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2007年8月

2007年8月30日 (木)

マーラー 交響曲第3番 アバド指揮

Abbado_mahler3 このところの涼しさに、かえって猛暑の時の体の疲れが出てしまうようだ。
朝起きれない、眠い。
朝、ぼ~っとしながら、歯ブラシに歯磨き粉をつけて口に入れた。
げげっ~つ!!なんじゃこの薬品は。
娘の洗顔フォーム「クレアラシル」じゃねえか!青と白のチューブでいかにも歯磨き粉のようだ。
悲しいよう。。。。

そんなオバカなわたしだけど、音楽のこととなると、身が引き締まりキリリとします。
去る夏を惜しんで、マーラーの3番の交響曲を聴くことにする。
この曲はマーラーの自然観、肯定的な人生観、愛への思いなどが幸せな形で表現されていると思う。年中イケルが、夏の朝や晩に涼しい風に吹かれながら聴くと、また爽やかな幸福感もひとしおである。
かつては、6楽章まであり、100分もかかる長大さに、聴いたこともないのに敬遠していたものだ。バーンスタインとショルテイ、ホーレンシュタインぐらいしかレコードもなかったし。
時代がマーラーの予言どおり、その作曲家を受け入れてからは、人気曲のひとつとなった。オーケストラの演奏能力の向上もあって始終演奏会に登っている。

Abbado そんな3番の私のフェイバリットは、アバドとウィーンフィルの旧盤である。
1980年のこの録音は、ウィーンとの蜜月の幸せな結実のひとつでもある。

隅々まで目が行き届き、ゆったりと、どこまでも自然な感情に裏うちされた素直な演奏。
その伸びやかな歌心に、ウィーンフィルが全面的に協力している。
指揮者とオーケストラの個性が、完全に一体化してしまった稀な演奏ではなかろうか。
健在だったG・ヘッツェルのもとのウィーンフィルは、現在ほどインターナショナル化しておらず、ウィーン訛りもそここに聴かれる。
ムジークフェラインの響き、そのもののような名録音も花を添えている。

アバドは99年に、ロンドンでベルリン・フィルとのライブを再録音している。
ウィーンとベルリンの両方で、さらに他曲はシカゴでマーラーを録音した指揮者は、アバドをおいてほかにない。
ベルリン盤は、表現がもっと自在で、流れがよく大河のような大らかさがある。
加えて、ウィーンの柔に、ベルリンの剛にして明晰。でも共通しているのは、全編に流れる歌とマーラーへの熱い共感だ。

そして今年、アバドはルツェルンでこの3番を再び取上げた。
この8月、ロンドンのプロムスでも出張公演を行なった。
この模様はBBCのネットライブですぐさまに聴いた。
このところのアバド/ルツェルンのトレンドで、快速感があって、かつ音のひとつひとつの充実度が、オケの高性能もあって並外れて漲っている。
いずれNHK放送もあろうし、DVD化もあろうが、マーラーへの愛情が満ちた、これまた幸福感一杯の3番になっていることだろう。

余談ながら、今年のプロムスは例年にもましてスゴイ。
ハイティンクとコンセルトヘボウが、「ブル8と、トリスタンとパルシファル」、ドゥダメルが「ショスタコ10」、S・オラモが「エルガーのアポステルズ」、ヤンソンスが「第9」、そしてリングシリーズ最終回は、ラニクルズの「神々の黄昏」
この黄昏は、実によかった。ブルーワー、アナセン(どうしちゃったの?くらいの立派さ)、トムリンソン。BBCのオケ。みんな素晴らしい。
ラインはラトル、ワルキューレはパッパーノ、ジークフリートはエッシェンバッハ(パリ菅だぜ!!)。こうした4部作。
まさにプロムスの厚みを思い知らされる思い。NHK音楽祭だかも、もっと激しくやってよ。

再度、終楽章「愛が私に語ること」を聴いている。
少年合唱の「ビムバム・・・・」が静かに消えると、そおっとした雰囲気であの素晴らしい旋律が流れ始める。
アバドのウィーン盤がこのあたりは最高だ。
Img_ceremony01_01_2 今を去ること、愛情(??)も去ること数十年前、舞浜の某ホテルにて行なった、拙者の結婚式の背景音楽は自分が選んだ(無理やり)好きな曲ばかり。
「ローエングリン」「喋々夫人」「ショパンの協奏曲2番」「ラヴェルのP協奏曲」「ラフマニノフの交響曲2番」「ディーリアスの楽園への道」「ビージーズの愛はきらめきのなかに」「ナット・キング・コール」・・・・
そしてトリは、このマーラーの終楽章。しかもアバドのこの演奏。
式の終了の挨拶に、両家を代表して・・・・、亡き父が訥々と感謝の言葉を述べた。
その背景に流れるマーラーの音楽。
散々飲まされていた私も、ことここに至って神妙になり、涙がはらはらとこぼれてしまった・・・・・。

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2007年8月29日 (水)

ポール・エルミング ワーグナー

Yurigaoka_a 札幌の百合丘公園。

パルシファル」第3幕の野辺での洗礼の場は、こんな美しい花畑であって欲しい。

でも本当は、もっと粗野で、かつ楚々とした花が点々と咲いているほうが、聖金曜日のイメージなのかもしれない。
ワーグナーが書いたこの場面の音楽は、そんな絵のように美しく、禁欲的であるはず。

Yurigaoka_b

第2幕の花の乙女たちの誘惑、そしてクンリーの妖艶な魔の手は、原色のユリの花こそ相応しい。
こんな色のドレスが恐ろしく似合ったのが、ヴァルトラウト・マイアである。
アンフォルタスも、私ら、お父さんチームも、その魔力の元に当然のごとく平伏してしまう。
偉いぞパルシファル!

