エルガー 交響曲第3番 デイヴィス指揮
銀座の老舗デパート「松屋」。
百貨店の大連合は、どこがどこのグループだかさっぱりわからなくなってしまった。
同じエリアで競合するし、少ない都会のパイを求めて生き残りが大変。
松屋は老舗のブランドをかなぐり捨てるかのように、海外ブランドに自ら身をまとってしまった。
「ヴィトンのトランク」がまんま外装になってしまった。
今日は、数年前、物議をかもした、エルガー・ブランドの交響曲第3番を聴く。
作曲家であり学者でもある「アンソニー・ペイン」が、エルガーの残したスケッチ等を基に補筆・完成したもので、1997年のこと。
初演は、1998年、アンドリューのほうのディヴィスによって行なわれている。
この作品のあらましは、いわずと知れたこちらをご参照。
1932年、死を2年後に控えたエルガーが、BBCの委嘱により作曲を始めたものの、未完に終わった。
第3楽章までは、あきらかにスケッチが残るが、4楽章はペインの創作によるもの。
初演10年をして、ここのところ急速に浸透してきた3番。
メモリアルイヤーの今年、世界でどの程度演奏されたのだろうか?
CDでは、ヒコックスが出たし、我らが尾高さんも録音した(威風堂々6番も!)。
日本では、今年正式公演はなかったかも・・・・。そのかわり、年明け1月に大フィル、11月に札響が、いずれも尾高さんの指揮でコンサートに取り上げる。
大友さんはというと・・・・・?
肝心の音楽であるが、これはもう完全にエルガーそのもの。
隅々までエルガー・テイストに満ちていて、新たな純交響曲の登場に、エルガー・ファンなら、それだけでも嬉しくてしょうがなくなる。
私は出遅れ組で、当初は懐疑的だった。
だが、各方面の批評を目にし、実際に、ナクソスのP・ダニエルのCDを手にして、何度も聴き馴染むうちに、これはもうエルガーだ!との思いに達するようになり、交響曲第3番として認識せざるを得なくなったものだ。この1年くらいのことだ。
まだまだ、聴き込みが足りないが、1楽章のエルガーらしい第2主題、2楽章の憂いと気品のスケルツォ、3楽章の優しさと物憂さ・沈鬱さに満ちた調べ、終楽章、他作品の引用をせざるを得なかったものの、いかにもエルガーの思い描きそうな堂々たるフィナーレ。
いずれも楽しめること請け合いなんだから。
コリン・デイヴィスとロンドン交響楽団は、まるで既知の大交響曲を演奏するかのように、音楽にのめり込んでいる。ディヴィスの唸り声と歌声がまともにとらえられているし。
このようにして、いわくを度外視した名演が次々に重ねられることによって、エルガーのもうひとつの名曲として定着していくことであろう。
欲をいえば、このLSO自主制作盤は、バービカン・ホールの乾いた響きがマイナスとなって聴こえる。
これを思うと、ナクソス盤の方が、演奏に遜色ないうえ録音もよろしい。
ヒコックス盤が聴きたいけど、高いし・・・・・・。
銀座通り。PM11:00の図。
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コメント
お久し振りです。やっとホームページの更新が済んだと思ったら、風邪をひいてダウンしてました。PM11:00の銀座の写真。「あれまぁ、さすが酒仙人だわ」と、連日連夜仕事に音楽に酒にとさすらっているYOKOCHANさんの姿が目に浮かびました。
エルガー=ペインの3番、いい出来だと思います。ブルックナーの9番補筆より作曲者オリジナルの雰囲気がでています。相当スケッチが残っていたんでしょうか?パルティトゥアが完成していたマーラーの10番のとは違って、ペインの苦労は大変だったと思います。
投稿: IANIS | 2007年12月19日 (水) 00時32分
IANISさん、毎度どうも。
風邪、気を付けてください。この時期の風邪は長引きますから。
かくいうワタクシは、ここ数年風邪らしい風邪を引いてません。
頑健な体と胃腸と肝臓、そして耳をもったことを親に感謝しなくてはなりません。まぁ、バカってことですかね。
さすがに、このところ体が、とくに内臓がシンドイ気がしますね。ははは。
さてさて、ペインの労作は、ご指摘のとおり素晴らしい出来栄えに思います。エルガーは130頁のスケッチを残していたらしいです。今後いろんな演奏で聴いてみたいものです。
投稿: yokochan | 2007年12月19日 (水) 22時57分