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2008年9月14日 (日)

チャイコフスキー 「エフゲニー・オネーギン」 二期会公演

Eugene_onegin面白かった!!
この一言に尽きるすこぶるつきの演出を体験することが出来た。
二期会公演、チャイコフスキーが抒情的情景と名付けた「エフゲニー・オネーギン」を観劇。
サプライズの演出家「ピーター・コンヴィチュニー」が95年にライプイヒで製作した演出で、ご本人が直々に1ヶ月間に渡って指導した渾身の舞台。
カーテンコールにも、シャツにカジュアルパンツの軽装でにこやかに登場し、喝采を浴びていた。
 いわゆる読替演出とか言われる、昨今の演出上位のオペラだが、正直食わず嫌いの私である。
昨秋のドレスデン来日公演のコンヴィチュニー・タンホイザーは納得感がなかったものの、その豊富なアイデアと奇抜さに舌を巻いたものだ。
原作とは違う、と拒む前に、こんな考えもアリ?、作者もそれを思ったかも?・・・とかいう気分で、その「演出家作」の舞台を虚心に楽しんじゃえばいいのかもしれない。
優れた音楽作品は、そうした解釈を受け入れてもびくともしないのだから。

One_y23791幕から2幕第1場まで約90分が休みなく上演され、幕間休憩のあと残りの部分を上演。
 2幕1場は、タチャーナの命名日のパーティと男二人の決定的な亀裂。2場は決闘の場面。前半が長いが、よく考え抜かれた上演形態だ。
急転直下する場のつなぎが、唖然とするほど見事なのもこの演出家ならでは。ここでは、舞台の赤い幕をタチャーナを始めとする登場人物たちが自ら引き、時には半開きで場面を作り出したり、次の場を用意したりする秀逸さ。

簡単に今回の舞台を振り返ってみると・・・。

舞台は開演前から、数人いて掃除をしたり、新聞を読んだり、酒を飲んだり、談笑したりしている。すると突然、若い男がびっくりするくらいの奇声を発し、ぶっ倒れる。
あ~、びっくりした。ここでオケが音合わせを始め、指揮者が登場する。
オケピットは、舞台からの幅の広い通路で前面両脇を覆われ、まったく楽員が窺えない。

One_y8854_2 ①母ラリーナと乳母はアルコール依存症のようで、懐からスキットルを出しては飲んでいる。乳母の鼻は赤いし。タチャーナとオリガの姉妹、姉は本を片時も離さず、片隅には本の山が築かれる夢見る文学少女でそのおぼこぶりは悲哀を誘う。
一方の妹は、カチューシャを髪に付け、明るく陽気でダンス好きの奔放な少女。
舞台に最初から最後まで据えられたハープに乗って歌う姉妹の歌が素敵だった。
床と壁の半分は、鏡面仕上げで、ツルツルして眩しい。登場人物たちは、時に厚手の靴下を履いていて、その床をツィ~と滑ったりする。
村人の楽しげな合唱は、労働を強いられているだろう無愛想で無表情な労働者たちの合唱だった。彼らは、舞台の真中に裸の白樺の木を立てて据えた。
 レンスキーとオネーギンが登場し、娘二人と歓談するが、オネーギンはシャンパンを懐から取り出し、その白い包み紙をそこへ捨てる・・・・。
One_y8945 愛の告白手紙を書くタチャーナは、本に埋もれながら必死。仕舞に先ほどの酒の白い包み紙を持ってきて、そこにしたためようする。あまりに素晴らしいタチャーナの手紙の場面は、こうして進められる。
彼女は、ピット前の通路に出てきて夢中になって歌う。
今回は3列目中央だっただけに、目の前で歌われるあまりに素敵なアリアがビンビンと耳に響く。
そこで、思い余った様子で一気に大紙に思いをしたためる。夜明け後、乳母に手紙を託す場面もいじらしく奥手ながらも現代ッ子風の動作に微笑みが浮かぶ。
 次の場、乙女たちが果実を摘みながら歌う合唱は、酒瓶を手にした酔いどれのエロテックな娼婦たちの合唱と化していた。その女たちを抱えながら、足元も覚束ない様子でオネーギンが登場。純真なタチャーナはもうドギマギして動揺を隠せない。
その女たちがいる中、例の大判の手紙を取り出し、娼婦と読みながら説教じみた話をするオネーギンは、まったくひどい。
夢やぶれたタチャーナを慰めるようにして去る娼婦達。
(この場面、ヴェヌスブルクのタンホイザーを思い出してしまった。乗り遅れてしまった人物たちの悲しい滑稽さの悲劇とでも言おうか)
One_y2666  ショックのタチャーナは、舞台の赤い幕を隅まで引いていってしまい、悲嘆に暮れるが、音楽は華やかなワルツが始まる。
幕の下から、足がニョッキリ、顔がひょっこり。ビックリするタチャーナ。
そして幕が開き、舞台は下卑たカーニヴァルじみた雰囲気のパーティ会場。
冠をかぶせられた哀れなタチャーナは、椅子の上に立たされ、今宵の主賓に。
酔ったオネーギンに無理やり踊らされる彼女に、上機嫌で場馴れしたおきゃんなオリガの対比が面白い。そんなところに登場する場違いなフランス人道化は、オカマちゃんで、キツネの襟巻きを巻いていて、それには値札だか血統書だかが付いているのがわかる。
この道化、タチャーナの大事な手紙を巻き上げたり、オネーギンをからかったりと、なかなかに面白い動きを舞台狭しとしてくれる。
 やがて、群集を巻き込んで全員で、マズルカの音楽に合わせて、なんと椅子取りゲームをわいわいと楽しげに始めてしまった。その傍らで、レンスキーとオネーギンの喧嘩が始まり、決闘を約束することとなる。詩人レンスキーは動揺しまくって、傍らの本の書籍の山から本を震えながら漁りまくる。何事も詩に託す、几帳面な哀れなレンスキー。
でも二人は、それぞれものすごい勢いで、椅子を蹴散らして奥の階段から退場する。

