ディーリアス 「人生のミサ」 ヒコックス指揮
群生する「ルドベッキア・タカオ」
その黄色い花は、ひとつひとつもいいが、こうしてかたまっていると、とても美しい。
グリーンにも実によく合う。
名前がわからず、ネットで季節や色で絞込んで調べることができる。
かつて一家の応接室に鎮座していた百科事典は、もういらない世の中となった。
夏の終わりにディーリアスを聴こう。
大作「人生のミサ」。
4人の独唱、2部合唱を伴なう100分あまりの大作。ディーリアスは穏やかな小品ばかりでない。
こうした合唱作品や、儚い物語に素材を求めたオペラなどにもディーリアスの思想がぎっしり詰まっているのだ。
ディーリアス(1862~1934)は、まさに世紀末に生きた人だが、英国に生まれたから典型的な英国作曲家と思いがちだが、両親は英国帰化の純粋ドイツ人で、実業家の父のため、フレデリックもアメリカ、そして音楽を志すために、ドイツ、フランスさらには、その風物を愛するがゆえにノルウェーなどとも関係が深く、コスモポリタンな作曲家だった。
その音楽の根幹には、「自然」と「人間」のみが扱われ、宗教とは一切無縁。
そう、無神論者だったのである。この作品も、「ミサ」と題されながらも、その素材は、ニーチェの「ツァラトゥストラ」なのであるから。
アールヌーヴォ全盛のパリで有名な画家や作家たちと、放蕩生活をしている頃に「ツァラトゥストラ」に出会い、ディーリアスはその「超人」と「永却回帰」の思想に心酔してしまった。
同じくして、R・シュトラウスがかの有名な交響詩を発表し大成功を収め、ディーリアスもそれを聴き、自分ならもっとこう書きたい・・・、と思った。
1909年、ビーチャムの指揮により初演され、その初録音もビーチャムによる。
ドイツ語の抜粋版のテキストに付けた音楽の構成は、2部全11曲。
合唱の咆哮こそいくつかあるものの、ツァラトゥストラを歌うバリトン独唱を中心とした独唱と合唱の親密な対話のような静やかな音楽が大半を占める。
日頃親しんだディーリアスの世界がしっかりと息づいていて、大作にひるむ間もなく、すっかり心は解放され、打ち解けてしまう。
第1部
①「祈りの意志への呼びかけ」 the power of the human will
②「笑いの歌」 スケルツォ 万人に対して笑いと踊りに身をゆだねよ!
③「人生の歌」 人生がツァラトストラの前で踊る Now for a dance
④「謎」 ツァラトゥストラの悩みと不安
⑤「夜の歌」 不気味な夜の雰囲気 満たされない愛
第2部
①「山上にて」 静寂の山上でひとり思索にふける 谷間に響くホルン
ついに人間の真昼時は近い、エネルギーに満ちた合唱
②「竪琴の歌」 壮年期の歐歌!
人生に喜びの意味を悟る
③「舞踏歌」 黄昏時、森の中をさまよう
牧場で乙女たちが踊り、一緒になる
踊り疲れて夜となる
④「牧場の真昼に」 人生の真昼時に達したツァラトゥストラ
孤独を愛し、幸せに酔っている
木陰で、羊飼いの笛にまどろむ
⑤「歓喜の歌」 人生の黄昏時
過ぎし日を振りかえり人間の無関心さを嘆く
<喜びは、なお心の悲しみよりも深い>
⑥「喜びへの感謝の歌」
真夜中の鐘の意味するもの、喜びの歌、
永遠なる喜びを高らかに歌う!
O pain! O break heart!
Joy craves Eternity,
Joy craves for all things endless day!
Eternal, everlasting, endless dat! endless day!
(本概略は一部、レコ芸の三浦先生の記事を参照しました) その原作ゆえ、テキストを理解するのは難解だが、英訳をぼうっと見ているだけで、何となくわかったような気になる。
それ以上に、なんといってもディーリアスの音楽が素晴らしい。
冒頭のシャウトする合唱には驚くが、先に書いたとおり、すぐに美しいディーリアスの世界が展開する。妖精のような女声合唱のLaLaLaの楽しくも愛らしい踊りの歌。
「夜の歌」における夜の時の止まってしまったかのような音楽はディーリアスならでは。
「山上にて」の茫洋とした雰囲気にこだまする、ホルンはとても素晴らしく絵画的でもある。
さらに、「牧場の昼に」の羊飼いの笛の音は、オーボエとコールアングレで奏され、涙がでるほどに切なく悲しい。この場面を聴いて心動かされない人がいるだろうか!
