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2008年7月

2008年7月31日 (木)

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 パリ国立オペラ公演

Paris2008 パリ国立オペラ座公演、ワーグナー「トリスタンとイゾルデを観劇。
初来日の同オペラ、パリの象徴のようなオペラ座、いわゆるガルニエ宮はバレエ、オペラの拠点はバステューユに、ということで思いこんでいた。
今回の来日では、パリオペラ座という名称で通していて、どういうことかと思っていたら、総監督のモルティエになってから、ガルニエ宮でのオペラ上演も増えているという。要は二つの劇場を持つオベラ団ということ。
チョン・ミュン・フンでお馴染みとなった、パリ・バステューユ管弦楽団という名称はもう使わなくなったということなのだろう。 こんなことを書くのも、バステューユ管はミュン・フンの指揮のもとあまりにも鮮やかなオケだったのに比べ、オペラ座管弦楽団という名称だと、昔から味はあるけど、少し荒っぽくてムラがあるというイメージがあるから。

ところが、今日聴いたこのオーケストラがまったく素晴らしいものだった。
高いチケット代だけに、半分映画のような今回のトリスタンよりは、デュカスやバルトーク&ヤナーチェクを観るべきとの意見も戴いたけれど、そこはワーグナーの前には平伏す私、迷わずトリスタンを選択。
何と言っても、純正フランス産の「フレンチ・ワーグナー」が聴きたかった。
 柔らかな響きに、ラテン的ともいえる透明感と繊細な音色。
とても美しいトリスタンが、オーケストラピットから立ち昇った。
ビシュコフの指揮が、肌ざわりのいい粘らない、それでいてニュアンスが極めて豊かな音を引き出していることも素晴らしかった。
それと木管や特にホルンに日頃聞きなれないフレーズが強調されたりと、とてもユニークかつ新鮮。
ウィーンやドレスデンで、ワーグナーやシュトラウスを指揮して評価が高いビシュコフだけはあった。オペラ指揮者としてのビシュコフに大注目!
ところで、オケのチューニングがオクターブで2音鳴らすのが面白かった。

  トリスタン:クリフトン・フォービス  イゾルデ:ヴィオレタ・ウルマーナ
  マルケ王:フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒ
  クルヴェナール:ボアーツ・ダニエル ブランゲーネ:エカテリーナ・グバノヴァ

   セミョーン・ビシュコフ指揮 パリ国立オペラ座管弦楽団
          演出:ピーター・セラーズ
          映像:ビル・ヴィオラ

                        (7.31 @オーチャードホール)

さて、このプロダクションの特徴は、舞台に据えられたスクリーンに、ビデオアートの第一人者ビル・ヴィオラが、トリスタンから得た心象風景の映像が最初から最後まで映しだされ、その前で歌手たちが演技をするという二重舞台にあった。
演出は、ナイジェル・ケネディ似のピーター・セラーズで、もともとトリスタンの世界をヴィオラに紹介したらしいが、その映像には深く関与しておらず、出来上がった映像ありきで、今回の演出を行なったという。
 では鬼才セラーズの演出の特徴は何かというと、動きの少ない象徴的なものだった。
映像が背景にあるなかで、過剰な演出は不可能だろう。
しいて変わったところは、落ち着きのないメロートは、後ろからトリスタンを刺してしまうこと。合唱は、1階の奥で船の到着を歌い、マルケは会場の中に登場した。
牧童は、二階のレフト席で歌い、コールアングレは3階のレフト席で吹いたこと。
 そんな訳で、期せずしてヴィーラント的な暗い中での象徴的な舞台となった。

 だから余計に、ビデオ映像が気になるところ。
ある意味、映像作者の個人的な心象風景を強引に見せられてしまったともいえるが、作者がトリスタンから得たイメージは、以外に普遍的で、納得感が強かったし、実際に美しかった。詳細は自分でメモをとったが、ここではそれをすべて紹介する意味もないと思う。
1幕や3幕における、大海原や波。岩場に砕け散る波の映像は、かつての日本映画「大映」のタイトルそのまま・・・・。
Tristanisolde_2  2幕の森や、樹の間から輝く月の美しさ。炎や蝋燭の明かりの幻想。
最後の愛の死では、台に横たわるトリスタンの奥にも映像で同じ姿勢の役者トリスタン。
水の滴がそのトリスタンの落ちはじめ、やがて滝のような水に打たれる。
そして体が浮き始め、徐々に昇ってゆくトリスタン。
ついで、青い海からイゾルデが浮き上がり、これも昇ってゆく。
極めて美しいブルーの映像が残る中、愛の死の絶美の音楽が徐々に静かになり、波が引くように終わった。
再三にわたる注意もあってか、拍手はなかなか起こらずに、いいエンディングを迎えた。

不明だったのが、ビデオ作者が「浄化」と唱えた1幕で、二人は服を1枚1枚脱いでいってすっぽんぽんになってしまう。その後、洗面器に顔をつけたり、水を浴びたりするのだが、その露出に意味はあったのか??
水・火・樹がそれぞれ重要なモティーフとなっていたように思う。

登場人物は互いにまじわることがなく、それぞれが立ち尽くして歌い、孤独である。
衣装も簡潔で、全員が黒っぽい服だし、鬘もなにもなく、普段っぽい。
歌手も楽器のひとつとなっていた。
過剰な饒舌演出も音楽の妨げとなるが、映像はビジュアル感が強いだけに、私には音楽への集中の妨げとなったことも事実。

Pro01_02_p03 しかし、歌手への負担は軽く、それぞれ思い切り歌に注力できたであろう。
いずれも素晴らしい声と歌を聴かせてくれて、たいへん満足だった。
なかでも、ウルマーナのイゾルデのしなやかさと力強さの両立した歌はほんとうによかった。グバノヴァのブランゲーネの声も実によく通る声で、情にあふれたすてきなブランゲーネとなっていた。
フォービスのトリスタンは、ちょっと声にクセがあるが、その力強さとタフネスぶりに驚き。
ダニエル君のクルヴェナール、ゼーリヒのマルケもほんと、よかった。

オケと歌手には文句のつけようがないが、舞台は私には消化不良といったところ。
でもワーグナーの偉大な音楽には、「これもあり!」の上演だった

来日公演最終日、オケの全員が舞台に上りカーテンコールとなった。
楽員のひとりが引退するようで、舞台上で簡単なセレモニーもあり、和む一場面だった。
飯守先生、米良さん、元女子アナなど、有名人ちらほら。
真夏のトリスタン、渋谷も熱いぞ!

「トリスタントイゾルデ」過去記事

 大植バイロイト2005
 アバドとベルリン・フィル
 
バーンスタインとバイエルン放送響
 P・シュナイダー、バイロイト2006
 カラヤン、バイロイト1952
 
カラヤンとベルリン・フィル
 ラニクルズとBBC響
 バレンボイムとベルリン国立歌劇場公演
  レヴァインとメトロポリタン ライブビューイング
 パッパーノとコヴェントガーデン


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2008年7月30日 (水)

ワーグナー 「パルシファル」 シュタインを偲んで

Stein ホルスト・シュタインの逝去のニュースは、昨晩、出張先のホテルで知った。
酔って部屋に戻り、テレビをつけたらシュタインの指揮姿が映されていた。
携帯で、すぐさまに記事に残したが、酔いのためかろくな文章にならず、それでもいくつかコメントを頂戴し、シュタインを知る世代としての共感を強くした次第。

帰宅後、シュタインの思い出を書き留めておこうと思い、再度記事にさせていただいた。

音楽は、シュタインのバイロイトにおける貴重な映像記録のひとつ「パルシファル」。
テレビは見ずに、1幕のみを拝聴。
早めの低回しないテンポながら、オーケストラを隅ずみまでしっかり鳴らしていて、一音たりとも緩みのある音がない充実したオーケストラ。

Parsifal_stein_3   シュタインの名前が日本でちらほらしだしたのは、グルダと共演したベートーヴェンの協奏曲あたりから。同じ頃、バイロイトでリングのウォルフガンクの新演出を任された。
さらに、NHK交響楽団が客演に招いた。73年のことだったかと思う。
N響との演奏はテレビで観劇した。ワーグナーは、「ラインの旅」と「葬送行進曲」だった。
その頭部ばかりに目がいってしまったけれど、動きの少ない的確な指揮と、当時夢中になりつつあったワーグナーの音楽を演奏するオケに大感動だった。
以後、FMでおりにふれ放送されるシュタインのワーグナーを録音しては、スタンダート演奏として本当に楽しんだものだ。
お陰さまで、シュタインの指揮でオランダ人以降のすべての作品を今でも聴くことができる。
 日本ではオペラを振ることがなかったのが残念だけれど、N響やバンベルク響との演奏の数々は、放送を通じて親しく接することができた。
チャイコフスキーやシベリウス、ストラヴィンスキーなどのスラヴ系、ドビュッシーやメシアンなども得意にしていて器用な人でもあったのだ。
 実演で印象に残っているのは、N響との第9とパルシファルのふたつ。
とくに後者のパルシファル第3幕の演奏会形式のものは、シュタインの最後の日本での指揮となったもので、クナッパーツブッシュばりのゆったりしたテンポで本当に神々しい演奏だった! シュタインが演奏終了後、涙を浮かべていたのが忘れらない・・・・。

活動の最後の頃は、テンポを遅くとるようになり、FMで聴いたエロイカも1時間くらいのすごい演奏だった。心臓の持病があったとはいえ、円熟を迎える最中の惜しまれる引退だった。
そして、その10年後の80歳での逝去は、私にとってワーグナーの師を失ってしまったような喪失感がある・・・・。

Stein_wagner_3 ワーグナーでは、DVDが「オランダ人」「マイスタージンガー」「パルシファル」。
CDは、全曲録音がないのが極めて無念。ウィーンフィル、N響、バンベルク響との管弦楽曲が3枚あるのみ。
 根っからのオペラ指揮者で、自身もテノールの素晴らしい声をもっていた。
指揮しながらよく歌うこともあったらしい。
ウィーンでリングを振っているとき、ジークフリート役がもうろくしていて、何度も出を間違えていた。忍耐の尾を切らせてしまったシュタイン、指揮しながら、「ハイッ」「飲めよグンター」と歌って入りを指示して、その声がホールに響きわたってしまったという。

そんな職人指揮者、よきカペルマイスター、「ホルスト・シュタイン」さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

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2008年7月29日 (火)

ホルスト・シュタイン

シュタインが亡くなったそうだ。80歳、現役を退いてかなり経っていた。
私の世代にとって、ワーグナー指揮者の理想的な人だった。
寂しいできごとであります。

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2008年7月28日 (月)

バイロイト2008の「パルシファル」

Tgrossm26070807_2 マーラーの第9の姿がちらつきだした。
今回はお休みをいただいて、旬の話題で。

25日から始まったバイロイト音楽祭、今年のオープニングは新演出のパルシファル。
あまりに評判の悪かったシュルゲンジーフ演出は最短の3年で引っ込み、今年はさらに若くて、過激そうなヘルンハイムの演出にとって変わった。
その演奏の模様をさっそくネットで聴いてみた。さぞかし、すごいブーイングの嵐が吹き荒れたことであろうと・・・・・。
 1幕終了後、いきなりブーが飛び、禁断の拍手が始まる。おやおや、拍手なしの伝統はもう昔のことか・・・・。2幕では、うって変わってブラボーの嵐。
3幕では、なんと本場なのに、音楽がまだ鳴っているうちから拍手が始まってしまう。
その拍手はやがてブラボーが飛び交い盛大になっていった。

うーむ・・・・。その映像の一部を発見。われらが藤村美穂子さんが日本人初の主役級にいどんだが、そのクンドリーはまっ金の髪。そして舞台は以外にゴタゴタしてなくて、けっこう普通。演出家の語る言葉は独語でまったく理解できず、そのコンセプトは不明ながら、いくつかある画像を見ると、結構シリアスで前任者のような思いつきのゴミ箱状態の演出ではないようだ。
Tgross003_proben_parsifal_2008_2 藤村さん、ユンのグルネマンツとともに、1幕では天使のような羽を生やしているし、白鳥は死んでみると無垢の少年だったようだ。おバカなパルシファルは、ぼんぼんのようないいところの息子で、ヴェニスに死すみたいな学生服を着ている。それらがみな、3幕では神々しく変身している様子。
1217057252_krfest_2 そして笑えるのは、オカマっぽい、クリングゾル。ガーターベルトと「まりもっこり」が悩ましい。げっ・・・。
 しっかりした映像に早く接してみたい。
きっと宗教的な部分でのツボをしっかり押さえていたのだろうな。

音楽は、ガッティの指揮がかつてのレヴァイン並みのゆったりペースだが、弛緩せず、相当、いや、かなりいい。ユニークなパルシファルだ。
藤村さんのクンドリーは、優しい女性、2幕での誘惑の娼婦としては、優しすぎ。
叫び声も激しくない。でもこうした方向付けのクンドリーはユニークだし、演出とのマッチングもあるのかも。
韓国人ユンのグルネマンツは美声で実にいい。素晴らしいぞ。
あとヴェントリスのパルシファルがリリカルでかつよく通る声。よきパルシファルの登場だ。

パソコン視聴だからいい加減だし、ちいさな画像を見て想像を膨らませただけ。
年末放送や映像化が本当に楽しみだな!

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2008年7月27日 (日)

マーラー 交響曲「大地の歌」 ワルター指揮

1 3 かつて、デパートの最上階には大食堂があった。
そして屋上には遊園地があり、子供には夢のような場所だった。
いまでも現存するそんな大食堂があるのは、岩手県花巻市の「マルカン百貨店」。ロートル級エレベーターにガタゴト揺られて最上階に到着するとそこは、40年はタイムスリップしてしまう。
一日中営業していて、食事にお茶に宴会にと地元に愛されている。
味もお値段もボリュームも超驚きの食堂。なんでもある。
私が食べたのは「マルカンラーメン」。辛子味噌の野菜あんかけの下には麺がごっそり。
ほじってもほじっても出てくるし、具もやたらと多い。かまぼこも半分くらい入ってるし。
 箸で食べる超ロングのソフトクリームが有名で、一度食べてみたい。

Mahaler_lied_von_der_erde_walter さて、マーラー・シリーズも終盤を迎えた。
大地・第9・第10は、マーラーの人生の集大成という以上に、死や別れが色濃く映しだされた3作となった。
1908年に、48歳で書いた「大地の歌」は心臓疾患の恐怖に怯えつつ、現世への未練とその告別や、死への憧れなどが悲喜こもごも歌いこまれた歌曲集でもある。

マーラーの交響曲の中でも、かなり早くから聴き始めたこの曲。
最初は歌詞もろくに意識せずに、かっこいい第1楽章のテノールの歌ばかりが好きで、最後の告別まではなかなかたどり着かなかった。
いずれも、FMからの録音ばかりで、今は誰とは思い出せない。
告別が素晴らしい音楽だとわからせてくれた決定的な演奏は、カラヤンとルードヴィヒのFMライブを録音して聴いた時だ。
ewig,ewig・・・と繰返しながら消えてゆく音楽。あまりに美しく、音楽が終わって絶妙の間で、聴衆の一人が静かに「ブラァ~ボ」とつぶやいた。
カラヤンの美音とルートヴィヒの素晴らしい歌唱、そして粋な聴衆にこの曲のよさを教えてもらった。

でもこの曲の初買いLPはカラヤンではなくて、同じ歌手によるバーンスタインとイスラエルフィルによるもの。75年に購入し、当時高校生の私は、初めてその歌詞の意味するところを音楽と対比しながら何度も聴いた。
若い頃に特有の人生を憂える日々に、見事に合致した音楽だったのだ。
その後ショルティ盤を購入後、CD時代に入って数々揃えたが、いずれも一長一短で、以外と初買いのバーンスタイン盤が一番好きだったりする。でも録音が悪い。
実演は体験ゼロ!

