シベリウス 交響曲第3番 ザンデルリンク指揮
11月初めの頃の青森津軽平野のりんご畑。
今はもう雪に覆われてしまったのだろうか?
弘前の周辺の街を車で走っていると、これでもかというばかりにりんご畑が続きに続く。
スーパーに入ったりすると、箱ごと売っていて、かなり安いけれど、「りんご」はあんまりたくさん食べれるものじゃないねぇ。
こう思っているだけで、口の中が甘酸っぱくなってきてしまった。
今日のシベリウスは第3交響曲。
1907年、2番から5年が経過し、1・2番のロマン派系統から、民族的かつ新古典的な簡潔な音楽の特徴が滲み出てくるようになった。
3楽章形式の30分の曲だが、これが演奏会にかかることはあまりない。
ハ長の調性の通り、明るくシンメトリーのバランスがよい。牧歌的な5番とともに、田園情緒あふれた音楽。
第1楽章の弾むように低弦で現れる旋律、次いでチェロで歌われる哀愁の主題、時おり現れる荒涼とした雰囲気、第2楽章の繰返し何度も歌われる北欧を思わせる旋律、第3楽章の単純な旋律が徐々に盛り上がって、ついにクライマックスを築いていくさま・・・・。
これらは、一度聴いたら忘れられない親しみやすいものだと思う。
ザンデルリンクは、東独時代の手兵ベルリン交響楽団を指揮して、シベリウスを全曲録音している。70~77年にかけてのもので、この3番は70年の録音。
ザンデルリンクは1912年生まれだから94歳になる。
指揮活動からは引退してしまったが、現存する長老では随一の存在。
生粋のドイツ人ながら、旧ソ連で学びかの地で指揮デビューしているから、ロシア・スラヴ系音楽を得意としていたから、このシベリウスの名盤も生まれたわけだ。
まず驚くのは、シベリウスにしては、音がすべて克明ではっきりしていること。
オケのせいか、重心もズシリと低い。北欧の曇り空を思わせる。
こればかりでは、やるせなくなってしまうが、ザンデルリンクという指揮者は以外と器用なもので、歌い回しが洒落ていたり、巨大なクライマックスを労せずに築きあげてしまうところもあって、重苦しさばかりでないのでかなり楽しめる。
ほかの作品も同じようにいいが、3・5・6あたりがいい。
津軽平野に鎮座する、岩木山。
美しい山である。
この日の朝(11月7日)、初雪を観測していて、その頂きが、少し白くなっていた。
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コメント
yokochan様今晩は。
今日はたまたま暇だったので、シベリウスのクレルヴォ以外の交響曲を全部聴いてしまいました。ヤルヴィ旧盤とアシュケナージ旧盤(フィルハーモニア管弦楽団)で、です。3番はヤルヴィで聴きました。
私はつい最近までシベリウスがあまり得手ではありませんでした。交響曲全集は手持ちのものはこの二人のものだけですし、クレルヴォも入っている全集と言ったらヤルヴィのだけです。最近になってやっと4番や6番の面白さに開眼して、「オレにも分かるんだ!」と喜んでおります。そんな私を困惑させるのがこの3番です。どうやって聴いたらいいのか分からないのですね。1番や2番であればチャイコフスキーやラフマニノフの交響曲を聴く時と同じカジュアルな気持で聴けます。4番以降の曲であればベートーヴェンの後期の四重奏曲やピアノソナタを聴くときのように気合を入れればいいと思うのです。田園交響曲的な5番はその中間かな、とか・・・でも3番は・・・初期と後期の過渡期の曲だからでしょうか、どう聴いたらいいのか戸惑ってしまうのですね。喜遊曲っぽいところもありますし・・・カフカの小説を読み終えたときかエヴァンゲリオン最終回を見終えたときのような困惑を覚えます(ヘンな例えですみません)。この曲を楽しんで聴ける人に劣等感すら覚えますね。「そんな大袈裟な」と言われてしまいそうですが、私めにとってはショスタコの4番なみかそれ以上に手ごわい曲かもしれません(笑)
投稿: 越後のオックス | 2009年8月27日 (木) 17時33分
越後のオックスさま、こんばんは。
懐かしい記事を掘り起こしていただきありがとうございます。
シベリウスの交響曲は、1・2番と4~7番、そして間の3番と3つに分類されるかもしれませんね。
私は、日陰につつましく咲く花のような存在の3番が何気に好きです。
このザンデルリンク盤が出たときに、FM録音して何度も聞きました。そのあとは、カムとヘルシンキフィルのFM東京ライブです。
何も思わず、さらっと聴くだけでいいと思いますよ。
投稿: yokochan | 2009年8月27日 (木) 22時53分