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2008年8月13日 (水)

ディーリアス 「海流」 ヒコックス指揮

1 港に一羽佇む海鳥。
絵になりますねぇ。

ところで、この海鳥は、「ウミネコ」。
文字通り、ねこのように、ウニャーウニャーと鳴いて、群れをなすと極めてうるさいやつらだ。
 さて、「カモメ」とはどう違うのだろうか?
正直わかりませんな。
ネットで調べてみたら、羽の色、くちばしの長さ、目の輪郭などに違いがあるという。
 「ウミネコ」はお顔がきつくて、「カモメ」は優しい。
では、なるほどの1枚を。
3

こいつは、「ウミネコ」。
以前出張した八戸でのこと。
 昼食を簡単に済ませようと、コンビニでサンドイッチを買い、どうせなら海でも見ながらと、八戸港のはずれにある「蕪島」へ。
「蕪島」はウミネコの繁殖地として有名で、初訪問だった。
ところが到着してみて、チョー驚き。
うじゃうじゃいるのである。
路面にびっしり、神社の鳥居や階段にも隙間なく並んでウニァウニャ鳴いていて、その大合唱は耳を聾せんばかり・・・・・。
身の危険すら覚え、車の中でサンドイッチを取り出したものの、集団から離れたところへ移動。ところが数羽追いかけてくるのであるともかく監視されていたのだ。
護岸の近くまで逃げ、「もういいでしょう」とばかりに、サンドイッチを取り出したら、目の前のボンネットに、こいつがチャッカリいるのである。
密室ゆえ、食事は出来たが、ずっと見られていて落ち着かないことこのうえなし。
ともかく、食べ終わるまで未練がましくずっといるのである。いやなヤツなのである。
やっぱり、私には「にゃんこ」の方がはるかにいい。

Delius_sea_drift ディーリアス(1862~1934)の「海流」~Sea Driftは、オーケストラにバリトン独唱と合唱を伴なった、愛と別離を描いた一幅のノスタルジー溢れるドラマである。

海の情景を歌ったわけでなく、少年と「カモメ」が語り手となって、歌い継いでゆく、人間の愛と死(別離)の歌。
前段の憎たらしい「ウミネコ君」とは違い、ディーリアスの「カモメ」は、人間のように感情の襞を持った存在で、優しさとともに、とても儚い存在なのだ。

アメリカの詩人ウォルト・ホイットマンの詩集「草の葉」から「海流」というタイトルの連作の中から「いつまでも揺れてやまぬ、揺りかごの中から」という詩をもとに作曲された。

リラの香りがたちこめる5月のある日、一人の少年がカモメの巣を見つける。
そこには、夫婦のカモメがやってきて、交互に卵を温めて睦まじくしている。
少年は近づきすぎてはいけないと思い、静かに見入る。
雄鳥は、二人一緒の歓びを歌う。
 ところがある日、雌鳥がふいにいなくなってしまう。来る日も来る日も帰ってこず、雄鳥は探し続け、雌鳥を呼ぶ。悲痛の鳴き声。この声を聞いたのは少年だけ。
少年は昼に夜にやってきては、その声をいつまでも聞いていた・・・・。
雄鳥は愛の日々を想い、苦しくも悲しい歌を歌いつづける・・・。
 
 But my mate no more,no more with me
 We two together no more!

何と悲しい別離であろうか。
カモメに姿を変えた、人間の物語。
男も女もなく、人間に訪れる「愛と死」。
ここには、「トリスタン」のような死による浄化はなく、「別れ」があるのみ。
それを誰しもが淡々と受け入れなくてはならない。
少年は、若き日にこの摂理を体験し、成人して後に、その悲しみをさらに体現することとなるのであろう。

 ここにあるディーリアスの極めてデリケートな音楽は、精妙なガラス細工のようで、触れれば壊れてしまいそう。
だが、その優しさは、聴く私たちを暖かく包み込むようだ。
どこか遠くで鳴っているような音楽でもあり、気がつくと近くにいて優しく微笑んでいる。
人間の悲しみや悩みの一方で、海や大自然は変わらずに美しく日々存在している。
私は「海流」を聴くとき、雄鳥の悲痛の叫びに同情するよりは、人生に目覚めてゆく少年の心を想い同化してゆくのを感じる。
素晴らしい音楽にテキストだ。

      Br:ジョン・シャーリー=クァーク
  リチャード・ヒコックス指揮 ロイヤルフィルハーモニー
                    ロンドン交響合唱団

シャーリー=クァークの情に溺れない、それでいて感情を静かに歌いこめた様子はとても素晴らしい。こうした曲では余人をもって見当たらない。
80年録音で、ヒコックスの本格録音の初期の頃だが、ディーリアスサウンドが染み付いたオケを得て手兵の合唱団とともに一途な演奏となった。
ヒコックスには、ボーマス響を振ったシャンドス録音がのちにあるが、そちらはB・ターフェルが歌っている。ターフェルの声は、ちょっと強すぎるのが私には難点。
あと、レコードで何度も聴いた、ノーブルとグローヴスの演奏がカップリングの「高い丘の歌」を含めて最高のものではないかと思っている。

あぁ、人生は儚いものだのう。

さて、本日よりお休み。天気は下り坂だけど、海辺の街へ帰らせていただきます。
15日を目途の、予約投稿を1本いれる予定であります。

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コメント

これは感動的な曲ですよね、泣けます。
人間何年もやっていると別れなんていくつもありますが、その別れに慣れてしまい少しづつ心に痛みを感じなくなってくるワケですけど、この曲で出てくる少年の目を通して見る別れがその事を思い出させてくれて、しかも人生経験を積んだ分だけ悲しみがより痛みとなった今、あまりに切なくそれを感じる心の美しさに胸がつまる思いがしました。
ディーリアスの真骨頂はオケの小品ではなく声楽だったのですね。ここのところ集中的にディーリアスを聞いてきてやっとそれがわかってきました。
イギリス音楽道、今後ともご指導お願い致します。

投稿: yurikamome122 | 2012年7月13日 (金) 08時49分

こんなシチュエーションの音楽をさらりと書いてしまうディーリアスに感じ入りますね。
ほんと、感動的なものです。

身内との別れすら頻繁すぎて、客観的になりつつある昨今。妙なことに、テレビで見る人の市や別れに動揺したりする毎日は、あまりの情報過多で、こちらがおかしくなってしまってるんですね。

ディーリアスの音楽は、そうじゃない心の痛みの本質を教えてくれるみたいです。

おっしゃるとおり、小品ばかりでなく、テキストの選択も含め、声楽・オペラも聴いてこそ、ディーリアスの姿が見えてきますね。

そして、神奈川フィルになんでもいいから取り上げてもらうべく運動しましょう!

投稿: yokochan | 2012年7月13日 (金) 22時09分

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» ディーリアス作曲、「海流」 [yurikamomeの妄想的音楽鑑賞とお天気写真]
 ディーリアス作曲、「海流」。  ヒコックス指揮、ブリン・ターフェルのバリトンとボーンマス合唱団、交響楽団で  昔、リラの香りが満ち、5月の草が生い茂るブライヤの生えるこのポーマノックの岸辺に アラバマから翼のある二羽の客人が連れ添ってやって来た。  彼らの巣には茶色の斑点のある薄緑の卵が抱かれていた。  雄鳥は近くで立ち働く、雌鳥は目を爛々と輝かせ巣をあたためる。  毎日、じっと少年のぼくは、近づき過ぎて邪魔にならないように彼らを見守り感じた。  輝く太陽の下、幸福に満ちた一... [続きを読む]

受信: 2012年7月13日 (金) 08時49分

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