歌手の魅力でいえば、K・フェリアーの歌ったワルター盤が随一。
歌いまわしがいまや時代を感じさせてしまうかもしれないが、その豊かで気品と深みのある声は、まさによき時代の高貴なる英国を感じさせる。早世が惜しまれる。

テノール部門は、テカテカしすぎだけどR・コロが好きだ。
その対極にあるパツァークは、田舎から出てきたおっさんのような歌いぶりで、ヘルデンばりのかっこいい出だしを期待すると、みごとにがっくし来る。
でも以外なことに、私はこの人の歌を聴いていて、ヴィントガッセンのもっさりした歌いまわしを思い起こしてしまった。ある意味厭世的、ある意味自暴自棄。酔っ払いのホイリゲおじさん。
昔、ダイヤモンド1000シリーズという廉価LPで、パツァークの「冬の旅」が出ていた。
大人となった今、こんなダルな雰囲気の相棒とともに「冬の旅」も悪くないぞと思う今日このごろ。

指揮部門は、やはり陶酔型のバーンスタインまたは巨大なクレンペラーか。
きっと今なら素晴らしいであろう、アバドは何故かこの曲に手をつけようとしない。「告別」だけは演奏したらしいが、残念だ。
ワルターの指揮によるオーケストラは、遠い昔に聴いたことのある音楽が、少し距離を置いて鳴り響いているような感じに思える。
ポルタメントを聴かせた弦に、ひなびたオーボエ、泣きのホルンとウィーンフィルの魅力にもことかかない。マーラーも聴いたはずのその音楽がここある。
思いのほか淡々と進む「告別」は、フェリアーの大きなフレージングの歌唱とともに懐かしい友との別れをつつましく描ききっている。
そんなに悲しくないし、いつかまた戻ってきてくれそうな雰囲気。
振り返ったら、昔のままずっと変わらずに微笑んでくれそうな友人だ。

新しい録音が次々に出ても、独特の存在であり続けるこのワルター盤。

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2008年7月26日 (土)

「日本の思ひ出」 エリカ・ヘルツォーク

Yuri_2子供のころの夏の思い出は、匂いの記憶がついてまわる。
 海と山に囲まれていたから、潮の香りと、カブト虫たちが集まる樹液の匂い、そして山に咲く山ユリの濃厚な香り。
実家の周りも開発されてしまったから、そんな夏の香りも遠い記憶の中。
でもヒグラシの鳴き声を聴いたりすると、ひとっ風呂浴びて、冷えたビールに枝豆だい。
 日本人でよかった。

Memoire_of_japan_erika まるで、演歌を思わせるようなジャケット。
彼女は、エリカ・ヘルツォークさんという生粋のクラシック系のピアニスト。

昨年、当ブログでもそのデビューアルバムをご紹介済みで、しっかりした演奏が大いに気にいった。
 私の知り合いが、ある会で一緒に食事をして、とても美しい人ですよぅ、とその彼に教えられたことから、彼女のHPから直接アルバムを購入した。
何度かメールのやり取りなどもしたが、とても気配りの細やかな優しい方であります。
そして、堪能な語学も活かして、外来有名音楽家の通訳やアテンドなどでも活躍中。

彼女の経歴を、前回の記事からそのまま転用します。
「外交官のドイツ人を父、音楽家・俳人の日本人を母として、日本に生まれピアノを学ぶ。
10歳で、父の転勤で渡欧。ルクセンブルク、ドイツ(ヴァイマール)、オーストリア(ザルツブルク)などで学び、2001年に帰国。」
ルクセンブルクの音楽院では最年少主席卒業だし、F・リスト音楽院でも主席卒業。
さらに彼女の音楽の幅を豊かにしていると思われるのは、ザルツブルクのモーツァルテウム音楽大学で、ハルトムート・ヘルと白井光子夫妻から、歌曲伴奏をみっちりと学んでいること。

1作目「ためいき」では、有名曲のオンパレードだったが、2作目のメジャーレーベル本格デビュー盤は、クラシック作曲家たちによる世界の国家のピアノ曲版を集めたもの。
こちらも、オリンピック企画として次月紹介予定。
そして、3作目が日本の音楽にインスパイアされた欧米作曲家たちの作品集。
エリカさんも、花魁姿でジャケットを飾る大胆かつユニークな1枚が出来上がった!

Memoire_of_japan_erika2

収録された曲は、右のジャケットのとおり。
欧米のジャポニズムの到来は、開国後から明治維新あたりからの波だが、その頃からほぼ現在にいたるまでの欧米作曲家による日本由来のピアノ作品が13作品収められている。

日本に滞在した経験を持ったか、日本にやたら魅せられてしまった、いずれも日本を愛した人たちである。
初めて聞く名前の作曲家もいるが、解説を読むと日本の各地にしっかり根付いた方々もいて、とても親近感を感じる。

日本を題材にした音楽といえば、喋々夫人に代表されるオペラがいくつかあって、そちらの方が世界的なスタンダートになっているが、それらはよくも悪くも、日本風なだけであって、妙な演出を施された場合、滑稽なくらいにマヌケな舞台に成り果ててしまう・・・・。

日本の四季や風物を描くのであれば、ピアノに代表される器楽の方がほんわかとして、かつ繊細、機知に富んだ音楽が表出されていいのではないかしら。
あくまで、イメージの世界だが、ここに登場する作曲家たちは、ドビュッシーのように日本への憧れだけで、思い描いたのでなく、実際に日本を感じて、もしかしたら日本人以上に日本している音楽を書いた。

これらの中で気にいったのは、アメリカ人ラブハムの「虫の歌」。
われわれ日本人が好む「赤蜻蛉」「蛍」「鈴虫」「蝉」などを日本的な感じ方で音楽にした。
そこに付けられた詩もまた心に響いてくる。
「赤蜻蛉」~「紅色の薄い羽が窓辺を飛び、遠い湖と水田の眺めを運んでくる」
「蝉」~「人生は儚い。気ままに歌い、そして楽しい歌で夜を忘れよう・・・・」

それとロシアのヴィノグラドフの「六段」。この人も日本に定住した人らしいが、六段の調べとスクリャービンの神秘和音のコラボレーション音楽は、私の心にピピッとくる!

Yosinobu2 大指揮者ワインガルトナーも日本を愛し、先般ご紹介した静岡の慶喜公の屋敷にかかる橋を渡る女性を見て作曲したという・・・。
その画像はこちら。
クリックしてご覧あれ。
 若きキーシンの即興的な「浜辺の歌」がトリで演奏されてます。

エリカさんの鮮やかなピアノで、はじめて日の目をみたこれらの曲が実に新鮮に蘇える。
打鍵が素晴らしく明確で、その完璧な技巧に裏打ちされた音楽への熱い共感。
購入以来、何度も聴いているが飽きがこない。
夜静かに、ヘッドホンで緑茶割りなどを飲みながらしみじみと聴いている。

Erika 日本人の心を持った作曲家たちに、同じく日本人の心をもった素適なピアニスト。
そして、聴くわれわれは「日本の思い出」をそれぞれの胸に持った日本人。

前回記事で、「きっと、ユニークな地位を確保し大成する、素適なピアニストに思う。」な~んて予測したとうり、彼女は流行にぶれない、しっかりした歩みをし始めているようだ。
エリカさん、今度は、お得意のシュヴァーンの音楽を聴かせてください。

 前回記事
  ヘルツォーク エリカ 「ためいき」

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2008年7月25日 (金)

ルネ・パペ オペラアリア集「神・王・悪魔」 

1 2 名古屋の居酒屋の名店「大甚」。
池波正太郎も愛した老舗は、大勢でも一人でも、味わい深い酒が飲める。
男は黙って一人暖簾をくぐり、セルフサービスで摘みをチョイスし、年期の入った木のテーブルで樽酒の燗をたしなむ。
あっさりした肴をあてに、猪口に酒を注ぎ、2本も飲めばおあいその声をかける。
名物のご主人が、そろばんで計算してくれる。
男は、黙って夜の街へ消えてゆくのであった。

今日、HMVへ仕事の合間に涼みにいったら、DGと専属契約をした「ルネ・パペ」の初アルバムが発売されていたので、即購入した。
昨日は昨日で、新宿タワーに涼みにいったら、片隅のワゴンに@500円バーゲンコーナーがった。CDはイマイチだったけれど、DVDで4枚、都合2000円のお買い上げ。
「ゲオルギュー&アラーニャの映画トスカ」「ボリショイのボリス」「クレスパンのリサイタルEMI」「バルビローリ&ボストン響のブラ2とディーリアス」
ふっふっふ。思わずニンマリの超お買い得。

Pape_3  バス歌手は男の世界。
余計なことは歌わない。
ベタベタと愛も歌わない。
苦渋とたくらみ満ちた役柄が多い。
若い妻に裏切られる役も多い。
ドラマの鍵を握る、影の主役も多い。

そんなロールをしっかり集めたのが、このルネ・パペのアルバム。
「神」・「王様」・「悪魔」のタイトルどうり、独・伊・仏・露・東欧の各オペラから、そうした役柄を歌っている。

「悪魔(魔法使い)」・・・・グノー「ファウスト」、ボイート「メフィストフェーレ」
               ベルリオーズ「ファウストのごう罰」
               オッフェンバッハ「ホフマン物語」
               ルビンシュタイン「デーモン」 ドヴォルザーク「ルサルカ」

「神」・・・・・・・・・・・・・・・ワーグナー「ラインの黄金
「王様」・・・・・・・・・・・・・ヴェルディ「ドン・カルロ」、ワーグナー「トリスタン」
              ムソルグスキー「ボリス・ゴドゥノフ」

          バス:ルネ・パペ

  セバスティアン・ヴァイグレ指揮 ドレスデン・シュターツカペレ

今年2月のホヤホヤの録音。
昨秋、実演で接したマルケ王が、やはり堂に入った名唱。まろやかな美声に、堂々とした威厳と気品が漂う。若さも感じさせるこのマルケには、嫉妬心も感じさせる。
 それと、フィリッポ2世の素晴らしさ。かつてのギャウロウもかくやと思わせる深々とした声に、老人というよりは、妻の愛を得られない壮年男性の悩みを感じさせ、妙に納得。
「ルサルカ」に「ボリス」のスラヴものも、思いのほかよい。
幻想的なドヴォルザークの音楽からボヘミアの森と泉が目に浮かぶような暖かな声。
悲壮感からは遠く、実に音楽的なボリス。もがき苦しんで悩んで死ぬんじゃなくて、もっと現代的にスマートな死に様を見せてくれるかのよう。
 かのルビンシュタインの音楽は珍しいという以上に、なかなかロマンテックな曲だ。
欲をいえば、真面目男のパペゆえ、メフィストフェレス系では、洒脱さというか、軽さが欲しい気がする。

まだ44歳のパペ、これからますます深みを増してゆくことだろうし、声域が広いから、ウォータンやザックスも期待できる。それと、リートの分野での活躍も楽しみ。

バイロイトで活躍中のヴァイグレの指揮が、雰囲気豊かなシュターツカペレから実にいい音色を引き出している。ドレスデンはパペの出身地だけに、かつてのテオ・アダムのようにドイツの名バスとして今後とも共演を重ねていって欲しい。

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2008年7月24日 (木)

マーラー 交響曲第8番「千人の交響曲」 小沢指揮

Pyon2 暑い暑いっ!

こんな時は「そーめん」とか「冷し中華」がいいですな。
辛いものを思いきり食べるのもいい。今日のお昼はマーボー豆腐だったし。

それと冷麺もさらにいいですな。
焼き肉の締めに食べるのでなく、立派な昼食として。
知り合いに、焼き肉屋行くと、まず冷麺を先に食べちゃう人がいました。焼き肉を食べてお腹がいっぱいになっちゃうと食べれなくなるので、先に食べるんだそうな・・・。お前はアホか! 
東京でも有名になった盛岡の「ぴょんぴょん舎」。うまいよ~

Mahler8_ozawa_2

マーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」
ラーメンとともに、順を追って聴いてきたけれど、この曲を前にすると、ちょっとひるんでしまうのは私だけだろうか?

