ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 パリ国立オペラ公演
パリ国立オペラ座公演、ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」を観劇。
初来日の同オペラ、パリの象徴のようなオペラ座、いわゆるガルニエ宮はバレエ、オペラの拠点はバステューユに、ということで思いこんでいた。
今回の来日では、パリオペラ座という名称で通していて、どういうことかと思っていたら、総監督のモルティエになってから、ガルニエ宮でのオペラ上演も増えているという。要は二つの劇場を持つオベラ団ということ。
チョン・ミュン・フンでお馴染みとなった、パリ・バステューユ管弦楽団という名称はもう使わなくなったということなのだろう。 こんなことを書くのも、バステューユ管はミュン・フンの指揮のもとあまりにも鮮やかなオケだったのに比べ、オペラ座管弦楽団という名称だと、昔から味はあるけど、少し荒っぽくてムラがあるというイメージがあるから。
ところが、今日聴いたこのオーケストラがまったく素晴らしいものだった。
高いチケット代だけに、半分映画のような今回のトリスタンよりは、デュカスやバルトーク&ヤナーチェクを観るべきとの意見も戴いたけれど、そこはワーグナーの前には平伏す私、迷わずトリスタンを選択。
何と言っても、純正フランス産の「フレンチ・ワーグナー」が聴きたかった。
柔らかな響きに、ラテン的ともいえる透明感と繊細な音色。
とても美しいトリスタンが、オーケストラピットから立ち昇った。
ビシュコフの指揮が、肌ざわりのいい粘らない、それでいてニュアンスが極めて豊かな音を引き出していることも素晴らしかった。
それと木管や特にホルンに日頃聞きなれないフレーズが強調されたりと、とてもユニークかつ新鮮。
ウィーンやドレスデンで、ワーグナーやシュトラウスを指揮して評価が高いビシュコフだけはあった。オペラ指揮者としてのビシュコフに大注目!
ところで、オケのチューニングがオクターブで2音鳴らすのが面白かった。
トリスタン:クリフトン・フォービス イゾルデ:ヴィオレタ・ウルマーナ
マルケ王:フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒ
クルヴェナール:ボアーツ・ダニエル ブランゲーネ:エカテリーナ・グバノヴァ
セミョーン・ビシュコフ指揮 パリ国立オペラ座管弦楽団
演出:ピーター・セラーズ
映像:ビル・ヴィオラ
(7.31 @オーチャードホール)
さて、このプロダクションの特徴は、舞台に据えられたスクリーンに、ビデオアートの第一人者ビル・ヴィオラが、トリスタンから得た心象風景の映像が最初から最後まで映しだされ、その前で歌手たちが演技をするという二重舞台にあった。
演出は、ナイジェル・ケネディ似のピーター・セラーズで、もともとトリスタンの世界をヴィオラに紹介したらしいが、その映像には深く関与しておらず、出来上がった映像ありきで、今回の演出を行なったという。
では鬼才セラーズの演出の特徴は何かというと、動きの少ない象徴的なものだった。
映像が背景にあるなかで、過剰な演出は不可能だろう。
しいて変わったところは、落ち着きのないメロートは、後ろからトリスタンを刺してしまうこと。合唱は、1階の奥で船の到着を歌い、マルケは会場の中に登場した。
牧童は、二階のレフト席で歌い、コールアングレは3階のレフト席で吹いたこと。
そんな訳で、期せずしてヴィーラント的な暗い中での象徴的な舞台となった。
だから余計に、ビデオ映像が気になるところ。
ある意味、映像作者の個人的な心象風景を強引に見せられてしまったともいえるが、作者がトリスタンから得たイメージは、以外に普遍的で、納得感が強かったし、実際に美しかった。詳細は自分でメモをとったが、ここではそれをすべて紹介する意味もないと思う。
1幕や3幕における、大海原や波。岩場に砕け散る波の映像は、かつての日本映画「大映」のタイトルそのまま・・・・。 2幕の森や、樹の間から輝く月の美しさ。炎や蝋燭の明かりの幻想。
最後の愛の死では、台に横たわるトリスタンの奥にも映像で同じ姿勢の役者トリスタン。
水の滴がそのトリスタンの落ちはじめ、やがて滝のような水に打たれる。
そして体が浮き始め、徐々に昇ってゆくトリスタン。
ついで、青い海からイゾルデが浮き上がり、これも昇ってゆく。
極めて美しいブルーの映像が残る中、愛の死の絶美の音楽が徐々に静かになり、波が引くように終わった。
再三にわたる注意もあってか、拍手はなかなか起こらずに、いいエンディングを迎えた。
不明だったのが、ビデオ作者が「浄化」と唱えた1幕で、二人は服を1枚1枚脱いでいってすっぽんぽんになってしまう。その後、洗面器に顔をつけたり、水を浴びたりするのだが、その露出に意味はあったのか??
水・火・樹がそれぞれ重要なモティーフとなっていたように思う。
登場人物は互いにまじわることがなく、それぞれが立ち尽くして歌い、孤独である。
衣装も簡潔で、全員が黒っぽい服だし、鬘もなにもなく、普段っぽい。
歌手も楽器のひとつとなっていた。
過剰な饒舌演出も音楽の妨げとなるが、映像はビジュアル感が強いだけに、私には音楽への集中の妨げとなったことも事実。 しかし、歌手への負担は軽く、それぞれ思い切り歌に注力できたであろう。
いずれも素晴らしい声と歌を聴かせてくれて、たいへん満足だった。
なかでも、ウルマーナのイゾルデのしなやかさと力強さの両立した歌はほんとうによかった。グバノヴァのブランゲーネの声も実によく通る声で、情にあふれたすてきなブランゲーネとなっていた。
フォービスのトリスタンは、ちょっと声にクセがあるが、その力強さとタフネスぶりに驚き。
ダニエル君のクルヴェナール、ゼーリヒのマルケもほんと、よかった。
オケと歌手には文句のつけようがないが、舞台は私には消化不良といったところ。
でもワーグナーの偉大な音楽には、「これもあり!」の上演だった
来日公演最終日、オケの全員が舞台に上りカーテンコールとなった。
楽員のひとりが引退するようで、舞台上で簡単なセレモニーもあり、和む一場面だった。
飯守先生、米良さん、元女子アナなど、有名人ちらほら。
真夏のトリスタン、渋谷も熱いぞ!
「トリスタントイゾルデ」過去記事
大植バイロイト2005
アバドとベルリン・フィル
バーンスタインとバイエルン放送響
P・シュナイダー、バイロイト2006
カラヤン、バイロイト1952
カラヤンとベルリン・フィル
ラニクルズとBBC響
バレンボイムとベルリン国立歌劇場公演
レヴァインとメトロポリタン ライブビューイング
パッパーノとコヴェントガーデン
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