②幕間でも開幕と同じように舞台で人物たちが動いている。そしてお決まりになったかのように奇声を発する男の一声があったがが、今回は彼に対する拍手が起こった。

Onegin080911_09_2   決闘の場面は、分厚いオーバーや帽子をまとった男たちが、三々五々ゆったりと登場するなか、レンスキーの感動的なアリアが歌われる。消沈したレンスキーは眼鏡を取り出し、いつも離さない小さなメモ帳を手に思いに耽りながら歌う。
その後ろを、コートを脱いで垂らしながら、オリガがゆったりと登場して舞台奥に消えてゆく。コートを脱いで、本心を表現した彼女の悲しげな歩みに、レンスキーの美しい悔恨のアリアが心に響く。
オネーギンが介添人とともに、べろべろに酔ってやってくる。
そういえば、彼のコートはずっと前からハープに掛けっぱなし。
コートを纏うのが偽りの姿か、脱いだら本心なのか?登場人物たちは、いずれもコートやオーバーを羽織っている。
それを時おり脱ぐのは、主役の4人だけ。まことに忙しい。コンヴィチュニーは、コートにいつ出発してもいい自分、人生が別な場所にあるのではないかという思いを様式化したという。
酔っていたフリのオネーギンは、レンスキーとともに、過ちであって欲しいと後悔に暮れ、二人抱き合ったもするが、回りの群集の目がそれを許さない残酷なものになっている。
だんだんと、その男達から包囲されてしまう二人・・・・。やがて、発砲の音とともにレンスキーが倒れる。私たちの目からは、一団の人の群れしかわからず、不本意ながらの傷害事件に思える。
One_y2729  ショックにおびえるオネーギンを残し、音楽はそのまま豪奢なポロネーズの音楽へなだれ込む。男達は、帽子や厚ぼったいオーバーを脱ぎ捨て、次から次にレンスキーの亡骸を覆ってしまう・・・・・。本来なら、ペテルブルクの宮殿で、絢爛豪華なバレエが繰り広げられるこの場面。そんなものは一切なく、服に埋もれたレンスキーの死体と、傍らでわなわなするオネーギンのみの殺伐とした舞台。やがて、オネーギンは、レンスキーのメモ帳(たぶん辞世の詩の下書き・・・)を読み、服を一枚一枚取り除き、レンスキーをかき抱く!
息のないレンスキーを、無理やりに立たせ、二人で踊るオネーギンは死神のようだ。
 筋から言えば、ポロネーズは、2年後のタチャーナのトップレディ就任後、オネーギンの放浪後のものだが、ここではレンスキーの死といっしょくたになっている。
(こうすることで、死に至らしめてしまったオネーギンの孤独ぶりと猛省ぶりが強調されたように思う。)舞踏曲の一部がカットされたのは、このコンセプトからして頷けるもの。
そしてまた、コンヴィチュニーの卓抜なアイデアが。タチャーナとグレーミン公は、文化会館ホールの2階左サイドに登場し、貴族の一部はその右サイドへ。
舞台には、貴族や取り巻きがタキシードに白ドレスの合唱団姿で。ピット前面通路には服も乱れたオネーギンが。それぞれがやり取りするし、グレーミン公のおのろけアリアも2階席で歌われるもだから、首が忙しい。
Onegin080911_12  取り乱したタチャーナは、着飾った貴婦人となっているが、舞台に戻るとそのコートを脱ぎ捨てオネーギンと抱擁を交わす。
そして、二人の愛情復活の押し問答は、音楽も含め、ちょっと霊感不足の場面だが、この演出では、またしてもタチャーナが幕を引いてしまった舞台前面で、緊張感あふれるやりとりが行なわれ、そのきめ細やかな、かつ即興的な二人の演技により飽くことがなく観れた。
ついに、タチャーナは例の大紙に書いた手紙を懐から取り出し、ビリビリと破きはじめる。叶わぬ愛に絶望のオネーギンは、コートをまといキメ台詞「「何たる不名誉、苦しみ、哀れな運命よ!」吐くものの、幕が一気に開き、舞台には登場人物がもう勢ぞろいしていて、カーテンコール体制。傍らでタチャーナは、手紙をちぎりにちぎっている・・・・。

