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2008年5月

2008年5月31日 (土)

ラフマニノフ 交響曲第2番 尾高忠明指揮

2 先週の京都にて。
それこそ、お上りさんだものだから、つい先斗町に足が向いてしまう。

鴨川おどりの期間中だったようで、この日は舞妓さんとすれ違うことも多かった。
さすがに気が引けるので、こんな写真しか撮れませなんだ。
ちょうどご贔屓さんと会って、挨拶を交わすところを。
なんだか、雅やわぁ。

2_2 先斗町を一筋入ったところに、いつも一人で行く店は、怪しい雰囲気だけれど、クラシックが流れ、たまにライブなどもやる。
白味噌仕立てのおでんをいただき、身も心も、ほっこりと。
よろしゅうおすなぁ・・・。

棚に、「トスカニーニ」のラベルの付いたビデオを発見。
借りてしまった。
トスカニーニが歌いつつ指揮する2時間あまりの映像。
楽しみ楽しみ~

Rakhmaninov_2_odaka

雨の土曜日。
仕事から帰還し、「ごくせん」をしり目に、ラフマニノフでも聴こう。
ラフマニノフの交響曲第2番は、エルガーの1番と並んで、私の最愛の交響曲のひとつ。
伝説的な「ヤン・クレンツとケルン放送響」のFMエアチェックや、永遠の定盤「プレヴィン/ロンドン響」。このふたつによって、この曲を愛する気持ちが育まれた。
いくつもの音源を集めてしまったが、あとのお気に入りは、「ラトル/ロスフィル」「ヤンソンス/フィルハーモニア」「ハンドレー/ロイヤルフィル」「ギブソン/スコテッシュ」「スラトキン/セントルイス」「スラトキン/N響」などなど。
いやはや、まだほかにもたくさんあってきりがない。
これらに、ロシア系の情念系の演奏が入っていないところが、私の趣向なのかもしれない。

そして、これらに並んで、我が「尾高忠明とBBCウェールズ響」のニンバス盤も私にとって忘れられない1枚。
同じ日本人として、すべてが程よく、雰囲気も豊かで、さりとてくどくもなく、行き過ぎず。
オケの特徴と相まって、品格が高く生真面目である。
そんなラフマニノフはつまらねぇ!とお叱りを受けるかもしれないが、私はこういう尾高さんが好きなのである。
エルガーやワーグナーを指揮しても、常に音楽性と気品が両立している。
でも、そんな思いでのほほんと聴いていると、ヤケドするぜ。
エルガーもワーグナーも、静かに燃え上がる青白い情熱が湧きあがってくる場面が随所にあるのだから。そして、このラフマニノフの2番では、3楽章の楚々とした旋律がじわじわと盛り上がってゆく場面に、そうした尾高ムードがたっぷりと発揮されている。
氏の唸り声もたいへんよく聴こえる。
慌てず騒がずの終楽章も、テンポはそのままにじっくり保ったまま、着実なエンディングを作りあげて、こちらの胸を熱くしてくれる。

なんていい曲だろうと、つくづくと思わせてくれる。
この曲、カラヤンやロストロポーヴィチが指揮したらどんな演奏になったろうか??
怖いけど、聴いてみたかった。
91年のスヴァンシーでの録音。エルガーと並んで、この曲を何度も演奏してきている尾高氏、そろそろ札幌あたりで再録音をして欲しいもんだ。

 ラフマニノフ 第2交響曲 過去記事

  プレヴィン指揮 NHK交響楽団 
  大友直人指揮 東京交響楽団
  ロジェストヴェンスキー指揮 ロンドン交響楽団
  ヤンソンス指揮 フィルハーモニア管弦楽団
  ビシュコフ指揮 パリ管弦楽団

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2008年5月30日 (金)

シューマン 「詩人の恋」 オアフ・ベーア

2_4 5月の晴れた日に、 鴨川を望む。

歴史を飲み込んで来た清流は、この時期こそ美しく清々しい。
奥には比叡山の姿も。

床のやぐらが組まれ、夜は納涼床を楽しむ人々がもうたくさんいた。
夏は、もう蒸し暑くて床なんてやってらんないらしい。

Schuman_bar

夢と憧れに満ちた第1曲「美しい5月」から始まるシューマンの、歌曲集「詩人の恋」。

1840年の「歌の年」を飾る最高傑作のひとつ。
ハインリヒ・ハイネの「抒情間奏曲」から16篇を選び、この歌曲を作り出した。

ロマン派音楽の極地、恋が芽生え、やがて恋破れ、そんな思いも棺に納めようと歌う。
夢の中で、歓び、泣き、悲しむ・・・。
リアルな恋しか歌えない、今の青年たちからしたら、何と歯痒く思うことだろう。

詩と音楽が、見事に結びついていて、お互いが美しく調和して存在しあっている。
さらに、シューマンの歌曲にあっては、ピアノ伴奏がとても存在感があり、極めてロマンテックな前奏や後奏が付けられていて、素晴らしいピアノ曲にも匹敵する。

私の好きな曲を羅列、第1曲「美しい5月に」(歌えちゃいます)、第7曲「私は嘆くまい」、第9曲「鳴るのはフルートとヴァイオリン」(上下するピアノ伴奏の素晴らしさ)、第10曲「恋人の歌を聴く時」(女々しいまでの儚い歌)、第11曲「若者は乙女を愛し」(快活な自虐)、第13曲「夢の中で私は泣いた」(そうそう、私も泣くことありますよ・・・)、第15曲「昔話のなかから」(昔話にある夢のような素適な国に憧れる。朝になるとはかなく消え去ってしまう・・・。わかるよそんな夢の話)、第16曲「忌まわしい思い出の歌」(またまた自虐におちいり、巨大な棺を準備中。)

  「どうしてこの棺がこんなに大きく、こんなにも重いのか、お判りですか?
   私の恋や、私の悩みも、一緒にその中に納めたから。」

こうして歌い終えると、夢を閉じるかのような、長いピアノのソロがあって、「詩人の恋」の物語は終わる。
私の棺は、CDや本も加わるから、とてつもない棺が必要だぞ。

万年青年オアフ・ベーアが、デビューしたての85年に録音されたこのCD。
無用な感情移入をできるだけ避けたナチュラルな歌唱は、とても清新で気持ちがよい。
そんな自然児のような歌いぶりから、おのずと純粋な詩人の心情が歌いだされてくる。
さらに、ドイツ語の美しさも味わえるのは、F=ディースカウと双璧かもしれない。
名手ジョフリー・パーソンズの味わいあるピアノがまたいい。

 「詩人の恋」の過去記事

  ライブでも聴いたルネ・コロのCD                           

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2008年5月26日 (月)

チャイコフスキー 弦楽セレナード マリナー指揮

Kiyamachi_1 5月って、こんな暑かったっけ?
先週訪れた京都も暑かった。

暑いけれど、夜になって京の街へ一人くりだすと、そんな気分は吹き飛んでしまう。

鴨川沿いを散策し、高瀬川を木屋町に下る。
先斗町には、おりから鴨川踊りをはねた芸者衆が急ぎ足で店へ急ぐ姿がちらほら・・・・・。

ええですなぁ。。。。でへへ。

Academy このところ、ヘヴィーな音楽を聴いてきたので、そんな時のために重宝している、マリナー&アカデミーの演奏を。

チィコフスキー楽セレナード」
これを聴くたびに、「オー、ジンジ~!」と連鎖してしまうほどに、強烈な印象を与え続けた冒頭部分。
このところ下火になったので、こちらも安心して堂々と聴ける。
モーツァルトを愛したチャイコフスキーが、アイネクライネにならって、気持ちを込めて書いたセレナーデ。
1楽章の特徴的な出だしは、この曲のほんのひとさわり。
その序奏に続く主旋律部分からの弦のからみの美しさと、チャイコフスキーならではの美しい旋律の綾が堪能できる。
それとなんといっても、圧巻は2楽章のワルツ。
古今東西の名旋律のひとつといってもいい。
ほろ酔いのワタシなんぞ、この音楽に合わせて上半身がゆらゆらと動いてしまう。
その優美なこと(音楽です)といったらない。
3楽章エレジーの静やかな音楽もまた、この曲の白眉。チャイコフスキーのバレエ音楽のデュエットのような愛に満ちた美しい旋律。
4楽章、ロシア風の舞曲が支配するが、常にやさしく親しげで、にこやか。
最後には、「オー!ジンジ」でエンド。

こんな旋律の宝庫の名曲は、サー・ネヴィル・マリナーアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(長ぁっ!)のすっきり、さわやかな演奏がこのうえなく気分よろしくたのしめちゃう。
このコンビの録音は、いくつかあるが、デッカに録音し始めた、初期の1968年物がいい。
ロンドンでの録音。かのビートルズが最終章を迎えていた頃、ロンドンのクラシック界では、こんな粋な室内オーケストラが始動し始めていたのだ。
マリナーは指揮したり、リーダーを務めたり。
英国ならではの、フレキシブルでオールマイティな指揮者とオーケストラ。
彼らの初期の初々しい演奏を聴くのも、初夏の季節、悪くはない。

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2008年5月25日 (日)

ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 ハイティンク指揮

Bhaitink CDレコーダーのHDDの整理をしていたら、以前録音した「ハイティンクとベルリン・フィル」のライブ録音が出てきた。2006年頃の演奏のはず。
「魔弾の射手」とヒンデミットの「ウェーバー変奏曲」、ブラームスの2番というプログラム。
聴きだしたら、やめられなくなった。
ハイティンクは、いつからこんな巨匠風の腰の据わった演奏をするようになったのだろうか!
コンセルトヘボウ後、ドレスデンの指揮者になったあたりから、さらに飛躍したように思う。
ヒンデミットが一昨日の名残もあり、耳に馴染む。さすがベルリンフィルだけあって、凄まじいまでのウマさと威力に感服。
 ちなみに、ベルリンフィルの本拠地が火災に会い修復中とのこと!!
年一回のアバドの客演が、ヴァルトビューネに変更になっちまった・・・・。
(お世話になっているこちらで動画も見れます。)