Elming そんな偉いパルシファル列伝のなかのひとりが、デンマーク出身の「ポール・エルミン」だ。

バレンボイムのリングで1990年にジークムント・デビューしたエルミングだが、本来はバリトン歌手として出発していた。
解説によれば、遡ることバイロイトデビュー10年前には、パパゲーノやシャープレス、フィガロの伯爵などを歌っていたらしい。
まさにシンジラレナ~イ思いだ。

確かにその声は立派なバリトン域に裏うちされた、力強さがある。
独断で申せば、怒られるの承知で、P・ホフマンとイエルサレムを足したような声・・・・。
かなり誉めすぎかもしれないが、90年代の全盛期には、ジークムントの「ウェールゼ・・・!」、パルシファルの「アンフォールタース・・・!」の絶唱が、それこそものの見事に決まりまくり、FM放送を聴きながら快哉を叫んだもんだ。

そんなエルミングも、録音にイマイチ恵まれず、バレンボイムのリング以外、唯一の正規録音といってもいい「ドホナーニのワルキューレ」は未聴だし、廃盤のまんま。
実演でも、結構体調不良でコケル人で、東京での「バレンボイムのワルキューレ」公演では不調を押して出演するとのアナウンスが入った。でもかなりの力投で、満足の出来栄えだったけど。
しかし、別公演の「パルシファル」演奏会形式では、出演出来ず、当時経験不足のアナセンが譜面に顔を突っ込みながら歌った。
その後、「シュタインN響」のパルシファル3幕と、G・アルブレヒトの「パルシファル」の両方共に聴くことが出来て、いいコンディションのもとでのエルミングの素晴らしさを確認できた。

今回のCDは、2005年と6年にデンマークにて録音されたもので、最新のエルミングの様子がいい音で確認できる。
」からローゲのモノローグ、「ワルキューレ」から2曲のソロ、「パルシファ 」から2・3幕の抜粋。

もう少し早く録音して欲しかった・・・、というのが正直な感想。
少しぶら下がりぎみの音程の甘さが気になる。
声にも往年の力強さが欲しい。
残念な限りだが、随所に役柄を歌いこんだ味のある歌が聴かれることも事実で、「ジークムント」と「パルシファル」に徹したエルミングの良さが味わえる。
最近は、ローゲやミーメのキャラクター役を演じているらしい。

たっぷり収録された「パルシファル」でのクンドリー役、「Nina Pavlovski」がむしろ素晴らしいと感じた。同じデンマーク出身で、日本(たぶん新国)でも歌っているらしい。
硬質で、キリリと締まった歌声がとても好感。
オケは、日本でお馴染み、D・ハウシルトが指揮する、アンデルセンゆかりの地、オーデンセ交響楽団がなかなかにワーグナーの味を出している。
北欧陣は、歴代ワーグナーに強い。神話とヴァイキングの血が流れている・・・・、な~んてね。

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2007年8月27日 (月)

ヴェルディ 「オテロ」 メータ指揮

Hachioji_von_nobu 珍しいイタリアのビール
メナブレア」は、ピエモンテ地方の幻のビールとされ、かの地でなければ手に入らないとされる。検索すると出てきます。
幻のくせに通販で入手可能のようですぜ。

私はこれを、なんと八王子のイタリアンで飲んだ。

Hachioji_von_nobu_3ヴァン・ノブ」という店。
メニューによってムラはあるが、そこそこいける。
前菜のこちらで、先のメナブレア・ビールをいただくと最高であった。

なんだかんだで、イタリアは、おいしい。

Otello_mehta そしてなんだかんだで、「ヴェルディのオテロ」である。
もうじき9月。忘れもしない、1981年のスカラ座来日は、まだ残暑厳しい9月初頭だった。
アバドとクライバーに率いられたスカラ座公演は、本場のものすごさと、二人の天才的なオペラ指揮者の実力をいやというほど見せ付けてくれたもんだ。
「シモン」しか観劇出来なかったが、しずれもNHKでFMライブ放送とテレビ放送がなされ、もうたまったもんじゃなかった。

クライバーのオテロ」は、最盛期のドミンゴの下唇だらりの熱演もあって、どうしようもなく素晴らしい名演だった。カラヤンの巧みに計算された新旧盤の劇性とは、まったく異なった即興的なドラマ。どこまでフォルテやピアノが用意されているかわからない・・・・。

いやはや、思い出に浸るばかりじゃ本題から遠のく。

    オテロ :ジェイムス・マックラッケン  デスデモーナ:モンセラ・カバリエ
    イヤーゴ:ティト・ゴッピ          カッシオ   :エルマンノ・ロレンツィ

      ズビン・メータ 指揮 メトロポリタン・オペラ管弦楽団/合唱団
                                (1967年3月録音)

面白い組み合わせの「オテロ」を入手した。
メータは、ロスフィルと活躍を始めた頃、EMIに「アイーダ」を録音したり、イタリア各地でオペラをちょろちょろ指揮してたが、おそらくオテロはこれが初挑戦かも。
若さゆえの暴走は、まったくない。貧弱な音ながら、堂々とした大人びた落ち着きに不敵なものを感じる。だが、この上手な指揮ぶりに、にカラヤンやクライバーが描き出したような苦悩と愛情の二律背反するドラマは感じ取れない。

メータよりは、むしろ主役3人のユニークな歌唱が、このCDのおもしろいところ。
まずなんといっても、ゴッピの主役を完全に食ってしまったイヤーゴがすごい。
明瞭な発声で、憎々しく歌われるクレドなどは、もう快感を感じるくらい。
ちょっと、ぼんくらのオテロを組み敷いてしまっている。すさまじい。
その食われてしまったオテロのマックラッケンは、重々しく力強いが、鈍重にすぎるような気がする。気が付かなすぎるのもある意味、一方的なオテロの一面ではあるけれど。
バルビローリ盤でも、フィッシャー・ディースカウの狡猾なイヤーゴにやられっぱなしのマックラッケン、なんだか憎めない人でもアリマス。
 巨漢になるまえのカバリエのデスデモーナはいい。
巨漢後も、映像なしなら、まったく問題ない彼女だから、こちらでもある意味、後年とまったく変わりないピアニッシモを聴かせてくれる。

録音は正直悪い。音が揺れたり、モノながら左右に流れる。
メータのオテロは、ウィーンでのライブが正規に出るらしいが、ゴッピと鈍行マックラッケンゆえ、お好きな方にはお薦めしときます。

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2007年8月26日 (日)

R・シュトラウス アルプス交響曲 ハイティンク指揮

Berner_oberland スイス、ベルナーオベルラント地方のユングフラウ・ホッホ。はるか昔、(消費税導入の年だったか・・・)に行った時のスーベニア絵葉書。
クラシック好きなら、こんな絵を見ると思い出す「アルプス交響曲」。
晩夏の休日に相変わらず汗たらして聴いてみようじゃないの。

Tanzawa8 こちらは、神奈川県にそびえる「丹沢」の渓流。標高は600mくらいの中間点かな。
毎年、涼みに行き川原でバーベキュー。
みんなは、ビール飲んでるのに、運転手の私はノンアルコール・ビールとお茶。

Tanzawa6 涼やかな清流に足をひたせば、猛暑なんて吹っ飛んでしまう。
日頃の憂さも消え去り、一挙にクールダウン!

