ブラームス ピアノ五重奏曲 ポリーニ&イタリアSQ
昨日の風雨で散ってしまう前の、日本橋界隈の桜。
普段歩いていても、足を止めることもない日本橋。
桜があると、立ち止って見上げたくなる。
花弁が、日本橋川に舞い流れている。
日本橋の上にかかる、あまりにも無粋な高速道路。
よく言われるように、東京オリンピックに合わせ、建設を急ぎ、川の上を通すことになった結果生まれたこの美しくない景色。
小泉元首相が、移設の検討を示唆したものの、それも今は昔の話となるのだろうか。
数千億もの費用の捻出は、昨今の騒ぎからして不可能に近い。
将来はともかく、どうなってしまうんだろ。
ブラームス31歳の作品、「ピアノ五重奏曲」。
苦行をにじませながら作曲したブラームスらしく、この曲は本来、数年前から「弦楽五重奏曲」として書かれ、そののち「2台のピアノのためのソナタ」に書き直され、そうした錯誤を経て、書きあらためられたのがこの「ピアノ五重奏曲」。
弦五がヨアヒムが、2台のピアノはクララ・シューマンが、それぞれイマイチと言ったことから、破棄または書き直しの運命をたどった。
若いブラームスの苦労が偲ばれ、そうした経緯はまるでブルックナーと同じ。
ところが、残されたピアノ五重奏は苦労の末に行き着いたとはとうてい思えない完成の域にあることが驚きだし、20代で着想されたとは考えにくい渋さをまとっている。
憧れと情熱、緻密な構成と歌心に満ちた4楽章の長大な作品は、交響曲と互角に立ちそびえるブラームスの傑作。
出だしから熱い1楽章もいいが、私はいかにも思索する雰囲気に富んだほの暗い2楽章が好き。スケルツォ楽章をはさみ、序奏を持った終楽章は、徐々に熱気を帯びてゆき素晴らしいエンディングを迎える。
ポリーニとイタリアSQの純正イタリアコンビが繰り出す明晰なブラームスは、アバドのブラームスとも通じるものがあるように思う。
晦渋さや陰りなどは、まったくなく、代わりにカッチリした揺るぎない構成感があって、見事な建築物や彫刻を思わせる。それは流麗なダ・ヴィンチではなくて、力強いミケランジェロ
のようだ。情緒に流されることのない、端正でかつ強靭な歌に身を任せるのもいいものだ。
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