「無口な女」はR・シュトラウス全15作中、11作目のオペラ。1932~34年にかけて作曲。
1935年、ドレスデンでベームの指揮により初演された。
ナチスが政権を取り、日本でも自由が抑圧され、戦争へと、ひた走りつつある頃。
朋友ホフマンスタールが亡くなり、前作「アラベラ」アが名コンビの最終作となって、シュトラウスは次の脚本作家を求めていた。
そこに登場したのが、シュテファン・ツヴァイクである。
ツヴァイクは「マリー・アントワネット」などの伝記作家でも高名だが、ユダヤ系ゆえ、のちに祖国を逃れ自決してしまう。
そんなツヴァイクを、シュトラウスは大いに気に入り、ツヴァイクを擁護したりもしたが、ナチス批判がもとで、帝国の音楽局総裁の職を剥奪されてしまう。そしてこの作品は国内上演禁止に。あほらしいとしか言えない。
シュトラウスとナチスの関係については、微妙な問題だが、シュトラウスはあまり深く考えずに、自作のために有効な地位を得ただけではなかろうか。
今のわれわれには、その素晴らしい音楽だけが大事なのだから・・・・・。
さてこの「無口な女」であるが、15作の中でもかなり馴染みのない作品で、私もこれまで一度通して聴いただけ。その題名から、「影のない女」のような寓話ではないかと思っていたりもしたが、これはブッファなのだ。しかも3時間の長大さ。
ここでも、言葉のものすごい洪水に唖然とすることがある。ほとんど会話状態で歌わなくてはならず、歌手たちも本場でも大変そう。
日本では数回上演されているが、その努力たるやたいしたもんだ。
時は18世紀のロンドン
第1幕
モロズス卿の部屋、やかましい家政婦と理髪師が口論しているところへ、モロズス卿が「うるさい!」と現れる。卿はうるさいのが嫌いなのである。
理髪師は心も体も若返るには、無口な若い女性でも見つけたらいかが、などと勧める。
そこへ、音信不通だった甥のヘンリーが一団を引き連れて突然帰ってくる。
「おお、兵隊を引き連れているとはさすが、わが一族」、と嫁はいらぬ、この家はこの甥のものだなどと喜ぶ。がしかし、その一団はイタリアオペラ団だったのだ。
このやかましい連中に、モロズスも切れ、出ていくようにいい、明日、無口な女を見つけて結婚すると宣言。
ヘンリーの妻アミンタは、自分たちのためにこんなことになって・・・と、身を引く覚悟を述べるが、ヘンリーは髪の毛一本たりとも金には替えられぬ、と言って皆を感動させる。
理髪師が、皆にモロズス卿がかつて弾薬庫の爆発で死にそうになり、騒音アレルギーになったことを語る。
そこで、理髪師は、アミンタを含む劇団の女性3人を花嫁候補として扮装させ、それぞれ、うるさい田舎娘、インテリの気難し屋、しとやかな娘に仕立て見合いをさせることを提案。
その後、偽に結婚式を挙げたとたん、しとやかな娘がうるさい女に豹変して、モロズスの気を変えさせよう・・・・、との魂胆に一同が乗ることに。
第2幕
家政婦がこれはイカサマですよ、と警告を発するのも聞かずに、モロズス卿は3人とのお見合いに。最初の二人は即却下され、3人目のアミータ扮するティミーディア(内気な娘)をすっかり気に入り、即結婚の儀を行なうことに。あれあれ・・・。
ちょっとした大騒ぎがあった後、アミンタ(ティミーディア)が沈んだ様子。
これを心配したモロズス卿が、心配して声をかけるが、アミンタは内心「こんな人の良い老人をだましたくない」と小声で言いつつ、突然「静かにして!!」と逆ギレ。ここでウソではあるがやかましくて、勝手な娘の本性を出す演技を始め、モロズスはショック状態。
そこに、甥ヘンリーが帰ってきて、甥に助けを求め、ヘンリーはこれも演技で、結婚の解消に力を貸すと約束して、モロズスは寝室に消える。