大編成でめったやたらと演奏されないし、録音もかつては非常に限られたものしかなかった。
今でこそ、オペラが実演でなくとも豊富な映像で、日常生活に溶け込みつつあるが、かつてはオペラをレコードで聴こうと思えば対訳と首っ引きで、1日がかりだった。
 それと同じことが、この交響曲にも言えた。
声楽入りの交響曲が珍しくないマーラー作品の中でも、全編歌入りで、歌詞の理解がないと受け止め具合もよろしくない。
だから、私も自宅で聴く場合は、年末などの特別な時期に、区切りをつけるような気分で聴いていた。
 それがどうだろう。マーラーを聴くことが日常化し、むしろ食傷ぎみになってしまった今、8番も構えずに、普通にすらすらと聴くことができるようになってしまった。
演奏する側も、長足の進化で、世界中のどんな場所でも、この8番が演奏されているのではなかろうか。

古めの演奏などでは、おっかなびっくりの奏者たちだから、指揮者の強力な統率力に引っ張られている感じがする。
バーンスタインの旧盤や、オペラチックなショルテイ盤などがそんな感じかも。
そんな厳しい演奏から脱却して、この遠大な音楽に新鮮なみずみずしさと躍動感を与えつつ、奏者・歌手の自主性も引き出した演奏が小沢盤。

小沢氏の演奏を聴かなくなって久しい。かつて、小沢ばかりを聴いていた時期があったし、実際その演奏は素晴らしいものばかりだった。
ボストンとのコンビの終わりくらい、サイトウキネンの始まりくらいから、急速に興味を失い、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に何故かなったときから、まったく聴かなくなってしまった。「かど」がとれすぎて、練達の境地に達しすぎてしまったのだろうか、日本人同士で共感しすぎてそうなってしまったのか。私には面白い演奏がひとつもなくなってしまった。

マーラー全集の初期にあたる80年録音のこのボストン交響楽団との演奏は、そんな後年の私は感じる迷いは一切ない。
思うところを堂々と歩み、オケは雄弁に語り、自慢のダングルウッドの合唱団から生々しい歌声を引き出している。
75年頃から、この曲を集中的に取り上げ、千人のスペシャリストだった小沢。
ベルリンフィルとの圧倒的なライブと、フランス国立管との教会でのライブ。どちらも熱いすぎる演奏だった。CDR化したエアチェック音源は保存ものである。
同年、師匠のバーンスタインがザルツブルクでも白熱の演奏を繰り広げたのも懐かしい。

 S :フェイ・ロビンソン、ジュディス・ブレゲン、デボラ・サッソン
 MS:フローレンス・クイヴァー、ローナ・マイヤーズ
 T :ケネス・リーゲル
 B :ベンジャミン・ラクソン、グゥエン・ハウエル

歌手が全般に小粒で大味なのが残念だし、合唱のドイツ語が英語訛りに感じるのもご愛嬌だが、ボストン響の明るくヨーロピアンな響きは、フィリップス録音の良さと相まってすっきりと美しい。(私の好きなラクソンはいい)

この曲の初聴きは、朝比奈&大フィルの放送録音。何がなんだかわからなかったけれど、すごい音楽だぞ、っと思った。
レコードでは、この曲最高の演奏、ショルティ&シカゴのウィーン出張録音。歌手が素晴らしく、まるでオペラ。
実演では、唯一の経験が、亡きコシュラー指揮の都響。文化会館がぎっしり並んだ合唱とオケでギッチギチだった。ものすごく感動しまくった。
多くの方は、この春のインバルの演奏に酔いしれたことでしょう。行きたかった・・・・。

小沢さんも、もう一発、この曲をやってもらいたい!
各ブログや愛好家の評を拝見するに、小沢さんもこのところ素晴らしいようだ。
ほんとは、パリ管あたりでもう一花咲かせてほしいもんだな。

第1部がラテン語の讃歌「来たれ創造主なる霊よ」。第2部が「ゲーテのファウスト」からの情景。オペラを1曲も書かなかったマーラーの、これぞオペラ。
第1部は気分的にやや空転してしまうが、第2部は歌好きからするとワクワクのしどうし。
冷気ただよう山の雰囲気から、神を称えるバリトンがあらわれ、バスやテノールによって情熱的に展開する。ついで、叙情的な場面に入りグレートヒェンの歌や光明の母の歌などで浄化され、マリアを賛美するテノールのアリアで私はもう感動の階段を昇り始める。(テノールの最高の歌唱は、そう、言わずと知れたR・コロ。リーゲルもこの曲の最多録音歌手だけにヴェリスモチックに熱いぜ)
そして、締めは「神秘の合唱」。もう誰しも感動の坩堝。
崇高な興奮の大団円は、人間やっててよかったな!と思わせちゃうもの。

自身の心象にこだわりぬいたマーラーの交響曲のなかで、異質な存在の8番。
小沢ライブよ、もう一度。

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2008年7月22日 (火)

マーラー 交響曲第7番「夜の歌」 テンシュテット指揮

1 柏崎市の「栄寿し

これはいったい・・・・?

外観は完全な寿司屋。
でも路上には、ラーメンの幟があちこちに立っている。
ラーメン屋で寿司が食べれる、いや、寿司屋でラーメンが食べれる、珍しくもうれしいお店。
劇団ひとり食いだったので、カウンターに座った。
大将が寿司を握っている、その前でラーメンをズルズルすするこのミスマッチング~ゥ!
ラーメンは数種類あり、マーボー麺を選択した。
「なんでもアリ」の世界だ。

Mahaler7_tennstedt

「何でもアリ」と言えば、マーラーの音楽もそう。
フロイトの絶好の研究対象ともいえる複雑な人物だった、われらがグスタフ。
今泣いていたかと思えば、もう笑っているし、悲しみと歓びは背中合わせ。
神妙な大交響曲の中で、真面目に人生を語っていたかと思うと、急に軍楽隊がやってくるし、牧歌的な鐘が鳴らされたりと忙しい。
ウィーンの都会もあり、ボヘミアの田舎もあり。

そんなマーラーに、われわれ音楽愛好家が魅せられるようになったのも、多様化した現代ゆえ。
その多様化した現代社会、日本では、アメリカのお仕着せ型消費社会の歪みが都会や地方を問わずに顕在化し、後戻りできないくらいにかつて日本が誇った地域の横社会の美学が崩壊してしまった。

マーラーの音楽を聴く恐ろしさを、私はときおり感じる時がある。
音楽に何もそこまでと思うが、マーラーの何でもアリ音楽がもてはやされる中に、人と素直に交わらなくなった現代人の姿を見てしまう。自己耽溺的なマーラーの音楽に潜む魔力。
ワーグナーには、ドラマがあり人間の生々しい感情がある。ブルックナーには、自然と宗教がある。シュトラウスには、ドラマと写実というリアル感がある。
マーラーは、何でもありながら、逆に何もないのではなかろうか。
あるのはただ、マーラーの心象風景だけ。でも音楽の革新性はいやというほどある。
そして、やはりその音楽に魅力を感じ続けている自分がいる。
何を言っているかわからなくなってきた。これもマーラーだ。

マーラーの中でも6番と7番は、人気の点で出遅れ組だったが、今や一番人気の2曲となってしまった。
交響曲第7番は、ふたつの夜曲があるために「夜の歌」というタイトルがつけられているが、全曲は夜の気分というよりは、楽天的なムードの方が勝っている。
荘重かつドラマテックな1楽章、夜曲その1の行進曲風の2楽章、奇矯で怪しげな3楽章、まさにセレナード風の夜曲その2の4楽章、明るい大団円の終楽章は乱痴気さわぎ。
これぞまさに、マーラー・ワールドだが、私は3楽章と4楽章が好き。
日曜の晩、明日からまた始まる1週間を思い、アンニュイな気分の時に、4楽章を寝る前に聴く。ほのぼのと心安らかに就寝できる。

テンシュテットのEMIへのマーラー録音は全集を揃えた。
なかでも7番は、録音も含めて最高の演奏に思う。
テンシュテットのやや分裂気質的な指揮が、ロンドンフィルのくすんだマイルドな響きで緩和されていい具合になっている。
3種あるアバド、新旧バーンスタインともに好きな演奏。世評名高いライブ盤は未聴。
 この曲の初聴きは、ショルティとシカゴのFM放送。
初買いは、レヴァインとシカゴのLP、のちにアバドとシカゴのCD。そうシカゴづくしなのだ。
ところがですよ、実演体験はなし。若杉/都響のチクルスのチケットを持っていながら、熱を出して行けなかった。
なかなか曰くのある曲であり、私にとって怪しい魅力の曲。

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2008年7月21日 (月)

ブリテン 「オーウェン・ウィングレイヴ」 ブリテン指揮

Yoshinobu静岡市にある、慶喜公の館。
自慢の池のほとりに一流料亭の「浮月楼」がある。
一度こうしたところで、懐石などをいただいてみたいもの。
たいていは、この向かいにある老舗居酒屋で満足なわたしです。
慶喜公は、長命で77歳まで生きた。写真や自転車に興味を示して、静岡の町を楽しんだという。

Owen_wingrave

17作品あるブリテンのオペラ関連作品。
オーウェン・ウィングレイヴ」は、最後から2番目のオペラで、1970年の作品。
最後は「ヴェニスに死す」で1973年。
ブリテンの早すぎる死は、1976年で、享年63歳。

そのオペラの大半は、1950年代に作られていて、60年代は、日本やアジアの訪問で影響を受けた教会寓話シリーズに集中した。

そのオペラには、多様なスタイルや題材があるが、大きい分類で仕分けすることは可能だ。
編成で考えれると、大オーケストラによるものと、室内オーケストラ、さらには、器楽のみによるものなどで分けられる。
題材で考えると、文学作品が大半ながら、宗教的なもの、歴史劇的なもの、少年愛またはオホモチックなもの、反戦的なもの、ミステリアスなもの・・・、などに分類できようか。
内容によっては、思わず引いてしまう聴き手もいようが、私はブリテンのつくり出す音楽のカッコよさと弧高の人間心理との鮮やかな対比が好きで、多少の怖さは飲み込んで聴いている次第。

本作は、「ねじの回転」と同じ、ヘンリー・ジェイムズの小説に基づいてかかれたテレビ用のオペラで、反戦思想とミステリーが一緒に題材になっている。

第1幕
 軍事塾の教師コイルと、その教え子レッチミアとオーウェン・ウィングレイヴが話しあっている。
戦争を賛美するレッチミアに対し、オーウェンは戦争が嫌いだから軍人になるつもりはないと発言し、先生を困らせる。
オーウェンの能力を高く評価するコイル先生は、気がすすまないまでも、ウィングレイヴ家を取り仕切る老ウィングレイヴ嬢に話をせざるをえない。
ウィングレイヴ家は、代々軍人を生んできた名家なのである。
オーウェンは、戦争を呪って一人独白する「戦争は政治家の遊び、聖職者の喜び、法律家のいたずら・・・」
コイルは、オーウェンに田舎の実家パラモア館に行き、そこに存命する祖父フィリップ・ウシングレヴ卿に説明をするように諭す。優しいコイル夫人は心配する。
 そして、オーウェンは、パラモア館で、その住人フィリップ卿と娘ウィングレイヴ嬢、その老嬢の戦士した許婚の妹ジュリアン夫人とその娘ケイトらの冷たい応対を受ける。
コイル夫妻とレッチミアも駆けつけるが、晩餐会ではいや~な雰囲気になる。卿は怒り、オーウェンと決裂する。
それぞれが独白めいた歌を歌ったり、重唱となったり、会話をしたりと、ブリテンの作風は冴えに冴えている。

第2幕
 語り手によって、ウィングレイヴ家の悲しい過去が語られる。
軍人となるはずの少年が、子供同士の喧嘩で逃げたのを咎めた父親。父は息子を殴り死なせてしまう。そして父親も何故か倒れて死んでしまった。
以来、その部屋にはその親子の幽霊が出るという・・・・。
 夜、卿に呼ばれたオーウェンは、廃嫡される。
悲しい一方、すっきりしたオーウェンは、コイル夫妻に慰められる。
一人になり、一族の肖像を前に決裂を告げ、一方で平和を賛美する。そこへ、幽霊が現れ横切るが、オーウェンは、「気の毒な子だ、君にかわって、みんなに代わって、私はやり遂げた、君の父親の力ももうなくなった。僕は勝利した」・・・と歌う。ここは感動的なシーンだ。
 そこへ、幼馴染みで許婚だったケイトがやってくるが、彼女も軍人賛美の一人なのだ。
オーウェンに向かって、臆病者と挑発し、そうでないことの証明に幽霊の部屋で一晩寝ろという。オーウェンも、この世の怒りが込められているあの部屋で一人で立ち向かわなくては・・・と部屋に入る。ケイトは外から鍵を閉ざしてしまう、怖い女。
 その様子をみていたレッチミアは、怖くなってコイル夫妻を呼びに行き皆で駆けつけ、館の全員も集まるが、部屋の中には死んで床に横たわっているオーウェンの姿がある

 オーウェン・ウィングレイヴ:ベンジャミン・ラクソン
 コイル: ジョン・シャーリー=カーク コイル夫人:ヘザー・ハーパー
 レッチミア:ナイジェル・ダグラス ウィングレイヴ嬢:シルヴィア・フィッシャー
 ケイト:ジャネット・ベイカー    フィリップ卿:ピーター・ピアーズ

   ベンジャミン・ブリテン指揮 イギリス室内管弦楽団
                    ワンズワース・スクール合唱団
                       (70年録音)

一族の宿命を一身に背負ってしまったオーウェンを、美声のラクソンが、迫真の歌唱を聞かせる。この人を始め、ブリテン作品の常連さんたちによる共感に満ちた歌は、しばらく現れそうもないこのオペラの永遠のスタンダートとなりうるものであろう。
エキゾテックでミステリアスなムードの音楽は、ちょっと薄めの響きや独特のリズムが、何度か聴くと癖になってしまう。フォルテの場面は全曲でわずかしかなく、終始静かに進行する音楽で、十二音の技法も駆使した複雑な要素もある。
まだ全貌を掴みきってはいないが、何度も聴いて見えてくるブリテンの音楽。
ブリテン全オペラを制覇するまで、繰返し聴いて確認するのも楽しみ。

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2008年7月20日 (日)

ワーグナー 「さまよえるオランダ人」 ベーム指揮

Logo1_gross夏の到来とともに、ドイツでは「バイロイト音楽祭」が始まる。
毎年日本にいて、この時期いてもたってもいられなくなる私である。
そんな訳で、真夏はワーグナー。
暮れは、NHK様が四半世紀に渡ってFMで放送してくれているので、真冬もワーグナー。
春も秋も、季節がいいから心置きなくワーグナー。
そして、年中ワーグナーなわたしである。

今年のバイロイトは、7月25日に、新演出の「パルシファル」で幕を開ける。
若いヘルンハイムの演出(過激派らしいが・・)、ガッティの指揮、我らが藤村さんのクンドリー、ユンのグルネマンツというアジア組が主役級。楽しみなことだ。
バイロイトのサイトが大幅にリニューアルされ、すっきりしたけど、過去舞台画像がまったく消え去ってしまった。そのかわり、ビデオが充実していて、ティーレマンのリング姿や、ガッテイやパルシファルを演出するヘルンハイムがちょこっと見れる。
こうしたビデオも、時おり更新されるといいし、画像は遠い極東で、バイロイトを偲ぶよすがであるから、是非とも載せて欲しい!

