チレア 「アドリアーナ・ルクヴルール」 カプアーナ指揮
チレア(1866~1950)の「アドリアーナ・ルクヴルール」は、私の愛するオペラのひとつで、この素晴らしい作品との出会いはかつてのNHKイタリアオペラ1976年に遡る。
カバリエ、コソット、カレーラスがそろったその時の名舞台と演奏は、こちらで熱く語ってしまった。
ヴェリスモ抒情派のチレアの作品は、この「アドリアーナ」と「アルルの女」以外は知られてないが、最近ショップを徘徊していると、ほかのオペラや器楽曲なども出ていて、今非常に気になる作曲家でもあるのだ。
アドリアーナは、美しい旋律の宝庫で、音楽による筋立ても実によく出来ている。
プリマドンナのロールと二枚目テノールによる恋愛を軸に、チョイわるメゾによる横槍。
そして控えめなバリトンが暖かく見守り、ブッファのアンサンブル的な仲間たちが取り巻く。
それぞれに、短いながらも素晴らしいアリアが配置され、バレエ音楽まで設けられている。
グランドオペラのスタイルをしっかり受け継ぎながら、ただ単に美しい音楽が垂流されている訳でなく、登場人物たちやその行動には、ライトモティーフが与えられ、音楽によってしっかり色分けがなされている。さらに新古典主義的・回顧的な音楽もあるし。
かなり緻密なオペラが出来上がっているわけなんだ。
1902年の作曲。その頃、先輩プッチーニは、トスカを終え、喋々夫人に取りかかるところだった。マーラーは5番の交響曲を作曲中、R・シュトラウスは交響詩を書き終えてしまい、家庭交響曲を執筆中、でもサロメはまだ構想の中だったし、シェーンベルクはペレアスを作曲中。
フランスではドビュッシーが活躍中。英国ではエルガーが・・・・。
こんな時代背景を考えると、私の好む音楽が固まっている時代。
やや保守的軸足をもつチレアだけれど、生々しいヴェリスモから一歩も二歩も距離を置き、美しくもデリケートな旋律を追い求めた。
オペラのあらすじは、以前の記事をご参照くだされ。今回もう少し詳細に書こうかともおもったけれど、大好きオペラだけに、またいずれ取上げますので、その節に。
1976年のNHKホールの舞台。
中央にカレーラス、左にコソット、右に腰かけたカバリエ。強靭な声と存在感たっぷりのコソットに、巨大なカバリエ(声はあまりにも繊細で素晴らしかった)に押しつぶされそうなカレーラスが、いかにもこのオペラのヒーロー役のマウリツィオに相応しかった。
国を思うあまり、アドリアーナを愛しつつも、敵役公爵夫人に接近さざるをえなかったマウリツィオに名を変えた独サクソニア公は、そうした悩ましい境遇を苦しげに歌いこまなくてはならない。
一方で、ヒロインを死に至らしめるいい加減さといおうか、野放図さもなくてはならない。そうした意味では、カレーラスのある意味、ひ弱で一途な歌唱は、まさに適役だった。
アドリアーナ:レナータ・テバルディ マウリツィオ:マリオ・デル・モナコ
ブイヨン公爵夫人:ジュリエッタ・シミオナート ブイヨン公:シルヴィオ・マイオニカ
ミショネ :ジュリオ・フィオラヴァンティ 僧院長 :フランコ・リッチャルディ
フランコ・カプアーナ指揮ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団
同 合唱団
(1961年 ローマ)
もう物故してしまった人々ばかりの大演奏。
これで、アイーダが上演できちゃうすごい顔ぶれ。
アドリアーナと公爵夫人のコンビは、数ある演奏の中で、最高のものではなかろうか。
テバルディの風格と気品は、アドリアーナにぴったりで、朗読の場面や、嫉妬に燃える迫真の歌唱、最後に消え逝く儚さなど、大歌手兼大女優である。
でも常に、暖かさと人間味に満ちた声は、近寄り難いデーヴァというよりは、庶民的な親しみ安さをも感じる。テバルディならでは。
シミオナートについても、まったく同じことがいえる。
押し付けがましさが本性の公爵夫人でありながら、恋に震えた女性を歌いだしていて素適だ。コソットとともに最高のブイヨン夫人。
そして、デル・モナコのマウリツィオ。
こればかりは、デル・モナコの歌には合わない役柄ではなかろうか。
不器用なデル・モナコはここでも、祖国とアドリアーナへの愛情にゆらぐ一途な男を、それこそ目一杯歌いこんでいて、胸が熱くなる。
でも、カレーラスが歌ったマウリツィオは、もっと弱くて繊細な男だった。
どうしてもヒロイックに傾いてしまうデル・モナコ。
そんなデル・モナコは大好きだけれど、カレーラスのような華奢な男の翳りの部分は歌いだせなかったのではないか。
