ロッシーニ 「ラ・チェネレントラ」 アバド指揮
先週後半は、仙台~八戸~青森に出張。八戸から帰ることも出来たけれど、長時間の新幹線はツライ。
三沢空港は、いつも満席。
どうせ車だから、青森まで走らせ、青森空港を利用することに。
最終便までの間に、市内で寿司を食べても充分に間に合う。
詳細は、近日別館にてご案内。
もう、美味すぎ!
貴重品となりつつある「いか」。
コリコリで、甘い。菊を添えて食べればさらに甘い!
青森では、例の秋葉原のことが日々の話題だ。お客さんのなかに、妹が同級だったとか、親父は○○銀行だとか・・・・。どこへ行っても、人の口は減らないもんだなぁ。
ロッシーニ(1792~1868)は、39ものオペラを書いたが、そのすべてはその生涯76歳の半ばである37歳までに書いてしまった。
その後の悠々自適ぶりは、皆さんご承知のとおり。
美食と料理の研究にあかした後半生、羨ましいやらもったいないやら・・・・・。
普段は、ロッシーニはあまり聴かない私。
唯一、アバド好きとして、アバドのものだけを聴く。
アバドはオペラ指揮者としては、ロッシーニやドニゼッティ、ベルリーニからそのキャリアをスタートさせている。
特にロッシーニは、何を振っても評価されない日本の評論家たちには、ストラヴィンスキーとともに絶賛された。
アルベルト・ゼッダの校訂を経た版を採用したその演奏は、当時とても新鮮で、この「チェネレントラ」と「セヴィリアの理髪師」は、既存盤を過去のものとしてしまう存在となった。
今でこそ当たり前となってしまったが、当時は打楽器が派手に鳴り、オーケストラも無用に厚く、厚化粧を施されたロッシーニ・・・・、ように思われた。
アバドを聴いてから、遡って過去演を聴いたから、順序は逆だけれど、アバドの演奏は、その厚化粧を取り去り、まるで風呂上りのようなサッパリとした風情が漂っている。
でもスッピンの味気なさではなくて、音楽の持つ色気や風情がニュートラルに表わされていて、新鮮かつ活き活きとしている。いやピチピチとしていると言えようか。
明晰で、どこまでも清潔。まさに水を得た魚のようなアバドに、誰一人不平を唱えられない。当時、ざまみろ!という心境だった。へへっ。
シャルル・ペローの有名なる原作「シンデレラ姫(灰かぶり姫)」。
第1幕
時は18世紀イタリアの某所。
落ちぶれ貴族、ドン・マニーフィコの娘二人がはしゃぐなか、アンジェリーナ(チェネレントラ)は古い悲しい歌を歌っている。彼女は、ドン・マニーフィコの後妻の娘で、今はいびられ、小間使いのようにされている。しかも母の持参金も親父とその娘たちに使い果たされてしまった・・・・・。
そこへ、王子の顧問アリドーロが、乞食に扮してやってくる。姉たちは、追い返すが、チェネレントラは優しく食べ物などを与える。
王子が従者に変装して現れ、チェネエントラと一目、恋に落ちる。
かたや、王子に変装した従者ダンディーニは、ドン・マニーフィコや二人の娘たちにちやほやされる。チェネレントラは、先の従者会いたさに、城の舞踏会に行かせて欲しいとせがむが、ドン・マニーフィコに聞き入れられない。偽王子の、3人いるはずの娘さんは?との問いにも、死にましたとダン・マニーフィコ。
偽王子の気を引こうと躍起の二人の娘、そこへ先の乞食に扮したアリドーロの手助けで、宮殿に着飾って登場したチェネレントラ。
第2幕
偽王子のダンディーニは、チェネレントラに結婚を申し込むが、彼女は従者を愛していると素直に断る。そこへ、本物の王子が進み出て、結婚を申し込むが、チェネレントラは腕輪のひとつを渡してその場を走り去る。
ドン・マニーフィコは、偽王子に従者の身分を明かされ唖然と・・・。
何事もおきず、元通りになってしまい嘆くチェネレントラ。二人の姉がまたあたる。
この時期のオペラにつきものの、嵐のシーン。
雨を避けて、王子とダンディーニが立ち寄る。チェネレントラの腕輪を認め、よく見ようとする王子だが、あっちへ行ってろと意地悪親父。
さすがに王子は怒り一喝。それでも、親姉をとりなす優しいチェンレントラ。
宮殿では、許されたドン・マニーフィコと姉たちを、抱擁してチェネレントラは歓びとともに、素晴らしいアリアを歌って幕。
チェネレントラ:テレサ・ベルガンサ 王子ドン・ラミロ:ルイジ・アルヴァ
ダンディーニ:レナート・カペッキ ドン・マニーフィコ:パオロ・モンタルソロ
クロリンダ :マルゲリータ・グリエルミ ティスベ :ラウラ・ザンニーニ
アリドーロ :ウーゴ・トラーマ
クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団
スコテッシュオペラ合唱団
チェンバロ:テオドル・グシュルバウアー
(71.9エディンバラ)
先に書いたとおりのアバドのスマートな指揮に、ニュートラルなロンドン響が実にいい。
後年のウィーンフィルでは、オケがはみ出してしまうこともあって、それもいいが、ロンドン響は、まさにアバドの手足となって、この粋な演奏の一躍を担っている。
両者のつくり出すロッシーニ・クレッシェンドは、極めて幅が広く唖然とするほど見事にきまる。
歌手は、今でこそ、バルトリという超絶歌手が出てしまったが、当時はベルガンサが随一の存在。ちょっと大人びた風情と少しの色気が、とてもいい。装飾歌唱の自然さとその技巧も素晴らしい。のちに、カルメンを歌うようになることが信じられない。
ほかのベテラン歌手たちの芸達者ぶりも見事だが、ちょっと古臭く感じることも・・・・。
姉役のグリエルミは、クライバーのボエームのムゼッタだったな・・・。
右の画像は、72年の発売時の広告。
レコード産業は、ピークを数年後に迎えつつあった。
| 固定リンク


コメント
うちの回線が悪くてご無沙汰しています。
アバド・ロンドン交響楽団はとても好きな組み合わせです。チェレネントラ、セヴィリアの理髪師、モーツァルトsym41、ゼルキンとのピアノ協奏曲など、最高の演奏だと思います。ウイーンよりもアバドの意図にピタリと沿っているような気がします。
でも、これらを聴いたのは、だいぶ昔ですけど。
投稿: にけ | 2008年6月24日 (火) 21時28分
にけさま、こんばんは。こちらこそご無沙汰してまして。
おっおしゃる通り、アバド&ロンドン響は幸せな結びつきでした。あと一連の20世紀音楽(ラヴェル、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、バルトーク、ベルクなどなど)なども、最高の演奏にあげたいと思います。
それと、カルメンやアルルの女ですね。
私もだいぶ昔からですが、今でも繰返し聴いてますよ。
コメントありがとうございました。
投稿: yokochan | 2008年6月25日 (水) 23時29分