Bohm_hollander

ひさしぶりの「さまよえるオランダ人」。
長大なワーグナー作品の中にあって、短いこのロマンテックオペラは、CD2枚で2時間20分くらい。
劇場上演でも、19時開演でも余裕の作品。
かといって、のちの作品ほどに積極的に聴くこともなく、CDは5種類しかないし、舞台経験も3回のみ。
ワーグナーの色濃い音楽ではあるが、まだ番号付きの伝統的なオペラの域から脱することが出来ず、素材は斬新ながらドイツオペラの因習から完全に抜け出すことが出来ずにいた作品。
でも、題材の背景にある暗いさや、バスバリトンを主役におき、ヒロインも夢み、病的なまでの存在で、登場人物がいずれも暗く自己の世界を持っている。唯一ダーラントだけが俗物だが、彼も最愛の娘を失う結末があり、このオペラ後は悲しい運命が待ち受けている。
 こんな伝説的な題材を選択し、思うままに音楽を付けたということ自体が、若きワーグナーの革新なのであろう。
「妖精」でお伽話(ある意味ジングシュピール)を、「恋愛禁制」でイタリア的な喜劇を、「リエンチ」で歴史劇的グランド・オペラを。
これらの後に選んだ「オランダ人」は、伝説の世界に素材を求め、のちのち、伝説や神話を題材にしてゆくことの先駆けとなった。

音楽もライトモティーフの活用がより明瞭となり、番号付きなれど、音楽はよどみなく連続性があって、緊張感も増すこととんった。
ワーグナーの作品を、作曲順に聴いてゆく楽しみは、その筆と素材の新化を実感することにもある。

Hollader_702ab 1966年のヴィーラント・ワーグナー亡きあと、運営を任されたウォルフガンクは、演出も継続するかたわら、劇場の運営の責任も負わなくてはならなくなった。
必然として、兄弟以外の第三者を演出家として招かなくてはならなくなった。
その最初の人物が、アウグスト・エヴァーディンク
1969年に、「オランダ人」の演出で登場し74年に、カルロスとの伝説的な「トリスタン」の演出を受け持った。
69年と70年は、スイスの名匠ヴァルヴィーゾが指揮したが、71年はベームとワラットが指揮した。ヴァルヴィーゾは、シュタインとともにこの後、バイロイトで活躍することとなるが、長年ヴィーラントと組んだベームは、71年が最後のバイロイトとなった。
その後に、バイロイト100年の記念でマイスタージンガーの一部を指揮している・・・・。

DGがすかさず録音したこのライブは、ベームのあの「トリスタン」や「リング」の延長線上にある演奏で、早いテンポで、熱気とライブの高揚感に満ち溢れた熱すぎるオーケストラピットが舞台をリードしている。
金管の咆哮、ティンパニの激打、うなりをあげる低弦、凄まじい。
宿命を感じさせる運命の主題なども、必然的な切羽詰まった後戻りできない悲しみも感じさせる。一般人と幽霊船の船乗りたちの合唱のやり取りも、足踏みの威勢良さとともに、これまた迫力満点。
 ワーグナーの若書きと、出発点を1幕形式の凝縮されたドラマとして息も切らさずに描こうとしたベームの意図は明らか。
トリスタンと同等に自己主張するベームのオランダ人。

  オランダ人:トマス・ステュワート   ゼンタ :グィネス・ジョーンズ
  ダーラント:カール・リッダーブッシュ エリック:ヘルミン・エッサー
  マリー:ジークリンデ・ワーグナー   舵取り:ハラルト・エク

   カール・ベーム指揮 バイロイト祝祭管弦楽団/合唱団
                合唱指揮:ウィルヘルム・ピッツ
                  (1971年バイロイト)

Hollader_702a 70年代を代表する素晴らしいキャストは強力で、主役級3人は文句なし。
亡きステュワートは美声に、悲劇性と気品を織り込んだ名唱だし、これも亡きリッダーブッシュの暖かい声も相変わらず好きだな。
そして今回あらためて驚きと感銘を与えてくれたのが、デイム・ジョーンズの輝くばかりの中音域の素晴らしさ。人によってはヴィブラートが気になるかもしれないが、私は本ブログで何度も書いているように、彼女のその音域のふるいつきたくなるような美しさが好きなのだ。そしてその存在感は、並ではないと思う。
 あと、エッサーも私は何故か好きで、ジーン・コックスと似たような声は憎めず気になる。
エイッと高音を引き出す歌い方が古風と言われようが、この人のタンホイザーやトリスタンの悲劇的・壊滅的な歌いぶりはなかなかのものと思っている。

その活動の最後の頃のピッツに指導された合唱の強靭さは文句なし。

悲劇的な別れと、その後の清らかな救済。
見事なまでの演奏に、聴き手はかなり感動することとなります。

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2008年7月19日 (土)

プロムス2007  ビエロフラーヴェク指揮

2_2 3_2 英国の大手スーパー、「TESCO」(テスコ)は、世界の小売流通業者の中でも第3位(だと記憶)。
ウォルマート、カルフール、テスコ、メトロ・・・・。
米・仏・英・独の上位4社はいずれも本邦上陸を果たしていて、ストレートにそのまんま来たけど、おフランステイストを期待した日本人を裏切る普通ぶりで出足で失敗したカルフールはイオンが引き受けて撤退した。
ほかの3社は、ウォルマートが西友を傘下に納め苦戦中、メトロは業務用に徹して頑張っているが日本のハードルの高い出店条件に苦戦中。
残る「テスコ」は、なんと「つるかめランド」を傘下にして小規模店舗で日本の消費者の勉強中。他と違ってとても慎重なのだ。
私は、数年前イギリスに出張したときに、本場のテスコを数ヶ所視察したが、それはそれはデカイ。いわゆるハイパーマートというやつで、食品からガソリンまで、あらゆるものを売っている。他国でも似た展開のようだから、世界一難しい日本の消費者を相当に意識していると見える。
1_2 最近ようやく、テスコブランドを掲げコンビニ規模のミニスーパーを出店し始めた。
横浜のみなとみらい店に行ってみた。
狙いは、英国テイストのテスコのPB商品があるかどうか! そして、行ってみるとあまりの普通の街のスーパーぶりにガッカリ。
唯一、「ベイクド・ビーンズ」の缶詰があった。
欧米人は豆料理が好きだ。私も辛いチリコンカンが好きだけど、この英国の家庭の味と書いてあるビーンズは、甘いくてイカン!
トーストと一緒に食べてみたけど、う~むの味。さすが英国、されど英国料理。
こんなはずじゃないのに。現地で食べた「ギドニーパイ」なんてとてもおいしかったし、日本でも馴染みのある「フィッシュ&チップス」にビネガーをつけて食べたら最高。
 ちなみに最近は、フィッシュのタラの高騰でお値段的に庶民の味じゃなくなってきているそうな・・・・・。

Proms2007_a 英国のスーパーや食について長く書きすぎました。
英国音楽を愛するがゆえに、もっといろんなことを知りたいからであります。

ロンドンの夏の風物詩といえば、ロイヤルアルバートホールで開催される大音楽祭「プロムス」。
今年もスタートした。
7月18日から、9月13日まで、英国の各地のオケを中心にベルリンフィルやシカゴ、パリ管などが賑やかに登場する。
尾高さんも常連で、今年は「悲愴」を指揮する。
昨日の演奏を早速ネットで聴いてみた。
BBCのシェフ、ビエロフラーヴェクの指揮で、シュトラウスやベートーヴェン、スクリャービン。渋い演目で開幕だ。「最後の4つの歌」(ブリューワーのソプラノ)では、歌ごとに拍手が起きてしまう呑気な雰囲気。ブラボーも盛大で、大らかな雰囲気が漂いっぱなし。
ラストナイト、今年はなんと、ノリントンの名前がエントリーされている!
さぞかし、愉快だろーな。

 ビエロフラーヴェクは、完全に一皮むけた巨匠となりつつある。
そんな思いを、先般はグライドボーンの「トリスタン」で感じた。
DGから出た昨年のプロムスのハイライト集でも、それを強く感じる。

 1.ウォルトン 序曲「ポーツマス・ポイント」
 2.エルガー  チェロ協奏曲  Vc:P・ワトキンス!
 3.ブリテン  「ピーターグライムズ」 4つの海の間奏曲
     指揮:イルジー・ビエロフラーヴェク
 4.ディーリアス 「夏の歌」
     指揮:アンドリュー・デイヴィス
 5.クヌッセン ヴァイオリン協奏曲 Vn:リラ・ジョセフォヴィッツ
     指揮:オリヴァー・クヌッセン
 6.ティペット トリプル協奏曲    Vn:ダニエル・ホープほか
     指揮;アンドリュー・デイヴィス
 7.ベネット  「トーマス・カンピオンの4つの詩」
     S・ジャクソン指揮 BBCシンフォニーコーラス

オーケストラがBBC響だから、巧まずして英国サウンドが得られるわけだが、真面目すぎて面白みの感じられなかったビエロフラーヴェクのイメージは、冒頭の楽しくもかっこいい、ウォルトンの音楽で見事に覆される。
ブリテンでも緩急を十二分につけて、オケを存分に鳴らして、海のない国からやってきた指揮者とは思えないくらいに切実な音楽が鳴り響いていて見事。
エルガーの協奏曲の独奏は、先般、都響でその第3交響曲を指揮した「ポール・ワトキン」だから驚き!もともとチェロ奏者を心ざしていたから、全然普通に素晴らしい。
根っからのエルガーリアンだったのだなぁ。泣きのチェロをしっかりオケが支えている。

2枚目は、アンドリューの指揮による私の最愛のディーリアスの曲のひとつ「夏の歌」で始まる。プロミスで1931年に初演された曰くがある。かなり生々しい演奏。
続いて聴きやすいクヌッセンの協奏曲をリーラ嬢の屈託のないヴァイオリンで。
ティペットの協奏曲も好きな曲。複雑だが、聴くほどに紐解けてきて味わいの増す音楽。
最後のベネットの合唱曲は、16世紀の詩人兼音楽家兼殺人者(!)のカンピオンの詩につけたもので、世界初演。普通に聴けるメロディアスな音楽だった。

さあ、梅雨も明けた。夏は長いぞ。

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2008年7月18日 (金)

マーラー 交響曲第6番 アバド指揮

1_2 横浜はいわゆる「家系」の濃ゆ~いラーメンが多いけど、それ以外の個性派もたくさんある、ラーメン共和国なのだ。

こちらは、その名も「浜虎」。
野球でいうと、なんとも憎たらしいような複雑な名前だし、ファッションでいえば、いかにも「ハマ」らしくて、洒落た名前。
西口から近いが、周辺は怪しげな店舗もあったりする。
塩鶏そば」、あっさりとしながらも、筋の通ったしっかりしたスープにもちもちの麺が実によかった。
鶏チャーシューも美味。

Imgp3330 当たった、当たった!!
2006年の、アバドルツェルン祝祭管弦楽団の来日公演に先立つ、公開リハーサルの招待状。

忘れもしない、2006年10月のこと。
平日の昼間、仕事をほっぽりだしてサントリーホールへ。
私服のオケが三々五々集まり、カジュアルなアバドが元気に登場。
マーラーの6番のリハーサルが始まった。

2006luzern_2 冒頭、トランペットの名手がこける。
あれ?二度目の繰返しでは、ものの見事に決めて面目躍如。
アバドは指揮しながら、ニコニコと投げキッスを送る。トランペット氏の嬉しそうな顔。
さらいながらも、一挙に全曲演奏。
モーツァルトのアリアも同様。
いずれもリラックスした力の抜けた演奏。

アバドはどこでしょう?
マイヤーもいるし、ヴィオラのクリストも・・・。


2006luzern_1 翌日の本番は、リハーサルとはうって変わった凄まじいまでの演奏。
人間の行為、営みのなせる技の極地に達した演奏。
完璧とか素晴らしい、などという言葉が当てはまらない。
指揮者は、マーラー交響曲第6なのに、時に微笑みさえ浮かべて、音楽をすることが楽しくてしょうがないといわんばかりの指揮ぶり。
対するオーケストラは、スターがびっしりと並んでいるが、奢りも高ぶりもなく、むしろ必死になって体一杯に音楽を表現している。
これを体験して、マーラーの心理がどうのこうの、アルマがどうだ、ウィーンがどうだの、といったことは、まったく関係がなくなってしまった。
あれ以来2年、マーラーの6番の交響曲は聴いていない。
聴けないのだ。ルツェルンのDVDすら観ていない。ハイティンク&シカゴも怖くて聴けない。完全なトラウマ状態なんだ。
生涯最高ともいっていい音楽体験だった。
演奏終了後の長い静寂は、語り草になってゆくことであろう。
オケのメンバーも、涙して抱き合い、感動を分かちあっていた。

画像は、イケナイとわかっていながら、撮ってしまった、ブルックナーの終演後。
この曲のライブは、ほかは若杉&N響。
初聴きは、バーンスタインの旧盤、レコードは、アバド&シカゴが初買い。

こんな訳ですから、マーラー・シリーズ、6番は聴かずして欠番ということで、思い出話でご勘弁ください。女々しいことであります。いつかは、ちゃんと聴かなくては・・・・・。
さいなら。

  アバド指揮ルツェルン祝祭管弦楽団演奏会(2006.10)

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マーラー 「亡き子をしのぶ歌」 F=ディースカウ

2 名古屋の「庚申」という店で食べた味噌ラーメン。
伏見の御園座のすぐ裏。

実にインパクトある名古屋風のラーメンだった。そしてともかくウマイ!
麺は、味噌スープに埋没しているから、先にスープを一口すする。
おおっ、こりゃ八丁味噌じゃん。
そう、北海道味噌と岡崎の八丁味噌をブレンドしている由。
ダメな人はだめだけど、私は全然OK。というか美味い。
そして麺が黒いのよ。木炭を一緒にすり込んで打っているらしく、コシがすごくあった。賛否両論かもしらんが、わたしには美味かったでな。

Mahler_kindertotenlieder_fd さて、またもや歌曲。
マーラーの「亡き子をしのぶ歌」。
1901年から1904年にかけて作曲されたこの不吉な歌曲は、交響曲第6番の直前の作品。
こちらもリュッケルトの詩によるもので、マーラーはアルマとの結婚前に作曲し、完成は結婚をまたいで完成を見ている。
アルマが、この作品を知って怒ったのは有名な話。
数年後、彼らの娘マリア・アンナが亡くなってしまう。

アルマは、その後も再婚したグロピウスとの娘も亡くなり、ベルクが絶美のヴァイオリン協奏曲を残した・・・・・。
世紀末は、音楽と死は、密接な関係を持ちつづけていた。

この曲は、前日に聴いた「リュッケルト・リーダー」とも表裏一体をなしているように思う。
あちらは、アルマとの幸せな瞬間も歌いこまれているのに対し、こちらは、終始、絶望と厭世が音楽の上に覆いつくされている。
 
 ①いま太陽は明るく昇る
 ②今、私にはわかるのだ、なぜあの暗い炎を
 ③おまえの母さんが
 ④よく私は考える
 ⑤こんなひどい嵐の日には

この音楽ほど、マーラーのなかで、ワーグナーに接近したものはないのではないかと思う。
そう、トリスタン的な半音階上昇の曲調や、寂しげなオーボエに代表される響き、憧れや渇望に満ちた部分や、終末的な結末など・・・・。

 よく私は考える、子供たちはちょっと出掛けただけだ。
 またすぐに、家へ帰るであろう・・。

悲しい内容に、新婚生活を始めるアルマの不可解な気持ちがよくわかる。
この歌曲に、第6交響曲だもの。

最近の日本の悲しい風潮は、「お父さんは、ちょっと出掛けただけだ・・・・、」あとは言うまい。私の場合は、「お父さんは、ちょっと飲みにいっただけだ、電車がなくなってしまったんだとよ・・・・」

⑤の音楽は、昔、JUNブランドのCMで使われていた。
もう30年くらい前、「ソウルトレイン」のCM。
あれは、サイケでインパクトあったな。

ベームが残した唯一のマーラー。ベルリンフィルを指揮して、それこそシュトラウスかワーグナーのような音がしている。
能弁で色濃いバーンスタインとウィーンフィルの対極にある、ベームとベルリンフィル。
ちょうどモーツァルトの交響曲を録音しつつあった頃で、音符のひとつひとつをしっかりと扱った克明さもある。ドイツの音楽である。
 そして、フィッシャー・ディースカウの抜群にうまい歌唱は、言葉の端々に、ただならぬ思いを注入している。声の若々しさも60年代ならではのもので、後年の濃い頭脳プレーはまだあまり感じられず、極めて音楽的な歌唱に思う。

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2008年7月17日 (木)

マーラー 「リュッケルトの詩による5つの歌曲」 ハンプソン

3 屋台の昔風のラーメンが食べたくなるときってありますな。
シンプルな具に、醤油味の茶色いスープ。
飾り気ない味が懐かしく、鶏ガラと昆布出汁のみ。

そんなラーメンは、専門店では凝り過ぎていて気がぬけない。
意外と、中華料理屋のものがいい。
赤い色のカウンターで、餃子とビールでも飲みながら、ラーメンをすする。幸せの瞬間。

港区芝(慶応中通り)にある「亀喜」は、元々中華料理屋だったから、こんなラーメンが食べれちゃう。
この店、大盛りで有名で、なかでも「オムライス」はすごい!
私は食べている人を見ているだけだが、女性はまず半分くらいしか食べられない。
お店の人も「頑張って下さい」と言って出してくる。お持ち帰りパックもあります。
画像は検索するとたくさん出てきまっせ!