※画像は、二期会HPやClassic newsから引用しました。

かなり長くなってしまったが、自己の記録だから思い出すままに書き連ねてしまった。
その意図がよく理解できたとは言えないが、プログラムの演出ノートによれば、「コート」「ハープ」「白樺の木」などのモティーフに象徴的な意味を与えているらしい。
コートは前述の通りだが、「ハープ」は運命の楽器としての竪琴、「白樺」は枯れていて、かつて存在していたものを意味するという。
人生は中古品として認識され、人々は閉ざされた完璧なシステムの中で脱出願望がありながら閉鎖感に喘いでいる。時代背景たるロシアの19世紀ばかりに限定されないという。

    オネーギン:与那城 敬    タチャーナ:大隈智佳子
    レンスキー:大槻孝志     オルガ  :橘 今日子
    ラーリナ  :日野妙果     乳母    :加納里美
    グレーミン:斉木健司     トリケ   :上原正敏
    ザレツキー:北川辰彦

    アレクサンドル・アニシモフ 指揮 東京交響楽団
                         二期会合唱団
    演出:ピーター・コンヴィチュニー
                     (9.12@東京文化会館)

歌手達の歌と演技の素晴らしさを何と称えようか。
ロシア語なんて、むにゃむにゃしててサッパリだけれど、実に堂にいった歌いまわしで、指揮者も絶賛したという。
 大隈さんのタチャーナがダントツで良かった。見事によく通る声は、抜群にコントロールされ、しかも力強い。目の前で夢中になって歌うさまは、観て聴いているだけで引き込まれてしまい、目頭が熱くなってしまった。
 大槻さんのレンスキーも極めてよい。甘さも兼ね備えた声は魅力的。
オネーギンの与那城さんは、長身で舞台栄えするバリトンで、不思議キャラのオネーギンにぴったりでもあって、若々しい傍若ぶりをかもし出していたし、声もハリがあってよい。
それとオジサン的には、歌に演技にオルガの橘さんがとても可愛いかったのだ。
あとの方々もすべてOK。

アニシモフの指揮は、オケを充分押さえながら、充分にコントロールの効いたオペラテックなもので、旋律あふれるチャイコフスキーの劇音楽としての魅力を堪能させてくれるもの。
ピットの覆いがあったこともあるが、音はかなり押さえていて、デリケートなニュアンスにも欠けていない。ピットに入った東響が実にしっかりしていた。
     
アイデアの放出だらけで、音楽を無視して劇の本質に迫っていない演出は面白くてもお断りだが、父の大指揮者フランツ・コンヴィチュニーに風貌が、ますます似てきたサラブレッドは、確かな音楽的素養を背景にして、なかなか一筋縄ではいかない演出を繰り出す大家である。そのすべてを理解、同調できる訳ではないが、そのメッセージ発信力の強い舞台に魅力を禁じえないようになってきた。
次はいつコンヴィチュニー演出に接することができるであろうか。

蛇足ながら、来シーズンの二期会演目に、R・シュトラウスの「カプリッチョ」の名前があった。演出は「ワルキューレ」のローウェルス、指揮は沼尻竜典。若杉さんでないところが寂しいのう。

