう。
リート系は、浮ついたところを押えつつ歌うから声が軽量でもサマになる歌を聴かせる。
シュライヤー、ウンダーリヒ、パツァーク、ヘフリガーなど。

さて、今日の「ルネ・コロ」はどうだろうか。
一時ひっぱりだこになって、同時期に3種の録音に登場した。
ショルティ、バーンスタイン、カラヤンと3大指揮者のもとで。
基本は変わらず、いつもの「コロ」の輝かしくも若々しい声だが、客観的な歌いぶりがどこか醒めて聞こえる。結果、音楽の真実味が増して聴こえることになったと思う。

カラヤンは正規盤は未聴で、FM放送のみだが、ややムーディ。バーンスタインは本来濃厚に染まるところが、イスラエルフィルも含め、どこか徹しきれない気がしてしまう。
その点、ショルティとシカゴは縦の線がピシリと決まり、割り切った明快なサウンドが白痴美的なドライな印象を与える。この妙にベトつかないマーラーもいい。
厭世感とは、一歩おいた表現だが、70年代から始まったシカゴを舞台とするマーラーは、客観性と高い表現能力と音楽性において現在のマーラーブームの下地を形成したものだと思っている。コロの歌は、そうしたショルティの、シカゴのマーラーに即したものと感じる。
「イヴォンヌ・ミントン」の美声ながら淡白・清潔なニュートラルな歌もそこにピタリと収まっている。
「ルートヴィヒ」の歌声も心の隅で気になりながら、ミントンの歌もとても好きだ。

Ewig....Ewig...最後の「永遠に・・・」が、こんなに明快に歌われるのはないかも。
それにしても、「王維」と「孟浩然」の詩の内容の深さといったらどうだろう。
当時の西洋には驚きの虚無の世界であったろう。
この詩の世界にどっぷり浸かるには、もっと別の演奏がいいのかも知れないが・・・・・。

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コメント

こんにちは。

ショルティ&シカゴのこのディスクはまだ聴いていないのです。
コンセルトヘボウとの新録音を聴いているので、ま聴かなくてもいいかな?と。でも記事を読んでいるとやっぱり聴きたくなります。
マーラーのディスクはなるべく買わないつもりでいるので、悩ましいです。

投稿: ピースうさぎ | 2007年7月12日 (木) 05時44分

ピースうさぎさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
私もマーラーは封印したいのですが、気になりだすとどうしようもないですね。こちらは、コンセルトヘボウ盤がどうにも気になります。
ショルティとコンセルトヘボウって昔の4番も未聴なんですが、評判いいですね。

投稿: yokochan | 2007年7月12日 (木) 23時49分

こんにちは。
このところ空梅雨どころか、どんより重い日が続きますね。
この曲、いまだに距離感がかなりあります・・

以前の記事のTBでコメントに変えますので、よろしく!

投稿: edc | 2007年7月13日 (金) 07時20分

euridiceさん、こんにちは。
台風が近づいてきて、被害も出はじめ、心配であります。
こんな時には、少しめげてしまう曲かもしれません。

ホフマンの大地の歌の存在は知ってましたが、初めて聴かせていただきました。いつものホフマンですね。
ジュリーニの正規盤のアライサとファスヴェンダーもよかったです。
ありがとうございました。

投稿: yokochan | 2007年7月14日 (土) 00時04分

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» マーラー「大地の歌」1980年ジュリーニ指揮 [雑記帳]
この曲を初めて聞いたのはいつごろだったかはっきり覚えているわけではありませんが、オペラに興味を持つよりずっと前、もうすっかりCD時代でした。最初に聞いたのは、バーンスタイン指揮、イスラエル・フィルのライブ録音盤(SONY1972年) この時は歌手が誰かということには全然興味がなくて、名前の確認さえしていませんでした。それから、歌曲をあれこれ聞いていたころ、フィッシャーディスカウが歌っているというので、またバーンスタイン指揮、ウィーン・フィルの録音(DECCA1966年)このときももう一人のソリスト... [続きを読む]

受信: 2007年7月13日 (金) 07時18分

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