シベリウス 交響曲第1番 ラトル指揮
秋田県の男鹿半島の突端、入道崎。10月の終わりに、男鹿市に訪れた際、足を伸ばした。
いわずと知れた「なまはげ」で有名なところ。
国道を走ると、巨大な「なまはげ」が二体で迎えてくれる。
子供の頃、NHKかなにかで、「なまはげ」が家々を訪れ、「悪い子はいねぇ~がぁ!」と言って廻るのを見たことがある。当然、子供たちは恐怖のどん底に落しいれられ、泣きまくる。
テレビを見る子供の私も、秋田というところは何て恐ろしいところなんだ!と思い込んでいた。
大人になった今、素晴らしい自然と酒と食に恵まれた秋田を実感している。
そして飲み過ぎてしまい、翌朝は、やはり、恐ろしいところと再認識したりしている。
今年は、シベリウスの没後50年のメモリアルイヤー。その締めくくりに全曲行ってみよう。
シベリウス好きの国民といえば、本国フィンランドとその周辺のスカンディナビア諸国、英国と、そして日本かもしれない。
いずれも海に囲まれた国々。
しかも冬は厳しく切ない。
そう、哀愁ある曲や演歌のような自虐的な音楽が好まれるといったら言い過ぎかしらん。
第1交響曲は、1899年、作者34歳の作品。
日本では伊東博文が首相の頃だから、大昔に感じるけれど、こうした音楽を聴くと、 日本はいったいなにをしていたんだろう?と思ってしまう。列強の仲間入りを果たしつつも、文化度はまだまだだったのかも。
全7曲のなかで、以外と好きな1番。チャイコフスキーにも近く、憧れに満ちた旋律の宝庫でもある。とりわけ2楽章の単純で牧歌的な旋律が、だんだんと熱を帯びていくさまが好きだ。そのさまは幻想的でもある。
終楽章の熱を帯びた中間部の旋律も極めていい。
ラトルの1984年のバーミンガム市響を振っての録音。
出てすぐに購入した国内盤。久々に取り出し、その若いジャケット写真にびっくり。
ちょうどこの頃、フィルハーモニア管とともに初来日し、ブリテンとシベリウスの2番を演奏した。若かった私もそこに居合わせたが、奇をてらわない渋い音楽造りだった。
燕尾服の裏地が鮮やかなレッドだったのを今でも覚えている。
この1番の録音でも感じることは、情熱や熱い思いなどとは一線を画した音楽のみをじっくりと見つめた演奏だということ。
時に物足りなくなる時もあるが、その場合はバルビローリを聴く。
フレッシュな青い芽が新鮮なシベリウスなのだ。
本格的な冬の到来を待ち受けるかのような、秋田の空。真冬の東北は、関東者が車で行くには命を賭けるようなもの。
かなり以前、吹雪の中を運転したことがあるが、正直自分がどこにいるか、さっぱりわからなくなる。
あの恐怖は、子供にとっての「なまはげ」体験に匹敵するかも・・・・・・・。
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