さて、私は若い頃から、頭部がリーブしてたハイティンクが昔から好きである。
妙に近親感があるものだからねぇ。
聴きだしたのは、高校の頃、コンセルトヘボウとの来日記念に廉価盤やら新譜が大量に発売され、それを期に聞き始めた。小品ばかりを収めたサンプラー盤のようなレコードがとても気に入って、世間のハイティンクに対する風当たりの強さに憤慨したもんだ。
そして、FMで放送されたブルックナーの5番のすごい名演で、この指揮者は完全に、私のお気に入りの一人となった。
数々聴いた演奏は、過去記事をご照覧。
シカゴとの最近のCDは未聴(高い・・・・)ながら、おそらくこのコンビ最後の来日となる来年の公演はチケット取れるだろうか? シカゴは2010年からムーティが指揮者に。

Meistersinger_haitink そんなハイティンクの待望の1組。
コヴェントガーデン、ロイヤル・オペラ・ハウスのアーカイブの中から、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が登場したのだ。
ケンペのリング」とともに、同時期に、「ブリテッシュ・ワーグナー」がやってきた。
新録音はないけれど、過去の名演が次々に蘇えるある意味、いい時代になった。

このマイスタージンガー、1997年の上演で、アナログながら立派なステレオ録音で、それどころか最新の硬い録音よりハウスの響きを自然に捉えていて、歌手とオケのバランスもよく素晴らしい音なのだ。

ハイティンクのワーグナーは、EMIへの「タンホイザー(85年)」、「リング(88~91年)」の2種があるが、オペラの経験を格段に積みつつあったため、後年のものほど良い出来栄え。それでも、ミュンヘンのオケの実力と指揮者の構成の豊かさから生まれるシンフォニックなワーグナー・サウンドは、私の好きな演奏のひとつ。
 ところが今回の、舞台上演では、以前のCD用の録音がかすんでしまうくらいに、ハウスの興奮と感興に満ち満ちていて、舞台と結びついた音楽が実にイキイキとしている。
正直、こんなハイティンクは聴いたことがない。
アゴーギグを巧みに活用し、メリハリも充分。そして出てくる音楽は、このハ長の音楽の理想ともいうべき明るくも柔らかな響き。
どの幕にも、興奮した聴衆の盛大な拍手が入っているし、3幕の始まりにハイティンクを迎え称える大きな拍手も収録されている。
前奏曲からして、堂々たる威容だが、終幕最後の「親方たちを蔑んではならぬ」以降の部分は、胸が熱くなるような名演だ!

ザックス:ジョン・トムリンソン     ポーグナー:グゥイン・ハウエル
ベックメッサー:トーマス・アレン    ヴァルター:イェスタ・ウィンベルイ
エヴァ :ナンシー・グスタフソン   マグダレーネ:カスリーン・ウィン・ロジャース
ダーヴィッド:ヘルベルト・リッパード コートナー:アンソニー・マイケルズ・ムーア

   ベルナルト・ハイティンク指揮ロイヤル・オペラハウス管弦楽団
                                               ロイヤル・オペラハウス合唱団
         演出:グラハム・ヴィック  (97年7月ライブ)

Meistersinger_haitink2_3   キャストは味があるし、英国風でもあって実によろしい。
傑出した出来栄えの歌手は見当たらないし、ドイツ人は一人くらい。
中では、トムリンソンの安定感と存在感が目立つ。私は、この人の声がちょっと強すぎて苦手なのだけれど、彼が演じる若々しいウォータンのようなこのザックスは面白く聴いた。
年輪とともに、いまひとつ味わいが欲しいところ。
そのあたりを食ってしまったのが、アレン卿のベックメッサー。
芸達者ぶりに聴衆の笑い声が起きているし、実際、2幕のザックスとのやりとりはすごい。
普通じゃ聴かれないくらいに、ハンマーをトンカン叩くザックスのリズムに全然負けずに、へんてこなセレナーデを歌いまくる。3幕の歌合戦では、自信なさげにオドオドしてるし・・・。
ベックメッサーとしては、プライと並んで最上のものだと思う。

若くして亡くなったウィンベルイは、今健在なら、主要なワーグナー役でひっぱりだこになっていたろう。そんな思いをいだかせるヴァルターの歌唱。ちょっと一本調子だけれど、存在感ある魅力的な声だ。
リッパードのリリカルなダーヴィッドや、硬質ながらいかにもエヴァちゃんらしい一途な歌(3幕のトリスタンの箇所)が魅力のグスタフソン。ほかの歌手もみないい。
ブックレットの舞台写真を見ると、普通っぽい演出ながら、シェークスピアを思わせるような舞台背景で、正規映像も見たいもんだ。

通算11種類目のうれしいハイティンクの「マイスタージンガー」。
こちらで、ちょっと映像が見れます。
ロイヤルオペラのシリーズ、ハイティンクの「パルシファル」も出てくる可能性もありですぞ!

 マイスタージンガー 自己ブログリンク

  クリュイタンス指揮  バイロイト57年盤
  ヴァルヴィーソ指揮 バイロイト74年盤
 ベルント・ヴァイクル

                     

 

  

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2008年5月24日 (土)

神奈川フィルハーモニー演奏会 シュナイト指揮

Img 神奈川フィルハーモニー管弦楽団の定期公演を聴く。
お馴染みハンス=マルティン・シュナイト師の指揮。
このオーケストラ、特にこのコンビが繰り出す名演の数々に魅かれてついに定期会員となってしまった。

千葉在住、都内勤務の自分にとって、金曜日の夜に横浜に登場するのは、なかなかにタイヘンだし、まして定期会員になることは、ちょっとリスキーだったが、5公演をチョイスできるフェイヴァリット会員なるシステムがあって大助かり!
郷里のオーケストラへの愛着がなせる技なり。
(今、住む千葉のあのオケはいったいどうなってしまうんだろ・・・)

前段が長くなってしまったが、またもやドイツ音楽の真髄を味わわせてくれた名演との遭遇に心が震えた。

       ブラームス 交響曲第3番
   
       ヒンデミット 交響曲「画家マティス」

  ハンス=マルティン・シュナイト指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
                         (5.23@みなとみらいホール)

両曲合わせて75分くらいのシンプルなプログラムながら、その渋い、いや渋すぎる組み合わせに、もうワクワク状態。
ふたつともに、生で聴くのは初めて。

Kana_phil_2  ブラームスの3番は、かなり好きな曲で、力強さとともに、豊かな歌と哀愁に満ちた雰囲気が堪らなくいい。
冒頭から、一音一音をかなりゆったりと鳴らし、かつ引っ張る。これは、じっくりとやるぞ、と思い、こちらも心して構える。
そう、すみずみまでよく歌わせるシュナイト節が35分間展開させられた訳である。
繰り返しは省略されたものの、堂々たる冒頭主題に続く木管で歌われる牧歌的な主題。
この対比が実によろしい。時おりホルンが突出してしまうところをシュナイト師は、巧みに抑えながらバランスをとっている様子がうかがえた。
癒やしの音楽ともいえる第2楽章は、木管群が活躍。暖色系の音色が、このコンビによって見事に紡ぎだされる。さらに、こんどは、弦楽器の活躍する第3楽章。
曲が始まる前、有名な旋律をまず奏でるチェロのメンバーたちに、指揮者がよ~く歌ってよ・・・・なんて風に目で合図している様子。メンバーたちは、わかってますよ~とばかりににこやかに頷く・・・。こんなやりとりがあった。
そして音楽は、その様子のとおりに、思わず引き込まれるくらいに歌い、かつ泣きの名演。聞き古したこの旋律が、なんと豊かに響いたことであろうか。
コンマス石田氏の動きも気合いの入った終楽章。熱くてほろ苦い展開が、やがて静かに収束に向かい、いつものように祈るような指揮でピアニッシモの音が静かに消えた。
またもや、美しくも筋張の瞬間。堪え切れない人の拍手がぱらぱらと起きたが、大満足のエンディングで、シュナイト師もにこやかに楽員を讃えていた。
考えたら、この曲、すべての楽章が静かに終わる音楽なんだ。

休憩後のヒンデミットの「画家マティス」。
この曲や、グリューネヴァルトの絵については、アバドのCDの過去記事をご参照。
時代を考えると保守的なヒンデミットの作風。
ヒンデミットの作品にいえること、とっつきが悪く、なかなか微笑んでくれない。
アバドの演奏でも、アバドはまるで得意とするムソルグスキーを演奏するかのような渋いくて内省的なものだった。
はたして、シュナイト/神奈フィルはいかに。
 そう、それはそれは、美しくも輝やかしく、歌心と祈りにも欠けていない素適な名演だった。
オケがちょこちょこと踏み外すことはあったが、そんなことは全く気にならない。
あのムッツリ顔のヒンデミットの曲を、こんなにキレイに演奏できるんだ!

