ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団演奏会②
ヤンソンスとバイエルン放送交響楽団の2演目め。
東京に場所を移して、サントリーホールで3プログラムをこなす傍ら、大阪公演も間に入ってるから、忙しい。プログラムを見ると浜松→川崎→豊田→東京→大阪→東京、てな具合で新幹線で行ったり来たりの過密ぶり。この間、休みは浜松・川崎間の1日だけ!あとは連日コンサートなんだ。
タフネス、ヤンソンスも最後の舞台袖への出入りは、ちょっと疲れて見えたのは気のせいか?
それでも、サービス精神満点のアンコール王だけあって、今宵は2曲も演奏してくれた。
R・シュトラウス 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」
ブラームス 交響曲第1番
(アンコール)
ブラームス ハンガリー舞曲第5番
R・シュトラウス 「ばらの騎士」組曲から
ホールにぎりぎりに飛び込むと、ステージ奥、左右に巨大なスピーカーが鎮座している。
ははぁ、オルガンは録音なんだな。まぁいいだろう!
オーケストラの名技性がのっけから炸裂する。ピーンと耳に飛び込むトランペット(この首席ルゥービンはスゴイ)に代表されるように、バイエルンの金管は本当に素晴らしい。
あとホルン首席のリッツコウスキーも唖然とするうまさと音のとおりの良さ!
こんな風に書くと賑々しい冒頭に思われだろうが、ヤンソンスは誇張することなく、むしろ控えめにツァラトゥストラをスタートさせた。
そして終始、極めて音楽的に、そして抑制された響きを持って音楽は進められていく。
大音響や音の大伽藍を期待すると肩透かしを食らうくらい。
細部は綿密で、音のひとつひとつに気持ちがこもっていて、無駄なものがひとつもない。
シュトラウスのオペラばかり聴いていて、管弦楽曲は卒業した気持ちになっていた私に、警鐘をならすかのような、当たり前で音楽的な、ピュアな「ツァラトゥストラ」だった。
こうした演奏ならば、しばしば聴いてもいいな!
低弦のピチカートで静かに終わると、嬉しいくらいに静寂が。ヤンソンスが指揮姿を崩して、しばしの間をもって拍手が。
メインのブラームスも、決して構えず、テンポも速すぎず、遅すぎずで、王道を行くかのような名演。ブラームスの苦節ウン十年というような苦味は、一切なく、音色はむしろ明るいくらいで、そこにあるのは、素晴らしい音楽のみで、それを気持ちを込めて指揮する指揮者と、その気持ちをしっかり受け止めて演奏するオーケストラの共同作業があるのみ。
どこをどうしたとかいう演奏ではなくて、ともかく聴いていてすべてが自然で、無理がなく、誰が聴いてもすんなり受け入れられるものだ。
ヤンソンスらしい、リズムの刻みの確かさや、独特の躍動感も充分生かされていて、私は音楽に合わせて体が動きそうになってしまった。(実際動いちゃうと近隣にご迷惑がかかるので耐えておりましたが・・・・)
2楽章のヴァイオリンソロを含む各楽器間の親密さは、ヤンソンスもすべてを楽員たちに委ねているようで、こうした場面でのこのオケの自主性は視覚的にも、そして出てくる音を聴いても、まったく素晴らしいと思った。
終楽章の高揚感は、ライブの人ヤンソンスならではで、この名曲を聴いて久々にドキドキしていまう。当然、盛大な拍手とブラボーの渦。
マーラーと違って、しっかりやってくれる、お約束アンコールは、ブラームスとシュトラウス。
このコンサートを巧みに完結させてくれる2曲が演奏された。
ハンガリー舞曲の緩急の自在さと、劇的なパウゼは見事。
シュトラウスは短いものの、期せずして、ドレスデンとの比較ができようというもので、私の最愛の音楽のひとつだけに、頬が緩みっぱなし。
明るく機能的な素晴らしいオーケストラに、生まれつきの音楽家のような指揮者。
幸せな結びつきを目の前に楽しむことが出来て、とてもうれしい一夜だった。
でも、ちょっとイヤな出来事ふたつ。
アンコールのハンガリー舞曲で、最前列にいた観客が、こともあろうに演奏中フラッシュを焚いて写真を撮りやがった。上から見てて、えっええーっ・・・て思ってたら、まだ懲りずに、2枚目を撮ろうと構えているところで、ホールの人に注意されていた。
これ、演奏中の出来事ですぜ。私は悲しいよ。
放送オケだから、放送用のクルーが常にホール内にいてビデオを回したりしてたけど、私ら観客は違うでしょ。約束は約束。守らなくてならないことは、そうしなくてはいけません。
サントリーホールはそうしたことに一番厳しいし、聴衆のマナーの日本一のはずなのに。
それから、もうひとつ、書くべきか迷ったけど、書きます。
私の斜め前の席。私も当該観客も通路側です。その方が、隠し撮りをしていた。
1曲目の終わりで、カバンに手をいれてゴソゴソやってるのを見て変だな?と思ってた。
休憩中は、ワイン飲んで、記事の下書きなどをしてたから忘れていたけど、後半では、カバンが不自然な位置に。じっくりカバンを観察すると、小さなマイクらしきものが左右ふたつ巧みに上部に付けられている。
どうしよう、告発すべきか?と躊躇するうちに、ヤンソンス登場で、ティンパニの連打が始まってしまった。ドキドキと、気の弱いワタクシ・・・・。
でもやはり、いけないことはイケナイのだ。コンサートに来て、そんなことをしながら聴いてどこが楽しいのかしらん??
