スクリャービン 交響曲第1番 キタエンコ指揮
今日の銘菓は、ご存知、舟和の芋羊羹!
今も変わらぬ、お江戸の味。
子供の頃、貴重なスィーツだった。
浅草で久方ぶりに購入して、帰宅後、熱いお茶でもっていただいた。
心から、ほっとできる、ホンワカ・ムードの芋羊羹。
お芋の繊維質もしっかりあって、よくできてます。
歌入り交響曲のシリーズ、今日はスクリャービン(1872~1915)の交響曲第1番。
6楽章形式、その終楽章に、メゾ・ソプラノとテノール、合唱を伴なう交響曲は、1899から1900年にかけて作曲された。
実は、日曜に聴きこんだディーリアスの「人生のミサ」がずっと心と耳に残っていて、月曜は音楽なしで過ごしたし、今日もこのシリーズを再スタートするのが辛かった。
それほどに、素晴らしかったディーリアス。
自分にとって、かけがえのない作品となった!
ディーリアスの陰りをおびた世界から、少し肉惑的でロマンテック極まりないスクリャービンの初期作品へは、以外やすんなりと溶け込むことができた。
そして、ディーリアスとの意外な接点は、ともにニーチェに心酔したことか。
スクリャービンというとイメージする神秘的な音楽や、色を音で表現しようとした独特の色彩感、これらは1908年以降のことで、それまではワーグナーの末裔たる後期ロマン派風の作風に染め上げられている。
私は、その別人のような二面性あるスクリャービンのどちらも好きだが、実を言うと前期のロマンテック・スクリャービンの方にさらなる魅力を感じる。
ツェムリンスキーやシェーンベルク、ウェーベルンと同じ響きを感じ取れるし、ピアノ協奏曲などはショパンの響きもするロマン派ぶりだ。
6楽章あるこの曲、マーラーのようなバランスや完結感の良さがない。
オーケストラによる5楽章までと、声楽の入る終楽章とのギャップがでかい。
まず、朝靄が徐々に晴れてゆくかのような美しいカオスに満ちた第1楽章がいい。
シェーンベルクの「グレの歌」の冒頭のような音楽に、陶酔感が増す。
第2楽章は短調のラフマニノフのような哀感あふれる音楽で、これもイイ。
第3楽章、クラリネットに導かれの泣かせ節のような旋律が充満し、ホルンの合いの手も効いてなかなかにロシアチックな緩徐楽章だ。ラフマニノフと違うところは、旋律に溺れることがなく、クールさを保てるところか。
第4楽章は、スケルツォ。あまり弾むこともなく、どこか哀感あふれていて、スクリャービンらしい寒々しい中間部がある。
第5楽章、やたらに深刻なムードで始まるが、全体にとらえどころがない。このあたりにくると、背筋が伸びるような刺激が欲しくなるが、音楽は相変わらず擬似ロマン的なムードに染められていて、ピリっとしないのも事実。
さて、いよいよ終楽章。管による導入部は、何となく後年の神秘和音を匂わせ、そこにメゾが歌いだす。歌詞は、スクリャービン自身の作で、「芸術讃歌」である。
芸術が最上の存在で、それによって人類を救済しましょう、という内容のようだ。
ちと、たじろいでしまう内容であるが、ロシア語のテキストによる二人の独唱は、とても雰囲気豊かで、ダルになりかけた気分がかなり持ち直し、壮大な讃歌の展開へと期待が膨らむ。トリスタンのように熱い二重唱が繰り広げられるものだから、その期待は余計に増す。
オケによる中間部を経て、合唱の讃歌が入ってくるが、これがカノン風に男女の各声部で繰返し複合してゆくのである。
1楽章の素適なスクリャービンはどこへいったかと思うくらいに、時代はさかのぼり、メンデウスゾーンの「讃歌」のような調和の世界に逆行してしまい、晴ればれとしたエンディングとなる・・・・。
不思議な交響曲第1番なのだ。
でもこんなスクリャービンの音楽、とてもいいと思う。
実は「法悦の詩」や「プロメテウス」の響きがちゃんと聴いてとれる。
キタエンコと当時の手兵フランクフルト放送響の演奏は、前任のインバルとはまた異なった意味での、スタイリッシュな演奏で、スキのない完璧ぶり。
欲をいえばロシアのオケと合唱で一度聴いてみたいものだ。
そういえば、アシュケナージがN響で演奏していたなぁ。
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コメント
おはようございます。
スクリャービンは恥ずかしながら、まだ挑戦していない分野です。全曲盤を買うにはかったのですが、拝読してこれは聴かずにはおられない、と思いました。
先日CDを教えていただいたドホナーニ盤「ばらの騎士」の記事にトラックバックさせていただきました。おかげさまで日曜日に入手できまして、楽しんでいるところです。教えてくださって、本当にありがとうございました。
投稿: Shushi | 2008年9月 3日 (水) 05時22分
Shushiさま、こんばんは。コメントありがとうございます。
スクリャービンの交響曲は実に多面的に思います。
恥ずかしいくらいにロマン派風してます。
ムーティが大得意の3番「神聖な詩」がターニングポイントのような作品に思います。
そして、ばらの騎士、めでたくご入手の由、なによりです。
ヤノヴィッツは素晴らしいですね!