第1楽章「天使の合奏」は、曖味さのまったくないまさに天から光りが徐々に降り注いでくるかのような演奏。CDだと、もやもやした演奏に聞こえるが、素晴らしいホールで聴くこのコンビの演奏には、そうしたところが一切ない。
第2楽章「埋葬」。木管による哀感そそられる楚々とした旋律とそれを包み込む弦の伴奏が心を打つ。指揮棒を置き、ニュアンス豊かなシュナイト師の背中を見ているだけで、その音楽が感じられる。ソロオーボエ、毎度ながらにいい。
そして、フルートとこの音楽で大活躍のピッコロ、この二人がまた素晴らしい!
長大な第3楽章「聖アントニウスの誘惑」。強烈なフォルテの打激が数回、ここへ来てリズミカルで、賑やかなフルオーケストラが聴けるが、この演奏には華やかさなどひとつもない。クライマックスに向いつつ、オケが夢中になってシュナイト師の指揮に着いていっているのを目のあたりにして、聴くこちら側もどんどんと引き込まれ、ドキドキしてきてしまう。
さして、騒然とした中から、光明のようにコラールが管で奏でられ、それがやがて全オーケストラの合奏に引き継がれてゆくとき、私はもう感動で胸が一杯になりむせってしまいそうになった・・・。曲が高らかに終っても、身動きひとつしない指揮者と楽員。
またやられてしまった、シュナイト/神奈フィルに!

Landmark2 この音楽を見直すことのできた素晴らしいコンサート。
でもこんなの聴いちゃうと、CD聴けないヨ、罪なコンビ・・・・。

アフターコンサートは、神奈川フィルを愛するメンバーの方々とおいしいお酒で楽しいひと時を過しました。みなさん、お世話になりました。

         

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2008年5月21日 (水)

R・シュトラウス 「ティル」「ドン・ファン」「死と変容」 セル指揮

Matsusaka_cat 私は、無類の犬猫好きだけど、まだ猫と暮らしたことはありません。

今、ご一緒するなら、「ねこ」だけれど、現状は集合住宅の規約ゆえ不可能。
でも、いずれ死んでしまうことを考えると、かわいそうでご一緒できない。

だから、街で見かける「ねこ」を追いまわしてしまう。

こいつは、とある公園で見かけた、後姿のいいねこ。
最近死語の「バックシャン」ねこである。体を包む尻尾、丸くなった背骨、三角耳の生えた丸い後頭部、前足は折りたたみ、肩が上がっている。いいねぇ~。

Szell_rstrauss

R・シュトラウス作品シリーズ。
今晩は、定番の「ティルオイレンシュピーゲル」と「ドン・ファン」「死と変容」の3つの交響詩を収めた名盤を。
3曲で約55分。
本来、LP1枚に収まるのに、LP時代はなかなかなかった選曲。
ドンファンとティルをLPの片面に収めるのが厳しかったのかもしれない。
かといって、この組み合わせのCDもあるようでない。

このカップリングの数少ないLP、ジョージ・セル指揮のクリーヴランド管弦楽団のものは、文字通り擦り減るくらいに聴いた思い出の名盤。
詰め込んだA面は、ちょっと音量レヴェルが落ちるけれど、3曲ともに、極めて音楽的で明晰な録音。カートリッジやスピーカーの配置を換える度にレファレンス的にも愛用した1枚なのだ。

CD化されたものは、かつて国内盤で一度出たきり。
組み合わせを替えれば、それぞれ手に入るが、ちょっと寂しいぞ。

メリハリの効いた強弱豊かなティル、光彩陸離、一直線のドン・ファン、割れるようなホルンの咆哮に、凄まじいばかりにオケをドライブするセル、手も着けられないくらいに一気加勢の死と変容。
いずれも、シュトラウスが描いた数分の音楽のドラマを鋭くえぐりだし、巧みな棒さばきで、優秀なオーケストラから、熱狂とともに、明晰かつ怜悧な音楽を引き出した名演。
こんなすごい演奏に、多弁無用。
まだお聴きになったことがなければ、この3曲のどれかを是非お聴きいただきたい。
いやになっちゃうくらいの、セルの名演奏。
おまけに、1957年の録音とは思えない、分離のいい素晴らしい録音。

Matsusaka_cat2_2 さて・・・、後姿・バックシャンの真のお姿はこちら。
あれ、あれれ??
あんた、その顔どーしたの?
お疲れ様です、くたびれ、おんぼろムードのねこでした。
顔洗いましょうよ。

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2008年5月20日 (火)

レオンカヴァッロ 「五月の夜」 ヴァグリエリ指揮

Mitsui_club 三田の閑静な場所にある「網町三井倶楽部」。
三井家の迎賓館として、大正期に出来たルネサンス様式の館で、英国式庭園や宮殿のような内部はゴージャスそのもの。(らしい・・・)
三井系大企業を中心とした会社のお偉いさんや、その紹介がないと入れないみたい。
結婚式もできるし、本格フランス料理も食べれるようだ(正装でね)。

私のような人間には縁はございません。
事務所から歩いてこれる場所なので、たまにこのあたりを散策し、麻布あたりまで足を伸ばすことも多い。
歩いて覗き込むだけですが・・・・・。

Leoncavallo_lanuit_de_mai ルッジェーロ・レオンカヴァッロ(1857~1919)は、昨年が生誕150年だったが、見事に何もなし。
パリアッチ」(道化師)だけが超メジャーな悲しい存在。セットで付いてまわる「カヴァレリア・ルスティカーナ」のマスカーニもご同様。
「カヴァ・パリ」なんて、いっしょくたに呼ばれちゃう。

偉大なヴェルディのあとは、プッチーニがしっかり人気・実力ともに次いでしまったが、このセット2人組も決して捨てたものでない(はずだ)。
マスカーニは、「友人フリッツ」や「イリス」などの美しいオペラが聴かれなくはないのに、レオンカヴァッロは、プッチーニに台本を提供しておきながら、断られ自分で書いた「ラ・ボエーム」をはじめとするオペラがいくつもあるようだが、それらは全く耳にすることができない。
有名なのは、歌曲の分野くらいか・・・・・。

さて、今日の首都圏は、低気圧と台風のダブル攻撃で、早朝から風雨が吹き乱れた。
午後は、風がすべて吹き飛ばしてくれたかのような晴天。
晴れた夜空には、きれいな月が美しく輝いている。まさに美しい5月の夜。

レオンカヴァッロの「5月の夜」は、テノールとオーケストラのための交響詩である。
レオンカヴァッロは、ナポリ生まれだが、本国で勉強してオペラを数曲書いてのち、フランスやイギリスで軽い音楽を書いたり演奏したりしていた。
その後、親族がいるエジプトに渡ったりしたが、民族戦争があり、イタリアに帰還し、マスカーニのカヴァレリアの成功を見て、一年発起して「パリアッチ」を作曲(1892)して大成功を収めた。その初演はなんと、トスカニーニなんだ。

さてさて、この「5月の夜」はパリ時代の1886年に書かれた。
原作は、フランス・ロマン派の詩人・作家の「アルフッド・ド・ミュッセ」の同名の詩。
ミュッセは、かのジョルジュ・サンドとの恋愛物語もある人だから、その時代性とロマン主義真っ只中にあった存在感が理解できる。5月のほか、8月、10月、12月のそれぞれ夜を歌った詩集を作っているので、よっぽど甘い夜がお好きだったのだろうか。
ネットでいろいろ見てみたら、かなりハンサムでもてそうな男子だった。
ちなみに、プッチーニのオペラ「エドガー」の原作もミュッセでっせ。
 この輸入盤CDのリブレットは、原作のフランス語の詩しか出ていないので、内容はさっぱりお手上げ状態。今度、詩集でも調べてみなくては・・・。
「憂愁に沈む詩人」と「苦悩と絶望こそ言葉の源泉」と慰めるミューズの対話が内容の様子。

ということで、レオンカヴァッロは、原作のフランス語そのままに、オーケストラがミューズを、テノール独唱が詩人を、それぞれ交互に並ぶ12曲の構成として作曲した。
音楽は、とてもロマンテックで聴きやすいもので、総じていえばオーケストラ部分は優しく抒情的、テノール独唱部分はドラマテックで歌謡的、まるでオペラアリアを聴くよう。
流れるように湧き出てやまない美しい旋律は、さすがに南の国の作曲家。
そして、フランス語の語感の美しさも相まって、なかなかに陶酔の境にいざなってくれる。
最後のテノールの絶唱は、のちのパリアッチを思い起させてくれるし、ミューズ(オケ)の第1曲は、ジャケットにある「海に浮かぶ月」が思う浮かぶし、同じオケによる5曲目は、分散する弦のさざなみに乗って、ヴァイオリンやマンドリンが夢見るように、きれいな歌を奏でる。
本場の雰囲気豊かなオケに、目一杯に歌いまくる国籍不明のテノールはとてもよろしい。

         テノール:グスターヴォ・ポルタ
     パオロ・ヴァグリエリ指揮 サヴォーナ交響楽団
                          (2002年録音)

オペラ好きや、後期ロマン派音楽好きには是非お薦めの桂曲であります!
レオンカヴァッロとマスカーニ、いろいろと聴いてみる必要ありデス!

