ブリテン シンフォニア・ダ・レクイエム ラトル指揮
2008年は、「日英修好通商条約」が結ばれて150周年。
それもあって、「UK-JAPAN2008」という催しが企画されています。
想像力豊かでクリエイティブな国、英国。
その芸術、科学技術、そしてまさにクリエイテブ産業を通じて英国を紹介しつつ、日英の交流事業とするものだそうです。詳細は、公式ホームページをご照覧。
「さまよえる歌人日記」も、英国クラシック音楽の分野で、微力ながら「UK-JAPAN2008」の趣旨に賛同し、これまでにも増して英国音楽を取上げていきたいと思います。
クラシック音楽に係わる、公式イヴェントは、こちら。
ロンドン響(ゲルギエフ!)、フィルハーモニア管、BBCフィルなどのメジャーオケの来日から、和製では大阪シンフォニカ(エルガー)や医学大オケの惑星(ボストック)、そしてなんといっても、尾高&札響のブリテン「ピーター・グライムズ」などが、公認イヴェントとして企画されています。
英国音楽好きとしては、いい年になりそう!
150年前の日本は、まさに幕末。
大老井伊直弼の安政の大獄が行なわれた年で、かつ海外諸国に門戸をまがりなりにも開いた年。
そう考えると、近世日本の歴史はまだまだ浅いものだな。150年前は、チョンマゲがウロチョロしてたんだから。
音楽の世界は、どうだっただろうか。
ドイツでは、ワーグナーが「リング」を作曲中だった!!「ワルキューレ」から「ジークフリート」にかけての段階で、頭のなかは「トリスタン」で一杯だった。ブラームスもマーラーも、ろくな作品はまだ仕上げていない。
そして、英国は音楽の創造という意味では、パーセル以来、自国の大作曲家の不毛の時代にあったはずだ。
我々が今、好んで聴く英国音楽の再創世までは、あと50年あまり、「スタンフォード」や「パリー」の登場を待たなければならなかった。
もちろん、それまでにも見逃せない作曲たちもいたけれど、英国音楽の興隆のひとつのルーツは、この二人だと思う。
でもって、いきなり方向転換して、日本とつながりという意味で切ってもきれない、作曲家とその作品を再び取上げてみた。
ブリテン(1913~1976)の「シンフォニア・ダ・レクイエム」である。
弊ブログ3度目のおつとめ。
短いながらも、劇的であり、沈痛であり、安らぎにも満ちた名曲。とても好きな音楽なんだ。
1940年、「日本国皇統2600年」奉祝のための作品依頼を受けたブリテンが作曲したのが、この作品だった。
日本政府は、おそれ多くも、こともあろうに皇国の祝賀に「鎮魂交響曲」とは何事ぞ!と、演奏を拒否してしまった。
あまりにも有名なエピソードである。
まったく、了見が狭いんだからもう!
こんな素晴らしい音楽を無視するなんて。
結局、翌年にバルビローリがニューヨークで初演しているが、日本では56年になってようやく作曲者自身の指揮で演奏されている。
ブリテン自身は、相次いだ両親の死を追悼する気持ちから、この曲を書いたらしいが、何事にもとらわれず、リベラルなブリテンらしい経緯である。
この作品のオリジナルのスコアの探求にも熱心だった、ラトルの若き頃(29歳)の迫真の名演。
バーミンガムのオケの目のつんだクールな響きもいい。
ブリテン最晩年の作品のイギリス民謡組曲「過ぎ去りし時・・・」も収められていて、これがまた懐かしい桂曲なのだ。
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