Mahaler_lieder_bernstein マーラー・シリーズ、交響曲はひとまず置いて、その交響曲と同時期に書かれ、旋律などにも関連性が高い歌曲集を。
交響曲第2~4番は「子供の不思議な角笛」と、そして交響曲第5・6番は「リュッケルトの詩による5つの」と「亡き子をしのぶ歌」と連動している。
リュッケルト(1788~1866)の詩には、シューベルトやシューマンも曲をつけているが、マーラーのこの二つの歌曲集の方が近年は有名かもしれない。
デリケートで愛情あふれ、また厭世的で絶望的ですらある詩の内容に、マーラーはまさに矛盾に満ちた自己の心情を見出し、その詩にピッタリの音楽を残した。

 ①美しさのために愛するなら
 ②私の歌をのぞかないで下さい
 ③ほのかなかおりを私はかいだ
 ④真夜中に
 ⑤私はこの世に忘れられた

アルマとの結婚でほのぼのとした幸せに満ちた①や②、ロマン溢れる③はまさに音楽の芳香が漂ってくる。
④と⑤がこの曲集の核心。
④弦楽器を休ませ、管だけによる真夜中の静寂と恐怖を恐ろしいくらいに描いていて、心がえぐりとられるような深みがある。
⑤第5のアダージェット楽章である。何もそんなに世を儚むことはないじゃないか!
あまりに辛く切ない。涙も出ない苦難の世界。

  私は世とともに多くの時を浪費したが、今や世は私の消息を聞かなくなって久しい。
  ・・・・世の騒音から私は死んでしまい、しずかなところにやすらいでいる。
  私はひとり私の天のなかに、そしてまた、私の愛と私の歌の中に生きている。

アメリカのナイスなバリトン、トマス・ハンプソンは驚くほどの感情移入を見せておきながら、それが決してもたれず、嫌味にもならない。
FDとも異なった、現代的・頭脳的な歌唱に思う。各曲のさまざまな様相を歌い分けも見事。
バーンスタインとウィーンフィルがまた、絶美ともいえるオーケストラによるパレットを描いている。特に④と⑤には唸ってしまう。
 この曲、女声ではルートヴィヒが最高。
あと、エアチェックながら、クヴァストフとアバドによる超越的な高みに達した演奏は、すごすぎてそう何度も聴けない・・・・・。

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2008年7月16日 (水)

マーラー 交響曲第5番 レヴァイン指揮

Azabu1 今日のラーメン。
港区界隈では有名な「麻布ラーメン」。
麻布十番が本店で、屋台が発祥という。
本店のほか、芝と田町(三田)にあって、いずれも職場近くなので、締めとして利用する。
ここ田町店は、立食で、入口で食券を購入し、立つこと数分で、カウンターにラーメンが運ばれてくる。
タクシーの運転手さん、サラリーマン、学生さんと、ここは男の世界なのだ。
いろいろな種類があるが、醤油豚骨とあっさり中華そばが私は好き。
こちらは、「醤油豚骨&角煮入り」。腹一杯になるぜ。おじさんには、背脂がちょいとキツイ。もやしキムチ食べ放題だぜ、学生諸子!

マーラーの交響曲も折り返し点の第5番
コンサートになくてはならぬ定番作品となったのは、80年半ば以降か。
外来はおろか、日本のオケもこぞって取り上げる名曲は、70年代ではとても考えられないことだった。こんな難しい曲を演奏するのも大変だったはずで、トランペットやホルンが絶対にコケテしまったろうし、最後の大爆発まで力尽きてしまうのが日本のオケだった。
演奏技術の進歩は、確実にオーケストラのレパートリーを拡張していて、マーラーはその典型であろうな。アマチュアや学生オケが、軽々とマーラーや春祭を演奏してしまうのだから。

例によって、この曲の実演体験を。
ベルティーニ&都響、マゼール&ウィーンフィル、アバド&ロンドン響、小沢&新日フィル、ショルティ&シカゴ響、ずっと最近になって尾高&札響、ヤンソンス&バイエルン。
結構聴いているけど、古い話である。
この中では、アバドのかっこいい演奏とマゼールの古風な演奏、シカゴのお口あんぐりの演奏が印象に残っている。
 レコードでの初買いは、メータ&ロスフィルで、これまた擦り切れるほど聴いたけれど、今思うとやたらに早い。それよりもアバド&シカゴのシャープな演奏がいまだに、私のNO1。

Mahaler5_levine 今回のチクルスでの5番は、懐かしいレヴァインフィラデルフィア管の演奏を。
これもレコードで聴いていたもので、10番アダージョとともに2枚組だった。
77年の録音で、72年頃にレコード・デビューしたレヴァインは、RCAにメジャーオケを振って次々に交響曲録音を行なっていて、マーラーもその一環。
ザルツブルクに「幻想」で登場したとき、その超スピードの演奏は、颯爽と輝いていたし、ヴェルディのオペラの数々もスピーディで爽快だった。
そんなイメージで、マーラーを聴くと、そのゆったりとしたテンポと大らかさに驚くこととなる。
その後、ワーグナーをはじめとして、弛緩するくらいに遅いテンポをとるようになり、あの若き突進ぶりは消えてしまった・・・・。
レヴァインへの興味も急速に萎えてしまい、オペラはいいけど、それ以外はよくわからない指揮者となってしまったのだ。

久しぶりに聴き直してみて、堂々たるテンポ設定の中に、威勢の良さが充分うかがえ、それにフィラ管の各奏者の名人芸が見事に応えている。
音色が明るすぎるのが難点だが、バーンスタインやテンシュテットとは、完全に一線を画する普通の音楽としての接し方で、気負いも醒めたところもない、元気な演奏。
ここでは、マーラーの何でもありの複雑な深層心理の世界が、あまりに綺麗に整理され、すらすらと開示されてしまう。
最後のフィナーレも猛然とアッチェランドが掛けられ、あっけらかんとしたエンディングとなる。
こんなにこだわりがなくてよいのかしら?
そう、これはこれで当時は極めて新鮮でビューティフルなマーラーだったのだ。
今では、さらに精度や密度の高い演奏が次々に現れるようになり、レヴァインの演奏の軸足も少し過去のものと感じるのは私だけだろうか。

素晴らしく美しいアダージェットを聴いて、懐かしくも学生時代や新人の頃を思い出したりもしたレヴァインの演奏である。

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2008年7月15日 (火)

マーラー 交響曲第4番 ハイティンク指揮

Suzuki_1 週末の英国音楽とオペラをおいて、マーラー、そしてラーメンであります。

こちらのラーメンは、見るからにアッサリ君。
その名も「中華そば」、基本の具がシンプルに配置され、澄んだスープ越しに麺が伺える。

名古屋の「鈴木」という名の店。
錦3の繁華街にあって、飲んだあとの締めラーメンとして、そのいけない地位(メタボぅにとってネ)を確立しつつある名店。

Mahaler4_haitink_2

番号を追って、今日のマーラーは、交響曲第4番
1番と並んで、一番最小のシンフォニー。
終楽章に女声の独唱が入る。
3番でおさまらなかった、モティーフ「子供が私に語ること」が、そのまま持ち越された。
「角笛」交響曲のひとつ。
短いといっても、約1時間。
長大で、まさに天国的な美しさをもつ3楽章が21分、1楽章が17分、あとは10分に満たない。
終楽章のみが、女声ソロが入るが、歌が入ることによって、バランスが取れたともいえる歪(いびつ)な構成ではなかろうか。

例によって、この曲との出会い。
4番は、バーンスタインのニューヨーク時代のテレビ番組。
TVK(テレビ神奈川)にて、中学時代に見た毎週土曜のモノクロ放送で、バーンスタインが青少年向けに、NYPOを振りながら、楽曲解説を行なっていくもの。
ここで、この曲を念入りに解説していた(はず)。今はもう覚えていないが、鈴の音色だけが、やたらに印象に残っている。
その後は、アバド&ウィーンフィル、ゼーダシュトレムの歌による、ウィーン音楽祭のエアチェック。これが刷り込みで、その後に輪をかけて、聴きまくったのが、DG盤アバド/VPO/シュターデの名盤。
さらにハイティンクとコンセルトヘボウの2度目の録音。
音源はこれらと尾高/東フィルのFM放送が何故か名演。
 悲しいことに、実演はないのです。

今日のCDは、ハイティンクコンセルトヘボウを指揮して50周年を記念した演奏会のライブで、2006年11月の演奏会の模様。
前褐のとおり、ハイティンクとコンセルトヘボウは、①初回の全集、②クリスマスアチネ・ライブ、③83年デジタル録音、④ベルリンフィル、⑤06ライブと、4度に渡って録音している。
この4番に、こえだけ愛着をもって取り組んでいる指揮者は、ハイティンクをおいていないだろうな。ベルリンは別格として、同じコンセルトヘボウで、演奏がどう変化しているか・・・。

正直、コンセルトヘボウの滴り落ちるような美音と濃厚な味わいがあるのは、③の録音が随一。これはフィリップスのホールと渾然一体となった名録音によるところも大きい。
①は未聴なれど、②も③と同じ印象を受ける。
そして、今回の新録音は・・・・・。以外にあっさりムードで、ここをもっと粘って欲しい部分で、すすっ~といってしまうし、以前の録音で顕著だったポルタメントの強調も薄く感じる。

この変化はどう考えたらいいのだろうか。
無駄なところがなくなり、より簡潔になったが、先週聴いたシカゴとの3番のあの超シビレル名演との違いはいかに・・・。
演奏時間は、過去演との違いはさほどなく、極めてオーソドックス。
大きな違いは、3楽章の低回なく進められる伸びやかな歌の運び具合。
手持ちの過去演(BPO不明)と比較するとわずかながら一番早い。
この曲の最大の聞かせどこころで、意気込まずにさりげなく、感動の頂点を築きあげているんだ。
長年のコンビとは、どこからどこまでが指揮者とオケかの境界線がなく、完全に一体化しつつも、ハイティンクらしいあっさりした味付けと、昨今の巨匠然とした大きな音楽造りがの双方が伺える。
シカゴでは、大曲の大家・無為の大巨匠にオケが、その持てるキャパシティーのありったけを全開してしまうことで、壮絶な巨大演奏が成し遂げられ、かつての仲間とは、ややあっさりした中にもフィリップス録音をすっきりさせたような練達の境地を聞かせる・・・・。
異論はあるかもしれないが、コンセルトヘボウは、シャイーやヤンソンスの治世を経て、ハイティンクのもと、戻れない過去を振り返るような演奏をしてしまうようになったのだろうか。
かつてのコンビの至芸は、絶対的なものだけに嬉しいような、寂しいような気がする。
逆に、ハイティンクはオペラを極めることで、異なるステージに昇ったわけで、ドレスデンやシカゴとの新たなコンビは、オペラ指揮者としてのドラマティックなハイティンクの姿なのであろうか!

ここでの独唱は、シェーファー。実にリアルで、音符が手に取るような感じの歌だ。

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2008年7月13日 (日)

チャイコフスキー 「エフゲニー・オネーギン」 レヴァイン&ショルティ

Tschaikowsky_eugene_onegin_levineチャイコフスキー(1840~1893)は、未完のものも含めてオペラを11作も残しているが、それらの中で今でも盛んに上演されて人気があるのは、「エフゲニー・オネーギン」と「スペードの女王」の2作品。
あと強いてあげれば、「イオランタ」「オルレアンの少女」「マゼッパ」ぐらいか・・・。

単にオペラと呼ばずに、チャイコフスキーは「抒情的情景」と名付けた。
作曲は、交響曲第4番と相前後する頃で、文通上の精神的支柱となっていたフォン・メック婦人の励ましもあってこの大作は完成したという。
熱烈に求愛された女性との短い結婚生活と破局によってダメージを受け、作曲が中断したそうだ。
原作は、プーシキン。「スペードの女王」もプーシキンだし、「ルスランとリュドミラ」「ボリス・ゴドゥノフ」「皇帝サルタン」「モーッァルトとサリエリ」などもそう。
ロシアオペラに次々と題材を送り込んだプーシキンもなかなか破天荒な人生だった由。

Onegin_bolshoi その交響曲ほどに、オペラは熱心に聴いてはいないのは、うにゃむにゃ聴こえるロシア語の持つ雰囲気がちょっと苦手なせいもある。
かつて万博の年、ボリショイオペラが大挙来日し、ソ連邦の威信を掛けたゴージャスな舞台を繰り広げた。
「オネーギン」「スペードの女王」「ボリス」「イーゴリ公」の4作品を、ロストロポーヴィチ、ロジェストヴェンスキー、シモノフらが指揮した。
テレビで、オネーギンとボリスを観たことが、はるか彼方の印象として残っている。こちらが文化会館での公演の模様。柱は本場では丸い支柱だったが、上野では見せかけのみ・・・。
音源としては、DGのレヴァイン盤しか所有しないが、舞台や映像は未体験。
9月の二期会公演のチケットを押さえたものの、演出はなんと「コンヴィチュニー」だ。
何をやらかしてくれるか、大いに楽しみだけど、オーソドックスな舞台も頭にいれておかなくてはなるまいと思い、ショルティ指揮のオペラ映画のDVDを購入した次第。

1820年頃のロシアの農村と終幕はサンクトペテルブルク。
ナポレオンを撃退した乗っている頃のロシアの貴族社会。

第1幕
 田舎の領主の娘、タチャーナとオリガは美人姉妹。母と乳母ともに、夏のテラスで楽しんでいるところへ、オリガと恋仲のレンスキー公が、友人オネーギンを連れてやってくる。
タチャーナは、一目でオネーギンに恋心を感じてしまう。
その晩、タチャーナは寝付かれずに、オネーギンへの告白の手紙をドキドキしながらしたため、翌朝乳母に手渡す。乳母は、不安そうである・・・。
 そしてオネーギンが、やってきて、庭で待つタチャーナに、説教じみた話をして、自分は結婚には向かない人間だといって去る。ショックに立ち尽くすタチャーナ。