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2008年5月19日 (月)

エルガー 交響曲第3番 尾高忠明指揮

Symphony3_odaka N響でのエルガー交響曲第1番の名演を聴いたばかりの尾高さん
発売されすぐ購入したものの、温存してきたアンソニー・ペイン版交響曲第3番を聴こう。
イギリスのレーベル、シグナムにどのような経緯で録音することとなったかわからないが、尾高&札幌交響楽団を起用し、お国物のエルガーを録音するなんて、しかも、第3交響曲なんだから、素晴らしいとしかいいようがない。
おまけに、ドヴォルザークの第8と第9交響曲も録音したときたもんだ。
このレーベル、英国の合唱音楽を中心に古楽などを中心にしていて、まだオケ曲は少ないようだ。
尾高さんの英国における実績ゆえに、こうしたコラボレーションが生まれたのであろう。
シグナムのオケレパートリーの核として、是非とも、後続が続くように熱望したい。
だから、皆さん聴いて下さいな。

BBCの委嘱で書き始めた3番目の交響曲、3楽章までのスケッチのみを残してエルガー(1857~1934)は、亡くなってしまう。
死期を悟った作曲者は、スケッチを破棄するように頼んだが、そのスケッチは大切に大英図書館に保管されたが、エルガーの娘カーリスをはじめととする遺族は故人の意思を尊重することで封印を望んだ。
1990年、BBCは交響曲の補完をアンソニー・ペインに依頼、同時に遺族の了解を得るべく交渉を重ね、1997年にまず録音が、翌98年には初演が、うずれもA・ディヴィスの指揮によって行なわれた。
一口に言えば、簡単な経緯だが、スケッチのみから60分の4楽章の大曲を作りあげることは、並大抵のものではなかったろう。
スケッチがあるといっても総譜はごく一部、スケッチを結び合わせて、かつエルガー・テイストを漂わせなくてはならない。さらに終楽章は、ほとんどがペインの創作となるため、エルガーの他の作品からの引用で補わなくてはならない。エンディングにエルガーの常套として、冒頭の旋律が回顧される、なるほどの場面もある。

以前にも記したが、最初はどうも聴く気がしなかったが、P・ダニエル盤を購入して、繰返し何度も聴いた。だんだんと、エルガーの第3の交響曲として新たなレパートリー誕生を素直に喜ぶようになった。

Sso_2  そんな折に、2004年日本初演のコンビ、尾高/札響のCDが登場。
音楽と真剣に向き合い、ゆっくり、じっくりと歩むような演奏はこの大らかな曲に相応しい。第1楽章のいかにもエルガーらしい第2主題の歌わせ方など胸にぐっとくるし、男性的な第1主題との対比も見事に効いている。上昇する音形が多用される場面もとても聴き映えがする。
交響曲の一部とは思えない、エルガーの小品のひとつのような2楽章は、札響のきれいな音色がとてもいい。北海道の初夏のような爽やかさ。
一転、憂愁につつまれる3楽章。曇天のロンドン=札幌か。ホルストの土星を思い起させるような、憂愁と優しさが交互におりなす音楽。
オケの精度をさらに求めたくなる場面もあるが、気持ちのこもった演奏ぶりに心惹かれる。
出来栄えに難ありとも言われる終楽章。行進曲のような威勢のよさは、この楽章、唯一残ったスケッチが冒頭のファンファーレだったことにもよるのかしらん。
消え入るように弦が冒頭主題を奏で、ドラの一音で静かに終わるとエルガーを聴いた気分と喜びに満たされる。
堂々とした札響のブラスが充分に聴けるし、スリムな札響の弦の美しさが響きの良い「キタラ」で行なわれた録音によく捉えられていると思う。
ブラインドで聴かされたら、日本のオケとは思えないだろうな。

このCD、さらなるオマケ以上に、「威風堂々」第6番が収録されている。
5番までしか完成しなかったが、この曲もスケッチが残されていて、同じくアンソニー・ペインの補完で2006年にやはりA・ディヴィスの指揮、プロムスにて初演された。
ネットラジオで聴いたが、その時の印象はいまひとつ。
昨年、大友さんが日本初演を行なった演奏会を聴いたが、この時は面白かった。
エキゾテックな雰囲気と打楽器の活躍がやたらに印象に残った。
そして、録音ではこちらの方が一足早かった尾高さんの演奏は、しごくまっとうで、落ち着いた演奏。でも交響曲に較べるとその魅力はもうひとつかな。

ペイン補完の2作品を収めた日本人によるエルガー演奏が、英国のレーベルから発売されたことの意義は大きい!
(2007.3@札幌コンサートホールKitara)

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2008年5月17日 (土)

NHK交響楽団演奏会 尾高忠明指揮

尾高忠明指揮のNHK交響楽団定期演奏会を聴く。
喧騒の渋谷を一生懸命歩いて坂を行くと汗が出る季節になった。
よいお天気で代々木公園の緑も濃くなり、お目当てのエルガーを聴くにふさわしく、初夏の陽気に気分が高まる。
若者のストリートミュージックに負けずに、早くも脳裡には、こんな緑や涼やかな水の流れのような第2楽章の中間部の爽快な旋律が鳴っていた。

  ベートーヴェン  ピアノ協奏曲第3番
        ピアノ:ブルーノ・レオナルド・ゲルバー

  
  エルガー     交響曲第1番
 

     尾高忠明 指揮 NHK交響楽団
                   (5月17日NHKホール)



Nhkso5_2 ベートーヴェンの3番の協奏曲をライブで聴くのは初めて。しかもえらく久しぶりに聴く。
だからということでもないが、ベートーヴェンの新鮮でみずみずしい音楽に、あらためて感動。万年青年のようなゲルバー。もう大変なベテランだが、まだまだ若々しい。
ロマンあふれる2楽章が、ともかく素晴らしかった。ふくよかで美しいゲルバーのピアノの音色、優しく包みこむかのような尾高さんの指揮。1番や2番の緩徐楽章とともに大好きな場面だな。
両端楽章も、もちろんよかった。ともかく、よく響き混じり気ないピアノ。
時折、唸り声も発するが、激したところの全然ない大人のベートーヴェンは、とても気にいった。
4番も聴いてみたいぞ。

それでもってお待ちかねのエルガーの交響曲第1番
この曲、以前の記事「クラヲタ生活40周年」の特集、マイフェヴァリット曲の交響曲部門の第1位を飾ったくらいに大好きなのだ。
これまで何度も尾高さんが取り上げてきたけれど、常に聴けなかった。
ついに念願かなって、尾高エルガーの真骨頂を間近に聴くことができた。

何が好きかって、全曲を支配するモットー(循環主題)がまず素晴らしい。
冒頭に、ティンパニの静かなトレモロに導かれて、中音域から始まる主題。
これが徐々に各楽器に広がり、やがてオーケストラによる全奏となる。
この間の盛上りで、もう私の涙腺は破られてしまう。
それから始まる主部の壮大さ、2楽章の滝の流れのような爽やかさ、3楽章の気品に満ちた情熱の歌とホルンが明滅する、そのエンディングの深淵さ。いくつもお楽しみはある。
そしてダイナミックな運びの中に、全曲を懐かしく振り返りつつ、最後に冒頭の主題が全オーケストラで現れる!
ここに至って、私は毎度、涙ちょちょぎれ状態となってしまい、崇高なエンディングを感銘のうちに迎えることとなるわけだ。

Otaka 尾高さん、渾身の指揮。
譜面台は置きながらも、暗譜で指揮。それも、隅々まで熟知し、この曲が好きでならないとた様子が、その指揮ぶりからも充分伺える。
尾高さんの指揮は、何度も観て聴いてきたけれど、こんなに熱く、気持ちのこもった指揮姿は見たことがないかも。
小柄な姿が、何倍にも大きく見えた。
私も、最初から最後まで、背筋を伸ばして音楽に飲み込まれ、酔いしれたし、涙も流した。
N響の金管の実力は、やはり他のオケと較べると段違いに素晴らしい。
3楽章の終わりのホルンはものの見事に決まっていたし、終楽章のグロリアスな響きも素晴らしい。尾高さんは、最初金管を押さえ気味におもったが、終楽章では全開。
席の関係(1階R)から低弦が響きすぎたかもしれないが、全体のバランスは耳のよい尾高さんならではで、まとまりのよいノーブルなエルガー。
ウェールズ響のCDと異なる点は、尾高さんがテンポを少し揺らしたり、楽器の出入りのメリハリも豊かになったり、そして何といっても自信と情熱を持った指揮棒から生まれる音楽の幅の豊かさ。そしてそこから生まれる音楽することの歓び!

これまで聴いたエルガーの1番で、最高の演奏のひとつだと断言できる。
涙ながらに、最初に、ブラボーの一声を、さりげなくかけたのはわたしだよ。

N響機関紙に、来シーズンプログラムの記載あり。
まずは、今シーズンの12月、J・コウトの指揮で「トリスタン」の前奏曲愛の死に2幕をエーベルツ、ワトソンのバイロイト組で。
12月、デュトワでエディプス王。2月、エリシュカで我が祖国。4月、デ・ワールトでリング抜粋やアルプス・シンフォニー、5月、尾高でエルガーのチェロ協と第2交響曲。
こんな按配なんです。早くも来年も金が・・・・・。

エルガーの交響曲の自己リンク

交響曲第1番

 
バルビローリ/フィルハーモニア管
 大友直人/京都市交響楽団 演奏会
 尾高忠明/BBCウェールズ響
 ノリントン/シュトットガルト放送響
 プリッチャード/BBC交響楽団

交響曲第2番

 尾高忠明/読売日本交響楽団
 大友直人/京都市交響楽団
 
大友直人/東京交響楽団 
 B・トムソン/ロンドン・フィルハーモニー

交響曲第3番

 K・デイヴィス/ロンドン交響楽団





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2008年5月13日 (火)

ブリテン バレエ「パゴダの王子」 ブリテン指揮

Ebisu このところ寒い関東。
おまけに今日は台風ときたもんだ。
中国は大地震だし。
どーなっとるんだ?