レヴァイン盤のドミンゴは、かなりいいが、あの分別臭さには、一途さがない。
今のところ、カレーラスが一番のマウリツィオだ。
映像で聴けるドヴォルスキー(フレーニの素晴らしいアドリアーナ)もいいが、コレルリやベルゴンツィも是非聴いてみたい。
カプアーナはNHKイタオペにも来日した懐かしいオペラ指揮者だが、1800年代に生まれた巨匠で、すでに69年には世を去っているが、こうしたイタオペの名匠は、いまはなかなかいないのではないか。人生の機微に通じた実に味のある指揮で、オケの意外な機能性と渋いくらいの彩りがたまらない。
アドリアーナの死を前にした、二人の二重唱の切なさは、ほろ苦い大人の音楽だ。
そして、愛する人の死を前に慟哭するマウリツィオと、愛する人をじっと見守ってきたミショネの静かな悲しみの対比は、あまりに悲しくて、美しすぎる。
多くのオペラ好きに聴いてほしい、「アドリアーナ・ルクヴルール」なのであります。
涙に濡れてもう書けませぬ・・・・・・。
音楽を聴くしかすることがないわ。
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コメント
yokochanさま こんばんは
チレアの「アドリアーノ・ルクヴルール」、NHKのイタリアオペラの公演、覚えています。確か、カバリエさんが1幕転けて立ち上がれず、その後は代役に代わったというエピソードが年ではないでしょうか?あの巨体で繊細な歌声、素晴らしかったですよね。
豪華な配役だったですよね、この頃はFMのライヴとテレビ放送もあったように思うんですが~。
私は、ギャウロフが歌ったと思う「ファウスト」が懐かしいです。クラウスさんがファウストだったと~。
ミ(`w´)彡
投稿: rudolf2006 | 2008年2月 3日 (日) 19時50分
rudolfさん、こんばんは。
NHKのイタリアオペラ団は、数々の名舞台を残してくれました。このアドリアーナは、76年で、ご指摘のファウストは73年のNHKホールこけら落しでしたね。
スコット、クラウス、ギャウロウ、できればもう一度放送してもらいたいです。
カバリエがコケタのは、このアドリアーナか、後のトスカかどちらかだったかと思います。
巨大なホールの隅々にあの繊細な声が響くさまは、今も忘れられません。
投稿: yokochan | 2008年2月 3日 (日) 21時10分
毎度同じコメントですが、K15C-9102~04と言うLPなら在りまして、CDへの買い替えはいまだに行っておりません。確かにモノーラルからステレオ初期は、各メジャーレーベルの専属制が強固だった為、多少不向きな役柄、デル-モナコのマウリツィオやマントヴァ公爵やディステファノのカニオのような配役で録音してしまうケース、ございましたね。SONYのレヴァイン指揮の、スコット、オブラスツォワ、ドミンゴ、ミルンズ他の全曲盤の出来栄え、如何なものでしょうか。このDecca盤は、余り正規録音に恵まれなかった、カプアーナ氏の老練かつ巧みな棒をうかがえる点でも、有り難い価値が在るかと存じます。
投稿: 覆面吾郎 | 2019年10月 2日 (水) 21時42分
ここでのカプアーナの味わい深い指揮は、とてもいいですね。たしかに、この指揮者の正規録音は少なくて残念です。
そしてデル・モナコのマウリツィオはヒロイックに過ぎますが、でもこれはこれで魅力です。
分別くさいドミンゴより、熱くていいです。
最近では、ベッチャーラがとてもいいと思います。
投稿: yokochan | 2019年10月 4日 (金) 08時45分
このデル・モナコの写真、1969年に最後の来日を果たし、東京、大阪、茨城で3度のリサイタルを行ったおりの物でしょうか。最近、ニコニコ動画で『イ・パリアッチ』のプロローグを歌った画像を見る事が出来て、ビックリしましたよ。
投稿: 覆面吾郎 | 2021年7月24日 (土) 19時42分
そうです、このモナコ写真は、1970年発売のステレオ誌のものです。
クラシック聴き始めの頃の貴重な雑誌で、今でも大切にしてます。
NHKで放送されたN響をバックにしたモナコのコンサート、指揮は、ニーノ・ヴェルキだったかも。
小学生ですが、テレビで見た記憶もはっきりあります。
トニオを歌った文化会館での動画、わたしも見たことがありますが、パリでのコンサートライブもあり、まだCD化されてないと思います。
しかし、存在感ハンパないですね。
投稿: yokochan | 2021年7月26日 (月) 08時41分