第2幕
 タチャーナの命名日、客人たちが集まり大パーティ。
有名なワルツやマズルカが踊られる。フランスからやってきた爺さんがクープレを歌ったりする。オネーギンは、タチャーナの腕をとり、ワルツを踊るが、すぐに他の男性に渡してしまう。次に、レンスキーの腕から、オリガを取って、二人楽しそうに踊りまくる。
嫉妬に狂うレンスキーとそれがわからないオネーギンとの間でいさかいが始まり、オネーギンはレンスキーに「狂っている」と言い、侮辱されたレンスキーは決闘を申し込む。
 雪の日の早朝、決闘の場。
レンスキーは、「わが春の黄金の日々よ、どこへいってしまったのか・・・」と嘆き歌う。
遅れてきた、オネーギン。二人の心内をお互いが歌いあう。後悔と回顧は、もう手遅れ。
古式にのっとりピストルで打ち合うが、レンスキーが倒れ絶命する。
茫然とするオネーギン。

第3幕
 サンクトペテルブルクの広大な館の大広間。
これまた有名なポロネーズで、紳士淑女たちが踊る。
オネーギンが何も得られなかった放浪の末に、主クレーミン公に誘われ、この宴に姿をあらわす。そこに現れた、公爵夫人は高貴な姿となったタチャーナ。
目を疑うオネーギンに、グレーミン公は結婚の経緯とその幸福を歌う。
公に紹介され、お互いかつてご近所だったことを認めあい、二人は離れる。タチャーナは努めて冷静さを装っているが心中おだやかでない。
一人になったオネーギンは、今更ながらにタチャーナへの熱い思いを燃え上がらせる。
なんて野郎だ!
 応接間に押しかけ、その思いを切々と歌うオネーギンに、何度も心が打ち負かされそうになるタチャーナ。でも最後は、きっぱりと、今の夫を思いオネーギンをしりぞける。
「何たる不名誉、苦しみ、哀れな運命よ!」オネーギンは走り去る・・・・。

  タチャーナ:ミレルラ・フレーニ  オルガ:アンネ・ゾフィー・オッター
  オネーギン:トーマス・アレン   レンスキー:ニール・シコフ
  グレーミン公:パータ・ブルチュラーゼ ラリーナ:ローズマリー・ラング
  トリケ:ミシェル・セネシャル

  ジェイムズ・レヴァイン指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団/合唱団
                           (87年録音)
Tschaikowsky_eugene_onegin_solti_2
こちらは、オペラ映画版DVD。
音源はショルティコヴェントガーデンのメンバーによるものを使用し、専門の役者が口パクで、本場のロケーションを行なったもの。(実際はミュンヘンらしいが、雪の光景はロシアのイメージそのもの)
74年頃の録音だったかと思う。
豪気なショルティが、チャイコフスキーの抒情オペラを録音するなんて・・・・と思ったが、実際は小沢が舞台で成功したプロダクションだったらしい。

この映画版は、実にゴージャスかつリアル。
最初に味わうならば、こうした美しいドラマの背景があった方がいい。
チャイコフスキーの音楽とロシアの光景は切ってもきれないから。農民たちのダンスや林檎を摘む娘たち、美しい夏の野原に、朝焼けの光景。
豪華な大広間に舞踏会、おいしそうな食事に酒のグラス(!)、決闘の場面での雪の草原。馬車で遅れてやってくるオネーギンにあわせて、雪がちらつき始める。
ほんとうに、美しい映像で、原作の原典ともいえるかもしれない。
プーシキンがあえて背を向けた、貴族社会の裏に泣く民衆の姿は全くなく、終始上流階級社会での出来事であることが超リアルに描かれている。
そこに矛盾を感じ、振舞ってしまうオネーギンとそれが出来なかったレンスキー。
純朴なロシアの少女から、一躍トップレディになってしまうタチャーナ。
そんな様子が、このDVDではありありと楽しめる。

  タチャーナ:テレサ・クビアク    オルガ:ユリア・ハマリ
  オネーギン:ベルント・ヴァイクル  レンスキー:ステュワート・バロウズ
  グレーミン公:ニコライ・ギャウロウ ラリーナ:アンナ・レイノルズ
  トリケ:ミシェル・セネシャル

   ゲオルグ・ショルティ指揮コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団
                   ジョン・オールディス合唱団

Tschaikowsky_eugene_onegin_solti2 非ロシア系の歌手と指揮、オーケストラによる演奏はそれぞれ甲乙つけがたい。
難点はどちらの演奏も綺麗にまとまりすぎていることか。
ロストロポーヴィチあたりの演奏がCDに復刻されないものだろうか。
でもドレスデンのくすんだ響きは、なかなかに魅力的で、レヴァインのオペラティックな指揮が巧みに雰囲気をかもし出している。
 歌手では、フレーニがピカいちで、ぬくもりある優しい女性と揺れ動く心象を歌いだしていて群を抜いた存在感を示している。チャイコフスキーは、タチャーナを主人公に見立ててもいるから尚更に聴こえる。
 オネーギンは、アレンヴァイクルもどちらもいい。身勝手ぶりでは、アレン卿の方が一枚上で、ヴァイクルは紳士的。シコフバロウズも、ともに粘っこい歌いぶりがまさに適役。
ギャウロウの声には痺れるし、両盤登場のセネシャルのKY的な歌も味がありすぎ。

それにしても、いい旋律が満載のオペラ。
タチャーナの「手紙のアリア」、レンスキーの決闘を前にしたアリア、グレーミン公のおのろけアリア、ワルツにマズルカにポロネーズ、合唱の数々。
面白いところでは、繰返しの魔術で、一度聴いたら忘れられない場面もある。
1幕の農民の合唱が盛り上がってゆき、最後は爆発するが、私にはどう聞いても「まいど、まいど、まいど、まいど、ま~いど!」と聞こえる。こりゃ忘れらんないよ。

さて、コンヴィチュニー先生、どう料理してくれますか?

  

 

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2008年7月12日 (土)

ディーリアス 河の上の夏の夜 デル・マー指揮

Azumino 今日は暑かったですな。
昨日から、静岡に出張。思い切って車で行ってみた。
千葉から途中富士市によって静岡市まで、約3時間半。
静岡でおいしすぎる寿司をごちそうになって、おでんも食べて、ラーメンも食べて、朝からお腹一杯で、静岡をあとにした。
神奈川の実家によって、昼食をいただき、寒川・綾瀬・大和・座間・横浜と周って、雷雨を抜けて先ほど千葉に帰還。ふぅ~っ!
こんな暑い一日、疲れた体を癒してくれるのは、ディーリアスのそこはかとない優しい音楽がいい。
この写真は、以前行った安曇野。涼しげであります。でも中国人のツアーと出くわし、その賑やかなことといったら・・・・・。

Delius_del_mar

四季おりおりに、自然をいとおしむような美しい音楽を残したディーリアス。
人間の心理や悩み、葛藤を描き出すかのような深遠な音楽、構成のしっかりした論理的な音楽・・・、
それらとはまったく異次元の音楽がディーリアス。
人間よりは自然。
その自然から受けた感覚をそのままディーリアスの感性が音にしてしまった。
そんな音楽。

実業家の父の跡を継がず、酒とバラの日々を過ごし、晩年その報いを不自由な体となって受けてしまう。酸いも辛いも極め尽くした男が行き着いたノスタルジーに満ちた感覚の音楽の世界。
中学生の頃から聴くとはなしに聴いてきたディーリアスの音楽は、酒飲みの悪い大人となった今、本当に心に染みととおる・・・・・。
英国音楽愛好の道を開いてくれたのもディーリアス。
これからもずっと聴いてゆきたい。
もし、私の命が尽きることがあったら、ディーリアスの音楽をずっと流して欲しい・・・・。

河の上の夏の夜」、この詩的な名前の曲は1911年の作曲。
フランスのグレ・シュールロワンで、川遊びを好んだディーリアスは、そのイメージそのままの小品を書いた。
緩やかに流れる河に舟を浮かべ、水の流れる音や蛙の声に耳を澄ませる。
遠くは、ぼんやりと霞んで見える。
あくせくした時間は、ここでは止まってしまったかのよう・・・・。

ノーマン・デル・マーは、すでに物故してしまった英国の名指揮者だが、CDは廃盤が多く、その存在は忘れられてしまったようだ。
エルガーやRVWとともに、このディーリアス演奏は、貴重な音源だ。
チャイコの5番など、かなり熱演型の指揮者と聞くが、このディーリアスはかつてのビーチャムをも思わせるような作曲家への愛情に満ちた桂演である。
ボーンマス響のあっさりした響きも美しい。

デル・マーの息子は、ベートーヴェンの交響曲のベーレンライター版の校訂者でもあって音楽親子。

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2008年7月11日 (金)

マーラー 歌曲集「子供の不思議な角笛」 バーンスタイン指揮

Koya_nagoya1 坦々麺でござる。
スープベースに、決め手は芝麻醤と辣油。
普通もっとオレンジ色で、辣油の色と辛味が強いが、こちらはマイルドかつクリーミー。
ピーナッツもそうとうに効かせていた。
適度な濃厚さが堪らん。
麺が見えず、ラーメンぽくないね。
名古屋駅太閤通り口側の「甲家」。

Mahler_knaben_wunderhorn_bernstein マーラーの歌曲集「子供の不思議な角笛
アルニムとブレンターノの二人のロマン派詩人が収集した600曲あまりのドイツ民謡詩集から、マーラーは1988~9年にかけて14曲の歌曲を作曲した。
マーラーはこの民謡集がよほど好きだったと見えて、ほかの歌曲集にも数曲取り入れている。

この歌曲集から、数曲が転用されたため、交響曲の第2~4番は、「角笛交響曲」と呼ばれるのはご存知の通り。
この歌曲集を聴いて驚くのは、雄弁なオーケストラ部分で、歌の伴奏以上の存在感を示していること。
それから、全体にシニカルで皮相的な雰囲気に溢れていて、以外に深い内容を湛えていること。
交響曲の世界で示した、マーラーの相反する複雑な要素がその詩とともに音楽にしっかりと刻まれている。
最初から、歌曲集として関連付けて作曲されたものではないので、曲数や曲順も演奏によってマチマチではあるが、このバーンスタイン盤は、前半に軽めの曲、後半に濃厚かつ深みのある曲を選んでいるようだ。
  
       ソプラノ:ルチア・ポップ   バリトン:アンドレアス・シュミット
   
   レナード・バーンスタイン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ
                           (87年録音)

ルードヴィヒとベリーの夫妻と、オケおよびピアノで録音していたバーンスタインが晩年に交響曲全集の余波をかってDGにライブ録音したもの。
雰囲気のあるコンセルトヘボウのオケを、バーンスタンはあまり粘らずに慈しみをもって指揮していて、こんなバーンスタインもあり!?と思わせる。
 そして何よりも素晴らしいのが、これも亡きルチア・ポップの名唱
暖かく、チャーミングで豊かな声は、馥郁たる香りをマーラーの音楽から立ち昇らせてくれる。まさにマーラーが、これらの詩集に嗅いだ中世ドイツのロマンの世界をものの見事に歌い出しているのではないだろうか。
どれも彼女が担当した曲はいいが、とりわけ「トランペットが美しく響くところ」と「原光」には泣かされる。あまりにも深い。
 相方のシュミットは、神妙にそして巧みに歌ってはいるが、やや堅苦しい。
声の若々しさは申し分ないが。

ポップは、ヴァイクル(!)とともにテンシュテットの指揮でも録音しているが、未聴。
FDとシュヴァツルコップ&セルの名盤も未聴(濃そう)。
オッター、クヴァストフ&アバドを日頃バーンスタイン盤とともに聴いている。

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2008年7月10日 (木)

マーラー 交響曲第3番 ハイティンク指揮

Kyoto_daiichiasahi 今日のラーメンは、まさに京のラーメン。
京都もラーメンは激戦地で、私には胃袋がひとつしかないものだから(牛じゃない、あたりまえ)夜もあるし、そんなに食べてない。
唯一、こちらの「第一旭」と「新福菜館」ぐらい。
見た目の濃さとはうらはらに、鶏豚のスープベースは、あっさりとしたもの。大量の九条葱(たぶん)がうれしゅうおす。

Mahler3_haitink マーラー交響曲第3番は、1896年の完成。
「復活」後すぐにとりかかり、1年で仕上げたハイペース。歌曲集「子供の不思議な角笛」も同時進行していた。
有能な指揮者としても多忙な日々だっただけに、その創作力たるやすごいものがある。
全6楽章、100分あまりの長大さは、交響曲の長さのギネスかもしれない。(未知作品でブライアンとかあるかも)
 70年頃の音楽の聞き始め、名曲を聴くばかりで、名曲解説全集で、マーラーの項目を見て、いったいこの男は何者だと思った。
マーラーなんてほとんど聴かれない頃だった。
交響曲は、4楽章で出来ているものだとばっかり思っていたから、まったく未知のマーラーの第3交響曲が6つもの楽章で出来ているのを見て呆れてしまった。
こいつはバカではないかと・・・・・。

そんな私がバカだったわけだが、「私の時代がきっと来る」としたマーラーの虜にしっかりなってしまった時期が私にも後にやってきたわけだ。
第3交響曲の初聴きは、断片ながらローゼンストックとN響とホーレンシュタインとロンドン響のそれぞれFM放送。さっぱりわからなかった。
この作品の真価をしっかり味わうことになるのは、ベルティーニとウィーン響のエアチェックテープと、初レコードのアバド&ウィーンフィルの名盤。
少ないライブ経験では、ベルティーニとN響、小沢とボストン響。

この曲で好きなのは、牧歌的で長大な1楽章と、終楽章の「愛が私に語ること」。
とりわけ後者は、マーラーの中でも最も好きな音楽で、ゆったりとしたテンポで歌うように演奏されたものでなければだめだ。時間で言うと23~4分くらい。
その理想は、アバドのウィーン盤なのである。

Bhaitink3_2  そんな思いをさらに一挙に満たす演奏があらわれた。
ハイティンク指揮のシカゴ交響楽団の2006年ライブ。
この巨大な演奏を何と評したらよいのだろうか。
演奏時間で音楽の良し悪しは測れないが、手元のコンセルトヘボウのスタジオ録音とクリスマスマチネ・ライブは全曲で約94分。終楽章が22~3分。
ベルリン盤は未聴ながら、このシカゴ盤は全曲101分、終楽章24分39秒。
歳とともに、ますます重厚長大な作品に巨視的な眼差しで、充実した名演を繰り広げるようになったハイティンク。
コンセルトヘボウという名器とともに歩み、今はそのヘボウではなくとも、薫り高い名演を繰り広げることができる。
思うに、コンサート指揮者から、グライドボーンやコヴェントガーデンでのオペラ指揮者としての経験を経たことが、ハイティンクの音楽に劇場的な広がりと豊かな潤いを与えることとなったのでは。

シカゴ響の蟻の這い出る隙間もない鉄壁のアンサンブルと、とりわけ金管奏者たちのべらぼうな巧さ!バシバシ決まるティンパニに、分厚くかつしなやかな弦。
ぎっしりと詰まった充実した音の塊に終始圧倒されっぱなし。
でもショルティ時代の「剛」のイメージばかりでなく、ハイティンクの指揮からは柔和で暖かな響きも随所に聴き取ることができる。
アバドやジュリーニが指揮したシカゴのマーラーとも異なる、ヨーロッパ的なアルプスの峰々を感じさせる壮大なマーラー。
メゾの、ザ・ブランゲーネともいうべきミシェル・デ・ヤングが若々しい。
いやはや、誉めすぎて言葉もないくらいだが、終楽章のあまりにも感動的なフィナーレには全身に戦慄が走り、同時に涙が溢れて止まらない・・・・。素晴らしすぎる!