残った二人、アミンタは心が痛む、ヘンリーは明日になれば解決すると言い、寝室からは、しっかり頼むねありがとう、・・・・とモロズス卿。
第3幕
女主人の命で家の改装やら、歌の稽古やらで賑々しい。オウムまでがうるさい(テノールで、これがまた笑える)。
モロズス卿はたまらない。劇団員が扮する裁判長と弁護士がやってきて、結婚の無効を検討し始める。
裁判長は、大人しいと思っていた女が結婚したらやかましい女だった・・なんてことは世の常(う~む、なるほど)だから却下。
さらに弁護士は、花嫁の不貞を主張して証人も準備するが、結婚の条件には純潔とは書かれていないから無理な話と決め付ける。
絶望するモロズス。
ここで、すべてを白状するヘンリーとアミンタ。最初は怒ったモロズス卿も、見事にだまされたことに笑って感服して、二人の仲を許し、音楽も認める。
最後にモロズス卿の印象的なモノローグがあって劇は静かに幕を閉じる。
ちょっと長いが、このオペラにシュトラウスが込めた気持ちがここにあると思う。
「音楽、何とにぎわしいもの。だが、音楽の終わったときは、いっそう麗しい。若くて、しかも無口な女は実にすてきだ。だが、その女が他人のものだったなら、なおいっそう素適だ。
人生、なんと美しいことよ。だが無知にならず、人生の何たるか知っていれば、なお美しい。 ああ、君たちは心身をすっかり慰めてくれた。これほどの幸福感の溢れたことはなかろう。 ああ、この心地よさは、たとえようもなしだ。 ただ安らぐのみ、静かだなぁ・・・」
かなり練達の域に達した内容で、音楽とともに、この劇の本質を味わうにはなかなか時間がかかる。私もまだまだだと実感しているが、これだけシュトラウスを聴き馴染んでくると、言葉の洪水の背景に流れるオーケストラの妙に心惹かれるようになる。
よく聞けばいろんなことをやっている。本当によく書けている。
舞台とオーケストラピットの両方を把握して指揮をするのは大変なことだと思う。
全体に明るく楽しいムードの音楽、そこここに、シュトラウスらしい洒脱と味わい深い場面が散りばめられている。モロズス卿の最後のモノローグや、ヘンリーとアミンタの二重唱などはとても美しい。
モロズス卿:テオ・アダム 家政婦:アンネリース・ブルマイスター
理髪師:ウォルフガンク・シェーネ ヘンリー:エバーハルト・ビュヒナー
アミンタ:ジャネッテ・スコヴォッティ カルロッタ:トゥルーデリーゼ・シュミット
マレク・ヤノフスキ指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
(1977年録音)
テオ・アダムのモロズスがその独壇場にあって素晴らしい。怒りと諦念のまじったような、酸いも辛いも経験したかのような歌唱は味わい深い。老いたウォータンのようだ。
オペレッタで活躍したコロラトゥーラのスコヴォッティもかわいい人のいい歌いぶりでよい。
ビュヒナーにシュライヤーのような達者な歌いまわしが欲しく、少したよりないが、全般に歌手達は、東独組を中心にうまいし、文句なし。
そして何より、ドレスデンのオケが美音だ。東西融合前のこのオケの音色は、今もすばらしいが、当時はもう少し鄙びていて好きだ。
それをオケビルダーのような、無駄な情緒を削ぎ落としたかのようなヤノフ
スキが指揮している。サヴァリッシュやケンペ、ベームだったら、と思うことはやめよう。
この難曲を実にうまく処理しているし、交通整理以上のことはオケにも助けられてしている。ヤノフスキが輝きだすのは、後年のリングの後半から。
そして、今では各地でひっぱりだこの名指揮者になった。
このCDを含め、ベームやサヴァリッシュは廃盤状態。
対訳が欲しい。そして国内上演よもう一度。
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