どーなっとる、といえば、わが、へっぽこベイスターズ」。
着実に負けを重ねていて、なんの期待もしなくなった矢先、金満虚珍に本日サヨナラ勝ちしてしまったヨ。
裏切り野郎のク○ーンを打ったし、虚珍に反抗せんとする仁志君の一振りで決めた。
あたしゃ、久しぶりにうれしいよ。
G党の方、すいませんね、たまにはお許しください。
まぁ、今日だけですから・・・・トホホ。

こちらは、恵比寿ガーデンプレイス。

The_prince_of_pagodas

今日は、ベンジャミン・ブリテン(1913~1976)のバレエ音楽「パゴダの王子」を。
未発表の作品も含めて多作家だったブリテン。
オペラ系統の作品は17も作ったのに、同じ舞台作品でもバレエは、この一作だけかもしれない。
やはり、ブリテンは声に対するこだわりが強かったし、ピアーズの存在が何といっても大きかったのだろう。

全3幕、100分の大作である。
こうした未知の曲の場合、国内盤の解説は実にありがたい。バレエの筋を知ったうえで、細分化されたトラックで確認しながら聴くと、ブリテンの音楽の素晴らしさがよく理解できる。地方のHMVで見つけて購入したが、もう廃盤かもしれない。

第1幕
古代王国の宮殿、イバラ姫とバラ姫が住み、王位継承者の姉イバラ姫のもとに、世界中から求婚者が現れる。東西南北の4人の王である。
尊大で性格の悪~いイバラ姫は、彼らに好意を示さない。
そこに心優しく美しいバラ姫が現れ、王たちも見とれる。これを見た、皇帝とイバラ姫は、怒りバラ姫をいびる。
そして、あらたな客人の訪問。なんと、4匹の蛙たち。蛙は箱を届に来て、これを空けることのできたバラ姫に、箱の中からバラの花が現れ、姫は受け取り、送り主の王子に会いにいくため黄金の網の中に入る。

第2幕
網が舞い上がり、空気・水・火の世界を旅するバラ姫。
やがてパゴダの王国に到着するが、その国の人々は身動きひとつしない。
姫が人々に触れると、回り出す。愛想よい人々の歓待を受けるが、目隠しをされる。
やがて、火トカゲが登場するが、そのトカゲの醜い皮を脱ぐと美男の王子で、ふたりは恋に落ち優美に踊る。
しかし、目隠しを取ると再び火トカゲに戻り、姫を追いまわす。

第3幕
かつての王国では、イバラ姫が王冠を手にして父王を追放し幽閉している。
裏切られた父は悔やんでいる。
そこへ、バラ姫とそれを追う火トカゲがやってくる。
イバラ姫は、そのふたりを命じて捕らえるが、バラ姫は火トカゲを助けてくれるように懇願し、抱きしめる。ここで、火トカゲは再び王子となり、王国は滅び去る。
 王子とバラ姫、皇帝とバラ姫をかつて助けた気のやさしい道化は、パゴダの国に赴き、民衆たちも自由を得る。ここで愛と自由をたたえて、数曲ディヴェルティスマンが登場人物たちにより踊られ、王子と姫は愛を誓い、明るいフィナーレを迎える。

   ベンジャミン・ブリテン指揮 コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団
                                 (1957年録音)

以上、CDの解説を参考にさせていただき、超概略。

1956年の作曲で、ブリテン43歳。相変わらずの早熟ぶり。
チャイコフスキーのバレエ音楽を徹底的に研究したこともあり、堂々たるグランドバレエ様式になっていて、音楽はプロコフィエフのようでもあり、ストラヴィンスキーのようでもある。
だが、やはりそこはブリテン。新鮮な響きが満載である。
日本も含むアジア旅行を経て、各地の民族音楽や芸術に感銘を受けたブリテン。
ここでは、第2幕のパゴダの国の民衆の場面に、バリやインドネシアを思わせるガムランの音楽を見事に取り入れている。鐘やドラムがどんガラ鳴り、チェレスタがエキゾチックに響く。この場面は、誰が聴いても気に入ってしまうはず。思わず体が動く。
こうした特長的な場面はほんの一例ながら、ライトモティーフを採用した音楽は、ある意味わかりやすく、ドラマの理解の助けにもなっている。
 一部のオペラ作品は難解で、ちょっと着いていけない雰囲気もあるが、この「パゴダ」は、わかりやすく、ドラマテックで斬新かつ楽しい音楽なのだ。
最後の洒落たエンディングも心憎い。
このひと月、この曲を何度聴いたかわからない。
お気に入りのブリテンの曲になりそう。

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2008年5月12日 (月)

シューマン 「クライスレリアーナ」 ベロフ

Yellow_rose 以前に撮った写真。
ばかちょんでも、光の加減や自分でも意識しない按配で、こんなうまい具合に撮れるものだ。

今日の関東は、3月の初め頃の寒さ。でも暦は、もうバラの季節なのだな。

Schuman_kreisreriana_beroff 土曜に聴いた「シュナイト/神奈フィルのシューマン」がいまだに尾を引いている。
それというのも、あれだけ歌謡性と輝きに溢れたシューマンの交響曲は初めてだったものだから。

ピアノ曲ならば、ソナタ以外は詩情に溢れているし、旋律にもことかかない。
ほとんどのピアノ作品は、交響曲前だし、若やぎもあるし。
そこで、若きミシェル・ベロフのピアノで「クライスレリアーナ」(1938年)を取り出してみた。

本来、クライスラーのこと、という意味あいだったらしい。クライスラーといっても、あのヴァイオリンのクライスラーではなく、文豪ホフマンの小説に登場するクライスラーのことらしい。でも、本人はそのクライスラーではなく、クララのことを思って作曲したというから、やっかいなシューマンなのだ。
でもそれは無視して、8つの幻想曲からなる緩急のモザイクのような小品たちは、それこそロマン溢れ、伸びやかさと激情の交錯する音楽。

ああした、ややこしい交響曲を後に書くことになるシューマン。
果たして単にオーケストレーションがヘタクソだっただけなのか?
かといって、一昨日の演奏は、その下手と思われるスコアが豊かに歌い、隅々まで鳴り響いていたのだし・・・。

本来の幸せなシューマンは、クララを思い、ロマンの森を思った、こうした作品の中にこそあるのかもしれない。
ベロフの若やぎと情熱に満ちたピアノは、シューマンにとても相応しいように思う。
技巧的にも完璧ながら、そのみずみずしい響きは、昨今の若い完成されたピアニストからは聴くことができない。気恥ずかしいくらいが、ちょうどいい。

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2008年5月11日 (日)

神奈川フィルハーモニー演奏会 シュナイト指揮

Schneidt_schuman2ハンス・マルティン・シュナイト指揮神奈川フィルハーモニーによる「シュナイト音楽堂シリーズ
今シーズンはシューマン・シリーズで、前回はかわいいプティボンと重なり聴けなかったもの。
このコンビのドイツものは、必聴ゆえ、午前中仕事をこなし、万全を期して横浜へ。
生憎の雨と、ど渋いプログラムもあって、今日の県立音楽堂は約7割の入り。
めったに演奏会では聴けない二つの円熟ロマン派音楽なのに、もったいない!

  ブラームス   セレナード第2番 イ長調
  シューマン    交響曲第2番 ハ長調

 ハンス=マルティン・シュナイト指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
   (5月10日 神奈川県立音楽堂)


Schneidt_schuman ビオラ、チェロ、コントラバス、木管、ホルンというユニークな編成によるブラームスのセレナードは、若書きとはいえ、どこをとっても我々が思い描くブラームスの音世界。
その楽器編成ゆえ、音楽は普通に喋る人声のようで、声高なところがいっさいなく、極めて落ち着き、かつマイルドなものである。
ゆったりとしたテンポをとったシュナイト師の指揮は、ほのぼのとした響きと深い呼吸を神奈フィル・メンバーから導き出していて、聴いていてほんとに気持ちがのびのびとしてゆく思いだった。ビオラのアンサンブルにやや難ありながら、木管がカバーしていたし、細かなことを気にせず、大らかな気分で楽しめた。
田園風景を彷彿さえるかのような1楽章と、ピッコロの活躍する終楽章がとりわけ楽しい。

休憩後は、シューマン。
同じ2番の洒落たプログラム、のどかなブラームスのセレナードに比べ、何と晦渋で渋い趣きを持つことか。出だしの序奏の部分でそう痛感した。
日頃聴いているCDでも、2番はいずれもそういう、くすんだ印象が先行する曲だ。
 ところが、この日のシュナイト&神奈フィルは、主部が始まると、それはそれは活気と推進力に満ちたもので、音はきらめきすら感じてしまった。テンポも心持ち速めでノリが良い。
前半降り番で、張り切るコンマスの石田氏の大きなアクションが、弦を中心に全体を引っ張っていて、どうやらそのあたりに要因がありそうだ。
そこに、シュナイト師の南ドイツ気質が混ぜ合わされ、稀なるシューマン演奏となってゆくのだ。
2楽章のユニークなスケルツォも同様に、一気呵成。最後の音が鳴り終わって、その響きが緊張感とともにホールに「こだま」したものだ。
そして、美しかったのが3楽章。よくよく聴けば、同じ単純な旋律が各楽器で橋渡しされているだけだが、どうしてこんなに美しいのだろうか。シューマンの歌に対する天性の素晴らしさにちょっと感心。そんな場面をここでは、じっくりとしたテンポを設定し、実によく歌っていた。楽章が始まる前の、アウフタクトで、シュナイト師は「歌うように」との指示を指揮棒を置いた右手で出していたのが印象的。ヴァイオリンがともかく美しい。
そして、終楽章で今日のシューマンはものの見事に決まった!
明るく決然とした響きに強力なカンタービレ、今まで聴いていた2番は一体なんだったのだろうか、とドキドキしつつティンパニ(見事だった)の連打による大団円を迎えることとなった。ホールは、4楽章では、熱気につつまれそこここで、体を揺らす人、指で拍子を取る人などが見受けられた。ご一緒したyurikamomeさんのお話では、涙をぬぐうご婦人もいらっしゃったとか!