頭の中には、「アルプス交響曲」の滝の場面が鳴り響く。
ハープとチェレスタの水しぶきを思い切り浴びているようだ!

バーベキューは別館にてUP

Alpen_haitink R・シュトラウスの「アルプス交響曲」が、こんなに人気曲になるなんて、かつては、想像できなかった。
そんな思いは、かつてプレヴィン盤を取上げた時に書いた。

そして数ある競合盤のなかで、私がダントツに素晴らしいと思うのが、「ハイティンクとコンセルトヘボウ」なんだ。

まず堂々たるテンポがいい。
全曲49分30秒。同曲のなかでも長い方だ。ショルティがせっかくバイエルンのオケを使いながらセカセカと登山して40分を切ってしまった。
テンポばかりでなく、音のひとつひとつが充実して密度が濃い。
このような威容を前にして、聴くこちら側も背筋がキッチリと延びる思いだ。
真面目すぎるとする向きもあろうが、これだけ真摯に演奏されちゃうと、その説得力に「もうしょうがない、降参」ということになる。
カラヤンの巧さ、メータの爽快感、マゼールの濃厚さ、これらとまったく違うアプローチで、かつてのケンペの名盤を思わせる。楽譜を信じ、正面から堂々と向き合った演奏。

フィリップスの録音がまた実に素晴らしい。
ホールの響きを豊かに捉えながら、低音から高音まで実に音楽的に鳴り響く。
85年の録音。各地の名ホールで名録音を次々に生み出していたフィリップスの良き時代なり。

音楽を終え下山したら、当方も汗びっしょり。(何度もいうが冷房ないの)
シャワーでもあびて、冷たいビールでも飲みましょうかね。

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2007年8月24日 (金)

ロッシーニ スターバト・マーテル ジュリーニ指揮

Hana2




















夏の生花。
淡い花々ばかりが集められた。

実家にて私が撮影。コンパクトデジカメでも、結構キレイでしょ。

Hana3 Mikan2

 

 

 

 

 

 

 

Rossini_giulini














ロッシーニ(1792~1868)は、38歳までに39ものオペラを作曲し、以降はオペラを一切書かず、歌曲や宗教曲、器楽曲を書いて、そして美食にまみれて過ごした。

不思議な人である。才能が枯渇した訳ではなく、劇場音楽からきれいさっぱり手を引いてしまった。

そんな後半生の名作が、「スターバト・マーテル」。
悲しみの聖母」と訳される「スターバト・マーテル」は、磔刑に死したイエスの傍らで悲しみにくれる聖母マリアに思いを馳せる賛歌。
ロッシーニ以外では、ぺルゴレージやヴェルディ、ドヴォルザークらの作品があって、いずれもレクイエムなどの厳しさと違って、優しい慰めに満ちた音楽である。

ロッシーニが二度に渡って書いたこの作品。
宗教曲というよりは、オペラの一場面でも聴いているかの気分になる。
私のような歌好きからすると、たまらない雰囲気なのだ。
「尊き御子の苦しみを見給える、慈しみ深き御母は、悲しみに沈み給えり。」
こんな歌詞を、テノール独唱が朗々と明るく歌いまくり、超高音域をアクロバテックにこなさなくてはならない。テノールの活躍はその一例で、4人の独唱者に本当に魅力的なアリア、いや違う・・・、ソロが用意されている。
その泉のようにあふれ出る旋律の洪水に、達筆だけでないロッシーニの神への情熱の吐露を感じ取ることができるものと思う。

S:カーティア・リッチャレッリ S:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
T:ダルマシオ・ゴンザレス  Bs:ルッジェーロ・ライモンディ

 カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団/合唱団

ジュリーニが81年にロンドンで録音したDG盤。
数ある同曲のなかで、歌に対する敏感さと、宗教曲に対する真摯さとが見事に調和した名演奏ではなかろうか!
ロンドンのオケが、軽やかすぎずに渋い音色で応えている。
そしてなんといっても4人の歌手の素晴らしさといったらない。
なかでも当時活躍していた、ゴンザレスが超高音をラクラクと歌っていて驚かされる。
ライモンディの美声にも痺れるし、クールなリッチャレッリに、品のある今は亡きテッラーニ
名曲・名演・名録音、言うことなし。

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2007年8月22日 (水)

ベルント・ヴァイクル

Ikea_elder前回取上げたイケアには、スウェーデンの酒や食材も売っている。
そこで見つけた「ELDER FLOWER」のドリンク。
そう、「にわとこ」の花のことなんだ。
ヨーロッパでは日常的な草木らしく、その花のエキスをシロップにして飲んだり、木や根を薬草としたりしているらしい。

「にわとこ」にピピッときたのは、そう、ワーグナーをお好きな方なら、もうおわかり。
ニュルンベルクのマイスタージンガー」の第2幕で、ザックスが初夏の夜に、自分の靴屋の店先で、若い騎士の斬新な歌や、今日起きた出来事を回想して歌う。
このモノローグが「にわとこの花の香しさ・・・・」である。

Dsc06278 してその味は・・・・、一言でいえば、爽やかの一語。

蜂蜜入りなので、私にはちょっと甘めだから、ミネラル・ウォーターや炭酸水など割るとさらに爽快になる。

いや、焼酎と炭酸で「にわとこハイ!!」
実際に試してみたら、かなりイケル。Elder_high_2
「わたしは気にいったぞ」
夏の一夜、物思いにふけりながらの1杯にどうぞ。
でもくれぐれも、酔って靴を叩いたり、大声で歌をうたっては、なりませんぞ。

Weikl

ベルント・ヴァイクル」ほど、ザックスとして舞台で絵になる人はいない。
すらりと姿勢のいい長身で、お髭も上品。
嫌味のない人柄がにじみ出たかのような、クセのない美声。その声域は広いが、特に中域のあたりの美しさには惚れ惚れとしてしまう。

ウィーン生まれのヴァイクルは、当初カヴァリエ・バリトンとして甘口の役柄ばかりだったし、大作録音ではメロートや伝令士やベックメッサー!ばかりだった。
そのヴァイクルは、先達プライやF=ディースカウと同じように、徐々にドラマテックな役柄にステップアップして行くことになる。
ウォルフラム、ヨカナーン、マンドリーカ(素晴らしい)、アンフォタス、アルマヴィーヴァ伯爵、オランダ人、そしてハンス・ザックス!!