投稿: yokochan | 2008年9月 3日 (水) 21時41分
yokochanさまお久しぶりです。
私もスクリャービンは大いに興味はあるのですが、未開拓の作曲家です。ムーティ指揮の交響曲全集を購入しましたがまだまだ堪能し尽くしてはいないですし。ムーティはyokochanさまが敬愛してやまないアバドを敵視していて「スカラ座の前任者」「前の人」などと呼び、本名で呼ぶのを拒否するほどだと聴いたことがあるのですが、yokochanさまはムーティはお嫌いですか?私は二人とも素晴らしい才能の持ち主で特にオペラで実力をフルに発揮する人だと思っておりますが・・・アバド指揮のLD「ヴォツェック」のDVD化を私は切望しております。図書館で見てすっかり魅了されてしまったので。間奏曲でアバドの入魂の指揮がたっぷり見れるのも魅力ですよね。
投稿: 越後のオックス | 2008年9月 4日 (木) 08時51分
ディーリアスに続いて出て来てしまいました。
スクリャービンは10数年前、初めて聴いたのがシノーポリNYPの3・4番(DG)、これが結構気に入って(シノーポリはあまり好きな指揮者ではないのですが、NYPと組み合わせは良いような気がします)、マゼールの5番(DECCA)とヤルヴィの2番(Chandos)を買い、インバルの全集(Philips)にまで手を出し、最後にムーティの全集(EMI)が国内版で出た際に速攻で買って今日まで持っています(ムーティ以外のものは手放してしまって、今はありません)。一番好きなのは、割とオーソドックスな交響曲の作りになっている2番ですね。
ちなみに実演は、前世紀末の夏休みにUCLAの夏期語学研修に参加した際に、ハリウッドボウル・オケ(実体はLAフィル)&ティルソン-トーマス指揮の屋外コンサートで5番を聴きに行きました。その他3曲ほど現代音楽と組み合わせたサイケデリック・ナイトと称するプログラムで、すべてバックのスクリーンに何かの映像を伴うという変わった趣向のものでした。
投稿: | 2008年9月 5日 (金) 12時08分
↑↑
上の書き込みの「ティルソン-トーマス指揮」ってのは、エサ-ペッカ・サロネンの間違いでした。すみません。。。そう、サロネンこそ現代音楽の大家なのでした。
投稿: | 2008年9月 5日 (金) 12時11分
何度もすみません。
上の2つの書き込みにハンドルを入れ忘れました。snuffyでした。
投稿: snuffy | 2008年9月 5日 (金) 12時12分
アバドとムーティは、最近は和解の方向に向かい、互いを尊敬し合っているようですね。私としたことがとんだ勉強不足でした。
投稿: 越後のオックス | 2008年9月 5日 (金) 13時01分
越後のオックスさま、コメントあいがとうございます。
ムーティ盤は、オケもフィラデルフィアだし、大いに気になっております。
ムーティのデビューは、アバドがミュンヘン・オリンピックの記念公演で上演したアイーダのキャストをそのまま使って録音したものだけに、正直チクショーと思いましたが、そのレコードを購入してあまりにピチピチした輝きあるヴェルディに感心しました。ベームと初来日したウィーンフィルの演奏会も聴いてます。
ですから、ムーティさんは、決して嫌いじゃありません。
ただ、あからさまにアバドに対抗心を剥き出しにしていたところは、好ましくありませんでしたねぇ。
アバドの方が大人で、ナポリ出身のムーティは血の気が多すぎかと思っておりました。
ですが、ムーティも今や押しも押されぬ大巨匠。アバドの病後は、アバドを元気付けようと、ミラノに呼んだり、指揮の依頼もしたりと、アバドファンには涙がこぼれんばかりの対応でした。
うれしいですね!
