ドビュッシー 「ペレアスとメリザンド」 新国立劇場
ここで驚きのニュース。
新国立劇場の次期芸術監督予定者が早くも発表された。
オペラ部門: 尾高 忠明
舞踊部門: デヴィッド・ビントレー
演劇部門: 宮田 慶子
2010年から3シーズンの任期が予定され、今秋のシーズンからは、芸術参与として参画する由。新国のHPによる。
ずいぶんと手回しがいい、まだ現体制は始まって1年。
あと2年の都合3年では、それぞれ監督としてのカラーが出だしたところでおしまいというわけか・・・・。
なんだか腑に落ちない。
オペラ部門以外は、手が回らない分野だが、尾高さんのポストは極めて納得。ワーグナーやブリテンが大いに楽しみとなった。でも、せっかくの若杉さんだったのに、早すぎないかい・・・・。
それとも、体が万全ではないのかしら?
というのも、「ペレアスとメリザンド」のカーテンコールで、なかなか登場しなかったし、ようやく出ても舞台袖で、オケを称えるだけで、足がなんとなく辛そうにされていた。
各所で拝見しているお姿だけれど、正直、あれっ?という雰囲気であった。
土曜日に、新国立劇場と東京フィルの共催によるドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」を観劇。オーケストラはピットにしっかり入って、舞台上は簡潔で象徴的な装置。
歌手は舞台衣装は付けずに、通常のコンサート衣装。
小道具もなしに、演技は身振り手振りのあっさりしたもの。
プログラムに演出家の記載はなく、舞台構成として若杉さんの名前が。
これでわかる通り、芸術監督としての若杉さんのペレアスを上演したいとの強い思いが実現したものと思う。氏は常々、オペラの重要作品の名前いくつかあげているし、近現代作品への愛着も持ち続けている。
「軍人たち」や日本のオペラ、来シーズンのショスタコーヴィチ、再来シーズンのヴォッェクなどを自ら手掛けることで明らか。
今後、新国未演のトリスタンとパルシファル、日本未初演のシュトラウス作品などを予想しているわたくし。
前置きはともかく、中劇場という程よい空間で、最小限の動きに留められた舞台により、演奏者側と我々聴衆の音楽に対する集中力が高められたのではなかろうか。
ドビュッシーの精妙かつ精緻な音楽が、聴く側にひしひし伝わってくる。
泉、森や木、海、窓、メリザンドの長い髪(メリザンドの浜田さんはショートカット)、ナイフなどの、このオペラの重要なモティーフはすっかり取り除かれ、すべては聴衆の想像力に任されることとなる。
字幕とオーケストラとで、ライトモティーフをいかに巧妙に、網の目のように張り巡らしているかがよくわかり、ドビュッシーの音楽の緻密さも、いまさらながらによくわかった。
後年作曲される、「海」のフレーズが、海を遠く望むという場面でさりげなく現れたりすることも、私にとって大きな発見だった。こんな風に聴きこめば、きっと、もっともっといろんなものが隠されていることだろう。
そして、4幕の二重唱には、トリスタンの世界を見てしまった。
舞台で、欲を言えば、照明が白色の暖色系で少し明るすぎで、もう少しほの暗く、かつグリーンなども配した方がよかったのでは。それと、樹の1~2本くらいは・・・・。
ペレアス :近藤政伸 メリザンド:浜田理恵
ゴロー :星野 淳 アルケル:大塚博章
ジュヌヴィエーヴ:寺谷千枝子 イニョルド:國光ともこ
医師 :有川文雄
若杉 弘 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
新国立劇場合唱団
(6月28日 @新国立中劇場)
日本人にとって、もっとも難しいであろうフランス語によるドビュッシーのオペラ。
フランス語は、まったく門外漢だが、精緻な音楽と切っても切れない、独特の語感とその美しさを、今回出演の方々は、たいへん見事に表現していた。
手元の純正フランス産のボド盤を聴き直してみたが、やはり本場の仏語は違う・・・・。
でも、出演者の皆さんの努力たるや、並みのものではなかったであろう!
中では、本場で活躍する浜田さんの、リリカルで繊細な歌声が素晴らしかった。静かで穏やかな表情もメリザンドに相応しい。
星野さんの若々しいゴローは、力強く、嫉妬にかられ徐々に押し付けがましい男に変貌してゆくさまが、実に見事。
近藤さんのペレアスも声が若々しく、とてもよかった。
老人役の大塚さんが、見た目一番若々しいのが何だが、オペラの最後を決める重要な役を立派な声で締めていた。
カーテンコールで驚いてしまったけれど、そんな姿とは思いもよらない若杉さんの指揮は、あまりにも素晴らしかった。
つねに移ろいゆき、色を徐々に変えつつあるような趣きあふれるドビュッシーの香しい音楽が、オーケストラピットから立ち昇ってくるのを感じた。
東京フィルが、東フィルとは思えないくらいに完璧だったことも特筆。
フォルテが数回しかない物静かなオペラ。歌もアリアなどというものはなく、なだらかな朗唱のみ。登場人物の背景は謎だらけで、ドラマの筋は悲しく空しい。
誰も幸せにならない・・・・・。
こんな物悲しくも、儚い夢のようなオペラを舞台で経験できたことは大きい。
1902年、前日のシュトラウスの「アリアドネ」に先立つこと10年。マーラー、プッチーニもまだまだ活躍中、シェーンベルクは同名の交響詩を作曲中。
こんな年に完成したドビュッシーの本作の立位置とその革新ぶりがよくわかる。
死に行くメリザンドを、優しくいたわる「レクイエム」のような終幕。
これまで、黙り続けた老アルケルが、「人の魂というものは、静かなものだ。ただ一人で去ってゆくのを好むものなのだ」と極めて深い内容を歌う。
生まれたばかりの子を抱き、「こんどは、この子があれの代わりに生きる番なのだ・・」と。
トランペットの最弱音を伴ないつつ、音楽が静かに、本当に静かに音を弱めていって消えていった。
過去記事
アバド指揮によるCD
| 固定リンク
コメント
良かったですねぇ・・・。
ドビュッシーの音楽の凄さを感じました。ドビュッシーの管弦楽の最高作品は「遊戯」だと思っておりますが、舞台を伴ってオーケストラ・ピットから紡ぎだされる音楽の雰囲気は「トリスタン」と「パルシファル」を足して2で割ったような深遠さを感じました。
舞台装置と衣装を着けた本格的なステージを観てみたいです。
投稿: IANIS | 2008年7月 2日 (水) 01時00分
IANISさん、まさに同感!
完結な舞台だっただけに、>音楽の凄さ<が驚くほど明らかになりました。
本格ステージは、外来では望めそうもありませんねぇ・・・。
若杉さんの降板は残念ですよ。
投稿: yokochan | 2008年7月 2日 (水) 23時17分