ヴァイクルのザックスは、バイエルン国立歌劇場の来日公演で接することが出来た。
若々しく覇気に満ちたザックスは、3幕で椅子を投げ飛ばし、嫉妬してみせるような演出もあって、思慮よりは行動が先に立つタイプに思われたが、その朗々たる声は、NHKホールの隅々まで響き渡っていた。
それより前に、NBSが企画した「ガラ・コンサート」でも真近に聴いたし、飯守氏率いる名古屋フィルでのリサイタルも最前列で聴くことができた。
後者は、目の前で歌っていただけに、その声が耳にビンビンと響き、圧倒されっぱなし。

そんな訳で、まだまだ元気なヴァイクルが好きである。
「タンホイザー」「マイスタージンガー」「ハンス・ヘイリンク(マルシュナー)」「ヴァンパイア(マルシュナー)」「オイリアンテ」「皇帝と船大工(ロルツィング)」「低地(ダルベール)」「火の欠乏(シュトラウス)」
ドイツ・ロマンテックオペラの真髄がここに惜しげもない美声で歌われている。
加えて、大半を指揮する、故ハインツ・ワルベルクの雰囲気豊かな伴奏がいい。
1982年の録音。

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2007年8月21日 (火)

ステンハンマル 管弦楽のためのセレナード サロネン指揮

Ikea1 見て下され、ここはスウェーデンと見まがうかのような、プレート。

ニシンの酢漬け、サーモン、じゃがいも、サーモンパテ、肉だんご、こけももジャム
これらは、見事におつまみに。

ビールもスウェーデン・ビール。
どれもおいしい、スカンディナビア!

Ikea2 ここは、スウェーデンから2度目の上陸を成功のうちに果たした、巨大家具ショップ「IKEA(イケア)」1号店船橋なのであります。
ららぽーと近く、かつて屋内スキー場ザウスのあとに建てられた巨艦。
ここにある本部を訪れた際に、これまた大きなレストランで食事したもの。
平日に昼からビールだもんね。
この様子は、別館でもどうぞ

スウェーデン、いいわぁ!!

Stenhammar スウェーデンの作曲といえば、アルヴェーンやステンハンマル(1871~1927)。
シベリウスと同時代ながら、シベリウスの後期ほど晦渋ではなく、北欧の爽やかな風物と民族音楽をうまく取り入れた親しみやすい音楽を残した。

寡作ながら、交響曲や室内楽、歌曲にまで広く作品を残してして、徐々に聴いていきたい。

このセレナードは、フィレンツェにいた時に書きはじめたことから、全編が明るいムードになっていて、聴いていて、ほのぼのとしてしまう。
イタリアの地で母国を想い、自国に戻り南国を想い作曲された、と本解説に記されている。これがこの曲を完璧に言い得ていると思う。
第4楽章のノットルノの美しさと、終楽章のノスタルジックなムードはことさら気に入った。

イケメン、サロさま、こと若き「サロネンとスウェーデン放送響」は、爽やかさの極み。
そればかりか、しっかりとシンフォニックに演奏していて感心感心。

スウェーデンの青と黄は、荒々しいアイスホッケーのチームカラーを思い起こさせるが、食べ物や音楽、そして気の効いた機能的な家具などは、とても優しく、フレンドリーなもんだ。

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2007年8月20日 (月)

ディーリアス 「夏の庭園で」 バルビローリ指揮

Ros 昨年の札幌の百合丘公園。

いいもんだ。
短い夏に思い切り自然が爆発し、花々は満開になる。

Yurigaoka7 このおおらかで、豊かな自然は、北海道ならでは。
でも猛暑の北限が年々上昇しており心配だ。

イギリスの夏も短いらしく、北国同様の儚さが、数々の文学や音楽を生み出してきた。

四季折々に、情感豊かな音楽を生み出したディーリアス
夏にも、いい音楽をたくさん残してくれた。

ディーリアスの「夏の庭園で」は、二度目の登場でかつ、初夏の音楽なれど、こんなクソ暑い日々には爽やかに響く。そして画像とともに再度。
今回は「バルビローリとハルレ管」の超名盤にて。

この曲は、気だるい羽音や、鮮やかな色の花や蝶といった、描写的な部分が多く、シュトラウスの交響詩的ともいえるが、それはそれで極めてささやかなものである。
Mikan 実家の庭になった、ネーブルみかんの実。
まだ堅い実だけれど、シュトラウスは、熟した実を甘味に描くと思うが、ディーリアスは、どのように熟していくかわからない、まだ堅い実を爽やかに描くと思う。

どちらの音楽も大好きだけれど、季節感や自然をさりげなく描いた方がディーリアス。
人の感情の機微まで、最大もらさず、しかも細心に描いたのがシュトラウス、といったところかな。

Barbirolli_delius バルビローリのディーリアスを慈しむかの演奏は、何度聴いてもいい。
曲の中間部で、木管の上下する和音と低弦に伴なわれて登場するヴィオラの歌はただでさえ素晴らしいのに、バルビローリは思いの丈を込めて演奏している。可憐に咲く、淡い花々を思い起こさせる。
ここをあまりにさりげなくスルーしちゃう演奏があって、興醒めすることもある。
そした場合は、誰とは言わねど、ディーリアスとは無縁の指揮者に思ってしまう。

この曲のスコアには、詩人ロゼッティの詩歌が添えられているという。
「すべてわが花盛り。春と夏が歌っているあいだに、花盛りのすべてを汝に与えん」

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2007年8月18日 (土)

ヴェルディ レクイエム バーンスタイン指揮

Verdi_requiem 関東は今日、土曜に限り、暑さもひと段落。
でも、千葉東沖を震源とする地震が頻繁に起こり落ち着かない。
私の今住む千葉では、かなり揺れる。家の中がガタガタする感触は不気味なもので、耳や体に付いて離れなくなる。