盛大な拍手とブラボー。シュナイトさんも楽員も満足で上機嫌の面持ち。
シューマンの新たな面を垣間見させてくれた、素晴らしいコンサート。
至福の土曜の午後であった。

その至福は、アフターコンサートでの歌声聞こえる居酒屋「一の蔵」での楽しい語らいで倍増されました。先生、yurikamomeさん、どうもお世話さまでした。

毎度ながら、ちょっと飲み過ぎ。でもいいお酒だから、今朝も快調。
早く起床し、仕事で狭山・川越まで車で高速を飛ばして、ただ今帰還。
シューマンの響きが頭をかけめぐりつつ、ちょうどよいドライブになった。


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2008年5月 9日 (金)

チャイコフスキー マンフレッド交響曲 シモノフ指揮

2aq3_2まだしつこく名古屋の味シリーズ。
ネタはそろそろ、おしまい。
お菓子系がないのが悔やまれます。

今回は、「手羽先」。
から揚げにした手名先に独特の甘辛い味付けがしてある。
これぞまさに、ビールのつまみ。手でワイルドに食らい、ビールを流し込む。
1 「うみゃぁ~」と叫ぶこと請け合い。名古屋出張の帰りは、名鉄の地下にある「風来坊」のテイクアウトを購入している。新幹線で、カバンにうまいこと収納しないと、匂いがプンプン。
家に持ち帰ると、お父さんのツマミに残るのはほんのわずか。
子供たちの餌食となってしまう。酒飲みの子供に生まれた、こいつらの将来が頼もしい(恐ろしい)。
名古屋のコンビニで見つけた、手羽先味のキャラメル。これまた有名な「世界の山ちゃん」。甘辛いキャラメルは初めて食ったぞ。この山ちゃんの顔、瓜二つの上司がかつていた。しかもそのヒトも山ちゃんだったんだわ。

Tchaikovsky_manfred_simonov 昨晩に続いてチャイコフスキー
バイロン(英)の詩劇「マンフレッド」に題材を求めた同名の表題音楽的な交響曲である。
1885年の作品は、第4と第5の交響曲の間。
オルガンも鳴る大規模な編成による4楽章の作品は、ベルリオーズやリスト、後年のR・シュトラウスのように大音響を伴なう極めて劇的なもの。

アルプス山中の城の主マンフレッドは、懐疑的思想に取り付かれ、絶望のうちに魔女から妖術を学び取る。これで救いを得られないマンフレッドは山中をさまよい死を追い求めるが、それも与えられない。やがて、かつての恋人で自殺したアスタルテの亡霊と会うが苦悩のうちに救われないまま死を迎える・・・、という訳わからん物語。

あまり深く考えずに、チャイコフスキーの劇的かつメロディアスで甘い旋律を楽しむに限る。

今日の演奏は、これまた昨晩に続いての爆演指揮者「ユーリ・シモノフ」指揮のロンドン交響楽団のもの。
シモノフは、知る人ぞ知る爆演オジサンで、その指揮姿もユニークで体中が音楽のカタマリみたいな指揮者だ。
これまた知る人ぞ知る、駅ワゴンやホームセンターで超廉価(300円)で売っている「ロイヤル・コレクション」というロイヤル・フィルの演奏する正規CDの常連さんでもあるのだ。
春祭、プロコ・ロメジュリ、くるみ割り、1812年・・・・シンジラレナイような、すさまじい迫力の名演がこれまた名録音で出ているのだ!

シモノフは、もうベテラン指揮者となったが、1970年万博の年、ボリショイオペラの正指揮者として30歳くらいの時に来日し、「ボリスゴドゥノフ」や「イーゴリ公」を指揮した。
NHKテレビでの放送を観た記憶があるし、若いシモノフの名前も覚えてしまった。
 その後の出会いは、時はるか下って「極私的マエストロ」というサイト。こちらを拝見して、はたと膝を打ち、かつゲラゲラと笑ってしもうた。是非ご覧くだされ、素晴らしいです。

そして、激安CDを集め、そのユニーク名演に感心し、おりからの来日公演にも行った。
N響や題名のない音楽会でチロチロと登場してはいたが、いつも伴奏ばかり。
せっかくのモスクワ・フィルとの来日なのに、○○コ・へ○○グの伴奏や、ビジュアル系の歌手や奏者のこれまた伴奏ばかりじゃん。
そんな中で、唯一あったちゃんとしたコンサート。
前半に第5交響曲、後半に「白鳥の湖」抜粋というチャイコフスキー・プロで、え?逆じゃん!とか思ってたけど、間違いでなく、いきなり素晴らしい交響曲をゴンゴン演奏してしまった。そして、それ以上に、素晴らしかった白鳥の湖。
有名曲をあえてはずしたかのような選曲だったが、バレエが踊れるかのようなノリの良さと劇場空間の創出。オケの音がまた風圧すら感じさせる凄まじい迫力。
終曲なんぞ、目も眩むような凄さ。
そして、かのサイトにも書かれているとおりの、シモノフのパフォーマンス豊かな指揮姿。
踊り子かつストリート・パフォーマーなのだ。オケも慣れているだろうけど、よく吹き出さないもんだ。極私的マエストロに書かれているとおりの動きが展開され、こちらも期待以上の動きに満足の極みだった。「あっちみてホイ」は、やたらとやっていたな・・・。
アンコールに、白鳥の湖であえてはぶいた有名曲を数曲。
何度も呼び出されながらも、イヤイヤをしたり、ポケットから懐中時計を取り出して眺めてみせたりで、ほんと楽しかった。
是非皆さん、味わってみてください。

それでもって、このマンフレッド。爆演というよりは、まとまりのよさと、音楽を聴かせるツボを心得た心にくい演奏か。それでも、大音響ではビックリするくらいにテンション高いっす。
この曲は、ハイティンクの大人の演奏も好き。昨日のロストロさんはどうかしら。

1970年来日時から、銀髪のロシアン・マフィアのようなオヤジへの変貌ぶり。
Simonov

     
Simonov_3

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2008年5月 8日 (木)

チャイコフスキー 交響曲第5番 ロストロポーヴィチ指揮

Misokatsu 今日は、「みそかつ」で参ろうか。
いうまでもなく、とんかつに、八丁味噌の味噌だれをたっぷりとかけたもの。
東海三県のとんかつやさんには必ずあるメニュー。
甘辛いタレは、一度食べると、クセになるけれど、私などは、ビールがないとつらいかも。
そんなこと言って、みそかつ丼をがっつり食べてしもうた。
スーパーの惣菜コーナーをのぞくと、このソースがしこたまかかったとんかつや、串カツがたくさん売っとる。
名古屋のみそかつの名店「矢場とん」も東京銀座に進出しておるでね。

Tchaikovsky_rostoropovich 昨年亡くなったロストロポーヴィチ
そのロストロポーヴィチの待望久しいチャイコフスキー全集が格安にて復活し、店頭に並んでいる。
私が大学時代、一挙に全集で発売されたが、貧乏学生ゆえ、そんな全集なんて手もでなかった。
FM放送のエアチェックで済ませていたもんだ。
オリジナルジャケットは、陶酔するロストロさんの指揮姿の大写しだったように記憶するが、今回の復活盤は、チャイコフスキーそのもののお顔で、これはこれだが、ちょっと残念。

すごいのは、格安に加えて6曲の交響曲、マンフレッド、ロメオ、フランチェスカなどが収録されての5CD。楽章の切れ目で、CDを替えなくてはならず、あと1枚増やしてもよかったかも・・・・。

この中から、何を聴こうか、大好きな1番を、とも思ったが、定番の第5交響曲から聴くことにしよう。
全曲52分。タイムを見れば通常45~7分ゆえ、遅い演奏ではないかと思う。
でも単に遅いのではなく、緩急のつけ方が大きいのだ。
ここぞというところで、思い切り感情移入しているから、速くてかつ遅くなる。
切々たる2楽章が特にそう。最後の金管の咆哮など、のたうつような趣きがあり、その後の慰めにも満ちた部分との対比が鮮やか。
終楽章の旋律は、ことさらじっくりと克明に奏でられ、終始このペースで進みあまりにも堂々たるフィナーレを迎えるこことなる。
いやはや、甘くも辛く、ユニークかつ熱い演奏だった。残りの曲や管弦楽曲が楽しみ。
フランチェスカ・ダ・リミニなんぞ、どうなってしまうのだろうか。

1976年の録音。いまはもうないキングスウェイホールの芯のある素晴らしい響きは、EMIにしては破格によい録音。
当時、ロンドン・フィルは、ハイティンクを音楽監督に、次期監督のショルティやジュリーニ、ヨッフム、テンシュテット、バレンボイム、そしてロストロポーヴィチなどを常連にして、充実した演奏や録音を次々に残していた。
くすんだ弦に、マイルドな管、ブリリアントな金管、まるで、コンセルトヘボウのような音色だった。
ヨーロピアンなオケに、ロシアに軸足を持った指揮者の稀なるコンビによるチャイコフスキー。
ロストロさんには、あとパリ管ともチャイコフスキー全集をやって欲しかった。

追)われ、ハイティンク/ロンドンフィルのベートーヴェン全集+ピアノ協奏曲(ブレンデル)の復活を待ち望む。

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2008年5月 7日 (水)

ヴェルディ 「運命の力」序曲

2 3 まだ続くで、名古屋東海の味シリーズ。
今日は「きしめん」だがね。
この、ひらひらの麺の由来は諸説あるらしいが、尾張伝統の平打ち麺は歴史も古く、いかにもお得感(名古屋では、お値打ち)漂う食べ物である。
アツアツに、かつを節をたっぷりかけて、そのかつを節が踊るなか、一気にズルジュルっと食べちゃう。アツアツも冷たいのも、どちらもたまらなくうまい!
この店は、尾張旭市でふらっと入った店だけれど、定食を頼んだら、付け合わせに、スパゲッティサラダかと思ったら、これまで「きしめん」だった。その徹底した潔さに感服だわ。
名古屋の麺は、蕎麦ではなく、うどん文化。ほかに、煮込み、ころ、伊勢と、いろいろあるでね。

Abbado_verdi_rca ヴェルディのオペラは、愛国心に燃えたものや、純文学を素材にしたものなど、バラエティに溢れているが、まさに天性の劇場の人ならではで、観る人・聴く人の心をとらえて離さないものがある。

