マーラー 交響曲第8番「千人の交響曲」 小沢指揮
こんな時は「そーめん」とか「冷し中華」がいいですな。
辛いものを思いきり食べるのもいい。今日のお昼はマーボー豆腐だったし。
それと冷麺もさらにいいですな。
焼き肉の締めに食べるのでなく、立派な昼食として。
知り合いに、焼き肉屋行くと、まず冷麺を先に食べちゃう人がいました。焼き肉を食べてお腹がいっぱいになっちゃうと食べれなくなるので、先に食べるんだそうな・・・。お前はアホか!
東京でも有名になった盛岡の「ぴょんぴょん舎」。うまいよ~
マーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」
ラーメンとともに、順を追って聴いてきたけれど、この曲を前にすると、ちょっとひるんでしまうのは私だけだろうか?
大編成でめったやたらと演奏されないし、録音もかつては非常に限られたものしかなかった。
今でこそ、オペラが実演でなくとも豊富な映像で、日常生活に溶け込みつつあるが、かつてはオペラをレコードで聴こうと思えば対訳と首っ引きで、1日がかりだった。
それと同じことが、この交響曲にも言えた。
声楽入りの交響曲が珍しくないマーラー作品の中でも、全編歌入りで、歌詞の理解がないと受け止め具合もよろしくない。
だから、私も自宅で聴く場合は、年末などの特別な時期に、区切りをつけるような気分で聴いていた。
それがどうだろう。マーラーを聴くことが日常化し、むしろ食傷ぎみになってしまった今、8番も構えずに、普通にすらすらと聴くことができるようになってしまった。
演奏する側も、長足の進化で、世界中のどんな場所でも、この8番が演奏されているのではなかろうか。
古めの演奏などでは、おっかなびっくりの奏者たちだから、指揮者の強力な統率力に引っ張られている感じがする。
バーンスタインの旧盤や、オペラチックなショルテイ盤などがそんな感じかも。
そんな厳しい演奏から脱却して、この遠大な音楽に新鮮なみずみずしさと躍動感を与えつつ、奏者・歌手の自主性も引き出した演奏が小沢盤。
小沢氏の演奏を聴かなくなって久しい。かつて、小沢ばかりを聴いていた時期があったし、実際その演奏は素晴らしいものばかりだった。
ボストンとのコンビの終わりくらい、サイトウキネンの始まりくらいから、急速に興味を失い、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に何故かなったときから、まったく聴かなくなってしまった。「かど」がとれすぎて、練達の境地に達しすぎてしまったのだろうか、日本人同士で共感しすぎてそうなってしまったのか。私には面白い演奏がひとつもなくなってしまった。
マーラー全集の初期にあたる80年録音のこのボストン交響楽団との演奏は、そんな後年の私は感じる迷いは一切ない。
思うところを堂々と歩み、オケは雄弁に語り、自慢のダングルウッドの合唱団から生々しい歌声を引き出している。
75年頃から、この曲を集中的に取り上げ、千人のスペシャリストだった小沢。
ベルリンフィルとの圧倒的なライブと、フランス国立管との教会でのライブ。どちらも熱いすぎる演奏だった。CDR化したエアチェック音源は保存ものである。
同年、師匠のバーンスタインがザルツブルクでも白熱の演奏を繰り広げたのも懐かしい。
S :フェイ・ロビンソン、ジュディス・ブレゲン、デボラ・サッソン
MS:フローレンス・クイヴァー、ローナ・マイヤーズ
T :ケネス・リーゲル
B :ベンジャミン・ラクソン、グゥエン・ハウエル
歌手が全般に小粒で大味なのが残念だし、合唱のドイツ語が英語訛りに感じるのもご愛嬌だが、ボストン響の明るくヨーロピアンな響きは、フィリップス録音の良さと相まってすっきりと美しい。(私の好きなラクソンはいい)
この曲の初聴きは、朝比奈&大フィルの放送録音。何がなんだかわからなかったけれど、すごい音楽だぞ、っと思った。
レコードでは、この曲最高の演奏、ショルティ&シカゴのウィーン出張録音。歌手が素晴らしく、まるでオペラ。
実演では、唯一の経験が、亡きコシュラー指揮の都響。文化会館がぎっしり並んだ合唱とオケでギッチギチだった。ものすごく感動しまくった。
多くの方は、この春のインバルの演奏に酔いしれたことでしょう。行きたかった・・・・。
小沢さんも、もう一発、この曲をやってもらいたい!