大きな被害はなくとも、精神や肉体に地震はあまりいい影響を与えない。

ブリテンの戦争レクイエムの記事にも書いたが、毎夏、ブリテンのそれと「ヴェルディのレクイエム」は聴くことにしている。

ヴェルディの方は、中学生の頃、お盆にバーンスタインの指揮する映像が、NHKで放映された。
髪を振り乱し、飛び跳ね、音楽に没頭して指揮するバーンスタインを初めて見たインパクトも巨大だった。静的なカラヤンとの違いに唖然としたもんだ。
そして、初めて聴く、「怒りの日」~ディエス・イレの凄まじい迫力に忘れ得ぬ感銘を覚えた。ヴェルデイのレクイエムは、その「怒りの日」こそがすべてだと思い込んでしまった。

その後出たバーンスタインの同曲は購入せず、カラヤンとベルリン・フィルの壮麗な演奏のレコードを買い聴き親しんだが、どうしても賑々しい場面ばかりに注目して聴いてしまった。
そして、出会ったのがずっと後年、アバドの演奏だった。
アバドにより、遅ればせながらこの曲の歌に満ちた美しい音楽の真髄に開眼することになった。そうした耳で、聴き直したカラヤンの劇的な美演も素直に素晴らしいと思ったし、アバドのあとに購入したバーンスタインの演奏も独特の壮絶さをもった演奏として共感できた。

      S:マーティナ・アローヨ    Ms:ジョセフィーヌ・ヴィージー
     T:プラシド・ドミンゴ      Bs:ルッジェーロ・ライモンディ

    レナード・バーンスタイン指揮 ロンドン交響楽団/合唱団
                            (1970年2月)

Bernstein_2 この録音のあと、バーンスタインはニューヨークフィルと共に、万博日本に訪れ、マーラーの第9や幻想の名演を残した。
後年のような自己耽溺によるネットリぶりはなく、かなりストレートな演奏に思う。
時おり、立ち止り、思いのたけを込めてしまう場面もあって、全曲は90分もかかるが、音楽に覇気があるために停滞感はなく、遅くは感じない。

ヴェルディがその円熟の極みに達した筆で書いた、神への熱い祈りを、バーンスタインは自己の魂の叫びとして、平和を希求する祈りと同化させたのではなかろうか。
指揮台で祈りを捧げるかのような姿のバーンスタインが目に浮かぶようだ。

歌手達が、素晴らしい。
女声二人は、ベテランの貫禄。
男声二人は、フレッシュで初々しい。
ドミンゴの後年の分別臭い歌がウソみたいな、はちきれんばかりの美声。
難点は合唱の弱さか・・・・。
ファルスタッフのように、ウィーンで録音してくれたらどうだったろうか。

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2007年8月17日 (金)

ワーグナー ニーベルングの指環 ベーム指揮

Bohm_ring1

暑い、あついっ~!
憧れの聖地「バイロイト」も暑いんだろうな。

盆休みを世間並みに取り、実家に帰り、心から一休み・・・、と言いたいところだが、あまりの暑さと、蚊の猛攻撃で体中が痣だらけ!

本日より日常に帰ったが、いつも書く通り、我が部屋には冷房すらなく、このあまりの暑さに、来るべきバイロイト詣でを想定した演習も、まったく歯が立たず。
なんたって、お部屋の温度が31度もあるのよ!!チーン!!

そこで、耳にタコができるほど聴き馴染んだ、「ベームのリング」を聴かずして記事にしてしまおうってワケ。

 

Bohm_ring2

ベームのリングは、1966年と67年のバイロイト・ライブである。

ちょうど、「ショルティのリング」とカブル年代。
主要な歌手も同一。
こうした事情もおそらくあったろうが、1972年まで「ベームのリング」が正規にライブ録音されたことすら知られていなかった。
レコ芸で、当時バイロイトで大活躍のH・シュタインのインタビューが記事になり、シュタインの口からその録音が日の目を見ることが明らかになった。
そして、1973年7月30日に世界同時発売になった。

Bohm

当時、中学生の私が、これを手にいれるには、それはそれは親を泣き脅して、涙ぐましい演技や努力を要したもんだ。
そして、真夏の日々に聴いたリングは、それはもう、怒涛の感激の涙なくしてはすまされないものだった。

以来34年、何度このリングを聴いたことだろう。
ここで、ウォータンが笑い、ミーメがハァハァ言い、ジークリンデが叫び、ジークフリートがうめき・倒れる・・・・、こんな音もすべて耳に刻みこまれている。
脳裏に刻み込まれた演奏なのだ。

リングのすべては、ベームのレコードから学んだし、ベームのリングなくしては、私のワーグナー・フリークはなかった。
そうなんです、これと「ベームのトリスタン」「カラヤンのトリスタン」が、ワタクシのワーグナーのルーツなんです。

Bohm_ring3 Bohm_ring4
Bohm_ring5 Bohm_ring6

ライブで燃えるベーム。火の玉のような熱演。
数年後のウィーンフィルとの来日でも、その凄まじいまでの高揚感は、日本の音楽ファンを虜にしてしまった。
往年の名歌手たちも、いまのバイロイトのレヴェルとは雲泥の差。
その熱演をまともに捉えてしまった生々しい録音も最高。
やっぱり、リングはコレ! 思い入れのある名盤ですぜ。

Bohm_ring7












加えて、故ヴィーラント・ワーグナーの最後の名演出。
67年に大阪で「ワルキューレ」だけが、上演された。
観た人がうらやましい。
シッパースがN響を指揮し、アダム、シリアが歌った。
それと、ブーレーズが「トリスタン」を。ニルソンとヴィントガッセンだもんな。
日本人のワーグナー好きも相当なものだと思う。

暑いけど、いつかはかの地へ!

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2007年8月13日 (月)

横浜スタジアム無念

Bay お盆休みを世間並みに取ることとし、実家へ戻りながら、横浜スタジアムへ。
ベイ好きに仕込んでしまった息子と一緒に内野指定をあらかじめ購入して揚々としていどんだが・・・・・。

従来より、横浜スタジアムは黄色いシマシマ・ファンがかなり集まるが、この日も相当に黄色い。
チケットは完売で超満員。

070812_191151_2 あまりに無念のその結果は・・・・・。

好機に4併殺、先発の誤算、おまけに絵に描いたようなJFKの登場!