ヴェルディはオペラ全体を視聴するのが一番ながら、その序曲や前奏曲だけをオーケストラで楽しむだけでも、なかなかに気分が盛り上がるもんだ。
後期作品は、ドラマの緊迫感をより高めるために短い前奏曲や、前奏のみであるが、中期作品は、オペラ全体の主題を駆使したなかなかに聴き応えある序曲が付属している。
そのもっともたる作品が、「運命の力」や「シチリア島の晩鐘」、「ナブッコ」などであろう。
なかでも「運命の力」は、オーケストラ・ピースとして、単独に聴いてもなかなかに優れた作品に思う。コンサートのアンコールなどでも、盛り上がるので、よく取り上げられる。
そのアンコールで、忘れ得ないのは、75年のムーティの初来日時のウィーン・フィルを振った演奏。ベームとともにやってきたムーティ。ベームのチケットが、抽選で応募したけれど全滅で、ムーティのみが簡単に当たった。
ブラームスの二重協奏曲と新世界というプロで、若獅子ムーティは大人しかったが、アンコールにそのナポリ魂を全開させた!すさまじいまでの迫力と猛烈な歌は、その後の原典尊重主義で厳格になりすぎたムーティには聴けなくなった若々しい叫びであった・・・。

8分あまりのドラマテックなこの序曲で、私の好きな演奏は、このアバドロンドン響のもの。数年後のベルリン・フィルとの輝かしい演奏も同様に素晴らしいが、スカラ座で日々ヴェルディを演奏していた頃の旧盤の方が、歌心が豊かに感じる。
意のままになるロンドン響との組合わせということもある。
じわじわと盛り上がってゆくクレッシェンド、歌いまくる木管群、気品を失わない金管群。
ヴェルディには、熱狂や歌とともに、気品も必須だ。
短い序曲に泣けます。

カラヤンもいいが、燦然としすぎだし、シノーポリはちょっと暴れすぎ、ムーティは録音ではいまひとつ、あとは以外にシャイー(ナショナルフィル)が好きであります。
皆さんのお薦めは?

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2008年5月 5日 (月)

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 パッパーノ指揮

6 7_2 名古屋のおいしいものシリーズ。
今日は、「ひつまぶし」。
おひつのご飯の上に、うなぎの蒲焼を刻んだものをたっぷりと乗せる。
これを、よくまぶして、ご飯茶碗によそってまず一杯。そして同じようによっそったものに、海苔やネギを載せて二杯目。
そして三杯目は、お茶漬けでいただく。
このまぶしは、やはり浜松以西の腹開き、直焼きでないと、カリカリ感と香ばしさがでない。
ともかく、どえりゃ、うみゃぁであかんわ。

Tristan_pappano

ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を聴く。

通算14種類目のトリスタンCDで、どれもこれも愛着や思い出があって捨て難いものばかり。

目下最新のトリスタンCDは、このパッパーノ盤であるが、最後まで購入をためらった。
理由は、大方のワーグナー好きと同じく、ドミンゴにある。
ワーグナーのような大作となると、まず指揮者ありきで、録音されたり上演される。最近は演出ありきではあるけれど。
ところが、このCDは、「パッパーノのトリスタン」ではなくて、「ドミンゴのトリスタン」と呼ばれ、録音・発売された。
ドミンゴのワーグナーはどうも苦手である。
声が開放的にすぎ、朗々としすぎなのだ。そしてなんでもソツなくこなしてしまい、面白みがないともいえるし・・・・・。

そんなことだから、このCDは聴くことがあるまいと思っていた。でも、ステメのイゾルデと藤村さんのブランゲーネは是非揃えておきたいと思ってもいた。
がしかし、渋谷タワレコで、2,670円という安値を発見。同じ輸入盤でも、ケースに入ってDVDもついて、分厚い解説が付くとその倍くらいの価額なのに、解説もなにもないCDケースだけのものが格安で売られていたわけだ。
そして、まじまじと見て、隅々まで豪華な配役に驚き、レジに直行とあいなった。

   トリスタン :プラシド・ドミンゴ  イゾルデ :ニナ・ステメ
   マルケ王 :ルネ・パペ      ブランゲーネ:藤村美穂子
   クルヴェナール:オアフ・ベーア メロート  :ジャレド・ホルト
   牧童   :イアン・ポストリッジ  舵手   :マシュー・ローズ
   若い水夫:ロランド・ヴィラゾン

  アントニオ・パッパーノ指揮コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団
                           (2004、5年録音)

なんという贅沢な顔ぶれ。ちょい役にポストリッジにヴィラゾンだもの。
純正ドイツ人は、パペとベーアだけ、ほかはオケにいたるまで、国際的で、英国・スゥエーデン・ニュージーランド・メキシコ、そして日本といった具合で、我が国の宝ともなりつつある藤村さんが、このような強豪の中で豊かな存在感を示しているのが実に心強い。

Isolde_sremme その藤村さんのブランゲーネがまた素適だ。ふくよかで、暖か味に富んだ美声で歌われる2幕の見張りの歌は、オケの美しさとあいまって、陶然とさせてくれる。
そして、ステメのイゾルデは、情感が実に豊かで、強い王女というよりは、一人の愛に生きる女性を歌いだしている。だから、1幕よりは2幕の方がいいし、「愛の死」での透明感あふれる歌はとてもいい。
北欧出身のドラマテックソプラノは歴代、怜悧・強靭なタイプが多かったが、最近は、ブリュンヒルデやアイーダも歌っている彼女、今後どのような歌手になって行くか、大いに楽しみ。

パペの滑らかな美声のマルケ王、生真面目なベーアのクルヴェナールもいい。
豪華脇役ふたりのうち、ポストリッジは予想通りのきめ細やかで、同情溢れる歌いぶりだけど、ヴィラゾンは、もともと甘すぎる歌が気になる人だっただけに、何か調子に乗りすぎた余剰な歌唱に聴こえのは私だけだろうか。
そして、その師匠にあたる肝心のドミンゴだが、予想以上に立派に歌っている。
でもそれ以上の印象をもてないのが、私のドミンゴのワーグナー歌唱に対する毎度の反応、あの声でドイツ語、子音も軽く違和感が。ヴェルディやプッチーニは文句なしなんだけれど。
 ドミンゴのワーグナー録音をあげてみると、エリック・タンホイザー・ローエングリン・トリスタン・ヴァルター・ジークムント・ジークフリート(抜粋)・パルシファル、とすべて制覇してしまった。同様のテノールは、ルネ・コロのみなので、ドミンゴのある意味すごさを感じる。

パッパーノコヴェントガーデンは、予想以上にいい。
オケはドラマをかなり雄弁に語っているし、抒情的な部分での歌謡性においてもなかなかにユニークなトリスタンとなっていうと思う。

てな、わけで、何だかんだで、トリスタンゆえ、大いに楽しめました。
ステメと藤村、パッパーノの3人が聴きものかな。

  

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2008年5月 4日 (日)

プッチーニ 歌劇「ラ・ヴィルリ」 マゼール指揮

1 名古屋東海グルメ、今日は「あんかけパスタ」。

私の名古屋時代、あるにはあったが、当地でもこんなにメジャーではなかったはず。
最初、「あんかけ」というから、ほんとに「あんこ」がかかっているのかと思っていた。
(でも、実際に、そういうパスタもあるところが名古屋しとるね。)

トマトソースがベースの、胡椒の効いたトロトロあんかけソース。
パスタは極太。2.2mmあるらしい。
このソースに太麺を絡めて食べる。アツアツでスパイスが効いているから、汗も出ちまう。
食べ応え充分、インパクトも充分、そしてかなりうまいで。「きのこ」をチョイス。
愛知発のカレーで全国制覇をした、「CoCo壱番屋」がチェーン展開するあんかけスパ専門店「パスタ・デ・ココ」で食す。なんと、新橋にも出店してるらしい。
是非食べてみなぁあかんで!

Le_villi_maazel

プッチーニ(1858~1924)生誕150年、全作品を聴くシリーズ。
オペラは12作(三部作をひとつとすると10作)、アリアにミサ曲に、オーケストラ曲に室内楽曲、そんなに多作ではないけれど、いずれも美しい旋律と世紀末的な甘味な歌に満ちているし、ワーグナーを経てマーラー、シュトラウス、新ウィーン楽派をたしなむものにとっては、堪らないご馳走に思える。

音楽家の家に生まれ、肝心の父に先立たれ、母や姉妹に囲まれて育ったプッチーニ。
全作品に登場するヒロインは、献身的で薄幸で健気な女性ばかり。
この処女作である「ラ・ヴィルリ」でもそんな女性が主役なのだ。

このオペラ第一作は、師のポンキエッリやボイートの尽力で初演は大成功し、プッチーニはヴェルディを継ぐ寵児となったが、この作品も初演とその再演数十回のみで、今ではまったく上演機会のないオペラとなってしまった。
自作の「エドガー」も同じで、真の成功は「ボエーム」まで待たねばならない。

何故見捨てられたかのようになったかというと、2幕形式をとりながら、ドラマの進行を間に置いたナレーションに任せたことで、あまりにドラマが散漫・適当になってしまった。
音楽は、どう聴いてもプッチーニで、素晴らしいのだが、ドラマ仕立てが稚拙すぎること。

ドラマの背景・・・・・北欧に伝わる、乱舞する妖精(ニンフ)伝説。純情乙女を裏切ると、その男は妖精によって踊り狂わされ、やがて死んでしまう。

第1幕
 グリエルモとその娘アンナは、許婚ロベルトが相続のため亡くなった伯母の遺産を受け取りに行くために、別れの宴を村人とともに催している。
アンナは、忘れな草をロベルトの鞄にそっと入れて、花は一緒に行けて羨ましい・・と別れを惜しみ、ロベルトは、ほんのちょっとだし、心から愛していることを歌う。