ムーティの音楽監督受諾で、ドレスデンと同じように中継ぎ的なポジションで終わってしまうのが残念だが、ポストはともかく、シカゴのマーラーとブルックナーはハイティンクがすべて受け持って欲しいものだ。
既発の6番とブル7も聴きたいし、近く好きなショスタコ4番も出る。きっとスゴイぜ。
それと、シカゴの来シーズンのハイティンクの演目は、「復活」「ブル8」「英雄の生涯」「ショスタコ15」。大曲に混じって「ルトスワフスキ3」「ブリテン・イルミナシオン」「ウェーベルン・夏風の中で」「ジークフリート牧歌」などの素適な曲が予定されている。
ぜーんぶCD化して欲しい。
ムーティの「ヴェルレク」、シャイーやサロネンのマーラーまであっちゃうから、シカゴ響はとんでもなく充実しているってもんだ。

興奮してしまったけど、今回のCD、多くの方に聴いて感動していただきたい。
ちょいと高くて躊躇したけれど・・・。

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2008年7月 9日 (水)

マーラー 交響曲第2番「復活」 アバド指揮

Imanoya

今日のラーメンは、福島県の白河ラーメン
白河市は、東北の玄関口で、城下町として栄え、今でも蔵がいくつもあって風情ある街。
手打ちの縮れ麺に、自家製焦がしチャーシュー、スープはあっさりした醤油が主体。
さっぱり、あっさり、かつ醤油のこくもある味わい深いラーメン。
いまの家」のチャーシュー・ワンタン麺。見た目にも美しい。

Mahler2_abbado_lucerne マーラー交響曲第2番「復活」
1番の完成後、すぐに書きはじめ1894年に完成。
敬愛したビューローの死とも因縁づけられるが、死の気分とクロプシュトックの讃歌「復活」、そして自作の「子供の不思議な角笛」、これらが渾然となって、長大な交響曲を生むこととなった。

どんな演奏でも、最後の壮大なクライマックスには感動の坩堝となってしまう。
例によって、この曲の初聴きは・・・、思い出せない。たぶん、フジテレビの援助カットによる日本フィルの解散白鳥の歌となった、小沢の演奏のテレビ放送か、同時期の朝比奈&大フィルのFMかどちらか?
レコードでは、アバドとシカゴによる新しいマーラー演奏の画期的な1枚が初買い。
演奏会では、ベルティーニと都響のものしか経験なし。
私のマーラー狂いは、80~90年代までで、ライブはワーグナーのオペラに注力していたため、今に至るまで意外なくらいにマーラー生体験が少ないのある。

アバドと「復活」は、切っても切れない関係にあり、65年のセンセーショナルなザルツブルクデビューに始まり、マーラー第1弾のシカゴとの録音、ウィーン国立歌劇場音楽監督時代、ベルリンフィル時代、そしてルツェルン音楽祭での新たなスタート時に、それぞれ取り上げている勝負曲なのだ。

いずれも歌と情熱、知性と感性、それぞれのバランス豊かなしなやかな演奏で、「復活」といえば、アバドの音源として残されている、シカゴ盤・ウィーン盤・ルツェルン盤、それぞれを聴くことが多い。

本日は、2003年のルツェルン音楽祭を飾った演奏の映像を楽しんだ。

病の淵から文字通り復活したアバドが、マーラー・チェンバーオケの若手を主体に、かつて育てたユースオケなどの卒業生や、アバドを慕う各オーケストラの名手達で結成された「ルツェルン祝祭管弦楽団」を指揮した第1弾。
2000年の来日での激痩せぶりからすると、肉付きもよくなり、相変わらず若々しい指揮ぶりが伺える。
そうした相も変わらないアバドの的確な指揮ぶりを眺めつつも、オーケストラメンバーの豪勢な顔ぶれにも目を奪われる。
ブラッヒャーのコンマス、カプソン、ハーゲン、B・クリスト、G・ファウスト、グートマン、ボッシュ、パユ、A・マイヤー、ザビーネ・マイヤー、ドール、フリードリヒ・・・・、枚挙にいとまがない。このメンバー、少しづつ変わりつつあるようだが、室内楽も得意にする名手たちのオーケストラ演奏は、まさに互いを聴きあい、音のブレンドを大事にする姿勢が貫かれている。

   S:エイェリ・クヴァザヴァ    A:アンナ:ラーション
   合唱:オルフェオン・ドノスティアルラ合唱団

Abbado_mahler 演奏は、テンポよく。明るく若々しい!
音の粒立ちの明確さと、その立ち上がりの見事さ。自主性に満ちた完璧なアンサンブル。
楽員は、アバドの弧を描くような指揮に応じて、リアクションも大きく体も大きく揺れる。
時に指揮者ともどもにこやかに、楽しそう。
音楽する喜びが、マーラーの復活という、普通演奏するだけでも大変な曲で、普通ににじみ出ているところが、このコンビのスゴイところ。
終楽章のクライマックスでは、インテンポで意外なくらいに爽快なエンディングを築きあげている。バーンスタインやシノーポリのような、胸かきむしるような壮絶さはなく、復活の讃歌は明るく前向きだった。

アバド&ルツェルンのマーラーは、このあと第5、第6、第7、第3と続き、今年はひとまずお休み。テンポも早まり、密度は逆に濃くなって、アバドの前向きなマーラーは進化するばかり。歳とともに若くなり、推進力の増す稀有の音楽家。

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2008年7月 8日 (火)

マーラー 交響曲第1番「巨人」 ヤンソンス指揮

Sai ラーメンを貼ります。
別館にて過去紹介済ですが。
夜半にこんな画像をご覧にいれて恐縮であります。
今回の企画は、「マーラー&ラーメン」なのであります。
みんな大好き「マーラーメン」!
ちょいと強引な企画だけど、マーラーに食傷ぎみの私も、ラーメンとセットにして全曲を踏破しようじゃないか!

こちらのラーメンは、札幌の「菜」という店の「ぶた味噌ラーメン」。
チャーシューの角切りもごろごろ入った肉好きには堪らない一品。マイルドな味噌のスープは、心から和む味だった。

Mahler1_jansons マーラー(1860~1911)の交響曲第1番は1889年の作。指揮者として、ライプチヒからブタペストへ移動するさなか、84年からじっくりと書き進めたこの作品は、当初、交響詩として発表されたらしい。
シュトラウスはオペラをまだ作曲しておらず、交響詩も数曲のみ。チャイコフスキーの第5が88年、ドヴォルザークの第8が89年、ブラームスは、85年に第4交響曲を書き終えていた。

これだけ普遍的な曲になると、演奏する側も聴く側もルーティンになりがち。
この曲をはじめて聴いたのは、もう何年前だろうか。高校生だったか、たぶんバーンスタインの演奏のFM放送かと思う。
それと、75年頃、ドホナーニがベルリンフィルを振ったライブをエアチェックして何度も聴いた。1楽章に一回と終楽章に二度訪れるクライマックスを身を痺れるような思いで聴いたものだ。
実演では、ドラティ/読響、ベルティーニ/都響、アバド/ロンドン響、小沢/新日、ずっと最近になってヤンソンス/コンセルトヘボウなどを聴いた。
これらの中では、日比谷公会堂を揺るがせるような音を引き出したドラティと、乗りに乗ったアバドのスタイリッシュな演奏が印象に強く残っている。

ヤンソンスは、オスロ・フィルとも録音しているが、第9とカップリングしたそのCDを棚に置いたまま聴かないうちに、コンセルトヘボウとの新盤が出てしまった。
2006年のライブで、ちょうど日本にこのコンビでやってくる直前の録音。
日本での演奏は、前半の内田光子のモーツァルトの25番とアンコールのシューベルトがあまりにも霊感に満ちた名演で、後半のマーラーは分が悪かった。
当時のレヴューを読み返して、マーラーの感動も書かれているので、良い演奏だったのだろう。でも心に残ったのは前半の内田のピアノだったから、ちょいと寂しい。

そんな思いを抱きつつ聴いたこのCD。
まず、録音が実によい。ホールの自然な響きを難なくとらえているし、音の溶け合いがとてもよろしい。ヤンソンスの唸り声も異様なくらいによく聴こえるし・・・。
 そして演奏は、洗練され磨きぬかれた綺麗な演奏といえる。
ホルン、木管、自慢の弦、どれをとっても美しくホールの響きと渾然一体となった名器は、指揮していてとても気持ちがいいだろうな。
そして、いつものヤンソンスらしく音楽はイキイキとしていて、リズムの弾み具合も抜群。
3楽章の民謡調の哀感に満ちた旋律と行進曲の対比などは、そうしたヤンソンスの個性が実によく出ているし、終楽章の着実な盛上りとエンディングなどは、聴かせ上手のヤンソンスならでは。最後の盛上りは実際に、ホンマにすごい!
 だが、そろそろマリス君には、もっとさらなる深みある次元へと到達して欲しいものだ。
うまく聴かせるという以上に、何かもっと突き抜ける何かが欲しいような気がする。

こんなことを思いながらも、そのライブに接すると、ものの見事に乗せられてしまうんだな、マリス・ヤンソンスにね。
一年おきに、手兵を替えて、この秋もやってくるヤンソンス。
今年は、演目があまり触手が伸びない。
ドヴォ8、イタリア、ラヴァルス、展覧会、ブラ3・・・・・・。
何だろね?このプログラムは??アンコール大会が目に見えるようだ。
プロモーターの考えなのかしらんが、本拠地では、トゥーランガリラとかワーグナーとか、面白そうな演目をやっているのに。そんな本格演目でも充分会場は埋まりますよ!

明日は「復活」だっ!

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2008年7月 7日 (月)

ホルスト 組曲「惑星」 ショルティ指揮

4 今日は、七夕。
関東は残念ながら曇り空。
先週末に、実家へ帰り、子供たちと平塚の七夕祭へ出掛けた。

久しぶりの七夕祭。
ものスゴイ人ごみと蒸し暑さで目が回りそうだった。
それでも、露天で味わうビールは格別。

1_3 2_2  子供の頃は、毎年通った平塚の七夕。
今のような華やかさはなかったけれど、綿菓子やヨーヨーが楽しみだった。
でも、戦地帰りの兵隊さんとかが路傍に座っていたりして、子供心に怖かった・・・・。
平塚は軍需工場が多かったため、空襲で焼け野原となった。
その復興祈願もあって七夕が始まった。
今は平和な祭にもそんな歴史がある。
 でも、最近の事件のこともあり、警備は厳重・・・
3_2 5 今年の旬のお題は、「オリンピック」に「篤姫」。
毎年、特賞を受賞するカバン屋さんは、「ぶんぶく茶釜」だった。

マイフォト見てちょーだい。

Planets_solti 七夕ということで、星にちなんだ音楽。
といえば、ギュスターフ・ホルスト(1874~1934)の組曲「惑星」。
今日、この曲をお聴きの方もたくさんいらっしゃるのでは?

中学生の頃、メータのゴージャスな演奏のレコードで、はじめて聴いた。
その時は、スペキュトラー音楽として受け止め、「火星」や「木星」ばかりを好んだもの。
長じて、英国音楽として、この曲をとらえるようになり、アメリカのオケではなく、英国のオケで聴くようになった。
「金星」や「土星」、「海王星」が心に響くようにもなった。
そして、ホルストは「惑星」だけじゃない! 洒落た管弦楽小品や合唱曲(特に涼やかなパートソング)などに素適な作品がたくさんあるから、こんご取り上げてゆきたい。

サー・ゲオルク・ショルティは、アナログ最後期の1978年に「惑星」を録音した。
当時、シカゴ響を使わずに、もう一方の手兵、ロンドン・フィルハーモニーを起用したことも話題となった。
日本盤は、横尾忠則のデザイン画がジャケットとなり、その近未来的かつシュールな趣きのジャケットはインテリアとしても使えそうな感じだった。
私はついに買いそびれ、あんまりおもしろくないCDジャケットでガマンしたが、ここにはレコ芸の広告の画像を使わせていただいた。
懐かしいでしょ!

まずは、ロンドンのキングスウェイホールの重厚かつ響きの良い音響をとらえた録音の素晴らしさに驚き。
フォルテやアレグロの曲では、いかにもショルティらしい、威勢のいい一筆書きのような演奏となっている一方、金・土・海王のしっとり系では、円熟の兆しにあったショルティがじっくりと腰を据えて音楽と向かい合ったような味わい。
ブリリアントな弦の響きを持つロンドンのオケを起用した訳がよくわかる。
実際に土星は、重ね行く年輪とともに、秋の気配がただよう桂演に思う。

火星や木星、天王星などの賑やかな部分では、ロンドンフィルの金管もいいが、シカゴだったらさぞや・・・と思わせる。
まぁ、私の好みの惑星ではなくなってしまったであろうが、シカゴとも録音があってもよかったかもしれない。
 このコンビ、エルガーも録音しているが、この惑星の元気な部分もそうだが、テンポが私には、ちょっと速すぎか・・・。

ホルスト過去記事

 「メータとロスフィルの惑星」
 「ロッホランと日本フィルの惑星」
 「ハンドレーとロイヤルフィルの惑星」
 「プレヴィンとロンドン響の惑星」
 

 「雲の使者」 ヒコックス指揮

 

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2008年7月 4日 (金)

シェーンベルク 交響詩「ペレアスとメリザンド」 ベーム指揮

Kiss いつかは貼ると思っていたけれど、ついにキタ。グスタフ・クリムト(1862~1918)である。

1980年代、マーラーと新ウィーン楽派に夢中だった私。新婚旅行で行ったウィーンで、クリムトを見た。その絵の絢爛ぶりと、でかさにまず驚き!
アバドのベートーヴェン・シリーズのジャケットの原作見たさに、分離派協会にも行った。
よく、カミサンがついてきてくれたもんだ。
今なら、かってに行けば・・・・状態である。

文学=音楽=絵画
世紀末ほど、これらのジャンルが有機的に絡みあった時期はないのではなかろうか。

「ペレアス」=ドビュッシー・シェーンベルク=クリムト、こんな図式が私の中では、一番すんなり来る。

Shoenberg_pelleas_bohemアーノルト・シェーンベルク(1874~1951)の交響詩「ペレアスとメリザンド」は、作品番号5。
1903年に完成されたから、メーテルリンクの劇作からわずか5年。
1889年から1905年の間に、フォーレ、ドビュッシー、シェーンベルク、シベリウスの4人により同名の曲の作曲がなされたことになる。
それほどに、この劇作は世紀末をはさんで活躍した作曲家の心を掴んだのだろう。
シベリウスは別として、トリスタンの世界に魅せられていた3人が、メーテルリンクの救いのない悲しい恋愛の物語に同質のものを見出したのであろうか。

