R・シュトラウス 「ダナエの愛」 ヴィントフュール指揮
R・シュトラウス(1864~1949)のオペラ全作品シリーズ。
15作中の14作目は、「ダナエの愛」。
お得意の神話時代に題材を求めたオペラ。
実は、このブログに2度目の登場で、我が国のシュトラウス演奏の大家、若杉 弘さんの演奏会形式日本初演を聴いたときのもの。
さらに先頃、ルイージとドレスデンの来日演奏会で、この作品の一部が演奏され、感銘を受けた。
でも、なかなか聴かれないし、上演も少ない。
シュトラウス独得の息の長いロマンティックな旋律や、描写的な場面や、大音響も満載なので、シュトラウス好きはもちろん、もっと聴かれていいオペラに思う。
1940年に完成されているが、その台本の原作の起源は1920年頃に遡る。
「影のない女」と「インテルメッツォ」の間くらいのこと。朋友ホフマンスタールから、手紙で「ダナエ」にまつわる劇の概略を受け取った。
『「ばらの騎士」、「アリアドネ」、「町人貴族」の路線を進めたもので、軽く才気に満ちた音楽が書けるあなた(シュトラウス)だけが作曲できる』として作曲を勧めたが、どういう訳か当のシュトラウスは気乗りせず、そのままになってしまった。
このことを、後年思い起させた音楽学者がいて、シュトラウスは作曲を決断したらしい。
しかし、ホフマンスタールはすでに亡く、その当時の協力者ヨーゼフ・グレゴールが台本を執筆することとなった。
ところが、こうして完成したものの、世界大戦の真っ只中の状況にあって、正式初演は延びに延びて、1952年、作曲者が亡くなってからのこととなった。
こんな経緯をもった作品からか、台本が冗長でシュトラウスの霊感が不足するとか言われたからか、このオペラは埋もれた作品となってしまった。
日本初演時に、ホフマンスタールが書いた草稿のコピーが配布された。「ダナエ もしくは 打算の結婚」というタイトルで、内容は残されたオペラとかなり異なる。
筋はさらに複雑ながら洒脱な雰囲気が勝っているように感じる。
もしも、ホフマンスタール存命中に作曲されていたら、どんな作品が仕上がっていただろうか?こんなことを妄想するのも、楽しいものだ。
筋は確かにややこしく、神話時代の神々のエグサについていけない思いもあるが、作品のモティーフは、シュトラウスならではもので、その地中海的な明るさと軽やかさで「アリアドネ」や「ダフネ」「エジプトのヘレナ」の路線。愛を高め昇華していく点で、「影のない女」、「ダフネ」などとの共通項を見い出せる。
そして、神に邪魔され、試練を課せられ愛を深めていく点で、「影のない女」への親近性が高い。
第1幕
借金で首がまわらないポルックス王のもとに、債権者達が押しかけ大さわぎになっている。王は、もうすぐ触れるものを金に変えてしまうミダス王が船でこちらに到着する。
その王と娘ダナエを結婚させて借金を返済するから、と娘をダシにした計画を語る。
そのダナエは、寝室で、黄金の雨が激しく降り注ぎ抱かれるような夢を見たと語る。
実は、最高神ユピテルが黄金に変身して、誘惑しているのだ。(なんじゃそりゃ?)
ミダス王の腹心として、クリゾファーが黄金の衣装を届けにやってくる。
このクリゾファーが、実はミダスそのものなのだが、彼は、ダナエに強く愛を感じ、彼女もそう思うようになる。
そこへ、船の到着の知らせ。ミダス王に変身したユピテルのダナエ攻略作戦の始まり。
ダナエはまたも、黄金の雨の君・・・、と恍惚として気を失ってしまい、雷鳴とともに偽ミダスのユピテルが大地を踏んで降り立つ。
絵はクリムトの「ダナエ」
第2幕
宮殿内で、ポルックス王の4人の甥の妻たちが初夜の飾り付けをしている。
そこへ、ユピテルがやってくるが、実はこの4人ともかつて関係があった。(まったくとんでもない神さんだ)
ユピテルは、今度は本気なんだ、と決意を語ったり、正妻ユーノーが怒っていることなども語る。
いやはや・・・・・。ちなみに、この4人は、セメレ、エウロペ、アルクメネ、レーダで、いずれも聴いたことがある名前でありますな。
4人が去り、ミダス登場。彼はユピテルに、ダナエへの愛を語る。
しかし、ユピテルはかつて黄金の力を与えた事をミダスに思いださせ、恩着せがましく怒り、ダナエを得るのは神たる自分であるとして出ていく。
そこへダナエがやってきて、ミダスは黄金の力を見せて、実は私はクリゾファーでなくて本物ミダスなのだと告白し、二人は情熱的に愛を語る。
ミダスがダナエに口付けをしたために、ユピテルはダナエを黄金に変えてしまう。
ミダスとユピテルは大喧嘩になるが、二人は黄金になり行くダナエに、どちらを撰ぶかを問う。ダナエは絶え絶えに、「ミ~ダ~ス」と答え、雷鳴とともに人間に戻る。
ミダスとダナエはその場から逃げ、残ったユピテルは、神の愛を捨て人間を撰んだことに怒りまくる。この幕のエンディングはなかなか迫力のサウンドである。
この怒りの神は、まるでウォータンのようではないか!