ビールも3杯しか飲めなかった。
あらら、の横浜大洋ホエールズでした。

この球場はかなりのすり鉢状態で、上の方にいくと後が大変。
かつての会社の先輩がワインを凍らせてもってきた。それに加えてウイスキーの売子さんを張り付けにしてしまうくらいに飲んだ。
3回くらいで出来上がって、9回には勝敗も不明に。
そんでもって、こわくて急な階段を手すりにつかまりながら、ヨタヨタと・・・。

野球場は居酒屋だぁ!!!

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2007年8月11日 (土)

ブリテン 戦争レクイエム ブリテン指揮

Odate 真夏の空に浮かぶ雲。
どんな夏にも、この空と時には入道雲があった。

あの忌まわしい戦争下においても、終戦の日を迎えた日においても・・・・。

Britten_war_requiem この時期に取り出す音楽は、「ヴェルディのレクイエム」と「ブリテンの戦争レクイエム」。
どちらも激しい「怒りの日」が展開されるが、ブリテンのレクイエムはその名の通り、単に死者を悼むミサ曲ではない。
第2次世界大戦の犠牲者を悼むとともに、不戦・平和の祈りを込めたレクイエム。

通常のラテン語による経典にまじえ、詩人オーウェの詩をテキストにしていて、その詩がまた戦争の悲惨さを描いていて切実なものだ。
オーウェンは25歳で戦死している。

スコアの冒頭には、オーウェンの言葉が記されているという。
私の主題は戦争であり。戦争の悲哀だ。そして、詩は悲しみの中にある。詩人のできるすべては、警告することだけなのだ。」

ソプラノ、テノール、バリトン、少年合唱を含む80分あまりの大作。
3人の独唱に人を得ないとならず、少年合唱もいかにもブリテンらしく重要な役割を担っている。イギリス音楽好き、ブリテン好き以外の人でも、オーウェンの歌詞を読みながらじっくり聴けば、この作品が強く発するメッセージ、「反戦と、とわに眠る犠牲者たちへの哀悼」がストレート心に響くはず。

冒頭の「レクイエム」は、映画オーメンの音楽みたいで、ちょっとミステリアス。
長大な「怒りの日」では、ブラスや打楽器が炸裂し熾烈だが、最後は涙にくれるようにして、安息を願い終止する。
しかし、最終曲のリベラ・メでのテノールとバリトンの敵兵同士の会話、おまけに片方は死んでいる・・・・、ここから、永遠の安息に導いていくエンディングは、何度聴いても胸に響く感動を味わうことになる。 

       S:ガリーナ・ヴィジネフスカヤ  T:ピーター・ピアーズ
       Br:ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ

      ベンジャミン・ブリテン指揮 ロンドン交響楽団/合唱団

戦時敵国から選ばれた名歌手たち。ブリテンの自演。カルショウ・ウィルキンソンのリングコンビによる名録音。
1963年録音以来これを凌駕する録音はなされなかったし、また超えてはならない演奏とも感じてた。
ケーゲル、ラトル、ショウ、ガーディナー、ヒコックス、ロストロポーヴィチ、マズアまで、いろいろと録音も増えてきた。時代が名曲と様々な解釈を受け入れるようになってきた。
私にとって忘れられないのは、テレビとFMで試聴した、「サヴァリッシュとN響」の名演奏。ヴァラディ、FD、シュライアーというドイツ版だったが、鬼気迫るF・ディースカウと冷静さをかなぐりすてたようなサヴァリッシュの熱演がすごかった。
あと、エアチェック音源の「ハイティンクとコンセルトヘボウ」も素晴らしい。

もう二度と、このような音楽を書かせるような機会を迎えることがあってはならない。

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2007年8月 9日 (木)

ルクー ヴァイオリン・ソナタ Vn:グリュミョー

Ice 暑い暑い~
これだけ暑いと体もだるい。
冷たいものも飲んじゃうし、食べちゃう。よけいにだるくなる悪循環。
電車に座ればどいつもこいつも爆睡中。お疲れさん。

表参道ヒルズのジェラートショップ、「ナチュラルビート」。
少し前だけれど、散々飲んだあとに食べた「ずんだジェラート!」
薄焼きせんべいで挟んであるのよ。
ジェラートは甘くなくて、そう、仙台のずんだ餅そのもの。
アタクシのようなオジサンでもOKさ!

Lekeu_grumiaux スペインから、ポルトガルへ、でもポルトガルにちなんだクラシック音楽って?
ファドや緩やかな気分のサウダーデって言葉が浮かぶ程度。いずれ研究するとして、フランスをまた通過して、美食の王国「ベルギー」へ。

フランス的でもあり、オランダ的でもある国ベルギー
は音楽的には、ルネサンスの時代にまで遡れるほどに豊かなものがある。
大物音楽家は以外といないが、キラリと光る名音楽家や楽団がいる。
作曲家では、フランク、ヴュータン、ルクー、音楽家では、クリュイタンス、グリュミョー。
大野氏のモネ劇場やフランダーズフィル、ベルギー王立オケ・・・・。
でもあんまり知りません。そこがベルギーたる由縁か。

ルクー(1870~1894)は、短命ながら天才と呼ばれた作曲家で、数えるほどしか作品が残されていない。それでも管弦楽と器楽、声楽にと幅広いジャンルに及んだところがすごい。24年の命のなかで・・・・。
ヴァイオリンソナタは22歳の作品で、清冽な抒情と、匂い立つような若さと情熱に満ちた曲。フランクやフォーレとも一線を画した香しい音楽に思う。
ルクーも、ご多分にもれず、ワーグナーに心酔した。
バイロイト詣でで、トリスタンを聴き、恍惚のあまり失神してしまったという。
若さが微笑ましく、その早世が悲しい。
2楽章の美しい歌にはホロリとさせられる。
グリュミョーの凛々しいまでの美音は、ルクーにぴったり。
あらためて、ベルギー・ビールでもチビチビとやりながら聴いてみたいもんだ。

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2007年8月 8日 (水)

ジェス・トーマス ワーグナー集 

1 聖地バイロイトでは、音楽祭真っ盛り。
悪評のカテリーナ・マイスタージンガーも今日、3度目の舞台。初日の音楽を聴いた限りでは??
まあ、毎年初物は苦労して、毎年少しづつ軌道修正しつつ、4~5年くらいで完成の域に達する、というのがこれまでだった。
でもこんな図式が通用しなくなったのは、くそシュルゲンジーフのパルシファルからだったのかもしれない。ネットで聴いたパルシファルは、A・フィッシャーの指揮が演出を無視したかのように、素晴らしかった。ホールのグルネマンツとヘルリツィウスのクンドリーが良い。あとは私には受け入れ難い・・・。こんな音の印象。演出への激しいブーイングも相変わらず。