各ブログや愛好家の評を拝見するに、小沢さんもこのところ素晴らしいようだ。
ほんとは、パリ管あたりでもう一花咲かせてほしいもんだな。
第1部がラテン語の讃歌「来たれ創造主なる霊よ」。第2部が「ゲーテのファウスト」からの情景。オペラを1曲も書かなかったマーラーの、これぞオペラ。
第1部は気分的にやや空転してしまうが、第2部は歌好きからするとワクワクのしどうし。
冷気ただよう山の雰囲気から、神を称えるバリトンがあらわれ、バスやテノールによって情熱的に展開する。ついで、叙情的な場面に入りグレートヒェンの歌や光明の母の歌などで浄化され、マリアを賛美するテノールのアリアで私はもう感動の階段を昇り始める。(テノールの最高の歌唱は、そう、言わずと知れたR・コロ。リーゲルもこの曲の最多録音歌手だけにヴェリスモチックに熱いぜ)
そして、締めは「神秘の合唱」。もう誰しも感動の坩堝。
崇高な興奮の大団円は、人間やっててよかったな!と思わせちゃうもの。
自身の心象にこだわりぬいたマーラーの交響曲のなかで、異質な存在の8番。
小沢ライブよ、もう一度。
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コメント
おはようございます。
ひところ、マーラーの第3、第7、第8が好きだというとマーラー愛好者の中では変人扱いされたものでした。それが今や世界の趨勢は「復活」→第3、第5→第7と、指揮者の興味の対象が変化しているではありませんか。隔世の感があります。
第8は(「千人」とはこの曲を愛するものとしては絶対に呼びたくない!)マーラーの「第9」であり、彼の唯一の『オペラ』。-ベートーヴェンの第9だって、ベートーヴェンの創作史上では“毛色の変わったもの”です-オプティミスティックなのはマーラーの世界愛(+心が離れつつあったアルマへの“夫”としてのゴマすり)を扱ったものだからだと僕は考えています。この曲、第1部は交響的形式も整っているので余程の事がない限り失敗はありえませんが、こけるとしたら第2部のほうですね。
この曲で成功する指揮者にオペラ経験が豊富なひとが多いのは当然でしょう。ミューザで聴いたインバルも若い頃は劇場で鍛えた人でしたし、とちりはあったものの、りゅーとぴあで初体験したノセダはご存知のとおりです。
オザワのライヴは確かに凄かった(BPO)。でも、そこまでいうのならシャイーのRSOB。CDで聴ける中ではシャイーとギーレンがこの作品の双璧でしょう(今のところ)。これからの期待はマイケルとジンマン、ひょっとしたら初演100周年をルツェルンでやる可能性があるアバドくらいかなぁ。
-世評名高いブーレーズ=ベルリン・シュターツカペレ、どこがいいのかさっぱり分からん。オザワ=ボストンもライヴでの凄みが露ほども感じられず、がっかりしたものでした・・・。
投稿: IANIS | 2008年7月26日 (土) 06時50分
この演奏はこの曲の私の刷り込みでした。
学生時代、発売延期になった初出をもう心待ちにした想い出、そしてあの第1部に興奮して第2部の神秘の合唱で涙して、そんな青春の1枚(2枚)です。
その頃これは朝比奈、山田、クーベリック、バーンスタインのこの曲のカタログ上の当時の現役板に新たにカタログに載った5作目でした。
安酒を煽りながら何度も陶酔した懐かしい録音です。
投稿: yurikamome122 | 2008年7月26日 (土) 21時33分
IANISさん、まいどこんばんは。
千人、いや第8に対する熱い思いを語っていただきました。
たしかに、この曲はファストを題材にしたオペラであります。
だから私は2部に興奮してしまうのです。
シャイーや、ギーレン、ブーレーズは未聴です。
