マーラー 交響曲第6番 アバド指揮
横浜はいわゆる「家系」の濃ゆ~いラーメンが多いけど、それ以外の個性派もたくさんある、ラーメン共和国なのだ。
こちらは、その名も「浜虎」。
野球でいうと、なんとも憎たらしいような複雑な名前だし、ファッションでいえば、いかにも「ハマ」らしくて、洒落た名前。
西口から近いが、周辺は怪しげな店舗もあったりする。
「塩鶏そば」、あっさりとしながらも、筋の通ったしっかりしたスープにもちもちの麺が実によかった。
鶏チャーシューも美味。
当たった、当たった!!
2006年の、アバドとルツェルン祝祭管弦楽団の来日公演に先立つ、公開リハーサルの招待状。
忘れもしない、2006年10月のこと。
平日の昼間、仕事をほっぽりだしてサントリーホールへ。
私服のオケが三々五々集まり、カジュアルなアバドが元気に登場。
マーラーの6番のリハーサルが始まった。
冒頭、トランペットの名手がこける。
あれ?二度目の繰返しでは、ものの見事に決めて面目躍如。
アバドは指揮しながら、ニコニコと投げキッスを送る。トランペット氏の嬉しそうな顔。
さらいながらも、一挙に全曲演奏。
モーツァルトのアリアも同様。
いずれもリラックスした力の抜けた演奏。
アバドはどこでしょう?
マイヤーもいるし、ヴィオラのクリストも・・・。 翌日の本番は、リハーサルとはうって変わった凄まじいまでの演奏。
人間の行為、営みのなせる技の極地に達した演奏。
完璧とか素晴らしい、などという言葉が当てはまらない。
指揮者は、マーラーの交響曲第6番なのに、時に微笑みさえ浮かべて、音楽をすることが楽しくてしょうがないといわんばかりの指揮ぶり。
対するオーケストラは、スターがびっしりと並んでいるが、奢りも高ぶりもなく、むしろ必死になって体一杯に音楽を表現している。
これを体験して、マーラーの心理がどうのこうの、アルマがどうだ、ウィーンがどうだの、といったことは、まったく関係がなくなってしまった。
あれ以来2年、マーラーの6番の交響曲は聴いていない。
聴けないのだ。ルツェルンのDVDすら観ていない。ハイティンク&シカゴも怖くて聴けない。完全なトラウマ状態なんだ。
生涯最高ともいっていい音楽体験だった。
演奏終了後の長い静寂は、語り草になってゆくことであろう。
オケのメンバーも、涙して抱き合い、感動を分かちあっていた。
画像は、イケナイとわかっていながら、撮ってしまった、ブルックナーの終演後。
この曲のライブは、ほかは若杉&N響。
初聴きは、バーンスタインの旧盤、レコードは、アバド&シカゴが初買い。
こんな訳ですから、マーラー・シリーズ、6番は聴かずして欠番ということで、思い出話でご勘弁ください。女々しいことであります。いつかは、ちゃんと聴かなくては・・・・・。
さいなら。
アバド指揮ルツェルン祝祭管弦楽団演奏会(2006.10)
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コメント
心配してました。6番。10月13日(まさに「聖金曜日の奇蹟」!)、サントリーホールで聴いたもの誰しもが6番に対してトラウマを持つでしょう(それでもシカゴ教としては、そしてゴッド・ベルナルドを崇めるものとしてはシカゴの6番をぜひ体験したいっ!)。バレちゃんの「トリスタン」も僕にはそのような体験でした。
そんなだからyokochanさん、6番の欠番はいたし方ありませぬ・・・。でも、9番や10番であの日のような体験をしたら、また欠番が増えますよね。そしたら、マーラーがもう聴けなくなっちゃう。困ったもんだ・・・。
投稿: IANIS | 2008年7月19日 (土) 16時28分
IANISさん、ご理解いただけますか!
2年間は聴いてません。
もったいないといえばそうですが、同じことが他の曲でおきてしまうと、それこそ「悲劇的」でアリマス。
ハイティンク/シカゴはショップで一度手にしたのですが、躊躇の末止めました。悲しい運命の私です。
投稿: yokochan | 2008年7月20日 (日) 00時00分