ティーレマン・リングも苦戦の模様。ジークフリートとブリュンヒルデは素晴らしいが、以外や期待のドーメンのヴォータンがちょっと・・・・。こんなはずじゃないのに・・・・。
タンホイザーもイマイチ・・・、ルイージが振っていたら・・・・。

Jthomas 年末にちゃんとした音で聴いたらまた印象が変わるのかもしらん。

お口直しに、今ではおいそれと聴けなくなってしまった、正統ワーグナーテノールの歌声を。

アメリカ産のヘルデンテノール、ジェス・トーマス(1927~1993)がDGに録音したワーグナーの場面集を聴く。

トーマスはアメリカで勉強し、ドイツに修行に出かけ、見事に成功した良き時代のテノールの一人で、
残された録音もそこそこあるので、日本での実演はバイロイト67の来日のみと思われるが、馴染み深い存在だ。
そしてそれ以上に、気品と力強さに満ちた声は、トーマスより一世代前のでっぷりとした声とは一線を画したスマートで清らかな歌声となっていて、理想的なローエングリンやパルシファルとしていまだに新鮮に聴こえる。

この1枚は、1962年頃の録音で、指揮はワルター・ボルンと知らない人だけれど、なんたってベルリンフィルがバックをつとめている。
完全にカラヤン・オケになる前の頃だけあって、低弦の刻みひとつとっても克明で重厚。
一方で洗練された響きも充分で、トーマスの清潔で力強い歌にピタリと寄り添っているようだ。
「マイスタージンガー」「ローエングリン」「ワルキューレ」「(ローゲ!!)」「リエンツィ」「パルシファル」、これらから短いながらも素晴らしいトーマスの歌が楽しめる。
本当に耳が洗われるような思いで聴いた。
バイロイトに登場する昨今のテノールとは雲泥の差だ・・・・・。
私も、耳が少し保守的に過ぎるのかしら、昔ばなしばかりになってしまう。

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2007年8月 7日 (火)

ファリャ バレエ「恋は魔術師」 フリューベック・デ・ブルゴス指揮

Himawari フランスからスペイン、地続きの同じラテン系でも、ピレネーを超えると、情熱と粗野の度合いが違う。

そんでもって、イメージは強引ながらひまわり!
こちらは、国内某所で撮影したひまわり。
色が少し淡いけど、若いひまわりもフレッシュですな、うふふ。

Albeniz スペインも暑そうだけど、日本もクソ暑いですぞ。
そんなけだるい暑さに追い討ちをかけるかのような、情熱的なファリャの音楽を。
ファリャはアルゼンチンに没したものの、スペインを愛し続け、生涯その民族的な立場を貫いた人。

夏にはもっと涼しげな「スペインの庭の夜」があって、以前取上げたとき、スペインについて浅はかな素人講釈をしている・・・。恥ずかしい・・・。

「恋は魔術師」は「三角帽子」に先立って1915年に作曲されたバレエ音楽。

アンダルシア地方のジプシー伝説によるが、内容はちょいと恐ろしいくらいの情念に満ちたもの。
若くして寡婦となった主人公カンデラス、イケメンの若者に言い寄られ相愛の仲になるが、嫉妬深かった亡夫がばけて邪魔をする。困った彼女、亡夫が無類の女好きだった(!)ことを思い出し、友人の若いジプシー娘に亡霊を惑わせ、その間に若い男と契りを結ぶ・・・・。というなんじゃそれ、の物語。

この、いいかげんさと、それに取り組む真剣さがなんともスパニッシュ。
恐ろしき情念なり。こんなことは、他のヨーロッパ諸州にはないだろ。
日本の情念はもっと陰湿だが、見事なまでの明るい情念。

ファリャが付けた音楽は、もう我々がイメージするスペインそのもの。
ソプラノがものうく歌う。
「地獄の炎が燃え盛り、わたしの血はすべて嫉妬で焼けている・・・・」
こわぁ~~・・・・!

ドイツ人の血が流れながら、スペインに生まれ育った、フリューベック・デ・ブルゴス
ロンドンオケを振りながら、たぎるような情熱をクールな炎で照らしてみせた演奏。
粋だねぇ!

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2007年8月 5日 (日)

ドビュッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」 アバド指揮

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ヨーロッパの各国は、島国の我々からすると、驚くほど近く、そして遠い。

陸続きなのに、言語・文化がまるで違う。
河川や山脈による分断は、海以上に大きい。

フランスとドイツも国境を接していながら異質といえるほどの違いがある。もちろん、ストラスブールのように両者が融合したような都市もあって、緩衝材みたいだけれど。

こんなことを今更に思うのは、音楽紀行シリーズがフランスに至ったから。
ことに、オペラや歌曲になるともう、フランス語の語感は、ドイツのそれと極端に異なる。同じ語源ながらイタリア・スペインとも違う。
すべての文字を発音しなくては気が済まぬドイツ語、書いてあるのに?なんでそう発声するの?のフランス語。
私にはさっぱり、わかりません。あの鼻母音の特徴を覚えれば、それっぽく聞こえるけれど。
画像は、大昔パリに行ったときのもの。凱旋門あたりの公園にて。

Abbado_pelleas

 

 

 

 

 

 

 


そんなフランス語の魔力が満載なオペラが、ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」。

10年の歳月(1892~1902年)をかけて作曲した、ドビュッシーの最高傑作は、ワーグナー後の新たな音楽の地平線を築いたとされる。もともと、熱心なワグネリアンだったドビュッシー、トリスタン的な、半音階和声やライトモティーフなどの影響は伺えるものの、ワーグナーから一線を画し、いわばワーグナーからの決裂と旅立ちをこのオペラで実践した。

音楽はフォルテの部分は決して多くなく、嫉妬に狂ったゴローの場面くらいで、全体は緩やかな波のように、押しては引いていく極めて微妙なもの。
歌唱も絶叫する場面や聴かせどころのようなアリアもない。レシタティーボでもない、歌唱ともいえない歌(朗唱)が全編にわたって展開する。ここにフランス語の絶妙でニュアンス豊かな語感がどれだけ寄与していることだろうか!
ワーグナーには、リアルなドイツ語こそが相応しいが、ドビュッシーの切り開いた世界はフランス語あってのものと痛感する。

歌ばかりに気を取られてばかりいると、背景のオーケストラの千変万化する精妙かつ繊細な響きを聴き逃してしまう。
森の深さ、木々のざわめき、泉の清冽さ、清らかな愛の囁き、実際の闇と人の心に巣食う闇の恐怖、生と死・・・。これらをドビュッシーは見事な筆致で描き尽くす。
そのキャンパスは、淡いが耳には実に鮮やかなものだ。
なんて素晴らしい音楽!

 ドビュッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」

  メリザンド:マリア・ユーイング  
  ペレアス:フランソワーズ・ル・ルー
  ゴロー  :ホセ・ファン・ダム  
  アルケル:ジャン・フィリップ・クルーティス
  ジュヌヴィエーヌ:クリスタ・ルートヴィヒ 
  イニョルド:パトリシア・パーチェ

 クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

アバドは、特定のオペラ作品に異様に入れ込み、執念のように没頭し名演を極めることが多い。シモン、ボリス、ヴォツェック、トリスタン、そしてペレアスもそのひとつ。
ウィーンフィルのあたたかくもニュアンス豊かな響きを手にいれて、アバドはしなやかな指揮ぶりで、音の強弱をいくつもの段階に渡って紡ぎ出している。
恣意的な要素はひとつもなく、あくまで自然に、感じたままが音になっていると思わせる。
欲をいえば、ベルリンフィルとも録音して欲しかった。

Abbado_pelleas2

 

 

 

 

 

歌手はいずれも良い。若いル・ルーは繊細でその若い熱さがペレアスそのもの。
ファン・ダムは押し付けがましいゴローになり切っていて見事なはまり役。
ことさら、よかったのは、クルーティスの慈悲深いアルケル。
肝心のユーイングのメリザンドは、悪くはないが、少し濃いかもしれない。
F・シュターデだったら・・・・。

最後の場面は、アバドの押さえ込んだ弱音の美しさが、レクイエムのように悲しくもあり、優しくペレアスの死を包み込むようでもあって、心に響く。

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2007年8月 4日 (土)

エルガー 「真紅の扇」 B・トムソン指揮&カフェ・エルガー

Cafe_elgar1

念願の「Cafe ELGAR」 に行くことが出来た。
まさに3年越しの思いだったのだ。
場所は京都市中京区、関西方面に出張の折りに時間を見つけて行こう行こうと思いつつ、ある時は定休日、ある時は客先のアポ変更などで、なかなかにその機会が・・・・。

とこうしているうちに、閉店してしまった。

ところがどっこい、この5月に場所も新たに、再オープン!
京の街の中に、その姿も一際目を引く建物で!
エルガー好きなら、もうたまらないそのお姿。
店主に丁寧に説明していただいたところによると、モールヴァンのエルガーの住んだ家をそのままイメージしたそうな。

エルガーを愛する店主の熱き思いにただ脱帽!

Ce1 Ce2

京都は蒸し暑い。交通機関の最寄は、地下鉄「市役所前」から地下街を通って(上は本能寺のあたり)、地上に出て3分くらい。汗だくになった私を店主はにこやかに迎えてくれた。
スコーンと紅茶で英国風に。
Ce3 エルガーの珍しい曲も聴かせていただいたうえ、cafeの来歴や京都の音楽事情、大友氏やエルガー協会(!)のこと、そしてなんたって、エルガーにまつわるエピソードの数々・・・・。店主と2時間あまりも話しこんでしまった。
すっかり楽しい時間を過ごせた。
私など、まだまだの思いを強くしたもの。
またの訪問を約束して、後ろ髪引かれつつカフェ・エルガーをあとにした。
エルガー好きはもちろん、音楽好き、音楽はともかくイギリス好きの方がた、是非ご訪問あれ。ゆったりした時間が過ごせますぞ。

 「Cafe ELGAR」  京都市中京区麩屋町通押小路上る橘町613番地の1
              金、第一土曜休
             TEL:075-213-6550

Elgar_sanguine_fan エルガーのバレエ音楽「真紅の扇(The Sabuine Fan)」はあまり知られていない曲だし、録音もほとんどない。

1917年、戦時のチャリティーのために作曲。
ルイ15世下の18世紀風ドレスでめかし込んだ、パンとエコーの妖精の音楽。詳細はわかりませぬ。
20分あまりの作品ながら、古風な雰囲気をかもしながらも、郷愁と愛らしさに満ちたセンス溢れる楽しい作品。

ブライデン・トムソンとロンドンフィルの演奏は、いつもの豪気さを押えて、さりげない中にもユーモアある演奏をしていると思う。

京都で英国を味わった今週、充実の1週間。
はて、どこで仕事をしたのだっけか??

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2007年8月 3日 (金)

大阪の夜

Ika_yaki_2 真夏の大阪は暑い。
暑くて熱い!年中うまくて、楽しい。いか焼きうまし。
旧EIN店主を囲んでの理事会の模様は、こちらで

気が付けば私もブラック団に憧れている。
私もまだまだ頑張るぞ。チクショー~~。

今回は、関西の大御所理事も触れているとおり、「もしも指揮できるとしたら、何の曲」コーナーが、なかなかの盛上りを示した。チャイコの5番は二人の方の人気をはくした。本音は、羨ましい曲。
4番の終楽章なんてのもエエしね。
そんな私は、「マイスタージンガー」の全曲を所望。
「トリスタン」は暴走しそうだし、「パルシファル」は拍が取りにくそうだし、「リング」は寿命が縮まりそうだし・・・・・、酔いながらも、こんな妄想を瞬時にしてのけて、「マイスタージンガー」をノミネートしたわけ。

Taro 法善寺横町のスコッチバー「タロー」に久方ぶりに、連れていってもらった。
夕方4時から営業の本格バー。息子も遂に結婚したそうな。
地元常連客ばかり。

当然、年齢層は高く、ミナミの街の歴史が滲みでるような方がたばかり。
烈夏のバランタインのハイボール。

Jiyuken 関空のフードコートが数ヵ月前からリニューアルされていて、大阪フードが仕上げに食せる。

自由軒の名物インディアンカレー
当然、ビールとともに。
ジャンクでうめ~!!

ソースのかけ方が弱気に過ぎたかも。

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