ワーグナー 「妖精」 東京オペラプロデュース
東京オペラプロデュース公演、ワーグナーの「妖精」を観劇。
日本初演で世界的にも本格上映は極めて珍しい。
かつてエアチェックしたサヴァリッシュ指揮のカセットテープをCDRにして、聴きこんだが、それでも焦点が定まりにくい音楽の印象のまま新国立劇場に向かった。
果たしてその結果は?
そう、素晴らしかった。大いに楽しんだ!
3幕、3時間の大作ながら一時も飽きることなく舞台に集中できた。
ほぼ埋まった観客席も同様の雰囲気に満たされていて、満足感もひとしお。
やはり、舞台での演技が伴ない、対訳も字幕で把握できることから、作品理解が一挙に進んだことが大きい。
その前に書かれた「婚礼」は未完のまま破棄されているから、「妖精」は、現存するワーグナー(1813~1883)のオペラ第一作にあたる。
1833~34の作曲、ワーグナー30歳そこそこ。本プログラムによれば、姉で女優のロザーリエへの思慕や彼女の助力から生まれた作品で、上演に奔走してくれた彼女の急死もあって、ワーグナーは意欲を失い、以来このオペラは初演されることがなく、ワーグナーの死後1888年にミュンヘンで上演されたのが初とのこと。
それ以降も、あまり演奏機会がなく、近年での画期的な上演は、先にあげたミュンヘンでのワーグナー全作品上演を一人受け持ったサヴァリッシュ指揮の演奏会形式でのもの。
オケはバイエルン放送響、歌い手は、J・アレクザンダー、L・エステー・グレイほか、イタリアオペラも歌えるような歌手たちばかり。
そのほかは目立った演奏記録もないし、録音も少ない。
聖地バイロイトは、いうまでもなくワーグナー作品だけを盛夏に上演する音楽祭の地だが、かの地でも、オランダ人前の3作、「妖精」「恋愛禁制」「リエンツィ」はかつて学生プロダクションの上演はあったらしいが、正規には取上げられず、事実上それらの3作は、オランダ人以降の7作と扱いが段違いに異なる作品となっている。
何故そのような扱いに陥ってしまったのか。
かく言う私もリエンツィ以外は、まったくネグレクト状態。
①意欲溢れすぎるワーグナーの盛り込みすぎ~筋だてがややこしいことに加え、登場人物のそれぞれに難しいアリアを与えている。
それらをこなせる歌手を揃えること事態が大変。
そしてその主要人物が多すぎるし、ともすれば個性が希薄となってしまうので、出演歌手の賛同が得にくい。
②いろんな要素のごった煮~筋でいえば、おとぎ話的で、「魔笛」や「影のない女」。
主役のアーダはプリマでかつコロラトゥーラの要素も必要。その相方アリンダルは、リリックであると同時に狂乱しなければならいうえ、最後にはヘルデン的な力強さとスタミナを要する。
喜劇的なコンビ、パパゲーノとパパゲーナのようなゲルノートとドロッラの芸達者な二人の男女を要する。
戦いに殉ずるシリアスなワルキューレのようなアリンダルの妹ローラと、アリンダルの親友いい人役、ウォルラムのようなモローラとの恋愛。
ともかくまだまだいろんな人物が出たり入ったり・・・・・。
③3次元的な妖精の世界と、世俗的な王宮の中を始終、いったり来たりする舞台の混迷さ。
稚拙な舞台技術での上演は不可能ではないか。
これを休みなく舞台に載せるのは、最新式の回り舞台が必要になる。
今日の舞台を観て思いついたのが、これまで、この作品が埋もれていた事情。
このようなややこしい問題を、東京オペラプロデュースの面々は、限られた状況のなかで、ほぼ完璧にこなしていたのではなかろうか!
実績ある現役の実力派をズラリと揃えたダブルキャストの1日目の鑑賞。
日本人歌手とオケが、この難しいオペラを見事に上演したこと事態が驚きであり、賞賛してもしてきれない。
第1幕
かつて、アリンダル王子とその供のゲルノートは、8年前狩りに出て立派な鹿を見つけ、それを追ったが、川の水にのまれてしまう。
そこで出会った美しいアーダと恋に落ちたアリンダルは、その身分を問わないことを条件に夫婦となり、二人の子供をもうけるが、8年後、禁断の質問をしてしまい、アーダは消え失せてしまう。
王子を探しにきた、親友モラルトと部下たち。失意に沈むアリンダルを説得し、故国に帰る気にさせる。
アーダが現れ、そして悲しみ、アリンダルに何が起こっても自分を呪ってはいけないと話す。アリンダルは、また会えるのだから「誓う」と言ってしまう。
アーダの父が死に、王女になることになり、人間になることが難しくなっていたのだ。
彼女は、人間の男と妖精の女から生まれた女性なのである。
第2幕
祖国は敵の攻撃で壊滅寸前。ひとり気を吐くアリンダルの妹ローラ。
兄の無事帰還の知らせで沸き立つローラと民衆。
王子とともに行方知れずだったお供のゲルノートと、許婚ドロッラの滑稽なくらいパパゲーノ・パパゲーナのような結びつき。
アーダが現れ、ふたりのお付きの妖精とやりとりをする。その後の彼女の大アリアは素晴らしい。
兄の帰還に沸き立つ宮廷、そこにアーダ登場。
アーダは、二人の子供をアリンダルに手渡すが、その喜びもつかのま、アーダは子供たちを裂けた大地の中に突き落とす。
