ベルリオーズ 「テ・デウム」 アバド指揮
名古屋のテレビ塔。
栄近辺は名古屋らしい商業の街。
でも名駅周辺の相次ぐビルや商業施設の開発で、ビジネスや買物がそちらに流れ、少し変化したかも。
それでも、お得意の夜の繁華街「錦3」は、他の都市のそれに比べたら賑やかなものだ。
かつてのデザイン博で、おしゃれになった名古屋の街。
テレビ塔を背景にシュールな雰囲気。
廃盤となって久しい、アバドの指揮するベルリオーズの「テ・デウム」。
アバドのベルリオーズといえば、「幻想交響曲」ばかりが有名だけれど、録音はこちらの方が早く、レパートリーとして取り入れたのも、この曲の方が早かったのではないかしら。
ベルリオーズ(1803~1869)は、破天荒の人生や「幻想」の大音響のイメージがどうしても強い。
膨大なオーケストラ編成に、大合唱を伴なった作品が多いこともそうした印象が先行することにもなる。
オペラを含め、そのすべてをまだ聴き尽くしてはないが、このところ聴いていて思うのは、ベルリオーズの抒情性なのだ。
メンデルスゾーンやシューマンと同時期に活躍したベルリオーズの天才性は明らかだが、その輝かしい響きは、静かな部分があってこそ生きる。
テンパニ奏者10人、シンバル10等の膨大な打楽器とブラスを要する「レクイエム」も、表面上は賑々しいが、実は祈りに満ちたとても静かな音楽でもあると思う。
同様に、それほどの編成は要さないものの、オルガンと大合唱団を伴なう「テ・デウム」は、初演時950人もの大編成だったらしい。
あと50人で、マーラーじゃないか。
「テ・デウム」は、信仰の勝利と賛歌を扱った聖歌で、教会で演奏されることを念頭におきながら、天上の効果が聴く側に現れるような配置までも指示されている。
第2曲「すべての御使いも」では、クライマックスで3度鳴らされるシンバルが、極めて輝かしい効果をあげているし、第6曲「裁き主よして来たると」では、全曲の最後を飾るに相応しい壮麗なフーガが展開される。
一方で、ブラームスのような渋い第3曲「主よ、我らを守りたまえ」や、テノール独唱の入る美しい第5曲「願わくは、尊き御血をもちて」などは、オペラアリアのように聴き応え充分。
テノール:フランシスコ・アライサ オルガン:マルティン・ハーゼルベック
合唱指揮:リチャード・ヒコックス
クラウディオ・アバド指揮 ECユースオーケストラ
ロンドン交響合唱団、ロンドンフィル合唱団
少年合唱団多数
(81年聖オールバンス大聖堂)
アバド指揮する、若いオーケストラの面々の紡ぎ出すフレッシュで清冽な音は、ベルリオーズにとても相応しく、教会の豊かな響きを捉えた録音も素晴らしい。
いかにもアバドらしく、演奏効果に背を向けたような誠実で内面的な演奏。
アライサの声もいい。
アバドにはもうひとつ、10年後、92年の映像がある。
こちらは、復帰後のカレーラスを迎え、ウィーンフィルを指揮したもの。
壮麗さも押さえ、かなり大人の演奏で、キュッヘル、ヒンクら、懐かしい面々が勢ぞろい。旋律の細やかな歌わせ方などは、こちらの方が上だ。
シンバル奏者が5人もいてこれも見もの。
そして、アバドはこの5月のベルリンフィル定期に登場して、この曲を取り上げている。
フィルハーモニーザールの出火で、ヴァルトヴューネでの野外コンサートとなったらしいが、きっと映像や音源で確認できることであろう。
今のアバドであれば、きっと神々しい演奏になったはず。
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コメント
毎度、日本全国のさすらい旅、お疲れ様です。
ご指摘のとおり、ベルリオーズの音楽の本質は叙情性ですね。「ロメ・ジュリ」や「キリストの幼時」、メロディなどの美しい旋律は、巨大で奇怪な大音響というイメージどは程遠いものがあると思っておりました。
テ・デウムやレクイエムもそう思って聴くと意外にビッグサウンドに付き物のあざとさがない。マーラーがベルリオーズを評価していたというのもむべなるかな。同時に、ベルリオーズ特有のリズムの積み重ねも注目に値しますが・・・。
投稿: IANIS | 2008年6月22日 (日) 08時09分
IANISさん、まいどです。
さすらいは、胃も財布も疲れます。ぐだぐだですが、音楽でリフレッシュであります。
そんな耳に、ベルリオーズは極めて爽快かつ新鮮でしたよ。
たしかに「ビックサウンド」は、そこだけ注視してしまうと、コケオドシ音楽ですが、メロディの良さに気付くと決してそうではありませんね。
そう、リズムの積み重ね。このテ・デウムでも随所に見られます。しつこいくらいで、はまります。
投稿: yokochan | 2008年6月22日 (日) 12時46分