ここ数回、聴衆側のマナーについて考えることが多い。
あんまり厳格に音楽を受け止めるあまり、ほんのちょっとのことでむかつくのもどうかと思うが、ルール違反は、マナー違反とは大きく異なる。
こんなことが増えると、手荷物検査とか、規制のための規制が生まれたりして厄介なことになってしまうよ。
ハードスケジュールの中で、最高の音楽を奏でてくれる演奏者たちに、失礼だし、どう申し開きをしたらいいのか?
東京は、ミュシュランのレストランガイドが出版される名誉ある都市になるそうだが、まだまだ文化度やモラルにおいて星をいただけるような状態じゃないかも・・・・・。
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コメント
日本人の節操の無さは最早止め処が無いですな。いつからこうなってしまったのか。損得以外の価値観は無いのでしょうか。
一番大切なものは何なのか、見失わないようにしたいですね。
投稿: リベラ33 | 2007年11月20日 (火) 19時55分
リベラさん、まったくその通り。
<損得以外の価値観>それでしか、人々は生きていないような気がします。ごく一部の人だと信じたいですが、このところの自身の音楽界ラッシュの中で、必ずといっていいほど目に付くことなので気になる一方です。
人のふり見て云々ではありませぬが、リベラさんのおっしゃる通りです!!
投稿: yokochan | 2007年11月20日 (火) 23時20分
御言葉に甘えまして…三度目のコメント失礼いたします。
ここ数日忙しく、ブログの閲覧も叶いませんでした。
本日のエントリーにコメントした方が良かったかも知れませんが…まず、誕生日おめでとうございます。
>サントリーでも嫌な出来事がありました・・・。よろしければ、その記事もご覧下さい。
えー、最近のサントリーはなかなか厳しいですね。日本一のコンサートホールということが宣伝されすぎて、成金や見栄っ張りのウエイトが、かなり増えてきました。これ以上増えないことを祈りたいです。
というのも、私も今月の頭に友人とイ・ムジチのコンサートに出かけてきましたが、いや…演奏中の咳払いがひどく、しかも演奏の善し悪しに関係のない拍手…。岩城宏之氏ではありませんが、おざなりの拍手はいりません、といいたかったです。演奏会中で最も良かった演奏に対しては、拍手はまばら…拍手が鳴りやまないうちにカーテンコールに出ようと努力をしたソリストが痛ましかったです…明らかに失礼だったと思いました。
それでもアンコールを2曲もやってくれたのだから有難いと思わなければならないのに、帰りに「オペラシティの方がアンコール多かったよ」とか話している人がいて、悲しくなりました。
私の友人は、「今日程、日本人であることが厭になったことはない。演奏を聴くことに集中できない上に、アンコールを求める拍手だけは一人前」とこぼしておりました。
悪いところでなく、良いところを見付けたいのですが、最近は中々…。
このコンサートでよっかたのは、アンセルミの演奏を聴けたことでした。名人揃いのイ・ムジチの中でも、ひときわ美しい音色と抜きんでたテクニックを持ってました。ちょうど神奈川フィルの石田コンマスとイメージが重なりました。
今日のオペラシティのコンサートは上々の出来だったようで、良かったですね。
これからも、色々なコンサートのレビューを楽しみにしております。失礼いたします。
投稿: 通りすがり | 2007年11月23日 (金) 01時13分
通りすがり、さま。度々のお越し感謝感激です。ありがとうございます。人にいわせれば、ささいなことかもしれませんが、コンサートにいく度に、なにか気がかりなことが起きて、なんだかホールに向かうのが、もしやまた・・・という気分で、少し鬱陶しくなります。
外来コンサートが少ない地域の愛好家からしたら、「なにを贅沢いってやがる・・・」とお叱りをうけそうですが、東京の過剰で膨大なコンサートに、我々聞き手は慣れっこになってしまい、音楽を心から楽しみ、演奏家に敬意を表する気持ちなどを見失いつつあるのかもしれませんね。
ショック療法で、音楽会の数を思いきり刈り込んでしまっtらいいのでは・・・・。などと思ってます。
そうすれば、こちらの財布の負担も・・・〈笑)
イ・ムジチの件、拝見してて、光景が目に浮かびました。
いやな感じですね。
でも石田氏をイメージさせるアンセルミの演奏は、収穫でしたね!
投稿: yokochan | 2007年11月23日 (金) 15時36分