さらに、軍が総崩れになった知らせとともに、敵が女で、アーダであったことが発覚。
これらの仕打ちに、ぶち切れ怒るアリンダル。
ついに呪いの言葉を口に。試練に耐えらえなかったアリンダル。
それとともに、悲嘆にくれるアーダ。
これで、人間になる望みを失い、自分は100年間石にならなくてはならないという。
軍を負かせたのは、内通者がいたからで、将軍モラルトを守り、やがて彼が勝利をもたらすこと。子供たちは、清めたのであってすぐに戻ること・・・これらを告白。
子供たちがそこに戻り、勝利のモラルトも帰還する。
勝利に沸く民衆と、悲しみに打ち沈むアーダとアリンダル。
第3幕
狂気に陥ったアリンダルに代わり、友人のモラルトと妹のローラが王位を継ぎ、その祝宴。
モラルトは、喜ばしいことではないと、本来の王の立ち直りを全員で祈る。
皆が去ったあと、アリンダルは狂気と愛を求める夢想のなかで長大なモノローグを歌う。
王室をかつて導いた魔法使いグロマの声がアリアンダルを励まし、空から、楯と剣と竪琴が降りてくる。
そこへふたりの妖精が現れ、ダメもととか言いながら、救ってみせると意気込むアリンダルを、石になりつつあるアーダの元へ連れていくことになる。
ふたつの試練を、グロマの声と与えられた武器で乗り越えたアリンダル。
最後は石を壊す呪文がわからない。
竪琴をかき鳴らし、愛の歌を歌い、ついに試練に勝ちアーダを救いだすことができた。
妖精の王が現れ、試練に勝った報酬として、アーダとともに不死身の生を与え、妖精の国の王として王国を治めることとなる。
アリンダルとアーダは、故国の妹とモラルトに仲良く国を治めるように歌い、一同賛美のうちに幕。
珍しい作品だから、長くなったけれど、その要約を記しました。
アーダ :福田 玲子 アリンダル:羽山 晃生
ローラ :鈴木 慶江 モラルト :太田 直樹
ドロッラ:羽山 弘子 ゲルノート :秋山 隆典
ツェミーナ:工藤 志州 フェルツィーナ:高橋 華子
グンター:西塚 巧 グロマ :新保 俊紘
マルコ・ティトット 指揮 東京ユニバーサルフィルハーモニー
演出:松尾 洋/八木清市
(2.16 新国立劇場中劇場)
歌手の実力に、正直びっくり。
ホールの規模、小編成のオケなど、歌を生かす背景をしっかり得て、皆さん素晴らしい歌唱だ。
難役アーダの福田さん。1幕ではセーブ気味だったし、全幕を通じてドイツ語が不明瞭ではあったが、その強靭かつ圧倒的な声量と迫真の歌唱力は胸を打った。
これも難役、アリンダルは、リリックであるだけでなく、狂気の世界や、魔界での力強い戦いの歌、最後の締めも取らなくてはならず、スタミナとヘルデン要素を必要とされるが、羽山さんは、白眼をむき出したような没頭的な演技に驚くべき歌唱もともない、大ブラーボーを浴びていた。
そのほか、通常主役級をこなせる実力歌手たちの歌と演技に見入るばかりの私だった。
イタリアの若手ティトットが、極めて集中力溢れる指揮ぶりで、歌手や合唱とともに美声で歌い、唸り、夢中になっていた。
最前列、右サイドから見るこの指揮者、横顔ヤング・サヴァリッシュであったことを付け加えておこうか(笑)
アリア・重唱にこだわり、場や番号オペラの因習を踏んだワーグナーの音楽は、時にウェーバーであり、ベルリーニやドニゼッティであるが、ライトモティーフ風の示導動機も早くも導入しており、これまた時に、オランダ人やタンホイザーを彷彿とさせる響きやシーンも多々あった。これは、初期作も侮れないぞ!
上演中、アリアが終わると、拍手が巻き起こる。
幕が降りて、満足しながら、出口に向い階段を昇るとき、「はて、ワーグナーを聴いたんだろうか?・・・・・?」と思ってしまった。
ワグネリアンの「はしくれ」として、愛すべきオペラかもしれないが、後年のトリスタンやパルシファルとのギャップが余りにも大きすぎる。
東京オペラプロデュースの方々、上演に携わった方々、その熱意と努力におおいに脱帽いたしました。
今度は、「リエンツィ」やってください。「恋愛禁制」の再演も。
「初期三部作は、東京で!」、世界に発信しましょう!!
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コメント
こんにちは。あ、同じ日だったのですね。yokochanさんは指揮者に近い席だったのでしょうか。
いやはや良かったですよね!急遽出かけてよかったと思います。みなさん力いっぱいだったし。それにしても、2日目もこんなに良かったのかしら・・・行かれた方の感想が聞きたいですね~。
投稿: naoping | 2008年2月17日 (日) 19時32分
おっ、行かれたのですか!決断して正解でしたね。
私は5列目(最前列)の右よりでしたよ。
アリアドネの時の字幕が、上部で、今回も失敗かと思いましたが、舞台左右で一安心。
ともかくよかった。これで、妖精をものに出来た気がします。
あと、ふたつでワーグナーの舞台は制覇ですが、いつになることやら。
この団体の舞台にやって来るお客さんぐらいになると、マナーもよく集中力が違いますね。
投稿: yokochan | 2008年2月17日 (日) 21時03分