ご丁重なるコメントどうもありがとうございます。
それと、「アバドのヴォツェック」のDVDは私の鶴首してます。かつてNHKで放送された時の録画ビデオでは、今となっては心もとない映像なのですから。
それと、ウィーン時代の「エレクトラ」「ホヴァンシチナ」「フィガロ」「ドン・ジョヴァンニ」「ローエングリン(DGで)」など、いったいどうなっているのでしょうかね?
投稿: yokochan | 2008年9月 5日 (金) 22時04分
snuffyさま、コメントどうもありがとうございます。
お名前の告知もありがとうございます。
ずいぶんスクリャービンをお聴きになってるのですね。
ムーティ盤は、手にいれなくてはならないようです。
シカゴ響との4番が出るようですが、あらためて全曲やってくれるとよいです。シカゴといえば、ブーレーズも録音してますね。
どうもイメージが合わない気がしますが・・・・。
それにしても、ハリウッドボウルのサロネン!
うらやましいです。サロネンは20世紀音楽しかやらないブーレーズの後継者のような存在ですから、今後のレパートリー拡充が楽しみな人であります。
それと、もし、MTトーマスがスクリャービンを指揮したら、さぞかし面白いでしょうね!
投稿: yokochan | 2008年9月 5日 (金) 22時13分
初めまして。スクリャービンを検索したら、こちらにたどり着きました。
わたしは合唱団の一員で、ただいまこの交響曲第1番を練習中です。合唱は単語3つ、「栄えあれ 芸術 永遠に」という歌詞の繰り返しですが、ソリストが歌うロシア語の歌詞の意味がわからなくて探しています。ソリストの歌も芸術賛歌だったのですね。なんだか恋の歌のように色っぽい感じがしますね。
投稿: はざくら♪ | 2008年10月30日 (木) 09時43分
はざくら♪さま、はじめまして。コメントどうもありがとうございます。
この交響曲の出だしがとても好きです。そして、最後の輝かしさとのギャップも何ともいえずに魅力的です。
そしてソリストの歌は、おっしゃるように恋の歌のようで、芸術讃歌とは思えませんね(笑)
私の輸入盤CDには、歌詞が記載されておりませんので、詳細はわかりませんが・・・・。
この曲を練習中とのこと、ということは実演があるのですね!
きっと聴かせていただきますね!
投稿: yokochan | 2008年10月31日 (金) 23時16分
お返事ありがとうございます。
スクリャービンの交響曲は聴くのも初めてでしたが、本当に美しい曲ですね。
私の参加している合唱団は大阪府にあり、演奏会は来年五月に京都コンサートホールで開かれます。
聴いていただくにはちょっと遠すぎますよね・・・。
投稿: はざくら♪ | 2008年11月 1日 (土) 20時38分
はざくら♪さま、ご丁寧にコメントありがとうございます。
ほんと、美しくも悩ましい曲です。
大阪の合唱団で、京都コンサートホールなのですね。
最近は関西にご無沙汰ですが、大友さんの京響の定期にも何回か行きました。コンサートにあわせて、仕事を捻出してしまうワタクシでございます。
タイミングさえあえば聴かせていただきますよ!
投稿: yokochan | 2008年11月 1日 (土) 22時56分
yokochan様今日は。ウィーン時代のアバドのローエングリンというのはドミンゴがタイトルロールを歌い、スチューダーがエルザを歌った映像のことですよね?エレクトラはエヴァ・マルトンがタイトルロールを歌い、クプファーが演出を担当した映像のことですよね?どちらもDVD化されています。国内盤はジェネオンエンターテインメントから発売されています。どちらも私は持っています。既にご存知でしたら申し訳ありません。ローエングリンの第1幕前奏曲のアバドの指揮は既に巨匠の風格を感じさせるものですね。エレクトラは最初はクプファーの特異な演出に抵抗を感じたものですが今は楽しんで見ることが出来るようになりました。
投稿: 越後のオックス | 2008年11月10日 (月) 14時40分
越後のオックスさま、こんにちは。
ジュネオンから出ていたのですね。
早速調べましたが、ちょいとお高いようです。新装再発されて少しでも安くなればいいのですが・・・・。
VHSのDVD起こしで当面我慢することとします。
正直、ドミンゴには抵抗がありますが、アバドの指揮は高貴で素晴らしいローエングリンです。
エレクトラもオケを抑制した知的でユニークな演奏に思います。
投稿: yokocahan | 2008年11月11日 (火) 13時40分