ナレーション部分
 ロベルトは、妖婦に夢中になり、故郷を忘れてしまったが、やがてその女からも捨てられてしまった。悲嘆に暮れたアンナは悲しみ亡くなってしまった。
伝説によれば、乙女が恋のため死ぬことがあれば、夜毎魔女(妖精)が出て、その男を待ちうける。故郷を目指すロベルトは、妖精たちに怯えながら帰ってきた。

第2幕
 父グリエルモが、娘を亡くした憎しみをぶつけている。
ロベルトが帰ってきて、グリエルモの家の前に立つが不思議な力に押され一歩踏み出せない。妖精たちが、あいつが帰ってきたと歌いはやす。
幻影のアンナが現れ、かつてロベルトが歌った愛の歌を歌い、おいでおいでをする。
生きていたんだ、と駆け寄るロベルトを妖精たちが取り囲み、激しく乱舞する。
「哀れみを」と叫ぶロベルト、「あんたは私のもの」と歌うアンナ。ロベルトはくず折れる。

   アンナ:レナータ・スコット     ロベルト :プラシド・ドミンゴ
   グリエルモ:レオ・ヌッチ      ナレーター:ティト・ゴッピ

    ロリン・マゼール指揮 ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団
                  アンブロジアンシンガーズ
                          (1979年6月録音)

CD1枚のコンパクトオペラ。
主役3人にちゃんと素晴らしいアリアがもうけられているし、村人兼妖精の合唱も活躍。
シャイーの名盤をお聴きの方なら、聴き馴染んだ音楽で、すんなりと入れます。

3人の主役では、スコットの真にせまるかのような歌唱が素晴らしく、心を打つ。
そして、ゴッピの語りがアリアを歌うかのような味わいに満ちたもので聴きもの。
ピンカートンのような、軽瓢な男を「だってしょうがないんだもん」とばかりに、立派に歌ってしまうドミンゴ
若々しくも敬虔な父のヌッチ
こんな具合に、バブルの色香ただよう豪勢なキャストに、当時プッチーニ全集を目論んでいたマゼールの指揮は、普通にドラマティックでよろしい。
立派すぎるのが、たまに傷だけど。
そして、ロンドンの腕っこきを集めた録音専門のオケ「ナショナル・フィル」が懐かしい。

いまの世の中では、とうてい採算のあわないオペラだけれど、三部作と合わせて二夜で上演するとかして、なんとか舞台に載せてほしいな。

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2008年5月 3日 (土)

R・シュトラウス 楽劇「エレクトラ」 シノーポリ指揮

Komeda1このところ、名古屋に仕事でよく行く。名古屋は、亡父に次ぎ、親子二代に渡って、単身赴任した地だけに愛着がある。
義弟までもが、千葉から転勤して、当地で嫁をめとってしまったがや。

名古屋東海地区のグルメを連続冒頭に紹介するで、見とってね。

まずは、超メジャーな「コメダ珈琲」だがや。
昼食時に、軽食というより、ボリュームたっぷりの食事が出来るがね。
この日は、コーヒーにハンバーガーを注文。登場したバーガーは、どえりゃぁデカくて、びっくりだったわ。
直径約15センチ超はあろうかと。バンズは、柔らかくてキメ荒いし、パティも普通で大味。
でもこの大きさと、普通にうまいコーヒーに満足ぜにゃぁね。
いや、関東を車で走っとって、喫茶店は絶滅状態。コメダのような、キレイで寛げて心配りの豊かな店は知りゃぁ~せん。
関東にも進出し、横浜あたりの店は超混雑しとるがね。
名古屋発の喫茶店文化、コメダの業態を借りて、全国制覇も可能かも知れんて。
喫茶店のモーニングは、赴任時代結構味わったけど、かなりスカレートしとるみたいやな。
(名古屋地区のみなさま、こんな物言いをして申し訳ありませ~ん)

Elektra_sinopoli

R・シュトラウスの4作目のオペラ「エレクトラ」は、前作「サロメ」と同様、楽劇と名付けられた。
44歳の壮年期の作。
前作と同様ワーグナー以上に、刺激的な大音響や不協和音が溢れていて、後年の新古典的なシンプルサウンドを好む者からすると、この2作は、ちょっと聴くのが辛い。

作品の大まかな内容は、かつて取り上げたバレンボイム盤の方をご覧下され。

ギリシア神話に題材を求めたこの作品、エキセントリックで強烈な娘が主人公であり、超ドラマテックなソプラノを要することで、サロメと同じような存在。
人が死ぬ場面も満載。おまけに、エキセントリックつながりで、テノールの役の義父、不貞の実の母、というところまで一緒。
 異なるところは、親も親なら・・・・がサロメなのに、エレクトラは、見た目イってしまっていても、亡父の復讐を心に秘めた列女で、ごくありきたりの女である妹との対比も鮮やか。
でも、弟との再会に近親相姦とも思えるくらいに異常なまでのエクスタシー状態になるところなんざ、サロメと違った意味でコワイ。
弟エギストは、反逆者であり、かつ解放者である。これはイコール、サロメのヨカナーン。
 よって、「サロメ」との相違点で明確なのは、妹クリソテミスの存在のみ。
良識と家庭と子供に憧れる女性。シュトラウスが書いた、もっとも大人しい女性かも。

 エレクトラ:アレッサンドラ・マーク   クリソテミス:デヴォラ・ヴォイト
 クリテムストラ:ハンナ・シュヴァルツ エギスト  :ジークフリート・イェルサレム
 エギスト   :サミュエル・ラミー   

   ジュゼッペ・シノーポリ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                           (1995年9月録音)

Elektra_sinopoli2 シノーポリが残した貴重なシュトラウスのオペラ録音。
「サロメ」「エレクトラ」「アリアドネ」「影のない女」「平和の日」の5作で終わってしまった。
残る10作を順じ取り上げる予定だっただけに、その早すぎる死が惜しまれる。
シュトラウス、ワーグナー、プッチーニ、ヴェルディはおそらくすべて録音してくれたかもしれないシノーポリ。
精力的なばかりでなく、味わいあるドラマをオーケストラから引き出しつつあった頃。
ウィーンフィルの絶叫しない音色を自在に操りながら、見事なまでのクライマックスと熱狂を導き出す。エギストが現れてからの後半の盛上げ方なんぞ素晴らしいの一言につきる。
実際、義父・母が逝ってしまってからの熱狂の音楽はものスゴイっす。
最後の強烈なエンディング!! ウィーンフィル最高。

スターを揃えたキャストに文句なし。
低音域に難はあるものの、圧倒的なパワーとキレのよさを聴かせるマークのエレクトラ。
同様にドラマテックだが、優しい声の持主ヴォイト。このアメリカン巨大コンビは、ちょいと聴きもの。さらに、マッチョなレミーのエギストも、シリアスすぎて怖いくらい。
シュヴァルツイェルサレムの唯一ドイツ・コンビは、妙に歌い崩さず、生真面目に歌っていて、不可思議ないやらしさが出ているように思う。

この楽劇、最近舞台じゃご無沙汰かも。
新国で2006年に上演された時は、見逃した。
大昔、小沢/新日フィルのセミステージ上演を観劇したのみ。
この時は、中丸さんのほぼデビューだった。
新国の再上演、レパートリー化を望む。

  

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2008年5月 2日 (金)

ビートルズ 「ABBEY ROAD」

London4 ロンドンのピカデリーあたり。
タワーレコードですよ。
もう大昔、たびたび書かしていただいているが、花のロンドン・パリ7日間の視察出張に恵まれたが、いずれもレンタカーを借りての活動で、その運転は地獄絵図のような思いだった。

今は中心部への乗り入れ規制などで、そうでもないだろうが、どちらの都市も交通量は多く渋滞だらけ。
怖かったけれど、いい思い出。

Abbey_road_1

ビートルズ・エイジのちょっと下。
クラシックにのめり込んでいた中学生時代、解散後だったが、AMラジオでは常にビートルズがかかっていたし、学校でもマニアがたくさんいたもんだ。
当時、好きな女の子もビートルズ・ファンとわかりレコード収集にも熱が入った。恥ずかしいわ。

ビートルズが残したアルバムの最高傑作の呼び声が高いのは、「サージェント・ペパーズと「アビーロード」。

1969年の録音で、発売順では最終アルバムの「レット・イット・ビー」の後にあたるため、実質的にビートルズ最後の1枚。
4人の不仲は決定的で、翌年に解散してしまうのだが、あまりに有名な並んで渡る4人の写真。ポールだけが裸足で、死亡説まで生んだのはもう歴史的なお話になってしまった。

斬新さとその完成度の高さは、いまこうして聴いてもまったく変わらない。
左右、ステレオ効果を意識した録音効果は当時を感じさせるが、今もって生々しい音がするし、いろんな効果音も満載で、中学時代それもまた楽しみだった。

Abbey_road_2 レノン・マッカートニーの作品のなかに、2曲あるジョージ・ハリソンの曲。
これがまた好きだ。「Something」と「Here comes the Sun」、どちらも抒情的でやさしい平和主義者のジョージならではの名作に、今もほのぼのかつ、目が潤む思い。
時にシャウトする、ポールの圧倒的な歌唱力は、ロックンローラーの原点を見るようで、「Oh!Daling」や「Golden Slumbers」などは惚れ惚れする。
また、ジョンの不思議世界に遊ぶかのような無垢な歌、「Come togeter」、「I want you」、「Because」は深淵さまで漂うくらい。人のいいリンゴの「Octopus's garden」は、イエローサブマリン的な海底世界。
レコードB面は、まるでオペラのように、各曲が連続している。
その巧さといったらない。
ビートルズが行き着いた先は、悟りとも思えるシンプルかつ、澄み切った心境だったのかも・・・・・。

多くのファンがそうするように、今度ロンドンに行けたらば、アビー・ロードの横断歩道を闊歩してみたいぞ。

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