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2007年12月 7日 (金)

シベリウス 交響曲第7番 オッコ・カム指揮

Umi 日本海に沈む夕日。前にも書いたけれど、私は夕焼けフリークなのである。
ことに海に沈む夕日はたまらなく好きなのだ。
海と夕日を見ながら、空がだんだん藍色に染まってゆく。

7kamu

シベリウス(1865~1957)の交響曲第7番。最後の交響曲にありながら、大曲でない。
でも究極の交響曲に思う。
6番と同時に作曲はすすめられ、1924年に完成。
まだ余生は30年あまりあったから、隠者のようなシベリウスがもっと作曲を継続していたらどのような交響曲が生まれただろうか!
残念ではあるが、この7番の先には何も必要としないような気もして、ラスト・シンフォニーとしての必然性を強く感じる。

20分あまりの短い曲だから、演奏会で稀に取り上げられても、最後を飾ることなく、コンサートの冒頭や前半が多い。
私はこのような濃密な音楽こそ、演奏会の最後にじっくりと聴きたいと思っているが、なかなか効果を上げにくいし、編成も2管で小ぶりだから実際には難しいのだろう。

交響曲でありながら、単一楽章。作者は幻想風なものを目指したとするが、ちゃんと4部に分かれているし、統一モティーフがあるので、非常に完結感がある。
中でもトロンボーンで奏される勇軍な旋律が素晴らしく、ブラームスの1番を思わせるくらいに高揚感を与えてくれる。曲の出だしは、まるで晦渋な4番を思わせるが、すぐに田園的な雰囲気になり、徐々に熱くなってきて、その旋律が高らかに現れる。
曲の中間部でも不安な雰囲気の中で、しっかり登場してこの旋律が気分を和らげてくれる。さらに後半、混沌とした中に、トロンボーンできっぱりと登場するこの旋律。
そこからクライマックスを迎え、フォルテとともに急激な沈黙、そして弦の泣くような旋律とともに回顧節が切々と始まり、熱い思いのうちに、この完璧な交響曲は閉じる。

オッコ・カムコペンハーゲン・フィルという北欧コンビで聴くシベリウス。
日本でもすっかりお馴染み、若いとばかり思っているカムも60歳を越えている。
カラヤン・コンクールに優勝してベルリン・フィルと第2交響曲を録音する快挙を成し遂げたあとは、フィンランドに引きこもってしまったようにして、すっかり地味な存在になってしまった。70年代のDGの交響曲全集では、カラヤンが全集を録音しないものだから、既存の2番に加えて1・3番を録音した。フィンランド放送響とのこの2曲がまた名演に思う。
DGはこの時、カラヤンは諦めて、カムで全集を作るべきだった。
 さらにカムで忘れられないのが、ヘルシンキ・フィルとの来日公演での全曲演奏。
渡辺暁雄と振り分けての演奏は、FM東京ですべて放送され、すかさずエアチェックした。
2番以外のシベリウス開眼は、この放送であった。

1982年冬のこと、まだまだ新人の会社員、寒い新宿の侘び住まいで、当時流行っていたホットウィスキーを呑みながら来る日も来る日もこの録音テープを聴いたものだった。
1・4・7が渡辺暁雄で、残りがカム、いいとこを渡辺先生にもってかれてしまった感もあるが、鄙びたシベリウスは今では聴かれない素適な演奏だった。
懐かしいなぁ~。

いまだにシベリウス全集のお声が掛からない、地味カムのシベ7は、思い入れもなくシンプルな演奏。デンマークのオケも以外にあっさりしたもの。
でもこの何気ない演奏に彼らの日常のシベリウスが浮かび出てくるようだ。
北欧系でない演奏の方が、思い入れが強く、じっくりと熱い演奏が生まれる。
バルビローリ、ディヴィス、バーンスタイン・・・・。

01

札幌のテレビ塔、麓ではホワイト・イルミネーションが真っ盛り。
マイフォトにて公開中。

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