まどろむツァラトゥストラの心中は、悩みと孤独・・・・。
「歓喜の歌」の合唱とそのオーケストラ伴奏、ここでは第1部の旋律が回顧され、極めて感動的で私は、徐々にエンディングに向けて感極まってしまう。
そして、最後の場面では4人の独唱者が高らかに喜びを歌い上げ、合唱は壮大かつ高みに登りつめた歌を歌うクライマックスを築く。そして、音楽は静かになっていって胸に染み込むように終わる。
シェーンベルクの「グレの歌」にも似ているし、スクリャービンをも思わせる世紀末後期ロマン派音楽でもある。
以前、畑中さんの批評で読んだことがあるが、「人生のミサ」の人生は、「生ける命」のような意味で、人の生の完結論的な意味ではない、と読んだことがある。
英語の「Life」も同じ人生を思わせるが、原作の「Eine Messe des Leben」のLebenの方がイメージが近いような気がする。
S:ジョーン・ロジャース Ms:ジーン・リグビー
T:ナイジェル・ロブソン Br:ピーター・コールマン・ライト
リチャード・ヒコックス 指揮 ボーンマス交響楽団/合唱団
ウェインフレート合唱団
(96年録音)
英国音楽にとってなくてはならないヒコックスは、ディーリアスはボーンマス響との録音が多いようだ。2部からなる大規模な合唱の一部はマーティン・ヒル率いる合唱団が素晴らしく、ヒコックスのつくり出す壮大かつきめ細やかなオーケストラのパレットとともに、ディーリアス作品を聴く、大いなる満足感に浸らせてくれる。
オーストラリア出身というライトの、英国風歌唱もまた素適なもの。
かつて、レコード時代にグローヴス指揮によるものが出て話題になったが、ディーリアス・アンソロジーでも組み込まれなかったような記憶がある。
こうした作品は、やはり国内盤が欲しいもの。
今、私の部屋からは、夏の青い空が久方ぶりに広がってゆくのが眺められる。
でも雲はすっかり秋を先取りしている・・・・・。
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コメント
yokochanさま こんにちは
秋めいてきていますね、少し寂しくも思います。
曽井町に喫茶店に行くときに、蝉の鳴き声が聞けなくなりました。夏の終わりは物悲しいものですよね〜。
ディーリアスに、こんな大曲もあったんですね
知りませんでした。
いつも、貴重な作品を教えてくださり、ありがとうございます。一度聴いてみたいな、と思っています。
ミ(`w´彡)
投稿: rudolf2006 | 2008年8月31日 (日) 16時14分
rudolfさま、こんばんは。
久々に日差しが戻りましたが、ねっとりした暑さはもうありません。夏の終わりは寂しいものがありますよね。
そんなときは、ディーリアスがぴったりです。
人生のミサは、こうした時や、年末などにも、気持ちが晴ればれとする壮大さと繊細をあわせもった音楽です。
この1ヶ月、ずっと聴き込んできました。
しみじみといい音楽であります。是非聴いてみて下さい。
投稿: yokochan | 2008年8月31日 (日) 21時32分
通りがかりでこのサイトを見つけ、ときどき拝見させていただいております。
グローヴス指揮の「人生のミサ」は、だいぶ前に輸入盤で買ったCD(独EMIのBritish Composersシリーズの中の1つ)を、いまでもときどき愛聴しています。
投稿: snuffy | 2008年9月 1日 (月) 08時51分
snuffyさま、はじめまして。コメントありがとうございます。
拝見いただき感謝いたします。
人生のミサの原点は、やはりグローヴスの名演であります。
レコード時代に聞き漏らしましたので、お聞きのEMIのシリーズをいずれは手にしたいと思っております。
ディーリアスとの付き合いは、自身長いですが、声楽やオペラ部門には、まだまだ桂曲がたくさんありそうです。
またどうぞよろしくお願いいたします。
投稿: yokochan | 2008年9月 1日 (月) 23時07分
TBありがとうございます。そうなんですよね、無神論者。そのあたりがR・シュトラウスと受け方表し方が違っているのでしょうね、特にエンディング。
でも、私にはこちらの方がしっくり来ます。
R・シュトラウスの恍惚にももちろん魅力を感じますが、ディーリアスはR・シュトラウスよりも少し私に近い気がするからです。
投稿: yurikamome122 | 2012年7月13日 (金) 08時42分
yurikamomeさん、こんばんは。
シュトラウスのツァラは、より客観的でありながら自信満々ですね。
ディーリアスは、無意識的で、より人間によりそったような音楽に感じます。
どちらも好きですが、わたしも本心ではディーリアスです。
酸いも甘いも嗅ぎ分けたディーリアスならではですし。
コメント&TBありがとうございました。
投稿: yokochan | 2012年7月13日 (金) 21時59分