小沢盤は、ベルリンライブのほうが燃えてますが、BSOとの蜜月時代のこの盤はIANISさんはお好みでないようですが、アバドやバーンスタイン(VPO)が出るまで結構聴いたもんです。
投稿: yokochan | 2008年7月26日 (土) 22時08分
yurikamomeさん、こんばんは。
高校時代にベルリンとフランス国立のライブテープを聞きまくり、本格録音を待ちわびた小沢盤です。
私にも懐かしい1枚ですが、昨今の小沢さん離れでほったらかしていた1枚です。
久しぶりに聴いて、あの頃は良かったなどと思ったりしてます。
コメントありがとうございました。
投稿: yokochan | 2008年7月26日 (土) 22時15分
YOKOCHAN様こんにちは。私が始めて買ったマーラーの8番のCDはクーベリックとバイエルン放送響の演奏です。80年代後半のことでCDはまだ高かったです。当時私はまだ中学生でした。アバドがウィーン・フィルを指揮した第3番と同時に購入しました。アバドの3番はすっかり気に入ってしまったのですが、8番は長大な第2部がよく分かりませんでした。インバルや小澤でも聴いたのですが、第2部の面白さは私には分かりませんでした。ちなみに小澤盤は今はCD1枚に収められて発売されています。CDが安くなっただけでなく収録時間も長くなったのですね。第2部はオレには死ぬまで分からないのではないかと悲観していたのですが、ショルティ&シカゴのCDを今年に入ってから初めて聴き、やっと楽しんで聴くことができるようになりました。ショルティの統率力ってすごいですね。プッチーニのオペラのように難解な第2部が楽しく聴けます。クーベリックさん、インバルさん、小澤さんに統率力が無いと言う意味ではもちろんありませんが。
投稿: 越後のオックス | 2008年10月17日 (金) 14時24分
小澤さんには忘れられない思い出があります。私が中学生だったとき小沢さんと新日本フィルが我が町長岡で演奏会をやったことがあります。ヒンデミットのシンフォニア・セレーナと小山美知恵さんをソロに迎えたリストの第1コンチェルトとベートーヴェンの5番というプログラムでした。演奏が終わったあと感激した私はプログラムとボールペンを持ってステージに走っていってマエストロ小澤に「サインお願いします!」小澤さんは快く応じてくれました。会場のお客さんも楽団員の皆さんも大爆笑でした。小澤さんは小柄で痩せ型で手首や足首なんかは今にも折れそうなほど細い方でした。顔中をくしゃくしゃにして笑うあの独特な笑顔がいまでも忘れられません。
投稿: 越後のオックス | 2008年10月17日 (金) 14時34分
越後のオックスさま、こんにちは。コメントありがとうございます。
千人交響曲は、私はマーラーのオペラとも思っておりますので、そういう意味ではショルティ盤はソリストと合唱も揃っていて理想的な演奏だと思います。
そしてショルティは無類のオペラ指揮者ですので、統率力という意味でも万全ですね。
小沢やインバルはもっと純音楽的な解釈ですね。
クーべリックは残念ながら聴いたことがないのです。
CD1枚で、盤の入れ替えもなしに1000円で聴けちゃう世の中。レコード2枚組で5千円以上した私の時代とは隔世の感がありますねぇ~。
長岡での小沢さんのコンサートの様子。
>会場のお客さんも楽団員の皆さんも大爆笑でした。<
中学生の越後のオックスさんのお姿が目に浮かぶようです!
私にもそんな純な時代がありましたっけ。
音楽を聴いて、本当に素直に感激できるって若い頃特有です。今の私のような音楽の洪水に埋まったかのような聴き方でいいのか?と思ってしまいますね・・・・。
いまや、私はお姉さん歌手のサインをもらうために喜々として並ぶオヤジであります(笑)
投稿: yokochan | 2008年10月18日 (土) 13時37分