第3幕
逃げ行く二人。黄金の生活が失われて嘆くダナエ。
ミダスは、かつて自分は貧しいロバ曳きであったが、見知らぬ老人(ユピテル)から黄金の魔法を授かり、代償にいつでも姿を入れ替えなければならなくなったことを話す。
しかし、ダナエと出合い、真実の愛に目覚め、黄金の輝きより、ダナエの愛を撰んだのだと語り、ダナエも大いに感激してミダスについていくことを決心する。
ふられたユピテルはしょんぼりしていて、使者のメルキュール(マーキュリー)にからかわれたり、正妻が笑っていることなどを話し、再度のアタックを勧める。
それではと、貧しい二人の家に、またまた登場のユピテル。
黄金を思い起させて口説こうとするが、二度も「ご覧ください、私が愛しているものを」とダナエに言われてしまい、がっかりと退却しようとする。
それを引き留め、ダナエはユピテルに黄金の髪留めを渡す。
いよいよ悟ったユピテルは、「人間の愛は神の贈り物、神の眼は人間たちにやさしく輝き、その祝福と感謝を照らす・・・」とダナエの愛を祝福して去る。
それを見送ったダナエが、部屋の竈に歩み寄ると、ミダスが仕事から帰ってくるのが見える。ダナエは、ミダスの名を呼び彼のもとへ駈け寄る。
こんなややこしい筋だけれど、ライトモティーフが巧みに用いられているので、主要なテーマや旋律を耳に入れておくとわかりやすい。
なんでも音で表現することができたシュトラウスだから、実に芸がこんでいてちっとやそっとじゃ解明できないし、私も解らん。でも複雑に綾なす旋律の絡み合いに身を浸しているだけでとても気分がいい。
全曲に数か所ある、ダナエ&ミダスの二重唱の美しさ。前奏や間奏曲の素晴らしさ。
とりわけ、3幕の間奏曲は堪らなく好きだ。ユピテルとダナエの和解の最終場も、どんどんとあたりが透徹した響きで満たされていってユピテルがそれこそ「偉大な神」に思えてくるようだ。
ユピテル:フランツ・グルントヘーバー ダナエ:マヌエラ・ウール
ミダス :ロベルト・ケイフィン ポルクス:パウル・マクナマラ
その他大勢(読めません・・・・)
ウルリヒ・ヴィントヒュール指揮 キール・フィルハーモニー管弦楽団
キール・オペラ合唱団
(2003.キールライブ)
これはグルントヘーバーの一人舞台になるかと思いきや、知らない歌手たちばかりだが、皆さん大健闘で、ドイツ地方劇場の底力を見る思いだ。
でもさすがに、グルントヘーバーの圧倒的な表現力を伴なった歌が抜きん出ていて、ユピテルの押しつけがましさから、神々しさまでを見事に歌い出している。
ウールのダナエは、不安定なところもあるけれど結構いい。シュトラウス向きの、クリスタルな透明感ある声は、ダフネなどを聴いてみたくなる素質に思った。
ほかは、ボルクス役がかなり危なっかしいのを除き、なかなかのもの。
ヴィントヒュールという指揮者とオケには、さらなる精度を求めたいが、完全全曲版を取り上げ、熱意をもって演奏していて好ましく思う。
この作品の正規盤は、このCPO盤と、ボッツスタインのテラーク盤、K・クラウスのライブ盤があるのみ。
上演実績のあるF・ルイージによる録音が望まれる。
そして愛聴盤にFM録音のサヴァリッシュ指揮の自家CDRがある。スタイリッシュで、透明感あふれる指揮に、ロロフ、ハース、P・フライ、J・キングといった名手たちの歌が素晴らしいものだ。こちらの正規化も是非望む次第。
シュトラウスのオペラは、年内あと「カプリッチョ」を残すのみ。
なんだか寂しい。
| 固定リンク
コメント
オーラス前のシュトラウス、年内完結は間近ですね。
僕の方はボットスタイン。でもオーケストラの響きが味わいに欠けていてシュトラウスの雰囲気がしないんだなぁ。ルイージの演奏がDVDで出てくればそれこそ万々歳なのですが・・・。
投稿: IANIS | 2007年12月 4日 (火) 08時37分
IANISさん、毎度ありがとうございます。
いよいよここまで来ました!ボットスタインはアメリカ響ですね。聴いたことはありませんが、雰囲気がしないのは予想がつきます。こちらのキールフィルはドイツのオケだけあって、雰囲気は充分出てます。でもさらに上を望みたいところ。
しかし、ホントにいい音楽です。今回さらに見直しました。
ルイージ盤は映像必須ですね!!!
投稿: yokochan | 2007年12月 4日 (火) 22時04分