無調や12音に行き着く前の、後期ロマン派どっぷりのシェーンベルクの作風。
「浄夜」や「グレの歌」の頃。
巨大な編成によるオーケストレーションは、対位法の極地ともいえるくらいに複雑。
でもそこに展開され、浮かびあがっては消えてゆく、さまざまな旋律を一本一本紐解くようにじっくり聴くと、怪しいまでに美しいシェーンベルクの音楽が見えてくる。
時に、破壊的であり、陶酔的でもあり、悲劇的でもある。それらが同時進行するようなイメージは、耳に馴染めば堪らない快感となる。

わたし的には、「ペレアス」は、ドビュッシーとシェーンベルク、どちらも甲乙つけ難く好きだ。
劇の展開にどこまで即しているかは不明なれど、R・シュトラウスほどにリアルな描写はないから、その音に身を任せて聴くだけでよいのではないかと思っている。
愛の情景は、それこそ、このクリムトチックなものだし、暴力的なゴローの旋律も聴いてとれる。メリザンドの死は、さながらマーラーのように死に行くように終わる。
他の3人の作曲家のようなレクイエム的な雰囲気はなく、ただ死による終わりを感じさせるのみの音楽・・・・・・。

このCDは、ウィーンフィル150周年を記念して出たものの1枚で、外盤のみでなかったか。今では手に入らないものと思う。91年頃、秋葉原の石丸電気で出てすぐに購入。
ベームのシェーンベルクは、これが唯一であろうし、しかもオケがウィーンフィルだもの。
シュトラウスが、この作品を聴いて関心して惜しみない援助を送ったというが、ベームの指揮は、ベームがシュトラウスを指揮するかのように、厳しく、集中力に満ちた演奏だ。
そこに、ウィーンフィルのまろやかな響きがいい色合いとなって添えられる。
1969年、これまた金ピカのムジークフェラインでのライブ録音は、ステレオでかなり生々しい音がする。当時のホルンとオーボエに聴かれる、いかにもウィーンの味わいが深い。
ベームの足をばたばた鳴らす音もリアルに収録されております。

この曲、カラヤンは未聴。バルビローリとエッシェンバッハのねっとり情念的演奏も大好き。ベームは、41分くらいなのに、エッシェンバッハは48分もかけて演奏している。
オケ(シカゴ)がすごいブーレーズや、美しく完璧なアバド(ベルリン)のFMライブ、シノーポリなども愛聴してます。
バレンボイム(パリ管)やメータ(イスラエル)を是非聴いてみたい。

これにて、「ペレアスとメリザンド」4本勝負終了。

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2008年7月 3日 (木)

シベリウス 組曲「ペレアスとメリザンド」 ヤルヴィ指揮

1 夕日の沈む海。
波辺で遊ぶ子供たち。

この画像も数年前の夏のもの。
日本海は、日が沈む絶景が多い。
秋田の浜辺、それはそれは壮大で美しい夕日だった。
夕焼けフリークの私としても、数本の指に入るくらいのものかもしれない。
何回か、書いておりますが、夕暮れの光景には、音楽が頭の中で鳴る。
ディーリアス、バックスに、ワルキューレに、そして北欧系・・・・。

Pelleas_jarviペレアスとメリザンド」にちなんだ音楽、その3は、北欧の巨頭シベリウスの組曲でござる。

1898年のフォーレの音楽を付して初演されたメーテルリンクの劇作。
1905年、ヘルシンキのスゥエーデン劇場での上演にあわせて、今度はシベリウスが劇付随音楽を作曲することとなった。
作品番号は46。
交響曲で見ると、第2番と第3番の間の時期で、実際に3番は執筆中。
 このことで、おわかりのとおり、民族主義的な雰囲気から、牧歌的・自然描写的な作風の移行期にあって、4番以降の内省的な弧高の世界までの道程の一過程とも聴こえる。

   ①城門にて          ②メリザンド
   ③海辺にて          ④庭園の噴水
   ⑤3人の盲目の姉妹     ⑥パストラール
   ⑦糸を紡ぐメリザンド     ⑧間奏曲
   ⑨メリザンドの死

全体で約30分。先ほど述べたような曲調の音楽で、描写的ではないけれど、とても聴きやすい作品。
1曲目から、弦の深い響きで始まり、そこはフランスの森ではなく、フィンランドの鬱蒼とした森林と深い水を湛えた湖を感じさせる。
どこからどこまでもシベリウス!
2曲目は、イングリッシュホルンがメリザンドを表わすのだろうか、もの悲しい。
海を見つめ、遠くをゆく船に思いを馳せたメリザンド。重く陰鬱な3曲目。
庭園の泉に、疑惑を生むこととなった指輪を落してしまうメリザンド。
またまた悲しいオーボエによる姉妹の歌。(ドビュッシーのオペラにはこのシーンはなかった)田園曲が続くが、7曲目の糸を紡ぐメリザンドの音楽はどこか不安に満ちている。
そこには、3番の交響曲との類似性も伺える。
妙に明るい間奏曲は、二人の最後の逢瀬場面らしい。
そして、最後の悲しみに満ちた、メリザンドの死の音楽は、なかなかに深い!
ドビュッシー、フォーレ、シベリウスともども、メリザンドの死を優しく悼む鎮魂曲なのだ。

本格デビューしたての頃の、親父ヤルヴィとエーテボリ響の演奏は、どこか鄙びていて、シベリウスの描いた北欧版「ペレアス」の世界を難なく表現している。
録音魔のヤルヴィだけれど、この頃のシベリウスが一番いい。
FM録音した、ホルスト・シュタインとN響の演奏も意外なほどによかった。

明日は、どんな「ペレアスとメリザンド」が待っているのかな・・・

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2008年7月 2日 (水)

フォーレ 組曲「ペレアスとメリザンド」 マリナー指揮

2 このタイトルを見たとたん、私がブログの方向をどちらへもって行こうか、おわかりになったことと思います。

それは、次にお話しするにして、こちらの画像は、数年前の夏に家族旅行で訪れた、秋田県の田沢湖のほとりに立つ、「たつこ姫」像。
私の住む千葉から、自家用車で盛岡経由、田沢湖、そして日本海を南下し、山形まで回った。
運転は嫌いじゃないものだから、ともかく走る。
どこまでも走る。へたすりゃ、北海道や九州まで行っちまう。

たつこ姫伝説は、美貌の娘が永遠の美しさを得ようとして、竜に変身してしまったという伝説。
湖は、コバルトブルーに輝き、深さによっては、エメラルドカラーにも見える。
とても神秘的な湖だった。
往生したのは、湖畔に車を止めていたら、蜂の群れが車を覆い尽くしてしまった!
私の車は、シルバーなんだけど、どうもそれに寄ってくるらしい。
そこのに乗り込むのは、まさにパニック状態。私は、田舎育ちだから平気だけれど、子供たちは恐怖のどん底。こんなことも、たまにはいいことじゃよ。

Faure_pelleas_marriner_2 さて、音楽のはなし。
先週、ドビュッシーの幽玄なオペラを観たが、その原作、ベルギー生まれのメーテルリンクの「ペレアスとメリザンド」に触発された音楽は、いくつか残されている。
文学と音楽。切っても切り離せない分野で、数々の文学の名作に、歴代の作曲家たちが音楽をつけている。

その代表作は、シェイクスピアの「ロメオとジュリエット」と、ゲーテの「ファウスト」、そしてこの「ペレアス」ではなかろうか。
他にあったかしら?ありましたら、ご教授ください。
表題音楽が好きなワタクシに、そんなブログ企画もいいもんだ。

原作の劇作が初演されたのは、1898年。
その上演用の劇付随音楽として、前奏やいくつかの間奏を書いたのが、フォーレ(1845~1924)なのだ。
だから、メーテルリンクの原作に一番近いオリジナル音楽は、フォーレのこの作品なわけ。
この儚くも悲しい劇を観たドビュッシーがオペラを作曲したのが、その4年後の1902年。
当時、この劇がいかに芸術家たちの心を奪ったかが想像される。

フォーレは、オリジナルの音楽のなかから4曲をまとめあげ、組曲を作りあげた。
  ①前奏曲
  ②糸を紡ぐ女
  ③シシリエンヌ
  ④メリザンドの死
いずれも、フォーレらしい優しく、抒情に満ちた桂曲。
あまりにソフトフォーカスな音楽ではあるけれど、その雰囲気のよさは癒し系の音楽として、心にじわじわと染み入ってくる。
糸車の廻るような2曲目。あまりにも有名なシシリエンヌは一度聴いただけで忘れ得ぬ情感を湛えた音楽。そして、楚々と悲しみを歌い上げる終曲。

こうしたデリケートな音楽は、マリナーとアカデミーのさっぱりとした、エヴァーグリーン的な演奏こそ相応しい。
情にまさりすぎると、ツライ音楽だけに、このコンビにはうってつけの音楽に思う。
さて、次なる「ペレアス」は・・・・。

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2008年7月 1日 (火)

ドビュッシー 「ペレアスとメリザンド」 新国立劇場

Pelleasここで驚きのニュース。
新国立劇場の次期芸術監督予定者が早くも発表された。

  オペラ部門: 尾高 忠明 
  舞踊部門: デヴィッド・ビントレー 
  演劇部門: 宮田 慶子 

2010年から3シーズンの任期が予定され、今秋のシーズンからは、芸術参与として参画する由。新国のHPによる。
ずいぶんと手回しがいい、まだ現体制は始まって1年。
あと2年の都合3年では、それぞれ監督としてのカラーが出だしたところでおしまいというわけか・・・・。
なんだか腑に落ちない。
オペラ部門以外は、手が回らない分野だが、尾高さんのポストは極めて納得。ワーグナーやブリテンが大いに楽しみとなった。でも、せっかくの若杉さんだったのに、早すぎないかい・・・・。
それとも、体が万全ではないのかしら?
というのも、「ペレアスとメリザンド」のカーテンコールで、なかなか登場しなかったし、ようやく出ても舞台袖で、オケを称えるだけで、足がなんとなく辛そうにされていた。
各所で拝見しているお姿だけれど、正直、あれっ?という雰囲気であった。

Ki_20001208_11 土曜日に、新国立劇場と東京フィルの共催によるドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」を観劇。オーケストラはピットにしっかり入って、舞台上は簡潔で象徴的な装置。
歌手は舞台衣装は付けずに、通常のコンサート衣装。

小道具もなしに、演技は身振り手振りのあっさりしたもの。
プログラムに演出家の記載はなく、舞台構成として若杉さんの名前が。
これでわかる通り、芸術監督としての若杉さんのペレアスを上演したいとの強い思いが実現したものと思う。氏は常々、オペラの重要作品の名前いくつかあげているし、近現代作品への愛着も持ち続けている。
「軍人たち」や日本のオペラ、来シーズンのショスタコーヴィチ、再来シーズンのヴォッェクなどを自ら手掛けることで明らか。
今後、新国未演のトリスタンとパルシファル、日本未初演のシュトラウス作品などを予想しているわたくし。
Ki_20001208_8 前置きはともかく、中劇場という程よい空間で、最小限の動きに留められた舞台により、演奏者側と我々聴衆の音楽に対する集中力が高められたのではなかろうか。
ドビュッシーの精妙かつ精緻な音楽が、聴く側にひしひし伝わってくる。
泉、森や木、海、窓、メリザンドの長い髪(メリザンドの浜田さんはショートカット)、ナイフなどの、このオペラの重要なモティーフはすっかり取り除かれ、すべては聴衆の想像力に任されることとなる。
字幕とオーケストラとで、ライトモティーフをいかに巧妙に、網の目のように張り巡らしているかがよくわかり、ドビュッシーの音楽の緻密さも、いまさらながらによくわかった。
後年作曲される、「海」のフレーズが、海を遠く望むという場面でさりげなく現れたりすることも、私にとって大きな発見だった。こんな風に聴きこめば、きっと、もっともっといろんなものが隠されていることだろう。
そして、4幕の二重唱には、トリスタンの世界を見てしまった。
 舞台で、欲を言えば、照明が白色の暖色系で少し明るすぎで、もう少しほの暗く、かつグリーンなども配した方がよかったのでは。それと、樹の1~2本くらいは・・・・。

     ペレアス :近藤政伸       メリザンド:浜田理恵
     ゴロー  :星野 淳        アルケル:大塚博章
     ジュヌヴィエーヴ:寺谷千枝子  イニョルド:國光ともこ
     医師   :有川文雄

      若杉 弘 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
                 新国立劇場合唱団
                    (6月28日 @新国立中劇場)

Ki_20001208_3 日本人にとって、もっとも難しいであろうフランス語によるドビュッシーのオペラ。
フランス語は、まったく門外漢だが、精緻な音楽と切っても切れない、独特の語感とその美しさを、今回出演の方々は、たいへん見事に表現していた。
手元の純正フランス産のボド盤を聴き直してみたが、やはり本場の仏語は違う・・・・。
でも、出演者の皆さんの努力たるや、並みのものではなかったであろう!
中では、本場で活躍する浜田さんの、リリカルで繊細な歌声が素晴らしかった。静かで穏やかな表情もメリザンドに相応しい。
星野さん若々しいゴローは、力強く、嫉妬にかられ徐々に押し付けがましい男に変貌してゆくさまが、実に見事。
近藤さんのペレアスも声が若々しく、とてもよかった。
老人役の大塚さんが、見た目一番若々しいのが何だが、オペラの最後を決める重要な役を立派な声で締めていた。

Ki_20001208_1 カーテンコールで驚いてしまったけれど、そんな姿とは思いもよらない若杉さんの指揮は、あまりにも素晴らしかった。
つねに移ろいゆき、色を徐々に変えつつあるような趣きあふれるドビュッシーの香しい音楽が、オーケストラピットから立ち昇ってくるのを感じた。
東京フィルが、東フィルとは思えないくらいに完璧だったことも特筆。

フォルテが数回しかない物静かなオペラ。歌もアリアなどというものはなく、なだらかな朗唱のみ。登場人物の背景は謎だらけで、ドラマの筋は悲しく空しい。
誰も幸せにならない・・・・・。
こんな物悲しくも、儚い夢のようなオペラを舞台で経験できたことは大きい。
1902年、前日のシュトラウスの「アリアドネ」に先立つこと10年。マーラー、プッチーニもまだまだ活躍中、シェーンベルクは同名の交響詩を作曲中。
こんな年に完成したドビュッシーの本作の立位置とその革新ぶりがよくわかる。

死に行くメリザンドを、優しくいたわる「レクイエム」のような終幕。
これまで、黙り続けた老アルケルが、「人の魂というものは、静かなものだ。ただ一人で去ってゆくのを好むものなのだ」と極めて深い内容を歌う。
生まれたばかりの子を抱き、「こんどは、この子があれの代わりに生きる番なのだ・・」と。
トランペットの最弱音を伴ないつつ、音楽が静かに、本当に静かに音を弱めていって消えていった。

 過去記事

 アバド指揮によるCD

 

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