 過去記事
「レヴァインのCD&ショルティのDVD」
 

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コメント

yokochanさま お早うございます

コメントは久し振りですが、いつも読ませていただいています。

東京は良いですね〜
色々な公演がいつもどこかでやっていますよね
歌舞伎でも2座でやっていますし、コンサート、オペラも、数多いですよね。

昨日、近畿のH県に何年か前にできた(地震の助成金でできたものだそうですが)県立の芸術文化ホールにある、練習場に初めて行ってきました。早く行きましたので、どんな公演をやっているのか、どんな作りなのか、と歩き回りましたが、公演は、面白いのがないなぁ、と〜。

そこのオケストラは、若手を養成するとか言っていますが、関西のプロオケに入る前の方が入る、というか、途中で辞めて、公立のオケストラに入る方が多数おられるとのこと、それに、海外のオーディションに行くときには、旅費までが県から出るそうです、爆〜。そりゃ、海外から来ますよね、そんな良い条件なら〜。
入ってはどんどん辞めていっています、爆〜。

入れ物だけご立派で、公演はお寒い限り;;
それに、喫煙スペースもない、爆〜。

関西はもうアカンですわ、爆〜
yokochanさんのブログで愚痴を書いてしまいました、申し訳ございません。

コンヴィチュニーの演出、面白そうですね〜。
ミ(`w´彡)

投稿: rudolf2006 | 2008年9月14日 (日) 09時24分

rudolfさん、おはようございます。
コメントに愚痴もありがとうござます(笑)

東京だけがこんな状況。行きたいコンサートやオペラがたくさんありすぎて、スケジュール調整、そして何よりも資金が大変です。これもこまったものではあります。
 それでも、お客さんの入りはどこもそこそこですので、層が厚いのでしょうか・・・・。

H県のN某館は、そういう実情なのですか!
奏者の皆さんも生活が掛かっているのですから、そのあたりをしっかり解消しつつ、聴衆にいかに満足してもらえるかを考えるべきですよね。
東京一極集中も本当に考えものですが、関西はどうも難しいようですね。他の都市は市民と結びついてもっとうまくやっているところもあるようですが・・・。

昨晩のチャイコフスキー、さらに刺激的な演出もあるでしょうが、この程度であれば難なく受け入れることが出来ました。

投稿: yokochan | 2008年9月14日 (日) 11時22分

14日のA組で聴いてきました。
コンヴィチュニーのストーリーの裏側にあるものと登場人物の内面を容赦なく暴き出す演出、面白かったですね。オネーギンの拒絶の場面と、華やかにそして虚ろに響くポロネーズ、ドラマチックなラストシーンに特に魅き付けられました。カーテンコールではコンヴィチュニーもブラヴォーと同時に盛大なブーイングも浴びて喜色満面でありました(笑)
そういえばこの日も二度目の絶叫に拍手が・・・(笑)

静的象徴的な「東京のオペラの森」の演出も美しかったのですが、時をおかずこうして「オネーギン」の別の一面を見られたことはよかったと思います。

投稿: 白夜 | 2008年9月15日 (月) 16時23分

白夜さま、こんばんは。コメントありがとうございます。
A組をご覧になりましたか!
あの叫びは受けますね。実はあの若い男が、レンスキーを刺してしまうのではと、勝手に予想していたのですが、あの群集に追い詰められる二人のシーンはなかなかに緊張感がありました。
私の時は、ブラボーだけで、ブーはなしのコンヴィチュニーでして、慎ましく合唱の中に埋もれてました。

>時をおかずこうして「オネーギン」の別の一面を見られたことはよかったと思います。<
 私は小沢版を見ておりませんでしたが、悔やまれます。
今回のコンビィチュニーは、音楽を殺さず、むしろイキイキとした舞台に仕上がっていました。
良い舞台を観劇できました!

投稿: yokochan | 2008年9月15日 (月) 22時06分

こんばんは。
これ行きたかったなあ~~。ちょっとこのところオペラやコンサートの券買い過ぎてお金なかったです・・・(年内に4つ・・・)。大隈智佳子さんいいですよね~。

投稿: naoping | 2008年9月17日 (水) 22時49分

naopingさん、私も向こう見ずにもチケット買いすぎてしまいましたが、コンビィチュニー演出のオネーギン、最高でした!
いい音楽は、どんな演出でも受け入れ可能なのですね。
大隈さんの没我の演技と歌唱はまったくもって見事なもので、その歌声も素晴らしかったです。
二期会の充実ぶりは、新国の屋台骨を支えるくらいに思います。
来週に迫った、飯守トリスタン、楽しみましょう!

投稿: yokochan | 2008年9月18日 (木) 23時40分

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